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ゼロ年代のアニメ史

80年代末期から90年代前期までのアニメ史的意義をまとめた「 エヴァ前夜はアニメ史的空白だったのか?」に触発されて、歴史認識としての「ゼロ年代アニメ史」を総括できないか? という目的で立ち上げた掲示板です。

なお、ゼロ年代は製作された作品数も激増し、かつネットや他ジャンルの影響も考慮する必要があるため、管理人だけでは全体を包括するなどとても出来ません。

なので、各分野の知識がある方の意見を持ちよって、議論の形式をとりながら「ゼロ年代アニメ史観」のようなものをつくっていけたらと考えています。



このレスは下記の投稿への返信になります。内容が異なる場合はブラウザのバックにて戻ってください

[92] 萌え系アニメの発展と拡散 管理人 - 2009/01/16(金) 21:35 -

ToHeart(1999)は美少女ゲーム原作のアニメ化のさきがけであり、以降の美少女ゲームのアニメ化はゼロ年代に隆盛を極めるというひとつの大きな流れを作るきっかけとなった。

美少女ゲームのアニメ化の台頭は、いわゆる萌え系のブームの後押しもあり、2000年にはその流れを決定付ける「ラブひな」が放映され、ハーレム系ラブコメとの相乗効果で、学園、ラブコメ、美少女モノは増殖の一途をたどり、「萌え系」としてゼロ年代を通して、常に一定数の作品が制作され、ひとつの大きなジャンルを形成することになった。

それまでのアニメ、特にオタク向け作品では、90年代の代表的なヒット作、「エヴァンゲリオン」「ナデシコ」「天地無用!」などSFやロボット、ファンタジーといった題材で、未来や宇宙、異世界を舞台にしたものが多く、また物語もバトル中心で、「恋愛」を主題にした作品は稀だった。
美少女ゲーム、ラブコメ漫画原作の恋愛を主体としたアニメの増加は、90年代までにあったこのアニメの状況を大きく塗り替えていったといっていいだろう。

そしてこの流れをもうひとつ変えたのが「あずまんが大王」(02)だった。
あずまんが大王は、キャラの日常を4コマ漫画として切り取るという、4コマ漫画としてはごく普通の作品であったが、オタク系文脈の上にある絵柄とキャラ性を加え、後に萌え系4コマというジャンルまで生み出すきっかけとなる大人気作となった。
あずまんが大王は、女の子がいれば、恋愛要素がなくても「萌え」は成立するということの発見だった。美少女ゲームやラブコメなどの恋愛モノの流行に飽きた層が流入し、ジャンルとしての人気を固めて行き、あずまんがの影響下で描かれた萌え4コマ系作品も次々にアニメ化されるようになっていった。
この系譜に属する作品としては「ぱにぽにだっしゅ」「ひだまりスケッチ」「らき☆すた」といった多数の作品を後に生み出すことになる。

こういった美少女ゲーム・ラブコメ系作品と萌え4コマ原作が隆盛していく裏で、ひそかに作られていたのが、どちらにも属さない「日常ドラマ系」と呼ぶべき作品だろう。
前述のToHeartの監督である高橋ナオヒト氏が手がけた「フィギュア17」はそのひとつの例といっていいだろう。
ToHeartは後に量産される美少女ゲームと一線を画するのは、他の作品に比べて、その日常描写や自然なキャラの描写にかなり力点が置かれていて、「萌え」「美少女」という通俗的なイメージからすれば、かなり上品な作品だった。
そしてその後に作られた「フィギュア17」(02)はこの日常描写をさらに推し進めた作品となり、当初派手さのない地味な作品としてしか見られなかったが、多分にドラマ性を含んだ作品となった。
また「カードキャプターさくら」(98〜00)「おジャ魔女どれみ」(99〜02)が放映開始され「コメットさん☆」(01)を含め、一部のファンからは、その日常描写の丁寧さを評価する声も存在した。同様に非ラブコメで日常描写を重視した作品は、多数ではないものファンの支持を集め、特に舛成孝二監督は、「リスキーセフティ」(99)「ココロ図書館」(01)などで、その分野での才覚を発揮し、次いで作られた「R.O.D-THE TV-」(03)はアクションシーンもさることながら、それ以外のパートでのだらけたキャラの日常描写が注目を集め、高く評価された。その流れは、キャラの日常をメインとしたファンタジー作品である「かみちゅ!」(05)によってほぼ完成する。

またかみちゅと同じ年には「まほらば」「ARIA」も放映され、恋愛要素よりもキャラの日常と成長を追うゆったり、まったりとした作品が人気を博した。

こういった日常描写における芝居作画や演出の向上の流れは、一方で、美少女ゲーム原作や従来のハーレム系ラブコメ、学園モノといった作品でも見られるようになり、萌え系アニメの全体の質は向上していった。
やや粗製濫造気味だった美少女ゲーム原作作品は、質や予算、原作モノとしてのアニメ化の難しさから、必ずしも原作ファンの支持を受けることが容易ではなかったが、そんな中で、京都アニメーションの制作した「Air」(05)は、その作画や演出といった作品の質の高さ、原作の持つムードやキャラ性など、その原作の再現度の高さから、他の美少女ゲーム原作作品から一線を画し、原作ファンを納得させ賞賛を浴びた。

Air以前から、「フルメタルパニックふもっふ」(03)などで注目を集めていた京都アニメーショーン、通称「京アニ」ブランドの確立である。
そして京アニは続く「涼宮ハルヒの憂鬱」(06)で大ヒットをとばすことになる。

美少女ゲームが、その原作供給源として枯渇、衰退していく一方で、注目されたのがライトノベルであった。ライトノベルは元々「スレイヤーズ」を代表格にファンタジー系作品が一時期まで主流を占めていたが、美少女ゲームの影響からか、学園モノからラブコメにSFやファンタジー、伝奇要素を含んだ萌え系作品が増加し、市場のニーズからも、新たな原作供給源として確立していった。中でも「ハルヒ」は最大のヒット作だったといえよう。

「Air」「ハルヒ」で一躍注目を集めた京アニ、そしてその京アニ作品の中で、演出として主要な役割を果たしたとして注目された山本寛が、満を持して監督として抜擢され、制作されたのが「らき☆すた」である。(ただし山本寛は4話で降板)
「らき☆すた」は、いわゆる萌え4コマ系の原作漫画を元にした、前述の「あずまんが大王」の系譜に連なる作品であるが、主人公が、「オタク」であり、そのオタクである主人公の女の子の日常生活を描いた点で特徴的だった。
また作中で、原作の掲載誌である角川書店とのタイアップ、アニメイトの「アニメ店長」の出演、カラオケED、実写EDなどなど、メタ的なネタ、仕掛けが多く使われた。

京アニと並び立つブランドとして確立したのは、「新房昭之×シャフト」だろう。
以前から独特の演出センスで知られていた新房監督がシャフトと組んだ二作目「月詠-MOON PHASE-」(04)でその存在感を示し、続く「ぱにぽにだっしゅ」(05)では、主にネットユーザーを意識したあらゆるネタを注ぎ込み、挑発的な演出で、ネットコミュニティの話題をさらい、その名前をしらしめた。その後、「ネギま!?」(06)「ひだまりスケッチ」(07)「さよなら絶望先生」(07)と原作モノを手がけながらも独特の作風を崩すことなく、そのブランドを強固にしている。

新房監督の諸作品、京アニの「涼宮ハルヒ」「らき☆すた」に共通するのは、特徴的な演出やクオリティといった作品の質とはまた別に、2ch、Youtube、ニコニコ動画といったネットコミュニティで作品がコミュニケーションの媒介として話題となり注目されたかも、ヒットの要因となっており、無視することのできない特徴となっている。

By 秋水さま

[93] 萌え系の流れを考える 管理人 - 2009/01/16(金) 23:06 -

秋水さま、基礎文章の製作ご苦労さまです。

とりあえず、萌えアニメの系譜をめぐる記述としては、ほぼ流れは抑えていると思われます。てか、自分よりはよっぽどジャンルに関する造詣が深いからこそ、おまかせしたわけなんですが(^^;
ただ、現状では基礎の文章というだけあって、教科書的に出来事を記述した感じなので、ここからどう「史観」を築くかが問題なんですよね。

http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050228#otakuhis

>単なる自分史を書いても、人はその歴史を面白がってくれない。面白がってもらうためには「史観」が必要だ。

>客観性を…と考えて、年表にしても、何も知らない人がそこから流れを読み取ることは難しい。歴史に流れや物語が追加されないと「歴史」として認識されないのだ。

少なくとも、リアルタイムでこの流れを見てきた人間が「現場感覚で語れる」ことこそ、資料的価値があると思うので。

で、まず自分が提示できそうな視点ってのは、萌え系というジャンルでのブームの変遷でしょうか。

[94] 始まりはハーレム系 管理人 - 2009/01/16(金) 23:08 -

ゼロ年代における萌え系というジャンル隆盛の嚆矢にあたるのは、2000年の「ラブひな」って線が濃厚だと思います。

いわゆる「ハーレム系」と呼ばれるこのジャンルの源流にあたるのは、80年代にアニメ化されたサンデー原作あたりのラブコメマンガ群。なかでももっとも大きな影響を及ぼしているのは、高橋留美子原作の「うる星やつら」でしょう。

なぜ80年代のラブコメの影響下にある作品がゼロ年代になって増殖したのかといえば簡単で、当時ファンだった連中が大人になって作り手にまわったこと。
さらに、オタクという市場が意識され拡大し、作り手と同年代のファン層が経済力を持ったためだと。

現に、萌えアニメ前史に作られた「天地無用!」「ナデシコ」といった作品は、企画段階から完全に「うる星」を意識して作られたという経緯があり、設定レベルでも、宇宙から来た鬼娘だの、主人公にまとわりつく美少女だの、そのまんまな影響が見て取れます。

一方で、「ときめきメモリアル」からなるギャルゲ方面からの想像力の流入もあり、なんの取得もない主人公を、さまざまなタイプの美少女がなぜか好きになって群がる、「ハーレム系」というジャンルが確立されたと。

このタイプの作品は、アニメ、マンガ、ギャルゲというジャンルでさまざまなバリエーションができたが、進化の方向性は「ファンにアピールできる女の子のバリエーションをいかに増やすか」という観点で進み、「シスタープリンセス」の妹12人なんかを経て、「魔法先生ネギま!」の女子中学生31人で飽和。私がいうところの「帰結型」ヒットを飛ばしたところで、ジャンルの主流を学園モノや萌え日常系(空気系)なんかに取って代わられたって感じでしょうか。

で、このジャンルのすごいところは、ジャンル派生のさきがけと思われる「らぶひな」と、終わりにあたる「ネギま!」の作者がともに赤松健であるということ。
大仰な言い方をすれば、「ハーレム系は、赤松健に始まり、赤松健に終わる」みたいなことが言えるかも。
(厳密に言えば、高橋ナオヒト監督の「鋼鉄天使くるみ」が1999年で、介錯原作のアニメ群もあるんですが、一連の作品がそれほどヒットしたって印象ないんですよね)

ここまでが、だいたいゼロ年代の中ごろあたりまでの話で、この流れとスライドする形で、ギャルゲ、ラノベ的「学園モノ」と、あずまんが、ARIAなんかの「萌え日常系」の台頭って現象が起きてくる。

まずは、こんな感じでどうでしょうか(^^;

[95] ラブひなについて 秋水 - 2009/01/17(土) 01:40 -

>ただ、現状では基礎の文章というだけあって、教科書的に出来事を記述した感じなので、ここからどう「史観」を築くかが問題なんですよね。

教科書的にというのは意図的にやりました。
なるべく自分の主観を排除して、ここから他の人の意見を足せればという感じで。
以降は自分の観点でいろいろ補強していきたいと思います。

>なぜ80年代のラブコメの影響下にある作品がゼロ年代になって増殖したのかといえば簡単で、当時ファンだった連中が大人になって作り手にまわったこと。

これはいいとして

>さらに、オタクという市場が意識され拡大し、作り手と同年代のファン層が経済力を持ったためだと。

こっちはちょと違う気がします。
もちろんそういうのが好きな人もおおいでしょうけど、ラブひなが始まった当初、自分と同年代(70年中盤生まれ)は、「いまさら、こんなの受けるかよ」と冷めていて、むしろ小馬鹿にしていました。
どちらかというと、赤松健(68年生まれ)とかの同世代やちょっとしたの世代よりも、2回りしたの80年代生まれ当時の10代にもっとも支持された作品ではないかと思います。
これは、ラブひなの掲載誌が角川系ではなく、少年マガジンだったのも大きかったと思います。

ラブひなは、90年代のギャルゲー的要素とキャラ、うる星的ドタバタコメディを足して、そういったジャンルをまだあまり知らない10代のオタク予備軍を取り込むことに成功した、というのが私の認識です。

美少女ゲームがToHeartからKANON、Airへと自分ら同世代を含めてギャルゲー直撃世代から強く支持されたのに比べると
旧来のドタバタ系ハーレムラブコメは10代が中心。
年寄りにいい加減にしろといわれながらも、ドタバタ系ハーレムラブコメ、「女の子が突然〜して同居」が未だに作られ続けるのも、10代にとってはそれが常に新鮮に映るから、その系譜は絶えることがないのだと思います。

[98] ギャルゲとハーレム系の違い 秋水 - 2009/01/17(土) 02:21 -

>一方で、「ときめきメモリアル」からなるギャルゲ方面からの想像力の流入もあり、なんの取得もない主人公を、さまざまなタイプの美少女がなぜか好きになって群がる、「ハーレム系」というジャンルが確立されたと。


瑣末な違いに思われるかもしれませんが、ギャルゲーは必ずしもハーレムではありません。

女の子は、もともと複数用意されていて選り取りみどりですが、抜きメインのエロゲを除けば、ギャルゲにおいて攻略としてキャラを落とす場合、プレイヤーキャラと一対一の純愛シナリオになるケースの方がどちらかといえば多いです。

複数キャラとまったく別ののマルチエンドであるギャルゲーがアニメ化されると、主人公は複数の女の子に好かれ、ジゴロのごとく女の子をとっかえひっかえするというハーレムアニメになってしまうのです。

よって、漫画原作、ゲーム原作にかかわらずアニメ化されればそれすなわちハーレムアニメになってしまい。
「ハーレムラブコメばっかり」になってしまったのがゼロ年代前半だったと思います。

[99] 基礎部分から何点か違和感が… ある美少女アニメファン - 2009/01/17(土) 07:49 -

突然の横槍、失礼します。
興味深くやりとり拝見させていただきました。その上で、何点か意見を言わせていただきたく思います。

>ToHeart(1999)は美少女ゲーム原作のアニメ化のさきがけであり、以降の美少女ゲームのアニメ化はゼロ年代に隆盛を極めるというひとつの大きな流れを作るきっかけとなった。

たしかに、美少女ゲーム原作アニメのメジャー化に「ToHeart」が大きな役割を果たしたのは事実だと思います。ですが、「さきがけ」とすべきは、「センチメンタル・ジャーニー」(1998)「同級生2(TV編集版)」(1998)でしょう。資料としては
http://d.hatena.ne.jp/moonphase/20040101
こちらをご覧下さい。

>それまでのアニメ、特にオタク向け作品では、90年代の代表的なヒット作、「エヴァンゲリオン」「ナデシコ」「天地無用!」などSFやロボット、ファンタジーといった題材で、未来や宇宙、異世界を舞台にしたものが多く、また物語もバトル中心で、「恋愛」を主題にした作品は稀だった。
>美少女ゲーム、ラブコメ漫画原作の恋愛を主体としたアニメの増加は、90年代までにあったこのアニメの状況を大きく塗り替えていったといっていいだろう。

「機動戦艦ナデシコ」「天地無用!」は「恋愛」が大きな要素として物語に絡んでいる作品だと一般的に捉えられているのではないでしょうか。これらの作品と、2000年代の萌え作品を切断するかのような記述は、不自然ではないかと思います。

>京アニと並び立つブランドとして確立したのは、「新房昭之×シャフト」だろう。

「京アニVSシャフト」というアングルは、「らき☆すた」の放送以降に作られたもので、それ以前にはこの二者を比較する視点は、少なくともネットのアニメファンの間にはなかったと記憶しています。良質のアニメを作るスタジオとして、それぞれ別個に注目を集めていた、という感じだったかと。

最後に、とりわけ気になるのが

>「日常ドラマ系」

という括りです。

まず、「カードキャプターさくら」「おジャ魔女どれみ」「コメットさん☆」はいずれも、主に女子の低年齢児童を対象とした作品。そうした作品が、多少のアクション要素も含みつつ、視聴者の目線に近い日常の描写に主眼を置いたものになる流れは、ゼロ年代に限った現象ではありません。また、それらが「萌え作品」的に受容されたからといって、あくまで低年齢層女子向けだったことを意識せず記述していいとも思えません。

そう考えた場合、「日常ドラマ系」と呼べる主要な作品は、ほとんど舛成孝二監督作品になります。これはつまり、そうしたジャンルがあるというよりも、監督のカラーなのではないでしょうか。
「まぶらほ」は広義のハーレム作品ともまとめられますし、「ARIA」もSF的な要素によって単なる「日常ドラマ」と括ってすませることはできない広がりをもっている作品ですし。

……以上です。ご検討いただければ幸いです。

[100] 印象論・定義論 管理人 - 2009/01/17(土) 09:38 -

ようやく語らいらしくなってきて、ありがたいかぎりです。

>もちろんそういうのが好きな人もおおいでしょうけど、ラブひなが始まった当初、自分と同年代(70年中盤生まれ)は、「いまさら、こんなの受けるかよ」と冷めていて、むしろ小馬鹿にしていました。

ここなんですが、例に出された箇所というのは、「ゼロ年代に萌えアニメが増殖した」を受けての内容なんで、ラブひなのヒット限定の話ではないです。
萌えオタの世代分布に関しては、確たる資料があるってわけでもないんであくまで印象論になっちゃうんですが、萌えの市場全体を考えた場合、購買層のなかでもっとも業界に金を落としていそうなのが、3、40代だろうって話です。
例えば、痛車を持ってるような人間の多くはこの世代でしょうし、鷺宮なんかでらき☆すた神輿を担いでいたのもそのくらいの年齢のように見受けられたんで。
もちろん、美少女ゲームのユーザーとしての20代、ゲーム世代さきがけの高年齢層ってのもあるでしょうし。萌えを市場って観点でみれば、経済力のない10代が全体を支えているってことはないだろうと。

>ギャルゲとハーレム系の違い

ここは、私の文章で抜け落ちた要素の補足ですね。
あと、ハーレム系の失速前後、学園モノと萌え日常系が台頭したように書きましたが、ジャンルを示すハーレム系、萌え日常系に対して、学園モノってのはあくまで、「主な物語の舞台」の区分なので、前二つのカテゴリーと重複する部分があるってことは断っておきます。


>「さきがけ」とすべきは、「センチメンタル・ジャーニー」(1998)「同級生2(TV編集版)」(1998)でしょう。

議論参加ありがとうございます。
仰るように、ギャルゲアニメ化の「先陣」はその二作でしょう。ただ、秋水さんが使った「さきがけ」の意味は、萌えアニメの市場メジャー化って観点においてってことだと思います。
ご指摘自体は、まさにそのとおりで、系譜を要約するうえで抜け落ちてしまった作品だと思うので、補足していただいたことはありがたいです。

>「機動戦艦ナデシコ」「天地無用!」は「恋愛」が大きな要素として物語に絡んでいる作品だと一般的に捉えられているのではないでしょうか。これらの作品と、2000年代の萌え作品を切断するかのような記述は、不自然ではないかと思います。

私もそう思いましたので、「前史」という断りを入れてその二作に言及したつもりです。
萌えアニメの始まりはどこか? という定義は議論が分かれるところで、ライトノベルの定義論でも、新井素子だコバルトだスレイヤーズだと諸説あったりするんで、ここでは90年代状況とゼロ年代萌えアニメの橋渡し的に「天地無用!」「ナデシコ」があったくらいでどうでしょう?
んなこといったら、セラムン、エヴァはどうなるんだ? とキリがなくなってしまうので。

>最後に、とりわけ気になるのが
>「日常ドラマ系」
>という括りです。

ここも定義論になっちゃうんで難しいところなんですよね。
そもそも、萌えの起源には80年代魔法少女ものがあったと思うので、女児向けアニメと萌えアニメって地続きで、さくらの場合はどっちの意味でも受容されたって経緯があると思いますし。
「まほらば」「ARIA」も見方によっては別のカテゴライズができるのは仰るとおりなのですが。

このスレのまえにも「空気系アニメについて」というスレを立てているのですが、そこでも「個々の作品をどう区分するか?」って話が出たとき、それを細かく検討したら全体の話ができなくなると思ったので折り合いをつけたってことがありました。

なので、異論を挟むこと自体をとやかくいうつもりはないんですが、細かな区分に関しては、「違和感があったら断りを入れる」程度に留めて、ジャンル全体の流れを語っていく方針でいきたいと思いますが如何でしょうか。

[102] 訂正 秋水 - 2009/01/17(土) 12:14 -

ある美少女アニメファンさん
あなたのような方をおまちしていました。
基礎の文章は短くまとめるために、かなり大雑把に記述しています。なので記述として足りない部分はかなりあると思います。
足りないと思う部分、抜けていると思われる視点があれば、どんどん指摘していってください。
そこから議論が展開すればOKなので
今後もよろしくお願いします。

>それまでのアニメ、特にオタク向け作品では、90年代の代表的なヒット作、「エヴァンゲリオン」「ナデシコ」「天地無用!」などSFやロボット、ファンタジーといった題材で、未来や宇宙、異世界を舞台にしたものが多く、また物語もバトル中心で、「恋愛」を主題にした作品は稀だった。


ここの記述に関してですが、ちょっと私の落ち度でした。

×「恋愛」を主題にした作品は稀だった。
○学園や現代的な日常を舞台にし恋愛を中心とした作品は稀だった。

に訂正させてください。
恋愛要素や美少女キャラという点で共通しつつも、90年代とゼロ年代の差は、その舞台にあるというのを強調したかったんです。
恋愛モノ即学園モノという回路が頭の中で強すぎてうっかり、、「「恋愛」を主題にした」と記述してしまいました。


>「まぶらほ」は広義のハーレム作品ともまとめられますし、

「まぶらほ」じゃなくて「まほらば」です。
タイトルが似ているので混同されがちですが、まったく違う作品です。

>「ARIA」もSF的な要素によって単なる「日常ドラマ」と括ってすませることはできない広がりをもっている作品ですし。

逆にARIAを単なるSFアニメとして括ったらどうでしょう?
その方が違和感ありませんか?
自分としては、ARIAのようにSF要素を含みつつも、日常を主体に描いた作品が登場し、それが視聴者に支持されたという事実が、90年代にはなくて、とてもゼロ年代的だということを強調したかったので、ARIAを日常ドラマ系の括りにあえていれてみたのです。

こう書くと「天地無用!」も日常性あったじゃないと、突っ込まれそうですがw

[103] ギャルゲー・エロゲーそれ自体の歴史 菊地研一郎 - 2009/01/17(土) 12:56 - MAIL

まぁ、原初はロリータ系(この言葉がすでに80年代)だな。

OVA『くりいむレモンパート1 媚・妹・Baby』(84)
PC『天使たちの午後』(85)
AC『スーパーリアル麻雀PII』(87)

スーパーリアル麻雀はアニメーター(田中良)と人気声優(山本百合子)を使っている。まぁ、現在に直結するギャルゲー/エロゲーの原型はこれになるだろう。

その線で、ガイナックスというか赤井孝美が脱衣クイズゲーム『電脳学園』(89)を作った。二作目が裁判になったのは記憶に新し…くはないか。もう20年前だな。

1は赤井孝美で、2は新田真子・明貴美加・菊池通隆で、3の『電脳学園3 トップをねらえ!』は庵野秀明が監督で、窪岡俊之が作画だった。トップのやつは先日ニコニコ動画で20年ぶりに見て感慨深かった。

で、『プリンセスメーカー』(91)、
竹井正樹作画の『同級生』(92)、
『ときめきメモリアル』(94)、と来て、
90年代前半が終わる。

その他、ガイナックスのギャルゲー(?)にはこんなものがある。
PC『サイレントメビウス』(1990)
PC『ふしぎの海のナディア』(1992)

また、パイオニア/AIC系では、
黒田洋介・倉田英之らが作ったPC『ああっ女神さまっ』(93)がある。

すでに90年代前半から、このような状態であった。

[104] ハーレム系前史 管理人 - 2009/01/17(土) 13:57 -

そういえば、「ラブひな」あたりではっきりハーレム系みたいなジャンルが意識されるまえに、OVA1993年「ああ女神さまっ」あたりからの押しかけ女房系があったことに触れていませんでしたね。

この系譜だと

98年 守って守護月天
99年 鋼鉄天使くるみ
00年 HANDMAID メイ
01年 まほろまてぃっく
02年 ちょびっツ、りぜるまいん、ぴたテン
03年 まぶらほ

て、ところでしょうか。
ハーレム系と押しかけ女房系だと、ヒロインの数以外で厳密な区分はしづらいんですが。

>やっぱり年表として一覧にするとそれまで見えなかった「時代の流れ」みたいなものが浮き彫りになってくるんですよ。

にしても、エヴァ前夜で倉井あどきさんが言ってたことを萌え系の系譜をめぐるだけでも実感させられます。
多少登場順が重なりながら、押しかけ女房系→ハーレム系→萌え学園系・萌え日常系みたいなブームの変遷が、年表を見ていくとはっきり現れてる。

まあ、萌えアニメの歴史の変遷なんか知って面白がる人間が、どれだけいるかわかりませんけどね(^^;

[105] ハーレム以前のスタイル 菊地研一郎 - 2009/01/17(土) 19:51 - MAIL

80’sのリスト

『マクロス』(82)
『タッチ』(-86)
『めぞん一刻』(-87)
『うる星やつら』(-87)
『ああっ女神さまっ』(88-)
 −
『天地無用!』(92-)
『ネギま!』(03-)

○『マクロス』(82)
「お宅(たく)」という二人称を使う主人公の一条輝クン。まったく昭和の東京の大学生文化を感じさせる彼は、リン・ミンメイと早瀬未沙という二人のヒロインを持っていた。最終的に年上お姉さんの未沙とくっつくあたりが、これまた昭和の東京の文化である。対して00年代の『マクロスF』は保留である。この違いが20世紀と21世紀の違いといえよう。今ここでこの解はしません。

私見では、デュアルヒロインのルーツは女子プロの「ビューティペア」に求められる。言い換えると、ダーティペアのユリとケイである。この系統はイクサーワンとかバブルガムクライシスとかに続き、現在もやや衣装を変えつつ継続中だ。

○『タッチ』(-86)、『めぞん一刻』(-87)
80年代のもうひとつの「二股」は、『タッチ』である。こっちは出来杉くん系の兄と反抗期な弟と、日高のり子というか南ちゃんであった。兄は割と早く死んで退場し、くっつくかくっつかないかのラブコメへと移行する。同様のドラマを持つのが『めぞん一刻』だ。地方から進学のため東京に出て、ひとり暮らしする。
『タッチ』の中高生か、『めぞん』の大学生(浪人だが)か。これは親元で暮らしているか、それとも単身者か、という大きな違いがある。
もっとも、早々に記号化して、深い意味がなくなった設定である。

○『うる星やつら』(-87)から『ああっ女神さまっ』(88-)そして『天地無用!』(92-)へ

『うる星』+『めぞん』→『女神さまっ』、という考えは成り立つであろう。もっとも、ベルダンディの出現シーンのパロ元は『ドラえもん』あたりだろう。ところで『女神さまっ』は連載20年を迎えてまだ現役だったりする。『女神さまっ』の模倣作が数多い。たとえば赤松健『AIが止まらない』がある。赤松が『ラブひな』を描いているときも『ネギま!』を描いているときも、藤島康介は『女神さまっ』を描いていた。考えによっては異様である。

『天地無用!』はハーレムアニメの元祖と言われることが多いが、基本形はデュアルヒロインである。魎呼が不良少女系で、阿重霞がお嬢様(あるいは親戚?)系。砂沙美と魎皇鬼がマスコット、美星が女子大生だった。バブル期のキャラ設定といえよう。

不良少女という類型は、『きまぐれ☆オレンジロード』の鮎川まどかあたりが有名だろうが、今はほぼ絶えた。私見では、バイク趣味とともに姿を消した。

○赤松健『ネギま!』(03-)
ついでにこれも取り上げておきたい。これを単純に「ハーレム」で割ろうとすると、いくつかの重要な要素を取りこぼす。
ひとつは、『ハリーポッター』のコピーという相、もうひとつは、「遊演体」系(蓬莱学園)の末裔という相である。

[106] 学園モノの系譜 管理人 - 2009/01/18(日) 05:59 -

さて、ではハーレム系の話のつづきです。

ゼロ年代のアニメ界でもっとも活気があったジャンルは、取りも直さず学園モノでしょう。
深夜の萌えアニメは言うに及ばず、本来メカ・SFアニメに分類されるはずのギアス、マクロスFといったゼロ年代を代表するヒット作にまで、学園という舞台設定が組み込まれていたことからもそれが伺えます。

そもそも、90年代ごろから「萌え」という言葉が使われはじめ、オタクのメインストリームがアニメからエロゲーへとシフトしていくなかで、オタクの願望たる10代の美少女と過ごす日常というものを、もっとも手軽に手っ取り早く描ける舞台というのが、ギャルゲなどに端を発する“学園”という装置だったのではないでしょうか。

では、学園モノというジャンルでゼロ年代最大のヒット作は? と聞かれれば、谷川流原作のライトノベルをアニメ化した「涼宮ハルヒの憂鬱」があげられます。
U局深夜という放送形態だったにも関わらず、当時誕生してまもないYoutubeなどの投稿動画サイトで人気に火がつき、

涼宮ハルヒが起こしたYouTubeの憂鬱、ネットマーケティングの大成功例

なんてことまで書かれました。
で、信者のあいだからは、ついに現れた“ポストエヴァ”みたいな発言がそこかしこで聞かれ、製作に携わった京都アニメーションのブランドを確固たるものにし、同作品によって一躍有名になった演出家、山本寛が手がけたEDによって、“美少女が歌って踊る”タイプのOP、EDが萌えアニメを中心に数多く作られていくことになります。

で、ここではハルヒというアニメの評価は置いといて、まずはハルヒという作品が登場してくる歴史的な流れを、原作であるライトノベル界の変遷などを中心に置きつつ、振り返ってみたいと思います。

[107] ライトノベル界の流れ 管理人 - 2009/01/18(日) 06:01 -

ゼロ年代のラノベ原作アニメ最大のヒット作がハルヒなら、90年代のそれにあたるのはスレイヤーズです。
そもそも、狭義のラノベはスレイヤーズから始まったとも言われ、歴代ラノベの部数総売り上げでも1000万部越えと他を抜きん出ています。

ライトノベル公称部数まとめ
http://lightnovel.g.hatena.ne.jp/REV/20070519/p1

そして、ある時期までのライトノベルのメインストリームも、富士見スレイヤーズを筆頭としたライトファンタジーでした。
ところが、98年電撃文庫から創刊されたブギーポップシリーズによって、業界の勢力図、果てはメインジャンルまで、ラノベ界の大転換が起こります。
すなわち、富士見から電撃へ、ライトファンタジーから学園異能へと業界の覇権が移るわけです。
(加えて、ブギーポップと同年に、百合ブームの元祖ともいえるマリみてや、フルメタの創刊があったことも特記しておきます)

さて、転換点となったブギーポップのヒットは、広義のセカイ系的な想像力をラノベに持ち込んだとされています。
セカイ系とは、一説にはポスト・エヴァンゲリオン症候群。もう一説には、「きみとぼく世界」+「世界の破滅」というギャルゲー/アダルトゲーム特有の方法論という言い方がされ、多少強引に結論づけるなら、90年代中ごろ当時のエヴァ的、ギャルゲ的想像力をライトノベルが受け継いだ最初の作品ということになるでしょう。

この話は、オタクの歴史認識にリセットがあったと考えてみるにある

>そして『エヴァ』で一番ニーズがあったのは従来のアニメでは見かけないタイプの心理描写(思春期の心理を、もっと端的にいえば魂の**の心理を切実に描いた)だったのに、後続したアニメはあくまで演出技法などの影響に留まり、新しく生まれたニーズの受け皿とならなかった。

や、こちらの話題の続きになるでしょう。
以降、ラノベのメインストリームには学園モノ(学園異能)が幅を利かせていくことになり、思春期的な心情を描く作品とともに、ギャルゲとの親和性も増していくことになります。
(ただ、金字塔となったブギーポップという作品にはギャルゲ特有の萌えの成分は非常に少ないように感じます)
そして、後にそれぞれアニメ化される、フルメタ、イリヤ、シャナなどの流れを経て、ついにハルヒの登場となります。

ライトノベルの起源とその後
http://www2e.biglobe.ne.jp/~ichise/d/2007/1210.html

[108] そしてハルヒに至る道 管理人 - 2009/01/18(日) 06:11 -

さて、このブギーポップも2000年にはアニメ化を果たしています。
が、ラノベ界での影響力とは裏腹に、このアニメがヒットしたという印象はあまりありません。問題だったと思う箇所はいくつかありますが、ひとつの理由として、ブギーポップは物語の構成や話のスジ、登場人物の心情によって人気を博した作品で、決してキャラものではなかったから、ということがあげられます。

同じように、ラノベとしてはヒットしても、アニメ化してヒットしなかった印象を受ける作品に、「キノの旅」「半分の月がのぼる空」「しにがみのバラッド」などがあります。
これらの作品には、そもそもの作品としてのクオリティや放送形態といった面でのマズさもあったと思いますが、他にも思春期的な心情にコミットしすぎて旧来のオタクには受けが悪かったという理由があげられるでしょう。

片や、美少女キャラに対する萌えやバトル的要素を主だった作品の売りとした、「フルメタルパニック」「いぬかみっ」「灼眼のシャナ」などの作品群は、個人的な印象として、アニメとしてのヒットは前述の作品群より好調だったように思います。

これらの流れを踏まえたうえで、原作の持ち味を損なわず、ほどよく思春期的な心情を描き、かつ萌えも突起するという、エヴァ、ギャルゲ的な想像力の流れをくむ原作つき学園モノのアニメ化において、もっとも理想的な手腕を発揮したのが京アニの製作した一連の作品群であり、さらにはネットを利用してマーケティング的にも成功を収めるという離れ業を行った、ハルヒ、そしてらき☆すたへと至る流れだったのではないでしょうか。

ここまでの流れを見てくると、種ガンに至る土6の流れと合わせて、ゼロ年代の潮流の大元にはやはりエヴァがあったと言えるのではないでしょうか。
つまり、アニメ界においてはエヴァ以降、SF・ロボットものというジャンルをいかに描くかという流れのもとに種が登場し、ギャルゲ、ラノベでは、思春期の心情や萌えをどう描くかという流れのもとにハルヒが登場したと。
で、面白いのは、アニメ界SF・ロボットものでは、いかに10代の嗜好にコミットするかという方向で変化、ヒットを飛ばし、ラノベ界ではオタクに向け、いかに思春期の心情をスポイルして口当たりをよくし、萌えを突起するかという方向でアニメ化作品がヒットしたということ。
これは、双方の作り手、受け手の年齢層の違いを端的に物語っているような気がします。

そういった、言わば表と裏の関係として、ゼロ年代の土6路線と学園モノという2大潮流が生まれていったと個人的には考えます。

[109] アニメ版ブギーポップの歴史的意義 管理人 - 2009/01/18(日) 06:12 -

四連投失礼(^^;

余談ですが、アニメ作品としてはパッとしなかったと書いたブギーポップも、スタッフのほうに目を向けてみると、また違った評価ができるように思います。

まず、本作の監督を務めたのは渡部高志。
ご存知(と書いていいのかどうか)スレイヤーズや灼眼のシャナと同じ監督だったりします。
スレイヤーズと言えば、林原めぐみの代表作。シャナと言えば、あの釘宮理恵が“ツンデレの女王”になっていく初期作品(^^;
つまり、90年代とゼロ年代の潮流でそれぞれ重要なポジションを占めるラノベ原作アニメのちょうど中間に、橋渡しのように作られたのが本作だったと。
その他にも、福山潤や能登麻美子といった後の人気声優を新人のころに起用していたり、変なところで歴史に関わっているふしぎな作品です。

ともあれ、このブギーポップがゼロ年代の学園モノ路線への流れの一端を担っていたのは前述のとおりで、そういう作品がゼロ年代最初の年にアニメ化していたことは特筆に価するのではないでしょうか。


あと、学園モノにおいて忘れてはならないのが、京アニ製作による一連の作品の流れと、ハルヒ以降のラノベ原作、まなびなんかの追随作品。
同人モノを含めたエロゲと、それに付随するツンデレなどの属性の変遷なんかだと思いますが、こっちに関してはほとんど見識がないので、どなたかそれぞれの項目のフォローをお願いします(^^;

[110] ミニ年表:『エヴァ』&『To Heart』&『ブギーポップ』&『ハルヒ』 菊地研一郎 - 2009/01/18(日) 18:43 - MAIL

漫画『新世紀エヴァンゲリオン』(95.2)
TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95.10-96.3)
映画『シト新生』(97.3)
映画『Air/まごころを、君に』(97.10)

PC・成人指定『To Heart』(97.5)
PS・全年齢『To Heart』(99.3)
深夜TVアニメ『To Heart』(99.4-6)

電撃文庫『ブギーポップは笑わない』(98.2)
深夜TVアニメ『ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom』(00.1-3)
実写映画『ブギーポップは笑わない Boogiepop and Others』(00.3)

角川スニーカー文庫『涼宮ハルヒの憂鬱』(03.6)
×漫画『涼宮ハルヒの憂鬱』(04)
漫画『涼宮ハルヒの憂鬱』(05.11-)
深夜TVアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』(06.4-6)

<『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』(07.9)>

[111] アニメ史? 秋水 - 2009/01/19(月) 03:55 -

>同人モノを含めたエロゲと、それに付随するツンデレなどの属性の変遷なんかだと思いますが、こっちに関してはほとんど見識がないので、どなたかそれぞれの項目のフォローをお願いします(^^;

正直自分もエロゲ方面の動向は詳しくないので、うかつなことはかけません。


ちょっと話をぶったぎりそうで恐縮なんですが気になったので。

ラノベやギャルゲの推移の確認として、萌え系全体の動向をまとめるのはいいんですけど、他ジャンルの話ばかりで、もはや「アニメ史」ではないですよね。
それもそのはず、基礎の文章であげたヒット作のほとんどが何らかの原作モノで、アニメオリジナルの企画で要となるような代表的なヒット作がない。
つまるところ、ゼロ年代における萌え系ジャンルの作品は、始まりから終わりまで、ゲーム・漫画・ラノベ・同人すべての他メディアのヒット作をアニメ化してその上澄みを掠め取っていただけで、「アニメ」として新しい萌えの流れを何も生み出せなかったということなのではないか、というように見える。

萌え系の歴史をここで「アニメ史」として語る意味あるのかと、おもっちゃうんですが、どうでしょう。

[112] どうしましょうか 管理人 - 2009/01/19(月) 10:13 -

>つまるところ、ゼロ年代における萌え系ジャンルの作品は、始まりから終わりまで、ゲーム・漫画・ラノベ・同人すべての他メディアのヒット作をアニメ化してその上澄みを掠め取っていただけで、「アニメ」として新しい萌えの流れを何も生み出せなかったということなのではないか、というように見える。

萌え系の歴史というか結論がそうなってしまうことは、語り始めるまえからわかりきっていたことだと思います。
ゼロ年代アニメの特徴そのものが、オリジナル作品の激減と原作モノの激増。なので、ゼロ年代のアニメ史を語るのに、他メディアの流れを押さえるのは当然だと思っていたのですが。

で、私もハルヒ、らき☆すたを語るのに京都アニメーションの流れで語るというのを最初に考えました。
が、京アニの流れで個々の作品の登場過程を語ろうとすると、ギャルゲ、ラノベ、萌え4コマと、それぞれの作品に関して、他メディアの流れの言及を別々にする必要があると思ったんで、ギャルゲ、ラノベからハルヒへの「学園モノ」と、あずまんが発らき☆すたっていう、萌え4コマ、マンガ原作主流の「萌え日常系(空気系)」とを分断して語った方がいいんじゃないかって判断を当初していたという経緯があります。

で、これまでで語ったように、私が言及できる範囲は、ライトノベルを中心とした「学園モノ」の流れ。それ以外のゲーム、同人は守備範囲外。
最初に、萌え日常系(空気系)を秋水さんにおまかせしようと思ったのも、そういう背景によるものでした。

>萌え系の歴史をここで「アニメ史」として語る意味あるのかと、おもっちゃうんですが、どうでしょう。

そこを否定したら、ゼロ年代アニメ史でもっとも隆盛を極めたジャンルの言及がまったくできなくなってしまいます。
が、私には萌え系に関して他ジャンルの流れを語るのはこのあたりが限界で、残りのゲーム、同人の流れとしての「学園モノ」と、マンガ原作主流の「萌え日常系」に関しては、他の方におまかせするよりありません。

ここから先は、それぞれの分野に見識のある方の参加を待つか、畑違いではあっても資料から推察できる流れをとりあえずまとめるくらいの道しか思いつきません。

萌え系に関しては、秋水さん主導でお願いしているので、これから先の方針はおまかせします。

あと、他の方ができないと言うなら、「萌え日常系」に関しても一家言くらいならあるんで、若干なら切り口の提示を致します。

[113] 敗北の歴史 秋水 - 2009/01/19(月) 11:30 -

ヒット作につながる流れを抑えていくというのが管理人さまの意図なので、とりあえずそこに添う形で私も最初やってたんですが、やっているうちに結局、アニメ業界においてこのジャンルは自ら切り開いた境地ではなく、時代の流れに否応なく流されただけに過ぎなかたんではないかと思うようになってしまいました。
ヒット=勝利だとするなら、それを自ら生み出せなかったアニメ業界は敗北したということであり、ヒット作を追うだけでは「アニメ史」にならないんじゃないかと。
敗者、敗北の歴史としてなぜヒット作を生み出せなかったかという観点で見るほうがもしかしたら正しいんじゃないか、その中で、萌え系ジャンルがゼロ年代のアニメに与えた影響を包括的に考える方が「アニメ史」としては意義があるんじゃないかと考えたのですが、どうでしょう。

たとえば「おねがいティーチャー」とか「まなびストレート」とか「舞HIME」とか大ヒットというまでには至らない作品の中で、萌え系ジャンルの隆盛の影響下で生まれたオリジナル作品がどう位置づけるべきか、とか。
あと自分としては、萌え系ジャンル隆盛がアニメ業界に与えた功罪の功として、最も着目したいというか語りたいのは、「作画・演出の向上」なんですよ。

ただ、そうするとヒット作の流れとは関係なくなるので、スレ違いになってしまうかもしれないから、この話はとりあえず横に置いといてもかまわないです。

[114] まさにその通り 管理人 - 2009/01/19(月) 12:27 -

>アニメ業界においてこのジャンルは自ら切り開いた境地ではなく、時代の流れに否応なく流されただけに過ぎなかたんではないかと思うようになってしまいました。

私はゼロ年代のアニメ史を総括しようと思いついた当初から、萌え系に限らず、この十年は「業界全体が時代の流れに流されただけ」という感慨は持っていました。
というより、ヒット作を振り返ることによって、「逆説的にアニメ業界の敗北」という結果を浮き立たせられるんじゃないかって意図もあったと告白しておきます。

現に、土6の変遷でも、ヒット作は種に至るまでのわずかな足掻きで、それ以降はほとんど敗北か二番煎じに過ぎない。
マクロスFでさえ、ヒットに至る方法論は大部分が他ジャンル原作や過去の成功の文脈に依存していると思っています。

>敗者、敗北の歴史としてなぜヒット作を生み出せなかったかという観点で見るほうがもしかしたら正しいんじゃないか

見解はごもっともなんですが、ゼロ年代のアニメ史を端から「敗者、敗北の歴史だった」なんてネガティブな論調で総括すれば、現役世代から「何言ってんだよ。ゼロ年代には、種もギアスもハルヒもらき☆すただってあるじゃねえか、この年寄り!」なんて言われかねない。
だからこそ、表面上はポジティブにヒット作が生まれた流れをとらえようって意識でした。

ただ、秋水さんが「ゼロ年代アニメ界の本質」に沿った形で総括を行おうと言うなら、こちらとしては願ったり適ったりではあるのですが。
しかし、それをやると私自身の箍が外れてしまうので、そのときはできるだけ議題の提出は秋水さん主導でお願いしたいです。

[115] 萌え日常系は作画・演出アニメ 管理人 - 2009/01/19(月) 12:51 -

>たとえば「おねがいティーチャー」とか「まなびストレート」とか「舞HIME」とか大ヒットというまでには至らない作品の中で、萌え系ジャンルの隆盛の影響下で生まれたオリジナル作品がどう位置づけるべきか、とか。

このへんは、私としては語りようがないので、秋水さん自身が言及するのは問題ないというか、むしろ率先してやっていただきたいです。

>あと自分としては、萌え系ジャンル隆盛がアニメ業界に与えた功罪の功として、最も着目したいというか語りたいのは、「作画・演出の向上」なんですよ。

萌え日常系の議論でしたいと思ったのがまさにこれなんですよ。
このジャンルは、原作は他メディアに依存するなかで、作り手側の模索とか洗練ってのはまさに「作画・演出の向上」って方向で進んでいる。
「あずまんが」から「らき☆すた」にしろ、空気系、日常ドラマ系問わず、制作会社や主要演出家は作画や演出に特化して磨きをかけていたって観が強い。こういう視点の提示は大歓迎で、論調そのものに制限はかけていないはずなんですが。

なんどか書いていると思いますが、私が行おうと提案しているのは、「ヒット作を通した時代状況考察」。ゼロ年代アニメの想像力の流れですので、ヒット作が生まれた経緯そのものでは必ずしもないです。

[116] 流行の絵柄を良しとする精神。しかし、生ものは腐りやすくもあり 菊地研一郎 - 2009/01/19(月) 18:27 - MAIL

私は、CG化によって、アニメ製作の現場から撮影台が消えたということを重視している。

セル画を一枚一枚カメラで撮影するという工程が永遠に消えたことで、アニメはCGに発展解消された。

その差は、エヴァのLDと『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の差である。つまり、

 新劇場版の使徒ラミエル(結晶)って、一瞬ちょっとすごいかもって思ったけれど、すぐ見飽きちゃったよね

ということである。

管理人さんの言う「00年代アニメの作画・演出の向上」は、基本、これであると私は思う。

画質(シャープネス、クリアーネス)の向上は、主に、細部への注目を喚起する。

結果、何が起こるか。"あら"がよく見えるのだ。

なにゆえ、声優の写真はソフトフォーカスが基本なのか。という問いである。

アニメはグラフィック(絵)なのか。つまり、動く漫画なのか。それとも写真技術に立脚した映画の一種なのか。という、原理的に解消されえない難問がある。

日本のTVアニメは、マンガ(とラノベ=マンガの挿絵つき小説)を、その絵柄をなるべく維持したままアニメ映画にしようとする。これは自明そういて、ちっとも自明ではないスタイルである。

その歪(ひず)みは、熱心な視聴者が原作つきアニメの絵柄を批判的に語る際にあらわになる。原作の実際の絵を驚くほど無視しがちである。どんなマンガでも、一巻と最新巻の絵柄は異なるし、たいてい、一巻の絵は最新巻に比べると下手くそに見える(絵に限らないが)のに、である。つまり、彼(か)のイメージ(=実像)でなく、我がイメージ(心像)を重視しているのだ。

「原作の絵柄を忠実に再現」という言葉は、たいてい現実ではなく、単に現在スタンダードな絵柄や塗りやエフェクトに沿っているだけ、であることがほとんどである。

例えば、

小説『ハルヒ』の「いとうのいぢ」の絵柄等を見よ。そして、アニメ版を見よ。『かんなぎ』も同様。鍵系は少々特異なのでここでは外す。

また、

小説『狼と香辛料』の文倉十の絵柄と漫画版の小梅けいとの絵柄と、アニメ版の黒田和也の絵柄を見よ。アニメ版の絵柄は少々古かった。

ハルヒはアニメが今風だが、香辛料は小説・マンガが今風である。

こうしたキャラデザ論は指摘が楽なので(見て分かるから)、この線でしばらく続けてみたい。

[117] 萌え系に対するアニメ業界からの試み 秋水 - 2009/01/19(月) 21:00 -

ヒット作の成立の経緯というながれで進行してたので、
その流れを変えちゃいそうだったので自重してたんですが、
かまわないというなら、持論を展開させていただきます。

ゼロ年代前半、主に美少女ゲーム、漫画を原作としたハーレム系ラブコメが、席巻しその流れにおいて、アニメ業界は後陣を拝してきたと言わざるを得ずアニメがオリジナル作品としてこの萌え系作品のブームの中で、自ら新しい流れを作ることは終ぞとしてできなかった。
しかし、アニメ業界が単に手をこまねいていただけだったともいえない。
たとえば「おねがいティーチャー」(02)はラブコメとして、オリジナル作品の中では数少ない成功作だったといっていいだろう。
本作は、美少女ゲームが、複数キャラ、マルチエンドのシナリオを苦労して一本に仕上げようと中途半端な物語しか作れなかった中で、アニメオリジナルという利点を生かし、
サブヒロインとして、主人公にモーションをかけてくる同級生、主人公と同じ病気トラウマ持ちの見た目ロリキャラ、といった攻略対象としてゲーム的なキャラのバリエーションを用意しつつ、
メインの宇宙人で年上の先生との同居という押しかけ女房系に属するラブコメを一本スジの通ったしっかりとした構成で、恋愛ドラマとして成立させた。
この作品のポイントとしては、オタク系ジャンルに精通する黒田洋介脚本が、萌えを重視したキャラ造詣にとどまらず、シナリオのパターンも含めて美少女ゲーム的な文脈がみてとれ、美少女ゲーム的な想像力を、オリジナル作品の中で上手く、消化し再構築しているという点だろう。
また続編である「おねがいツインズ」(03)を含めて特筆すべきポイントとして、ロケハンして作り上げた美術へのこだわりで、田舎や懐かしさの残る校舎、駅といった美しい風景の中に、美少女が佇むという絵的な官能性、風景によって表現する情緒、心情というのは、漫画やゲームではなかなか出せないアニメにおける大きなアドバンテージとして大きな発見ではなかったかと思う。
そして、その魅力は、ファンによるいわゆる「聖地巡礼」として形に表れ、これは「Air」や「らきすた」といった京アニ作品にも受け継がれている。
残念ながらおねがいティーチャーのような、美少女ゲームを意識した恋愛系作品というのは、以降もほとんどみられず、どちらかといえば「舞-HiME」(04)のようにキャラクター面においてその要素を取り入れた作品の方が目立つ。
「舞-HiME」は萌えアニメという謳い文句で始まりながら、その内実は、制作もとであるサンライズの伝統、得意分野で勝負する美少女アクション作品になっている。もちろんこれはこれで一定の成功を収め、「アニメ」としての独自性を持った作品ではあるのだが。
その他にも「シムーン」(06)など、流行の兆しがあった「百合」的要素を含んだ作品で、SF異世界での戦争を舞台にしたストーリーで、旧来型の作品の中に萌え系のながれを要素として取り込もうとする姿勢が見られる。
またユーフォーテーブル制作の「まなびストレート」(07、ただし雑誌企画などは04よりスタート)も学園モノのブームの兆しを敏感に時代の流れを捉えようという試みを見て取ることも出来る。

以上のように、萌え系のブームの流れに乗ってそれを上手く消化できた作品というのは稀で、「舞-HiME」のように90年代から続く旧来のタイプのアニメ的な構造を持った作品をキャラ商売的部分にのみ時代に合わせて、リファインしたという印象が残る。
これをアニメ業界がもつ伝統的な手法を使って萌え系で勝負しようという挑戦だったのか、旧態然とした方法論から抜け出せなかっただけなのか、は判断の難しいところではないかと思うが、「大ヒット」が生まれなかったという結果だけは変らないだろう。

[118] 萌え系作品が与えた作画・演出への影響 秋水 - 2009/01/19(月) 22:52 -

では、萌え系作品において、アニメ業界は単に原作をアニメ化するだけで、ヒットにあやかって上澄みを掠め取ったり、萌え系作品の中で、なにもしてこなかったのだろうか、といえば、必ずしもそうではないのではないだろうか。

萌え系作品が学園や現代を舞台にした作品が数多く、SF・異世界や近未来を舞台にした作品が多かった90年代とは大きく変わり、必然的にアクション、バトルシーンよりも、会話や食事といった日常的な動作、生活に密着したシーンを描写する場面が増え、それを映像作品として不自然なく構築し、かつアクションと違って地味なシーンを飽きさせずに見せなければならないという、アクション作品とは別のスキルの要求が高まった。
こういった日常描写を自然に魅力的に描くというスキルは、高畑・宮崎コンビがアルプスの少女ハイジですでに始めていたことで、新しいことではなかった
しかし、TVアニメでは、手間のかかる割りに地味な日常描写シーンは避けられ易く、ファンの要求も高くなかったのでおろそかにされがちで、必ずしも、業界全体が得手としていた分野ではなかった。
それはよりコアな美少女系作品でも同様で、エロティックな表現に対する要求、こだわりに比べてぞんざいなものだった。
かなり個人的な体験によるところが大きいが、ゼロ年代初期までは、とにかく美少女系作品の作画・演出は安っぽく見るに耐えないものが多く、そいうった作品に対する印象は非常に悪かった。

そんな中で異彩を放った作品のひとつとして「シスター・プリンセス RePureキャラクターズ」(02)がある。
30分番組の後半Bパートで12人いる妹キャラ一人ずつにスポットを当てたショートフィルムで、回によっては林明美、追崎史敏、長濱博史、平松禎史といった名だたるアニメーターが作画監督を務め、そのクオリティーの高さで話題を集めた。
「シスタープリンセス」は当時、萌え系ジャンルの中でも急先鋒的な存在でありながら、第一期に制作されたアニメの出来に対する批判が高かったせいもあって、この「RePureキャラクターズ」は美少女系作品でも、作画・演出に力を入れれば、それまでと違ったものが出来る、「アニメ業界の実力」を知らしめることの出来た作品だったかもしれない。

こういった状況の変化から、一連の舛成作品や高橋ナオヒト作品などで日常描写で技量を発揮する演出家、アニメーターの存在、4コマ系、学園モノというった日常を作品数の多さもあり、日常描写に関するスキル、錬度は次第に向上して行き、日常をベースにした萌え系作品全体のクオリティの底上げを促す結果となった。

ゲームや漫画が、そのキャラクター性の創造に力を注いでいた中で、アニメーターや演出家は、そのキャラクターを映像表現の中で、如何に魅力的に美少女として描くかという腐心のもと、キャラクターのしぐさ、立ち居振る舞いを描く芝居作画、心情描写の演出に磨きをかけて進化させてきたといっていいのではないだろうか。


またゼロ年代初期は、急増する作品数に現場が対応しきれず、スケジュール破綻に陥り「作画崩壊」を招くといった自体も頻繁に起こった。すでにDVDセールスが前提となった深夜、オタク向けアニメにおいてかなり致命的となり、ファンの失望や批判、作画に対する評価がネットを介して頻繁に交わされるようになり、それまで目に見えなかった作画の質に対して敏感なファンの気質を浮き彫りにし、作画クオリティへの要求が高まりを見せた、これもまた作画向上に少なからぬ影響をあたえたかもしれない。

[119] 秋水さんが見落としてること 菊地研一郎 - 2009/01/21(水) 16:59 - MAIL

 00年代の萌え系アニメと萌え系ギャルゲの最大の違いは、前者には主人公キャラの顔と声が必須ということだ。無色透明なキャラではいられないということだ。
 『ToHeart』のひろゆきの顔はアニメで作られた。まぁ、OVA『同級生』(作画監督は音無竜之介=高橋ナオヒトだ)でもそうだったが。
 それ以後、ギャルゲの主人公=プレイヤーという公式が無効化されていく。前髪が垂れていて顔がよく見えないという苦肉の策が、どんどんすたれていった。『シスプリ』の2度のアニメ化は「兄」というキャラを複数作ってしまった。
 主人公キャラを巡る、ゲームと、アニメ&マンガの対立は、今も続いている。TVアニメ『ペルソナ 〜トリニティ・ソウル』はPS2『ペルソナ3』がベースだが、人物は全く入れ替えでほとんどオリジナル企画である。
 このように、萌え系のアニメ化がギャルゲーに与えた影響は大である。秋水さんの観測は、この点で大きな見落としがある。

[120] 斜陽? 成熟? 管理人 - 2009/01/24(土) 00:41 -

今期の深夜アニメは「はじめの一歩」しか見ていない管理人です。

いろいろ議論の展開があるかと思ってしばらく様子見していましたが、新たな書き込みもないので、ここでちょっと切り口というか、視点の提示を。

>これをアニメ業界がもつ伝統的な手法を使って萌え系で勝負しようという挑戦だったのか、旧態然とした方法論から抜け出せなかっただけなのか、は判断の難しいところではないかと思うが、「大ヒット」が生まれなかったという結果だけは変らないだろう。

>ゲームや漫画が、そのキャラクター性の創造に力を注いでいた中で、アニメーターや演出家は、そのキャラクターを映像表現の中で、如何に魅力的に美少女として描くかという腐心のもと、キャラクターのしぐさ、立ち居振る舞いを描く芝居作画、心情描写の演出に磨きをかけて進化させてきたといっていいのではないだろうか。

秋水さんが行った指摘というのは、ゼロ年代の萌えアニメ、延いてはアニメ界全体の傾向を示唆する興味深い内容だと思います。

端的に言うと、業界における「企画力の低下」と「表現力の向上」というもの。

ゼロ年代のアニメ状況を見ててつくづく思うのは、原作ものでヒットを飛ばす中でのオリジナル作品の圧倒的な弱さです。
萌え系という括りからは外れてしまいますが、土6の項でも、土6という放送枠の変遷を通して、ロボットもの衰退の考察をしました。
で、その双方に内在する問題って、結局はこの一点に尽きると思うんですよ。

土6は、種に始まる「二番煎じ商法」やハガレンなどの原作ものではヒットを飛ばせても、自前で企画を練った作品はことごとく無残な結果に終わっている。
そして萌えアニメにおいても、もてはやされたのは原作の魅力を損なわず、技術力を駆使して「商品として完璧な仕事」をした京アニ。
あるいは、原作を素材と割り切ったような演出などのギミックによって、「プロのMADとも呼ぶべき仕事」をした新房、シャフト作品など。

私はこの点において、アニメ業界も斜陽だよなあとつくづく感じてしまうのです。
表現という観点でみると、確かに過去の技術の蓄積や近年の模索によって、日本の実写ドラマなんかよりはるかに高い水準に達している。が、どんな業態においても技術は作品や製品をよりよくするための副次的なものでしかないはずなのに、そこばかりが進化成熟して、肝心の作品、コンテンツを作る力は目も当てられないほど弱くなっている。
(まあ、このへんはゴールデンのドラマなんかでも言えることなんですが)

確かに、現状のニーズを考えれば、そういう方法論で商売がなりたってはいるのですが。
今にち、他ジャンルの人気作をアニメ化し尽くし、ぼちぼち原作枯渇が本格化してきて、そういう手法も「過去形」で語られるような状況になっているんじゃないかと、今期の作品ラインナップを見ていてつくづく感じてしまう今日この頃です。

[121] 中間報告 菊地研一郎 - 2009/01/26(月) 06:46 - MAIL

 深夜に、どれみ系のスタッフが『キャシャーンSINS』やってますが(監督山内、キャラデザ馬越、など)、マンガ版が『コミックRUSH』やってます。描いているのは竹井正樹…。
 いろいろと困惑。

[122] 企画力の低下というより 秋水 - 2009/01/26(月) 19:35 -

>端的に言うと、業界における「企画力の低下」と「表現力の向上」というもの。

>ゼロ年代のアニメ状況を見ててつくづく思うのは、原作ものでヒットを飛ばす中でのオリジナル作品の圧倒的な弱さです。

萌え系に関しては間違いなくそうなのですが
それ以外のオリジナル企画モノに関しては、単に企画力の低下ともいえない側面はあると思います。
実際エヴァ以降からゼロ年代中盤くらいまでは、オリジナル企画作品も結構豊富に存在したし、佳作も少なくなかったと思います。

これはやはり高年齢層が主な購買層となってDVDを買ってくれてくれてたわけで、大ヒットを狙わなくても、一定数セールスすれば、企画が成り立つというペイラインが見えていたせいもあると思います。
これには、深夜、U局、CSと放送形態の多様化という変化もあり、その中で、今までなら実現が難しかった、地味な企画や実験的な作品も数多く作ることが出来たのだと思います。
オリジナル企画モノには、そういうアニメ業界としての原作をはなれて他でやれないことをやろうという意識の現われで、「当てる」「ヒットする」という意識が気薄だったせいもあると思います。
萌え系全盛だった時代に、そこに迎合した企画が少ないのもそのせいかもしれません。

ただオリジナル企画でヒット作が出ない状況というのは、徐々に首を絞めて、原作モノに押されてオリジナル企画が売れない、作れないという現状になってしまっている。

単に「企画力の低下」というより、「ヒットする作品を企画する力(むしろ意識?)」のなさ、ヒットのセオリー、ノウハウの蓄積がオリジナル作品でなされていないのが現状なのではないかと思います

[125] 以降はべつ項目で 管理人 - 2009/01/27(火) 00:58 -

>実際エヴァ以降からゼロ年代中盤くらいまでは、オリジナル企画作品も結構豊富に存在したし、佳作も少なくなかったと思います。

ここらへんは私も同感です。
エヴァ以降の深夜アニメ勃興期には、lain、吸血姫美夕。CSでも、個性派監督なんかが、結構挑戦的だったり実験的な作品作ってて、完成度そのものよりその辺の模索の様子が面白かったって印象があります。
が、やはり中盤以降からは、各放送形態のアニメを見て金を落としてくれる層の嗜好や売れる作品の傾向なんかがわかってきて、徐々に萌え系に特化しはじめたと思うんです。
(舛成監督が「かみちゅ」作ったのも、RODでの中学校エピソードの評判がよかったからってコメントしてましたし)

>オリジナル企画モノには、そういうアニメ業界としての原作をはなれて他でやれないことをやろうという意識の現われで、「当てる」「ヒットする」という意識が気薄だったせいもあると思います。

で、方やそこらへんに無頓着なオリジナル作品も多々あったのも事実で、結局は市場原理によって淘汰の憂き目にあってるのが現状だと思います。
(なくなってはいませんが、話題性やヒットって次元からは相当離れている)

ここらへんひっくるめて、時代の流れに合わせつつも自己主張を織り交ぜてヒットを飛ばすような「バランス感覚がなくなってしまっている」ってのが、私の言いたい「企画力の低下」なんですよ。

別所では話しましたが、かつては玩具宣伝番組としてのキッズアニメのなかでも、クリエイターが個性をはっきしつつも売れるって作品を作れていたのに。

まあ、これ以上話すとスレの主旨と完全にズレちゃうんで、つづけるなら別項目ってことで。



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