mvunitさん、ご無沙汰しています。
大山のぶ代さんというと一も二もなくドラえもんなんですけど、僕は大山さんのドラえもんに最後までなじめなかった人間です。
物心ついた頃から、藤子先生以外の先生が書かれたものも含む漫画のドラえもんを食べるように、浴びるように読んできて、自分の中で漠然と声のイメージが出来上がってたんですよね。なので、鳴り物入りで始まったアニメ版のドラえもんを固唾を飲んで観て、30分後に「なんでこんな変な声なんだよ!」と愕然とする自分がいたのです。今で言うところのコレジャナイ感を、大山さんのドラえもんに叩き込まれたんです。たてかべ和也さんのジャイアンにもすこく違和感がありましたね。うまく形容できないけど、なんでこうなんだろうっていう。
そして、声だけじゃなく絵も漫画とは違うわけです。特にドラえもんの身体の色が、なぜ青なのがわからなかった。なんで、漫画と同じ網掛けスクリーントーンに縦線じゃないのかって思ってました。というか、今でも思っています。
というわけで、アニメ版のドラえもんは、僕にとってドラえもんであってドラえもんではなかった。それを受け入れる転機になったのは劇場版の存在でした。2作目ののび太の宇宙開拓史は大好きです。岩渕まことさんの「心をゆらして」を聞きながら、もうひとつのドラえもんを受け入れた自分がいたと思います。あと、90年代に入ってからテレビで観た「3月の雪」というエピソードは素晴らしかったと思います。
もちろん、大山さんやたてかべさん、シンエイ動画の皆さんやその他関係者さんを悪く言うつもりはまったくありません。声優さんが示し合わせて、子供に悪い影響を与える汚い言葉を使わないようにしたのでジャイアンがああいう感じになったんだなとか、シンエイ動画さんとしても、「今回のドラえもんは絶対に失敗させない」という決意があったわけで、「ハリスの旋風」以来バディを組んでいる大山さんと小原さんを起用したんだろうなと推測します。ちなみに日テレ版については、当時のドラえもんフィーバーの中でチラッと存在を知った程度でした。あと僕は石川県の人間なので、富山テレビのラテ面にドラえもんの名前を見た記憶はあります。でも、本編を観たことはありません。
それでも、当時の僕はそんなふうに感じてしまったのです。そして、当時同じように感じた人っているのかな?と思うのです。
これはもう順番なのだからあたりまえなのですが、公人・私人ジャンルを問わず、子供の頃や多感な頃から親しんできた人達とお別れをする時期が来ている。それだけ自分自身も否応なく齢をとったのだと思います。先日も、ご主人の丹野雄二さんとダックス・インターナショナルを設立された、女優の稲垣美穂子さんが旅立たれました。キリン名曲ロマン劇場での沈鬱なナレーションは、シリーズ全体のトーンを決定付ける力を持っていたと思います。
余談ながら、大山のぶ代さんはかつて地元のラジオ番組に準レギュラーで出演されていて、いつもラジオカーに乗って中継に出られていました。県内あちこちの子供たちの前にドラえもんが現れるのが、かつての石川県の日常でした。ありがとうございました。