尊師谷口雅春先生・谷口清超先生共著<苦難と恐怖の克服法>(人間救いの原理)④ (4219) |
- 日時:2016年12月18日 (日) 17時53分
名前:平賀玄米
第四章 日常生活の霊的導き
◇「哲学者にしたところで、彼の心は多かれ少なかれ、『太古の神秘』を含んでいると信じている宗教的象徴主義で一 杯になっている。心理学者はその研究範囲を、人間の心の日常現象に対する 錯綜反動(コンプレックス・リアクション)のみに限定してしまっている。
そして未知の力を取扱っている凡ての擬科学者の一群、即ち神秘家と呼ばれている人々のみ、未知なる神を探求するに当たって、最も大胆率直ではあった。しかし彼は、ともすればその取扱っている神秘力の性質を独断的に定(き)めようとするので、彼の研究報告も一般の人々には理解の的とはならなかった。
かくして彼は人々を啓蒙するには失敗したが、その代わりに人々の好奇心を巻き起こした。彼は人々の心の中に、心の力を征服したいと云う願望の種子を播いたが、それはただ、魔術や奇跡の雑草となって生い茂ったにすぎなかった。 疑うべくもなく、自然界に於ける振動の力と、宇宙霊の内に起こる念波の振動の原理との間には、ある種の関係がある。何故なら想念は『心』に於ける運動であり、念の振動の強弱によって種々の異なった結果が得られる事が、我々の経験上明らかであるからである。
ある状態の下に於いては、想念は、霊感の強力なる光線として燃え立つ。他の場合にはこれらの光線は精神統一によって焦点に集められ、対象を透過し、今までの暗くぼんやりとしていた対象を照らし、見逃していた外形や詳細な模様を明らかにすることが出来る。
何人でも、彼の想念を心の作用の普遍法則というものと関連して考察しない限りは彼の心は隠されたままで発掘することは出来ないのである」(ハードマン博士著“God,The Uuknown”P.40)
(一)
ハードマン博士の神学は神学を心理学化して精神科学としたところに独特な科学的な明晰性があると言うことが出来るのです。信仰を心理学的に解説しそれを支配する法則を科学的に説明しているところに生長の家の信仰との類似点が見出されるのです。
信仰には時代により、地域により色々あります古代の宗教に於いては、神は吾々の信仰と献物(ささげもの)とによって悦び給い、それによってご利益を与え給うところの人格的存在であり、信仰がなく献物がなければ決して悦び給わない、随ってご利益もないものだと云う様な考え方が広がっていたのであります。
こういう宗教に対して、近代的な科学的精神のインテリゲンチャは反対致します。信仰があったとてそれが迷信では何にもならないじゃないかと云う考え方です。
日本でも「心だに誠の道にかないなば祈らずとても神や護らん」と云う菅原道真の歌にあらわれているような考え方です。実際、太平洋戦争では日あ本人は諸方の神道の神社に於いて、神に対して戦勝祈願をしたのであります。
しかしその祈りはきかれないで日本はご覧の通り敗戦したのです。ここに於いて日本人は宗教的信仰に対して自己批判する機会が与えられたのでありました。
日本の宗教界が混沌とし、神社参拝の数が減り、更に及ぼしては仏教各宗の寺院宗教に対しても実際信仰によって神仏は報い給うや否やと云う批判が起こり、信者が動揺し、信者の信仰を利用して、その賽銭によって生活していた宗教的機関に鋭いメスが加えられるなったのは当然のことだと言わなければなりません。
つづく。
<平成28年12月18日 謹写> ありがとうございます 合掌。
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