尊師・谷口雅春先生・谷口清超先生共著<苦難と恐怖の克服法>( 人間救いの原理)② (2633) |
- 日時:2016年07月05日 (火) 14時44分
名前:平賀玄米
信仰生活の最初の頃には、吾々は神の力に助けられて何事もわが望むことを成就し得るように考えるものなのです。また実際に、生長の家誌友の多くの体験談が示すように吾々が求むるものを必ず成就し得ることは驚くべきばかりであります。病気は治る、運はよくなる、欲しいと思ったものは与えられる。どんなにか吾々は奇跡を為すことが尋常茶飯事となって来ることでしょう。
人の為に祈れば吾々は他の人の病を癒し、不幸から救うことが出来る。そしてあまりに面白くて有頂天になる位です。併し之は入信当時の初歩の信仰状態に過ぎないのです。無論それは悪い事ではない、寧ろ信仰を高める上に必要な段階なのでありますが、併しここで有頂天になってはいけません。それは一つの段階であって、信仰が進んでくるにつれ、吾々は喜んでその段階から脱け出さねばならないのです。
現実人生に於いてもそうでありますが、魂の向上の世界に於いても同じことです。 吾々は吾々に与えられたる尚一層高き善きものを得んが為には、既に得たるものを放棄しなければならないのです。それは魂の蝉脱の過程であります。これは「国家」の場合でも個人の場合でも同じことであります。深き眞理を知らない為に或る人々は死力を尽くして旧き安易な境遇や幸福状態に留まろうとするものです。併しかくすることに依って却って全く自分自身を苦しめ、人生に不必要なる摩擦を生ぜしめるに過ぎないのです。
もし芋虫が蛾になって羽が生えて飛ぼうという飛躍の段階に到達した時に、それに反抗するのを見たならば、吾々はその芋虫を甚だ愚かな者であると考えるに違いありません。それが愚かであると吾々に判るのは、その変化は尚一層善きものに変化するものであると云うことを予め知っているからであります。
国家も人間も飛躍の時が来るのです。今や日本は軍国主義国家から永久平和の非軍国主義国家へと飛躍しようとしているのです。それは自分の「我」の力で出来ることではない。どんなに力んで見ても、日本自身の力をもってしては今迄の業の力、軍国主義の惰力によって、軍国主義を棄てることは出来なかったでしょう。それが神の摂理によって原子爆弾が天降って軍国主義の業因が完全に自壊するに到ったのです。
個人の人生に於いても同じことです。今迄有ちしものが失われ去るのは、過去の業の脱皮作用であり、より一層よき状態に変化する過程であります。今迄得たところのものを捨てねばならぬのは、尚一層祝福されたる広く平和なる世界に進み入る入口であります。このことを知るならば、人間は自己の運命の如何なる他働的と見える変化に対しても喜んで和解して受けることが出来るでありましょう。生長の家の神示に「汝ら天地一切のものと和解せよ」とあるのは、こうした摂理への無我随順の意味もあるのであります。
つづく
<平成28年7月5日 謹写> ありがとうございます 合掌。
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