《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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中原中也と谷口雅春先生の『久遠の實在』 (9499)
日時:2018年06月08日 (金) 19時24分
名前:下総の野人

詩人・中原中也さんの日記に谷口雅春先生の聖典を読んだと出てくる…という話をどこかで聞いたことがありましたが、実際どのように出てくるのかとふと思いまして、全集を手にとってみました。

中也さんの日記、昭和11年(1936)9月17日の部分です。

「はじめて秋らしい気温。机に着くのが久しぶりに嬉しい。

 谷口雅春著「久遠の実在」を読む。これは全く正しい論法だ。所々俗な所のあるのは、民衆相手の思想家のこととて致し方あるまい。

 高原正之助―この男はナンセンスだ。愚鈍な才子。伊集院清三を少しキタナクしたやうな者だ。」(『新編 中原中也全集 第五巻 日記・書簡 本文篇』角川書店、平成15年)

「全く正しい論法だ」と記しておられます。

ところで、この日記の書かれた昭和11年は、中也さんにとってどんな時だったのでしょうか。全集の解題より引きます。

「 昭和一一年は中也のとって、詩人として活発な活動が続いた時期である。昭和一一年前半(一月―七月)は第二詩集の第一次編集期、同年後半(七月―一一月六日)は第二次編集期にあたるとみなされる(『在りし日の歌』詩集解題参照、第一巻)。また、『ランボオ詩集《学校時代の詩》』(三笠書房、昭8・12)、詩集『山羊の歌』(文圃堂書店、昭9・12)に続く、中原の生前刊行本としては三冊目の、山本文庫版『ランボオ詩抄』(山本書店、昭11・6)が出た年でもあった。

 しかし、一一月一〇日の長男文也の突然の死によって、中原のすべての活動は中断される。そのことは、「日記(雑記帖)」の後半部分、一九八頁以降に空白頁が連続していることからも知ることができるだろう(「日記(雑記帖)」分解一覧参照、別巻上)。これは、文也の死が中原の精神に与えた衝撃の大きさを示している。」(『新編 中原中也全集 第五巻 日記・書簡 解題篇』角川書店、平成15年)

最愛の息子さんが、わずか2歳で亡くなるという悲運に見舞われた年でありました。

そして、その翌年、昭和12年(1937)10月22日。中也さんも30歳の若さでこの世を去りました。更にその翌年には次男さんも病没しています。

「薄幸」という言葉が思わず浮かんでまいります。たいへんなことでした。

このような苦難は、『久遠の實在』の読後感を書いた後の出来事になるようですが、谷口雅春先生の御本に触れ得たことでまかれた種が、救いとなっていればいいなぁと思ったことでした。

合掌



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