《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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『凡庸の唄』の「あとがき」から谷口雅宣総裁のホンネを読み解く… (9386)
日時:2018年05月14日 (月) 09時35分
名前:破邪顕正


知人より『凡庸の唄』が送られてきました。

私が興味を覚えたのは、「あとがき」です。

こう記されています。

《この唄は、人間讃歌である。…

私はこの詩の発表より五年前に、「大自然讃歌」と「観世音菩薩讃歌」を発表していたので大自然や仏さまを讃えておきながら、人間を讃嘆しないのでは画竜点睛を欠くという気持ちが残っていた。》

何のことはない、『凡庸の唄』は、谷口雅宣総裁にとって「大自然讃歌」「観世音菩薩讃歌」と相並ぶ三部作≠ニいうことのようなのです。

ということは、いずれ、これも、聖経『凡庸の唄』として、信徒みんなで唱和するようになるのやもしれませんね。

私が、この「はしがき」で驚いたのは、人間を讃嘆しないのでは画竜点睛を欠く≠ニいう表現でした。

私の記憶に間違いがなければ、聖経「甘露の法雨」には自然に対しての言及がないから、谷口雅宣総裁は「大自然賛歌」を書いたと評していたように思います。

谷口雅春先生の聖経「甘露の法雨」には欠けたものがある、だから補強≠キるのだと言ったわけです。

そして、今回、谷口雅宣総裁は、はしなくも人間を讃嘆しないのでは画竜点睛を欠く≠ニして『凡庸の唄』を発表することにしたというのです。

「人間神の子」以上の「人間讃歌」がどこにありましょう!

ところが、谷口雅宣総裁は、自分で勝手に「人間讃嘆」を書き上げたと豪語したわけです。

何を申し上げたいか。

谷口雅宣総裁は、谷口雅春先生の教えがなくても、自分の書いたものだけで勝負しようとしているのだと私は思ったのです。

ザックリ言わせていただけば、谷口雅宣総裁は、生長の家から尊師・谷口雅春先生を完全に排除しようとしている!

それがこの「はしがき」から窺える谷口雅宣総裁のホンネではなかろうかということであります。


本当に大丈夫なのか、雅宣さん。 (9390)
日時:2018年05月14日 (月) 16時34分
名前:そーれ!!

私は雅宣総裁は、頭の良い人だと思っていたのですが・・・・・

私の勘違いだったんですねえ。

雅宣氏は、「大自然讃歌」「観世音菩薩讃歌」を発表された時、

確か、「聖経」に取って変わるものではありません。とおっしゃた。

で、私が教団幹部に、いや、裁判で負けるから、「偽聖経」を準備したんだよ、

と説明すると、それは絶対あり得ない、と、おっしゃていました。

ところがどうでしょう。聖典・聖経の横取り裁判に敗訴した総裁様は、

あの「駄経」を、聖経に格上げしてしまいましたねえ・・・・・。

その時、絶対にありえないと、自信満々だった教団幹部は、雅宣氏に
愛想をつかし、退団されました。

まあ、勿論それだけが退団理由ではありませんが、

雅宣さんは、大丈夫なのでしょうか・・・・・。

用意周到である一方、全くの思いつき総裁でもあります。

今回思いつきで書きあげ、それを正当化、美化するための後書きが、
これまた墓穴を掘っちゃた・・・。

「凡庸の唄」は、誰が如何解釈しても、

  人間神の子無限力 の否定です!!!

ああ、なさけない・・・・・。

『凡庸の唄』がバカ売れ!との報告が… (9392)
日時:2018年05月15日 (火) 09時31分
名前:破邪顕正


表題は、ある教区からの報告です。

何でも、『凡庸の唄』は「分かりやすい!」と大評判なのだそうです。

更に、白鳩会連合会長などは、行く先々で「これを講習会を受講していただいた方などにプレゼントしたら大変、喜ばれました!だからぜひ愛行用としてもお買い求めください」と勧めているのだとか。

なるほど、こうして、教団組織をあげて頒布すれば、バカ売れ≠ニいうことになるのかもしれませんね。

今後、更に様々な行事のテキストとしても使用されていくのでありましょうから、益々、それに拍車をかけることになるのでしょう。

「総裁先生のお書きになられた本」

もう、それだけでバカ売れ≠キるという、この現実を知らされると、教団の抱えている事態の深刻さを改めて痛感している次第です。




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