《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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《警鐘》今の教団は完全な護憲派≠ナあることを『普及誌』4月号から読み解く! (9370)
日時:2018年05月12日 (土) 12時09分
名前:破邪顕正


知人より、教団の『普及誌』4月号が送られてきました。

何度も申し上げて恐縮ですが、これは完全な憲法改正に反対する洗脳誌≠ニいうほかはありません。

少なくとも、生長の家が発行する月刊誌として憲法を論ずるのであれば、生長の家創始者が如何なる憲法観をお持ちであったか。

まずは、創始者・谷口雅春先生の仰ったことを紹介するのがスジだと思うのですが、谷口雅春先生のお名前は一切、出て来ずに憲法が語られていることに、私は非常な違和感を覚えます。

結局、ここにあるのは、生長の家創始者は一切、関係がない。

今の生長の家総裁が言うことが、それがそのまま「生長の家の教え」となってしまっている…。

まさしく、それこそが、すべての問題の根因ということなのです。

ザックリ言わせていただけば、

「生長の家大神−総裁・副総裁−御教」

これが記された当初は、「総裁」=谷口雅春先生であったというのが暗黙の裡に大前提としてありました。

ところが、谷口雅宣総裁はそれを強引に、ここに言う「総裁」というのは、その時々の総裁のこととして解するようにもっていったわけです。

ですから、谷口雅宣総裁の言うことが「御教」になってしまったために、生長の家創始者の説かれた教えは一切、顧慮されることなく、谷口雅宣総裁の護憲思想がそのまま誌面に反映されることになってしまったのです。

前置きが長くなってしまいました。

表題に掲げた『普及誌』4月号のそれぞれについて論評することにいたします。

@『日時計24』40頁

《「憲法」についてもっと知ろう

憲法は時代に合わせて改正していいのではないですか?

日本国憲法の価値を知らずに改正を論ずるのは危険です》

で、問題は、「憲法の価値」の論拠として「朝日新聞」の記事が引かれていることなのです。

《二〇一二年の憲法記念日、朝日新聞に「日本国憲法 今も最先端」という記事が掲載されました。

世界一八八ヵ国の憲法を分析した結果、日本国憲法は「世界でいま主流になった人権の上位十九項目までをすべて満たす先進ぶり」だと判明したのです。》

だから、こういう結論になるというのです。

《こうした日本国憲法の価値を知らずして安易に憲法改正を論じるのは、とても危険です》

まるで、朝日新聞の「社説」を読まされているような錯覚を覚えます。

これでは、生長の家創始者・谷口雅春先生の教えより「朝日新聞」の方が上位≠ノあるかのような印象を持ちます。

信徒に対して、「産経新聞は読むな、朝日新聞をこそ読め」と豪語した谷口雅宣総裁の面目躍如とでも言うべきでしょうか。

「朝日新聞」が喜ぶ生長の家。

護憲派が喜ぶ生長の家。

日本共産党が連帯しようと声かけする生長の家。

嗚呼!

さて、これからは余談です。

『日時計24』というのは、青年会を対象として出されているはずです。

ここまで明らかな護憲論調であれば、当然、憲法復元改正論者はそこに居場所はないはずです。

居場所がないどころか、むしろ、尊師の御教えをもって、今の教団の変質ぶり、もっと直接的に言いましょうか、背教ぶり≠満天下に訴えるべきではないでしょうか。

それとも、『日時計24』など読んではいないのでしょうか?

他の4月号については、別途、論じます。


某教区での実情です。 (9371)
日時:2018年05月12日 (土) 13時10分
名前:そーれ!!


私の周りでは、雅宣総裁の本や、機関誌、普及誌は読まない

と言う信徒が増えている様です。そして彼等が言うには、

今、自分達は生長の家教団の行く先が解らないから、

「立ち止まっている」のだそうです。

自分達が信仰する宗教の行方が解らず、立ち止まっている
と言うのですから、気の毒と言う他ありません。

と言うより、所属する意味、意義が私には理解出来ません。

生長の家の信徒ならば総裁先生の文章も読み、自己に宿る神に
問いかけるべきではないでしょうか。

それでもし、雅宣総裁に賛同するのであれば・・・・・

 私は左翼だ・反日だ・反谷口雅春先生だ。

 と、確固たる自信と意志をもって行動されては
 
 いかがでしょうか・・・・・。

戦後教育による「自発性の擬制」の壮大な洗脳を解く (9372)
日時:2018年05月12日 (土) 20時16分
名前:アクエリアン


田中忠雄先生は理想世界誌論文「現憲法下の天皇 ーー三島由紀夫はこう考えていたーー」で、次のように述べておられますが、
http://blog.livedoor.jp/newthought-yukiomishima/archives/9111957.html

「三島由紀夫氏によると、この憲法は作りあげられたあとで、ゆくゆくは自発的なものだと次の世代の人々が思い込むように、教育の力で仕向けて行くということを前提としたものである。つまり、教育によって自発性の擬制を作りあげようというのだ。むろん、擬制はどこまでも擬制で、自発的であるかのように見えて、じつは自発的でないものであるほかはない。」

まさに、戦後教育の洗脳によって、「自発性の擬制」が創られて、それに、多くの国民がいまだに捕らわれているように思います。

それが、占領憲法が一度も改正されなかった最も大きな原因であるのではないでしょうか。

なかなか、この現行憲法魔法を解くのは難しいですが、粘り強くやっていくしかないですね。

A『いのちの環』4月号36頁「憲法を考える」を批判する (9374)
日時:2018年05月13日 (日) 12時45分
名前:破邪顕正


表題のタイトルは「日本国憲法を貫く平和主義」

実に噴飯モノだなと思ったのは、ここです。

《「平和のうちに生存する権利」はすべての基本的人権を可能とする基礎条件》

それでは、その「平和のうちに生存する権利」は、今、護られているのでしょうか。

決して、護られてはいません。

そうです、日本には「拉致被害者」がいるからです。

有り体に言えば、「平和のうちに生存する権利」を一方的に剥奪されたのが「拉致被害者」であり、その家族なのです。

教団が麗々しく、《「平和のうちに生存する権利」はすべての基本的人権を可能とする基礎条件》と言うのであれば、それを奪われた「拉致被害者」に対して、教団挙げて、支援するのがスジというものではありませんか。

ところが、どうですか?

谷口雅宣総裁は、先の青年会の全国大会でこう言ったというのですよ。

《日本が「拉致、拉致」言うのはおかしい、日本だってかつて朝鮮を植民地にしたとか、豊臣秀吉が攻めたこともあるじゃないか》

ご存じのように、今回、アメリカは人質≠ナあった3人の解放に成功しました。

ザックリ言って、北朝鮮は、アメリカが怖かったからではないでしょうか。

力を背景としない交渉には、自ずから限界があるということです。

一方に「戦力を保持しない」憲法を掲げ、それで「平和のうちに生存する権利」を宣う。

先の全国大会のゲスト講師であったケント・ギルバート講師は、こう断言しました。

「第九条は憲法違反である!」

「平和のうちに生存する権利」を護るには、「平和憲法」(私に言わせれば、その字義通りに訳せば無防備憲法≠ニいうべきです!)を改正するしかないというのが、論理的帰結であると思うものであります。


だから、教団に対して攻勢をかけよと申し上げているのです! (9376)
日時:2018年05月13日 (日) 16時41分
名前:破邪顕正


表題は、私の拙稿に関して、〈愛国掲示板〉にこんな投稿があったからです。

《警鐘》今の教団は完全な護憲派≠ナある!! (21465)
日時:2018年05月12日 (土) 22時30分
名前:三重教区信徒

《警鐘》今の教団は完全な護憲派≠ナある!!

言われなくともわかってるよ、共産党支持なんだから当然だろ。

むしろ、護憲派を称して「反天皇ののろしを上げて」世界共産革命をしたいくらいでしょ。あの、先生は。

そのために、いやいや総裁のポストに就いたのでしょうから。

幼少のころからを見ている、私にはそう思えます。》

こういう投稿が見られるということに隔世の感を覚えます。

ようやく、こういう投稿が当たり前のように、何の違和感もなく見られるようになったのですから。

今でこそ、当たり前のように見られますが、総裁の本質が見えない人には、「和解せよ、和解せよ」のオンパレード。

「和解せよ」に応じないのは、生長の家の信徒にあらず!

そんなことがまことしやかに言われている時代があったのですからね。

こういう時代が今や実に懐かしい!

こんな総裁の率いる教団とどうやって、「和解」ができるのか。

そんなことはあり得ない、そこまで認識が拡がったことに私なりに隔世の感を禁じえない。

そのことが分かっていただいただけでも、こうして投稿し続けてきた甲斐があったというものです。

「言われなくともわかってるよ」

ハッキリ言って、そういう人はいいのです。

しかし、まだまだ、そのことがわかっていない人がいるからこそ厄介なのです。

そういう人のためにこそ、倦まず弛ます、言い続けるしかないというのが私の思いなのです。

総裁が完全なる「護憲=左翼」であること。

そういう教団に所属することは、そのまま尊師に弓引くことになるのではないですか?!

そのことを言い続けてまいりたいと思っている次第です。



B『白鳩』4月号の改憲反対論を駁す! (9384)
日時:2018年05月14日 (月) 08時55分
名前:破邪顕正


表題の記事は、これです。

《ゼロから学ぶQ&A

Q 戦前の日本でも、「緊急事態条項」が濫用された例があったんですか?

A 大日本帝国憲法の緊急勅令は、治安維持法を拡大する契機になりました》

先の自民党大会で、4つの改憲案がまとめられました。

(1)戦力を持たないと定めた現在の9条は維持しつつ、自衛隊保持を明記する

(2)緊急事態の際、内閣が国会の議決なしに法律と同等の政令を制定できるようにする

(3)参院の選挙区は都道府県単位とし、合区を解消する

(4)経済的理由にかかわらず教育が受けられる環境を整備する

表題は、この(2)についての反対論ということになります。

で、何を言っているか。

実に手垢にまみれた、ナチスの台頭の話なのです。

《この国家緊急権の行使は、歴史上、国家権力を暴走させた例があり、前回はワイマール憲法下で起こったナチスの独裁を見てきました。》

そして、今回は、表題にあるように、日本でも戦前、大日本帝国憲法の緊急勅令によって、治安維持法を拡大する契機になった。

だから、「緊急事態条項」に断乎、反対しましょう、というわけです。

これが実にオカシナ論と思うのは、国家緊急権の行使がナチスの台頭を許した悪法≠ニ言うのであれば、その後、世界各国は、「緊急事態条項」を憲法等に盛り込まないはずでしょう。

ところが、現実はどうか。

先進国で緊急事態条項のない憲法などありません。

また、1990年以降に制定された100ヶ国の憲法にも、全て緊急権が規定されています。

つまり、教団は意図的に、この事実をは完全に無視しているのです。

持論に「不都合な真実」には蓋をする。

その上で「危ないですよ、コワイですよ」ということばかりを煽って、信徒を改憲反対へと洗脳≠オていく…。

これが教団の常套手段となっているのです。

「緊急事態」というのは、何も戦争ばかりとは限りません。

地震や津波、台風等の自然災害だって、重大な「緊急事態」なのです。

パトカーや消防車などの緊急車両が一般車や歩行者を一時ストップさせ、優先的に走行できるようになっているのは、通常とは異なる特別ルールを設けているからにほかなりません。

それと同じように、国家レベルで緊急時のルールを定めておくのは当然に過ぎることなのではないでしょうか。

まさか、そういうときは、「超法規的措置をとれば良い」と言うのではありますまいね。

それこそ「立憲主義」に反するのではありませんか。

教団が、何かというと「立憲主義」というのであれば、緊急事態条項は不可欠と言ってこそ、スジが通る話であると思うものであります。


<愛国本流掲示板>の「トキ」さんの投稿について私が思ったこと (9419)
日時:2018年05月20日 (日) 17時21分
名前:破邪顕正


私が注目したのはこの投稿です。

《本部の関係者と話しました (2168)
日時:2018年05月17日 (木)
名前:トキ

(略)

まず、総裁の政治的な動きへの傾斜、特に野党との連携の動きは以前より加速しているという感想を持ちました。

機関誌などは、最近、少し政治的な記事が少なくなったので、流石に反省をしたのか、と期待していたので、これは意外でした。

第二に、本部も士気の低下が目立つようになったみたいです。

教区から見たら、以前から本部の仕事ぶりは酷いものでしたが、それが最近、特に目に余るようになりました。

優秀な人材が次々に辞めていますし、仕事ぶりも以前よりも酷くなりました。(略)》

私は一貫して、谷口雅宣総裁は政治好き≠フ人だと見ています。

ところが、「トキ」さんは、そうではなかったようで、だから「これは意外でした」となるのでしょうね。

何を谷口雅宣総裁に「期待していた」のでしょうか…。

結局、谷口雅宣総裁は何のために教団に乗り込んできたのか、「トキ」さんは、そこをこそ、私に言わせれば見誤っている、そう思うのです。

その意味で、極めて重大な観点は、谷口雅春先生の『愛国聖典』を次から次へと実質上の絶版に追い込んだ、その一事にあると私は思っています。

その際の絶版の判断基準は奈辺にあったか。

一番の理由は、大東亜戦争を肯定する文章があるものは絶版の対象にするというものでした。

それが如何に重大な観点かは、谷口雅宣総裁が4代目を選出する基準として、近現代史の認識が自分と同じであるということを挙げていることとも大いに関連します。

私なりにザックリ言わせてもらえば、「大東亜戦争侵略戦争史観」に起つ者しか、4代目にはなりえないということなのです。

次の「法燈継承者」を誰にするかに当たって、歴史認識を挙げること自体、異様であり、谷口雅宣総裁が如何に政治好き≠ナあるかの何よりの証左とは言えないでしょうか。

だから、谷口雅宣総裁が宗教本来の使命に目覚めるなどという期待≠ネど、私は一切、もちはしません。

続いて、「本部も士気の低下が目立つ」という点について、私なりに聞いた、ある方の情報をお知らせしておきます。

その方は、「本部にもまだまだ素晴らしい講師がいる」というので、それにつられて講演を聴きに行ったそうです。

なるほど、評判通りの、いいお話だった。

それもその筈てす。

その講話のテーマは神想観だったから。

ところが、その方が言うのには、神想観の話でありながら、途中で、総裁のことについて言及した。

どんなテーマであろうとも、今の講師は、どこかで総裁のことについて触れ、ヨイショしなければならないような約束事があるのではないのか。

そうとでも考えなければ、どうして、ここで総裁のことを持ち出さないといけないのか、理解に苦しむような話の流れだった。

問題は、そのときの講師の表情なのです。

それまで、明るく話をしていたのに、総裁のことについて言及しはじめた途端、暗い表情に一変したというのです。

何を申し上げたいか。

今の講師も、ホンネでは、谷口雅宣総裁のことをよく思ってはいない。

しかし、それをあからさまには言えない。

義理でも、何とか持ち上げておかないとやれない。

こういう精神的葛藤が、教団の講師には今や渦巻いている。

これでは士気が上がらないのも無理はないのではないのか、そう思った次第です。

3代目は仕方ない、後は4代目に期待しようという向きが今、教団内にはあるやに漏れ聞いておりますが、それとても、先に申し上げたように、総裁と同じ歴史認識が条件というのでは、その「期待」もまた泡と消えてゆくしかないのではないでしょうか。

4代目になれば、谷口雅春先生の教えに帰る…。

そんなこと夢の又夢!

そんなありもしない変な「期待」に、大事な人生を賭けていいのでしょうか。

それよりかは、何の気兼ねもなく、正々堂々と、真っ向から尊師・谷口雅春先生の真理をそのまま歪めず、純粋にお伝えしていくことの方がよほど価値ある人生となるのではないでしょうか。

その方が精神衛生上も極めてよろしいのではないかと思うものであります。



今にして思えば…反自民党の発言されていましたが… (9424)
日時:2018年05月21日 (月) 20時40分
名前:コウノトリ

投稿させていただきます。

総裁先生は、ここ数年、反自民、反安倍政権、現行の憲法遵守をおっしゃっていますが、11年前…平成19年に私の教区の当時の教化部長が
私と二人だけの場で(教化部の建物の中で)

「副総裁先生が、自民党の中川昭一のことを、あんなオソロシイ議員を出してはいけないんだとおっしゃっていた」

と言われたのです。
私は、もちろん、自民党支持ですし、中川昭一氏のことは応援しておりましたので、「何故ですか?」とお聞きしました。

教化部長のお答えは「副総裁先生は本当に素晴らしいお方で、先見の明がおありになるので、われわれは副総裁先生のおっしゃることを
すべて信じてついていけばいいわけだから」

というものでした。その頃の私は、講習会の質疑応答で個人的な質問をしましたのに、当時の副総裁先生が、とても丁寧に分かりやすく答えてくださったこともあり、副総裁先生のおっしゃることに間違いはないと盲信しておりました。


中川昭一氏は故人となられ、日本にとって、本当に惜しい国会議員を失ったと思います。

でも、総裁先生は、かなり前から、自民党を嫌っておられたのだと思います。



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