余計なお世話かも知れませんが 危惧いたします (9362) |
- 日時:2018年05月10日 (木) 23時27分
名前:中仙堂
しし喰った報い
意味:好い思いをした埋め合わせとして、当然受けなければ成らない報いのこと。
ノーミートと云っても、大聖師雅春先生は肉食が絶対いけないとは仰って無かったと思います。 人間の人体は地球と言う環境で生命を全うする宇宙服であり、大切にすべきだと仰っていました。 この宇宙服を一生大切にする為には、多くの動物の死に及ぶ時の苦痛を想うが故に心からその生命に 感謝の心を抱いて食する事が大切で、
「生長の家の食事」 我等は食事をとるに當っても矢張り此れと同じことをしなけらばならないのである。 何故なら食事は自己に宿る神に供え物を献ずる最も厳粛な儀式であるからである。 云々
省略させて頂きますが、この「生長の家の食事」(昭和五年十一月四日) 生長の家(1930年(昭和5年)3月1日立教)では此の様に初期の祈りの中にも、 ノーミートと言う言葉は一切でては居ません。
ただ 雅春先生はとても愛深いお方でいらっしゃいましたので、御自ら肉食を好まれませんでした。 地球環境を守る為に「のーみーと」が大事だと言う『いま の教え』とは全く別の愛の心の発源による もので有りましたでしょう。
「人を喰う」 意味:人を馬鹿にしたような態度、尊大、ずうずうしい態度などを形容する表現。
ししを喰うよりも人を喰う事の方が余程、人の道に反する事では有りませんでしょうか。 大聖師の築き上げられた教団を『食い物』にして、恩有る祖師の高弟の皆様を追いやり、教団の施設 (例えば原宿本部会館)を破壊したり。 またある時は、恩有る大聖師の奥津城で自転車レースをしたり。 聖典聖経を廃刊に追いやったり、
好い思い(善い思いでは無い)をした埋め合わせとして、当然受けなければ成らない報いのこと。 所謂 しし喰った報いは大聖師のお説きに成られる『心の法則』としていつかはご自身に還って来る のでは無いかと深く危惧するのであります。
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