三車火宅の譬 (9340) |
- 日時:2018年05月06日 (日) 08時47分
名前:中仙堂
法華経の比喩品と云う所に三車火宅の譬えと云うのが有ります。 三車と云うのは三つの車、三つの車と云うのは「羊の車」と「鹿の車」と「牛の車」で あります。それから火宅と云うのは火の燃えて居る家であります。 三界は火宅の如しと云って現象世界は火の燃えている家の様なもので有る。と 煩悩の火が燃えて居る世界と云うので火宅と例えるので有りますが、「羊の車」「鹿の車」 それから「牛の車」三つの車と火宅に譬えた其の三車火宅の譬えと云うのを釈迦牟尼如来がお説きに成られて居るので有ります。 (此処に続く内容は大聖師ご高著『法華経解釈』をご参照下さい)
其れでその火宅の中に住みながら我々は色々の物を一生懸命に玩具を楽しんでいる。 玩具と云うのは実物じゃ無いんです。 何時かは壊れる物である。 名誉であるとか或いは財産であるとか或いは色々な物、現象的ないろいろな宝。 其う言う物、色々な事業も有れば、色々な計画も有ろうし、色々目に見えるいろいろ楽しいもの有りましょうけれども、 悉く此れはいつまでも常住実在している処のものでは無い。其れは崩れてしまう物なんですね。 其れで玩具に例えて居るんですね。
(大聖師谷口雅春先生のご講演データ引用)
生長の家原宿会館を解体したり、本部を山中に移転したり、み教えを改竄したり、奥津城で自転車レースをしたり、ノーミートの講習を推奨したり、 悉く、煩悩の火が燃えて居る世界と云うに他ならない。
そうお思いに成られませんか。
宛ら、三車火宅の譬に出て来られる 或る金持ちの人が尊師で、 火事で自分の家が燃えて居るので、見ると自分の子供が燃えて居る家の中で玩具を以て遊んで居るので、 「さあ、大変だ焼け死んでしまう、そんな事をしていたら。」 それで大急ぎで 「おい、家が焼けて居るから早く出なければ危ない危ない。」 と言いましたけれども子供は玩具を以て、そして遊ぶのに一生懸命なんですね。 それでちらりとお父さんの方を向いたんですけれども、また遊びに熱中して、 そんな事では屋根が今正に焼け落ちてしまいそうに成って居るのに、その下敷きに成ったら死んでしまう。 こう思いましてね。 其れでその時お土産に持って帰った「羊の車」「鹿の車」「牛の車」の玩具。 其れが宝を積んだ様な宝。 素晴らしい玩具ですね、その玩具をこう出して、 「それ、それ。此処にこんな良い玩具。 こんな良い玩具を持って来たから、 此れを上げるから、こっち来なさい。」 と云いますと、子供は玩具が好きであります。 それで、其のお父さんの方へ走り出て来て 其の玩具を貰った。 と見る間に其の火宅は、燃えてる家は焼き尽きて、そしてがらがらっと屋根棟が 崩れて落ちたんです。
処が何処かの誰かさんは、そんな親心(ご祖父さま)の深い深い御心が判らない。
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