「霞が関(官界)の住人として政治家と付き合う上で、忖度は絶対に必要だ。永田町(政界)には独特の言語体系があるからだ。具体例を挙げよう。」 (9226) |
- 日時:2018年04月15日 (日) 18時33分
名前:コスモス
合掌 有難うございます。
非常に参考になり、面白くもある記事だと思いましたので、下記にご紹介致します。「政界独特の言語体系」なるものを初めて知りました。京都人のぶぶ漬けどころではありませんでした。
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産経新聞4月15日 「世界裏舞台」 作家 佐藤 優
森友学園問題をめぐる財務省による公文書改竄問題、自衛隊のイラク日報問題などが連日、新聞をにぎわしている。
ここで問題となっているのは、政治家と官僚の関係だ。
筆者は平成14年に起きた鈴木宗男事件に外務官僚として連座し、東京地検特捜部に逮捕され、東京拘置所の独房に512泊した経験がある。その経験を踏まえて、正しい政官関係について考えてみたい。
まず奇妙なのは、忖度があたかも悪事のように扱われていることだ。より正確に言えば、普段は、気配りや思いやりと呼ばれている事柄が、事件性を帯びて来ると、忖度と言い換えられるようになるのだ。
霞が関(官界)の住人として政治家と付き合う上で、忖度は絶対に必要だ。永田町(政界)には独特の言語体系があるからだ。具体例を挙げよう。
官僚が政治家と衝突することはよくある。しばらくして政治家が、「あの件についてだけど、俺は気にしていないからな」と声を掛けてきたとする。
これを翻訳すると、「俺には反省することは何もない。お前の方で胸に手を当ててよく考えてみるんだな」という意味になる。
「お宅の局長は忙しそうだな。今度、俺の方から挨拶に行くと伝えておいてくれ」と言われれば、「局長は俺以外の政治家の所をよく回っているようだな。俺を軽く見るとどうなるか、よく覚えていろ。局長にすぐに俺の所に来るように言え」ということだ。
有力政治家が、「俺は聞いていない」と言うことがある。その発言を聞くと、官僚は震え上がる。「俺に相談や報告がない案件だから、絶対に認めない」と言う意味だからだ。
どこかの企業に対して不満を持っている場合にも、熟練した政治家ならば、足が付くような表現は絶対にしない。せいぜい「〇〇物産は行儀がよくないようだな」としか言わない。
逆に特定の会社に好意を持っている時でも、「△△建設は熱心だな」というような表現をする。
これらの永田町言語を正確に読み解き、対応することが、官僚として生き残って行くための必要条件だ。
無理筋の話に関しては、「私は頭が悪いので、先生のおっしゃっている事が何なのか、よくわかりません」といった対応をしておけばいい。熟練政治家ならば、過度に官僚を追いこむことはない。
専門知識を持った官僚がサボタージュをすれば、自身にとって、大きなマイナスになることを、経験を積んだ政治家ならば理解しているからだ。
官僚は身分を保証されている。政治家と対立しても、クビになることも、降格されることもない。出世しなくなることはあるが、それは仕方ない。
子供の頃から褒められてばかりいて、怒られるのが極度に苦手という官僚がいる。この手合いが過剰な忖度をして、政治家におもねる。
こういう官僚に政治家は、「尻尾を振って来る犬はかわいい」というような態度で接するが、重要な事柄は相談しない。
霞が関(官界)には4つのタイプの官僚がいる。
第一は、能力も倫理観も高い官僚だ。
第二は、能力は高いが、倫理観が低い官僚だ。
第三は、能力は低いが、倫理観が高い官僚だ。
第四は、能力も倫理観も低い官僚だ。
これに対して、永田町には4つのタイプの政治家がいる。
第一は、能力があり、やる気もある政治家だ。
第二は、能力はないが、やる気だけはある政治家だ。
第三は、能力はあるが、やる気のない政治家だ。
第四は、能力もやる気もない政治家だ。
この中で、「能力はないが、やる気だけはある政治家(あるいはその配偶者)」と、「能力は高いが、倫理観が低い官僚」が結び付くと、国家にとっても、国民にとっても、不幸なことになる。
正しい政官関係を再構築するために現在必要なのは、政治家(特に与野党問わず若手)の能力と官僚の倫理観の向上だ。
霞が関には、能力も倫理観も高い官僚が沢山いる。その力が、政治と結び付いていない状況を変えるために、官僚一人一人が、少しだけリスクを取る覚悟を持って、本気で政治家を支えてほしい。
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余りに酷い日本の政界の現状。与党の政治家さえも、野党の尻馬に乗って、首相を窮地に貶めようとする。このような時に政治家としての人となりが如実に表れる。それらの人々を、私は忘れないでいようと思う。
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