《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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新発売の光明ブックレットと大相撲の土俵の女人禁制について (9202)
日時:2018年04月10日 (火) 00時18分
名前:立葵

大相撲の巡業中に咄嗟の救命措置をされた女性に、心より敬意を表してやまない者でございます。
ただ、女人禁制の土俵といふことについて、伝統と陋習とが同義に論じられてゐる点をどう考へたらよいか主人に尋ねました。
主人の答は明快でした。土俵には神様がゐて、その神様は女が嫌ひだから、通常は女性が上ったら神様が怒る、昔から日本人はそれを畏れて上らなかったし、そのやうな慎みを持った民族だった。慎みを失ってわからなくなって、平等でないことを受け容れられなくなった。
でも緊急の救命なら、神様も赦してくれるだらう。

さて、光明ブックレット『「生長の家」とは何か』の53〜55頁の「業を超越する道」といふ御文章から、それをさらに裏打ちする御啓示をいただいたやうに思ひました。
修行中のある禅僧が道伴れと共に旅の途上、橋のない川を渡れずに困ってゐる若く美しい女性に出会ひ、禅僧はその女性を背負って川を渡らせてあげたといふ場面です。道伴れの僧が女性に触れた禅僧を咎めると、その禅僧は、(以下引用)

「お前はまだ女を背負っているのか、俺はもうとっくに下(おろ)してしまっているのに」と言ったという。それで、その伴れの男がハッと気がついた。伴れの人は実際には若い女を肉体では背負わなかったけれども、心の中でいつまでもその女のことを考えていた、つまり心の中でいつまでも女を背負っていた(中略)
生長の家では、どんな罪を犯しても、一度川を渡ってしまったらすぐ背から下(おろ)してしまう。一度下したらもう再び背負わない。さっさとかってに歩いて行けといって突き放してしまって、もう決して負んぶしないのです。
(引用終)

新発売後、早速拝読した光明ブックレットとの出会ひが一層嬉しくなった御一文でした。
合掌

日本相撲協会の執り行う相撲土俵と アマチュア相撲の土俵は其処が違うと思います。  (9203)
日時:2018年04月10日 (火) 07時45分
名前:中仙堂

元々、女性は月に一度の決まり(生理)が有って、むかしは不浄と思われたらしいです。
それで昔から伊勢の海女さんもその期間は海には入られないと聞きました。
特に、アワビ等は伊勢神宮の神前に奉納もされます。

また土俵祭りには

土俵中央には15cm四方の穴が掘られていて、深さは30cmという。 この穴の脇、赤房寄りと白房寄りに三宝が置かれる。白房寄り(写真でいうと手前)の三宝には、穴に埋める鎮め物(勝栗、昆布、するめ、洗米、塩、榧の実)が皿(土器(かわらけ))に入れられて載せられ、 赤房寄りの三宝には、神酒を入れた瓶子が2本載せられる。これらを取り囲むように幣立て台が3基据えられていて、正面側には幣が3本、東西に各2本立てられる。 幣立て台の白房側の端に榊立て台が据えられ、榊が立てられる。土俵の四隅、各房の下には幣立て台が置かれている。


此れは女性蔑視では無く、神様の前に穢れ(特に血なまぐさい物)は敬遠される古代からの日本人の慎み深さからだと思えます。

この出来事に一番感じられます事は、二つの次元の違う問題が一緒くたにされて居ると思います。

まずは行司の「刺し違え」
生命が一番大切。
即、救急作業の女性を土俵から降りる様にアナウンスをする事は如何だったでしょうか。
行司がその瞬間、うろたえ何をなすべきか判断が出来なかった。

男性が一杯居たのだから、患者さんをそっと土俵下に移させ、其れから心臓マッサージをしても数十秒の事。
土俵下で、処置をして頂ければ宜しいとおもわれます。

伝統は伝統、生命重視は重視でその瞬間の采配が出来なかった行司の「刺し違え」と解釈します。

そして、神聖な相撲の土俵と申しますが、国内外の相撲ファンが男女の垣根を越えて、
日本相撲協会以外では、女性の相撲も盛んで、アマチュア相撲の女性力士も沢山います。
日本相撲協会の執り行う相撲土俵と
アマチュア相撲の土俵は其処が違うと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=-9j18MuJ0p8

大切な慎み深さ (9205)
日時:2018年04月10日 (火) 11時20分
名前:コスモス


 皆さまの御文章から大切な事を色々学ばせて頂きました。有難うございます。

 最近は「男女平等」意識の強い女性が増えて、全てに於いて平等を求める方がありますが、

 永い間の伝統には、それなりに深い意味があることが判ります。先日はある女性市長さんが、土俵の上での挨拶が「女性であるが故に出来ないことが悔しい」とまで言われました。

 その様な事を述べる時には、男女ともにですが、特に女性の場合には、顔の美醜に関係なく、見苦しい雰囲気が漂い、残念に思います。

 女性は元々大らかで明るい存在であると同時に、慎み深い心を持った存在であったのではないかと思いますが、慎み深さが薄くなったことによって、女性らしい魅力がなくなりつつあることを哀しく思います。




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