《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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【今日は何の日】大和、特攻。坊の岬沖海戦。沖縄を護るため、英霊が戦った日【4月7日】 サヨクは、「沖縄を見捨てた」等と述べるが、事実ではない。 (9197)
日時:2018年04月08日 (日) 20時33分
名前:コスモス

一日過ぎてしまいましたが、重要な記事と思いますので、下記にご紹介させて頂きます。

 英霊の霊に心から感謝を捧げます。有難うございます。合掌

ーーーーーーー

 無謀とも言われる作戦だが一縷の希望に賭け、米軍の沖縄侵攻を阻止するため水上特攻が敢行された。


天一号作戦、大和轟沈。沖縄を見捨てぬため、一億総特攻の魁とならんがために。


 サヨクは、「沖縄を見捨てた」等と述べるが、事実ではない。

 ならばなぜ連合艦隊旗艦を務めた、戦艦大和は海上特攻とも言うべき突入戦を強行したのか。

 

  出撃した艦艇は以下。

大和以下、軽巡矢矧、駆逐艦冬月、涼月、磯風、浜風、雪風、朝霜、初霜、霞。

日本海軍による最後の大型水上艦による攻撃となった。



 すでに訓練を満足に行えるほどの重油はなく、浮き砲台とされた艦以外、 持てる艦艇のほぼ全てであった。


 それでも大和には、戻ってこれるだけの重油が補給されたという。 (片道とする説は誤り。)

 ただし、還って来れたのは、極僅か。


 実は、この海上特攻(天一号作戦)のみがクローズアップされるが、菊水作戦と相互支援関係にある。


菊水作戦第一号(4月6日~11日)以降、第十号までの大規模航空特攻を伴う反攻作戦である。


 海軍機は940機、陸軍機は887機が特攻を実施。
海軍2,045名、陸軍1,022名が特攻により戦死。



 先祖を誇ることは重要なことだ。

その名誉を汚すことを許さぬ、明確にスタンスを示しておきたい。



 ならば、今を生きる私たちはどうか。
 それを問いたい。


 軍令部総長が「菊水一号作戦」を昭和天皇に上奏した際、「航空部隊丈の総攻撃なるや」との下問があり、

 天皇から『飛行機だけか?海軍にはもう船はないのか?沖縄は救えないのか?』と質問をされ「水上部隊を含めた全海軍兵力で総攻撃を行う」と奉答。


 大和の第二艦隊司令部長官の伊藤整一中将はなかなか納得しなかったが「一億総特攻の魁となって頂きたい」と言うと、伊藤中将は「そうか、それならわかった」と即座に納得した。



 戦争も後半ともなれば、機体の性能にも開きがある。
整備や補給も満足に受けられない。


訓練だって完全とは言えず、硫黄島に至っては「ほぼ市民と変わらない練度」だった兵士も多く含まれていた。


 かつて我が国では、我が国の未来を守らんがために、
一つしかない命を捧げてまで「産まれ来る子らのため」に身体を張った大人たちがいた。



 彼らが命懸けで守った「未来」とは、まさに今を生きる私たちに他ならない。


先祖が偉いかどうかではなく、私たちはできるのか。
それを真剣に考えたい。


 大和の画像、及び特攻の映像を紹介する。
実際に見て、それぞれ考えて欲しい。


     【坊ノ岬沖海戦・参加戦力】


 第2艦隊からなる第1遊撃部隊が編成され、水上特攻を担当する部隊となった。出撃した部隊は以下の編制であった。参加兵力は計4,329名。平均年齢は27歳であったという。



第1航空戦隊
戦艦大和
(艦長:有賀幸作大佐、副長:能村次郎大佐、砲術長:黒田吉郎中佐):沈没。
被雷8本以上、直撃弾10発以上。戦死2,740、戦傷117名。



 第2水雷戦隊(司令官:古村啓蔵少将)

 軽巡洋艦矢矧(艦長:原為一大佐):沈没。
被雷7本、直撃弾12発。戦死446、戦傷133名。

※矢矧に座乗していた第2水雷戦隊司令官古村啓蔵少将、矢矧艦長原為一大佐は、ともに生還。



 第41駆逐隊(司令:吉田正義大佐)

 冬月(艦長:山名寛雄中佐):帰還。
中破。直撃弾2発(不発)。戦死12、戦傷12名。


 涼月(艦長:平山敏夫中佐):帰還。
大破、艦首部に直撃弾を受け大破。
後進で佐世保に帰還。戦死57、戦傷34名。



 第17駆逐隊(司令:新谷喜一大佐)
 磯風(艦長:前田実穂中佐):至近弾により機関室浸水。航行不能になり処分。
戦死20、戦傷54名。


 浜風(艦長:前川万衛中佐):沈没。
被雷1本、直撃弾1発。被弾で航行不能になった後、被雷し轟沈。戦死100、戦傷45名。


 雪風(艦長:寺内正道中佐):帰還。
至近弾のみ。損傷無し。
戦死3、戦傷15名。ロケット弾が直撃したものの不発に終わった(帰還後判明)とする説もあるが元乗員らの記録では別の戦闘での損傷とある。



 第21駆逐隊(司令:小滝久雄大佐)

 朝霜(艦長:杉原与四郎中佐):機関故障を起こし艦隊より落伍、正午過ぎに敵機と交戦中との無電を発信後連絡が途絶えた。撃沈されたものと推定。隊司令及び艦長以下326名全員が戦死した。


 初霜(艦長:酒匂雅三少佐):帰還。
至近弾のみ。損傷無し。戦傷2名のみ。


 霞(艦長:松本正平少佐):直撃弾2発。
うち1発が機関室を直撃、破壊。航行不能により処分した。
戦死17、戦傷47名。



 対潜掃討隊(第31戦隊 花月、第43駆逐隊 榧、槇)は瀬戸内海離脱後、命令により反転帰還。


 (これより長く続きますので、下記をクリックしてご覧下さい)


 https://samurai20.jp/2018/04/nannnohi-28/


 
      【菊水作戦】


 米軍の沖縄進攻を阻止する目的で実施された日本軍の特攻作戦。


作戦名の「菊水」は楠木正成の旗印に由来する。



 大和を含む水上特攻と相互関係にあり、作戦は第一号(1945年4月6日-11日)から第十号(6月21日-22日)まで実施され、その後も終戦までの間、断続的に特攻が続けられた。

特攻作戦と連動し、艦上攻撃機・天山、陸上爆撃機・銀河、艦爆・彗星などによる夜間雷撃や夜間爆撃も実施された。



少し長いため、折り畳もうかとも思ったが、できなかった。
「沖縄の為に」戦ったのだ。
 
 (以下続きますが省略させて頂きます)


 
 沖縄諸島周辺での特攻作戦において、海軍機は940機、陸軍機は887機が特攻を実施し、海軍では2,045名、陸軍では1,022名が特攻により戦死した。


 そのうち133機が命中、122機が至近弾となり、アメリカ軍の艦艇36隻を撃沈し、主力艦艇の多数を損傷させた。

 

 菊水作戦によるアメリカ軍とイギリス軍の戦死者は4,907名、負傷者は4,824名に上った。


 第二次世界大戦におけるアメリカ海軍の艦艇の喪失の7分の1は沖縄諸島周辺海域におけるものであり、その8割は特攻による戦果である。


ーーーーーーー

 沖縄を護るために、このように必死に戦って下さったのですね。

 翻って今を思いますと、

 北朝鮮情勢がどのようになるか不明ですが、憲法改正を阻止しようとする、余りに酷い野党の在り様、マスコミの横柄さと、国民の覚醒のために、もしかするとあってほしくない事態が勃発するかもしれないと思います。

 腹を括りつつ、日本国の実相顕現のために祈りを深めて参りたいと思います。有難うございます。




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