《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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「襲名の“名”は“命”を引き継ぐことであると、父(初代松本白鸚)もよく申しておりました」(二代目松本白鸚)…だから私は「三者会合」の内容を重要視しているのです (8642)
日時:2018年01月04日 (木) 19時47分
名前:破邪顕正


昨年11月26日、「高麗屋三代襲名披露祝賀会」が開かれました。

その際、二代目松本白鸚を襲名する幸四郎さんは、自身が現在の名跡を継いだ1981年の高麗屋三代襲名に触れ、「三代そろっての襲名は2度目になります。襲名の“名”は“命”を引き継ぐことであると、父(初代松本白鸚)もよく申しておりました」と述べました。

私は、その言葉にとても感動を覚えました。

それほどまでに、実に継承ということは、とても重たいものであると思うのです。

そして、それを生長の家に当てはめれば、件の「三者会合」にあるというのが、私の大いなる思いであります。

だって、三代目を誰にするか、どうするかの話し合いなのですから、これほど重大な事はないと思うのが普通ではないでしょうか。

だからこそ、そこでどんな語らいがあったかということは、決してなおざりにされてはならないことだと私は思ったのです。

ところが、この私の投稿について、色んな方が批判してこられた。

主だった方だけをピックアップいたしましょう。

まずは、「トキ」さん。

彼は、こういう投稿をしました。

>難しい問題です (1203)
日時:2018年01月02日 (火)
名前:トキ

(前略)

破邪顕正さんの投稿を読んで、最初に思ったのは、谷口家に喧嘩を売っているのではないか、という印象を受けました。…

昨年、安東巌さんが「日本会議」の黒幕である、と言う主張が教団からなされましたが、私が調べた範囲では、それを裏付ける確実な証拠はありませんでした。

同様の問題が生じないか、危惧しています。

もし、破邪顕正さんがあくまでもこのテーマを取り上げると言うのなら、やはり徹底的に事実関係を調べた上で、投稿をされた方が良いと思います。<

次に紹介するのは、「山ちゃん1952」さんです。

>2018年01月02日

新年早々心痛むコトバ

私は下記の標題で「学ぶ会」の幹部である破邪顕正さんがコメントしたのは大変驚愕している。

その驚愕しているのは「谷口清超先生、雅宣氏、貴康氏」の三方ではない。

破邪顕正さん本人である。…

私のような「生長の家」の真理を摘み食いのような人間でもここまで書くのは「谷口家」に喧嘩を売っているようにしか思えない。

インターネットの書き込みである「事情通」という人の文章を信頼して「谷口貴康先生」が云われたということです。

だがこれもあくまで「伝聞」ではないかということです。

それを「事実」として確証できるかといえば「ノ−」であります。

それを実証するには直接貴康先生に聞くしかないのです。

この文章には「伝聞」と「推定」しかない。

それを間違いのない歴史的事実として記入していいのであろうか…<

お二人とも、期せずして、私の投稿を「谷口家」に喧嘩を売っている≠ニ受け止められたようです。

そして、どちらとも、「三者会合」での語らいが「事実」かどうか、検証されていないことを問題視されています。

もう、ここまでくれば、「伝聞」「情報」等での投稿はできないということになりはしないでしょうか。

果たして、しっかりした「事実」に基づかない投稿をしてはいけないのでしょうか。

「伝聞」「情報」のみでは投稿してはいけないのでしょうか。

もし、そこまで厳密な「事実」を要求するのであれば、どうなのでしょうか、こういうサイトは、もはや成り立たないのではないでしょうか。

で、私が実に不思議なのは、そういう「トキ」さん自身が、一方では、こんな投稿をしているわけです。

>谷口清超先生について (1194)
日時:2018年01月02日 (火)
名前:トキ

某掲示板で、谷口雅宣先生を三代目の総裁として任命した谷口清超先生の責任を追求するような投稿を破邪顕正さんが投稿されています。



ただ、副総裁時代の谷口雅宣先生が、当時、総裁だった谷口清超先生の指示に従わなかった事がある、または総裁の指示を受けずに独断で動いた、いう話は聞いたことがあります。

具体的な内容をかけないのは残念ですが、証言者は確かな人です。

また、谷口雅宣先生が副総裁にご就任の後、しばらくして本部に会議で行ったあとに、夜、本部の人と食事に行った時に、「本部では、谷口清超先生よりも谷口雅宣先生の方が影響力が強く、本部員は副総裁のご意向を総裁よりも重きに置いている」という話を聞いた記憶があります。

当時、すでに副総裁に関連した話題になると本部員が極度に緊張しているのは、私のような現場の人間にもわかりました。

この掲示板の管理人を始めてから知った事ですが、複数の教区の人から、「うちの教区では、かなり高価なお中元やお歳暮を総裁宛に送っています。」というメールを頂戴した事もあります。

(内容についても聞きましたが、省略します。)



正確な事実関係はしりませんが、「三者会談」の話し合いの内容だけを持って、谷口清超先生の責任を追求するのは少し無理があるような印象は持っています。<

「トキ」さんにお願いします。

私が、谷口清超先生の責任を追及していると判断されたのは何を根拠にされてのことでしょうか?

どこに、清超先生の責任を追及する文言がありますでしょうか?

まずは、それにきちんとお答えしてほしいものであります。

それはともかく、「トキ」さんも、こういう「情報」「伝聞」に基づいて投稿されているのですから、あまり裏付けのない「情報」「伝聞」投稿はダメだとなされないのがいいのではないかと思う次第です。

前置きが長くなりました。

とにかく、「トキ」さん、「山ちゃん1952」さんを相手にしての弁明ですから、それも致し方ありません。

全文引用したら、それこそ厖大になりますから、関心のある方はそちらをお読みいただくとして、私の弁明を書かせていただきます。

お二人に申し上げたいことは、「三者会合」が登場した経緯をぜひ、踏まえてほしいということであります。

事の発端は、阪田成一先生の「真理を生きる56」にこう書かれたことなのです。

《…退職して数年たった頃、今は亡き生長の家社会事業団理事長の松下昭さんから「谷口雅春先生記念図書資料館」の運営等についての相談を受け、上京する機会が出来ました。

その際いろんなことを彼から聞きましたが、その中で私が一番驚いたのは、雅宣氏が生長の家本部に入るにあたって、清超先生に三つの条件≠出したというのです。

普段めったにメモを取ったことのない私も、余りにも衝撃的な内容であったのでその時はメモを取りました。

そのメモは今も手元にありますが、間違ってはいけないと思って、その場で松下さんに見せて確認をしました。

その三つの条件というのは、

一つは「生長の家から時代に合わない皇国史観を排除する」ということ、

二つ目は「情報が全て自分に直接入る部署を作る事」、

三つ目は「旧青年会の関係者を排除すること」というものでした。》

ここで、大事なのは、きちんと阪田先生は「メモ」を取られていて、それに基づいて、お書きになられたということなのです。

すると、その投稿に対して、

〈愛国本流掲示板〉に、こういう投稿が登場したわけです。

>信実とフェイク情報に驚く (19304)
日時:2017年12月06日 (水) 21時25分
名前:事情通

坂田(筆者註:阪田)氏が述べられた三項目はおおむね間違ってはいないようですが、誇張され過ぎた部分があるようで誤解が広がっています。

事情通は、その場に居られた方から当時の様子をお聞きしました。

雅宣氏がまだ普及協会で本部職員でなかったころに三者会合が原宿の某中華料理店で行われました(南国酒家より下った小さな料理屋です今は洋菓子店になっています)

参加者は谷口清超先生・谷口雅宣氏・その会合を企画した谷口貴康氏です。

当時、生長の家に距離を置く谷口雅宣氏を正式に本部職員として迎え入れたいという貴康氏の意向があったようです。

(ちなみに、のちに学ぶ会の靖国神社における講演会で貴康氏が「すべて今の様な状態になったのは私の責任でもあります」と証言したのがこの出来事を指すと思われます)DVD参照

清超先生のなぜ本部に入らないのかと言う質問に対して答えたものが三項目に関連する事で、本部内には清超先生(当時副総裁・青年会総裁)を利用しつつその裏で別の行動をしている幹部がいて信用できず、そういう現状では仕事をすることが出来ないという趣旨が述べられたようで、生政連および青年会内部の話になったようです。

(雅宣氏は箇条書きのように明確に述べたのではなく)

青年会中央部とそのOBには表と裏のある信用できない人達がいるので何とかならないのか。

そういう人たちの中ではとても仕事ができない。

そのために正しい情報が総裁や自分に入る組織を作ってもらわないと困る。

という事が主な内容で、それに対して清超先生は「誰から聞いたのかは知らないが私はそのような事を感じたことが無い・・外から見ていないで中に入ってきちんと自分で確認してはどうか」

そして、最後に席を立つときに、雅宣氏が疑いを持っている人達(祖国と青年協議会賛同者 筆者註:『祖国と青年』を発刊している日本青年協議会賛同者)を差したものだと思われるが、「そもそもあんな古臭い皇国史観ではだめだ」と言い放ち、それに対して少し驚いた清超先生は「まあそういうことは自分で確かめてからにしなさい、貴方の思っているような本部ではないと思う」

そののち、本部情報宣伝部?におそらくご本人の希望で入られたのでしょう(推測)

異常(筆者註:以上)の事、事情通は谷口貴康氏から直接うかがいました。

松下氏と貴康氏は大変懇意だったのでそれが伝わり三項目として要約され伝聞が拡がったのでしょう。

ですから、雅宣氏が清超先生に三項目を要求しそれを清超先生が認めたという事は飛躍がありすぎて事実とは言えません。

そもそもそんなことを了承するような清超先生であるわけがありません。<

ここで大事なのは、この「事情通」さんが「谷口貴康氏から直接うかがいました」と言っていることなのです。

そして、この「事情通」さんの話と、松下氏が書いた「メモ」とを勘案すれば、この「事情通」さんの話は決して「フェイク情報」とは思い得ない、実に信憑性があると見ていいのではないでしょうか。

「松下氏と貴康氏は大変懇意だった」のは間違いない事実≠ナすから、当然、このときのことを聞いて松下氏は「三項目として要約され」たわけです。

そう考えると、「事情通」さんの、この「情報」は十分に信頼するに値すると私は見なします。

実際、阪田先生も「真理を生きる 57」において、こう書いておられます。

《友人が送ってくれた投稿の中に、事情通≠ニいうハンドルネームの投稿があり、それには「信実とフェイク情報に驚く」と題がついてあって、この題にこちらの方が驚いてしまいましたが、松下氏から聞いた三項目の背景が詳しく書いてありました。

冒頭に、「阪田氏が述べられた三項目はおおむね間違ってはいないようですが、誇張され過ぎた部分があるようで誤解が広がっています」と書いてあって、「誇張され過ぎた部分」とはどういうところかも、またどう誤解がされているかも不明です。》

そして、阪田先生はこうも書いておられます。

《三者で話し合われた内容は、当事者の一人である貴康氏から直接聞いたというのですから、その通りだろうと思います。》

私も阪田先生に同感します。

阪田先生のご文章は更に続きます。

《先月号で私が松下氏から聞いた三項目を紹介したのは、その情報源が貴康氏であることを明かしてくれたからで、三者会合のことも知っていました。

両氏は夫人同士が姉妹で、義兄弟の間柄であり、三項目は、確かな情報であると私は認めたのです。

情報源はあえて伏せました。》

「トキ」さん、「山ちゃん1952」さん。

ここまでくれば、「情報通」さんの情報は、実に信憑性があると見なしてもよろしいのではないでしょうか。

そして、ここが一番、言いたいことなのですが、この「三者会合」の内容を紹介することが、どうして「谷口家に喧嘩を売っている」ことになるのでしょうか。

もし、それを言うのであれば、その「三者会合」の内容を明らかにした「情報通」さんにこそ向けられるべきなのではありませんか?

更に言うならば、今回の一連の発端となった「真理を生きる」の執筆者、阪田先生の投稿もまたそうなってしまうのではありませんか。

最後に、これだけは申し上げておきます。

私が今回、この「三者会合」のことを表題にしたのは、責任追及しようと思って書いたつもりは毫もありはしません。

そんなことに関心もありません。

だって、そんなことをして何の生産的な、実りがあるというのですか?

私は、ただ、総裁がどういう人であるのか。

谷口雅春先生の教えがかくも歪められ、否定されてしまう背景には、何があったのか。

その淵源を知らなければならないという、その一点だけなのです。

私が本当に遺憾に思うのは、「谷口家に喧嘩を売っている」ということにして、この「三者会合」の本質的な問題から、信徒の目を逸らさせ、何か別の方向に、即ち「谷口雅春先生を学ぶ会」を意図的に貶めてしまおうという魂胆が感じられてならないことなのです。

現に、「トキ」さんも、「山ちゃん1952」さんも、私を「谷口雅春先生を学ぶ会」の重要人物であるかのように描出して、そういう立場の人間が、「谷口家に喧嘩を売る」ような投稿をしている…。

これが「谷口雅春先生を学ぶ会」の本性だ、みたいないい方をしているわけです。

正月早々、私なりに思いました。

これもまた身から出た錆、誰も怨むまい。

こういうやりとりをして、一人でも多くの方に、私が訴える「三者会合」でのやりとりの中にこそ、今の総裁の本質がある。

それを知っていけば、盲目的に総裁に中心帰一することが、如何に谷口雅春先生の教えから外れていくか、それがわかってもらえる。

「トキ」さん、「山ちゃん1952」さんのおかげで、私の拙稿に耳目が集まり、更に関心が深まる、そう思えば、以て瞑すべし。

そう思っているところです。

平成30年、新年早々から、実に意気軒昂であります。



「三者会合」は信憑性があると判ずる理由 (8647)
日時:2018年01月05日 (金) 10時12分
名前:破邪顕正


「三者会合」を重要視する私の投稿に対して、それを「事実」として扱うことへの疑義が呈せられていますので、私がなぜ、そう判ずるに到ったのかの理由を申し述べることにいたします。

まず第一に、「三者会合」の場所がきちんと特定されていることを指摘したいと思います。

投稿主の「事情通」さんの書き出しはこうなっています。

>事情通は、その場に居られた方から当時の様子をお聞きしました。

雅宣氏がまだ普及協会で本部職員でなかったころに三者会合が原宿の某中華料理店で行われました(南国酒家より下った小さな料理屋です今は洋菓子店になっています)

参加者は谷口清超先生・谷口雅宣氏・その会合を企画した谷口貴康氏です。<

ここまで会合場所が特定されているのに、そこでの話し合いは、事実とは異なる、フェイクだ…などと言えるでしょうか。

この、断定的な書き方からしても、十分に信用するに値すると思うのが普通の感覚、判断ではないでしょうか。

次に掲げたいのは、「三者会合」でのやりとりと阪田先生が示された三条件≠ニが見事に平仄があっているという「事実」であります。

まず、一つ目の条件である「生長の家から時代に合わない皇国史観を排除する」ということ。

これは、この箇所に合致するのではないでしょうか。

>最後に席を立つときに、雅宣氏が疑いを持っている人達(祖国と青年協議会賛同者 筆者註:『祖国と青年』を発刊している日本青年協議会賛同者)を差したものだと思われるが、「そもそもあんな古臭い皇国史観ではだめだ」と言い放ち、それに対して少し驚いた清超先生は「まあそういうことは自分で確かめてからにしなさい、貴方の思っているような本部ではないと思う」<

ここに「皇国史観」ということばがちゃんと出てきます。

なるほど、この言葉は、一応「雅宣氏が疑いを持っている人達」に向けられたものではあります。

では、当時、この人達≠ヘ何を目指していたのでしょうか。

言うまでもなく『理想世界』誌・百万運動でありました。

それは、天皇陛下を仰慕する百万の青年を生み出し祖国再建への道を切り拓く≠ニの壮大なロマンを掲げての運動でありました。

それを最も支持し、支援下さっていたのが、尊師・谷口雅春先生に他なりません。

現に、昭和51年1月8日、『理想世界』誌・百万突破したときの拡大最高首脳者会議で、尊師はこうお話になっています。

《ただ今、副総裁先生から少し無理が出て来ているという話がありましたけれども、無理が通るのでないとダメだと思うのです。

つまり、限界を超克するという問題です。

そうでなければ現状は破ることが出来ないと私は思います。

『理想世界』があんなに増えてきたのも…日本国家を守らなければならない。

今の憲法では日本の国はなくなってしまうという危機感もあって…それを救うのは生長の家の他にはないという気持ちがあるからです。》

ですから、私は、総裁が「雅宣氏が疑いを持っている人達」に向けて発したとされる「皇国史観」ということばは、当然、尊師の教えに向けられたそれとしてあると判断してもいるのです。

つまり、総裁の本心は、「雅宣氏が疑いを持っている人達」が信奉してやまない尊師の「天皇信仰」を拒否するものとして、ここで「皇国史観」を登場させたのであって、それを直感したからこそ、松下・前理事長は、その表現をあえて「生長の家から時代に合わない皇国史観を排除する」と要約せられたに相違ないと私は思っています。

次の「情報が全て自分に直接入る部署を作る事」については、三つ目の「旧青年会の関係者を排除すること」とも連動していて、この箇所と見事に合致しています。

>青年会中央部とそのOBには表と裏のある信用できない人達がいるので何とかならないのか。

そういう人たちの中ではとても仕事ができない。

そのために正しい情報が総裁や自分に入る組織を作ってもらわないと困る。<

「そういう人たちの中ではとても仕事ができない」という言葉は、そういう人を外さないと自分は本部に入って仕事ができないという意味合いを含ませていますから、まさしく「条件」というに相応しいものではないでしょうか。

こう見てくれば、「情報通」さんが投稿した「三者会合」の内容が三条件≠ニして要約されたのも決して故なしとはしない。

換言すれば、この三条件≠裏打ちするものとして「三者会合」の投稿があったとも言い得るわけです。

そう考えたからこそ、私は、この「三者会合」の投稿内容は、事実≠ニして認定しても決しておかしくはないと判断するに到りました。

この私の判断は、それでも間違いであると言われるのでしょうか?



この大げさな事実と齟齬のある表題が大きな誤解の元なのです (8648)
日時:2018年01月05日 (金) 15時09分
名前:帰りましょう

以下、愛国掲示板より転載します。

阪田先生の意見より (19661)
日時:2018年01月02日 (火) 19時20分
名前:注意喚起

《破邪顕正氏は、私が紹介した松下昭氏から聞いた雅宣氏の三つの条件は「雅宣氏が本部に入るにあたって、清超先生に出した」と書いているにもかかわらず、破邪氏は「三代目を引き受ける条件として総裁(註・雅宣氏のこと)がつきつけた三箇条」と表題に書いているのです。

これでは牽強付会と言われてもしかたがないでしょう。

牽強付会けんきょうふかい

都合の良いように無理に理屈をこじつけること。
牽強附会とも書く。
牽強は道理に合わないことを無理に合わせること。
牽は玄(ひも)に牛で、牛にひもをつけて引っ張るの意がある。
本来は牛をひもで引っ張って動かすのは道理に合わないが、これを無理矢理強く引っ張って動かしてしまうことから牽強の意味となる。
付会はばらばらなものを一つにまとめること、または、関係ないものを無理にまとめるの意。


山ちゃん様からの伝言を転載 (8652)
日時:2018年01月06日 (土) 00時22分
名前:帰りましょう


2018年01月04日21:25

カテゴリ

破邪顕正さんはもう少し冷静に対応出来ないのか。



私は今回の投稿で谷口家の件で

【最初の投稿は、表題に掲げたように、この「三者会合」こそが、今日の教団の変質を決定づけたという問題提起であります。】



だが下記にある文章と気持ちの違いがあるがどうであろうか。
果して上記の文章は谷口家否定に繋がることになってはいないのだろうか。

【時:2016年10月08日 (土) 09時30分

名前:破邪顕正



なるほど、「谷口雅春先生を学ぶ会」には谷口家に連なる方はおられません。



しかし、それがどうして、「谷口家を否定する団体」となるのでしょうか?】



そして事情通の伝聞に対して



【「山ちゃん1952」さんへ。どうして「真実」を知っているのは自分だ!と言い切られるのか?まさか、その「真実」とやらは伝聞≠ナはないでしょうね? (3713)

日時:2016年10月07日 (金) 12時55分

名前:破邪顕正】



と私に伝聞であることを「バカ」にするような言い方で書いています。

でもその当本人が今回はこのように気持ちを変えている。「伝聞」であるのに信憑性があるという。「事情通」に遭ったこともなく、インタ−ネット情報を信頼する。



あまりにも小賢しい。伝聞でも自分の判断で何の確証もない言葉を信憑性があるというのは個人の勝手な判断であります。



【ここまでくれば、「情報通」さんの情報は、実に信憑性があると見なしてもよろしいのではないでしょうか。】



私も実は【谷口雅春先生に帰りましょう・第二】に書きたいのですが、どういうわけか禁止になっています。破邪顕正さんも正々堂々と「山ちゃん1952」のブログに一度でもコメントを書いてください。総裁でも書かれたのですから、破邪顕正さんだったら出来るでしょう。それと仕事が始まりますので、返信は遅れますがご容赦下さい。

くれぐれも怒り心頭に発することが無い事を祈ります。



今回の件で知り合いの人も破邪顕正さんの事を心配されていました。書き過ぎではないかと思っています。また、トキさんも同じ意見です。そういう人が何人かいることも確かです。そういう言葉もあり、私が書きました。



但し、私は爭いを好みませんので、間違いや疑問を指摘しているだけですので、ご容赦下さい。次々変えるような言動はいけませんので、今回書きました。
周りは「学ぶ会」は谷口家に喧嘩しているしか思いませんので、このような争いは収めていきたい、また、あまり私は今後はこの件は発言を控えたい。また、私の方から谷口貴康先生に聞いてみます。それでわかると思います。しかし、それを発表するかどうかはわかりません。

(続)「三者会合」は信憑性があると判ずる理由 (8657)
日時:2018年01月06日 (土) 14時32分
名前:破邪顕正


私が、「三者会合」の内容は信用するに足ると思う理由として、総裁が実際に本部に入って来てやったことが、見事にそれを裏付けるものとしてあるということを指摘しておきたいと思います。

私が言うよりかは、阪田先生の言葉で紹介した方が信用度が増すと思いますので、それを引かせていただくことにいたします。

阪田先生は、「真理を生きる 56」で件の三つの条件≠紹介された後、こう書いておられます。

>そう言われれば雅宣氏が本部に入ってから三つの条件に基づいてなされたものが幾つもあります。<

ここでのキーワードは、「そう言われれば」であります。

この三つの条件≠見て、阪田先生には、すぐにピンと来るものがあった。

あのことも、このことも、全ては、この三つの条件≠ノ基づいて行われたものだったのかと。

だからこそ、阪田先生も、この三つの条件≠ノ信≠おかれたのだと私は拝するのです。

それでは、具体的に、阪田先生は、「三つの条件に基づいてなされたもの」をどうお書きになっていられるか、ご紹介しましょう。

《皇国史観の排除では、青年会や青少年練成会等で愛唱歌として歌われていた軍歌はもちろん、唱歌の中のそれに該当する歌の禁止が早速実施されました。

その最たるものに、雅宣氏が普及誌の『理想世界』平成3年11月、12月号と翌年の3月、4月号に連載したいわゆる「大東亜戦争侵略論」があります。

つぎに二つ目ですが、雅宣氏は昭和57年12月10日付で世界聖典普及協会の理事のままで、生長の家本部の無任所の理事に就任し、昭和59年5月には自分で提案して、生長の家本部内に「事務合理化委員会」を設置して委員長に就任しています。

この委員会の専従の事務局長になったのが吉田晴彦氏であり、雅宣氏が総裁代行になった際には、理事長に就任しています。

また現在の磯部和男理事長は、合理化委員会のメンバーでありました。

この委員会によって本部の機構改革が行なわれ、二つ目の条件である「情報が全て自分に直接入る部署」として「総合企画室」を新たにつくって室長の座に就いたのでした。

因みにこの部署は雅宣氏が副総裁に就任した後、なくなったと記憶しています。

そして三つ目の「旧青年会関係者の排除」を最初に行なったのが、昭和60年8月28日の理事会での宮本、池永両氏の解任と本部講師の資格の喪失の決定でした。》

因みに、阪田先生は、このご文章のタイトルを「まかり通る排除の論理=vとされています。

そう題されたのもなるほどと頷けるかのように、阪田先生は、自らの経験も交えて、こう述べられます。

《先の総選挙で、小池都知事の排除≠フ言葉が物議を醸しましたが、雅宣氏も自分の気に入らない者は排除するという例は、私も実際に見てきましたし、実を言えば私自身二度それを体験しました。

今や雅宣氏の周りにはイエスマンや茶坊主、第一線の現場を知らないいわゆる宗務官僚によって固められ、そうした中で雅宣氏はトップダウンを行なっているのですから、最悪の道をたどっていると言わざるをえません。》

即ち、総裁の、所謂排除の論理≠ニいうものは、決して本部に入ってきたときだけのことではなかった…。

それに留まらず、それ以降も、一貫して行われてきたということなのです。

それが、私に言わせれば、今の総裁専制体制≠招いた元凶であり、その淵源を辿れば、結局は、この三つの条件≠ノ行き着くほかはないということを申し上げたいのです。

阪田先生がご指摘になっているように、やはり、この三つの条件≠ヘ決して看過し得ないものであり、合わせて「三者会合」でのやりとりは、それを裏付けるものとして決して無視しえない、大いに事実≠含んだものであると考えるのが至当であると思うものであります。



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