《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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全く異質な発想であります。 (8569)
日時:2017年12月27日 (水) 06時02分
名前:中仙堂

訓古的に仏教経典を研究する学者は、著作の年代とか、本当の著者の名前とかを問題にし、従って肝腎の問題であるべきその書に、本当に「久遠を流るるいのち」が生きているかどうかを忘れてしまう傾向があるのは遺憾である。「仏典を論ずる」ためには、サンスクリット語や、パーリー語やー西域地方の古代の方言やチベット語などさえも必要であろう。略…しかしそれはいつまでも語学の世界と考証の世界に堂々廻りしていて、その教えの堂奥に飛び込むことはできないのである。本当の「さとり」の世界へ飛び込もうと思うものは、語学や考証の世界を一躍して「久遠を流るる命としての釈迦」そのもののうちに飛び込まなければならないのである。(生命の實相第二十七巻)



日常生活の中で人と語る、又はウエブにて、信仰問題を論じる事が有ります。
そんな時に頼れるものの一つに、拙い宗教的知識や人生体験が有るが、そんなものではとても越え難い大問題も人生には待ち伏せて居るもので有ります。
真に難局を越え得るのは姑息な智識の断片では無く。如何に日常の信仰生活での切磋琢磨の賜物が無ければ用に堪えないものかも知れません。
「久遠を流るる命としての釈迦」とは「久遠を流るる命としての自分自身」を見つめる確かな目(心の目でしょうか)なのでしょうか。
当然「久遠を流るる命としての釈迦」を認識しようにも「今の教え」なるもの、時代により宗教の眞理は説き方が変わる。
と云う発想は余りにも稚拙で、「久遠を流るる命」からすれば、似て非なるものでは無く、全く異質な発想であります。

決して壊してはいけない。 (8574)
日時:2017年12月27日 (水) 21時04分
名前:中仙堂

子供の頃、
ラジヲの落語放送を聴いて
育ちました。
二十歳の年曳かれるように
寄席に行ったものでした。
落語ファンの私でしたが
志ん朝師の生の落語を聴いた
記憶は無い。
ラジヲ等で聴いた事が有ったかも、
知れない。
ユーチュウブの時代に成って
かなり聴く機会が増えた。
PC の有り難さが判った

落語を救った男逹

https://www.youtube.com/watch?v=d0v6SFWjfQA

高々落語と云うまい。
何の道でも文化を継承すると云う事は大変なことです。

父子相伝とは。意味や解説。学問や技芸などの奥義を、
父から子だけに伝えていくこと。

決して壊してはいけない。

忘れたく無い、忘れてはいけない 人がいる (8576)
日時:2017年12月27日 (水) 22時28分
名前:中仙堂

いままで、多くの映画を観て来ました。一端気取り
最早日本のアニメなど…
と、たかをくくって居ました。
保育関連の仕事故、
子らと一緒に観賞していると、
由紀さおりさんの、
澄んだ歌声に、
思わず感激している自分に、
気付きました。
映画の歌で感激しましたのは
何十年ぶりでしょうか。
アニメそのものは
コメントは控えます。

映画ドラえもん主題歌
「この星のどこかで」

https://www.youtube.com/watch?v=aseRxhaYTBk

この歳まで
実に多くの方を、
送らさせて頂きましたが
忘れたくは有りません。
想い出の人々 
彼 彼女達も
けっして
忘れて欲しくは無いだろう。



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