《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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徳久克己先生の「神癒の根本原理」より (8192)
日時:2017年11月21日 (火) 18時29分
名前:下総の野人

徳久克己先生〈「練成会」に於ける“神癒の根本原理”〉(『神性開発―「練成会」発祥の地・飛田給』、生長の家本部練成道場編、日本教文社、平成13年)より抜粋

“心の影”だということがいくら解っていても、この心をどう支配するかということがわからなかったら、それを知ることが、かえって苦しみの種になるということを先生はお書きになっておられるのです。吾々が練成会をしても横の真理ばかり言っていると、聞いた人は、かえってくたびれて帰るわけで、私も最初、これだけ教えられたときは、生長の家をやめようと思ったことが、何遍もありました。普通、病気になるのは、黴菌が入りこんだのだから、黴菌が悪いと思いますね。ところが横の真理からみれば、病気になるのは“心の影”でしょう。自動車にぶつかってもこちらの“心の影”なのです。向こうが悪いと思ったら心が楽になるのに、火事に遭うのは“心の影”ですし、災害にあうのも、そこにいったからいけないということになる。そうなると自分が苦しくなります。

ですから、生長の家の練成道場でそれだけを教えていたら大変なことになります。それで人を救ったと思っていたら、かえって相手を苦しませてしまうことになりかねません。私もこれを知らなかったから、最初はこればかり言っていました。精神分析の方面でも“心の影”ということを言っていて、心が変われば運命が変わると言っているわけですから、そこで止まっていてはいけないのです。(76頁)

練成会において、一つの段階として、「ありがとう、ありがとう、と言っていれば、それでいいのだ」と、最初の人はそのように指導してあげていいのですが、そこから段々と引き上げなくてはなりません。(79頁)

心がありがたいと思っているときに現れる仏だとか、感謝しているときのうまくいっている状態とか、そんなものだけでは本当のものを摑んでいないのですよ。心がどうあろうと、永遠に変わらない生命を吾々は摑んでゆく、そこまでいかなければ本物ではありません。(80頁)

「無より一切を生ず」―これは大変な言葉なのです。これが無限供給の根本的な原理です。ここから、生長の家が始まっているわけです。この「現象無し」、「肉体無し」ということが、まずわからないと、神癒もへったくれもありませんね。しかも「有る」とか「無い」とかというものを、通り越したものでなくてはいけないのです。(82-83頁)

「生長の家」に入って初めて仏になったのではないのです。ここがわからないといけません。この考え方がはっきりしないと練成会にきた人を差別するのです。「みんな神の子である」ということも、そこまで解ってこないと練成会は指導できないのです。(89頁)

「生命の実相の自性円満」と書いてあるそのふりがなを見てください。「そのままでえんまんなこと」と書いてありますね。皆さんの「生命の実相」はそのままで円満なのですから、生長の家に来てから円満になったのでもありません。皆さんが生まれる前から円満なのです。(89頁)

“神癒”とは、生命の実相のそのままで円満なことに気が付いたら神様の力が働いて神癒となりますから、皆さんが気が付けばいいのです。これを気付かすのが練成会の神癒です。(90頁)

一番大事なことは、生命の本当の相(すがた)がそのまま円満なことを、自覚させるのが、私たちの仕事だということを覚えておけばいいわけです。(90頁)

「病気はない」と言えないということは、「病気はある」と思っているから言えないのです。谷口雅春先生が無いと言っているのに、弟子が有ると言っていいわけがありません。(95頁)

先生が「無い」と云っておられるのですから、弟子が「無い」と言わなければ、弟子ではないのです。そこまで行かないと生長の家は広まりません。私たちはもっと「無い」を言いましょう。谷口雅春先生のお悟りなのですから、吾々も信じて実行しなければなりません。(96頁)

現象は心の影だというのは、現象はないから心の影なのです。「現象は無い」ということと「心の影」というのは一つの真理であるのです。(97頁)

この「病気はない」ということは大変素晴らしい真理なのです。それはどこから来るかといいますと、「物質はない」という真理からです。これが元で、ここから「肉体もない、病気もない、現象もない、心もない」ということがきているのです。「物質がない」ということが、もし解らなかったら、信じたらいいのです。わかろうと思うと大変なのです。考える必要はないので、谷口先生が「ない」といわれるのだからないのだ―これでいいと思います。(104頁)

皆さんもあっさりそうしたらいいのです。病人のところに行って、「谷口先生が病気はないと言われるから無いのだ」といったらいいのです。生長の家の講師なら「先生の言っておられることを信じます」と言っても、恥ずかしいことはないではありませんか。恥ずかしい人は、講師を辞めたらいいのです。教えをひろめて行くのに邪魔になります。

根本的な問題は、先生の言われることを信じない人が中心に座ったら、とんでもないことになるということです。(105頁)

「神様は、絶対、悪いものをお造りにならない」と、根本的に、神を信ずることが最高の善業になるのです。このことを吾々も信じ、人にも教えていく、それが神癒につながっていくことになります。神が病気を造ったという考えを持っていたり、神様が罰を当てるとか、神様が人間を苦しめると思っていては駄目です。今までの信仰が間違っているのは、それがあったからです。(115頁)

谷口雅春先生のお話を聞き、吾々の話と先生の話は、どこが違うかということを、私は一所懸命勉強しました。どこにあるかというと、結局、先生の話を聞いていると解放されるのです。あれしたらいかん、これしたらいかんということは一つもないのです。禁止がないのです。こうしたら善くなるという話ばかりなのです。皆さんも話をするときは、気をつけて下さい。(120頁)

吾々自身が、僕もですが、絶対気をつけて、消極的なことを言わないようにしているのです。プラスのことを言うのです。聞いていて気持ち良くなるような、明るい話をしてゆかねばなりません。自分が人をよくしようと思ったら大変です。「神様が善くしてくださるのだから、生長の家の神が、来た方を救ってくださるのだ」ということを、皆さんが言ったらいいのです。(120頁)

谷口先生は、「病気をしながら、したことのない自分を自覚する事だ」と言われています。悪いものをよくしようという考え方をやめてしまうことです。悪いものは無いのだと消していったところに、本当のものが出て来るのです。(127頁)

皆さん、今どんなことが起こっていようとも、そんなことは無いのです、素晴らしいですよ。

谷口先生はこうも言われました。「顔が汚れたという人がありますね。あれは顔が汚れたのではなく、ゴミが汚れているのです。顔がもし汚れていたら、拭いても取れるはずがない」と、こう言われました。悪が善になるのではなく、もともと善なのです。(128頁)

谷口雅春先生が言われた「病気が無い」と言うことが、もし嘘であったら、病気はないというこの真理で、これだけ多くの体験が出ているはずがないのです。

病気はないということがもし間違いだったら、生長の家はつぶれているわけです。堂々と言わなければいけません。無いということを、実際に実現して行かねばなりません。それが神癒につながっていくのです。(132頁)

谷口先生は、或るところでこう書いておられます。「心が変わって病気が治るのは、医者の薬を貰って病気がな治るのと同じ事だ」と。それは一つの現象的な心というもの、心・仏・衆生、三無差別の状態になるわけです。神癒をもたらすためには、「闇はないのだ。病気は無いのだ」をしっかり徹底して、これからの練成会を発展させ、多くの人を幸せにして頂きたいと心からお祈りします。ありがとうございました。(132-133頁)

公的財産 (8193)
日時:2017年11月21日 (火) 19時12分
名前:中仙堂

徳久先生 
お懐かしゅうございます。
青年会時代拝聴しました。


http://dainihon.sakura.ne.jp/tokuhisa/

或る伝から 徳久先生のデータを頂き、
公的財産と存知アップさせて頂きました。

下総の野人さま 有難うございます (8199)
日時:2017年11月22日 (水) 13時44分
名前:コスモス


 合掌 有難うございます。

 谷口雅春先生がお生まれになられた素晴らしい日に、先生がお教えくださいました尊い真理の根本を書いて下さり、有難うございます。

 初心に還って、人をも吾をも素晴らしい神の子であることを深く信じ、日々明るく精進して参りたいと存じます。有難うございます。


 中仙堂さま 

 貴重なデータをアップして下さり、有難うございます。感謝申し上げます。再拝


合掌 (8202)
日時:2017年11月22日 (水) 19時30分
名前:中仙堂

命を育む教育へ!

http://www33.tok2.com/home/kankyou/kamasensei.html

生長の家を通して教育界に生命の教育の足跡を残されました。

11月23日 (8204)
日時:2017年11月23日 (木) 06時28分
名前:下総の野人

読売歌壇に次のような歌が載っていました(『読売新聞』平成25年〈2013〉11月12日朝刊)。
  
忘れないことに勝れる供養なし秋深まれば一葉忌(いちようき)来る(鹿児島市 地原陽子)

「一葉忌」とは五千円札の顔になっておられる樋口一葉さんのご命日のこと。ちょうど11月23日に当たります。毎年この日、ゆかりのあった東京は文京区本郷の法真寺で偲ぶ会が催されているそうです。上の句はまったくその通りですね。「忘れないことが何よりの供養」であると。本当にそうだなぁと思います。

さて、11月23日といえば「勤労感謝の日」という祝日ですが、この日はかつては「新嘗祭(にいなめさい)」という文字通り【祭】日でした。新嘗祭(にいなめさい)とは簡単にいうと秋の実りに感謝する「収穫感謝祭」です。宮中をはじめ全国の神社で斎行(さいこう)されています。 
ここでは宮中で天皇陛下がなされている新嘗祭(にいなめさい)を少しご紹介してみましょう。
 
天皇陛下がお出ましになる皇室祭祀は30を超えるそうですが、その中で最も重要とされるのが「新嘗祭(にいなめさい)」です。陛下がその年にとれたお米などを皇祖神・天照大御神をはじめとする神々にお供えし、自らも食されます。その祭儀は2回に分けて行われます。

「夕(よい)の儀」午後6時から8時  「暁(あかつき)の儀」午後11時から午前1時 
 
陛下は全身を清める潔斎(けっさい)のあと、特別な祭服を着され、祭場である神嘉殿(しんかでん)に進まれます。水にて手を清められたあと、伊勢の神宮の方角に設けられた神座(しんざ)に準備された、「新米のご飯、粟のご飯、酒、刺身のように調理された鮮魚(タイ、アワビ、サケなど)、干した魚(タイ、アワビ、カツオなど)、野菜、クリやナツメなどの果実、塩、水など」を自らひと品ずつお供えされます。竹製の箸で器に盛り付けていかれます。約1時間半もかかるそうです。続いて拝礼され、「お告げ文」という一般でいう祝詞(のりと)を奏上されます。本年の収穫への感謝と来年の豊作などを祈られます。その後、自らもご飯やお酒を召し上がられます。

それぞれ約2時間、2回とも同じ祭儀が行われます。夜の冷気せまり、明かりといえば灯火だけのなか、長時間正座をして行われます。(但し近年はご高齢のため、短縮や簡略化がなされているそうです。)

新嘗祭(にいなめさい)はこのように「収穫祭」ですが、対象となる「神」というのが「祖先神」であるという意味では、「先祖祭」ともいえるのではいかと思います。

日本の文化には「自然」と「先祖」の恵みへの感謝という色彩の濃いものが多いですね。というより殆どがそうだといえます。変わらざる日本文化の中心であります。(新嘗祭については、山本雅人『天皇陛下の全仕事』講談社現代新書による)


《参考》 以下は、一昨年の新嘗祭に参列された際の河野太郎(現外相)氏の報告文。

衆議院議員 河野太郎ブログより(2015.11.25)

新嘗祭神嘉殿の儀に参列いたしました。
まず夕の儀。
参集所に夜七時ごろ参集します。
寒いと聞いていたので、モーニングの下にヒートテックの上下と靴下を二枚ずつ重ねてはいて、さらに貼るホカロンを腰に張り付け、モーニングの上にはマフラーと外套という格好です。
外套は、黒色又は地味な色、マフラーは白色又は地味な色。毛皮は避けること。
七時十八分に、総理を先頭に閣僚は年齢順に並び、ろうそくがともされた提灯に導かれて参進します。
総理を先頭に三権の長、閣僚、最高裁判事などが幄舎に着床(椅子に座る)します。
幄舎は、屋根と後ろの壁はありますが、前は大きく開いていて、風が吹き込みます。運が良いとストーブの近くになります。
神殿と幄舎に囲まれた広場では、四か所ほどで穴が掘られ、たき火がたかれています。
たき火の光と提灯の光のみです。雅楽が奏でられています。
秋篠宮殿下が参進され、幄舎に着床されます。
天皇陛下が出御され、皇太子殿下も続いて参進されているはずですが、神殿には白い薄い幕が張られ、まったくわかりません。
天皇は神饌を御親供になり、御拝礼の上、御告文を奏せられているはずです。
我々は秋篠宮殿下が参進される際に起立し、その後、着床、さらにまた、長い時間起立し、着床、もう一度起立し、着床。
その後、総理を先頭に一人ずつ神殿に拝礼。神殿の前の真菰(ござのようなもの)の前で一礼し、真菰にのって拝礼、そこから降りて一礼して退下。八時二十二分
参集所で直会。
直会の献立は
雑汁 
合鴨 八ッ頭芋 大根 干椎茸 焼豆腐 人参
作り身 
鮃重ね作り 烏賊細作り 桂大根 花人参 防風 紅蓼 山葵
加薬飯
鰻蒲焼 干椎茸 錦糸玉子
漬物
奈良漬瓜 浅漬大根
白酒(しろき)
黒酒(くろき)
温酒
直会お開き、八時五十分
白酒と黒酒はかわらけの杯に入れて出されます。味は酸っぱく、どろっとしています。甘酒の酸っぱいもののような。黒酒も言われてみると灰色がかっているような気がするという程度で、黒いとは思いません。
(写真省略)
左が白酒(しろき)、右が黒酒(くろき)
この白酒(しろき)、黒酒(くろき)は、各都道府県の精農家からの献穀をもって謹醸され、行われたばかりの新嘗祭(にいなめのまつり)に供進されたものです。
天皇陛下も御告文の奏上が終わると新穀(米御飯・栗御飯)と新酒(白酒・黒酒)を神々と対座されて召し上がられますが、これも直会と称するそうです。
初穂をお供えし、それを多くの人に分かち、直会を共にすることはいにしえの新嘗祭の豊明節会(とよのあかりのせちえ)と同一のご趣旨と拝察されます。
新嘗祭には天皇陛下と皇太子殿下が純白の祭服で参列され、秋篠宮殿下はモーニングで幄舎に着床されますが、皇后陛下、皇太子妃殿下、妃殿下方は参列されません。
直会終了後、一度議員宿舎に戻り、夜中の十二時少し前に再び、暁の儀に参列するために参集所に参集します。
暁の儀
夜十一時過ぎに参集所に参集します。
服装は同じです。
十一時二十分ごろに参進し、幄舎に着床します。
秋篠宮殿下が参進され、幄舎に着床されます。
今年は、天皇陛下は出御されず、神殿で皇太子殿下が拝礼されました。
その後、秋篠宮殿下が真菰で拝礼され、退下されると、我々が同じように拝礼し、退下します。
天皇陛下が出御されなかったため、今年の暁の儀は短い時間で終わりました。
その後、参集所で直会になります。
暁の儀の直会の献立は
鴨雑煮
合鴨 小餅 芹
酢の物
菠薐草菊花巻 柚子醤油
温物
風呂吹大根 海老曽保呂掛け
温酒
零時五十分に退出。



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