疑問が生まれないのは寧ろ、驚異であり (7883) |
- 日時:2017年10月16日 (月) 09時24分
名前:中仙堂
大切なのは、 疑問を持ち続けることだ。 神聖な好奇心を失ってはならない。 アインシュタイン 物事の根拠を「なぜ」と繰り返し問い続けることでやがて現れる問いであることから「究極のなぜの問い(The Ultimate Why Question)」、またはより簡潔に「究極の問い」とも呼ばれる[1]。解答することが著しく困難であることから「存在の謎」(The riddle of existence)とも言われる[2]。存在に関する問いであることから「存在への問い(The question of being)」とも言う。哲学者たちはこの問いを、あらゆる問いの中でもっとも根源的な問い・第一の問いであるとしばしば言う。同時に混乱を呼ぶ悪名高き問い、解答不可能な奇問、愚かな問い、問うてはいけない問い、また問うことが危険な問いである[3][4]、などとも言われる。 何故は人間に天与された究極のツールだと思う。 その疑問符の為に人間は苦しみ、天啓を受けた。 何故は人間にのみ許された目に見えない、宝だと思う。其れ故に光明思想も生まれ、生命の實相も出現したと思われる。 昨今の教団の崩壊に対して、疑問が生まれないのは寧ろ、驚異であり、危機すら覚える。
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