《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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イエス・キリストをもって私生児∴オいする総裁は、『生命の實相』が少しも判ってはいない! (7351)
日時:2017年08月14日 (月) 15時10分
名前:破邪顕正

表題は、「しろうさぎ」さんの投稿 (7346)を読んで、強く強く感じたことです。

本来ならば、その子記事として書いても好かったのですが、事の重大性に鑑み、敢えて、親記事として投稿させていただくことにいたしました。

「しろうさぎ」さんの今回の投稿もまた、目覚まし時計≠フ使命を充分に果たし得ていると感心いたしました。

総裁は何かオカシイ!

みんな何となく、そう思ってはいるのですが、それがどこかと問われるとなかなか俄には答えられない。

「此処です!」とハッキリとは言い切れない、明示し得ない、そんなもどかしさを多くの人が感じているのではないでしょうか。

その点、「しろうさぎ」さんは、しっかりと講習会等での総裁の講話をメモにして取っていますので、説得力が全然、違います。

今回の投稿では、ここが実に秀逸であり、衝撃的でした。


>総裁は講習会で、キリストについて「聖母マリアは処女懐妊であると言われていますが、科学的にどう考えても処女懐妊などできるはずない。

これは、キリストの父親である人の子を身籠った、いわゆる、私生児ということです。<


この箇所だけでも、総裁という人が以下に宗教的センスのない人か。

ハッキリと分かるのではないでしょうか。

というよりかは、総裁はそもそも『生命の實相』を拝読してはいない?!

よし、拝読していたとしても、真面目に、真剣に読んではいないと感じました。

だって、この箇所について、『生命の實相』第39巻「仏教篇」(128〜129頁)には、こう記されているのですから。


《五官の眼で見れば、地球に生じた黴の一種にすぎない人間が、般若の智慧で見れば、神仏のままの法身である。

これをキリストは「人あらたに生まれる」と言われたのです。

法身とは真理の身体である。

キリストが言われた「吾は生命なり真理なり道なり」である。

現実人間は、一方に滅すべき「肉」なりとの妄覚と、久遠不滅法身なりとの内在自覚との、二つの「覚り」の間に彷徨するところの鵺的存在である。

肉より生じたという妄覚を打破してしまわないかぎりは、生命内在必然の要請が満足しない。

この内的必然の要請を満足せしむるものが、仏教では釈迦が摩耶夫人の右脇に懐妊したとの神話であり、キリスト教ではマリアの処女懐妊の神話である。

それは人間は「肉より生まれたる肉」にあらずとの自覚の転換である。

キリスト曰く、「肉より生まるるものは肉なり、霊より生まるる者のみ霊なり。」

この自覚に生まれかわるとともにいっさいの物質としての肉体に付随するところの苦厄が解放されるのであります。》


少なくとも、「生長の家総裁」であれば、「科学的にどう考えても」みたいなバカなことは言わないし、また言うべきでもありません。

だって、「科学的にどう考えても」という立場に立てば、「人間は未だかつて女性の子宮から生まれたことはない」(『前掲書』131頁)という真理も成り立たないし、天孫降臨という神話も有り得ない、そういうことになってしまわざるをえないからです。

つまり、「科学的にどう考えても」というのでは(ザックリ言ってそれは唯物論に他なりませんが)、『生命の實相』すらもが否定されるべき対象となってしまうのです。

教団との著作権裁判において、なぜ、教団があれほどまでに『生命の實相』等の著作権に拘泥するのか、最初はなかなか判然としませんでしたが、著作権とは絶版にできる権利にほかならない≠ニいうことがわかったとき、それがストンと腑に落ちたのでした。

『生命の實相』等の著作権が教団にあるということになれば、教団はいずれ『生命の實相』を絶版に処したに違いありません。

そのときに持ち出されるのが「科学的にどう考えても」ということではなかったかと思うのです。

科学的に考えると、『生命の實相』のこの箇所はオカシイ。

そういうことで、どんどん『生命の實相』が消されていきかねなかった、ということです。

今回の投稿で、改めて痛感せしめられたことは何であったか?

果たして、宗教的な悟りというものは、血筋∞血脈≠ノよって継承し得るものなのかどうか。

重大な問題が提起されているように感じた次第です。

イエス様をもって私生児∴オいするような人が、如何に創始者の孫とは言え、法燈継承者であっていいのか、今、根本的な問題が私どもに突きつけられているということです。



「凡庸の総裁」は一体何様なのでしょう? (7352)
日時:2017年08月14日 (月) 15時32分
名前:そーれ!!

造化の三神の祭祀で、日本の神道を人間智によって書き換えてしまった「凡庸の総裁」。

そしてキリスト教にまでも殴り込みをかけた「凡庸の総裁」。

私はこれまで、雅宣総裁を、宗教音痴と書いて来ました。ですがその実態は、単なる
宗教音痴なんかではない。宗教に挑む、哀れな”唯物論者”そのものだったのです。

そう言えば、思い付きで始めた イスラーム は一体何処へ行ったのでしょうね。

私には「凡庸の総裁」が、バビルの塔とだぶって見えて仕方ありません。

何れご本人も気ずかれる日が来るとは思いますが、出来れば今生で気ずいて
いただきたいものです。

聖典・聖経を守り抜いた 生長の家社会事業団 に、感謝!!であります。

質問 (7353)
日時:2017年08月14日 (月) 16時17分
名前:やめ講師13年目

貴方にとって宗教的な悟りを得た生長の家総裁とは・・・

例えば、創始者の家系以外では誰を想定あるいは指名するのですか。貴方が悟りを得ているのなら立候補しますか。

外部に出た人では、教規も変えられませんし、選挙の資格もありませんが、どうするおつもりですか。

法燈継承を人に求めること自体が間違いだったのではないかと思いますがいかがですか。

法燈はすでに明確に『生命の實相』にありーー
 イエスも釈迦も自分で文章を残していない、ゆえに正しく伝える人がいる。谷口雅春先生は明確に文章として悟りを示されている。ゆえに法燈継承者を指名する必要は無かったのです。

だから清超先生は何も示されなかったと私は解釈しています。

教団組織の運営後継者として総裁候補として指名されたのが副総裁と単純に考えずに法燈継承という仏教概念を持ち出したところが誤りだったんでしょうね。
まあ、あの当時の理事や教化部長のすべての人に責任があると思う。それを是としたのだから

そして、総裁の権限の拡大がさらに悲劇を呼んだ

今さら、外部からとやかく言っても後の祭り、何も変わらないんですよ。それでも創始者の家系批判を続けますか破邪さん。
それとも生長の家の教規を改正する権限や力がありますか貴方に

「不適格者を総裁にしてしまった生長の家」という事実を突きつけられているだけで家系の問題ではないでしょう。


何なのでしょうね一体。 (7355)
日時:2017年08月14日 (月) 17時46分
名前:そーれ!!


私は法脈派です。破邪さんも多分そうだと思います。

外に出て?? 現象界の生長の家教団は腐りました。

あなたも外に出たのではありませんか?

現象界の 生長の家教団に、何の未練もありません。

私の好きなのは、天皇様・日本國・谷口雅春先生です。

何も言わない教化部長と冬眠し続ける信徒たちが総裁の独裁を後押しするのでしょうね! (7359)
日時:2017年08月14日 (月) 22時59分
名前:しろうさぎ

「破邪顕正」さまに、《マリアさまの処女懐妊は科学的にあり得ない。イエスさまは私生児であった》
という、総裁のとんでもない解釈が、どれほど教義と異なるかを『生命の實相』から引用し、詳しくご指導いただき、感謝申し上げます。

このご投稿は教化部長の皆さん方にも、読んで勉強していただきたいと痛感いたしました。

総裁の「イエスキリストは私生児だった」発言に、私は一瞬目眩がしました。
心ある信徒さんも、
「何を言い出されるの!?唯物論が服着て講習会に来てる」
と言って憤慨していました。

しかしながら…教区の責任者である、教化部長が「見ざる、言わざる、聞かざる」もお猿さんになってしまってるんです。

「マリアさまの処女懐妊は科学的根拠がなく、キリストは私生児だった…なんて、総裁のおっしゃってることは間違ってますよね!!?」

そう詰め寄っても、
「私に聞かれても困るので、総裁先生に直接聞いてください」
と、逃げるんです。

また、教区の幹部たちに聞いても
「居眠りしてたので聞いてなかった」

「確かにそんなこと言われたね。だいたい総裁の言われることは、おかしいので、いちいち数え上げて反論してもきりがない」

「あの人は唯物論なので、そういう解釈しかできないんでしょう」

「総裁の言うことに、いちいち反応してたら身がもたないから、しろうさぎさんも、そんなに目くじらたてずに、総裁の寝言…くらいに流したらいい」

そういう言葉が帰って来るのです。
教化部長は、下手なこと言うと、左遷人事が待ち受けているので、信徒の真面目な質問にも答えないのでしょうが、これでは職務放棄です。

問題は信徒さんです。完全に冬眠してしまっているようです。
『次の春が来るまでの辛抱だ』って。

この時の講習会に参加なさっていた方の中に、ミッション系の学校を卒業したという女性がいて、総裁のこの「キリストは私生児」発言には、かなり怒り心頭でした。







宗教者にあるまじき一言 (7361)
日時:2017年08月15日 (火) 00時26分
名前:中仙堂

教団のトツプともあろう方が、
要らぬ失言をして、
万教帰一のみ教えを、
世界中のキリスト教徒を
敵に回したと思われても
宜しいのではないでしょうか!
宗教を現総裁が如何に軽視しているかです。

傲慢では (7362)
日時:2017年08月15日 (火) 01時02分
名前:中仙堂

教団のトツプは、教義の発信者で有ると共に、教団の立場も常に
発言に際しては 
考えなければならないと
思います。
自らも万教帰一の教えを、
継承していると云うなら、
発言の責任は非常に重い、万教帰一を足元から、崩壊させて居る。
生長の家を、自ら宗教の百貨店に
貶めて居る。
何を言っても通されると、
世の中を見くびって居ますね。

「破邪顕正」さまの《7351》のご投稿を印刷してほしいとの依頼を受けました。 (7363)
日時:2017年08月15日 (火) 09時15分
名前:しろうさぎ

今朝早くに、教団の信徒さんから電話がかかってきました。

用件は、「破邪顕正さんの記事を印刷してくれないか?」
ということでした。

その人はインターネットはできないのですが、別の信徒さんから聞いて、
夜の明けるのを待って、私に確認されたのです。

マリアさまの処女懐妊は科学的根拠がなく、イエスキリストは私生児だったという、総裁の解釈についての問題点と、『生命の實相』を軽視される
この方が「生長の家」の総裁として法燈継承できるものなのか…

教団に残っている、心ある信徒たちと集まって今後のことについて話し合いをしたいと思う。
その際、参考にこの投稿の記事を使わせてもらいたい…」

という申し出です。
「目覚まし時計」のお役に立てているようですので、報われた思いです。

「破邪顕正」さま、印刷させていただいてもよろしいでしょうか!?


「しろうさぎ」さんへ (7364)
日時:2017年08月15日 (火) 09時50分
名前:破邪顕正


多用につき、用件のみにして失礼いたします。

今回の投稿に限らず、私は、常に《拡散希望》という題こそつけてはいませんが、少しでも心ある信徒の皆さまに目を覚まして欲しいという願いをもちつつ、投稿させていただいております。

ご活用いただくことはまさに本望であります。

拙稿が少しでもお役に立てればと願っております。

「しろうさぎ」さんの 、今回の新たな投稿(7359)により、講習会での総裁の発言は、決してデマではなかった。

他にも証人がいたということで事実≠ニして認定できたこと、これまた素晴らしいことであったと思っております。

心より感謝申し上げます。



「観世音菩薩讃歌」をこんなふうに解釈するなんて… (7368)
日時:2017年08月15日 (火) 18時05分
名前:破邪顕正


「しろうさぎ」さんの投稿 (7346)で、もう一つ、気になったのが、「観世音菩薩讃歌」に関してのこのくだりです。

>これは26年秋の総本山団参における、前総務の講話の中での一幕ですが、「観世音菩薩讃歌」の一部分を引用され、(観世音菩薩讃歌等、総裁ご夫妻の著書はすべて処分しましたので、手もとになく全文すべて正確に覚えておりませんが)

『幼児歩行途中に倒れたりとも悩み苦しまず…歩くことが自己の本性にして…幼児倒れても、再びよろこび失わざるは常に歩行している自己の実相を親の歩行の中に見て、自己が歩行できることを疑わざるなり…」

(講話記録ノートに書き留めているだけですので、讃歌に書かれている文字と比べて違うところがあるかもしれませんが…)

この部分を前総務は読み上げられて、「この幼児というのが、われわれ弟子である信徒です。

私たちが人生の歩行途上で困難なことに見舞われ、倒れたとしても、また、再びよろこんで立ち上がっていくんですよ!

ということを現総裁先生はお説きくださっているんです!

ですから皆さん、弟子として師の指し示す方向を、「ハイッ!」と言って一緒に向かせていただきましょうよ。

それが弟子の使命でしょう!?<


私も「しろうさぎ」さん同様に、この「観世音菩薩讃歌」を持っていませんので、「唐松模様」から引かせていただくことにします。

「しろうさぎ」さんが紹介している箇所は、おそらく、この部分でしょう。


《2012年5月30日 (水) 観世音菩薩讃歌 (3)

  愛

(略)

幼児、歩行途上で倒れたりとも
悩み苦しまず
次の歩行に喜びて挑むは、
歩くことが自己の本性にして、
本性の内在を疑わざるが故なり。
幼児倒れても喜び失わざるは、
すでに歩行している自己の実相を
親の歩行の中(うち)に見て、
自己が歩行できること疑わざるが故なり。》


幼児を弟子に見立てることによって、総裁を恰も自分たちの親の如き存在として崇め、盲目的にそれに従わせんとする下心、魂胆が余りにも見え見えです。

こういうのをゴマすり、太鼓持ち、ヨイショ解釈≠ニいうのではないでしょうか。

私にすれば、この場合、親といえば教え親≠オか考えられず、そしてそれは尊師・谷口雅春先生以外、誰も考えられはしません。

「キリストの父親である人の子を身籠った、いわゆる、私生児」

こんなことを公然と言って憚らない総裁の、その指し示す方向を、「ハイッ!」と言って一緒に向かせていただきましょう

そんなことをすれば、ますますオカシナ方向に、迷いの世界に、どんどん引っ張られていくばかりではありませんか?!

どうして、そんな簡単なことがわからないのでしょうか。

否!

私は、前総務は、そのことがよーく分かっていたと思うのです。

案外、本人も、心の奥底では、本当にその方向に向かって信徒を導いて行っていいのか、それで本当にいいのか?

内心、迷いに迷い続けていたのではないでしょうか。

その心の葛藤が前総務の心身をどんどん蝕んでいったのではないかと思われてなりません。

職員である以上、辞めるに辞められない様々な事情もあったでありましょう。

心中、察して余りあります。

ですから、教団から禄を食んでいる人は致し方ないとして、そうでない信徒さんは、「しろうさぎ」さんのように、一刻も早く、教団とは縁切りされたがいいのではないかと申し上げている次第です。



「質問(7353)」について質問 (7411)
日時:2017年08月21日 (月) 13時11分
名前:影法師

やめ講師13年目 殿
 よくぞ講師を辞めてくれました‼
貴殿のような宗教的知識や理解力でも深遠な唯神実相論を教化し教導されてきたとは、包容力の大きい組織だったのですねぇ。

 さて前文はここまでにして、貴殿の「質問(7353)
」について質問させてください。

@ 『法燈継承の真義』谷口清超(新編聖光録289ページ)を拝読されたことがありますか?

A そこには法燈継承の根本義、「嫡々相承」や「面授による継承」が詳述されていますがご理解いただけますか?

B 貴殿が《法燈継承を人に求めること自体が間違いだった。》と破邪顕正どのを糾弾されていますが、Aにより貴殿の論理が破綻していることは明白です。貴殿はこれを自認し、自省されますか?

C 貴殿が宗教の根幹である「法燈継承」問題を《創始者の家系問題》にすり替え、矮小化しようとされている意図は何があるのですか?

以上4点について、明快な御見解をお待ちいたします。
PS:やめ講師殿の13年目の夏が充実した夏でありますように・・・。

雅宣さん、憎し? (7416)
日時:2017年08月22日 (火) 10時43分
名前:本音の時代

>総裁は講習会で、キリストについて「聖母マリアは処女懐妊であると言われていますが、科学的にどう考えても処女懐妊などできるはずない。

これは、キリストの父親である人の子を身籠った、いわゆる、私生児ということです。<

生物としては、間違いなくまっとうな話です。
雅宣さんは、イエスの神聖性を否定しているのでしょうか?
一部の言葉だけを取り上げて、宗教的センス云々を語り、反雅宣さんに利用するのはいかがなものでしょうか?

老子の言葉 (7428)
日時:2017年08月23日 (水) 00時20分
名前:やめ講師13年目

参考記事:老子の言葉 第八章「水の様な生き方は最強です」

「老子の人生論」第八章

・ コノ世で最高の生き方とは、水のように生きることです。

・ 人の心が病むのは、自分の心を高い位置に置くからです。

・ 流れる水のように自分の心を下方へと流し、自分の心を低い位置に集めて置けば、そこに深みが出て心が安定します。まさに水のようにです。

・ 自分の心を低い下から目線に置けば、他人から罵倒されても、「そうだね」と明るく言って誰とも争うことに成りません。 

・ 水を四角の容器に入れれば、水は四角に成ります。
水を丸い容器に入れれば、水は丸の形に成り切ります。
水は、どこでも順応し、周囲に合わせて馴染みます。
自分の心も成り切る順応性が有れば、どこに居ても天国です。
ストレスを感じることがありません。

・ 低い位置に流れようとする水は、どんな山でも崩すことも出来ます。
つまり、自分の心を低く置いて、周囲に合わせることが出来る人。
こういう人こそは、本当に強い人なのです。

更に、その強さに愛情や情け心も備わっていれば、その人は周囲からすべてを信頼されます。
心を低く保ちながら、逆にその人の環境は最高へと自然と持ち上げられます。

愚問賢答ですか!? (7431)
日時:2017年08月23日 (水) 11時22分
名前:影法師

やめ講師13年目 殿

先に貴殿へ質問(7411)をさせていただきましたが、「老子の言葉」(7428)なる水五徳の一片をもってご賢答!?いただき感謝します。
予測どおり、貴殿が講師を辞められたのは賢明なる選択であったと確信しました。

 破邪顕正 殿の寄稿に対する“アラシ”に過ぎないと判断しました。これ以上、人生の貴重な一瞬を費やしたくはありませんので・・・、
「やめ講師13年目」殿、おさらばえ。



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