《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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いいお話のお裾分け (7278)
日時:2017年08月07日 (月) 09時12分
名前:破邪顕正


ある方から、ちょっといいお話を伺いましたので、皆さんに、そのお裾分けをさせていただきます。

この方のお母さん、ご生前、よくこういう話しをされていたそうなんです。

《親指は、他の四本の指とすべてつながることができる。

親と子とは、そういう関係になっているという象徴だ。

しかし、その親指がなくなったらどうか。

他の指と指とはなかなかつながりにくい。

親が亡くなってしまうと、子供同士の関係がギクシャクしてしまうのはそういうことだ。

だから、親が亡くなってしまっても、その親とつながっていると思って、子供同士、仲良くしていって欲しい。

それが母さんの願いだよ。》

私にも母親がいます。

だから、母親の顔を見に実家にも寄らせていただいておりますが、もし、その母親が亡くなれば…。

何となく、実家が縁遠くなってしまうような気もいたします。

なるほど、実家への足が遠のけば、それにつれ、兄弟間のつながりも希薄になりかねない。

だから、そういうことがないように、何回忌の御祭りとか、或いはお盆とかもあるのかもしれないなと思ったことでした。

亡き親やご先祖さまのことを思い出す、そんな時間を共に過ごすことができれば、兄弟も自然と仲良くなる、そんな気がしております。

掌を見ては、この方のお母さんの言葉を思い出すようにされては如何かと思った次第です。


螺旋状になっている二階から落ちた際、口をついて出た言葉は…? (7288)
日時:2017年08月08日 (火) 08時54分
名前:破邪顕正


表題の答え、皆さんは何だと思われますか?

普通は、「アッ!」ですね。

「アッ!」しか出ませんよ。

しかし、この方、何と「実相円満完全!実相円満完全!」を唱え続けたというのです。

よく、こういうことが言われます。

生長の家信徒で、煮えたぎっている薬缶に触ってしまったとき、思わず「アチッ!」というのは不合格。

咄嗟に「ありがとうございます!」というのが合格。

これで業が消えました、だから「ありがとうございます!」

二階から落ちるのも業が消えることですから、「ありがとうございます!」というのであれば、まだしも理解できます。

しかし、「実相円満完全!実相円満完全!」となれば、ちょっと話は違ってきます。

で、伺いました。

「どうして、咄嗟に、実相円満完全!実相円満完全!が出てきたのですか?」

その答えに、またまた驚きました。

「ずっと、四六時中、実相円満完全!実相円満完全!と唱えて生活しているからです。おかげさまで、何の傷も負いませんでした!」

なるほど、ずっとそれを唱えていれば、落ちるとき、その言葉が口をついて出たとしても決して不思議ではありません。

で、更に伺いました。

「どうして、そういうことをやろうと思ったのですか?」

その答えがまた実にスバラシイ!。

「娘夫婦に奇蹟が起きるようにと願って始めました。もう6年になります。」

6年にも及ぶ、実相円満誦行。

その結果が二階から落ちても無傷ですんだということなのでしょう。

しかし、功徳はそればかりではありませんでした。

この方、娘夫婦に奇蹟が起きるようにと願われて、この行を始められたたわけですが、その奇蹟とは一体、何を意味するのか。

普通は、様々な問題が解決するということをもって、奇蹟と言います。

しかし、この方にとっての奇蹟とは、そういうことではありませんでした。

「娘夫婦が、谷口雅春先生の教えに振り向いてくれること」

それだったのです。

谷口雅春先生の教えに振り向きさえすれば、どんな問題があろうとも乗り越えていくことができる。

だから、とにかく、谷口雅春先生の教えに振り向いてほしい。

それだけを願って、実相円満誦行を実践し続けてこられたのです。

そして、その奇蹟が見事に表れました。

娘夫婦が揃って、今年の「谷口雅春先生を学ぶ会」の全国大会に参加されたのです。

そればかりか、ご主人、これまで信仰とは無縁の世界で生きて来られたのに、全国大会に参加して涙を流して感動されたのです。

そこからは、まさに一瀉千里、どんどん善き事が集まって来て、夫婦大調和、家庭円満、素晴らしい“奇蹟”が生まれているのです。

谷口雅春先生の教えに振り向きさえすればいい!

この方の信仰の見事な勝利と言えるのではないでしょうか。


嫁・姑の問題に苦しんだ方の述懐に感激しました… (7296)
日時:2017年08月09日 (水) 09時22分
名前:破邪顕正


昔、「冬彦現象」というのがありました。

子離れできない姑が、嫁にとってどんなに大変か。

この嫁・姑の確執については、谷口輝子先生もずいぶんと悩まれたようです。

今回、ご紹介する方もそのお一人。

何でも、このお姑さん、ご主人の前では天使のように振る舞われる。

ところが、この方の前では豹変、信じられないような言葉で罵倒するというのです。

それをご主人に言うと、「おふくろがそんなキタナイ言葉遣いをするわけがない、ウソをつくな」。

まるで請け合ってもらえない。

あるとき、ご主人が「おふくろがつくってくれた、あの料理が食べたい」と言うので、その作り方をお姑さんに教えてもらおうとしたら、プンと首を横にされた。

「嫁なんかに教えてやるものか」というわけです。

しかし、それにめげないのが、この方の素晴らしいところ。

ある程度の見当をつけて「お母さん、調味料にはこれを使ったらいいのでしょうか?」

そうすると、お姑さんの目がちょっと目が動く。

その目の動き具合で、イエスかノーかを判断して、おふくろの味を再現したというのです。

これはホンの一例ですが、同様のようなご苦労がいろいろとあって、まさしく、聞くも涙、語るも涙の数々なのです。

で、ここからが大事なのですが、「その環境で、よく耐えてこられましたね」と申し上げたら、こんな答えが返ってきたのです。

《もし、私が普通の家庭に育っていたならば、とうの昔に離婚沙汰になっていてもおかしくはなかったと思います。

しかし、私の父親がスゴイ人で、癇癪を起こすと刃物を振り回すような人でした。

子供心に、父親の寝首を掻いて、此の世から葬り去った方が家族みんなの幸せになると思ったことすらありました。

そんな家庭で育ちましたから、お姑さんからどんな意地悪をされても、父親に比べたらまだマシ、そう思えたのです。

今、夫婦仲良しで、一緒に、「谷口雅春先生を学ぶ会」の活動をさせていただいて、本当に幸せです。

お姑さんのことも、今、こうして笑い話のように語ることができます。

それもこれも、刃物を振り回していた父親のおかげなのだと大変、感謝しているんですよ。》

この方のお話を伺って、人生、何が幸いするかわからない。

どんなに辛い過去も、乗り越えることができたら、みんな笑い話に変えることができる!

改めて、そう思ったことでした。

ご主人の最期を看取った方のお話… (7309)
日時:2017年08月10日 (木) 10時08分
名前:破邪顕正


ご主人の最期を真心込めてお世話された方のお話を伺いました。

当初、夜中に起こされたり、毎度の食事から下の世話まで、本当に大変だなと思ったことも再々だった。

悪いと思いつつも、ついつい感情が表に出て、声を荒げたりしたこともあった。

ところが、あるときから、自分の心持ちが変わった。

なぜ、苛立ったりしてしまうのか、それは死にきっていないからだ!

生長の家信徒行持要目の中にある「常に自我を死にきるべし」

これが心に響いたのだそうです。

そして、死にきるには、よろこびのエネルギーがいる!

今の環境をよろこんで受け切れていないからこそ、愚痴が出る。

「鉄は錆から身を滅ぼす、人は愚痴から身を滅ぼす、どちらも内から出る!」

そうだ、毎日、毎日を、この環境を受け容れて、それに感謝して、よろこんで生きよう。

させられているのではない、よろこんでさせていただく。

その気持ちでやっていこう。

そうしたら、ご主人が食べ物を吐いたり、或いは下の世話をしなくてはならないとき、サッと何の抵抗もなく、素手で受け止めることができた。

そういうことが素直にできたことを今はとても有り難く思っています。

そういう話でありました。

素手≠ニいうところが何ともスゴイことだと思いました。

見℃謔驕Aというのでは駄目で、やはり、ここは看℃謔驕Aでなければならない。

そうです、手がそのまま目になるから看≠ネのですね。

そして、この話を伺って思ったのが、与謝蕪村のこの句でした。

「菊作り 汝は菊の 奴(やっこ)かな」

奴とは下僕とか家来とかいう意味でしょう。

つまり、「菊作りに一所懸命に励んでいるお方よ、あなたはまるで菊の家来のようですな」という意味かと思います。

菊に仕える、だからこそいい菊が育つのです。

同様に、ご主人に真心で仕える。

そして、真心で仕えるには、やはり死にきらないとできないことではないでしょうか。

改めて、「常に自我を死にきるべし」の言葉の重みに心打たれた次第です。


アラハン≠フ時代に、こんな話がたくさん生まれたら… (7325)
日時:2017年08月12日 (土) 11時42分
名前:破邪顕正


1963年、100歳以上の人は153人でした。

100歳を迎えたら、純金の盃が祝い品として配られました。

それが今や、100歳以上は7万人。

100歳になっても、純金の盃はもらえない。

金メッキの盃がもらえればまだいい方。

そして、あと20年、2037年ともなれば、100歳以上は70万人を超えるのだとか。

そのときは、金メッキすらもらえない、金色のプラスチックの盃になっているやもしれませんね。

因みに、この100歳あたりの人をアラハン≠ニいうのだそうです。

40歳がアラフォー

50歳がアラフィフ

60歳がアラ還

70歳がアラ古希

80歳がアラ傘

90歳がアラ卒

そして100歳がアラハン(ドレッド)≠ニいうわけです。

このような超高齢化時代ともなれば、当然、認知症の問題が今以上に大きな問題になりそうです。

どうしても暗くなりそうな認知症の話題ですが、中にはこんな微笑ましい話もあります。

…その孫にとって、おじいちゃんはヒーローでした。

どんな質問をしてもちゃんと答えてくれるからです。

ところが、そのおじいちゃんが認知症になってしまいました。

大変なショックで、おばあちゃんにこう言いました。

「おばあちゃん。おじいちゃんが壊れてしまった。神様なんていないね!」

すると、おばあちゃんは、こう答えたのでした。

「神様はちゃんとおられますよ。そのうちに分かるからね」

おばあちゃんは、いつもニコニコと満面の笑みをたたえておじいちゃんのお世話をなさいました。

あるとき、おじいちゃんがこう言ったのでした。

「あなたは本当に素晴らしい。もし、あなたが独身ならば、私と結婚してほしい」

おばあちゃんは、それを聞いて、これまた笑顔でこう答えたのでした。

「私は独身です。しかし、結婚は、人生を決める重大な決断ですから、しばらく考える時間をいただけませんか?」

おばあちゃんは、それからも、ずっとずっと親身になっておじいちゃんの面倒を見られました。

そして、おじいちゃは、改めて、こう言ったのでした。

「今までの人生で、こんなに優しく接してもらったことは一度もありません。ぜひ、結婚してください。お願いします」

すると、おばあちゃは、満面の笑みをうかべて、「お受けします!」と答えたのでした。

その瞬間、おじいちゃんが、涙を流してこう言ったのです。

「今まで生きてきて、こんなに嬉しかったことはない。本当にありがとう」

そう言って、おばあちゃんの手を握ったのでした。

それを見て、その孫がこう言ったのです。

「おばあちゃん、神様はいたね」


地球「EARTH」の話 (7333)
日時:2017年08月13日 (日) 10時12分
名前:破邪顕正


ダウンタウンの松本人志さんがこんなことを言っています。

《地球のことをEARTHっていいますよね?

最初のEはEDEN大地です。

最後のHはHEAVEN天国です。

そして大地と天国をつなぐのが、ART芸術なんですよね。》

うまいことを言うなと思いました。

それに触発されて、「EARTH」の綴りから、こんなことを考えてみました。

まず、「EARTH」の「H」を先頭にもってきます。

すると、「HEART」となります。

地球には「HEART」がある!

このハートの大切さを力説しているのが、プロバスケットボールの初代王座に輝いた栃木ブレックス≠フ田伏勇太選手です。

日本人初のNBAプレイヤーで、身長は173p。

その彼が、2メートル選手がゴロゴロいる中で、なぜ、活躍できたのか。

彼は、身長の低さを武器にするしかないと、猛練習を重ねます。

そして、こう言うのです。

「身長や体は関係ない。大事なのはハートの大きさだ」

次に、「HEART」から「T」をとると「HEAR」(聞く)となります。

地球では、聞く≠アとが大事なのです。

胎児に将来、耳になる細胞ができ始めるのは、受精後6週目くらいからで、5か月に入ると、ほぼ大人と同じように聴覚を持ち、音に対して反応をするようになると言われます。

だから、妊娠中の母親の心理状態や聞く音などが胎児に影響を及ぼすのは間違いないことなのです。

胎教≠ヘ決して非科学的な話ではないのですね。

更に、「EARTH」から「H」を取って、「T」を最初にもってくると「TEAR」(涙)となります。

地球は「ハート」もあれば「涙」も流すのですね。

人は精神的ストレスを受けると、「コルチゾール」という副腎皮質ホルモンを分泌します。

涙は、この「コルチゾール」というストレス成分を低下させる作用があることが、科学的にもはっきりと証明されています。

ストレスの発散には「涙」を流すのがいいようです。

「涙」を流すと、ストレスからリセットできて、本来の自分を取り戻す≠アとができます。

だから、涙≠ヘ、さんずいに戻る≠ニ書くのでは?

ですから、感動して涙をながして泣く=A浄心行で泣く≠ニいうのは、精神的にも大変、いいことなのです。

泣いて泣いて、そこから再び立ち上がる。

だから泣く≠ニいう漢字は、さんずいに立つ≠ニ書くのでは?

「谷口雅春先生を学ぶ会」では、来る8月26日〜27日と、練成会を開催します。

講話に感動の涙を流し、浄心行で懺悔と感謝の涙を流し、大いにリフレッシュなさいませんか。

ご参加を心待ちにしております。


ここに、こんな会員さんが… (7366)
日時:2017年08月15日 (火) 17時27分
名前:破邪顕正


「虎は死して皮を遺し、人は死して名を遺す」

先月、105歳で天国に召された日野原重明先生もそういう方でありました。

それまで成人病≠ニ言われていたのを、今、生活習慣病≠ニいうようになりましたが、その名付け親としても知られています。

その日野原先生の言葉をいくつかご紹介します。

「年をとること自体が未知の世界に一歩ずつ足を踏み入れていくこと。こんなに楽しい冒険はない」

「死とは生き方の最後の挑戦!」

「創(はじ)めることを止めないかぎり、人は青年である。」

私どもの会員にも、すばらしい「青年」がおられます。

長年、学校の先生をされていて、今もなお矍鑠としていらっしゃる。

ただ、ご主人に先立たれてからというもの、何か心淋しい。

『理想世界』誌・昭和49年3月号「十三日のことば あなたが生き甲斐≠感ずるために」にこうあります。

《…甲斐というのは実相のかがやくひかり≠ニいう意味から出て来た言葉である。

…人間の本性は神霊≠ナあり、神霊≠フ本性は愛≠ナあるから、愛を実践して生きたとき、実相のかがやくひかりがあらわれたので、「生き甲斐」の実感が湧いて来るのである。》

で、この方は、何か愛を与える生き方をしよう、ということで、ちょうど、自宅が小学校の通学路に当たり、家の前をたくさんの小学生が通る。

だったら、この子供たちに朝の挨拶をしようと思い立った!

そうしたら、子供たちが、元気に、「おばあちゃん、おはよう」と言ってハイタッチしてくれるようになった。

それはとても嬉しいことでしたが、「おばあちゃん」というのがナンダカナア。

ということで、「おばあちゃん、じゃなくて、あーちゃんがいい」

これをとても子供たちが気に入って、「あーちゃん、おはよう」と言ってくれるようになった。

更に、この方は、ハイタッチして挨拶するだけでなくて、子供たちに「日本一、日本一」と讃嘆の声かけをするようにした。

ところが、子供たちは、こう言われると、首を横にふるというのです。

「自分なんか日本一じゃない」というわけです。

もう、小学生の段階で、既に劣等感というのでしょうか、自分はそんなに大したものではないという意識が芽生えてしまっているのですね。

また、別の会員さんで、劣等感に苦しむわが息子を「日本一、日本一」と言って育てて、今や大企業の重役までなっている方があります。

「何で日本一なの」と訝しがる息子に、この方はこう言ったそうです。

「あなたは日本に一人しかいないんだから、日本一でしょ」

よく、人間の根源的欲求には5つあると言われます。

@愛されたい

A認められたい

B褒められたい

Cお役に立ちたい

D自由でありたい

「日本一」

こう言われて、嬉しくない子供はいません。

「日本一」

この言葉が、もっともっとさきはう日本であってほしいと願わずにはいられません。




「谷口雅春先生を学ぶ会」の先祖供養・永代供養があって本当に良かった! (7626)
日時:2017年09月19日 (火) 10時04分
名前:破邪顕正


(その一)

「谷口雅春先生を学ぶ会」の会員さんのご子息がアメリカに留学。

お母さんとしては、正直、不安がなかったわけではなかった。

親御さんとしては、当然の思いでありましょう。

で、遠く離れたところにいても、ご先祖様のお護り、お導きをいただけるように…。

そしてまた勉学が進むようにと霊牌供養にも励んでおられた。

そんな矢先、ご子息から連絡があった。

それによると、下宿先の奥さんが日系人で、何かにつけ、精神的なお話をなさる。

その中で、突然、谷口雅春先生≠フ名が出て来た。

何と、その奥さんは、生長の家の信徒であったのです!

ご子息は、それにビックリ。

それというのも、留学する前に、お母さんが、何か心の支えになるものがあればいいと思って、ご子息を「谷口雅春先生を学ぶ会」の講演会に誘っていたのです。

まさか、アメリカで谷口雅春先生≠フ名を聞こうとは思ってもいなかった!

ご子息の感激もひとしおだったようです。

その悦びの連絡、報告を聞いて、お母さんも、それまでの不安が一遍に吹き飛んで、大安心になれましたと、これまた嬉しい報告をしてくださいました。

偶然はないと言います。

これも、先祖供養、霊牌供養のおかげではないかと思ったことでした。


(その二)

これまた「谷口雅春先生を学ぶ会」の会員の方のお話です。

お母さんの一周忌をすませた当たりから、夢に、ご両親が出てくるようになった。

ニコニコ笑顔ならば良かったのですが、もの悲しそうで、何かを訴えているような気がしてならない。

それが一度ならず、再々のことで、一体、両親は、何を私に訴えかけているのだろうと気になってしかたがなかった。

そんなときに、「真理を生きる」の安東巖先生のご文章が目に止まった。

ハッとしたのは、この箇所だった。

《先祖供養の霊牌は、生長の家の大神である「住吉大神」を正しくまつる所にお納めください。》

ご両親とも熱心な信徒で、長年、什一会員であったため、自動的に、宇治に永代供養されることになった。

両親は、そのことを嫌がっているのではないのか。

ずっと聖経「甘露の法雨」を読誦してきた両親にとっては、へんな「経本」を読まれることは耐え難い。

それを私に訴えかけてきているのではないのか。

そう思って、この方は、ご両親を「谷口雅春先生を学ぶ会」の永代供養でお祀りしてほしいと願い出られたのです。

この話を伺って、私は、改めて「谷口雅春先生を学ぶ会」で永代供養をさせて本当に良かったと思ったことでした!





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