《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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教えの先達の人となりを知りたい方のご参考に (6818)
日時:2017年06月30日 (金) 11時34分
名前:コスモス


 <愛国本流掲示板>より

  服部仁郎師 (17723)

日時:2017年06月30日 (金) 08時21分
名前:源流

「昭和初期に社会を驚嘆させた<悟り療法>」
https://blogs.yahoo.co.jp/bunbun19651116/10877895.html

徳島県立近代美術館
宗教者 服部仁郎
期間2007年7月21日(土)〜2007年10月8日(月)
展覧会名称美術の国徳島 1昭和の文展、帝展作家
http://www.art.tokushima-ec.ed.jp/srch/srch_art_detail.php?pno=5&no=5&no2=599


出展作品一覧
http://www.art.tokushima-ec.ed.jp/srch/srch_art_result2.php?pno=5&f1=599&f2=5


服部仁郎氏(はっとりにろうし)の肺炎三日で治る
https://blogs.yahoo.co.jp/kagayaki2365/37128093.html?__ysp=5pyN6YOo5LuB6YOO


服部仁郎氏は、なぜ奇蹟と見えることを起こせたのか?
http://ameblo.jp/medakanotamagochan/entry-10685969497.html


『神経の新医学』服部仁郎著・
P.218−226、昭和14年版
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=415415&mode=res&log=202


服部氏に霊感が来たる
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=23


谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉  (6821)
日時:2017年06月30日 (金) 19時05分
名前:コスモス



       <愛国本流掲示板>より    



   谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉E - 夕刻版


  日時:2017年06月30日 (金) 18時51分
  名前:イイ千秋

 2017/01/13 (Fri) 18:58:25


《神想観から立つ“いのち”》


http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7167361


            

  *『生長の家』(40年新年号、福島正俊)より

元住吉神社の社前に坐して祈る時、いつも反省させられるのは、
自分にはまだまだ、力みがあることだ。 

人類光明化運動、 などと言って力んでしまっては、もう人はついてこられないのである。 

自然に、淡々として行じきってゆくところに偉大なる力があるのだ。 

それにはやはり 『神想観』 を行じなければならない。

力むのは相手の欠点をつかむからである。
 
相手の欠点をつかんで伝道をやっても、神の “いのち” はあらわれない。
 
伝道とは、人々を拝む行なのである。 

理窟をかなぐり捨てて相手の “いのち” を拝みきるのである。 
拝みきったとき、自分の “いのち” が相手に伝わって、
相手の “いのち” とピタリと一つになるのである。 

これが伝道である。

伝道は生命の礼拝の直接体験である。
 
伝道にたつと、理窟で人を拝もうなどと考えているのが、
かなぐり捨てさられるのである。 

だから伝道にたつと謙虚な心になるのである。 
そこがどうしても拝まなければならない場であるからだ。

職場において、本当に職場の人々の “いのち” を拝みきっているか。

本当に拝みきっているか、特に思想を異にする職場ではともすれば対立の心がおこりやすい。 

だからますます 『神想観』 が大切になってくるのである。

『神想観』 から立つ “いのち” になって始めて
周囲の人々に貴い御教えを納得させることができるのである。 
伝道は先ず職場から、家庭から始めなければならないのだ。 

徒らに法則によって人を批判してはならない。 
法則による批判は相対の世界にたつもので厳としていましむべきである。 

法則は “いのち” のあらわれんがための自壊する姿なのであって、軽々しく口にすべきものではない。 

あくまでもいついつまでも “いの”ち をみつめ、 
“いのち” のあらわれんことを祈る、これが 『神想観』 なのである。

この 『神想観』 を行じきってこそ祖国は救われるのである。 
祖国が救われる、とか祖国を救うなどの言葉自体がもう、相対の言葉である。

祖国の “いのち” を生きるのだ。
唯々生きぬいてゆくのだ。

これからは、いろいろなことが起る。 
祖国の内外にいろいろなことがおきてくる。 

この中で吾々は 『神想観』 の中から立つ “いのち” を
生きて生きて生きにてゆくより他に道はないのである。

光明化実践行動隊が結成されたが、この隊の根本は、何と言っても 
“いのちの自覚” 以外にはないのだ。 
“いのち” が自覚されたとき自然に行動となってあらわれているのである。

吾々は今、街頭伝道にたっている。 
それは止むに止まれぬ “いのち” の自覚からである。

今日一日、本当に 『神想観』 を生ききったか。 
『神想観』 を行ずるのではない。 
『神想観』 を生ききるのである。 

行するのはまだ手ぬるいのである。 
『生長の家大神』 よ、我れを導きたまえ。 
一日一日が真剣なる 『神想観』 だ。

   (http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/24592030.html より転写)

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・伝統・第一「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉 (100)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=59 


(2)光明掲示板・伝統・第一「伝道体験講話〜大熊良樹講師 (420)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=105


(3)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」A
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6458658


(4)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」B
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6582228


(5)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」C
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6691070

(6)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」D
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6819394

      <感謝合掌 平成29年1月13日 頓首再拝> 

吉田国太郎先生、他 (6833)
日時:2017年07月01日 (土) 12時29分
名前:コスモス



吉田国太郎先生について・・ (17726)
日時:2017年06月30日 (金) 21時55分
名前:太陽



吉田国太郎先生について・・


http://igaiganet.seesaa.net/article/125520602.html

2009年8月12日(曇り)吉田国太郎先生の事

今朝は嵐の跡の静けさ・・昨日の地震・台風雨の同時進行の激しさに打って変わり、そよとする風音さえなく、何もかもが静止したごとく、静かにたたずみ、実相がそのまま顕現する落ち着いた朝である・・

今朝は、早朝行事の後 お盆に備えてご先祖様の仏壇の掃除をさせて頂いた。毎日、お水を供え、お茶を供えているが、お掃除をさせて頂きながら、しみじみと先祖のご加護を感じる・・このご先祖あってわれ、この世に来たれり・・と、いただいた命をしっかりと今世に生き切って逝かねばなんのかいかあらん・・・と誓い、綺麗に掃除して聖経を上げさせていただいた・・魂のよりどころでもある仏壇の掃除が終えて、一層さわやかなる朝であった。

われは、いまもっとも輝かしき信仰と、朗らかな情緒とで満ち溢れているのである吾が想念は完全円満である。吾が信仰は確固不壊である。神とともに語り、神とともに歩む。それゆえ吾は吾を信じ、総てのものを信ずる。(本日の日々読誦)

生命の実相は完全真理であり、聖経も真理の真髄であり、神想観は神との直接対話であり一体感・・絶対真理との合体であり至宝、至玉の完全真理である。

そして、吉田国太郎先生の著書は、私の信仰生活のあり方、生き方、姿勢、向うべき方向、信仰の素晴らしさ、厳しさ、絶対者なる神の智慧、愛、生命、供給、喜び、調和、への絶対的信頼と確信と忠誠、宇宙への信頼、神の中に生まれ変わる信仰のバイブルである。その一言一句が私に語りかけてくださる。生きて直接肉声を頂くように、また神の声の如くにお示しくださる。

毎日何所を拝読しても、一言一句が何度拝読しても、何所を拝読しても光であり、新鮮な輝きであり、救いであり、実践であり、生命の実相を生き切った生命の真実であり、求道者の生き切った真理であり、深き信仰への姿勢と絶対把握、絶対確信から示される、信仰への永遠のバイブルである。

幾ら高くとも、深くとも、昨日と同じ自分がここに生きているようでは、そこには影が躍っているばかりで自分はいない。自分のいないところには平安も無い、神もない、日が経っても、生命の目覚めが前と同じ程度であるならば、そこに切実さが加えられてきていなかったならば、そこに自分は死んでいる・・
(常楽への道 P136)

観念によるうなずき、記憶世界など信仰には何の役にも立たぬ!意味も無い!と、さとされた朝!今、私は、この教えにひれ伏し、拝読しながら心から実感できる朝!日々新たに生まれる事が信仰の第一なりと教えられ、私は至福の喜びと永遠の求道を実感する・・・。まだまだ・・・

谷口雅春先生のお言葉に、吉田国太郎「常楽への道」は永遠の生命を語る宗教的天才の書として推薦すべきものだと思う」人類救済の使命感だけで生きているような人だ。

「あるとき私が、湯殿へ歯を磨こうと思って、湯殿のタイルの上にある駒下駄の上に足を下ろすと、タイルが濡れていたためにその駒下駄が、足を下ろした途端に滑って、私は湯殿のタイルの上に倒れてしたたか背骨と肘とを打ちつけたことがあります。そのとき「ひさや」と言う女中が私の家にいましたが、物音に驚いて飛び出して来て、私が倒れているのを見ると、目を丸くして「先生でも滑って転ぶんですか?」と不思議そうな顔をして、ただ倒れている私を眺めているだけでした。

・・そのときの事を吉田国太郎君に話したら、「先生は滑って転んでいても、滑って転んでなどいないことが解らないのかなあ」と語った事があります。これが「月」が曇っていているように見えても、「月」は曇っていない事を知る心境であります。

吉田国太郎君は今、この現象界にはいない。しかし、私はこう言ったときの吉田国太郎君を時々思い出すのである。同君は本当に「実相」を悟っていたのである。

あの生長の家入信前、一方の腎臓を摘出して、現象的には一方しか残っていない その腎臓がすでに結核におかされて、たびたび血尿で尿道が凝結閉鎖するような苦しみの中で、しかも両肺ともにおかされて時々喀血やら血痰などに見舞われながら、十数年を、「病気なし」の心境で、現象悪を克服して数時間の講演をやったり、常人と変らぬ生活を死の一日前まで続けてきた吉田君の生活態度のごときはまことに「実相を直視した」人でないと、得られない生活態度であったとおもう。

何人も「あの吉田君が今まで生きてきたのは奇蹟だ。もうとうに亡くなっているはずの人であったのに!」とみんなが驚いているのである。実相を自覚すれば現象が成就し、悟りが成就すればこの世のことが成就するのである」(維摩経解釈P74)




最近、生長の家では絶滅しかけている「霊的体験談」です。 (17727)
日時:2017年07月01日 (土) 08時42分
名前:末井の孫

この体験談は貴重ですね。

最近、生長の家では絶滅しかけている「霊的体験談」です。



引用

http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=105



常に神の導き、ご先祖様の導きがある。
  この、恩を知ることを知恩といいます。

人は、知恩するとき感謝があふれてくる。
  感謝があふれるとすべてがあるべき姿 本然に整うのです。

生長の家で、人間は神の子だあー。
という事を知ると、またその自覚を練成会に来て高めると、
奇蹟のような事が起こるのも、先祖供養を真心込めて行うと素晴らしい事が起こるのもそういうことである。

逆が 忘恩である。
自分をつまらない存在と思い、
父母の恩を忘れるところから、自己否定が展開するのでありますねえ。

「ああ、神(仏教なら仏でいいです。
  禅ならば、法身といいます)と、先祖と、
父母と、我は一つであったのだあー」

この実感。喜び・・・
 これは、生長の家の宇治練成道場で
    体験として悟らせて頂いた貴重な学びでありました。





本当の “神” を発見した  ―  「生長の家」を信ずるならば、生長の家でなければわからない (17728)
日時:2017年07月01日 (土) 09時41分
名前:末井の孫




本当の “神” を発見した - 夕刻版


2015/09/11 (Fri) 20:02:23
本当の “神” を発見した  ―  「生長の家」を信ずるならば、生長の家でなければわからない

          *『心の持ち方一つ』(下)心と病気(3頁〜8頁)より
           〜 生長の家長老  徳久 克己


昭和23年から25年頃の間に、谷口雅春先生の随行をさしていただいた時に、
先生は汽車のなかで、色々と私に教えてくださいました。 

まだ本部講師になったばかりの、未熟な私に、少しでも生長の家の真理を教えておきたい、
という御愛念であったと思いますが、時に応じて、まことにわかりやすく、
しかも何気なく話してくださいました。

ある時、たしか、汽車のなかであったと記憶していますが、


「徳久君! 生長の家はね、一度、無神論をとおって、
本当の神を発見したのだから、スバラシイのだよ」

こう言われました。 私は、その御言葉によって、今まで気がつかなかった、
生長の家の真理の深遠なことを、ハッと気づかせていただきました。

「一度、無神論をとおって、本当の神を発見した」

ということは、先生が自叙伝 『生命の實相』 19巻20巻 〈※頭注版〉 に
お書きになっておられますが、それまで、私は漠然と読んでいて、
あまり深く考えもしませんでした。 

先生に、このようにハッキリ教えられまして、そうであったのか、とわかりましたので、
私は 『聖道へ』、『生命の實相』(19巻、20巻) を読みなおしました。

そうしますと、一度、無神論をとおったという意味が、段々とわかってきました。 
それまでウッカリしていました。 
生長の家でとく 「本当の神」 が、少しずつ理解されるようになりました。 

生長の家のスバラシサが、なんとなくわかっていたのですが、それがわかるのには、
ずいぶん長くかかりましたが、『生命の實相』 のいたる所に、先生がそのことについいて、
書いておられることに、改めて気づきました。

そして、私は 「生長の家」 を信ずるなら、生長の家でなければわからない、
生長の家の独特の真理を学ばないと、生長の家を信ずる、本当の喜びは湧いてこない、
ということを教えられました。

「一度、無神論をとおって、本当の神を発見した」

ということは、生長の家独特のことであったのですが、先生に指摘されるまで、
私はそのことには気がつきませんでした。 
気がつきましてから、とても明るい気持になることができました。


『生命の實相』 21巻 〈『甘露の法雨』 講義〉 の、「神」 の項を、
もう一度読みなおしてみますと、今まで読みました時とはちがいまして、
生長の家でとく 「神」 のことが、よく理解されるように教えておられます。 

同じ文章を読みましても、読む心が変ると、こんなにも違うものかと思いました。

『聖道へ』 も繰り返し読みまして、一度、神を否定して、
それから本当の神を発見された、経過を勉強しました。 

先生の並々ならぬ御精進の結果、「物質なし」 という、神からの啓示をうけられて、
本当の神を発見されたことなど、頭ではわかるのですが、それを実感として体得することは、
とてもできません。 

しかし、そのような勉強をすることによりまして、
私は生長の家のスバラシサが、だんだんとわからせていただきました。


「なぜ、肉体はないのか?」 「なぜ病気はないのか?」 「なぜ、悪はないのか?」 
というような、心の底にひそんでいた数々の疑問が、だんだんと消えてゆきました。 

トントクの悟とでも言うのでしょうか、パッとわかったつもりでいる悟で、
わかったと思っていましたが、心の底では、まだなんとなく、スッキリしないものがあった
のですが、それが少しずつ消えてゆきました。

神は創造主でありますから、この世も神がつくったものである、
と考えるのが、今までの宗教の考えでありました。 

もし、神がこの世をつくったというのなら、全能であり、愛であるはずの神が、
こんな不完全な、生物が喰い合いをしなければ、生きてゆけない、そんな悲惨みちみちた世界を
つくるはずがないし、また、人を殺すような悪人をつくるはずがない、と先生は考えられたのです。

神が悪い人間をつくっておいて、その悪い人間が悪いことをしたというので、
神が自分のつくった人間を罰するということは、まことにおかしいことで、
むしろ、悪い人間をつくった神のほうが、悪いのではないか、
というように先生は考えられて、そんな神があるはずがない、と神を否定されたのでした。

これは、まことに簡単にかきましたが、先生は色々の方面から考えに考えて、
そのような結論にたっせられたのです。 

とにかく、この現象の世界が実在するならば、
こんな不完全な世界をつくる神は、存在するはずがない、
ということになるのが当然の結論であります。

しかし、キリスト教では、神がこの世をつくった、と教えていますが、
悪いことは悪魔がするのだといいます。 それでは、悪魔という、神と同じくらいの力をもった
存在を、認めることになってしまいます。 

これも、まことに矛盾したことになることを、
先生は 『生命の實相』 のなかに詳しく書いておられます。


このようにして、先生は神を一度は否定されまして、それでも、創造主はあるはずだ
と考えられて、思索に思索をかさねておられる時、神から 「物質はない」 という、
啓示をうけられて、この現象の世はないと、現象の世界を否定された時、本
当の神を発見されたのです。 

この経緯は 『生命の實相』 20巻に詳しく説かれています。

このようにして、絶対善なる神を発見せられたのです。 
そして、絶対善なる神の造り給える世界は、この不完全な現象の世界ではなく、
絶対善なる世界であり、それを 「実相」 となづけられたのであります。


 『続々甘露の法雨』 の始めのところに、

 「全ての不幸と悲惨とは神の所造に非ざるなり」

という、絶対善なる神を発見され、その神のつくりたまえる、
そのままの世界を 「実相」 となづけられたのです。 

このような経緯を、『生命の實相』 を読むにつれて、少しずつわからせていただき、
生長の家の教にふれさしていただいた、本当の喜びが、心の底からこみあげてくるように
なりました。

この 「実相」 と 「現象」 との区別が、私には一番むつかしいことでしたが、
先生に「無神論をとおして、本当の神を発見したのだ」、と教えていただいて、
そのことを知ろうと 『生命の實相』 を読みだしまして、そのおかげで、
生長の家の根本的な真理を勉強することとなり、私はとても幸せでした。

    (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/87293aded4e9819645a544e91151f424 より転写)


          <感謝合掌 平成27年9月11日 頓首再拝>






私の母も大フアンでした。 (17729)
日時:2017年07月01日 (土) 12時01分
名前:末永


私の母も大フアンでした。


https://youtu.be/7SdDBdwMECQ



楠本加美野先生 (6837)
日時:2017年07月02日 (日) 13時36分
名前:コスモス


            <愛国本流掲示板>より

 
楠本加美野 先生 (17731)
日時:2017年07月02日 (日) 07時35分
名前:源流
楠本加美野 講話「人類無罪宣言」
https://www.youtube.com/watch?v=8r5Q7nMza_Q

楠本加美野先生ご講話 「父母の愛を求めて」
https://www.youtube.com/watch?v=kGd4CAKBTOM


聖経『甘露の法雨』の素晴らしさ、『因果を超越する』、
流産児講話、伝道こそ信仰の生命、等々
http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6682003

好きな言葉 (6845)
日時:2017年07月03日 (月) 08時40分
名前:中仙堂

人はしばしば

不合理で、非論理的で、自己中心的です。


それでも許しなさい。



人にやさしくすると、

人はあなたに何か隠された動機があるはずだ、

と非難するかもしれません。


それでも人にやさしくしなさい。



成功をすると、

不実な友と、

本当の敵を得てしまうことでしょう。


それでも成功しなさい。



正直で誠実であれば、

人はあなたをだますかもしれません。


それでも正直に誠実でいなさい。



歳月を費やして作り上げたものが、

一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。


それでも作り続けなさい。



心を穏やかにし幸福を見つけると、

妬まれるかもしれません。


それでも幸福でいなさい。



今日善い行いをしても、

次の日には忘れられるでしょう。


それでも善を行いを続けなさい。



持っている一番いいものを分け与えても、

決して十分ではないでしょう。


それでも一番いいものを分け与えなさい。



- マザー・テレサ -

徳久克己先生 (6859)
日時:2017年07月04日 (火) 00時50分
名前:コスモス


        <愛国本流掲示板>より


 徳久先生の講義(音声のみ) (17747)
日時:2017年07月03日 (月) 12時19分
名前:源流

谷口雅春先生ご高弟/徳久克己講師
祖師の魂を継ぐ

(1)「甘露の法雨」講義

(2)「無門關解釋」講義

http://dainihon.sakura.ne.jp/tokuhisa/

藤原敏之先生 (6860)
日時:2017年07月04日 (火) 09時16分
名前:コスモス



<愛国掲示板>より


    藤原敏之先生 (17761)

日時:2017年07月04日 (火) 07時44分
名前:源流


 藤原敏之先生 ご講話「神を生きる」
 https://www.youtube.com/watch?v=7SdDBdwMECQ



 故藤原敏之先生について
 http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=461
 

田中忠雄先生 (6929)
日時:2017年07月10日 (月) 19時48分
名前:コスモス


 合掌 有難うございます。

 懐かしく思い出します。

 −−−−−−

 田中忠雄先生 (17791)
日時:2017年07月10日 (月) 09時21分
名前:源流


田中忠雄先生の講義記録
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1252

現憲法下の天皇ーー三島由紀夫はこう考えていた(1) 田中忠雄
https://blogs.yahoo.co.jp/indianphilosophy2005/16884860.html


現憲法下の天皇ーー三島由紀夫はこう考えていた(2) 田中忠雄
https://blogs.yahoo.co.jp/indianphilosophy2005/16885302.html


皇恩への感謝
http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/8bf40a1b29d7dfc98d754f4e543c1f0d


『生長の家』 信徒行持要目
https://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19728976.html


「“人間・神の子” というのも、
40年たちますと、いつのまにか教條化して魂のないものになる」 
 https://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19030814.html


『無門關』 ということ
https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/24553764.html


肉体民主主義
https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/24510473.html


まぁ、茶でも飲みなされや
https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/23497337.html


教条主義になってはならない
https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/22680399.html





安東巌先生 (6964)
日時:2017年07月12日 (水) 22時19分
名前:コスモス


 安東巌先生 (17809)

日時:2017年07月12日 (水) 10時44分
名前:源流


安東巌先生の神癒
http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/tag/%E5%AE%89%E6%9D%B1%E5%B7%8C%E5%85%88%E7%94%9F


第2回東京・大真理会
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&mode=res&log=6105


「真理を生きる」10月号(2012年)
天高く“魂(たましい)”肥ゆる秋(安東巌先生)
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/&mode=res&log=498


「真理を生きる」8月号(2013年)
国体とは天皇の大慈悲が国を貫いていること(安東巖先生)
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=112


「真理を生きる」9月号(2013年)
悦び∞感謝∞祝福%記のススメ(安東巌先生)
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=375


「真理を生きる」10月号(2013年)
式年遷宮に思うこと(安東巌先生)
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=602


「真理を生きる」11月号(2013年)
谷口雅春先生の御生誕日に思うこと−われら、人生をどう生きるべきか! (安東巌先生)
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=701



「真理を生きる」12月号(2013年)
人生の軌道修正は徳積み≠フ行から (安東巌先生)
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=859


{真理を生きる」1月号(2014年)
救い≠ヘどこからくるかー真理から、そして尊師を導き給うた高級霊から来る(安東巌先生)
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=1048


「真理を生きる」3月号
供養は先逝きし人≠フ思いを忘れぬこと(安東巌先生)
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=1462


「真理を生きる」4月号(2014年)
家庭の中に真理の風≠ェ吹き抜けるとき(安東巌先生)
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=1599



「真理を生きる」5月号(2014年)
鶴岡八幡宮¢蜍竏ヌの再生に思う(安東巌先生)
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=1770


6月15日「安東巌先生講演会」
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=1700


「真理を生きる」6月号(2014年)
霊牌は先祖への手紙(安東巌先生)
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=1904


「真理を生きる」7・8月合併号(2014年)
69回目の終戦記念日に思ふー『生命の實相』と三人の軍人(安東巖先生)
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=2089



愛国本流掲示板の「源流」さまの投稿よりご紹介させて頂きました。有難うございます (7103)
日時:2017年07月24日 (月) 16時49分
名前:コスモス


《愛国本流掲示板》より


安東巌先生 (続) (17907)
日時:2017年07月24日 (月) 13時48分
名前:源流

「真理を生きる」9月号(2014年)
神癒はどこからくるか― 谷口雅春先生ひとすじの信仰から(安東巌先生)
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=83



「真理を生きる」10月号(2014年)
感謝の油∞朗か油∞愛の油≠ナ光明生活を生きよう(安東巌先生)
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=229



「真理を生きる」11月号(2014年)
耳を澄まして聴く―国の声を、尊師のみ声を(安東巌先生)
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=350


「真理を生きる」1月号(2015年)
報恩行事としての、命日供養≠フススメ(安東巌先生)
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=612



(地方講師)田中久子先生  本部講師 京都 両丹道場で数多の人を救う 長村富美子先生 (7391)
日時:2017年08月17日 (木) 10時33分
名前:コスモス


田中久子先生 (18015)
日時:2017年08月08日 (火) 08時08分
名前:源流
田中久子先生は昭和40年ころ、姫路で活躍された地方講師です。

http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=597






長村婦美子先生 (18016)
日時:2017年08月08日 (火) 10時00分
名前:源流
長村婦美子先生『み教えにいのち捧げて』
http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/13460203.html

http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/13460293.html


み教えにいのち捧げて
http://d.hatena.ne.jp/psychopathzzz/20100131/1264901441


書籍「み教えにいのち捧げて」
https://www.ssfk.or.jp/p/a/106208.htm

(書籍の78頁から抜き書きすると) 

私は祈っていますと、良く涙が出て来ます。

「神様のおかげでございます。必ずすばらしいことになります」

治してあげたいと思うと私は自ら、その人がいじらしゅうなって
涙が出てくるんです。

真剣な祈りの時は、男も女もない相手の実相を感じ、
心の中で抱きしめるのです。

「あんたは完全円満なんや、わかったか、わかったか」と、
祈りの中で、神様の愛の光輪のなかに、蓮華蔵世界の中にいる
神として礼拝して、相手の実相を観てきたと思う。


神想観 観普賢菩薩行法
http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/4c67af52507ea24c9f3b21957764416b

(この中から該当部分を抜き書きをすると)

舞鶴にその人が部屋にいると異臭ぷんぷんするというようなひどい《わきが》の
お嬢さんがおられて、舞鶴の長村(おさむら)婦美子講師に相談された。

人間はそんな臭い匂いのするような肉体にあらず、物質にあらず、それはウソである。
その《ほんもの》でないウソを《ほんもの》であると思っているのが迷いである。

《ほんもの》は何であるかというと、人間は仏のいのちであり、普賢菩薩そのものである。

普賢菩薩を前に述べたお寺にあるような、そういう恰好をした仏で、
釈迦牟尼如来が説法された時代に観世音菩薩などと一緒に出現して説法を聴かれた、
そういう菩薩であるというのは顕教的な、表れている表面的の解釈でありますが、

密教的(密教というのは、お経の表面の意味の奥にかくされた秘密の意義を解する教えの意)
に言うと自分自身が普賢菩薩そのものであるというわけです。

すなわち「普賢」というのは「普(あまね)く賢い」――どこにもかしこにも
充ち満ちている智慧そのものである。その智慧によって一切のものができている。
宇宙のありとしあらゆるものはみんな法則によって支配されている。

それが人間智慧によって解明できるということは、
一切のものが智慧によってできているからである。

それで、人間の身体は肉身にあらず、智慧身である。
それを観ずるのが観普賢菩薩行法です。

真言密教では、普賢菩薩を描いた掛軸を目の前一間位のところに掛けて置いて、
それを《じっと》見詰めて精神統一して、その像がずっと自分の方へ入ってきて、
自分自身が普賢菩薩であるというすがたを観ずるのであります。


さてこの観普賢菩薩行法をやんなさいと長村婦美子さんがお嬢さんにすすめ、
長村さんとお嬢さんが向い合って神想観をしたところ、終るとたちまち
その異臭ぷんぷんたる《わきが》が消えておったというような体験もあるのであります。



偉大なる長村婦美子先生 (18098)
日時:2017年08月16日 (水) 19時59分
名前:源流
田舎もんのブログ
2017/8/8(火) 午前 11:43

https://blogs.yahoo.co.jp/tachiyan50/34056235.html


(以下、一部転写)

長村婦美子先生は、昭和初期の女学生時代に「不治の病い」だった結核に罹り、肺も内臓も脊椎も、全身が結核菌に蝕まれて十七年間、病床に呻吟して、ただ死を待つばかりの状態でした。

昭和十五年、三十三歳にもなっていた先生の所に小学生時代の友達が訪ねて来て『生命の實相』を置いて行きました。先生は、「『神の子人間』には病い無きなり」という言葉に驚き、「肉体無し。病気無し。」の世界を知って病床から立ち上りました。

それ以降、この生長の家の教へを一人でも多くの方々に知らせたいといふ強い念願に突き動かされて伝道を続け、時には海岸の桟橋に行き、厳寒の中で百日間の神想観をして伝道の道を求め祈った事もありました。






寺田繁三先生 (7400)
日時:2017年08月20日 (日) 00時44分
名前:コスモス


寺田繁三先生 (18118)

日時:2017年08月19日 (土) 14時55分
名前:源流
本流宣言掲示板 寺田繁三先生
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/sengen/&mode=res&log=1220



光明掲示板・第一 大阪・阿倍野道場ものがたり (4323)
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/&mode=res&log=826


「愛はかくして完成す」はしがき

(概要)

H婦人が胃に塊ができた。そして、寺田講師に指導を受けたのだった。

寺田講師は、塊は心の塊だから、「憎んでいる相手を赦しなさい」と指導した。
相手とは夫であって、愛人が二人もいたのだった。

寺田講師…
「あなたは良人を愛しているのではなく、執着しているだけだ。
愛とは放すことです。慈悲喜捨の四無量心で良人を愛してあげなさい。
母親のような愛でご主人を愛しなさい。
良人が女性を作るのは、あなたに対する淋しさがあるのです。」

 講師の情理を尽くした説法に病人の頑固な憎しみの心はほぐれてきた。
その結果、婦人の胃がんの塊も消えていったのだった。


寺田繁三先生 (7402)
日時:2017年08月20日 (日) 10時46分
名前:コスモス


寺田繁三先生(続) (18125)
日時:2017年08月20日 (日) 07時23分
名前:源流
光明掲示板・第三「人を赦すことの「美徳」と「功徳」 (2066)」
日時:2014年12月01日 (月) 03時40分

《人を赦すことの功徳》

       *「愛はかくして完成す」(はしがき)より抜粋

私がまだ関西に住んでいた時のことであった。
寺田繁三という生長の家の本部講師があった。
なかなか教化力のある講師であった。

その頃大阪に、ある金持ちの婦人があった(この夫人をH夫人と名づけておく)。

H夫人は胃癌にかかって胃部を触ってみると既に握りこぶし程の塊がある
と言うのであったが、医師に相談して見ると、もう手おくれであって
切除し得ない末期の状態であるという診断なのであった。

それで叶わぬ時の神頼みという訳で、
これは大阪の出来事なので生長の家の大阪の四つ橋道場に使いを以って
病人を指導して頂きたいと頼みに来たのであった。

その頃四つ橋道場を布教のセンターにしていた寺田繁三講師が
その胃癌の夫人を訪問して、患者に面会して患者に向かって、

「肉体は心の影と生長の家では教えられているが、胃部にそんなに塊があるのは、
あなたの胸に怺(こら)え切れない感情の塊があるのが肉体に具象化したのであるから、
その塊を癒すためには、その憎んでいる相手の人を宥(ゆる)しなさい。

聖書には、弟子がキリストに『人を宥(ゆる)すのには幾度宥すべきか、七たび宥すべきか』
とたずねた時、キリストは『七たびを七十倍たび宥せ』と教えている。

あなたも現在憎んでいる相手の人を七たびを七十倍たび宥(ゆる)さなければならない。
誠心を以って完全に宥(ゆる)さなければならない。

肉体は心の影であるから、結局、憎んでいる相手を宥さなければその肉体の塊は消えない。
そしてあなた自身がその憎んでいる自分の心の塊に殺されてしまうことになるのですよ。

あなたは一体誰を憎んでいるのですか」と尋ねました。

すると、その婦人は、
「私は良人を憎んでいるのです」と言う。

「何故、憎んでいるのですか?」

「良人は私のほかに、外に二人も女をこしらえているんですもの」

「二人もですか。良人が二人も女をこしらえているのは、その二人のどちらも本当には
愛していない証拠なのですよ。それは二人を愛しているんじゃないのですよ。
唯、気をまぎらすために遊んでおるんですよ。唯おもちゃにしているだけなんですよ。

本当に愛しているんだったら一人に夢中にならなければならない。
おもちゃと貴方とは比べものにならない! 」

「良人は堕落しているんです」

「だから貴方は腹が立つのでしょうが、貴方は本当に良人を愛しているのではない」

「いいえ、愛しているからこそ、腹が立つんです」


「だけど貴女は良人を愛していないで、唯執着しているんですよ。
執着すると愛するとは違うのです。
愛するとは放すことなんです。

あなたは愛鳥を籠の中に入れて、その愛鳥の可愛らしい姿、美しい声、
それらを観たり聴いたり直接できることが楽しいのと同じように
良人が常に自分の傍に居てくれると嬉しいのです。

それで貴女の心は常に良人を見詰めて心の綱で良人を縛っているのです。
心の縛りは肉眼には見えないが、始終側にいて見詰められると、
何となく窮屈で逃げ出したくなるものです。

愛するということは本当は放す事なんですよ。

小鳥を愛するならばその小鳥を籠の中に入れ
始終見詰めていることをしないで、籠の扉を開けて小鳥を自由に外に放ってやる。
これが本当に小鳥を愛することなんですよ。

貴女が本当に良人を愛するならば良人を縛る心を棄てて、
良人を信じて放すことなんですよ。

現代語では”愛する”という語を
”把(つか)んで放さない”意味にとられている嫌いがあります。

”真に愛する”という語の意味は、佛心を開顕するという意味なのです。

無量寿経に『佛心とは四無量心是なり』とある通り
慈悲喜捨の四無量心が”本当の愛”なのです。
あなたが本当に良人を愛しているのなら慈悲喜捨の四徳を以って
良人を愛しなければならないのです。

慈悲の二徳はあなたに説明しないでも誰でも意味を知っています。
しかし喜捨の二徳は大抵の人は忘れているのです。

喜は他(ひと)の喜びを見て自分の喜びとする心です。
母親は自分の本当に愛する子供が玩具(おもちゃ)を持って喜んでいる姿を見たら
今度外出したら、また別の玩具を買って来て喜ばしてやりたいと思うでしょう。

それと同じく、貴女が本当に良人を愛するならば良人が外に二人も
お妾という玩具(おもちゃ)をもって喜んでいるのを見たら、
あんなに玩具を好きな良人になら、もう一人位、適当な玩具を
見付けて買って来て喜ばしてやりたい。

こういう広々とした愛の心になって、
そういう良人の喜びを見て自分の喜びにしなければならない。

しかし、それはそれとして良人が外に妾をこしらえるということは、
良人が貴女の愛情が”本当に愛する愛情”になっていなかったので、

良人が”斯うしてほしい”と思って何か言いつけても、ハイと素直に返事しなかったり、
ハイと返事をするにはしたが直ぐ立ち上がって実行してくれなかったり、

良人は、もっと妻から柔らかな温かな心で慰めて欲しかったのに、
その時妻が知らぬ顔をしていて、優しい言葉が出なかったり、物を言いつけても
”打てば響く”の素直さがなかったり、素直に良人に柔(やさ)しい語調でものを
言わなかったり、数々の不足が繰り返される

―― そんな時に良人は淋しくなって、もっと柔(やさ)しく仕えてくれる
婦人はないか知らんと思いながら夕方の街を歩いていて、
ふと赤い電飾の酒場に入ってそこで淋しさを酒をもって誤魔化そうと思って中に入ると、

そこには柔(やさ)しい態度や言葉で客に仕えることを職業としている売笑婦がいて
自分の淋しさを笑顔を以って行き届いて慰めてくれる。

そしてその時出逢った売笑婦が忘れられないで、
度々そのバーに行く習慣がついているうちに、
両人(ふたり)の仲がただならぬ事になったりするんですよ。

一切万事われより出でて我に還るという諺がありますが。その通りですよ。・・・・・」


寺田繁三講師の熱心な情理を尽した説法に
病人の頑固(かたくな)に一方的に憎んでいる心も
次第に解(ほぐ)れて来た。

そしてついに妾を憎んだ心も消えて行った。

その結果、この婦人の胃癌の塊も消えて行ったのである・・・。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=41



伝統板・第二「放てば、自由@ 」
愛すると云ふことは放つこと
2015/05/12 (Tue) 04:18:16

     *谷口恵美子先生・編著「こころの旅路」(P270〜271)より

〜昭和27年1月21日 尾道巡錫中の雅春先生からの手紙より

   尾道教化部の奥座敷でこの手紙を認めます。
   大阪では面白い体験談がありました。

   浜口と云ふ老夫人がありましたが、
   胃癌になってもう3日間生命は持つまいと医者から
   宣告されました。

   これは寺田繁三氏が指導したのです。

   その夫人は自分の夫がお妾を3人もこしらえてゐるので、
   それで心に塊をこしらへて癌になつてゐるのでした。

   夫を赦すこと、夫を愛すると云ふことは、夫をつかんでゐると云ふことではない、
   愛すると云ふことは放つことだ。夫の喜びを喜びとすることだ。夫がお妾を拵へて
   喜んでおれば一緒に喜べば好いのだと云ふことを話したと云ふのです。

   その夫人はそれを悟つたと云ふのです。
   すると夫がかへつてお妾を解消してしまつたのです。

   そしてその夫は息子にあやまつた。
   その息子と云ふのはパチンコ屋を開業してゐて、親に見習つてお妾をもつてゐる。
   その息子に父親が、おまへがこんなことになつてゐるのも、皆私が悪いのだ。

   わしがお妾なんかこしらへてゐるから、
   この心が映つておまへがお妾を持つやうなことになつた。
   おまへが悪いのではない。皆私が悪いのだと云つて詫びた。

   すると、息子も「お父さんが悪いのでない、私が悪いのです」と云つて
   その息子もお妾を解消した。

   そしてパチンコ屋のやうな不健全な職業はやめたいとて、
   今その店を改造してゐると云うことでした。

   「一人出家すれば九族天に生る」と云ふのは本当です。

http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6464501



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