《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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尊師32年祭、しかも奥津城で、またまた安倍首相批判の話ですか?! (6710)
日時:2017年06月20日 (火) 10時23分
名前:破邪顕正


総裁のブログ「唐松模様」に、6月17日 (土)付けで「人類は経済発展では救われない」と題して、32年祭における挨拶が掲載されています。

そして、案の定、ここでも、総裁は、安倍政権批判をこう述べたようです。

>私たち生長の家は、昨年のちょうどこの時期に、現在の自民党政権とそれを支援する政治勢力を支持しないという方針を明確にしました。

これによって、私たちの運動を唯物論と勘違いしたり、表面的にしか理解しない人々が動揺し、私たちの説得にもかかわらず去っていったことはとても残念なことです。<

よく言いますよ。

説得もなにも、総裁が言っていることは、結局は、民進党・共産党を支持せよ、ということでしかないわけです。

どうして、民進党・共産党を支持しなくてはならないのですか?

心ある信徒は、それに呆れ返って、教団と訣別したのです!

総裁、更にこう言います。

>しかし、あれから1年を経過してみて、今の自民党のやり方がとても危険であることが、多くの人には理解できてきたのではないでしょうか?

2日前に、戦前の治安維持法を思い出させる「共謀罪」の考え方を導入した法律が国会で成立しました。<

これまたビックリ。

この言い方は、「赤旗」と全く同じ!

なるほど、これだからこそ、共産党が「生長の家」にすり寄ってくるのも頷けます。

総裁は、どうして、こうも、何かに取り憑かれたように安倍首相批判を繰り返さないと気が済まないのでしょうね。

それをわざわざ、尊師の32年祭という場で言うのですから…。

普通ならば、「場を弁えよ!」と一喝される話ですよ、これは。

こういう反安倍首相に凝り固まった、妄念・妄執の総裁についていかなくてはならない信徒が実に気の毒です。

こういう人の“念”のソバには近づかない方が賢明ですよ。

そうお知らせしたくて、この投稿をしたためさせていただいた次第です。

ついでに、申し上げておきます。

谷口恵美子先生は、大の安倍首相ファンだそうです。

だから、反安倍首相の総裁夫妻とは波長が合わなかった?

ために、お山を脱出されなければならなかったのかなとも思っている次第です。






総裁の「憲法改正」に対する批判論にも呆れ返っております! (6727)
日時:2017年06月21日 (水) 08時49分
名前:破邪顕正

総裁は、こうも言っています。

>「経済的発展のためには手段を選ばない」というのは、生長の家とは無縁の考え方です。

それは唯物論です。

だから、そういう政策を高く掲げる政治家を支援するのが、本来の生長の家の運動だと主張する人がいたとしたら、それはまったくの間違いです。

ところが、その同じ政治家が「憲法改正」を提言すれば、「あぁ、これは谷口雅春先生と同じだ!」と考えて、その政治家を批判する今の生長の家の運動は間違っている、と考える人がいるようです。

そういう人は唯物論に毒されてしまったか、あるいは生長の家の昔の運動の表面だけを見て、時代応現の宗教運動の重要性が分からない人です。<

総裁のこの論法は、実に卑怯としか思えません。

その理由を申し上げます。

よく言われることに、「誰が言っているか」、「何を言っているか」を見よ、ということがあります。

総裁は、「憲法改正」を誰が言っているか、それをもって「憲法改正」に難癖をつけているわけです。

「憲法改正」そのものを論ずるのではなくて、それを誰が言っているか、そちらの方に視点をずらして、そういう人の言っているのに騙されるな、と言っているわけです。

私が卑怯だと思ったのはまさにそこなのです。

誰が言おうが関係ない、「憲法改正」そのものに賛成なのか、反対なのか、それこそが一番の大事なポイントなのです。

だって、「憲法改正」は、最終的には国民の判断に委ねられているのですから、総裁としては、まずはそのことを論じなければおかしい話なのです。

ところが、総裁は、それを真っ正面からは取り上げようとはしないのです。

だって、「憲法改正」反対と言ってしまえば、それこそ、谷口雅春先生に刃向うも同然のことになってしまうからです。

しかし、総裁のホンネは「憲法改正」反対。

だから、総裁は卑怯な手を使って、「憲法改正」をどういう人達が言っているか。

即ち、「誰が言っているか」に視点をずらして、暗に「憲法改正」反対の立場を表明しているのです。

そこで持ち出されたのが、“「経済的発展のためには手段を選ばない」というのは、生長の家とは無縁の考え方です。それは唯物論です”という話なのです。

これが実に噴飯なのは、だったら、総裁の支持して已まない民進党・共産党は、“生長の家とは無縁の考え方です。それは唯物論です”に当て嵌まらないのですか?ということなのです。

そんなことはないでしょう!

私に言わせれば、民進党・共産党が唯物論ではないなんて、それこそ何を言っているのか、という類の話でしかありません。

再度、言いますが、これこそ噴飯以外の何ものでもない。

で、総裁の論法を私なりに翻訳すればこういうことです。

唯物論者である安倍政権が「憲法改正」を言っている。

唯物論は生長の家ではない、だから「憲法改正」に賛成できない、というのが総裁の言いたいこと。

では、民進党・共産党はどうか。

こちらもまたゴリゴリの唯物論者。

同じ唯物論者が「憲法改正」に反対している。

谷口雅春先生は、一貫して、占領憲法を廃棄せよ、と仰った。

その尊師の教えからして、安倍政権と民進党・共産党とでは、どちらが尊師の教えに近いか。

どう考えたって、前者ではありませんか!

つまり、総裁は、「占領憲法」護持という立場であるがゆえに、それを改正しようとする安倍政権が許せない!

だから、唯物論などというものを持ち出して、今の「憲法改正」の動きを牽制、阻止しようとして、マイナスイメージ、今はやりの“印象操作”を行ったという話なのです。

これまた再度、言います。

真っ向から、「憲法改正」反対、そして尊師の仰った「占領憲法廃棄」にも大反対、それを言わずして、姑息に“印象操作”ばかりする総裁の論法は、実に卑怯極まりないと思うものであります。


総裁ヨイショのコメントが実に痛々しい! (6734)
日時:2017年06月21日 (水) 16時52分
名前:破邪顕正


総裁の32年祭の挨拶にコメントした人は、いまのところ、かの有名な、お父さんが「日本会議」の支援者であった堀浩二さん1名。

息子のコメントを、霊界にて、お父さんがどんな思いで聞いていられるだろうかと思うと胸塞がるるような思いがいたします。

ここは心を鬼にして、お父さんに代わって、息子をたしなめることも必要かと思い、投稿させていただく次第です。

堀さんは、こう言います。

>…共謀罪が強行採決され、今日本では有識者の間で沈痛な空気が支配していると思います。

テレビなどでも御用テレビは別として今朝のTBSなどでもこの問題の深刻さはきちんと語られているので一般の人たちにもある程度の認識の広がりはあると思います。…

こうした非道で危険な政権が今、日本では国会でも多数を得ている状況でそれを許してしまったのが国民です。

これは国民の自業自得とも言えますがそれを責めても何の解決にもなりません。

先生のご指摘や生長の家の方針が正しかった事は明らかになりました<

堀さん、総裁と同じ「赤眼鏡」をかけて、物事を見てはいけませんよ。

まずは、その眼鏡をとって、冷静に、周りを見るべきです。

どうして、総裁や堀さんが支持して已まない民進党・共産党が一桁の支持率なのですか?

あなたの言い分を聞いていると、まるで国民がバカみたいな感じではありませんか。

あなたの好きな(多分?)TBSなどのマスコミが必死になって、反安倍の“印象操作”を行っているというのに、どうして、それが大きな声にならないのか。

そのことを、本気で、真面目に、真剣に考えてみたがいいですよ。

では、私から、ザックリとその結論を言わせていただきますね。

結局、心ある国民は、もはや、あなたの好きなマスコミ(サヨク=反日)を全然、信用しなくなったということなのです。

だって、言っていることが、悉く、外れていくのですから、信用されなくなってもそれは当然ではありませんか。

因みに、これまで、左翼勢力が行って来た反対運動がどういうものであったか。

その〈年表〉をまとめたものを見つけましたので、それをとくとご覧ください。

○1951年、旧日米安保←アメリカの戦争に巻き込まれるぞ!

○1960年、60年安保←アメリカと一緒に戦争する国になるぞ!

○1970年、70年安保←アメリカと一緒に戦争する国になるぞ!

○1987年、防衛費制限撤廃←戦争する国になるぞ!

○1992年、PKO活動参加法←海外派兵、侵略国家になるぞ!

○1999年、周辺事態法←戦争する国になるぞ!

○2001年、印度洋給油←戦争する国になるぞ!

○2003年、有事法制化←戦争する国になるぞ!

○2003年、イラク派遣←戦争する国になるぞ!

○2007年、防衛省昇格←戦争する国になるぞ!

○2009年、海賊対処法←戦争する国になるぞ!

○2013年、特定秘密保護法←戦争する国になるぞ!小説が書けなくなるぞ!映画が撮れなくなるぞ!ニュース番組がとれなくなるぞ!

○2014年、集団的自衛権←戦争する国になるぞ!

○2016年、安保法案(「戦争法案」)←徴兵制になるぞ!侵略国家になるぞ!

○2017年、テロ等準備罪(「共謀罪」)←投獄されるぞ!花見が出来なくなるぞ!政府に文句を言えなくなるぞ!

さて、これらのうち、どれか一つでも当たったものがありますか?

すべて、杞憂に終わっているではありませんか。

それどころか、今や、国民はどういう反応を示していますか?

日米安保、PKO等、それに賛成する国民が圧倒的ではありませんか。

ここまで反対派が危惧していたような事態が生じなければ、もうその手にはのらないぞ。

国民がそう判断するのも当然なのではありませんか。

>先生のご指摘や生長の家の方針が正しかった事は明らかになりました

一体、どこを見ているんですか?

総裁の言った「戦争法案」が正しかったなんて、どこをどう見たらそう言えるのですか?!

ヨイショするにも程がありますよ!

また、総裁はこうも言っていますね。

《生長の家の教えや運動の中で、何が不変で重要なものなのか、また何が社会の変化に対応するための臨機の教えであり、変化していい、時代応現の運動方策であるか》

だったら、憲法だって、“社会の変化に対応するための臨機”に“変化していい、時代応現”に改正していい!

そういう結論にならないとオカシイでしょう!

まさか、総裁もあなたも、「占領憲法」を「教えの“中心部分”であって」絶対に変えてはならないとでも思っているのではありますまいね。

そうではないというのであれば、どういう「憲法改正」ならば賛成するのか、それをハッキリと示すべきです。

それとも何ですか、民進党・レンホウ党首同様、安倍首相のもとでの憲法改正には反対!なんて言うのではありますまいね。

ともあれ、堀さんには、「汝の父母に感謝せよ」、この大事な教えを、胸に手を当てて、拳々服膺してほしいものであります。

私が恐れているのは、総裁が「汝の父母に感謝せよ」を抛棄してしまっているが故に、それに中心帰一している人が、どうも同じような精神構造にあるように思えてならないことなのです。

残念ながら、堀さんのような人が、本部理事の中にもいます。

お父様が「日本会議」の設立にどれだけ、貢献なされたか。

その「日本会議」を、公然と批判するのですから、本当に悲しくなってしまいます。

総裁の“左翼=護憲”路線のせいで、「汝の父母に感謝せよ」の教えが、本部中枢から壊れていっているということを、私は本当に大変な問題だと見ています。



「挨拶文」を読んで (6742)
日時:2017年06月22日 (木) 00時08分
名前:昔の平の本部職員

この「挨拶文」ですが、私も読んで色々と考えるところがありましたが、三代目センセイが退会した方々を評して言っているらしい部分が特に引っかかりました。


>以下引用

私がよく使う言葉でいえば、何が教えの“中心部分”であって、何が“周縁部分”であるかの区別が難しくなる、ということです。

(中略)

そういう人は唯物論に毒されてしまったか、あるいは生長の家の昔の運動の表面だけを見て、時代応現の宗教運動の重要性が分からない人です。

>引用終了

まあいつものように自己を絶対化・正当化した視点からの言い分ですが、しかしこれって実はセンセイ自身の事を言っているのではないでしょうか。退会した方々の理由は、実はセンセイ自身がそうであるがためであることをもっと自覚すべきではないでしょうか。講習会の受講者が減るのも同じことです。信徒の事だと思っていたら、実際は自分自身のことだったわけですね。そこが今日の教団の「悲劇的」なところであり「喜劇的」なところでもあります。

そして、

>以下引用

「まず神の国と神の義とを求める」という信仰運動の原点に立ち還らねばなりません。

>引用終了

このフレーズはマタイによる福音書第六章にある私も好きな箇所であり、文中に二回出てくるのですが、センセイにとっての信仰の原点とは一体何でしょうか。個人的にはセンセイには今更ながらですが「天地一切のものと和解する」ということから実践してもらいたいですね。それが生長の家総裁を名乗る人の原点だと思いますよ。

ついでに、その先の福音書第七章から私の好きな箇所を少々引用させてもらいます。
※「日本聖書協会・小型聖書(口語)・新約聖書1954年改訳」より

>以下引用

 狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。
 にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。

(中略)

 わたしにむかって「主よ、主よ」と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

>引用終了

 真に素晴らしい言葉であります。私はキリスト教徒ではありませんが、谷口雅春先生の各種聖典によって聖書の言葉にも触れることができ、こうして手元に持っています。有難いことであります。こうした影響を信徒に与えることができる方こそ、本当の宗教家であります。

以上

「唯物主義」がダメというのであれば、「現行憲法」そのものを否定するのが“法燈継承者”の使命ではないのか?! (6747)
日時:2017年06月22日 (木) 19時09分
名前:破邪顕正


総裁は、唯物論者が「憲法改正」を主張していることをもって、「憲法改正」そのものを批判し、そしてこうも言っています。

>谷口雅春先生は、これほどの危機感をもって唯物主義の拡大を憂えておられたということを知ってください。

もし、総裁が、本気で尊師・谷口雅春先生のことをそのように言うのであれば、だったら、その唯物論の観点から、尊師が「占領憲法」を廃棄せよ、と言われたことに、どうして言及しないのでありましょうか。

総裁の言葉を借りれば、「唯物主義の拡大」をもたらした“諸悪の因”こそ、この「占領憲法」に他ならない、それが尊師の一貫した主張であったからです。

因みに、そのことを、『諸悪の因現憲法』の「まえがき」から証し立てすることにいたしましょう。

《今、日本は戦争当時よりも一層重大な危機に面しているのである。

戦争当時は外部に敵はあったが、内部は天皇中心に国民の心が一つの生命体としてまとまっていた。

兎も角、当時の日本国家は一つの生命体として生きていたのである。

それ故にこそ物量の点でアメリカよりも数層倍劣勢でありながら、アメリカを含む世界五十二ヶ国と戦ってあれだけ勇壮に抗戦の力を発揮して来たのであった。

平和克服後、占領軍は戦中の日本国民のあの驚くべき勇猛なる抗戦力を分析して、日本の戦力の源泉は、天皇を宗家として中心に仰ぎ国民みな一家族として一致団結の生命体としての歴史と伝統とをもち、国家の生命と、国民の生命とが一体不可分の国家観、生命観をもっていて、国を衛ることが国民自身を衛ることであり、わが子孫を衛ることであるとして、個≠フ生命を賭して国家を衛ろうとしたところにある事を発見したのであった。

そして将来、日本が再び強国として起ちあがって世界の脅威とならないためには、日本国家が生命体として存在し得る中心生命≠ニも謂うべき天皇からその政治的生命を奪い去ることにあるということを彼らは結論したのである。

この結論に基いて、マッカーサー憲法を作文し、それを武力占領中という国民の自由意志の表現を為し得ざる不可抗の状態に於てこの憲法を押しつけたのである。

それが現行の日本国憲法≠ニいうものである。

この憲法の起草目的が、天皇中心の生命体としての日本国家から生命≠抽き去り、国民の意志及び行動を、国家という生命体の統一意識に帰一することなく、バラバラに意志し、行動して、内紛、抗争以て国家が分散して、ついに自滅するの止むなきに至らしめることにあったのである。

それ故に、占領憲法は天皇を元首の地位より追放して、国家という生命体に統一意識の中心を失わしめた。

そして部分≠ヘ全体≠ノ先立つという唯物論の基礎の上に、すべての条項を作文したのである。》

今の「現行憲法」がどんな意図をもって策定されたか、これほどまでに端的に、その本質を穿ったものを私は寡聞にして知りません。

であれば、唯物主義を問題視する総裁もまた、尊師同様、「現行憲法」そのものを全否定してかからないと理に適わないのではありませんか、と申し上げたいのです。

裏を返せば、「現行憲法」を容認・護持するようでは、総裁の唯物主義批判も本気ではない、「憲法改正」に難癖つけるために、敢えて、「唯物主義」という観点を引っ張り出してきたに過ぎない。

そう言われても抗弁しようがないのではないのか、そう申し上げたいのです。

ともあれ、今回の挨拶もまた、ご多分に漏れず、突っ込みどころ満載であったということです。



「人間・神の子」の教えと、総裁がつくった「凡庸の唄」とは同居できるのですか? (6753)
日時:2017年06月23日 (金) 09時23分
名前:破邪顕正


今回の挨拶で、総裁は「人間・神の子」を何度か口にし、そして、最後はこう結んでいます。

《谷口雅春大聖師三十二年祭にあたって、皆さんと共に、「人間・神の子」の自覚をさらに深め、もっともっと多くの人々にそれをお伝えし、伝えるだけでなく、自らの仕事と生活の中で実践し、“自然と共に伸びる”新しい文明の基礎をつくるために邁進していく決意を新たにするものであります。》

私が実に不思議に思うのは、「凡庸の唄」はいったい、どこに行ったのかということなのです。

“「人間・神の子」の自覚をさらに深め、もっともっと多くの人々にそれをお伝えし、伝えるだけでなく、自らの仕事と生活の中で実践し”ていくならば、「凡庸の唄」に込められた精神は、それこそ、根底から否定されなければなりません。

それについては、この掲示板において既に投稿していますので、ここで屋上屋を重ねることは控えさせていただきますが、「人間・神の子」とは相容れないのが「凡庸の唄」であります。

にもかかわらず、「凡庸の唄」をつくった人が、“「人間・神の子」の自覚をさらに深め…”云々と言って憚らない。

とても私には理解できません。

事の重大性に鑑み、「凡庸の唄」の最後のフレーズを紹介することにいたします。

《凡庸はときどき考える――
 先を目指し
 縦方向へ上ることに
 しのぎを削る人たちが、
 もっと周囲に気を配り、
 横方向に意識をひろげ、
 競争するのではなく、
 協働することに
 喜びを見出す生き方に
 転じてくれる日のことを。
 人より秀でることは
 確かに素晴らしい。
 記録を塗り変えることは
 称讃に値する。
 優秀な作品や商品や
 サービスを創造することは、
 人間社会への大なる貢献だ。
 しかし、人間社会は
 地球のごく一部だ。
 そのために森林の破壊に目を閉じ、
 生物種や資源が減っていくのを顧みず、
 地球全体を暖める原因をつくることは、
 人間社会を超えて横方向に拡がる
 広大な生物共存の世界を壊すことだ。
 天と地と人との
 仕合わせを否定することだ。
 凡庸は思う――
 それはきっと彼らの本心ではないと。
 先を見て急ぎすぎるために、
 彼らの視野が狭まり
 周囲の豊かな世界、
 豊潤で知恵に溢れた地球世界を
 味わい楽しむ余裕がない。
 もっと凡庸であれば、
 心が開き拡大して
 世界に滲(にじ)み出ていくから、
 彼らだって
 人・物・事の結びつきが
 自分の幸せだと合点する。
 地球世界から分離しない
 本来の自分が感じられるに違いない。
 優秀と凡庸は
 本当は異質ではない。
 見ている方向が違うだけだ。
 優秀な彼らに
 凡庸の視点を与えよ。
 凡庸な我らに
 秀逸なる彼らの業績を与えよ。
 秀逸な才能の開花、
 秀逸な業績の実現は、
 実は
 凡庸の希望でもある。
 だから、大勢の凡庸は
 静かに彼らに協力し、
 応援している。
 凡庸は秀逸の母でありたいと願う。
 凡庸は秀逸を、
 人間社会だけでなく、
 地球世界の誇りにまで飛翔させたいと願う。》

総裁は、ここではっきりと「凡庸」であることが、地球環境を護っていく上でとても大事だと主張しているのです。

だったら、今回の挨拶は、こういう言葉で締めくくられるべきだったのです。

《谷口雅春大聖師三十二年祭にあたって、皆さんと共に、「人間・凡庸」の自覚をさらに深め、もっともっと多くの人々にそれをお伝えし、伝えるだけでなく、自らの仕事と生活の中で実践し、“自然と共に伸びる”新しい文明の基礎をつくるために邁進していく決意を新たにするものであります。》

何を申し上げたいか。

「人間・神の子」という、信仰上、とても大切な真理が、恰も、信徒を丸め込まんがために(谷口雅春先生のお説きになられたことはいまもなお、寸分も変わってはいませんよ、と取り繕おうして)、実に便宜的に使われているような気がして、それがとても鼻につくというか、嫌な感じがしてならないということです。

本当に「人間・神の子」の自覚が大事だと思うのであれば、総裁は、「凡庸の唄」などつくるべきではなかったと改めて思うものであります。


「唯物論」を難ずるのであれば、総裁は、当然、霊界を信ずるのでしょうね? (6760)
日時:2017年06月24日 (土) 10時37分
名前:破邪顕正


私は、奥津城で総裁がこういう挨拶ができるのは、霊界を信じてはいないからだと思っております。

霊界を信じ、そこに於いて、いずれは尊師に相まみえるということを信じていれば、とてもこういう挨拶は成し得るものではないと思うからです。

それが証拠に、総裁に「中心帰一」して已まない“雅宣教信徒”は、どう言っていますか。

“谷口雅春先生は死んだのよ!もう此の世にはおられないのよ”

とか

“谷口雅春先生は古い喇叭、今は、総裁先生が時代に合った新しい喇叭なのよ!それについていくのが生長の家の信徒なのよ!”

とか、こんなことを平然と言ってのけているではありませんか。

まるで、「死んだら終わり」とでも言わんばかりの言い草です。

そうなのです、結局、総裁もホンネでは、そう思っていると私は見ています。

だから、霊界のことについて聞かれると、総裁は、必ず、逃げるでしょう?

分かろうが分かるまいが、霊界については、『生命の實相』等に書いてあるのですから、それを伝えればいいと思うのです。

総裁はよくこういう言い方をするではありませんか。
 
「生長の家では、このように説いております」

それに倣って、「生長の家では、霊界について、こう説いております」と説いたらいいと思うのです。

ところが、総裁がそういう言い方をしているというのを私は寡聞にして知りません。

とにかく、先に書きましたように、総裁は、霊界の話については逃げる、そんな印象なのです。

ということは、どこかで、総裁は本気で霊界を信じていないのではないのか。

というか、そうでないと、今のようなことは、とても出来得ないと思うのです。

いずれは、霊界で尊師に見(まみ)えるのだと思っていたら、尊師の教えを次から次と破壊するようなことは、オソロシクテ、とても出来るような話ではありません。

先人たちがどんな思いで原宿本部会館を創建せられたか。

そういう先人達もまた霊界にあって、教団の行く末を案じ、見つめている。

尊師やそのような先人たちの眼差しを意識する心があれば、これほどまでの破壊工作など考えることすら出来やしません。

総裁は、霊界を信じてはいないと私が断ずる所以です。

どうして、この霊界の話に私が拘っているかというと、総裁が今回の挨拶で「唯物論」批判を展開しているがゆえなのです。

谷口雅春先生ははっきりと「唯物主義」の特徴は霊界の否定、死んだら終わりという人生観であるとご教示下さっています。

「唯物論」を批判している当の本人が、霊界を信じていないとすれば、それは自己撞着も甚だしいと言わざるをえません。

どうしても、その点を指摘しておきたいと思ったのです。

例えば、『新編 生命の實相』第18巻「霊界篇 下」(66〜67頁)には、こうあります。

《「生長の家」で常に説いているところの一つの根本思想は、人間は「心」であって肉体ではないということであります。

普通、生理学や医学などでは、脳髄という構造をもった肉体が先ずあって、その脳髄という物質が考える――だから脳髄という物質が無くなってしまったら考えることが出来ないとし、この考える本体を「我」といっているのでありますから、脳髄そのものが考えるというふうな学説をもっていられる人には、「我」即ち「自我」とは脳髄のことである、肉体のことであると、こういうふうに考え勝ちなのであります。

それで、吾々がいわゆる死んで、肉体というものが崩壊し脳髄も崩壊したのちは、この「我」と意識している本体も崩壊してしまって、あとには「我」というものは何も残らなくなる、「死んだらお終いだから、生きているうちに為たい三昧をしておけ」というような、デカダン的な思想はそんな唯物論的生命観から出て来るのであります。》

自分のやっていること、していることを見たら、総裁は、とても「唯物論」を批判し得る立場にはいないと私は思います。

つまり、ここでも、総裁は、「唯物論」批判を自己の主張を正当化するための、文字通り“ためにする論”として援用しているに過ぎない。

それこそ、本気で「唯物論」「唯物思想」を乗り越えて行かなければならないとは思っていない。

思っていたら、生長の家の運動を環境保護主義などに特化し得るわけがないと私は思うものであります。


「破邪顕正」さまへ〜講習会で総裁が「霊界」について触れたこと… (6767)
日時:2017年06月24日 (土) 22時29分
名前:しろうさぎ

総裁は講習会で、午前中は「唯神実相」「唯心所現」「万教帰一」について判で押したようにお話されます。

『問題発言』『爆弾発言』は、たいてい午後の質疑応答と、そのあとの講話で出てきます。

その講習会での午後の質疑応答の時間に、不治の病を宣告されているという参加者の方から、
「私はもう、末期の癌と宣告されている者です。肉体はなくなっても、霊界で光明化運動をしようと思って、本日は病院から講習会に参加いたしました。
霊界に行っても同じ病気で苦しむのでしょうか?」

という内容の質問がありました。

総裁は、淡々と
「この方は末期の癌で入院中のようですね。
霊界に行っても同じ病気で苦しむのでしょうか?
あるいは、霊界で光明化運動をしようと思っている…ということをおっしゃっていますが…
私は霊界に行ったことがありませんので…(笑)
なんとも申し上げられません。
霊界にすでに行った方に聞くしかない(笑)

それより、現代は医学の進歩がめざましいので、どうか主治医と相談され、最新の治療を受けられることをお薦めします。
セカンドオピニオン、サードオピニオンもありますので…」

という的外れなことをおっしゃっていました。

この相談者の方はすでに末期状態で、悟りの境地に達しておられるようでしたが、当然、不安もお持ちであったと察せられます。

そういう方に対して、現教団のトップである総裁はこういうレベルの指導しかできないのです。

ですから、心ある信徒は、総裁にも、教化部長にも、もう何の期待も持たなくなった…

私もそのひとりでした。

「凡庸の総裁」 (6768)
日時:2017年06月24日 (土) 23時01分
名前:そーれ!!

「凡庸の総裁」様も、何度も何度も霊界とこの現象界を

行き来(霊界も広義には現象界ですが)されているのに、

まことに情けない回答だったのですね・・・

いつまでも「凡庸の総裁」に付き合って、魂を劣化させる

のは、アホらしい、と、改めて考えさせられました。

勿論、数年前からお付き合いはしてませんけど。

しろうさぎ様へ (6773)
日時:2017年06月25日 (日) 11時26分
名前:谷口雅春先生を学ぶ会会員

しろうさぎ様

いつも目覚まし時計のお働きご苦労様です。

6767のスレット名で少し気になったことがございまして書かせて頂きました。破邪顕正様に対して「」〜とありますが、
破邪顕正先生と私達は対等ではございませんのですから、少し失礼ではないでしょうか?と思う次第です。申し訳ございませんが訂正の方を宜しくお願い致します。




































破邪顕正はエライ先生 (6777)
日時:2017年06月25日 (日) 19時03分
名前:ひとこと

>破邪顕正先生と私達は対等ではございませんのですから、少し失礼ではないでしょうか?と思う次第です。申し訳ございませんが訂正の方を宜しくお願い致します。

匿名でしか本音を語れないそんな人が

学ぶ会の大先生なんだね。どこかの組織と同じで呆れますわ

ひとことさんへ (6781)
日時:2017年06月25日 (日) 23時13分
名前:谷口雅春先生を学ぶ会会員

私はしろうさぎさんに言ったのですよ!

一言さんはしろうさぎさんですか?

だったらあなたは匿名じゃないですか?!変なこと投稿して来ないで下さい!

随分無礼な方ですね!

ひとことさんへ (6784)
日時:2017年06月26日 (月) 02時57分
名前:ハワイアン

ひとことさん
破邪顕正の意味を知ってますか?

辞典でよく調べてから発言した方がいいですよ。

伊達で破邪顕正のハンドルネームがついた訳ではないのですよ。

それに、学ぶ会は他人から誹謗中傷の的にされる筋合いの会ではありませんので気を付けて下さい。



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