総裁の「憲法改正」に対する批判論にも呆れ返っております! (6727) |
- 日時:2017年06月21日 (水) 08時49分
名前:破邪顕正
総裁は、こうも言っています。
>「経済的発展のためには手段を選ばない」というのは、生長の家とは無縁の考え方です。
それは唯物論です。
だから、そういう政策を高く掲げる政治家を支援するのが、本来の生長の家の運動だと主張する人がいたとしたら、それはまったくの間違いです。
ところが、その同じ政治家が「憲法改正」を提言すれば、「あぁ、これは谷口雅春先生と同じだ!」と考えて、その政治家を批判する今の生長の家の運動は間違っている、と考える人がいるようです。
そういう人は唯物論に毒されてしまったか、あるいは生長の家の昔の運動の表面だけを見て、時代応現の宗教運動の重要性が分からない人です。<
総裁のこの論法は、実に卑怯としか思えません。
その理由を申し上げます。
よく言われることに、「誰が言っているか」、「何を言っているか」を見よ、ということがあります。
総裁は、「憲法改正」を誰が言っているか、それをもって「憲法改正」に難癖をつけているわけです。
「憲法改正」そのものを論ずるのではなくて、それを誰が言っているか、そちらの方に視点をずらして、そういう人の言っているのに騙されるな、と言っているわけです。
私が卑怯だと思ったのはまさにそこなのです。
誰が言おうが関係ない、「憲法改正」そのものに賛成なのか、反対なのか、それこそが一番の大事なポイントなのです。
だって、「憲法改正」は、最終的には国民の判断に委ねられているのですから、総裁としては、まずはそのことを論じなければおかしい話なのです。
ところが、総裁は、それを真っ正面からは取り上げようとはしないのです。
だって、「憲法改正」反対と言ってしまえば、それこそ、谷口雅春先生に刃向うも同然のことになってしまうからです。
しかし、総裁のホンネは「憲法改正」反対。
だから、総裁は卑怯な手を使って、「憲法改正」をどういう人達が言っているか。
即ち、「誰が言っているか」に視点をずらして、暗に「憲法改正」反対の立場を表明しているのです。
そこで持ち出されたのが、“「経済的発展のためには手段を選ばない」というのは、生長の家とは無縁の考え方です。それは唯物論です”という話なのです。
これが実に噴飯なのは、だったら、総裁の支持して已まない民進党・共産党は、“生長の家とは無縁の考え方です。それは唯物論です”に当て嵌まらないのですか?ということなのです。
そんなことはないでしょう!
私に言わせれば、民進党・共産党が唯物論ではないなんて、それこそ何を言っているのか、という類の話でしかありません。
再度、言いますが、これこそ噴飯以外の何ものでもない。
で、総裁の論法を私なりに翻訳すればこういうことです。
唯物論者である安倍政権が「憲法改正」を言っている。
唯物論は生長の家ではない、だから「憲法改正」に賛成できない、というのが総裁の言いたいこと。
では、民進党・共産党はどうか。
こちらもまたゴリゴリの唯物論者。
同じ唯物論者が「憲法改正」に反対している。
谷口雅春先生は、一貫して、占領憲法を廃棄せよ、と仰った。
その尊師の教えからして、安倍政権と民進党・共産党とでは、どちらが尊師の教えに近いか。
どう考えたって、前者ではありませんか!
つまり、総裁は、「占領憲法」護持という立場であるがゆえに、それを改正しようとする安倍政権が許せない!
だから、唯物論などというものを持ち出して、今の「憲法改正」の動きを牽制、阻止しようとして、マイナスイメージ、今はやりの“印象操作”を行ったという話なのです。
これまた再度、言います。
真っ向から、「憲法改正」反対、そして尊師の仰った「占領憲法廃棄」にも大反対、それを言わずして、姑息に“印象操作”ばかりする総裁の論法は、実に卑怯極まりないと思うものであります。
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