《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

本流宣言掲示板」「光明掲示板・第一」「光明掲示板・第二」「光明掲示板・第三

谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
この掲示板の目的
この掲示板のルール
本掲示板への書込法
必ずお読みください
管理人への連絡
重要リンク
TOP PAGE

Página de Português/ポル語ページ
 

 

《「御教えに学ぶ」シリーズ》谷口雅春先生の聖典やご文章を拝読して、色々と感じたこと、考えさせられたこと等を徒然なるままに書いていきます。 (6071)
日時:2017年04月30日 (日) 14時19分
名前:破邪顕正


『理想世界』誌・昭和42年11月号には、こういうことが記されています。

《一日のことば 組織づくりの大切なること》

このご文章は、大変、心に留まりました。

それというのも、「谷口雅春先生を学ぶ会」の会員の中には、何か「組織」をつくることに対しての違和感、抵抗感を感じる向きがあるのではないのか…。

「好きな仲間と楽しくやっていければそれでいい…」  

「組織などをつくろうとするから、だんだんと教団と同じようになってしまう…」

そんな声を耳にしないでもないからです。

しかし、尊師・谷口雅春先生は「組織づくり」こそが大切なのだと、《二日のことば 組織づくりと、魂の救いの問題》でこう説かれます。

《教えの内容がいくら立派であっても、教えの布教網の組織づくりが下手であっては、その教えは伸びないのである。

宗教は、魂の問題であり、魂の救いは個々の人間の問題であり、外形の組織づくりばかりに狂奔していると、魂の内的問題がおろそかになるおそれがある。

魂の救いは、個々の悟り*狽ヘ信心≠フ問題ではあるけれども、その個々の教えに触れなければ魂の救いの門に入る訳にはいかないのであるから、伝道の組織づくりを完全にして誰でも教えに触れ易いようにしてあげることが、人を救う道である。

人を救わずして、自分だけ悟ったとか、救われたとか考えるのは、一種の利己主義であって、そんな人が救われた≠ネどと自任しているのは、唯の増上慢に過ぎないのである。》

なかなか厳しいご指摘ではありませんか。

自分の近くに「谷口雅春先生を学ぶ会」の支部、拠点がありません。

どこにありますか?

そんな質問を度々、耳にします。

そういう現状を目の当たりにしたら、もっともっとキメの細かいお世話ができるように「組織」づくりに励むのが、それこそ谷口雅春先生が仰るように「人を救う道」なのではないでしょうか。

だからこそ、「谷口雅春先生を学ぶ会」が今、最も喫緊になすべき「組織」づくりにこそある、そう思うものであります。

もっともっと拠点をつくっていきたい。

その思いを強くして、これからも大いに前進してまいりたいと思っております。


聖経『真理の吟唱』の「ただ善のみ実現するための祈り」(121頁〜)に学ぶ (6083)
日時:2017年05月01日 (月) 08時40分
名前:破邪顕正


《今日より後、わたしは現象界をも、自分の意のままに支配するのである。…

私は常に想念に善き事≠フみを念ずるのである。

だからその念ずる言葉のごとく善き事≠フみが、私の身辺には起ってくるのである。》

改めて「言葉の創化力」の大切さを噛みしめています。

これを紹介したのは他でもありません。

谷口雅宣総裁が“言葉は情報伝達の手段である”と言っているということを聞いたからです。

講習会でも、総裁はよくこういう言い方をします。

“生長の家では、「人間は神の子」と説いています。”

まさしく、ただ伝達しているだけ…。

そうとしか感じられません。

「人間は神の子」がどれだけ重大な真理なのか、それをとりたてて自らの信念で語るというわけでもない。

否!

案外、総裁は、「人間神の子・無限力」を信じていないのではないでしょうか。

そうでなければ、「凡庸の歌」などを書くわけがありません。

「言葉」には「創化力」がある、と説くのか、それとも単なる情報伝達の手段に過ぎないと取るのか。

「言葉」一つとっても、教えが、全然、違ってきているように思われてなりません。


“5月病”に罹った新入社員≠ノぜひ、読んでほしい! (6099)
日時:2017年05月02日 (火) 09時03分
名前:破邪顕正


『理想世界』誌・昭和40年11月号「あなたの日常生活の指針」の「二日のことば 天使となるか、奴隷となるか」にかくあります。

《幾ら僅かの収入しか得られないでも、神から授けられた使命を遂行するために天から天降って来た人となるならば、あなたは天使なのである。

あなたを奴隷にするか、天使にするかは、職業そのものの種類によるのではなく、あなたが如何なる心構えでその仕事をするかに、かかっているのである。》

5月に入りました。

希望に胸膨らませて入社した社員が、一ヵ月過ぎた頃より、急に鬱々としてしまう…。

所謂“5月病”に罹ってしまう人も少なくありません。

昔から、新入社員のことをこう言います。

どうするのかと決断を迫れば、すぐ“迷う”

少しでも辛いようなことがあれば、すぐ“避ける”

責任をとらなくてはいけないようなことからは、すぐ“逃げる”

そして、わずか数カ月もしないうちに“退社する”

迷う、避ける、逃げる、退く…

みんな漢字に“しんにゅう”がついているから「しんにゅう社員」

そういう「しんにゅう社員」にぜひ、参考にしてほしいのが、資生堂社長の魚谷雅彦さんの話です。

「ライオン」に入った当初、営業に回され、ライトバンでお客様の店を回り、商品を棚に並べる。

床に座り込んで商品ラベルを貼る、そんな仕事にウンザリ。

退社を考えていたとき、尊敬する先輩から言われる。

「これから1年というふうに期限を限定して、思いっきり今、目の前にある仕事をやってみなさい」

また、ちょうどその時期に読んだのが小林一三の本で、中でもこの言葉に心打たれた。

「志を高く持ちながら、日々のことをしっかりやり遂げることが、その志に到達する最も近道である」

以来、魚谷さんは、一つ一つの仕事に真心をつくすようになります。

すると、面白いように営業成績があがり、得意先の社長から「最近のキミの働きぶりには“一球入魂”を感じるよ」と言われるようになります。

この褒め言葉で俄然、魚谷さんは仕事に目覚め、更に打ち込むようになります。

そこから魚谷さんの運命はどんどん開けていったのでした。

谷口雅春先生が仰るように、「如何なる心構えでその仕事をするか」それ次第で運命は決まるようでありますね。



“運が掴めないような人は掴む用意が出来ていない。” (6121)
日時:2017年05月03日 (水) 11時43分
名前:破邪顕正


表題の言葉は、『維摩経解釈』217頁に出てきます。

《不幸になったり貧乏になったり出世出来なかったりする人は、きっと運が来た時に運が掴めなかった人です。

運が掴めないような人は掴む用意が出来ていない。》

新入社員の研修会を指導している先生がこう語っていました。

会社に入って伸びて行く社員とそうでない社員とはどこで分かるか。

自己投資しているかどうか、自分のスキルを磨くために学び続けているかどうか、それで決まります、と。

つまり、表題の言葉を借りれば、運を掴む心の用意をしているかどうか、そういうことなのだろうと思った次第です。

心の用意を怠っていれば、問題がいつまでも問題であり続けます。

しかし、心の用意が出来た人は、問題が出てきても、その問題を通して生長します。

そして、あの問題があったからこそ今の自分がある。

問題をそれがあったからと“たから”に変えていく人生を歩むのです。

『理想世界』誌・昭和40年3月号「十九日のことば 機会≠ヘ今直ぐにあなたの側にある」から引きます。

《「チャンスに恵まれない」ということは断乎たる決意をしない人の「逃げ口上」に過ぎないのである。…

毎日毎日今≠ノ全力を尽くすものには、毎日毎日がその人の運命を前進する好機会≠ナあるのである。》




戸締まりをしないのは、相手に侵略の気を起こさしめる悪業≠ネり (6138)
日時:2017年05月05日 (金) 11時24分
名前:破邪顕正


『維摩経解釈』にこういう文章があります(178〜179頁)。

《泥棒が時々這入って来て、そして戸締り悪いところから這入って来て盗みをやる。

その泥棒は「お前の家にはこういう隙があるぞ」ということを教えてくれる。

家に隙があるのは心に隙があるからであります。

そうするとそれが判って、「自分の心にどこか隙があったのだ、もっと行き届いて戸締まりをしておこうという気が起る。

こうして行き届いた心が練成されるのです。》

オバマ大統領は、今から見れば、北朝鮮の増長に結果的に手を貸したも同然と言えるのではないのか。

だからこそ、トランプ大統領は、「戦略的忍耐の時代は終わった」と言わざるを得なくなったのだと私は思います。

今日の朝鮮半島情勢は、かつてのキューバ危機を彷彿させるものがあります。

これについて、谷口雅春先生はどう考えておられたか。

『理想世界』誌・昭和42年4月号「十二日のことば ケネディの決意、ソ連の南米侵略を後退させた」から引きます。


《ケネディは、「そのミサイル基地を撤去しなければ、ソ連の基地資材輸送用の船舶を臨検して拿捕する」と宣言し、基地撤去に同意しなければ原子戦争もなお辞せずという強固なる決意を示した。

その強固な決意の前に、フルシチョフは、ついに建設途上であったキューバのミサイル基地を取り除くことに同意したのであった。…

決意なき弱者は却って常に侵略に慴(おび)えて兢々として恐れていなければならないのである。》

北朝鮮の暴走を食い止めるには、やはり「強固な決意」を要するのであると改めて思った次第です。



所謂造化の三神≠ヘ、やはり、ご祭神として勧請すべきものではなかった…! (6152)
日時:2017年05月06日 (土) 11時09分
名前:破邪顕正


『理想世界』誌・昭和40年4月号「日本文化の特質とその使命」において、尊師・谷口雅春先生は次のようにお説きになっておられます。

《先ず日本民族が発見した宇宙の真理は、存在の根元に於いて宇宙の御中≠ノ一切存在の主≠ネるものが存在し、それが本源の神であり、それはタカミムスビと、カミムスビの陽陰の両儀となり、御中≠中心又は太極として、陽陰の両儀が結び合うことによって一切のものが調和したる姿に於いて生々発展して行くことを天地の法則として捉えたのが日本民族であったのである。…

タカミムスビノ神は陽性原理の幽之幽の神≠ナあり、これがあらわれて幽之顕の神≠ナあるところのイザナギノ神として「霊的実在の世界」に於ける人格的陽神(男神)として出現せられた。

カミムスビノ神は陰性原理の幽之幽の神≠ナあり、これがあらわれて幽之顕の神≠ナあるところのイザナミノ神として「霊的実在の世界」に於ける人格的陰神(女神)として出現せられており、この男神と女神とのムスビによって自転島(おのころじま)と称する自転又は旋回する$ッ雲や太陽系統や地球なでとが発生しているのである。…

幽≠ニはカスカ≠ニいう意味であって肉眼には見えない神秘的存在を意味するのである。

幽之幽の神≠ヘカスカの上にもカスカであって存在の根本*狽ヘ普遍的な原理≠サのものであって、陰陽ありと雖も、それがまた原理として内在するだけで、陰陽が対立関係にあらわれていない−すなわち独神(ひとりがみ)−であって、天之御中主神と高御産巣日神と神産巣日神とは、三神即一体であって普遍する原理そのものなのである。》

ここに示されていますように、「幽之幽の神≠ヘカスカの上にもカスカであって存在の根本*狽ヘ普遍的な原理≠サのものである」るのです。

それをしも、総裁は、好き勝手に勧請してしまったのです。

これが如何に谷口雅春先生の御教えに反する者であるか、ぜひ、ご理解いただきたいと切に思うものであります。


破邪顕正さまへ (6154)
日時:2017年05月06日 (土) 13時32分
名前:伝書鳩

唯一絶対本源神であります三柱の神様を、マサノブ氏はどのように変化させて、造化の三神などとニセの御札を作り販売しているのでしょうか?

神様を好き勝手に導入するとか言ってますが?


昨年の講習会では「みさ〜ん私は皆さんをだましてはいませんよ〜、私は私の意志で自由にやっているだけですから〜。騙してなんかいませんよ〜~愛情がなかったら殺し合いがおきるんですよ〜」と。


この自由に作り上げた造化の三神とはどんな物を作ったのですか?私はまだ見ていませんので教えて頂けますでしょうか?。


伝書鳩様 (6155)
日時:2017年05月06日 (土) 14時40分
名前:サマリア人

これでしょうか?

https://blogs.yahoo.co.jp/tachiyan50/33776524.html

実は初めてスマホで投稿しているもので、
上手く行くかどうか?

ちょっと横から失礼いたします。 (6162)
日時:2017年05月06日 (土) 21時56分
名前:そーれ!!

天之御中主神 高御座巣日神 神産巣日神 宇摩志阿斯訶備比古遅神 天之常立神 この、

別天つ神を祭祀するのは、大国主神のお仕事であって、決して雅宣氏の仕事ではありませんね。

古事記を少しでも読まれた方には、誰でも解るイロハのイです。

  ここからは、私の私論になりますが・・・
  なぜ、八百万の神々が、出雲の地で毎年サミットを行うか(10月・神無月・
  出雲では、神有月と言うそうです)

少し考えれば解ることなのですが、大国主神は、出雲の地で、全身全霊で、毎日、別天つ神の

祭祀をされていますので、一分一秒たりとも、出雲の地を離れる訳にはいきません。

ですから、八百万の神々に、ご足労いただき、出雲に集結いただく訳です。

どこかの誰かが(凡庸の総裁)浅はかな思い付きで、造化の三神の御神体を紙に書き、かまぼこ板で

お札を作り、それこそ遊びのクラフト作りで遊んでいるのは、愚の骨頂であります。

だから彼は、神様を導入するなどと言う、常識では考えられない暴言を吐くのです。

信徒を迷言で迷わすのみならず、神様まで冒涜して、全く、情けないかぎりであります!!

神様を冒とくしているにせそうさい (6163)
日時:2017年05月06日 (土) 23時16分
名前:伝書鳩

実相世界を否定している証拠ですね?
   
神様を冒涜して、谷口雅春先生を冒涜しています。

私は遂に言葉を失いました。


なぜ谷口マサノブ氏が宗教の団体の総裁をやっていれるのか?


谷口純子先生は、生長の家の青年会時代から、生長の家の教えを学んできているそうですが、この方にも白鳩会総裁を辞任して頂きましょう!!!!!

谷口雅春先生の教えの一体どこを学んできたのか!!

やはり講習会で真理に沿った話は全然しないし、おかしな事ばかり言ってましたね。日時計日記に貼るシールをしきりに売ってましたね。シールを売るために、わざわざ講習会を開いていたのでしょうか? 親不孝の数々を重ね、ここまで生長の家を破壊しておきながら、「生長の家は宗教です、皆さん生長の家は宗教です!」いくら叫んでも弁当を持って席を離れる被害者ばかりでした。

このインチキ度はSUK学会以下ですね。

教団信者は早く気が付き退会することです。教団信者に知らせる必要があります。

このインチキ宗教でどれほど信者が不幸になったか。 精神病、変死、異常な病にかかって苦しんでいる人達、、、神癒祈願は悉く逆効果になるのです。これ程恐ろしいことはありません。

体育館≠りて心育館≠ネし (6170)
日時:2017年05月07日 (日) 13時45分
名前:破邪顕正


戦後、講堂≠ェ取り壊されて、その跡には体育館≠ェ建てられていきました。

そのことについて、『理想世界』誌・昭和42年11月号「十九日のことば 大きな体育館ができるのが文化国家ではない」において、谷口雅春先生はこう述べておられます。

《九大に普通の内科≠フほかに心療内科≠ェつくられたように体育館≠フほかに心育館≠国費で建て、誰でも心育館に出入して修養につとめることを名誉とする位にならねば、本当に文化国家だなどと誇らしげに言う資格はないのである。》

ここを読んで思ったことは、ある意味で、教化部道場がこの心育館≠フ役割を果たしていたのではないのかと思うのです。

その中核にあるのが、私に言わせれば「早朝行事」ではないのか。

この「早朝行事」を無くしたことが宗教団体にとっては致命的ミスを犯した、そんな気がなりません。

ましてや、その教化部を森の中につくれ、とは何と言う信徒無視の傲慢な指示であろうかと思うばかりです。


“平和は果たして人間の魂を向上せしめつつあるか” (6190)
日時:2017年05月08日 (月) 14時08分
名前:破邪顕正


表題は、『理想世界』誌・昭和42年11月号「十八日のことば」として出てきます。

そして、こう書いてあります。

《平和≠熱願する人々の中には、平和は楽≠ェできる、戦争ほどつらくない−というような利己主義といえないまでも個人的な享楽主義的要求が平和愛好の理由になっていて、自分の国家は余所(よそ)の国の軍隊に護ってくれて、他の国の平和維持するためにでも、自分の国の軍隊を危険なところへ派遣するのは御免だというような甘い考えの人も多いのである。

こんな平和は人間の魂の向上に役立つかどうかを私は時に考えることがあるのである。》

また「十六日のことば 平和・平和・平和よ、汝は何を人類に与える」には、こうあります。

《平和は人類の魂≠フ進歩に必ずしも貢献しないのである。

平和に甘やかされ、あまりに平和で何事もすることもないのでイタズラをすることだけが退屈をまぎらす道になってしまったような平和は、人類の魂≠フ進歩にとって却って麻薬の働きをするのである。》

どうして、これを紹介したかといいますと、関西のある教区では、講師会で、こういうことが言われていると耳にしたからです。

何でも、谷口雅春先生の最後のご説法は、「殺すなかれ」であった。

これをそのまま継承されているのが総裁先生であって、だから「平和憲法」は何としても護らないといけない。

安倍政権は憲法を改正して戦争しようとしているから、断乎、反対しなければならない。

そのために、『ブックレット』をしっかり勉強しましょう!

つまり、「殺すなかれ」→「平和憲法」を護れ→安倍政権打倒!

こういう三段論法を使っているというのです。

谷口雅春先生が「平和」をどう捉えておられたか。

それを知れば、「平和憲法、万歳!」などと能天気に言える話ではないと思うものであります。


谷口雅春先生とご縁のあった創業者たち (6204)
日時:2017年05月09日 (火) 11時07分
名前:破邪顕正


『理想世界』誌・昭和45年5月号「十八日のことば 実社会の企業大学を卒業した人々」にこうあります。

《松下幸之助氏は、京都電燈社長の石川芳次郎から『生命の實相』を贈られて病床から起ち上がった人であり、早川電機の早川徳次さんは、私が大阪へ講演に行った時、生長の家の本を読んでいると誌友が私に話してくれたし、市村清さんは、言うまでもなく生長の家の教えの熱心な実践者で、就寝前の神想観によって常に神からアイディアを受けて、人からアイディア・マンという尊称を受けた人である。》

ここに出てくる、京都電燈社長の石川芳次郎氏については、聖経『甘露の法雨』の誕生のところでこう紹介されています。

『生長の家四拾十年史』から引きます(38〜39頁)。

《『甘露の法雨』は、生長の家発祥当時、しきりに霊観的に私の脳裡にひらめいて来たのを書きつづった自由詩の一つであった。

その頃出て来た私の自由詩は全部『生命の實相』の聖詩篇≠ノ収められているが、別に『ひかりの語録』という携帯型の袖珍(しゅうちん)本に、やはり霊感的短箴言の輯録である智慧の言葉≠ニ共に収められているのである。

これは私がまだ東京へ出ない前の数年間、ただ一般に生長の家の歌*狽ヘ自由詩≠ニして取扱われていたのであるが、私が東京へ移転してから後であるが、京都電燈社長の石川芳次郎氏の外舅(しゅうと)工学博士小木虎次郎氏が、その自由詩の中の一編『甘露の法雨』を読誦すると、医界難治の奇病・難病が治癒することがあり、霊界の祖先の霊が救われると見えるような奇瑞(きずい)が屡々(しばしば)あるので、それを単に詩≠ニして詩集の中にのみ収めておいては功徳を知らない人が多いから、ハッキリとこれは聖経であると明示して折り本型の経本として発行すれば、功徳を受ける人が多いであろうと、生長の家京都教化部で経本式折本として発行されたのであった。》

これからの時代は電機だ!

電機との出会いが松下幸之助の運命を決したと言われています。

その電機がご縁で、松下は石川芳次郎氏と出会い、『生命の實相』に触れ、その後の「PHP」運動へと導かれていったのだろうと解します。

なお、小木虎次郎氏並びに石川芳次郎氏については、頭注版『生命の實相』にも登場します。

例えば、第17巻「宗教生活篇」の「はしがき」にはかくあります。

《本書の一五一頁に小木虎次郎博士とわたしとの問答がある。

「趙州和尚が僧堂にいると弟子が道を聴きに入って来た。

趙州和尚は何を担いで来たか。その担いでいるものを放して来い≠ニ叱りつけたという話がある。

無だ、無だ≠ニ言って無≠担いでいる人がある。

無というもの≠セと思うから無≠担ぎたくなる。

無≠ニはなんにも無いことじゃ≠ニわかったらもう担がなくなる。

裸になってすべてを捨ててこい≠ニ言ったら、着物を脱いで来ることだと思って身体を真っ裸にして出て来るようなことでは、まだ何か股間に提げて来ているぞ≠ニ言われてまごつくようなことになる」と小木博士が言っている。

この何ものをも掴まなくなり、露堂々と生命の実相の完全さが露呈するようになったとき、その人の生命は自由自在となって病気も貧乏も家庭苦もいっさいの生活上の問題が解決するのである。

宗教生活はいっさいの否定をとおして、無≠ウえも否定しきって、その奥にある生命の実相の大自在を発揮する生活である。…

因みに本書の対話の中に出て来る人名はことごとく実在の人であって、石川芳次郎氏はそのころ京都電燈の社長であり、ただ今は京福電鉄の会長をしていられる。

小木虎次郎翁は石川氏の岳父であって明治初年の博士≠フ稀有なころの工学博士である。…》

また、今回、シャープ創業者として知られる早川徳次もまた誌友であったということを知ることができました。

改めて、谷口雅春先生が社会的にも如何に大きな影響力を与えておられたかということを知り、このような御教えに出逢えたよろこびをしみじみと噛みしめているところです。



総裁、教団は明らかに“護憲=反安倍首相”を信徒に植え付けようとしている! (6227)
日時:2017年05月10日 (水) 09時16分
名前:破邪顕正


知人から、教団の『機関誌』『普及誌』それぞれの5月号を見せてもらいました。

そのいずれにも、“護憲=反安倍”思想が色濃く反映されています。

教団は、こういう媒体を駆使して、信徒を洗脳しようとしているのでしょう。

『理想世界』誌・昭和45年9月号「十五日のことば 群衆心理は催眠状態である」にこうあります。

《…個人を群衆に組織し上げて、それを一種の被催眠者の集団に仕立てあげるのは、巧みな言葉の力≠フ積み重ねであるのである。…

最初は、その言葉の事柄が不合理なことでバカらしいと思っていても繰返して言われていると、その不合理を不合理と感じられなくなり、言葉の言う通りに服従して動き出すようになるのである。…

「反安保」「反安保」と言葉の力≠ナ繰返されているうちに、道理を超えて群衆は「反安保」の心境に誘導させられてしまうのである。》

最後の一文を借りて、今の教団のやっていることをもじるならば、さしずめ、こういうことになろうかと思います。

《「反安倍」「反安倍」と言葉の力≠ナ繰返されているうちに、道理を超えて信徒は「反安倍」の心境に誘導させられてしまうのである。》

今回の「白鳩会幹部研鑽会」でも、佐藤白鳩会長が閉会の挨拶で「反安倍」を言い募っていたというのですから、その徹底ぶりは推して知るべし。

それを言わないとすまされない空気≠ェ本部内には横溢しているということの何よりの証左でありましょう。

「反安倍」にあらずんば本部員にあらず!

それがどんどん第一線へと浸透していって、「反安倍」にあらずんば信徒にあらず!

そういうところまでいくのでありましょう。

洗脳のコワサを改めて思い知らされている昨今です。


「総裁に中心帰一せよ」という信徒には、尊師のこのご文章を味読してほしい (6248)
日時:2017年05月11日 (木) 18時35分
名前:破邪顕正


『理想世界』誌・昭和45年12月号「十五日のことば 与える心≠ニ受ける心=vにかくあります。

《先日も東京の地方講師や伝道員ばかりの実相研鑽会で、地方講師の一人が七つの燈台の点燈者の神示≠ノ「皇恩に感謝せよ、汝の父母に感謝せよ」とあるその次に「師恩に感謝せよ」を是非入れて貰いたいという要求が出されたのであるが、私は「師恩」を書くことを忘れたのではなかったのである。

それは、私自身が「師」という立場に立っているから、「師恩に感謝せよ」とあったら、「私に感謝せよ」といっていることになるので、特にそれを消してしまってあったのである。

愛を施す者は、人から感謝されたいと思ってはならないが、施されて何らかの益を受けつつある者は、「施される権利が自分にはあるんだ」などと高い姿勢をとることなしに、感謝の念を起こすようにすることによって、周囲との調和が得られ、自分自身も幸福感を享受することができるのである。》

尊師がこういうご姿勢であればこそ、信徒は自ずと「尊師に中心帰一」し得たのであろうと拝察する次第です。

声高に「中心帰一せよ」と言わなければならないのは、それだけ却って「中心帰一」できていない現実があるからでありましょう。

なぜ、そういう現実が出来したのか。

本当はそういうところにこそ、深刻な組織上の問題が横たわっていると思うものであります。


総裁の「白身・黄身」の目玉焼き理論の根本的誤謬は、それが中心から逸脱したことにあり! (6313)
日時:2017年05月15日 (月) 18時15分
名前:破邪顕正


『理想世界』誌・昭和46年4月号「二十日のことば 個性を発揮しながら中心から逸脱しないこと」には、こうあります。

《創始者への恩に背かず、創始者の発見した真理の上に立ちながら、単なるその亜流にならずに、独創的な業績をあげ、世界の文化に貢献しつつ、世界の渦の中に巻き込まれて個性を失うようなことをせず、単に創始者の理想を一層大きく発展させる者こそ、真に創始者の弟子だということが出来るのである。

真理は中心であり、創始者はその中心≠フ周囲に自己の時間の許す限りの輪を描く…次に続くものが、創始者の円の上に同じような円を重ねて描く…更にその次に続く者は一層直径の広い同心円を描く。

それは同心円であるから真理の中心から逸脱する事はない。…》

今の総裁、並びに教団は、私に言わせれば、その同心円上にはない。

有り体に言えば、その同心円から逸脱して、全く別の円を描いてしまった!

それに感づいた信徒が、どんどん、その円から離れてしまっているということなのだと思います。

全く別の円であるのに、看板は「生長の家」だから、その看板だけを見て、中身を吟味することなく、同じ物だと錯覚してしまっている信徒さんたちがまだまだ残って総裁・教団を支えている…。

しかし、私は決して悲観してはいません。

昨今の講習会の惨たる現状を見れば、目覚める信徒はこれからも陸続と生まれて来ると確信しております。

だって、そこには「真理」がないのですから!

「トキ」さんならずとも、こんな「本部通達」では信徒はやりきれませんよ。

>1年に2ヶ月は、「技能や芸術的感覚を生かした誌友会」なるものを全部の教区で集中的に開催することが義務化されました。

つまり、1年に2ヶ月は、「クラフト」をすることが義務化されるわけです。

従来から、「技能や芸術的感覚を生かした誌友会」なるものは開催が奨励されてはいましたが、1年に2回とは言え、これ以外の内容が禁止されるのですから、驚きです。<




「危機感を煽るな」という人は、尊師のこのお言葉を肝に銘じてほしい! (6328)
日時:2017年05月16日 (火) 13時11分
名前:破邪顕正


『理想世界』誌・昭和45年5月号の「二十二日から二十五日のことば」を拝読させていただくと、今日の「平和論」が如何に浅薄きわまりないものであるか、判然といたします。

まず、尊師はこう説諭されます。

《人間は何故「平和、平和」と叫びながら、「平和」とは本来ウラハラである闘争を重ねるのであるか。

これは結局、力による激闘を通してのみ生き延びて来た原始人時代からの体験の記憶が潜在意識に業因≠ニなってレコードされていて、それが、外敵と見えるものの接近を予感するとき触発されて、レコードにある闘争本能が再現されて来るのである。…

人類の潜在意識が動き出して、現在意識の合理性を超えて、過去のデーター(業の蓄積)に従って闘争習性が動き出すのである。》

まさに、尊師ならではの「人類の潜在意識」からの国防論は、時空を超えて、今でも充分な説得力をもっています。

そして、更に重要なことは、侵攻することは有利との判断が潜在意識裡に渦巻いていることなのだと尊師は次のように言われるのです。

《戦争もその一種であるから、みだりに、「相手は平和国家で決して攻めて来ることはない」などと安心して無防備でいると、相手国は「吾らは嘗て、こんなに相手の防備力が薄い時に攻めて勝利を得た」という業因蓄積のコンピューターが動き出して「侵攻は有利」という回答が出ると共に攻めて来る危険があるのであるから、国防のことは常におろそかに出来ないのである。》

戦後の「平和ボケ」では窺い知ることの出来得ない、この人類の奥底の心理をしっかりと見据えて安全保障は考えていかなければならないと改めて思ったことでした。


やはり「鎮護国家」を外したのは、御教えへに対する大いなる反逆なり! (6333)
日時:2017年05月16日 (火) 18時35分
名前:破邪顕正


表題について、『理想世界』誌・昭和47年1月号の「二十六日のことば 無≠フ門関を超えて竜宮無限次元の世界に入る」から検証させていただきます。

まず、ここで尊師は、皇學館大学教授の佐藤通次先生のご著書を紹介されて、こうお書きになっています。

《佐藤通次氏は、生政連の田中忠雄氏がその近著『こころの原点』に於いて、市川白弦氏の「鎮護国家や興禅護国を説くのは国家権力への阿り≠セ」と批判しているのに対して明快に反論していられるのを称揚していられるのである。

田中忠雄氏の『こころの原点』が出版されたとき、私もこの市川白弦氏への反論のところを読んで、田中氏に手紙を送って激称したことがあったが、佐藤博士のお考えも私と同じようである。》

これを見れば、総裁のやった「鎮護国家」外しが如何に尊師の御心を傷つけるものであったか、思い半ばに過ぎるものがありましょう。

因みに、市川白弦氏とは如何なる人物か。

明治35年2月28日生まれ、花園大教授。

禅を社会倫理的に追究し、平和運動、反戦運動にもくわわった、とあります。

著書に『仏教者の戦争責任』があることからして、如何なる思想の持ち主か、お察しいただけると思います。

今の総裁なんかは、きっとお気に入りの人物ではないでしょうか。


尊師は「環境問題」(当時は公害問題)をこのように説かれた! (6356)
日時:2017年05月19日 (金) 09時39分
名前:破邪顕正


今の総裁・教団は、環境問題ばかりにご執心で、やれ「ノーミート」だ、「自転車」だ、「クラフト」だとか、盛んに喧伝していますが、もし、尊師であればどうお説きになるでしょうか。

『理想世界』誌・昭和48年3月号から引かせていただきます。

まず、「二十日のことば 神の恵みに満たされているこの世界」からご紹介します。

《…今や公害、公害≠セと叫ばれ、空気の汚染≠ェ問題にされているが、そのような結果を引き起すに到った原因は、結局、空気を唯の無尽蔵の物質≠セと思い、それに感謝する精神をわすれてしまい、それを汚すことを平気でやり続けて来たからなのである。

もし空気が「神からの賜」だと思ったならば、その人は、空気の前に恐懼して感謝し、神の賜を汚してはならないと、もっと清潔に保つように工夫したに相違ないのである。》

続いて、「二十一日のことば 公害の根本的原因」にはこうあります。

《…実は石油は太陽の恵みの変形物に過ぎないのである。

それなのに、太陽に対して合掌礼拝して感謝をのべる人は、現代には殆ど全くといってよいほど見当らないのである。

こうして感謝のない心≠フ人間が造りあげた物質文明が結局その文明の最盛期に於いて人類全体の滅亡を招くような公害の充満せる世界をつくり上げてしまったのである。

人間は蛇の知恵≠ノだまされ、知識の果実≠食して、あまりに自然を利用する≠ニ称して自然に感謝することを忘れたために、このような公害だらけの世界を現出せしめてしまったのである。》

更に、「二十二日のことば 先ず感謝の心を起して神の叡智を受けよ」では、こう続きます。

《神の智慧によって積み上げた人間世界の幸福は、それが神の智慧によって支えられているが故に朽ち果てることも、焼け滅びてしまうこともないのである。

しかし神に背いて、寧ろ神を否定し、神を征服するような気持もってつくり上げた文明は、それが如何に絢爛豪華に見えようとも、やがて、それは一瞬のうちに崩れ落ち、燃え尽きて灰燼となる時が来るのである。…

先ず人類は神への感謝の心≠甦らせて、そこから神の心≠ニ波長が合う心となり、神の叡智の流入を受け、それによって公害除去に努めなければならぬのである。》

読まれて如何ですか?

尊師が仰るような導きであれば、今の「環境問題」の取り組みにしても、そんなに違和感、抵抗感等を感ずることはなかっただろうと思うのです。

何事も、まずは尊師の御教えに帰れ!

そこから出発しなければ、本当の「生長の家」とは言えないと改めて思った次第です。



「住吉大神」を外して「生長の家」は有り得ない! (6520)
日時:2017年06月03日 (土) 11時58分
名前:破邪顕正


『理想世界』誌・昭和39年2月号「日本建国の理念と天皇の系譜」の中で、「盬椎大神と天孫降臨との関係」と題してこう記されています。


《…此の邇邇芸命が天降ろうとしておられる時に、その時に道案内をしたのが盬椎神即ち住吉大神であり、生長の家大神であります。

ここにも天照大御神様が御生まれになる時に、伊邪那岐大神のミソギの神業の最後の御ハタラキとしてこの世界を浄めて、天照大御神を御安産おさせ遊ばしたのが住吉大神であるという因縁がやっぱり繰り返されているという事に気がつかなければならないのであります。

ここに重大な、神と神との御因縁があるのであります。

即ち天照大御神の誕生と住吉大神、天孫降臨と盬土の神の御導きという風に同様の因縁が繰返されていることであります。》


谷口雅春先生は、敢えて「ここに重大な、神と神との御因縁があるのであります」とまでお書きになっておられます。

まさに、切っても切れない、それほどの重大な結びつきがあるということなのです。

ところが、今の総裁は、勝手に、総本山の御祭神から「住吉大神」を外してしまいました。

そして、何かに付け「ムスビが大事だ」と言い募っております。

よし、そんなに「ムスビ」が大事というのであれば、「天照大御神の誕生と住吉大神、天孫降臨と盬土の神の御導き」、その“御因縁”を断ち切ってはならないのではありませんか。

そもそも、住吉大神は生長の家大神であるのですから、生長の家総本山に生長の家大神がいまさないということがあっていいはずがないのです。

ご祭神から「住吉大神」を外すということは、谷口雅春先生の「生長の家」そのものの否定、破壊であると改めて思うものであります。


住吉大神の啓示が聖経「甘露の法雨」なり! (6534)
日時:2017年06月04日 (日) 12時24分
名前:破邪顕正


表題は、『理想世界』誌・昭和39年3月号「日本国家の基礎となるもの」の「『甘露の法雨』叛乱軍に対して奇蹟をあらわす」と題する中の最後に出てきます。

まずは、田中静壹大将のお話が紹介されます。

そしてこう記されます。

《…この神秘なる事実によって、生長の家の神様即ち住吉大神即ち塩椎神様は、今までもそうであったように、日本の危急の場合にかくの如く日本を救い給うところの不思議なる奇蹟的な導きをあらわし給うのであることが判るのであります。…

かくの如くして日本の重大時機に現われて日本を護り給うのが生長の家大神であられますから、生長の家の誌友や信徒になっている人も、なっていない人も…すべて生長の家大神のお蔭を受けていない人はないわけであります。

だから、すべての日本人はすでに潜在的には住吉大神のおかげを受けて、住吉大神の信徒であるわけであります。

今後、世界の情勢がどんなに変化して、日本が危機に立たせられる時がありましても、日本を護り給うのは生長の家大神であります。

だからそれだけの自信を持って、日本国民全体に生長の家を弘め、聖経『甘露の法雨』を持たせてあげたい。

炭坑爆発や交通事故頻々としてある際、その危険の中にあって奇蹟的に救っている顕著なる実例をもっているのも、この住吉大神の啓示によって書かれた聖経『甘露の法雨』であります。》


これだけを読んでも、ご祭神から「住吉大神」を外すなどということは、絶対にあってはならないことであったということがおわかりいただけるだろうと思います。

それにしても、

“すべての日本人はすでに潜在的には住吉大神のおかげを受けて、住吉大神の信徒である”

何と言うお言葉でありましょうか。

私は改めて、谷口雅春先生の御教えの素晴らしさに思いを新たにした次第です。



「住吉大神」を外した教団に、果たして、神さまのご守護が期待できるのか? (6549)
日時:2017年06月06日 (火) 09時27分
名前:破邪顕正


表題は、「生長の家の神様即ち住吉大神」という尊師のお言葉を拝して、改めて感じたことであります。

ご存じのように「招神歌」の4首目はこうなっています。

《天地(あめつち)の祖神(みおや)の道を伝えんと顕(あ)れましし

生長の家大神(せいちょうのいえのおおかみ)守(まも)りませ。》

つまり、これは生長の家大神のお守りを信じるみ言葉となっているわけです。

そして、その生長の家大神とは即住吉大神であるわけです。

言うなれば、第4首目は、住吉大神のお守りを願い、確信するというものであるわけです。

ところが、総裁、教団は、その「住吉大神」をご祭神から、外してしまいました。

だったら、「住吉大神」のお守りは期待できないのではないでしょうか?

今の教団に残って、神想観を実修しても、「生長の家大神即住吉大神」のお守りは期待できませんよ。

それほどのことを総裁、教団はしたのだと、心ある信徒の皆さまには、はっきりとお伝えさせていただく。

それは、決して“悪口”には当たらない。

信仰の根幹に関わる、とても大切なことのように私は思っております。





名前
メールアドレス
スレッド名
本文
文字色
ファイル
URL
削除キー 項目の保存


Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板