《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

本流宣言掲示板」「光明掲示板・第一」「光明掲示板・第二」「光明掲示板・第三

谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
この掲示板の目的
この掲示板のルール
本掲示板への書込法
必ずお読みください
管理人への連絡
重要リンク
TOP PAGE

Página de Português/ポル語ページ
 

 

「天皇の實相を直視して」  谷 口 雅 春 先生 (6052)
日時:2017年04月29日 (土) 10時56分
名前:童子


 日本国を形成している理念すなわち “日本精神” というものは、実相世界に存在する中心帰一・一円相の理念(マコト)であって、それが現象世界の全ての面に象(かたち)として現われている。


 それは言葉にも現われ、また日本の国家理想 ― いわゆる国体 ― としても現われている。

 
 天皇が国家存在の中心であらせられて、全てのものはその中心に帰一している。


 実相世界すなわち “神の国” に於いては唯一の神が中心に在ましてすべての存在がその中心に帰一している ― これがキリストが訓えた 「御心の天に成るが如く地にも成らせ給え」 という祈りの 「天国」 のすがたであり、これがマコトであり、真理である訳です。


 このように人間は神の生命を分かちもち、神を中心に神の国を形成している。 それで、人間は神の子であるというのが実相であり、真理である。



 ところで、戦後、今まで日本精神を説いておられた日本主義の人たちが、天皇を弁護するために掌を返すように 「天皇は神ではない」 と言い出した。


 というのは、上陸して来た占領軍が、戦争中に、こんな小さい国で物資が乏しいのに、どうしてあんなに強い戦力をもって長期間連合軍と戦うことができたかを研究した結果、日本人は天皇を現人神(あらひとがみ)すなわち、人として現われているが御本質は神であると信じて、“天皇の御為(おんため)なら” と不惜身命に国をまもるために戦った結果だと知った。


 それで今後、日本が再び強国として立ち上がらないためには天皇を処刑して天皇制を廃しなければならぬと考えていたことを知り、天皇が処刑されたり、天皇が廃されては大変だと、天皇を弁護するために、国学知識のある日本人がこう言い出した  ――



 「日本で神というのは、キリスト教のゴッド(God)とは異うんだ。 西洋流の天地創造の、全知全能の神(ゴッド)ではないのである。

 日本民族が一般に “神” というのは “上(かみ)” であって、上(うえ)つ方の “上(うえ)” みたいな意味をもっているのであって、蛇であっても白狐(びゃっこ)であっても、ともかく奇しびなる働きをする生きものを、何でもみな 『神』 として尊敬し祀って来た。 それが日本の考え方である。

 日本人が天皇を現人神と称したのも、決して、天皇は絶対神のあらわれで、天地の一切のものを支配する権威をもち給うというような、そういう存在ではないんだ。

 その証拠に天皇は、御自分が神でないから、賢所(かしこどころ)、神殿をもうけて神を拝んでいられる。 伊勢神宮にもお詣りになる。

 御自分が神だったら神を拝まれる筈はない)



 こういうような論法で天皇を弁護して、天皇を全知全能の神さまから引き離してしまうような言論が日本精神側に横行するようになったのです。


 その言説に占領軍は多分影響を受けたのでしょう。 占領軍は天皇に 「わたしは神ではない、普通の人間に過ぎないから、そんなそ神と思って尊敬してはならない」 という 「人間宣言の詔勅」 を発布させたりしたのです。



 しかし私は天皇さまを、実相を直視して全知全能の

 

つづきです。 (6055)
日時:2017年04月29日 (土) 14時37分
名前:童子


 しかし私は天皇さまを、実相を直視して全知全能の神の御現われであるというように今も考えているのです。

 私の考え方は、前述のような日本精神者の方便的言説とは断然違うんです。 弁護のための方便的言説と、実相を直視して真理を説く言説とは異うんです。

 白狐は稲荷大神であり白蛇は弁天神であるというような意味での神だったら、「人間神の子」 という真理を知っても人間に内在する無限力を解放することにはならないのです。


 「人間、神の子」 という場合に、“全知全能、無限力の神”の子であるという、そういう自覚から出発しなかったら本源に“無限力”がないから、何も大したことにはならないのであります。


 平田篤胤式に神というのは、不思議なる働きをするものは、何もみな神であるというので白狐みたいな獣類でも、蛇のような爬虫類でも皆神であるとして日本人はそれらの動物を神さまとして祭っているのだというような考え方で神さまを想像して、「人間は神の子である」 と教えられたのでは、“神の子”というのは爬虫類や獣の子と同類に資格下げされたことになると私は思うのであります。


 それですから、この種の神殿で、天皇を神として尊敬するという事もそれに類して、白狐や白蛇大明神と同様に尊敬するということに成りかねないのです。

 それと違って私が天皇陛下を尊敬するのは、天照大御神の御いのちの現われとして尊敬するということであります。


・・
 
 日本的思惟の中にも、西洋的な宇宙の創造主としての絶対的な神観が含まれていることを忘れてはならない。

 今や日本神国とは 『人の中の優れたるものをカミと云う』 と云うが如き徳川時代の復興国学たる本居宣長式な神観を去って、堂々 『古事記』 の冒頭の神観に復元せしめねばならぬ時代なのではあるまいか。


 こう云うような神観が徳川時代に主として国学の復興と共に行われるようになったのは、当時、朱子学や陽明学が支那から輸入せられて来たのに対して、日本の道を鮮明にせんとする反動精神によって、日本の道を外国の教と強いて明確に甄別せんとするために、日本の道そのままを述べずして、強いて外国の教と異るように説こうとして包容力を失ってしまった弊と観ることが出来るである。


 『國體の本義』 に書かれてあるような天照大御神を狭義に於ける日本特殊の神と理解出来るような表現の仕方はこの際改めなければならない。

 天皇の霊的祖先は日本民族の精神歴史的伝承に於いては天照大御神である。 天皇が日本国の象徴として、国民統合の象徴 〈国家の中心的代表〉 として、日本国の生みの親たる天照大御神の御魂をいつき祀りて礼拝するのは当然のことである。


 国家の代表象徴であらせられる天皇が、国家の生みの親たる天照大御神を礼拝し、国家の大事を御報告になるのは決して私事ではない。 瞭然たる国事である。



名前
メールアドレス
スレッド名
本文
文字色
ファイル
URL
削除キー 項目の保存


Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板