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- 日時:2017年04月19日 (水) 22時25分
名前:童子
さて、此の現象世界の一切の苦厄、色々の苦しみ、悩みですね、此の一切の苦厄のみちている苦しみの世界から逃れて、彼岸 ― 苦しみの無い処の彼方の世界 ― キリスト教的に言うと、「天国」 とか 「エデンの楽園」 とか言う。 その 「実相の世界」 へ行くのには、どうしたら行けるのであるか。
それは別に、飛行機に乗ったり、物質の船に乗ったりして、行くんじゃないのであって、吾々の心に依って行く訳です。
で、心によって如何に観ずるか、という事に焦点がしぼられて来るんですね。 「観ずる」 というのは 「心で見る」 ことです。
そこでですね、観世音菩薩は一切の苦厄を度すのに 「五蘊(ごうん)は皆空(かいくう)と照見(しょうけん)せられた」 と、斯う書かれています。
「五蘊(ごうん)」 というのは 「色受想行識(しき・じゅ・そう・ぎょう・しき)」 い言われる処の五つのものであります。
「蘊」 という字は、これは 「波」 という意味もあれば 「重なる」 という意味もある。 凡ての物は、現代の科学で言っても、「波動」 であって、その 「波動」 が色々に重なって、一切の物が現れている、という事になっているのであります。
その波動的存在を 色(しき)・受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき) の五つに分けて、それを仏教では 「五蘊」 と斯う言っている訳です。
で、その 「色受想行識」 のうち 「色(しき)」 という字は 「いろ」 という字が書いてありますが、現実世界で言うと物質の事であります。
天界にも 「色(しき)」 がありますから、物質だけじゃありませんが、波動に依って 「物質的な象(かたち)を現わしているもの」、これを 「色(しき)」 と言うのであります。
色界(しきかい)の天人の体なんかの事を、色(いろ)の身(からだ)と書いて 「色身(しきしん)」 と言うのも、そのためであります。
波動を以て現わしている所の体(たい)のことを言うのであります。
此の地上の、現実の人間でなくても、吾々の方から見ると、天人の姿などは見えませんから、体(たい)をあらわしていないようですけれども、天人同士で互いの体(からだ)を見ると、「物質的形態(かたち)」 を現わした体(からだ)と見えるのでして、これを 「色身(しきしん)」 と言うのです。
天人の世界にある 「物」 も、全部この 「色(しき)」 でできている訳です。
つづく
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