《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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<朗らかに笑って生きよ> (5747)
日時:2017年04月09日 (日) 21時32分
名前:平賀玄米


皆様、有難うございます。
この表題は御存じ『生命の實相』第七巻 生活篇(二)の謹写です。 
もとよりこれは伝統様の掲示板で、既に掲載されていて、皆様もお読みになられた事と存じますがそれでも敢えて、小生がまた掲載するのは、この素晴らしい御文章を繰返し読んで頂きたいからに他なりません。潜在意識は繰返しに反応する、と、彼のJ・マーフィー博士も申しております。

ご参考までに、『笑いの効用』満載の伝統様のスレッドを下記、ご紹介させて頂きます。
 
     ☆笑って、笑って、笑い飛ばせ!
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=24
 ☆笑って、笑って、笑い飛ばせ!@
    http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6455695
     ☆笑って、笑って、笑い飛ばせ!A
http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6809463
        
    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜^

         <朗かに笑って生きよ>

『道は満ちるなり。天照大神の御分身のみちてかけぬよう遊ばさるべく候。人は陽気ゆるむと陰気つよるなり。陰気かつ時は穢れなり、けがれは気枯れにて太陽の気を消(か)らすなり、其処から種々色々の事出来(しゅつらい)するなり。何事も有りがたい有りがたいにて日をおくり成され候へば、残らず有りがたいに相成り申すべきなり。』

『何程道を守り候共、心陰気に相成り候わば出世相成り難く申し候、何卒春の気に相成り候て御執行なさるべく候。』

これは七日間に両親を相つぎて失い、悲嘆のあまり肺結核にかかりて命旦夕に迫りし黒住宗忠が豁然大悟(かつぜんたいご)してすべてが有り難く感ぜられ、明るき心になりし結果、さしもの大患、太陽の前の霜の如く消滅せし体験をば人に教えられし書簡のうちの一節である。、

世の病人よ恐るる勿れ。心さえ明るくなれば肺結核でも癒えるのだ。諸君よ、笑え、笑え、盛んに笑え。黒住宗忠も肺結核を治した当座は、人から気が違ったと思われる程、間断なく笑ったそうである。

では吾らは快活に小鳥のように陽気の満ちた生活を送ろうではないか。陽気の充ちた家は必ず生長する。その家は『生長の家』となる。此の世界は何も吾々が悲しんでやらなければ悲しみに不足して困ると云うようなことはないのである。黒住教祖に倣(なら)え、陽気になれ、嬉しいことを語れ、燥(はしゃ)げ哄笑(こうしょう)せよ。併し苦笑や冷笑はおことわりだ。

黒住教ばかりではない、西洋にも実例がある。カリフォルニアに一人の婦人があった、とマーデンも書いている――悲惨な運命に打ちくだかれてそれ以来憂鬱症にかかった。夜は眠れない。食べものは味がなくて食べれば胸につかえる・・・等々の症状を呈した。そこで彼女は此の憂鬱を払いのけんがために一大決心をして実行にとりかかった。

彼女は一日少なくとも三回、どんなことがあっても必ず心から声を出して笑うと云うことに極(き)めたのである。それで人と話しているときなど、一寸した機会があっても必ず心から笑うようにし、自分の部屋にいるときには鏡を見て笑うようにしたところが、間もなく健康が見ちがえるように良くなり、性格も一変して明るくなった。こうして主婦が快活になると共にその家庭は明るい愉快な幸福な家庭になって了った。家庭の明るいと暗いとは主婦の笑いの分量によるところが多いのである。

笑いはただその人自身を健康に愉快にするばかりではない。快活な人は周囲に幸福と健康とを播いて歩く。明るい朗らかな深切な笑顔を向けられては何人も幸福にならずにはいられない。そういう人が医者であれば、患者は医者の顔を見るだけでよくなったりするものである。

笑いの医療的価値はやがて一般にみとめられて来るであろう。もし此のことが一般に認められ一般に利用されるようになるならば、病気の大半は医者も薬もなしに吹っ飛ばされて了(しま)うに相違ないのである。自分が中学の学生時代に校医をしていた別所彰善氏は本職の医者をやめて笑いの医療的価値を宣伝して多くの治療例を発表している。

会費が高いのが珠に瑕だが、併しいくら高くても朗らかな笑いの神薬は、医者の選んだ不確かな薬
よりも効き目はたしかだ。実際高らかな朗らかな笑いは自然が与えた最良の強壮剤である。哄笑を爆発指す時、憂鬱な心で抑えつけられていた生理作用は忽ち活発に活動をはじめる。

血液の循環は順調になり、白血球の食菌作用は増加し、自然療能は盛んになる。だから『生長の家』の生き方をする家には病気の悪魔は這入れない。最近生長の家の某氏は、医家が不治と宣告した老婦人の子宮筋腫を笑いの修行で治された。

以下、次回へ続く。

     <平成29年4月9日 謹写> ありがとうございます 合掌。


藤本憲幸著「笑いで奇跡がつぎつぎ起こる」より

 (5756)
日時:2017年04月10日 (月) 10時24分
名前:平賀玄米


<朗らかに笑って生きよ> (5758)
日時:2017年04月10日 (月) 10時45分
名前:平賀玄米


(5756)は没です。失礼いたしました。

先回の終りの方に、最近生長の家の某氏は、医家が不治と宣告した老婦人の子宮筋腫を笑いの修行で治された。と記されていましたが、『生命の實相』頭注版・第15巻 人生問答篇に、この件に関したお話が載っておりますので、下記転載させて頂きます。
       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

             <新生活への出発>より

何よりも、今幸福でない者は、笑いの分量が足りなくないかを顧みよ。人は笑うのも自由である。しかめ面するのも自由である。しかし笑う者の運命は光のごとく輝き、しかめ面する者の運命は闇の底に沈衰する。諸君はそのいずれを選ぼうとも自己の好みに委されたまったくの自由を許されているのである。

光となって輝きたい者は笑うがよい、闇の底に沈衰したい者は眉をしかめるがよい。幸福でもないのに笑えないというな。笑わないから幸福が来ないのである。

本篇に収録された話の中に、六十余歳になる大阪の某老婆が医師より数年前子宮筋腫の診断を受け不治と断定せられたのであるが、ある日『生長の家』誌友から「生長の家の生き方に従って大いに笑いなさい。そうしたら治ります。そのほかに治るほうほうがない」と教えられ、そのとおり行って治った話がある。

最初老婆は「そんなにおっしゃってもおかしゅうないのに笑えません」と答えたのだった。するとその誌友は、「笑うのも体操と同じことです。体操はひとりでに身体が運動できてこないでも、体操をしょうと思ったら身体が動くでしょう。おかしゅうなくても、笑おうと思えば笑えるものです

おかしゅうて嬉しゅうて愉快で笑えるにこしたことはありませんが、おかしゅうなくとも笑うように努められれば自然に必ず愉快になり、お腹の塊が溶けてくるものです。あなたのこのお腹の塊は医学的には子宮筋腫だが、精神的にいえば気のふさぎの塊ですよ」と説明した。 

それ以来、老婆はこの誌友の言に従い、毎日努めて笑うようにしたところが、だんだんその子宮筋腫が小さくなって治ってしまったという。これは昭和六年十月十七日生長の家本部における座談会で話された実話である。

つづく。

<平成29年4月10日 謹写> ありがとうございます 合掌。


藤本憲法幸著「笑いで奇跡がつぎつぎ起こる」より

笑いは脳に多量の血液を送り、脳を活性化する

<朗らかに笑って生きよ> (5788)
日時:2017年04月11日 (火) 10時57分
名前:平賀玄米

 
        <新生活への出発>より

諸君よ、神の子たる諸君の食卓は「歓びの食卓」でなければならぬ。どんな栄養料理も悲しみと一緒に食べては栄養にならぬ。あらゆる栄養品のうちで、歓びという無形の精気ほどわれらを元気づけるものはないのである。どんな粗食でも「歓び」という無形の采を添えて食べるとき最上の栄養食に変わるのだ。食事にうんと歓びのお采(かず)をつけて食え。そうしたらどんな消化不良でも治ってしまうのである。

タカジアスターゼを一瓶すっかり服むよりも、食事時三十分間の快活な笑いの方がよく効く消化剤となる。食事時には出来るだけ諧謔(おどけ)を言え、滑稽(こっけい)を話せ、機知(ウイット)を飛ばせ。この習慣が日本中の家庭家庭に広がってゆくとき、日本中の病人は半分に減ってしまうであろう。

鉢植の盆栽も、終日、部屋の中へ閉じ込めて置いては間もなく枯れてしまうけれども、一日数時間あて太陽の光にあててやるとなかなか枯れないであろう。植物の葉に緑を与え、その花にいろいろの色彩を賦(あた)え、その果に美しい光沢と美味しい味を与えるものは太陽の光である。それと同じく人間の心にも太陽の光が必要なのである。

心に必要な太陽の光とは、光の名に相応しい、生命の自然から湧き起こる明るい歓びである。「生命」は「生命」であってそのほかの何物でもない。生命は躍動がその本然のすがたであるから、それを自然のすがたに置くとき躍動するほかはないのである。「生命」はその歓喜がその本然のすがたであるから、それをその自然性に委せるとき歓喜するほかはないのである。

本当の聖人とは常に几帳面に正座し真面目くさって冗談一つ言わない窮屈な人間のことではない。「生命」のその本然に従って歓びを自由自在に形にあらわし、大笑し、哄笑し、跳び廻り、踊り廻り、周囲の人々にも自分の歓喜を感染さしうるような人こそ本当の大聖なのである。

つづく

     <平成29年4月11日 謹写> ありがとうございます 合掌。



藤本憲幸著「笑いで奇跡がつぎつぎ起こる」より
  

<朗らかに笑って生きよ> (5832)
日時:2017年04月12日 (水) 18時16分
名前:平賀玄米


<新生活への出発>より

子供は総じて大人に比べて大聖の資格を備えている。彼は流るる水の如く生まれたままの「生命」の自然性を失わずに歓びを流露して跳躍するからである。「天国とは幼児のごときものなり」と
キリストはいみじくも言っている。大人が子供に比べて静かで落ち着いているのはよい。渓流は奔湍となって激するが、大河と深淵とは底で流れていても表面は静かである。しかし大河も深淵も渓流と手をつないで動いているのである。

されば大人も子供と手をつないで私の様に躍り跳ねるがよいであろう。渓流と手をつないで動かずして、底の流れが新陳代謝しない淵があればその水は腐って悪臭を放つ沼となるであろう。子供の魂と一緒に歓喜し、子供と一緒に手をつないで笑い興じ得ない大人には、その精神状態のどこかに自然性に逆らったところがあるのである。

だから諸君よ、諸君は子供の騒がしいのを叱りつける前にまず無邪気に子供らしくなれない自分を叱りつけ、出来るだけ子供のように無邪気に飛び跳ね笑い叫び得るように修養するがよいのである。これを諸君の生活の課題として勤めよ。諸君にしてそんな暇がないと言いたいならば、私を見よ、講習会、講演会、五雑誌毎号の執筆と、二重の生活をしている私は諸君に比べて暇が多いであろうか。 

諸君にして精神的な人間は躍ったり跳ねたり出来ぬと言いたいならば私を見よだ。「生長の家」人類光明化運動に心を捧げている私は、諸君に比べて精神的でないであろうか。然し私は子供と手をつないで一緒にダンスし一緒に大笑し、一緒に哄笑する!そうすれば別に家庭の外にダンス場は要らない、家庭がダンス場となり、歓楽郷となり、そこからは細君のヒステリーも、子供の虚弱も、吹っと飛ばされて消えてしまうのだ。

つづく

     <平成29年4月12日 生命の實相 第15巻 新生活への出発(13P〜14P)より謹写> 

           ありがとうございます 合掌。


   <満開の桜>


<朗らかに笑って生きよ> (5876)
日時:2017年04月15日 (土) 17時48分
名前:平賀玄米


       <新生活への出発>より

人間は笑いに興じたい欲望を「生命」の本然の性質としてもっているのである。澄ましていて冗談ひとつ言うことを淑女としての慎みがないと思って表情を固くしている細君は、ともすれば良人を
家庭の外のもっと笑いの多い世界に逐い出すのである。淑女と笑顔一つほこらばせずに、事務的な語調で必要な事だけ話して、あとは黙って澄ましているものだと思っていては間違いである。

本当の聖人が幼児の如く大笑するように、本当の淑女も幼児の如く大笑し、蝶々の舞うが如く舞わねばならぬ。学校の助教員をしてきたような婦人がやがて人妻になった場合、生真面目一方で冗談一つよう言わず、そこに一つも女性的な生命の躍動があらわれていなかったために家庭を崩壊してしまったような実例は世の中に沢山あるのである。

諸君よ、この書を手にせられたのを機会に今日からあなたの家庭をもっと明るく笑いに満ちたものにしょうではないか。苦い顔は家庭の外でもう見飽きるほど見ているのである。嫌味や小言はもう飽き飽きするほど家庭の外で聞かされているのである。

せめてわれらは家庭にいる間だけでもわれらの人生を楽園としようではないか。われらが外に出て人生の戦いを戦うとき、振り返って、帰れば楽しい明るい慰めらるべき家庭があることは何という力強いことであろう。

諸君よ、この人生の楽しいオアシスを、決して苦い火宅とするな。あなたの天国に地獄を持ち込むな。一歩あなたの家庭に入るとき、そこを天国だと思え。家庭の全員が、そこを天国だと思うようにするならば、そこに本当の天国が出来上がるのである。

つづく

    <平成29年4月15日 生命の實相 第15巻 新生活への出発(14P〜15P)より謹写> 

       ありがとうございます 合掌。


<朗らかに笑って生きよ> (5899)
日時:2017年04月17日 (月) 15時58分
名前:平賀玄米


諸君が若し或る会社につとめていて事務所の単調な砂漠の様な仕事の連続に飽きて来た時、若し、その仕事と仕事のつながりに、一寸した洒落、ジョーク、諧謔などにしょくはつされて哄笑が飛び散るならば諸君は砂漠でオアシスを見出したように蘇生(よみがえ)って再び元気よく仕事に掛かれるであろう。

聡明な上役は、仕事の合間に下役の気を引立てるような罪のない諧謔を飛ばす。能率を望む実際家もまた笑いの効果を知らねばならない。上手な教育家は生徒を時々ユーモラスな話で笑わせながら授業を進めて行く、それで生徒に喜ばれて却って成績が好いのである。これらは皆、『生長の家』の生き方であるのだ。

アブラハム・リンカーンは自分の机の隅に最近出版の笑話の本を常に置いていて、頭がつかれて来たり、気が鬱(ふさ)いで来たりするとそれを開いてその一節を読むことにしていたと云う。

上品なユーモア、巧みな頓智、無邪気な馬鹿話、悪気のない哄笑――これらは天が与えた自然の良薬である。それは心と心との摩擦に油を塗り、険しい人生の難路に息抜きを作ってくれる。諸君は人生の戦いに疲れ切ったときほど、一層多量にこの良薬をもちいねばならぬ。

いつも、自由に快活に高らかに朗らかに笑える人は幸福である。諸君が若し不幸であるならば、そして『こんなに人生が悲しいのに何で自分が笑えるか』と言いたいようであるならば、諸君よ一室に退いて、先ず鏡を見て笑え。鏡に映った表情を見て、自分がまだ幸福の要素を多分に有っていることを強く心に印象せよ。そして重ねて笑え。声をたてて笑え。

ウイリアム・ゼームズ教授も言っているように、表情は心の表れであると同時に、心は逆に表情で支配されるのである。悲しい時ほど笑わねばならぬ。笑いぬくとき悲しさは征服される。何故あなたは悲しいか。若し人が自分に対して薄情であるが故に悲しいのであるならば、自分自身に何か暗い近寄り難い冷たいものがあったためだと知らねばならぬ。そしてその暗い冷たい近寄り難い或る物はどうしたら追い出せるか。その唯一の駆除薬は朗らかな高笑いであることを知らねばならぬのだ。

同じ道理で快活な、会って気持ちのよい性質はその人の社会的地位にも影響する。有能な才人で而も随分勉強家でありながら一生成功し得ないような人はクソ真面目な、四角四面な、笑いを少しも解しないような人が多い。人は必ずしも仕事だけをする機械ではないのである。

人には何んとなきその人特有の空気(雰囲気)が付随している。その空気が別の仕事をする。その空気が一緒に働く人たち全体の空気を活き活きとさすことが出来ればそれは既に大いなる仕事である。

自分だけの仕事がいくら上手に運んでも其の人につきまとう空気の何となく冷たい暗い陰鬱(いんうつ)な人は、大いに笑いを稽古することによって、その陰鬱を払い去れ。心に従って運命は転換して来る。心の蟠(わだかま)りがとれるに従ってその人の健康はよくなる。境遇も良化して来る。周囲の人がおのずから善くしてくれるからである。

    <平成29年4月17日 生命の實相 生活篇『生長の家』の生き方より謹写>

           ありがとうございます 合掌。



    <次女と野獣>(^^♪

『短ペン笑説』 ジョーク機関車が行く (6226)
日時:2017年05月10日 (水) 09時14分
名前:平賀玄米

 
皆様 有難うございます。長らく運休していた
「ジョーク機関車」を久しぶりにこの掲示板で走らせてみたいと
思いますので、宜しくお願い致します。

わが女房は悪妻か、良妻か、
何とその両方を兼ね備えた、なかなかの味妻(あじさい)ですぞ。

もうすぐ母の日ですが、今年の母の日はカーネーションより、
紫陽花(あじさい)が主流だとか、私もそう紫陽花(しょうか)な。

『短ペン笑説』 ジョーク機関車が行く (6250)
日時:2017年05月11日 (木) 23時06分
名前:平賀玄米



< Photo&Joke>


 夫婦(めおと)鯉
   
     女房勿論 こい女房

『短ペン笑説』 ジョーク機関車が行く  (6272)
日時:2017年05月13日 (土) 15時27分
名前:平賀玄米



   < Photo&Joke>


さすがは 小岩井・ブランド

    中味 が 濃いわい

『短ペン笑説』 ジョーク機関車が行く  (6319)
日時:2017年05月15日 (月) 21時32分
名前:平賀玄米

< Photo&Joke>




  チェリーセージというより

   双生児(ソーセージ)ですね


 

『短ペン笑説』 ジョーク機関車が行く (6588)
日時:2017年06月08日 (木) 17時17分
名前:平賀玄米


楽しいひと時を

先月、岐阜の山間部で気のおけない仲間、総勢17人が集まって、バーベキューパーティーを開きました。焼き物は若い人達にまかせて、私たち年配組5人は少し離れたデーブルで談笑をしておりましたが、いつの間にか、仲間でただ一人の外人(ルーマニア人)のローマンさんが年配組のテーブルに加わっておりました。

実は私は、このパーティにローマンさんが参加されることは知らされていなくて、初対面でしたが、流暢な日本語を話されるのには感心しました。この方は未だ三十代の青年ですが、知人の仕事仲間だということでした。

談笑中に知人が、私に「玄米さん、奥さんが男性と親し気にハグをされても嫉妬しないんですか?」と聞くので、私が「私は医者ではありませんので、執刀(しっとう)なんかしませんよ」とジョークを飛ばすと、これがまた受けて、みんなで大笑いとなりました。

何とローマンさんまでが大笑いをしているのです。私はローマンさんはみんなにつられて笑ったのだと思っていたのですが、知人が、「執刀の意味判る?」と聞くと、「判りますよ、手術のことでしょ」と事も無げに答えました。
彼は日本語を流暢に話すだけではなく、その日本語にも精通しておりました。

私が「ローマンさんは素晴らしい。そこらの日本人より凄いですよ、余程努力されたんですね」と讃嘆すると「いや、そんなことないですよ」と、謙遜しておりました。そこで私は「でも、それだけの語学力は一朝一夕に身につくものではないですよ、ほら『ローマンは一日にして成らず』って言うではありませんか」と、ジョークを飛ばすと、一同また、大爆笑となりました。

みんなで大笑いして、何とも楽しいパーティのひと時でした。
                やはり笑いが一番ですね。(^^♪


写真はパーティの時、周辺の山を写したものです。



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