【広告】Amazon 対象商品よりどり2点以上!合計金額より5%OFF開催中

ゾイド系投稿小説掲示板

自らの手で暴れまくるゾイド達を書いてみましょう。

トップへ

投 稿 コ ー ナ ー
お名前(必須)
題名(必須)
内容(必須)
メール
URL
削除キー(推奨) 項目の保存

このレスは下記の投稿への返信になります。内容が異なる場合はブラウザのバックにて戻ってください

[209] 翼は風を取り戻す 踏み出す右足 - 2008/08/10(日) 00:07 - MAIL

プロローグ
ガイロス帝国ヴァルハラ近郊、ヴィンデスアイレ・サーキットにて


『さぁ! SGPX第九戦ヴァルハラグランプリもいよいよ大詰め、佳境へと入ってまいりました!』
 ガイロス帝国帝都ヴァルハラ郊外に設けられた巨大サーキット。ここでは今、この世界最大のエンターテイメントと呼んでも過言ではない、一大レースイベントが開催されている。
 空に響き渡る実況アナウンスには、喉も裂けよとばかりの興奮が滲み、更にそれを受けて湧き上がる、歓声と怒号の渦。その発生源たる人間の数や、百や千ではとてもきかない。
 それら重音は絶妙にミックスされて、サーキット全体を包み込む興奮へと繋がっていく。雷鳴や地響きと同じように、物理的な衝撃すらも伴って。
『残る周回は二周! 僅か二周で、今年のヴァルハラ最速のパイロットが決定します!』
 そこへまた、更なる一音が加わろうとしていた。
 響きは、サーキットに満ち満ちた喧騒と同様の重低音。しかしそこには、前者が持つ浮ついた雰囲気は微塵も無い。他に左右されぬ孤高のサウンド、ストイックな響きでもって、己の確固とした意志を聞く者に示している。“勝利”への執念だ。
 メインスタンドの観客からからすれば、その音は長く尾を引くように彼方から響き始め、徐々に存在感を増しながら迫り来る。
『先頭のマシンがホームストレートへと帰ってまいりました! トップは依然としてディフェンディングチャンピオン、ゼッケン1番ファネス=サックウィル! 二位以下は大きく水を開けられております!』
 アナウンスが言い終わるのを待たず、メインスタンド正面の長い直線コースを一機のゾイドがカッ飛んでいった。進行方向を向いた矢印を立体化したような平べったい形状のゾイドで、張り出した翼ともヒレともつかぬ部分に装備したブースターからは、見目鮮やかな炎の尾を引いている。
 数秒の間を置き、同様のゾイドが三機、四機と今度は集団で続く。先行する一機とは、そのカラーリングや空力関連のパーツ以外に大きな違いも無く、その速度がそう劣っている訳でもない。それなのにこれだけの差がついているというのは、いかにも不思議な話だ。
 ベースとなったゾイドが同じである事は、誰の目にも明らかである。その正体は、今から数えて百年近くも前に開発された空海両用ゾイド。しかし今、“シンカー”の名を持つそのエイ型ゾイドが行くのは、深淵の海の底でも、遥かな空の高みでもない。高度実に数メートルという、地表スレスレの超低空だ。
『二位グループがコントロールラインを越えた所で、既にサックウィルは第一コーナー“レヒト”に進入している! これはチェッカーの行方は、ほぼ決まったも同然かぁ!?』
 アナウンスが告げる間にも先頭のシンカーは、帝都ヴァルハラの擁するヴィンデスアイレ・サーキットの直角右コーナーをブースター全開で立ち上がる。後続機がコーナー進入で減速したために、その差がまた少し開いた。
 だがそこで得られたアドバンテージは、第二コーナー進入時の減速と、二位グループのレヒト立ち上がりが重なっても、その全てが失われる事はない。つまりコーナー一つ抜ける度に、確実にその差は開いているのだ。
『さぁ第四コーナーをコース幅ギリギリに立ち上がって、黒いシンカーがバックストレートを猛然と加速する! およそ二秒の間を置き、二位を行くドメル=ランカスコーが続……おおっと!? ランカスコー大きくコースをオーバーラン!』
 まるで生物のように、サーキットがどよめいた。
 二位だったシンカーが右コーナーを曲がり切れず、コース上に描かれたゼブラゾーンを越えてランオフエリアへと飛び出す。その瞬間、機体に取り付けられたペナルティ装置が作動し、シンカーの速度を失速ギリギリまで落とした。そのためコースアウトしたシンカーは、寸での所でコース壁に激突する事無くレースに復帰する。
『すかさず二位グループのアンテル=ランバー、エジアン=ビアンキがかわしていきます! ランカスコーは単独四位に後退! バックストレートに備えるあまり、コーナーへの進入速度を上げ過ぎた模様です! 一気にトップを狙ったようですが、一転して今度は表彰台も危うくなってしまいました!』
 そんな背後の状況を知ってか知らずか、トップの黒いシンカーはバックストレートで周回遅れのシンカーを二機ゴボウ抜きにし、終盤に設けられた第五コーナーのシケインへ備えて速度を落とす。短いスパンでの小さい連続コーナーを抜け、比較的緩い右の第六コーナーを立ち上がると、そこからコースは第三セクションへと入っていく。短い直線の途中で地面が姿を消し、代わりに登場するのは煌き揺れる水面。
『おっと、ここで驚きのニュースが入りました! トップを行くファネス=サックウィル! 第二セクションまでのラップタイムは、なんとコースレコードペース! ラスト二周にして、レコード更新なるか!?』
 しかしそんな事は知る由も無く、トップの黒いシンカーは注意深く、しかし即座に高度を落とし、水中へと突入する。
『さぁサックウィル、ダイブ・イン! 水飛沫が虹を描きます! 続いて、後続も続々とダイブ!』
 間も無く、先頭集団を形成するシンカー全てが水中へと消える。それによって、サーキットを満たしていた喧騒の一部が消え失せる事となった。
 しかし、熱気と興奮を孕んだ歓声は衰えない。水中カメラの映像が各スタンド正面に設置された大型ビジョンにリアルタイムで映し出され、見えないレース展開を補完する。観客は届くはずも無いと知りながら、それを忘れて画面を彩る色取り取りのシンカーに声援を送った。
『サックウィルは第七コーナーを通過! “ゾッケ”の足首から爪先へと向かっていきます! 水中ゾーン突入で各機のスピードが落ちる中、よりペースダウンが激しいサックウィル! 全出場機体中唯一のロケットブースターは、果たしてイオンブースターの追撃を振り切れるか!?』
 そのコース形状から、“靴下”とあだ名された第三セクションは、水中に設けられた特殊コースだ。
 この様な水中コースを有するサーキットでレースを行う場合、本来のロケットブースターではなく、水中での作動効率がそれを上回るイオンブースターを装備するのがセオリーなのだが、どうやら一位の機体はピークパワーに優れる前者を装備して出場しているらしい。それで現在のポジションなのだから、ブースターの長所を引き出しつつ、弱点を克服して使いこなせるたいした腕前と言えるだろう。
『“ツェーンシュピッツェ”を回って、足の裏の直線を加速するサックウィル! 二位のランバー始め、後続の猛追は確実にその差を狭めております!』
 アナウンスの言う通り、“爪先”の名を持つ右の第八コーナー。そして続く足裏の直線を過ぎ、ちょうど踵に位置する第九コーナーに差し掛かる頃には、目に見えて二位のシンカーが一位の機体との差を詰め、今にも相手を追い抜きの射程圏内に納めようとしていた。ゾッケを中心とする水中ゾーンが、もう少し長い直線と、幾つかの高速コーナーを有していたならば、エンジンの差がモロに発揮されて、恐らく順位は入れ替わっていただろう。
 しかし二位のシンカーは、あともう一歩が届かない。左コーナーの第十、十一コーナーで果敢に仕掛けんとするが、中、低速コーナーでのコーナリングスピードで一位のシンカーが二位を僅かに上回り、コーナーの終盤から立ち上がりで貴重なアドバンテージを稼ぎ出していく。
 そして遂に、一位のシンカーはトップの座を保持したまま、最終第十二コーナー手前の直線で水中から浮上した。その瞬間、水の抵抗から開放されたシンカーは、後続が浮上するまでの一瞬の内に、ロケットブースターの目覚ましい加速で一気にその距離を開く。
『サックウィルが浮上、地上へと戻ってまいりました! そしてそのまま、最終コーナーへ突っ込む!』
 最終の右コーナー。入り口でもたついていた周回遅れをパスし、鋭くインを抉るラインで駆け抜けていく。
『最終コーナーを立ち上がってくるマシンの群れに、もの凄い大歓声が上がります! 先頭はサックウィル! コントロールラインを突っ切って……』
 甲高く吹け上がるエンジン音。ホームストレートをスロットル全開!
『さぁ!! ファイナルラップに突入だぁ!!』
 観客達の目から、第一コーナーへと消えていく黒いシンカー。そしてそれを追う、二位以下のマシン達。
『サックウィルが五十四周目に記録したラップタイム、1分21秒387! このマシンもパイロットも消耗した終盤でファネス=サックウィル、本当にコースレコードを塗り替えて来ました!!』
 ヴァルハラの空に、興奮したアナウンサーの声が響き渡った。



 遥かな昔より戦乱の絶えなかったこの惑星Ziには今、平和な時間が流れていた。
 最後の戦争となったヘリック共和国とネオゼネバス帝国との第四次中央大陸戦争がガイロス帝国の介入によって終結して、もう十年以上もの時が過ぎ去っていた。戦争の傷痕が次第に人々から拭い去られていく中で、そこには形を変えた闘争の文化が育まれつつあった。
 娯楽としての闘争である。
 これは、その中でも最高のエンターテイメントとして多くの人々に愛される、SGPX――シンカーグランプリに身を投じる、一人のシンカーパイロットの栄光と哀切の物語である。

[215] 第一章 踏み出す右足 - 2008/11/17(月) 17:03 - MAIL

第一章
ヘリック共和国首都ヘリックシティ、ワールウィンド・サーキット
そのパドックにて


 続々とサーキットへ乗り込んでくる各チームの輸送ゾイドで、パドックはごった返していた。
 ヘリック共和国軍ワークスチームのネオタートルシップ。
 ガイロス帝国軍ワークスチームのホエールキング。
 ネオゼネバス帝国軍ワークスチームのドラグーンネスト。
 各々が数チーム分のマシンを飲み込んだその巨大輸送艦三艦を始め、企業のワークスチーム、プライベート(個人参加)チームが使用するホバーカーゴやグスタフが所狭しと居並んでいる。
 その中に、漆黒の塗装が施されたグスタフがあった。牽引するのは居住スペースのトレーラーハウスのみで、シンカーの姿は無い。それはそのグスタフの主が、ワークスチームのパイロットである事を示していた。潤沢な資金力を有するワークスチームでは、パイロットによりよい環境でレースを行わせるために、パイロットのプライバシーを確保する個人用のハウスを提供する事もよくある話だ。
 しかしそのトレーラーハウスが他のハウスと違う点は、その周囲におびただしい人だかり――記者の群れを付随させている点だ。
 無論、名だたるパイロット達が集うモーターパドックにおいては珍しい光景では無い。問題はその規模が、並のパイロットのそれを遥かに上回っているという事である。
 そのハウスが最後にこのサーキットに乗り込んできた事。
 ハウスの主がいま最も注目されるパイロットである事。
 その現象には、この二つの条件が影響していた。
 中心には、男が一人。オレンジの髪を長めに伸ばした優男であるが、外見に頓着しないのか顔は無精ヒゲだらけで、その長い髪もあちこちで飛び跳ねて乱れ放題である。髪の毛の長さも、オシャレと言うより単に髪を切るのが面倒なだけなのかもしれない。
 軽く笑みを浮かべた彼は、立て続けに焚かれるストロボ光を一身に浴びながら、人だかりから矢継ぎ早に放たれる質問にもその表情を崩す事はしない。
 男は名を、ファネス=サックウィルという。
「サックウィル選手。随分と遅い到着ですが、何かアクシデントでも?」
「なに、大事な最終戦に備えて、しっかり休息を取らせてもらっただけさ。エウロペのマダガスカル島は、いいリゾート地だからな」
「サックウィル選手は前年度も最終戦の優勝で総合優勝を獲得している訳ですが、今回は?」
「簡単に優勝できるようなレースじゃないだろうな。だが狙える立場にいる以上、それを意識していくつもりだ」
「このワールウィンド・サーキットはいかがですか? 今年完成したばかりですが……」
「トリッキーだが……嫌いなコースじゃないな。昔走ったワインディングを思い出すよ……おっと、今のはオフレコにしといてくれよ?」
 ファネスの軽いジョークに、記者の輪から笑いがこぼれる。彼がかつて公道での暴走行為を行う走り屋だった事は、ファンの間では既に周知の事実なのだ。
「ワールウィンド・サーキットにも水中ゾーンがありますが、やはり今回もロケットブースターで?」
「あぁ、それは……?」
 一人の記者が発した質問に、ファネスは言葉を濁し、背後に控えた男を振り返る。目深に被ったキャップ、タンクトップ姿、自然でありながら力強い体つき。少々いかつい印象の男である。
「申し訳無いが、チームの作戦に関する質問には答えられん。どこで他のチームが聞き耳を立てているか、分からないんでね」
「あぁ、すいません……軽率でした……」
 その男の無愛想な回答に、質問した記者は畏まって小さくなってしまう。
「ただし――」
 しかしそこで、男はまだ話は終わってないとばかりに再び口を開いた。
「我らがファネス=サックウィルにイオンブースターは似合わない……とだけは言わせてもらおう」
「……だ、そうだ」
 言って笑みを浮かべる男に、ファネスの方も調子を合わせる。答えなど分かり切っているという二人の意思表示。恐縮していた記者も、苦笑と共に胸を撫で下ろした。
 質問が再開される。
「前回のヴァルハラグランプリ優勝の要因は、アミ選手の予選敗退による所が大きいとの見方もありますが、その辺りについて一つ」
「優勝を狙っていた事は事実だし、敢えてラッキーだったとは考えてないよ。自分では完璧なレースができたと思ってる。ヤツが予選でクラッシュしないまま、たとえポールポジションを獲得していたとしても、結果は変わらなかったさ」
 その自信満々の回答にも、記者の輪が波風を立てる事はなかった。ファネスという人間が、彼らにその言葉を信じさせるに足る人物だからである。
 しかし取材陣が形作る輪の外には、その言葉に納得できぬ者がいたようだ。
「おいおい記者さん方。そんな俺の株を下げるようなコメント、そのまま記事にされちゃ困るぜ?」
 響いた声に、居合わせた者は一斉にそちらを振り向いた。すると誰からともなく……
「アミティス=アミ……」
「アミだ……」
「ゼネバスのアミティス=アミだ」
 口々に発言者の名前が囁かれ始めたかと思うと、彼とファネスを結ぶ線上の人垣が見事に割れていく。
「人がいない所で随分な言い草だなぁ、フェイ?」
 出来上がった道を進みながら、彼――アミティスは悠々とした足取りで進み出てくる。
 別段二枚目という訳でもなく、黒い髪も短く刈り揃えられ、上下を作業つなぎで包んだ身なり。優男なファネスと違って幾分地味な男だ。
「立ち聞きは趣味が悪いな。最終戦くらい正々堂々かかってこいよ」
 自分に向かってくる男に、ファネスは身も蓋もない言葉を言い放った。場合によっては、喧嘩を売っていると取られても仕方ない言葉だったが、
「人聞きの悪いこと言うんじゃねぇよ。ここに居られる皆々様は、そういう話が大好きなんだからよ」
 アミティスは怒るどころか、軽い冗談まで飛ばして見せた。言葉の皮肉な内容に、取り巻きの記者達からも苦笑がもれる。
「心配しなくてもいいさ。ここでの話は、全部オフレコだ」
 自分の冗談で、記者の苦笑をブーイングに変えながら、ファネスはアミティスを出迎えた。互いに歩み寄った二人は、慣れた様子でハイタッチを交わす。
「遅かったじゃねぇか。ダフも待ちくたびれただろう?」
「なに、マシンさえ届いていれば、俺の仕事はできる」
 続いてアミティスは、ファネスの後ろに控えた男――先程ブースターに関する質問でファネスが指示を仰いだキャップにタンクトップ姿の男とも、親しげな挨拶を交した。
 彼の名はダヴィエ=コンフィグアーチ、通称ダフ。ファネスが所属するチームのチーフメカニックである。
 ファネス、アミティス、そしてダヴィエ。三人が自分達だけでいい空気を作っている一方、取り残された記者達はしかしその様子に驚く事はせず、三人の楽しげな様子を頻りにカメラに収めている。彼らを照らす、フラッシュの波。
 ファネスが過去に走り屋だったという事実がそうであるように、この三人がその走り屋時代からの親友同士である事も、また周知の事実であった。
「アミ選手! サックウィル選手と親友同士で総合優勝を争うのはこれで三年連続となる訳ですが、どんな思いですか!?」
「サックウィル選手は!?」
 役者が揃ったとばかりに、取材陣が口々に騒ぎ始める。すると三人の間の空気が、音を立てて凍りついた。
「三年か……ここまで来ると、腐れ縁って言うのかもしれねぇな。 とにかくレースが始まっちまえば、相手が誰だろうと関係ねぇ。速いヤツが勝つだけだ」
「まぁ、自分にできる最高の走りをすれば、誰にも負けないと信じてるよ。総合優勝は渡さない」
 互いに質問に対する自分の気持ちを臆面も無く述べ、火花を散らして視線をぶつけ合う二人。そこに親友同士という二人の関係を見出す事はとてもできそうにない。願っても無い構図に、再びフラッシュとシャッター音の嵐が吹き荒れる。
 そんな中で、その視殺戦を腕組みして面白そうに眺める残された一人――ダヴィエ。頃合を見て彼は声を上げた。
「悪いが、そろそろ終わりにさせてもらおう。記者会見の前に、明日からの作戦会議をしないといかんからな。フェイ、行こう……」
「分かった……それじゃ失礼。残りの質問は記者会見で受け付けるよ」
 ダヴィエの言葉に、ファネスは取材陣へ向けて軽く手を振り、トレーラーハウスへと向かう。
「後でな、アミ」
「おぅ」
 そしてアミティスへの挨拶を最後に、追い縋る記者をバリケードとなってせき止めていたダヴィエを引き連れて、彼はハウスの中へと入っていった。アミティスもそれを受けて、ついてくる記者達をあしらいながら自分のトレーラーハウスへと引き返していく。
 アミティスへついていった者が半分。残った者も、ファネスがハウスに入ってしまった事で三々五々に引き上げていく。やがてハウスの周りからは、先程の喧騒が嘘のように人の気配が失われてしまった。
 そう、一人の男を除いては。



 大戦終結から一年という節目の日。それを祝って、惑星Ziの各地でゾイドを用いた様々なイベントが行われた。
 イベントの種類は大きく分けて二つ。ゾイド同士を直接戦わせるゾイドバトルと、ゾイドによってレースを行うゾイドレースである。
 レースイベントには、モルガラリー、ライガー&タイガーといったある意味王道的なものから、中には奇を狙って、ゴジュラスオンリーのワンメイクレースなどという珍奇なものまであった。
 その中でも、ネオゼネバス帝国で開催されたシンカーのワンメイクレースは、シンカーの空海両用機という特徴を活かし、低空から高空、果ては水中までも舞台にしてスピード感溢れるレースを繰り広げ、観衆に歓喜と熱狂でもって迎えられた。
 その人気は凄まじく、翌年には多くのレースイベントの中で唯一第二回大会が開催され、以降毎年続く世界的な娯楽へと瞬く間に成長した。
 シンカーグランプリの誕生である。
 回を追う毎に参加チーム数、開催レース数を増加させていったシンカーグランプリ――通称SGPXは、現在ではその規模も一万人プロジェクトの域に達し、同様の発展を見せていたゾイドバトルと人気を二分するトップエンターテイメントとして、惑星Zi全土で親しまれ、楽しまれている。



「サックウィル選手」
 チーム主要メンバーを集めた作戦会議を終えてハウスから出た所で、ファネスは背後から名を呼ばれて振り向いた。そこには、妙な風体の男が一人。
「脅かして悪いな。俺はこういう者だ」
 ボサボサ頭にジーンズ、ティーシャツ、そして袖を落としたデニムジャケットという姿で、首から古めかしいカメラと取材パスを提げた男は、そう言って胸元から一枚の紙片を取り出した。名刺だ。
「フリールポライター……アルトロス=シュタットフィール……」
 受け取ったそれに書かれた肩書きと名前を読み上げると、ファネスはもう一度その男――アルトロスを値踏みするように観察した。
 その顔はだらしのない笑みで彩られているが、目だけは、物事の裏側に隠された真実を見抜かんとするかのように鋭い輝きを発している。
 問題は、その眼光がどんな真実を求めているかだ。それによって、見た目通りの薄汚いゴシップ屋か、内に正義の心を秘めた真実のジャーナリストであるかが決まる。この男は果たしてどちらのタイプなのだろうか。
「悪いが、これからファネスは記者会見だ。質問ならそれまで待ってくれ」
 ファネスが口を開く前に、続いてハウスから出てきたダヴィエが、アルトロスの視線からファネスを遮るように立ち塞がった。
 しかし、威圧的とも言える雰囲気のダヴィエに立ちはだかられたにも拘らず、アルトロスにはまるで臆した風が無かった。それどころか、ダヴィエの鼻先まで詰め寄って不敵な笑みを送り返す。
「俺が聞きたいのは、最終戦への意気込みなんて月並みな話じゃない。そんな物は、スポーツ雑誌の三流記者にでも任せておくさ」
「なん――!? おい、フェイ!」
 頭に血を上らせたダヴィエが力尽くにでもアルトロスを追い払おうとしているのを察したらしく、ファネスは彼の肩を背後から掴んで押し止めた。
「止せよダフ。記者会見では聞きにくい事もあるだろうさ。シュタットフィールさん、時間は少ししかやれないが、それでもよければ話を聞くよ。まぁ立ち話もアレだから、ハウスでな」
 言葉の後半をアルトロスへと向けて投げかけると、ファネスは踵を返して再び自分のハウスへ入る。
「チッ……ついてきな、ブン屋さん」
「悪いな。それから、オレはブン屋じゃなくてトップ屋だ。間違えないでくれよ、ダフさん」
「お前がその名で呼ぶな。俺の名前は、ダヴィエ=コンフィグアーチだ」
 まだ納得できていないらしいタンクトップの男――ダヴィエと笑みを浮かべたアルトロス。二人の少々トゲのある会話を聞きながら、ファネスはハウスのドアを開いた。


 低めのテーブルを挟み、一人がけのスツールにアルトロス、三人がけのソファにファネスとダヴィエが腰を下ろす。
「時間も無いんだ、さっさと始めてくれ。トップ屋さん」
 ダヴィエの一声で、非公式の取材は始まった。
「じゃ、遠慮なく。今年でヘリック、ネオゼネバス二大国間の大戦が終結して十二年も経つ訳ですが、その辺りについて思う所を一つ、お願いできますかな?」
「……はぁ?」
 しかし、ペンとメモを手にしたアルトロスが取材用の仰々しい敬語で一問目の質問を口にするや、その内容にファネスは見事に肩透かしを食らってしまった。当然、レーサーとしての自分に関係ある質問だろうと思っていた彼には無理も無い。
「なんだそりゃぁ?」
「まぁ、なんて言うかな。元ネオゼネバス帝国海軍第403飛行隊のエース……“喧嘩屋ゴートンの再来”とまで謳われたファネス=サックウィル中尉として、平和になった世界に何を思うのか……そんな感じの記事も、面白いんじゃないかと思ってね」
「……なるほど。それじゃ、SGPXの記者会見で訊く訳にはいかないな」
 苦笑で押し隠しはしたものの、ファネスは思わぬ所で自分の過去と出会った事に驚かずにはおれなかった。隣に座るダヴィエからも、戸惑いと疑惑の念が伝わってくる。
 終戦からまだ十年余り。SGPXの花形であるシンカーパイロット達は、そのほとんどが現役の軍パイロットか、その経験者である。無論、ファネスもその例に漏れない。
 時は大戦真っ只中。十八歳でネオゼネバス軍に入隊したファネスは、ものの数ヶ月で初陣を踏み、以降シンカーのパイロットとして数々の戦果を上げた。先程のアミティスとは走り屋時代だけでなく、大戦中の第403飛行隊でも共に編隊を組んだ仲である。
 終戦時、彼は二十四歳になっていた。
 それから一年後。シンカー操縦の腕を見込まれたファネスはアミティスと共に、開催されるシンカーレースのネオゼネバス軍代表として抜擢された。以来、三十六歳の現在までこの稼業だ。
 もっとも、未だ軍属のアミティスと違い、数年前にさる企業チームへと移籍したファネスは、既に軍を除隊した身である。
「平和なのはいい事さ。どんなにエースだ凄腕だと騒がれるパイロットでも、精々ミリタリーマニアが憧れてくれるくらいのもんだ。それが、今じゃ数え切れないくらいの人が俺の顔を知ってくれて、レースを応援してくれる。それも全部、この平和な御時勢のおかげだからな」
「なるほどね。元軍人さんでも、やっぱり平和が一番って訳か」
 ファネスの回答に、アルトロスは得心いったという様子で何度も頷きながら、手にしたメモ帳に何やら書き付けている。
「平和が一番なんてのは、子供だって知ってるぜ。今さら何言ってるんだか……」
 そんなアルトロスに対し、未だに彼の事をよく思っていないらしきダヴィエが、口調も厳しく言い放った。するとアルトロスは、
「まぁ、そりゃそうなんだけど……この広い世界、そういう御立派な考え方の人間だけじゃないって訳だ」
「うん……? どういう意味だ?」
 その何やら含みのある言い方に、ファネスは眉をひそめる。するとアルトロスは、思わせ振りな笑みと口調で言った。
「お二人、A.R.O.H.って知ってるかい?」
「アロー? なんだいそりゃ?」
「フェイ、オマエはもう少し世界情勢に興味を持った方がいいぞ? “Anti−Republic of Helic”……平たく言えば、親ゼネバス派の連中が反ヘリックを謳って徒党を組んだテロ集団だ」
 首を傾げたファネスに変わり、隣のダヴィエが呆れながらも答える。彼の反応からも分かるとおり、昨今騒がれているその名前は実に有名だ。
「御名答御名答」
 我が意を得たりとばかりに、アルトロスも頷いた。ダヴィエの回答に満足そうである。
 確かに、大戦は十数年前に終わった。しかしヘリック共和国、ガイロス帝国、ネオゼネバス帝国の三国が結んだ種々の条約では、長年の戦争によって人々の胸に刻まれた禍根の全てを消し去る事は到底できなかった。
 三国だけではない。西方大陸エウロペ、そして東方大陸。どこにでも、訪れた平和に納得できない者達はいた。
 敵国に大切な存在を奪われたという者から、単に金儲けのために戦争を欲する者まで。その理由は様々であったものの、大国に対抗するという目的の下、彼らが手を組み始めたのは自然な事だったのかもしれない。
 反ヘリック、反ガイロス、反ゼネバス。少し輪を広げれば、それこそ反デルポイや反東方大陸まで、そういった集団を数え上げればキリがない。A.R.O.H.もその一つである。
「実はそのA.R.O.H.に、このワールウィンド・サーキット……いや、ヘリックシティグランプリ襲撃の動きがあるようだと言ったら……信じるかい?」
 何やら、突然の飛躍を見せたアルトロスの話に不穏な空気が漂い始める。
「……えらくきな臭い話だな。そりゃ本当か?」
 あながち自分と無関係とも言えぬ物騒なその内容に、ファネスはダヴィエと顔を見合わせた。ダヴィエも半信半疑といった様子だが、その表情は険しい。
「二人も見ただろう? あの物々しい共和国軍の警備を」
「あぁ……確かに、妙だとは思っていたが……」
 その事については、ファネスも気になっていた。
 物騒な連中が蠢く昨今にあって、大イベントと呼ばれるSGPX、そしてゾイドバトル。これらの警備は原則として軍が執り行っている。SGPXと関わりを持って久しいファネスには、彼らの警備も既に見慣れた光景だ。
 しかしこのワールウィンド・サーキットでは、それが少し違っていた。普段アロザウラーやレブラプター、スティルアーマーのいる位置にあったのは、ヘリック共和国軍の雄、凱龍輝の勇姿であった。それも強化版――凱龍輝・真である。
「あんなデカブツ、戦場で見て以来だ。実際、そこまでする必要があるのか疑問だけどな……」
「トップエンターテイメントであるSGPXの最終戦。それも新サーキットのこけら落としときたもんだ。最高のパフォーマンスの舞台ではあるな。A.R.O.H.にとっても、共和国軍にとっても……」
 苦笑するファネスにあわせ、アルトロスも肩をすくめながら言った。まったく、人とは因果な生き物である。
「……まぁ、もし本当にテロリストがやって来たら、その時は俺がシンカーで出撃してやるさ」
「よせよせフェイ。武装も無いのに飛び出したって、あっと言う間に御陀仏だ」
 少々重くなったハウスの空気を和らげようと飛ばしたファネスの冗談に、ダヴィエからの茶々も加わり、その話はそこでオシマイという運びになった。その後は三人、他愛もない話で盛り上がり、ファネスに許された時間は瞬く間に過ぎていった。
「……さて。他に無いなら、そろそろ記者会見の会場に行かないといけないんだが」
「あぁ。変な話で時間をとらせて、悪かったな」
 三人は互いに席を立ち、形ばかりの握手を交わす。
「それじゃ、明日からの健闘をお祈りさせてもらうよ」
「ありがとう。記事になったら、俺も読ませてもらうよ」
 言いながらしかし、ファネスは思った。
(取材らしい質問なんて最初の一つだけだったが……こんなんで記事になるのか?)
 だがそれを問い質す前に、アルトロスはハウスのドアを開いていた。
 尋ねるべきか否か。ファネスが悩んでいると――
「……あぁ、そうだ。もう一つだけいいかい?」
 思いもかけず、アルトロスの方から声がかかった。
「ん? あぁ……」
 つい反射的に、ファネスは答えてしまう。
「ここまできたら、なんだって答えてやるさ」
「じゃ、遠慮なく……ラスタヴィユ=アディンスって男を知ってるか?」
 その質問を自分の中で咀嚼するのに、ファネスは少々の時間を要した。背後からの気配で、ダヴィエが身を固めているのが分かる。
 思う所あったファネスは、質問への回答でなく新たな質問を返した。
「ん……聞いたような気もするが……そいつがどうかしたのか?」
「いやまぁその男、さっき話したテログループ――A.R.O.H.の行動隊長って話でね。このサーキット襲撃を狙ってるのも、そいつらしいんだ……」
 場合が場合であれば特ダネにもなりそうなその内容。答えを聞いた瞬間、ファネスはこのフリージャーナリストが自分の元を訪れた本当の理由を、即座に理解した。
「……悪いが、俺には縁の無いヤツみたいだ。力にはなれそうにないよ」
 ファネスは答えた。



「ふぅ……あれだけは、何度やっても慣れないな……」
 アルトロスとの会談から二時間あまり。ファネスは、SGPX最終戦ヘリックシティグランプリの記者会見を終えて、ようやくトレーラーハウスへと戻ってきた。ハウスに入るや否や、ため息と共にベッドへと倒れ込む。
(記者会見ってのは、どうしてこう疲れるんだろうな……?)
 何十という無遠慮な好奇の視線とカメラのレンズに晒されながら、発される質問に愛想よく答え、それでいて記者達が本当に望んでいるような無様な事を言わないよう、常に気を遣っていなければならない。それによる心労は、正直レース本番すらも上回る気がする。
(慣れるのも仕事の内か……)
 結局、そう言い聞かせて自分を納得させるのが、ファネスの常だった。
 しかし、今回の会見は特に厳しかった。
 別に際どい質問が飛んできたとか、そういう事ではない。気になる事があり、記者への対応に集中し切れなかったのである。
 全ては、会見前のアルトロスとの会話のせいだった。
“ラスタヴィユ=アディンスって男を……”
“A.R.O.H.の行動隊長……サーキット襲撃を狙ってるのも、そいつ……”
 男を知っているかとのアルトロスの問いに、ファネスは否と答えた。大嘘である。
(ラスト……いったい何してんだよ、オマエ……)
 声には出さぬままでかつての親友に毒づきながら、ファネスはゆっくりと目を閉じた。



 ゼネバス山地。
 中央大陸西側に位置するその山地は、以前ヘリック共和国領であった。しかし今、それは新たな主の持ち物となっている。
 いや、真の主の手に戻ったと言うべきなのだろうか。今やそこは、中央大陸全土を掌中に収めたネオゼネバス帝国の領土である。
「……どっちでもいいけどな」
 気の抜けた口調で、愛用の漆黒のモト――地球伝来の自動二輪車に跨ったファネスは言った。世界情勢に無関心な若者らしい言葉だ。
(そんなどうでもいい事より、俺にはもっと大事な事がある)
 内心で宣言し、モトのエンジンを思い切り吹かす。回転数を跳ね上げたエンジンの駆動音と、大口径マフラーから轟いた排気音。二つの音響は一体となり、ゼネバス山地の峰々に木霊した。
(誰よりも速く……それっきゃねぇ!)
 目の前で、仲間がカウントを開始する。彼の持ったトランシーバーでゴール地点と連絡を取り、タイムを計測するのだ。
「……三、二、一、GO!」
 クラッチを繋いでアクセルを開ければ、モトはスピンした後輪から派手に白煙を巻き上げ、アスファルトにブラックマークを残しながら急発進する。ファネスは跳ね上がろうとする前輪を押さえ込みながら、下りのワインディングロードを駆け下りていった。
 何百回と走り込んだワインディング。レイアウトは体が覚えている。まずはきつい右だ。
 頭では口から心臓が飛び出しそうになるほどの恐怖感を覚えていながら、アクセルを握る右手はその力を一向に緩めようとはしない。モトとファネスは、あって無いが如きガードレール、そしてその向こうにパックリと口を開けた谷底へ向かって狂ったように加速していく。そして、体に染み込んだ限界を超える寸前――
「フッ――!」
 車体に伏せていた身を起こし、空気抵抗を獲得しつつフルブレーキング。フロントのサスペンションを大きく沈めながら、ギアを一気に落としていく。ガードレールまでコンマ数秒という所で、スピードは絶妙。ファネスはハングオフで突き出した右膝を路面に擦りながら、機体を右にバンクさせ、コーナーに突入した。
 アクセルを開けられて回転を続ける後輪が、遠心力でコーナーの外側に滑っていく。華麗なドリフト走行でクリッピングポイント(コーナー内側への再接近点)を舐める車体。
(いい感じだ!)
 傾いていた車体を起こしながら加速を開始し、道路の幅一杯を使ってコーナーを立ち上がっていく。会心のコーナーリングだった。
(いけるぜ、レコード更新だ!)
 次のコーナーへ向けてモトを猛然と加速させながら、ファネスは胸中で快哉を叫ぶのだった。


 ものの数分で、ゼネバス山地の一角に開いたワインディングを走破したファネスは、ちょっとした広場で走り屋仲間達に出迎えられ、漆黒のモトを降りた。
「自己ベスト更新か……コースレコードまでいけると思ったんだけどな……」
 仲間の一人が手にしたストップウォッチを目にし、軽く落胆するファネス。ストップウォッチに表示されたデジタル数字は、頭の中で思い描き続けたコースレコードには及ばなかった。
「レコードってオマエ……まだ三秒くらいはあるぞ?」
 ファネスの言葉に、ストップウォッチを手にした男――ダヴィエが苦笑しながら肩を竦める。彼の言う通り、三秒という数字が決して惜しいとは言えない事は、ファネスもよく知っている。
「調子よかったんだよ。ドリフトもきっちり決まって……」
 しかしそれで簡単に納得する事もできず、ファネスはぬか喜びの言い訳をブチブチ口にし続けた。
「オマエ達がレイナに勝てるのは、ゼネバス山地縦走コースだけだな」
 ゼネバス山地にはネオゼネバス帝国首都を起点とし、北のウラニスク市と東のガニメデ市へ一本ずつ街道が伸びている。ファネス達走り屋はその中から、一際曲がりくねった急勾配のワインディング区間を選び、それぞれに特徴あるコースを楽しんでいるのだ。
 しかしゼネバス山地縦走コースというのは例外で、ゼネバス山地を南北に走る帝国首都〜ウラニスク間の街道をノンストップで走破する、ツーリングコースのような最長コースである。半ば冗談で成立したそのコースで物を言うのは、テクニックよりも体力だ。
「あのコース、アイツじゃ完走もできないだろ。華奢だからな……ただその割りに、あのデカいモトをよく振り回してるけど……」
 ゼネバス山地に二十数か所あるワインディングのコースレコードを軒並み保持している走り屋仲間の女。その細い身体を脳裏に描き、ファネスは苦笑する。
「ま、アイツにかかっちゃ形無しだ。もっと精進するさ」
「違いない。ライディングテクニックもそうだが、あのピーキーなキワモノマシンを乗りこなせるセンスは相当だな」
 仲間達のマシンセッティングを一手に引き受けているダヴィエも、感心とも呆れともとれる感想を口にした。
 と、その時。
「ん?」
 仲間の一人が手にしたトランシーバーが、突然呼び出しの電子音を発し始めた。
「はいはい。こちらカクーメン峠……え!? ホントか!?」
 何やら慌ただしい雰囲気に、ファネス、ダヴィエを始め、周囲の走り屋達がトランシーバーを持った一人の下へと集まってくる。
「どうかしたのか?」
 皆の気持ちを代表してファネスが尋ねると、彼は驚きの表情を浮かべて答えた。
「アクラーラインで、ラストがアミに勝ったってよ!」
 居合わせた全員から「オォ〜」と歓声が上がった。アミ得意のアクラーラインで彼を負かすなど、レコードホルダーのレイナを除いて今まで誰にもできなかった事だ。
「ラストか、アイツも上手くなったな……前はコケてばかりだったが……」
「あぁ、そうだったな……」
 ダヴィエの言葉に、ファネスも感慨深げに呟く。
 同い年のファネス、アミティス、ダヴィエ。そしてラスタヴィユ。ほとんど同時に走り屋を始めた四人――ダヴィエは趣味の機械弄りを活かしてマシンセッティングが主だったが――の中で、ラスタヴィユは一番上達が遅かった。熱心ではあったのだが、転ぶたびに高いモトを壊し、ケガをし、なかなか継続して走り込めなかったからである。その熱意が今、ようやく実を結ぼうとしているのだ。
「すぐ来るぜ、フェイ。ここでオマエを倒しにな」
 アクラーラインは、今いるカクーメン峠からそれほど離れていない。とばせばすぐに戻ってくるはずだ。
「それじゃ、もうひとっ走り……」
 してこようかと、愛用の黒いモトに歩み寄ろうとしたファネスだったのだが、それより一足早く、カクーメン峠にモトが発するエンジン音が響き始めた。
「……なんだ、もう戻ってきたのかよ」
 苦笑するファネスの目の前で、道路を駆け下りてきたモトの一団は、そのまま広場へと乗り込んできた。先頭の、目にも鮮やかな赤い車体にブリッツマーク(稲妻)を描き込んだモトが、ファネスの眼前に横滑りしながら停車する。
「フェイ! 勝負だ!」
 赤いモトの乗り手は、フルフェイスのヘルメットを脱ぐなり、開口一番言い放った。まだあどけなさの残るその顔は、満面の笑みに彩られている。
「タフだな、オマエ。さっき俺と走って、そのまま山一つ越えてきて、もう勝負すんのか?」
 そんな彼の向こうからもう一台のモトが、アイドル状態のエンジンのあげる低い響きと共に近寄ってきた。肝心のライダーがヘルメットを被ったままであっても、真っ青な車体に意匠化した鳥の頭をエンブレムとして描き込んでいるそのマシンを見れば、それがアミティスであると一目で判断できた。
 話では勝負に負けたという事だが、声からすると存外に気落ちした様子は無い。表面だけかもしれないが、やはり相手が親友だったというのが大きいのだろうか。
「当たり前だろ? 俺はアミに勝って今勢いがあるんだ。このまま、フェイにも勝たせてもらう」
 得意気に言う彼に、ファネスは笑みを向ける。
「アミと一緒にするなよ、ラスト。俺は負けねぇぞ」
 そんな軽口に、ラスト――ラスタヴィユも挑発的な笑みを浮かべたのだった。

 数分後にカクーメン峠で開始された勝負は、第一コーナーでラスタヴィユがクラッシュ、転倒して負傷した結果、ノーコンテストという結末に終わった。



 場面は変わる。
「……オマエも、軍に入るのか?」
 ファネスは、走り屋仲間の溜まり場であったレシーダ山頂の公園にいた。カルデラ湖の畔に作られた、広いが幾分地味な公園だ。
 公園には今ファネスの他に、アミティス、ダヴィエ、そしてラスタヴィユ。親友三人の姿があった。
「どうせモトばっか乗ってて、ハイスクールも通ってただけだからな。フェイが軍に入るって言うんなら、ちょうどいいぜ」
 四人の話題は、ハイスクール卒業後の各々の進路についてである。
「そうか……」
 なんとも微妙な声音で言うファネスは、ネオゼネバス軍への入隊を考えていた。
 走り屋としての生活にかまけていたハイスクールの三年間は、成績も下の下。深夜から早朝まで走り続けて居眠り三昧だった授業のおかげで、内申点は悲惨な状態。誇れるのは健康な体くらいだったのだ。
 数年前に中央大陸をヘリック共和国から奪取したネオゼネバス帝国。しかし、地底族であるファネスの家族は、ゼネバス=ムーロアの孫でネオゼネバス帝国二代皇帝であるヴォルフ=ムーロアのデルポイ帰還を、むしろ歓迎している人種だった。ファネスにしても、実際に自分が共和国民から帝国民へ変わったといっても、頭上で翻る旗の模様が変わった程度にしか思っていなかったのである。
 全ての状況を総合すれば、軍への入隊は半ば決定事項だったと言えるだろう。
 そんな話を打ち明けたファネスに、まずアミティスが賛同した。頭の出来も同じくらいで、両親も放任だと聞いているし、彼自身もヘリック共和国民の誇りがどうのと言う人間でもないので、問題は無いのだろう。
「モトの次は、ゾイド転がしてみるってのも悪くねぇや」
「……俺も、たぶん軍だ」
 アミティスに続き、ダヴィエも言った。
「いいのか、ダフ? オマエ確か、家の工場を……」
 ダヴィエの生家は民間のゾイド整備工場を営んでいる。彼のマシンセッティングの腕前は、幼い頃からそこを遊び場として育ったが故であり、付き合いも長いファネスは、彼がいずれ家業を継ぐ事になると聞いていた。
「なにも兵隊やる気は無い、整備士になるってだけだ。ゾイド弄るなら、どこだって同じだからな。資格もあるし、親父も家継ぐ前にちゃんとした所で腕を磨いてこいって言ってる」
 これで三人。ファネスは残る一人を無言で促した。
「俺は……」
 言いよどむラスタヴィユ。
 続きを待つ三人。
「……殺すの殺されるのなんて、俺は真っ平だ。軍人なんてお断りさ」
 しばしの思案の後、ラスタヴィユはその幼さの残る顔立ちを苦笑に歪めて言った。
 中央大陸の大半をネオゼネバス帝国が手中に収めているといっても、いつ戦力を整えたヘリック共和国が反攻作戦に打って出るか分からない状況だ。軍にいればそうなった時、当然命を懸けて戦わねばならない。ラスタヴィユのような考え方の方が、至極普通なのだ。
「そうか……」
 そうと分かっていても、残念でないと言えば嘘になる。
 だがファネスは、いかに自分が親友であっても、ラスタヴィユの生き方にまで口を出すべきでないと思っていた。
 それに――
「ま、ダフは整備士だし、俺とフェイにしたって、一緒の部隊になるって決まった訳じゃねぇからな」
 アミティスの言う通り、軍で同じ所属になる事の方が稀だろう。期待する方がどうかしている。
「忘れるなよ、フェイ。オマエとの決着は、まだ付いてないんだからな?」
「あぁ。予定さえ合えば、いつだって相手になってやるよ」
 ラスタヴィユの言葉が、ファネスには“死ぬな”と言われているように感じられて仕方なかった。
「それじゃ、結局四人バラバラって訳か……」
 親友四人はこれから、各々が選んだ別々の道を歩んでいくのだ。
 アミティスの呟きでそれを改めて実感した四人の間を、物悲しい風が吹き抜ける。するとその風に乗って、彼らの愛したモトのエンジン音がどこからともなく響いてきた。
「風と共に……」
 その音に耳を傾けていたアミティスが、ふとそんな事を呟く。
 それは、同い年の四人が初めて出会い、意気投合した際に、酔っ払った勢いで遊び半分で作った合言葉だった。
 続きを、ラスタヴィユが継ぐ。
「マシンと共に……」
 苦笑しつつ、ダヴィエも二人に倣う。
「そして、仲間と共に……」
 最後に、ファネスに視線が集まった。ファネスはそれを受けて、残った最後の言葉を口に乗せる。
「俺達は走り続ける。いつまでも――」
「待ってよ!」
 すると最後のフレーズに、予期せぬ闖入者が飛び込んできた。
 一同が声のした方を見れば、そこには真っ白なレザーのライダースーツに身を包んだ痩身の女が仁王立ちしていた。
「その“仲間”ってのに、私は入ってるんでしょうね?」



「レイナ……ん?」
 トレーラーハウスのベッドに大の字で横たわっていたファネスは、自分で呟いた言葉で目を覚ました。ラスタヴィユの名前を切っ掛けにして昔の事を考えている内に、どうやら眠ってしまっていたらしい。
「夢……か……」
 記者等の覗き防止のためにカーテンを閉めてある窓からは、外の様子も分からない。仕方なく、寝惚け眼を擦りながら壁にかけられた時計を見やる。時刻は、もうすぐ日付も変わろうかという頃だった。
「こんな時間か……」
 腹は空いているが、やはりまだ眠い。
 前回のヴァルハラグランプリから半月。北西大陸ニクス(新皇帝ルドルフ=ツェペリンの呼びかけで、ネガティブな響きの暗黒大陸という呼び名は改められつつある)からトライアングルダラスを避けて西方大陸エウロペ。そして中央大陸デルポイへ。途中マダガスカル島でバカンスを楽しんだものの、一人でグスタフを操っての長旅だ。そして、そのままあの記者会見。疲れも出ようというものだ。
(メシは明日の朝でいいし……このまま寝るとするか……)
 そう結論付け、ファネスは今度は本格的にベッドへと潜り込んだ。
「また昔の夢を見そうだな……」
 呟く間にも、再び押し寄せる睡魔に意識は精彩を欠いていく。
(ラスト……ホントに何してんだ、オマエ……)
 結局、ラスタヴィユとのカクーメン峠での決着はまだ付いていない。ファネスやアミティスが入隊した直後、共和国の反攻作戦が開始されたからだ。
 ZAC2106年のセイスモサウルス投入でヘリック共和国を中央大陸から追い落とし、比較的軍が落ち着いた頃。ファネスはラスタヴィユと連絡を取ろうと試みたのだが、何故かファネスの知る連絡先に彼はいなかった。そのまま現在に至るまで、音信不通である。
“……殺すの殺されるのなんて、俺は真っ平だ”
 そう言ったラスタヴィユが、まさかテロ組織の行動隊長など。
(……間違いに決まってる)
 粟立つ思いになんとかケリを付け、ファネスは睡魔に身を委ねた。
 明日から、SGPX最終戦ヘリックシティグランプリのフリープラクティス(練習走行)が始まる。そして明後日、明々後日と予選を行い、四日後には決勝だ。
 嵐のような数日間に備えて体調を万全にしておくのも、パイロットの仕事の一つなのだ。

[217] 第二章 踏み出す右足 - 2009/02/17(火) 19:48 - MAIL

第二章
引き続きワールウィンド・サーキット、或いはその近隣にて


 グランプリ日程は一日目――フリープラクティスを迎え、新サーキットワールウィンドはにわかに熱気に包まれていた。コースはセッティングに追われるマシンが飛び交い、まばらなスタンドでは熱烈なファン達が、本番とは少し違った練習走行ならではの渋い緊張感を楽しんでいる。
 しかし当然、当事者達に楽しむ余裕などない。ここ、“クォア・クー‐チーム‐ブラック・シャドウ”のピットもその例外ではなく、殺気立ったスタッフ達のおかげで雰囲気はまるで戦場である。確かに彼らにとっては、こここそが一つしかない自分の命を懸ける“戦場”なのかもしれないが。
『ダメだ、しっくりこない! もっと根本からパワーを上げてくれ!』
「おい、無茶言うなフェイ。今でもブースターの耐久力一杯なんだぞ」
 ヘッドセットからの注文に文句で返しながら、ダヴィエは目の前のピットに滑り込んでくる漆黒のシンカー――ゾイドの慣例に従って“シンカーBSS(ブラック・シャドウ・スペシャル)”と名付けられた黒い機体を見つめた。
 その機体は種々のエアロ(空力)パーツで補強され、到る所がスポンサー企業のロゴを印刷したステッカーで彩られている。しかしその陰に隠れるようでその実は最も際立っているのが、コクピットハッチと機体両翼、及び機体上面に施されたゼッケン。そこに誇らしげに描かれる数字は、今シーズンSGPXにおけるディフェンディングチャンピオンを表す“1”である。我らがファネス=サックウィルのシンカーだ。
 ピットに設けられた着地用スタンドと器用にドッキングすると、すぐにメカニック達が群がっていく。同時にコクピットへタラップが取り付けられ、パイロットであるファネスが機体を降りてピットをこちらへと近付いてきた。
「モタモタすんな! さっさとガレージ入れろ!」
 スタッフへ指示を与えながら、ダヴィエは歩いてくるファネスに水のボトルとタオルをセットで放り投げる。
「えらく入れ込んでるな? そんなにヤバいコースなのか?」
 ヘルメットを脱ぎ、汗に濡れた髪を振り乱しながら喉を潤すファネスは、昨日までとは打って変わって二枚目だった。無精ヒゲもサッパリと剃られ、オレンジ色の長髪にも癖など見受けられない(ヘルメットを被って寝癖もあったものではないが)。
 全ては、ファネスのレースに臨む姿勢故だ。レース期間中だけが、この物臭が身なりに気を遣う時間なのである。彼なりのジンクスと言い換えてもいい。
「………………」
 ダヴィエが問い掛けてもファネスはしばらくの間、派手に喉を鳴らしながらボトルを空にする勢いで水を口にしていたが、やがて満足したらしく大きく息をつき、疲れの見える表情で向き直った。
「……あぁ、ヤバいな」
 言って、苦笑を浮かべて見せるファネス。
「どれくらいだ?」
 その妙な雰囲気にあてられ、ダヴィエは間を置かずに聞き返してしまった。
「……楽しくてたまらないくらい……かな」
 するとファネスは、苦笑を不敵な笑みに変えてうそぶく。そしてそのまま勢いをつけるかのように、ボトルに残っていた水を頭にぶちまけた。
「まるで昔走ったワインディングだ、懐かしくてしょうがない。こんなコースなら、誰が相手だろうと怖いもの無しだ」
「ほぅ……確かに、このワールウィンド・サーキットは名うてのテクニカルサーキットだからな。峠と感じが似てるってのも、頷ける話ではあるが……」
「あぁ。あの頃の走りができれば、誰にも負けやしないさ」
「……レイナ以外にはな」
 こちらが口にした懐かしい名前に、優勝への執念一色だったファネスの表情が柔らかく苦笑に歪む。その理由が懐かしさであると、ダヴィエは無論知っている。
「レイナか……アイツがシンカー飛ばしていたら、このSGPXもどうなってたか分からないな……」
 呟くファネスの細められた目は、数年の時を遡って光景を見ているようだ。ダヴィエも確かに共有した、その時間。
 レイナ=バシェラール。記憶の中にあるその女性は、スピードに関する天性のセンスを持ち合わせていた。頭で理屈を理解していなくても、より速いスピードを得るためにどう体を動かせばいいかが感覚で分かる人間だった。
 身一つで走る際の体の動きから始まり、バイク(自転車)は勿論、モトを走らせても、アクセルワークやブレーキングを司る手と足の動き、コーナーリング時の体重移動など、誰に教わるでもなく最も効率的に速さへと繋がる動作を察知し、即座に実行する。それこそが彼女の最大の武器であり、ワインディングのコースレコードを軒並み保持していた理由でもあった。グランプリ参戦の暁には、彼女が各レースの優勝を一つ残らず攫っていくであろう事を、彼女を知る者ならば疑いはしないだろう。
 しかしその上で、ファネスはこう言い直す。
「ま、レイナが軍のパイロットっていうのも想像できない話ではあるか……やっぱりアイツは、アイドルが似合ってるな」
 速さだけでなく、ビジュアルの面でも秀でていたレイナ。走り屋仲間の間で彼女はアイドルだった。従軍経験の無かったレイナはシンカーどころかゾイドへのまともな搭乗経験も無く、結局パイロットとしてSGPXに参加する事は無かったが、彼女はその容姿を活かして、レースクイーンという形で数年間グランプリに“参戦”したのである。SGPXの歴史を語る上で、黎明期を彩った彼女を忘れる事はできない。
「……まぁ、とにかくだ。あと二割……いや、一割でいい! パワーが上がれば、あの頃と同じ感覚でこのサーキットを攻め込める……頼む、ダフ!」
 再び引き締められたファネスの表情。付き合いも長いダヴィエには、ファネスが彼なりの確信を得てそれを宣言している事がその形相で分かった。実際にマシンを操り、ライバル達と鎬を削るのが他ならぬ彼である以上、チーフメカニックであるダヴィエにはその要望に応える以外の道は無い。
「……いいだろう、やってやる。ただし一日がかりになるぞ? 午前中の分はもう終わりだからいいが、午後のフリー走行はスペアマシンだ。とりあえず、一号機と同じセッティングにはしてあるけどな」
「あぁ、分かってる……いつも悪いな、無理ばかり言って……」
「いいさ、それが俺の仕事だ。つまんねぇ気遣ってねぇで、パイロットはレースの事だけ考えてろ」
 互いの仕事をしっかりこなす事が、勝利への近道だ。ダヴィエはファネスの背中を叩き、話題をそこで終わらせた。
「さぁ、オマエは午後に備えて少し休むんだな――おい、まだか! さっさと入れろっつてるだろうが!」
 半ば無理矢理ファネスを送り出してから、ようやくガレージに入ってきた黒いシンカーへと向き直る。今からブースターを降ろし、明日の予選第一セクションに間に合わせて限界以上のセッティングを行うとなると、今夜はここで徹夜の作業に臨む事になりそうだ。
(……夜のデートはキャンセルか。アイドルのお守りは、二人に任せるかな)
 後悔は一瞬だった。次の瞬間にはダヴィエの頭はフル回転し、ブースターから限界以上のパワーを引き出すためのセッティングプランの構築に追われていた。



 自分が希望するセッティングには遠く及ばない状態のスペアマシンでありながら、ファネスは午後のフリー走行でも数度の休憩を挟みつつ、精力的に周回を重ねた。ダヴィエの陣頭指揮のもと、マシンセッティングを行うメカニックチームに必要なデータを、少しでも多く収集するためだ。
 ファネスにとって、今年完成したばかりのワールウィンド・サーキットを走行するのは当然今日が初めての事。そのため時間を一杯に使ってコースの癖を掴み、また各所での走行ラインなども根気よく煮詰めていく。同時に、自分の希望がどのようなセッティングなのかをメカニックに伝えるため、走行中に気付いた事は逐次無線でピットに伝達する。
 午後の時間は瞬く間に過ぎ、やがて夜の帳が下り始める頃、ヘリックシティグランプリ一日目の日程であるフリー走行が終了した。
 その後マシンの整備をメカニックに任せ、自身のトレーラーハウスで数時間の仮眠を取ったファネス。彼は目を覚ますと、今度は夜の予定に向けての準備を開始した。
 まずシャワーでフリー走行の汗を流し、地味な部屋着をそこそこに洒落っ気のある(と本人は思っている)私服へと着替える。朝から半日で生えた無精ひげもまた綺麗に剃り、サングラスをかけて用意完了だ。


 トレーラーハウスを出たファネスは、そのままワールウィンド・サーキットのパドックを後にする。一日目の日程が完全に終了しているはずのサーキットであったがしかし、パドックの外は多くの人で溢れ返っていた。彼らに軽食やグッズを供する露店の照明や呼び込みの喧騒によって、夜の闇と静謐な空気は完全に拭い去られてしまっている。
 ヘリックシティ近郊に位置し、交通の便も決して悪くないワールウィンド・サーキット。しかしだからと言って人々は、何も消灯したサーキットの巨大な影を拝みに来ている訳ではない。彼らの目的はサーキットの隣で照明に包まれた、さながら不夜城の如きもう一つの巨大施設にある。
 中央、北西、西方、東方の四大陸の中でも最大級の規模を誇るゾイドバトルコロシアム――スフィーダ・コロシアムの威容であった。ワールウィンド・サーキットよりも数年早く稼働を開始しているこの巨大コロシアムは、ヘリック共和国ブロックでのゾイドバトル一年の覇者を決する“チャンピオンズリーグ”、優勝賞金が全ゾイドバトル中最高額の“大統領杯争奪トーナメント”、二年に一度惑星Zi各ブロックの猛者が一堂に会して鎬を削る“ザ・マーベラスネス”など、最高峰の大会が数多く開催される事で知られている。競技の内容から観客席は施設内や屋外に設けられ、行われるバトルの模様はアリーナ各所に設置されたカメラからの映像を映し出す迫力の大型ビジョンや、堅牢な防護措置が施されたブース等で楽しむ事ができるのだ。撮影された映像は各地のゾイドバトルコロシアムへも中継され、実際に行く事ができないファンが現地で若干の雰囲気を味わいつつ観戦を楽しめるという催しも行われている。
 コロシアムの施設自体は、バトルチーム同士の練習試合から民間主催の大会、果てはアーティストのコンサートまで、その高額な使用料さえ支払えば誰でも使用できるという触れ込みだ。
 今夜スフィーダ・コロシアムで行われるのは、新サーキットワールウィンドでのSGPXシーズン最終戦の開催を祝し、昨シーズンの各ブロックで好成績を収めたチームを共和国ブロックのトップランカーが迎え撃つ、エキシビジョンマッチのナイトゲームである。群集はその緊張感を肌で味わおうと目論むゾイドバトルファンが大半であり、恐らくSGPXのファンは、双方のファンという者を除くとほんの一部に過ぎないだろう。
 ファネスは、試合開始を興奮気味に待ち侘びている人の群れを器用にすり抜けていく。目的地が目立つ事もあり、その足取りに淀みは無い。
(少し早いか? アイツの事だから、もう来ているとは思うが……)
 目指す先にあるのは、スフィーダ・コロシアム御自慢の屋外大型スクリーンである。試合開始を目前に控えたスクリーンには今、出場チームが過去に演じてきた名勝負のハイライト映像が、解説者のコメントと共に流されていた。スクリーン前広場には幾つものテーブルと椅子が並べられ、広場を囲むように店を開いた露店の軽食を楽しみながら試合を楽しめるという趣向だ。
 ただしスクリーンから広場にかけてが他と比べて目立つのは確かだが、目的地として指定するにはまだまだその範囲が広い。テーブル数だけでも百席に迫り、立ち見の者も含めればそこに居合わせる人数は三百〜四百を数えようという所なのだ。
(やっぱり、もう来ていたか……いつもながら目立つヤツだ……)
 その群衆の中に突入し、視界を巡らせたファネス。彼はすぐさま、目指す対象を発見した。
 そのどれもが連れの者との談笑や軽食を楽しむ場となっている無数のテーブルの中に、一際異彩を放つものがある。テーブルについているのは男一人なのだが、そこに積み上げられた軽食の空き皿やトレイが尋常でない。地面の上にもゴミはうずたかく堆積し、まるでテーブルを埋め尽くさんばかりだ。
「オマエは……毎度毎度食い過ぎだ、アミ。SGPXのパイロットなら、少しは自分の体重も気にしたらどうだ?」
 呆れ返りながら言葉をかけると、その男――親友アミティス=アミは手と口を止めずに視線だけでこちらへ反論した。睨み返す目が“大きなお世話だ”と言っている。仕方なく、ファネスはテーブル上の残骸をかき分けて自分のスペースを確保すると、アミティスの正面に腰を下ろした。
「……とりあえず、手元にあるだけにしといてくれよ。もうすぐアイツも来る」
 アミティスの大食いは昔からだ。仲間内で負け無しどころかハイスクールの三年間、年に一度地元で開かれる大食い大会を三連覇している。そのくせ“痩せの大食い”と言うか、体付きはいかにもパイロットらしく引き締められているのだからさらに驚きだ。
「とか何とか言って、オメェも結局このゴミの山を目印にしてる口だろうが。こっちはそう思って、これだけ派手に喰ってやってんだよ」
 アミティスは言いながら最後の一皿を空け、それをこの小一時間ほどでテーブル上に隆起した山の頂に放り捨てる。一応これ以上食べる気は無さそうだが、その顔にはまだ腹四分目といった物足りなさが浮かんでいる。
「まったく……」
 底無しの胃袋とその持ち主に再度呆れながら、ファネスはゴミの後始末を開始した。アミティスの言ったセリフが真実であるだけに、今全てを片付けてしまう訳にはいかないが、せめて後片付けのしやすいように容器を大まかな種類毎に重ねていく。
「……おい、ダフはどうした?」
「ガレージで俺のマシンのセッティング中。今夜は徹夜だろうってさ」
 作業の合間に問い掛けてきたアミティス。ファネスは良心の痛みを感じつつ答える。
「オメェなぁ……また無茶な注文したんじゃねぇのか? せっかく昔の仲間で集まろうってんだぜ? こんな日ぐらい気ぃ遣えよな」
 アミティスの言う通り、今日はかねてから打ち合わせ、ファネスを始めアミティス、ダヴィエなど、今では別れ別れになってしまった(一部例外はいるが)昔仲間で旧交を温めようと決めていた日だったのだ。皆が一箇所に集まるSGPX各グランプリ開催時は、それぞれが惑星各地に散ってしまうオフシーズンに比べて、集まるのに実に都合がいいのである。一年に十回しかない貴重な機会。各々で予定が入ってしまう事もしばしばなので、実際はもっと少ない。
 そのチャンスを、ファネスはダヴィエへの注文でむざむざ潰してしまったのである。自分でした事とはいえ、気にしていないはずが無い。
「それとこれとは話が別だ! 走りに気を抜けるか!」
 アミティスの簡単な茶々に言い返す語調がきつくなってしまった事こそが、ファネスがそれを気にしている事の何よりの証拠だ。
 ファネスとて、付き合いも長いダヴィエや、自分と同様コンマ一秒に命を懸けるパイロットを生業としているアミティスが、自分の気持ちを汲んでくれている事くらい重々承知している。しかしファネス自身が、走りの事となると周りの見えなくなる自分の性格に少々辟易しているのだ。若い時分ならまだしも、社会人として人付き合いもある今になってさえあまりに勝手に振る舞っている自分が、普段冷静になって考えるとなんとも情けない。
(やりたい事だけやる人生も、そろそろ潮時……かもな……)
 ファネスがテーブル上とその周辺のゴミの山を摩天楼群へと作り変える傍ら、ネガティブな思考に沈み込もうとした時だった。そんな暗い雰囲気を吹き払うような快活な響きの声が、何の前触れも無く飛んでくる。
「あ、いたいた! やっぱりアミがいると、こういう所で目印になるから便利だわ」
 無遠慮な言葉と共に姿を現した、一人の女性。目印とは勿論アミティス個人を意味するのではなく、彼が食い散らかした食事のゴミの山の事である。
「お、来たな――って、なんだその格好は?」
 揃って女性へと視線を向けたファネスとアミティス。彼女の姿を目にするや否や、アミティスは眉をしかめて問い質す。
 いくらか着崩しているものの、フォーマルなスカートスーツに身を包んだ彼女の姿は、いかにもこの騒がしい場所に馴染んでいない。口には出さないものの、ファネスも正直、遊びに行く服装ではないなと思った。
「悪かったわね、ギリギリまで仕事してきたのよ。アンタ達も知ってるでしょ? いつもは暇してても、グランプリの間はもう忙しいんだから」
 男二人から向けられる胡乱な物を見るかのような視線を真っ正面から睨み返す女性は、露骨な肩凝りのジェスチャーと共にテーブルの空席に腰を下ろす。
 彼女こそが、レイナ=バシェラール。若かりし頃のファネス達走り屋仲間のアイドルであり、同時にエースでもあった女性。
 虫族らしい小麦色の肌と明るく鮮やかなブルーグリーンの瞳が、ビジネススーツ姿であっても実にエキゾチックな魅力を醸し出している。ファネスやアミティスよりも二歳ほど若い程度のはずだが、初代から第六代まで、六年連続でSGPXイメージガールとして活躍したその美貌にはいささかの衰えも見られない。唯一つ、かつてはモトを駆りながら風になびかせ、レースクイーン時代には美しい瞳と共に彼女のトレードマークとなったグレーのロングヘアだけが、現在はビジネスライクなショートヘアとなっている。
 今の彼女は過去の自分の経験を活かし、中央大陸、延いては惑星Ziでも有数のコングロマリットであるクォア・クー社の下で、小さいながらもレースクイーン専門の芸能事務所を経営する女社長だ。彼女の事務所は質が高い事で知られており、今シーズンのSGPXへも共和国軍ワークスを始めとするいくつかのチームへレースクイーンを送り込んでいる。
 ゾイドのパーツ開発、製造などの部門も持つクォア・クー社はSGPXへもチームを二つ送り込んでおり、その一つが、ファネスがパイロットを務める“クォア・クー‐チーム‐ブラック・シャドウ”だ。当然この二チームのレースクイーンも、レイナの会社のスタッフである。
「それに、格好がおかしいのはフェイも同じよ。何、その風格も貫禄も無い格好は? SGPXの花形が聞いて呆れるわ」
 一転してレイナからの突然の口撃に、ファネスは思わず自分の服装へと視線を移す。ジーンズ、ティーシャツ、ジャケット。良く言えば無難だが、結局は可も無く不可も無く――むしろ可が無いのが不可といった風情である。自分では満足しているのだが、やはり世間の注目を集める花形パイロットの格好としては不足なようだ。
「第一、今時サングラスだけの変装って何? タレントだってもう少し気を遣った変装するわよ。しかも夜だし」
 言ったレイナはテーブルに身を乗り出すと、話題となったファネスのサングラスをさり気ない手つきで外し、自分の顔へと持ってくる。スーツ姿の彼女がサングラスをかけた事で、何やら妙な迫力が加わった。
 そして、レイナの文句は止まらない。
「そもそもSGPXのパイロットなんて、そんなに顔の売れてる職業じゃないわよ。素顔晒してたって誰も気付きゃしないわ」
「そ、そんなもんか……?」
 剣幕に圧倒されるファネスを余所に、レイナは続ける。
「そうよ。例えば、SGPXと同じくらい人気のあるゾイドバトルのパイロット。一年間のレース数がたかだか十回のSGPXと違って、ゾイドバトルはほとんど毎日試合が行われてるのよ? 有名なチームの試合結果はニュースやワイドショーで必ず取り上げられて、皆がそれに一喜一憂しているし、特集だってしょっちゅう組まれてるわ。それに比べて、SGPXはどう? 月に一回あるか無いかのレースの時期にしか注目されないじゃない。サーキットでばっちりパイロットスーツ着込んで、後ろにシンカー従えてるならまだしも、暗がりに私服じゃそこらの人と見分けなんかつかないわよ」
 これはあくまで彼女の所見であって、ファネスやアミティスがゾイドバトルのトップランカー達と肩を並べるほどの国民的アイドルである事に違いは無い。レイナにとってみればファネスやアミティスは、人気パイロットである以前に古くからの親友であり、多少の色眼鏡がかかってしまうのは無理もない事だった。
 しかし大衆への露出という点で、SGPXパイロットがゾイドバトルのパイロットに一歩譲るという現状は、まさに彼女の言の通りである。
「――傍から見てSGPXのパイロットだって分かんないんだったら、同じくらいみっともないのは変わらないとしても、アミの食い気の方がまだ可愛げがあるかもね。ダサいのは救いようが無いけど、大食いならまだ感心してくれる人もいそうだし」
「あー……まだまだ勉強が足らないって事が、よく分かったよ」
 散々に言われたファネスは、もう肩を竦めて彼女の主張を受け入れるしかなかった。すると凹んだこちらに気を利かせた訳でもなかろうが、今度はアミティスがレイラへ言葉を向ける。
「その点、レイラは顔が知れてるからな。色々と大変だろ?」
「まぁね。でも現役の時は髪も伸ばしてたし、今日はこんな格好だし、そんなに気にする所じゃないわ」
 サングラスもかけたし、と続ける元アイドルの回答は、実にサバサバしたものである。
 彼女のレースクイーンが現役だった頃、その人気は絶大だった。各グランプリにはレースでなく彼女見たさのファンまでも殺到し、SGPXとは良きライバル関係であるはずのゾイドバトルからすら、キャンペーンガールとして彼女にお呼びがかかったほどだ。人気の理由は優れたルックスというのも勿論であったが、少々勝気ながらも裏表が無いその気さくな性格も大きな要因であったらしい。
 各チームのレースクイーンの中からファン投票で決定されるSGPXのイメージガールに、第一回から六回大会まで六大会連続で選出されるという偉業を達成したが、それを最後に惜しまれつつも引退。クォア・クー社からの誘いを受け、芸能事務所を立ち上げたのである。ファンにとってはその経歴こそが正に伝説であり、今なお彼女にサインを求める者も多いのだそうだ。
「ん、始まりそうね……そろそろ場所変えましょ」
 突然、周囲の気配を感じ取ってレイラが立ち上がった。その言葉が終わるのを待たず、周囲から立て続けに歓声が湧き上がる。ようやくエキシビジョンマッチの開始時間がやってきたのだ。スクリーンの映像がコロシアム内を映し出したものに切り換わり、実況の声が一帯に響き渡る。
『お待たせいたしました、只今よりエキシビジョンマッチを開始いたします! 今夜の第一試合。対戦カードは西方大陸ニューヘリックシティからの刺客“チームサーガ”対、我が共和国ブロックきってのライガーライダー集団、“獅子の爪(ライガークロウ)”こと“テンペスト・コーラー”です!』
 テンペスト・コーラーは、ここ最近共和国ブロックの南部エリアで名の売れてきたチームだ。ブレードライガーAB一機、シールドライガーDCS二機という編成を基本とし、その名の通り戦場に“嵐を呼び込む” かのような高速戦闘を得意としている。
 現在の戦術が確立されてからメキメキと頭角を現してきたチームで、ツボにはまった時にはベテランチームも歯が立たないと評判だ。また実力もさる事ながら、ライオン型ゾイド三機による高速戦闘という派手なビジュアルも、チームの人気に一役買っているらしい。レオマスター然り、閃光師団然り、いつの時代もライガーライダーは民衆の人気の的である。
 一方のチームサーガ。ライガーゼロとディバイソンという二機を基本に、レギュレーションの参加機体数次第で臨機応変にゾイドを追加するという形態をとるチームだが、今回は大胆にも二機のみで参戦してきている。戦術的にはライガーゼロを攻撃の主体とし、格闘戦にも砲撃戦にも対応するディバイソンが、状況に応じて前後から援護を行うようだ。
 昨年の南エウロペ大陸エリアの覇者にして、西方大陸ブロックチャンピオンである。実力は保証済みだが、何よりもその熱き戦いぶりに多くのファンを持つチームだ。
 世間一般では、強大な統一国家が存在せず、人口も他の三大陸に比して少ない西方大陸を、様々な事柄に対して低く見る傾向があるが、ゾイドバトルにおいてもその風潮は強い。そしてその評価は概ね間違っていない訳で、西方大陸ブロック所属チーム=弱小という公式が浸透しつつあるのは致し方ない所ではある。
 しかし時には例外も存在する。ニューヘリックシティ、ガイガロスという二大都市を有する南エウロペ大陸は、北、西両エウロペ大陸より人口も多く、ゾイドバトルも盛んに行われている地域だ。当然所属するチームのレベルも高い位置で纏まっている。今回の対戦カードも、下馬評では共和国ブロックでランキング上位に位置するテンペスト・コーラーが人気を集めているが、玄人の間では五分五分か、或いはチームサーガ有利との予想が大勢を占めていた。
 だがそんな細かい事は抜きにしても、地元チームへの人気は凄まじい。周囲の観衆が総立ちになってモニターの向こうに歓声を送るのを尻目に、ファネス一行はスクリーン前の広場を後にした。当然、アミティスが喰い散らかしたゴミの始末をファネスが受け持ったのは言うまでもない。


「さすが地元チームには、あの歓声か。明々後日のレースも盛り上がるぞ……」
 当て所無く歩く一行の中で、呟くアミティス。
「……もっとも地元ファンには悪いが、勝つのは共和国軍のワークスでも、クォア・クーのフェイでもなく、ネオゼネバスのアミ様だけどな」
「……アミ? アンタあんまり滅多な事言ってると、背中から刺されるわよ?」
「おいおい、俺だって軍人の端くれだって事、忘れてねぇか? トーシロにどうにかされちまうようじゃ、もう退役しなきゃなんねぇよ」
「あら、時間は人を変えるわね。昔、私が引っ叩いて半ベソかかせたのはどこの誰……」
「ぁあんっ!? レイナ、オメェ言うに事欠いてなに口から出任せ言ってやがる!」
 取っ組み合いにまで発展しそうな二人のやり取りに隣で苦笑しながら、しかしファネスはレイナの言葉を深く噛み締める。無論、半ベソがどうのという話ではない。サポーターの恐怖と応援の温かさを、ファネスは身に染みて知っていた。
 ファネスは、三年前の第九回大会シーズン終了後にクォア・クー社のチームへ移籍した身であり、それ以前はアミティスと共に、ネオゼネバス軍のワークスチームでSGPXを戦っていた。ファネス自身がネオゼネバス人(正確には出生当時ヘリック共和国領だった旧ゼネバス領出身)という事もあり、ネオゼネバス帝国でレースが開催される際にはサポーターからの熱い声援を受け、それを疾走へのエネルギーとしたものである。
 しかしその声は、共和国の企業であるクォア・クー社への移籍で罵倒へと変わった。
 元々、移籍の事はそれとなく考えていた。いつかアミティスと真っ正面から戦い、コースの得手不得手を言い訳にモトでは明確にできなかった決着を、シンカーでつけたかったのだ。移った先がクォア・クー社だったのは、移籍金の額に惚れた訳ではなく、単に真っ先に声をかけてきたからというだけに過ぎない。
 だが、かつてのファンはそうは思わなかった。“金に目が眩んだ裏切り者”と罵られる日々。脅迫状や無言電話を受け取ったのも一度や二度ではない。
 一連の行為に沈み込んでいたファネス。第十回大会開幕前から既に、レースで結果が出せるような状態ではなかった。そんな彼を勇気づけたのが、クォア・クー社や共和国のサポーター達の声援だったのである。シーズン開幕戦が行われた共和国のサーキットで、自分に惜しみない声援を送るサポーターの群れに、ファネスは自分を取り戻し、開幕戦優勝を勝ち取ったのだ。
 背信者へのタイトル流出をメンツにかけて阻止にかかったネオゼネバスワークスチームとアミティスの活躍により、シリーズランキングでは惜しくも二位に甘んじたものの、それでもファネスにとっては総合優勝以上に大きなものを得たシーズンとなった。それが昨シーズンの第十一回大会優勝へと繋がっていったのは、今さら言うまでもない。
(ファンへの恩返しは、俺が結果を残す事だ……)
 ファネスの思考が、そう一段落ついた時だった。三人の歩いてきた方向から、悲鳴ともため息ともとれる歓声が上がり、夜気を震わせた。エキシビジョンマッチ第一戦の決着がついたようだ。声の様子からすると――
(西方大陸のチームが勝ったか。早い決着だったな……)
 続いて響いたアナウンスが、ファネスの予想を肯定する。
『試合の結果をお知らせします。エキシビジョンマッチ第一試合、チームサーガ対テンペスト・コーラーの試合は、試合時間六分二十六秒でチームサーガが勝利しました!』
 アナウンスの言葉に、ファネス一行の周囲からも落胆のため息がもれた。
「あら、負けちゃった。テンペスト・コーラー、けっこう好きだったのに……」
 レイナまでもが残念そうな声を上げている。今の二チームに特に思い入れがある訳でないファネスだったが、ゾイドバトルの一ファンとして彼らの気持ちは十分に理解する事ができた。
 しかし自他共に認めるゾイドバトルフリークであるアミティスは、ファネスと違ってレイナの好みが気に入らないらしい。
「意外とミーハーだな、レイナ。ゾイドバトルってなぁ、見た目とか評判とかで好みを選ぶと損するぜ? ホンモノってのは、人があんまり知らねぇ所にいるからなぁ。“グロッタ”とか“バッカニア”とか……」
 “グロッタ”は、ベアファイターとモルガで編成されたネオゼネバス帝国ブロックのチーム。“バッカニア”はシンカーのみで構成された北西大陸(旧暗黒大陸)ブロックの異色チームだ。両チームとも目覚ましい成績を上げている訳でも、派手な戦闘を売りにしている訳でもないが、小型ゾイドで西方大陸戦争以後の高性能ゾイドと互角以上に渡り合うその戦い振りは、コアなファンからカルト的な人気を誇っている。要は通好み、あるいはマニアックという事になるのだが。
「……人の趣味は好き好きだろうけど、あんまり詳し過ぎるのも気味が悪いわね。正直、ヒくわ」
 アミティスの得意気な弁にしばらくは無言で耳を傾けていたレイナだったが、次第に彼の口調が熱を帯び始めると見るや、その言葉を一言の下に切って捨てる。サングラスで目が隠されたせいか、その言葉の温度がいっそう冷たく感じられた。彼女もファネス同様、アミティスの趣味に対する講釈には辟易している口なのだ。
「あ……」
 レイナの酷評で、絶句するアミティスの様子に苦笑しながらも、その歩みは止めないファネス。背後からは、アナウンスされるエキシビジョンマッチ第二試合の対戦カードが響いてくる。
 そのアナウンスが、終わるか終わらぬかというタイミングだった。
「あん? なんだありゃあ……?」
 ショックから回復したらしきアミティスが、己の視界に入ってきた物を認めて頓狂な声を上げた。その反応は、ファネスにとって半ば予想できたものだった。
 無論、アミティスの目に入った物はファネスの方でも認識している。それは人だかりに埋もれた、派手なカラーリングのシンカー二機であった。一機は黒、もう一機は青を基調とした色合いで塗装されている。そして、機体の到る所に貼り付けられた企業ロゴのプリントされたステッカー。
「……あれ、オメェのシンカーじゃねぇのか?」
 アミティスの言う通り、そのシンカーはファネスが今シーズンのSGPXで使用しているシンカー――“シンカーBSS”と瓜二つの外観を有していた。もう一機の方も、クォア・クー社がクォア・クー‐チーム‐ブラック・シャドウと共にSGPXに送り込んでいるチーム、“クォア・クー‐チーム‐ブルー・ミストラル”の擁するシンカー、“シンカーBMS(ブルー・ミストラル・スペシャル)”に酷似している。
 ただし、似ているというのはシンカー本体の話だ。二機のシンカーには、そのフォルムを大きく歪ませるほどの追加兵装が施されていた。二機共に言える事だが、武装されているという事実が、火器管制装置も搭載されていないレース用シンカーとは違う、戦闘メカとしてのゾイドである事を示している。レース仕様はあくまで外見だけという事だ。
「あぁ、あれは――」
「クォア・クー社のパフォーマンスよ」
 疑問顔のアミティスに説明したのはレイナだった。自分が務めようと思っていた役柄を奪われ、今度は事情を知るファネスまでもが驚かされてしまう。
「SGPXにあやかった、新兵器の見本市ってわけ。今夜のエキシビジョンマッチはファンだけじゃなくって、メディアやゾイドバトルのパイロットも見に来るから」
 一行が二機のシンカーに歩み寄っていく間も、レイナの説明は続く。その口振りからすると、随分と事情通のようだ。
「エキシビジョンマッチの最終日には、さっきアミも話してたチーム、えっと……バッカニア? そのチームのパイロットがこのシンカーに乗って、デモンストレーションの試合もするらしいわよ」
 遂には、ファネスの知らない情報まで飛び出す始末である。
「レイナ、オマエなんでそんな事まで知ってるんだ?」
 ここまで来ては、ファネスも尋ねずにはおれなかった。ファネスがシンカーの事を知っていたのは、律儀にも彼の元へ、クォア・クー社からレプリカの展示許可の是非を求める連絡があったからだ。チームのオーナーでもありメインスポンサーでもあるクォア・クー社の要請を無下に蹴る事ができるはずもなく、また別段デメリットも無いためファネスもそれを快諾したのである。しかしそんな事情を、自社からレースクイーンを送り込んでいるとはいえ、直接ファネスのチームに出入りしている訳でもないレイナが知るはずもない。
 興味津々の男二人に向けて、レイナがサングラスを少しずり下げて寄越した視線は、実に愉快気に歪められていた。自分だけの秘密を持っているという事実が嬉しくてしょうがないようだ。そして散々もったいぶった挙句、その整った口をついた言葉は……
「社長さんに聞いたのよ、クォア・クー社の。友達なの」
 今や並ぶ者の無い程までに成長した超巨大コングロマリット企業のトップとの、個人的親交の告白だった。それは、謎のシンカーに対する説明の段で随分と驚かされてきたファネス達をして、愛想笑いのような苦笑しか返せないほどに現実味の乏しい、冗談染みた話題であった。
「ちょっと、何よその笑い方。信じてないわけ?」
 当然、レイナの表情は険しくなる。
「社長が芸能事務所の話を持ってきてくれた時、妙に気に入られて……若い頃の自分を見てるようだって。それで、いつの間にか仲良くなったの」
 どうやらレイナ自身も、何を切っ掛けにそんな雲上人のような存在と自分との親交が深まったのか、理解している訳ではないらしい。
 ファネスもクォア・クー社のチームメンバーである以上、社長の事は知り及んでいる。
 クォア・クー社の現在の社長は先代社長の実の娘で、ヘリック共和国軍の士官学校を卒業後、激戦のエウロペで活躍した歴戦のゴジュラスパイロットであったとの触れ込みだ。負傷を契機に軍を退き、経済の分野へ転身。そこでもまた非凡なる才を開花させたという、まさに立志伝中の人物である。記憶が確かならば、友達と言ってもレイナより三十歳以上年上のはずだが。
 何にせよ、親友であるレイナとの接点をそのイメージから導き出す事は、ファネスにはできなかった。
「……吹かすなよレイナ。あの女社長の話なら、そこらの子供捕まえてきたってもうちっと気の利いた話聞かせてくれるぜ? 自分が親の会社継ぐために、出来の良かった姉貴をエウロペで始末してきたとか、な」
 “社長”という人物をおぼろげながらも知るファネスがそうなのだ。アミティスにしてみれば、テレビの中でしかお目にかかれない人物と自分の親友とが友人同士などと言われた所で、冗談以外の何物にも聞こえないに違いない。彼はどうにもレイナの話が信用できないという風で、巷で流行する妙な噂を例に挙げ、“オマエの話はそれくらい信憑性が無いのだ”と彼女をからかう。
 それを受けたレイナは、
「ふーん……」
 てっきり、自分を茶化すアミティスに食って掛かると思っていた所を、人の群れに囲まれるシンカーの方を見やりながら何やら意味深な声を漏らしたきりで、未だ顔面に鎮座していたファネスのサングラスを外すと、それを持ち主の方へと投げ返してきた。
「分かったわ。どうも私は信用ないみたいだし、もう何も言わない。その人を見る目のないガラス玉で、真相を確かめるといいわ」
 そして言い捨てるや否や、足早にシンカーの展示されたブースの方へと歩み去ってしまった。その足取り、背中から放つ雰囲気、彼女が頭にきているのは間違いない。
「怒らせて……知らないぞ俺は」
 今更使う気にもなれず、レイナから受け取ったサングラスを額にかけながらファネスは茶化す。
 昔から、レイナを怒らせるのはアミティスの茶々の役目だった。ファネスにとっても見慣れた光景であり、特に心配するような事はしない。アミティスの方も気まずげに頭をかいているだけで、彼女を止めたり謝ったりする気は無さそうだ。激し易いが冷め易いというのが、二人の知るレイナの性格だからである。
 しかし、別に気になる事があった。
「ところでレイナのヤツ、俺達の目で真相を確かめろみたいな事言ってたけど、どういう意味だ?」
「……さぁ?」
 お互いに顔を見合わせて首を傾げたファネスとアミティスは、その疑問の答えを知るべく、レイナの去った方向へと揃って視線を振り向ける。すると、人垣の向こうにその光景はあった。
「おい、フェイ。あれは……」
「あぁ……」
 アミティスに言われるまでもなかった。
 派手なシンカーの傍らで、レイナと親しげに話し込んでいる一人の女性。モデル体型のレイナより更に頭半分背が高く、砂族の血から来たらしき白の長髪を結い上げている。年の頃は七十(地球人相当で四十歳)に手が届こうかという美しいマダムだ。
 問題はその美しい顔立ちが、誰もがテレビで一度や二度は目にした事のある、クォア・クー社の女社長のものに間違いないという事である。レイナの言は、一片の嘘偽りも無い真実だったのだ。
「……こりゃ参ったな、どうも」
 馴染みの親友と、テレビの中の登場人物に過ぎなかったセレブ社長とが語らう光景に、驚きのあまりまともな言葉も出てこないらしきアミティス。
 こちらに気付いた女社長が軽く手を振ってくるのに対して軽い会釈を返してから、ファネスも肩を竦めた。
「……アイツにはいつも驚かされる」
 初めてモトで疾走する彼女の姿を目にした時、SGPXにレースクイーンとして乗り込んできた時、突然の引退と同時に芸能事務所を立ち上げると言い出した時。細かい事まで挙げ出したらキリがないが、それが彼女の魅力であるようにも、ファネスは思えるのだった。


「さて、楽しそうにしてる所を邪魔しても悪いし……レイナの機嫌が直るまで、シンカーでも見て時間潰すか」
 そんな方向で意見を一致させたファネスとアミティスは、展示されたシンカー二機へと歩み寄っていく。普段戦闘用ゾイドを間近に見る機会も少ない一般の人々が群れをなして取り巻いていたが、レイナが言った通り、群集がファネス達に気付く事はなかった。
 そこに一抹の寂しさを感じないではなかったが、その想いも、自分達が戦場にいた頃には見た事もない姿のシンカーを目の前にするや吹き散らされてしまう。レーシングモデルを再現されたシンカーがベースになっていると言っても、そこにあるのは確かに、ファネスやアミティスが大戦中に馴染んだ兵器の姿であった。
 ファネスのシンカー――シンカーBSSは、本来ホーミング魚雷を搭載する四基のパイロンを改装し、パイロン一基ごとに四本ずつのミサイルを搭載。そして両翼付け根のサーボモーターをハードポイントとして使用し、ロケットブースターとほぼ同サイズとなる七銃身のガトリング砲を二基装備している。
 一方のシンカーBMSは、まず改装されたロケットブースターが目を引く。BSSの方も少々の改良は加えられているのかもしれないが、BMSのブースターは外見からして標準装備のものとは異なっており、新たに開発された新型であるのは明らかだ。両翼付け根側のパイロンにはBSSと同様にミサイルが四本ずつ。翼端側のパイロンは取り外され、本来の位置よりもさらに末端近くに、何か得体の知れない装置が代わって装備されている。見難い部分ではあるが、コクピット横の加速ビーム砲も小型のガトリング砲か何かに変更されているようだ。
 装備から見ても、シンカーの本来の領分である水中戦闘は想定していないらしく、BSSは対地ないし対空戦闘仕様、BMSはほぼ完全な対空戦闘仕様と判断できた。しかしゴテゴテと満載された装備は空気抵抗などまったく度外視されているように思われ、性能云々よりもまずビジュアル的な魅力――簡潔に言えばカッコよさが優先されているのかもしれない。いかにもデモンストレーション用の機体というか、ゾイドバトル用の機体というか。
「これが全部、クォア・クーの開発した新兵器か……シンカー用か? それとも小型ゾイド用か?」
「……他のゾイドへの互換性はあるようだが、一応シンカー用の装備らしいな。水中戦闘能力を捨てて、空戦能力でレドラーと互角、爆撃能力でプテラスを上回るって……ホントかよこれ」
 ファネスの疑問に、ゾイドバトルのパイロット向けに用意されたカタログ片手のアミティスが胡散臭そうに答える。説明を聞いたファネスにしても、かつての搭乗機としてその性能を隅々まで把握しているだけに、シンカーでレドラーと互角に戦えるなどとにわかには信じられなかった。
 今回のように、ある特定のゾイドを取り上げ、その機体の強化案として新兵器を幾つか発表するというのが、クォア・クー社のスタイルである。どの兵器にも他のゾイドへの互換性は確保されているが、最大の狙いはそのゾイドを使用しているゾイドバトルのパイロットに対し、あわよくば強化案の装備一式を丸ごと購入させようというものだ。
 いかにもがめつい商業戦略だが、これが意外に好評なのである。既にいくらかの実績と賞金を獲得したが、そこで壁にぶつかって行き詰まってしまったキャリアの浅い駆け出しに、手っ取り早い愛機の強化策として重宝されているのだ。新兵器開発に際しては滅多な高性能機ばかりでなく、ゾイドバトルの初心者でも手を出しやすい小型ゾイドも意欲的に取り上げている事から、クォア・クーというブランドの世話になっているパイロットは初心者から中堅にかけて多く――つまりゾイドバトルの全競技人口の中でも最も人数の多い人種から人気を獲得しているという訳だ。しかしその一方では、使用者を選ぶ玄人好みのピーキーな兵器がラインナップに並べられ、一部の兵器は共和国軍でも採用が検討されている。会社自体が“揺りかごから墓場まで”を謳っているだけに、標的とする顧客層は実に広いのだ。
 当然その人気の根幹に、常に高い性能と信頼性とを両立させた兵器を開発するクォア・クー社の開発力があるのは言うまでもない。
「ふむ……」
 当面、ゾイドバトルに手を出すつもりなど無いファネスであったが、事が自分にとっても関わりの深いシンカーに関係しているとあれば、少なからず好奇心が頭をもたげてきた。アミティス同様、用意されたパンフレットを手に取って目を通してみる。冊子には購入を考えるパイロット向けに、装備のスペックや特徴、そしてアミティスが言ったような謳い文句がつらつらと書き連ねられていた。
「BMSの方は、随分意欲的な試みだな。シンカーにESCSユニットを積んだのか……」
「……“えすくすユニット”って、なんだ?」
 カタログの記載に目を留めたファネスの言葉に、アミティスが問い掛ける。
「……まぁ、シンカー乗りには縁が無いから無理もないのかもな。ESCSってのは、“Energy Sword with Cannon Shield”の略称だ」
 ESCSユニットはかつてガイロス帝国が開発したゾウ型ゾイド、エレファンダーに搭載された装備である。ビーム刃発生装置兼ビーム砲兼Eシールド発生装置という三つの機能を持つ画期的な兵装で、かつての大戦ではこれを装備したエレファンダー・ファイタータイプが、西方大陸ニクシー基地を始めとする幾多の戦場で共和国軍を大いに苦しめた。
 カタログの説明によると目の前のシンカーBMSに搭載されているのは、空中格闘戦での使用を目的としたビーム刃発生装置で、翼端から伸ばしたビーム刃ですれ違いざまに敵機を切り裂くという、ストームソーダーのウイングソードやレドラーの可変レーザーブレードと同様の使用方法をとるらしい。
「ESCSって言ってもビーム刃発生装置が同じシステムを使った代物ってだけで、ビーム砲やEシールド発生装置としては機能しないみたいだから、正確にはESCSユニットじゃないみたいだけどな。ただし、エネルギー消費量はバカにならないらしい。加速ビーム砲がガトリング砲になってるのも、その辺が理由なんだろ」
「ふーん……」
 一くさりESCSユニットについて説明したファネスだったが、分かっているのかいないのか、アミティスはなんとも言えない中途半端な声を返しただけで、二機のシンカーに見入っていた。
 ESCSといいブースターといい、ある意味王道的とも言える兵器で改造されたBSSに対し、BMSはまるで実験機のようだった。クォア・クー社は独創的な兵器開発でも知られており、実験的な試みにも意欲的に取り組んでいる企業だが、その面目躍如と言ったところか。
「どう思うアミ? このシンカー、乗ってみたいか?」
「まぁな。こんだけカリッカリに弄ったすげぇシンカーなら、面白いかもしれねぇな」
 ファネスがそうであるように、自分にとって馴染みの深いシンカーの究極とも言える姿を目にし、アミティスも興奮を隠し切れない。
「乗るんなら、どっちだ?」
「そりゃオメェ……見た事もないような装備に命を預けるのは、ちっとばかし気が引けるってもんだろ、正直」
「そうか? 俺は面白そうだと思うけどな。やった事のないマニューバ(機動)もできるだろうし……」
 堅実なアミティスと、派手好きのファネス。二人の回答は対照的だ。
「……昔っから考えが薄っぺらだぜ、オメェはよ」
「……そっちこそ、昔と同じでつまらないヤツだ」
 そして、その考え方の違いに由来する二人の些細ないさかいが、昔から仲間内での名物だった。
「お待たせ。あれ、なによまた喧嘩? ホント相っ変わらずね、二人とも」
 だからこそ、自分の用事を終えて二人のもとに戻ってきたレイナも、殊更に驚いて止めに入るような事はしなかったのだろう。“またか”といった様子で肩を竦めたきりだった。
「喧嘩……結構じゃねぇか。つるむんなら自分と似たヤツより、会う度に喧嘩するぐらい自分と反りの合わないヤツの方が、一緒にいても楽しそうだ。何より飽きない。なぁ、フェイ?」
 レイナの言葉を耳にしたアミティスはそううそぶく。仕舞いには、寸前までの言い合いも忘れてファネスと肩を組もうというのだからまったく呆れたものだ。しかし――
「……そうだな。オマエとは気が合わないが、今の話だけは同意してもいい」
 アミティスの言葉は、そのままファネスの気持ちであったのだ。機会さえあれば互いを毒づき合っている二人でも、その根幹の部分で通じるものがあるからこそ、こうして数十年来の友人でいられるのだろう。
「それで、そっちはもういいのかレイナ? 女社長さんと、随分楽しそうに話し込んでいたが……」
「なんだったら、もうしばらく俺達二人で見て回っててやろうか? ゾイドバトルは観戦するだけじゃなしに、こうやって触れてみるってのも意外と悪くねぇ」
「ううん、もういいわ。あの人も忙しい人だから。そんな事より……」
 二人の気遣いを押し止めたレイナが、ふと声を潜める。その行為で、ファネスもアミティスも彼女が意図するところを察した。三人の周囲で、静かなざわめきが湧き起こりつつあったのだ。三人の名前を囁き交わす声も、わずかながら漏れ聞こえてくる。
 レイナの“SGPXパイロットは顔が売れていない”という主張を真に受けたにしても、さすがに長居が過ぎてしまったようだ。
「……そろそろ帰るか」
 ファネスの号令で、三人はそそくさとその場を後にした。



 人込みを避けるようにして、三人はワールウィンド・サーキットへと辿り着いた。途中三人の正体が露見して群集にパニックを起こされるなどという事態に至らなかったのは、ひとえに三人の根気と努力の賜物に他ならない。
 今一行の姿は、パイロットのトレーラーハウスや各チームの輸送用ゾイドが居並ぶモーターパドックにあった。入り口付近の地面に腰を下ろし、そこまでの道程で張り詰めた緊張感を、やんわりと解きほぐしにかかっていたのである。
「夜になるとさすがに冷えるわね。冬が近い証拠かしら……」
 薄手の夏用スーツという服装のレイナが、肩を抱くジェスチャーと共にそう零した。
 中央大陸に春と秋は無い。夏始、冬始という一日を境にして一気に温度が十度ほど上昇或いは下降し、季節が移るのである。しかしそうは言っても、夏始や冬始が近付くに連れて気候に多少の変化が生じてくるのは確かだった。
「帝国首都も、今頃は冬支度の真っ最中ね、きっと」
 生まれ育った故郷は遥か彼方だ。だが同じ山岳地帯の都市という事で、帝国首都と共和国首都の気候には意外と似通った部分がある。その言葉には、故郷とよく似た空気が募らせた、レイナの望郷の念が宿っていた。
 しかし彼女のその一言で、その場に居合わせる男二人はわずかに――ほんのわずかにその表情を曇らせる。何故なら故郷にまつわる話題は、ある理由から皆が口に乗せる事を忌避してきたものだったからだ。
「……まだ連絡取れないの? ラストと……」
 そんな二人の変化を目聡く捉えたレイナは、その根幹にある核心的な部分を単刀直入に突いてきた。
「……あぁ。軍の知り合いにも、声をかけてみてはいるんだけどな。目を引くような話は、一つも耳に入ってこねぇ。まったく、ラストのバカなにやってんだか」
 レイナの問いに対して、苦々しく答えたアミティス。その口調には、根の深い苛立ちと苦悩の色が見え隠れする。
 彼らの親友――ラスタヴィユ=アディンスが音信不通となって、既に十六年の時が流れていた。
「フェイ。オメェの方は、何か分かった事は無ぇのか?」
「あ、あぁ……特には……」
 突然話の矛先を向けられて、咄嗟の嘘がファネスの口をついた。他の二人と違い、ファネスはラスタヴィユの消息に関して、一つの情報を掴んでいる。しかしそれは、とてもこの二人に対して口にできるようなものではなかった。言ったら言ったで、信用されないどころか冗談が過ぎると怒りを買う可能性もある。
(アイツがテロリストだなんて……バカな……)
 先日、あるジャーナリストによってもたらされた一つの不明確な情報。それはかつての親友がテロ組織に属し、あまつさえこのSGPXヘリックシティグランプリをテロの標的として狙っているという途方もないものだった。実際、ファネス自身も半信半疑――否、ほとんど信用していない。話を信じていない彼が嘘を口にしてしまったのは、かつての親友をテロリストなどと貶めるのに抵抗を覚えたせいもある。
 ファネスの答えを聞いたアミティスの返事は――
「そうか……」
 残念そうという以外、特に何かしらの感情を含んでいるようには思えなかった。
 夜の闇が幸いしたのだろうか。ファネスにしても、自分が表情の上で平静を保てたとは思わなかったが、幸運にもその変化をアミティスが気に留める事はなかったようだ。レイナも、特に何を言うでもなく沈黙を守っている。
 自分達の周りに立ち込めた気まずい空気に耐えかね、三人は思い思いの方向に視線を散じる事となった。
(あれは……?)
 ファネスは見つめた先で、ゾイドバトルコロシアムの方角から走る眩い照明光にその十二枚の集光パネルを煌かせた、凱龍輝・真の姿を認める。
 敵の光学兵器による攻撃を集光パネルで吸収して撃ち返すという集光荷電粒子砲は、平和な御時勢にて専守防衛などという大層な御題目を唱える為政者には実に都合の良い兵器らしく、またそれを装備した凱龍輝という機体は大型ゾイドとして見栄えも良く、軍や国家の威信を示す舞台において非常に重宝されていた。今回のSGPXヘリックシティグランプリにおける警備の任にその凱龍輝が当たっているという事実は、取りも直さず、時の権力者がこの大イベントを手頃な自己PRの場として利用しようと考えている事に他ならない。
 しかし当の権力者達にそんな売名行為を公然と行わせる大義名分を与えたのは、彼らを嫌っているはずのテロリストに違いなかった。未だに公式な発表がなされた訳ではないが、本来ならばアロザウラー辺りの小型ゾイドが行う事が通例となっているSGPXの警備に、凱龍輝という大物を引っ張り出してきたという事実が、テロ組織の動きに不穏なものがある事の何よりの証だろう。無茶を周囲へと認めさせる段にあって、社会の暗部で秘密裏に蠢く彼らの存在が格好の説得材料となったであろう事は想像に難くない。
(訳の分からん世界だ。少なくとも、俺の好みではない……ラストにしろ、そんな世界の住人ではなかったはずだが……)
 次第に小さくなっていく凱龍輝の姿に、ファネスが胸の内で零した時だった。
「なんだか今度のグランプリ、物々しいわね」
「あぁ、凱龍輝か……確かに、普通なら見慣れねぇゾイドだな」
「共和国軍の姿も目立つし……何かあったのかしら?」
 アミティスとレイナの二人もその姿に気付いたらしく、ヘリックシティグランプリを包む異様な雰囲気に対して言葉を交わし始める。それは何も知らない二人にとって他愛の無い会話でしかなかったが、親友ラスタヴィユの不穏当な噂を彼らに隠している立場のファネスには、まさに針の筵であった。
「……なぁ? 明日も忙しくなる事だし、そろそろお開きにしないか?」
 結局、そのプレッシャーに耐え切れなくなったファネスは、堪らず二人にそう持ち掛けた。
「ん? あぁ、そうだな……」
「……?」
 二人とも、突飛なファネスの言動に不思議そうな表情を浮かべはしたが、明日からコンマ一秒を追いかける事になるレースパイロットとしてはあながち的外れな言動という訳でもないため、特に文句も言わずに申し出を受け入れてくれた。
「じゃあなフェイ。明日は手加減しねぇから、覚悟しとけよ?」
「あぁ、そっちもな……」
「お休み、アミ」
 二人の見送りを受けて、アミティスは自分のトレーラーハウスへと引き上げていく。その後ろ姿が見えなくなるのを見届けてから、ファネスはレイナにも向き直った。
「レイナもお休み。涼しい格好だから、風邪ひかないように気をつけてな」
 大会開催中の彼女はトレーラーハウスなどではなく、近隣のホテルに部屋を取り、そこから毎日イベント会場であるサーキットに“出勤”してくるのである。当然、夜はそこへ戻らねばならない。
 しかし、てっきり帰るのだろうとばかり思ってファネスがかけた言葉へのレイナの返事は、彼がまるで予期していないものであった。
「ねぇフェイ? あなたの部屋で少し話がしたいんだけど?」


「相変わらず殺風景な部屋ね。でも、やっぱり懐かしいわ……」
「前にレイナが来たのは……」
 レイナに続いて自分のモーターハウスへと入ったファネスは、扉を閉めながら指折り数える。
「……四年前か」
「もう四年!? 早いもんねぇ……」
 四年という数字はレイナも、言ったファネスさえも驚かせた。
 四年前、SGPX第八回大会。ファネスはひどいスランプに苦しめられていた。その一昨年――第六回大会において、SGPXにポイント順位制が取り入れられて以来自身初となる総合優勝を果たしたファネスであったが、翌年の第七回大会ではその反動と言うべきか、追われるプレッシャーから来るスランプに陥り、総合九位という結果に終わってしまったのである。それが第八回大会でも尾を引き、大会中盤を過ぎてもファネスの成績はまるで振るわなかった。
 真剣に引退などという事まで考え始めたそんな時、このトレーラーハウスを訪れたのが、当時既に芸能事務所の社長として活動していたレイナだったのである。
「あの時はショックだったな。どんな風に励ましてもらえるのかと期待してたから、まさか叱られるとは……」
「当たり前でしょ。フェイは怒られて伸びるタイプよ」
 そう、レイナはスランプに苦しむファネスのレース模様を“情けない走り”と扱き下ろし、散々に罵倒したのである。
「あれ、本気で怒ってたのか?」
「そりゃそうよ。なんたって私は、フェイの優勝を見届けたから引退したんだもの。“あぁ、昔から目が離せないヤツだったけど、これでもう安心ね”って。その気持ちを裏切られたんだから、怒りもするわ。だからあれは励ましなんかじゃなくて、ただ文句を言いに来ただけよ」
 しかしそれがレイナの本心かどうかはともかく、ファネスは彼女の一喝でスランプを脱した。昔ワインディングロードを疾走していた頃、ファネスはどうしても負かす事のできないレイナにいつも詰られており、久方ぶりの彼女の怒声は、自分の原点であるそんな青春時代を彼に思い出させてくれたのである。
 ファネスは大会終盤で脅威の追い上げを見せ、総合二位という成績でシーズンを終えた。そしてそれだけに留まらず、翌年第九回大会には二度目の総合優勝を果たし、王座をその手に奪還するのである。ファネスはそれを契機として“ネオゼネバス帝国海軍第601飛行隊”から“クォア・クー‐チーム‐ブラック・シャドウ”へと移籍する事となる。
「分かった分かった、そういう事にしとくよ」
「“しとく”じゃなくて、それが全てなの」
 半ばムキになって反論するレイナの様子に、ファネスどころかレイナ自身も可笑しくなってクスクスと笑ってしまった。
「……あぁ、それで? なんだ、わざわざ思い出話なんかしに来たのか?」
 しかしそれも束の間。ファネスはレイナがここまでついてきた不自然さを思い出し、彼女にその理由を質した。するとレイナは、微笑を引っ込めて表情を引き締める。
「フェイ、あなた何か知ってるわね? ラストの事……」
「えっ……!?」
 突然の追求に、ファネスは言葉を失った。
(気付いていたのか……)
 胸の内が表情に出ていたのだろう。レイナは自分の考えに自信を持ったらしく、腰に手を当て、強気の口調でなおも迫る。
「やっぱり……甘く見ないでちょうだい。アミは気付かなかったみたいだけど、私の目は節穴じゃないのよ? フェイの様子見てれば、何か隠してる事くらい一目瞭然よ」
 先程の沈黙の裏で、レイナはファネスの嘘を敏感に感じとっていたのだ。それにこの剣幕、今さら何を言った所でとても言い繕えるとは思えない。
「……話してくれるわね?」
 レイナの言葉に、ファネスは自分の知る全てをレイナに話す事に決めた。
「実は昨日……」
 しかし、彼が口を開いたその時。
「あっ――」
 間の悪い事に、モーターハウスに設けられた電話が、記号的な呼び出し音を発し始めたのだ。視線だけで問い掛けたファネスに、レイナは「どうぞ」と通話を促す。
「もしもし?」
 ファネスは受話器を取り、マイクに問い掛けた。しかし、スピーカーから通話相手の返事は無い。何とはなしに聞こえてくる息遣いからすると、受話器の向こう側に確かに人間はいるようだが。
「……どちら様ですか?」
 やはり、返事は無い。
(チッ、またか。こんな時に……)
 内心で舌打ちし、それでは足らずにさらに毒づく。彼がクォア・クー社のチームへ移籍してから、この手の悪戯は後を絶たない。無言電話ならまだ可愛い方で、通話を開始ざまに罵声を浴びせられた事も一度や二度ではない。また一時などは、夜半を過ぎても電話のベルが鳴り止まなかったほどだ。
 ファネスが、もう何度目になるか知れぬ電話番号の変更と、それに関わる諸々の手間を考えてため息をつきつつ、受話器を置こうとした時だった。一つの予感が、彼の手を止めさせた。背中に向けられている、訝しげなレイナの視線を感じる。
(まさか……)
 おもむろに受話器を耳に当て、再三問い掛けるファネス。自分の発した名前に、レイナが息を飲んだのが分かった。
「ラスト……なのか?」
 今度は、返事があった。
『……懐かしいな。そう呼ばれるのも何年ぶりか……久しぶりだな、フェイ』
 自分がその返事を望んでいたのか、それとも恐れていたのか。ファネス自身にも、それは分からなかった。

[218] 第三章 踏み出す右足 - 2009/04/19(日) 12:30 - MAIL

第三章
引き続き、ワールウィンド・サーキットとその近隣にて


 背にしたワールウィンド・サーキットからは、ピットで予選開始を待つマシン達の爆音が轟いている。ビリビリと朝の空気を震わせるエンジンサウンドはしかし、決して耳障りなものという訳ではない。既に馴染みとなってしまっているせいもあるが、何よりその気高い響きが、単なる騒音とは一線を画したインパクトを聞く者に与えるためだ。
(フェイ、アミ……こっちは私に任せて、思う存分走るといいわ。今のあなた達には、何にも増して大事な事だものね……)
 律動的な足取りを不意に止め、背後にそびえるワールウィンド・サーキットの威容を感慨深げに見上げたビジネススーツ姿の麗人――レイナ=バシェラールは、そうして昨夜の出来事にふと、思いを馳せるのだった。



「ラスト……本当にラストなのか、オマエ……?」
 ファネスの上擦った声が、トレーラーハウスの中に響く。レイナ自身、彼の口から出たその名前に驚いていた。
 “噂をすれば……”という言葉がある。十六年もの間消息を絶っていたかつての親友。それが久方ぶりに仲間内での話題に上ったと思ったら、今度はこうして接触してきたのだ。いかに偶然とはいえ、そうあるものではない。
「フェイ……?」
 背後から声をかけると、ファネスは了解したという風に頷き、電話機のハンズフリーボタンを押し込んだ。通話相手の声が受話器からではなく、電話機本体のスピーカーから流れ始める。そして同時に、受話器を通さなくてもこちらの声は向こうへと伝わるようになったはずだ。
『声も忘れられちまったか? まぁ、無理ないな。なんたって十六年振りだ……』
 十六年振り、スピーカー越し。悪条件だらけだったが、レイナにはその声の持ち主が、青春時代を共に駆けた親友以外の何者とも思えなかった。
『どうしたら信じてもらえるか……あぁ、これならどうだ?』
 スピーカーの声は最初、自分の言葉を信じてもらえないという事実に多少沈んでいた。しかしすぐに、妙案を思いついたという様子でその明るさを増す。
『風と共に、マシンと共に、そして仲間と共に。俺達は走り続ける、いつまでも――』
 それは、かつてファネス達が考えた仲間内での合言葉。他の者が知る由も無いはずの言葉だ。
「ラスト! ラストなのね!」
 そして次の瞬間には、レイナの口をそんな歓声がついている。
『……そうか、レイナもいたんだったな。フェイに何もされてないか?』
「ば、バカな事言うんじゃないわよ……」
 尻すぼみに声が小さくなったのは、恥ずかしさのためではない。喜びに包まれてはいても、小さいながらも事務所を経営する女社長としてのレイナの洞察力は、決して消え失せてはいなかった。
(“レイナもいたんだったな”って……まさか、この近くにいるの?)
 ファネスの表情を窺うと、彼も今の言葉の持つ意味に気付いたらしく、意味ありげにこちらの顔を覗き込んでいた。レイナは確信を得て、それを問い質さんと口を開く。
「ラスト、もしかしてあなた今……!」
 しかし全てを言い切る前に、レイナの口元にファネスの手が伸び、無言のままその言葉を遮った。
「なに、フェイ?」
 レイナなりに彼の行為に何かを感じ、電話機のマイクに拾われない程度の小声でファネスに問い質す。だが、ファネスは何か言いたげに沈黙を守っているだけだ。
「ちょっと……」
『……おい、どうした? 急に黙っちまって……』
 二人からの催促を受け、ようやくファネスは重い口を開いた。
「ラスト、正直に答えてくれ」
「……あぁ、いいぜ」
 たかが同じ事を訊き直すために随分姿勢を正すものだと、レイナは不思議に思ったものだ。だが彼女と違い、ファネスに答えるラスタヴィユの声は妙に落ち着いていた。まるでどんな質問が飛んでくるのか、全て承知しているとでも言わんばかりに。
 そして、ファネスが問いを口にする。しかしその内容は、レイナが予想もしなかったものだった。
「……オマエがテロリスト……A.R.O.H.の行動隊長って話は、本当か?」
「ちょっ……フェイ!?」
 テロリスト、A.R.O.H.の行動隊長。ファネスが何を言い出したのか、レイナにはまるで分からなかった。唯一つだけ、真剣なファネスの表情が、彼が冗談でそれを言っているのではない事を物語っている。
「フェイ、どういう事!? テロリストって……」
『知っていたのか。オマエにしては耳聡いな、フェイ……』
 ファネスの言う意味が分からないレイナは、事の子細を尋ねようとした。だがそれよりも先に、なんとラスタヴィユがファネスの問いをあっさりと認めてしまったのである。
「えっ……?」
 呆然とレイナが見つめる先で、電話機のスピーカーは続ける。
『確かに、今の俺はテロリスト……A.R.O.H.の行動隊長だ。もう少し驚いてもらえるかと思ったが、まさかもう知られてるとは……分からないもんだな』
 漏れ聞えてくる乾いた笑い声。先程まで親友の声以外の何物でもなかったそれが、得体の知れない不気味さを伴ってレイナの耳を打った。
「……オマエ、あの時言っただろうが! 殺すの殺されるのなんて俺は真っ平だって! それなのに、オマエがなんだってそんな事してるんだ!」
『オマエには分からんさ。軍人として国を守ってきた、オマエにはな……』
「……どういう意味だ?」
『いや……』
 ファネスとラスタヴィユ、二人の間で進んでいく会話。レイナは、事態が自分の手から零れ落ちていくもどかしさ、歯痒さを感じずにはおれなかった。
 しかし、怖い。口を差し挟んでしまえば、今は信じずに済んでいるこの訳の分からない状況が、次の瞬間には全て現実となって自分に襲い掛かってくるのだから。
 この段になってもレイナはまだ、目の前で起こっている状況を何かの冗談だと思おうとしていた。親友がテロリストだなどという不吉な事態は信じる事ができなかったし、何より信じたくなかった。
『……そんな事より、時間も無いから手短に言わせてもらう。フェイ、レースには出るな』
 レイナが思考の迷路に陥っている間にも、ファネスとラスタヴィユの会話は進んでいった。
「なに?」
『アミやダフも……レイナもそうだ。レース当日、サーキットには来るな。俺達はその日、ワールウィンド・サーキットを標的としたテロを行う……俺の事を知ってたオマエの事だ。この計画も、もう知ってるかもしれないけどな』
「ラスト、オマエ……!」
『この情報をどうしようとオマエの自由だ。最悪ヘリックシティグランプリが中止になっても、俺達は一向に構わない。それを理由にして、政府や軍の無力を主張するつもりだからな。むしろ無駄な流血が避けられるなら、その方がよっぽどいい』
 テロリストらしからぬ言葉も、それは暴力を嫌うラスタヴィユの本心と言うよりは、単なる打算の結果であるようにしか聞こえなかった。
 そして最後に、彼はこう付け加える。
『……まぁ、オマエがわざわざ話を持ち込まなくても、この電話に聞き耳を立ててる連中はいくらでもいるだろうけどな』
 つまりA.R.O.H.と、その行動隊長たるラスタヴィユの動きを察知した軍や警察が、彼の経歴を調べ上げ、旧友であるファネスやアミティス、ダヴィエと接触する可能性を考慮して盗聴を行っているという事だろう。ラスタヴィユはそれを承知の上で、こんな電話をかけてきたのだ。その目的は忠告などではなく、単にファネスらを利用して自分達の敵を挑発し、グランプリを中止できないよう追い込んでいるに過ぎなかった。
「テメェ……!」
 ファネスの押し殺した怒声に、レイナはハッとする。彼もレイナと同じように、親友が自分達を利用している事に思い至ったのだ。
(こんなに怒ってるフェイ、初めて見る……)
 昔からムキになる事はあっても、決して周囲に対して怒りを露にする事の無いファネスだった。それがこれでもかとばかりに握った拳を震わせて、電話機を鋭く睨みつけている。
 彼にはその向こうに、かつての親友の姿が見えているのだろうか。
「……レースは出る、絶対にだ。憶えとけ!」
 しばし堪えるように沈黙していたファネスだったが、やがて叩きつけるようにそれだけを言うと、話す事はもう無いとばかりに電話機に背を向けてしまう。
 レイナは見た。その瞬間、二人の間に明確な亀裂が刻まれるのを。
『……分かった。まぁオマエなら、そう言うだろうと思ってはいたがな……だがまだ時間はある、よく考えろ。レースでもなんでも、命あっての物種だぞ』
 ラスタヴィユはファネスの拒絶を受けてもなお忠告を続けたが、もうファネスが彼の言葉に応える事は無かった。
『……さて、そろそろこの場所も危ないか。じゃあなフェイ、レイナ。精々、命を大事にしろよ』
「あ、ラスト!」
 レイナの静止の声は間に合わなかった。ラスタヴィユはこちらからの返事が無いと見ると、早々に別れの言葉を述べて受話器を置いてしまったらしく、規則的なビジートーンが、ハンズフリーのスピーカーによって無意味に拡大され、虚しくトレーラーハウス内に響き渡っていた。
 失意のままに、しばらくの間立ち尽くしていた二人。しかしレイナに先んじて、ファネスが動き出した。
「すぅ……はぁ……」
 深呼吸一つで息を整えると、一度電話を切ってから、今度はどこかにダイヤルし始める。
「フェイ……」
 何を言おうとしたのか自分でも分からないが、とにかく何か声をかけたいと思ったのだ。
 しかし続くはずの言葉は、何も語らぬファネスの背中に喉元で押し止められた。彼の背中から立ち上る怒りと、そしてそれ以上の哀しみとが、自分に対する全ての言葉を拒絶していた。
「……俺だ、ファネスだ。悪いがちょっと来てくれ、話がある……あぁ、レイナもいる……あぁ……あぁ……じゃあ頼む」
 言葉少なに用件を話し、ファネスは受話器を置く。
「アミを呼んだの……?」
「あぁ……ダフには明日俺から話すから、とりあえずは三人で話し合おう」
 レイナの問いに頷いてから、ファネスは崩れ落ちるようにしてソファに座り込んだ。背もたれに力無く身を預け、天井を仰いでいる。
 その力無い姿に居た堪れなくなり、レイナも隣に腰を下ろした。
「ねぇ……これって、夢じゃないの?」
 居心地の悪い沈黙を破ろうと無理矢理捻り出した言葉は、我ながら無様に過ぎたとしか言いようがない。
「夢か……夢ならどんなにいいか……」
 しかしその無様な言動を笑う気力すら見せず、力無いままに寄越された返答は、ファネスの失意をよく表していた。
 親友がテロリストだった。それだけでも十分ショックなのに、今回は十六年ぶりの再会という喜ばしい出来事から一転しての急降下。ショックは数倍だ。
「“仲間と共に”……か」
 ふとファネスが口ずさんだのは、先程ラスタヴィユも口にした、あの合言葉の一節だった。今となっては、なんと皮肉な言葉だろうか。
“仲間と共に。俺達は走り続ける、いつまでも――”
 言葉の下にそう誓った仲間は、今や……
「いつの間にバラバラになったんだろうな、俺達は……」
 それを最後に二人は、アミティスがトレーラーハウスを訪れるまでの間、一言の言葉を発する事もなく、その問いの答えを自問し続けた。



 その後、やって来たアミティスを交え、三人は話を交わした。無論ラスタヴィユを助け出そうとか、自分達でテロを阻止するとか、そんな内容ではない。そんな冒険に情熱を傾けるには、三人はあまりに大人だった。
 彼らはただ単に、かつての親友がテロ組織に属しているという情報を共有し、彼の言う所のヘリックシティグランプリに対するテロ計画を通報するかどうか。それを話し合ったに過ぎない。無論話し合うまでもなく、三人の意見は警備部隊への通報という事で纏まったが。
 しかしその一方で、ファネスとアミティスはヘリックシティグランプリの中止には強硬に反対した。職業レーサーである二人にしてみれば当然の主張であろう。彼らは生活全てを“レース”というたった一つの目的のために生き、その目的のためであれば自分の命だって懸けられるという人種なのだから。
 そこで、二人の想いを重々承知していたレイナが、今日から予選の始まる二人に代わり、ヘリックシティグランプリを中止しないよう、軍やSGPXの運営側と話をつけようという訳だ。
(まぁ、無謀よね……)
 肩書きは確かに社長であっても、小さな芸能事務所を率いる程度の身である。向こうが既に決定した方針を覆すなど、到底彼女にはできないだろう。クォア・クー社の社長でも連れてくれば話は別だろうが、いかに友人であっても最初から人の力だけを頼るというのはレイナの主義に反するため、それは最後の手段だ。
 とにかく、自分の無力を分かってはいても、ファネスやアミティスの強い想いを知る手前、レイナはやらぬ訳にはいかなかった。
(フェイ達も、辛いのに頑張ってるんだもの。私が諦める訳にはいかないわ……)
 ようやく、レイナは歩みを再開する。横合いから吹く風が、グレーのショートヘアを優しく揺らした。彼女の目指す先には、最初の対戦相手――ヘリックシティグランプリ警備部隊の臨時指揮所があった。



「……おい、聞いてるのかフェイ!」
「あ? あぁ、すまん……なんだった?」
 怒鳴るダヴィエの声に、ファネスは考えに沈んでいた意識を現実へと引きずり戻した。
 ここは、クォア・クー‐チーム‐ブラックシャドウのピット。他のピットからは、今や遅しと予選開始時間を待つモンスターマシン達の咆哮が轟いているが、何故かこのピットだけは、周囲からの騒音を除外すれば静かなものだった。
 本来ならば、既にシンカーBSSのコクピットに収まり、わずか一時間という短時間の予選第一セクションに備えていてもおかしくないファネスであるのだが、今日に限ってパイロットスーツに身を包んだ彼の姿は、未だコンクリで塗り固められたピット上にある。その視界の中では、作業用のつなぎを着込んだダヴィエが、しかめっ面で彼を睨みつけていた。
「集中しろ! パイロットだろうが!」
 予想通りの一喝だった。
「いいか? あのブースターは普通じゃねぇんだ! “クレイジー・トニー”張りに空の彼方へ吹っ飛びたくなかったら、俺の話を一言一句聞き逃すんじゃねぇ!」
「あぁ、分かった……」
 一応同意は示したが、声に張りが無いのは自分でも分かる。
(これじゃ本当に、クレイジー・トニーの再来になるかもな……)
 トニー=レクリスはかつてのSGPXパイロットで、ガイロス帝国軍のワークスチームに所属していた。直線重視の大パワーマシンで女性とは思えぬアグレッシブな攻めを展開し、力技とも言える走りで勝利をもぎ取るのが得意で、その常軌を逸していたとも言われる無茶なセッティングから“クレイジー・トニー”の異名を取ったのである。しかし第四回大会において、ピーキーに過ぎたマシンセッティングが原因となり、バックストレートを疾走中にブースターを爆発させて機体共々帰らぬ人となった。
 今では語り草だが、ダヴィエの表情から察するにどうやら冗談では無いらしい。下手を打てば本当にあの世逝きか。しかし心のどこかに、それでもいいかと思う部分がわずかにでも無かったかと問われれば、答えはノーだった。
 ダヴィエは嘆かわしいとでも言わんばかりにため息をついたが、それでも再び口を開き、周囲に響き渡る騒音に負けない声量で改めて説明を始める。
「オマエの言う通り、ブースターはピークパワーを引き出す事だけに重点を置いたセッティングになってる。只でさえピーキーに仕上げてあったブースターだ、今じゃレース中に何が起こっても不思議じゃない。そりゃ、勿論最低限の安全は確保してあるが……」
 さすがに、二回目までも右から左という訳にもいかず、ファネスはわずかに残っている集中力を総動員して、ダヴィエの言葉に耳を傾ける努力をした。
「だから、ブースターへの負担は最低限に抑えろ。常にスリップストリームを意識して、ダイブ・インの時もサーフェイスの時も、ブースター推力には気を遣え。そして何か少しでも異常を感じたら、すぐにピットに帰ってこい」
 ダイブ・インやサーフェイスとは、それぞれ水中ゾーンへの突入、浮上を指す用語である。
 同様にスリップストリームは、前走者の後ろについて走る時に空気抵抗が減少する事を言う。ゾイドで高速戦闘を行う際にも時折言われる事がある言葉なのだが、SGPXではシンカーが後方に大きくブースター炎を吐き出すため、スリップストリームを利用した走りにはより高度なテクニックを要するのだ。
「分かったな?」
「あぁ、そのつもりだ……」
 頷きながらファネスは言ったが、その顔を覗き込んでダヴィエは言う。
「じゃあ今俺が言った事、もう一遍最初から言ってみろ」
「え? あ……」
 自分でも呆れた事に、何も言葉が出てこなかった。頭の中をいくら引っ掻き回しても、数十秒前にダヴィエが言ったセリフが一つも思い浮かばない。虚しい沈黙が余所のピットから漏れてくるエンジン音でかき消されたのは、ファネスにとっては幸運だったかもしれない。
「参ったな……」
 仕舞いには肩を竦めるしかなくなってしまう。するとそんなファネスに、ダヴィエが無言のまま歩み寄り――
「っ!?」
 左手でその頬を張り飛ばした。
「目は覚めたか?」
 ピット中の注目をその一身に集めながら、ダヴィエはファネスの両目を鋭く睨め付けて続ける。
「オマエは何だ? ラストの親父か? お袋か?」
「……親友だ……いや、親友だった……」
「そうだ。つまり今じゃ、ラスタヴィユ=アディンスという男とは何の関係も無い、ただのシンカーパイロットだろう? だったらパイロットらしく、パイロットの仕事をしろ」
「本気で言ってるのか? 十六年行方知れずだった親友がせっかく連絡寄越してきたと思ったら、テロ……テロリストだと名乗って、おまけに俺達まで、自分達の計画に利用したんだぞ。オマエこそ親友だったら、もう少し何か思う所があるだろう?」
 周囲の耳を考えて“テロリスト”という単語では声を落としはしたが、本当なら感情に任せてまくし立てたいファネスだった。なにしろ、全ては昨夜の出来事である。一晩で気持ちの整理などつこうはずがない。
 しかし、その事を今朝ファネスから伝えられたばかりのダヴィエの意見は、どうも違うようだった。
「思う所? 何を思えって言うんだ?」
 冷静なダヴィエの態度は、ファネスの感情の炎に油を注ぐ。
「なにぃ?」
「俺はメカニックだ。マシンのセッティングが仕上がってなければ、親父がのうとお袋がのうと、ガレージを離れるつもりは無い」
 それが、親父から叩き込まれた職人としての心構えだと、ダヴィエは付け加えた。
「……俺もフェイと同じで、ラストとは散々バカやった仲だ。オマエの気持ちもよく分かる。そりゃあ、過去を懐かしむのもたまにはいいだろうさ。だが、それに振り回されて現実を見失うのは、あまり褒められた事じゃないだろう……」
 言葉の最後を、ダヴィエはそう締め括る。話が一段落ついたのを見て取り、ファネスは何か言い返そうと口を開いたが、言うべき言葉も見つからず、再び口を閉ざすしかなかった。ダヴィエの言に間違いがないのだから、それも当然だ。
「後はオマエの決める事だ、どうする? 気持ちの整理がつくまで、トレーラーハウスに引っ込んでるか?」
 この時のファネスの心中を、簡潔に表す事など誰にもできはしなかったであろう。
 親友が無事だったという、喜び。
 その親友に裏切られた事への、怒り。そしてそれ以上の、哀しみ。
 しかしそれらに抑え込まれてはいるものの、疾走への期待感、来るべき勝負への興奮、自分の走りを待つファンへの義務感といったレースへの感情も、確かに存在しているのだ。
 喜怒哀楽、全ての感情が綯い交ぜになったファネスの意識。その混沌とした意識の中で彼が判断の拠り所としたものは、“今、自分のやるべき事は何か”というものだった。
 失意のままにもう戻らない時を嘆くのか。自分を裏切ったラスタヴィユへの怒りをぶちまけるのか。それとも――
 数個隣のピットから、一際大きなサウンドが甲高く響き渡る。スロットルを大きく二回開くそのリズムは、もう遥かな昔からファネスの耳に馴染んでいるものだ。
「……走るさ。俺はそのためにここにいるんだ」
 結局、ファネスは自分の考えを無理矢理纏め、言った。
 完全に納得した訳ではない。親友との破局を悲しむのは、感情を持つ人間として当然の行為のはずだ。しかし当然だからといって、一時の感情に任せて今まで自分が歩んできた道を放り出してしまうのは、その道を支えてきてくれた数多の人々と、そして誰より自分自身を裏切る行為ではないのか。
「ありがとう、ダフ。危うく、自分を見失う所だった」
 苦笑するファネスは、三年前の判断の正しさを実感するのだった。
 三年前――ネオゼネバス帝国軍ワークスチームからクォア・クー社へ移籍する際、ファネスはいくつかの条件をクォア・クー社に提示した。その筆頭が、“メカニックとして、ダヴィエ=コンフィグアーチを共にチームに迎える”というものだった。ファネスにとって移籍金の額よりも、よっぽど重要な事だったのである。単なる親友でもなく、単なるメカニックでもなく、掛け替えのない相棒として。
 今日も相棒は、ファネスの期待に応えてくれた。折れそうだった彼を律し、歩むべき道を再び指し示してくれたのである。そのために顔を張るにしても、逆腕である左手を使うという所に、またダヴィエの優しさが上手く表れていた。
「……礼をしたいと思うんなら、せめて俺やメカニックの徹夜を無駄にしないでくれよ?」
 ファネスの答えは、ダヴィエの期待に沿うものだったようだ。彼は照れ隠しの苦笑に満足げな表情を浮かべ、先の説明をもう一度だけ、ファネスに行った。
「分かった。とりあえず二〜三周したら、何が無くても一度帰ってくる」
「そうしてくれ……さぁ、時間だな。さっきからヤツが呼んでるぞ?」
 ダヴィエが言うと、それに応えるかのように再び、“あのリズム”が響いてきた。まるで何かを催促しているかのようなその咆哮は、最後に一際甲高く轟くと、その音程を保ちながら次第にこちらへと近付いてくる。次の瞬間ブラックシャドウのピット前を、青いカラーリングのシンカーが比較的ゆっくりと通り過ぎていった。
 機体に描かれたゼッケンは“2”。“ネオゼネバス帝国海軍第600飛行隊”所属のそのシンカーは、アミティス=アミの駆る“シンカー600”である。機体前方に描かれている鳥の頭を意匠化したエンブレムは、アミティスのトレードマークとなっている。
「今日もアミがコース一番乗りか、いつも通りだな……さぁ、オマエも行くんだろ?」
 アミティスの青いシンカーを見送ってから、ダヴィエがファネスの尻を叩く。
「さっき言った事、気をつけろよ?」
「あぁ。何か気付いたら、無線で知らせる」
 気遣うダヴィエに言い残して、ファネスは手近に用意していたヘルメットを手に取り、シンカーBSSのコクピットへ続くタラップを駆け上る。そしてそのままの勢いで、開け放たれたコクピット内のシートへと滑り込むと、出遅れた時間を少しでも取り戻すために、手早く諸々の準備を済ませていった。
 しかしその傍ら、頭の隅では情けない自分に対する友人達の心遣いに感謝する事も、ファネスは忘れていなかった。
(助けられてばかりか。情けない限りだ……)
 ダヴィエは言うに及ばず、アミティスにしても、響いてくるあのエンジン音には知らず知らずの内に心を励まされていたのかもしれない。
(仕舞いには、レイナにもな……)
 最後の一人、ファネスらに代わってレース中止反対の直談判に向かった彼女の事も、ファネスは思わずにはいられなかった。



 臨時指揮所を訪れたレイナが通されたのは、小さく質素でありながらも一応の応接室であるらしかった。本来実務一辺倒であるはずの指揮所には少々似合わない空間ではあるが、恐らくはSGPXの関係者などを招いて警備計画の詳細を詰めたりもするのだろう。
「……軍のコーヒーって、こうも不味いものなのかしら?」
 レイナが入室した直後、無骨な青年士官が用意してくれたコーヒーは、来客に対する彼らの形式的な誠意を示す以上の役割を果たさなかった。一口啜り、そのえぐみとタールのような舌触りを存分に堪能した彼女は、即座にカップを置く。部屋のドアが硬質な響きを発したのはその瞬間だった。
「どうぞ」
 ノックに対するレイナの応答を待って、外見的な心象のみを考慮されたノスタルジックな木製のドアが開かれる。姿を見せたのは精悍な風貌を持つ、彼女と同年代の男性士官であった。
「お待たせして、申し訳ありません」
 顔に違わぬ溌剌とした声で、彼は自己紹介する。
「今回、SGPXヘリックシティグランプリの警備を預かります、リカルド=アマーティ少佐です」
 警備責任者自らのお出ましは、レイナが敢えて自分の肩書きを明かして面会を望んだ意味があった証明と言えるだろう。
「オフィス・オロール代表、レイナ=バシェラールです。本日は貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございます」
 自分も腰を浮かせて名乗ると共に、取り出した名刺を差し出しながら、レイナは自然と相手を観察していた。
 職業柄か、身長といい肩幅といい胸板といい、体格は非常にしっかりしている。実戦に参加していた頃のファネスやアミティスよりも逞しいくらいだ。軍人らしく短く刈り込まれた薄い色合いの金髪、鋭くも理知的な光を湛える濃いグレーの瞳。鳥族の典型的な風貌である。しかしその厳つい外見にも拘らず、その言動や物腰は柔らかく、レイナは少なからず好感を持った。
「これは……“サーキットの妖精”と直接お会いできるとは、光栄です。さぁ、どうぞお掛け下さい」
「……昔の話ですわ」
 名刺を受け取って破顔した少佐の言葉に、レイナは世辞以上のものを感じないではなかったが、そこは謙遜のみの返事に留め、勧め通り再びソファに腰を下ろす。
「いえいえ、そんな事は……それで? 私に何かお話があるという事でしたが?」
 アマーティ少佐もその話題を深く掘り下げ、のっけから話し相手の不興を買うつもりは無いようだった。ソファのスプリングを大きく軋ませて、レイナの正面に腰を落ち着ける。彼の身体が深く沈み込んだのは、ソファの質が良いと言うよりも、鍛え上げられた肉体の高い密度による現象であろう。
 立場のある生活を送る中で自然と身についてしまった自分の観察眼に少々辟易しながらも、レイナは口を開く。
「昨夜。行方不明だった私の親友から、一本の電話が入りました」
 先の読めぬ切り出し方に、アマーティ少佐は当然のように眉をひそめた。それが演技であるのか否かを分析しそうになり、レイナはそれがさして重要な意味合いを持たぬ事に気付く。今の彼女の目的は、善良な一市民として目の前の指揮官にテロの注意を喚起しつつも、SGPX関係者の立場を利用してレースが中止となるのを防ぐ事だ。
(盗聴っていうやり方は癪に障るけど、この際その事はね……)
 詮無い事に限られた気力と体力を割くよりも、もっと有益な用途があるはずだとレイナは認識していた。説明を続ける。
「彼は、自分が現在テロ組織に属している事を明かし、私や友人にサーキットへのテロを予告してきたんです。レース当日はサーキットに近寄るな、と……」
「ほぉ、それは……」
 驚きの事実を告げられたはずのアマーティ少佐の声と表情は、芝居染みていると判じる事も不可能ではなかった。それはレイナに、ラスタヴィユの示唆した盗聴の件を脳裏に想起させはしたが、それについては皮肉げな口調で表するだけに留め、彼女は昨夜の状況をより詳細に伝えていった。
「……なるほど。お話は承りました」
 やがてレイナの話を全て聞き終えて、アマーティ少佐は静かに口を開いた。説明の間、一言も口を利く事の無かった彼であったが、やはりと言うべきかその表情は、“寝耳に水”の事実を告げられたにしては終始落ち着いていた。
「貴重な情報の提供に感謝致します。早速、方策を検討しましょう」
 一つの感嘆詞も存在しない事務的な口調で礼を述べ、アマーティ少佐は席を立とうとする。彼にとっては既に知り及んだ情報であるため、こんな所で時間をとられるのは無駄以外の何物でもないという事かもしれない。
 レイナが単なる通報者であったなら、それでも構わなかった。しかし彼女の話は、ここでようやく半分が経過したに過ぎず――否、本題はこれからと言った方が遥かに正しい。
「待ってください、アマーティ少佐」
 立ち上がりかけたアマーティ少佐を、レイナは声だけで引き止める。その声に潜む真剣味があれば、腕を掴むなどという行為は無用だった。
「何でしょう、ミス・バシェラール?」
 応えはしたものの、彼は腰を下ろそうとはしない。出来るだけ早く話を切上げたいという気持ちの表れだろうか。
(早く済むなら、それに越した事は無いけれど……拗れれば、どこまで長引くかしら?)
 腰を据えて挑む覚悟をし、レイナは課題である要求へと話を移していく。
「実は今後の事について、あるお願いがあります。レースの中止という事態だけは、何としても避けていただきたいんです」
「ほぅ……」
 レイナの切り出した話題に、アマーティ少佐は興味深げな表情を浮かべる。今日始めて、彼が本心からの表情を見せたように思えた。
「それは逆ではないのですか? 被害を最小限に留めるため、レースを中止して欲しいという」
「言葉通りに受け取っていただいて結構です。仕事柄、レースを中止されると色々不都合があるものですから」
 彼女が、SGPXの花形パイロットであるファネスやアミティスと親交のある人物である事は、ファンにとって今更言われるまでもない事実である。しかし今回レイナは、レース続行の訴えがその二人の意志であるにも拘らず、二人の名前を出さなかった。彼女としては二人の無事を祈る立場ではあったが、二人の願いを叶えたいという想いも真実であり、それでいて二人の名前を出す事は言い訳染みていて抵抗があるという、甚だ複雑な立ち位置にその身を置いていた故にである。
「なるほど……まぁ、そういう事にしておきましょう」
 アマーティ少佐は、レイナの心情が言葉だけでない事などお見通しといった風で言う。癪ではあったが、それでも必要以上の敵意が湧いてこなかったのは、その言葉に邪気が無かったせいだろう。
「とにかく、私の一存でお答えできる所ではありませんね。ただどちらかと言えば、私はレースの運営者に中止を進言せねばならない立場の人間でしょう」
 彼の言う事ももっともである。彼に限ってはレースの中止に際して、少なくとも物的なデメリットは存在しない。警備の任務から開放されれば、割かれる人員やゾイドにかかるコストは無くなるのだ。
 しかし、一方で無形のデメリットは――
「では、共和国軍はテロリストの脅威におめおめ尻尾を巻く……と?」
 レイナはここぞとばかり、一気に核心を突いた。この説得に臨んで、彼女は最初から彼らのプライド、体面を材料に揺さ振りをかけるつもりだったのだ。
「これは……なかなか手厳しい。確かにレースを中止すれば、共和国軍はテロリストからグランプリを守り切る自身も無かったと、後ろ指を指されるかもしれませんね」
 しかし、怒気も露に激昂してもおかしくない無礼な質問に対して、アマーティ少佐はレイナの予想に反し、ばつ悪げに短い金髪をかきながら苦笑を披露したのみだった。
「……あまり気にされておられないように見受けられますが?」
「いや、まぁ……つまりは、無用の心配という訳で……」
 胸の内に浮かんだ疑問符を隠そうともせず顔に出したレイナに向けて、アマーティ少佐は窮屈そうに軍服に収まっている巨体を、まるで見せ付けるようにして前へと乗り出す。レイナの耳が応接用ソファの軋みを捉える間、彼女の瞳は少佐の軍服にあるものを認めていた。
(あれは……)
 レイナの視線の先、アマーティ少佐の軍服の上腕には、彼の所属する部隊の隊章が縫い付けられていた。
 太古の地球の盾のような逆五角形の枠に、一点で刃を重ねた三振りの剣が描かれている。そして枠の下部に巻き付くような帯のデザインに、“1011”という四桁の数字。そのエンブレムを、レイナは知り及んでいた。
 大規模な争乱が十数年の昔に消え去って以来、大きな実戦の機会を失った軍。平和な時世は大変に結構であったが、軍のレベルは確実に低下していたのだ。
 そんな中にあって、実戦の機会に事欠かない稀有な部隊が幾つか存在した。テロリストを相手にする特殊部隊である。
 “第1011対テロ特殊作戦部隊”も、そういった部隊の中の一つだった。共和国首都ヘリックシティに駐留する第一師団隷下にあるその部隊は、対テロ作戦を担う特殊部隊の急先鋒で、昨今横行するテロリスト達を片っ端から叩き潰している事で有名だ。ニュース等の話題にも頻繁に上り、国民の間でも他の通常部隊とは一線を画すその性格から、“ザ・イレギュラーズ”なる異称で定着している。
「お分かりですか? 我々が出てきた以上、テロリスト共の好きにはさせませんよ」
 どうやらアマーティ少佐は、わざと隊章を見せつけたらしかった。驚くレイナの表情を認めると、グレーの瞳に満足気な光を湛え、悪戯を成功させた子供のように顔を綻ばせている。そこから、世のテロリストを震え上がらせるザ・イレギュラーズの前線指揮官という彼の素性を導き出すのは、常人には至難に違いない。
「アマーティ少佐、それでは……」
 レイナの言葉を受け、アマーティ少佐は姿勢を正した。
「グランプリは是が非でも実施していただく。無論グランプリの無事な開催のために、我々は如何なる努力も惜しまない。つまらないちょっかいを出してくる連中には、ザ・イレギュラーズの容赦ない制裁でもって、その愚を思い知らせる事をお約束しよう」
 その言葉が絶対的な自信から来るものなのか、自己の過信からくる愚かな代物なのかという議論は横に置いておくとして、言葉の内容自体はレイナがこれ以上望むべくもない程に満足させた。彼女の思惑の第一段階は、完全に達成され得たのである。
「……その言葉、一度だけ私にお貸し願えませんか?」
「喜んで。我々のためにも、ミス・バシェラールには主催者を是非とも説得してもらわなければ」
 同盟の締結を祝い、二人はどちらからともなく握手を交わす。この上なく強力な協力者を得て、その時エメラルドの如き輝きを放つレイラの瞳は、次に控えた第二の標的を見据えていた。



(なるほど、こいつはいい……)
 最終コーナー一つ手前の第十四、十五コーナーからなるシケインを立ち上がり、ファネスは愛機のスロットルを徐々に落としていった。そのまま最終第十六コーナーには向かわず、後続機に注意して本道を外れ、ピットロードへと機体を滑り込ませていく。チームのピット前にはシンカー降着用のスタンドが用意されており、ファネスは淀みない操縦でもって、そこへシンカーBSSをドッキングさせる。予選の第一セクションが終了したのだ。
「ふぅ……」
 ドッキング時の衝撃とロック装置のオールグリーンを確認してから、ファネスはフルフェイスのヘルメットを脱いだ。汗の雫を飛び散るに任せ、不自然な形に固まったオレンジ色の髪の毛をかき上げる。疲労で弾む息を整えてから、ファネスはコクピットを辞した。
「エンジンの調子はどうだ? 随分楽しそうに走っていたが?」
 スタンドから地面へと伸びる金属製のタラップを甲高い足音と共に歩み降りると、待ち構えていたらしきダヴィエが真っ先に声をかけてくる。
「……ありがとう、ダフ。俺が欲しかったマシンだ」
「なに、俺は俺の仕事をしたまでだ。客の要望に応えられないようじゃ、整備士としちゃ落第だからな。親父の受け売りだが……それで? 細かい部分は?」
「パワーが上がった分、やっぱり旋回性がな……俺も頑張ってはみるが、セッティングの方でももう少し弄れないか?」
「分かった、やってみよう。午後の第二セクションには間に合わせる。それまでしっかり休んどけ」
 ダヴィエはさっさと親友との会話を終了させると、チームのメカニックを呼び集め、セッティングの打ち合わせに入ってしまった。一見無愛想だが、これは彼なりの気の遣い方である。
 ファネスは昔日の思い出とまるで変わらぬ親友の様子に一人苦笑しながら、スタッフの一人から飲料とタオル、それと自分を含めた各パイロットの計測タイム表を受け取って、ピット奥に用意されたビーチチェアに腰を下ろした。
(……まだまだ序の口だな)
 予選第一セクションを終え、コースを周回するマシンは続々とチームのピットに引き上げてきている。ファネスの手にした表には、SGPX運営本部が発表した予選第一セクション終了時点での正式計測タイムの全てが出揃っていた。一見した所では、あまり躍起になってとばしている者はいない。天候等のコースコンディションは、午後に入っても特に大きな変化を予想されていないため、ほとんどのパイロットが第一セクションをフリー走行の延長と考えているらしかった。
 暫定トップはヘリック共和国軍ワークスチームのエース、“ライトニング・アロー”のドメル=ランカスコー。
 続いてこちらも共和国軍ワークスチーム、“ブルー・パイレーツ・ニュー”のエジアン=ビアンキ。
 そして三番手にネオゼネバス帝国軍ワークスチーム、“ネオゼネバス帝国海軍第600飛行隊”のアミティス=アミが続く。
 以下ZOITEC社ワークス“流星”のグレイス=マーシャ=ウィルキンソン、共和国軍ワークス“バーン・アップ”のアンテル=ランバーとなっていた。ちなみに、ファネス自身のタイムは暫定八位である。
 ベストファイブにヘリック共和国軍から参戦した三チームが全て揃い踏みしているのは、まず彼らの使用するブースターに理由があった。
 ワールウィンド・サーキットは水中ゾーンを有するサーキットであり、そういったコースではファネスなどのわずかな例外を除き、通常のロケットブースターではなく、水中での作動効率でそれを上回るイオンブースターを使用するのが定石となっている。共和国軍ワークスチームのイオンブースターは、西方大陸戦争時代にハンマーヘッドやライガーゼロの運用によって蓄積されたノウハウによって、他のチームよりも一歩抜きん出ているのである。
 事実として、水中ゾーンが全体の半分以上を占める西方大陸のサーキット“レインボウ・サブマリン”で行われたSGPX第三戦――レイク・メルクリウスグランプリにおいては、共和国軍のワークス三チームがワン・ツー・スリー・フィニッシュを達成していた。
 そしてもう一つの理由として、彼らがシーズン前に一度、このワールウィンド・サーキットでテスト走行を行った事が挙げられる。
 共和国首都ヘリックシティに程近いこのワールウィンド・サーキットは、来シーズンから共和国軍ワークスチームのホームコースとなる事が決定しており、その“出来映え”を体感するために、コースのみが完成した時点でテスト走行が行われたのである。
 現在、ワールウィンドのコースレコードは、その機会にドメル=ランカスコーが記録したタイムが暫定的に採用されていた。しかし予選第一セクション終了時点での計測タイムは、ドメル自身は元より、他のどの選手のそれも暫定コースレコードとは未だ数秒の開きがある。誰もが力を温存し、残す三つの予選セクションに備えている状態だった。これが第二セクションへと移ると、万一の不測事態に備え、ほとんどのパイロットがスターティンググリッドを意識したタイムを弾き出してくる。
(さて、タイムを縮めてくるのは……)
 ゆったりとチェアに身を委ね、しばし答えの見えない自問自答に耽っていたファネスだったが、やがて蓄積された疲労によって意識から徐々に精彩を奪われていき、ほどなくその支配権を睡魔へと譲り渡したのであった。
 SGPXヘリックシティグランプリ二日目の日程は、数時間の休憩を挟み、予選第二セクションへと移っていく。



 予選第二セクション。やはり、真っ先にコースに飛び出したアミティスのシンカー600が放つ爆音によって幕を開けた午後の日程は、幾らかの波乱に揺れる結果となった。
 ウォーミングアップを終え、セッティングの完成した者から続々とタイムアタックを開始する各機。その中の一機、共和国軍ワークス三チームのエース――ドメル=ランカスコーが、アタック開始早々に自己の持つコースレコードを更新。そこから新記録ラッシュが始まったのである。
 さも当然と言わんばかりに、時には秒単位でレコードを書き換えていく歴戦のSGPXパイロット達。シーズンもラストも迎え、前回までの九戦で煮詰められたマシンと、連戦で蓄積された疲労を上回って研ぎ澄まされた搭乗者の感性が相俟って、当初のドメルのコースレコードを単なる参考記録程度の価値にまで引きずり落としてしまったという訳だ。
 コースレコードの更新が一区切りしたのは、予選第二セクション終了の十五分前だった。
 最後に、ワールウィンド・サーキットのトリッキーなコースを誰よりも早く駆け抜けたのは、ガイロス帝国軍ワークスチーム“ドンナー”に所属するシメオン=デュクロ。そのタイムは最終的に、当初のドメル=ランカスコーの記録を八秒ほども縮める結果となった。観客席にひしめくヘリック共和国民は、共和国軍チームの不甲斐無さにため息をもらしつつも、ガイロス軍のパイロットの偉業に惜しみない歓声を投げかけた。
 その後レコードの更新は停止し、状況の推移を見守っていた誰もが、今日の更なるレコード更新は無いだろうと考え始めたセクション終了五分前。一機のマシンがコントロールラインを通過した。速報タイムがアナウンスされると同時に、前日とは打って変わって席の埋まった観客席がどよめきと大歓声に包まれる。
 土壇場で千分の五秒のレコード更新に成功した機体は、両翼に共和国の紋章を大きくデザインされていた。地元共和国軍ワークスチームのエース、ドメル=ランカスコーが最後の意地を見せ、国民の期待に見事に応えたのである。
 共和国軍にしてみれば、例え通過点に過ぎない予選一日目であるとしても、未来のホームコースのレコードをガイロス帝国軍のパイロットに保持させたまま終了させる訳にはいかなかった。何よりドメル自身が、前回のヴァルハラグランプリで惜しくも表彰台を逃す四位という結果に終わったため、雪辱に燃えていたという事情もあっただろう。
 とにかく、その後の数分間には新たなコースレコードが記録される事はなく、予選一日目は終了した。トップのタイムを記録したドメルを始め、上位九人が昼までのコースレコードを上回るというとんでもない結果と共に。
 予選を通過できるのは全二十一チーム中、明日の予選第四セクションを終えての上位十五チーム。この時点でファネスは暫定十七位、アミティスは暫定十位という位置につけていた。



 迎えた予選二日目。事態は若干の変化を見せる。今まで息を潜めていた昨シーズンのトップツーが、遂にその牙を剥いたのだ。
 午前の第三セクション。まずはゼッケン2のアミティス=アミが魅せた。
 第一、第二セクションと同様に真っ先にコースに飛び出していったアミティスは、一時間という時間を目一杯に使って周回を重ね、そして最後の一周。彼は第三セクションで誰も破る事のできなかったドメル=ランカスコーのコースレコードを、百分の三秒更新したのである。
 どよめくワールウィンド・サーキット。しかしその中に、アミティスの偉業に対する殊更の驚きは含まれていなかった。彼らにとっては周知の事実。これが、アミティスのスタイルなのである。
 第一セクションからの計三時間。アミティスは誰よりも多くコースを周回していたが、ウォーミングアップやクールダウンを除けばただの一度として、一周のタイムが前周のタイムを下回る事が無かったのである。彼は周回を重ねる毎に、確実にタイムを削り続けたという訳だ。一時間もの間集中力を持続させ、自身のラップから無駄を削ぎ落としていくその手法は、もやは職人芸の域である。
 派手さは無いが、玄人好みのアミティスの渋いスタイル。非効率極まりないものではあるのだが、妙な所で生真面目な彼は、これで十分と諦める事をできない人間なのであった。
 しかし集中力の持続はアミティスをしても簡単な事ではなく、現に前回のヴァルハラグランプリでは予選の第二セクションで派手なクラッシュを演じ、ケガ自体は軽傷であったものの、レース当日を病院のベッドの上で迎えたりもしている。
 何はともあれ、暫定のポールポジションを獲得したアミティス。だがピットに戻ってきたアミティスは、別段感激した風もなく言ってのけたのだった。
「まだフェイの野郎が残ってる。たぶん午後のポールは、あとコンマ一秒は縮めた所での争いになるな……」
 数時間後、予選最後の一時間――予選第四セクションが開始された。衆人環視の中、これまで溜め込まれていたファネスの力が爆発する。



『フェイ、アミのヤツがまた百分の一秒レコードを更新したぞ。ヤローここまできてまだタイムを詰めてきやがる。殊勝なヤツだ』
 ピットのダヴィエから入った無線に、ファネスは声には出さず苦笑する。
(アイツも気張るな……)
 走行ラインの最終的なチェックを行いながら、ファネスはコースを流していた。八分以下の力で走る彼の横を、未だ上位十五位以内に入れぬチームのシンカーが躍起になって駆け抜けていく。彼らにとってはポールポジションの栄誉などよりも、よっぽど差し迫った問題という訳だ。
 もっともファネスにしても、名誉を求めて走っている訳ではない。彼を突き動かす欲求は唯一つ。他の誰よりも、速く。
 そしてその欲求に憑かれた男が、もう一人。
 ファネスの視界の端を、レコードラインを一目散に駆け抜ける青いシンカーが行き過ぎていった。何があるでもないにも拘らず、その後ろ姿がファネスを呼んでいるように思える。
(急かすなよ……もうすぐだ)
 ファネスは現在、スーパーラップ(タイムを出しにいく走り)を行うタイミングを計っている状態にあった。最終コーナーからホームストレートにかけての走行ラインに、邪魔なマシンのいない状況を作ろうとしているのだ。最もスピードの乗った状態で最終コーナーから飛び出し、最高の状態でコース最長のストレートを駆け抜けて、初めて見えてくるコースレコード。
 今その状況が、ファネスの目の前に現れつつあった。
 第四セクションは残す所十分ほど。予選結果にさほど頓着せず、なおかつ予選通過をほぼ確実なものとしているチームの中には、不測のアクシデントを避けて既にピットへと引き上げてしまっている所もある。走行を続けるマシンは、確実にその数を減じていた。
(あと十分か……)
 水中ゾーンに差し掛かるファネスのシンカーBSS。漆黒の機体が、傾き始めた陽の光を浴びて輝く水面を割り裂き、ゆっくりと潜航していく。派手に炎を吹くブースターにより、勢いよく水飛沫が舞い上がった。
 水のベールを通し、一転して明度を落とすコクピットからの視界。機体各所にマニピュレーターを装備してコース整備にあたるバリゲーターやシーパンツァーが、ファネスの前にも何度か姿を見せる。
(さて……)
 このワールウィンド・サーキットの水中ゾーンは、全コース行程を三つのセクションに区切った内の、第一セクション終盤から第二セクション中盤にかけてとなっている。このサーキットのためだけに、共和国首都近くを流れる河川から水路を引き、地面を掘り下げ、山岳都市であるヘリックシティの郊外に見事な人造湖を用意したのである。ファネスがその正確な額を聞き知っている訳ではないが、作るにしても、維持するにしても、そこに費やされる資金が並でない事は分かる。SGPXとは、それほどの収益を見込めるエンターテイメントという訳だ。そしてファネス達パイロットには、その期待に応える義務があるだろう。
(それじゃ、またそろそろいくとするか。予選第四セクション恒例、ファネス=サックウィル一周限りのスーパーラップ……!)
 再び地上ゾーンが迫る中、ファネスの前からは障害となる前走機が一時的に姿を消していた。この状況をコース終盤まで維持できれば、タイムアタックを開始する絶好のチャンスとなる。
 機体が未だ水中にある内に決意したファネスは、愛機シンカーBSSを一気に水中から大気中へと踊り出させた。機体に纏わり付いた水の残滓が亜音速に限りなく迫る風圧によって吹き散らされ、陽光を受けて鋭く眩く、刹那的な輝きでもって大観衆の目を楽しませる。
 半瞬の後、稼動に最高の状態に置かれたブースターが遺憾な無くその大推力を発揮し、重量数十トンに達する金属のエイを弾き飛ばすようにして加速させた。機体は第十一、十二の二コーナーを抜けバックストレートに入る。
 第十二コーナー出口から第十四コーナー入り口までの区間は、バックストレートとそれに匹敵する長さを持つもう一本の直線との間に中速右コーナーの第十三コーナーを挟んだ、ワールウィンド・サーキットでは最もスピードの乗る区間である。しかし速度よりも走行ラインを重視してその区間を駆け抜けたファネスは、その後に控えた第十四、十五コーナーからなるシケインを無理なく通過し、立ち上がりの速度を重視した走行ラインで最終第十六コーナーを通過する。そしてそのままホームストレートで最高速目掛けて加速し、コントロールラインを突っ切った。
 惜しみない声援と、ライバル達の鋭い視線に後押しされて、ヘリックシティグランプリにおけるファネス=サックウィル最初で最後のタイムアタックが開始された。


 一昨日のフリー走行時、ダヴィエはこのワールウィンド・サーキットを称し、“名うてのテクニカルサーキット”と述べた。しかしそれは、ウネウネと入り組んだミニサーキットという意味ではない。伸びる所は伸び曲がる所は曲がる、そのメリハリの利いたコースレイアウトを言い表した評価だ。だが、特にスタート直後の第一セクションにおいては、コーナーと短い直線が連続する縮こまったテクニカルゾーンとなっている。
 第一コーナーの右ヘアピンに備え、ホームストレートの左外壁ギリギリを加速する漆黒のシンカー。エアブレーキを全面展長してのフルブレーキからターンインしていくが、第二コーナーは左の中速コーナーであるため、第一コーナーのクリッピングポイント(コーナー内側への再接近点)を奥に取る。そして立ち上がりと同時にその先の短いストレートを斜めに横切り、緩めの第二コーナーをアウト、イン、アウトの順で素早く通過。
(この辺りが……身体には一番キツイな……!)
 短い間隔で右に左に振り回され、体内を右往左往する内臓に辟易しながら、中速左コーナーの第三コーナーも駆け抜ける。出口のすぐそこには一転して厳しい角度の右の第四コーナーが待ち受けており、ここでもファネスは自身に課された強烈なGに歯を食い縛る事となった。
 そして、その後の右。高速コーナーの第五コーナーをほとんど速度を落とさずに駆け抜ければ、目の前には途中から水中へと姿を消す長めの直線が現れる。ここからは水中ゾーンの始まりである。
 失速や機体の安定だけでなく、ダヴィエからの指示も守ってブースター推力にも気を遣いながらダイブ・イン。機体全体にかかる抵抗が一気に跳ね上がるため、今も昔も事故が絶えないタイミングなのだが、そこはファネスの腕の見せ所である。
 素早く深度を確保すると、第六コーナーの目印として設置された水中のポールを目掛け、再びスロットルを開いていく。水中ゾーンには明確なコースの定義は無く、コーナー位置のみが巨大なポールで指示されているのである。
 第六コーナーは、ポール位置を直線で結んでいけば左の中速コーナーにあたる。そのすぐ先にも、右の中速第七コーナーが待ち受ける。地上と違い、十全な能力を発揮できないブースターに四苦八苦しながら、連続するコーナーを一気に駆け抜けるファネス。こればっかりは、昔日のワインディングロードと同じようにという訳にはいかない。
 第七コーナーを抜けると、今度は長めの直線が伸びる。その結末には右ヘアピンの第八コーナーがあり、速度を一気に落とされた所で再び直線の加速競争。第九、第十コーナーからなるS字へと至る。
 地上から水中という変化に加え、先程までダラダラと連続する中速コーナーを回らされ続けたコースが、今度は一転して伸びのある直線とその先のヘアピンコーナーというストップ・アンド・ゴーのリズムへと変化したのだ。狭いコースレイアウトよりも余裕のあるコースになったと言えるのかもしれないが、このリズムの変化が意外と曲者なのである。
(リズムは、もうこの三日間で体に叩き込んであるけどな……)
 なんとか惑わされる事無く、ファネスは伸びのある水中ゾーンのコースを攻略していく。第十コーナーを抜けると、左の中速コーナーである第十一コーナーまでは再三の長い直線が伸びる。横目にコースの整備作業中である水中ゾイド達の姿を見やりながら、軽い減速だけで第十一コーナーを突破。その先、第十二コーナーまでの短めの直線の間に、水中から浮上する事となる。
 飛沫を舞い上げながらサーフェイスして、右の中速第十二コーナーを一気に駆け抜けるシンカーBSS。後に控えるバックストレートのため、立ち上がりに無理の無いラインを通過して一秒でも速く加速を開始する。
 バックストレート、右の高速第十三コーナー、さらにロングストレート。ワールウィンド・サーキットきっての高速ゾーンをかっ飛ばし、第十四、十五コーナーからなるシケインへと一気に突入。急減速から来る背後からのGをシートベルトに身体を預けて受け流しながら、続く横方向のGを下っ腹の力だけで退ける。そして迎える、最終第十六コーナー。
 右の中速コーナーを、インを抉るような鋭いラインで通過し、シンカーBSSはホームストレートへと躍り出た。そして、ダヴィエの手によって極限までセッティングされたブースターのスロットルを限界一杯まで開き、コントロールラインのチェッカー模様の上を一瞬にも満たない時間で通過。
 その瞬間、ファネスのヘリックシティグランプリにおけるタイムアタックは終わりを告げた。
(……まぁ、予選で落ちるような事は無いだろう)
 モニターの一角に表示された自分の速報タイムに、ファネスは息をついた。機体に設置された発信器とコントロールライン下に埋め込まれたセンサーのおかげで、各機の走行タイムは周回毎に千分の一秒まで正確に計測され、瞬時にマシンとピットに送信されるのである。
 表示された数字は、数え切れぬほど周回を重ねてアミティスが無駄を削ぎ落として記録したタイムを、百分の八秒ほども縮めたものだった。
『よぉっし! レコード更新だぜフェイ!』
 ヘルメット内のスピーカーからは、他のスタッフ達の歓声を背景にしたダヴィエの声が響いていた。自分達の手がけたマシン、サポートしてきたパイロットがニューレコードを樹立したとなれば、当然の反応である。
 しかしそれに対して、ファネスの感慨はそれほどでもなかった。未だ予選第四セクションは完全に終了してはおらず、アミティスが周回を続けていたためである。
 残り時間は七分強で、走行途中のアミティスならば三周はタイムアタックを行えるだろう。本気になったアミティスが、それだけのチャンスで百分の八秒を縮めてくる可能性も十分に有り得た。否、ほぼ確実にそうなるように、ファネスには思えた。
 だが、ファネスはスロットルを閉じ、それ以上のアタックを行う事はしなかった。これ以上のタイム短縮を不可能と諦めた訳ではない。そのままアタックを続行してもタイムを縮められる自信はあったのだが、一つには一周のアタックに全てを懸けるというのが、ファネスのスタイルであったという理由がある。瞬間的な爆発力こそが、ファネスの持ち味なのである。
 二つ目の理由としては、ファネス自身が速さに対するタイムという評価をそれほど重要視していない事が挙げられた。彼にとって速さとは、スターティンググリッドの順位を競うものではなく、同じコース上にいる相手を抜き去って初めて実感できるものなのである。それはファネスが、青年時代のワインディングロードで見出した価値観に他ならなかった。
(本当の勝負は明日だ、アミ……)
 コースを一回りし、最終コーナー手前のピットロードにマシンを滑り込ませるファネス。コクピットを出ると、観衆で埋まったメインスタンドからは、今やファネスのものとなったコースレコードに再び歩み寄っていく、アミティスの活躍が伝わってきた。



 間も無く、ヘリックシティグランプリの予選全行程は終了し、最終的なスターティンググリッドが決定した。
 一位はネオゼネバス帝国軍ワークス“ネオゼネバス帝国海軍第600飛行隊”、アミティス=アミ。マシンは“シンカー600”。
 最終的に彼が記録したタイムは2分25秒683。当然、コースレコードである。
 百分の一秒の差で二位、クォア・クー社ワークス“クォア・クー‐チーム‐ブラック・シャドウ”、ファネス=サックウィルが続く。マシンは“シンカーBSS”。
 以下三位、ヘリック共和国軍ワークス“ライトニング・アロー”、ドメル=ランカスコー。マシンは“サインポスト”。
 四位、ガイロス帝国軍ワークス“ドンナー”、シメオン=デュクロ。マシンは“SDS”。
 五位、ヘリック共和国軍ワークス“バーン・アップ”、アンテル=ランバー。マシンは“イーグル・レイ”。
 六位、ガイロス帝国軍ワークス“ズィーク”、エイナル=オロフ=ホーカンソン。マシンは“プファイル”。
 七位、ヘリック共和国軍ワークス“ブルー・パイレーツ・ニュー”、エジアン=ビアンキ。マシンは“エイザー”。
 八位、ネオゼネバス帝国軍ワークス“ネオゼネバス帝国海軍第601飛行隊”、アルヒョンド=レイナー。マシンは“シンカー601”。
 九位、ZOITECワークス“流星”、グレイス=マーシャ=ウィルキンソン。マシンは“シューティング・スター”。
 十位、ハルマ・マトリクス社ワークス“トワイライト・ウェーブ”、コニー・レヴィン。マシンは“クラレット”。
 十一位、クォア・クー社ワークス“クォア・クー‐チーム‐ブルー・ミストラル”、マルチーア=ガルシア。マシンは“シンカーBMS”。
 十二位、西方大陸小国家タルカスワークス“タルカス・トループ”、カイル=カシム。マシンは“グリーン・フィン”。
 十三位、アイリス・インダストリー社ワークス“アイリス・スノー”、スノー=マン。マシンは“スノー・クリスタル”。
 十四位、ZOITEC社ワークス“暴風”、アイリーン=サノー。マシンは“ゲイル”。
 十五位、プライベーター“パニッシャー・イン・SGPX”、ビート=シェルベン。マシンは“チェイサー”。
 ワールウィンド・サーキットの走行経験があり、水中コースで用いるイオンブースターに定評のある共和国軍ワークスチームを中心に、各国軍ワークスチームが上位を占める、グランプリの中でも定番のスターティンググリッドとなった。下位には各企業や、西方大陸小国家のワークスチームが位置している。十五位に滑り込んだのはゾイドバトル、ネオゼネバス帝国ブロックの北部エリアにおいて、五シーズン連続でランキングベストスリー入りを果たしている強豪チーム“パニッシャー”のオーナーが、そのゾイドバトルで得た賞金でSGPXのチームを編成し、出場してきている数少ない個人参加のチームである。
 また、このヘリックシティグランプリはシーズン最終戦という事もあり、メーカー対抗のマニファクチャラー選手権、そしてパイロットがポイントで競うシーズンチャンピオンの行方も注目されていた。
 マニファクチャラー選手権は、メーカー単位でポイントを競う。チームを一つしか抱えていないメーカーは、そのパイロットが獲得したポイントがそのままメーカー自体のポイントとなり、二つ以上のチームを持っている場合には、各グランプリにおいて上位にランクインした方のポイントを加算していき、最終的なポイントの多さでメーカーの順位を決する。
 現在の順位は、一位にアミティスが活躍するネオゼネバス帝国軍。
 二位にファネスが所属するクォア・クー社。
 三位にガイロス帝国軍。
 四位にヘリック共和国軍で、以下アイリス・インダストリー社、スマラクト社、ZOITEC社が続いていく。
 五位以下のメーカーの獲得ポイントは例年上位四メーカーに遠く及ばず、民間各企業やプライベーター、あるいは西方大陸国家の躍進が待たれる昨今となっている。しかしそんな中で、ランキングで二位に食い込んでいるクォア・クー社の存在は大きい。
 ネオゼネバス帝国軍ワークスからファネス=サックウィル、ガイロス帝国軍ワークスからマルチーア=ガルシアの移籍により、前年SGPX第十一回大会のマニファクチャラー選手権で初戴冠を果たしたクォア・クー社は、民間企業と各国軍ワークスとの間の優劣は、技術力よりもパイロットの技量によるものである事を証明したのである。クォア・クー社の行為に対し、“金で王座を買った”と批判の声も上がったが、現在では各チームがこぞって優秀なパイロットの発掘、獲得に乗り出していた。
 ポイントの状況から、優勝の可能性があるのは上位三メーカー――ガイロス帝国軍までとなっている。
 そして、個人ポイントランキング。現状においてチャンピオンの可能性があるのは、こちらもランキングの上位三人。ファネス、アミティス、そしてアルヒョンド=レイナーである。上記のマニファクチャラー選手権でも言える事だが、例えば現在トップを走るファネスが失格となり、今シーズンのポイントを全て剥奪などという事態になれば、四位以下の者にもチャンスは巡ってくる事になるが、それが実現するかどうかは、また別問題であろう。
 チャンピオンになる可能性を持つパイロットの内、二人がネオゼネバス帝国軍のワークスチームという結果は、恐らくシンカーの使用国ガイロス帝国からすれば実に不満極まるものであったに違いない。
 しかしそんなプライドの問題を余所に、ファン達はファネス、アミティスの二人による、親友同士の熾烈な王座争奪戦を待ち望んでいた。ファネスが二連覇の偉業を達成するのか、それともアミティスが昨年二位の雪辱を晴らして王座を奪還するのか。下馬評は真っ二つに割れ、論議の決着は翌日のレース終了を待つしかないのであった。
 そしてレース前日の夜が、各々の思惑を孕んで更けていく。



「そうか……それじゃ、明日は心置きなく走れるな……」
「えぇ、感謝してくれていいわよ?」
 レース決勝を明日に控えたファネスは、レイナから今日までの経過報告を受けていた。
 彼女は二日間をかけて、ヘリックシティグランプリ決勝の実施を運営本部に掛け合ったのである。そしてその結果、彼女はヘリックシティグランプリの警備責任者リカルド=アマーティ少佐の助力を得て、明日の決勝の実施を見事運営側に認めさせる事に成功したのだった。テロリズムへの危機感から、一時はレースの中止を本気で考えた運営本部であったが、レイナの交渉手腕と、“ザ・イレギュラーズ”を率いるアマーティ少佐の絶大な自信に、遂にその兜を脱いだという訳だ。
 運営側としても、中止した際のデメリットを考えれば実施するに越した事は無いため、今回のレイナの具申は渡りに船であったと言えなくもない。もし、実際にテロリストによる妨害行為が行われた場合、それによって生じた被害の責任の所在は――
「――さぁ?」
 ファネスの問いに、レイナはそう茶化すだけであった。
 今、レイナはファネスのトレーラーハウスを訪れている。電話でも済む内容ではあったが、話をする方も話を聞く方も、ほぼ確実に盗聴されている電話で会話する気にはなれなかったのだ。
「ねぇ、フェイ? もし、ラストがサーキットを襲ってきたら……」
「……俺達はアミと違って、ただの民間人だ。何かあれば、逃げればいい」
 思えば、その言葉に“逃げ”が無かったかと問われた時、ファネスは回答する事ができなかったかもしれない。だから――
「フェイは、それでいいの?」
 レイナにそう問い返され、ファネスは言葉を失ったのだろう。
 二人の間に落ちる、重い沈黙。もしそこに来訪者が現れなかったならば、二人の内のどちらかがトレーラーハウス内の空気に圧され、その場を辞していたに違いなかった。
「フェイ、いるか?」
 軽いノックに続いた声は、その場の二人がよく聞き知ったものであった。
「アミか?」
 ファネスとレイナが二人で出迎えた先には、想像通り彼らの親友の姿があった。アミティスは、レイナの同席に少々面食らった様子だったが、フェイの簡単な説明ですぐに事情を察したらしく、特にそこに突っ込むような事はしなかった。
「それで? オマエは何の用なんだ?」
 入室を促すファネスを制し、アミティスは静かに用件を述べる。
「フェイ、色々と妙な事になってるが……明日は、いいレースをしようぜ?」
「……あぁ。俺達は、今自分にできる最高の走りをするだけだ。“Do My Best”さ」
 会話はそれきりだったが、大地の色と新緑の色を湛えた二人の瞳は、いつまでも互いを見つめていた。
 そしてそんな二人の姿に、レイナは同じ世界を共有できない自分への歯痒さを感じずにはおれなかった。



 ヘリックシティグランプリの警備隊――第1011対テロ特殊作戦部隊の指揮所は、グスタフが牽引するトレーラー式の移動指揮所となっている。夜もいよいよ更けようかという時間だが、少なくともグランプリの終了まで、そこの住人達が安眠の安らぎを得る事はできそうもなかった。
「副大統領は、レース開始の十五分前にはVIPルームに入られる。それまでに、このブロック一帯のチェックは徹底的に済ませろ」
 ワールウィンド・サーキットの図面を前に、そのブロックの担当者に指示を下すアマーティ少佐。ヘリック共和国の名誉を背負っている以上、彼らにミスは許されない。万が一の事態すら、あってはならないのである。
 しかし、この平和な時代の戦士達は、それしきの苦境に臆するような小心者ではなかった。
「少佐、ヤツラは来ると思いますか?」
「こっちには凱龍輝・真が三機。それにザ・イレギュラーズが完全装備で待ち構えてるんですぜ? 俺がテロリスト共だったら、サーキットよりも大統領官邸の襲撃計画を立てますね」
 不敬なジョークにも拘らず、指揮所兼詰所でもある移動指揮所には、兵士達の曇りのない笑いが満ちた。指揮官のアマーティ少佐といえども、それは例外ではなかった。
「正直、疑わしい所だ。確かにラスタヴィユ=アディンスはサーキットの襲撃を予告したが、盗聴されてると知られている電話の内容を、さて……どれほど信用していいものかな……」
 テロ組織の行動隊長と目される男の交友関係をマークし、彼らの電話を盗聴する事で得られた情報。貴重な情報ではあったが、アマーティ少佐も殊更にそれを信用している訳ではなかった。
 あるいはこちらは囮に過ぎず、最強部隊が留守にした首都の方をこそ、標的とする魂胆なのかもしれない。しかしそうなった場合、現状でそれを防ぐのは首都に駐留する第一師団及び首都守備隊の役目であり、彼ら第1011対テロ特殊作戦部隊は後から駆けつける予備戦力でしかないのだ。
 結局の所、尽きる所は一つしかなかった。
「まぁ、難しく考えてやる必要もあるまい。俺達の任務は――」
「見敵必殺!」
 アマーティ少佐の言葉に、その場に居合わせた者達の声が唱和した。目の前に敵が現れたなら、彼らの身体は考えずとも動くようにできているのだ。
「結構……」
 アマーティ少佐は満足そうに呟いた。
 彼を含めこの場の誰一人として、自分達がテロリスト如きに敗北するなど考えてもいないのだった。安寧の時代を守護する最強の部隊の一員として、それはある意味当然の事なのかもしれない。
 しかしそれを自信と呼ぶか、過信と呼ぶか、見る者によって意見の分かれる所であっただろう。例えば、彼らのように――



 ワールウィンド・サーキットは、共和国首都ヘリックシティの郊外に位置している。普段は都市の暗部で蠢く不穏な者達も、今回は目的に合わせてその拠点を移していた。
「装備と部隊、所定の位置へ配置しました。これで準備は全て完了です」
 わずかな照明に照らし出されるだけの暗い地下室で、ヘリックシティ及びワールウィンド・サーキット周辺の地図を広げたテーブルを挟み、数人の男が雁首を突き合わせている。お祭り騒ぎを翌日に控えて全体的に浮付いた雰囲気が漂う地上とは真逆の、なんとも張り詰めた空気が室内には満ちていた。
「ヘリックシティには第一師団が駐留中、及び首都守備隊が数個大隊。近隣の空軍基地には、レイノス、ストームソーダーを中心に十個飛行隊が待機中……」
 書面を手に報告する声に、数人が固唾を飲む音が重なった。
「ワールウィンド・サーキット警備隊の戦力は凱龍輝・真が三機、歩兵部隊が一個中隊……対ゾイド戦までを想定した装備を有しています」
 場の空気が、緊張度を増す。今まで報告を受けていた集団のリーダー格らしき少壮の男が、初めて口を開いた。
「……その歩兵中隊は、ザ・イレギュラーズだな?」
「そうです。通称ザ・イレギュラーズ、第1011対テロ特殊作戦部隊です」
 その言葉の持つ意味を、居合わせた者達は十二分に理解していた。進む先には、彼らの天敵が待ち受けている。
「……驕れる者達に、本当の戦士の姿というものを見せるいい機会だ。連中との因縁も、これで最後としよう」
 リーダーの男は、演説染みた台詞の内容とは裏腹に静かな口調で言い放つ。そこに特筆すべき熱意が感じられなかっただけに、どうにも空虚な印象を拭えない。しかし周囲の者達が、それに落胆するような事はなかった。
 彼らとしては、自分達がリーダーとして頂く男にそんな才能を期待している訳ではない。組織のリーダーなどではなく、実行部隊の指揮官である彼には、事前の準備に対する敏腕な手際、実戦における的確な指揮。そういった能力こそが求められているのである。
「……予定通り、計画は明日実行する。全ての部隊に通達しろ」
「了解」
 リーダーの熱のこもらぬ静かな宣言で、その場は散会となった。
 全ての者が部屋を辞して後、リーダーの男は一人その場に残り、わずかな間接照明の下でじっと目蓋を閉じる。
「“仲間と共に”、か……残念だが十六年振りの再会は、笑顔で握手という訳にもいかなくなったな……」
 そこには先の言葉よりも、遥かに発言者の感情が乗せられていた。
「フェイ、アミ、ダフ、レイナ……」
 四人の親友。目蓋の裏に浮かんでくるその顔は、十六年という時の経過を確かにそこに刻み込まれている。彼らは一度ならずメディアへ露出しており、表世界との交流を絶って久しい彼であっても、今現在の顔を知る事はできた。対して四人の記憶の中にある自分の顔は、十六年前の物から歳をとっていないのに違いない。
 そこに、彼らと自分との明確な距離を見出した所で、男は思考を中断した。
「……バカな事は考えずに、おとなしく引っ込んでろよ。俺はお前達の命になんか、一つも用が無いんだからな……」
 言っている本人自身、たわけた願いだと感じていた。彼らを裏切った自分に、何を言う資格があるというのだろうか。
「……そうだな。薄汚いテロリストは、それらしく振る舞っていた方が、よっぽど清々しい」
 結局、彼はそう結論付けるしか無いのだった。



 斯様に、それぞれが張り巡らせた思惑は、ワールウィンド・サーキットという一点を中心として交わろうとしていた。
 明日の波乱を予期してか、静かに夜は更けていく。しかしこれが嵐の前の静けさである事を知っているのは、ほんの限られた者のみであった。

 そして遂に、SGPX最終戦ヘリックシティグランプリ最終日――グランプリ決勝の幕が開く。

[219] 第四章 踏み出す右足 - 2009/08/20(木) 22:51 - MAIL

第四章
共和国首都ヘリックシティ近隣にて


 その日も、それは変わらずやって来た。山の稜線に生まれた光が徐々に闇を押し返し、最後には鋭くも暖かい陽光が大地に満ち満ちる。
 朝。それは神秘的ではあっても、世界の終わりまで毎日必ずやって来るありふれた風景。しかしその日の朝は、ある者達にとっては何よりも待ち望んだ朝であった。その一日の始まりは同時に、祭典の始まりを意味していたのである。
 しかし、“祭典”という言葉がどのような意味を持つのか。それはその言葉を口にする者の意思にこそ、委ねるべき事柄であろう。



 その朝のヘリック共和国首都ヘリックシティでは、週末を有意義に過ごそうと考える者達の行動で公共交通機関、主要幹線道路共に混雑の様相を呈していた。しかしその混み具合は、普段の週末よりも幾分酷いようだ。
「おい、こんな朝っぱらから引っ張り出して、その上この押し競饅頭かよ。たかだかシンカーの追っかけっこだろ? これで空振りだったら恨むぜ、マジで」
「オメェな、この人込みが何よりの証拠だろうが。心配しなくても、あれをナマで見て何も感じねぇなんて、よっぽどの不感症くらいだぜ。あ、オマエもしかして……」
「ブッ殺されてぇかテメェ!」
 品性の程度はこの際無視するとして、この日の街で交わされている会話は、そのほとんどがこのケースと共通の話題を取り上げていた。即ち、第十二回SGPX最終戦ヘリックシティグランプリである。
 優勝の栄冠は誰の頭上に輝くのか?
 マニファクチャラー選手権の行方は、シーズンチャンピオンは?
 どのマシンの仕上がりが一番良いのか? では、悪いのは?
 好みのレースクイーンは、パイロットは?
 今日はどんな事故が起きて、誰が死ぬのか?
 良く言えば好奇心、悪く言えば野次馬根性。人間の進歩を司ってきた感情の前に、話されるべき話題は無限に存在していた。そして、そんな他愛も無い会話に興じる者たちの列が、様々な形で会場ワールウィンド・サーキットへと続いているのである。



 自分のトレーラーハウスのベッドに腰掛けたファネスは、サーキットが押し寄せる観衆によって興奮の坩堝へと生まれ変わっていく気配を感じ取りながらも、それとは対照的なまでに静かな時間を過ごしていた。その身は既に、クォア・クー社を始めとするスポンサー企業のロゴで彩られた黒いパイロットスーツで包まれ、手にもグローブ。後はヘルメットを被れば、すぐにでもシンカーに搭乗してレースを開始できるという状態だ。レースを前にして気が張り詰めているのが、いつになく厳しい表情からも見て取れる。
(こんなにやり辛いのは、初めてだな……)
 自分が気負い過ぎている事は、ファネスもよく分かっていた。いつもならばレースに臨んでの興奮はあっても、ここまでナーバスな心理状態になる事は無かった。
 如何せん、今回のグランプリは衝撃的過ぎた。いくら気にしまい、気にしまいと己に言い聞かせても、一度根付いた心のわだかまりは内側からファネスを苛む。そんな気持ちを抑え込むために、ファネスは常以上の――それこそ過剰に過ぎるくらいの精神集中を己に求め、それ故のこの緊張感であった。
 親友ラスタヴィユに纏わる一連の出来事。今回のヘリックシティグランプリは、彼のレース人生において最大の試練となるに違いなかった。
 しかし、やはり限度というものは何にでもある。今がそうであるように、レースを前にした自分が一人になれるようチームメイトが配慮してくれるのはいつもの事なのだが、元々そういった気遣い自体、多分に恐縮に感じてしまうファネスである。そんな彼が、今回は例外的に酷く根を詰めてしまったのだ。本来ならば適度な緩みを確保できているはすの緊張の糸は、今回に限って必要以上に張り詰め、レースの開始を待たずして今にも音を立てて切れてしまいそうな状態にあった。
 ピットへ顔を出せばチームメイトがマシンを整備しているはずであり、その姿に多少の気も紛れるのだろうが、そもそもそんな事をした所で、また彼らに気を遣わせるのが関の山のように思えた。
「フェイ、今いいかしら?」
 だから、トレーラーハウスのドア越しにレイナの声が響いた時、ファネスにとっては正に渡りに船という心境だった。ただ、
(レイナだって、そんなに暇じゃなかろうに……)
 昨日の今日どころか昨夜の今朝というその間隔の短さが、気にならないではなかったファネスである。レース当日ともなれば、集まったファンに対してレースクイーンの仕事も本番であり、彼女らを率いる立場のレイナにしても現状、仕事に困る立場ではないはずだった。
「あぁ、大丈夫だ。ドアは開いてる」
 しかし、ファネスが彼女の訪問を喜んでいたのは事実であり、敢えてそこを追求する事はしなかった。“喜び勇んで”とまではいかないが、それでも一息ついたという表情でベッドから腰を上げ、ファネスは彼女を出迎えるために玄関へと向かう。しかしドアノブに伸ばされた腕は、その向こうから響く静かな声によって押し止められた。
「うぅん、ここでいいわ。レース前にあまり邪魔したくないから。話だけ、聞いてほしいの」
 ファネスにはこの時、レイナになおも入室を促すという選択肢も存在した。しかし彼は何も言わず、所在無げに宙に差し出した掌を握り込んで身を翻すと、パイロットスーツに包まれたその逞しい背中をドアへと預けた。
「分かった……それで、話ってのは?」
 問い掛けてファネスは、自分の背中からの回答を待つ。話題を抱えてやって来たにしては奇妙な事に、声が返ってくるには思いの外の時間を要した。明朗快活な彼女をして、何が一体そうさせたのか。
「……昨夜の質問の答えを、ちゃんと聞かせてほしいの。もし今日ラストが来たら、フェイは本当に逃げるだけなの?」
 何故だろう。そこには答えを求めている響きが極端に薄く、強いて言うなら時間稼ぎのために無理矢理引っ張り出してきた話題のような。そんな話題を繰り出したレイナの真意を測りかね、結局意を決してファネスが口を開くまでには、こちらもやはり問答と呼ぶには少々間延びし過ぎた時間が経過して後であった。
「……逃げるだけでなかったらどうする? 燃えるサーキット眺めながら、手ぇ繋いで一緒にフォークダンスでも踊るのか?」
 彼女の真意を引き出すため、ファネスは敢えて皮肉めいた回答を口にした。言外に、時間稼ぎに気付いている事を匂わせながら。
「…………」
 しかしその目論見はいささか性急に過ぎたらしく、レイナは思惑とは反対に押し黙ってしまった。ドア越しの気まずい沈黙に苦笑し、ファネスは仕方なく言葉で促す。
「もっと他に話があるんだろう? 似合わない時間稼ぎは止めとけよ」
 そこまでしてようやく観念したらしく、背後からドア越しでくぐもったレイナの声が聞こえてきた。否、声がくぐもっているのは、何も間にドアを挟んでいる事だけが理由ではなさそうだ。
「フェイは……怖くはないの?」
 静かな声は、微かに震えている。
「怖い? 何が?」
 レイナの言わんとする所が理解できず、ファネスは問い返す。心当たりが無いのではなく、今の状況では心当たりが有り過ぎて的を絞り切れなかったせいであったが。今度の返事はすぐにあった。
「風と共に……マシンと共に……そして、仲間と共に……」
 言うまでもない。それは今となってはどこか虚しく聞こえる、ファネス達の去りし日の誓い。
「ラストはどこ? たった一度、人生の分岐点で違う道を選んだだけで、もう私達には手の届かない場所にいるわ。次に自分がそうならないって、どうして言えるの?」
「それは……」
 レイナの疑念に、今度はファネスが重い息を漏らし、押し黙る番だった。
 軍への入隊を境に、ラスタヴィユとは袂を分かった。それから十六年――いや、恐らくは数年を待たずして、あの真面目で暴力沙汰の嫌いなラスタヴィユを変えてしまう何かが起こったのに違いない。そしてその後の十年余りを、彼はテロリズムという反社会的行動に身をやつす事となったのだ。
 ほんの数年で人間は変わる。ならば、自分達は?
「……ラストは一人になって変わった」
 答えられないファネスに、レイナは畳み掛けてくる。
「あなたやアミ、それにダフは、今だって繋がってるわ。あの頃のモトがそうだったみたいに、今度はSGPXを絆にして。でも私は違う。私はもう、あなた達とは違う道を歩いてるもの……次に変わるとすれば、それは私だわ……それが、怖い……」
 レイナは孤独を感じていたのだろうか。だとすれば、親友であり仲間であるはずの彼女の苦悩にも気付かず、自分達の夢ばかりを追い続けてきたファネスやアミティスは、既に彼女と心が離れてしまっていたのだろうか。
(いつまでも共に走り続けると誓った仲間は……自分達でも気付かない内に、いつの間にかバラバラになっていた……情けない話だ……)
 橙味がかった長髪を力無くかき上げ、ファネスは深い吐息と共に後頭部を軽くドアへと打ちつけた。プラスチック製のドアが上げる無機質な悲鳴が、無人のトレーラーハウスに虚しい。外にいるレイナにも、それは聞こえただろうか。
(……そうか……そうだな)
 扉越しにレイナの気配を感じる。そうなってくると不思議な事に、本来有り得ないはずの彼女の鼓動や体温、息遣いまでも、着込んだパイロットスーツを通して伝わってくるかのように感じられる。
 ファネスは敢えて断り無く、ドアノブに手をかけた。寄りかかった体重で、ドアは外へと開いていく。
「あっ……」
 ファネスの予想通り、レイナはファネス同様ドアに身を預けていたらしく、開いてきたドアに背中を押されて数歩をよろめいた。硬質なパンプスの足音に視線を下げれば、地面とドアを繋ぐ階段の下から非難めいた視線を送ってくる、黒いスカートスーツ姿のレイナと目が合う。
「ちょっと、いきなり開けないでよ! 危ないでしょ?」
 ドア越しの会話よりも幾分テンションの戻った声で文句を言うレイナを、ファネスは柔らかな笑みを浮かべて見下ろした。
「レイナ。たとえ歩く道は違っても、オマエは一人なんかじゃないさ。見ろ、現に今だって、オマエと俺との距離はたったのドア一枚分だった。他のどこでもない、オマエがいるのはここだ。俺やアミ、ダフもいる……」
「えっ……」
 レイナの険しく細められていたブルーグリーンの瞳がまずいっぱいに見開かれ、次いで今度は柔らかに細められた。控え目な色合いのルージュで彩られている豊かな唇が、続く言葉を発せられぬままに戦慄いている。
「それに――」
 彼女の様子に微笑むファネス。言葉など安っぽい代物だが、それでもレイナが何かを感じてくれている事が素直に嬉しい。
「たとえ皆が変わったとしても、皆が望む限り俺は仲間だ。そして俺自身にとっては、どんなに変わろうとも、皆は仲間だ。アミもダフも……前はああ言ったけど、ラストだって……勿論、レイナも……」
 だからその言葉も、特に意識したという訳ではなかった。どちらかと言えば、そんな気障ったらしい事を言っている自分に驚いてしまったくらいだ。
「……何を似合わない事言ってるのよ」
 案の定、レイナには苦笑された。しかしそれでも、思い悩んでいた彼女の気を紛らわすくらいはできたのであれば、そう捨てたものでもないとファネスには思えた。
「……ありがとう、フェイ」
 レイナは気恥ずかしげに顔を俯けながら、ドアまでの短い階段を上ってくる。ファネスの隣に立った彼女は、自分より頭半分ほど高い所にある顔を見上げた。南洋の海のように深い色合いの瞳を見つめ返しながら、ファネスはふとした既視感に見舞われる。伸び上がったレイナの小顔が、ゆっくりと近づいてくる事も含めて。
「んっ……」
 朝日によって地面へ落ちる二人の影が、ほんの一瞬一つに重なった。
「……ゴメンね、レース前なのに変な話して。もう時間よね? レース頑張ってちょうだい」
 早口で捲し立て、照れ隠しのつもりか少々強過ぎる力でパイロットスーツの胸を小突くレイナに、ファネスは顔をしかめながらも微笑んだ。
「……六年振りか、レイナのキスは。元イメージガールのキスなら、SGPXパイロットにこれ以上の援護は無いな。縁起が良い」
 SGPX第一回大会から第六回大会まで、勝利の女神として表彰台の頂上に立つ者へ祝福のキスを行うのは、六年連続でSGPXのイメージガールに選ばれた彼女の役目であった。強者であるファネスは何度となくその祝福を受けた身であり、それ故の先程の既視感だったのである。
 ただし、その既視感には一点だけ現実との差異があったのだが。
「勝利を呼び寄せる、女神のキスよ。有難く受け取っておきなさい」
 勝気に言い放った言葉と共に投げられたウィンクが、二人だけの時間の終了を告げる。その魅力的な所作を見れば、もう彼女がいつもの調子を取り戻している事が十分に分かった。
 片腕を上げて返すファネスを見届け、レイナはパドックを後にした。ファネス達とは異なる、彼女の道へ戻っていったのだ。
(さて、俺も行くか……)
 必要な物は全てピットに用意してある。ファネスはスーティングアップした身一つで向かえばいいだけだ。
(いい一発を貰ったからな。頑張らないと、後で何を言われるやら……)
 トレーラーハウスを施錠し、関係者用の入り口からピットへと向かう道すがら、ファネスは自分の口元にそれとなく手をやる。既視感には無く、しかし現実にはあったもの。それは柔らかく暖かい、彼女の唇の感触であった。


 サーキット内の廊下を足早に進みながら、レイナは意識せずにはおれなかった。一瞬でも早く、ファネスから離れたかった。普段は色調の変化など見せもしない小麦色の肌が、今は薄く紅潮している。
(ちょっと思い切りが良過ぎたかしら……)
 唇に残る感触に若干の後悔を覚えたものの、“そんなに悪い気はしない”というのがレイナの本音であった。三十代も後半に近付き、女も盛りという時期の独り身としては、結婚するのであれば或いは彼なのではないかと、実は何となしに考えていたりもする。実行する気はさらさら無い身であっても、そこには確かに何らかの感情があり、ファネスの言葉でそれが僅かに――ほんの僅かに身動ぎしたというだけの事であった。
(……って、何考えてるのよ。自分の頭の中がもう収拾ついてないじゃない)
 年甲斐も無く浮かれ過ぎていた。別にそれだけが理由という訳でもないのだろうが、確実にその一つではあったはずだ。自分が進むその先に一人の男が待ち構えている事を、レイナは彼とすれ違いそうになる寸前まで気付かなかった。廊下の壁に背中を預けたその男は、薄汚れたティーシャツに袖を落としたデニムジャケット、ジーンズという出で立ち。ボサボサに伸びたグレーの髪。首から記者用のパスと、やけに年季の入ったカメラをぶら下げている。
「……こんな所にいるって事は、ひょっとして目当ては私かしら?」
 歩みを止めて、問う。
 レイナはその男に見覚えがあった。知り合ったのはつい先日、彼女がまだワールウィンド・サーキットに乗り込んでくる以前の事だ。レイナがヴァルハラグランプリの処理を終え、来るヘリックシティグランプリへの準備に追われていた頃、突然彼女のオフィスを彼が訪れて、ラスタヴィユの事についてやたらと食い付いてきたのである。あの時は、何故こんな見ず知らずの人間が昔馴染みの事などを訊くのか分からなかったが、今ならその理由には簡単に見当がつく。
 この男――アルトロス=シュタットフィールの訪問があったからこそ、レイナはあの夜のファネス、アミティスとの会話でラスタヴィユの名前を口にできたと言ってもいい。しかしその時以来、彼がレイナの下を訪れる事は無かった。ワールウィンド近辺を嗅ぎ回っている事は知人から聞き及んでいたが、直接の再会は数日、数週間振りである。
 レイナの問いにアルトロスは壁から身を離すと、無言で肩を竦めた。その仕草を、レイナは肯定の意思と取る。
「ここ数日頑張ってたようね。あれから、テロリストについて面白い話は拾えたかしら? “トップ屋”さん?」
 口を開かぬアルトロスに代わり、レイナは語を継いでいく。その言葉は、ラスタヴィユがテロ行為に手を染めている事を半ば確信していながらもそれを隠していた、アルトロスに対するレイナの非難を多分に含有している。
 しかし当のアルトロスが、その肩を竦めたままに表情を苦笑で歪めたのは、レイナの毒気が効いたせいではなく、本当に目ぼしい情報を手に入れられなかったためなのだろう。レイナは相手の様子からそんな予想を立て、そしてそれはすぐに肯定される。
「いいや。アンタ“達”から聞けた話以外は、どれも碌なもんじゃなかったよ。別にSGPXに関わりが有る人物でもないし、たいして期待はしてなかったがね。まぁいいトコ、ゴシップのネタ止まりかな」
 話を聞き、恐らくはそんなものなのだろうとレイナも思った。ヘリックシティグランプリ警備部隊――“ザ・イレギュラーズ”とSGPX運営側との決定により、掴んだテロリストの行動はメディア等へ公表されていない。サーキットの雰囲気から不穏な空気を察知した聡い連中以外、ラスタヴィユの話はおろか、テロの話など持ち出した所でチンプンカンプンに違いないのだ。
「だからここで一丁、実のある話を貰っとこうって訳さ。どうだい?」
「……悪いけど、そこまで暇じゃないわ。もう決勝も始まろうって時間なんだから」
 アルトロスの持ちかけを、レイナはにべもなく断った。ラスタヴィユの話題を無理に掘り下げられる事に抵抗があったのは事実だが、何よりこの女社長は本当に時間に追われていたのだ。
 決勝が開始されるのはもう時間の問題だが、その前にピットロードにてファンサービスが行われる。ピットロードをファンに開放し、本物のマシンに間近で接してもらうのが目的なのだが、そこに無くてはならないのがマシンを彩る華――レースクイーンである。美女揃いなのは言うまでもない彼女達は、その姿でファンの目を楽しませると同時に、集まった注目を活かして自分達の雇い主であるチームや、さらにそのスポンサーである企業をさり気無くアピールするのだ。ピットロードに殺到するファンの中には、カメラ片手に彼女達目当ての者も、決して少なくない。ファン投票によってSGPXイメージガールに選出されたレースクイーンなどその人気は凄まじく、ファンサービスの時間中一度としてその顔を目にできないファンも出るほどだ。
 過去に六年連続でイメージガールに選ばれるという偉業を達成したレイナとしては、今年のイメージガールが自分の会社で送り込んだ共和国軍ワークスチーム“バーン・アウト”のレースクイーングループ――“ブルー・オーキッド”のメンバーから選出されたという事実は、まさに元女王の面目躍如といった所である。ただレイナ自身も、自分の後輩達の活躍をVIP席でシャンパングラス片手に眺めているという訳にはいかず、現場現場で起こる様々なハプニングに対処すべく、直参のスタッフ達を集めて即応の態勢を整えていなければならないのだ。
 長くなったが、つまり時間に余裕が無いのである。
 しかしアルトロスの方も、持ち前のトップ屋魂とやらがそうさせるのか、「はい、そうですか」で引き下がるつもりはそれこそ毛筋ほども無いらしかった。ニヒルな笑みを浮かべ、ボサボサの頭を更にくしゃくしゃと掻き回しながら食い下がってくる。
「時は金なりとは、よく言ったもんだな。時間は懸けんさ、何なら歩きながらでも」
「浅ましい価値観ね。お金で買えるものなら、買いたいくらいよ……まぁ、いいわ」
 立場が強いのは、今回の場合アルトロスの方であった。レイナはアルトロスに係り煩っていればいるだけ、余計な時間を取られてしまう。彼女が時間の浪費を避けるためには、アルトロスの要求を呑むしかなかった。もっともレイナの方も、ただで折れてやるほど御人好しではなかったが。
「付いて来るなら勝手に付いて来て。ただし、条件があるけど。先に話すのはそっちで、私はあなたのしてくれた話に見合うだけの話をするわ。勿論、私が目的地に着いた時点で、今度こそ話は終わりよ」
「なかなか抜け目無いんだな」
 言い終わった時点で既に足早な歩みを再開しているレイナに苦笑しながら、アルトロスもその後に付いて歩き出す。時折、揃いのジャンパーに身を包んだSGPXのスタッフが縦に並んで歩く二人の横を走り抜けていったが、その慌しい様子から誰もレイナ達に気を留めた様子は無かった。
「そうさな……」
 レイナは、背後からの思案気な声を聞く。実際の所、レイナがアルトロスに提示した条件は、彼の更なる追及を退けんがためのものであった。当事者であるレイナが知らぬ目新しい情報をアルトロスがそうそう持っているとも思えなかったし、そもそも目的地まで何を話すほどの時間もかからないはず。にも拘らず、アルトロスは諦めようとしないのだ。
「……そう、こんなのならどうだ。アンタのお友達が、なんでまたテロリストなんて物騒な事やってるのかって話だ」
「……さっさと話したら? ゴールまで後三百メートル」
 トップ屋の諦めの悪さにうんざりしながらも、レイナは歩みを止めないままに先を促す。
「どうせガセだとでも思ってるのか? ま、確かにどこまで本当か分からん話だが……」
 声の調子からすると、何やら話すアルトロス自身がその信憑性を疑っているようにも感じられる。恐らく現段階においては、彼自身も今から話す内容を記事のネタに使う気は無いだろう。
「アンタもお友達も、まだ共和国領だった頃の帝国首都の生まれだそうだな? だが共和国の反抗作戦を前に、まだ学生だったアンタ以外の四人が首都を離れている。ファネス=サックウィル、アミティス=アミ、ダヴィエ=コンフィグアーチ、この三人はZAC2104年に軍に入隊。じゃあ、ラスタヴィユ=アディンスは一体どこに行ったんだ?」
「ラスト……ラスタヴィユは、反抗作戦が始まった頃に急に一家で姿を消して、そのまま今まで音信不通なのよ。街にはゼネバス万歳の人も多かったし、多分変な騒ぎになる前に街を出たんだと思うわ。あの家は大異変の後で街に移ってきた、共和国系だったから……」
「そうだ。俺の方でも、アディンスという男とその家族が、ZAC2106年の三月に帝国首都を離れて、クック市近郊の寒村に移った所までは足取りが掴めた。だが、そこでヤツの足跡がぱったりと途絶えてる……その年の八月、陥落したクック砦から落ち延びてきた共和国軍の残存部隊と、それを追撃してきた帝国軍との戦闘に巻き込まれて、その村が壊滅してからだ……」
「……そう」
 ラスタヴィユが帝国首都から姿を消してからの足取りは、本当にレイナも知らぬ事だった。出来過ぎと言えなくもない話だが、戦時という特異な状況下にあっては有り触れた悲劇であるのも事実だ。たまたまそれが、レイナの友人の身に降りかかったというだけの事なのだろうか。
(……ラストが変わってしまったのは事実。首都でどんな話も耳に入ってこなかった以上……やっぱり、その村で何かがあったとしか思えないわ)
 アルトロスに生返事を返す間も、レイナは内心で思案を巡らせる。彼女も彼女なりにラスタヴィユについての情報収集を行っていたのだが、首都で聞けた話で彼に関するものといえば、帝国領で暮らす他の共和国系市民の御多分に漏れず、若干のやっかみを含んだ世間話に過ぎなかった。そのため、たとえそれが三文芝居の脚本のように出来過ぎな話であっても、レイナはアルトロスの語った話を嘘くさいの一言で切って捨てる事はできなかったし、そうする訳にはいかなかった。
「よぉ、こっちは話したぜ? 約束通り、今度はそっちの番のはずだろう?」
「えっ!? えぇ……」
 忘れかけていた存在からの呼びかけに、レイナは意識の底で繰り返していた思案を切り上げ、ビジネス用へと頭の回転を切り替えた。何やかやと難癖をつけて煙に撒いてしまおうと考えていた所を、意外にも身のある話を聞かされてしまったために、多少対応に困ってしまった、予想外である。
「そうねぇ……」
 時間が差し迫っているのは事実のため、話を拗らせてややこしくしたくはない。そんな風に打算を巡らしていたレイナに助け舟を出したのだが、周囲に響き始める低くくぐもった爆音だった。サーキット全体が振動しているかのように、前後左右上下、全方位から迫力が押し寄せてくる。
「な、なんだぁ?」
「……展示飛行が始まったみたいね。ヘリック空軍の“トリック・スター”と、ゼネバス空軍の“グリューエン・シュトラール”。両軍のトップアクロバットチームの初めての共演よ」
 新サーキットのこけら落としに際しては、メインとなるヘリックシティグランプリ決勝を前に、種々様々なイベントが用意されていた。展示飛行もその一つである。
「御免なさい、もう本当に時間切れよ。悪いけど、続きはまた今度お願いするわ」
 航空ショーの開始は、今日のヘリックシティグランプリ全行程開始と同義だ。契機を得たレイナはここぞとばかりに断言し、アルトロスの追及の手を振り切りにかかった。
「おいおい、信用第一の社長さんが自分から約束破るのか? 俺も、自分の人生が真っ当だったと胸を張る気はこれっぽっちも無いが、人との約束だけは違えた事が無いぞ?」
 アルトロスは頭を掻きつつ弱り顔で食い下がってきたが、一度言い切ってしまったせいか、レイナの方ももう容赦は無かった。
 程なく、アルトロスは兜を脱ぐ事となる。
「……分かった、今日は引き下がっておくとしよう。だが、約束は守ってもらうぞ。話は今度ゆっくり聞かせてもらう。食事の一つでも馳走になりながらな」
「えぇ、楽しみに待ってて」
 言う間にも、レイナの足は走り始めている。忙しいパンプスの足音はしかし、今やサーキット全体を飲み込みつつある歓声によって、そのほとんどを圧し潰されてしまっていた。
「……昔がどんなだったか知らないが、ヤツは今じゃ立派なテロリスト……筋金入りの戦争屋だ。下手な希望は持たない方が良い……」
 無論そんな状況で、アルトロスの独白が誰の耳に入るはずも無かった。



 ワールウィンド・サーキット上空に西から進入する真紅のグレイヴクアマ六機と、東から進入する黄色いレイノス四機。十機が焚いた色とりどりのスモークが青空をバックにしたストライプ模様を作り出し、ショーは開始された。
 アクロバットショー用に用意された特殊なスモークは数分という短い時間で完全に掻き消える。そして、どこまでも澄み渡る青さを取り戻した夏の空をキャンバスに、二つのアクロバットチームはその類稀なるテクニックで、それを描き出した。紙にペンで描き写すのとは勝手が違う以上、多少のデフォルメはなされていたが、それが観客の見慣れたSGPXのロゴデザインである事は、誰の目にも明らかであった。そして、それが素晴らしい技術である事は、見る者皆が十分承知していた。
 かつて、戦場となった空で鎬を削ったゾイド達が時を移し、互いの軌跡を交えながら軽やかに舞い踊る。その光景は、それを見守る何千何万の人々に、過去の諍いに囚われる事の愚かしさをどんな言葉よりも強く訴えた。
 そしてそのメッセージが、開演の合図となる。長い長い一日を彩る、無数の悲劇と喜劇の。



「クッソ、ツイてねぇ……よりにもよってこんな日に……」
「うるせぇよマティス! それ以上言ったら、その減らず口に七十二ミリ叩き込んで――」
 ヘリックシティの市街地を離れ、街道を北へ二十キロ程。その周囲の景色は完全に山間部へと変じている。そんな街道から枝分かれした一本の道が、周りを取り囲む山々の一つ――そこに穿たれた隧道へと続いていた。隧道の規模はかなり大きく、軽く身を屈めるだけでゴジュラスでも入り込めそうだ。入り口には車両の乗り入れを規制するゲートと、それに付随する詰所が設けてある。
 隧道の先に、それはあった。
 山岳都市であるヘリックシティでは、施設を建設するに際して土地の確保は深刻な問題だ。中でも、巨大な格納庫に加えて長大な滑走路を要する空軍基地をどこに設けるか。
 示された回答は、“地下”だった。
 格納庫に始まり管制室、作戦指揮所や兵舎、果ては五本の巨大な滑走路まで、その有する施設のほぼ全てを山岳地帯の地下を掘り抜いて建設する。ヘリックシティの空の要、セラー空軍基地はそうして誕生した。地上に露出している施設は、垂直離着陸機の発着場などごく一部である。
 そんな地底の穴蔵の一室で、二人の空軍パイロットがフライトスーツを着込んだまま、言葉を交わしている。一人は、室内にも拘らずサングラスをかけたままの金髪の大男。もう一人は、茶色の髪をスキンヘッドと見紛うばかりまで刈り込んだ、ドラム缶のような体格の男。
 外見は似ても似つかぬ彼らにも、幾つかの共通点があった。同期の二十八歳で、同じ飛行隊に所属するレイノスパイロット。階級は中尉。そして双方共に、SGPXの大ファンなのである。
 本当ならば何をおいてもワールウィンド・サーキットに駆けつけ、すっ飛ぶシンカーを前に熱狂したい所なのだが、今日ばかりはそうもいかなかった。二人が今いるのは格納庫からドア一枚隔てたアラート・パッドと呼ばれるスクランブル要員の待機室であり、彼らはいつ鳴り響くか知れないスクランブル警報に備えて待機中なのであった。
 ネオゼネバス帝国との国境である中央山脈から見れば、ヘリックシティの位置は決して近いとは言えない。最も遠い都市の一つと言っても過言ではないだろう。しかし、その背にはアクア海を背負っている。海を越えて首都への直接の侵攻を狙う事は十分有り得る事であり、それに対する備えを用意しておくのは、国防上当然の処置であった。また昨今では、テロ組織がどこからともなく繰り出してくる飛行ゾイドへの対応も、その任に含まれるようになっている。
「エディの野郎は今日非番で、目出度くワールウィンドに出かけるとよ。テメェが行けねぇってのもあるが、こっちがこうやって根詰めてる間に、あのスケこまし野郎が楽しんでくるってのはどうにも気に入らねぇ」
 ドラム缶体格の男――名をランディという――が腰掛けたパイプ椅子に不満げに踏ん反り返り、ブチブチと愚痴を零す。しかしいくら嘆こうとも、彼らがまだまだアラート待機についたばかりである以上、サーキットを訪れてシンカーの勇姿を拝む事はとてもできそうもない。先程も、このセラー基地へ所属するアクロバットチームのトリック・スターと、所属基地を離れて同じくこの基地で待機していたゼネバス空軍アクロバットチームのグリューエン・シュトラールが、SGPXヘリックシティグランプリ会場であるワールウィンド・サーキットへ向けて発進する所を見送る事もできなかった。
「……オマエはともかく、俺までここでムサいヤローと缶詰ってのは納得できんな」
 こちらは金髪サングラスのマティス。口調自体は静かだが、言葉の内容には隠そうという意思すら感じられぬ毒がある。両者共に、随分といい性格のようだ。
「んだと!?」
「なんだ?」
 部屋の空気がにわかに険悪になりつつあったその時、アラート・パッドにけたたましい警報が鳴り響いた。意識を掻き毟るようなその音響に、二人は条件反射の素早さで簡素なパイプ椅子から腰を浮かせる。
「っ!?」
 しかしその警報は、彼らが耳慣れたスクランブル警報とは違う種類のものだった。それは、その後に続いたアナウンスからも確認できる。
『第二滑走路に、複数の所属不明ゾイド出現! 繰り返す! 第二滑走路に、複数の所属不明ゾイド出現! 機種は、モルガおよびグランチャー!』
 仕舞いまで聞かず、ランディはその樽のような体でドアに体当たりすると、それをぶち破るような勢いでアラート・パッドを飛び出した。マティスもサングラスを放り出し、それに続く。
 レイノスパイロットである彼らに、基地内に侵入してきた敵の相手は難しい。空から攻撃できない施設である以上、やるならばレイノスに滑走路を歩行させて戦闘を行うしかないだろう。
 そんな分の悪い賭けをするよりもまず二人は、滑走路が残っている内に自分達のレイノスを上げる必要があった。全ての滑走路が攻撃を受けたら、VTOL機能を持たないレイノスはスクランブル発進ができなくなってしまう。そうなった時、もはや首都上空は無防備だ。
 格納庫に飛び込んだランディとマティスの二人は、いつでも発進できるよう準備の整えられた二機のレイノスに駆け寄り、コクピットへのラダーに取り付いた。それを這い登ってコクピットに飛び乗ると、シートと一体となったパラシュートを装着し、ヘルメットを被り、ベルトで体を固定する。
『異常無し、どうぞ!』
 ランディが準備を整えている間に、整備士の方でも機体のチェックを終えていた。
「よし、どいてろ! さっさとどかねぇと踏み潰すぞ!」
 息巻くランディに追い散らされるまでもなく、機体の最終チェックを終えた整備士達は機体の周りを離れていく。レイノスのエンジンを始動し、システムも完全に立ち上げた二人は、管制室との回線を開いた。
「コントロール、五番格納庫からの誘導を頼む! こちら、イカルス23!」
 状況は今や緊急事態である。対応は早かった。
『こちらコントロール、イカルス23のタキシングを許可する。イカルス23はそのまま誘導路を前進し、第一滑走路へ移動せよ』
 セラー空軍基地には当然、数多くの格納庫が存在する。地下というスペースの都合上、そして敵の攻撃への備えとして、滑走路とは異なる深度へと建設された格納庫は、結果として発進させる機体をエレベーターによって滑走路や発着場までリフトアップさせる必要が生じた。しかしそのままでは、急を要するスクランブル発進等への即応性が問題となってしまう。それに対処するため、各滑走路にはアラート待機の機体専用の小規模な格納庫――ちょうどレイノスや、翼を畳んだストームソーダーが二機駐機できる程度の物が、必ず一つ以上用意されているのだ。
 勿論、今回レイノスが駐機されていた五番格納庫もその例に漏れない。
「イカルス23、了解だ!」
 指示を下す声の背後は異様に騒がしかったが、それに構っている暇は無かった。一番機であるランディは指示を受け、機体の前進を開始する。マティスもその後に続き、二機のレイノスは己の足で格納庫を出ると、誘導路を辿って滑走路の端へと向かった。
『こちらコントロール。イカルス23、南西へ高度一○○で離陸。離陸後は高度を維持して待機。次の指示を待て』
「南西方向へ離陸、高度一○○。離陸後は同高度で待機、了解!」
『よろしい、イカルス23。滑走路へ進入せよ』
 やり取りが終わる頃には、レイノスは第一滑走路の起点へと到着している。滑走路には、レイノスやストームソーダーを加速させて打ち出すためのカタパルトが、横並びに二基設けられていた。カタパルトに脚部を固定する、それぞれのレイノス。
「イカルス23、第一滑走路へ到着した! 所定のチェックは全て終了、さっさと離陸許可を出しやがれ!」
『二番機、キャノピーロック。脱出装置の安全装置解除』
 マティスの報告も、無線を通してランディの耳へと入る。準備は全て整った。
『了解、イカルス23。現在、風向きは八十度方向からの横風。離陸を許可する』
「離陸許可、了解!」
 許可を受けて、二人はスロットルの開度を一気に上げた。レイノスの尾の付け根に装備されたブースターが迫り出し、鮮やかな炎を吹き出し始める。推力が一定に達した所で、カタパルトが作動した。滑走路上を、弾き出されるかのように一気に加速するレイノス。
「おぉっ!」
 前面から体に襲い掛かるGに歯を食い縛り、ランディは前を見据えた。全身をシートに押し付けられる際に肉体が上げる悲鳴は確かに苦痛だが、既にそれをどうこういう時期は過ぎて久しい。ランディにしろマティスにしろ、ヘリックシティの空を守る戦士なのである。
 だがその空の戦士達も、地面に縛り付けられた今の状況では力の半分も出す事はできないのだ。
「ば、バッカヤローがぁ!」
 カタパルトとブースターによって矢のように加速するランディのレイノス。その進路上の滑走路が、突如として数メートル近く盛り上がった。地下を掘り進んできたモルガが、滑走路のど真ん中から顔を出したのである。カタパルトの軌道も破壊され、脚をカタパルトに固定されていたレイノスは、次の瞬間にはモルガにつんのめるようにして前方に放り出されていた。
 ランディに運があったとすれば、それはモルガと接触した地点が、滑走路の終端よりも遥かに手前だった事だろう。おかげで、彼の乗るレイノスは滑走路の端ギリギリで停止し、山肌に穿たれた発進口から放り出される事もなく、そこから地面へ向けて翼の折れたレイノスでスカイダイブという事態も避ける事ができた。
『おい!? 生きてるか、ランディ!?』
「痛てて……あぁ、胸クソ悪いオメェの声がよく聞こえるぜ。残念ながらここにゃ、“お転婆”メルヴィンもクレイジー・トニーもいねぇみてぇだ」
 そのあまりの速さのために、遂にはこの世を飛び出してしまったかつてのSGPXパイロットの名を上げながら、ランディは軽口で自分の無事を知らせた。
『……死ねば地獄へ真っ逆さまのオマエが、そんな天国の英雄に会える訳ないだろうが。まぁいい、そっちの始末は任せた』
(ヤロー、テメェは無事に上がれたからって気楽に言いやがるぜ……)
 無駄口は胸の内で零すに止めておいたランディは、横倒しになったコクピットで短身を一揺すりし、負傷の具合を確かめる。幸いにもシートベルトのおかげで、激しく前後に揺さ振られた首が痛む程度のものだった。頚椎の捻挫といった所か。
 続いてレイノスの状態を確認するが、こちらはパイロットより幾分重傷であるようだった。カタパルトから放り出された際に滑走路に打ちつけたらしく、右翼が関節部から派手にへし折れてしまっていた。飛行が不可能なのは間違いない。
 しかし脚部の方は、カタパルトの固定器が軌道から外れてしまったおかげで、目立った損傷を免れる事ができた。下手をすればカタパルトでなく、カタパルトに固定された脚部の方が破損していてもおかしくなかったのだから、これは僥倖と言うべきなのだろう。
「やれやれだぜ、まったく……よっこらせ……」
 残った片翼を巧みに使い、倒れたレイノスを立ち直すランディ。足先に残ったままのカタパルトの部品が邪魔ではあったが、何度か滑走路に打ち付けるとその部品も外れ、歩行への支障は全く無くなった。
「さて、イモムシヤロー。意趣返しといくぜ」
 機体を回頭させたランディの目に、凄まじい速度のレイノスと衝突したはずのモルガが、もう立ち直って周囲の施設にガトリング砲を乱射する光景が飛び込んでくる。体当たり戦法にも耐え得る重装甲は伊達ではないようだ。いつの間にやら、マティスの乗るレイノスが発進したカタパルトレーンからも別のモルガが出現し、穴だらけの第一滑走路はもうゾイドの発進に耐えられる状態ではなくなってしまっている。
(んっ? 連中、手際が良いな……)
 周囲へ派手に砲弾をばら撒いていた二機のモルガ。しかし、それも長い時間ではなかった。まだ基地の守備隊も駆けつけていなかったが、施設へのダメージもそこそこに、もう自分達が出てきた穴へさっさと引き返そうとし始める。
 そこで、立ち直ったランディのレイノスと鉢合わせした。一瞬相手の動きが止まったのは、自分にぶち当たって転げていったレイノスがまだ動けるなどとは、まるで予期していなかったせいかもしれない。
「おいおい、まだ何の持て成しもできてねぇぜ。もうちっとばかり、ゆっくりしてってくれや」
 軽口に合わせ、ランディは穴に潜り込もうとするモルガに対し、愛機のビーム砲を一斉射した。小型ゾイドにしては装甲の分厚いモルガであったが、上級クラスであるレイノスの主砲とあっては、それに耐え切る事はできなかった。頭半分を滑走路に突っ込んだまま、胴体部を撃ち抜かれて一機がその動きを止める。しかしその隙に、もう一機が自分で掘り抜いた穴を使って何処へともなく逃げ去ってしまった。
(……追っかける訳にもいかねぇからな)
 滑走路にポッカリと口を開けた穴へ一瞥をくれてから、ランディは自分で撃破したモルガへと視線を戻した。ようやく駆け付けた守備隊のウネンラギア四機が、四方を取り囲んで銃口を突き付けている。
 モルガの機体には国旗も部隊章も無い。有るのは意匠化されたA.R.O.H.の文字のみ。
(まさかテロリスト共が、自分から軍の施設に仕掛けてくるとは……世も末だな……)
 素人の武装集団とは思えぬ手際の良さだった。目的が明確であり、それを達成すれば躊躇無く離脱する。もしランディのレイノスがあの場所に居合わせなければ、この第一滑走路を襲撃した二機のモルガは、揃ってまんまと基地を脱出していたに違いない。
 しかしそれでいて、四面楚歌の状況に自ら飛び込んでくるその気概。モルガやグランチャーを用いた地底からの奇襲という戦法も、なかなかに実戦的な戦術であろう。
 戦争を知ってはいても戦場を知らぬランディには、自分達の相手が随分と実戦慣れしている連中のように思われる。そして事実、守備隊の銃口に突かれるようにしてモルガから姿を見せたパイロットも、ランディより二回りほども年嵩の、中年から初老と呼べるだけの男だった。
 ランディは、西方大陸戦争期にその名を轟かせたPK師団の逸話を思い返す。ガイロス帝国摂政プロイツェンの親衛隊という彼らの正体は、ゼネバス帝国の復活に命を懸ける老兵の集団であった。今回の場合と、いささか似通ってはいまいか。
(こりゃ、思わぬ難敵かも知れねぇな……)
 傷を負ったレイノスを再び格納庫へと進めるランディは一人、単なるテロリストに止まらぬ彼らの不気味な雰囲気に、背筋が粟立つような薄気味の悪さを覚えるのだった。



『第一段階は成功です。セラー空軍基地の滑走路、発着場は、そのほぼ全てが使用不能。仮復旧にも、最低半日近くは要する模様です。また、モルガ部隊の損害は軽微』
 無線から響く報告を、ラスタヴィユは目を閉じ、半ば聞き流すようにして聞いていた。意識には、自分の判断に必要な要点のみが入り込んでくる。
 ラスタヴィユの姿はパイロットスーツに包まれて、ゾイドのコクピットに収まっていた。彼を取り囲むように設置されたコクピット内の各装置類は、妙に古めかしさが目立つ。
「……隊長機より、各機へ」
 いつの間にか自分への報告の声が消えているのに気付き、ラスタヴィユは通信マイクのスイッチを入れた。
「これより、作戦は第二段階へと移行する。発進準備」
 今一つ気の無い声に応えて、彼の機体のキャノピーが震えだす。周囲に待機するおよそ三十機ほどの飛行ゾイドが一斉に起動した際の、駆動音のためだった。特に滑走路という訳でもないこの平原に翼を並べているのは、そのほとんどがプテラス。そこに数機のレドラーとグレイヴクアマが加わる。どれもが垂直離着陸の能力を持つ機体で、いずれも機体のどこかに、A.R.O.H.のロゴが描かれていた。
 奇妙なのは機種によって、機体の状態に大きな差がある事だった。工場から出荷されたばかりのように装甲を輝かせるグレイヴクアマに対し、プテラスとレドラーの機体には奇妙にくたびれた感がある。経年の劣化とでも言えばいいのだろうか。薄汚れた装甲で身を包んだプテラスやレドラーの中には、不自然なツートーンやスリートーンカラーのものも見受けられた。漠然としたイメージからも、それらが二個一あるいは三個一といった“寄せ集め”の機体である事が窺い知れる。
 しかし機体が新しかろうがボロだろうが、その動きに何ら問題は無かった。プテラスもレドラーも、当然グレイヴクアマも。その身に背負った双翼を一杯に開き、次々に荒野を蹴って大空へと舞い上がる。一分を待たずして、地上に残るのはラスタヴィユのゾイドだけとなった。
 コクピットから見守るラスタヴィユの視線の中で、飛び立った各機は高度を低く取り、北東へと向かってその機影を小さくしていった。
『作戦段階の移行を確認。こちらも行動を開始します……』
 配置されたゲーターが、自分の指示を別働隊へと確実に中継した事を確認してから、ようやくラスタヴィユも機体の出力を上げ始める。両翼に搭載されたマグネッサーシステムが低い唸りを放ち、やがてそれの発生するエネルギーが重量二十トンを超える鋼鉄の獣を宙へと浮かび上がらせた。
 機体は、武装を強化されたプテラス――プテラスボマー。しかし、寸前に離陸していった機体との違いは武装だけではない。プテラスがまるで廃品利用品のような状態だったのに対し、プテラスボマーの方は鮮やかな赤でリペイントされ、少なくとも外見だけは新品同様だった。側頭部には黄色い塗料で、稲妻を模したブリッツマークが、エンブレムとして描き込まれている。
「やっぱり逃げなかったか。変わらないな、オマエ達は……俺と違って……」
 小さな呟きは、マイクのスイッチも切れていた事もあり、口にした本人以外の耳には入らなかった。否、言った本人さえも、自分の口からそんな独白が零れ出た事など気付きもしなかった。
 真っ赤なプテラスは、色々な所でどこか上の空なパイロットを乗せて一度大きく羽ばたくと、他の機体と同様に北東へと向かって飛び去っていく。未だ朝の面影を残す太陽に右側から照らされながら、その姿は小さくなっていった。
 大空の水面に垂らされた血の一滴は、数時間後、空も大地もその朱の色で染め上げる事となる。



『これよりコースを開放致します。特別チケットをお持ちのお客様は、どうぞご自由にコースにお入りください。写真等の撮影も自由となっております。なお、コース内では大変な混雑が予想されますので――』
 レース開始をおよそ三十分後に控えたワールウィンド・サーキット。今そこでは、SGPXヘリックシティグランプリ決勝前の最後のイベントが始まっていた。ホームストレートを見下ろすメインスタンドのゲートが開放され、この瞬間を待ち望んでいたファン達が係員の誘導を受けてそこからコース内へ、そして色も形状も様々なシンカーがスタンドに固定されて並ぶピットロードへ続々とやって来る。一人の者、友人同士、親子など客層は様々だが、ほとんどの者の手に握られたカメラは共通点だ。
 ピットロードで彼らを待ち受けるのは、何もシンカーだけではない。シンカーを固定したスタンドの脇には、見目鮮やかなコスチュームに身を包んだレースクイーン達が居並び、洗練された立ち姿と華やかな笑顔でファンの目を楽しませている。また所々には、シンカーをモチーフにしたSGPXマスコット“レイマ”と“レイヤ”の着ぐるみがうろついており、マシンやキャンギャルにはまだ興味の無い子供達とじゃれている。
 こうなってしまうと、もう人々の目は目前の存在に釘付けだ。ほんの十分前に特別観覧席入りしたヘリック共和国副大統領の事など、誰一人として憶えてもいない。大統領とセットで在任期間も先頃三期目に突入したばかりの副大統領も、その光景を眼下に目にし、自分の任期が丸々残っている事の有難みを嫌と言うほど感じるのだった。
 しかしグランプリ決勝を控えた十五人のパイロット達やチームメイトは、楽しむファンの姿を目にしながら、そこに加わる事はできない。メカニック達は、開け放った点検用のパネルに張り付いてエンジンや種々の機構の最終チェックに余念が無いし、パイロットは既にコクピットに陣取り、こちらもチーム監督との打ち合わせやシステムの確認に神経を集中させている。
 ファネス=サックウィル、ダヴィエ=コンフィグアーチが所属するチーム、“クォア・クー‐チーム‐ブラック・シャドウ”も、当然その例に漏れない。
「どうする、フェイ? アミとのタイムに開きは無い。序盤はアミの後ろで様子を見て、後半オマエの爆発力に懸けるって手もある」
 開放されたままのコクピットの内部に身を乗り出したダヴィエが、既にハーネスで身体を固定し、まるでシンカーBSSの一部となったかのようなファネスに指示を出す。
 他のチームでは、ダヴィエの位置には年かさのチーム監督がいるのが普通だ。大戦に従軍した元海軍のシンカーパイロット。年齢を理由に引退したSGPXやゾイドバトルのシンカーパイロット。SGPXチームの監督は、そういった長い人生の大半をシンカーと共に過ごしてきた人間が務めるのが慣例であるからだ。アミティスのチーム“ネオゼネバス帝国海軍第600飛行隊”でもネオゼネバス帝国の退役軍人が就いているし、ファネスが軍から出場していた時にも大戦で名を馳せた名パイロットが監督としてチームを率いていた。
 しかし現在ファネスのチームの監督は、惑星Zi人としては未だ若年のダヴィエが務めている。これはチームオーナーであるクォア・クー社社長の意向だった。
 大戦の最前線で“喧嘩屋ゴートンの再来”とまで謳われ、更に十二年の歴史を持つSGPXには皆勤というファネスに、SGPXの戦術において口出しできる者などいるはずがないというのが、女社長の言い分だ。そこで便宜上、チーフメカニックであるダヴィエがチーム監督も兼任しているのである。おかげでファネスは誰に口喧しく言われる事もなくレースに臨んでいるが、だからといって羽目を外したりなどしないのが彼という人間だ。
「分かってるだろ、ダフ? アミは手を抜いてついていけるほど、甘い相手じゃない。ヤツとの勝負は、常に全力だ」
 耳元で問い掛けるダヴィエに、ファネスは迷い無い口調で言い放った。
 第一回大会からの十二年間、ファネスとアミティスは何度となく、SGPX史に残る名勝負を繰り返してきた。そして何より、幼馴染の二人。互いの実力は、嫌というほど分かっている。それ故に、ファネスの考えには迷いも無いのだ。
「……そうだったな。そんな小細工が通用するヤツじゃないか……ったく、嫌ってくらい分かってたはずなんだがな……スマン、どうも頭の回りが鈍い……」
「なに、大丈夫だ。始まってしまえば、そんな事は気にする所じゃない」
 渋い顔で、ヘルメット越しに自分の頭をコツコツ叩くダヴィエに、ファネスは労わりの言葉をかける。そして、話しながら思う。ラスタヴィユの事で気を揉んでいるのは、何も自分だけではないのだ、と。
「俺は相手に合わせて走り方を変えられるほど、技術に幅がある人間じゃないからな。ただ、自分が知っている中で一番速い走りをするだけだ。そういう走りなら、俺よりアミティスの方が得意だろうさ……」
 時間を目一杯使ってタイムを削り取っていく予選の走り方からも分かる通り、アミティスの走りには隙が無い。そして、その終着点に至るまでの過程で試行錯誤を繰り返す内に、走りの幅にも厚みが加わり、様々な局面に対応できる適応性、柔軟性も兼ね備えるに至っている。それに対してファネスのスタイルは、自分の感性に従って思うままに走るものだ。アミティスの安定した走りとは正反対に、多少のムラっ気はあるものの、その分ツボにはまった時の爆発力は凄まじく、他の追随を許さない。
 どちらの走りも一長一短であるだけに、がっぷりと組んだ時には互いに譲らぬ激しいドッグファイトとなる。そうなってしまえば、もう下手な小細工の入り込む余地は無く、お互いのスタイルで正面からぶつかり合うだけだ。勝負の行方は、勝利の女神の気紛れに委ねられる事となる。
「そう……オマエの走りは、昔からレイナに似ていたな。ただそれが、オマエがレイナに勝てなかった原因でもあるが……」
「あぁ、アミのヤツも同じさ」
 友人であるレイナ同様、純粋に感覚派のファネス。同じ走り方であるだけに、二人の能力の差がはっきりとした形となって顕れたのである。一方アミティスの方の敗因は、理論派であるにも拘らず感覚派の走りへの理解が足りず、彼女の走りに対応し切れなかった事だった。
 もし二人の走りに多少なりとも互いの要素が加わっていたならば、或いはレイナとの力関係は逆転していたかもしれない。
「でも、そういう問題じゃない。俺達は、自分を曲げずに勝利を掴みたかった。自分の勘で、自分の理論で……自分の――」
『スタート十五分前です。コース内のお客様は係員の誘導に従い、お席へお戻りください。繰り返します――』
 ファネスの呟きは、ざわめきに包まれたピットへのアナウンスで遮られた。二人の足下でひしめいていたカラフルな群集が、緩慢な流れでピットの外へと流れ始める。この光景を見ると、ファネスは近付いてきたグランプリ決勝の予感に気が引き締まるのだ。
「……さぁ、のんびり話してる時間は無い……油圧良し……水温良し……」
 ファネスは言いかけた言葉を苦笑で覆い隠しながら飲み込み、コクピットを覆う計器のチェックへと入った。ダヴィエがあえて言及しなかったのは、決勝に向けてパイロットの集中を乱すまいと考えたせいもあったのだろうが、それ以前に彼は、続く言葉に十分な心当たりがあったのかもしれない。
“自分の……努力で……”
 努力とは、ラスタヴィユの走りを表す言葉だ。倒れても傷ついても、泥臭く走り続けたラスタヴィユの努力は、遂に報われる事は無かったのだが。
「……予選の時にも言ったが、ブースターはかなりピーキーに仕上げてある。スロットル操作には十分気を遣え」
 思わず懐かしさに囚われそうになった自分を律し、ダヴィエもファネス同様、監督兼チーフメカニックとしての役目を果たしていく。集中してやり取りを交わす内に時間は過ぎ、決勝のグリーンシグナルは刻一刻と近付いてきた。
『スタート五分前です。ピットクルーの皆さんはピットロードから退去してください』
 アナウンスに合わせて、メインストレートのコントロールライン上に歩み出たショートヘアのレースクイーンが、“五分前”と表示されたパネルを掲げ、メインスタンドの観客にアピールした。その背後では、ピンナップガールと派手なシンカーをその身に描き込まれたハンマーロックが、レースクイーン同様に両腕で巨大なパネルを頭上に掲げてみせる。
 メインスタンド以外の観客席でレース開始を待つギャラリー。そして、衛星生中継される映像を惑星Ziの各地で見守る数え切れないほどのファン。その光景を実際に目にする事が叶わぬ彼らも、自分達の目の前のモニターを固唾を飲んで見守っている事だろう。
 この頃になるとマシンのチェックも終了し、コクピットのファネスは少しの間、空白の時間を過ごす事となる。募っていくやり場の無い緊張感に、悶々としてしまう時間帯だ。
「この時間のオマエは、いつも暇そうだな」
 そう言うダヴィエも、実際もうやる事が無い。親しい間柄である二人は常日頃からSGPXの戦術研究にも取り組んでおり、あえてこの場で確認しなければならない事が無いからだ。
「……そんな事ないさ。頭の中では、このワールウィンドを限界一杯まで攻め込んでる。さっきも、コースレコードを更新した所さ」
 マシンカラーに合わせた漆黒のヘルメットの調子を直しながら、ファネスはおどけて見せた。その顔には緊張感と興奮が入り混じり、何とも言えない複雑な笑みを浮かべている。
「ふっ、いいツラだ。今度のグランプリ随分と色々あったが、その顔が出れば大丈夫だな。俺も一ファンとして、ファネス=サックウィルの走りに期待させてもらうとするか」
『スタート三分前です。チーム監督は、マシンを離れて下さい』
 まるで狙いすましたかのように響くアナウンス。ダヴィエはファネスの肩を軽く叩き、シンカーのコクピットとピットロードを繋ぐタラップを駆け下りていった。シンカー固定用スタンドの付録のような簡素なタラップは、ダヴィエの荒々しい足取りに不気味な悲鳴を上げつつも、彼を無事に地上へと送り届ける。遂にファネスは一人になった。
(これでもう、気を遣う事も無いか……)
 本来ならば心休まる親友との会話であるはずが、ラスタヴィユの事があるせいでなんとも気の抜けない会話になってしまった。どうしても口には上ってしまうが、決定的な話題とするのは憚られる。その辺りの気遣いでファネスも、そして恐らくはダヴィエの方も、気の抜けない会話を行っていたのだ。ダヴィエがいなくなった事で、逆に肩の力が抜けたように思えたファネスだった。
「まったく……恨むぞラスト……」
『ん? 何か言ったか?』
 ため息混じりに漏れた声は、ヘルメットのマイクに拾われ、無線でピットのダヴィエの耳に入ったらしい。言葉の内容まで伝わらなかった事に安堵しつつ、ファネスは「なんでもない」とだけ応答する。無線にも異常は無いようだ。
(さて、そろそろのはず……)
 最後の最後、ざっと計器をチェックしていると、待ち侘びたそのアナウンスがサーキットに鳴り響いた。同時に十五機のシンカー全機に信号が送信される。
『スタート二分前、各機エンジンスタート!』
 受信した信号により、コクピット内の警告灯が赤から緑へと切り換わった。同時にモニターには、エンジンスタートの指示が浮かび上がる。
 待ってましたとばかりに、ファネスはスイッチ操作でキャノピーを下ろし、開放されていたコクピットに本来の姿を取り戻させた。シンカー独特の機構で、脱出用ビークル兼用のコクピット部は半ばまでが機体内部へと引き込まれる。
「キャノピー、ロック……コクピット、ロック……」
 手早く一通りのチェックを済ませると、いよいよシンカーの目を覚ます。両翼のマグネッサーシステムを最低出力で起動させると同時に、ブースターにも火を入れ、出力を上げればすぐにでも発進できる状態まで機体を持っていく。ファネスの前方でもアイリス・インダストリー社のワークスチーム、“アイリス・スノー”の純白のシンカー“スノー・クリスタル”が、パイロット“スノー=マン”の手によってイオンブースター特有の白んだ炎を機体の後方に吐き出し始めている。恐らくはファネスの後方でも、クォア・クー社ワークスチームの同僚である“マルチーア=ガルシア”が、“シンカーBMS”によって同様の光景を披露している事だろう。
 だが、そういった光景をいつまでも暢気に眺めていられるほど、時間の余裕は無かった。アナウンスが告げる。
『スタート一分前です!』
 四度目の登場となるレースクイーンとハンマーロックがパネルを持ち替えて姿を現すと、それまでざわめきに包まれていたメインスタンドは一転して奇妙な静寂に包まれる。誰もが数日、あるいは数ヶ月も前から指折り数えて待ち続けた瞬間をわずか一分後に控え、喜びを通り越して緊張を覚えていた。
 ファネスも完全に一人となったコクピットで、サーキットを飲み込んだ緊張感にキャノピー越しに身を打たれながら、集中力をいっそう高めていく。コンマ一秒の争いに命を懸けるとあって、研ぎ澄まされた集中力はコクピットにいながらにして、ハンマーロックと共にメインストレートを離れるレースクイーンの、ピンヒールの足音すらも聞き取ってしまいそうだ。無論キャノピーの合金やブースターの騒音にかき消され、実際にはとても叶わないが。
『スタート三十秒前!』
 ここまで来れば、もうできる事などありはしない。スロットルレバーと操縦桿を握り直し、ファネスは黙然とその時を待った。そして遂に――
『それでは……只今より第十二回SGPX最終戦、ヘリックシティグランプリ決勝を開始します!』

[243] 第五章 踏み出す右足 - 2010/05/16(日) 00:39 - MAIL

第五章
ワールウィンド・サーキットにて


『それでは……只今より第十二回SGPX最終戦、ヘリックシティグランプリ決勝を開始します!』
 アナウンスと同時にファネスの横のピットロードを、機体各所のパトランプを鮮やかに回転させながらグレーのシンカー――先導となるセーフティマシンが通過していく。その後に続くのは、予選一位の結果を叩き出し、ニューレコードで堂々のポールポジションを獲得したアミティスの群青のシンカー、“シンカー600”だ。
『さて、いよいよだフェイ。ちょっと行って、総合二連覇達成してこいよ』
 ピットの操作によってシンカーの固定スタンドのロックが解除された事を確認すると、ファネスはダヴィエのおどけた言葉に苦笑しながら、ブースターの出力を飛行可能なレベルまで一気に跳ね上げる。かすかな火花と共に機体の下部をスタンドに擦りながら、総重量二十トンほどの金属のエイは、“クォア・クー‐チーム‐ブラック・シャドウ”のピット前から飛び出していった。
 レース開始の宣言はなされたが、これが本当のスタートではない。着地した状態からのスタートには色々不都合があるシンカーという機体故に、決勝のスタートはローリングスタートという形式で行われる。ローリングスタートとは、予選結果によるグリッド順に一列となった各機が先導に従ってコースを一周走行し、そのまま停止する事無く、グリーンシグナルの点灯でレースに突入するスタート方式だ。原則として各機には、シグナルグリーン後に自機がコントロールラインを通過するまで、前走機の追い抜きは禁止される。
 細かい規則は他にも存在するが、その辺りがルールの骨子だ。静止からの一斉スタートと違って雪崩込むようにレースへと突入してしまうため、見る側からすると少々盛り上がり難いという難点はあるが、各機の間ではライバルを出し抜くための細かな駆け引きが繰り広げられるため、なかなかに奥深いものがあるスタイルでもある。
 ファネスは前を行くアミティス機の尻を追いながら、愛機に急な加減速やバンクを振る等の行為を行わせ、その挙動を確かめる。シンカーBSSは前日の予選と変わらぬ機敏な動きで、ファネスの操縦に応えてくれた。
「ダイブ・イン、サーフェイス……共に異常無し。機体の調子は良好だ、いつもながらうちのメカニックの仕事ぶりには、頭が下がる」
 陸上から水中、そして再び陸上へ。ゾーンの転換時にも機体に問題が出ない事を確認し、ファネスはバックストレートからピットへと連絡を入れる。余裕がある今の内に、自分の我侭に応えてくれた事への感謝を伝える事も忘れない。するとピットからは、チーフメカニックからチーム監督へと肩書きを移したダヴィエの声で返信が入った。
『少しでもそう思ってるなら、是非とも俺達に美味いディナーを御馳走してくれ。シーズン連覇を祝う、クォア・クー社あげての祝勝会でな』
「分かった。精々、腹を空かせておいてくれ」
 恐らく、レース前ではこれが最後になるであろう親友との小気味いい会話を楽しむファネスを乗せ、漆黒のシンカーはレース時に最高速度をマークする高速ゾーンを、滑るような滑らかさで走り抜ける。しかしその小気味良いスピード感も、バックストレートどん詰まりのS字シケインに到達するまでの話だ。無理の無いペースで走る先導のセーフティマシンの減速によって、隊列全体がガクッと速度を落ち込ませながらも、左に右に機体を振って次々と狭いS字コーナーを切り抜けていく。
 そして最後尾十五機目の青とオレンジのシンカー、予選突破組の中で唯一のプライベート参加チームである“パニッシャー・イン・SGPX”の“チェイサー”がシケインに差し掛かる頃、隊列の先頭に一つの変化が起こった。ペースを作りながら一団を引っ張ってきたセーフティマシンが、シケイン出口から最終十六コーナーにかけての短いストレートでコース本道から離脱。先頭をアミティスのシンカー600に譲り、枝道のように伸びるピットロードへと滑り込んでいく。
 こうなると、いよいよスタートも間近だ。これで隊列が整ったまま先頭マシンがコントロールラインに接近すれば、シグナルがグリーンに点灯してそのままレースへと突入する。
 そして、セーフティマシンがコースを去ってから各機がコントロールラインを通過するまでの間が、このローリングスタート方式の最大の見所でもあった。このわずかな時間に繰り広げられる心理戦の結果如何によって、レース序盤の趨勢は大きく左右される。
(さぁ、どう出るアミ……?)
 制限速度に若干のゆとりを持たせながら前を行くシンカー600を見据え、ファネスは眉根を寄せて表情を引き締める。こういう腹の探り合いというのを、ファネスは得意でもなければ好きでもない。しかし勝負とあっては、そこから目を背けて知らぬ存ぜぬを決め込む訳にもいかなかった。歯痒い所である。
 自機がコントロールラインを通過するまで前走機の追い越しが禁止されている以上、前走機が減速すれば後続もそれに従わざるを得ない。それを利用して前走機は、コントロールライン通過直前の減速で後続を足止めし、その隙に最大加速で後続を振り切りつつラインを通過するという戦術が存在する。見てから対応しようとしても難しいが、それに対応しようと構えていては、肩透かしを食らった際にスタート直後の競り合いで確実に競り負ける。その辺りの読み合いが勝負の肝だ。
 後続の方から仕掛けられる策もあるのだが、先述のようにファネスはあまりその手の仕掛けが好きでないため、滅多に実行する事はない。それに対してアミティスの方は、そういうトラップの使い方がなかなかに巧みで、効果的な場面に仕掛けを織り込めるタイプのパイロットだ。そのため、アミティスとの競り合いでは自分の走りばかりに気を取られている訳にはいかない。
 しかし、ウォレスがアミティスの腹を探ろうと思案を巡らせていた時、前を行く青いシンカーに面白い動きが生じた。最終コーナーを立ち上がり、ホームストレートを普段とは段違いのスロースピードで進むシンカー。そんなフォーメーションラップも終盤という状況にも拘らず、ファネスの目の前でアミティスのマシンが、左右に二回ずつ大きく蛇行したのだ。
「な、なんだ?」
 衝突を避けるために慌てて減速しながら、ファネスは首を傾げる。観客席やテレビモニターの前で見守るファン達も、恐らくはファネスと同じように顔に疑問符を浮かべている事だろう。機体の挙動確認ならば、フォーメーションラップ早々に済ませているのを、ファネスも目撃している。トラップの類にしては、いくらなんでも不自然だ。とすると、今の行為に果たしてどのような意味があるのか。
(――! そうか、アミのヤツ……)
 視界に重なる情景。答えは、ファネスの遠い記憶の中に隠されていた。モトに跨り、ワインディングでじゃれ合って遊んでいた頃の事だ。
 下りのワインディング勝負のために、編隊を組んで坂道を駆け上がる、青と黒の二台のモト。何も無い直線で、青い車体が右へ左へと鮮やかに翻る。それは走り屋仲間の間で、アミティスと対する際の暗黙の了解であった。理論派で、前からも後ろからもライバルを揺さ振る術に長けたアミティスからの、小細工抜き、純粋に速さのみを競う真っ向勝負の挑戦状。
 二十年近くもモトとワインディングから遠ざかり、すっかり忘却の彼方に追いやられていた記憶。袂を分かって三年間、最大の好敵手となって鎬を削ったSGPX三十戦の内でも、アミティスがこんな行動に出たのはこれが初めてだった。嫌になるほど過去の記憶と向き合ったこの数日間で、アミティスも彼なりに思う所があったのだろう。
『フェイ、アミの今の動きは……』
 モニターを通してコース上の状況を見守っているピットでも、ダヴィエが気付いたらしかった。ヘルメット内のスピーカーから響く声には、確かに懐かしさが滲んでいた。
「あぁ、願ってもない申し出さ。この大一番には御誂え向きだろう?」
『……そうだな。もうこうなったら、オマエ達の走りでグランプリ・ジャックでもして見せろ』
「そうだな……それも面白いかもしれないな……」
 ダヴィエの声に後押しされるように、愛機のスロットル開度を徐々に上げていくファネス。目の前の青いシンカー越しに、地面に描かれた白黒のチェック模様――コントロールラインと、その直上に鮮紅の光を湛えたシグナルランプが窺える。そして、ランプの光が一斉にグリーンに――
(勝負だ、アミ!)
 群青と漆黒のシンカーは、ほとんど横並びになってコントロールラインを通過した。その瞬間本当の意味で、ヘリックシティグランプリ決勝の火蓋が切って落とされた。



『各機、フルスロットルでコントロールラインを通過し、全三十周の長い戦いへ続々と突入していきます! 先陣を切るのは“ネオゼネバス帝国海軍第600飛行隊”のアミティス=アミ。そしてディフェンディングチャンピオン、“クォア・クー‐チーム‐ブラック・シャドウ”のファネス=サックウィル! シーズンチャンピオンの栄光を目指し、ヴィンデスアイレ・サーキットのホームストレートを二機が突き進みます! それを予選四位、ガイロス帝国軍“ドンナー”のシメオン=デュクロが追い、先頭集団を形成! 今、第一コーナーを抜けて第二コーナーへ!』
 ホームストレートを駆け抜けていく色とりどりのシンカー。その勇姿に、満員御礼となったメインスタンドは総立ちとなり、衝撃波の域にも達する大歓声を叩きつける。この時ばかりは男も女も、老いも若きも関係は無い。この日、この時のサーキットに駆けつけたという共通点のみで、十万を優に超える人間達が一つの塊となり、エネルギーを爆発させる。
『わずかに遅れる四位グループ! 予選三位のランカスコーが前を行く三機を狙います!』
 こちらも十二分に興奮しているらしきアナウンサーであったが、拡声器を通しているといっても所詮は一人の声。実況も、熱狂する大観衆の咆哮に飲まれ気味だ。
『ホーカンソン、ランバーと続き、ここでシーズンチャンピオンを狙う最後の一人、アルヒョンド=レイナーの“シンカー601”が第一コーナーを抜けます! 王座を争うサックウィル、アミに大きく遅れ、現在七番手!』
 チャンピオンの可能性を未だ残すアルヒョンド=レイナーであるが、優勝のためには自分がヘリックシティグランプリを制した上で、ポイントランキングで首位をいくファネスが最下位あるいはリタイア、二位のアミティスが五位以下の結果に終わらなければならないというかなり厳しい条件がある。事実上不可能とも思える状況だが、シンカー601のワインレッドの機影は猛烈なプッシュをかけ、前を行くアンテル=ランバーのシンカー“イーグル・レイ”の黄色いテールをつつき回す。パイロットもシンカーも、ここで諦めるつもりは毛頭無いようだ。
『八位以降は完全に団子状態! 八機がもつれるようにして第一コーナーへ突入しま――ああっ、接触です!』
 スタンドの歓声が、一瞬でどよめきへと転じる。コーナー進入時、最後の最後まで互いに引かなかったハルマ・マトリクス社ワークス“トワイライト・ウェーブ”のコニー・レヴィン、西方大陸小国家タルカスのワークスチーム“タルカス・トループ”のカイル=カシム。二人が操縦する“クラレット”の赤い機影と“グリーン・フィン”の緑の機影が、その翼を激しく打ち合わせた。二機の接触部分から鮮やかな火花が飛び散り、共にその挙動を大きく乱す。そして、漁夫の利を得る形で集団を抜け出したのは――
『失速した二機の間を、予選突破チーム中唯一のプライベーター“パニッシャー・イン・SGPX”のビート=シェルベンが潜り抜けます! これでシェルベンは単独八位浮上! マルチーア=ガルシア、スノー=マン、アイリーン=サノーが続きます!』
 レース開始早々のハプニングは、予選で下位に甘んじた面々――各企業系ワークスチームやプライベーターにとり、大きなチャンスとなった。出遅れた者達も、接触した二機をパスして懸命の追い上げを開始する。
 総勢十五機のシンカーは、のっけから波乱の展開を伴って第一コーナーを通過していった。
『第五コーナーを抜け、各機が続々とダイブ・イン! 変わらず先頭のアミが、水中でも一団を引っ張っていきます!』
 第五コーナー後の短い直線で、舞台は陸上から水中へと移る。寸前まで熾烈なドッグファイトを演じていたアミティスとファネスであったが、ブースターの違いから水中を不得手とするファネスのシンカーBSSが徐々に遅れを見せ始める。そしてそこに、三位につけていた先頭集団の残る一機、シメオン=デュクロのSDSが襲い掛かる――と、見えたのだが。
『おぉっと、速い速い! 共和国軍のエース――ランカスコー、水中ゾーンで一気にペースアップ! 先頭集団との差を瞬く間に縮め、デュクロに迫ります!』
 スタートで出遅れたドメル=ランカスコーであったが、そこは十八番の水中ゾーンである。各機がペースを落ち込ませる中、エースの名に恥じぬスピードを発揮し、コーナー二つでデュクロの後ろを取って見せた。アンテル=ランバーのイーグル・レイ、エジアン=ビアンキのエイザーも“水の共和国軍”の名に恥じぬスピードを見せるが、やはりランカスコーには及ばない。
 しかしそこに待ったをかけたのが、共和国軍と技術交流があるZOITEC社であった。
『どうやら下位集団にも動きがあるようです! ZOITEC社のサノーとウィルキンソンが、共に順位を一つずつ上げてきました!』
 サノーは十位へ、ウィルキンソンは十二位へ。直線区間で、前走機を易々と抜き去っての事である。
『最終戦にも拘らず、新ブースターを投入してきたZOITEC社! 予選での苦戦が嘘のようです!』
 このヘリックシティグランプリに、ZOITEC社は新型イオンブースターを投入していた。グランプリ開始前には、シーズンチャンピオンの行方と並んでファンの話題をさらっていたが、予選開始と同時にその声は失望へと変わった。新ブースターの叩き出したタイムは、イオンブースターの雄――共和国軍ワークスチームに迫るどころか、他のチームと同程度のレベルでしかなかったのである。
 しかしそれは、少々性急に過ぎた投入が招いた代償でしかなく、予選全セクションのデータを基にようやく調整を完了した新ブースターは、遂に本来の姿を白日の下に曝け出した。その性能は当初の噂通り、共和国軍ワークスチームのお株を奪う、素晴らしいものであった。
 ヴィンデスアイレ・サーキットの水中ゾーンは、点在する六個の中〜低速コーナーを直線で結んだだけのシンプルな構成で、ブースターの性能差が顕著にあらわれるレイアウトとなっている。新ブースターの効果は絶大だった。ノウハウの絶対的な不足から性能に限度がある下位の企業系ワークスでは、その大攻勢に歯が立たない。
『止まりません、止まりませんZOITEC! サノー、ウィルキンソン、再び順位が上がります! 現在、九位と十一位!』
 結局ZOITECの両パイロットは、水中ゾーンにおいて順位を二つずつ上げ、地上へとサーフェイスしていった。二周目以降での上位集団との絡みが待たれる形となる。
 しかし破竹の快進撃も、現状では下位集団での一コマに過ぎない。第九位のサノー機――ゲイルが地上ゾーンへと復帰した時には、アミティス、ファネス、デュクロ、ランカスコーの四人が形成する先頭集団は、既にバックストレート中盤に設けられた右の高速コーナー――第十三コーナーを通過していた。
 水中ゾーンでシンカー600に後れを取ったシンカーBSSであったが、バックストレートにおいてロケットブースターの大パワーを遺憾なく発揮し、奪われた距離を取り戻す。首位の奪取には至らなかったが、形勢は再び五分の状態へと戻った。そこへ三、四位の二機が必死で食い下がり、バックストレートの長い直線を四機で駆け抜けていく。そしてその終わりに待ち受けるのは、S字のシケインだ。
『先頭集団、四機が固まってシケインに突っ込みます! さぁ、ブレーキング勝負になるぅ!』
 ヴィンデスアイレ・サーキットの最高速度を記録する、直線区間からの低速コーナー進入。単機で走行するのであれば特に何という事もないのだが、すぐ隣に競う相手がいるとなれば途端に話は変わってくる。ライバルよりコンマ一秒でも早くコーナーに進入し、自分に有利な走行ラインを確保したい。そんなパイロット達の願望がギリギリのレイトブレーキングを敢行させ、結果としてミスを誘う。限界以上のスピードで飛び込んでしまったシンカーはラインを膨らませ、操縦者の思惑に反して敵を利する事となってしまうのだ。パッシングポイントの一つとして、新サーキットの中でも注目のコーナーとなっている。
『アミ、サックウィル、共に譲りません! サイド・バイ・サイドでシケインへ! デュクロ、ランカスコーは二機の後に続きます!』
 サーキットの道幅は、シンカー三機を横に並べた以上の広さがある。デュクロとランカスコーのどちらかは一位、二位のドッグファイトに割って入る事もできたのだが、両機は共に一歩引いたらしかった。レースはまだ一周目であり、チャンスはこれから幾らでも転がり込んでくる。しかしどんなに素晴らしいチャンスであっても、その時コース上に居なければそれを活かす事はできない。
 そう考えると、アミティスとファネスの走りは一周目にしては明らかに冷静さを欠いていた。しかしそんな無茶に興じる姿にこそ、観客は熱狂するのである。
 首位を争う黒と青のシンカーは、装備したエアブレーキを展開。急激に増した空気抵抗と失速の影響で、機体はこれでもかとばかりに暴れまわる。おかげで、並び合った二機の翼は接触寸前となるが、二人のパイロットは挙動の乱れを力と技で捻じ伏せ、微塵の躊躇いも無く愛機をシケインへと放り込む。
 左、右と続くS字シケイン。二機は機体を、ほぼ同時に左へバンクさせた。インはシンカーBSSが占め、アウト側からシンカー600がラインを被せていく。
 二機の描く軌跡が直線から曲線へと変じるや、横並びだった二機の位置関係にも変化が生じた。最短距離となるイン側を行くシンカーBSSが、ジリジリと前へ出ていく。ほぼ同じ速度でコーナーに進入したのだから当然である。
 しかし、それでシンカーBSSが競り勝って終わりなどと、単純に事は済まなかった。そのまま首位に躍り出るかと思えたシンカーBSSが、コーナー半ばで機体のバンク角を更に深くし、それでも足りずに減速を行う。走行ラインがよりタイトになるイン側では、同じ進入速度であってもまだスピードが乗り過ぎていたのだ。その一方で、アウト側を行くシンカー600は、ライバルと対照的に理想的なラインをスムーズなコーナーリングで滑り抜ける。
 そして、続く右コーナーでインとアウトが逆転する。失速し、走りの乱れたシンカーBSSに成す術は無く、自分を右側から抜き去っていくシンカー600の青い機体を黙って見送る事しかできなかった。結局S字シケインを終えて順位の変動は無く、また二機の間に決定的なマージンが生まれる事も無かった。
 一周目とは思えぬデッドヒートを演じた二機と、その後に続く二機。先頭集団はそのままの位置関係を崩さずに最終の右ヘアピンコーナーをクリアし、大観衆の待ち受けるホームストレートへと帰還する。四機が、順次コントロールラインを通過する頃には、後続のシンカー達も続々とホームストレートに姿を現し、惜しみない歓声にその身を晒す。
 先頭の四機に続き、シーズンチャンピオンの可能性が残るレイナーが、地上高速区間で共和国軍のランバーをかわして六位に浮上。
 唯一のプライベーター――シェルベンは、序盤のハプニングで掴んだ順位を何とか守り切って八位。
 新型ブースターを駆り、水中ゾーンで快進撃を見せたZOITEC社ワークスチームのサノーも、順位を保持して九位で一周目を終了。ウィルキンソンの方は地上でも更に順位を上げて、それに続く十位のポジションを獲得している。
 第一コーナーで接触を起こしたレヴィンとカシムの二人は、やはり一周でミスを埋め合わせる事は叶わず、お互い十四位、十五位と最下位争いを演じていた。
『接触あり、快進撃ありと波乱含みの一周目で幕を開きました、ヘリックシティグランプリ! 残りの二十九周も、目が離せない展開が続きそうです! 第一コーナーを抜けたサックウィルが――』
 アナウンサーの言うとおり、ヘリックシティグランプリは第十二回SGPXのシーズン最終戦に相応しい、波乱の幕開けとなった。一周目からこれほどファンの目を楽しませるグランプリもそうは無い。
“今日は何が起きてもおかしくない”
 挙句は、訳知り顔でそんな言葉を口にする者も現れる始末だ。しかしそんな彼らも、数十分後に自分の命に関わる大事件が勃発するなどとは想像もしていなかった。また想像できる立場の者達であっても、心のどこかで“まさか”と高をくくり、敢えてそれについての思考を改めて巡らせようとはせず、目前で展開される熱戦にただただ心を奪われていた。
 十五人の選ばれしパイロット達は、決して辿り着けないものであるとも知らず、栄光のゴールを目指して愛機のシンカーを疾駆させ続けるのだった……。



(コイツは……ちょっとばかり理不尽ってもんだろう……)
 決して広くはない飛行ゾイドのコクピットに収まりながら、男はアクの強いヒゲ面の眉をひそめる。単座のコクピットにそれを見咎める者などいはしないが、たとえ居合わせた所で、顔全体をメット、バイザー、酸素マスクの三つに覆われていては表情を窺い知る事もできはしないだろう。
 口に出してはいなくても、男の言い分はもっともだった。確かに彼の――延いては彼らの仕事振りは、受けた扱いに対してそう主張できるだけのものであった。
 ヘリックシティグランプリ決勝の開会式。彼と彼の率いるチーム――共和国セラー空軍基地に所属するアクロバットチームのトリック・スターは、そこで素晴らしい演技を披露した。観衆の誰もが息を飲み、目を奪われる、そんな展示飛行である。
 しかし帰還の途についた彼らにセラー空軍基地からもたらされた通信が運んできたのは、展示飛行の成功を労う祝福の言葉だけではなく、ヘリックシティの南西山間部に出現した複数の未確認機の調査を命じる、無体な命令だった。なんでも基地の方に、邀撃機を寄越せない事情があるらしいのだが。
「……丸腰の編隊を、補給も無しで送り出さなきゃいけない程の事情なんだろうな?」
 戦闘となったら一体全体どうしろというのか。しかし命令の理不尽さは発令者の側でも十分認識しているらしく、展示飛行で編隊を組んだネオゼネバス帝国空軍のアクロバットチーム――“グリューエン・シュトラール”は、客人という事で早々にセラー空軍基地へ呼び戻されている。もっとも、他国軍の部隊を作戦行動に加えられる訳もないのは当然の話だ。
『もうそれくらいで勘弁してくれ、トリック・スター。クロケットからも応援が上がってるし、戻ったらおたくら四人には祝杯も兼ねて、俺が責任持って奢らせてもらう』
 独り言のつもりだったが、耳聡く聞きつけた顔馴染みの管制官は、参ったとでも言わんばかりの口調で通信越しにぼやいた。彼が単なる伝令役に過ぎず、また本人も罪悪感を覚えているという事で、トリック・スターを率いるボリス少佐はそれ以上の文句を止め、与えられた任務に集中する。
「アンノウンの現在位置は?」
『……ダメだ。山岳地帯に入ってこちら、レーダーに現れたり消えたりで……完全に山岳地帯を隠れ蓑にしてる……』
 しかし、任務に集中すると決意した直後の、管制官の頼りない言葉。ボリスは、改めて頭を抱えたくなった。
 ヘリックシティ周辺は、高地と低地が入り乱れる山岳地帯だ。その高度によっては、首都防空の要であるセラー空軍基地の広域レーダーでも、機影を捉え切れない事は十分にある。それに備えた対処を行うのが本来の戦略の姿なのであろうが、そこは十年来の平和な時勢。削減されるばかりの軍事費と、その一方で終戦時より確実な進歩を遂げた技術が、上層部の判断を狂わせていた。
 セラー基地のレーダーからも漏れが出る、入り組んだ地形の山岳地帯。そこをカバーするのは当然、要所に点在するレーダー施設である。しかし、それらの維持はまさに金食い虫であり、そこに費やされる手間やコストに軍上層部も頭を痛めていた。そして遂には、来るかどうかも分からない敵への対処にそんな労力を割くよりも、眼前に迫る軍事費削減という強敵の方が余程に問題であるという意識が、首脳部に蔓延し始めるに至る。
 その結果、山岳地帯のレーダーはその数を減らし、浮いたコストがクロケット、グラント、グレイといった共和国平原部の軍事施設へと向けられた。それも技術力の向上を理由にした微々たる強化だったのだが、それをもって首脳部は山岳地帯への侵入を阻む事を目的とした国防体制とし、減じたレーダーとの帳尻を合わせたのだ。一時的な出費で済ませるのだから、恒久的に消費され続けるコストよりも安上がりなのは当然の話だ。
(それがまぁ……蓋を開ければこのザマか……)
 平原部で止めるどころか、未確認機に山岳部への侵入を許した上に、満足に相手を捕捉する事もできない。何も金をケチったばかりが理由でもないのだろうが、編隊長として部下の命を預かる立場のボリスにしてみれば、現場を知らない背広組や派手な階級章をぶら下げた高級将校という面々に、一言毒づきたくなるのも無理からぬ所であった。もっともアクロバットチームの編隊長では、偉そうに語れるほどに国防の現場と縁がある訳でもないのだが。
『トリック・スター。データリンクを終了し、貴機のレーダーでの索敵を開始せよ。セラー基地のレーダーでは、アンノウンを捕捉できない』
「寝言ぬかすな。とっくにやってる」
 彼らトリック・スターをここまで導いてきたのは、セラー基地からの誘導であった。だが向こうのレーダーで相手を捉えられないのでは、もうそれに頼る事もできない。ここからは、作動を開始したレイノス搭載の3D電子式レーダーが威力を発揮する。
「いた……アンノウンをレーダーに捕捉!」
 レイノスのレーダースクリーンには、いくつかの輝点が輝く。ディスプレイにも、補足した機体の位置を示す矢印が表示された。右下方、眼下に見下ろす山並みの中だ。レイノスを操り、捕捉した未確認機へと機首を振り向ける。ディスプレイ内に入ってきた機体がカーソルに囲まれ、肉眼での確認も容易となった。付随して表示される相手の高度やこちらとの相対距離など、諸々のデータをボリスは読み取っていったのだが……
「んっ……な、なんだこの数は!?」
 目の前で起こっている事が現実であると、ボリスは最初認識できなかった。否、認めたくなかっただけかもしれない。ボリスの視線の先で、レーダースクリーンには次々と新しい輝点が表示されていき、最終的に未確認機と目されるレーダーの反応は、合計でなんと三十を数えてしまったのである。飛行隊にして、容易く三〜四個以上に匹敵する大編隊だった。
「複数どころの騒ぎじゃない……アンノウンの数は三十機以上! 全機、北東方面へ移動中!」
 北東とは、今まさにトリック・スター一行がレイノスを駆って飛んできた方向である。幾つかの編隊に別れ、細い山間を縫うようにして飛行する未確認機の群れ。その進行方向に、ヘリック共和国の首都たるヘリックシティの街並みがあるのは間違いなかった。
「むぅ……」
 この時、ボリスの胸中でどのような葛藤が繰り広げられたのか。彼の立場を考えれば、想像する事はそう難しくない。要は何を守るのかという事だ。
 編隊を預かる隊長として部下を守るのか。
 それとも軍人としての務めを果たし、国民を守るのか。
 乗り込むゾイドが丸腰のレイノス四機では、取り得る選択肢は二つに一つ。両立は有り得なかった。
『トリック・スター、帰還しろ! 現在の装備では対処できない!』
 トリック・スターからのデータを受け取ったセラー空軍基地では、状況を即座に確認し、現実的な対応策を促してくる。管制官の言葉はこの場合まったく正しく、あえてボリスが国民を守る道を選択したとしても、アクロバットショー帰りの四機のレイノスでは三十機からの空戦ゾイドをどうできるはずもなかった。
 72mmバルカンの弾倉は空、対空ミサイルの搭載も無い。ブースター燃料は重量の関係上、展示飛行用に最低限の量しか積んでこなかったため、タンクはほとんど空の状態だ。全開機動には耐えられないと言っていい。主砲の3連装ビーム砲に限ってはゾイドコアからのエネルギー供給で使用が可能だが、レイノス自体の稼働時間が代償とされるだろう。
 無論、パイロットとして素人ではないボリスにとって、こんな事柄は改めて確認する事でもない。基地側にしても装備の状況を承知の上で、“レーダーで捕捉不能の未確認機を直接確認させる”という限定的な任務にトリック・スターを送り込んだのである。その手に余る事態とあっては、帰還を促すのは当然だ。
 第一、ボリスを始めとするトリック・スターのパイロットには、決定的に不足しているものがあった。実戦経験である。
 数年前、大戦を生き延びた熟練パイロットを一新し、メンバーの世代交代を図ったトリック・スター。新生チームは、長命の惑星Zi人としては若手と呼べる年齢の者達で構成された。それは即ち戦争を知らない世代であり、実戦経験など首都に接近した未確認機を追い散らした程度のものなのであった。
“花火でなく、高射砲のお出迎えで空を飛んだ事があるか? 機銃弾が機体の装甲を食い破る音を、その耳で聞いた事があるのか? 貴様らには墜落する心配はあっても、撃墜される心配は無いだろうが!”
 ある展示飛行の終了後、軽口を叩くチームメイトへ先代のトリック・スターパイロットが言い放った辛辣な言葉が、ボリスの脳裏をよぎる。どんなに息巻いた所で、自分達はショーマンでしかないのかもしれない。
(だが――)
 ボリスの軍人としての義務感が警鐘を鳴らす。
(もし、応援の到着が間に合わなければ……)
 飛行ゾイドを駆る相手の足は速い。応援の到着と、未確認機群のヘリックシティ到達。果たしてどちらが先になるか。間に合わなければ最悪の場合、首都の空が朱に染まる。
『編隊長、尻尾巻いて逃げるんですか?』
『俺達ゃ、こんな派手な“空軍の看板”晒してるんですよ? トリック・スターの名が泣くってもんです』
『逃げるなんて癪ですよ。いっちょやりましょう!』
 息を巻く僚機のパイロット達も、管制官とは逆のベクトルへとボリスの背中を押す。アクロバットチームへの入隊を認められるほどの連中だけに、自分の腕前は空軍一との自負があるようだ。三十対四の戦力差でも、微塵も臆した様子は無い。
(まったく……頼りになる連中だ……)
 怖いもの知らずの仲間達の声が、ボリスの弱気を拭っていく。
『トリック・スター!』
『編隊長!』
 状況が、ボリスに決断を迫る。こちらがレーダーに捕捉した瞬間、その事実は未確認機の方にも伝わっている。じきに何らかの行動を起こすだろう。
「……よし!」
 ボリスは遂に腹を括った。右の眼下に見える未確認機の群れに向かい、機体をバンクさせて降下に入る。
『そうこなくっちゃあっ!』
 ボリスに続く僚機達。黄色いレイノス四機は、まるで展示飛行のように揃った軌道を空に描き、山並みへと舞い降りていった。その姿を整った編隊行動と見るか、戦闘機動をショーと同じに考えていると見るかは、意見の分かれる所だが。
『トリック・スター! 何をしている! 戦闘の許可は出していない!』
「なに、挨拶だよ挨拶。ヘリックシティへのお客を、クロケットの連中だけで持て成すってのは、どうかと思うだろう?」
 なんだかんだと気を揉んだボリスだったが、彼も元来、難しく考えるのは好きな方ではない。決断してしまえば、後は行動あるのみだ。
『寝言を言うな、トリック・スター! 丸腰で何ができる!』
『ビームは使えるし、クローもある。格闘戦ならお手のもんだ!』
 ボリスでなく、トリック・スターの三番機パイロットが威勢よく応じる。彼の言うとおり、両翼と両脚のクローだけが、今のレイノスが通常時同様に使用できる唯一の兵装だった。そしてそれを利用した格闘戦こそ、操縦の腕前を買われてトリック・スターのパイロットとなった彼ら四人の真骨頂と言えた。
 飛行ゾイドの場合単純な戦闘機と違い、格闘戦と言えば文字通りの格闘戦――爪やウイングソードを使用した肉弾戦だ。トリック・スターでは操縦技術向上のため、近距離でのドッグファイトも含めた格闘戦技の訓練も行っている。それで何者かに後れを取るような事態があれば、トリック・スターの看板は直ちに下ろさねばなるまい。
『機体も軽い今なら、むしろ好都合さ。それにな……』
 三番機パイロットの言葉を補足し、ボリスは続けた。
『向こうさんも、やる気満々だ』
 未確認機群に表れた変化を、ボリスの目は当然見て取っていた。三十機からなる飛行ゾイドの一部――ちょうど十機ほどが集団から離れ、彼らの方へ向かってくる。
「……聞こえるだろう? もう後戻りはできんよ」
 狭苦しいコクピットでこだまする警報音は、向かってくる未確認機の一団がレーダーを起動し、ボリス達の機体を捕捉した証拠だ。しかもその音響は、ボリスが一呼吸した所でより耳障りな警告音へと取って代わられた。
 点灯する警告ランプを読み取るまでもなく、それがミサイルアラートである事を認識してボリスの身は総毛立つ。今までどこか遠い場所のように思っていた“戦場”という領域に、こんなにもあっさりと自分が踏み込めてしまった事に驚きすらも感じてしまうのだった。
『み、ミサイルの発射を確認! 着弾まで十秒……!』
「はっ! 穴蔵暮らしは暢気で結構だな!」
 管制官に警告されるまでもなく、白煙の尾を引くミサイル数発が、接近する十機を追い越して自分達目掛けて殺到してくるのを、ボリスもその目で捉えていた。嫌でも高まっていく実戦の緊張感に、ともすれば弱気に沈んでしまいそうな己の意識を鼓舞するため、ボリスは殊更に軽薄な口調でマイクの向こうに啖呵を切ってみせた。
「よし、行くぞ! トリック・スターの名折れになるような、不様な飛び方だけはするんじゃねぇぞ!」
 威勢のいいセリフで仲間を引き連れ、ボリスは機体を増速させつつ降下する。頭の中に思い描く、ミサイル回避のための軌道をなぞるようにして。
 トリック・スターのレイノスが今、初めて戦場の空を舞う。その美しい翼を紅く染めるのは、敵の返り血であろうか。それとも――



(……やるな……相変わらず……)
 なにも闘う者同士、互いに血を流し合うばかりが戦場ではない。集う者達が命を懸けて闘っているという点においては、このワールウィンド・サーキットも戦場である事に違いなかった。
 彼方の空で物騒な出来事が幕を開けた事も知らず、現在ヘリックシティグランプリは中盤の折り返し地点に差し掛かろうかという所。今までひたすらに前だけを見て走り続けてきた者達が、そろそろ駆け引きの妙に興じだす頃合だ。
(さて……この隙の無い走りに、どうやって風穴を開けてやろうか……)
 ファネスは、目前で揺れる青いシンカーのテールを睨み付けながら思案を巡らせる。彼の順位は現在第二位であり、その位置付けはスターティンググリッドの段階からただの一度として変わらぬまま現在に至っている。言うまでもなくファネスの前を行くシンカーは、アミティスの駆るシンカー600だ。
 グランプリ開幕早々からテール・トゥ・ノーズ、そして時にはサイド・バイ・サイドでのドッグファイトを展開してきたファネスとアミティス。しかし二人の速さに決定的な差は無く、結果としてファネスがアミティスの前に出る事は無かった。少なくとも現在の段階では、アミティスの堅実で隙の無い走りに、ファネスの走りの爆発力が及んでいないという事になるだろう。チェッカーフラッグが振られるまでこの状態が続くかどうか、無論何の保証も無いが。
 そして、局面にそんな変化をもたらすかもしれない要因が、このグランプリ中盤には待ち受けている。マシンの燃料補給のためのピットインである。
『フェイ、そろそろシンカーも腹を空かせ始めた頃だろう?』
「あぁ、フィーリングもかなり軽くなってきた……」
 機体軽量化のために施された燃料タンクの小型化と、大パワーを生み出さんがために行われるブースターの高出力化。二つの要因が重なった当然の結果として、数十周――およそ一時間のグランプリの間に最低一回、ブースターの燃料を補給する必要が生じた。それまでどれほどの快走を披露していたマシンでも、燃料タンクが満たされるまでの間は、ピットに完全に停止しなければならない。
 たかだか数分間、それも全てのパイロットに平等に課せられるロスタイムであるにも拘らず、多くのグランプリにおいてこのピットインが、前半までのレース展開を一変させる切っ掛けとなってきた。快進撃の勢いは途切れ、逆に焦燥で火照った追う者の頭は適度な休憩を挟んで冷静さを取り戻す。
 言うまでもなく、駆け引きの対象はオカルティックな精神面だけに止まらない。ライバルに引けを取らない技術を持っていながら、ピット作業の優劣で涙を呑んだパイロットはいくらでもいるし、均衡していたデッドヒートがピットインのタイミング一つで明暗を分けた例も枚挙に暇が無い。小型化されたとは言っても、燃料タンクが空の状態と満タンの状態とでは機体重量も大きく変わってくるため、ラップタイムにも自ずと影響が出るという訳だ。機体が軽い状態で走行すればタイムは良くなるが、一つ間違えば燃料切れでリタイアという事態も有り得る。
 他にも燃料の補給量等、どんな些細な事柄でもレースの展開を左右する要素となりかねない。そしてそこには唯一の正解など存在せず、状況、相手の出方如何によって最適な解答はいくらでも変わってくるのだ。パイロットも、ピットクルーも、常にその答えを追い求めている。
『アミのピットも慌しくなってきてる。この周は無さそうだが、次かその次って所か……フェイ、オマエのピットインは次の周だ』
「了解」
 ダヴィエの指示に、ファネスは言葉少なな応答を送る。走りに集中している段では、ピットとの会話にそう意識を割く訳にもいかない。何よりファネスは、チーフメカニックでありチーム監督である親友の判断に全幅の信頼を寄せていた。
 ピットインの前に周回を重ねれば重ねるほど、パイロットには有利となる。軽くなったマシンによりラップタイムは縮まり、また残りの周回を少なくする事で燃料の補給量を減らして、こちらでも機体の軽量化によりタイムの向上を図る事ができるからだ。終始一貫したムダの無い走りを重ねるアミティスのスタイルならば、一周辺りの燃料消費量まで計算し、この要素を完全に作戦に組み込む事ができる。しかしファネスの走りは、ここ一番の爆発力ではアミティスの堅実な走りを上回るものの、ムラっ気が多いせいで計算が立たないのだ。一周で消費する燃料もアミティスと比べれば遥かにバラつきがあるため、ギリギリを狙うと燃料切れの危険が出てきてしまう。
 そこで、ダヴィエの出番となる。技術屋としてメカにも精通し、また昔取ったナントカというヤツで勝負の駆け引きにも明るい彼ならば、状況に即した判断を下す事ができるのだ。チーム監督としてこれ以上の人材はいないと、ファネスも考えている。
 当然目の前の青いシンカーの尻を追いかける事に意識のほとんどを振り向けている今のファネスが、そんなダヴィエの指示にあえて異を唱える事は無かった。もしファネスが、この状況でダヴィエの言葉を反故にするような事態が起こり得るとするなら、それは理性の鎖で繋がれた意識の判断ではなく、走りに対する彼の本能がさせた行為であるはずだった。
(アミ――!)
 ダヴィエがピットインを指示した周回。ファネスの前を行くアミティスの走りに、レース開始以降初めてとなる異変が生じた。二本のバックストレートを繋ぐ右の第十三コーナーでの出来事である。
 一本目のバックストレートを、ファネスのシンカーBSSを引き連れて猛然と駆け抜けたアミティスの青いシンカー――シンカー600。投げ放たれたジャベリンの如きその鋭さにより、件の第十三コーナー入り口で周回遅れのマシンに追いつく。一旦は順位を八位まで上げながらも、レース中盤にして結局十四位にまで下降してきたプライベーターのビート=シェルベン操る“チェイサー”。一周目での接触アクシデントにより下位での低迷を続け、現在十三位のコニー=レヴィン搭乗の“クラレット”。この二機である。
 ファネスの目の前で、シンカー600の青い機体が走行ラインをコーナーの内側へ振り、インのわずかな隙間を狙って二機の周回遅れを一気にパスしにかかった。アミティスの隙の無い技量とシンカー600の性能が生み出す圧倒的な速さならば、この二機をゴボウ抜きする事など造作も無いはずだった。
 しかしアミティスよりも一瞬早く動いたのが、シェルベンのチェイサーである。彼はアミティスが追い越しをかける寸前に第十三コーナーのイン側へと躍り出て、コニー=レヴィンに勝負を挑んでいた。飛び出してきたチェイサーにより進路を塞がれたシンカー600は、エアブレーキを咄嗟に展開して急減速する。フラフラと機体が揺れるのは、急制動で暴れる機体を操縦で無理矢理捻じ伏せているからだ。
 だがそれは、タイムロスを最小限に止めた巧みな操縦ではあっても、やはりミスには違いなかった。後を追う者にとり、願ってもない好機である。
「もらった――!」
 ファネスは加速させた愛機で、ふらつく青いシンカーの横にポッカリと生まれたスペース――コーナーのアウト側へと滑り込んでいく。すっかり横並びとなったシンカー二機は、前を行くチェイサーとクラレットの後に続く形で、高速コーナーである右の第十三コーナーを一気に走り抜けた。
(コイツはミスだろ、アミ……)
 コーナーは抜けたが、一度周回遅れに捕まってリズムを崩してしまったアミティスのシンカー600と、その一方で何の障害も無くコーナーを脱出したシンカーBSS。二機の勢いはまるで違った。
 パイロットであるファネスの操縦に応え、ブースターから吐き出す炎をより勢い付かせるシンカーBSS。流線型の黒い機体と、青白い尾を引くブースター炎の美しいコントラストを描き出しながら、ダヴィエ肝煎りのロケットブースターはその威力を十二分に発揮し、金属のエイを一気に前へと押し出した。
 ヘリックシティグランプリも中盤。ここまで、つまらないくらいに危なげなく首位に居座り、レースを引っ張ってきたアミティスが、遂にその座を明け渡そうとしていた。
『フェイ、おいっ! 何してるっ! オマエはこの周回でピットインなんだぞ!』
 ヘルメットの中でダヴィエの声が何か言っていたが、ファネスの頭にはその内容まではまるで入っていなかった。彼の意識は今や勝利を追い求める本能が支配し、ようやく追い詰めた好敵手のシンカーを抜き去る事にのみ、その全てが向けられていたのである。
 ロケットブースターの推力を活かし、横並びの状態からシンカー600の前へじりじりと進み出るシンカーBSS。しかしシンカー600も懸命に食い下がり、まだ決定的な差が開くには至らない。
 二人は加速競争を繰り広げながら、一連の変化の原因となった周回遅れのシンカー二機を、左右から挟むようにして次々に抜き去る。ファネスは左、アミティスは右から。単なる直線で起こった追い抜きは、ヘリックシティグランプリにおいてこの二人が、マシンの性能、パイロットの技量どちらにおいても、最高の二人である事を明確に証明していた。
(次のシケインでケリをつける! 一周目のようにいくと思うなよ!)
 バックストレートの最後で二人を待ち受けるのは、第十四、十五の連続コーナーから成るS字シケインだ。ファネスは一周目にここで仕掛けたパッシングを、あえなくアミティスに返り討ちされていたが、無論それを繰り返す気など無かった。
 限界一杯のブースター出力で加速するシンカーBSSは、右隣を行くシンカー600に機体半分ほど先んじて、第十四コーナーのブレーキングポイントに達する。そこからエアブレーキを展開し、急減速。
 隣にシンカー600を従える都合上、シンカーBSSはレコードラインを外し、コーナーのイン側に張り付くような走行ラインを強いられる。しかし迎えた千載一遇の好機に、研ぎ澄まされたファネスの感性は、イレギュラーな走行ラインに対する最適なコーナー進入速度を正確に見定めていた。機体を左にバンクさせてターンインしたシンカーBSSは、針の穴を通すような正確さで窮屈な走行ラインをスムーズに駆け抜けていく。一方で、ほぼ同時にコーナーへと進入したシンカー600は、ラインに自由度がある分機体の速度では勝っていたが、これ以上無い最短距離を行くシンカーBSSについて行けなかった。
 前に出るシンカーBSS。遅れるシンカー600。
(まだ……まだ……ここだ!)
 ファネスは狙い済ましたタイミングで、操縦桿、ラダー、スロットルレバーを操作する。それに従い、機体が旋回方向を左から右へ一気に切り返した。
(頼むシンカー! 応えてくれ!)
 機体にかかる負荷も大きい際どい操縦。軍用シンカーより格段に華奢な機体に加え、ピーキーな調整まで施したブースターも抱えるファネスにとってはなかなかにスリリングであったが、ここ一番で自分の機体や、それを手がけたチームのメカニック達を信用できないようでは、パイロットとして失格である。
 果たして、シンカーBSSはフレームから不気味な悲鳴を上げながらも、無惨な空中分解を遂げる事無くS字シケインの後半――右の第十五コーナーへ飛び込んでいく。インとアウトが入れ替わり、シンカー600の青い機体が進み出てくるが、それより一瞬早く、シンカーBSSはコーナーに鼻先を突っ込んでいた。ライン取りの優先順位を奪われ、シンカー600の青い機影はあえなくシンカーBSSの背後へと追いやられていく。
 グランプリ中盤、遂に一位の座が入れ替わった。
(さぁ、今度はオマエが後追いだ、アミ。俺のケツに見惚れてぶつけるなよ……)
 口には出ずとも、そんな軽口が頭に浮かぶ。サーキットと公道、シンカーとモト。ファネスを取り巻く状況は大きく様変わりしていたが、たった一つだけ――アミティスという最高のライバルの存在だけは、無我夢中でワインディングを駆け回った少年時代と何も変わらない。それだけで、ファネスはあの頃のままに走り続ける事ができるのであった。



 モニターからの映像でその光景を目にした者。己の瞳で直接目にした者。それぞれに差異はあれども、十万を優に数える目撃者達がその時とった行動は一様に同じだった。
 叫び、吼える。言葉ではなく、その行為自体に意味があるかの如く。
 一、十、百、千……次々と湧き起こる絶叫は、十数機のシンカーが発する爆音にもビクともしないワールウィンド・サーキットの構造材すらも、まるで風に吹かれる蝋燭の灯のように頼りなく揺らめかせた。
「あのバカ、また浸りやがって……」
 シケインを立ち上がった黒いシンカーが歓声に後押しされ、本道とピットロードとの分岐点をブースター全開で微塵の躊躇も無く通過していく。その勇姿をモニターで見つめながらしかし、ダヴィエの表情は渋かった。苦い声でぼやき、チームロゴがあしらわれたキャップを脱いで頭をかく。
 ファネスの悪い病気である。デッドヒートに我を忘れると、ピットからの声が耳に入らなくなるのだ。
 無論、こんな事が頻発するようではSGPXのパイロット失格だが、ファネスの症状はさすがにそこまで重症ではなかった。コーナーを一つ二つ抜ければ復調するし、そもそも頻度にしても、そんな状態の時とピットの指示がカチ合う事など、数シーズンに一回有るか無いかの程度である。加えて――
(まぁ、コレが出るって事は走りに集中できてる証拠か……)
 ダヴィエは当然覚えていた。過去にコレが出たグランプリは三回。そしてその三回全ての表彰式において、ファネスの姿は誰よりも高い位置で輝いていたのである。即ちこの現象は、ファネスがグランプリに――もっと端的に言えば“走る”という行為に、極限まで集中している事の証明なのだ。他のピットクルーも、大半はその事実を見知って、あるいは聞き知っており、気が早い者は仲間と抱き合って歓声を上げる始末だった。
 半分くらいは同じ気持ちのダヴィエだったが、チームを率いる監督としては黙って見過ごす訳にはいかない。
「……ったく……おい、フェイっ! まさか聞いてなかったとは言わんだろうな! 俺は確かに、オマエが“了解”と言ったのを聞いたぞ!」
『え、あっ……スマン、つい……』
 ヘッドセットからの間抜けな声に、ダヴィエのこめかみが引きつる。
「“つい”で済むか、バカたれ! 今一位になっても、リタイアしたら何の意味も無いだろうが! 俺が出したのはペースアップの指示じゃない! ピットインの指示だ!」
 唾を撒き散らし、ヘッドセットのマイクにがなり立てるダヴィエ。その剣幕に、喜びを体全体で表現していた周囲のピットクルー達がピタリと動きを止め、寸前までの歓声を飲み込む。怒涛の歓声に包まれるワールウィンド・サーキットの中で、クォア・クー‐チーム‐ブラック・シャドウのピットがある一角だけが、まるで通夜のような重苦しい雰囲気で包まれた。
「まったく……」
 一瞬でピット内の空気を塗り替えたダヴィエであったが、ここで皆の意気を挫くのは無論彼としても本意ではなかった。続きはグランプリ後――否、祝勝会後のミーティングでやればいい。
「さっさともう一周してこい! 次やったら、どうなっても俺は知らんぞ!」
『……“了解”』
 先程と一言一句違わぬ返事に不安が無い訳でもなかったが、これ以上この話題を引っ張る事はしなかった。ウダウダ言った所で、過ぎてしまった事は仕方がない。次の周回で無事にピットインしてくれば結果オーライであり、もしハプニングが起こるような事があれば、その時ゆっくり説教してやればいいのだ。
 もっともファネスのジンクスが健在であれば、その心配も必要ないのだろうが。
(えらく面倒なGPだったが、この分ならまぁ大丈夫だろう。まったく……いい歳した大人がたかだか昔話に、雁首揃えて随分と振り回されたもんだ。成長してない証拠だな……)
 時を経るにつれ、その美しさを増していく少年時代の思い出達。しかし、その思い出に影を落とす唯一の痼りが、亡霊となってそこから抜け出てきた……それが、今回のラスタヴィユの一件だ。ファネス、アミティス、レイナ、そしてダヴィエ。親友同士、思い出を共有する四人が受けた衝撃が小さかろうはずもなかった。
 ダヴィエ自身としては、過去とは思い出として懐かしむべきものであり、囚われ、固執するものではないと考えている。実際そうしてきたつもりでいたし、ファネス達からは散々ドライだの味気無いだの言われてきた。
 だが、蓋を開けてみればどうだ。ファネス相手に威勢よく説教しておきながらその実、自身の動揺を押し隠すのにどれほど必死だった事か。幸いファネスはそれで立ち直ってくれたが、ダヴィエからすれば親友を巻き込んでのとんだ茶番劇だった。
(成長してない、か……それとも俺達が、過去を思い出と割り切るにはまだ若いのか……)
 ふと、そんな考えがダヴィエの頭をよぎる。しかし次の瞬間には、ダヴィエは頭上のキャップを目深に被り直し、具にもつかない自分の思考から、目の前のモニターへと意識を引き戻すのだった。
(いや……過去に浸って生きるには、もっと若過ぎるな。そんな生活は老後に、爺さん同士の茶飲み話で楽しめばいい……)
 過去より先に、ダヴィエには生きるべき今がある。あるいは今回の一件は、それに気付くいい機会なのかもしれなかった。
 しかし――
『おい、ダフ……』
「ん……どうかしたか?」
 思い出から抜け出てきた亡霊は、ダヴィエの悟った新たな人生観を嘲笑うかのように、彼を、そして彼の親友達を飲み込まんとしていた。



『ん……どうかしたか?』
 レースの極限状態にあっても、ファネスの意識は視界の端に映った不自然な影を見逃さなかった。首位を走る彼の漆黒のシンカーが、アミティス機の猛追をなんとか退けつつ水中へとダイブ・インし、第八コーナーの右ヘアピンへ向けて猛然と突き進んでいた時の事である。
「コース整備の連中が……」
『……なに?』
 ファネスが見たのは、水中ゾーンでのコース整備を担当する、バリゲーターやシーパンツァーといった水中ゾイドの姿であった。パイロットであるファネスにとっては、クラッシュ等のハプニングに備えてコース脇に待機している所を目にする機会も多い。
 つまり、グランプリ決勝中に見かける事自体は特におかしい訳ではないのだが、このワールウィンド・サーキットでは話が違う。
(……?)
 ファネスは前周まで、バリゲーターもシーパンツァーも一機として目撃する事はなかった。というのも、人造湖であるワールウィンド・サーキットの水中ゾーンには、SGPXに備えての様々な設備が設けられており、その中には整備用ゾイドが待機するための地下格納庫もある。そのため用のある時以外、ゾイドがコース内に出てくる事は無いはずなのだ。しかしシンカーBSSのコクピットには、マシンクラッシュによる警報や減速の指示などは上がってきていない。
『……そいつは妙だな。まだクラッシュなんぞ一機もしてないし、オフィシャルからの指示も出てないが?』
 ピットからの無線も、疑問符付きでダヴィエの声を運んできた。
(じゃあ、何だというんだ……?)
 疑問は幾らでもあったが、そんな事は今のファネスにとって瑣末な事に過ぎない。今考えるべきは勝利の一事のみであり、迫るコーナーや背後から猛襲するライバル達にこそ意識を割かねばならない。ただでさえ、水中ゾーンでは分が悪いのだ。
「くっ……!」
 無理矢理に意識を引き戻し、目前のヘアピンコーナーに備えて機体を減速させるファネス。キャノピーの向こうの景色が急激に精度を増していく中、視界の端では謎の行動を起こす水中ゾイド達の姿が徐々に明らかになっていく。
 ビームキャノン砲一門、魚雷ポッド一基を機体左右に対となるように装備したシーパンツァー。
 作業用マニピュレーターに代わり、十連装はある大型ミサイルポッドや大口径ビームキャノンを背負ったバリゲーター。
 そんな連中が、総勢で七機。
「ぶ、武装してるのか!? なんだコイツらは!?」
 完全装備の水中ゾイド部隊を横目にしながら、止まる訳にもいかないファネスは右ヘアピンをクリアする。そして、そのコーナーからの立ち上がりの刹那。
「なっ――なにっ!?」
 ファネスは見た。一機のシーパンツァーの三連装魚雷ポッドから伸びた航跡が、自分やアミティスに続いて今しもヘアピンコーナーへ進入せんとしていた第三位の水色を基調としたシンカー――ドメル=ランカスコーの“サインポスト”へと到達し、そして――
「避けろ! ドメル!」
 ライバルの機体にファネスの絶叫が届くはずもなく、軽量化を施された競技用シンカーは、小型ゾイドの魚雷一発で呆気なく爆裂した。ドメルの生死は一見して定かではないが、恐らく魚雷の接近はおろか、自分の身に何が起きたかも理解できなかったに違いない。
(ば、バカな……)
 機体と共に爆発の閃光をも飲み込んだ気泡の大群。そしてその中から現れた水色の片翼が、気泡の一部を尾のように引き連れて湖底へと沈降していく。
 似たような光景を、ファネスはかつて嫌と言うほど目にしてきた。フロレシオ海、アクア海、デルダロス海、ダラス海、シート海、ウィルソン湖、グレイ湖、ガニメデ湖……戦場と化した、数多の水の世界で。
(おかしいだろう……ここは……ここは戦場の海じゃない……)
 目を見開き、呆然とドメル機の最期を見つめるファネス。しかしそこへ、水中を伝播してきた爆発の衝撃波が襲い掛かった。
「ぐぅっ……くそぉ!」
 頭で考えるより先に、操縦桿とスロットルレバーを握る両腕が、ペダルを踏む両脚が動いていた。暴れる機体に無理をさせず、衝撃波を受け流しながら体勢を立て直す。そしてその勢いのままに機首を上向かせると、ファネスは愛機を水面へ、そしてその向こうの空へ向けて一気に加速させた。
(このままでは……)
 一刻も早く水中を脱せねばと、ファネスの意識が囁く。それは皮肉にも、ドメルの悲劇によって呼び起こされた彼の軍人としての感性であった。レースとは違う類の――生存本能に根ざした緊張感により、集中力がみるみる増していく。
(この感じ……来る!)
 加速によってシートに押し付けられた背中がざわめく。昔はよく、自分に迫る魚雷からの探信音でこの感覚を味わった。久しく忘れていた感覚だが、改めて体感してみるとその何とおぞましい事か。
 しかし幸いにして、被弾の心配は必要なかった。水深にしてたかだか百メートル程度の湖である。もともと発射地点からの距離があっただけに、魚雷の到達よりも、シンカーBSSが水上に達する方が先だった。
「くっ……!」
 機体を衝撃が覆うのと時を同じくし、目の前で光の飛沫が弾けたかと思った直後には、今度は中天近くから降り注いだ鋭い光が、一瞬だけファネスの瞳を射抜いた。操縦機器を操る四肢やシートに密着した身体から、愛機が水の呪縛を脱した事が伝わってくる。単なるサーフェイスと違い急浮上は機体に掛かる負荷も大きかったはずだが、華奢なボディもピーキーなブースターも、崩壊の憂き目を見る事は無かった。ダヴィエにも感謝せねばなるまい。
「……他のマシンは?」
 高度を稼いで落ち着いた所で、ファネスは機体後方――正確には下方を振り返った。ドメル機撃沈の余波が湖面の一角を白く染める中、ファネスの後に続くようにして次々と、色取り取りのシンカーが水面をぶち破ってきた。中にはアミティスの青いシンカー――シンカー600の姿も見て取れる。
 しかし――
「……くそっ、まだやる気なのか!」
 気泡で真っ白になった一帯の近くで、新たに大きな水柱が上がった。ドメル機の撃沈では飽き足らず、水中では未だ攻撃が繰り返されているようだ。
 しかし今のファネスには、それをただ黙って見ている事しかできない。かつて“喧嘩屋ゴートンの再来”とまで謳われた彼であっても、丸腰の競技用シンカーで武装ゾイドに挑みかかる訳にもいかないのだった。
『フェイっ! おいフェイっ、返事しろ! 無事なのか!?』
 すると、眼下の惨劇に対しての自身の無力さを痛感していたファネスのもとに、ピットからの無線がダヴィエの声を運んできた。恐らく、モニターに映る中継映像で水中ゾーンでの出来事を知ったのだろう。その声には緊迫した響きがある。
「……大丈夫……俺は大丈夫だ……だが……」
 ダヴィエに自分の無事を伝えるファネスであったが、その間も水面の惨状からは目が反らせなかった。しかしだからと言って、かつてと違い丸腰の競技用シンカーを操る今のファネスに、湖の上空を旋回する以上の事はできなかったが。
「……ドメル達か、こっちでも見てた……とにかく、オマエはピットに戻ってこい。もう観客の避難も始まっている……」
「あぁ、分かった……」
 遂に始まった――本当に始まってしまった、かつての親友によるテロリズム。
 重い吐息と共に返事を吐き出すと、握った操縦桿を軽く倒す。シンカーBSSの機体は、ファネスの胸中と裏腹に軽やかに翻り、ピットやホームストレートが位置する方角へと機首を振り向ける。少々距離はあったが、それでもシンカーパイロットとして鍛えたファネスの視力は、メインスタンドを埋め尽くしたカラフルなモザイク模様がザワザワと蠢動する様をしっかりと捉えていた。
“どうしてこんな事に……”
“戦争はとっくの昔に終わったはず……”
 避難する観客達の間で口々に囁き交わされる声が、ファネスには聞こえてくるようだ。そしてその言葉は、そのままファネスの言葉でもあった。
 終戦より十余年。時は、実際に戦地へと赴いたファネスからも、戦争の忌まわしい記憶を消し去らんとしている。人は言うだろう。過去の悲劇を繰り返さぬためにも、記憶を風化させてはならない。未来へと受け継いでいかねばならない、と。その言い分が間違っていない事は、ファネスにも分かる。
 しかし世間様には重要で大切な記憶であっても、ファネス個人にとっては自身を苛む悪夢でしかなかった。
 目蓋の裏に焼き付いているのは、自分の投下した爆弾がアクア海の浜辺を火の海にする光景。耳にこびり付いて離れない警告音の響き、戦友の断末魔。身体に残る、愛機に高射砲弾の破片が食い込む衝撃。
 忘れられるものなら忘れたいというのがファネスの本音であったし、戦争を忘れてはならないとどんなに声高に叫ぶ者であっても、大なり小なり同じ気持ちを抱いていると考えていた。
 それをラスタヴィユは、人々が忘れつつある悪夢を、何の目的があってわざわざ呼び起こす様な真似をするのか。
(ラスト……)
 かつて、親友の腹の内を探ろうなどとした事はあっただろうか。そんな事をしなくても、自然と分かり合える関係をこそ、親友と呼ぶのではないのか。だとするならば、今のラスタヴィユは――
『グランプリは中止か……残念だが、オマエの祝勝会でのディナーは来年に延期だな……』
 物思いに耽るファネスの耳に、ダヴィエの言葉が突き刺さる。
(中……止……?)
 無論こうなった時から、漠然とした意識の中でその未来は覚悟していた。しかし、現実を明確な言葉で突きつけられた時、ファネスの中で抑え込まれていた感情が、遂に一線を越えた。
“最悪ヘリックシティグランプリが中止になっても、俺達は一向に構わない。それを理由にして、政府や軍の無力を主張するつもりだからな”
 火に油を注ぐように、数日前のラスタヴィユの声が脳裏に甦る。
「ラスト……!」
 いつしか自分が、手の平が痛くなるほどの力で操縦桿を握り締めている事に、ファネスは気付かない。
『おい……どうした、フェイ?』
 無線機越しであってもファネス雰囲気の変化を敏感に感じ取ったらしく、ダヴィエが訝しむ声を送ってきたが、ファネスは生返事すら口にしなかった。完全に逆上して頭に血を上らせた彼には、レースに集中し切ってしまった時と同様、親友の声も届かなかったのである。
(待ってろ、ラストっ! これ以上……これ以上オマエの好きにさせて堪るか!)
 ファネスの目にはその時、メインスタンドのさらに向こう――サーキットの隣に位置する巨大な建造物だけが映っていた。

[374] 第六章 踏み出す右足 - 2012/12/09(日) 23:54 - MAIL

第六章
引き続き、ワールウィンド・サーキットにて


「副大統領の避難は!?」
「只今第八ゲートより、専用車にて出発しました! 第一小隊長バレット中尉以下五名、警護に当たります!」
「副大統領の身柄を狙った、陽動作戦の可能性に注意しろ! 凱龍輝を一機回しても構わん!」
「了解!」
 第1011対テロ特殊作戦部隊――ザ・イレギュラーズの指揮所は今、蜂の巣を突いた様な大騒ぎとなっていた。誰もが慌しく、決して広くはない指揮所の中を動き回っているが、それでもこの緊急の事態に際し、誰一人として自分を見失っていない所は流石と言えた。
「避難の進捗状況は!?」
 通信機やモニターに向かうオペレーター達の背後で声を荒げているのは、部隊を率いるアマーティ少佐である。普段は落ち着いた雰囲気で部隊を纏め上げている彼も、今ばかりは厳しい表情で、部下の面々に声を張り上げていた。言葉の内容というより、その剣幕でもって部下を動かしている感じだ。
 そこに緊張感とは別の――どこか活き活きとした雰囲気が感じられるのは、彼が並大抵の男でない事の何よりの証である。平和な時勢に唯一とも言える実戦部隊を率いる剛の者とあっては、危機に際して心躍らせてしまうのも無理からぬ所であった。
 今でこそ部隊を率いる立場の彼も、元を正せば前線を住処にする一兵士。本音を言えば指揮所で腕組みのまま仁王立ちしているよりも、外で動き回っていたいくらいなのだ。数日前、レイナ・バシェラール女史に伴って大会本部に大会中止反対の直談判を行った事も、当然後悔などしない。今の事態を招いた当事者として不謹慎だと分かっていても、過ぎた事をくよくよ思い悩む様な細い神経は持ち合わせていなかった。
「はっ……各観戦エリアは順調ですが、やはりメインスタンドは……各ゲートで混乱が起き、難航しています……」
 避難誘導部隊を担当するオペレーターの一人が、アマーティ少佐の問いに答えて悲痛な声を上げる。しかし少佐は、そんな泣言を歯牙にもかけず、一言で一蹴してしまった。
「分かっていた事だ!」
 言葉はたった一言でありながらも、そこに込められた迫力は、報告したオペレーターを竦み上がらせた。
「ぼやく暇があったら、人でもゾイドでも回せ! 相手は何を仕出かすか分からん連中だぞ!」
「は、はい!」
 悲嘆に暮れる暇も与えず、オペレーターを目の前の現実に叩き返すと、アマーティ少佐は大きく一つ息をつき、自分の正面の壁面を睨み付ける。その鋭い視線の先にあるのは、大小合わせて二十基近くにもなるモニターの群れだった。
 サーキット各所の監視カメラ、観客にレースの模様を伝えるコース内設置のカメラ。そして、会場内の巡回を行っていた凱龍輝の機載カメラ。ワールウィンド・サーキットを見渡すありとあらゆるカメラの映像が、或いはケーブルを、或いは通信波を介して指揮所へと集められていた。しかしそのどれもが、アマーティ少佐にとっては随分と不愉快な状況を映し出している。
 メインスタンドを始め、満員御礼の観客席はまさにパニック状態。我先にと殺到する大観衆で、ゲート付近では身動き一つできない有様だ。派遣されている兵士達も負傷者を出さないようにするのが精一杯で、誘導などという状態にないのが本当だった。こんな状態の所にロケット弾の一発でも撃ち込まれたらと思うと、さしもの武人=アマーティ少佐も背中を冷たい汗が伝う。
 すると、そんな想像をしたのが悪かったのだろうか。先程のオペレーターとは別に、水中の状況をモニタリングしていたオペレーターが招かれざる客の到来を叫んだ。
「バリゲーター二機、浮上中! 深度ゼロまで、約一分!」
「なに!?」
 アマーティ少佐を始め、指揮所に居合わせたザ・イレギュラーズ全員の視線が、数あるモニターの中の一つ――マシンのダイブ・インの瞬間を狙う水中カメラの映像へと一気に集中する。そこには、地上と湖底を結ぶ斜面をゆっくりと這い上がってくる、二機のバリゲーターの姿があった。その背には、機体に比して随分と大振りの箱を負っている。共和国軍人であるザ・イレギュラーズの面々の中に、それがバリゲーターの標準装備でない事を見破れぬ者など、当然皆無だった。
「多連装ロケットランチャー……アイツら正気か……!」
 想像が現実となり、アマーティ少佐もさすがに眉をしかめる。一発でも大惨事だというのに、あんな無差別破壊兵器を観客で溢れ返るメインスタンド目掛けて立て続けに撃ち込まれては、死傷者の数は百や二百で収まるはずがない。
「凱龍輝はどうした!」
「ルヴナン2が急行中! 間もなく上陸予想地点に到着します!」
 ジェノザウラーに端を発する、一連の恐竜型ゾイドの系譜。ホバー推進の搭載により、二足歩行型でありながらもその脚は速い。ルヴナン2――凱龍輝・真207号機の脚ならば、一キロ程度の距離も一分とかからない。
「一号機も急がせろ! 接敵と同時に月甲を分離! あのビックリ箱を叩き壊せ!」
「了解! ルヴナン2、こちらセメテリー――」
 戦闘オペレーターの指示を耳にしながら、アマーティ少佐は見立てる。B‐CASの支援ブロックスといえど、性能では旧式のバリゲーターに遅れを取るものではない。同数ならば五分以上に戦闘を進められる、と。
「ルヴナン2が上陸予想地点に到着! バリゲーター両機、深度ゼロまで約二十秒! ルヴナン1はなおも移動中!」
 逐一行われるオペレーターの報告も、この状況では指揮所内の空気に虚しく溶けていくだけだ。手透きの者は今や、ダイブ・インするマシンを遠方から狙う望遠カメラの映像――延いては、そこに姿を現した凱龍輝・真の勇姿を、固唾を飲んで見守っていた。
 ホバー走行を止め、逞しい二本の脚で大地を踏み締める凱龍輝・真。昼に向かって益々強まる日差しに、十二枚の集光パネルが煌びやかに輝き、反射光がカメラのレンズ越しに見る者の瞳を射抜く。ある者が眼を閉じ、またある者が眼を逸らしたその瞬間、モニターに映る凱龍輝の肩部、大腿部、背部それぞれの装甲が、勢い良く弾け飛んだ。
 凱龍輝本体より切り離された幾つもの装甲は、同様に背部から分離した銀色の立方体――ブロックスのゾイドコアが内蔵されたコアブロックへと集合する。それらは空中にある状態で次々と結合していき、十秒を数える頃には、無骨な輪郭を持つカブトガニ型ゾイドの形状を形作っていた。
「ルヴナン2、月甲を分離! 交戦状態に入ります!」
 分離した月甲は激しい水飛沫と共に湖に着水、潜航する。そしてほぼ同時に、隆起させた水面を勢い良く突き破り、多連装ロケットランチャーを背負ったバリゲーターが姿を見せた。
 滝のように装甲表面を滑り落ちる水流。その流れが収まらぬ内に、ランチャーの砲門が小気味良い金属音を発して展開する。戦闘指揮所で状況を見守る面々の誰もが、繰り広げられる地獄絵図を想像し、その一瞬息を飲んだ。



「ナメやがって……俺の目の前でふざけた真似させるかよ!」
 真っ先に会敵した凱龍輝・真207号機には、軍内若手随一の腕前を誇るフェルディナン・アレオン少尉が搭乗していた。バリゲーターが攻撃の姿勢を見せるや、フェルディナンは凱龍輝の4連装マルチプルキャノンを一斉射する。砲弾は立て続けにバリゲーターの周囲に着弾し、四つの盛大な水柱を立てるが、バリゲーターが威嚇に動じた様子は無かった。そこへ飛び込んでくるオペレーターの声。
『ルヴナン2、攻撃を許可します』
「相変わらず、ウチのボスは話が早い!」
 催促するまでもなく下る攻撃許可に、フェルディナンも間髪入れず必中の準備を整える。マルチプルキャノンと対になるように装備されているAZ電磁レーザーキャノンが、砲口の延長線上にバリゲーターを捉えてピタリと静止した。
“絶対に犠牲者を出すな!”
 頭の中で木霊するのは、任務開始前の訓示でアマーティ少佐が口にした一言。無論、部隊の誰しもその想いは同じだ。故にフェルディナンも、自分の行為が一人の人間の生命を奪うものだと理解していながら、そこに躊躇いは差し挟まなかった。
 凱龍輝から迸り、煌く輝きと共に湖上を切り裂いたレーザーの光条が、バリゲーターに背負われた多連装ロケットランチャーに突き刺さる。今まさに、逃げ惑う観衆目掛けて放たれんとしていた弾頭は、その一撃によって弾倉内で炸裂した。
 大気を揺るがす轟音と共に、弾ける爆炎。誘爆に次ぐ誘爆で膨れ上がった爆発は、ランチャーだけでは飽き足らず、それを背負っていたバリゲーターにまで襲い掛かかる。背中からの凄まじい衝撃に晒された機体は、一瞬の内にくの字に折れ曲がり、炎と黒煙にその身を蝕まれながら水中へと没していった。
 見事、一撃の下にバリゲーターを討ち果たしたフェルディナン。しかし彼に、自身の戦果をのんびり堪能している余裕は無い。沈み行くバリゲーターの陰から、別のバリゲーターが姿を見せていたからだ。こちらも先程の一機と同様のランチャーを装備しているが、水面をゆっくりと移動してくるその背の砲門は、既に開かれている。
「くそっ、間に合わねぇか……!」
 自分の攻撃よりも、バリゲーターのランチャーが初弾を放つ方が早いと察したフェルディナン。最悪の想像が彼の頭を過ぎったが、それで身を竦ませてしまうようではザ・イレギュラーズのゾイドパイロットは務まらない。フェルディナンが咄嗟の機転で機体を操ると、凱龍輝はブースターを吹かし、ランチャーの射線上に飛び込んだ。
 見敵必殺は彼を始めとするザ・イレギュラーズの信条であるが、それは所詮手段の一つに過ぎない。彼らの願いは、唯一つなのだから。
 しかしフェルディナンの凱龍輝が、逃げ惑う観衆に代わって手痛い一撃を受ける事は無かった。ランチャーが火を吹く前に、バリゲーターの巨体が湖から飛び出し、空へ舞い上がったのだ。
「月甲か!」
 バリゲーターを水中から吹き飛ばしたものの正体を知り、コクピットで快哉を叫ぶフェルディナン。すぐさま、ブースター噴射角の調整で凱龍輝を着地させる。そしてその眼前に、綺麗な放物線を宙に描いて落下してくるバリゲーター。
 不意の一撃にも拘らず、空中でバリゲーターに尾を振らせて体勢を立て直し、機体を脚から着地させたパイロットは流石だった。しかし落下の勢いまでは殺し切れず、機体は地面を削りながら横滑りしていく。バリゲーターの背中で、背負ったランチャーが接合部や可動部から弾け飛び、地響きを立てて地面に転がり落ちた。凱龍輝はそこに、畳み掛けるように襲い掛かる。
「うらぁ!」
 間合いは既に、火器でどうこうという距離を割り込んでいる。フェルディナンの気迫を乗せて煌く凱龍輝の牙と爪に、バリゲーターも頭部のほとんどを占める巨大なバイトファングで対抗した。軍配は、先を制した凱龍輝に上がる。
 体躯、それに伴うパワー、そして瞬発的な速度でも、凱龍輝はバリゲーターを凌駕していた。サイズの違いを活かし、相手を押さえ込むようにして上方から攻め掛かった凱龍輝は、自分に向かって伸び上がってくるバリゲーターの長い頭部に上から喰らい付く。そして強靭な首の力でもってバリゲーターを吊り上げると、一度大きく振り回してから、止めとばかりに地面に叩き付けた。様々な金属の悲鳴を一つに纏め上げた不協和音と共に、バリゲーターの首関節が瞬時に弾け、細長い機体が頭部と胴体で真っ二つになる。
「ふんっ! いっちょ上がりだ!」
 しかしフェルディナンと違い、凱龍輝には勝鬨の雄叫びを上げる暇は与えられなかった。月甲分離の代償として装甲を失った左の肩口に、強力なビームが炸裂した。更にそれを起点とし、火線が立て続けに凱龍輝に撃ち込まれる。
「ぐおっ……あ、新手か?」
『ルヴナン2! 湖上からの、シーパンツァーによる砲撃です! 被害報告を!』
「はんっ、何て事ない! 腕一本持ってかれただけだ!」
 早速、マルチプルキャノンの連射でシーパンツァーを牽制しながら、通信マイク相手に怒鳴り散らすフェルディナン。使い道の分からないオマケの様な腕を一本失った所で、たいして痛くないのは事実だが、不意を突かれたというのが癪だった。
 シーパンツァーは、湖上遥かにただ一機。小刻みな潜行と浮上を繰り返し、フェルディナンの攻撃を避けつつ散発的な反撃を繰り出す様子は、彼を嘲笑っているかのようだ。火力で後れを取る凱龍輝ではないが、これだけの距離を置いて撃ち合っていても、フェルディナンにとって面白い結果にはなりそうもなかった。
 そこへ、駆けつける一機のゾイドがあった。バリゲーター戦に遅れる事数十秒、フェルディナンの僚機がようやく到着したのだ。フェルディナンの時と同様、青い装甲が一瞬で弾け、ゾイドの形を取って湖へと飛び込んでいく。
『フェルディナン、また貴様か! いつもいつも大切な機体を傷つけおって!』
「今の今まで俺一人に相手させといて、その言い種かよ! 勘弁だぜジィさん!」
 元々礼儀正しい方ではないフェルディナンだったが、駆け付けてきた凱龍輝・真201号機――ルヴナン1相手にもそれは変わらなかった。例えそのコクピットに、自分の師とも呼べるユベール・ラクール大尉が搭乗していると知っていても、その口調が改まる様子はまるで無い。
『そのクソ生意気な文句を垂れる口もだ! いちいち言わんと分からんか!』
「耄碌し過ぎじゃねぇのか! 前線パイロットに上も下もあるかよ! これだから歳は喰いたくないぜ!」
 口調が改まるどころかむしろエスカレートしているのは、心強い増援による安心感からであった。応戦する手にも俄然力が入るが、対するシーパンツァーは密度を二倍に増した弾幕を前に、あっさりと水中へ退いてしまう。こうなっては地上の凱龍輝には手が出せない。
「くそったれ! 逃げやがった!」
 いきり立つフェルディナンの勇み足が、愛機の片脚を人造湖に踏み入らせる。途端、ユベールの歳相応にしわがれた声が彼の耳を打った。
『バカもんが! 凱龍輝で何を考えとる! 今は観客の避難を第一に考えろ!』
「くっ……!」
 敵が湖から上がってこなければ、それだけ観客は危険に晒される事なく避難できる。ユベールの指摘はもっともであったが、それ故にフェルディナンが癪だったのは言うまでもない。
「へいへい、了解しましたよ! ったく……一人だけ楽してくれるぜ……」
 そんな文句が聞こえているのかいないのか、ユベールの凱龍輝はフェルディナンの機体から離れ、湖の波打ち際に沿ってゆっくりと移動していく。湖上へと油断無く視線を巡らせながら歩みを進める後姿からは、成す術なく逃げ惑う観客達を命に代えても守るという決意が、陽炎のように立ち昇っていた。月甲の分離によって部分的に装甲を失っていながらも、見る者にはみすぼらしさなど微塵も感じさせない。
『何しとる、フェルディナン! 敵が消えたわけではないんだぞ!』
「くっ……ヤイヤイ言うんじゃねぇよ! 言われなくても、テメェの仕事くらいできるってんだ!」
 ユベール機に漲る迫力にいつの間にか目を奪われてしまっていたフェルディナンは、そんな自分が妙に気恥ずかしく思え、耳慣れた怒鳴り声に対して吐き捨てるような悪態で返すのだった。
 しかし態度はどうあれ、結局フェルディナンはユベールに倣い、愛機での警戒に入る。その思考は油断とは無縁であったが、ユベールほどの覚悟を気負っている訳でもなく、適度なゆとりを保っていた。
(クソったれのテロリスト共め……時間さえ稼げりゃ、後はこっちのもんだ……!)
 確認された敵の水中ゾイド七機の内、バリゲーター二機をフェルディナン自身が撃破し、残るは五機。対する月甲は二機と数に開きがあるが、それでも旧大戦時に開発されたゾイドが相手であれば、足止めに徹する事に何ら問題はない。そしてそれだけの時間があれば、観客の避難は終わる。
 そんな推測が、戦闘開始からこちら、フェルディナンの心を支配していた焦燥の火を少しずつ鎮めていた。
(そうなってみろ……まとめて消し炭にしてやるぜ……!)
 凱龍輝の代名詞でもある兵器、集光荷電粒子砲。敵の光学兵器による攻撃を集光システムによって吸収、エネルギーに変換し、荷電粒子砲として撃ち返す凱龍輝最強の兵装だ。しかしその強大な破壊力故に、フェルディナンを始めとする凱龍輝パイロット達には、有事の際の使用条件が厳命されていた。
 即ち、観客の避難完了まで使用を禁ずる、と。
 避難が終われば、大手を振って粒子砲を使用できる。そうなれば凱龍輝にとって、十機にも満たない小型ゾイドなど物の数ではない。浮上してきた所を、湖水ごと蒸発させてしまえばいいのだ。
「目に物見せてやる……!」
 内心の気持ちが思わず口を突くほどの強さで、フェルディナンはテロリストへの意趣返しを誓う。
 しかし敵は敵で、そう簡単に勝負を決めさせるつもりは無いようだった。
『ルヴナン1及びルヴナン2! 敵の増援を確認しました!』



 指揮所のモニターを通して、水中の状況を窺うアマーティ少佐。彼と、周囲のオペレーターが見守る中、湖底各所に設けられたコース整備用ゾイドの発進口から、新たに水中ゾイドが姿を現した。機種は相変わらずバリゲーターにシーパンツァーだが、その数は八機を数え、現在も水中に展開しているゾイドを合わせれば、敵の総数は十三機となる。
「……サーキットの水中作業用ゾイド……何機登録されている?」
 眩暈とも頭痛ともつかない症状を覚えながら、アマーティ少佐は手近のオペレーターに問い質した。もっとも、問いという形式を取りはしたが、彼にはオペレーターの回答が十分に予測できたし、事実その予測が外れる事はなかった。
「バリゲーター七機、シーパンツァー八機……計十五機が登録されています」
「まったく、なんという体たらくだ……丸々十五機分の武装を、まんまと運び込まれたというのか……」
 ザ・イレギュラーズの任は会場警備であり、運び込まれる機材のチェック等はSGPXスタッフや派遣された警察機関の手に委ねられていた。あえてそこに穴があったとは言わないが、完璧を期すならば人員の応援を要請し、自分達でその任に当たるべきであったかと思う部分もある。軍が担当する状況と比較すれば、内通者が入り込みやすい環境であったのは確かだろう。
(武装もだが、パイロットもそうだ……かなりの数が入り込んでいるな……)
 素性を隠してパイロットとして入り込んだか、それとも引き入れた者がいるのか。或いは武装などは、サーキット建設時に持ち込まれていた可能性もある。
(根の深さは、相当か……)
 考えはいくらでも広がっていくが、その思考は今必要とされているものではないと、アマーティ少佐はよく理解していた。原因の究明は全てが終わった後に然るべき機関が実施すればいい話で、自分が今すべきなのは分析よりも対応である、と。
「……ルヴナン3……副大統領の避難状況はどうか?」
 小型ゾイド十三機という戦力は、凱龍輝二機で相手をするのも無理な戦力ではない。しかしそれが水中に展開している戦力であるため、凱龍輝側の実質的な戦力は月甲二機だけという事になる。凱龍輝対バリゲーターほどの性能差があるのならともかく、月甲で十三対二という数の不利は問題だ。
 そして月甲が無人機であるのに対し、敵のコクピットには人が座る。彼らが肩書きだけのパイロットでない事を、アマーティ少佐は薄々ながら感づいていた。フェルディナンに撃破されたバリゲーターが、その短い戦闘の随所で見せた素晴らしい動き。それを思い起こせば、猛者と呼ぶに値する歴戦のパイロットの姿が浮かんでくる。対抗するには一機でも多くの戦力を調達したいこの状況において、副大統領避難の護衛についたルヴナン3――凱龍輝・真208号機は、応援として動ける唯一の、水中戦能力を持った機体だ。
 しかし――
「現在、ヘリックシティからの警護部隊とドッキング中と、連絡が入っています。戦列への復帰に、約三十分を要します」
「三十分……か……」
 そうなると、陸軍の応援到着とほぼ同じくらいになりそうだ。まだ戦力の頭数に数える訳にはいかない。
 ここで通常ならば、脚の速い航空支援を当てにしたい所だが、支援を要請したセラー空軍基地の返答はつれなかった。理由は部外秘などと寝言を言う通信員を問い詰めてみれば、首都防空の要たるセラー基地がA.R.O.H.の襲撃によって基地機能を喪失し、今動かせるスクランブル機は上空退避した数機のみだと言うのだ。そのため、その貴重な防空戦力を地上脅威相手に動かせないと。ならばとプテラスを催促してみれば、こちらはスクランブル機ほどに素早い対応ができず、上空退避が間に合わなかったなどとのたまう。
 開いた口が塞がらないとは、まさにその時のアマーティ少佐を表す言葉だった。百歩譲って予期せぬ襲撃による被害が避けられないものだったとしても、SGPXという一大イベントを警護する自分達にその報を伝えてこない判断が、アマーティ少佐には理解できない。戦場を持たない軍組織で名を上げるには、体面やメンツに拘る必要もあるのだろうが、それで状況に対処できなくなってはそれこそ本末転倒というものだ。
(平和な時勢になるほど、その平和を守り難くなっていく、か。随分と皮肉だな……そもそもそんな問題が出てくるという事自体、俺達の守る平和が上辺だけのものに過ぎないといういい証拠か……)
 アマーティ少佐の精神は、この状況で己の新たな存在意義を見出せるほど悟り切ってはいなかったが、だからといって自分の任務を放棄してしまうほど脆弱でもなかった。
「ルヴナン1及びルヴナン2、アマーティだ。応援の到着は最低でも三十分後だ。いいな? それまで、連中を湖から一歩も出すな。一歩もだ」
『了解』
『……おやすい御用で』
 通信マイクから送られたアバウトでいて詳細な指示は、二機の凱龍輝のパイロット達に確かに届いたようだった。二人の迷いない返事に全てを託したアマーティ少佐は、長い一日のこれからを想像し、その逞しい胸板の底から大きな一息を搾り出す。しかしまだまだ、彼には休む暇など与えられそうもなかった。
「少佐! 対空レーダーに反応あり! IFFへの応答、ありません!」
 監視員の報告に、一瞬静まり返った後、再びざわめき出す指揮所内。だがその中にあって、アマーティ少佐の顔にはもはや諦めにも似た達観の色が浮かんでいた。
「もう一度セラーを呼び出してみろ。今度ばかりは連中の縄張りだ。よもや、嫌とは言うまいよ」



 ワールウィンド・サーキットを眼下に収める飛行ゾイドの一団、約三十機。編隊も組まず、不規則な模様を青いカンバスに描き出す飛行ゾイドの群れは、その顔触れもまた雑多だった。
 主力は、総数の三分の二以上を占めるプテラス。標準装備はもとより、翼下にも増設したパイロンに積載量一杯の爆弾を吊り下げ、危なげに空を渡っていく。そして、それを守るように取り巻くレドラー。三機のグレイヴクアマの姿もある。
 薄汚れてくすんだ装甲を纏ったプテラス、レドラーと、工場から出荷されたばかりのように装甲を輝かせるグレイヴクアマ。同じ一団の中にありながら、機体によって状態が異なるというこの状況は、それぞれの機体の素性に起因していた。
 先の大戦が“ヘリック共和国対ガイロス帝国”の構図を持っていた最初期の時分から、両軍の空の主力として活躍した機体がプテラスとレドラーだ。この二機は、最新システムを搭載した新型機や、旧大戦時の高性能機が続々と登場した大戦中期以降の戦線にあっても、“数”という持ち前の武器を活かして戦場に留まり続けた。だがその優れた武器は同時に、被撃墜数の増加という結果も呼び寄せたのである。
 西方大陸に溢れた二機の残骸の中には、当然軍の回収が追いつかず、そのまま放置されたものもあった。戦況の推移によって各国の注目が西方大陸から離れていく中、それらのスクラップは不穏な地下組織や傭兵達の手へと渡り、使用可能な部品が再利用されていったのだ。A.R.O.H.が今回用意したプテラスとレドラーのみすぼらしさはそれ故であり、外見と同様に性能面でも、実戦に耐えられるという程度の代物でしかなかった。しかしだからと言って、サーキットに溢れる無力な人間にとっての脅威が減るはずもない。
 一方のグレイヴクアマは、ネオゼネバス帝国軍鉄竜騎兵団所属の飛行ゾイドとして誕生したSSゾイドだ。レドラーを上回る空戦能力を誇る高性能機たが、特殊部隊御用達という事もあり、とにかく配備数が少なかった機体だ。
 グレイヴクアマのロールアウト当時、首都陥落目前だったヘリック共和国との間には大規模な戦闘もなく、プテラスやレドラーのように残骸が人手に渡る機会も少なかった。おまけに、量産の容易なブロックスの登場によって低コストでの空軍力強化が可能となったネオゼネバス帝国は、一部のラインを残し、グレイヴクアマの生産規模を縮小。戦後にあっては稼働数も更に少なくなり、配備先はアクロバットチームのグリューエン・シュトラールや教導等のエース部隊、空輸能力を活かした空挺部隊等の一部に止まっている。
 では、現行配備数も極めて少ない希少なゾイドを、この編隊はいったいどのようにして調達したのか。残骸の寄せ集めですら入手困難なはずの機体を、さらの新品のように美しい状態で、それも三機も。
 グレイヴクアマという機体からは、当然ネオゼネバス帝国の姿が想像される。ヘリック共和国とは旧大戦時からの因縁を持つネオゼネバス帝国であれば、アンチ共和国を謳うA.R.O.H.に賛同する者が出てもおかしくはない。
(まぁ、そんな安っぽいシナリオが真相なら、捜査陣にはさぞ手応えのない仕事になるだろうが……)
 自機の後ろについたグレイヴクアマの姿を、コクピットに据え付けた反射鏡に映して確認するラスタヴィユは、その素性に想いを馳せる。今回の作戦を率いる身でありながら、彼もグレイヴクアマの入手ルートは把握していなかった。扱うゾイドについて、知識はスペックさえあればいいというわけだが、それでも想像するのは自由だ。
(大方そう思わせておいて、スポンサーはどこか別の所にいるんだろう。簡単に手が後ろに回るのも、面白くなかろうしな……)
 そしてラスタヴィユの思考は、ある一つの言葉でぶつ切りにされる。
(……誰の懐から出た金だろうと、俺には関係ないが)
 そう、関係ないのだ。綺麗な金も、汚い金も、彼には。自分のやりたい事ができるのなら、それでいい。グレイヴクアマのような高性能機を寄越してくれるのなら、願ったり叶ったりだ。
 そしてそれは、彼の搭乗するゾイドについても同じだった。
 鮮紅色で彩られたプテラスボマーである。このプテラスボマーは、他のプテラスがスクラップを寄せ集めて動けるようにしただけの代物なのに対し、細部に至るまで完全なオーバーホールが行われた機体だった。寄せ集めなのは他と同様なのだが、消耗品はネジの一本に至るまでが新品であり、その稼働状況はグレイヴクアマに比してもまるで遜色ない。
 更に一点。ボマーユニットを装備しているというだけでも、他のプテラスに比して十分特異であるその外見には、細部に注目しても幾つかの差異が見受けられた。コクピット部の十六ミリ砲を三十ミリ砲へと換装して攻撃力を増強。その上、対地ミサイルポッドも三十ミリのガンポッドへ。見る者が見れば、ボマーユニットの拡張ウェポンベイに搭載されたミサイルが、全て対空ミサイルである事も分かる。脚部のミサイルパックには従来通りの対地ミサイルが辛うじて装填されていたが、本来戦闘爆撃機であるはずのプテラスは、今やドッグファイトを目的とした純粋な戦闘機へと完全に生まれ変わっていた。
「もう十年以上になるか……よくぞ、ここまで……」
 ラスタヴィユの身体には、一機のゾイドの感触が残っている。グローブの中の操縦桿も、そこからフィードバックされてくる機体の挙動も、ラスタヴィユの知る感触とは違うものだったが、しかし感覚の世界では、十分に彼の手に馴染むのだった。
 懐古の情が、次第にラスタヴィユの五感を支配していく。ラスタヴィユは風防ガラスの向こうにいつしか、ワールウィンド・サーキットとは異なる光景――広大な中央大陸において、最も天に近い頂を擁する険しい山並みの姿を見出していた。純白の万年雪が山肌に不可思議な模様を描き出す、中央山脈の威容を。
「帰ってきたのか、俺は……この場所に……」
 かつて、軍人となる事を選んだファネスやアミティスと袂を分かち、違う道を歩んだはずのラスタヴィユ。しかし運命の皮肉か、ファネス達の前に再び現れた彼は、今やこの場所――戦場という名を持つこの場所に、帰ってきたと言える人種となっていたのだった。
『共和国軍のゾイドを確認。凱龍輝・真、二機』
 ラスタヴィユの視る過去に、滲むようにして現実の光景が重なってくる。中央山脈の中に現れるサーキット。そして、湖岸でA.R.O.H.の水中ゾイドを迎え撃つ凱龍輝二機。
「……よし」
 過去の記憶で感傷的になっている自分を自覚していたラスタヴィユは、十分に呼吸を整えてから言葉を発するのを忘れない。結局、士気昂揚のために声を張り上げるでもなく、かと言って名将の如く冷静な声音という訳でもなく、普段通りの平坦な口調となる。
「まずイレギュラーズのゾイド部隊から優先して叩く。全機、ばら撒けるだけばら撒いて粉微塵にしろ」
『相手は大型ゾイドとはいえ二機だ、爆撃機を全て振り向ける必要もないだろう?』
 それが気に入らないのか、あるいは血気に逸っているのか、編隊の一部からは反論が上がったが、ラスタヴィユ自身は依然として冷めたままだった。反論に対する怒り一つ滲ませず、再びその口を開く。
「空戦屋だったアンタ達がそう思う気持ちも分かるが、ああいう大型ゾイドってのは、空から相手するにもなかなか厄介な相手だ。ハリネズミみたいなものだからな」
 飛行ゾイドの秀でた機動性も、大型ゾイドの豊富な対空兵装の前では霞みがちだ。高高度からの絨毯爆撃というのならともかく、小型ゾイドによる低高度からの精密爆撃では、必然、敵からの一撃を受ける確率も上がる。そして、小型ゾイドにはそれが命取りだ。
「人死にを出すだけが能でもあるまい。それにどれだけの犠牲者が出ようと、為政者にはそんなもの、対処すべき記号の羅列に過ぎない。それならいっそ、“どれだけ”よりも“どうやって”の方が重要だ。たいそうな椅子に踏ん反り返ってる連中も、自慢の精鋭部隊が何の役にも立たなかったと知れば、単なる数字の並びにも、せめて自分達の支持率と同じくらいの価値は見出せるようになるだろうさ」
 為政者への多分な皮肉を滲ませたラスタヴィユの言葉は、辛うじて、僚機のパイロット達を思い止まらせる事に成功したようだった。ヘルメットの内側に響く沈黙は、彼らの不満げな感情を随分と内包していた。
「……月甲に次いで飛燕まで分離すれば、凱龍輝は裸も同然だ。フットワークが軽くなるのは致し方ないが、空を飛べるこちらからすればさして問題も無い。どうとでもなる」
 しかし、ラスタヴィユはそんな周囲の感情を黙殺。取り繕う事も、言い訳する事も無く、ただ淡々と言葉を継いでいく。その様子からはやはり、戦闘を前にした興奮も、部隊を率いる者の覇気も、まるで窺う事はできない。彼の根底には果たして、反ヘリックを謳うだけの感情が本当に存在しているのだろうか。
『凱龍輝二機、飛燕を分離。飛燕、散開して戦闘態勢に入ります』
 折しも、新たな脅威の出現を告げる一報が、凱龍輝を相手取って戦闘中のバリゲーターから入電する。そこに加えて、セラー空軍基地攻撃隊からの通信。
『セラー空軍基地残存勢力が行動開始。上空退避したスクランブル機を中心に編隊を形成し、ワールウィンド・サーキットへ向けて移動中。サーキットへの到達まで、約五分と推定』
 その知らせは当然、編隊に属する全ての機体にもたらされた。戦闘を前にした緊張感によって、それまで確かに自分に向けられていた周囲の不満が嘘のように消え去っていくのを、ラスタヴィユは感じる。
(私情は持ち込まず……随分と頼もしい事だな……)
 戦場を住処とする猛者達が見せたプロフェッショナルとしての一面に、ラスタヴィユは苦笑を浮かべる。あぁ、自分とは違うのだな、と。
 そう。ラスタヴィユは彼らとは違う。戦う目的が、あまりに違い過ぎる。
「……さて、聞いた通りだ。セラーのカラス共がやって来る前に、上がってくるツバメを始末する。なに、トリック・スターの腕っこきを相手にした事を思えば、乗り手のいないブロックスの一機や二機、どうという事もない」
 山あいで、イエローカラーのレイノス四機を相手に演じた大立ち回り。彼らが見せた素晴らしい戦闘機動に、ラスタヴィユ率いる編隊の空戦ゾイドたちは予想外の苦戦を強いられた。一騎当千を謳えるほどの実力者であるA.R.O.H.の面々が、実戦さえ知らぬ若手揃いのアクロバットチームに腕前で劣っていたはずもないのだが、丸腰のトリック・スターに対し、その撃退には通常では考えられない時間を要したのである。
 A.R.O.H.側に被害は皆無だったものの、それは相手が展示飛行帰りの丸腰だったからに過ぎず、仮に相手が完全装備のレイノスに搭乗していたなら、結果は自ずと変わっていた事だろう。これでは、彼らを単なる大道芸人と笑う事は到底できそうもない。
(なかなかどうして、連中も骨があるものだ……)
 しかし、もう片は付いたのだ。四機の黄色い翼は、その身を炎と黒煙に彩られて大空に散った。そしてラスタヴィユは今、当初の目的通りサーキット上空へと到達しようとしている。このお祭り騒ぎもいよいよ本番であり、大詰めだ。
「……グレイヴクアマは俺に続け。レドラーはジョンソンに任す。時間が無い、面倒が増える前に三分で飛燕を落とせ。ハリス、残りを連れて地上を片付けろ」
 矢継ぎ早に下された指示に、編隊が三つに分かれた。
 機首を右手へと振り向けたラスタヴィユのプテラスには、三機のグレイヴクアマが続く。その方向からは、地上の凱龍輝より分離した飛燕の一機が急上昇してきていた。軽量小型の無人機故か、その上昇速度は速い。
「上は取らせん。このまま一気に突っ込んで、すれ違い様に決める」
 その声に、グレイヴクアマの黒い機影三つと、それを率いるプテラスの鮮紅の機影が、獲物に襲いかかる猛禽のように降下を開始した。重力を味方に、風を切り裂いて加速する四機。正面から接近する飛燕との距離は、みるみる縮まっていく。
(そう、そのまま来い……来るしかないだろう……?)
 キャノピーの向こうで大きくなる飛燕の姿。飛び道具を持たない飛燕の戦法は格闘戦だ。獲物は自分から近づいてくる。
“すれ違い様に決める”
 ラスタヴィユのその言葉は僚機への指示ではない。宣言だ。
 ラスタヴィユ自身が“すれ違い様に決める”という宣言であり、そこには“手を出すな”という僚機への意味合いも含まれていた。だが、それで大人しく後ろに控えているようでは玄人ではない。ラスタヴィユの討ち洩らしに備え、後に続くグレイヴクアマ三機は傷一つないソードウイングを照り付ける日の光に妖しく輝かせる。
「……ふんっ。好きにすればいい」
 その様子を背後に察し、ラスタヴィユは不敵な形に口唇を歪ませる。要は、自分が一撃で仕留めれば何の問題も無いのだ。ラスタヴィユは攻撃兵装をガンポッドに選定し、操縦桿のトリガーに指をかけた。
(無人機にミサイルは、な……最初は散々、無駄弾を撃たされた……)
 パイロットへの負担を考慮する必要が無い分、無人機の機動性は高い。ミサイルの一発や二発、有人機には考えられない機動で簡単に振り切ってしまう。
 だが、ガンポッドから撃ち出される機銃弾ならそうはいかない。そもそも勘や予感といった要素に頼れない無人のブロックスに、レーダー波の照射を伴わない機銃弾による攻撃は、それが命中するまで攻撃を察知する術が無い。ドッグファイトの最中というのであれば、戦闘経験値次第で攻撃タイミングを察知できるのかもしれないが、今のようなヘッドオンの状態では、こちらからアクションを起こさない限り向こうも攻撃を優先するだろう。初撃で致命打を与えれば問題ない。
 握り込んだ操縦桿で進路を微調整し、可動範囲の存在しないガンポッドの銃口を飛燕へと向ける。コクピット部も合わせれば三十ミリ機銃が三基。大型ゾイド凱龍輝のパーツから成るとは言え飛燕も飛行ゾイドであり、三十ミリを三門束にすればその装甲も悲鳴を上げる。
(トリック・スターを思えば、ヌルい相手だ……)
 狙うと言うよりはほとんど感性を頼りにする形で、ラスタヴィユはトリガーを引いた。衝撃とも表現できる激しい振動。機体を減速させるほどの反動を伴い、三十ミリ機銃弾の嵐が飛燕に襲い掛かる。次の瞬間には、飛燕の青い機影とプテラスの紅い機影が、抜けるような青空の一点で交錯していた。
 勝負は一瞬。飛燕の翼がプテラスを捉えるより先に、プテラスの放った機銃弾の掃射が飛燕の左翼を根元からへし折り、さらにコアブロックスの露出部分に無数の弾痕を穿った。
 意外なほどに呆気ない幕切れ。プテラスに続いていたグレイヴクアマ三機が、力を失った飛燕を止めとばかりに、すれ違い様のソードウイングで切り刻む。五つに解体された飛燕は、黒煙の尾を引いてサーキットの人造湖へと落下していった。
 しかしその光景を目にしただけでは、ラスタヴィユは愛機プテラスの降下を止めない。サーキットの全景が視界からはみ出し、湖岸に打ち寄せる白波の一本一本までもが見分けられそうな程まで更に高度を落とし、そして――
「ふっ――!」
 気合のこもった鋭い呼気を吐きながら、そこで一気に制動をかける。急激な減速Gによって血の色に染まった視界に、バリゲーター、シーパンツァーと砲火を交えつつ、更にプテラス隊の爆撃に曝される凱龍輝二機の姿を確かに捉えたラスタヴィユ。使用兵装にプテラス脚部ミサイルパックの対地ミサイルを選択し、立て続けの斉射を加える。十分な射程内からホバリング状態で発射されたミサイルは正確無比。周囲からの攻撃に手を焼いていた凱龍輝は、上空からの新手に対応し切れず、その胴体に炸薬満載の弾頭を次々と叩き込まれる事となった。ブロックスの展開によってウィングや装甲の多くを失ってはいたが、それでも十分な力強さを持つ凱龍輝の巨体が、湖岸の地面に打ち倒される。
「直撃でも仕留め切れない、か。ブロックスを分離していながら……」
 愛機が吹き飛ばした凱龍輝にまだ息があるのは分かっていたが、ラスタヴィユはそのスコアに固執する事はしなかった。大型ゾイドの頑丈さに素直に感心しながら、再び上空へと舞い上がる。ラスタヴィユのプテラスは空戦仕様であり、搭乗者本人も含めて対地戦闘は本職ではなく、凱龍輝の重装甲をいつまでも相手にしていられない。餅は餅屋であり、ラスタヴィユにはもっと他に相手をすべき存在があった。
「ジョンソン、そっちの始末は終わったな?」
『あぁ、たった今。まったく厄介なもんだぜ、無人機ってのは……』
「御託を抜かしてる暇は無い。新しい客を出迎えなきゃならん」
『了解だ。ちょうどこっちでも確認した』
 接近する敵機は、もうレーダーレンジに入っている。しかし一級の腕前を持つ飛行ゾイド乗りが集められたA.R.O.H.の編隊の中にはラスタヴィユを始め、既に相手をその肉眼で捉えた者も少なからず存在した。目の良さは、一流パイロットの必須条件だ。
 現在A.R.O.H.の爆撃機は二隊に分かれ、凱龍輝を一機ずつ相手にしている。ラスタヴィユの視界の中では、新たに出現した共和国空軍の編隊は空に浮かぶ小さな点の集まりでしかなかったが、それが二手に分かれ、味方の爆撃機集団にそれぞれ向かっていったのは十分に確認できた。あの連中を退けて爆撃機の損失を防ぐ事こそ、レドラーやグレイヴクアマを駆るラスタヴィユ達に課せられた役割である。
「各自、肩慣らしは終わったか? ここからが本番だ。次の相手は、丸腰のアクロバットチームや無人ゾイドとは訳が違う。頭を切り替えろよ」
 ラスタヴィユはそう僚機のパイロット達を叱咤し、操るプテラスになお一層の速さで空を駆けさせる。それに応えて飛翔するプテラスの動きは、性能で遥か先を行くグレイヴクアマさえも、ともすれば置き去りにしてしまいそうなほどだ。
「ジョンソン、相手の戦力は?」
『さて、ね。そっちはどうだか知らんが、こっちは今の戦力だけでなんとかなるだろう』
「当たり前だ。俺達に、伏せた戦力なんぞ有りはしないんだ。なんとかしてもらわなければ困る」
 ラスタヴィユの遠慮ない言葉に、ジョンソンは苦笑したらしかった。スピーカー越しに、喉を鳴らすような低くくぐもった彼の笑い声が聞こえてくる。
『違いない。聞こえたなオマエ等? 本物の戦場で鍛えた腕、見せ所だぞ』
 そして、その後に彼が放った言葉には、編隊の面々から威勢のいい応の声が上がったのだった。自分よりも余程自分の肩書きに相応しいジョンソンの物言いに、今度はラスタヴィユの方が苦笑させられてしまう。
(俺より相応しい人間がいるのに、何故俺はこんな所でこうしているんだろうな……)
 ふと、そんな考えが頭を行き過ぎたからだ。だが、その問いに対する答えは分かり切っているはずであり、分かり切っているからこそ、こうしてこの場所に――戦場となった空に、ラスタヴィユは身を置いているはずだった。
 この期に及んで何故そんな疑問が湧いてきたのか、ラスタヴィユ自身にも判然としない。そのため戸惑ったのも確かだが、やはりその感情を表に出すラスタヴィユではなかった。
「マッキンベル、ブラハム、ルーデル、そのまま俺についてこい。グレイヴクアマの性能を遊ばせておく事の無いようにしろ」
 静かな口調は、普段のそれと何ら変わる所はない。彼の愛機プテラスも同様で、主の内心の動揺を微塵も感じさせない鋭い動きと共に、三機のグレイヴクアマを引き連れて共和国空軍の迎撃部隊へと突き進んでいく。相手はレイノスを中心に、ブロックスによって数を補強した中隊規模の編隊。歴然とした数の差を跳ね除け、ラスタヴィユ達はプテラス隊の露払いを行わねばならない。
「さぁ、いくぞ。討ち漏らすな」
 先を制したのは共和国軍のレイノス。空を一直線に切り裂いた対空ミサイルの白煙によって、戦いの幕も切って落とされた。



(これで一機でも仕留められれば有り難い話だが……あまり期待しない方が正解か……)
 レイノスのキャノピー越しにミサイルの軌道を追っていたマティスは、酸素マスクの下で嘆息する。名ばかりの実戦経験しか持ち合わせぬスクランブル要員であっても、目の前に迫りくる飛行ゾイドの集団には、何かしら感じる所があったのだ。
 案の定、レイノスが放った初弾に素早く反応し、正面の編隊は散開――否、一機がそのままミサイルに向けて突き進んでくる。その姿は、直後に弾けた爆炎の中へと消え失せ、そして一瞬の後に、炎のベールを突き破って再び姿を現した。黒煙の尾をたなびかせる機影を目に、マティスの周囲から驚きの声が上がる。
『が、ガンでミサイルを――!』
『あんなの見た事ねぇ……』
 対する相手の鮮やかな腕前を見せつけられ、マティスが感じていた得体の知れない迫力は、僚友達にも十分に伝わったようだ。自分達を明らかに上回る相手の力量を知って委縮してしまったのか、通信を賑わすざわめきは仲間達の動揺をはっきりと伝えてくる。あるいはその辺りまでを見越しての、派手なデモンストレーションだったのであろうか。
 しかしマティスに、あまり思考に費やす時間は残されていなかった。敵は、編隊の先陣を切るマティスに向かって一直線に突っ込んでくる。
「この数に正面から? 相当の自信家らしいな。それとも、望む世界を命で贖おうという魂胆か? そんな簡単に投げ出せる命に釣り合うほど、世界は安くないと思うがね」
 マティスはバイザーの下で不快気に目を細め、ディスプレイ上で次第に大きくなる正面の機影を見据えた。遠目に黒く見えた影が近づくにつれて赤く染まり、明らかになってくる細部によって、相手の機種も程なく判明する。
「なっ!? まさかっ!?」
 向かい合った敵機を“赤いプテラス”と認識した瞬間、マティスは反射的にレイノスの機首を翻していた。一方の赤いプテラスは、マティスの動きに反応して機首を変じる事なく、そのままガンの一斉射。発射された無数の機銃弾はレイノスの残像を貫き、偶然かはたまた狙っての事か、その後ろに悠々と控えていた一機のナイトワイズを直撃した。翼をへし折られたナイトワイズが、軌道と黒煙で螺旋を描きながら地上へ吸い込まれていく。
「まさか……“中央山脈の狂い鳥”……」
 僚機の最期を見届けながら、マティスはその名を口にする。大戦に参戦していない彼ですらも知る、禍々しき異名。それはヘリック共和国とネオゼネバス帝国とが覇権を争った先の大戦において、中央山脈戦線の兵士達に蛇蝎の如く忌み嫌われた所属不明機を言い表すものだった。
 所属不明ゾイドの正体は、赤く塗装されたプテラス。ある日、前触れもなく中央山脈に姿を現したプテラスは、展開する部隊に共和国、帝国の別無く攻撃を加えるという理解不能の行動パターンと、派遣された討伐部隊をも一蹴する無類の戦闘力を示し、前線の将兵に大きな衝撃を与えた。被害が一ヶ月も続く頃には、兵士達の口に様々な異名までも上るようになる。
 ある者は“告死鳥”と恐怖し、またある者は“赤い災厄”と忌み嫌い、そしてある者は“中央山脈の狂い鳥”と呼び囃して悪名を世に知らしめ――しかし、数ある異名が一つになるのを待たず、謎のプテラスは共和国軍機によって撃墜。パイロットの遺体は発見されず仕舞いであったが、残骸にベイルアウトの痕跡が無かったため、墜落によるパイロットの負傷は確実と見られ、国籍や性別、年齢、種族といったパーソナリティどころか、遂にはその生死までもが判然としない、全く謎の人物となってしまったのである。
 そんな逸話の中の存在が、目の前にいる。無論、戦争を知らない世代のマティスに“中央山脈の狂い鳥”と刃を交える機会があったはずもなく、キャノピーの向こうで鮮やかな飛行機雲をひくプテラスが果たして本物であるのか否か、見極める術は無い。だが、血の色で彩られたその機体が身に纏う禍々しい雰囲気は、戯れで装い切れるものではないように思えた。
「本物を知らない俺が言うのも何だが、外身だけなら十分本物だな。問題は、中身だが……」
 ふと、マティスの脳裏を嫌な予感が過る。もしあの赤いプテラスが本物の狂い鳥だとしたら、それは自分の手に負える相手なのであろうか、と。僚機のパイロット達の中にも敵の正体に思い至った者があるのか、通信スピーカーは静かなざわめきで満たされつつある。
「……やれやれ、何を考えているのやら。本物だからと、泣いて逃げ帰れる訳でもあるまいに」
 しかし不安げに響く仲間達の声が、逆にマティスの思考を仮定から現実へと引き戻すきっかけとなった。獲物を求めて機首を巡らせる赤いプテラスの姿を一瞥し、マティスは口を開く。
「狂い鳥だろうと何だろうと関係ない。こっちの本命は、あの四機の後ろにいるヤツだ。散開して敵編隊を突破する」
 それは他の誰でもない、自分自身に言い聞かせるかのような言葉だったが、得体の知れない怪鳥を無視するという当座の方針は、編隊中に広がった動揺を収める事にも成功する。早速、二機のプテラスが増速し、前に出た。だが、しかし――
『待て、飛び出すな!』
 セラー基地のレーダーオペレーターが発した指示は、時機と、更にはその具体性までも失しており、到底役立つものではなかった。当然、前に出たプテラス二機は対応する事もできず、直上から逆落としに舞い降りた二機のグレイヴクアマにパルスレーザーガンの雨を浴びせられた挙句、ソードウイングに切り裂かれる。
 一瞬にも満たぬ交錯によって首を切り落とされた一機は、それでも残された両翼で飛行を続けてはいたが、やがてレーザーのダメージによる黒煙を引きながら緩やかに降下していった。残るもう一方はというと、こちらは片翼ごと胴体を叩き切られてしまい、空に留まる事の許されぬ鉄クズと化して地上へ落下していく。どちらの攻撃も、移動している相手を狙ったとは思えない鮮やかな一撃。
「ちっ、狂い鳥だけの連中というわけでもないようだな……」
 仲間の脱出を確認する暇も有らばこそ、今度は自分に向けられたグレイヴクアマの攻撃をあしらいながら、マティスは毒づくしかなかった。実戦経験は無くとも、日々の厳しい訓練によって磨かれた操縦センスは、レイノスの淡緑の機体を存分に振り回して撃ち込まれる光弾を掻い潜ってはいる。しかし自分の動きに、本来そこまでのキレが備わっていない事は、当の本人であるマティスが一番よく分かっていた。無事で済んでいるのは、相手が足止めを狙っているからに過ぎない。
『突破できねぇ……ホントに四機しかいねぇのか?』
『あぁ、そうだよ! 何遍数えても、片手の指だけで足りちまう! まったく、冗談じゃねぇぜ!』
 仲間たちの怒号と悲鳴だけが、通信を席巻していた。効果的な指示の言葉など一つも聞き取れない。
「たった四機に……面目も何もあったもんじゃないな。このままじゃ帰れんぞ……」
 元々、編隊の中心がセラー基地襲撃に際して上空退避したスクランブル機のため、戦闘可能時間が限られている。自分達の力不足は重々承知の上で、マティスは腹を括るのだった。
「ランディのバカがトチったせいで、貧乏くじが俺の方にまわってきたな……」
 マティスと合わせ、セラー基地の二枚看板と謳われた自信家の相棒がこの場にいない以上、狂い鳥の相手を務めるべき者はマティス以外に無かった。これを退け、敵の士気と脅威の両方を削ぎ落とす。自分の持ち得る技術でそれが実現可能かどうかはもはや問題ではなく、やるかやらぬか、守り人としての矜持の問題であった。
 そしてマティスという男は、その選択によって自身が初の実戦に臨む事になると分かっていても、そこで尻込みしてしまうような可愛らしい性格の持ち主ではなかった。
「一つ、やってみるとするか……敵の包囲が乱れるぞ。隙を見逃すな!」
 残る僚機に言い残し、マティスは単身機体を進めた。目指す先には、悠々と空に浮かぶ真紅のプテラスの機影がある。しかし、そう簡単にそこまで辿り着かせてはくれそうもない。
「まったく、人の決意を鈍らせるような真似を……!」
 早速、一機のグレイヴクアマがマティスのレイノスを標的と定めたようだ。上空からレイノスの背後を取るように舞い降り、パルスレーザーを浴びせかけてきた。マティスの咄嗟の回避運動によって光条が機体を捉える事は無かったが、それでも間一髪でコクピットを掠め、マティスの視界はバイザー越しに仄白く染まる。
 マティスは一歩も引かず、操縦桿のトリガーを引き絞った。レイノス尾部のバルカン砲が火線を迸らせ、自機のデッドシックス(死の六時方向=真後ろ)を取った敵機へ起死回生の七十二ミリ弾を吐き出す。グレイヴクアマもこの大口径弾に直撃を食らう訳にはいかないらしく、レイノスの撃墜をあっさりと諦め、急旋回で機首を翻した。
(余裕綽々という訳か? どこかのレイノスパイロットと大違いだ)
 酸素マスクの下で、マティスの顔がシニカルな笑みの形に歪んだ。数で圧倒していながらも、敵の行動一つで、追い詰められているのは自分達の方だと思い知らされてしまうこの状況には、まったく笑うしかない。或いはこれこそが、実戦経験の差から来る違いなのだろうか。
 残念ながらマティスには、その問いに答えを出すだけの時間が与えられなかった。腕利きの僚機をあしらって自分に向かってくるレイノスを、己が獲物と、遂に狂い鳥が見初めたのである。一際大きく羽ばたいた刹那、紅きプテラスは矢のような鋭さで、レイノスへと一直線に突っ込んでくる。
「さて、本番だ。一発勝負、頼むぞレイノス」
 レイノスとの繋がりを殊更強く意識するあまり、マティスの口には内心の言葉が登る。
 狂い鳥が本物であるならば、マティスとの操縦技術の差は明らかであり、長期戦や真正面からの戦闘が不利になる事は目に見えていた。恐らくその差は、プテラスとレイノスの性能差をもってしても完全には埋められない。何しろ相手は、先の大戦においてもあのプテラスを駆り、最新鋭機で編成された討伐隊すら打ち破っているのだから。そのためマティスは狂い鳥撃墜に際し、不意を衝いての一撃必殺のみに、己の勝機を見出していた。
 しかしそれしきの事で、マティスの勝ちが決まるはずもない。そんな中で、自身の独白に応えるレイノスの鋭い雄叫びが、マティスには心強かった。この愛機とならば、どんな逆境すらも覆せるような気分になってくる。果たしてその気持ちは現実となるか、はたまた単なる思い過ごしで終わるか、確かめるための試練はすぐに訪れた。
 プテラスはレイノスの射程距離を割り込んでいながら、実に素直な軌道でなおも接近を続けてくる。それでいて、攻撃の素振りすら見せぬのだ。
(くそっ、早速仕掛けてきた……!)
 敵の狙いがまるで読めず、マティスは凍りついた。ビーム砲のトリガーに伸びた指が、二度、三度と痙攣の様に震える。自分がロックされている事を知りながらも躊躇う事無く接近してくる敵に対し、攻撃の判断が咄嗟に下せない。
 撃てば当たるのか。否、何かの罠ではないのか。落ち着いて考えろ。考える前に撃て。敵は百戦錬磨の狂い鳥だぞ。そもそも本物という保証があるのか。自分を侮って油断しているだけだ。命懸けの実戦でそんな事に期待できるものか。撃て、撃て。まだだ、待て。どうする、どうする、どうするどうする……。
「はぁ……はぁ……はっ!?」
 自分の荒い息遣いすらも聞こえなくなっていたマティス。気付けば、プテラスのガンも既に射程圏内だ。ほんの数秒に満たぬ僅かな時間であったが、思考の迷宮に完全に囚われてしまった事により、マティスは攻撃の機を完全に逸していた。慌ててトリガーを引き絞るが、発射された三条のビーム光は何も無い空間を焦がし、虚空へと消える。プテラスは攻撃の寸前、百八十度ロールからの急降下でレイノスのロックを外し、低空へと逃れていた。
(これが……)
 束の間、敵の重圧から解放されたマティスは、その段になって身体の不快感を意識する。今の僅かな交錯だけで、パイロットスーツの下はすっかり汗みずくとなっていた。
(これが実戦という訳か……)
 アグレッサー部隊との戦技訓練でも似たような思いをした事はあったが、それも今回と比べればまだまだ可愛いものだった。勝負のテーブルに命を乗せた以上、敗れればそれを失っても文句は言えないのである。教官からの叱責など酒の肴にしてしまえばいいだけの話だが、敗北し命を落とした話を肴にあの世で一杯やるというのは、マティスに限らず誰しもが願い下げしたい所だろう。
 否、狂い鳥が攻撃を敢行していれば、マティスは間違いなくそうなっていたのだ。マティスが生きて、身体を濡らす汗の不快を感じていられるのも、敵の気紛れのおかげでしかない。
(手心を加えたつもりか? 二度目は無いぞ……!)
 敵の余裕なのだとしたら、いかに自身の命が助かったとしても、それはマティスに対しての侮辱に他ならない。
 傷つけられたパイロットの誇り。取り戻す方法が一つしかない事は、マティス自身もよく分っていた。しかしだからと言って、レイノスが咄嗟に機首を下向け、プテラス追撃へと移ったのは、決して彼がメンツに拘っているからではなかった。逆上し、状況が見えなくなる程の前後不覚に陥った訳でもない。
 確かに現状のマティス達には、狂い鳥の撃墜よりも、その編隊を突破して地上部隊を脅かす敵爆撃機を撃破する事こそが求められている。だが、それで狂い鳥やその僚機を放置していては、自分や仲間が餌食となる事は火を見るより明らかだった。せめて狂い鳥一機だけでも、誰かが撃墜或いは足止めする必要があった。
 そこで、マティスは仕掛けた。狂い鳥の上を取った今の状況を、自分に有利と判断しての行動だった。
 狂い鳥は、降下によって位置エネルギーを失っている。未だに高度を保っているマティスは、ここから狂い鳥を追って降下する事で、位置エネルギーを運動エネルギーへと変換して速力を得て、空戦には欠かせぬ機動力を獲得できるのだ。
 狂い鳥の機影を見据え、操縦桿を前方へ押し込むマティス。その全身には増速に伴う加速Gとは別に、言い知れぬ重圧が襲い掛かっていた。背後をとっているにもかかわらず、狂い鳥が発するプレッシャーはマティスの精神をみるみる疲弊させていく。今日までパイロットとして生きてきたマティスであったが、その中で味わってきた感覚とはまさに似て非なるもの、別物と表現せねばならない代物だった。
(ば、バケモノめ……)
 総毛立つようなプレッシャーに気圧され、尋常でない相手の力量を嫌というほど思い知らされるマティス。もし今、手の中の操縦桿を引き、高度を取って離脱すれば、襲いくる威圧感から一瞬でも解放されるだろう。頭の中で自分の一部がそうしろと囁くが、それに従おうとする衝動を抑え込み、マティスは操縦桿を押し込み続ける。
 プテラスの後ろ姿がマティスの視界の中で、キャノピー越しにどんどん大きくなってきた。紅い機影を凝視し、操縦桿のトリガーに指をかけ、そんな中でマティスにはもちろん自覚があった。狂い鳥に近づけば近づいただけ、自分が“低空”という敵の土俵に踏み込んでいるという事を。それが秘めた自信の表れなのか、はたまた微かな勝機に縋ってしまった己の弱さなのか、マティス自身にも分からなかった。
 加速するレイノスは遂に、プテラスをその射程に捉える。砲口とプテラスの機影を結んだその先には、サーキットの誇る人造湖が波打つ水面を陽光に煌めかせており、仮に一撃を仕損じたとしても避難する観客への被害は考えられない。
「過去の亡霊め、出てきた地獄に叩き返してやる……!」
 マティスは必殺の意志を込め、レイノスのビーム砲を三連射した。眩く輝く光の帯が、火器管制システムの弾き出した敵の未来位置へ向け、一瞬の速さで伸びていく。しかし、それが当たらない。放たれた九発が九発とも、まるでそこを狙ったかのように、プテラスを避けて虚空のみを穿ったのだった。
「つうっ……! ビーム砲がこの距離で……!」
 光の速度を持ち、発射と着弾にほとんど時差が生じないはずのビームの攻撃が、外れる。狂い鳥はレイノスの攻撃を回避したのではなく、初めからシステムを欺瞞する機動で攻撃の狙いを逸らしていた。巧みなスロットル操作による僅かずつの加減速で、未来位置の予測を狂わせたのだろう。
 マティスは歯噛みしながら、目前の強敵を相手にシステムに頼り切りだった己の愚を思い知った。戦場で得られた貴重な教訓であったが、しかし、目の前の試練を乗り越えなくては活かす機会も巡ってはこない。
「こいつ……それならマニュアルだ」
 早速システムを見限り、目視での一撃を試みようとしたマティス。しかし自動照準に慣れ切った彼の技術が、マニュアル操作で照準を合わせるまでに要した時間は、狂い鳥が行動を起こすには十分過ぎる隙となった。紅きプテラスが、翼を打って身を翻し、鋭い戦闘機動へと移る。
「……これが本気か、狂い鳥!」
 瞬きの間で視界から消え失せようとするプテラスの尻を睨みつけ、マティスは懸命にその後を追った。傍目には遜色ない動きで、前を行くプテラスに追い縋るレイノス。
 それはマティスにとって、断崖の上を全力で疾走しているようなものだった。どんなに順調に見えていても、いつかは破綻し、身を滅ぼす。しかしそれを理解してはいても、自身が防人としての使命を負っている以上、マティスに退くという選択肢は存在しなかった。
 今この時のために、浴びせられる罵声や振るわれる鉄拳に耐え、研鑚を積んできたのだという自負。自分には及びもつかない敵が相手であっても、負けたくないという願い。何より、理不尽な暴力から、罪無き人々を守り抜かねばならぬという強い決意。様々な想いがほんの一時、マティス自身にも、レイノスの翼にも、狂い鳥に迫る力を与えていた。
(当たれ!)
 しかし想いの力も、放たれる矢にまで作用してはくれなかった。空を上へ下へ、上を下へと縦横無尽に駆け回る中で、マティスが必死の思いで見出したチャンスにも、攻撃は虚しく空を貫くばかり。紅きプテラスの機体には、焦げ目一つ残す事ができない。
 何もできないマティスを嘲笑うかのように、目の前で軽やかに躍り続ける狂い鳥。思いの丈に比例して強まる無力感のあまり、マティスは自分の太腿に握った拳を打ちつける。情けない己へのやり場のない怒りは、そんな愚かしい行為に手を染めても、万分の一も発散する事ができなかった。
(今のうちに仕留めなければ……こんな動き、いつまでも続けられるわけがない……)
 今のマティスは、狂い鳥に引っ張られながらも、強い想いから生じる集中力によって、辛うじて破滅を免れているに過ぎない。一度集中が途切れた時、復調など望むべくもない事は、マティス自身もよく分かっていた。だがそれ故に焦る気持ちが、限界まで張り詰めた集中の糸を掻き毟る。
 焦燥に駆られ、堪らずトリガーを引き絞るマティスだったが、立て続けに乱射されたビームの閃光は、やはりプテラスを捉える事ができなかった。その結果が、更に焦りを募らせるという負のスパイラル。プテラスを追うレイノスの動きには、やがて綻びが生じ始める。
「くそっ……」
 荒くなったスロットル操作によって、プテラスが描いた軌跡からレイノスの軌道が外れ始めていた。修正のために意識を凝らすものの、身体の奥底に澱んだ言いようのない無力感が集中を妨げる。ヘルメット内に響く自分の息遣いの向こうで、噛み締めた奥歯が擦れる不快な音を、マティスは聞いた。
 セラー基地で一、二を争う技量を持つマティスにとって、ここまで途方もない絶望感を意識した経験は、今までに皆無だった。空軍の腕自慢が顔を揃えるアグレッサー部隊を相手にした時でも、その結果はどうあれ、彼らの動きに勝機を見出す事くらいはできたマティスだったが、今度ばかりは何をどうした所で勝ちへの道は見えてきそうもなかった。
 勿論マティスという人間は、それで全てを諦めてしまうほど物分かりのいい性格でも、また人生を悟り切っているわけでもない。しかし強敵を前に辛くも保っていた集中が乱れるには、その程度の切っ掛けでも十分だった。
 それは、何度目とも知れぬ操作ミス。スロットルを僅かに開け過ぎ、更にはエルロンの操作もタイミングが一瞬遅れた。結果として、プテラスの描いたラインよりもレイノスは軌道を膨らませる事となり、両機の間には僅かながら距離が開く。マティスは遅れを取り戻そうと、今度は意図的にスロットルの開度を大きくした。そこから、膠着していた状況が一気に進展を再開する。
 マティスのスロットル操作は、全体から見ればほんの一瞬の出来事でしかなかった。その一瞬を狙いすましていたのか、はたまた偶然が味方したのか、それはマティスには分からない。とにかくその時、彼が目にしたのは、自分が予想していた以上の速度で失われる狂い鳥との相対距離――即ち、自分に急速に迫りくるプテラスの紅いテールだった。
 何故、という疑問を差し挟む余裕は無かった。敵機をオーバーテイクしないよう、理性が働いた訳でもなかった。それはマティスの反射神経が攻撃の好機を見逃してでも、障害物との接触を避けるべく、彼の肉体を動かしたに過ぎなかった。彼の操縦に従順に従ったレイノスは、今度は一転、推力の低下と空気抵抗の獲得によってその速度を落とした。
 ディスプレイ上で減少していく速度表示の数値をチラチラと確認しながら、なおもレイノスを減速させていくマティス。通常のマニューバでは考えられない行為であったが、衝突を回避するのが目的である以上、目の前を飛ぶプテラスが減速を続ける限り、マティスもそれに倣うしかない。機首を転じて接触を避けるという選択肢はこの時、マティス自身の思考によって奪われていた。力量で勝る相手を敵に回している今、最大のアドバンテージである現在のポジションを放棄して、それでもなお勝利を得る己の姿を、マティスには想像できなかったのだ。
  ようやく意識が攻撃のチャンスを認識しだした頃には、過度の減速によって機体の安定が失われ、それどころではなくなっていた。コクピットのファネスにもはっきりと伝わる不気味な振動は、重力という名の見えざる手がレイノスを捕えんとしている証拠だった。このまま減速を続ければ、いつかその手によって、レイノスは重力の奈落へと引きずり込まれるだろう。
 もっとも、それはプテラスも変わらないはずだった。いかに狂い鳥と呼ばれる使い手であろうとも、そんな理由で重力の魔手が目溢しするはずもないのだから。
 だからマティスには、敵の目的がさっぱり分からなかった。そして、分からない故に思考を支配した疑念が、警鐘を鳴らし続けていた。
(こんな嫌がらせで終わりのはずがない。何か仕出かすつもりだ……絶対に)
 レイノスの振動がいよいよ大きくなってくる。空戦パイロットにとっては不快極まる感覚に、マティスが肌を粟立たせ始めたその時、遂にプテラスが動いた。左にロールを打った機体が、マティスの視界の中で左下の方向へと滑り、計器盤の向こうに消える。失った速度を降下によって補いつつ、旋回に入ったようだ。
「そこから何を狙う、狂い鳥」
 まだ疑念は晴れなかったが、相手が行動を起こしてくれたのを幸いに、マティスは出口の見えない先読みの思考を放棄し、状況への対応に集中できるよう頭を切り替えた。もっとも身体の方は、それ以前に嬉々として動き、プテラスを追うための機動をレイノスへと伝えている。減速チキンレースとでも呼ぶべき異常な事態は、ほんの数秒間の出来事を無限にも思える時間へと変貌させ、大きなストレスをマティスの精神に、そして肉体に与えていたが、その抑圧からの解放に対する喜びでもってマティスの全身は躍動せんばかりだった。
 それだけに、そんな自分の身体が瞬時にして凍りついた時の衝撃は、その落差の大きさによってマティスの思考をしばし停止させる。頭の回転が追いつかず、何が自分の身体を戦慄させているのか、理解するのにも時間を要する有様だった。
(レイノスが……動かない……!)
 自分の操縦によって、レイノスの補助翼が確かに動作した感触はあった。しかしそこから、先のプテラスのように機体がロールする事もなければ、血の一滴から細胞の一粒に至る全身を振り回すようなGの感覚がマティスに襲い掛かる事もなかった。
 機体が風を捉えていない。半ば失速するほどの低速では、補助翼によって得られる空気抵抗が小さ過ぎ、三十トンの機体を機動させるまでの力を生み出す事ができなかったのだ。低空、低速域での安定性と機動性における二機の性能差が生んだ戦術に、マティスはまんまと嵌められていた。
「や、やってくれるな……」
 今や空中を漂うオブジェへと成り下がったレイノスのコクピットで、マティスは吐き捨てた。推力を得るために咄嗟にスロットルを開くが、時間の感覚を引き伸ばすほどに鋭敏になったマティスの感性には、レイノスの加速はまさに蟻の歩み。敵の存在する戦場に、成す術を持たない状態で佇む恐怖感たるや、常人の想像の及ぶ所ではない。マティスにしても初めての経験であったが、己の死さえも想起させる事態に晒される恐怖の大きさは、まさに筆舌に尽くせぬものであった。
『下だ! 来てるぞ、マティス!』
 僚機からの注意の声が飛ぶ。普段であれば、自分も手一杯なはずの仲間からの気遣いに感謝する所だが、極限状態に置かれた今のマティスでは、「言わずもがなの事を」と苛立たしげに零すのが精々だ。マティスには、放たれる鋭い殺気によって、足下から迫り来る狂い鳥の姿が目に浮かぶかのように想起できた。
(今度ばかりは……死んだ……か?)
 頭の片隅に残る冷めた部分が、自分の死の可能性を他人事のように認識しているのを、マティスは知覚する。迫る気配から推して、次の攻撃に先刻のような“手心”は期待できそうもなかった。
 ここに来て、ようやく加速Gが体に感じられる程度にまで大きくなっていたが、まだまだ操縦桿から感じるフィードバックは希薄で、機体の旋回が可能となるまでには僅かながらも確実な時間が必要な事を、マティスへと伝えてくる。そこには自身の生存への新たな希望など微塵も存在せず、絶望的状況を再認識させられる機会でしかなかった。
 しかし、マティスの受難はまだ終わりではなかった。狭苦しいコクピットを満たした空気が、新たな未確認機の接近を告げる警告音によって震え、また一段とその重さを増す。詰みのかかったこの状態に、さらに追い打ちをかける。戦場に住まう死神はどうやら、初顔合わせの新参者が余程お気に召したらしい。
 レイノスの後方から急速に接近する未確認機。万が一、狂い鳥の攻撃を切り抜けたとしても、その時にはこの未確認機に後ろを取られている。
 横目で一瞥したレーダー画面からそこまでの状況を読み取った所で、マティスは予期せぬGが自身に襲い掛かるのを感じた。待ち侘びたロールのGではなく、もっと急激で振り回されるかのような衝撃にも等しいG。その違いは言うなれば、無機的か有機的か、機械的か生物的か、と表現する事ができた。
 初めは被弾の衝撃かと考えたマティスだったが、すぐに事実へと思い至り、胸を撫で下ろす。マティスの、延いては自分自身の危機を生物としての本能で察したレイノスが、両翼の羽ばたきによる機動で、狂い鳥の攻撃を回避したのである。
 ゾイドの意思に助けられたパイロットについて、大戦中の逸話に触れるには事欠かない立場にあるマティスであったが、自分自身がその逸話の当事者となった事で、実戦の中に身を置く現状を改めて思い知った。ただし今度のそれは、死に際した恐怖感などではなく、戦史に残るパイロット達と肩を並べたかのような誇らしさであり、かつてないほどに感じた愛機レイノスとの繋がりに対する充足感であった。
 もっとも、寸前までとは打って変わった昂揚感に満たされながら、戦いを忘れて舞い上がってしまうほどマティスはウブではなかった。レイノスから機体の操縦権を再び譲り受けたマティスは、せっかく拾った命を無為に散らさぬために、崩れた機体の体勢を立て直しつつ、狂い鳥および未確認機の行方を追った。
 忙しなく首を巡らせ、風防越しに大空を走査したマティスの目は、蒼穹の紅い一点に過ぎぬ機影をまず捉える。絶対に見失うまいと、その一点を睨み据えたマティスであったが、その視界に飛び込んできた新たな点が紅い点に纏わりつくや、自身の注意がそちらへと移っていくのを止められなかった。
 最初はただの点に過ぎなかったそれは、すぐに黒いゾイドであると知れた。扁平で矢尻のような形状を持つ、シンカーの機影だ。
 ゼッケン1を付けた黒いシンカー。マティスのよく知るその姿は、戦場の空には無縁なはずの、英雄の雄姿に他ならなかった。



Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】Amazon 対象商品よりどり2点以上!合計金額より5%OFF開催中
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板