ゾイド系投稿小説掲示板
自らの手で暴れまくるゾイド達を書いてみましょう。
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「退屈な……」 この程度の戦場では、到底男の渇きを満たすことなどできはしない。群がる有象無象どもをいくら蹴散らそうが、渇きはかえって酷くなるばかり。(もっとだ、もっと強いヤツ……) 分かっている。ここに自分より強い相手いるはずもないことは。 相手はたかが抵抗軍なのだ。期待する方がおかしい。 しかし、それでも男は求めずにはいられなかった。自分の命の灯を吹き消すことのできる者の登場を――(こんなことなら、いっそ抵抗軍につくんだったな……) 男は、つい昨日出会ったばかりの二人のパイロットの事を思い返す。 真紅のヘルキャットと、鬣に赤いラインを入れたシールドライガーを操る、二人の凄腕の傭兵。もしあの二人を相手に命のやり取りができるというのなら、自分の命など惜しくもない。(今からでも遅くはないか……) 男が真剣に寝返りを考え始めたその時、突然視界に躍り込んできた一機のゾイドがあった。 漆黒のボディが、天頂から降り注ぐ陽光を浴びて光り輝く。 そいつは一瞬で一機のイグアンを叩き潰すと、その鼻先を今度はこちらへと向けた。次の獲物を見つけた喜びか、それとも単に光が差し込んだだけか。相手の目が鋭く光った。「コイツ……」 その呟きには憎悪も恐怖も無い。有るのは、歓喜と憧憬の念だけだ。 目の前の相手が発している殺気は、そこいらのザコとはワケが違う。只者でないことは一目で分かった。(コイツなら……オレを殺せる!) 自分でも気付かぬ内に、唇の両端が吊り上っていく。 あれだけ渇望していた物が、手を伸ばせばとどく所にある。否、伸ばす必要すらない。向こうから勝手に近づいてきてくれるのだ。 その笑みに浮かんだ一つの色は、瞬く間に男の顔全体へと広がり、その表情を彩っていく。「さぁ……遊ぼうか!」 その“狂気”という名の色を、そのまま声にして吐き出したのかと思うほどに禍々しい声で叫んだ男は、スロットルレバーの上に置いた手を目一杯まで押し込んだ。 それに応え、男の操る蒼い機体が大地を蹴る。体をシートに押し付ける強いGも、彼の狂った笑みを消し去ることはできず、それどころか逆に、その笑みをより凄絶な域へと引き上げるカンフル剤にしかならなかった。 相手の黒いゾイドも残骸を放り出し、その強靭な脚で荒野を蹴っ飛ばす。 蒼と黒。二つの巨大な影が同じ一点に向けて駆ける。その一点に行き着いた時、どちらかが倒れることになるのだ。 最後に立っているのはどちらか。男にとって、それが自分でなくても一向にかまわない。いや寧ろ、そちらの方が望ましいともいえる。 彼が戦いに望むのは生の実感。その戦いが厳しければ厳しいほど、自分の生を強く感じることができる。 それこそ、自分の持つ技術の全て、その最後の一滴までも絞りつくし、そして迎える死の瞬間。その一瞬こそ、最も己の生を感じることができる。少なくとも、彼はそう考えていた。(さぁ来い! そして、オレを殺してみせろ!) 二体のゾイドから、ほとんど同じような咆哮が上がる。その瞬間、二体のサーベルタイガーの影が交錯した―― 数時間後。 戦いは終わった。彼らの戦いだけでなく、この一帯の戦闘にも既に終止符が打たれている。 ガイロス帝国軍とエウロペ抵抗軍の戦闘は、少なくともこの地域の戦いだけに目を向ければ、部隊の規模で勝る帝国軍の勝利となった。抵抗軍は撤退し、今は帝国軍が負傷者や残骸の回収を行っている。 あの二体が熾烈な戦いを繰り広げた場所には、一機分の残骸と荒れた地面があるばかり。誰が注視していたわけでもない彼らの戦いを物語るのは、この僅かに残された残滓のみである。しかしこれも、やがては風雨に晒され、大地に飲み込まれてしまうのだろう。 転がるゾイドの残骸は、勿論サーベルタイガーのものだ。 その色は土に汚れていながらも、鮮やかな蒼色であるのが見て取れる。 果たして男は、自分の望みを叶えることができたのであろうか。 突然、残骸から破裂音が響き、それと共にキャノピーが吹き飛んだ。そこから一人の男が、未だに体を拘束するシートベルトを外しながら這い出てくる。「あーぁ……」 やっとのことでコクピットから抜け出した男は、地面にドッカリと座り込んで、その頭上に広がる雲一つ無い蒼穹を見上げた。まだ夕日と呼ぶにはいささか早い位置にある太陽は、戦場となったエウロペの大地を明るく照らし出している。「また死に損なっちまったかぁ!」 真っ青な空へと響く男の叫び。 しかしその声は、大地を渡る風に掻き消され、その場の誰の耳にとどくこともなかった。
長らくお待たせしました、管理人のヒカルです。踏み出す右足さんの作品とあらば読まないわけにはいかないでしょ! っと早速読ませてもらいました。 今回はある一人の男のゾイド乗りのお話のようですね。しかもその願いが殺してくれとは……かなりインパクトは強いと思います。 戦闘描写らしい描写は今回少なかったようですが、その前の人間の精神状態などが詳しく、リアルに描かれていたと思います。かなり参考になりました。 短編でここまで書くのも私から見ればかなり苦労します。なので今の今まで短編というのを書いたことがないのですが、今度挑戦してみようかな〜と考えております。 踏み出す右足さんの作品には常に目を見張らせるものがあるので、是非これからもご投稿のほうよろしくお願いします。ではまた!
おい、聞いたか? 今度の作戦、“あの部隊”と共同だってよ あ、“あの部隊”って、“あの部隊”か? 勘弁してくれ、あんなヤツラの巻き添えで死ぬなんてゴメンだぜ…… おっと、噂をすれば……だ。まぁ、今回ばかりはおとなしくしとこうぜ。生きてさえいれば、またチャンスも回ってくるさ第一話「傭兵部隊」『貴様、指示に従え! 勝手な行動をとるな!』「うるせぇ。アンタは黙って見てりゃいいんだ」 己とその仲間に向けられた怒声を一笑に付すと、男は自分の駆る機体――シールドライガーを、敵の真っ只中へ飛び込ませた。「スロー、合わせろ!」『……分かった』 彼の声に応え、疾走するシールドの後ろにさらに一機のゾイドが張り付く。サイカーチスだ。 ある敵には、シールドがトリッキーな動きで翻弄し、無防備となったそこを突いてサイカーチスがボディのど真ん中を撃ち抜く。 またある敵には、サイカーチスが牽制の射撃で動きを止め、そこをシールドが飛び掛かって叩き潰す。 言葉一つ交わされることなく繰り出される絶妙のコンビネーション。阿吽の呼吸と言っても過言ではない連携によって、彼らは立ちはだかる共和国ゾイドをことごとく退けていった。「ヤツめ、また私の命令を無視して勝手なことを……」 戦場となった一帯から少し離れた小高い丘に、そんな呟きを漏らすパイロットをそのコクピットに収めたレッドホーンが一機。戦場を見据えて佇んでいた。 忌々し気な呟きはその対象にとどくことはなかったが、もし何者かがその言葉を耳にしたなら、そこに込められた苛立ちと不満の念に思わず顔をしかめたことだろう。それこそ耳障りなほどに、自身の保身しか考えていないかのような口調だった。『ラティルマ大尉。ゼロのような人間は自由にさせてやるのが一番です。ヘタに命令で拘束してしまっては、かえって反発されるだけでしょう』 そしてもう一人。 隣に控えた真紅のヘルキャットから、レッドホーンにそんな通信が入る。レッドホーンのパイロットを宥めるその静かで丁寧な口調は、しかし、聞く者が聞いたなら、半ば呆れているだけであることが聞き取れたことだろう。 レッドホーンのパイロットにも、声の主が何かしら自分を見くびっていることだけは理解できた。「っ……!」 耳に響いた静かな声に、ラティルマと呼ばれた男は顔をしかめる。 ラティルマには、声の慇懃な物言いの裏で、「貴様にあの男は扱えない」、と暗に言われたように感じられたのだ。『…………』 その怒りを知ってか知らずか、ヘルメット内のレシーバーは沈黙を守っている。ヘルメットから伸びた通信マイクには、こちらの激情を伝えるような機能が付いているわけでも無いのだが。(いや、この男なら……) 或いは通信越しであっても、こちらの憤りを察しているのではないだろうか。 ラティルマは怒りに震えながらも、僅かに残った冷静な部分でふと、そんな思いを抱いてしまった。 そしてたとえそうだとしても、この男は自分の怒りに対して毛筋ほどの恐怖も感じていないだろう、とも。「しかし、勝手に動かせていてはあの通り。味方の被害をいたずらに増やすばかりではないか」 ラティルマは湧き上がる怒りを懸命に抑え込み、極めて冷静に振る舞おうと試みる。語尾が少々震えてしまった他は、ほぼ及第点といえる出来栄えだった。 彼らのいる位置からは、機体に装備された望遠機能で戦場の状況を確認することができる。 ラティルマの言葉通り、先程彼の言葉を一言の元に切って捨てた男は、戦場を愛機で縦横無尽に駆け回り、時には味方のはずの帝国軍機を盾にしてまで、敵である共和国の部隊を蹴散らしている。敵の損害に比例して、味方の被害までも増している有り様だ。 ただひたすらに、目前の敵を蹴散らすことにのみ執着しているのだろうということは、ラティルマにも分かった。一般に言うところの“状況判断”とかいう言葉とは、明らかに一線を画した動きだ。 しかし、それくらいのことは考えていたラティルマでも、ヘルキャットのパイロットが送ってきた言葉には顔色を失った。『それは、我々の関知するところではありません。我々は脅威の排除を任務として命じられ、それを実行しています。味方の護衛は、その任務の埒外。ゼロは契約違反など何一つ犯していないし、彼にしてみれば、その行動に文句をつけられる謂れは無いでしょう』「なっ……」 ラティルマは咄嗟に二の句が継げなかった。しかし、言葉の意味が頭に浸透してくるにしたがい、その顔をみるみる紅潮させていく。「アレス、貴様っ!」 今度は感情を隠そうともしない。怒気そのものともいえる言葉。 だが、その怒りが自分に向けられているにも関わらず、ヘルキャットのパイロット――アレスは、まるで動じた様子を見せなかった。 少なくとも、レシーバーを通して伝わってくるような反応は、ラティルマには感じられなかった。「毎度処分を受けるのは私なんだぞ! 一体何遍言わせる気だ!」 アレスの平静さが、ラティルマの怒りに拍車をかけていた。 我慢も遂に限界に達し、激昂した彼は口の端に泡を浮かべながら怒鳴り散らす。自分の言葉に気を回す余裕すら失い、自分が身も蓋もないセリフを口走っていることにも全く気づいていない。 しかし、思わず耳を塞ぎたくなるようなラティルマの剣幕も、その利己的な言葉も、アレスが気に留めた様子はまるでなかった。 ヘルメット内のレシーバーから流れてくる不気味な沈黙は、ラティルマに我を取り戻させるには十分だった。「い、いや。今のはだな……」 自身の不遜な言動を今さらながらに自覚したラティルマは、必死にそれを取り繕う言葉を探す。 それが自らの傷口をさらに広げてしまう愚かな行為だと知りながらも、彼がそうせずにおれなかったのは、ただ自己の信用の失墜を恐れたからではなく、アレスの沈黙に言いようのない不安感を覚えたからだった。『…………』 ラティルマの焦りを余所に、アレスは一言の言葉も発することなく、沈黙を守っている。 いや――『クッ……ククッ……』 アレスは笑っていた。喉を震わせるかすかな笑い声が、スピーカー越しにラティルマの耳をつく。まるで地獄へとつながる暗黒の深淵から湧き上がってくるかと錯覚してしまう、それこそ邪悪そのもののような声音だ。 最初は聞き取るのも難しいくらいだったその笑い声は、次第に肥大し、やがてレッドホーンのコクピットに確かな存在感を持って響き始める。一連の変化はラティルマに、自分がその深淵へ徐々に引きずり込まれているかのような感覚を覚えさせた。「っ!」 頭を振って、妙な錯覚を頭から追い出す。こんな感覚になるのは、ラティルマがアレスに気圧されている証拠だ。 いやに気に障る笑い声を聞きながら、ラティルマはアレスの真意を測りかねていた。 アレスにすれば、今はラティルマの言葉に怒りこそすれ、笑い声を上げるような場面ではない。「……!」 そこまで考えて、ラティルマはアレスの笑いに含まれた、ある“色”に気がついた。嘲りという暗い色だ。「何が、可笑しい?」 その言葉でアレスの心を読み取ろうとするかのように、ラティルマは異様なほどゆっくりとマイクに問いかける。『分かりませんか、大尉?』 ひとしきりあの耳障りな笑いを披露したアレスは、やがて気も治まったのか、先程同様静かな声で、ラティルマの質問に質問で返してきた。(……?) ラティルマにはまだアレスの言葉の意味が分からない。 アレスはラティルマの沈黙の意味を敏感に感じ取ったらしく、彼の愚かさを鼻で笑うと、その口から毒を吐いた。『それがあなたの役割なんですよ』 自分の内にある疑問への回答が口にされても、アレスが何を言っているのか、まだラティルマには理解できなかった。 もしかしたら、既にその答えに気づいていたラティルマの思考が、それを理解することを拒否していたのかもしれない。(役割? いったい何を言っている?) アレスはため息を一つつき、言葉を続ける。彼の一言一言には、自分の話している相手に対する失望と侮蔑の念が多分に含まれていた。『あなたの隊長としての地位は、単なる建前に過ぎません。あなたに望まれているのは、隊長としてこの部隊を指揮することではなく、隊長として我々が起こした問題の責任をとることです』「なっ……貴っ様ぁ!」 ここまで虚仮にされては、もう怒りを抑えこむ理由もなかった。今度は我を忘れるようなことはなかったが、気付いてみれば、先程の怒声よりも厳しい口調が口をついていた。(フン……) ヘルキャットのコクピットに収まったアレスは、耳元から注意を逸らした。通信のチャンネルは、傭兵の仲間内で使う物に変更した。これでしばらく、あの隊長が口煩い文句を寄越すこともないだろう。(オレも行くとしよう……) 見切りをつけ、その顔にかけた眼鏡のブリッジに中指を当てる。 自分の仕事は確かに隣の男の護衛とサポートだが、そんな退屈な任務だけでこの戦いを終える気など毛頭ない。「イシュタム。手伝ってくれるか?」『あぁ、オマエの頼みならな』 アレスの声に応え、蒼い影が戦場を駆け抜けてくる。 影は紅いヘルキャットに横付けし、短く咆哮を上げた。サーベルタイガーの気高い咆哮が、血腥い戦場に朗々と響き渡る。「皆は?」『好きに稼ぎまわってる。こんなチャチな戦いで死ぬヤツなんか、オレ達の部隊にはいないさ』 イシュタムと呼ばれた男は得意気に言った。彼がこの蒼いサーベルのパイロットなのは言うまでもない。『早く行かないと、獲物がなくなるぞ』 イシュタムに急かされ、アレスも愛機を起動する。低い駆動音と共に、赤いヘルキャットがその足を踏み出した。「“お守り”は体が鈍っていけない。さっさと行こう」 アレスの言葉と同時に、二機のゾイドはその鋼鉄の足で地面を蹴り、目前の戦場へと飛び込んでいった。「お粗末ねぇ……」 遥か眼下の戦場を見下ろしながら、一つの巨大な影が大空を滑るように流れていく。これだけのサイズの飛行ゾイドは、あの大異変以来、両軍共に正式な配備はなされていない。 影よりさらに上から降り注ぐ陽光を浴び、黄金色に輝く巨大な双翼こそが、このゾイドの象徴である。“サラマンダーF2・ファイティングファルコン” 大陸間戦争時代、ヘリック共和国の空を守り、ガイロス帝国軍――当時暗黒軍――の強力な空戦ゾイドと激闘を繰り広げた改造サラマンダーだ。 現在、正規の部隊に配備されているサラマンダーF2は、僅か五機にも満たない。当然、所属は共和国空軍だ。 しかしこの機体には、機体ナンバーや部隊章はおろか、国旗さえ描かれていなかった。 つまりそれは、このサラマンダーが共和国軍、帝国軍のどちらにも属さない機体であることを示していた。とりあえず、表向きでは――「ま、このファルコンが出張らなきゃいけないくらい陸(オカ)を苦しめる相手なんて、ここにはいないんだろうけど」 コクピットに座るのは、真っ赤なパイロットスーツに身を包んだ、まだ若年の女性だった。 被ったヘルメットとそのバイザーに遮られ、表情まではうかがえないが、酸素マスクを外した口元から、その容貌の一端くらいは想像することができる。そして行き着く想像は、決して悪いものではない。「ん?」 突如コクピットに響く警報。耳障りな音は、己の命の危険を示している。「なぁんだ。まだ残ってたんだ」 レーダーの反応は二。前方から接近してくる。 無論、彼女の所属する部隊が現在攻撃中の基地から飛び立ったものに他ならない。「プテラス……」 機種は二機共にプテラスだった。もっとも、こんな小さな拠点に、貴重なレイノスやバトルクーガーが配備されているはずも無い。いたとしても、今さら出てくるというのは考えにくい。「相手にならない……」 女は嘆息すると、酸素マスクを装着し、緩みきっていた神経を再び引き絞っていく。間髪入れず、コクピット内に響くミサイルアラート。「フン……」 まかり間違っても、ファイティングファルコンがプテラスに落とされるわけにはいかない。 女は、愛機自慢のファルコンウィングに搭載されたマグネッサーシステムの出力を上げ、機体を加速させると、真っ正面からプテラスに突っ込んでいった。当然、ミサイルはサラマンダーの動きを追い、その軌道を変える。「追いかけっこよ」 楽しそうに呟くと、女は操縦桿を引いた。サラマンダーは機首を持ち上げ、蒼穹へと駆け上っていく。 高らかにソニックブームを響かせ、音速の壁を突き破る巨鳥。赤外線ホーミングのミサイルに対して、囮であるフレアを発射しながら、ミサイルを振り切りにかかる。 真っ白な尾を引くミサイルは、一発がフレアによってサラマンダーを失探したが、残りのもう一発がしつこく食い下がっていた。コクピット内の警報は鳴り止まない。「共和国軍純正ともなれば、ミサイルの性能もいいのかしらね」 自身の身の上をにおわせる物言いでそうこぼしながらも、彼女は嬉しそうにサラマンダーを操る。 右へ左へ。上へ下へ。地上ゾイドには到底真似できない三次元機動で、迫りくるミサイルをいなしていく。 ミサイルはサラマンダーの動きを追いきれず、遂には直撃する前に、近接信管の作動で炸裂してしまった。 プテラスやレドラーと違い、サラマンダーの巨体は大きく体勢を崩すことも無く、爆炎を突き破って悠々と飛行を続ける。パイロットも絶大な安心感を抱いていた。「ミサイルに頼ってるだけじゃ、私もこのファルコンも落とせないわ」 マスクの下で微かな笑みを浮かべると、女はプテラスの編隊に襲い掛かった。 急激な運動のため、コクピットを強烈なGが襲うが、それでどうにかなるほど、彼女の身体も意識もヤワではない。そこいらのパイロットとは年季が違うのだ。 プテラスは攻撃に失敗したと見るや、散開して第二次攻撃に移っている。「まずコイツ……」 一機に狙いを絞ると、女はサラマンダーに全開の鞭を入れる。モニターに映る影がみるみる近づき、シーカーが重なる。しかし、彼女はトリガーを押し込むことをせず、機体を急旋回させていた。後ろからもう一機が発射したミサイルが飛んできたのでは致し方ない。 一機を囮にし、もう一機が敵を仕留める。二対一での戦闘では常套手段だ。 相手がプテラスとはいえ、ここまでドッグファイトになってしまえば性能差もほとんど活かせない。むしろ二対一という状況の方が厄介だ。「さすがはプロね。一筋縄じゃいかないわ……」 相手をプテラスと侮っていては、痛い目を見るのはこちらの方だ。女は気を入れなおし、操縦桿とスロットルレバーを握りなおした。 ミサイルは既に振り切ったが、入れ代わりに二機のプテラスがケツに食いついている。ここは腕の見せ所だ。 背後の敵機から照射されたレーダー波をファルコンが感知し、コクピット内は耳障りな警報音で満たされている。ものの数秒でミサイルなり機銃弾なりが飛んでくるのだろうが、彼女は自分の中の危機感を黙殺し、じっとレーダー画面を睨みつける。そしてタイミングを見計らい――「くっ!」 機体を一気に減速させた。 機体から飛び出したエアブレーキが空気抵抗を強め、速度計の針がぶん回る。 寸前まで感じていたのとは全く正反対の方向にGが働き、シートに押し付けられていた体が今度は逆に放り出され、体を締め付けるシートベルトが痛みと共に食い込んだ。 突然の急制動で減速したファルコンは、追ってきた二機のプテラスと危うく衝突かと思うほどの距離ですれ違う。 再びタイミング良くスロットルレバーを押し込めば、直前まで後ろにいたはずのプテラス二機は、見事にやり過ごされて背後を晒していた。 鮮やかな腕前で敵機をやり過ごした次の瞬間、彼女は操縦桿のグリップに設けられたトリガーを握り込む。両翼の二連対空レーザーから、無数の光弾が断続的に撃ち出された。 プテラスの一機がその直撃を受け、原形も残らぬほどに爆発四散する。パイロットにはロックオンの警報を聞く暇すら無かったであろう。 爆発の黒煙を突き抜け、蒼天を駆けるサラマンダーは再び目標を定める。 相手はそれに気付いたのか、必死の回避運動を始めた。背後の巨鳥から照射されるレーダー波を避けようと、機体を左右に振り回す。彼女も機体を操作し、プテラスの動きを追いかける。 振り切れない。業を煮やしたプテラスは、機首を下げ、下降しながら重力の助けを借りて加速する。そして突然、そこから宙返りへと移った。 これを追うのが未熟な新人パイロットだったなら、或いは振り切って背後を取れていたかもしれない。しかしファルコンのコクピットに座るのは、最早百戦錬磨の域に達しつつあるエースパイロットなのだ。「そんなのはお見通しよ」 ファルコンは即座に機首を持ち上げ、プテラスの動きを追っていく。彼女にとって、敵がとった動きは予想の範疇のものだった。 揺れ動くGメーター。遠心力により、体中の血液が足の方向に集まる。次第に狭くなっていく視界。それでも女は、平気な顔でプテラスを睨みつけていた。 戦闘で勝利を収めるには技術が必要だ。しかしその技術を実行するには、それに耐えうる体力が必要だ。体力は自信に繋がり、その自信が技術を裏打ちする。 彼女には、その全てが揃っていた。 じわじわと詰まっていく二機の距離。次の瞬間には、ファルコンのディスプレイ上でプテラスの機影とシーカーが重なり、煮て食うも焼いて食うもパイロットの掌一つという状況になっていた。「バイバイ」 女は躊躇わず、操縦桿のトリガーを引き絞る。色鮮やかなビームのラインがプテラスを貫き、これを撃ち落とした。 気がつけば、数の不利をこれっぽっちも感じさせず、サラマンダーは瞬く間に全ての敵機を叩き落としていた。「プテラスで私を落とすつもりなら、せめて十機くらいは連れてくるのね」 女パイロットはそう豪語しながらも、たとえそんな状況に陥ったとしても、落とされることなどあるはずが無い、と自信満々に考えていた。 今日のスコアはこれで八機。彼女にしては少々おとなしい数字だ。 プテラス八機くらいの報酬では、この希少なサラマンダーの整備と補給だけでチャラになってしまう。 しかし、彼女にとってはそれで十分だった。彼女の目的は、この戦争で金を稼ぐことではない。(陸もそろそろ終わりそうだし、戻ろうかな……) 彼女は戦場となった共和国軍基地の上空を一巡りすると、隊長のラティルマに形ばかりの通信を入れ、そのまま自分達の所属する基地へ帰還していった。「お、レイラが帰ってくぜ? そろそろ終わりみたいだな」 上空に輝く翼をコクピットから眺めながら、蒼いサーベルタイガーのパイロット――イシュタムが呟いた。 隣には紅いヘルキャットの姿もある。アレスだ。『現金なヤツだ。空に敵がいなくなると、途端に帰ってしまう』「いいじゃねぇか。アイツは地面にへばり付いてるような輩に、興味は無いのさ」 こぼすアレスをなだめながら、イシュタムは再び上空を振り仰ぐ。 薄れつつある気風だが、キャノピー式を採用する共和国軍のゾイドと違い、帝国製であるサーベルタイガーは装甲式のコクピットだ。 その内部からうかがえる蒼穹は、当然、ディスプレイに映し出された映像に過ぎない。 本当の青空の下にいるような爽快感は得られないが、それでも、イシュタムは自分の気分がいくらか晴れたのが分かった。 狭いコクピットに籠もり、ただただ敵を叩き潰しているだけでは、気分も悪くなろうというものだ。『行くぞイシュタム。上は終わっても、下にはまだ随分残ってる。書き入れ時だ』「OKだ。奴等に負けないようにしないとな」 “奴等”とは、今もこの戦場で暴れ回っているであろう仲間達のことである。彼らは仲間であると同時に、限られた獲物を競い合う競争相手でもあるのだ。 ただし、仲間達とは飽くまで傭兵仲間のことを指すのであり、間違っても帝国軍の兵士を指すわけではない。あんなお坊ちゃん達と一緒にしてもらっては困るというものだ。 二人は示し合わせたように機体を発進させると、もうかなり数を減らしている敵の部隊へと飛び込んでいった。 突然自分に向けられた砲口を認識する間も無く、ゴドスが一機、サーベルの衝撃砲で吹き飛ばされる。 その骸の両脇を、颯爽と駆け抜ける紅と蒼の影。『走りながらこの間合いで、衝撃砲をど真ん中か。相変わらずいい腕だ』「寝惚けるなよ、アレス。このくらい、今時ガキでもできるぜ」 今の御時世、敵に狙いを定めるのは、人間ではなく機械の仕事だ。パイロットはスイッチを押し込むだけで、遥か彼方の敵機を難なく破壊できる。 いくらかの知識。いくらかの技術。 それさえあれば、子供にも敵を仕留めることができるはずだ。 つまり、ゾイド乗りとしての腕前を披露するにあたって、もっとも見栄えのする手段は――「ゾイドの腕は格闘だろ。火線を掻い潜り、牙と爪で仕留める!」 その言葉を実践するため、イシュタムは一機のゴドスに狙いを定めた。「よく見てな、アレス」 接近してくる敵機に気づいたのか、ゴドスは二門のビーム砲を乱射する。だが、パイロットがトリガーを引いた瞬間には、既に蒼いサーベルの姿は射線上から忽然と掻き消えており、発射された光条は虚しく荒野を飛び過ぎただけだった。そして次の瞬間――「いただきだ!」 太陽を背に、驚異的な跳躍力で飛び掛かったサーベルが、ほぼ直上からその影を、ゴドスに機体に落とし込んでいた。(決まりだな……) イシュタムはそう思った。 後は重力に身を任せ、ゴドスの上に落下するだけでいい。いかにサーベルの重量が百トンを下回るにせよ、この衝撃をゴドスの体躯で弾き返せるわけが無いのだから。 イシュタムが勝利の余韻を噛み締めようとした刹那。突然、目前のゴドスが弾け飛んだ。「あ!?」 サーベルは何も無い大地に虚しく着地する。 ハードに固められた脚部のサスペンションは、衝撃を完全には消し去れず、コクピット内のイシュタムも思わず顔をしかめた。もっとも、足の下にゴドスがいたとしても、その衝撃に変わりは無いのだが、敵を打ち倒したという喜びがあれば、気分も違おうというものだ。『甘いな、イシュタム』 イシュタムの耳に、アレスの愉快気な声が飛び込んでくる。『手段がどうあれ、スコアはスコアだ。付け込まれる隙を見せたのは、オマエの落ち度だ』 イシュタムが振り返った彼のヘルキャットは、背部の二連高速キャノンの砲門からうっすらと硝煙を立ち上らせ、何事も無かったかのように佇んでいた。「ぐっ……!」 堪らず言葉を失うイシュタム。 サーベルの動きに気をとられ、全く動きを止めていたゴドス。それを仕留めるなど、アレスほどの技術があれば児戯にも等しかっただろう。 イシュタムからすれば、確実に仕留めたであろう獲物を、横から掻っ攫われたわけだ。おもしろいはずがない。「テッメェ! そっちがその気なら、受けてやるぜ!」『フッ……』 睨み合った二機が、ほぼ同じタイミングで駆け出す。 目指すは互いの機体――ではなく、それぞれの背後に姿を見せたゴドスやコマンド。紅と蒼が交錯する。「負けた方が、今夜の晩メシおごりだ!」 イシュタムの言葉を皮切りに、二人の壮絶なスコア競争が始まった。 戦場の空気を直に肌で感じながら、スローはトリガーを連続で押し込む。サイカーチス自慢の機銃掃射が、またしても一機のゴドスを捉えた。 ビーム砲数発の直撃を受け、炎に包まれる鈍色のボディ。己の肌を焼く爆風すら、スローには心地よかった。 そしてサイカーチスという機体は、そんな彼の趣向を存分に満足させてくれるゾイドだ。操縦者剥き出しのコクピットは、戦場の焦げ付いた空気を自分の肌で直に感じ取ることができると共に、死と隣り合わせである故の心地よい緊張感までも与えてくれる。(これだ。これが堪らないんだ) 自分の手で敵の命を消し去るという快感。 一瞬の気の弛みすら死に繋がるという緊迫感。 この場所に存在するありとあらゆるものが、スローの頭の中で何かを麻痺させ、彼を奇妙な酩酊へと誘っていく。 脳内で分泌される科学物質に駆られた、狂おしい程に凄絶な笑み。 自分でも意識しない内に浮かんでくる彼の笑みは、未だ誰の目にも触れたことはない。彼がパイロットという立場の傭兵である以上、他人が彼の機体に同乗し、戦闘の最中の彼を覗き見ることができないからだ。 加えて言えば、彼のサイカーチスは複座の改造機ではない。「…………」 元来が無口なスローは、戦闘中に独り言を呟く癖も無い。 彼方で轟く遠雷にも似た砲声や着弾音と、それらを掻き消すかのような内燃機関からの駆動音。そして、ヘルメットのレシーバーから響く仲間の声。 オープンなコクピットは、それら戦場の音だけで満たされ、スロー自身の声がそこに混じることはない。或いはそれは、戦場を楽しみたいという彼の欲求からくる沈黙なのだろうか。『おいスロー。一人で稼いでねぇで、またちょっと手伝ってくれや』 耳元で、聞き慣れたダミ声がそう言った。この声の主との付き合いも、もうかなりのものになる。「分かった」 スローの返事はいつも決まっている。断る理由などあろうはずもない。彼は戦うためにここに来ているのだ。『大物だ。報酬は山分けだからな』 向こうはこちらのことを、調子のいい道具か何かかと思っているのかもしれないが、スロー自身それでかまわない。自分がしていることなど、道具となんら変わらないのだから。 敵を狙い、引き金を引く。そんなの機械にだってできる。 だから、自分は機械であればいい。 戦いを求める自分の中に、そんな冷めた思いも共存しているというのが、酷く不思議な話だった。 気が付くと、機体の下を一機のシールドライガーが駆けていた。ダミ声の主――ゼロが、待ち切れなくなって自分から寄ってきたようだ。『どうした、スロー? 早くしねぇと、正規軍の坊やどもに獲物掻っ攫われるぜ』「すまない、もう大丈夫だ」 意識の端で何となく答えながら、スローは思った。 金こそ全て。本来、このゼロの態度こそが傭兵のあるべき姿なのかもしれない。そう考えると、この部隊には自分も含め、随分変わり者ばかり集まったものだ。『頼むぜ。なんてったって、相手はあのゴジュラス様だからな』 また派手な獲物に手を出したものだ。 スローはそう、内心で苦笑する。そして、こうも思った。 しかし、自分達は負けないだろう。何しろこの部隊は、最高の傭兵部隊、“CODA”なのだから、と。
長らく感想&批評、お待たせしました。案離任のヒカルです。 え〜と新たな展開でようやく「CODA」という意味が理解できました。最強の傭兵部隊……、う〜ん、惹かれます。私もこういうモノは非常に好きです。 責任のためだけの隊長にクールなアレス、空の女王レイラ(すんません、陳腐なネーミングで)などなど一クセも二クセもある隊員は実にピッタリの配役だと思います。これからのお話の展開に期待が持てそうです。 それと私個人的に感じた今回の見所は、ズバリ空戦です。パイロットの視点から描かれた飛行戦は迫力満点、一つ一つの動作が戦場の血生臭い臨場感がありありと描かれていたと思います。その筆力には相変わらず脱帽です、はい。 それでは是非是非次回作も期待していますので、これからもご執筆がんばってください!
流石はあの方。この部隊の力をよく分かっていらっしゃる この部隊。荒くれの集まりとはいえ、うまく御する事ができれば、その利用価値は計り知れない。そしてそれは、あの男には無理な話 そこに、私が入り込む余地がある せいぜい私……いや、私達の目的に、役立ってもらうわ第二話「1000の貌 〜サウザンド〜」「貴様らは、一体どういうつもりだ!?」 とある帝国軍基地。その一室に、ヒステリックな声が響き渡る。同じヒスでも、女性の声ならまだ可愛げもあろうというものだが、それが男の野太い声とあっては、これっぽっちの救いも無い。「黙ってないで、なんとか言ったらどうなんだ!?」 声の調子はいよいよ最高潮となり、言葉の主も額に青筋を立ててハッスルしている。それこそ、見ているこちらが思わず苦笑してしまいそうになる滑稽さで。「なんとか」 と、横合いから上がった別の声。侮蔑から軽蔑までありとあらゆる悪意が、その人を小馬鹿にした一言に総動員されていた。「ふ――」(……逝ったか) 行き着く所まで行き着いた気配を感じ取ったアレスは、疲れた表情のまま、両手を耳に押し当てた。「ふざけるなぁぁっ!」 直後、窓ガラスをビリビリと震わせて、部屋の備品全てを揺さぶるようなラティルマ大尉の怒声が吹き荒れる。毎度の事であり、特にこれといった感慨も浮かんではこないが。「貴様らは私の部下だぞ! 部下の義務とは、上官の指示に従い、戦場で命を投げ出す事であろうが!」(……それはどうだろうな?) 激昂したあの男に何を言っても無駄だという事は重々承知しているため、アレスはその呟きを、胸の内に留めておく。 確かに、信頼できる上官にならば、命を預けてもいいと思うのが人情かもしれない。しかし自分は、そんな感情とは無縁の傭兵稼業であり、またたとえそうでなかったとしても、この男に自分の命を預ける気にはなれなかっただろうと思う。人間、命の持ち合わせは一つしかないのだ。 ここは、基地の一角に設けられた第837独立傭兵小隊隊長、ラティルマ大尉の私室。ただし、各地を転戦する(この場合、厄介払いとも言う)傾向が強い部隊であるだけに、部屋には最低限の家具以外は、調度品や私物の類は数えるほどしかない。 部屋にはラティルマとアレスを除き、四人の影があった。だがその誰一人として、耳障りな怒声に注意を傾けてはいない。 アレスが腰を下ろしている応接用のソファは向かい合わせに設えられており、そこにはアレスの他にも三人の男の姿がある。部隊長の訓戒中にも拘らず、その内の二人は悪びれもせず談笑を楽しんでいた。残りの一人は、トレードマークの仏頂面のまま、その巨体を背もたれに預け、何やら思索に耽っている。 そして最後の一人は、アレスの座すソファの後ろ。眼下に砂漠を見下ろす二階の窓に腰掛け、グラス越しに蒼穹を見上げる真っ赤なパイロットスーツの女だ。いつも空ばかり見上げ、何を考えているのか分からない所もあるが、いい女である事は間違いない。「話を聞けぇ!」 声に注意を戻せば、アレスが周囲に気を取られている隙に、業を煮やしたラティルマが談笑する二人――ゼロとイシュタムに詰め寄っていた。「オマエ達は何様のつもりだ!? 指揮官の話もマトモに聞けんのか!」「あん?」 おもむろに立ち上がるゼロ。耳障りな文句を黙って聞いているほど血の気の少ない男ではない。一方のイシュタムはというと、さもつまらなそうな視線をラティルマに向けながらも、ソファを離れる事はしなかった。ここは変にでしゃばらず、ゼロに任せるつもりだろう。ただ、ヒステリックな隊長への敵意は、ゼロ同様に発散し続けている。「な、何のつもりだ……」 途端に鼻白んでしまう辺りが、ラティルマという男の情けない所だ。彼はゼロの表情だけで気圧され、数歩後じさっている。それでも口を閉じない所が、ラティルマの無駄に高いプライドを物語っていた。「大尉さんよぉ?」 ゼロはかまわずラティルマににじり寄ると、「ヒッ――」 軍服の襟元をその逞しい腕で捻り上げた。これにはたまらず、ラティルマも引きつるような悲鳴を上げる。 ゼロは、自分よりも少し下にある相手の顔を腕の力だけで引き寄せ、その双眸を睨みつける。「さっきも言ったろうが。アンタは黙って、オレ達のする事を見てりゃいいんだ」 いかにも荒くれ者という風体のゼロ。その厳つい形相で睨み据えられては、半端な度胸の持ち主ではひとたまりもない。この大尉にそれを望むのは、酷というものだろう。「う……あ……」 予想に違わず、ラティルマはぶら下げられたまま、要領の得ない呻き声を漏らすだけだった。完全にゼロが放つ雰囲気に飲まれてしまっている。「フッ……」「ヘッ」 薄笑いを浮かべるゼロと、表情を引きつらせるラティルマ。互いの社会的立場とはまったく逆の光景に、アレスとイシュタムはそれぞれの笑いで無力な部隊長への侮蔑を露わにした。寡黙な巨漢と窓辺の麗人――スローとレイラは、我関せずといった様子で何の反応も示さなかったが。 と、その時――「その辺りで、止めておいたら?」 凛とした女性の声が、突然部屋の空気を震わせた。「ん……?」 当然のように、アレスは部屋の唯一の出入り口へと視線を向ける。そこに立っていたのは、士官服をキッチリ着込み、右足を前、左足を少し引いて斜めに。右手は腰。他者から見られる事を前提としているかのような美しい立ち姿の、一人の女性だった。 銀色の美しい髪はショートヘアで切り揃えられ、顔を包み込むように緩やかなカーブを形成している。手入れも行き届いているらしく、アレスのいる場所からでも艶やかな輝きと、跳ね毛一本無い事が見て取れる。白磁のような白い肌と、知性を感じる茶色の瞳。その容貌もそうだが、帝国軍の士官服を着用している事から考えても、エウロペの人間ではない。腰元に垂らした左手にはファイルが握られている。「アンタは?」 アレスとイシュタムはもちろん。スローとレイラまでもが、今度ばかりはその表情に疑問符を浮かべ、当惑の眼差しを彼女に向けていた。彼らを代表したような形で、アレスは誰何の声を上げる。「お、遅いぞ馬鹿者!」 だが、闖入者が答えるより先に、未だにぶら下げられたままだったラティルマが声を荒げた。「まったく。これだから――の人間は……」 自分への注意が反れた隙にゼロの腕を振り払うと、呆気に取られる周囲を気にも留めず、ブツブツと何事か呟きながら女性へと歩み寄る。情けないシーンを異性(それも美人)に見られてプライドを刺激されたか、若干赤面し、歩調も速い。「……申し訳ありません」 彼女は一瞬の苦笑――どこか人好きのする笑みだったのは気のせいだろうか?――を浮かべてから、スッと頭を下げた。折り目正しい、優秀な軍人の見本と言っても過言では無い代物だ。「ま、以後気を付ける事だな」 ほとんど自分の醜態を誤魔化すための叱責だっただけに、そこまでの謝罪がくるとは予想外だったのだろう。ラティルマはまたしても気圧されたような形で、ワザとらしい咳払いなどしていたが、やがてこちらへと向き直り、おもむろに彼女の紹介を始める。「今日からこの部隊の副官となる、シエンナ=メイクライン少尉だ」 何気なく、肩に手など置きながら説明するラティルマ。その一瞬、彼女の表情が厳しく豹変した事を見咎めたのは、何気なく彼女を注視していたアレスだけだったかもしれない。だが直後、彼女――シエンナ少尉は何事もなかったかのように姿勢を正し、美しい敬礼を行っている。「シエンナ=メイクラインです。よろしくお願いします!」 その大人びた佇まいから少々意外ではあったが、その元気のいい声は溌剌としていて、十人が聞いたなら九人は間違いなく好感を抱き、後の一人はその魅力に心酔してしまいそうな、そんな挨拶だった。上の立場にもかかわらず、謙虚な言葉遣いというのもプラスである。 それにしても彼女。スタイルがいい。隣にラティルマが立ったせいでよく分かる。 目測では、男性としては少々長身なラティルマにも、その身長は劣っていなかった。正確に測れば、ラティルマよりも数センチ背が高いかもしれない。「…………」 そこまでで興味も失せたか、無愛想な二人――言うまでもなくスローとレイラ――は既に注意を外していた。「よろしく……」 アレスも軽く手を上げ、挨拶代わりとしておく。だが、それはあくまで表面。本心では、面倒が増えたぐらいにしか考えていなかった。 しかし無論、それだけが反応の全てではない。いい女を前にした男――こと傭兵のような自由人ともなれば、もっと自然な反応というのが存在する。「女――か……」「ヒュ〜♪」 他の三人と違い、興味を示したのはゼロとイシュタム。二人は新顔の女性士官の美貌に、とても上品とは言い難い視線を送っている。(やれやれ……) アレスとしても美人に興味が無いわけではないが、傭兵である自分にとって、軍人という存在自体が基本的に相性のいいものではない。そうでなくても、別段手を出そうとは思わないが。 しかし、ゼロやイシュタムの考えは、どうやら違うようだ。 彼女――シエンナとかいったか――の能力がどれほどの物か知らないが、二人は多分に、軍人という人種を軽視している(もっともそれは、ラティルマという軍人が彼らの身近にいたからだが)。たとえ自らの上に立つ指揮官であっても、彼らがあの女性に何かしらのちょっかいを出す事は想像に難くない。 アレスには彼女に忠告する事もできるが、そこまでしてやる義理は無いだろう。結局、彼は静観を決め込む事にした。(まぁ、同情するくらいはな……金がかかるわけでもなし……) 正直な所、何も知らない彼女の愚かさ(アレスにとって、所詮は彼女も軍人だ)を内心で笑ってやろうと言う気がまるで無かったわけではない。だが、そんな思いと共にシエンナへと向けた視線は、彼女の姿を捉えた瞬間に凍りつく。 シエンナは笑みを浮かべていた。アレスではなく、よからぬ思いにほくそ笑む二人に向けて。その表情は、アレスが今までに夜を共にしたどんな女よりも艶やかで、途轍もなく淫靡だった。客を引くために媚を売るのが常識の娼婦でも、ここまで男を惹きつける笑みを浮かべる事ができるかどうか。自制には自信のあるアレスまでもが、迂闊にも一瞬引き込まれそうになってしまった。自己紹介の時の彼女とはまるで別人だ。 当然二人も、女性からそんな反応を返されたのは初めてだった。「…………」 強烈な誘惑にしばし呆気に取られていたようだったが、やがて奇妙な成り行きに、お互い顔を見合わせて首を傾げる。 その間、シエンナの表情は既に元の、人好きのする笑顔に戻っていた。(なんだこの女は……) 内心で自問するアレス。時間と共に、彼女という人間が分からなくなる。 基本は確かに、折り目正しい軍人だ。しかし少女のような溌剌さを垣間見せたかと思えば、時には娼婦の如き媚態を披露する。 この室内で只一人、アレスだけが、シエンナ=メイクラインという人物への疑念を抱き始めていた。「……とにかく、そういう事だからな! 全員、彼女の指示にも従うように!」 結局、半ば無視されていたラティルマが、ムキになって声を荒げた所で、室内の空気は一気にしらけ、解散の流れとなった。(アンタの指示に従ってる人間なんぞ、この部隊にいやしないさ。しかし、この女……) アレスの訝しげな視線の先で、シエンナは女兵士の精悍な表情を浮かべていた。「少尉……ちょっとよろしいですか?」 ラティルマとシエンナを残して、皆が部屋を辞した後。アレスは通路の最初の曲がり角で、新任の少尉が姿を見せるのを待っていたのだった。 ラティルマの私室から一人で現れたシエンナは、一度わずかに小首を傾げてから、「えぇ」 眩しいとも形容できる満面の笑みを浮かべ、アレスの言葉を快諾した。「……ちょっと、付いて来て下さい」 それを聞き、シエンナの先に立って歩き始めるアレス。 彼としては自室で気兼ねなく話したい所なのだが、如何せん傭兵身分の彼に宛がわれているのは相部屋だ。同室のスローならば、話に口を出してくる事も、無闇に他言する心配も無いと分かってはいるが、それでも話題が話題だけに、誰かに聞かれているというのはあまり気分のいいものではない。 そんな理由から、アレスはシエンナを建物の屋上へと案内する事にした。 シエンナに背を向けている間、アレスは背後から向けられる、冷たく刺すような視線を意識せずにはおれなかった。「何の用ですか? えっと……」「まだ名乗っていませんでしたね。アレスです」 言いよどんだシエンナの機先を制し、アレスは自身の名前を告げる。眼鏡のブリッジに右手の中指が伸びたのは、単なる彼の癖だ。「アレス……」 シエンナは己の記憶に刻み付けるように、耳にした名を呟いた。「それで、どんな用ですか?」 もう一度、質問を繰り返すシエンナ。アレスはそれに応じ、単刀直入に切り出す。「少尉の……目的をお聞きしたく、御足労願った次第です」「目的……?」 呟きつつシエンナが浮かべた表情は、少しの心当たりも無いという疑問の色で満たされていた。しかし、アレスは追及の手を緩めない。「少尉が八方美人を演じる理由を、知りたくなりましてね」「……八方美人、ですか」 その表現に、シエンナは苦笑を浮かべる。そんな事を言われたのは彼女も初めてだった。 アレスはその笑みから、彼女がこれ以上惚けるつもりがない事を感じ取る。と、同時に――「もっと驚かれるかと、思っていました……」 自分の芝居を見抜かれてもさしたる動揺を見せないシエンナに、疑問も感じていた。そんなアレスに、シエンナは楽しむような視線を向けると、「その挑発みたいな言葉遣い、もう止めませんか? 真意の伴わない口調なんて、却って疲れるだけですよ?」 アレスの“作った口調”を指摘してのけた。そこまで言われては、アレスも肩を竦めるしかない。「じゃ、遠慮なくそうさせてもらおう。なにぶんオレの知ってる軍人ってヤツは、これぐらい小馬鹿にしてやりたくなる人種でね」「同情します。もっとも、これからは私も、そんな軍人の下で働く事になるわけですけど……」 軽い冗談と共に屈託無く笑う様子は、まだ見た事のない、彼女の新しい顔だった。差し詰め、理想の友人と言った所か。演技を指摘されたにも拘らず、未だに何かを演じている彼女に対し、アレスの方は笑みを浮かべる事はできなかった。「そう言うアンタは、その演技を止めないのか。その顔がアンタの本当の顔とは、どうしても思えないんだが」「演技って……そんな変な事してませんよ。何か心当たりでも?」 シエンナの反応は、アレスが冗談でも言っているかのようなものだった。無論、アレスは真剣その物である。 戦場で命を張る傭兵稼業。後方の憂いというのは、極力排除しておきたいというのが正直な思いだ。この女性のような不確定要素は、その最たるものである。 アレスの立場からすれば、シエンナという人間の目的と本性を見極める事は非常に重要だった。「おカタい軍人、陽気な小娘、妖艶な女、理想の友人……どれも、見る者の願望に応えるような貌だったな」「……鋭いですね。ほんの一瞬ずつ、見せただけなんですが」 一気に核心を突かれ、シエンナは遂に諦めの台詞を吐いた。一瞬の苦笑の後、一転して冷たい声音と共に再び口を開く。「それなら話は早いわ。私の目的は、この傭兵部隊を味方に引き入れる事」 アレスの背筋を、震えが走った。彼女の一言で、場の気温が数度は下がったのではないか。そんな馬鹿げた錯覚を抱かせるほど、シエンナの声は冷たかった。自制には自信のあるアレスでも、ここまで感情を感じさせぬ声を出す事はできない。 これが、今まで隠していたシエンナの本性なのだろうか。「あなたは……私の味方になってくれるのかしら?」「味方、ね……」 彼女の豹変に対する驚きをなんとか押し隠し、アレスはその言葉を反芻する。 味方……二人の関係は今、間違いなく味方同士だ。少なくとも、表向きには。そんな状況で、シエンナがあえてその言葉を口にしたという事は、彼女の言う味方とはそれ以上の意味を持つのだろう。即ち――仲間、同志。「そうだな……」 おもむろに眼鏡を外すと、アレスは答えた―― アレスが消えた屋内への入り口を見つめながら、シエンナは思考を巡らせていた。 なかなかにキレる男だ。「少し考えさせてもらう」と即答を避けたのも、悪い判断ではない。 自分の方が逆に燻り出された事には気付かなかったようだが、だからといって互いに差があったとも思えない。今回シエンナがアレスを上回ったのは、いわば時の運というものだろう。別の時であれば、自分が彼だったかもしれない。 彼を引き入れる事ができれば、頼れる人材となるだろう。 無論シエンナも、傭兵という立場に身を置くアレスが、そこまでこちらを信用するとは考えていない。その用心深さが、彼らの生き残りの術なのだから。 しかし、それをするのが自身に課せられた使命だ。この部隊の力は、自分達の目的に必ず役立ってくれる。(我らの誇りを……取り戻すために……) 千の貌を持つ女――“サウザンド”の戦いの始まりだった。
しばらくゾイド関係休んでたんで遅れました。すいません。しかしなんというかしばらく空いてから読んでみても、記憶に焼きついてるんで内容がすぐによみがえってきました。 まず今回の目玉はシエンナ少尉。変幻自在な表情の変化がとても繊細に描かれていたと思います。とても印象的で踏み出す右足さんらしいなあと感じました。 今回は戦闘シーンはなかったよいうですが、アレスとのやり取りなど、かなり緊迫したシーンはあり、読み応えはバッチリでした。むしろこっちはこっちで迫力あるかもしれませんな。 是非是非続きが早く読みたいものです。これからもどうぞご執筆のほうがんばってください!
今回の任務も前回同様に、我がガイロス帝国軍の支援だ オマエ達は正規軍に先行し、敵の拠点を攻撃。敵拠点の対空機能に打撃を与え、爆撃部隊の行動を援護する。制圧は、後続の正規軍が行う 作戦行動に際しては、各員連携を密に取り、くれぐれも勝手な行動は…… 話を聞かんかぁ!第三話「Why――何故に……・前編」「レイラがまず空から仕掛けろ。その隙に、オレとスローは正面から。アレスとイシュタムは東から突っ込め」 了解の声は無い。しかしそれに応えるかのように、地面に落ちた巨大な影が行き過ぎていった。先陣を切る、レイラのサラマンダーだ。彼女はこれから、拠点の対空砲火に晒されながら、敵の航空戦力をたった一人で相手取る事になる。(羨ましいヤツだぜ) しかしコクピットに立ち、小さくなるサラマンダーを見上げる男は、心配や不安とは程遠い感情を抱いていた。即ち、羨望。「オレも飛行ゾイドに乗ってりゃ、空の獲物をアイツに独り占めさせる事も無いってのに……」 一人ごちながら、男はパイロットシートに腰を下ろし、キャノピーを閉じる。まだ駆け出しだった頃は、自分の大柄な体躯に、このコクピットが手狭く感じられたものだ。しかし飛行ゾイドのコクピットは、このシールドライガーに輪をかけて狭いはずだ。「スタイルがいいわけだぜ」 真紅のパイロットスーツに身を包んだ同僚の姿を脳裏に思い浮かべながら、男は自前のジョークにガハハッと豪快な笑い声を上げた。『……どうした、ゼロ?』 ヘッドセットからの静かな声に、ゼロと呼ばれた男は笑い声を引っ込め、今度は表情だけの、ニヤリとした獰猛な笑みを浮かべる。 屈強な男だ。グレーの髪は短く刈り揃えられ、日に焼けた肌はパイロットスーツを要所要所で押し上げている。口の周りを覆う濃いヒゲが、いかにも粗野な雰囲気だ。まるで熊である。「いや、なんでもねぇ。行くぜスロー」「……分かった」 相棒の冷静な声に幾分気勢を削がれて苦笑しながらも、ゼロは愛機のシールドライガー――左右の鬣に一本ずつ赤いラインが入っている――の出力を引き上げた。 不愉快、全てが不愉快だった。 どんよりと垂れ込め、空を覆い尽くす灰色の雲も。 ファルコンが、その腹と翼にたらふく抱え込まされた爆弾やミサイルも。 地上にへばり付くしか能が無い奴等が、自分に邪魔だてする事も。 これくらい物事が重なれば、後はもう何でもありだ。狭いコクピットも、動きにくい耐Gスーツも、耳元で響く下品なだみ声も。とにかくありとあらゆる物が、彼女の気分を逆撫でした。(つまらない……) 自分が一番楽しみにしている空を飛ぶ時間すらも、今はひどく億劫なのだから不思議なものだ。「クッ――!」 さながら花火のように地上から打ち上げられる高射砲。一発が至近距離で炸裂したらしく、軽い振動がコクピットを襲う。しかしそれすらも、ファイティングファルコンの巨体からすれば些細な事だ。この程度の弾幕でどうこうしようなどと、はっきり言って舐めている。「ん……来たわね」 レーダーが、敵基地から飛び立った敵機の姿を捉える。よもや一機で乗り込んできたとは思わなかったらしく、かなりの数の敵影が確認できた。 正直、面倒ではある。敵の数ではなく、地上の目標も撃破しなければいけない事が、だ。 敵の航空戦力を相手取るだけなら、ファイティングファルコンの驚異的な上昇能力を活かし、敵の到達し得ない高空からの攻撃という手段も存在する。しかし、爆撃任務もこなすとなれば話は別だ。高空から狙いがつけられるはずもないし、空戦などしでかしながらでは、どこに落っことす事になるか分かったものではない。面倒だが、どちらか一方から片付けていくしかないだろう。「はぁ、サイアク……」 吐き捨ててから、口元にぶら下がった酸素マスクを装着し、彼女の――レイラの戦いは始まった。『おい、どう思う?』「何がだ?」 突然口を開いた相方の言葉の意図が読めず、アレスは眉をひそめた。『とぼけなさんなって。新しくやって来たあの少尉サンだよ』 何がそんなに楽しいのか、ヘヘヘッと軽く笑いながら話す相棒――イシュタムの言葉に、アレスは閉口した。(またか……) あの妙な少尉がこの場末の部隊にやって来たのは、既に数日前に遡る。それからこの男は、ほとんど毎日のように同じ話題を振ってきていた。よほど彼女の事を気に入ったのだろう。(まったく……) 美人と見れば見境無しというのも困ったものである。何か支障がある訳ではないのだから構わないと言えばそうなのだが、毎日同じ話題に付き合わされる周囲の人間の迷惑は、鑑みられてしかるべきだろう。 それにあの女少尉――シエンナ=メイクラインとか言ったか。アレスから見れば、胡散臭さの塊が服を着て歩いているような存在である。周囲の者が自身に抱いている感情を隠れ蓑にして、自身の性格すらも偽って見せるなど――(常人のやる事じゃない……) ボロも出さずにそれを続けているのだから、たいしたものではあるのだが。とにかくアレスは、内に何を秘めているか分からない人間を、手放しで歓迎する気にはなれなかった。 しかし、イシュタムにしてみればそんな事は些細な問題のようで(気付いていないだけかもしれないが)、未だ滔々と彼女の魅力をまくし立てている。 片耳から入って逆から抜けていくだけの言葉に適当な生返事を返していたアレスだったが――「……ようやっと、お出ましか」 やがて、敵の基地から姿を現した迎撃部隊が、目前のレーダー画面をにわかに賑わせ始める。肉眼でも捉えられるほどの距離まで接近してきた彼らの姿が、アレスには救いの女神に思えてならなかった。「オイ、いい加減にその口を閉じてくれ」 敵の接近に気付いているのかいないのか。まるで話を終えようとしないイシュタムに辟易した声を投げかけてから、アレスはおもむろに、真紅のヘルキャットを加速させたのだった。 三方向に散り、共和国軍の拠点へと向かった傭兵達。他にも戦場には、大小数個の傭兵部隊が展開していたが、彼ら第837独立傭兵小隊の面々は、その先頭をきって敵の巣窟へと突き進んでいた。その足並みに、数で圧倒する敵に対しての恐れは微塵も感じられない。 両軍の戦端はすぐに開かれ、空を覆い尽くす分厚い雲を更に覆い隠すかのような空戦と、地響き、砲声、咆哮を轟かせて金属の巨獣がぶつかり合う地上戦。同じ戦場に、まるで特徴の違う二種類の戦いが、所狭しと繰り広げられ始める。 そんな、敵味方が入り乱れ始めた最前線からはある程度距離を置いた場所に、二機のゾイドが佇んでいた。並び立ち、眼前の戦場へと顔を向けた双方は、共に四本の脚でもって乾いた荒野を踏み締めている。 一方は、短足故の低重心。低姿勢にどっしりと構え、生半可な衝撃くらいでは身動き一つしそうにもないその深紅の体躯は、地面と物体という別々の存在ではなく、地面を構成する地形の一部分のようだ。言うなれば、小さな丘である。 しかし、もう一方の機体はまるで正反対の雰囲気を放っていた。色こそ同じ、深みのある赤色だが、長い四肢、細身の胴体。それらを最低限の流線型装甲で包んだ姿は、実に洗練されたスタイルだ。 先の機体が地形との合一を図っているなら、この機体は全く逆。いかにして地面の束縛を断ち切り、地上を動き回るか。それを体現する姿だ。 両者は、それぞれがその頭部に有する一角と長牙の曇り一つ無い表面に荒野を映し、ただ静かに戦場の動向を見守り続けている。それは、二機が各々のコクピットに収める人間の立場からくる、当然の行動だ。 一角の巨獣――レッドホーン。 一対の長牙――セイバータイガー。 共に、ガイロス帝国陸軍に君臨する大型ゾイドだった。「実に優秀ですね、彼らは」 セイバータイガーのコクピットでは、まるで体の一部のようにパイロットスーツを着こなす麗人が、その細腕で操縦桿を握っていた。今回が異動後初の作戦となる、シエンナ=メイクライン少尉である。『確かに、優秀には違いないだろう。しかし戦場という場所では、個人の技術以上に重要な物があるのだ! 奴らには、それが分かっておらん!』 そしてシエンナの言葉に応えたのは、彼女が頭部に装着したヘッドセットのスピーカーであり、その向こうにいるレッドホーンのパイロット――第837独立傭兵小隊の指揮官たるレジア=ルイ=ラティルマ大尉だ。たいそう偉ぶってはいるが、その言葉の端々にどうしようもなく漂う人間の小ささが、彼という者の正体をよく表現している。加えて、当の本人が全くそれに気付いていない所が、また愚かしい。(そんな愚痴をこぼす前に、自分の器を自覚するべきね、アナタは……)「……勉強になります」 胸の内とは裏腹の台詞を、シエンナはその口に乗せる。前半の沈黙は、呆れからくるため息を堪えたものだ。(……迂闊だ) 感情を御しきる事のできなかった自分を、叱責。(この程度で感情を表に出していては……気が、緩んでいる……) あのわずかな沈黙程度で、言葉という形をとらぬシエンナの胸の内が、さして賢しい訳でもないレジアに伝わるはずもない。しかし、勘付く人間は必ずいる。それがどんなに稀有な可能性であったとしても、無視してはいけない。その甘えはいずれ己を滅ぼし、自分に課せられた役割の失敗を招く。 完全なる自制によって我を消し去り、純白のキャンバスとなった人型の入れ物に相手の理想を写し取る。それがサウザンド――千の貌を持つ女だ。『そう、その心構えだ。軍に私(わたくし)などという言葉は無い! 最後の栄光とは、個を殺し、己を捨てて、初めて得る事ができるのだ!』 思考と奇妙な符合を見せた言葉によって、シエンナの意識は耳へと引き戻される。 ヘッドセットからは、何やら熱い演説が響いていた。レジアにとってシエンナの回答は、彼女自身が下した評価とは裏腹に、余程お気に召したようだ。 自己陶酔の極地とも言うべきレジアの言葉を、半ば強制的に耳にし続ける事となったシエンナ。時と共に彼女の中には、先程の自身の反応は強烈な外部刺激からくる生理現象であり、あの失態も無理からぬ事なのではないかという思いが芽生えてくるのだった。 しかし、直前の覚悟をこの短時間で反故にする訳にはいかない。「肝に銘じさせていただきます、大尉」 今回は内容だけでなく、間の置き方も完璧だった。サウザンドの回答としては、十分に及第点である。 ただし、シエンナにそれを手放しで喜ぶ事はできない。何故ならその事実は、彼女にとって得る物など何一つ無い、ラティルマ大尉殿によるありがたい講義の始まりを意味していたからである。 また一機、朱の炎を纏ったプテラスの青い機体が、灰黒色の煙で尾を引きながら、地面へと吸い込まれるように落下していく。吹き飛んだ橙色の風防の下からコクピットシートが射出される様子に一瞥をくれ、レイラはファイティングファルコンの操縦桿を引き、同時にファルコンウィングの出力も上げる。機体は重力に逆らって増速しつつ、機首の方向を前方から上方、そして後方へと移していった。 機体が背面飛行に移った所で、けたたましいアラートの原因だった後方からのミサイルがこちらを追いきれず、先程まで前方だった方向へと飛び去っていく。しかしそれを確認する前に、レイラは百八十度の右ロールを打ち、機体を通常の水平飛行までもっていった。 次に待っているのは、ミサイルの射手との正面からの邂逅。相対速度は音速を容易く凌駕する。 ヘッドオンの状態から、秒を更に分割した単位でもって失われていく彼我の距離。レイラはヘルメットのバイザーの下から、徐々に大きくなるプテラスの機影を凝視していた。 ロックオンの警報は間断無くコクピットの中を満たしているが、敵からはミサイルも、機銃弾も、まだ放たれない。限界まで距離を詰めてからすれ違いざまの一撃で、確実に墜とすつもりだ。(分かっていないのね……) レイラは知っている。ヘッドオン状態からの戦闘は、機体の性能――特に搭載兵装。そして操縦者の技能。この二つの総和が相手のそれを上回っていて初めて、絶対的な有利を獲得する事ができる。 今回そのアドバンテージを握っているのは――(アナタじゃない……) 機体はもとより、テクニックの面でも、自分が目前の相手に劣っているはずがないと、レイラは自負していた。決して、ファイティングファルコンの性能に乗せられているだけのヘボではない。 高空を吹く風を少しでも多く求めようとするかのように、胴体の左右へと大きく大きく広げられた金色のファルコンウィング。その両翼に装備された二連対空レーザーが瞬時にその射角を調整し、接近するプテラスに狙いを定める。相手のプテラスが機動の微調整でガンの照準を定めなければならないのに対し、コンピュータによって制御された一連の動作は実に機敏で、正確だ。そして、その威力も必殺。プテラスに耐えられる代物ではない。 ロックオン警報に鼓膜を震わせるレイラの耳に、もう一つ別の音――敵機をロックした事を知らせる信号音がとどいた。 プテラスの姿とディスプレイに表示されたシーカーが重なって赤く染まるまで、サラマンダーが先程のミサイルを回避してから一秒少々の間の出来事。それが、空戦という非日常の中での時の速度だ。 何かのリズムを刻むかのように、レイラの指は操縦桿の発射スイッチを断続的に押し込む。連続して照射されたレーザーは、一斉射でプテラスの両翼を根こそぎ吹き飛ばし、二斉射目が胴体に炸裂して装甲を融解、貫通する。三斉射以降は被弾した敵の軌道がズレたために、何も無い空間を焼き焦がし、イオンをぶち撒けるだけの結果となった。直後には、二機の機影が交錯する。 後方に消えていった羽無しのプテラスの爆発は、辛うじて音の速度を超えていないサラマンダーのコクピット内にも轟いた。「……死んだわね」 あの速度では、パイロットが機体爆発の前に脱出したとしても、全身の骨が風圧に耐えられない。地上への生還は不可能だろう。(なかなか難しいものね……) マスクやバイザーの下で表情を歪めると共に、声にならない愚痴をこぼす。 殺人行為への自責の念ではない。そんな物を悔いた所で、いまさら過ぎて逆に罰当たりだ。 レイラが目論んでいたのは、敵の操縦者をわざと脱出させ、地上や空から放たれる敵の攻撃を少しでも減らす事だ。降下するパラシュートで空が覆われれば、敵も攻撃を控えざるをえない。そうなれば、気兼ねのいらないこちらには圧倒的に有利だ。 ただし、現実はそこまで簡単ではなかったが。「――!」 あれこれ考えている内にも、敵機は四方八方から迫ってくる。本格的な空戦が始まり、高射砲群からの砲火は誤射を恐れて小康状態だが、それでも高度を落とせば、今度待っているのは地対空ミサイルだ。動ける領域は、そう広くはない。(あぁ、アレも壊すんだったわね……) 機体を左旋回させながらヘルメットのバイザーを押し上げ、自身の左側に広がる地上をキャノピー越しに透かし見る。彼方に、先鋭的なシルエットがこちらの様子を窺っている姿が、レイラの類稀な視力によって確認できた。拠点の随所に設けられたSAM群だ。 敵の対空戦闘能力を奪い、正規軍の爆撃を支援するのが、レイラだけでなく、この戦場に展開する傭兵部隊の任務である。とりわけレイラには、地上からの破壊が困難と思われる拠点内部に設置された対空兵器を、爆撃によって破壊するという役目があった。そしてそのために、レイラのサラマンダーにも多数の爆弾が搭載されている。 しかし、それらはまだ一発として、本来の目的を果たしていなかった。レイラが、拠点上空を固める防空戦隊との戦闘を続けていたからだ。 重量のかさむ爆弾など、さっさと放り捨てたいのは山々だ。しかし思ってはいても、敵がそうはさせてくれないのだ。爆撃コースに入ろうとすれば、周囲のプテラスがこぞって飛び掛ってくる。お陰で、重い荷物は一向に減る気配が無い。 それでもレイラは、普段より動きに精彩を欠く(と彼女自身は思っている)ファイティングファルコンを駆り、既に十機に上るプテラスを血祭りに上げていた。圧倒的な数的劣位を、機体性能とそれを限界まで引き出す技量によって跳ね返し、今やこの灰色の空は、彼女が支配しているようなものだ。 しかし、爽快感の欠片も与えてくれない空中散歩に、レイラの我慢もいよいよ限界に達しようとしていた。周囲の敵機は、レイラの鬼神の如き活躍に攻撃を一時中断し、ファイティングファルコンを遠巻きにして様子を窺っている。 チャンスではあった。(もう……いいわよね……) レイラは上げたバイザーを勢いよく叩き下ろすと、その指を爆弾のリリースボタンへ伸ばす。そしてその指をそのままに、操縦桿操作とラダーを蹴って機体を百八十度ロール。背面飛行の状態へもっていき、そこから更に操縦桿を引いて、地面へと機首を振り向ける。サラマンダーは重力に引かれ、垂直降下を開始した。『レイラ、報酬はいらねぇのか? 随分太っ腹じゃねぇか。いらねぇってんなら、オレ達で山分けにしちまうぜ?』 高度計の針が寒気のする回転を始めるのと時を同じくし、レイラの耳を仲間のだみ声が打った。今頃シールドライガーで地上を駆け回っているはずの、傭兵部隊のリーダー格――ゼロの声だ。「今からやるわよ。この重い荷物を、いい加減に始末したいの」 答えてレイラは、機体の進入角度を調整。地面に対して垂直の機体を、徐々に平行に戻していく。地上、進行方向の直線上には、多数の対空砲が配備されており、ここで爆撃を開始すれば、慣性で斜め前方へと落下する爆弾が、それらを根こそぎ破壊するはずだ。ディスプレイ上でも、落下位置の目安となるシーカーが、目標付近で揺れている。 高度を下げた事で、地上からの対空砲火は再燃。周囲のプテラスも慌てて距離を詰めてくる。しかしレイラの頭の中は、重い荷物をようやく放棄できるという期待で一色に塗り潰されており、そんな瑣末な事を気にかける余裕も無かった。元より、爆撃コースに入った段階で、回避という選択肢などあろうはずもない。「落とすわよ。無いとは思うけど、巻き込んでも責任は負わないから」 機体を揺さぶる高射砲弾の炸裂を無視すると、地上の仲間達への形ばかりの忠告と同時に、リリースボタンを押し込むレイラ。拘束から解き放たれた無数の爆弾は、金切り声をあげて空間を切り裂き、最初はゆっくりと、しかし徐々に加速しながら地面へ落下していく。 サラマンダーは即座に上昇、離脱。機首を持ち上げると、黄金の主翼に搭載されたマグネッサー、電磁フロート両システムの出力を上げて、軽くなった機体を一気に加速させる。(軽い!) ファイティングファルコンが機体本来の動きを取り戻した事を、自身に課せられる加速Gで実感したレイラは、胸の内で快哉を叫ぶ。サラマンダーも嬉しいのか、それとも主の歓喜を感じ取ったのか、輝く翼で大きく一度羽ばたくと、一声。長く尾を引く咆哮を、周囲の戦場一帯にこれでもかとばかりに響かせた。血生臭い風を颯爽と吹き散らすその声と姿は、まさに風格溢れる空の王者。 そして、直後にもう一音。水蒸気の薄衣を一瞬だけその身に纏い、音の壁を打ち破る。 遠雷のような衝撃音に呼応するかのように、遥かな地上で爆発のラインが一直線に立ち上がった。その炎は、設置された対空陣地を一瞬にして飲み込み、更に膨れ上がる。弾薬への誘爆に次ぐ誘爆で、爆発はその範囲を広げていった。 レイラは体にかかるGを堪えながらも、シートから大きく身を乗り出し、真っ青な風防の内側にヘルメットをこすりつけるような形で、足下の地上を覗き込む。その視界にもはっきりと、拠点の一角を朱に染めた爆炎が見て取れた。「よし……」 その光景に満足し、姿勢を元に戻すレイラ。 これで最低限の役目はこなした。後は何をしようと、誰に文句を言われる筋合いも無い。 そう納得する彼女の眼前には、灰色の天蓋が迫る。 突入。 一気に明度を落とし、不明瞭になるレイラの視界。雲を切り裂いて飛ぶファイティングファルコンも、不気味な振動に包まれる。しかし、それでもレイラは愛機を加速。 速く、少しでも速く。そして――高く。 この薄暗い闇の向こうに広がる至高の光景。天を翔る者のみが見る事を許された、群青の世界を目指して。 変化は一瞬。 目の前の霞が晴れ、視界が開ける。遮る物は雲とて存在しない、真の姿の空がそこにあった。 曇天の今日に限らず、地上よりも遥かに強烈な陽光。見慣れたはずのレイラではあったが、それでも寸前まで薄暗がりを抜けてきただけに、バイザーの下で思わず目を細める。 いい気分だった。先程までの鬱屈とした不快な気分が嘘のようだ。 冴えない色の雲も、重い爆弾も、目障りな地上からの砲火も、ここには何一つ存在しない。自分がいて、ファルコンがいて、蒼い空がある。それだけだ。 レイラは、自分が空を飛ぶ理由を再確認した。 彼女を出迎えた空の青さは、ゼロのシールドライガーよりも深く、イシュタムのサーベルタイガーよりも鮮やかに澄み、ファイティングファルコンのキャノピーよりも透き通っている。およそ彼女の知る青の中で、最も美しい蒼だった。これと同じ蒼色を持つ存在を、レイラは一つしか知らない。「――!」 そして無論、それは背後から迫るプテラスの装甲などではない。 まるで水のように雲を飛沫かせ、その雲を尾のように引いて雲海から飛び出し、サラマンダーを追ってくるプテラス部隊。 敵からのレーダー照射を知らせる警報に合わせ、レイラは高みへと駆け上り続けるサラマンダーの機首を更に起こし、縦の半円の軌道で進行方向を百八十度反転。背面飛行のまま、敵機の頭上を通過する。後ろに回り込まれる事を恐れ、“頭上”の雲海に浮かんでいた機影達が様々な方向に散開していく姿を、レイラの瞳は映していた。 スカイブルー――空色の蒼い瞳だった。「邪魔はさせない……」 レイラが操縦桿を引くと、サラマンダーは先の機動とは逆の半円を描き、若干高度を落としつつも再びその腹を雲海へと晒す。同時に彼女は、自機との位置関係を把握するために、四方八方に散った敵機の影を全て捕捉。猛禽の鋭さを持つレイラの瞳が、スッと細められた。「It’s show time」 共和国軍拠点周囲数キロに渡って、戦闘は繰り広げられていた。 轟くのは、砲声と咆哮。立ち込めるのは、爆炎に硝煙。そして、ゾイドが走り回るたびにそこかしこで立ち上がる、真っ赤な砂煙だ。 そんな戦場に、紅蓮の火柱が立ち上がる。施設を囲むようにして設けられた隔壁の内側だ。「派手にやりやがって……」 ヒゲに覆われた口元を歪めながら、ゼロはその光景を横目で見やる。向けられた砲門から、シールドライガーの身を翻しつつだ。 既に空には、たった一度の爆撃で拠点内部の対空機能を麻痺させた金色の翼の姿は無い。今は任務の枷から開放されたのをいい事に、更なる高みを目指して雲の上のはずだ。「こっちはこっちで、惨めに地面を這い回ってるってのによぉ」 数で劣る帝国側の傭兵部隊は、戦場狭しと駆け回って遊撃戦を展開しつつ、拠点外部に設置された対空兵器の破壊任務に当たっている。ただ、着実に役目はこなしているものの、守りを固めた共和国軍の妨害は熾烈の一語に尽き、苦戦を強いられているのが実情だった。 しかしそんな状況にあって、敵の砲火の渦中で目覚ましい動きを見せるゾイドも何機か存在した。ゼロの操るシールドライガーも、その内の一機である。「さぁ、次にオレの報酬に化けたいヤツは、どこのどいつだ?」 しつこくつけ狙ってきたゴドスをビーム砲で黙らせると、ゼロはシールドの機首を巡らせ、新たな獲物を探して再びの疾走を開始する。 風を切る音はコクピットまで微かにとどくだけでも、流れていく左右の景色だけで十分そのスピードを味わう事はできる。それだけで、幾多の戦場を渡り歩いてきたゼロには、その浅黒く日焼けした肌を伝う風の感触すらも想像する事ができるのだ。 彼からすれば、戦場の空気を直に味わいたいと言ってサイカーチスに搭乗するスローも、まだまだ経験不足の青二才である。ただし、それはあくまでスローのキャリアの長さについての評価であり、彼の傭兵としての技術や経験値については、ゼロも十分認める所だが。『……どうかしたのか、ゼロ?』「ん?」 思い浮かべていた人物から直接の問い掛けを受け、ゼロは初めて、自分の口から静かな笑い声が漏れていた事に気づく。人の事をなんだかんだ言っていても、戦場の緊迫感を楽しいと感じているようでは、自分もまだまだ未熟だ。(どんな時でも、金のために戦場に立つ。金のためだけに。それがプロってもんだ……) 戦場を楽しむ事など放棄して、極限の自制の果てに行き着く領域がある。それがゼロの考えだった。 それにゼロには、どうしても金が要る理由があるのだ。「でっけぇ図体してるわりに、耳もいいなオメェは。ちょっとした思い出し笑いだ、気にするなよ」『そうか……』 こう言っておけば、スローが深く追求してくる事は無いと知っている。あの男の関心は、そんな所には無いのだから。「オレなんかの事より、いい獲物は見つかったのか? オメェのと違って、オレのゾイドは大喰らいなんだ。ゴドスやガイサックばかりじゃメシの食い上げ……大赤字だからな」 仮にも砦攻めというだけあり、敵の数も、戦闘の規模も、なかなかに大きい。しかし配備されているゾイドは、そのほとんどが小型の量産ゾイドであり、ゼロにとっては、いくら骸の山を築こうとも所詮は雀の涙。報酬は、シールドライガーの整備でその大半が消えていく。高性能の機体故に、シールドは維持費もかさむのだ。機体自体が共和国製であるというのも、理由の一つである。(まったく……金食い虫だぜ……) もっと手頃な機体に乗り換えれば実質的な報酬も増えるだろうし、機体の性能を落としても、スコアを維持できるだけの自信もある。事実、それも考えた。 しかし、ゼロがそれをしなかったのは、自分の命を預ける機体に妥協したくなかったからだ。 金は確かに必要だ。だが、それで死んでしまっては本末転倒、元も子もない。 傭兵は職業なのだ、金を得るためにやっている。 そしてそのビジネスの内容は、殺したり殺されたりといった命のやり取りではなく、一方的な殺しでなければならないのだ。それができないと判断すれば、背を向けて逃げる事にもまったく抵抗は無い。 絶対的に有利な立ち位置から、十分な勝算を確保して動く。それがゼロの信条だった。『相変わらず、ゴドスにガイサックだ。ゴルドスも、いるようだが……』 スローの回答は、芳しくない物だった。ただ、分かっていた事でもある。「じゃ、ゴルドスだな。幾らかはマシな稼ぎになる。それに――」 足の遅いゴルドスの事だ。ヘタに動き回る事はせず、対空陣に張り付いて行動しているに違いない。作戦目標でもある対空兵器の報酬も加えれば、ゴジュラスやシールドにはとどかないまでも、そこそこの額にはなるはずだ。(あのボンクラ隊長の狙い通りに動くのは、あんまりいい気分じゃねぇけどな……) こういう考え方を読んで標的の報酬額を設定したのだろうが、実に小賢しい。それでもゼロにとって、プライドよりも報酬の方が重要なのは、いまさら言うまでもない事だ。「スロー、こっから一番近い対空陣地は?」『前方、距離千……』 ぶっきらぼうな声音は、自分で確認しろと言わんばかりに聞こえる。しかし、ゼロは気にしない。「ふん、丁度いいじゃねぇか。このまま突っ込むぜ!」 ゼロは咆え、シールドを加速させる。地面を蹴る一足一足に俄然力がこもり、機体が勢いよく飛び出した。「むっ――!」 時速の数字は百前後から、一気に二百を超える大台へ。目的地までは、二十秒とかからない。 サイカーチスで追従しながら、スローは地上を走る青い機体の後ろ姿を見下ろす。砂煙の尾を引いて走る獅子は、後顧の憂いなど微塵も感じさせない。 金で敵を撃つ傭兵風情。しかし、その仲間意識は強い。同じ部隊であれば寝食を共にし、戦場では背中を預け合う。 部隊には実力は高いのに加え、我も強い連中が集まっているが、傭兵として、ゾイド乗りとしての高いプライドが互いの実力を見抜き、認め、反発し合う事もなく、寧ろそれらが面白い具合に噛み合って、一種独特の強固な連帯感を生み出していた。元来は一匹狼の気風が強いと自覚しているスローも、この部隊に来てそれに近い感情は抱き始めている。 不思議な事だった。仲間との信頼はつまり、協力して何かを遣り遂げんとする時に、初めて必要になる関係のはずだ。しかしスローが戦いに赴く理由は、作戦を成功させて報酬を得る事が全てではない。そんな事は結果に過ぎず、彼にとってはそこに至る過程――戦場に立つという行為こそが重要であり、目的の全てなのだ。 戦うために戦場へ。何故戦うのかというと、戦いたいから。 普通のようでいて、どこか異常な思考。そんな自分だから、他人から仲間として迎えられるとも思っていなかったし、そもそも仲間という存在が必要とも考えていなかった。今までの仕事でも、組んだ傭兵は少なからずいたが、スローにとっては単に、戦場を共にする同業者というだけの存在だった。 戦うだけならば、仲間など必要ない。 それがどうだ。今ではゼロや仲間達と戦場で暴れ回るのが楽しい。一人で黙々と戦っていた時よりも、だ。 数で得られる優位などに興味は無かったが、広がる戦闘の幅、コンビネーションの妙。そういった事柄は、新鮮な喜びを伴ってスローを魅了した。 これが仲間というものかと、スローは正直、目から鱗の思いだった。足枷と同義であった仲間という存在が、スローの中でその意味を変じ始めていた。『オメェが牽制しろ、スロー。そこを狙ってオレが潰す』 だみ声の指示に、スローは即座に反応する。 視界には、前方地上で対空陣防衛のために居並ぶゾイドの群れ。ゴドスが七、ガイサックが四。そしてその最後尾、対空兵器群の最後の砦として、ひときわ巨大な影。ゴルドスが一機。(砂の下に、ガイサックが二機……) 伏兵の存在を、勘の域を出ぬ手段にも拘らず敏感に察知しつつも、自分同様に勘付いているであろうゼロには特に知らせる事もせず、接近を続ける。 こちらの有効レンジが相手を捉えるより先に、低空で侵入するサイカーチスを対空陣のミサイルが出迎えた。数は二発。 スローは、サイカーチスの速度を上げた。『なんだ、撃ち落とさねぇのか?』「そんな手間は必要ない」 シールドライガーの上空ギリギリを追い越しながら言うスローに、冗談を受け入れる余地は微塵も無い。 正面からでは、白煙の軌跡も白いわだかまりとしか認識できないが、そこを見据えて直進する。やかましい警報音は開放的なコクピットで鳴り響き、駆け抜けた虚空に置いてけぼりだ。 タイミングを計り、スローはサイカーチスの高度をまた一段と下げる。それでサイカーチスの最高到達点は、距離を離しつつある後方のシールドライガーの全高よりも低い位置にきた。地上の砂が、風で舞い上がり始める。 サイカーチスを追って、ミサイルはその進行方向を修正。しかし、相対速度にミサイルの急激な修正は追いつかず、超低空飛行のサイカーチスはミサイルの軌道の下を潜り抜ける形となる。 ミサイルの追跡は叶わず、二発は地面へ激突して炸裂。シビアなタイミングにも拘らず、スローはミサイルを振り切った。 だが回避運動の途中から、迫る第二波を彼は察知している。数は同じく二発。前の二発との間隔は絶妙で、ここからでは逃げ切れない。 仕方なくスローは機体の速度を落とし、前方から迫るミサイルにビーム砲と荷電粒子砲の掃射を行った。爆発は正確に二回。迎撃は成功する。「なっ――!?」 だがそこで、普段は狼狽などとは縁遠いはずのスローにそんな声を上げさせる事態が起こった。空中で広がった爆炎を突き抜け、更に二発のミサイルが出現したのである。(三度!?) サイカーチス一機に計六発の対空ミサイルを撃ち込んでくるとは、スローも想像していなかった。 焦燥が、機体の動きを乱す。迎撃は失敗した。 アラート音が耳に痛い。白煙を吐き出しながら向かってくるミサイルを、スローは見開いた瞳で睨みつけた。 殺せるものなら殺してみろ。そう言わんばかりに。 眼前から迫り来る死その物の存在にも、スローは恐怖を見せなかった。「――!」 果たして、ミサイルは炸裂する。撒き散らされる炎、黒煙、衝撃音。 しかし、サイカーチスはそのか細い脚一本も失わず、飛行を続けた。瞳を閉じる事無く死の運命と対峙したスローには、自分をその運命から救い出した救世主の正体も一目瞭然だった。『どうしたスロー? マスのかき過ぎで、手がいうこと聞かなくなっちまったか? それとも戦場に飽きて、今度はあの世をエンジョイしたくなったか?』「ゼロ……」 死の運命を蹴散らしたのは、勇壮な青獅子だった。ゼロのシールドライガーが、速度を落としたサイカーチスに追いついてそれを飛び越し、エネルギーシールド全開でミサイルに体当たりを食らわせたのである。 その身が空中にある内にシールド発生装置を停止させ、そこから着地したシールドライガーは、サイカーチスの進路を妨げぬよう即座に右へステップを踏んで、今はサイカーチスの真横を並走していた。ミサイルは展開されたエネルギーシールドの力場に触れて有爆したらしく、シールドの頭部に目立った損傷は見当たらない。わずかに確認できる傷は、破片でも受けたのだろう。『珍しい事もあるもんだぜ。ま、貸し一つだ。今度一杯付き合えや』「……分かった」 スローはそう応じると、サイカーチスを加速しながら上昇させた。六発も消費して怖気づいたのかミサイルは鳴りを潜め、今度はゴドスから対空ビーム砲が撃ち上げられる。 無雑作にも見えるランダムな機動でそれを掻い潜りながら、お返しとばかりにサイカーチスも攻撃を開始。光の雨とも形容できる光線の弾幕を撃ち下ろす。回避運動のためにのんびり照準を合わせている暇は無かったが、その光槍の大半が砂漠の赤い地面に突き立つ中で、眩い輝きを放つその内の一発は、静止して狙いを定めていたガイサックの胴体を撃ち抜いた。 集団の中で起きた爆発で、他の機体の動きが一層慌ただしさを増す。中には騒ぎに釣られて、アンブッシュしていたはずの地下から飛び出す馬鹿なガイサックもいた。 そこへ躍り込んだのが、ゼロのシールドライガーだ。うろたえるゴドス一機を腹部の衝撃砲で吹き飛ばし、先程飛び出したガイサックを軽いジャンプからの一撃で足蹴にする。 右半身を失ったゴドスと、コクピットを踏み潰されたガイサックを筆頭に、シールドの生み出す無惨な骸は刻一刻と増えていった。(強い……) 陸戦ゾイドの事については門外漢なスローだが、それでもゼロの実力の高さは、その動きを見るだけで十分窺い知る事ができた。性格や人間性はともかく、とにかく能力の高いメンバーが揃う第837独立傭兵小隊――CODAにおいて、実力を認められてリーダー格に納まっているだけはある。 空中からの砲火でシールドを援護しつつ、スローはその活躍を見守る。 援護だ。一人で戦っていた頃は、そんな言葉とも無縁だった。(仲間……か……) 戦場の焼け焦げた空気が、剥き出しの顔の肌を焼く。しかし戦場の空気は、いつものように快感を与えてくれる物ではなかった。 彼がそこから得る事ができたのは、仲間という存在がいなければ、こうして戦場の空気に触れる事もできなくなっていたのだという、一つの事実だけだった。
長らくお待たせしてしまいました……、すいませんヒカルです。 まず最初に読んで感じたのはカッコいい! というまあちょっと単純なものでした。今回はそれぞれの隊員の心情描写に力を入れていたと思います。(戦闘シーンは相変わらず凄まじく) 私は個人的にミリタリー系の分野がけっこう好きで、本も読みます。傭兵についても、現代の傭兵の姿みたいな本を何冊か読んでいたので、ゼロの考え方や生き方などはリアルだな〜と強く思いました。ゾイドの世界でも傭兵業が発展してもおかしくはありません。いやむしろあんな機械獣が堂々と練り歩くという不安定さからより盛んになっていいくらいですね。 踏み出す右足さんの小説でいつも目を見張るのはやはり今まで述べたようなリアルではないでしょうかね。詳しい考察はもちろんのこと、説明をモロにただ提示するのではなく、それをきちんとキャラや戦場の血なまぐささに絡めている点に感服します。正直ここまで完成度高い作品はそうそう目にかかることはないです(今までいろんなサイトでゾイド小説読んできましたが) 是非是非この調子でこれからもご投稿願いたいものです。それでは長くなりましたが、どうぞご執筆のほうがんばってください。 ではヒカルでした〜
ったく、待ちぼうけかよ! 傭兵連中、何のんびりしてやがる! 無駄だ無駄だ。金なんぞに命張ってる薄汚ねぇハンパもんに、何期待しようってんだ いいから、のんびりモクでもやってろよ第四話「Why――何故に……・中編」 戦闘は佳境へと移ろうとしている。共和国軍基地の対空兵器群は、第837独立傭兵小隊を始めとする帝国軍先行部隊の攻撃により、その半分以上を既に無力化されていた。「まったく……なんと浅ましい連中だ!」 その状況を眼下に、レジア=ルイ=ラティルマ大尉は吐き捨てる。 彼は行動開始直後から今の今まで、戦場で繰り広げられた一部始終を、今いる丘の上からその目で見届けていた。故に眼前、眼下の状況が、他ならぬ己の指揮下にある傭兵達の手による物である事も、重々承知していた。 彼と、彼方の基地施設。二点を結ぶ線上には、無数の巨大な影が累々と横たわる。言うまでもなく、戦場に命を散らしたゾイドの骸である。そしてそのほとんどが、自分達の基地を守らんと飛び出してきた、共和国ゾイドの成れの果てだった。「あんな者共と轡を並べているのかと思うと、虫唾が走る!」 傭兵達の――特にレジアが率いる第837独立傭兵小隊の面々は、その行動がひどく徹底していた。 ゾイド、固定目標を問わず、報酬の対象となっている敵戦力にはそれこそ手当たり次第に襲い掛かり、ただ一つの取りこぼしすらなくその手にかけていくのだ。自分の金にがめついのが守銭奴だが、未来の金にまでがめついとあっては、ケチもここに極まれり。正に守銭奴の鏡だ。 レジアの目にはそんな彼らが、誇りを持たぬ恥知らずとしか映っていない。下級ではあっても貴族の出であるレジアにとって、誇りを知らぬ人間とは最も忌み嫌うべき人種なのである。金次第では何でもやり、生き延びるためにはどんな事でもする傭兵風情など、そんな者達の筆頭だった。(そもそも何故この私が、傭兵部隊の指揮官などという閑職に甘んじねばならんのだ!) 恐らく、その理由に行き着けるだけの感性や能力といったものをレジアが持ち合わせていたならば、今頃彼はもっと違う人生を歩んでいた事だろう。矛盾していないでもないが、人生が後戻りできない一本道である以上、それは仕方の無い事だ。『ラティルマ大尉。爆撃部隊が撤収を催促しておりますが……』「そんな事で一々私の指示を仰ぐな! 上手くあしらっておけ!」『はい……』 気の利かぬ副官を一喝するとラティルマは、再度戦場を見やりながら、待たされて御立腹らしき本隊への御機嫌伺いの方策を練り始める。 真っ先に彼が思いついたのは、何らかの武功を上げてしまう事だった。せめてゴジュラスの一機でも沈めて見せれば彼らへの反論材料となるのではと考えたのだが、しかしそれも、これだけ敵が食い散らかされた状況では何が何やら分からない。 かと言って、自らあの戦場へと踏み込んでいけば、無法者の部下達に殺されても文句は言えない。(むぅ、何かいい手立ては……) 思案するレジアだったが、視界に己の副官が搭乗するセイバータイガーが映った事で、そこへの一案が浮かび上がる。「……まぁしかし、このままにもしておけまい。すまんが少尉、行って奴等を連れ戻してきてくれ。それについでと言ってはなんだが、奴等の目ぼしい戦果も確認してきてくれると、なお有り難い」『は?』 直前の言を翻すような物言いには一抹の後ろめたさを覚えたものの、自分の妙案に満足するレジアに、部下を危地へ送り出す事についての後ろめたさは無い。むしろ新任の副官の実力も確かめる事ができ一石二鳥ならぬ、一石三鳥と考えていた。『私が一人で……ですか?』「無論だ、傭兵共は全員出払っているからな。それとも何か? 君は私の指示に従えないと……不服でもあるのか?」 しかしせっかくの案にも、新任副官のシエンナ=メイクライン少尉には何やら含む所があるらしい。その口調には、今の命令への不満が明確に感じ取れる。「まったく……上官の命に従う事は、部下の最低限の義務だと思うのだがな。そんな事も分からんとは、やはり……」『り、了解しました! 直ちに行動に移ります!』 ここぞとばかり、戦場の厳しさを知らぬ甘ったれの少尉に軍人としての心構えの何たるかを説教し、上下関係という物をきっちり思い知らせてやるつもりだったのだが、残念ながらその目論見は、叱責を恐れる子供のような言い草でシエンナが言葉を重ねてきたせいで御破算となってしまった。 主の口調同様に、弾けるように慌てて飛び出していくセイバータイガー。小さくなっていく後ろ姿が、傷一つ無いレッドホーンの艶めく装甲に映し出される。「初めから素直に従えばいいのだ、まったく……これだからゼネバスの人間は……」 俊足を活かしてサーベルタイガーが走り去った方向を見つめながら、レジアは直前に口にできなかった言葉をおもむろに呟いた。 誇り高きガイロスの民である自分は、国を捨てて生き残ったあんな恥知らずの民族とは違う。背負っている物も違うのだ。 偉大なる皇帝陛下とガイロス帝国のために、レジアは今日も“戦い”続ける……。 赤い砂漠をひた走る愛機に揺られながら、シエンナは呆れていた。心底呆れていた。(あそこまで身勝手な人間が、人の上に立っているなんて……) あれだけの言葉を聞かされてしまっては、もはや自分の言動が感情丸出しの間抜けな代物であった事も、まったく悔いる気にならない。 それどころか時が経つにつれて、怒りにも似た感情までも湧き上がってくる。己に課せられた使命のためとはいえ、自分の立場があのような男の下に位置するなど、侮辱にも等しい。(このツケは、いずれたっぷりと……) 自制心の塊のような彼女にしては珍しく、秀麗な眉目を不機嫌な形に歪めると、シエンナは溜まった鬱憤を晴らすかの如く、愛機セイバーの肢体を血腥い戦場の風に、殊更派手に躍動させるのだった。 メンツという言葉がある。 たった一機のゾイドに所属する基地を火の海にされたとあっては、敵はそのメンツに懸けても、その張本人を無事に帰さぬつもりらしかった。彼らが搭乗するプテラスのキャノピー越しに、血走った視線が自分に向けられているのが、レイラには気配で分かる。(さっきより厄介じゃない……) 奇妙な話だ。ついさっきまで、群がるプテラスなど敵ではなかったのだ。 しかし今、機体もパイロットも自分に及ばぬ、勝っているのはその数だけ(無論、数というのは戦闘において重要なアドバンテージではあるが)という相手に押され始めている自分がここにいる。それがレイラには、にわかには信じられなかった。 対象が目の前にいるためか、敵の士気は非常に高い。連携も高いレベルで取れている。この高度で、サラマンダーF2の動きにプテラスがなんとかついてこられているのは、その所為もあるのだろうか。 とにかくはっきりしている事は、機体もパイロットも消耗している敵の攻撃が、先程の雲の下よりも遥かに苛烈だという事だ。「……ハァッ……ハァッ!」 引き付けを起こしたような息遣いで自身に課せられるGに耐えながら、レイラはファイティングファルコンを操り、襲い掛かるプテラスの鬼気迫る攻撃をかいくぐっていた。 プテラスが相手とはいえ、数の力は脅威だ。手を抜いていれば、格下相手とはいえ落とされかねない。その道のプロフェッショナル――職業軍人が相手ともなれば、それもなおさらだ。 そして機体の限界に限りなく近い機動は、パイロットであるレイラに相当な肉体的負担を強いる物だった。 超高性能機体であるサラマンダーF2。特にその機動力には目を見張る物がある。しかしその性能の限界は、人体の限界を大きく上回る高みにあった。パイロットに求められるのは、限られた機体性能を残らず出し切る事ではなく、有り余るその性能を、自分の限界を超えない範囲でできる限り引き出す事だ。 その点レイラは十分な技術と体力で、ファイティングファルコンの性能を限界近くまで引き出す事ができる。しかし、それは彼女をもってしても、決して容易い事ではない。 時を追う毎に、レイラの肉体へは限界機動のツケ――疲労が蓄積されていった。(久しぶりに……キツいわ……) どんなに機体を振り回して後ろについた一機を振り払っても、次の瞬間には別の一機が違う軌道から飛び込んできて、再びレーダー波を照射してくる。おかげでコクピット内の警報は途切れる暇も無い。鳴りっ放しの警報音に、耳も危機感も半分麻痺してしまっていた。 更にその間もレイラの目の前では、囮役のプテラスが入れ代わり立ち代わり美味そうな尻を揺らしているのだ。パイロットの性として、どうしても意識はそちらへと向きがちになってしまう。「――!」 前を飛ぶプテラスが、右にバンクを切って急旋回する。レイラは咄嗟にそれを追った。 自機にもバンクを切らせ、敵機の描いた軌道よりも更にタイトなコースに機体を滑り込ませていくレイラ。かかるGはきつくなるが、自分なら耐えられると判断したのだ。「ぐぅ……うぅん……」 マスクの下で唸りつつ、渾身の力を下半身に込め、遠心力で血液が足へと流れ込むのを堪える。狭くなる視界の中でレイラは、必死にディスプレイにプテラスの姿を捉え続けた。(いける。もう少し……) このまま相手よりも内側の円軌道を通って距離を詰めれば、確実に次の攻撃で落とせる。 その時だった。「はっ!?」 キャノピー越しに、自身の左側から降り注いでいた陽光が、その一瞬何者かによって遮られた。考えるべくも無く、敵のプテラスだ。 しかしそれは一瞬であり、太陽を背にしてこちらへ飛び掛ってきた様子は無い。太陽とこちらを結ぶ線上を、ただ通過しただけのようだ。(一機……) その変化がレイラに、目の前の敵機のみへ向いていた注意を、戦場全体に向けさせる契機となった。(二機……三機……) 戦闘機動中ではあったが、レイラは素早く視線を巡らせ、敵の位置、数を確認していく。疲労とGで薄れがちな意識であっても、重要な要素を見違えはしない。 自機の下方、雲海の上に一機。目の前に一機。(四機……) 折り良く視界に、彼方から回り込んでくる一機の姿が映る。 しかしそれでは……(――足りない!?) 同時に鳴り響く、ミサイルアラート。判断と行動は一瞬だった。 レーダーを確認する暇もあらばこそ、レイラは旋回状態から更に機体を右にロールさせ、減速しつつ操縦桿を引き続ける。直前までよりもさらに急激でタイトな旋回だが、レイラは遠退く意識を必死に繋ぎ止め、なんとか堪えきった。 直後――ほんの一瞬の差だった。寸前までのサラマンダーの残像を貫くように、二発のミサイルが飛び過ぎた。囮を利用し、機体腹側に潜り込んで死角から攻撃する。五機目のプテラスが仕掛けた必殺のベリーサイド・アタックだった。 レーダー、音、日光を遮る影の動き。周囲の諸々の要因から今起こった一連の流れを悟ったレイラは、自分の直感がまだ生きていた事に、胸を撫で下ろす思いだった。 しかし、その安堵感も過ぎ去ってしまえば、彼女の胸に去来するのは苛立ちから来る怒りのみ。 普段ならば、そんな感情を抱きはしない。圧倒的優位の空戦は自分の思う通りに飛び回り、レイラにとっては楽しみの空中散歩と何ら変わらないからだ。 しかし、今回は少しばかり違った。 敵にいい様に追い立てられるというこの現状は、決してレイラが望む飛び方ではない。 加えて、己に劣る敵へ意気揚々と挑んでいったにも拘らず、現状はプテラス数機に大苦戦という体たらく。期待を外されたと同時に、間違ってもファイティングファルコンに乗る者があってはならぬ事態が、彼女には不甲斐無かった。「…………」 やがてコクピットを満たす沈黙が、レイラの放つ雰囲気によって不機嫌気な物へと取って代わられていく。サラマンダーも主に中てられて、神経質な咆え声を上げ始める。 不運にもそんな中、一機のプテラスがサラマンダーに挑みかかった。真っ正面からガンを乱射し、コクピットのレイラ目掛けて突っ込んでくる。「――!」 苛立ちから来る攻撃衝動が、レイラの思考と反応を支配していた。 彼女の操縦でサラマンダーが一際大きく羽ばたき、鋭い加速を見せる。目に見えて速まる、プテラスとの距離の減少速度。更に僅かばかり機首を上に向け、コクピットへと飛来する機銃弾の雨を首元の装甲で受け止める。(いい加減……目障りよ……) 上向いた機首の角度は、プテラスとすれ違う際にギリギリでその上を通過する事を計算されていた。すれ違うその瞬間、寸分狂わぬタイミングで、サラマンダーの巨大な足をプテラスの胴体に振り下ろす。 着地の際に巨体を支える逞しい脚は、踏み付けるように蹴飛ばしたプテラスを、まるで見えざる神の鉄槌に打たれたかの如くバラバラにしてのけた。蹴られた胴体はその勢いのままに雲の海へ吸い込まれていき、蹴りに一拍遅れて千切れ飛んだ両翼がそれを追いかけるかのように、空気抵抗で螺旋を描きながらゆっくりと舞い落ちていく。 一撃離脱。ゾイドだからこそでき得る、文字通りの格闘戦だった。 一機落として勢いに乗ったのか、ファイティングファルコンは気高い咆哮を蒼穹に響かせながら、プテラスの残存機が描き出す編み物のような複雑な軌跡の中に飛び込んでいく。(まだ、あんなに……) 何人たりとも、自分の邪魔をする事は許さない。禁を犯した者には、身をもってその愚を償わせなければならない。 半ば義務感のような思いに駆られる中で、レイラは愛機に景気づけのエルロンロールを打たせた。本人も気付かぬ内の行動だった。(えっ!? 私……どうして?) 自分の行為に気付いたレイラは、目を丸くする。それは彼女が最高にノッている時に行う、言うなれば癖だったからだ。 楽しみを邪魔されている今の自分が、そんな状態であるはずが無いのだ。 不思議がるレイラはしかし、バイザーとマスクの下で自分が浮かべている表情に気付かない。 目を細め、唇の両端を歪に吊り上げたそれは、紛れも無く“笑み”という表情だった。 敵機の足元を薙ぎ払うかのような低空飛行を披露していたサイカーチスが、突然見事なバレルロールを披露する。地面の下に潜んだガイサックが、低高度のサイカーチスに襲い掛かったからだ。まんまと自分が誘い出されたとも知らずに。 樽の内側を腹で擦るような螺旋状の機動を見せるサイカーチス。標的が高度を得たために、当然ガイサック必殺のレーザークローは空を切る。 両腕の鋏を振り切った状態で一瞬その動きを止めたガイサックに、サイカーチスの後方を追走してきたシールドライガーが飛びかかった。「がっはっはー! 馬鹿の相手は楽だぜー!!」 コクピットで唾まで飛ばして大声を張り上げながら、ゼロはシールドに渾身の力を込めさせ、囮に引っかかって砂から飛び出した愚かなサソリをその直上から叩き潰した。華奢な八本の脚が課せられた重量に次々と悲鳴を上げ、関節部から弾け飛んでいく。 次は胴体だ。シールドの全重量に加え、ジャンプした際の位置エネルギーまでがその装甲を押し潰していく。小型ゾイド、それも攻撃力と生産性を重視したガイサックを破壊するには、それでも十分すぎるくらいの威力だった。「悪ぃな、後ろがつかえててよ。オマエが死ぬための時間は、五秒しかやれねぇんだ」 えぐり込んだ爪がガイサックのコアを粉砕した直後には、ゼロの乗るシールドは既に残骸となったガイサックを踏み台にしてもう一跳び。本当に狙いをつけているのか疑わしくなるような射撃を繰り返すゴドスに、続けて飛び掛る。鬣に入れられた赤いラインが、残像の動きに乗って鮮やかな軌跡を描き出した。敵のゴドスパイロットが目にしたのは、冥府へと送りつけられる自分に施される、赤いリボンのラッピング。 ゼロ得意の爪撃でコクピットごと首を刈り取られ、恐慌に陥ったがむしゃらな射撃もピタリと途切れた。「潜ったガイサックはアレで最後か。ヘヘッ、ゴルドスよぉ。もう三十秒待ってな」 確かにゴルドスは、シールドライガーと比較すれば弱いゾイドと言えるだろう。しかし、仮にもゴジュラスクラスの大型ゾイドであるゴルドスは、装甲も決してひ弱ではない。シールドが装備する火器で片手間に相手をしたところで、効率が悪くなるだけだ。 それならいっそ、邪魔者を全て始末してから得意の格闘戦に持ち込んだ方が、遥かに手っ取り早く、効率がいい。「そうと決まれば……スロー、ちゃっちゃと片付けるぞ! 雨降らせろや!」 応とばかりに、スロー操縦のサイカーチスから忙しなく火線が迸る。その猛烈な火力にも拘らず、攻撃は必中の正確さまでも持ち合わせていた。たちまちの内に、残っていた小型ゾイド達が次々と火を吹いていく。 しかし中には、その弾幕を辛くも避け切る幸運な者達も存在する。そんな彼らに撃ち込まれるのが、ゼロ操縦のシールドライガーが放つ第二の矢だ。 サイカーチスの対地砲火を切り抜けてくるゾイドへ向けて、四肢を踏ん張ったシールドが両脇のミサイルポッドを展開。計十六門の発射口から、狙い済ました一発が次々に放たれていく。双方の出費を気にせぬ派手な攻撃に、共和国軍主力小型ゾイド部隊は完全な沈黙を余儀無くされたのだった。 ゼロの宣言通り、きっかり三十秒後。シールドとサイカーチスは、丸裸になったゴルドスと対空陣に襲い掛かる。「そぉら撃て撃てぇ! オマエの機銃かオレの牙か。どっちが先にデカブツ仕留めるか勝負といくぜ!」 スローの返事など待ちはしない。ミサイルポッドを収納し、レッドラストの赤い砂を蹴ってシールドが駆け出す。思う存分に躍動するその身体を、サイカーチスの発射したビームの光が後ろからいくつも追い越していった。 各々が一直線に突き進んだ光の帯は、正面から二機と向かい合うゴルドスの周囲へと着弾し、派手に砂煙を舞い上げる。そして内の数発は見事にゴルドスの機体を捉え、その背に並んだ特徴的な背ビレを数枚吹き飛ばした。しかし小型ゾイドの攻撃だけあり、やはり致命弾には程遠い。 シールドライガーの牙が、曇天の薄暗い陽光の中でキラリと光った。「やっぱオレの勝ちだなぁ、ゼロ!」 サイカーチスがゴルドスのコクピットを狙える角度をシールドの機体で自ら塞いでおきながら、ゼロは勝ち誇ったようにそう嘯いた。その瞬間彼の注意が、ゴルドスから後方のサイカーチスへと逸れる。 よもやそれを狙ったわけでもないだろう。しかし確かにその瞬間、ゴルドスのレーザーガン、ビームガンが光を放った。「おぉっ!? 危ねぇ、オレとした事が!」「むっ……!」 目の前を疾走するシールドが間一髪でかわしたビームが、その標的を見失うや否や、今度はそのすぐ後ろにつけていたスローのサイカーチスに向かって牙を剥く。慌てて機首を起こし、高度を上げたサイカーチスの装甲を若干削り取って、光の群れは彼方へと飛び過ぎていった。(ゼロめ……) 敵への最短コースを離れたために、スローはゼロに完全に出遅れる形となる。二人の勝負の行方はほとんど決定だ。『オォリャァァァ!』 人への迷惑も知らず、ゼロは一人ハッスルしながらゴルドスへとシールドを飛び掛らせていた。敵を沈められない事に若干の不満はあったが、特に勝負への拘りも無いスローは仕方なく、上空からゼロが仕損じた場合のサポートに回る事にする。 傍から見ても、ゴルドスはシールドの動きについていけていなかった。ジャンプして飛び掛ってくるシールドに、進む事や退く事はおろか、距離も無いため満足に武器の狙いも定められない有様だ。 ホバリングで上空待機しながら成り行きを見守っていたスローは、そこまで目にし、自分の出番は無かろうと半ばたかを括っていた。だから、彼がその直後に目にした光景を理解するのには、幾許かの時間を必要とした。『ぐぅおっ!?』 ゴルドスに飛び掛るゼロのシールドが、突然何かの衝撃によって後方に吹き飛ばされたのだ。そしてそれを理解する前に、派手なミサイルアラートまで響き始める。「ふんっ!」 今度もサイカーチスは、スローの反射神経に見事に応えてくれた。発射地点からの距離がかなり近かっただけに、ミサイルは弾道調整する暇も無く、サイカーチスを外れていった。やがて迷走の果てに、あらぬ場所で爆発する。(まだ伏兵がいたか……) 見ればゴルドスの左右の地面から、一機ずつのステルスバイパーが顔を出している。ちょうどゴルドスの機体と垂直に交差するように、二機がゴルドスの腹の下の砂中に潜んでいたようだ。 二機の片割れは、頭部のヘビーマシンガンを機体胴体部に装備している物と同型の二連装ロケットランチャーへと換装していた。ゼロのシールドを吹き飛ばした衝撃は、その一機が二発放ったロケット弾の直撃によるものだった。サイカーチスを襲った対空ミサイルも、頭部同様に地表に露出させた尾の先端から発射された代物だ。『こぉの野郎め、まだ隠れてやがったか! 大事な機体に傷なんぞつけてくれてまぁ……』 飛び起きたシールドのコクピットでゼロが息巻く声が、ヘルメットのスピーカー越しに響いてくる。「修理代はその機体でキッチリ払ってもらうぜ、おい?」 地面に叩きつけられた状態のままで機体のダメージチェックを手早く済ませると、ゼロは敵の追撃を避けるために、シールドをステップバックさせた。(クソッ、ま〜た儲けが減っちまうじゃねぇか……) 攻撃のショックで靄のかかる頭をヘルメット越しに引っ叩きつつ、ゼロは胸中で毒づく。まったく、何のためのシールドライガーか。(いいゾイド乗って、わざわざ傷つけてちゃ世話ねぇや) ゼロはその言葉で自分を戒め、シールドの操縦桿を握り直す。主の意志に応え、四肢で大地を踏み締めたシールドが吼えた。『来るぞ、ゼロ……』「おぅ、分かってらぁ!」 スローの忠告通り、直後にゴルドスの砲が立て続けに火を吹いた。そしてその砲声に紛れるように、二機のステルスバイパーも移動を開始する。(金、金、金だ。こんな所でもたつく訳にゃ……!) ゼロはシールドライガーにエネルギーシールドを展開させ、強引に飛び込んだ。ゴルドスの発射したビームが、鬣から発生した力場に触れて軌道を歪められ、あらぬ方向へと飛び去っていく。 しかしさすがに、次の一撃は無視するわけにはいかなかった。「クッソ! 七面倒臭ぇなぁ!」 一機のステルスバイパーが放った四十ミリ口径のヘビーマシンガンの斉射は、砂漠の地面に破線状の轍を残しながら、それこそ獲物を狙う蛇のようにシールドに迫る。 いかにエネルギーシールドとは言え、質量のある機銃弾を受け止めるには不安が残ったゼロは、破線が自分のもとへと達する前に、シールドライガーを大きく跳躍させ、その蛇の牙から逃した。しかし、スピードの減退は最低限に抑える。「目障りだぜ蛇ヤロー! まずはテメーからやってやろうか!?」 展開したミサイルポッドから射出されるミサイル群。小型ではあるが、ステルスバイパー相手には十分な代物だ。 しかし、そこはステルスバイパー。砂漠に自然に形作られたほんの僅かな起伏をなぞるように、巧みにミサイルの雨を掻い潜っている。厄介な相手だ。「ヤローに花持たせてやるのは癪だが、そうも言ってられんぜ……スロー、面倒だ! 上から仕留めろ!」 上空からの攻撃に、地面の起伏は関係無い。スローからは一も二も無く応の返信が入り、視界の端でサイカーチスが高度を取る。 だが、ステルスバイパーは二機。頭部の装備をロケットランチャーに換装している一機が、高度が上がったのを幸いとばかり、尾の対空ミサイルの狙いをつける。「ヤベェ! この距離であのミサイルは……!」 場合によっては、レドラーさえも撃ち落せるミサイルだ。その誘導性能は折り紙つき。先程と違ってヘタに距離がある今では、サイカーチスで逃げ切れるものではない。 咄嗟の判断で、ゼロはスローの援護のために衝撃砲を撃ち込む。しかしステルスバイパーは矢張りと言うか、その細身とスピードでもって全てをかわしてしまう。そしてそのまま起伏に逃げ込み、発射態勢に入った。「クソッ!」 距離があるため、シールド御自慢の牙や爪は無用の長物。遮蔽物越しでは撃っても意味が無い。 スローが回避する事を祈って、ゼロはシールドライガーを飛び出させた。結果がどうなろうと、最低でもこのバイパーだけは潰す腹積もりだった。だが当然、残ったバイパーとゴルドスの攻撃がここぞとばかりに集中する。「チッ! チィッ!」 舌打ちを繰り返しながらも、ゼロはシールドの走りを、最短コースから外さざるをえなかった。これでは、万が一にもバイパーの攻撃に間に合わない。『悪ぃな、スロー。そっちで勝手に避けてくれや!』 内心の焦りを隠すためスローには軽口で、言外に攻撃を阻止できない事を伝えた。意外にも、百戦錬磨の傭兵二人がちょっとした苦境に立たされる。 そんな状況に、一発の砲声が轟いた。だが、数多の砲声に紛れるその一音が、ゼロやスローの耳にとりたてて意味を持った響きとして捉えられるはずもなかった。 ゼロが見据える起伏の向こう――バイパーのいる辺りから煙が湧き上がる。状況の推移を終始見守っていたゼロは、当然それがミサイルの噴き出した噴煙であると思った。 しかし違う。僅か後には、立ち上がる煙が大きすぎる事も、白煙の尾を引くミサイルが一向に飛び立たない事も、ゼロは気付いた。さらに煙には、朱の炎が混ざり始める。 何かが起こった。 そんな事を思うゼロと共に、シールドが敵の攻撃を振り切って起伏を飛び越える。その足下に彼は、あのバイパーが煙を噴き上げて炎に包まれている光景を目にする事となった。「誰が……オレの獲物を……?」 シールド着地の衝撃に揺られながらゼロは呟く。ただ、そのセリフに反してそこに怒りは無い。苦しい局面から開放されて湧き上がる、安堵の思い故だ。 と、背後で爆発音。直前までシールドにヘビーマシンガンを乱射していたもう一機のバイパーが、スローのサイカーチスに沈められたようだ。しかし全ては、このバイパーを仕留めた何者かの助力の賜物だ。 ゼロはシールドの首を振り、一弾の射手を探し求める。「ん……あれか?」 目的の存在はすぐに見つかった。数百メートル先に、深紅の影が一つ佇んでいる。射手はその位置から、たった一発でもって決して大きいとは言えないステルスバイパーの機体を撃ち抜いて見せたのである。 何者か、との誰何の声は、あげる必要が無かった。ゼロはその機体の持ち主を、“一応”知っている。(“よく”は、知らねーけどな……) その影は、一機のセイバータイガーだった。何の変哲も無い、ガイロス帝国軍の正式採用機である。しかしその佇まいというか雰囲気というか、とにかくそのセイバーが持つ風格のような物で、ゼロはそのパイロットを特定した。『こんな所で手間取っていていいんですか? ただ走り回っているだけじゃ、報酬は入ってきませんよ?』「言うじゃねぇの、お嬢ちゃん……」 レシーバーからは、鈴を転がすかのような女性の声。相手を挑発するかのようなセリフにも拘らず、その屈託の無い声には少女のように邪気が含まれておらず、一片の不快感さえ聞く者に抱かせはしなかった。そんな美声の持ち主は、我らが傭兵部隊の副官様だ。「で、話は変わるがな……今のバイパーの報酬、宙に浮くくらいならオレに回しちゃくれねぇか? メイクライン少尉?」 ここが戦場の真っ只中という事も忘れ、早速交渉に入るゼロ。相手の声が発するアットホームとも言える和やかな雰囲気が、彼にそんな行動をとらせたのかもしれない。『そうですね……分かりました。私の方から言っておきます』 思案すると言えるほどの間も挟まず、シエンナは半ば即答のような形でゼロの希望を承諾する。強引にでも認めさせるくらいの考えでいたゼロが、あまりの呆気無さに拍子抜けしてしまったくらいだ。「悪ぃな、お嬢ちゃん。何しろ生活懸かってっからよぉ」 それでも、心の動揺を表面に出す事はせず、ゼロは彼なりの謝意を述べる。 しかし、続いてシエンナの口にした言葉が、彼の背筋を凍らせる事となった。『そんなに謙遜しなくても……姪御さん始め、一族全員の命運を一身に背負ったその苦労。心中、お察しします』「!?」 驚きのあまり、咄嗟には二の句を次げぬゼロ。問い質したい事は幾らでもあるのだが、その思いも虚しく、できるのはパクパクと意味も無く口を開閉させる事だけだ。肝心の言葉が続かない。(この女、どうしてそれを……?) ゼロのそんな思いを余所に、シエンナは続けた。『それから、後方の本隊がせっついてきているので、キリのいい所で撤退をお願いします』 言葉遣いは丁寧だったが、そこにはどこか抗い難い威厳のような物がある。それにゼロは今、何かを言い返せるような心理状態ではなかった。 我に返ったゼロが慌てて反論を口に仕掛けた時には、シエンナのセイバータイガーは風と己が蹴立てた砂煙の向こうに消えようとしていた。「おい、待たねーか! おい!」 ゼロの声にも、セイバーが立ち止まる気配はない。間も無く、視界の外へと走り去っていく。『……どうする、ゼロ?』 呆然とセイバーが消えた方向を見送るゼロへ、ステルスバイパーを葬って以降上空で待機していたスローが意見を求めてきた。 自分が引き返そうと留まろうと、スローにはスロー自身の考えがあるだろうと知っていたゼロは、「ここを潰したら、オレは帰るぜ。野暮用ができちまった……」 そう答え、シールドライガーを潜んだ起伏の陰から飛び出させた。虎視眈々と状況を窺っていたゴルドスから、狙い済ました斉射が飛び来る。「チャッチャと済ませるぞ!」 エネルギーシールドがビーム光を退けると同時に、シールドライガーが気を引いた隙を狙ってサイカーチスがゴルドスを猛爆。その動きを止めて、シールドの接近を援護する。 事前の打ち合わせが無かった事など到底信じられぬ二機の前に、ゴルドスと、対空陣地が沈黙するのに要した時間は、実に五分に満たなかったのである。 全てを完膚無きまでに叩き潰すと、用は済んだとばかりにシールドライガーと、結局スローのサイカーチスも戦場からの引き上げにかかる。しかしスローはともかく、ゼロにとって本題はこれからだった。(化けの皮を剥いでやるぜ、少尉サンよ) 先刻の会話を気にしているのかいないのか、スローからはいつも通りの沈黙しか伝わってこない。もっともゼロにとって、あれこれ詮索されるよりも遥かにありがたいのは間違いなかった。 そして二機のゾイドは、連れ立って戦場を後にする。
なんだこりゃ…… ……何処にオレ達の仕事が残ってるって言うんだ?第五話「Why――何故に……・後編」「よぉ、アレス……こりゃ当たりなのか?」『……さぁな』 イシュタムがため息と共にこぼした言葉に、憮然とした声でアレスが答えてくる。 共和国軍基地の東側から順調に進撃していたイシュタムのサーベルタイガーとアレスのヘルキャット。その持ち前のスピードが功を奏し、目指す対空陣地には後一歩という所まで迫っている。しかし、足は遅くても打撃力は抜群の迎撃部隊が、ここへ来て遂に二人の前へと展開した。 今、二人の前に立ち塞がるのは、共和国軍きっての猛者達であった。 ゴジュラスが一機と、それに率いられるのはアロザウラーが三機、ゴドスが三機。御自慢の恐竜型ゾイド部隊である。二人のゾイドで相手をするには、少しばかり荷が勝ちすぎていると言わざるを得ないだろう。 これがあのゼロであれば、針の先程でも勝機を見出したが最後、高額な報酬にそれこそ喜び勇んで敵に飛び掛っていくのかもしれないが、少なくともイシュタムはそんな気にはなれない。 彼が戦場に立つ目的は唯一つ。戦闘という極限状況の中で、“生の実感”という物を得たいがためだ。何不自由無い平和な日常の中では、それは極めて希薄な物であるが故に、イシュタムは傭兵という職業に身をやつしているのである。 しかし、いかに彼が自分を殺せるほどの使い手を探し求めていようとも、いやそれ故に、圧倒的な力で叩き潰されるのでは意味が無いのだ。 生きるか死ぬかという限界ギリギリの戦いの中で、自分の持てる力をそれこそ最後の一滴までも絞り尽くして、それでも勝てなかった時。それこそが彼の考える、“生の実感”とやらを一番感じられる瞬間なのである。 そしてその瞬間を自分へと与えてくれそうな存在を、彼は知っている。かつて戦場で出会った黒いサーベルタイガーだ。あのサーベルならば必ず自分を満たしてくれると、イシュタムは本能のような部分で感じ取っていた。 しかしその思い故か、彼の中では今、手段が目的へと変じ始めている。恋焦がれるその黒いサーベルと再会する事こそが、イシュタムが戦場に立つ目的へと成り代わってきているのだ。 となれば当然、こんな所で命を無駄使いする訳にはいかない。 しかし――(オレ達の脚なら逃げ切れるだろうが、このままケツ向けて逃げるだけじゃ芸が無ぇし……なんとかなんねぇかな) オールバックに撫で付けた髪をかき上げながら、イシュタムは自問する。 レイラ、ゼロ、そしてスローの働きで、基地の対空陣地にはかなりの被害が出ている。このまま引き返しても恐らく作戦は成功し、イシュタムとアレスが報酬を損するだけだろう。それだって罰金を課せられるとかではなく、出来高制の報酬が逃げた分だけ得られないといった程度のものだ。その程度の損失で命が買えるというなら、安い出費である。 だがそこでおめおめと引き下がっては、最強の傭兵部隊――CODAではない。ゼロのように、苦境すらも稼ぎ時と考えられる豪傑こそがその名に相応しい。 イシュタムの中では今、彼の持つ願望とささやかな矜持がせめぎ合っていたのだった。『どうするんだイシュタム? ただ、“不死身”とか“死にたがり”とか色々言われてるオマエには悪いが……オレは退くのに賛成だ』 敵との睨み合いが続く中、イシュタムが結論をなかなか出せないでいると、遂にはアレスの方から声がかかった。その言葉からすると“紅い死神”も、矢張りこの状況は分が悪いと踏んだのだろう。「……誰がそんな愉快なニックネームを付けてくれたか知らねぇけど、オレだって考え無しのバカじゃねぇんだぜ? 今が退き時だって事くらい分かるさ」 アレスの後押しがあったせいもあり、結局イシュタムも葛藤の末に、退却の結論を導き出す事となった。「ま、ゴジュラスの御大に懸かった報酬は魅力的だけどな。幾ら金があったって、命が無きゃ使えねぇか……」 そんな言葉が口を付いたのは、彼の中のプライドが完全には納得していなかったせいだろう。一纏めにして右肩から垂らした後ろ髪を煩そうに払い除ける仕草は、イシュタムの感情をよく表している。 しかしこの言葉を耳聡く聞きつけた人物の登場で、事態は新たな展開を見せ始める。『だったら私が加勢しましょうか? そうすれば、むざむざ報酬を見逃す事も無いと思うのだけど?』 その女性の声は、何の前触れも無くイシュタムとアレス、二人の耳元で響いた。「この声は――」『あの女……!』 二人が捜すまでもなく、声の主は自分から近付いてきた。深紅のセイバータイガーを操るシエンナ=メイクラインその人である。『腕利きのゾイド乗りが三人も揃えば、ゴジュラスだって倒せると思ってる私は……間違っているかしら?』 シエンナは、アレスの紅いヘルキャットの隣にセイバーを乗り付けるや否や、不敵に言ってのけた。その言葉とは裏腹に、声には自信の色が滲んでいる。「いいやぁ……少尉サンの言う通りさ」 気になる美人を前にして、イシュタムの前言はあっさりと翻された。『…………』 呆れ返ったアレスが放つ無言も何のその。今度は嬉しそうに肩の髪を払ったイシュタムは愛機に一歩を踏み出させると、背後に控える二機に向かってその愛機――青いサーベルタイガーの首をしゃくって見せた。「コイツは見物だぜ、アレス。CODAが誇るトラの共演だ」「……もう何でも構わんがな」 ヘルキャットに乗る自分がその言葉に含まれていない事も、イシュタムの言動に辟易し切っていたアレスは気にもならなかった。どちらかと言えば、イシュタムを焚き付けたシエンナの方が気にかかる。(巧く乗せたもんだ。自分がイシュタムにどう思われているか、よく分かっているな……あの程度で調子に乗るアイツもアイツだが……) 副官自らの出陣も、恐らくはイシュタムを懐柔するためなのだろう。それを知ってか知らずか、イシュタムはシエンナに調子を合わせて絶好調だ。彼女の掌で踊らされている姿に、一抹の同情心を抱かないでもない。しかし、そのお陰で自分もゴジュラス退治へ駆り出されてしまったと考えると、そんな些細な感情は即座に霧散霧消する。 自分やイシュタムのような“使い手”ならばともかく、少尉といえば士官学校を卒業したての新米士官のはずだ。そんな女が操縦するセイバー一機が味方に加わった所で、ゴジュラス含む七機を相手にしている現状が好転したとも思えなかった。(たぶんあの女は真っ先に沈むだろうが……まぁ、やるだけやってみるか。いざとなれば鈍間なゴドスやアロザウラーくらい、コイツの足で簡単に振り切れる。イシュタムには悪いが、その時は腹を括ってもらう。“死にたがり”のアイツには丁度いいだろ) 仲間を見捨てて逃げを打つ事が悪いとは、アレスは思っていない。褒められた事でないのは分かっているが、それが生き抜くための自分なりの戦術だ。傭兵とは、それが許される職業であると考えている。(**(確認後掲載)ばそれは、敗北と同じだ。“最強”とは即ち、絶対無敗) 自分の思考に決着をつけたアレスは、細い眼鏡のブリッジに指を伸ばして目を細めた。 どんな手を使ってでも生き残り、何度でも挑み、最後の最後で勝利を勝ち取る。 勝つまでやる。だから負けない。“ギャンブルでなくてもいいわ。私を負かした男なら、何かで世界一強い男になりなさい” そう言って、女は自分をけし掛けた。 彼女への誓いを果たすために“最強”たらんと欲するアレスは今、現存するゾイドの中で最強と称されるゴジュラスへと挑んでいく。 シエンナ等三人の間でやり取りがかわされている間にも、七機の敵機はジリジリと動いていた。隊列を広げて、後ろへはやるまいという構えだ。 ゴジュラスを中心に、ゴドスよりも速度のあるアロザウラーを両端に据えた布陣は、こちらの脚を警戒しての事だろう。『アロザウラーの脚って……速いのか、アレス?』『ヘルキャットに一歩譲るが、それでもなかなか走る……昔の数字通りだったらな。弄ってあるなら、サーベルとどっこいって可能性もある。ただの骨董品だと思うなよ』 僚機のパイロット二人は、シエンナをおいて作戦立案に熱を上げていた。どうやら、彼女を当てにする気はさらさら無いようである。(私も、甘く見られたものね……) 確かに、彼女の素性を知らぬアレスとイシュタムからすれば、どこの馬の骨とも知れぬ小娘に機体などできないだろう。 ただ、侮ってもらっているのも、シエンナにしてみれば別段悪い話ではない。その分、表沙汰にし難い行動が取り易くなるというものだ。 しかし今の場面は、決して楽観視できる状況ではない。(三人のうち一人が荷物になるのと、三人全員が戦えるのとでは大違い。戦術の幅にも差が出るわ) 猫を被るのはいいが、死んでしまっては何にもならない。「ちょっといいかしら?」 結局、シエンナは二人にそう切り出した。「私の事、忘れてるんじゃないでしょうね?」 裏の顔を知らぬイシュタムに合わせ、努めて明るい口調を口に乗せる。『…………』『あ〜……』 案の定、二人は通信機越しに気まずげな沈黙を寄越してきた。自分のイメージに無言の苦笑を浮かべつつ、シエンナはとりあえず、何かを言いかけたイシュタムの言い訳を待つ事にする。『好意はありがたいけどな、少尉サン。アンタに死なれちゃ、せっかく華やかになったCODAがまた寂しくなっちまう。野郎の一人としちゃ、忍びない限りなんだよ』「何も死ぬと決まった訳じゃないわ?」 つい、状況も忘れて言ってしまった。負けず嫌いとかではなく、会話の流れである。 悪い予想は当たり、会話が膨らんでいく。『まぁぶっちゃけて言えば、碌に戦った事も無い少尉サンに、あのデカブツの相手は荷が重いって事……こんな寂しい事言わせねぇでくれよ、これでも気にする方なんだぜ?』 イシュタムの方はあまり状況に頓着している様子も無く、どこと無く会話を楽しんでいる節も感じられる。(暢気な男ね……) この程度でオタつくような神経では傭兵など務まらないという案もあるが、矢張り図太いだけでも務まらないと思う。 そしてそうこうしている内に、遂に進路を塞いだ共和国軍の恐竜型ゾイド部隊がこちらとの間合いを詰め始めた。痺れを切らして仕掛けてきたか。「……その辺にしとけ、イシュタム。お喋りも結構だが、そろそろ敵さん暇を持て余し始めたみたいだぞ……オレと同じでな……」 シエンナと、恐らくはイシュタムの耳朶も打ったであろうアレスの一声。加えて、ゴジュラスの雄叫びまでも轟いてくる。シエンナにとって、太平楽な言葉を並べ続けるイシュタムとの会話を打ち切るこれ以上無い切っ掛けとなった。(手間をかけさせてるのかも……知れないわね……) 何とはなしに、アレスの自分への気遣いを深読みしてしまうシエンナであったが、彼は彼で、自分に降りかかる火の粉を払いたいだけなのだろうと即座に思い直す。 とにかく、敵はもう目の前だ。ここで動かなくては本当に危ない。 シエンナは癖一つ無いショートヘアのプラチナブロンドをかき上げた。「二人して見縊らないでほしいわ。私だってたいした腕前なのよ!」 勝気な女性の風に言い放ち、シエンナは飛び出した。『はぁっ!?』『一体何を!?』 イシュタムとアレスの吃驚の声を耳に、サーベルを加速させるシエンナ。しかし二人にはそうであっても、注意深く距離を詰めていた敵部隊には当然不意打ちとはなりえない。ゴジュラス取り巻きのゴドスがビーム砲の一斉射撃を浴びせ、そこを狙って更にアロザウラーが突撃してくる。 まずシエンナは、小型ゾイドの武装としては破格とも言える破壊力を有する、ゴドスの小口径荷電粒子ビーム砲の雨を回避。上へ横へと、勝手気侭にも見える動きでセイバーを振り回す。『危ねぇ!』『チッ――』 無論流れ弾は、セイバー後方のヘルキャットとサーベルタイガーに襲い掛かった。こちらの動きに気を取られていた二人が、向かってくる光の束に慌てた声を上げるが、しかしシエンナとてそこまでは面倒看切れない。 そもそもこの程度のハプニングに対処できない傭兵など、雇うだけ金の無駄であり、シエンナにとっても盾以外に使い途の無い存在だ。(あなた達の腕前を見せてもらうわ。私のお眼鏡に適う事を、祈っているわよ) もっともそんな事を考えていながら、真っ先に接敵したのはシエンナのセイバーではあったが。 ゴドスの攻撃を牽制に使い、アロザウラー三機が三方から爪や牙を剥いて襲い掛かってきた。左右から一機ずつ。そして正面の一機は、その敏捷性を見せ付けるかのようにジャンプし、上方から。(ゴドスのパイロットが、貴重なアロザウラーを任されて舞い上がっている訳ね。自信を持つのはいい事だけれど、それで増長していては、せっかくの機体も技術も宝の持ち腐れ。そんな大振りな攻撃、当たらないわよ……) ゴドスの射撃によって逃げ道を奪われていたシエンナは、迷わずセイバーの速度を引き上げた。 現行の量産機――ゴドスを遥かに上回る性能を持ちながら、野生体が数十年前の異変において大被害を受けたが故に、正式配備を見送られたアロザウラー。しかし旧大戦の段階で戦闘ゾイドへの改造を終えていた機体は、その数割が大異変を生き抜き、重要な戦力としてこの西方大陸へと送り込まれている――と、それくらいの情報は、自軍に同様のゾイドが存在する事もあり、帝国軍でも重々把握していた。 そして、そんな貴重な戦力であるアロザウラーを駆るのは、ゴドスパイロットの中から選び抜かれた精鋭であるはずだった。当然彼らにも、それなりの矜持や自負といった物があるのだろうが、少なくとも今、シエンナが相対しているパイロットに限っては、それが悪い方向――自己の過信へと繋がってしまったようだ。 たった数歩の加速は、助走と呼ぶにはあまりにも短すぎるものだったが、数秒に満たぬその動きでセイバータイガーの速度、体勢、躍り掛かってくるアロザウラーとの間合い、そして――タイミング。全ては、シエンナの掌の内に。 セイバータイガーの四肢が一際強く砂漠の大地を蹴り飛ばし、その深紅の体を重力の束縛から解き放ったのは、直後の事だった。 空中にあるアロザウラーが、どんな回避行動をとれるはずもない。右前脚を突き出し、スピードに乗って跳躍するセイバーは、さながら飛び行く一本の矢の如く、アロザウラーのボディど真ん中を射抜く。鉄爪の直撃を受けたアロザウラーは、セイバーに飛び掛かった自分の勢いまでもその一身で受け止め、胸部の装甲板を派手に変形させながらくの字になって吹き飛んだ。間を置かず、背中の二連ビーム砲から地面に叩きつけられ、砂塵を舞い上げながら二転三転する。(そういう隙だらけの攻撃は、相手の意表を突いて使うものよ) 一方、華麗なカウンター攻撃を決めたセイバーは着地。ストライククローを地面に喰い込ませ、横滑りしながら制動をかける。何しろ進行方向の先では、砲門六つを並べ立てたゴドスと、その万力のような腕で獲物を引き千切らんとするゴジュラスが控えているのだ。間違っても正面から突っ込む訳にはいかない。 しかしそれでも、セイバーはなかなか止まらなかった。大地に突き立てた爪も、砂漠の砂を虚しく掘り下げ、歪な轍を残すだけだ。敵との距離は刻々と詰まっていく。 その危機的状況の中にありながら、セイバー操縦席のシエンナの顔にはうっすらとした酷薄な笑みが浮かんでいた。成り行きは、彼女の思惑通り進んでいたのである。(こんなチャンスを、あの二人がみすみす逃すはずがないもの……さぁ、来なさい) ようやっとセイバーの速度も落ち着きを見せ始めると、今度はゴドスの狙いがより正確になり始める。向けられた砲口が放つ殺気が、寸前よりもなお強くシエンナを貫く。 そして、その殺気の後を追うように力の奔流が放たれようとした、まさにその時。セイバーや残った二機のアロザウラーを左右から大回りに迂回し、走り込んで来た二機の高速ゾイドが、各々の主砲の連射を三機のゴドスとゴジュラスに浴びせかけた。シエンナの予想通り、彼女一人が躍り込んだ事によって敵に生じた隙を、二人の傭兵は決して見逃さなかったのである。 目の前の標的に全神経を集中していたせいもあり、ゴドス一機が蒼いサーベルタイガーの連装ビーム砲の直撃を受けて砂漠に崩れ落ち、紅いヘルキャットの高速キャノン砲が咄嗟に回避した残るゴドス二機の腕部を揃って吹き飛ばしながら、その周囲で派手に炸裂。濛々たる砂煙を舞い上げる。『アンタもムチャするぜ、少尉サン……』『……今度からはイシュタムはともかく、オレのいない所でやってください。これ以上割りを食わされるのは願い下げです……』 イシュタムは驚嘆の、アレスは不平の言葉――口調を作っているのは、何も知らないイシュタムの手前だろう――をそれぞれ口にしながら、二人はゾイドをシエンナのセイバーの両隣に寄せた。 彼らの動きは危なげない。やはりこの程度の戦場で、この部隊の傭兵が不覚を取る事は無いようだ。「そんなに驚かなくても、全部狙い通りよ。あなた達二人なら、一人飛び込んだ私を囮に使えるこの状況、フイにする訳が無いもの。稼げる時に稼いでおくのも、傭兵のポリシーでしょ?」 自分の無茶に二人がかりで言及されて、シエンナは乱れた髪を整えながら照れ隠しのための茶化した言葉を返した。無論の事、彼女の神経はそんな可愛らしいものではなく、あくまでそれは装った仮の姿に過ぎない。その事実を知っているのは、今のところアレスだけだ。『まぁ、間違っちゃいないな。そんじゃ傭兵らしく、稼げる時には稼ぐとするか』 ヘルキャットの砲弾が巻き上げた砂塵は、風に乗って三機を包み込んでいる。不意打ちを仕掛けるにはもってこいの状況だ――当然、敵にとってもだが。 イシュタムの言葉で三機が散会したのと、共和国軍の砲火が砂のカーテンをぶち抜いてきたのはほぼ同時だった。(まだまだこれからのはず。あなた達の力、もっと見せてもらうわ……) 砂塵の中をセイバーで駆け抜けながら、シエンナは彼らが自分の眼鏡に適う人材である事を祈るのだった。「なかなかどうして、少尉サンもやるじゃねぇの。なぁアレス?」 散会して間も無く、疾走の方向を転じて敢えて紅いヘルキャットと合流したイシュタムは、シエンナに聞かれないよう近距離通信を用い、彼女の話題をアレスへと持ちかけていた。二機は未だに砂の中だが、舞い上がった砂塵は徐々に収まりつつある。(三対一の状況で、事も無げに一機沈めたあの動きときたら……どう考えても、ただのムチャで飛び込んだんじゃねぇな……) 彼女の腕前に関するイシュタムの(そして恐らくはアレスも同様に)想像があまりに過小に過ぎたという事は、ゾイド乗りの傭兵として十分なキャリアを持つ二人の眼力をもってすれば、今や明らかだった。『……確かにな。オレも正直、舌を巻いた……』 アレスの方もイシュタムに同感だったようで、いつも物事を冷静な目で見つめている彼にしては珍しく、その声に素直に驚きの響きを滲ませながら答える。「あれだけ美人で、腕も立つたぁな。おまけにレイラと違って話せるし……」 無口のまま、その瞳をグラスの下に隠して蒼穹を見上げる、空の女王の真っ赤なパイロットスーツ姿。思い起こされる姿とはあまりに対照的な新任の女少尉のイメージに、イシュタムは上機嫌な笑みをこぼす。外見的な魅力では互角の両者だが、打てば響くシエンナの方が人間的な魅力という点で遥かに勝っていた。(ようやくウチも華やかになったんだ。せっかくの花なら、散る前に楽しませてもらいたい所だぜ……) “生の実感”などと大層な事を言うイシュタムだが、そのストイックな響きとは裏腹に性格は非常に享楽的だ。彼にしてみれば、この世の快楽に興じるのも“生の実感”である事に違いは無いのである。『……女に入れ揚げるのはオマエの勝手なんだがな、今回だけは忠告しといてやる。悪い事は言わんから、あの女だけは止めた方がいいぞ。ありゃとんでもない食わせ者だ』「アレス……なんかオマエ、彼女に厳しいな。もしかしてあの少尉サンの事、気になってるんじゃねぇのか? ほら、ガキの時分によくある……それとも、オレと彼女をくっ付けたくないとか……」 彼女の裏側を知るアレスの重要な忠告でさえも、イシュタムの性格の前ではまるで形無し。部隊長レジアの小言のように、虚しく聞き流されてしまったのであった。『……………………』 アレスの不機嫌な沈黙に圧されて薄れ行く砂塵の向こうから、身構えるアロザウラーが姿を見せ始めていた。 黄金の双翼が羽ばたいて陽光に煌く度、一機、また一機とプテラスが火を吹き、雲海へと吸い込まれていく。 何かが吹っ切れたように、或いは何かに目覚めたように、レイラは襲い来るプテラスのことごとくを蹴散らしていた。まさにサラマンダーF2の面目躍如といった活躍ぶりだ。(残りは二機……三分で片が付いちゃうわね……さっさと掛かって来ればいいのよ) しかしレイラの意に反し、残念ながら残った二機にその様子は無い。先程までは否が応でもこちらを撃墜せんとしていた敵機も、仲間が次々と姿を消していく中で次第にその士気を低下させていき、今では数で劣る彼女の方が、気力の面でも勝っている状況だったのである。 当然のように、残った二機のプテラスは逃げを打つように雲海へ向けて高度を下げ始めた。「な……ふざけるんじゃないわよ!」 酸素マスクの下で吼えるレイラ。今の彼女に、それを見逃す事などできようはずがない。 頭の中のスイッチが戦闘モードへと完全に切り換わったレイラは、この戦場を離れる事ができるのは自分と、動かぬ死体だけであると本気で考えていた。(あれだけ好き勝手やっておいて、見逃すはずがないでしょう!) 操縦桿を倒し込み、雲海に潜り込まんとする敵機を追撃するファイティングファルコン。重力までも己の物とし、音速を超えての垂直降下でプテラスとの距離を詰めていく。地面へ向けての音速飛行など、どれだけ高度があっても気分のいい物ではないが、レイラのぶっ飛んだ頭にそんな感情が入り込む余地など微塵も存在しなかった。 サラマンダーの突撃は寸前とどかず、二機のプテラスは雲海に突入する。追うサラマンダーも、巨体と翼で雲の飛沫を跳ね上げ、雲の海へと飛び込んでいった。 視界は急変。本来色など持たぬはずのモヤモヤとした霞は、寄り集まる事で、陽光までも喰らい尽くす灰白色の化物と化す。 おぼろげに目の前のディスプレイに映し出される高度や速度の表示を除き、まるで夜のように視界からは光明が消え去ってしまった。気弱な人間であれば、その光景の向こうに懐かしの大地が待っていると知っていてなお、この冥暗に終わりがあるのだろうかと、無用の危惧に心震わせてしまうかもしれない。 しかしレイラはそんな不安に苛まれるどころか、視界の端で地表到達までの猛烈なカウントダウンを続ける高度計の表示すら意識から追い出し、灰色の景色の一点を猛禽の眼差しで見つめている。ちょうどその視線上には、先を行くプテラスの位置がシーカーという形でディスプレイに表示されているのだが、レイラの視線の焦点はディスプレイ上で結ばれている訳ではなかった。 彼女には見えているのだ。己の爪から逃れんとする獲物の姿が。 プテラスが通過した軌道は、機体に掻き分けられた雲という形でレイラの眼が認識し、経験の中で磨かれた彼女の直感がその延長線上にプテラスの現在位置を導き出す。そしてレイラにはその位置が、まるで視界に重ねて投影されているようにイメージされるという訳だ。 そして獲物をその眼で捉えてしまえば、狩人がやる事はただ一つ。己と獲物という二つの存在だけが意味を持つ世界において、墜落に対する恐怖などどれほどの物でもないのである。 雲海で行う音速の急速潜航は、実際の所ほんの一瞬でしかなかった。胸の透くような晴天の世界から雲の層一つ挟んだその向こうでは、薄暗い曇天の世界が待っていた。 何の前触れも無くモノトーンの景色が終わりを告げると、レイラの視界は一転してレッドラストの赤い大地で塗り潰される。赤一色の視界の中で異彩を放つ青い存在は、彼女の予測と寸分違わぬ位置を飛行していた一機のプテラスだ。もう一機の姿は見える範囲に確認できなかったが、狙い定めた獲物以外にレイラには興味が無かった。 プテラスは翼の端で飛行機雲を引きながら機首を起こし、水平飛行に移っていった。レイラも操縦桿を引き、ファイティングファルコンにその後を追わせる。彼女の本能が無意識の内に、課されるGを無視して相手よりも小さい半径の軌道をとったのは言うまでもない。 サラマンダーが大きく羽ばたき、最高速度の違いをまざまざと見せ付けてプテラスに肉薄する。「そんな鈍間なプテラスで、私からは逃げられないわ!」 射程に捉えた標的を、リズミカルな対空レーザーの連射で撃ち落さんとしたレイラ。しかし目前のプテラスは鋭い動きで機首を翻し、ディスプレイ上から逃れていった。「――!」 一連のプテラスの動きから、レイラは敏感に察知する。敵は決して、勝負を放棄して逃げ出したのではない。(私が食い付いたのを見計らって、得意の低空に誘い込んで形勢逆転を狙ったわけ、か……ナマイキね!) 先程彼女が、自分を目の敵にするプテラスの編隊を、自身を餌にして高空に誘い出したのと同じ事だ。今度は両者の立場がまったく逆になった訳だが。「でもファイティングファルコンに、戦うフィールドは関係無いのよ!」 吼えるレイラではあったが、高度一万〜一万五千メートルとは打って変わり、本来の自分の領域に舞い戻ったプテラスの動きは、彼女の眼から見ても実に見事な物だった。敵の土俵での勝負だけに、ともすればサラマンダーの方が後れを取りかねない。 大柄な機体を巧みに取り回し、飛び回るプテラスに喰らい付くサラマンダー。だが疲労から来る一瞬の隙を突かれたか、プテラスが大きなバレルロールに入る瞬間をレイラは見逃してしまった。 同じ距離を最短の軌道で直進したサラマンダーと、余分な螺旋軌道を辿ったプテラス。自然と、サラマンダーがプテラスの前に出る形となる。レイラが後ろを取られたのだ。 しかし、彼女の自信はそれしきの事で揺るぎはしない。「どこで戦っても強いのが王者! プテラスごときが粋がってるんじゃないわよ!」 敵からのミサイルや機銃弾が飛んでくる前に、大きく翼を打ったサラマンダーが勢いよく舞い上がる。一拍遅れて追ってくるプテラス。 お互いにバレルロールを繰り返しながら時には上昇下降も織り交ぜ、軌跡を何度となく交差させて後ろを取り合う二機。複雑な機動故に、スロットルや諸々の些細な操作ミスでも、機体は失速してコントロールを失う。先にそれをしでかした方が、背後を取られて致命打を食らうのだ。 同じ戦場を戦ってきた二人は、疲労の度合いは同等。操縦技術では、やはりレイラが上だろう。機体性能に差はあるものの、プテラスが低空での操作性や旋回性能でサラマンダーを上回り、その隔たりを埋める。 レイラ有利なのは確かだが、プテラスにもチャンスがあるのは事実だった。戦場の展開次第では形勢の逆転もあり得る。縺れ合って二機が飛ぶこの状況では、それもなおさらだ。 そしてその変化の兆候は、さしたる前触れも無いままに戦場に訪れた。雲の中で姿をくらましたもう一機のプテラスが、どことも知れぬ彼方からミサイル誘導のためのレーダー波を、サラマンダーに照射してきたのである。(もう一機にロックされた? うざったいわね……こっちが済むまでおとなしくしてればいいのに……) 警報に反応し、レイラはレーダーを操作。索敵範囲をかなり広くした所で、ようやくこちらを狙うプテラスの正確な位置を把握する。こちらの右手、ほぼ真横だ。 ドッグファイトを繰り広げている近くのプテラスの輝点など、サラマンダーを示す点とほとんど重なってしまうような画面表示なのだから、その距離は推して知るべしだ。片手間の迎撃など、到底意味を成しはしない。 次の瞬間、ロック警報はミサイルアラートへと切り換わった。レーダーにも新たな輝点が浮かび上がり、一直線にサラマンダーの表示へと近付いてくる。(この距離なら……撃ちっ放しじゃないわね。中間誘導は、母機からの指令誘導……) 遠距離から敵を狙うミサイルの場合、ミサイル自体に装備されたレーダーが標的を捉えられる距離に接近するまでは、発射した機体が誘導を行う。 この場合、プテラスが発したレーダー波が標的に反射し、その反射波をミサイルが探知してその標的――サラマンダーへ向けて飛翔。標的に接近すると今度は、ミサイル自身によるレーダー誘導で最終的に標的へと命中する訳だ。 そこで、ミサイルのレーダーへと誘導方式が切り換わる前に、レーダー波を発しているプテラスを振り切ってしまえば、ミサイルの命中率はガクッと落ちる事になる。母機から円錐状に照射されるレーダー波は、距離が離れるほど逃れるのは難しくなるが、それができれば回避も容易くなるのだ。 二対一とはいえ、レイラの技術とファイティングファルコンの性能からすれば、手詰まりには程遠い状況だった。(貧相なプテラスのミサイルなんか無視して、この目の前のを落としたっていいし、なんならミサイル引っ張りながらもう一機の相手をしたっていい……やりようは幾らでもあるわ……) 鳴り響くミサイルアラートなど気にした風も無く、不敵な自信にレイラがほくそ笑んだ時だった。目をやったレーダーに新たな輝点が点る。(輝点(フリップ)!? もう一機いた!?) どうやら高度を取るために上昇してきているらしい。三対一となってもレイラに退く気は全く無かったが、この敵機の出現は完全に予想外の出来事だったため、レイラは少なからず驚かされた。 しかし、その新しい輝点の動きがおかしい。こちらに接近するどころか、上昇しながら先程ミサイルを発射したプテラスの方へと向かっている。(ミサイルで攻撃するなら、高度の差を距離に変えて低空から攻撃すれば良さそうなものなのに……どういうつもり?) 疑問に思ったレイラは、己の目で直接状況を確認するために、自分の右手後方へと視線を振った。 こちらの斜め後ろから回り込んでくるミサイルが、まず視界に入る。そろそろミサイル自身のレーダー誘導に切り換わろうという距離だ。 そしてその向こうに、レイラの類稀な視力は、小さな点のようになって飛ぶプテラスの姿を捉える。追ってくるミサイルを放った張本人だ。同様に、そのプテラスの影に下から接近するもう一つのプテラスの機影も。 刹那の後に、二機の影が交錯する。すると、ミサイルを発射した方のプテラスが黒煙を噴き、支えを失ったかのようにゆっくりと機首を地上に向け、そのまま墜落していくではないか。何が起こったかは明白だった。(撃墜した? プテラスがプテラスを……?) 友軍機を撃墜したプテラスは、更にこちらとの距離を離してどこかに飛び去ろうとしている。その意図する所は、全くもって不明だ。「おっと――!」 考えを巡らせようとしたレイラだったが、視界の中で大きくなりつつあったミサイルの影に、自分の置かれた状況を思い出す。空対空ミサイル一発と、プテラス一機の始末がまだ残っていた。「長かった戦いも……遂にフィナーレ♪」 視線を元に戻したレイラは、芝居がかった調子で言いながらスロットルを引き上げる。サラマンダーの斜め上前方には、残るプテラスが一機。 恐るべき事に彼女は、一部始終を見届けている間も、プテラスとのドッグファイトを続けていたのである。そのセンスは、既に常の域を超えていると言っても過言ではあるまい。 プテラスは僚機に何が起こったのか把握できぬまま、軽いパニックに陥っているらしかった。チャンスとばかりにレイラは、加速するサラマンダーの機首を上げ、一気にプテラスの上に出る。そしてそのまま最高速度の差を活かし、力尽くでプテラスの上を取った。「なかなか楽しい舞踏会だったわよ。でも、幕切れがプテラス一機の墜落シーンだけだなんて……勿体無いわ」 サラマンダーが腹部に装備した対地攻撃用の大口径バルカンファランクスが、唸りを上げてプテラスに狙いを定める。「どうせなら、幕切れも派手にいきましょう?」 鮮やかなエルロンロールの後に、盛大なマズルフラッシュ、そして砲声。そんな連中に派手に囃し立てられながら吐き出された弾丸が、プテラスと地上に数限り無く降り注ぐ。 大口径弾に装甲を次々と貫通されるプテラスは、頭部コクピット、翼、脚部、尾と、まるで痙攣するかのように機体を震わせながら解体され、やがてバラバラの破片となって彼方の赤い大地へと落下していった。「アッハッハッハッ! 私の空に入り込んでくるから、そんな惨めな目に遭うのよ! 憶えておくといいわ!」 眼下に開いた落下傘の花に向け、レイラは高笑いと共に嘲笑うかのような言葉を投げ下ろす。 母機からの誘導を失ったミサイルはサラマンダーがプテラスを狙った動きを追い切れず、レーダー誘導に切り換わる前に標的をロスト。彼女の余裕の言動は、己が今やこの空の全てを制した者と自覚した上でのものだった。「さて、と……」 戦場上空を大きく一回りし、自分の獲物となる存在が何一つ無い事を確認すると、いつも通りレイラは隊の仲間には無断で帰還の体勢に入る。指揮官のレジアや副官のシエンナに義理など無いし、他の仲間には知らせるまでもなく、サラマンダーの巨体がその影を地上に落として飛び行くだけで、十分に意思表示になるのだから。 金色に輝く翼が二度、三度と羽ばたくに連れて、サラマンダーF2の機体は雲の上へ向けて再び舞い上がっていく。(それにしてもあのプテラス、何者かしら? 美味しそうな相手に思えたのに……残念だわ) バイザーとマスクの下の笑みは、さながら空腹の猛獣だった。彼女の持つ美貌が、その獰猛な笑みをより異様に際立たせている。 そこには既に、空を飛ぶ事を楽しいと言う寡黙な女パイロットの面影など、微塵も残ってはいなかった。 鮮やかな赤で全身をペイントされたヘルキャットが、バネのように柔らかく機体をしならせて戦場を駆ける。 そしてその動きが、また一段と鋭さを増したと同時に、どうとばかりに、対峙していたアロザウラーが砂漠に打ち倒された。(……何でヘルキャットのオレが、アロザウラーの相手なんかしてたんだろうな?) 釈然としない思いを抱きつつ、ヘルキャットのコクピットで操縦桿を握るアレスは、同じ戦場で戦う仲間へ、戦闘で若干ズレが生じた眼鏡の位置を直しながら、たった今決したばかりの結果を報告する。「こっちのアロは片付けたぞ」 すると、そう遠くない場所でアロザウラーの相手をしていたはずのイシュタムが、しなやかな足取りでアレスのヘルキャットに駆け寄ってきた。『遅かったんだな? こっちはとっくに終わったぜ?』「…………」 イシュタムの意地の悪い応答に、アレスは自分のこめかみの辺りが軽く引きつるのを感じた。「……オレはヘルキャットで相手をしてたんだがな?」『ただの成り行きだろ?』 ぶっきら棒な言葉にも、イシュタムが動じた様子は無かった。どこか飄々とした、他人を馬鹿にするかのようないつもの態度だ。ただ、仲間と認めたアレスとの会話だけに、そこには気心の知れた友人との会話のような親しげな響きがある。『それにオマエのヘルキャット、特別製のヴィントパンサーだろ? それじゃ文句言えねぇよ』「フン……」 そして、彼の言葉は確かに的を射たものであり、アレスに反論の余地は無かった。『で、後はあの少尉サンだが……』 シエンナのセイバータイガーは、ゴドス二機をゴジュラスから引き離して相手にしていたらしい。既に砂塵も収まった戦場では、ちょっと視線を巡らせるだけで、その模様を十分確認する事ができた。 “していたらしい”というのも、セイバーの足の下には一機のゴドスが組み敷かれており、そのままの体勢から背中の砲塔で、自分に向かって来る残る一機を今にも吹き飛ばさんとしている所だったからだ。「――!」 超至近距離から二連装の対ゾイドビーム砲を直撃され、細い胴体を真っ二つにされて爆発するゴドス。爆風で、ようやく視界が戻った戦場に再び砂嵐が吹き荒れる。立て続けにもう一度。見事と言って良い手際で、ゴドス二機は始末されたようだ。『ヒュ〜♪ やっぱりやるな、あの少尉サン』「……そうだな」 シエンナがいい腕前だというのは、疑いようも無い事実だ。 それどころか、生身の彼女よろしく、あれでまだ自分の力を偽っているというのであれば、彼女の技術は相当高いレベルで完成されているという事を、事実として認めねばなるまい。同時に、持ち合わせた度胸もたいしたものだ。(後は、それが敵にまわらない事を祈るだけか……) 思案するアレスの視界にも、爆風に舞い上げられた砂塵が立ち込め始め、シエンナのセイバーは勿論、イシュタムのサーベルの姿さえも包み隠していく。しかし二機の姿が完全に見えなくなる直前、アレスの目はその内一機の背後に忍び寄る影を捉えた。「おい! 後ろだ!」(背後(うしろ)!?) 仲間の声に即座に反応したイシュタムは、その場で振り向くなどという馬鹿な事はせず、愛機サーベルを前方に跳躍させる。地面を蹴る段階から機体に捻りを加えると、機体は滞空中に反転し、着地時にはすっかり背後を振り向いている。 敵の不意打ちを距離をとって空振らせ、そこへ反撃を加える動きだったのだが――「チッ――」 イシュタムの眼前に、敵の姿は無かった。「後ろですって?」 イシュタムとは異なり、シエンナはアレスの言葉を信じ切る事ができなかった。だから動く前に、その真偽を自分の目で確認しようとしたのである。アレスという人間との付き合いの差が、イシュタムと彼女の反応の違いであり、それが彼女の命運を分ける事となった。 背後を窺うため、首を右に振って振り向いたセイバーの眼前に、砂のカーテンを突き破って漆黒の爪が突き出される。そこいらのパイロットとは比較にならない技術を持つシエンナをもってしても、それは反応できるタイミングではなかった。「――!?」 彼女の声にならない悲鳴を待っていたのか、まるで宙に浮かぶかのように砂煙の向こうから突き出されていた黒爪がその瞬間、縦一直線に振り下ろされる。それはセイバーのコクピットを上から貫かんとする動きだった。「こんな所で死ぬ訳には――!」 咄嗟の操縦でセイバーに身を引かせる事ができたのは、シエンナにとって僥倖以外の何物でもなかった。セイバーの敏捷さをもってしても、爪が命中するまでのコンマ数秒で動けた距離は僅かなものだったが、そのヒットポイントをずらして致命傷を免れる事には間一髪で成功した。 しかし、それは致命傷を免れたというだけの話だ。上二本下一本、三本一対の黒爪は、その一本がセイバーの右っ面を引っ掻くと、装甲式キャノピーを歪に断ち割り、右目のアイスクリーン兼ディスプレイ・アイを粉々に打ち砕いて、深々とした傷をそこへ彫り込んだ。切り裂いたのではなく引き裂いた事で、生じた傷口は外部からコクピットの内部を見通せるほどの代物だった。 それほどの損傷であれば、当然被害は操縦席にも及ぶ。外部から装甲を破って入り込んだ爪は、操縦席右側に並んだ計器盤、操作パネルをその内側から台無しにしてのけた。外景の立体画像を投影するディスプレイも、その中核であるディスプレイ・アイの一方が破壊された衝撃で滅茶苦茶にされ、到る所で映像に綻びを生じさせている。 そして極め付けとして、一連の破壊によって砕け散った計器盤やアイスクリーンから生み出された破片の群れは、パイロットであるシエンナに全て襲い掛かった。「アァァァッ!」 悲鳴などという可愛らしい物は自分には似合わないとばかり、絶叫するシエンナ。水飛沫のように飛び散る破片は無数の凶器と化し、その鋭利な先端部で、シエンナの着込んだパイロットスーツをズタズタに切り裂いていく。しかし耐久力のある材質のおかげか、彼女の体まで到達した破片は幸いにも皆無だった。 問題は、顔だ。煩わしいヘルメットではなく、通信用のヘッドセットのみを装着していたシエンナの顔はまさに無防備。だがそれを気遣う事などしない破片の群れは無論、体との区別無くそこに襲い掛かった。 頬と言わず、目元と言わず、かすめた破片がその白磁の肌に幾本もの紅い筋を刻んでいく。中でも一際鋭く長い突端を持った破片が、シエンナの目元からこめかみ、耳の方向へと肉を抉り取るようにして行き過ぎると、飛沫いた血液が大盤振る舞いでコクピットと彼女を彩った。 文字通りの身を切る痛みに、シエンナの顔にも苦悶の表情が浮かぶ。 吹き抜けた一陣の風が、立ち込めた砂塵を吹き飛ばした。そこに現れたのは、手痛い一撃にその身を揺らす紅いセイバーの姿。そしてその背後に控える襲撃の張本人、ゴジュラス。(少尉サンの方だったって訳か……) 攻撃を受けたという事は、自分と違ってアレスの忠告を即座に聞き届けられなかったという事だろうか。 イシュタムは残念に思いつつ、サーベルタイガーの足を止めた。 少尉サンには悪いが、正面から飛び込んでも相手がゴジュラスでは、サーベルやヘルキャットでどうこうできるものでもない。命第一の傭兵は、ミイラ取りがミイラになるのを最も嫌うのだ。 “死にたがり”のイシュタムであれ、他人の巻き添えで死ぬなど目も当てられない。(明日から、男臭い生活に逆戻りか……寂しいねぇ……) 声にこそ出さないが、シエンナの窮地もイシュタムにとってはその程度の問題だったのである。 その時、いい一発を頭にもらった所為か、セイバーがガクッと膝を震わせた。その様子は、今にも耐え切れずに地面に崩れ落ちそうでさえある。そうなったが最期、ゴジュラスはセイバーに容赦無く止めを刺すだろう。(さらば、我が桃色の日々よ……) イシュタムが胸の内で嘆き、肩にかかる後ろ髪の束を払いながらコクピットで天を仰いだ時だった。『馬鹿が……!』 彼の横にいたアレスのヘルキャットが、突然脱兎のごとく駆け出したのだ。「おい、アレス!?」 イシュタムの言葉に応える事無く、アレスはヘルキャットを、ゴジュラスとセイバーがいる方向へと走らせている。直前の言葉からも、その目的は明らかだった。(アレスの奴、女一人になに熱くなってやがる!) 先刻はミイラ取りがなんだと考えていたイシュタムも、仲間と認めるアレスが動くとあっては、打算を捨てて紅いヘルキャットの後に続く。 ヘルキャットの動きは、真正面からゴジュラスに向かっていくものだった。その様子から察するに、アレスの行動はどうも衝動的なものであるらしい。(何を入れ揚げてんだか……) 状況が見えているのか定かでないアレスのヘルキャットに、仕方なくイシュタムは、サーベルの砲口を向けた。そのまま、疾走するヘルキャットの鼻先を狙って衝撃砲を叩き込む。『うおっ!?』 目と鼻の先で起こった爆発に、堪らずヘルキャットがつんのめるようにして急停止する。そして、その横を駆け抜けていく青いサーベル。『どういうつもりだ、イシュタム!?』「どういうつもりはこっちのセリフだぜ、アレス。ヘルキャットでゴジュラスに突っ込んで、一体全体どうする気よ?」 自前のオールバックを撫で付けながら言うイシュタム。 驚きで頭も冷えたのか、アレスからは気まずげな沈黙が返ってきた。己の愚考を見返し、悔いているのだろうか。「……ま、とりあえずオレに任せとけって」 アレスが冷静さを取り戻した事に安堵しつつ、イシュタムはサーベルタイガーに連装ビーム砲を乱射させて、ゴジュラスへと向かっていく。『どうする気はサーベルタイガーも同じだろう!?』「オレの渾名は知ってるだろうが。こんな御誂え向きの相手もいないぜ」 一転して逆の立場になったアレスの言葉にも、イシュタムは嘯いて見せた。 しかし、堅牢なゴジュラスの装甲は、依然悲鳴一つ上げていない。ビームの直撃に赤熱する機体を揺らし、足元でよろめくセイバータイガーに掴み掛かっていく。(ちったぁ相手にしろっての……) ぼやく内にも、ゴジュラスの爪はセイバーに迫る。 しかしその時になって、セイバータイガーがようやく復調し、爪を逃れて咄嗟に飛びずさった。その身軽な機体で優に身体一つ分をステップバックし、ゴジュラスに対して身構える。「生きてたみたいだな、少尉サン。今夜からまた夜が寂しくなるかって、嫌な心配しちまったよ」 イシュタムはサーベルの速度をスローダウンし、シエンナのセイバーの隣につけた。幾らかの間を置き、後ろからアレスのヘルキャットもやって来る。「しっかし……こっ酷くやられたもんだな……」 隣に立つセイバーの頭部に目を走らせ、イシュタムは思わず呟いてしまった。 右目を潰して縦に走った亀裂によって、出撃前には傷一つ無かったセイバータイガーが、完全な傷顔(スカーフェイス)と化している。本来ならば、パイロットの健康状態を危ぶまねばならない状況だろう。 と言うか、軽口に対するシエンナからの反応が一切返ってこない時点で、実はその健康状態もかなり危ないのではあるまいか。「おい、ホントに生きてるか? 少尉サ――」『しっかりしろ、メイクライン! 貴様こんな所で倒れていいのか!?』 割り込んできたのは、驚いた事にアレスだった。この場に他にいないのだから彼の言葉なのは当たり前なのだが、イシュタムが驚いたというのはその口調が、普段のアレスからは想像もできないほどに感情剥き出しの、そして取り乱したものであったからだ。アレスのこんな言葉は、そこそこの付き合いがあるイシュタムも初めて耳にした。『……だ、大丈夫よ。ちょっと危なかったけど……』 あまりのアレスの剣幕に死地から呼び戻されたという訳でもないのだろうが、ようやくと言っていいほどの間を置いて、シエンナから青息吐息の返事が届いた。 意識はしっかりしているようだが、声に力が感じられない。それが単なるショックによるものか、それとも怪我でもしているのか、声だけで判じる事はできないが。『“後ろ”と、言ったはずだが?』『せっかく教えてくれたのに、悪かったわね。ちょっと反応できなくて……』『……まあいい。アンタが死んでも、別にオレが困る訳じゃないからな。余計な御節介だった』 少々毒のあるアレスの言に対し、シエンナの言葉は感謝と謝意に満ちているように聞こえる。軍人に対し、アレスが慇懃無礼な敬語でなく対等な口をきいている事といい、先程のアレスの取り乱しようといい、いつの間に二人はそんな信頼関係を結んだのか、イシュタムには不思議で仕様がなかった。(あの野郎、まさか……) イシュタムの想像が良からぬ方向へ向かおうとしたその時――『んっ――!』『――!」「……ゴジュラス」 雷鳴のような咆哮で存在感を誇示しながら、ゴジュラスがその一歩を踏み出した。 しかし、アレスの注意は一瞬そちらに向いただけで、すぐにまた思考の渦に飲み込まれていく。稀代の名機であるゴジュラスを前にしていても、彼にはより重要な事柄があった。 目の前でシエンナのセイバータイガーが破壊されようとした瞬間、アレスは無意識の内に飛び出していた。(……何をやってるんだ、オレは? イシュタムに止められなければ、そもそもあの女の前にオレがやられていたはずだ) そんな事実を忘れさせてまで自分を動かす衝動の正体がいったい何なのか。それに見当もつかない事が、物事を計算尽くで進めていくタイプのアレスには耐え難い不安要素だったのである。 自分だけがシエンナの本当の顔を知っているとか、そんな他愛もない感情に左右されているとでもいうのだろうか。 だが、アレスが思考の迷宮から抜け出す前に、ゴジュラスの方から先に仕掛けてきた。ゴジュラス乗りの自信の表れなのか、高速ゾイド三機を相手にしていながらも、自分がぬかれた場合の事などまるで考えていないようだ。 無論、戦端を開いている以上、アレスには目の前の賞金首を逃がすような考えは微塵も無い。(考えるのは、後回しにするか……) 眼鏡に手をやりながら、アレスはヘルキャットのスロットルを引き上げる。 と、それを追い越していく思いがけない姿があった。紅いセイバータイガーである。『おい、またか!?』 驚くイシュタムの声を頭の片隅で認識しつつ、アレスも眉をしかめた。「懲りない女だな! 一人で突っ込んだところで、さっきの二の舞になるのがオチだぞ!」 しかしせっかくの忠告にも、シエンナは――『私だってそこまでバカじゃないわよ。だいたい、さっきのは不意を突かれただけ。今から名誉挽回といかせてもらうわ』 いつの間に回復したのか、晴れ晴れとした笑顔さえ想像できそうな口調で、そんな言葉を返してきた。『二人ともゴジュラスを倒す気があるなら、私に付いてきた方がいいわよ。チャンスぐらいは作れるはずだから』「チッ――!」 好き放題言われて引き下がる訳にもいかず、アレスも不承不承、先を行くセイバーを追う形でヘルキャットを加速させていった。どうやらイシュタムには思う所あるらしく、付いてきた様子は無いが。(度胸も十分か……たいした女だ) あれだけのダメージを負わされ、殺される寸前まで追い込まれたはずなのだが、後ろ姿を見ていても、ゴジュラスへ一直線のセイバーから恐怖や怯えといったイメージは感じられない。大の男であっても、あれだけの出来事の後では尻込みしてしまうものだ。 被った仮面の裏側にどんな真意を秘めているのか知らないが、少なくともシエンナのパイロットとしての力量は、間違いなく万人からの称賛に値するものであった。 言葉にはせずとも、感心するアレス。そんな時ヘルキャットから少し離れた位置を、イシュタムの青いサーベルが右手から追い抜いていった。前に二機が出た事で、三機の連携攻撃の大取りはアレスのヘルキャットが務める形となる。(……ヘルキャットでか?) 相手がゴジュラスである事を考えると、できる事なら時間をかけたくない。体格に違わず鈍重なゾイドではあるが、捕食者がその身に備える瞬発力は、サーベルやヘルキャットを捕まえるに十分な要素だ。どれだけスピードで翻弄しても、目が慣れてくればこちらの有利は薄くなる。(コイツの一撃でゴジュラスを沈めるとなると……狙う場所は一ヶ所しかないな……) しかし、簡単な事ではない。シエンナとイシュタム、二人の協力は必要不可欠だ。「イシュタム、ゴジュラスの頭を下げろ! そうすればオレが仕留めてやる!」『オッケー、任せときな。聞いたかい少尉サン?』『分かったわ。期待してるわよ』 二人からの色よい返事を確認し、アレスはヘルキャットに踵を返させる。 ヘルキャットでも有効打を与えられるゴジュラスのウィークポイント――即ちコクピットへの攻撃を成功させるには、まずあの地上二十メートルの位置までジャンプしなければならない。その高さ、ヘルキャット四つ分。ただ、ヒョウの敏捷性を持つヘルキャットには、そう難しい数字ではない。さっきのまま突っ込んでジャンプしても、十分到達可能な高さだ。 問題は、ゴジュラスに回避されないようにする必要があるという事だ。奇襲というやり直しのきかない一度きりのチャンスを確実にモノにするには、ゴジュラスの反応できないジャンプで不意を突かねばならない。そう考えたからこそアレスは、一度距離を離したのだ。(そろそろいくか。ヴィントパンサーでなければできん事だ……) 目的に十分な距離が確保できたと判断したアレスは、ヘルキャットを一動作で反転させ、再び加速を開始した。同時に、機体に施されたリミッターを解除して、愛機のヘルキャット――ヴィントパンサーの本当の力を解放する。 たちまちの急加速に四肢は躍動し、コクピットのアレスはそれまで以上の力でシートに押し付けられた。視界の端では七セグタイマーが、六百秒のカウントダウンを開始する。 十分間。それで勝負を決めなければ、限界機動のツケでヘルキャットはまともに動けなくなる。帰還の事を考えれば、チャンスは一回こっきりだ。(いいさ。チャンスが無いよりは、遥かにマシだからな……) そんな自嘲紛いの想いで、ぐっと、胸にくるものがあった。そして、それは――(そうか……そういう事……だったのか……) アレスに、先程のシエンナの窮地に自分が取った行動の原因を、嫌と言うほど思い知らせたのである。 自信満々といった趣で前進するゴジュラスに対し、セイバータイガーも真っ正面から突っ込んでいく。傍から見れば、それは明らかに無謀な突撃だ。セイバーの細やかな体躯など、ゴジュラスに捕まってしまえば一捻りなのだから。 しかし、右目を失った傷顔のセイバーはまるで臆する素振りを見せず、ゴジュラス大得意の格闘戦の間合いへと飛び込んでいく。そこでまず、ゴジュラスが足を止めた。相手の躊躇の無さを警戒したのか、それとも単に戦闘スタイルの問題なのかは分からない。 接近する二機。右手を離れて並走する青いサーベルタイガーからの援護射撃も受け、先手は機動性に優れるセイバーが取った。左右から繰り出されるゴジュラスの両腕より一瞬早く、疾走の速度を乗せたぶちかましをゴジュラスに叩きつける。体格でセイバーを一回りも二回りも上回るゴジュラスではあるが、八十トンあまりの鉄塊が運動エネルギーも加えて激突し、その動きを硬直させた。 その間でセイバーは姿勢を回復し、加えて四本の脚で、タイミングと力の入れ方を変えて地面を蹴飛ばした。まず前脚。そして後脚。つまりその場での華麗な宙返りを披露し、遠心力と共に振り上げられた後脚で、ゴジュラスの張り出したアゴを強かに蹴り上げたのである。 さすがに堪らず、上半身を泳がせるゴジュラス。サマーソルトキックを決めて着地したセイバーは、その隙に飛びずさろうと身をたわめた。だが、その頑健な機体で衝撃を受け止めたゴジュラスが、動きを止めたセイバーを狙って今度こそ両の腕を突き出してくる。しかしセイバータイガーの両前脚が鷲掴みにされようとしたその時、戦場を青い風が引き裂いた。 右手から一気にゴジュラスへと飛び込んだ青いサーベルタイガーは、セイバーに迫るゴジュラスの左手手首を耳元までパックリと裂けた口で横から咥え込む。さらには、そちらへと注意を向けたゴジュラスに、足元のセイバーまでもが躍りかかって、こちらは右の手首に齧り付いた。 二機のタイガーがタイミングを合わせて両腕を引っ張ると、その身を強張らせていたゴジュラスの体は大きく前方に泳ぐ。姿勢を維持するために一歩を踏み出したゴジュラスに合わせて、サーベルはさらに一引き。一方セイバーの方は、レーザーブレードを作動させて首を振り回し、右腕を食い千切った。左右からまったく逆の力を加えられ、ゴジュラスの姿勢がさらに崩れていく。 そこにゴジュラスの正面から、時速四五〇キロという凄まじい速度でヘルキャットが駆け込んできた。そして、ゴジュラスのパイロットが反応する前に、そのノーマルヘルキャットを軽々と上回る速度を活かして、普段では考えられないような遠距離から軽やかに飛び上がる。幅跳びと高跳びを一緒にやったようなものだ。 踏み切りから空中姿勢まで、動作の全てが完全にパイロットの制御下におかれ、抜群に安定したヘルキャットの跳躍は、その放物線のピークで三十メートルほどの高度を記録し、上昇から落下へと移る。その軌道上には、よろめくゴジュラスの頭部があった。 そのスモークシルバーの巨体に映える鮮やかなオレンジ色のキャノピーへと、墨色の影を垂らすヘルキャット。驚愕と焦燥に目を血走らせるパイロットに悲鳴を上げる暇も与えず、その四本の足でゴジュラスのコクピットを踏み砕いた。蜘蛛の巣状にひび割れたキャノピーが内側から真っ赤に染まり、ヘルキャットが与えた衝撃でゴジュラスの巨体が今度はよろめく程度ではなく、後方にぐらりと傾ぐ。その一撃を見て取ると、右腕に喰らいついたままだったサーベルタイガーも、間髪入れずに閃くレーザーサーベルの一撃でそれを焼き千切る。 最後、コクピットに着地したヘルキャットがそこを蹴って再びジャンプすると、血染めの風防ガラスの破片を飛沫かせながら、ゴジュラスは傾いていく勢いに機体を任せ、力なく背中から倒れ伏した。 轟音と同時に砂漠の地面にめり込んだ機体を尻目に、離れた場所に悠然と着地する紅いヘルキャット。そして、ゴジュラスのもとを離れてヘルキャットへと走り寄り、その紅い機体を挟み込むような形で停止するセイバータイガーと青いサーベルタイガー。 未だに警戒を解かぬ三機の前で、しかし倒れたゴジュラスは微動だにしなかった。『オレ達CODAにかかれば、ゴジュラスも楽勝だったな』 耳に届くイシュタムの声で、アレスもようやく自身の勝利を認めた。シートの背もたれに背中から後頭部からその身を完全に預け、繊細な造りの眼鏡を外す。 コクピットを潰されたゴジュラスは立ち上がってくる気配を見せず、その点では確かに勝者は歴然としているように思えた。しかし、そこで油断して背中から刺された人間を、アレスはとりあえず両手の指の数くらいは列挙できる。そう簡単に気を抜けはしない。 ただ、イシュタムと意見が一致したとあれば、そこはもう勝ちを意識してもいい。「三対一で、負ける訳にもいかないだろう。相手が“最強”のゾイドでもな」 しかしその勝利は、並みの兵士にとっては誇れる武勲であっても、この二人にとっては取るに足らない戦場の一コマでしかないという訳だ。『言っとくがアレス。ゴジュラスの撃破報酬は山分けだぜ。オメェのヘルキャット一匹じゃ、あんなバケモノ手に負える訳ねぇんだから』「……好きにすればいい。オレは戻る、コイツが動かなくなる前にな」 アレスは眼鏡を掛け直す。戦闘中も意識の片隅に留めていた六百秒のカウントダウンは、残す所三百秒余り。間も無く折り返し点だ。『対空陣地は?』「くれてやる。今まで稼いだ分で、ヘルキャットのメンテナンスには十分だ」 そもそも歯向かう所か逃げる事すらしない対空兵器群など、アレスの眼鏡に見合う相手ではない。 ともかく、それぞれの思惑を胸に、青いサーベルタイガーと紅いヘルキャットは機首を倒れたゴジュラスの方向から翻した。「メイクライン少尉。そのダメージでは少尉も、引き返した方が妥当だと――」 未だにゴジュラスの方を向いたままのセイバータイガーのパイロットに、アレスは声をかけ――その言葉を、轟いた一発の砲声に遮られて言い切る事ができなかった。 三機の内二機の注意が逸れた瞬間、前触れもなくその身を起こしたゴジュラス。コクピットを失っても闘う事を止めないその闘争本能は、まさしくゴジュラスだ。 しかしその荒神も、素顔を千の仮面の下に隠した麗しの闘姫が放った一弾に口腔を撃ち抜かれ、今度こそ息絶えて大地に崩れ落ちた。 戦闘開始から約五分。現存するゾイド中で最強と名高いゴジュラスに挑んだ三機の挑戦は、紛う方なき勝利という形で決着したのであった。「…………」『……ワォ』 言葉の無いイシュタムとアレスに対し、シエンナから通信が入る。『“コーダ”だか何だか知らないけど、腕利きの傭兵が聞いて呆れるわね』『面目ねぇや……』 イシュタムの方は気まずげにそう返したが、目の前の報酬の山が気になって仕方ないらしく、さっさと対空陣へと向かってしまった。一方のアレスはというと、タイムリミットが迫るヘルキャットのためにさっさと帰還したいのは山々だったのだが、言葉が続きそうなシエンナの事が気にかかり、足を止めてしまっていた。 そんな中、ゴジュラスを仕留めたままその風格漂う佇まいを崩す事無く屹立していたセイバーのキャノピーが、おもむろに持ち上げられる。ゴジュラスの爪に抉られたコクピットであったが、奇跡的にもキャノピーの可動部は無事だったらしい。 間を置かず、開放されたコクピットにはパイロットが確かな所作で立ち上がる。「……なんだ?」 パイロット用ヘルメットも装着しておらず、剥き出しのその美麗に整った面立ちに違和感を覚え、アレスは眼鏡の奥の目を細めた。「う……」 そしてその正体に気付き、似合わぬ呻き声など漏らしてしまった。 コクピットに立つシエンナは、その顔面の右半分を真っ赤な血に染め、こちらを睥睨していた。ゴジュラスの攻撃で負傷した事は想像に難くない。(並の女なら、ショックか出血で失神していてもおかしくないが、あの女……) 眼鏡は伊達のため、視力には自信がある。コクピットに立つシエンナは、顔面修羅場と化した自分を物ともせず、溌剌とした笑みを浮かべて見せたのだ。(……敵わないかもしれないな、彼女には) 血化粧で彩られた陰りの無い笑顔を向けられ、アレスはどうしようもない思いで苦笑するのだった。 そしてその笑みこそが、彼らの戦闘の終了を示していた。「キャッ!」 シャワールームの扉の陰からその姿が見えた瞬間、シエンナはそれをイシュタムと把握していた。そのため、彼に合った反応を披露して見せる。「オッ!?」 自分のすぐ隣で突然上がった甲高い声に、矢張りイシュタムは驚いたようだった。しかし、その悲鳴の主の正体を見極めるや、その相好を崩して笑いかける。「何だ少尉サンか、脅かさないでくれよ。それともお嬢さんには、チィッとばかし過激すぎたか?」 そう。シャワールームから出てきたイシュタムは、その上半身に何ら着衣を纏っていなかった。傭兵という環境の中で鍛えられた屈強な肉体が、白日の下に晒されていた。「ぅ……わ……」 目前の光景に、シエンナは素で言葉を失った。 確かに、部隊の中でも特に頑健な体格――筋骨隆々然とした肉体を持つゼロやスローと比べれば、劣っていると言わざるを得ない。しかし無駄なく引き締められ、極めて自然なラインで輪郭を構成する筋肉は、造形的、そして機能的な美に溢れていた。 だがそれだけであれば、シエンナも目を奪われたりはしなかっただろう。「おいおい、そんな食い入るような目で見ないでくれよ。穴が開いちまう」 イシュタムに言われてようやくシエンナは、自分が彼の体を瞬きも忘れて凝視していた事実に気付いた。「す、スイマセン……」 恥ずかしげに顔を伏せ、か細い声でようやくそれだけを口にした――という設定で、シエンナは初な少女を演じる。ただ、その頬に差した赤みだけは、彼女の演技力だけでどうこうできた代物ではなかった。「そんなに気にしなさんなって。じゃ少尉サンも、顔がオレの体みたいにならないように気をつけな」 シエンナの反応に気を良くしたらしきイシュタムはタバコを咥えながらそんな軽口を叩くと、御機嫌な調子で鼻歌を奏でながら自室のある方へと歩き去っていった。その場には、イシュタムの背中が消えた廊下の角を見つめるシエンナだけが残される。 と――「凄いものだろう?」 背後からの問い掛けに、シエンナは飛び上がらんばかりに驚いた。あの程度のアクシデントで接近者の気配を察知できなかった自分を戒めつつ、振り返ったその先には――「……あなただったの」 声の主――アレスが、寸前までのシエンナよろしく、イシュタムの消えた方向を見つめながら、壁にその身を預けていた。「そうね、確かに凄いわ……あれだけの傷を負って彼、どうして生きてるの?」 シエンナがそれこそ、“穴が開きそう”なほどに見つめていたのは、何もイシュタムの肉体美ではない。その体に刻まれた、無数の傷痕だった。シエンナが確認できただけでも、銃創を含む創傷が八ヶ所、縫合が十針を越えると思われる手術創が二ヶ所。シエンナの視線がするまでもなく、既にイシュタムの体は穴だらけだったのだ。 加えて、火傷の痕と思しきケロイド上の瘢痕が背中の大半を覆っており、言っては失礼だが、不気味な模様をそこに描き出していた。 傷の無い箇所を探す方が難しいような状態。確かに、生きているのが不思議なくらいだ。「あれが、イシュタムが“不死身”の名を冠される所以だ」 アレスはシエンナの問いには答えず、眼鏡のブリッジに手をやりながらそう呟く。「不死身?」「ヤツはどんな過酷な戦場からでも、必ず生きて帰ってきた。それがどんなに血塗れの帰還でも、その傷は絶対にヤツの命を奪えなかった」「そんな事が……」「誰が呼んだか、付いた名前が不死身のイシュタム」 彼の乗るサーベルタイガーも、彼同様に不死身のゾイドである事を、最後にアレスは付け加えた。必ず、修理できる程度の損傷で戻ってくる、と。「信じられないわ……そんな目に遭ってもまだ傭兵を続けているなんて、一種の中毒者(ジャンキー)ね」「そうかもな……ただ、ウチの隊にいる連中は、多かれ少なかれ似たようなもんさ」 微苦笑しながら言うアレス。しかし彼の示す態度とは裏腹に、シエンナは背筋を伝う冷たい汗を感じていた。 実際の所、彼女の中でのイシュタムへの評価は決して高い物ではなかった。共に戦い、その腕は認めていたものの、お調子者で女好き。飼い馴らすのは訳ないと思っていた。だから殊更彼についてリサーチする事もしなかったため、彼の二つ名もその由来も知らなかったのである。 しかし、その正体が百戦錬磨。不死身のジンクスを持つゾンビのような傭兵だったとは。(気を抜いていると、思わぬ所で足を掬われるかもしれない……) 顔の輪郭を縁取るようなショートヘアにそれとなく手をやりながら、シエンナは気持ちを新たにする。 と、そんな時。髪をかき上げて露になった右の頬に、さりげなく伸ばされる腕があった。いつの間にやら隣に立っていたアレスのものだった。「――!?」 咄嗟に身構えるシエンナ。まるで条件反射のように反応する域にまで訓練された彼女の肉体が、相手の腕を取り、極めるまでの単純な行程を、半ば機械的に実行しようとする。しかしそれは、まったく殺気を発していないアレスの動きに、ギリギリの所で踏み堪えられた。(何をする気?) どうすべきか判断がつかず、ただ身を硬くして訝しむシエンナの頬に、アレスの指が近付いていく。そして――「痛っ――!」 瞬間、頬を走るかすかな痛みに、シエンナはその美しい顔を歪める。アレスが何をしたのか、彼女にもすぐに理解できた。 今、シエンナの右面上部は大きなガーゼで覆われ、その周囲にも細かな切り傷が幾つか赤い筋を浮かべている。先程のイシュタムの言葉通り、今の彼女の顔はイシュタムの体と似たような有様だ。 アレスはガーゼの上から、彼女の縫合間もない傷に触れたのである。しかし、自分の悲鳴を聞いたアレスが謝りながら手を引っ込めた事で、彼に危害を加えるつもりが無かった事も、シエンナは察知した。「……気を付けた方がいい」 今度はガーゼに触れないよう注意深く指を伸ばしながら、アレスは意外なほど優しい声で告げた。「男の傷は勲章だが、女の傷は一生の傷だからな」「えっ?」 思いがけぬ労りの言葉に、シエンナは目を丸くする。「女の傷顔(スカーフェイス)なんて、幸せな事じゃない」 その真意をシエンナが見抜こうとする間に、いつものように眼鏡に手をやりながら言い残したアレスは、イシュタムが去ったと同じ方向へ歩き去っている。廊下には、言葉を失ったシエンナ一人が残された。(……心配して……くれたのかしら?) 即座に、まさかと否定する自分がいる。あの冷淡な傭兵が、そんな気の利いた事をするはずがない。 しかし、そうと知りつつ感謝する自分も、確かに存在した。歯の浮くようなセリフでも、面と向かって言われれば悪い気はしないものだ。「……分からない人ね」 浮かべた微苦笑に愉快な響きを滲ませながら、シエンナはアレスの去った方向に背を向け、その場を離れた。(次からは、彼の言葉を信用してみようかしら……) 何故そんな事をしようかと思ったのか、アレスにはよく分かっていた。シエンナの傷を目にした瞬間、どうしようもない衝動に駆られたのである。(心残りがある……と、いう事だろうな……) シエンナの傷顔(スカーフェイス)に、自分の中にある傷顔が重なったのではないかと問われれば、否定できないのは確かだ。シエンナを彼女に見立て、過去の自分には言えなかった言葉を伝えたかったのかもしれない。「オレも、少しは成長したんだろうか……」 彼女にあんな言葉をかけるなど、あの頃の自分にはとても考えられなかった。 彼女との賭けには勝っても、人間の器ではまるで敵わなかった自分。 その気概といい、気風の良さといい、若かりし頃のアレスが憧れるほどの女性だったのである。あの男勝りなハスキーボイスは、今でも彼の頭を離れない。 アレスは考える。彼女の事を思い、自分は今でも、彼女から譲り受けたヘルキャットに乗るのだろうか、と。