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[173] Rookie & Marcenary 踏み出す右足 - 2007/08/07(火) 04:13 -

 趣味のいいBGMの流れる店内。天井では、既にインテリアとしての意味合いの方が強い扇風機が、低い音と共に回転している。
 薄暗い照明が照らし出すテーブルもカウンターも、人の影はまばらだ。どこからか、グラスと氷のぶつかるカランという小気味いい音があがる。
 質素で嫌味の無い調度品。上品な雰囲気の静かなバー。
 その夜、彼女が訪れたのがそんな店だったなら、この物語は始まらなかったのかもしれない。



 場末の酒場。バーなどという上品なものではなく、店内は酔客の喧騒で満ち満ちている。
 あるテーブルでは、空のビンが周囲の床を埋め尽くすほどの壮絶な飲み比べ。またあるテーブルでは、仕事帰りの勤め人が職場の上司への愚痴を喚く。
 およそ静かに酒を楽しむような雰囲気の店ではないのだが、ここは商品の品揃えがいいことで有名だった。商品とは、もちろん酒のことである。
“あの店に行けば、デルポイ中の酒を楽しめる”
 そんな評判もたつくらいなのだ。
 毎晩酒好きの男どもで賑わうこの店は、街でも一番の人気を誇っていた。
 今夜もその例に漏れず、店内はほぼ満席。カウンター席の端から二つの椅子にかろうじて空きがあるのみだ。
 近くに軍の基地もあるせいか、兵士らしき客の姿もちらほらとうかがえる。
 そして、既に飽和状態に近い店のドアが僅かに軋んだ音を立て、またしても押し開けられた。
「いらっしゃいませー!」
 店内を忙しく動き回る女給仕が、それを認めて明るい声を上げる。
 入り口に姿を見せたのは、ちょうど空いている椅子の数と同じ、二人の男だった。格好から推して、彼らも兵士だと思われる。
「お好きな席にどうぞ!」
 給仕はそれだけ告げると、再び慌しく動き回り始めた。そこら中のテーブルからオーダーの追加が叫ばれ、案内などしていられる状況ではないらしい。
「お好きな席……って言われてもな……」
 二人は店内を見渡した。
客のいないテーブルはない。席が空いているところはあるが、相席になるよりは二人で飲みたい。
 次はカウンター。ちょうど空いている二つの椅子が目に入る。
 しかし――
「仕方ない、相席だな……」
 彼らはそう呟くと、敢えてカウンターには向かわず、手近なテーブルに自分たちと同じ兵士のグループを見つけ、そこに腰を落ち着けた。

 それからおよそ一時間。未だ客足は絶えず、店内は変わらずの盛況を保っていた。
 しかし、どんなに新しい客が入ってきても、あの二つのカウンター席には誰一人腰を下ろさなかった。
 そのまま刻一刻と夜は更けて、新しい客の入りがようやく減り始めた頃、一人の女が店の扉を押し開けた。
 軋んだ音を立てるドアから姿を覗かせたのは、一人の麗人だった。
 肩に羽織った軍の礼服と、背中の半分辺りまで達する真紅のロングヘアが、風に吹かれて揺らめく。
 彼女はゆっくり店内を見回すと、一直線にカウンターの空席へ向かって歩き始めた。
「よぉ! 今夜は遅かったな!」
「また何かやらかして、始末書でも書いてたのか?」
 彼女はそんな冗談にも片手を上げて応じながら、一番端のカウンター席に腰を落とした。女の体重で椅子が軋む。
「やぁねぇ……」
 喧騒の中でもはっきりと聞こえたその音に、彼女は軽く眉根を寄せた。幸いにして、店内で騒いでいる他の客には聞こえなかったようだが。
 カウンターの中のマスターが、ボトルとグラスを彼女の目の前に静かに置く。彼女のこぼした呟きには反応しなかった。
「悪いけど、今夜は別のにしてちょうだい。一番強いヤツ」
 こんな注文にも、表情一つ変えずに頷き、背後の棚から別の銘柄のボトルを手に取る。更にグラスも、その銘柄に合った種類の物を用意し、カウンターに置いた。
 店の雰囲気に似合わず、随分寡黙なマスターだ。
 さて――
「…………」
 女は手酌でグラスを満たすと、それを一息で喉に流し込む。
「……カッハァ!」
 その一杯が皮切りだった。
 はてさて、職場でいったい何があったのか。周囲の者が止めることをはばかるほど、とんでもない勢いで喉を潤していく。
「中将がどれだけ偉いってんだい! あのタヌキ親父!」
 突然の絶叫。店内にくまなく響き渡った愚痴に、周囲の酔客は一斉に反応した。
「おいおい、悪酔いしないでくれよ!」
「アンタが羽目を外すと、オレ達に来るとばっちりがとんでもないからな!」
 そう笑い飛ばしながらも、彼らの瞳にはハラハラと心配そうな光が揺れている。冗談で誤魔化していても、その声に潜む本質は変わらない。少なくとも、純粋なからかいの気持ちだけで発せられた言葉でないのは、鋭い者の耳には一目瞭然だった。
 しかし――
「なぁに言ってんだい! こんなのまだまだ序の口だよ!」
 本来“鋭い者”の部類に入るはずの彼女は、人間離れしたペースで既に出来上がってしまっており、そんな些細なことに気付くような状態ではなかった。
「今夜は潰れるまで飲むんだ! マスター、もっとキツイの持ってきな!」
 最前、自分で言ったことも忘れ、無茶な注文を続ける。彼女が今口にしているのはこの店で“一番強いヤツ”なのだから、それ以上に“キツイの”などあるはずがない。
 仕方なくマスターは、この店のナンバーツーを棚から手に取り、彼女の目の前に置いた。
 早速グラスを満たし、口をつける女。最早この店に、彼女の勢いを止められる者はいなかった。
「まっらく、あの基地ろオヤジろも。今に見れららいよ……」
 遂には、愚痴の呂律までもおかしくなり始めた。しかし、これが彼女の悪酔いの第一段階に過ぎないことを、店のマスターも、店内の客達もよく知っている。店内は次第に、静かなざわめきで満たされていった。

 それから、再び約一時間後。
 しばらくおとなしかった店の扉が、再度押し開けられる。今度は、まるで蹴破るかのような勢いで。
「おい、オヤジ! “ズィッヒェル”あるだけ持ってこい!」
 ドカドカと派手な足音を立て、空いたテーブルへ向かう御一行。裏道に入れば一山いくらで売られていそうな、典型的なゴロツキが五人。くだらない冗談に互いの肩を叩きあっている。
「お待たせしましたー!」
 ゴロツキが席に着くのとほぼ同時に、女給仕がラベルに大鎌をあしらったビンをトレーに目一杯乗せ、それを両手に店の奥から現れた。客の言葉を忠実に実行したのだとすれば、セリフとは矛盾した素晴らしい手際だ。
「お! ネーちゃんいいケツしてんな!」
 給仕の女性が、運んできた酒瓶をテーブルに置こうとした瞬間。さりげなく垂らされていた一人のゴロツキの手が、おもむろに給仕のスカートに伸ばされた。仲間も一斉に下卑た喝采を上げる。
「キャッ!」
 給仕はかわいらしい悲鳴を上げるも、それで手に持った酒瓶を落とすなどということはしない。そんなザマでは、この店の給仕は務まらない。
「ダメですよー。ここはそーゆーお店じゃないんですからー」
 反感を抱かれない程度の力でゴロツキの手を払うと、まるで何事も無かったかのようにまた店の奥に引っ込んでしまった。随分手馴れている。
 ゴロツキグループはひとしきり仲間内で笑いあっていたが、やがて各々がテーブルの上に山のように置かれた瓶に手を伸ばし、てんでに開栓していく。そして互いが手にした瓶を打ち合わせると、直接瓶に口をつけ、豪快なラッパ飲みで中身を喉に流し込み始めた。
 そして湧き起こる大爆笑。相当の羽振りの良さからして、笑いが止まらなくなるほどの“臨時収入”でもあったのだろう。店の裏路地辺りで……
 しかしこの連中、とにかくマナーが悪い。こんな場末の酒場でマナーも何も無いだろうし、ゴロツキにそれを求めるのも無理な話なのだろうが、空き瓶は放り出すわタバコは床でもみ消すわ。
 十分もしない内に、彼らのテーブルの周囲は、さながら嵐の過ぎ去った後のような荒れ放題となってしまった。
 そして時間が経つにつれ、当然酔いも回ってくる。
「お……?」
 ほろ酔い気分で席を立ったのは、先程給仕の下半身に手を伸ばしたゴロツキだった。
「おい、どうした?」
 仲間からの問いかけに、無言のままカウンター席を――正確には、その端に座る女性を指差してみせる。
「オマエも好きだなぁ……」
 呆れかえる仲間を尻目に、ゴロツキは空席になっていた女の隣の席に腰を下ろした。
「一人で飲んでても、寂しいだけだぜ?」
 くだらない口説き文句と同時に、おこがましくも肩に手まで回している。その腕の下にあるのが軍の礼服であることなど、これっぽっちも気にしていない。
 しかし、突然変化は起こった。
「……?」
 店内の客が、立て続けに席を空け始めたのだ。皆、テーブルの上に酒代を置き、無言のまま逃げるように店を出ていく。再びひょっこりと現れた給仕が、その代金を全て回収し、慌てた様子でまた引っ込む。
「あ?」
 ゴロツキが気付いた時には、カウンターの中からマスターの姿さえ消えていた。間も無く店内には、ゴロツキグループと女の六人だけが残される。
「な、なんだよいったい……イデッ!」
 店内を見回していた女好きゴロツキが、突然悲鳴を上げる。気付いた仲間がそちらに目をやった時には、そいつは女の肩に腕を回したまま、体を強張らせていた。女の背中越しによく見ると、回された腕の手首が女の華奢な腕に握り込まれている。
「な、何すんだ……ってイテテ!」
 その細腕のどこにそんな膂力が秘められているのか、女は片手一つで大の男に悲鳴を上げさせる。ゴロツキの仲間が、そんな光景に目を奪われていた時だった。
 女はおもむろに、握り込んだゴロツキの手首を引っ張る。
「おっ……」
 突然加えられた力になすがままのゴロツキ。女の方に引き寄せられたその顔に、ほっそりとした凶器――女の肘が炸裂した!
「ぶあっ!」
 文字通り鼻っ柱を叩き折られ、ゴロツキが吹き飛ぶ。
「なっ……!」
「このアマぁ!」
 仲間の惨状に、途端に色めき立つ残りのゴロツキ達。
 女はゆっくりと立ち上がった。
「このアタシにちょっかいかけてくるなんざ……」
 俯いていた面を、徐々に持ち上げていく。その深紅の瞳が、スゥッと細められた。完全に目が据わっており、先程まで愚痴をこぼしていた人物とは到底思えない。
「覚悟は、できてるんだろうねぇ……?」
 そう言って一歩、足を踏み出す。その迫力に、ゴロツキの方が思わずあとじさってしまった。
 どうする。楯突くのか、逃げるのか。
 四人が互いに顔を見合わせた瞬間。
「なぁにが覚悟だ、このクソアマ! まさかこのまま、無事に帰れるなんて思ってねぇだろうな!」
 先程吹き飛んだゴロツキが、むっくりと立ち上がった。手の平で押さえた顔の真ん中からは、ボタボタと赤い液体が流れ落ちている。
 それを見た仲間四人も意を決したのか、先程自分達で飲み干し、辺りに放り出した空き瓶を手に取る。おもむろにテーブルの角に打ち付ければ、軽い破裂音と共に、不燃ゴミが凶器に大変身だ。たいそう御立派なリサイクルである。
 知らない者が見れば、“女相手に凶器とは”と思うかもしれないが、ゴロツキの目に映っているのは女などではない。化け物だ。
「うらぁぁぁ!」
 瓶を手にした一人が、それを脇に構え、一直線に突っ込んだ。
 真っ正面から向かってくる相手を見据えながらも、両手をズボンのポケットに突っ込んだまま微動だにしない女。しかし、それは一瞬だった。
「ふっ!」
 戦場と化した店内に響く呼気。それと同時に、無造作に振り上げられた女の編み上げブーツが、ゴロツキの手にした瓶を叩き割った。
 手に握った部分を残し、まるで切り取ったかのように綺麗に粉砕された空き瓶は、最早凶器としての意味を成さない。呆気にとられるそのゴロツキに歩み寄る女。
 女は再び脚を振り上げると、それを相手の足に振り下ろす。
「ぐぁっ!」
 苦悶の声を上げながらも、足を踏みつけられては逃げることもできない。ゴロツキは、自分と同じくらいの高さにある女の顔を睨みつけた。
「何しやがるこ――」
 口を開いた男は、しかし、最後までその罵声を伝えることはできない。
「息が臭い……」
 下から打ち上げるように繰り出された拳が、ゴロツキの鳩尾を突き上げていた。本当なら吹き飛ぶところかもしれないが、足を抑えられてそれもできない。
「アタシのこと知らないみたいだから、たぶん余所者なんだろうけどねぇ……」
 食い込ませた拳をグリグリと捻じ込みながら、女は続ける。もっとも、ゴロツキの耳には聞こえていないようだが。
 仲間のゴロツキも、女の鮮やかな手際に目を奪われていた。
「店で飲んでるアタシに絡まないってのは……」
 ゴロツキの足の上から自分の足をどける。引き戻される拳。
「常識なんだよ!」
 朦朧とした表情のゴロツキの横っ面を、渾身の右フックが捉えた。
「――!」
 もはや破壊音としか呼びようのない音を女との接点で発しながら、ゴロツキが大きく吹き飛んだ。テーブル二つとそれに付随する椅子を巻き込み、床に叩きつけられる。
 力の差は歴然だった。片付けた一人には目もくれず、今度は背後で鼻血を噴き出している一人に向かう。
「う、うわっ……」
 先程の威勢はどこへやら。無様に頭を抱え、その場にうずくまる。
「はっ!」
 ちょうど腹のあった辺りを、女の前蹴りが行き過ぎた。勢いづいた足は、男の後ろにあった板張りのカウンターを打ち破る。
「あら?」
 膝の辺りまで板に食い込んだ自分の足を、不思議そうに見つめる女。
しかし、女がそんな状況であっても、うずくまったゴロツキは反撃に移ろうともしなかった。
「ひぃっ!」
 ひきつけのような悲鳴が、テーブル付近のゴロツキ集団から上がった。と同時に、その内の一人が店の扉に殺到する。
「ちょっと……」
 すぐに足を引き抜いた女は、カウンターを手で探り、お目当ての物に手を伸ばす。
「せっかくなんだから、勉強くらいしていきなさいよ!」
 投じられた酒瓶は、出口に向かう腰抜けゴロツキの顔面をかすめ、扉に炸裂する。瓶は木っ端微塵に飛散し、まだ半分は残っていた中身を辺りにぶちまける。腰抜けゴロツキはその場にへたりこんだ。
「そうそう。おとなしくしてなさいって……」
 満足げに笑みを浮かべた女は、未だ足元で震えていた鼻血ゴロツキの襟首を掴み、店のど真ん中に放り投げる。
「さぁ、ゆっくりと教えてあげるよ。ここのルールってヤツをね」
 バキボキと指を鳴らし、進み出る女。
「う、うわぁぁ!」
 ゴロツキどもの悲鳴が、デルポイの夜に消えていく。悪酔いの第二段階に進行した彼女の暴走は、通報を受けた店のドアを軍警察が蹴り破るまで続いた。
 ZAC二〇九九年、六月の夜のことである。

[176] これまた…… ヒカル - 2007/09/16(日) 12:17 -

 まず謝罪から……「しばらくパソコンのトラブルが相次ぎ、まことに返事が遅くなってしまいました。本当に申し訳ありません。今後はこのようなことが起こらぬよう尽力いたしますのでなにとぞこれからもどうぞ……」
 ……っと、慣れない文は書かないほうがいいですね。どうも踏み出す右足さん、ヒカルです。長らくお待たせしまいました、深く反省してます。さすがに時間が経ちすぎだな〜と思いつつも必ず返事が私のモットーなので、書かせてもらいますね。
 さて早速内容に入りますが、最初これが踏み出す右足さんの小説とは思えませんでした。英語のタイトルから「はて? 誰だ?」と首をかしげ見てみれば「あっ、右足さん(略して読んでます)でも一体どんな内容だ?」と再び首を傾げました。しかし読んでみるとやはり面白い。とあるワンシーンですが、「ここまで書けるもんかな〜」と深く感心いたしました。
 女性の酒癖の悪さにも驚きましたが、その後のゴロツキとの過激なバトル(いやこの場合はリンチ?)に目を引かれました。「あ〜こんなのいたら面白そうだけど会ったら会ったで困るよな〜」と勝手に想像してました。
 え〜とあまり参考になるようなことは書けませんでした。(というのも批評すべき部分が見つからなく)しかしちゃんと読んでますのでそこだけは勘違いしないでください。それでは次なる作品を楽しみにしています。

[178] Rookie & Marcenary 第一話 「左遷された女隊長」 踏み出す右足 - 2007/09/27(木) 04:37 -

 ああいう者と親密な関係を持つのは、私としては感心せんな。君には約束された未来もあるというのに……
 いかに士官学校で同期だったといっても、付き合う人間はよく考えなければいかんぞ?
 あんなじゃじゃ馬のせいで、君のように優秀な男が一生を棒に振るなど、あってはならんからな


第一話「左遷された女隊長」


 薄暗い廊下に、錠前の開く金属質の鈍い音が響く。
(アイツには、もう聞き慣れた音だろうな……)
 そんな事を考えながら、男は営倉のドアに手を伸ばした。
 中肉中背。背はやや高いが、別段特筆するほどのこともない。廊下の天井に灯る電灯の光を映し込み、銀縁の眼鏡が鈍い光を放った。その奥で、少々青みがかったグリーンの瞳が愉快気に細められている。
 中の人間を外界と隔絶する堅牢な扉は、軋んだ音を立ててゆっくりと開いた。
「フゥ……フゥ……」
 僅かに開いたドアと壁の隙間から、荒い息遣いが男の耳にとどく。
 まるでその声を懐かしむかのような微笑を浮かべながら、彼は部屋に踏み込んだ。そして、真っ先にその目に映ったのは、床でトレーニングを続ける一人の女の姿だった。
 単純なプッシュアップ――腕立て伏せなのだが、滴る汗の量がその凄まじい運動量を物語っている。いったいどれくらい続けているのか。
 着ている黒いタンクトップは汗を吸い、その色をさらに濃くして体に張り付いている。
 邪魔になるのだろう。解けばかなりの長さになるであろう真っ赤なロングヘアは無雑作に結わえられ、今はおとなしく頭の上に鎮座していた。体の動きに合わせて揺れる後れ毛が色っぽいといえば色っぽいが、彼女自身の行動がそれを打ち消してしまっている。
 侵入者に気付いた様子は見せないが、そんなはずがないことを男は知っていた。
「相変わらず、男も顔負けの体力だな」
 男が気楽な口調で女に言葉を投げかける。その語り口は、既知の者のそれである。
「まぁね。まだまだ、アタシも落ちちゃいないさ」
 口を開きながらも、女は体を停めることはしない。床に落ちた影が、彼女の動きに合わせて拡大と縮小を繰り返している。
「もうちょっと待ってちょうだい。区切りのいい所までやっちゃうから」
「あぁ。オレにかまわず、自分の気が済むまでいくらでもやってくれ」
 女の注文にそう応じると、男は近くのベッドへと腰を下ろした。貧相な営倉のベッドは鈍い悲鳴を上げながらも、なんとか男の体重を受け止める。
 男はそのまま腕を組むと、まるで居眠りでもするかのようにゆっくりと目を閉じた。女の呼吸に耳を傾けながら。

「待たせて悪かったね、レオン」
 およそ五分後。女はようやく体を止めると、そう言って立ち上がった。顔の輪郭を、汗が一筋滑り落ちていく。
「釈放かい?」
「まぁ、そうだ」
 レオンと呼ばれた男は、何かを知りながらもそれを隠しているかのような、意地の悪い微笑をその顔に浮かべて言った。
 僅かに疑惑のこもった眼差しを向けた女だったが、何も言わずに結っていた真紅のロングヘアをほどき、首を振って髪を広げると、ベッドに投げ捨ててあった上着に手を伸ばした。真っ白な布地を派手な階級章が飾る士官用の礼服だ。
 その襟の部分を掴み、片手で肩に背負うように持つと、準備の完了を目だけでレオンに示す。
 彼はそれを確認し、営倉の鉄扉に再び手をかけた。女もその後ろに続く。
 薄暗い廊下に響く、扉の開閉音。
 静かな廊下にやけに大きく響いたその音を背後に聞きながら、二人は営倉を後にした。

「喧嘩っ早いのは相変わらずか」
「先に絡んできたのは向こうさ」
 廊下にこだます足音を聞きながら、二人は歩き続ける。すれ違う兵士達は、レオンの階級を確認すると、例外なく道を譲り、一礼していった。
「ゴロツキが三、四人しつこく声をかけてくるから軽くあしらってやった、と聞いたが?」
「よく分かってるじゃないか。その通り」
 得意そうに話す女。その様子を横目で見ながら、男は関係者に聞いた話の内容を思い返す。
 彼女に絡んできた者達は全員病院へ搬送と相成り、大立ち回りの舞台となったバーの店内もまるで大乱闘の後かと疑うほどの有り様だったらしい。
(ま、こいつの武勇伝から考えればおとなしい方か……)
 彼女にとってバーでグラスを傾けるのは、一日の最後に待っている至福の時間だ、と以前本人から聞かされた。そして、その時の彼女に近づくことができる人間は、ごく限られた知人だけであることも知っている。
 ゴロツキというのが何者なのかは知らないが、この事を知らなかったのなら恐らく余所者だったのだろう。運が悪かったと諦めてもらうしかない。
「店からの請求額はいつも通り、オマエの給料から天引きだ」
「もう聞いたよ」
 女はその整った顔を、もううんざりといった様子にしかめて見せた。営倉入りよりも、むしろこちらの方がこたえているのかもしれない。
 しかし次の男、レオンの言葉が、彼女を更に追い込む事になる。
「それから、オマエの第二大隊は解体が決定した」
「なっ……!」
 瞬間、レオンの体は軽い衝撃と共に、廊下の壁に押し付けられていた。
「どういう事だい?」
 先程までとは打って変わり、怒気を露わにしたその声と迫力は、大の男でさえも気圧されてしまいそうな威圧感を持っている。興奮のあまり、レオンの襟元に伸ばされた両腕も小刻みに震えていた。
 だが、レオンは自分に向けられる強烈なプレッシャーを眉根一つ動かさず受け流し、真正面から女の目を見据えて言葉を続ける。
「まさかオマエ、心当たりが無いとでも思っているんじゃないだろうな?」
「…………」
 女はまるで、レオンの真意を測るかのように目を細め、やがてゆっくりとその手を離した。もっとも、決して納得したというわけではないようだが。
「クッ!」
 硬く握り締めた拳を、手近な壁に叩きつける。少し先の角から姿を見せた兵士が、驚いて足を止めるほどの力で。
「物にあたるのは止めておけ。まぁ自業自得だとは思うが、気持ちは分からなくもない。とりあえずシャワーでも浴びてこい。俺は先にお前の部屋に行っている」
「着替えがいるわ」
 ムスッと言い放ち、女の方が先に立って歩き始めた。どんなに空気の読めない者でも、今の彼女の機嫌が最悪なのは分かるだろう。
 後姿に纏わりついた怒気は、レオンの知る彼女の異名に相応しいと言えるものだった。
 怒れる悪鬼。“アングリー・オーガ”こと、フィーア=ファーガスト中佐。
「フッ……」
 派手な足音と共に離れていく女。以前とまるで変わっていない旧友の姿に、ヘリック共和国陸軍中佐、レオン=ルーベンスは苦笑を禁じえなかった。



「…………」
 耳に響く水音。熱いシャワーで汗を流しながら、フィーア=ファーガストは先刻の旧友について考えていた。
「…………」
 時間は十分ほど前に遡る。
 着替えを用意するために彼と二人で自室に戻った彼女は、自身のクローゼットから新しいタンクトップを取り出し、さっさとシャワールームへ向おうとした。
 しかしそのタイミングを狙いすましていたかのように、レオンは再び口を開いていた。
「時間が無いわけじゃないが、早めに戻ってきてくれ。オマエもいろいろ言いたいことがあるだろうし、そんなに心配はしていないがな」
 挑発的な言葉で注文してきたレオン。先の事で機嫌が悪かったフィーアは更に気を悪くし、ろくな返事もせずにそのまま部屋を出てきてしまったのだった。
「はぁ……ちょっと大人気なかったかしらね?」
 軽く溜め息をつき、虚空に向かって呟いてみる。無論、返事があるはずも無い。微かな呟きはシャワーの水音に掻き消され、隣の個室に声がとどくこともなかっただろう。
 シャワーのおかげか、彼女の機嫌はもう直りかけていた。短気だがすぐ冷める、と周囲からよく言われるが、確かにその通りだと自分でも思う。都合のいい性格だ。
(まったく、アンタは変わってないよ……)
 もう怒りがひいている自分に呆れながらも、フィーアは頭の中に仕舞い込まれた記憶を引っ張り出してみる。
 あの男は昔からそうだった。自分に向けられたどんな負の感情も軽く受け流し、さらに相手の神経を逆撫でするような言動をとる。まるで事態を難解にして楽しんでいるかのように。
(嫌味なヤツのはずなのに、どうしてまだ付き合いがあるんだろうね?)
 嫌味なヤツとは言ったが、決して悪人ではない。風の噂では、次世代を担う俊英と目されているとかいないとか。彼の場合は、俗に言う“憎めないヤツ”という部類だろう。
 そのためなのか、士官学校で出会って以来、卒業して数年経った今でもちょくちょく会っている。所属する基地も違うのだが、どちらかが相手の所属基地やその近隣を訪れる所用があれば、顔を見せて話をするのが通例となっていた。
「…………」
 蛇口を捻ってシャワーを止める。いっそ三十分くらい待たせてやろうかとも考えたのだが、ここはおとなしくしておくことにした。その代わり、文句は思い切り言ってやるつもりだが。
「…………」
 ふと、シャワーから垂れる水滴の音が耳についた。フィーアは拳をかまえると、滴り落ちる水滴に右手を繰り出す。
 人間の耳に捉えられる程の音もたてず、水滴は一瞬で飛沫となって弾け飛んだ。
「よし……」
 一人で納得すると、フィーアはシャワールームの個室を後にする。外に出て気付いたのだが、中途半端な時間なだけに、シャワールーム内に他の人間はいなかった。
 更衣室で手早く服を着込み、最後に礼服を肩から羽織る。袖を通さないのが彼女のいつものスタイルだ。
 この奔放な服装や、軍人に似合わぬ派手な髪が、一部の上層部から彼女が爪弾きにされる理由の一つでもある。しかし彼女自身はまるで気にしておらず、飽くまで自分のスタイルを貫いていた。
「それじゃ、話とやらを聞かせてもらうとしようか……」
 やがて更衣室を出た彼女は、ゆっくりと自室に向かって歩き始めた。


「早かったな?」
 自室に足を踏み入れたフィーアを、レオンのそんな一言が出迎える。
「てっきり三十分は待たされると思っていたが?」
 この勘の鋭さも彼の恨めしいところだ。
 図星を突かれたフィーアは、軽く肩をすくめて言う。
「そうしようかとも思ったけどね。アンタの言う通り、アタシにもいろいろ言いたいことがあったからさ」
「なるほど……」
 フィーアのデスクに腰掛けたレオンは、眼鏡に手をやって薄い笑みを浮かべた。
「それにしてもフィーア、オマエまだこんな写真を飾っていたのか?」
 さらに表情を苦笑で歪めながら、彼は机上に置かれた二個の写真立ての内の一個を手に取る。
「ま、過ぎ去りし日の思い出ってやつかしらね……」
 濡れた髪をタオルで拭きながら、フィーアも机上に残ったもう一方の写真立てを手に取った。
 フィーアの手にした方には、士官学校の卒業記念に仲間と数人で撮った写真が収まっている。レオンやフィーア自身を含め、皆活躍を期待されている者達だ。一部ではこの写真に写る者達を、その中でも一際優秀なレオンの名から、“ルーベンス世代”と呼んでもてはやす者もいるらしい。
 一方、レオンが手に取った写真立てには、寄り添う男女の写真が収められていた。
 フィーアとレオンである。
「もう誰かと付き合ったりしないのか?」
「当たり前じゃないか。恋愛が面倒だってことは、よぉく分かったからね」
「そうか……」
 互いに軽く笑って写真立てを置く。まさしく、“過ぎ去りし日の思い出”だった。
「では、こちらにどうぞ。中佐殿」
「オマエも同じ階級だが?」
「いやいや。アタシみたいな厄介者じゃ、同じ中佐でもまさに雲泥の差さ」
 皮肉たっぷりのフィーアの言動に顔をしかめながら、レオンは部屋の中央に設けられた応接用のテーブルに着いた。
 仮にも中佐の私室だ。ちょっとした広さがある。
「コーヒー飲むだろ? ミルクと砂糖は?」
 シンプルなコーヒーメーカーをいじりながら、フィーアが尋ねる。
「ミルクだけ頼む」
「ま、アタシがブラックしか飲まないから、どっちも無いんだけどね」
 手際よく、二つのマグカップにコーヒーを入れて戻ってくるフィーア。それをテーブルに置くと、ポケットからタバコを取り出して火を点けた。
「…………」
 何か言いたそうな表情を彼女に向けていたレオンだったが、結局何も言わずにコーヒーに口をつける。
「目が覚めるな……」
 それでも飲みなれないはずのブラックコーヒーを簡単に飲み干して、空になったカップをテーブルに戻すレオン。そして口調を改めると、ようやく先の話の詳細を話し始めた。
「さっきも言った通り、オマエの部隊は解散が決定した。理由は言わなくても分かるな?」
「分からないね」
 タバコを吹かしながら憎々しげに言い放つフィーア。「決定した」あたりで体が少し反応したのは、さっきと同じように飛び掛かりたい衝動を、持ちうる限りの自制心で押さえ込んだからだ。
「では言おう。隊を指揮する立場であるにも係わらず、度々の騒動による独房入り。会議における無断欠席。まだまだあるようだが、とりあえずこんな所でいいだろう。要するに素行不良ってことだ」
「上のヤツラもケツの穴の小さいこと言ってくれるじゃないか……」
「……わりとおとなしいな。もっと騒ぎになるかと覚悟していたが?」
「アンタの話だからね。まさかこれで終わりってワケじゃないだろう? あまり不安になる必要の無い話で人を不安にするのが、レオン=ルーベンスのやり方さ」
 してやったりの顔で得意そうに話すフィーア。彼女の経験あってこその読みであった。
「いい読みだ。オマエの言う通り、この話にはまだ続きがある。さっきの部隊解体の話、オマエを気に入らない人間は大賛成だったんだが、オマエのことを高く買っている人間が反対してな。どっちも譲らないんで、結局救済処置を設けることで決着がついた」
「救済処置?」
「そうだ。部隊の解体は行うが、オマエには別の部隊で指揮官をやってもらう」
「なんだいそりゃ。結局ただの異動じゃないか。そんなことなら処分なんかしなきゃいいんだよ……」
 事の真相をだいたい理解したところで、フィーアがブーブーと文句を言い出した。だがレオンの反応はいつもと違い、妙に深刻そうな顔をしている。
「今度は読みが甘かったな。事態は、オマエの思っているほど楽観できる状態ではない。オマエが指揮するのは、“第2087独立特殊教練中隊”。そこで養成所上がりのルーキーを、“実戦”で更に鍛えてもらう」
「……何?」
「もう知っているとは思うが、帝国との開戦は確率なんかの問題じゃなく、時間の問題だ。我々共和国も、帝国も、既に部隊を派遣してしまっているんだからな」
 レオンは苦々しい表情で眼鏡のブリッジを押し上げる。
「部隊の編成から出撃まではそう余裕も無い。つまりは、本当に実戦だけで新人を鍛えなきゃならん」
 これがどこまで無茶なことか、少し考えれば分かるだろう。養成所を出たばかりの新人など、実戦でまともに動けるはずがない。つまりは……
「アタシに死んでこい……と?」
「第二大隊の中から何人か引き抜いていいという話だが、危険なことに変わりは無いな」
 次の瞬間、テーブルの上のマグカップが大きくジャンプした。フィーアが怒りを乗せたその手の平を、強かにテーブルに叩きつけたのだ。
「ふざけるんじゃないよっ!」
 激昂するフィーア。遂に彼女の我慢も限界に達したようだ。振動のあまり、口にくわえたタバコの灰がテーブルに落ちる。それでもタバコ自体が落ちなかったのは、彼女の喫煙歴の賜物なのだろうか。
「なんだいこの話? こんなの懲罰部隊と同じじゃないか! それにアタシだけならともかく、そんな新人まで巻き込むなんてどういう了見だい!」
「オレにあたるな。詳しい話はオレだって知らされていない」
 二人の睨み合いと共に、室内には不気味な沈黙と緊張感が漂い始めた。
 やがて、レオンの方から沈黙を破って先に口を開く。
「聞いたところによれば、送られてくる新人は養成所でいくつかの問題点が露呈した者達だそうだ。今のままでは心許ないが、皆磨けば光る人材ではあるらしい。だが戦闘が始まれば、使える人間を養成所に置いておくような余裕はない。そこで、正規の部隊として運用しつつもパイロットの技術向上もできる。おまけに、あの鼻っ柱の強い生意気な女への制裁にもなる。こんなお得な部隊を編成するという話が持ち上がったんだ」
 フィーアは不満そうな顔をしているが、それでも大人しく話を聞いている。
「オマエが隊長に選ばれたのは、素行不良のペナルティだけが理由じゃない。オマエの部下からの人望の厚さも重要だった。ペナルティは言ってしまえば、きっかけ作りといったところだな」
「ふぅん……」
 だんだんと事の真相が見えてきたのか、フィーアの機嫌も直りつつある。
「アタシならこの部隊の指揮官兼教官が務まるってこと?」
「そうだ。正式な辞令やなんかは後で届くだろう」
「拒否は出来ないのかい?」
「強制ではないが、拒否した場合はその服を脱ぐことになるんじゃないか?」
「……スケベ」
「そういう意味じゃない……」
 もちろん彼女の冗談だ。冗談が口をつくということは、だいぶ落ち着いてきている証拠でもある。
「やるかやらないか、この場で決める必要は無い。ゆっくり考えてくれ」
「いや、もう決まったよ」
 タバコを灰皿にこすりつけながら言うフィーアに、レオンの方が戸惑いの表情を浮かべてしまった。
「……?」
「やってやろうじゃないか」
 不適な笑みを浮かべ、フィーアは言い放った。
「独立って言うからには、アタシの好きにやらせてもらえるんだろう?」
「そうだな。上からあれこれ言われることは、今より減るだろう」
「丁度いいさ。それくらいの方がアタシの性に合ってるからね」
「そうか。オマエらしいな……」
 苦笑して表情を和らげるレオン。知らないうちに入っていた肩の力を抜く。
「でも、人手は足りるのかい? うちの隊から引き抜くにしたって限度があるだろう?」
 フィーアの方は落ち着いたもので、新しいタバコに火を点けながら、既に今後に目を向けている。
「そうだな。矢張りあまり連れていくことはできないだろう。信頼出来る者を五〜六人といったところか。残りの者は別の部隊に異動したり、オマエの隊の代わりに改めて編成される大隊に編入される」
「ふぅん……ん!?」
 しばし考え込んでいたフィーアだったが、突如何か思いついたように顔を跳ね上げる。
 子供っぽい行為。そしてその顔には、実に意地の悪い笑みが浮かんでいた。
「レオン、こんなのはどうだい?」
 そう言って自分の考えを話し出すフィーア。話を聞く内に、みるみるレオンの顔が引きつっていく。
「どうだい?」
「それは……」
「この考えが通らないのなら、アタシは諦めて軍を辞めるわ」
「…………」
 よほど突拍子も無い考えだったのだろう。普段レオンがここまで考え込むことは滅多に無い。
 だが、しばらく考えてようやく覚悟を決めたのか、俯いていたレオンが顔を上げた。
「いいだろう、上に掛け合ってみる。ただし、あまり期待はするなよ」
「分かってるって。自分でも無茶な考えだとは思ってるよ」
 フィーアはそう言って軽く笑った。
「じゃあ、詳しいことは後で色々あるだろうから、しっかり確認しておけ」
 そう言ってソファから立ち上がるレオン。
「帰るのかい?」
 フィーアもまだ新しいタバコを未練あり気に消してから、連れ立って席を立った。
「あぁ。こっちはついでだったからな」
「ついでかい……」
 ジトっとした目で視線を送るフィーア。彼女にとっての重要な用件も、彼にとってはついでで済むような軽いことらしい。
「さすがは優等生。同じ中佐でも、アタシなんかと違って忙しいみたいだね」
 またしてもフィーアが皮肉気に言う。しかしこの皮肉が、彼女に最後の衝撃を与えるきっかけとなってしまった。
「あぁ、忘れるところだった……」
 フィーアの言葉を聞き、部屋のドアの前で立ち止まるレオン。
「……? なんだい?」
「今回の辞令が来れば、オマエはエウロペに新設された基地に配属される。私物の整理をしておくようにな」
「あ、あぁ。分かったよ……」
 それだけの事で?
 まるで疑問符を頭の上に浮かべているかのような表情のフィーアに、レオンがあの意地の悪い笑みを浮かべた。
「頑張ってくれ、フィーア=ファーガスト少佐」
「は……?」
 ドアの向こうに消えていくレオンの姿を、フィーアは間の抜けた顔で見送るしかなかった。

[179] Rookie & Marcenary 第二話 「二本目の右腕」 踏み出す右足 - 2007/10/18(木) 20:42 -

 あえて細かい説明はしないよ? もうアンタも知ってるんだから
 でも、手伝いが一人くらい欲しくてね。ちょっとエウロペまで、着いてきてくれないかい?


第二話「二本目の右腕」


「まったく、面倒なことになったよ……」
 甲板で風に吹かれながら、フィーアは延々と続く水平線をボーっと眺めていた。陸地などどこにも見当たらない。
 彼女は今、中央大陸から西方大陸へと向かう輸送船に乗り込んでいる。最近忙しかったせいもあって、空路ではなくあえて時間のかかる海路を選んだのだが、だんだんウンザリしてきていた。
 荷物は簡単な私物のみで、ゾイドなどは後ほど空路のネオタートルシップで送られる手はずになっている。つまり、自分だけ先に行って面倒な手続きは済ませておくということだ。
 手すりにもたれて波の音に耳を傾けながら、彼女は新しいタバコに火を点ける。
「ふぅ……」
 吐き出した煙は強い潮風に吹かれ、瞬く間にかき消えた。この光景も既に何回見たか知れない。これでもまだ行程の半分といったところなのだ。
「やっぱり空にしときゃよかったよ……」
 力なく呟くと、彼女は手すりを離れ、手ごろな場所に腰を下ろす。
 あの日レオンに話を聞いてから、既に二ヶ月近くの時間が経っていた。
 あれから正式な辞令が届き、諸々の面倒な手続きを済ませ、中隊へ連れていく者を選出し――
 忙しく、そしていろいろと癪な二ヶ月だったが、唯一、部下達の心遣いが非常に身に染みたのを記憶している。
 部隊解散の日の夜、気分が乗らずに日課のバー通いを止めて自室へ籠もっていたフィーアを、部下達は彼ら行きつけのバーに呼び出し、そこを借り切ってサプライズパーティーを催してくれたのだ。さすがの彼女もこれには涙を禁じえず、その夜は無礼講の――そのお陰で、フィーアは涙の件を散々冷やかされたが――大宴会となった。
 フィーアの落ち度で招いた解散だったにもかかわらず、彼らは彼女を最後まで隊長として認めてくれたのである。彼女の人望を証明するいい例だろう。
「あ……」
 柄にもなく感傷的になっていたらしい。気付くと頬を一筋、涙が伝っていた。
「最近、似合わないことばっかりしてるね……」
 自嘲気味に苦笑しながら、知らない内に半分が灰になっていたタバコを、近くの灰皿に放り込む。
「中佐、ここでしたか……」
 ふと、少し離れた場所から自分にかけられた声が耳にとどいた。
 風に吹かれる髪を押さえながら振り返ると、見慣れた彼女の片腕の姿が視界に入ってくる。
「ウォレスか。もうアタシは中佐じゃないよ」
「あ、失礼しました。ファーガスト少佐……」
 そんな彼を見ていたフィーアは、喉の奥で小さく笑ってしまった。
「まったくアンタは……いつも言ってるだろ? 周りに誰もいないなら、もっと普通に喋っていいって」
「いえ、そういうわけには……」
 無愛想な男である。目を隠すほどの長髪といい、その口調といい、陰気と言わざるをえない。よく言えば物静かということにもなるのだが。
「何か用かい?」
「姿が見えなかったので、少し心配になって捜していました」
「心配って……別に海に飛び込もうなんて考えてないよ……」
 新しいタバコに火を点けながら、フィーアは再びデッキの手すりへと寄りかかる。ウォレスと呼ばれた青年も、今までフィーアが座っていた位置に腰を下ろした。
「あ、どうぞ……」
 彼はそう言って、手にした紙製のカップをフィーアに差し出す。
「いつもながら気が利くね、アンタは……」
 フィーアは礼を言って受け取り、カップに口をつけた。冷たいブラックコーヒーは、陽光に熱せられた体にはありがたい。
(……?)
 冷えたコーヒー。これを持ってフィーアを捜しまわっていたのなら、気温と彼の体温でもっと温くなっているのが普通だ。つまり彼女を見つけた後に、コーヒーを調達しに戻ったということだろう。
(憎いことするじゃない……)
 この辺りが、フィーアが彼を信頼している理由なのかもしれない。
 彼はウォレス=アニストン中尉。第二大隊ではフィーアの右腕として副官を務めていた男で、彼女が中隊へそのまま連れてきた頼れる腹心の一人だ。
 ロブ基地ではまだ人手があまり必要ないため、雑務の手伝いとして彼だけがフィーアと共にこの船に乗っている。残りの連れは、ゾイドと同じ便でロブ基地に到着する予定だ。
「海は好きですか?」
 唐突にウォレスが口を開いた。
「……?」
 あまりの珍事件に、フィーアは自分の耳を疑ってしまう。彼がこんなとりとめもない話題を口にすることなど滅多にない。
 それを意識しているのかいないのか、ウォレス自身は遥か彼方の水平線を眺めているだけだった。
 風に吹かれる前髪の隙間から、普段は見えない目を時おり覗かせるのだが、それがひどく物憂げで、見る者に何かを感じさせる。
「あ、いえ……なんでもありません。忘れてください……」
 フィーアの視線に気付いたのか、彼は珍しく慌てた様子で先の表情を消し、言葉を言い繕った。矢張り意識していなかったらしい。
「なに言ってんだい。アンタがそんな他愛もない話題を人に持ちかけることなんか、そうあるもんじゃないよ? こんな貴重な体験、無駄にしたら罰があたるってもんさ」
 そう言って笑いながら、彼女は新しいタバコを二本取り出し、その一本をウォレスの方へ指で弾き飛ばした。
「どうも……」
 ウォレスは風に流されながら飛んでくるタバコを器用に捕まえ、火をつけようと自前のライターを取り出す。しばし強風に苦労していたが、それでもすぐに点火に成功して吸い始めた。
「そうだねぇ。アタシはあまり海と縁が無いからね。こうやって海を見ること自体はそんなに嫌いじゃないよ」
 そこまで言ってから、手元に残ったもう一本のタバコに火を点ける。
「けどいくら好きだからって、ずっと同じ景色ばかり見続けてれば、そりゃ飽きちまうよ」
 タバコを吹かしながら、彼女は肩をすくめた。
「さ、次はアンタの番。海は好きなのかい?」
 ニヤニヤとした笑みを浮かべ、フィーアは手にしたタバコでウォレスを指し示す。
「私は……」
 答えを言わぬまま、ウォレスは腰をあげてフィーアの横に立った。そしてさっきと同じような視線で真っ青な大海原を眺め渡す。
「あまり……好きではありません……」
 そして、静かにそう答えた。
「そうかい……」
 最初は根掘り葉掘りウォレスから聞きだしてやろうかと考えていたフィーアだったが、その答えを聞いてただそう返すだけにとどめておく。冗談で話題にすることではないと感じたし、言いたければ自分から言うだろうと思ったからだ。
「…………」
 そして、双方にしばしの沈黙が流れ始める。知らず知らずの内に、互いに相手の様子を窺っていた。
 そして、フィーアの方から先にその空気を打ち破る。
「で? 何かもっと話があるんじゃないのかい? 本題は?」
 フィーアの真意を測るように彼女を見つめていたウォレスだったが、やがてゆっくりと口を開いた。
「今回の話、どう思いますか?」
「どうって……まぁ癪ではあるけどさ。原因は全部アタシにあるんだから、しょうがないと思ってるよ。巻き込んじまったアンタ達には、悪いことしたね……」
 フィーアは苦笑しながらも、すまなそうに言う。
「いえ、そんなことは……」
 フィーアの言葉に、ウォレスは否定の言葉を口にする。口調のせいで分かりにくいが、これが彼の、ひいては元第二大隊隊員全員の本心であり、彼女を励ますための嘘などではない。
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか」
 フィーアの顔がほころぶ。間違っても赤の他人の前では見せない表情だった。
「ま、一番気がかりなのは、新人の腕前がこれっぽっちも分からないってことだね」
「資料は……?」
「まだ。ロブ基地で受け取ることになってるわ」
「どうしようもありませんね……」
「そういうこと。心配するだけムダってね」
 そう言って声を上げて笑うフィーア。この豪快かつ大胆な性格も、彼女が人を惹きつける魅力の一つと言っていいだろう。
 しかし、それはそれとして――
「でもそうなると、やっぱり海を眺めてるしかないんだよね……」
 重い溜め息をつき、視線を海上へと移す。
「せめて夕日が沈むとこだったり満天の星空だったりすれば、まだ楽しめるってもんだけど……」
 しかし今のところ太陽に沈む気は無いようで、憎たらしいくらいに頭の上で輝き続けている。
「アンタ、そんなにきっちり着込んで暑くないのかい?」
 ふと気付いたように、フィーアがウォレスの服を指差す。共和国軍の軍服を首元までしっかり着込んでいるのだが、額には汗一つ浮かんでいない。
「いつもと違う格好してると、落ち着かないんで……」
 そう答え、ウォレスは襟元に手をやる。思えばフィーアは、彼の軍服以外の服装を見たことがない。
「おもしろいヤツだね……」
 失笑するフィーアに、寡黙な青年はバツが悪そうに頭をかきながら、虚空にむかって紫煙を吐き出した。
 フィーアは重ねて笑いながら、カップに残ったコーヒーを一気にあおる。
「じゃあ私は……」
 ウォレスはそう言うとフィーアから空のカップを受け取り、デッキを後にしようと歩きだす。
「中に引っ込んでどうするんだい? する事もなかろうに……」
「本でも読んでいます……」
 質問に一言そう答え、彼は船内へと消えた。ヒラヒラと手を振ってウォレスを見送った彼女は、タバコを点けなおし、再び海へと目をむける。
 頭の中は、既に今回の自分に降りかかった困難のことへと切り替わっていた。
「アタシを厄介払いで始末しよう、なんて考えられてたら、どうしようもないけどね……」
 彼女一人ならそれでもかまわない――とまでは言わないが――が、部下が巻き添えというのなら話は別だ。自分のために、自分を信頼している者達を死なせるわけにはいかない。
 手すりに頬杖をつきながら、彼女の悩みは尽きる気配が無い。
 考える時間は山ほどあるが、行動派のフィーアにはあまりありがたくない話だった。
 エウロペを目指すこの輸送船。まだまだ先は、長いようである……。

[180] Rookie & Marcenary 第三話 「Fast Sister ――放蕩姉上――」 踏み出す右足 - 2007/10/19(金) 18:18 -

 珍しいわね、あなたが私に会いたいなんて……
 まさか、私を家に連れ戻そうなんて言うんじゃないでしょうね? 言っておくけど、私は絶対帰らないわよ?
 まぁいいわ。私に会いたいのなら、歓楽街の“HAUNT”ってバーに来なさい。マスターに言付けておくから
 もっとも、それで会えるかどうかは、あなたの運次第だけどね……


第三話「Fast Sister ――放蕩姉上――」


「ふん、予想以上の歓迎だったね……」
 ロブ基地の廊下を歩きながら、フィーアは悪態をついていた。文句たらたらの彼女の姿に、すれ違う兵士達は例外無く、驚きと興味の入り混じった視線を向けていく。彼女の容姿と型破りな姿を見れば、それも無理からぬところと言えるだろうが。
 彼女の背後に従っているウォレスからも、どことなく怒りの雰囲気を感じることができる。
 夕方になってようやくエウロペの土を踏んだフィーア達二人は、その足でエウロペ派遣軍の司令部へと到着の挨拶に向かった。そしてそこで彼女らを待っていたのが、皮肉と侮蔑のこもった、上官からの有り難い労いと歓迎の言葉だったのである。
「遠路はるばる、こんな所まで来たヤツにあれだけ言えるなんざ、まったくたいしたもんだよ」
 しかし文句は言っているものの、フィーアの様子からはこの状況を楽しんでいる雰囲気が感じられる。彼女の顔に浮かぶ不適な笑みが、それを証明していると言えるだろう。
 もちろん、少なからず頭にきているのは言うまでもない。
「“雑用部隊”……ですか?」
 後ろのウォレスからそんな言葉が出る。先ほど彼女らに向けて放たれた言葉の一つだ。彼の方も、内心穏やかならざるといった状況のようで、言葉の端々に感情のこもった響きが現れる。
「おもしろいじゃないか。これだけ期待されてなけりゃ、いっそ好きなようにできるってもんさ」
 そんな風に言いながら、彼女は手に持った紙の束を背中越しに放り投げる。
「先に目を通しといてちょうだい」
 バサバサと音をたてて飛んでくるそれを、待っていたかのようにウォレスが受け取る。
 先刻――歓迎の言葉と一緒に――受け取った、中隊へ配属される者の資料だった。
「少佐は……?」
 大まかにページをめくりながら質問するウォレス。
「野暮用で、今から出かけてくるわ。先に休んでていいよ」
「分かりました」
 二人は臨時にあてがわれた部屋で別れ、その後フィーアは夜の街へと繰り出した。



 ロブ基地近くの歓楽街。もともと港に近いこともあって比較的賑やかな場所だったが、六月の共和国軍エウロペ派遣、そしてロブ基地の完成に伴い、さらに規模が拡大しつつある地区である。
 主に共和国軍の兵士を対象にした娯楽の街で、端は喫茶店から端は風俗店まで、地区によって様々な表情を持つ街だ。
 フィーアが今歩いている地区は、まさに夜の街と呼ぶべき場所だった。街路の両側では煌びやかなネオンに照らされ、一目でそれと分かる格好の女性が、行き過ぎる男性達を甘い声で誘惑している。
 そんな艶やかな彼女達とは決定的に違う雰囲気を放ちながら、フィーアは目的の場所へ向かって歩いていた。
 時折、酔いで鈍感になった男達がフィーアの美貌に惹かれて声をかけようと近寄ってくるが、ギリギリで街の女との違いを感じ取って“難を逃れて”いく。
「男ってのはホントに……」
 こちらをチラチラと窺いながら離れていく男達にため息をつきながら、彼女は人気の無い暗がりの路地へと入った。
 今まで歩いてきた道も、並ぶ店の都合上そう広くなかったが、この路地はさらに狭い。人がすれ違おうとすれば、まず確実に肩がぶつかってしまうだろう。
「ここだね……」
 やがて足を止めるフィーア。視線の先には、地上から一段低い所に設けられたバーの扉があった。ゆっくりと、彼女はそこへ続く階段を下りていく。
 扉に取り付けられた金属のプレートには、店名であろう、“HAUNT”という文字が彫刻されていた。HAUNT、“たまり場”という意味の言葉だ。
「行こうか……」
 誰にともなく呟き、彼女は取っ手へと手をかける。
 古風な扉は、耳障りな音を立てながらもスムーズに開いた。
 ゆっくりと店内に足を踏み入れるフィーア。その瞬間、先客達が色めき立った。
 そして、その雰囲気は時間が経つにつれて、また違うものへ、例えるならば敵意にも似たものへと変わっていく。
 皆、服装こそ街の民間人と同じだが、こちらの様子を窺うその目は、明らかに素人のそれではない。
(ふぅん……)
 どうやら彼らの視線は、フィーアの服装へと注がれているようだ。
 この街の店というのに兵士の客が一人もいないことを考えると、どうやらこの店はあまり軍属の客を歓迎しないらしい。
 しかし最初にフィーアに向けられた雰囲気は、明らかに今のものとは違った。今の雰囲気を敵意というなら、先程のものは畏敬という表現が相応しいだろう。
(なんだろうね……)
 とりあえず立ちっぱなしで考えていても仕方ない。フィーアはカウンター席の一番端に腰を落ち着けた。デルポイの店でも、この位置がフィーアの指定席だった。
 依然背後からは居心地の悪い視線を感じるが、それを黙殺して店内を見まわす。
「へぇ……」
 思わず感嘆の声が漏れた。客は無愛想だが、地下にしては広い店内といい、落ち着いた雰囲気を演出するインテリアの数々といい、ここに来るまでに見かけた騒がしいだけの粗雑な店とは一線を画す非常にいい店だ。フィーア自身の好みにもピッタリである。
(行きつけの店にするのもいいね。ちょっと遠いけど……)
 そんなことを考えていると……
「ん……?」
 不意に、彼女の前に茶色い液体で満たされたグラスが置かれた。
「まだ何も頼んでないよ?」
 グラスを置いた店のマスターに、お決まりのセリフで問いかける。するとマスターは、
「ウチの常連からだ。もし自分のいない時に、共和国軍の格好した赤い髪のデカい女が来たら、ここで一番高い酒と一緒にこれを渡してくれ、と頼まれた」
 そう言って一枚のメモをフィーアに差し出す。単なる紙の切れ端に、「気長に待っていなさい」と書かれた簡単な物だ。
「なるほど。どうやらアタシの事に間違いないみたいだね。ん……?」
 差し出されたメモに目を落としていると、紙の裏にも何か書かれているらしいことに気づく。
「何だい……?」
 出されたグラスに口をつけながら何気なく紙を裏返すと、そこには走り書きでこう書かれていた。
「そのお酒の料金は、あなた持ちね(はーと)」
 一瞬遅れて、薄暗い店内に間抜けな音が響く。
「ゲホッゲホッ! ふざけやがって……」
 マスターが差し出したお絞りで口元を拭いながら、しきりに毒づくフィーア。
 しかし結局のところ、彼女に待つ以外の方法は与えられていない。
 幸いにも、この店なら時間をあまり気にせず待つことができるだろう。背後からの気配も、マスターとの会話のおかげかいくぶん穏やかになった。
 フィーアはお気に入りの銘柄をボトルで注文すると、タバコを取り出し、長期戦の態勢に入る。
 ボトルと一緒に置かれる灰皿。さっきのお絞りといい、無愛想なマスターだが気は利くようだ。
(“向こう”でも“こっち”でも。マスターってのは、無愛想でないと務まらないのかしらね……)
 そんなことを思いながら、フィーアはゆっくりと、茶色い液体で満たされたグラスを傾けた。


 数時間後。既に日付が変わっている。
 ボトルの中身は既に三分のニ程度となり、灰皿ではタバコの成れの果てが山を形成していた。
 あれから誰と話すでもなく、一人で時間を消化していたフィーアだったが、さすがに我慢の限界も近い。
 今日――既に昨日になっているが――エウロペに着いたばかりなので、まだまだ仕事は山積している。あまりここで時間を費やすのも得策ではないだろう。
(そんな簡単に会えるとも思ってなかったけどさ……)
 新しいタバコに火をつけ、これを吸い終わったら帰ろうなどと考えながらグラスに口をつける。
 マスターが無言で、許容量を越えそうな灰皿を新しいものへと交換した。
 フィーアがグラスを掲げ、マスターの行為に感謝の意を表そうとした、ちょうどその時。
「ん……?」
 けたたましい音と共に、店の扉が乱暴に蹴り開けられた。
「リヴェリス、いるんだろうが! 出てきやがれこの女狐!」
 そこから姿を見せた男は、開口一番そう怒鳴り散らす。
 マスターや他の客達はそちらの様子を一目窺っただけで、興味が失せたかのように視線を戻してしまった。或いはいつものことなのかもしれない。
 デルポイの店ではこんなこと珍しくもなかったので、フィーアはそちらを見向きすらしない。静寂の空間を破壊されたことに怒りを感じないでもないが、厄介事に自分から口を出して巻き込まれるなど、はっきり言って馬鹿げている。
「いねぇのか、クソッ! 人のこと散々馬鹿にしやがって、って……」
 男の声が次第に小さくなっていく。と同時に、床を激しく踏み鳴らす足音が近づいてきた。
 まさしくそれは、面倒事の方から近づいてくる足音に他ならなかった。
「いるじゃねぇか……そんなナリしてるから分からなかったぜ。髪まで下ろしちまってよぉ……」
 足音がフィーアの背後で消える。
「それで誤魔化したつもりかよ!」
 まるで自分を誇示するかのような安っぽい怒声。
(厄介事の方から近づいてきたか……)
 そんなことを考えながらも、彼女には男の言動から事態の状況がだいたい把握できていた。
「黙ってないで何か言いやがれ!」
 気配で、男が腕を伸ばしてきたのが分かった。
 今まで何度も似たような状況に置かれたフィーアには、既にここからの動きが体に刷り込まれている。
「グアッ……!」
 そんな声を上げて、一瞬後には男がカウンターに押さえつけられる。予定だったのだが……
「人違いで他人に迷惑をかけるのはよくないわね……」
 フィーアが男の腕を掴んだ瞬間、そんな声が店内に響いた。
 その声は静かでありながらも、フィーアの条件反射的な行動すら止めてしまう力を、その奥底に秘めていた。
 中途半端な体勢で動きを止めた二人を含め、店の中の全員の視線が入り口に集中した。
 そこには女が一人。
 ラフな服装と結い上げた黒髪が確認できる。その整った顔立ちは、フィーアと実によく似ていた。体型もそっくりである。
 しかし、その女性を構成する各パーツ一つ一つはより洗練されており、フィーアを上回る美貌を誇っていた。薄暗い店内でも、一際目を引く存在と言える。
「あなたの相手は私だと思うんだけど、違うかしら?」
女はまるで、いたずらの過ぎた子供を嗜めるような口調で男に語りかける。しかしそこにもやはり、得体の知れない迫力が漂っていた。
さっきまで威勢のよかった男も、彼女の放つ気配に気圧されて言葉も出てこない。
フィーアはしばし事態を見守っていたが、やがて思い出したように男の腕を開放した。
男はそれに気づくと、気圧されて黙っていた時間を無かったものにしようと、再びまくし立て始める。
「そ、そうだ、ちょろちょろ逃げ回りやがって! いい加減覚悟しやがれ!」
 女は困ったように首を傾げた。
「逃げていたつもりはないけれど、そうまで言うなら今相手になってあげるわ。外で話しましょう」
 そう言って、女はフィーアの方に視線を移す。
「フィーア。そういうことだから、もうちょっと待っていてくれる?」
 既に事の成り行きに背を向けてグラスを傾けていたフィーアは、振り返らずに肩越しに手を振って見せ、了解の意思を表した。つまりこの女性こそ、フィーアが徒歩で数十分かけてまで会いに来た待ち人その人なのである。
 納得した女は男と連れ立ち、店のドアをくぐって外へ出て行った。再びの静寂。
 事件の結末にだいたいの見当がついたフィーアが、決着にそう時間もかからないだろうと気軽に待っていると、案の定二〜三分で再びドアが開いた。
 パンパンと手をはらいながら入ってきた彼女。他の客も同じ結末を予想していたらしく、特にリアクションも起こさない。
「気の短いあなたが、よくこれだけ待っていたわね」
 女は一直線にフィーアに近づくと、その隣の席に腰を下ろした。今の出来事など、まるで無かったかのようだ。
「そろそろ帰ろうかと思ってたとこさ……」
 毒々しげに言いながら、フィーアはグラスを煽る。
 後姿は、服装や髪型のこともあってまるで違う人間だが、正面から見れば、まるで双子の姉妹が隣り合って座っているのかと思うほどに、二人はよく似ていた。しかし今は、その表情に決定的な違いがある。
 フィーアは嫌悪。リヴェリスと呼ばれた女は愉快。
「それより、リヴェリスって一体誰だい?」
「誰でも、自分の名前を変えたくなる時くらいはあると思わない?」
 静かな笑みでフィーアの皮肉を受け流し、リヴェリスと名乗る女は逆に問い返す。
「ハッ。アタシは今の名前に十分満足してるさ……」
 わずかとはいえ気圧されている自分が情けない。
「ありがと、マスター。いつも気が利くわね」
 そんなフィーアをよそに、無愛想なマスターがリヴェリスの前に酒瓶とグラスを置いた。常連らしく、ボトルをキープしているということだろう。
「それじゃ、話を伺おうかしら?」
 楽しむように目を細め、リヴェリスはそう切り出した。
「単刀直入に言うよ? 腕の立つゾイド乗りの傭兵を知ってるだけ紹介して欲しいの。条件は、まだ軍に所属してないって事と、アタックゾイドより大型のゾイドに乗ってるってこと……」
「難しい注文ね……戦争になると踏んで、かなりの数が共和国と帝国に流れているわ。腕利きな者ほどね」
「だから、姉さんに頼んでるんだよ。姉さんの人脈なら、まだ帝国にも共和国にも所属してない変わり者の一人や二人、じゃ足りないけど……それくらいいるでしょう?」
 そう。リヴェリスはフィーアの姉である。ただし、顔つきが似ていても双子の姉妹ではない。
 彼女はここエウロペでは広く名の知られた傭兵で、その他にも依頼の仲介や情報屋としても活動しているのだ。
「そうね……組織が嫌いで一匹狼を好む者や、戦争を嫌う者。今腕利きを探すのなら、そういう気難しい人間を説得しなきゃならないわね」
「重ねて言うなら、戦いが生き甲斐とか言ってるようなクレイジーもできるだけ遠慮してほしいわ。ウチのヒヨッ子達を鍛え上げてもらいたいもんだからね」
「簡単に言ってくれるわね。それは贅沢じゃないの?」
「もちろんそんなヤツがそこら辺に何人も転がってるとは思ってないよ? だけど、アタシは部下の命を預かってるんだ。簡単に妥協はできないんだよ」
 フィーアはそう言い、決意で固めた視線を姉に向けた。これこそが、自分と折り合いの悪い姉にフィーアが頭を下げてまで頼る理由であった。
 部隊にやって来るのは、養成所を出たばかりで実戦経験など皆無の新人達。自分で自分の身を守れない彼らに相応の対処をするのは、隊の指揮官である自分の仕事という自負が、彼女にはあるのだ。
「ふーん。まぁ、あなたの覚悟はよく分かったわ。でもボランティアしてくれる傭兵に知り合いはいないわよ? 報酬の方はどうなってるのよ。まさかあなたのためだけに、軍がお金出しくれるわけじゃないでしょう?」
「大丈夫よ。いいパトロンがいるから……」
「パトロンって……チョットあなた、サイドビジネスで身体でも売ってるんじゃないでしょうね!?」
「そんなバカな事するもんか。とにかく金はアタシのポケットマネーみたいなもんさ。上もそれならいいとかなんとか。どんな考えなんだか知らないけど……」
 こんな無茶が認められたフィーアの方が驚いたくらいだ。いろいろといざこざもあるはずなのだが。
 特例も特例なだけに、何かしらの力添えがあったことは想像に難くない。
 雑用部隊と蔑まれたかと思えば、こんな風に一部から不思議なほどの期待を寄せられてもいる。
 自分の置かれている微妙な状況に、フィーアも困惑気味だった。
「分かったわ。心当たりも無いわけじゃないから、あたってみる。その分高くつくから覚悟はしておきなさい」
「あぁ、よろしく頼むよ……」
「手数料の半分は先払い、つまり今ね。本当ならここの酒代も請求するところだけど、かわいい妹に免じて、先払い手数料の中に入れておいてあげるわ」
 フィーアはあらかじめ用意していた紙幣の束を、礼服のポケットから放り出す。
 鈍い音と共にカウンターに着地する札束。
 姉の性格はよく分かっている。家族相手の商売など平気でやってのける人間だ。用意しておいて正解だった。
「よく用意していたわね。もし「家族から金取るのか」なんて寝言言ってくるようだったら、その顔引っ叩いて帰るつもりだったのよ?」
 慣れた手つきで紙幣を数えると、それをポケットに仕舞い込む。
「金貨とかだったらもっと有り難かったわ」
「そうしたかったのは山々だけど、生憎用意できなかったんだ。悪かったと思ってるよ」
 国としての基盤が整っている中央大陸とは違い、西方大陸には統一国家が存在しないため、紙幣という通貨は少々都合が悪い。共和国の息がかかったこの街ならば、使用にさしたる不都合はないのだが、歓迎されるのは矢張り金貨など価値のはっきりとした通貨のようだ。
「次からはよろしくお願いするわ。それから言わなくても分かっていると思うけど、私の傭兵としての報酬は、手数料とは別料金よ」
「は……?」
 突然の事にしばらく言葉の意味が理解できなかった。
「姉さんもやる気なの?」
「あら。一人でも多い方がいいでしょう?」
 すました顔でグラスを傾けながら、リヴェリスは優しい姉を気取っている。
(背に腹は変えられないか……)
 苦虫を噛み潰したような顔で思案しながら、結局はこの申し出に頼らざるをえない自分の立場を呪う。
 しかもこの姉、自分が妹に好かれていないことを知った上で提案している。確信犯だ。
「その時は……頼むよ……」
 グラスの残りを一気に煽ると、フィーアはそのまま席を立った。
「そっちの勘定はさっき渡した分の中に入ってるんだろう? アタシの分はここに置いとくよ」
 再び数枚の紙幣を取り出すと、それをグラスのそばに置く。
「アタシは先に帰るよ。これでも忙しい身なんだ」
 しかし、彼女の腕を掴んでリヴェリスがそれを引き止めた。
「ちょっと待ちなさい。せっかくだから一人紹介しておくわ。ヴァージル、話は聞いていたでしょう?」
「あぁ。いつ名乗り出ようかと思ってたところだ」
 後ろのテーブル席で、一人の男が立ち上がった。
「とりあえずゴタゴタを避けて西エウロペにでも渡るつもりだったんだが、アンタらと一緒にいるのも悪くなさそうだ……」
 そう言いながら、男は席の間を縫って二人の近くにやってくる。
「ヴァージルだ。ゾイドはレドラーに乗ってる。料金は格安にしとくぜ?」
「どう? 技術は私が保証するわ。面倒見もいいって評判だから、打って付けだと思うんだけど?」
 フィーアはまじまじと男を観察する。
 エウロペの部族はよく知らないが、少なくとも外見からはデルポイの部族の特徴はうかがえない。そういう意味ではフィーア自身も同じだが……。
 言葉づかいと比べると表情はずいぶん柔らかいので、一見しただけなら性格の問題は無さそうではある。
 さらに、傭兵で飛行ゾイドに乗っている者などそう多くない。今のフィーアにとっては非常に魅力的な人材である。
 しかし、そうは言っても初対面だ。彼のことなど本当に何も知らない。姉の言を鵜呑みにしていいものかどうか。
「…………」
 しばし思案したフィーアだったが、やがて彼に右手を差し出した。
「悪いけど、適当な事やってたら即解雇だよ?」
 ここで考えていても答えは出ない。そう考えた彼女の結論がこれだった。
 ヴァージルは笑みを浮かべてその手を握り返す。
「望むところさ」
 仲介に満足したのか、リヴェリスはうんうんと頷きながらその光景を見ている。
(まずは一人……か……)
 胸の内でカウントを刻み、フィーアは手を離した。まだまだ先は長い。
「契約書は?」
「そんな面倒な物いらないよ。まぁでも、履歴書くらい書いてもらおうか?」
 冗談めかして言うフィーアに、ヴァージルもつられて笑う。
「一週間後の同じ時間、ここにいてちょうだい。姉さんにも言っとくけど、一週間後の同じ時間、見つけた傭兵全員ここに連れてきて。面通しするから」
「一週間って……何人も集められないわよ?」
「もちろんそれで終わりじゃないけど、とりあえず、ね。こっちのメンツが揃うもんだからさ。じゃ、マスター。その日は貸切でよろしく」
「…………」
 無口のまま片手をあげて、了解の意を伝えるマスター。
「ロブ基地じゃなくていいのか?」
「手続きが面倒でね」
 理由に驚き、肩をすくめるヴァージル。
「後はもういいね? じゃあ一週間後に……」
 それだけ言い残し、フィーアは店を出ようとする。
「待って。私ももう帰るわ」
 それを見たリヴェリスも、フィーアに続いて席を立った。
「オレは暇人だから、もう少し飲ませてもらうぜ」
 ヴァージルだけが、そう言って元のテーブルに戻っていく。
 二人は彼に別れを告げ、店を出た。
 店に入った時のあの雰囲気は、いつの間にか完全に消えていた。リヴェリスとの会話で、フィーアへの印象が変わったのだろう。



「あなた、よく私に頭を下げる気になったわね」
「好きでやってるわけじゃないさ」
 店を出てしばらく経つが、フィーアはいまだリヴェリスと二人で歩いていた。
 来た時とは別の道。街を散策するつもりでフィーアが入った、薄暗く広めの裏路地を歩いている。
「どこまでついてくる気?」
「あら、偶然よ」
「はぁ……」
 矢張りこの姉とはあわない。
 いい加減うんざりするくらい再確認した。
 姉の方はと言うと、この状況を楽しんでいる雰囲気がひしひしと伝わってくる。
「はぁ……」
 再びため息。
 昔からこの姉は苦手だった。喧嘩、運動、勉強。何をやっても勝てたためしがない。
 その感情がそのまま成長し、今では苦手どころか嫌いと言える状態だった。
「はぁぁ……」
 ひときわ大きなため息をつく。
「大丈夫? さっきからため息ばかりよ?」
 案の定からんでくる姉。
「誰のせいだと思ってるのさ……」
 そこで、二人の会話が止まった。
「あら……」
 先に状況を確認したのはリヴェリスだった。
「懲りないヤツだね……」
 フィーアの方も眉をしかめる。
 二人の前には、道を塞ぐ形で数人の男が立ちはだかっていた。各々得物を手にしているところを見ると、こちらと仲良くする気はさらさら無いらしい。中の一人は、先程店でフィーアやリヴェリスにからんできた男だった。
「なんで動いてんのよ、アイツ……」
 隣の姉に小声で問いかけるフィーア。姉の事だから、てっきり病院送りくらいにはしたと思っていたのだ。
「動けなくする暇もなくのびちゃったのよ……」
 困り顔でリヴェリスは答えた。
「さっきは世話になったなぁ……」
 男が勝ち誇った声で言った。既に自分達の勝利を確信している。
「あなたも懲りないわね……」
 肩をすくめながら、リヴェリスが一歩前に踏み出した。
「おいおい。人数はよく確認したほうがいいぜ?」
 男の声で、背後からも複数の足音が近づいてくる。
「ったく……姉さんといると厄介事に事欠かないよ……」
 うんざりといった感じでフィーアが吐き捨てた。
「手伝ってもらえるかしら?」
「アタシだけ見逃してくれるとも思えないんだけどね……」
 渋々、フィーアは後ろの連中に向き直る。
「へっ! 勝てると思ってんのかよ! 素っ裸にしてヒィヒィ言わせてやるぜ!」
 男の言葉に、周囲から下品な笑いが湧き起こった。
「最低なヤツラだね。姉さん、付き合う人間は考えた方がいいんじゃない?」
 自分の友人が上司に同じようなことを言われていることなど棚に上げ、フィーアが姉に忠告する。
「よく覚えておくわ……」
 不敵な笑みでバキバキと拳を鳴らすフィーアと、同じく不敵な笑みを浮かべるリヴェリス。
 二人の余裕が気に入らなかったのか、男はついに声を荒げて言った。
「やっちまえ!」
 得物を振りかざして飛びかかってくる男達。
「かかってきな!」
 路地に響くフィーアの怒声。
 背中合わせに身構える姉妹には、わずかな死角も無かった。

[187] Rookie & Marcenary 第四話 「やってきた者達」 踏み出す右足 - 2007/11/25(日) 14:45 -

 やっと到着、随分待たせてくれたじゃない
 久しぶりに“オーガ”振り回して、ちょっと遊ぼうかしら。ウォレスのゴジュラスと模擬戦っていうのも、悪くないわね
 夜には連中と飲みがてら、“HAUNT”で顔合わせして……
 やっと楽しくなるわ……


第四話「やってきた者達」


 その日、ロブ基地に到着したネオタートルシップ。デルポイからの様々な補給物資の中に、あるゾイドの一団があった。
 ゴジュラス二機、ゴドス三機、コマンドウルフ一機の計六機。顔触れはずいぶん豪華だ。
 それらが作業員の誘導により、タートルシップから姿を現す。
この各機。そしてそのコクピットに納まっているのも、二人を除いてこのタートルシップに乗ってエウロペにやってきた者達だった。
『気を付けろスタンレー。隊長の“オーガ”は特に気が荒いからな』
『おいおい、オレがどれくらい隊長のゴジュラス動かしてると思ってるんだ? 今さら言われるまでもねぇ』
 ゴドスとゴジュラスのパイロットの会話である。
 スタンレーと呼ばれたパイロットが操縦桿を握るゴジュラスの左面には、もはや知る者もないであろうデザイン。青ざめた般若、つまり鬼の面が描かれていた。“悪鬼”である。
『そんなことより、なんかゾイドが変じゃないか?』
『そうか? オレは何も感じないが……』
 今度はコマンドウルフのパイロットと、さっきとは別のゴドスパイロットである。
彼らの搭乗機には、これと言った特徴は無い。
『ウォレス、オマエもそうか?』
 自分の機体から違和感を感じ取ることが出来なかったゴドスのパイロットは、もう一機いるゴジュラスのパイロットにそう問い質していた。
「えぇ、私のゴジュラスも……」
 明確な返事ではなかったが、それは肯定以外の何物でもなかった。
『ハハッ! オマエだけだアルファン! ゾイド乗りなら、“ゾイドの気持ち”ってヤツが分かるようにならねぇとな?』
『グゥ……』
 “ぐぅの音も出ない”、ということは無かったようだが、アルファンという名のゴドスパイロットはそれきり黙り込んでしまう。
『安心してください。オレにも分かりません。って、オレじゃ慰めになりませんね』
 最後にもう一人。三人目のゴドスのパイロットがそう慰めたが、本人の言葉通り、整備士である彼がパイロットであるアルファンにかけたとしても、何の意味も持たない言葉だった。
『……ありがとよ』
 案の定。アルファンは苦々し気にそう言って、今度こそ言葉を無くす。
 彼ら六人。“ゾイドの気持ち”はともかく、皆ゾイドを操縦していながらも、通信で雑談を交わすくらいの余裕はあった。
 少なくとも、“ゾイドの操縦はこれが初めて”ということは有り得ない。
「…………」
 そんな会話に耳を傾けながら、ゴジュラスを操るパイロット――ウォレスは微笑を浮かべていた。
 ゴジュラスの歩に合わせて揺れる、顔にかかった長い黒髪。そして、その隙間から時おり覗く青い瞳。
 新設されたヘリック共和国軍第2087独立特殊教練中隊の副官にして、その隊長フィーア=ファーガスト少佐の右腕。ウォレス=アニストン中尉。
 特に急用も無かった彼は、到着した自分達の機体の搬入を買って出たのである。これから自分が世話になるゾイドなのだから、そう思うのも至極当然と言えるだろう。
 しかし、一方のフィーアはといえば、どうしても済ませたい仕事があるからと搬入の監督をウォレスに頼み、部屋にこもってしまっていた。
(いつもの事だが……)
 ウォレスは重ねて失笑しながら、自分が操縦するゴジュラスの先を歩く、五機のゾイドに目をやった。ほとんど足元を歩いているような状態なので、ゴドスもコマンドも、シートから腰を離すくらい身を乗り出さなければ、そのコクピットのキャノピーすら視界に捉えられない。
 見下ろしたどの機体も、淀みの無い歩調で歩き続けていた。そのコクピットに座っているのは、あの整備士を除き、全員、彼の部下だ。
 しかし、ウォレスが彼らと、“上官と部下”という関係で接するのは、“戦場”という枠の中だけ。日常の平穏――と言っても、開戦寸前の軍の兵士が、どれだけ日常の平穏を謳歌出来るのかは分からないが――では、先程の会話のように敬語を使うのが常となっていた。
 理由は一つ。彼らが“先輩”だからである。
 まず、人生の先輩。
 彼らはウォレスより、十年近く余計に人生を歩んできている。ウォレスの思考では、年功序列とか言う以前に、それは尊敬に値する事柄だった。
 そしてもう一つ。彼らは軍の先輩でもある。
 単純に、“ウォレスより長く軍にいる”というだけではない。彼らは士官学校を卒業したばかりのウォレスを、下士官という立場から存分に教育してくれた者達なのである。
 散々罵倒され、罵られたが、彼らのおかげで今の自分があることを、ウォレスはよく理解していた。それ故に、彼らには年上という以上の尊敬の念を抱いているのである。
 無論今でも、教わることは多々ある。彼らが共に特殊教練中隊に配属されたのは、ウォレスにとって非常にありがたいことだった。
『ウォレス、どうした? 無線切っちまったのか?』
「あ、いえ……少し考え事を……」
 どうやら過去を思い返すあまり、通信を聞き逃してしまっていたようだ。
『昼間から夢見てるなよ?』
 スタンレーのそんな台詞に、他の四機からもささやかな笑いが起こった。
 やがて彼らと彼らの機体は、タートルシップの降り立った発着場から最も近い格納庫へと姿を消した。



「世話になったな、ゴドス……」
「気にしないで下さい。それじゃ」
 パイロットの数からあぶれたゴドスを搬入してくれた整備士が、屈託の無い笑いをその顔に浮かべながら離れていくのを見送ると、スタンレー=マースルは自分がつい先程まで操縦していたゴジュラスを見上げた。
(オレには無理、か……)
 この隊長のゴジュラス、“オーガ”に乗る度にそう思う。
 この巨体を動かすための操縦桿は、ゴドスの操縦に慣れきった自分にとってはあまりに重い。なまじ動かすチャンスがあるだけに、外から見ているだけでは分からないそんな些細なことも分かってしまうのだ。
 こんなゾイドを派手に振り回すあの女隊長の細腕は、いったいどんな構造になっているのか。機会さえあれば一度調べてみたいものだ。
「どうしたスタンレー。そろそろ隊長が来るぞ?」
 ボーッとゴジュラスを見上げていたスタンレーだったが、その一声で意識を呼び戻される。
「ライナスか。別にどうもしてないぜ?」
 彼が声の方を振り向くと、歩み寄る同僚の姿が目に入った。
 ライナス=クレッツェン。スタンレーと同じく、ゴドスのパイロットである。
「どうもしてない? 嘘つけ。隊長のゴジュラス見て落ち込んでたんだろ?」
 ライナスと呼ばれた男は、やれやれといった様子で肩をすくめながら言い放った。
「う、うるせぇ!」
 見事に図星を突かれたスタンレーは怒鳴りながら顔を背ける。
「気にするなよ。オレ達みたいにゴドスのパイロットやってれば、誰でも少なからず感じてる……」
 そう言ってスタンレーの隣に立つと、ライナスもゴジュラスの巨体を見上げた。
 質実剛健を地でいく銀色のボディは、見る者に安心感と信頼感を抱かせる。この武骨さも、ゴジュラスをゴジュラスたらしめる要因の一つなのであろう。
「もともと、サイズが違うだけで同じようなゾイドだ。それなのに、かたや一万機以上配備されている量産機。かたや扱うパイロットすら選ぶ共和国軍のエース。同じ流れを組むゾイドだからこそ、ゴジュラスに乗るってことは、オレ達ゴドス乗りにとってある種のステータスにも繋がる。そりゃ憧れるのも無理ないわな」
 どうもライナスは、スタンレーが落ち込んでいることは分かっても、その理由まで正確に見抜くことはできなかったようだ。
 得意気ながらも微妙に見当違いの説明をするライナスをよそに、スタンレーはゴジュラスの足元を離れる。
「分かった風に言ってるなよ……」
「分かるさ。オレだってゴドスのパイロットだ」
 去り際のスタンレーの言葉に、恥の上塗りのような一言を返すと、ライナスも彼の後ろに着いて歩き始めた。
(見当違いもいいトコだ……)
 ライナスの気配を感じながら、スタンレーは胸中で嘆息する。
 スタンレーの場合、特にゴジュラスに乗りたいという願望があるわけではない。勿論、チャンスがあればそれを断るつもりなど毛頭無いが。
 彼が落ち込んでいたのは、むしろ自分の能力についいてである。つまり憧れの対象はゴジュラスではなく、そのゴジュラスを操る女隊長の方だ。
 ゴジュラスに乗りたいという願望を、強く抱くつもりは無い。それは技術さえあれば、後からいくらでも着いてくるのだから。
(“女だてらに”、って言葉はあまり使いたくないが、まったくその通りなんだよな……)
 女性に偏見を持っているわけではないスタンレーにしても、コンプレックスを抱くのは無理からぬところかもしれない。
「スタンレー! ライナス! 何してるんだ? 隊長が来たぞ!」
 お呼びの声に、二人は顔を見合わせる。
「おっと……」
「あの人は待たせるとマズいからな……」
 気がつくと二人はどちらからともなく、格納庫の硬い床を蹴っていた。
(あの重さを扱える日が、いつかオレにもくるのか……?)
 スタンレーの自問は、答えを得る事無く、胸の底に沈んでいった。


 走るスタンレーがまず視界に捉えたのは、よく見知った女隊長の不機嫌そうな表情だった。スタンレーの経験からすれば、あれは少々警戒が必要なレベルだ。第一声から覚悟はしておいた方がいいだろう。
「遅い!」
 くわえているタバコを吐き捨てんばかりの剣幕で、女隊長――フィーアが怒声を発する。
覚悟は正解だった。
「遅い」
「遅い」
 既に列を作っている二人の言葉にも迎えられ、スタンレー達は気まずそうに列へと加わる。
「遅刻は厳禁だよ。次から罰金取るからね」
「申し訳ありません!」
 フィーアの呆れ返ったかのような口調と刺すような視線に、直立不動で謝罪する二人。
「まったく、時間は一秒でも貴重だってのに。気をつけてちょうだい」
「はい!」
 ため息と一緒にタバコの煙を吐き出すフィーアに、スタンレーとライナスは無意識に模範的な返事を返していた。
(そういえば、こんな噂があったな……)
 フィーアの剣幕に、スタンレーは以前部隊でまことしやかに囁かれた一つの噂を思い出した。
 “集合に十分遅れたヤツが、隊長にタコ殴りにあった”
 こんな噂だ。待たされることを嫌う隊長を揶揄したものなのだろう、と気楽に考えていたのだが、生憎のところこの真相を知る者に、ライナスは出会ったことはなかった。
「ンッン……」
 少々和やかになりつつあった雰囲気を、一人のわざとらしい咳払いが遮る。彼は先程、コマンドウルフを操縦していたパイロットである。
 それを聞いた残りの三人も、慌てて各々の姿勢を正した。
「ショーン=ウェリング他三名。本日付で第2087独立特殊教練中隊に配属されました。只今より、フィーア=ファーガスト少佐の指揮下に入ります」
「はいよ。遠路はるばる、ご苦労だったね」
 フィーアも敬礼は形ばかりだが、心のこもった労いの言葉をかけた。
「夜中にちょっと付き合ってもらうから、それまで部屋で休んでちょうだい」
 そう言ってから、思い出したように一言付け加える。
「たいした部屋じゃないけどね」
 その一言に、四人の表情が再び和らいだ。
「さてと、挨拶はこの辺にして……あ、ショーンはちょっと待っててちょうだい……」
「は? はぁ……」
 突然のことに、自分の名前が出たショーンは元より、残りの三人までもが少々戸惑っている様子だった。
(なんだってんだ?)
 スタンレーは自分の隣に立つライナスの様子を窺う。ピッタリと目が合った。ライナスもこれから何が起こるのか、やはり不安らしい。
 彼の戸惑った表情に、スタンレーは鏡を覗き込んだような印象を受けた。自分も同じような顔をしていることは、想像に難くなかった。
「さてと。スタンレー、ライナス、アルファン」
 部下の不安などこれっぽっちも気にしていないフィーアは、順番に三人の名前を呼ぶと、まるで区切りをつけるかのように近場の灰皿へタバコを放り込み、懐から取り出した新しい一本に火を点けた。
「アンタ達に朗報。上の計らいで、ゴドスの重装甲タイプの装備を、一機分まわしてもらえることになったよ」
「えぇっ!」
「ホントですか!?」
 途端に三人が色めき立つ。ショーンも関係は無いのだが、事の成り行きに、口笛を吹いて驚いて見せた。
「そ、こ、で、だ!」
 フィーアは極端な口調で、興奮する彼らから注目を勝ち取ると、懐から三枚のカードを取り出した。
「トランプ?」
 スタンレーの言うとおり、彼女が取り出したのはトランプだった。
 地球人との交流において、惑星Ziの人間が得たものは、何も戦争のための技術や科学力だけではない。衣料、食事、娯楽、etcetc……
 グローバリーV世号の地球人がもたらした様々な文化は、七十年という時間の中で確実に浸透し、今ではごく一般的なものとなっている。
「そうさ。えぇ、これに取り出しましたる三枚のカード」
 突然、気取って口上を並べ始めたフィーア。呆気に取られる四人。否、ウォレスも含めて五人。その五人を尻目に、フィーアの舌は止まらない。
「エースが二枚とジョーカーが一枚だ。これを切りまして……」
 そう言って、手際よくカードをシャッフルしていく。
「さぁ、アンタ達も切りな」
 わけも分からないまま、スタンレー、ライナス、アルファンも順番にカードを手渡され、それを覚束ない手つきで切っていった。
(なんだかな……)
 ゴドスの話と、三枚のトランプ。スタンレーの頭の中では、その二つを結びつけることはできなかった。
 一巡りしてカードがフィーアの手に戻ると、彼女はそれを切りながら、ようやく自分の考えを話し始める。
「本当なら三人でトライアルでもやって、その結果で誰が扱うか決めるところだけど、それも面倒だろう? ただでさえ時間が惜しいんだから。そこで、こいつで誰が装備を使うか決める。洒落てるだろう? ジョーカーを引いたヤツが権利獲得、ってわけさ」
 しばし、フィーアの言葉を噛み締めるかのように沈黙していた三人、そしてウォレスとショーンだったのだが、それが理解されてくるにつれ、皆の顔にはまるで感心したかのような、それでいて呆れたかのような複雑な表情が浮かんできた。
「さすが、隊長は考えることが違う」
「おもしろい……」
 当事者の三人は言うに及ばず、周囲の二人までも乗せられたように楽しんでいる。
 三人にしてみれば、三分の一という高確率で自分に権利が回ってくるのだ。これが願ってもないチャンスなのは言うまでもない。
(随分あっけなく決まるな……)
 かなり重要な事柄のはずなのだが、ここまでお手軽にされては、正直実感というものが湧いてこなかった。
 それでもスタンレーは、もしここでジョーカーを引けば、なにか一歩、この女隊長に近づけるような気がして、気付いたら柄にも無く、胸の内で神頼みの言葉まで呟いていた。
(チャンスを……)
 しかし、この事態を巻き起こした当人は、予想もしない行動で彼らの浮かれた雰囲気に水を差してみせた。
「でもねぇ……」
 そんなことを言うと、突然、ジョーカーだけを残し、残りの二枚を真ん中から破り捨ててしまった。
「な、何をするんですか!?」
 彼女の意味不明の行動に、五人全員がまるで凍りついたかのようにその動きを止めた。
「もう決めちゃったんだよ」
 呟きながら吐き出した煙が、彼女の表情を一瞬覆い隠す。
 そして次の瞬間、薄れいく煙の向こうから再び現れたフィーアの顔には、ニヤニヤと楽しそうな笑みが浮かんでいた。明らかに、彼ら五人の反応を楽しんでいる。
「この一枚は、アンタの物さ」
 そう言ってフィーアは、手にした残りの一枚を指で弾き飛ばした。



「オマエのせいだ。ったく……」
「しょうがないだろ? 知ってりゃオレだって……」
 ショーンと並んで歩きながら、ウォレスは前を歩く二人の争いを窺っていた。彼らとの間にはフィーアとアルファンがおり、姿はチラチラと見える程度だが、言い争う声ははっきりと聞こえてくる。
「見ていて飽きないねぇ、あの二人は……」
「アハハ……ハハ……」
 目の前で、フィーアがのんびりとした声を上げた。しかしそれとは裏腹に、アルファンが返した笑みは引きつっている。
(無理もないか……)
 何しろ、二人の言い争いの原因は、少なからずアルファンにあるのだ。気が気でないのも仕方ないだろう。
 彼のかすれた笑い声は、風に乗り、前を歩く二人の耳へと到達した。
「アルファン……」
「随分と、嬉しそうだなぁ……」
 恨めしげに振り返ったスタンレーとライナスが、揃ってゆっくりとした動作で、アルファンの顔を覗き込む。虚ろな視線、張り付いたような笑み。
「な、なんだよ……」
 たじろぐアルファンの目の前で、それらがまたゆっくりと、それこそ満面の笑みへと変化していく。そして――
「テッメェ! 自分だけいい思いしやがって!」
「いい気になってんなよ!」
 スタンレーがアルファンの頭を腕で抱え込むように締め上げ、ライナスが無防備になったそのわき腹に拳を叩き込み始めた。
「わぁ! 勘弁してくれって!」
 スタンレーの腕をタップしながら音を上げるアルファンだが、その言葉には嬉しさがチラチラと見え隠れしているのを、ウォレスの耳は聞き取っていた。
「止めて欲しけりゃ、オレにゴドスの装備を譲れ!」
 その感情を敏感に察知したらしく、スタンレーがそう言ってさらにきつく締め上げる。
「グェェ!」
 悲鳴を上げ悶絶するアルファンが、次第に動きを緩慢にしていく。
 或いは、かなりきわどく極まっているのかもしれない。
「いつまでやってんだい。置いてくよ?」
 そろそろ危なくなってきた所で、三人を追い越して進んでいたフィーアが鶴の一声を発した。初めはおもしろがっていた彼女も、いい加減飽きてしまったらしい。
「あ、待ってくださいよ……」
 スタンレーもライナスも、右も左も分からない基地で置き去りにされるわけにはいかず、すぐさまアルファンを解放し、何事も無かったかのように歩き始めた。
「はぁ……はぁ……ヒデェ……」
 ウォレスはアルファンに歩み寄り、荒い息をつくその顔を覗き込んだ。
「だ、大丈夫ですか?」
「あぁ……」
 アルファンは心配するウォレスの肩を借り、折っていた腰を元に戻すと、ようやくしっかりと立ち上がる。そして呼吸を落ち着けると、既に十数歩ほど先を歩いているスタンレーとライナス目掛け、猛然と疾走していった。
「まったく、元気な奴等だ」
 その様子をウォレスの背後から眺めていたショーンが、ウォレスに近づきながらそう呟く。独り言のようだったが、ウォレスはあえてそれに応じた。
「いいんじゃないでしょうか。もうすぐ、ああいうこともできなくなるかも……」
 自分達がこのエウロペにやって来たのは、無論、観光のためではない。軍人の仕事――戦争をするためだ。
 一触即発の様相を呈しているレッドラストでは、既に小競り合いも始まっていると聞く。
 開戦し、二大国の間での戦争が再燃すれば、もう笑っていられる状況ではなくなってしまう。だからこそウォレスには、今のこの時間がとても貴重に思えた。
「そうだな。寂しい限りだが、オマエの言う通りだ……」
 ショーンが呟く。その顔は、なんとも言えない悲しげな表情で覆われている。
「もうすぐ、始まるんですね……」
 ウォレスの呻きと共に、距離が開いてしまった四人を追いかけ、二人は再び歩き出した。



「ここが寝ぐらですか?」
「そ。明後日までのね……」
 スタンレーの質問を、案内人のフィーアが肯定する。
 六人がやって来たのは、小さめの兵舎だった。場所はといえば、彼らの機体が搬入された格納庫から、かなり離れた基地の外れである。
(いや、しかし……)
 スタンレーは、今自分達が歩いてきた方角を振り返る。全体的に新しい基地の風景には、目の前の建物と同様の影が、いくつか確認できた。
「嫌がらせですか? 兵舎ならもっと近くにもあったじゃないですか……」
 終始二人に愚痴られ続けていたアルファンが、疲れきった声で文句を言う。それは、今まさにスタンレーが考えていたのと、全く同じ疑問だった。
 今日この基地に来た他の二人も、疑問の表情を浮かべ、返事を待っている。同じ疑問を抱いているのは明らかだった。
「ちょうど空き部屋があったんだってさ。ま、ホントかどうかは分からないけどね」
 フィーアは皮肉気にそう言うと、口調同様、“もううんざり”といった様子でタバコを地面に落とし、ブーツの裏でもみ消す。
 内心では、スタンレーも寂しい限りだった。集団が大きかろうと小さかろうと、その中の異端というのは風当たりが強いものらしい。
 彼自身にも、ちょっとした覚えがあった。
「まぁ軍人なら、寝る場所に文句は言えないよな?」
 そんなライナスの前向きな言葉で、スタンレーは暗い回想から抜け出す。気付くと、一同は苦笑しながら頷いていた。
 スタンレーを含め、彼らにしてみれば、これからどんな状況で夜を明かすことになるか分からない。ベッドで寝られるだけ、まだましというものだ。
「そのセリフ、忘れないようにね」
 意地の悪い笑みを浮かべながらそう忠告したフィーアが、先に立って兵舎に入っていった。
「……オレ、まずいこと言った?」
 フィーアの姿が兵舎に消えてから、ライナスが残った五人を振り返る。
 少々情けない表情を浮かべるライナスに近づいたスタンレーは、
「ま、もう隊長の前で文句は言えないだろうな……」
 そう言って肩を軽く叩き、フィーアを追って兵舎へと足を踏み入れた。


 六人分の足音が、真新しい廊下に響く。
(当たり前だけど、新しいな……)
 共和国軍がエウロペに進出してから建設された兵舎なのだから、新築なのは当然である。
 スタンレーは新築建造物特有のきつい臭いに顔をしかめながら、フィーアに着いて黙々と進んでいた。
 彼女は気でも遣っているのか、この兵舎に入ってからタバコに手をつけていない。そのため、少々イラついているのが、その後姿から感じ取れた。
(筋金入りのヘビースモーカー。なかなか肩身も狭いんだろうな……)
 スタンレーがそんな他愛のないことを考えている内に、やがてフィーアは、一つのドアの前で立ち止まった。
「ここと、その隣の部屋よ。部屋割りは好きにしてね」
 そう言って、フィーアは二つの扉を指差す。
「夜にウォレスが呼びに来るから、それまでにメシは食っときな」
 そんなフィーアの言葉に、スタンレーは疑問符を浮かべた。
(呼びに来る?)
 思い返してみれば、格納庫でも同じようなことを言っていた。
(夜中にちょっと付き合ってもらうとかなんとか……)
 その時になれば解消される疑問だが、ここは尋ねておくことにした。解決するまで待っていられるのなら、この世から疑問など無くなってしまう。
「いったい何するんです?」
 スタンレーが問いかけると、皆も視線をフィーアに向ける。ただ一人、既に説明を受けているであろうウォレスだけは、その表情を変えることはなかった。
「アンタ達の新しい仲間を、紹介してあげるのさ」
 フィーアはしかし、たったそれだけの説明で済ませてしまう。
 説明が短いのは、早くここを出て、一服したいからかもしれない。意味深なウィンクが一緒だったのは、それを誤魔化すためであろうか。
「じゃ、また後でね」
 フィーアは質問を重ねる暇を与えず、羽織った礼服をはためかせてその身を翻すと、後ろ手に手を振りながら、今来た廊下を歩いていってしまった。ウォレスもそれに続き、兵舎の廊下にはスタンレーら四人だけが取り残される。
「疲れた疲れた。別に何もしてないのに疲れちまうんだよな、長距離の移動ってのは……」
 ライナスのわざとらしい大声で、スタンレーは知らず知らずの内にフィーアを追っていた視線を、仲間の方へと引き戻した。
 ショーンとアルファンも同様に視線を戻し、四人が顔を突き合わせる形になる。
「出かけるまでに、少しでも休んでおくとするか」
 続けてそう言ったライナスは、そのまま荷物を手に、片方の部屋へと引っ込んでしまった。
「オレもこっちにするか。二人で作戦を考えないとな」
 そう言って笑い、スタンレーもライナスと同じ部屋のドアをくぐる。
「じゃあ……」
 背後でアルファンとショーンが荷物を担ぎなおし、隣の部屋へ入っていったのが、その気配で読み取れた。


(ふぅん……)
 部屋には、パイプ組みの簡素なベッドが二つ。その脇に、机が一つずつ。壁に埋め込まれた小さなクローゼットが二つ。家具らしき物はそれだけだ。
 可もなく不可もなく。三日間滞在する部屋としては、十分なものだった。
「よっ……」
 スタンレーは荷物をベッドに放り出すと、自分もそこに倒れ込んだ。ライナスはというと、既にもう片方のベッドを占有し、静かな寝息をたてている。先程の言葉通り、疲れていたのだろうか。
「…………」
 その規則的な呼吸に耳を傾けながら、スタンレーは考を巡らせる。
 つい数十分前に訪れた、千載一遇のチャンス。それは不注意により、一瞬の内にスタンレーの目の前から去っていった。
「はぁ……」
 やり切れない。自分の能力が足りないのならともかく、まるで関係の無い所で話が決まってしまったのだ。
 まだ、スタンレー自身は何もしていない。何とも言えない遣る瀬無さだった。
(さすがに、ヘコんだな……)
 まさか遅刻がこんな形で響いてくるとは思いもしなかった。
「…………」
 スタンレーは物思いを中断し、反対の壁際でベッドに転がるライナスに目をやる。彼はこちらに背中を向けており、その表情を窺うことはできなかった。そのため、本当に眠っているのかどうかも定かではない。
(こいつも、オレと同じ気持ちなのか?)
 考えたところで、答えは出ない。出るはずもない。
(ま、まだ完全にチャンスが無くなったわけじゃないか……)
 去っていったチャンス。しかし、まだそれを追いかけることはできそうだ。
 実力以外のところで決まった話なら、今度は実力で勝負すればいい。自分の技術にいっそうの磨きをかけ、チャンスを自分のものにする。
 そしてそれは、あの女隊長に近づくことにも繋がっているはずだ。
(気入れて、頑張ってみるか)
 自分の決意も新たにしたところで、スタンレーは先程から忍び寄っていた睡魔に身を任せた。
 意識が徐々に精彩を欠いていく。しかしその薄れ行く意識の中で、その決意だけは確かな形を保ち続けていた。


「ライナスじゃないが、確かに疲れたな」
 部屋のドアを閉めると、早速ショーンは荷物を放り出し、机から椅子を引き寄せて、その背もたれに自分の胸をあずける形で腰を下ろした。
「そうですね。体より、頭の方が……」
 アルファンも自分の荷物をベッドに下ろし、腰を落ち着ける。静かな部屋に、スプリングの軋みが響いた。
「いろいろあったからな。特に、オマエ達三人は」
「えぇ……」
 自分の問いかけに頷くアルファンを眺めながら、ショーンはつい先程の格納庫を思い返す。
 あの時、フィーアが弾き飛ばしたジョーカーを受け取ったのは、目の前にいるアルファンだった。
 理由は、スタンレーとライナスの遅刻である。彼ら三人にとって、数分が運命を分けた結果となったわけだ。
「運が良かったな、アルファン」
 笑いかけたショーンの視線の先で、アルファンは胸のポケットからカードを取り出した。そこに描かれているのは、紛れもなく道化の姿である。
「嬉しいんだか悲しいんだか……」
 複雑な表情を浮かべたアルファンは、手の平でそのカードを弄ぶ。賭けに勝った者は勝った者なりに、思うところがあるようだ。
「しばらくは後ろめたい毎日が続くだろうが、代償だとでも思っておくんだな」
 スタンレーとライナス。二人の気が治まるまで、アルファンは彼らの愚痴に付き合わされるのだ。気が重くなるのも当然だろう。
「そう言えば、何か作戦を考えるとか言っていたな。せいぜい寝首をかかれないように、用心して寝るんだな」
 アルファンは疲れた笑みでそれに応えると、「ウォレスが来たら起こして下さい」と頼み、ベッドに倒れ込んでしまった。
「分かった」
 これ以上からかうのも悪いと思い、ショーンは素直に返事をしておく。
 アルファンにしてみれば嬉しい反面、仲間に対する後ろめたさも少なからずあるのだろう。その表れが、彼の苦悩であり、今の疲れた笑みだ。
(コイツなりに気にしてるんだろうな……)
 そんなことを考えながら立ち上がり、部屋の窓へと歩み寄る。
 立地条件のため、そこからは基地の建物ではなく、基地の外に広がる雄大な荒野と地平線を目にすることができた。数時間もすれば、空と大地がオレンジ色に染まる幻想的な光景が、この窓の向こうに展開されることだろう。
(ここで刻一刻と変わる情景を眺めながら時間を潰すのも、一興ではある……)
「…………」
 アルファンは既に規則正しい寝息を立て始めている。
 ショーンは彼の眠りを妨げないよう、静かに椅子を引き寄せると、再びそれに腰を下ろし、強い日差しに照らされるエウロペの大地を見渡した。
“もうすぐ、始まるんですね……”
 ウォレスの言葉が、ショーンの頭をよぎった。
 この風景が戦場となるのも、そう遠い話ではないのだ。

[188] Rookie & Marcenary 第五話 「傭兵 ――The Marcenary――」 踏み出す右足 - 2007/12/13(木) 00:37 -

 あぁ。その男なら、あのアパートの三階にいるよ
 ヤツを雇いに来たのかい? 止めときな。アイツはもう、どんな依頼も受けないよ。なにしろ、傭兵稼業から足を洗っちまったんだからな
 “六十機を十分で血の海に沈めた男”か。“ブラック・テラー”も、ああなっちまったらオシマイだな


第五話「傭兵 ――The Marcenary――」


 耳障りな軋み音、しかしもう聞き慣れてしまった音を発しながら、“CLOSED”と札のかかったドアは滑るように開いた。中には四人の客がおり、思い思いのテーブルでグラスを傾けたり、連れと談笑したりしている。
「お、リヴェリスじゃないか。今日はまた随分と早いな?」
 その内の一人、カウンターに座って一人で飲んでいた男が、こちらに気づいて気安い声をかけてきた。
「ちょっとね。気になることがあったから……」
 そう答えると、リヴェリスも男の隣に腰を下ろす。
 彼の名はアークエット。本名か偽名か定かではないが、とにかく本人はそう名乗っている。
 一週間前に、フィーアから傭兵探しを依頼されたリヴェリスが、自分で声をかけた傭兵の一人だ。
 そして今この店内にいる客も、全員リヴェリスの誘いに乗った者達である。中でもこのアークエットは、リヴェリスの持ちかけた話に二つ返事で応じていた。
「それにしてもアークエット。あなた随分簡単にこの話に乗ったけど、いったいどういうつもり?」
 マスターが差し出した酒瓶とグラスを受け取りながら、リヴェリスが問う。するとアークエットは、さも当然といった様子で答えた。
「そりゃ、あの有名な“ヴィクセン”とお近づきになれる折角のチャンスだからな。何を差し置いてもやってくるさ。それに……」
 そこで言葉を止め、ジィッとリヴェリスの横顔を見つめる。
「これをきっかけに、二人の間で何か新しい展開があるかもしれないし……」
「フフ……もう口説くつもり? 手が早いのは相変わらずみたいね」
 可笑しそうに笑いながらリヴェリスはグラスを満たし、それをアークエットの方に差し出す。気付いたアークエットも、自分のグラスを彼女の方に差し出した。
「二人の、未来に……」
「月並みよ。私を口説くセリフにしては」
 澄んだ音を立てて打ち合わされる、二つのグラス。
「はぁ……」
 液体に口をつけたリヴェリスが、随分と艶めかしいため息を漏らす。エウロペには旨い酒が多い。こちらに渡ってきてから、すっかり酒好きになってしまった。
「そういえば、さっきの気になることって何だ?」
 一気にグラスを空けてしまったアークエットは、再びグラスを液体で満たしながら、思い出したように疑問を口にする。
「たいした事じゃないわ。一人来るかどうか分からないのがいたから……」
 曖昧な答え方なのは、詳しく話せばいろいろこじれて面倒な話になると思ったからだ。
 リヴェリスは隣で、“罰当たり”とか“羨ましい”とか騒いでいるアークエットを無視し、今日の昼下がりの出来事を思い起こし始めた。



「やっと見つけたわ…」
 半日街を歩き回ってようやく辿り着いたのは、ダウンタウンの古ぼけたアパートだった。
「間違い……ないわね……」
 メモに書かれた内容と目の前の建物とを見比べ、リヴェリスは足を踏み出す。
 この一週間というもの。リヴェリスはフィーアから頼まれた傭兵探しに奔走していた。
 知っている限りの情報屋を片っ端からあたり、現在フリーの傭兵の情報を集める。
 仕入れた情報はどれも微妙ものではあったが、そうして入手した情報の中に、一つ気になる物があった。
 元エウロペ抵抗軍の凄腕、“ブラック・テラー”が、傭兵稼業から足を洗ってロブ基地近くの街に住んでいるらしいというのだ。
 これに目をつけたリヴェリスは、他のフリーの傭兵との接触を行いつつも、一週間の大半をこの傭兵の情報収集に費やし、遂に彼の住居を突き止めたのである。
 かつてエウロペに侵攻したガイロス帝国軍との戦闘で、黒いサーベルタイガーを駆り、二個中隊に匹敵するゾイド約六十機を十分で血の海に沈めた男。それまで無名だった彼は、このエピソードによって、エウロペの傭兵達から“ブラック・テラー”と呼ばれるようになった。
(だいたい二ヶ月ぶりね……)
 リヴェリスも抵抗軍に傭兵として参加した際、彼と顔を合わせていた。黒い恐怖などという禍々しい異名からは想像も出来ない、おとなしい青年だったことを覚えている。
 二ヶ月前の様々な出来事を振り返りながらアパートの階段を上っていると、いつの間にか目的の階に到着していた。部屋はこの階の一番奥である。
 木製のドアは、小気味いい音を立ててノックを受け止める。傭兵から足を洗ったというのなら、訪ねてきた客を無下に追い返したりはしないだろう。
「はい……」
 案の定、ドアの向こうから応答があった。留守でもなく、はたまた居留守を使うつもりもないらしい。
「どちら様ですか?」
 ドア越しに投げかけられた質問に、リヴェリスはゆっくりと口を開いた。
「この声に聞き覚えはないかしら?」
 部屋の中から、ハッと息を飲む気配が伝わってくる。もう二度と聞く事は無いと思っていた声が、突然ドアの向こうから聞こえてきたのだ。驚くのも当然だろう。
「その様子だと覚えているみたいね。ちょっと聞いてもらいたい話があるんだけど……」
「お引き取りください!」
 二ヶ月前と同じ声でリヴェリスの言葉に重ねられたのは、有無を言わさぬ拒絶の言葉だった。
「私はもう傭兵ではありません。お世話になった恩を忘れたわけではありませんが、今お会いするつもりはありません」
「…………」
 頑なな拒絶。取りつく島もない。
(これは骨が折れそうね……)
 焦るリヴェリス。こちらの話を聞いてもらわないことには、彼女も説得のしようもない。
「じゃあ傭兵としてじゃなくて、知り合いを訪ねてきた一人の人間として話を聞いてくれない?」
 高圧的に出て相手の態度を硬化させてしまうのは得策ではない。リヴェリスは慎重に切り出した。
「…………」
 扉越しの会話に長い沈黙が落ちる。しかしやがて――
 鍵の開く微かな音が響き、ドアが中から開かれた。
 そこに立っていたのは紛れもなく、リヴェリスの知る“ブラック・テラー”当人の姿に他ならなかった。
 だが、その表情は未だに疑惑の色に染まっている。納得は出来ないが、これ以上恩人を無下にするわけにはいかないという思いから、渋々姿を見せたのだろう。
「お久しぶりです。リヴェリスさん……よくご無事で……」
 目の前の青年は、深々と頭を下げる。
「あなたも、まさか生きているとは思わなかったわ、ニーランド」
「その名前はもう……今は本名を名乗っています。シューリです。シューリ=バウゼーム」
「シューリ……ね。そう呼べばいいのかしら?」
「はい……」
 ニーランド改めシューリは、「立ち話もなんでしょう」と言って、リヴェリスを部屋へと誘った。
「お邪魔するわ……」
 そうことわって、ドアをくぐるリヴェリス。
「どうぞ、座ってください」
 リヴェリスは申し出に従い、勧められたソファに腰を下ろした。
「コーヒーぐらいしかありませんが……」
「あら、気を使わないで」
 キッチンに立つ男の後姿を見ながら、部屋の中を見回す。
 部屋には無駄な装飾品が一切無く、非常に質素にまとめられていた。
(いかにも、ニーランドらしいわ……)
 リヴェリスはそう思った。
「とにかく、あなたが生きてるって聞いた時は本当に驚いたわよ」
「それはお互い様です。もっとも私も、あの追撃から逃げ切ることが出来るとは、思っていませんでしたが……」
 それは抵抗軍が解散した後の、帝国軍による残党狩りだった。
 帝国軍が抵抗軍のある拠点を包囲した際、偶然その拠点に居合わせたリヴェリスとシューリは、他の仲間と協力し、帝国軍部隊の包囲を破るべく出撃した。
 何とか包囲を突破した時には、残っているのは彼女達二人を含めてほんの数人となっていた。さらにそこから帝国軍の執拗な追撃を受けた彼女達は、敵を分散させるためにバラバラに逃げる事となる。
 追っ手を撃破し辛くも生き延びたリヴェリスだったが、以来、その時の仲間と再会することは一度として無かった。
 自分が幸運だったことを重々承知していたリヴェリスは、既に他の者の生存を諦めていたのだ。
 そして、それはシューリも同じであり、リヴェリスが訪ねてきた時の彼の驚きようも頷けるところである。
 “もう二度と聞く事は無いと思っていた”とは、自分が傭兵から足を洗っている事と、それ以前に彼女が生きているとは思っていなかった事と、二重の意味があったのだ。
「何はともあれ、ご無事で何よりでした……」
「あなたもね……」
 シューリの言葉にそう返したリヴェリスは、彼の背中を見つめながら、あらかじめ考えておいた行動のために、自分の懐に手を差し込んだ。
 小さい。先程の開錠音よりも微かな金属音が、確かな存在感を伴ってそこから響く。
 刹那――
 小さな部屋に、服の翻る風切り音と、リヴェリスの懐から生じたものと同様の、しかしもう少し大きな音が鳴り響いた。
 リヴェリスの目の前では、瞬時に振り返ったキッチンのシューリが、懐から抜き出した拳銃を彼女に突きつけていた。狙いは寸分違わず、リヴェリスの額に定められている。
「そんな物まで身に着けてる。やっぱり身体に染み付いた習慣っていうのは、そう簡単には消えないでしょう?」
 シューリをどこか哀れむような視線で見つめながら、両手をゆっくりと持ち上げ、ホールドアップの形をとるリヴェリス。その右手にはシューリと同様に、鈍い光を放つ拳銃が握られていた。彼女の懐の音は、この銃の撃鉄を起こした音だった。
「弾は抜いてあるわ……」
 引き金にかけた指がゆっくり動くと、空虚な音を立てて撃鉄が下り、言葉の正しさを証明する。言葉通り、銃に弾丸は込められていなかった。
「バカな真似はやめてください! 死にたいんですか!」
 シューリは荒い息をつきながら、リヴェリスに突きつけていた拳銃を懐に戻す。
「ごめんなさいね、驚かせて……あなたに感じてほしかったのよ、自分の身体に染み付いている物の重さを……」
 リヴェリスは両手を下げ、銃を懐のホルスターに戻しながら、申し訳なさそうに凶行の理由を説明した。
 彼自身が封印しようとしていた過去を無理矢理むしかえしてしまったのだ。どんな理由があろうと、決して褒められたことではない。
「自分でもよく分かっていますよ……」
 そう言って肩を落とし、再びリヴェリスに背を向けてコーヒーの用意に戻る。
「ちょっとした物音で夜中に目が覚めたり、背後に人が立っただけで銃に手が伸びたり……」
 そこで言葉を止め、出来上がったコーヒーを持ってくる。
「今だって、リヴェリスさんに背を向けていた間の恐怖感は言葉になりませんよ……」
 音も立たないほどの静かさで、リヴェリスの前のテーブルに、二つのコーヒーカップが置かれる。
「それじゃ、どうしてそんな苦労をしてまで傭兵をやめようと思ったの?」
 いっそ傭兵を続けていれば、普通の生活と傭兵としての生活とのギャップに苦しむ必要が無い分、楽に過ごせそうなものだ。
「もうあれ以上、戦いたくなかったんです……」
 ありきたりな台詞。しかし、本に書かれた活字とは違い、彼の言葉には本当に苦しんできた者の重みが確かに込められていた。
「いったいどれだけの人の命が、この腕や足に乗っているか。戦っている敵はもちろん、守らなければいけない味方の命も、自分の行動一つで左右することができるんです。同じ傭兵でも、以前はそんなことなかったんですが…」
 以前――
 リヴェリスは二ヶ月前に聞いた彼の話を思い出す。
 彼は以前、アタックゾイドで細々とした依頼をこなし、日々を過ごしていた。それは高額な報酬とは無縁ながらも、まだまだ平和な日常だった。
 しかしその穏やかな日々を、偶然手に入った一機のゾイドは粉々に打ち砕いてみせのだ。それが噂の、黒いサーベルタイガーだったのである。
「そう言えば、あのサーベルタイガーはまだ手元にあるの?」
 彼が決心しても、ゾイドが無ければそれはそれで意味が無い。
「えぇ。今はまだ、ずっと世話になってた修理屋に預けてあります。それでも近々処分するつもりです。譲るなり売るなり……」
 少し寂しそうに、彼はそう言った。あのサーベルに未練はあるようだが、それでもなお手放そうというのだから、彼の決意も本物だろう。
 リヴェリスにとってはなおさら話を切り出しにくくなってしまったが、このまま子供の使いで帰っては、ここぞとばかりに妹にバカにされる。
「それで、話というのは何ですか?」
 都合よく彼がそう言わなければ、本題に入るのはもっと遅れていただろう。
「そう、まだ本題を何も話していなかったわね。実は……」
 リヴェリスはためらいながらも、今日ここを訪れた理由を説明した。


「なるほど、やはり傭兵としての依頼でしたか……」
 説明を聞き終わったシューリは、悲しそうな目でそう言った。
「ごめんなさい。さっきはああでも言わないと、話を聞いてもらえそうもなかったから……」
 リヴェリスは素直に謝った。
(なんだか今日は、謝ってばかりね)
 リヴェリスの内心の苦笑を余所に、シューリは続ける。
「いえ、リヴェリスさんにも立場があるでしょう。それを考えなかった私も悪いんです。もし私でも、同じ事をしたと思いますから、気になさらないで下さい」
「そう言ってもらえると、有り難いわ……」
 ホッと胸を撫で下ろすリヴェリス。これくらいのことでへそを曲げてしまうほど小さい人間でないことは知ってはいたが、やはり確実でないというのは怖い物だ。
 しかし――
「ですが、お話はお断りします」
 結局、依頼の内容でも彼の心は動かなかった。
「何度も言うようですが、私はもう傭兵の仕事をするつもりはありません。それに新兵の教育とおっしゃりましたが、それは何も知らない人間を、血と硝煙の臭い、そして死が蔓延するあの世界に引きずり込むことです。たとえ軍に志願した者達だとしても、私と同じような思いを持つ者が出てくるかもしれない。私のような人間を、自分の手で増やしたくはありません」
 彼らしいもっともな理由。しかし、リヴェリスはあえて異を唱えた。
「それは違うんじゃないかしら?」
「……?」
 リヴェリスの真意が見えずに、眉をひそめるシューリ。
「確かに強大な力は人の命を左右するわ。そしてその力が大きければ大きいほど、より多くの命をその手に握ることが出来る。そこから生まれる責任をまともに受けとめれば、それは凄い重圧になるかもしれないわね……」
「…………」
 リヴェリスの表情を注視しながら話に耳を傾ける彼に、彼女は続ける。
「でも力はまた、自分を守る手段にもなるわ。あの過酷な戦場で最後の最後に頼りに出来るのは、自分自身の力よ!」
 力の無い者が戦場で生き残ることは出来ない。
 抵抗軍にいた頃、勢いだけで戦場へ飛び込んできた者達が簡単に死んでいく光景を、リヴェリスは見てきた。そして、それはショーンも同じはずである。
「私達が鍛えるのは軍人よ。力が有ろうが無かろうが、必ず戦場に立つことになるわ。でも彼らは、まだそこで生き残るための力をほとんど持っていない。それを与えない限り、彼らはむざむざ死にに行くようなものよ……」
 リヴェリスは言葉を止めると、彼の顔を正面から見つめた。
「あなたなら、その力を彼らに与えることが出来るんじゃないかしら?」
「…………」
 シューリはなおも口を開かない。しかしその沈黙からは、彼の心の僅かな揺らぎが感じられた。
「それに他人の命運を左右するほどの力を持つ者は、その事実を決して忘れてはいけない。あなたは事実を忘れようとせず、それを受けとめた」
 柔らかな微笑を浮かべながら続けるリヴェリス。
「そりゃあ結果としてそのプレッシャーに潰されてしまったけど、あなたのその姿勢は、誰もが見習うべき物よ」
 自分の気持ちのたけを語り終えたリヴェリスは、似合わない話に照れ隠しの笑みを浮かべながら、
「あなたの腕前なら、単純に皆を助ける事もできるしね」
 と付け加えた。
「そんなたいした物じゃありませんよ……」
 シューリは身に余る評価に、恐縮して否定する。
「よくそこまで人を持ち上げられますね。お世辞だと分かっていても、ついつい乗せられてしまいそうになりますよ」
「そんな、お世辞なんかじゃないわよ」
 確かにシューリを説得するための言葉だったが、リヴェリスには嘘を言ったつもりは全く無かった。全て彼女の本心である。
「買い被りすぎですよ。でも、そこまで期待されているとなると、無下に断るのも気が引けますね……」
「え? それじゃあ……」
 思わせ振りなシューリの一言に、リヴェリスが期待のこもった視線を向ける。
「少し、時間をください……」
 しかし、彼は申し訳なさそうにその視線を見つめ返しながら、明確な返事を避けて返答しただけだった。
「正直なところ、まだ納得はしていません。しかしリヴェリスさんの言葉も、間違っていないと思います。考えて、自分が納得できる答えを見つけたいんです」
「そう……でも悪いけど、そんなに時間はあげられないのよ……」
 彼女はシューリに、タイムリミットが今夜であることを伝えた。
 本来なら三〜四日の猶予を与えられるはずだったのだが、シューリを捜し出すのに予想以上の時間がかかってしまったのだ。
「今夜ですか……確かに短いですね……」
 シューリも心なしか残念そうである。彼自身、もう少しくらい猶予があるものと思っていたのだろう。
「でも、そこはこちらの落ち度よ。だからどうしても決心がつかないようだったら、来なくても全くかまわないわ。中途半端な気持ちで参加するのは、逆に危険だから……」
「それは分かっています。しかし、仮に決心がついたとして、いったいどこへ行けばいいんですか?」
「この街で傭兵が集まる所なんて、一つしかないでしょう?」
 シューリの質問に、ウィンクしながら思わせぶりに答えるリヴェリス。
「……はい、分かりました」
 シューリも得心がいったという様子で納得した。
「それじゃ、私はそろそろ帰るわね」
 リヴェリスはスッと立ち上がると、玄関へと向かう。
 さっさと帰ろうとしたのは、長居してはシューリの考えの邪魔になると思ったからであり、事実シューリも一人で考えに耽りたかったため、あえて彼女を引き止めるようなことはしなかった。
「じゃあ決心がついたら、せめて日付が変わるまでには顔を出して。今夜、会える事を期待しているわ……」



 そう言い残し、リヴェリスは彼と別れたのだった。
(六、四で来ない、ってところかしら……)
 シューリの様子を見た限り、お世辞にも乗り気と言える状態ではなかった。
(止めた方がいいわね。あまり期待し過ぎると、それが裏切られた時辛いわ……)
 それで自分の思考に終止符をうつと、未だに隣で騒いでいるアークエットを嗜める。
「ほら、いい加減よしなさいよ。みっともない……」
 原因が自分にもあるだけに、このまま騒がせておくのも後味が悪い。リヴェリスは軽くアークエットの後頭部を小突いた。
「アイタッ!」
 ようやく静かになるアークエット。
「かの“レディ・キラー”も、ヴィクセンにかかったら形無しなのかしら?」
 そんなところに声をかけてきた者がいた。一組の男女である。
「ヴィクセンをそこら辺の女と一緒にしたら、ケガするのはオマエの方だ」
 二人はアークエットを挟み、リヴェリスの反対側の席に座る。アークエットは、丁度二人の女性に挟まれる形となった。
「お? 両手に花かぁ?」
 自分の両脇に女性陣が陣取った事で、アークエットが再び元気になった。
「君に捧げよう。このグラスと紅い花……ってね」
 リヴェリスの攻略は諦めたのか、アークエットは有名な歌の一節を口ずさみながら、隣に座った女性のグラスに自分のボトルから液体を注ぐ。
「ところで、どうしてオレの事を?」
 先程彼女が呼んだアークエットの悪名。名前は有名かもしれないが、自分の顔まで売れているとは思えない。
「もしかして、前に会ったことある? 君みたいな美人、一目見たら忘れるはずないんだけどなぁ……」
 ジッと彼女の顔を見つめるが、本当に見覚えがない。
彼が人生始まって以来の不覚かと悩んでいると、彼女は笑って言った。
「いいえ。今日が初対面よ」
「そりゃ良かった。じゃ、改めて二人の出会いに……」
 安心したアークエットが、そう言って自分のグラスを差し出す。しかし彼女は、それを片手で制してしまった。
「悪いけど、もう間に合ってるの」
「……?」
 意味が分かっていないアークエットに示すように、彼女は隣の男、ヴァージルの腕にわざとらしくくっ付いて見せた。
 気まずそうにしたヴァージルは、行き場を失ったアークエットのグラスに自分のグラスを打ち合わせる。
「わ、悪いな……」
 責めるような瞳で見つめてくるアークエットに謝りながら、ヴァージルはグラスに口をつけた。
「なんだ、テメェの女かよ……」
 大袈裟に嘆いたアークエットは、バーカウンターに頬杖をつき、頭を押さえる。
「今日は運が無いわね。日付が変わるまで、おとなしくしてなさい」
 リヴェリスが茶化した、ちょうどその時――
 耳障りな音と共に、店のドアが勢いよく開かれた。
(まさか!)
 その音を聞きつけ、すぐさま振り向くリヴェリス。
 果たして、そこから姿を見せたのは――



(少し遅れたわね……)
 フィーアはバーのドアに手を掛けながら、その姿勢のままでしばし逡巡した。この先に待っているものが、姉の嫌味だと容易に想像できたからだ。
(まったく、顔合わせから遅れるなんてね。アタシもいい度胸してるよ……)
 特に予定外のことも無かったのだが、やはり一人で歩くのと集団で歩くのとでは違うようだ。
(これじゃコイツらのこと笑えないね……)
 フィーアは自分の後ろに続いている部下に目をやる。皆、どうしたのかと訝しげな表情をこちらに向けていた。
「少佐。どうかしましたか?」
 こんな場所でもかっちりと軍服を着込んでいるウォレスが、心配そうに言葉をかけてくる。
「いや、なんでもないさ……」
 そう答えると、フィーアは店のドアを一気に押し開けた。
 あの耳障りな音と共に、たいした抵抗も無くドアが動く。
 真っ先にフィーアの目に飛び込んできたのは、妙に期待に満ちた姉の視線だった。
「……? 何さ?」
 声か姿か。入ってきたのが自分の妹であると察したリヴェリスは、その視線をみるみる落胆へと変化させていく。
「なんだ。あなただったの……」
 そう呟くと、リヴェリスは再びカウンターの方を向いてしまった。
「何よ、その言い草は?」
 憤慨した様子のフィーアが、つかつかと姉に歩み寄る。
「アタシじゃ不満だってのかい?」
「そうね……」
 随分な言われようだが、フィーアはそんな小憎らしい姉の異変を敏感に感じ取った。
「ちょっと。やけに元気無いけど、どうかしたの?」
 一週間前と比べるまでもなく、まるで覇気が無い。いかに嫌っている姉といえど、さすがに気になる。
「別になんでもないわよ……それより、そっちこそ遅刻よ」
 人の心配をよそに、リヴェリスはそう突っぱねた。
「顔合わせ、するんでしょう? さっさと済ませましょう……」
 そう言って立ち上がった彼女は、「ちょっとその前に……」と断って、カウンター奥のトイレに消えていった。
 姉の様子に疑問を感じながらも、とりあえず先週のボトルをマスターに注文する。ウォレス達も各々自由な場所に腰を落ち着けていた。
「へぇ、アンタがヴィクセンの妹か……」
 そんな所に、早速声をかけてきた者がいた。もちろんアークエットである。今日の内はおとなしくしておくと決めた彼でも、ヴィクセンの妹ともなれば話は別のようだ。
「よろしく。フィーアよ」
 フィーアも突然の言葉をいぶかしみながらも、見ず知らずの男にグラスを掲げて挨拶する。
「オレはアークエットだ。よろしくな」
 そう言いながら、アークエットは自分のボトルをフィーアに示した。
「あら、悪いわね」
 厚意に甘えたフィーアのグラスに、ボトルから液体が注がれる。
「それにしてもよく似てるな。双子か?」
「皆必ずそう言うけど、普通の姉妹さ。二歳違いのね」
 昔はよく間違えられたものだ。瞳の色も髪の色も、おまけに肌の色まで違うというのに。
「あら? 今日はもう懲りたんじゃなかったの?」
 二人でそんな話をしていると、トイレから戻ってきたリヴェリスがアークエットの背後からそうなじった。
「口説きゃしないさ。ちょっと話しをな……」
「ふぅん……」
 リヴェリスは一瞬疑わしげな視線を彼に向けたが、すぐに興味を無くしたのか、今度はフィーアに視線を移す。
「さっさと始めましょう? 夜更かしって、あまり好きじゃないのよ」
「……はいよ」
 どうやら調子が戻ったらしいリヴェリスに返事をすると、フィーアは立ち上がった。
「ちょっと集まってちょうだい!」
 張り上げたフィーアの声に、店内の者全員が視線を向ける。
「早速顔合わせさせてもらおうか」
 その声に押され、ゾロゾロと集まってくる一同。
 全員が近場に集まったのを見計らい、フィーアは再び声をあげる。
「まずはアタシ達からいかせてもらうよ。もう話は聞いてると思うけど、アタシが部隊の隊長、フィーア=ファーガストだ。アンタ達傭兵にとっては、雇用主でもあるけどね。ま、よろしく頼むよ」
 簡単な自己紹介を終えると、軍属側の紹介に入っていく。
「ウォレス!」
 音も無く立ち上がるウォレス。
「ウォレス=アニストン。部隊の副官をやってもらってるわ」
「ウォレス=アニストンです。よろしく」
 フィーアの紹介が終わると同時に、その場全員に聞こえる最低限の声で挨拶すると、スッと頭を下げる。
「ショーン!」
 ウォレスが席に着き、入れ代わりにショーンが腰を上げる。
「…………」
「…………」
「……ん? 自己紹介しないのかい?」
「え? 隊長からの説明は無いんですか?」
 ウォレスの時と同じように、何か自分に対する紹介がフィーアからあると思っていたショーンは、フィーアの言葉に驚いて聞き返した。
「だって、今はまだなんの肩書きも無いからねぇ。説明することも特に無いじゃないか」
「そうですか……あぁ、ショーン=ウェリングだ。よろしく」
 ショーンは少しがっかりした様子でそう自己紹介すると、さっさと椅子に座ってしまった。
「次は……スタンレー!」
「はいっ!」
 元気よく立ち上がるスタンレー。ショーンの顛末を見ていたので、自分から喋り始める。
「スタンレー。スタンレー=マースルだ。よろしく頼む!」
 それから、集まった面々を一通り見回すと、
「どうもオレ達より若いヤツばかりのようだが、気にしないで気楽にやってくれ」
 そう付け加え、腰を下ろした。
「ライナス!」
 待ってましたとばかりに、今度はライナスが席を立つ。
「ライナス=クレッツェン。よろしくな」
 片手を少し挙げて挨拶する。
「アルファン!」
 最後の一人、アルファンが立ち上がった。
「アルファン=ビダルだ。よろしく」
 彼らしく、先の二人よりおとなしい口調の挨拶で締める。
「スタンレーも言った通り、年上だからってかしこまる必要は無いからね」
 ショーン始め、全員が自分の階級に触れなかったのは、全てフィーアの配慮だった。
 傭兵にしてみれば、階級など軍のおカタい部分の典型であり、決していい印象を与えるものではないと考えたのである。
 それに彼ら傭兵。そして軍の組織からはみ出したようなこの部隊。どちらにとっても階級などたいした意味を持たないとも思っていた。
「これでこっちは終わりだ。そっちの番だよ」
 フィーアはリヴェリスに向かってそう言うと、自分も椅子を引き寄せて腰を下ろした。
「それじゃ、まず私からいこうかしら。名前はリヴェリス。ヴィクセンっていう名前の方が、通りがいいかもしれないわね。女狐なんて失礼な名前、好きじゃないんだけど……」
 苦笑しながら自分の紹介を続ける。
「それから、このフィーアの姉も、不本意ながらやらせてもらってるわ。不肖の妹が世話をかけてるみたいで悪いわね」
 スタンレー達がその言葉に苦笑している。フィーアはというと、もう何とでも言えとばかりに、リヴェリスを睨みつけていた。
「ゾイドはコマンドウルフよ。よろしくね」
 そう自分の挨拶を終え、彼女は無言のままに傭兵仲間を促した。フィーアのように自分で紹介するつもりは無いようだ。
 もっとも、紹介できるほど日頃から付き合いがあるわけでもないのだろう。
「じゃあオレがいこう」
 名乗りを上げたのはアークエットだ。
「オレはアークエット。残念ながら、異名や通り名なんてたいしたモンは無い」
「レディ・キラーがあるじゃないか?」
 すかさず、ヴァージルのヤジが飛んだ。
「バカ。そんなの自分から名乗れるか」
 二人の掛け合いに、周囲から軽い笑いが起こる。
「ったく。あ〜、乗ってるのはゴドスだ。もう長い付き合いだから、ゴドスに関してはだいたいのことは分かるつもりだ。あてにしてくれ」
 彼は最後に「仲良くやろう」と言うと、自己紹介を終えた。
「次は、オレか……」
 立ち上がったのはヴァージルである。
「ヴァージルだ。レドラーに乗ってる。傭兵って言っても、今は運び屋の方が本業みたいなもんだから、あまり期待はしないでくれ」
「何言ってるのよ? プテラスでレドラーを落とせるパイロットなんて、軍にもそういるもんじゃないのよ?」
 ヴァージルの謙遜は、リヴェリスによって即座に訂正された。
「誤解を招くような発言は、避けるべきよね」
 苦笑しながら、ヴァージルは腰を下ろす。
「じゃあ、次は私ね……」
 続いて、ヴァージルの隣に座っていたあの女が立ち上がった。
「レインよ。ゾイドはプテラス。まだ傭兵って言うよりヴァージルの助手みたいなものだけど……よろしく」
 女らしいが、その裏に芯の強さを感じさせる声だった。年上の男、それも屈強な兵士達を相手に、これほどはっきりものを言えるところからも、彼女の性格の片鱗をうかがえるというものだ。
「助手だって? 恋人の間違いじゃないのか?」
 先程辛酸を舐めさせられたアークエットが、狙い済ました茶々を入れる。
 彼の言葉に、店内のあちこちからざわめきが起こった。フィーアからも、からかいの口笛が響く。
 そんな扱いにも、彼女は恥ずかしそうに笑っただけで、それから軽く頭を下げると、席へと座ってしまった。
 残るは一人。
 皆の視線は自ずと、未だに沈黙を守っている一人の男へ向けられた。この場の誰一人、彼の声を聞いていない。額に巻かれた真っ赤なバンダナが一際目を引く。
 男は静かに立ち上がると、よく通る声で最低限の自己紹介を行った。
「カルロスだ。ゾイドはガイサック。よろしく頼む」
 根暗な雰囲気を漂わせていただけに、彼の声の調子には皆しばし驚いた様子だった。
 無論、彼をスカウトしたリヴェリスは別である。
 カルロスは周囲の様子を気にもとめず、元の席に腰を下ろした。
(無愛想なヤツだね……)
 フィーアはそんなことを思いつつも、そこから生じているであろう信頼感も感じていた。
「これで全員よ……」
 リヴェリスがそう終止符をうつ。少し沈んだ、残念そうな声で。
「フィーア。あなた何か言いたいことは無いの?」
 しかし、それも一瞬の事。すぐさまいつもの調子に戻ると、フィーアに顔合わせの締めを任せてきた。
 フィーアは再び立ち上がり、全員の注目をその一身に受ける。
「この部隊がどんな部隊かは、もう言うまでも無いだろう? これからアンタ達には、まだ戦いのなんたるかも知らない“ヒヨッコ”の面倒を看てもらわなきゃならない。訓練はもちろん、実際の戦場でもだ」
 フィーアの言葉に秘められた想い。それを感じた皆は、咳払い一つせずに耳を傾けている。
「彼らに少しでも早く、戦場で生き残る技術を教えてやってちょうだい。そして何より、彼らを守ってあげてちょうだい」
 フィーアの言葉が終わると、店内は沈黙に包まれた。そしてその中で、皆は自分達がこれから背負うことになるものの重さを実感していた。
 フィーアにしても同様だ。自分に対する処分で巻き込む事になった者達を、死なせるわけにはいかない。その表情からは、彼女が感じているであろう責任と不安。その大きさをうかがう事ができた。
 フィーアとの付き合いが長いウォレスやスタンレーらは、普段とまるで違う彼女のしおらしい態度に、彼女の苦悩を敏感に感じ取っていた。
 誰もが自分の考えに沈んでいたその時、おもむろに口を開いた者がいた。
「任せてくれ」
 全員がその男、カルロスに視線を集める。
「アンタの心意気はよく分かった。アンタの背負っている物、オレ達も背負おう」
 彼の決意の言葉に、全員が頷いた。
「任せてください隊長」
「男として、女性だけに荷物を背負わせるわけにはいかないからな」
 そして、口々に決意の声が上がる。
「ふぅん。いい部下を持ってるわね、あなた」
 この時ばかりは、リヴェリスも妹の人望を素直に賞賛した。
「ま、人間ができてるからね」
 姉相手にやはり素直になれないフィーアだったが、その口調の端々に、彼女の喜びや感謝といった感情が滲み出ていた。
「さぁ! 湿っぽい話は終わり終わり。今日は存分に旧交を温めてちょうだい!」
 フィーアの景気のいい声を皮切りに、あちこちからグラスを合わせる音や笑い声が上がり始めた。人間関係の出足は好調のようだ。
「ねぇ、姉さん?」
 フィーアはその様子を、姉とカウンター席から眺めていた。隣同士で座っているのに、どこか距離を感じさせる座り方。やはり、この姉妹の仲はよろしくない。
「何?」
 それでも言葉や表情にはそれを感じさせず、リヴェリスが返事をする。
「依頼を引き受けた傭兵って、これで全員?」
「不満なの? 数は期待できないって言っておいたはずよ?」
「人数は十分だけどね……」
 そう言ってフィーアは既に宴会状態となっている店内を見渡す。
「ヴァージルはあの日ここにいた。レインは彼のパートナーなんだから、話はすぐにつく。ってことは……」
 そこで言葉を止め、姉のほうに顔を向ける。
「姉さんがこの一週間で声をかけたのは、実質二人ってことだろう?」
 フィーアはあくまで軍人であり、傭兵の事情に詳しいわけではない。ただ姉のことだから、さすがにもう数人連れてきても不思議ではないと思っていたのである。
「えらく少ないじゃないか?」
「そうかもしれないわね。ま、簡単に言えばふられたのよ。一番時間をかけて口説いた本命にね」
「絶対に来ないのかい?」
 フィーアは姉の入れ込みようから、その傭兵に若干の興味をおぼえた。
「まだ可能性はあるわ。でも、たぶん……」
 リヴェリスの残念そうな返答。そこからフィーアは、今夜の姉の不調の原因を悟り、自分の酒とグラスを持って宴会の中へと消えていった。
 これ以上姉といても、自分にできることは何も無い。


(本当に来ないつもりかしら……)
 妹が離れたことで、一人になったリヴェリスは考える。
 確かにまだ日付は変わっていないのだから、これから姿を現してもおかしくはない。
 しかし、真面目なシューリの事だ。それほどこちらを待たせるというのも考えにくい。やはり来ないと考えるのが妥当なところなのだろうか。
(こうやって考えてる内に、あのドアが開いたりしないかしら……)
 彼女の視界の中で、木製の扉がゆっくりと開いていく。
(そうそう、そうやって――)
 しかし、それは夢想や空想の出来事ではなかった。
(え……?)
 リヴェリスの願いどおり、店のドアは三度開かれていた。
 そしてそこから姿を見せたのは紛れもなく――
「ニーランド!」
 リヴェリスが昼間目にした、あの青年の姿だった。咄嗟の事に、彼を以前の名前で呼んでいることにも気が付かない。
 リヴェリスの驚いた声に、店内の全員もまず彼女の様子をうかがい、やがてその視線を辿ってシューリの姿を確認する。
「遅くなりました、リヴェリスさん……」
 シューリは謝罪し、深く頭を下げた。
「大丈夫よ。まだ日付は変わっていないわ。それに、来てくれただけで十分よ」
 リヴェリスはそう言って笑みを浮かべると、シューリに歩み寄り、それからまだ事態を把握しきれていない皆に向き直った。
「紹介するわ。ブラック・テラーこと、ニーラン……あ!」
 そこまで言ってから、初めて自分の間違いを悟る。
 しかし彼は、訂正しようとするリヴェリスの言葉を静かに制した。
「いえ、ニーランドで結構です。傭兵のニーランド……」
 吹っ切ったかのような彼の言葉。リヴェリスは全てを察し、彼の決意にその胸中で頭を下げていた。
 シューリ改めニーランドは、「よろしくお願いします」と、全員に向けて頭を下げた。


(なるほど。あれが姉さんの言ってた“本命”ってわけね……)
 フィーアは飛び入りの来客を見つめながら、そう納得した。
「生きていたのか、ニーランド!」
 突然、集団から一人が立ち上がり、ニーランドに近づいていく。ヴァージルだった。
「ヴァージルさん」
 ニーランドの方も驚いた様子でヴァージルに歩み寄る。顔見知りなのだろうか。
「リヴェリスから話は聞いてた。よく無事だったな」
 そのまま背中を押し、ニーランドを皆のいる場所まで誘導するリヴェリス。その様子がフィーアには、ちょっとした兄弟の様でもあった。
「生憎、自己紹介はもう終わっちまっててな。オレが紹介しよう」
「すいません」
 ヴァージルに連れられたニーランドは、人の輪の中に飲み込まれた。
“仲の良い兄弟”
 フィーアは自分の心に、その言葉を羨ましいと思う部分があることを気付いていた。
(何考えてんだか……)
 頭を振って妙な感慨を追い出すと、フィーアはおもむろにリヴェリスに近寄る。
「姉さん。これで全員ね?」
 確認の言葉は、やはりぶっきらぼうなものになってしまった。またしても自分の中に、それを悔やむ心が生じる。
「えぇ。もう他には来ないわ」
 姉は、妹の心の変化に気付いた素振りも見せず、簡単な返事を返す。
「よし……」
 出口の無い思考を諦め、そう頷くと、フィーアは再び全員の前に立った。
「酔ってへべれけになる前に聞いてちょうだい。三日後の早朝、ロブ基地からミューズの空軍基地へ向かう輸送船が出るわ。アタシ達もそれに便乗して、基地に向かう予定になってる。そこでアンタ達には、前日の夜までに必要な物を持ってロブ基地に集まってもらいたいの。話はつけておくから、自分達のゾイドを夜の内に積み込んでおいてちょうだい。もし出発に間に合わなかった場合は、自分の足で基地に辿り着く事。臨戦態勢の共和国軍を相手にね」
 一触即発の状況の中、所属不明のゾイドを発見した軍がどんな行動に出るか。ある程度の想像はつくだろう。
「それが嫌なら、時間は守る事。契約は向こうの基地でするから、基地に辿り着けなかったヤツには報酬はもちろん、契約金もなし。分かった?」
 フィーアの説明に、傭兵一同から了解の返事があがった。
「それから、これに目を通しておいてちょうだい」
 更にフィーアは、懐からいくつかの紙束を取り出した。
「何だコレ……」
 傭兵達に配られた紙面に目を通すと、そこには契約上の隷約がつらつらと書き連ねられていた。
「しっかりした物は契約の時にまた見せるけどね。今日の内に見ておいてほしかったのさ」
 普段の彼女ならこんな面倒な物を用意することなど無かっただろうが、やはり新人の命を預かるということで、若干神経質になっているようだ。
「特に最後の二つは、絶対に守ってちょうだい」
 その言葉を聞いた全員が、一気に最後まで視線をすっ飛ばす。
 最後の二行。そこには手書きの文章、“任されたヒヨッコは必ず守ること”。
 そして、“戦場からは全員、絶対に生きて帰ってくること”と書かれていた。

[190] リアル過ぎ…… ヒカル - 2007/12/26(水) 00:57 -

 長らくでしょうか……、お久しぶりです踏み出す右足さん。管理人のヒカルです。
 感想書こう書こうと先延ばしにしてきて本当に申し訳ありません。なんでもためるのはよくないですね……、教訓とします。
 ええと、反省文で埋まってしまいそうなので内容に入りたいと思います。
 まず私が感じた(以前からですが)のはタイトルにもあるとおりリアル! ということです。酒場の空気や軍内部の対立などなどおとにかくリアルとしか言いようがありません。ここまで書ける人はそうそういないのではないかと思われます。
 それともっとも気に入ったキャラは……もちろんフィーアでしょう!(はしゃぎすぎですね)感情の起伏の激しさ、男勝りなところなどなどじつに生き生きと描かれていたと思います。一つ一つの動作を見てもやはりカッコイイ面もありますしね。
 では、今回はこのへんにしておこうと思います。かなり内容は面白くて是非続きを早く読みたい衝動に駆られます。それでは次のご投稿もお待ちしております。
 どうもヒカルでした〜

[193] Rookie & Marcenary 第六話 「それぞれの二日間・前編」 踏み出す右足 - 2008/02/01(金) 01:11 - MAIL

 ロブ基地に補給寄港後、ヘスペリデス湖畔の第二空軍基地へ、だったか?

 あぁ。なんでも、ロブ基地で受け取る荷物があるらしい

 ほぉ……人か、ゾイドか。ちょっと楽しみじゃないか


第六話「それぞれの二日間・前編」


「“ブルー・エアリフト”も店じまいか……」
 町外れにある小さな修理工場。長年風雨に晒されたガレージの外壁には、赤茶けた錆び付きが至る所に見受けられる。
 その年代物のガレージに設置された、人の出入りのための小さなドア。そのドアにかけられたプレートを外しながら、レインが寂しげに呟いた。
「まぁ仕方ないさ。傭兵やりながら続けられる仕事でもないからな……」
 それを感慨深げに見守るヴァージルも、しみじみとそう返す。これでもう、民間のゾイド修理工場の片隅に設えられた小さなオフィスに、重い荷物を抱えた依頼人がやって来ることも無いだろう。
「ホントに行っちまうのか、ヴァージル?」
「オヤッさん……」
 脇からかけられた声に、ヴァージルが顔を向ける。修理工場のガレージから現れたのは、作業用つなぎに身を包んだ一人の大男だった。汗とオイルで汚れた顔を残念そうに歪めているこの男は、この工場の経営者である。
「また寂しくなっちまうなぁ。ウチのかみさんも残念がってるぞ?」
 無精髭の目立つ顎をこすりながら、オヤッさんは重いため息を漏らす。
「オヤッさん……」
 これがあの、元気が取り柄のオヤッさんだろうか。そんな疑問まで浮かんできたヴァージルは、知らず知らずの内にもう一度口の中でそう呟いていた。
「二人で話し合って決めたんだ。ごめん、おじさん……」
 レインもオヤッさんに向き直り、申し訳なさそうに頭を下げた。
 ヴァージルもレインも、オヤッさんには恩義を感じている。
 特にヴァージルは、ガイロス帝国の抵抗軍狩りから命からがら逃げ延びてきたところを、以前から馴染みにしていたこのオヤッさんに拾ってもらったという過去があった。いわばお尋ね者とも言えるヴァージルを、オヤッさんは文句一つ言わずに居候させてくれた上に、彼が運び屋を始めるにあたって、工場の一画を無償で使わせてくれたのだ。
 本来ならなんらかの恩返しがあって然るべきなのだろうが、なにぶん話が急だったこともあり、結局オヤッさん達には何の礼もできていない。
「さて、準備はこんなもんか?」
 ヴァージルはレインの手からプレートを受け取ると、小物ばかりを詰め込んだ箱に放り込み、それを抱えて工場の外に停めてあるレドラーへと歩きだした。既に他の荷物はレドラーとプテラスに積み込んであり、これが最後の荷物である。
(いよいよか……)
 妙な感慨に耽りながら、ヴァージルは歩を進めるのだった。


「じゃあ、おじさん。こっちに戻ってきた時は、必ず顔出すから……」
 しばしの間、離れていくヴァージルの背中を眺めていたレインだったが、おもむろにオヤッさんへ向き直ると、そう言って笑いかけた。にこやかな笑みだったが、どことなく寂しさや申し訳なさの漂う笑みになってしまう。
「すぐ行くのか? もう少しゆっくりしていったらどうだ?」
 オヤッさんはさも口惜しそうに引き止めるのだが、レインの気持ちはもう決まっている。彼女は静かにかぶりを振った。
「私達もそうしたいわ。でも分かるのよ。そうすると、余計に離れるのが辛くなるって……」
 そう言って、レインは顔を伏せてしまう。
 彼女だって、できることならここを離れたくない。ようやく工場の皆とも打ち解けてきたところなのだ。
「そうか。そこまで言われちゃ、こっちも黙って見送るしかなさそうだな……」
 オヤッさんは苦笑いを浮かべた。
 別れると知りながら過ごすのは、突然の別れよりも辛い。レインも、ヴァージルも、オヤッさんも、工場の仲間も。それは皆同じだ。レインはそれを思い、これ以上の長居は無用と言っているのである。ヴァージル自慢のパートナー。優しい女性なのだ。
 オヤッさんが毎日のように、「アイツには勿体ないくらいの娘だ。オレがもう少し若くて独り身だったら云々」とこぼしていたのも、無理からぬところである。
 オヤッさんは頭をかきながら、工場のガレージへと消えていく。これで最後というなら、工場の整備士達やカミさん、子供達も呼んでくるべきだと考えたのかもしれない。
「レイン。どうする?」
 工場の前に一人残されたレインの背中に、荷物を積み終えたヴァージルが声をかける。
 彼が何を言いたいのか。それが分からないほど、彼女がヴァージルと過ごした月日は短いものではない。
 このまま行くか否か。
 ヴァージルはそれを尋ねている。
「…………」
 確かに今出発してしまえば、別れの悲しみはずっと小さくて済むのかもしれない。
 しかし、彼らがこれから赴くのは、死と隣り合わせの戦場。これが今生の別れとなる可能性もあるのだ。そう考えると、このまま別れてしまうのはあまりに心苦しいのも事実だった。
「最後のお別れだものね。それくらいしても、バチは当たらないか……」
 そう決断した瞬間、レインには自分の意志の弱さが情けなく思えた。さっぱり別れようと決意していながら、いざとなるとそれができない。
「そうか……」
 だが、彼女の考えを聞いたヴァージルは柔らかな笑みを浮かべる。彼もそれを望んでいたのだ。
 レインは自分の判断が間違っていなかったことに安堵する。
 情けないと思った弱さも、愛する者の笑顔を引き出してくれた。
 彼が想ってくれるのは、この弱さも含めた私自身。
 そう考え、自分の弱さとも上手く付き合っていこうと心に決めたレインだった。



 ロブ基地の食堂で、二人の女が顔を突き合わせている。テーブルの上には二つのトレイと、さらにその上に空になったいくつかの食器が並び、二人が食後の談笑を楽しんでいることを物語っている。
 ランチタイムというにはいささか時間が遅いが、食堂にはかなり人影が目立つ。
(そういえばどっかの部隊が、昼過ぎまで演習だか模擬戦だかの予定入れてたっけ……)
 女の片割れがそんなことを思い返す。
 タンクトップに真っ白な士官用の礼服を羽織り、自慢の真っ赤なロングヘアを所在なげな右手で弄ぶ麗人。恐らくこのロブ基地にいる共和国軍兵士で、彼女の存在を知らない者はいまい。もしいたとすれば、それはモグリだ。
 そう言ってもいいくらい、彼女には話題性があった。
 容姿端麗才色兼備。その能力はウン年に一人の逸材と呼ばれてもおかしくないのに、素行は札付きの問題児。女だてらにゴジュラスの巨体を振り回し、命令、規律はクソ食らえという豪胆な性格。ついに機甲師団の大隊長を解任され、中佐から少佐に格下げされると共に、まるで懲罰部隊のような独立中隊を率いてこのエウロペに飛ばされてきた。
 と、そのあたりの事情はロブ基地のほとんどの者が知っている。どこから話が出たのかは分からないが、人の口に戸を立てるのは難しいものだ。
 しかしそんな彼女、フィーア=ファーガストの目の前に座っているのは、彼女よりさらにとんでもない女傑だったのである。
 手入れ不足の感が否めない皺のついた礼服を着込んでいるが、その身に纏う雰囲気はそんなことをまるで気にさせない。フィーア同様の長い髪は、夜の海のように美しい緑の黒髪。切れ長の目に収まるのは、澄んだ翡翠の瞳。フィーアも美人の部類だが、この女性にはまだまだ敵わないだろう。その襟元には、中佐の階級章が縫い付けられている。
 ゾイドの操縦はもとより、破壊工作、対人戦闘など様々な技能に精通し、たった一人での作戦行動も可能な現代版スパイ・コマンド。中央大陸戦争時代の名機である“ゾイドゴジュラスMk−U限定型”の貴重な残存機を軍から任されてもいる。その異名を“フレイム・レディ”という、フィーア以上に有名な女性士官だ。どことなくフィーアに似た雰囲気を持っているが、彼女以上に剣呑な印象を受ける。
 こんな組み合わせで談笑しているのだ。周囲の注目を集めないわけがない。
 遠巻きに席を確保した兵士達は、目の前の食事もそこそこに、彼女達の様子をチラチラと窺いながら囁きあっている。誰一人同じテーブルに着こうとしないことが、二人の女性が漂わせる雰囲気を、何よりも如実に物語っている。
 いかに美人とはいえ、声をかけるなどもっての外だ。最もこの二人に声をかけたところで、並みの男では鼻にもかけてもらえなかったであろうが。
「まったくこっちも大変よ。来るのは扱いづらいのばっかり。この間も帝国軍の先行部隊とやってきたけど、もっと鍛えなきゃ使い物にならないわ。おまけに、指揮官が敵の拠点で破壊活動するなんて、聞いたことないわよ……」
 女が自身自慢の長髪の毛先を眺めながらぼやく。枝毛のチェックといったところか。
「もぅ……忙しくて手入れする暇もないわ……あっ……」
 どうやら枝毛を見つけたらしい。小さなハサミでそのあらぬ方向に伸びた一本を忌々し気に切り落とす。「身だしなみに気を遣わなくなったら、女も終わりよね」、などと呟きながら。
「アタシだってまさか、こんな妙な役目引き受けることになるなんて思ってもみませんでした」
 その様子を見ながら、フィーアも髪をいじりつつ、苦笑してみせた。
 驚いたことに、あのフィーアが口調を硬くしている。確かに今のフィーアにとって、中佐である目の前の女性は上官には違いない。だが、彼女はその程度の理由で口調を改めることなどしない。佐官どころか、将官。そして、そのさらに上の人間であろうとも。
 目の前の女性は、フィーアにとってかなり大きな存在のようだ。
「あら。私は向いてると思うんだけど?」
 髪から手を離し、意外そうな顔でフィーアを見つめる女性。心底驚いている様子で、切れ長の瞳を真ん丸に見開いている。
「あなた下の面倒よく看てたし、受けも悪くなかったじゃない」
 どうも士官学校時代のフィーアを知っているようだ。話し方からしても、昨日や今日の付き合いではないことが分かる。
「いいお手本が目の前にいましたから……」
 こっちは相変わらず髪の毛をいじりながら、少々照れくさそうに言った。無論“お手本”とは、フィーアの目の前にいる女性に違いないだろう。
「へぇ、嬉しいこと言ってくれるじゃない」
 女性は表情をほころばせると、露骨な遠い目であらぬ方を見やった。
「ま、優秀すぎる後輩ばかりで、私としては物足りないくらいだったけどね」
「そうかもしれませんね。なんていったって、士官学校始まって以来って言われるようなヤツが、ゴロゴロといましたから……」
 今度はフィーアが遠い目をする番だ。髪をいじる右手も止め、過ぎ去っていった時間へと思いを馳せる。


 軍上層部に、“ルーベンス世代”という言葉が存在するということは、以前にも述べた。“世代”と呼ばれるからには、それに含まれるのは当然、フィーアや彼女の同期であるレオンだけに留まらない。
 碧眼の策士、“スキーマー・ウィズ・ブルーアイ”レオン=ルーベンス中佐。
 怒れる悪鬼、“アングリー・オーガ”フィーア=ファーガスト少佐。
“沈黙の魔術師”ラフィーリオ=ステイモス少佐。
“極光の女王”リヴィニア=クーリエ少佐。
 狂乱の戦乙女、“フレンジー・ヴァルキリー”エレノーラ=クラレンス大尉。
“砂漠のゼルガ”ゼルガ=ハーグローブ大尉。
 この六人が、俗に“ルーベンス世代”と呼ばれている者達である。
 現在は各々が様々な部隊に配属され、そこで才能を発揮している。平和な御時勢には珍しく、全員に実戦経験があり、これから始まるであろうエウロペでの戦争でもその活躍が期待されている者ばかりなのだ。


「センパイとしての威厳を保つのも一苦労。正直あなた達には、少し嫉妬してたのかもしれないわね……」
 フィーアに触発されたのか、向かいの女性も今度は本当に懐古的な表情を浮かべている。
“センパイ”
 この言葉が、女性とフィーアの関係を端的に言い表す最も分かりやすい表現だ。
「何言ってるんですか。皆先輩を目標にして頑張ってたんですよ」
 フィーアやレオンが士官学校に入学した頃。そこは一人の女生徒の話題で持切りだった。
 成績優秀才色兼備。その性格さえ抜きにすれば、まさに完璧の女性。教官からは疎まれていながら、後輩からはもう憧れの的。廊下を歩けば視線を集め、その美貌に心奪われた者も一人や二人ではない。
 そしてフィーア達も、周囲の後輩と同じく、破天荒なその先輩に抗いがたい魅力を感じていた。
 やがて頭角を現し始める、フィーア等ルーベンス世代の面々。先に相手に興味を持ったのは、意外にも先輩の方だった。訓練や座学で類稀なる成績を残す後輩達に、或いは何かしらのシンパシーを感じたのかもしれない。
 徐々に先輩との交流を深めていったフィーア等は、彼女の力をその肌で感じ、その目で目の当たりにした。それは、有能ともてはやされるルーベンス世代の者達から見ても、目標と定めるに十分足る人物であった。
「まだまだ先輩の足元にも及ばないって思いますよ。こっちに来てからエレンに会いましたけど、今の私と同じようなこと言ってましたし……」
 エレンとは、エレノーラの愛称だ。いよいよ近づきつつあるガイロス帝国との開戦に備え、ルーベンス世代も続々とエウロペに招集されつつあった。
 現在は、フィーアとエレノーラの二人がロブ基地に、ゼルガがレッドラストの前線基地に、それぞれ所属している。もっともフィーアは仮所属であり、二日後にはミューズ森林地帯に近い空軍基地へと正式に配属されるが。
「そういえば、もう明後日出発なんだって? せっかく暇なのに、ちょっと残念ねぇ」
 ふと思い出したように、先輩の女性が切り出す。あまり褒められた言動ではないが、本人は至って残念そうだ。
「えぇ、まぁ。なんだったら、エレンでも捕まえて話し相手にして下さい」
 フィーアも残念そうに、且つ申し訳なさそうにそう言い、一つため息をつく。
「なにしろ、いろいろ立て込んでまして……」
 そこで、おもむろに席を立つフィーア。先輩が不思議そうな眼差しを向けてくる。
「え? もう行くの?」
「はい、これからちょっと打ち合わせが。それに……」
 フィーアはそこで言葉を止め、ずっと髪の毛を弄んでいた右手の親指と人差し指で何かを摘むような形を作ると、その繋ぎ目を苦笑の形に歪めた艶やかな唇に当てて見せた。
「これが、ちょっと……」
「フフッ。あまり吸い過ぎないようにしなさい。肌にも健康にも悪いわよ」
 フィーアはそんな形ばかりの忠告に曖昧な笑みを返し、羽織った礼服の裾を翻した。と同時に、その手はズボンのポケットに滑り込んでいる。
「それじゃ、エレンに会ったらよろしく伝えてください」
 そう言い、一つ頭を下げるフィーア。
「あぁ。しっかり打ち合わせしといで」
 先輩もそう言うと、ヒラヒラと手を振って見せた。ただそれだけの仕草にも、何とも言えぬ優雅な雰囲気が漂う。
 フィーアはそんな彼女に背を向け、食堂出口へと歩を踏み出した。



 ロブ基地が接する市街。間も無く日も暮れようかという黄昏時。
 郊外に佇む安アパートの正面に、一つの人影があった。夕日に照らされる端正な横顔は、女性受けしそうな細面。優男ではあるが、服の上からでもその体格の良さは窺える。
 顔にかかってしまう長髪を少々気障ったらしくかきあげ、彼はオレンジ色に染まるそのアパートを見上げた。
「こんなトコに住んでんのか。さては、あんまり儲けてないな?」
 軽い冗談を飛ばすも、その声がとどく範囲に人の姿はない。よって、それに返される声もない。
「アホらし。さっさと行くか……」
 寂しい冗談に、これまた一人寂しく肩を竦めた優男――“レディ・キラー”ことアークエットは、目前のアパートに暮らす知人を訪ねるべく、目前のアパートに向かって歩き出した。


 ノックなどしようものなら、そのまま室内に倒れてしまいそうな古ぼけた扉を前にし、アークエットは思わず眉をひそめる。
(ホ、ホントに住んでるのか?)
 そんなふうに自問してしまうほど、ドアとその向こうに住んでいるはずの人物とのイメージはかけ離れていた。
(まさか、本当に食い詰めてるんじゃ……)
 なおも疑いつつ、アークエットはドアに手を伸ばす。軽いノックに乾いた音を立てたドアは、彼が懸念したように崩壊することはなかった。
「カルロス、いるか? オレだ、アークだ」
 定期的にノックを交えながら、部屋の住人に呼びかける。しかしそれを数回繰り返しても、中からの答えはない。
「……?」
 何気なくドアノブに手を掛けてみると、それは抵抗なく回った。
「中にいるのか?」
 居留守か。はたまた心配通り、空腹のあまり室内で昏倒しているのか。
 しばしの逡巡の後、アークエット――アークはドアを押し開けた。
(まさか、トラップなんて仕掛けてないだろうな)
 しかし彼の心配を余所に、体が突然の爆風で吹き飛ばされることも、頭から水をぶっ掛けられることもなく、いたって普通に部屋の光景が視界に飛び込んでくる。もっとも、押し開けてから心配したところで、とても間に合いはしなかっただろうが。
「遅かったな、アーク……」
 出入り口に立つアークの耳に、そんなセリフが飛び込んできた。住人は、ちゃんと室内にいたのだ。
「おい。いるなら返事くらいしろよ」
 アークはそうぼやきながら、当て付けのようにドアをノックして見せた。しかしカルロスはそれに見向きもせず、ベッドに腰掛けて荷物を確認している。
(ちっ、皮肉も通じやしねぇ……)
 顔をしかめるアーク。その時――
「……なら……たが?」
 カルロスがボソボソと何か呟くのを、アークの耳が捉えた。だが、そこから明確な意味は聞き取れない。
「なんだって?」
 アークは聞き返せざるをえなかった。カルロスはそれに、律儀に応えてみせる。
「返事ならしたが?」
「聞こえなきゃ意味ねぇよ!」
 恐らく、ノックとアークの声に掻き消されてしまったのだろうが、それにしたって小さすぎる。
 相変わらずこちらに関心を示さないカルロスを一喝したアークは、そのまま室内を見回した。
(何にもねぇな……)
 アパートの外見と同じくやや古くさい室内には、今カルロスが座っている簡素なベッドと、小さなクローゼットしかなかった。生活感というものがまるで存在しない。
「普段は流れでやってるからな。ここに帰ってきたのも久しぶりだ」
 そんなアークの内心を読み取ったかのように、カルロスが静かに説明する。
「なんで――」
 オレの考えてることが分かったのか?
 そう続けようとしたアークを、カルロスの声が遮る。
「ここに来た人間は、皆同じことを言うからな」
 肩を竦めるカルロスだったが、アークは彼の洞察力とは別のところに驚いてしまった。
「他に誰か連れてきたことがあるのか?」
 カルロスと会ったことは数えるほどしかないが、どこを見ても社交的な人物とは思えない。そもそも昨日のHAUNTで、ロブ基地までの同行を彼から申し出されたことさえ、アークには驚きだったのだ。
(コイツも、案外人恋しいのか?)
 もしそうだとしたら、カルロスへのイメージが百八十度変わることは間違いない。
 “無口で無愛想なカルロスが、実はナイーブな寂しがり屋”
 あの日旧交を温めたライナスやスタンレーが喜びそうなネタだ。
「前に何回か、他の傭兵と組んで仕事をしたことがあった。その内の何人かは、ここに連れてきたことがある」
 ふと足元の荷物を探る手を止め、カルロスが顔を上げる。視線はむかいの壁に向いていたが、彼の目がその壁を見ているなどとはアークも思っていなかった。
「そいつらは、今は?」
「皆死んだ。エウロペ抵抗軍として、帝国軍と戦ってな」
 ひどく平板な声でそう言うと、カルロスは突然こちらに顔を向けてくる。その口の両端は奇妙に吊り上がり、微笑とも苦笑ともつかぬ曖昧な笑みを浮かべていた。
「この部屋に足を踏み入れた人間は、死神に取り憑かれるのさ」
 アークは一瞬、言葉に詰まった。カルロスの浮かべた笑みの意味は――
「オレを呼んだ理由は、オレを殺すため?」
「フッ……」
 アークがぶつけた懸念を鼻で笑うと、カルロスは再び荷物に手をつける。
「おい!」
 明確な返事をしないカルロスに、アークは思わず悲痛な声を上げてしまう。
 傭兵稼業に怨みつらみは付き物だが、少なくともカルロスから怨みを買った覚えはない。ただ、自分のしたことが巡り巡ってカルロスのところに辿り着いていたとしても、決して不思議なことではないだろう。その可能性は否定できなかった。
「冗談だ。死神なんか知らん」
 本気で頭を抱えているアークに、カルロスは半ば呆れかえった口調でそう言った。
「相手の消息がつかめないのは本当だが、そんなの珍しくもないだろう。どこかで生きてるさ」
 昨夜と違って随分饒舌なカルロスに、アークは内心で胸を撫で下ろした。
「脅かすな、ったく。オマエでも、人をからかったりするんだな」
 まんまと乗せられた自分が悔しくて、そんな負け惜しみが口をついてしまう。
「フッ……」
 口元を歪めながら、自嘲気味に笑って見せるカルロス。その笑みで、アークは気付いた。
(嘘……か?)
 死神云々の話をしていた時に彼が見せた複雑な笑み。あれは他人をからかうためだけの笑みだっただろうか。
 そこで目に入る、カルロスの白髪。
 白い髪というのは、別段珍しい物でもない。エウロペの砂族に生まれた者は、白い髪が一つの特徴となる。カルロスもそうだ。
 しかし、先のカルロスの話。
“この部屋に足を踏み入れた人間は、死神に取り憑かれるのさ”
 だとすれば、この部屋の住人であるカルロスは、いったい何度死神の抱擁を受けたことになるのだろう。そしてその度に見えない腕を逃れ、今まで生き延びているカルロス。死をくぐり抜けてきたその代償が、この髪なのではないか。
 あまりに突飛な想像ながら、アークは妙に納得してしまった。
「どうした、黙り込んで」
 そんな声に我を取り戻すと、カルロスが不思議なものでも見るような視線でこちらを見ている。愛想笑いを浮かべて、アークは肩を竦めた。
「いや、なんでもないさ」
 どうせ訊ねたところで、カルロスの不利益にはなってもこちらの利益にはならない。訊くだけ無駄だ。訊ねるのなら、もっと大事なことがある。
「そろそろいいだろう。なんでオレを呼んだんだ? まさか、ロブ基地の場所が分からないなんて言わないだろうな」
 カルロスは一瞬物言いたげな表情を浮かべたが、やがてまとめ終えた荷物を放り出し、おもむろに立ち上がった。
「オマエはどうしてこの話を受けたんだ?」
 窓際に立ったカルロスは、弱々しい残照が照らし出す外の光景に目をやりながら、まるで独り言のような口調でそう呟いた。
「この話?」
 一瞬、カルロスの持ちかけた同行のことかと思ったが、少し考えて、自分たちが傭兵として引き受けた依頼の話であることに気付く。
「あぁ、あのヴィクセンの妹さんからの依頼の方か……」
 しかし質問の内容が分かっても、アークは即答できなかった。
「どうしてって言われてもなぁ……」
 ヴィクセンことリヴェリスから、この依頼の話を聞かされた時のことを思い返す。
 あの時はただただ、リヴェリスの魅力にのぼせ上がっていただけのような気がするのだが。
「まぁ、オレは美人の頼みは断れないからなぁ」
 結局、アークはそう言って苦笑するしかなかった。
「…………」
 そんなアークを横目で見やりながらも、カルロスの表情は緩まない。
「本当にそれだけなのか?」
 そう重ねて問われ、逆にアークの方が困ってしまった。
「そ、それだけったって……」
 依頼を受け、それをこなし、報酬を得て、それで生活する。傭兵というのはそういう仕事だ。いや傭兵だけに留まらず、ほとんどの仕事が大なり小なりこういう形をとっている。
 つまりアークが仕事をするのは、すべからく生きるためなのだ。この依頼も、体が空いていたから引き受けたに過ぎない。
 その上今回のアークには、美人に気に入られたいという立派な動機までついている。
「傭兵が依頼受ける理由なんて、それだけあれば十分だろ?」
 不思議そうに言うアーク。そんな彼を振り返り、カルロスがゆっくりと口を開いた。
「そんな理由で、オマエは戦場に立てるのか?」
 紡ぎ出される重々しい言葉。それにより、室内の空気が途端に重苦しくなる。
「それだけの理由で、オマエは他人の命をその手に握ることができるのか?」
 畳み掛けてくるカルロスの口調は静かな物だったが、そこに曖昧な回答を許すほどの柔らかさはない。
 この質問を自分にすることで、カルロスがいったい何を求めているのか。それはアークには分からなかったが、どちらにしても彼の答えは決まっていた。
「あぁ、できるね。それくらいの理由があれば十分だ」
 先程までとは打って変わった冷たい表情を顔面に貼り付け、アークは答えた。
「…………」
 立場は逆転し、今度はカルロスが押し黙った。しかし、その沈黙は呆気にとられたとかではなく、こちらの真意を探るためのものだったのだろう。
 相手に話す気がないことを悟ると、アークは再び語りだす。
「オマエ、そんなに深く考えてるのか? オレなんかより、オマエの方がよっぽど達観してると思ってたけどな」
 意地の悪い笑みを浮かべて言うアークにも、カルロスは眉一つ動かさず、ジッとその表情を窺っている。
「オレは戦場に立つことにも、トリガーを引くことにも抵抗は無い。そこにさしたる意味が無くても、躊躇はしないつもりだ。良心の呵責なんてのは、五人目を殺した時からもう感じはしない」
 そこで話を区切ると、アークはゆっくりと窓際に歩み寄る。そしてカルロスの隣に立つ位置まで進み出て、再び立ち止まった。
「もちろん、戦場に限った話だけどな」
 そう付け加えながら眺める外の景色には、既に夜の帳が落ち始めており、室内を照らし出す光は刻一刻と減少している。
「オマエが考えてることは、誰でも行き着くところだとは思うけどさ。さっさと吹っ切らねぇと、傭兵には命取りだと思うぜ」
 そこまで言ってから、自分に似合わない偉そうな忠告に気付き、ようやくアークは表情を緩めた。
「こいつは……オレとしたことが、すっかり真剣になっちまった」
 急に気恥ずかしくなったアークは、頭をかきながら隣のカルロスを見やる。
 彼は腕を組み、その身を壁に預けて目を閉じていた。眠っているかのように静かな表情だったが、アークがその疑問をぶつけるより早く、そのまぶたをゆっくりと持ち上げる。
 そして――
「オレは……」
「うん?」
 これまた静かに話し始めたカルロスの言葉を、アークは促す。
「オレは、オマエのように考えることはできん。もちろん戦場に立ったら、躊躇などするつもりは無いが……」
 アークは頷く。
 カルロスのゾイドはガイサック。その戦術は、一撃必殺が身上の奇襲攻撃だ。いざ敵を仕留めようとするときに躊躇っていては、それこそ奇襲攻撃の意味が無いだろう。
「しかし戦場に立つには、それ相応の意味が必要だと思う。人殺しのためだけに、オレは戦わない」
 そこでカルロスは、おもむろに両手を後頭部に回す。数秒もしない内に、彼の額に巻かれていた赤いバンダナが、衣擦れの音と共に外れ、跳ね上がっていた髪の毛がゆっくりと垂れてくる。
「オレは今回の帝国と共和国の戦争、関わる気はさらさら無かった。だが、リヴェリスにこの話を持ちかけられた時、あの理由で戦うならオレもかまわないと思った」
 手に持ったバンダナをゆっくり広げていくと、そこに染め抜かれた白い文字があらわになる。
“さぁ、行こう。たとえ敵地の只中でも、二人ならば、恐れる物は何も無い”
 ありがちな文句。恐らく二枚一組の安物だろうが、カルロスの目には価値以前のものとして映っているようだった。
「守るために戦う。オレにはこれ以上の理由は無いように思えた」
 バンダナを見下ろすカルロスは、こちらが心配になるくらいの無表情だ。悲しみも、怒りも、懐かしさも、その顔には浮かんでいない。それとも、全ての感情が互いに相殺しあい、この完璧ともいえる無表情ができあがっているのだろうか。
「見かけによらず青いんだな、オマエ……」
 アークは苦笑すると、優しげな眼差しでカルロスのバンダナを覗き込んだ。
「前に何があったか知らないが、随分立派な心がけだな。反対はしないさ。でもなぁ……」
 そして再び、遠い眼差しで窓の外に目をやる。
「どんなもっともらしい理由を並べようと、所詮人殺しは人殺しじゃないか。褒められたことじゃないのに変わりはない。だったら、どんな理由でも同じなんじゃないか、って思っちまうんだよなぁ……」
 ため息と共に吐き出した言葉で、アークは話を終えた。カルロスはバンダナから視線を移し、こちらを見やる。
「意味が無ければ、考えなくてもいいのか?」
「ハッ。言ってくれるぜ」
 もうこれ以上の問答は意味が無い。いくら話し合ったところで、二人の意見が交わることはないだろう。
 アークは話の打ち切りの意味を込め、カルロスの質問に軽口を返す。その意思が伝わったのか、カルロスもそれ以上追求してくることはなかった。ただ一言――
「やはり、オマエとはあわないな」
 そうとだけ言い、バンダナを手馴れた様子で巻きつける。全ての作業を終えて持ち上げた表情は、既にいつもと同じ仏頂面に戻っていた。
「いいことだ。同じ人間ばかり集まったって、少しもおもしろくないだろう」
 アークがうそぶく。その言葉にカルロスも僅かな笑みを浮かべ、二人は灯の灯り始めた宵の街をしばらく無言で眺めていた。


「おい、そろそろ行かないか。いつまでもこうしてたってしょうがないだろう」
 あれから十分ほど。二人は他愛の無い世間話に興じていた。
 もうすっかり日も落ち、部屋も夜闇に閉ざされている。目は慣れているし、何も無い部屋だから足元の心配は無いが、無意味にこうしていても仕方がない。せいぜい夜景が美しい程度だ。
 アークが呟いた誘いを、カルロスも一蹴することはなかった。
「あぁ。付き合わせて悪かったな」
 暗闇の中、カルロスは淀みない動作で足元の荷物を拾い上げ、さっさと出口に向かって歩き始める。今さら彼の無愛想に口出しすることもせず、アークもそれに続いた。
「部屋は引き払ったのか?」
「一応な。しばらく戻らないし、もともと使ってないような部屋だ」
 くぐり抜けたドアをしっかり施錠すると、カルロスは未練など微塵も感じさせない様子で歩き出す。無論、アークもそれに倣う。
 しばし無言での二人は、一階のロビーで鍵を返却し、外へと出た。
 夏の夜気は生暖かかったが、ロブ平野を吹きぬけてきた夜風のおかげで、室内よりは幾分涼しい。
「カルロス。ガイサックは?」
 外に出たアークは、既にこの生涯で見慣れてしまった影を求め、その首を巡らせる。
「オマエもどこかに預けてるのか?」
 アークのゴドスは、このアパートよりさらに町外れの修理工場に預けてきた。アパートに乗り付けても良かったのだが、それで騒ぎが起こっても面白くない。出発前の最終チェックもでき、ちょうど良かった。
 カルロスもそんなところなのかと考えそう質問したのだが、当のカルロスはそれには答えず、街の中心とは逆方向に歩き始める。
「お、おい!」
 慌ててついていくアークにも気を配る様子はない。それが目的であるかのように、ただただ両の足を交互に踏み出している。
 それを五分ほども続けただろうか。やがて建物の数もまばらになったところで、ようやくカルロスは足を止めた。目の前には広い空き地がある。
「ここか?」
 アークの問いに無言で頷き、カルロスは胸のポケットを探る。
 その様子をしばし観察していたアークだったが、ふと、目の前の空き地を見渡してみた。
 月夜に浮かび上がる影も無く、ただただ平坦で何もない敷地。当然、ガイサックの姿もない。
「なんにも無いじゃないか」
 思わずそう呟いたところで、ようやくカルロスが胸ポケットから何かを取り出した。アークが目を凝らすと、それがタバコの箱を一回り大きくしたような直方体であることが読み取れた。
 隣人の疑問顔を無視し、カルロスはその箱に取り付けられたスイッチを押し込む。
「……?」
 すぐには何も起こらず、アークはさらに眉根を寄せてしまったが、声を上げるよりも先にその変化は起こった。
 目の前の空き地で急に地面が盛り上がり、そこから人工物特有の角張った影が姿を見せる。
「ほぉ……」
 アークの感心する声を余所に、目の前の影からは土塊が転がり落ちて次第にスリムになっていく。もはやアークの目には、それはガイサック以外の何物にも映っていなかった。
「さすがガイサック。考えたもんだな。ゴドスにはとてもマネできねぇや……」
 そんな言葉に、カルロスも少し得意気な笑みを浮かべていた。
 これでカルロスの準備は整った。残るはアークのみだ。
「それじゃ、ちょっと待っててくれや。オレもゴドス取ってくる」
 ここからなら、ゴドスを預けた修理工場も近い。
 アークはことわって、数時間前に歩いてきた道を逆に進み始めた。もう工場から漏れる明かりも視界に捉えられる。
 その夜。ゴドスとガイサックがロブ基地に到着したのは、それから三十分ほど後のことだった。

[195] Rookie & Marcenary 第七話 「それぞれの二日間・後編」 踏み出す右足 - 2008/03/02(日) 20:28 - MAIL

 こんな小さな、それも取るに足らない部隊に、ゴジュラスが二機? いったいどんな部隊だ……

 さぁな。興味があるんなら、“密着取材”ってのをやってみたらどうだい? ブン屋さんにはお得意だろう?

 バカ、ブン屋は新聞記者。オレはフリー……トップ屋だって言ってるだろうが


第七話「それぞれの二日間・後編」


「なんだウォレス、こんな所で……」
 ロブ基地の第三格納庫。ここには第2087独立特殊教練中隊所属のゾイドが駐機されている。もっともそれも、ミューズの空軍基地へ向かうネオタートルシップが到着するまでだが。
 その中の一機。照明を浴びて銀色に輝く巨体の足元に座り込む青年の姿をショーン=ウェリング軍曹が発見したのは、太陽も中天にとどこうかという時刻だった。
「あぁ、ウェリング軍曹……」
 声がとどいたのか、青年は顔を持ち上げる。しかしその表情は、顔の半ばまで垂れ下がった前髪に目を隠され、窺い知る事ができなかった。彼の手の中には、見開きにされた本がある。
「その前髪じゃ、本も読みにくいだろう。影にもなるし……」
 読書家の顔じゃないとは常々思っていた。あれだけ目が隠れていては、読書どころか日常の生活でも邪魔だろうに。
「オレ、自分の顔嫌いなんです……」
 青年――シューリの上官であるウォレス=アニストン中尉は、顔のパーツの中でそこだけが覗く口元を、自嘲の形に歪めて見せた。
「そう言えば、確かに以前そんな事を言っていたな」
 あれは確か、士官学校を卒業したウォレスが第六機甲師団の第二大隊に配属されて、まだ間もない頃だった。
 隊長のフィーアの影響からか、第二大隊は師団内でも随分奔放な部隊だったが、それでも時折、新米の行き過ぎを下士官が注意する事はあった。あの日もそうだ――


「ウォレス、いい加減にその長ったらしい髪を切れ! 前髪で敵が見えずに死ぬなんて、物笑いのタネだぞ」
 シューリの目の前には、伸び放題の前髪で顔を隠したウォレスがいる。その胡乱な雰囲気は、とても自分より十歳近く若い者の持つ物とは思えなかった。
「これには、少々理由がありまして……」
 自分の教育係の小言にも目立った反応を見せず、そこだけは前髪から覗かせている口元を寂しげに歪めて見せる。
「オレ、自分の顔嫌いなんです……」
「何ぃ? それならせめて、眼鏡くらいにしておけ。行くぞ! 中佐がお待ちだ!」


 しかしその後も何度か注意をしたが、ウォレスは頑ななまでに髪を切ろうとはせず、いつしかシューリの方が根負けし、そのまま放置したのだった。
 あの時は話半分くらいにしか聞いていなかったが、よくよく思い返してみれば、以前も今も本人は至って真剣だった。
「ウォレス。なんでまた、自分の顔が嫌いなんだ?」
 彼とは長い付き合いながらも、この話題を本気で問い詰めた事は無い。聞く事がはばかられたという以前に、ほとんど忘却の彼方に追いやってしまっていたからでもある。
「オレも、自分の顔がそう出来のいいもんだとは思ってないが、それでもオマエみたいに隠したくなるほど嫌いじゃないぞ?」
 無論、それはショーンの意見であり、世間には自分の顔を隠したくなるほど嫌悪する者も多くいるだろう。理由は多々あれど。
 しかしウォレスの容貌は、どう贔屓目に見ても醜くはない。むしろその切れ長の目やスッと通った鼻筋は、二枚目と言った方がしっくりくるくらいだ。もしシューリがウォレスの顔を持っていたら、万が一にも隠したいとは思わないに違いない。
「いえ……これは人に見せないためではなく、自分に見せないためなんですよ……」
「…………何?」
 最初シューリには、ウォレスの言った言葉がうまく飲み込めなかった。
(自分に……見せない?)
 人間、自分の顔を見る機会などそう多くはない――もちろん、増やそうと思えばいくらでも機会を増やせるだろうが――。精々が、鏡や写真くらいのものである。
 それに対し、自分の顔を隠してまでその機会を減らすとなると、余程の理由があるに違いない。
 しかし、自分の顔が醜いが故に嫌いともなれば、それを他人に見せたくなくなるのは道理だ。ところがウォレスは、自分が顔を隠すのは他人に見せないためではないと言った。
 彼が己の顔を嫌悪する理由は、その容貌のためではなさそうだ。
「何が不満なんだ? そんなに男前で、文句も何も無いだろう」
 分からない事は本人に訊くしかない。ショーンはウォレスの隣に腰を下ろす。
 言い難くはあったが、ここまで話が進んだのも何かの縁だ。成り行きに任せ、言葉を紡ぐ。
「それは……また追々お話ししますよ……」
 しかし、ウォレスの方ではその縁を感じなかったようだ。弱々しく口元を歪めて見せて、柔らかく、だが頑として回答を拒否した。
「…………そうか……」
 そう言われては、シューリも引き下がらざるを得ない。
 二人の間に、少々気まずい沈黙が流れる。ウォレスはそれを気にしてか、再び手にした本へと視線を落としてしまった。
「ふぅ……」
 なんとも手持ち無沙汰になってしまったシューリは、照明に白々と照らし出された頭上の巨体を見上げる。彼方に見えるコクピット周りにはキャットウォークが張られ、何人かの整備士がそこに取り付いていた。
「調整中か……」
「えぇ、火器管制をちょっと……」
 ポツリと洩らした呟きにも、ウォレスは律儀に返答してくる。或いは顔云々の質問に答えなかった事を気にしているのかもしれない。
 頭上を振り仰いだまま、横目でウォレスの様子を窺うと、彼は先程と同様、手にした本に視線を落としたままだった。彼はここで、調整の終了を待っているというわけだ。
「何も今やる事は無いだろう。後数時間もしない内にタートルシップに積み込みだ。今やるよりも、積み込んだ後とか、ミューズに着いてからやればいいだろうに」
 様々な意見を並べ、頭をかすめた疑問を口にする。せっかく破った沈黙を再び復活させないための、ほとんど無意識の行いだった。
「いやぁ、別段やる事もなかったものですから。何の気なしに格納庫に立ち寄ったら、前の演習辺りからFCSの設定でちょっと気になってる事があったのを思い出したんです。それで、つい……」
「成る程な……」
 苦笑してみせるウォレスに、ショーンもまた苦笑を返した。
 ウォレスが忘れていたほどの事だ。恐らく、ショーンや他の者達にとっては取るに足らない事に違いない。
「でもそれがどういうわけか、意外にも随分と長引いてまして……」
 そこまで言って、ウォレスは手にした本を掲げて見せた。
(それで……こうしてここで時間を潰しているという訳か……)
 はてさて、それが本当に難儀な作業だからなのか。それとも、厄介者故の嫌がらせか。
 どちらにしても、ウォレスにはたいした意味も無いだろう。それくらいの事で癇癪を起こすほど器の小さな人間ではないし、彼は時間の潰し方というものをよく心得ている。
「これからずっと、こんな目にあうのかねぇ……」
 肩をすくめて見せても、今度はウォレスも反応を示さなかった。或いはその髪の向こうで、目元くらい細めていたのだろうか。
(えらい部隊に呼びつけられてしまったな……ま、それもいい……)
 第六師団第二大隊にいた頃にも、多少はこんな事があった。あの女隊長の下にいれば、多かれ少なかれ似たような事態は起こる。ユニークな彼女――フィーアの部下として働ける者の代償という訳だ。
「さて、オレもやる事は無いし、ここで一休みさせてもらうとしようか」
 ここに足を運んだのだって、別に理由があったからではない。ウォレスと同じだ。
「…………」
 ウォレスは無言のまま、肯定も拒否もしなかった。ショーンも期待していたわけではない。
「…………そうだ……」
 おもむろに、再度見上げた頭上の巨体。話題を探していて、一つ思いついた事があった。
「ウォレス、どうしてゴジュラスに乗ってる?」
「え……?」
 さしものウォレスも、その質問の突飛さに本から顔を上げる。前髪の隙間からわずかに覗く青い瞳も、驚きのあまり大きく見開かれていた。
「なんです、突然……」
 ある意味貴重とも言えるウォレスの間抜け顔に思わず笑みを浮かべながら、背後の巨体――ウォレス搭乗のゴジュラスを指し示した。
「オレの親父もな、軍でゴジュラスに乗っていた。中央大陸戦争と、大陸間戦争でな……」
「へぇ……初耳です……」
 その言葉に、ウォレスがもう一度驚きの表情を浮かべる。
 バルオーム=ウェリング。下士官候補学校を卒業し二十五歳から伍長として従軍していた父は、大異変による大陸間戦争終結時に三十一歳で軍曹。そしてその乗機は一貫して、稀代の名機ゴジュラスMk−U量産型だった。
「ゴジュラスはいいゾイドだ。だが、そのコクピットに座る事ができるのは、ゴジュラスに選ばれた者だけ……」
 前大戦から、士官であろうと下士官であろうと、ゴジュラスに乗れる者は常に選ばれてきた。それは気性の荒いゴジュラスというゾイドが、乗り手を選ぶためだったからに他ならない。
 しかし兵器として致命的ともいえる欠点を持つナンセンスな機体ながらも、ゴジュラスはその戦闘力の高さで、共和国軍の主力として君臨してきたのである。ウルトラザウルスやマッドサンダーが開発された後も、ゴジュラスのパイロットを目指して機甲師団への配属を希望する者は後を絶たなかったそうだ。
 そしてその狭き門を潜り抜け、正式にゴジュラスのパイロットとなった者たちは、周囲からの羨望と嫉妬の視線を一身に受けながら、“英雄”として戦場に身を投じていった。
 ショーンの父も、そんな“英雄”の一人だった。
 大異変の影響でゴジュラスの配備数が激減した今となっては、そのハードルは否が応にも跳ね上がっている。隣に腰を下ろすウォレスや、我らが女隊長フィーアは、さながら新時代の“英雄”といった所か。
「オレは……たまたまコイツの適性試験に通っただけです。でなければ今頃、重装甲タイプのゴドスでも使っていたでしょう。でなければ、ゴルドスか……」
 ショーンは照れたように笑ったようだった。彼ほど冷静な者でも、“ゴジュラス乗りの英雄”という肩書きは少なからず誇らしい物らしい。
「オマエが選ばれたって事は、それなりの魅力があったんだろうな。まったく、羨ましい限りだよ……」
 その英雄に、ショーンは選ばれなかった。自分と、父や隣の若者との違いは、いったい何なのだろうか。
(それは、ゴジュラスのみぞ知るってやつだな……)
 或いは、ショーンを気に入る変わり者のゴジュラスも、この広い世界のどこかに存在するのかもしれない。しかし今のショーンには、そいつに巡り会えなかった事が自分の不運だったと諦める事しかできないのだ。そいつだって今頃は、気に入った別のパイロットとよろしくやっている事だろう。
「軍曹も、ゴジュラスパイロットの候補生だったんですか?」
「そうか、オマエには話してなかったか。別に隠すつもりも無かったんだが、好き好んで話したい話題でもないからな」
 過ぎた事だと分かっていても、なかなか割り切れるものではない。それが人情というものだ。
「オレは親父に憧れて軍に入ったクチだ。その親父に近づく第一歩が、ゴジュラスのパイロットになる事だと思っていた」
 そこでしばし、口を噤む。ウォレスが次の言葉を待っているのが、その雰囲気で分かった。
「だがまさか、その一歩目から躓く事になるとは思わなかった……」
 下士官候補学校に入学し、初っ端に受けたパイロットの適性試験。ゴジュラスを希望したショーンは、一も二も無くそれに落ちた。但し、同系統の適性を必要とするゴドス、そして第二希望のコマンドウルフはその適性を認められ、操縦訓練を受ける事ができたが。
(あれで何の適性も無かったら、オレはきっと自殺してただろうな……)
 結局学校は卒業。搭乗機体もゴドスに決まったショーンは、下士官として第六機甲師団に無事配属される事となった。その後目立った出来事も特に無く、ウォレスの教育係を経て今に至るといった所だ。
「それにしても、オレの下に……いや上か? とにかく、オレの所に配属されてきたオマエがゴジュラスのパイロットだったっていうのは、皮肉な話だな……」
「…………すいません……」
 何を思ったか、ウォレスは神妙な様子で謝罪してくる。どうやら話が重くなり、責任を感じてしまったらしい。
「何を謝る。全部はオレの問題だ。オマエが責任を感じる理由は無いよ」
「いえ。それにしたって、軽率な話題を振ってしまって……」
 本気で気にしてくれているのは有り難いが、この重い空気はなんとも……
「もういい、この話はオシマイだ! オマエのゴジュラスも、調整は終わったみたいだからな」
 頭上を仰ぐショーンと、その言葉につられて顔を上げたウォレス。二人の視線の先で、ゴジュラスのコクピットに張り付いていた整備士達が、こちらを――正確にはウォレスを指して何事か叫んでいた。パイロットを交えた最終チェックという訳だ。
「じゃ、オレは行くからな。しっかりチェックしておけ」
「はい、分かりました」
 二人はズボンを払って立ち上がると、各々別の方向に足を踏み出した。
 ウォレスはキャットウォークへ続く鉄階段へ。ショーンは格納庫の出口へ。
(そう言えば、一つ言ってなかったな……)
 階段を駆け上がるウォレスを振り返りながら、ショーンは胸の内で呟く。
(ゴジュラスに乗れなくて良かった事も、無いわけじゃぁないんだ……)
 もし期待通りにゴジュラスに乗っていた場合、自分はそれに少なからず満足していただろう。その満足感は、必ず自分の志の障害になる。
(あれに乗っていたら、オレはダメになっていたかもしれないんだからな……)
 ウォレスは早くも、ゴジュラスのコクピットに辿り着いていた。整備士と二言三言言葉を交わすと、コクピットに姿を消す。
(……ってくらいに思ってねぇとやってらんねぇだろ!)
 くるりと踵を返し、背中を丸めて格納庫を去るショーンの姿は、どう見ても自分の境遇を完全に受け入れている潔い人物には見えなかった。



「用意はできた、ニーランド?」
 扉をノックする音と共に、美声が背後から投げかけられる。
「…………ノックは、部屋に入る前にしてください……」
 部屋の主――ニーランドは、苦い顔で背後を振り返った。
「フフッ……」
 美しい訪問者はその顔に微笑を湛え、開け放たれた扉に寄りかかりながら、コンコンともう一度それに拳を打ち付けて見せる。
「カギをかけないのは無用心ね。背中から刺されても知らないわよ?」
 そう言い、部屋へ踏み込んでくる訪問者の女。リヴェリスだ。
「それはそれで、いいんじゃないですかね? 自分も散々、同じような事をしてきた訳ですし……」
 ニーランドは振り向いていた顔を戻し、闖入者によって中断された荷作りを再開する。
 傭兵に戻る決意をしてからも、彼は未だに罪悪感を払拭できないでいた。この数日、どうしても思考がネガティブな方へと進んでいく。
「ハァ……」
 リヴェリスは露骨にため息をつくと、おもむろにニーランドへと歩み寄り……
「?」
 それに気付いてもう一度振り向いたニーランドの両頬が、パァンッ! と軽快な音を立てて挟み込まれた。
「ぬぁっ!?」
 非難の声を上げる暇も有らばこそ。ニーランドには一瞬、何が起こったのかすら分からなかった。
「しっかりしなさい!」
 ニーランドの顔を両の掌で挟み込んだリヴェリスは、その顔をジッと見据えて言い放つ。
「一度決意したんでしょ! 男に二言は無い!」
 それだけ言い、ようやく呆気にとられるニーランドの顔を解放する。
「…………」
 開いた口が塞がらないニーランドに、フッと笑いかけるリヴェリス。
「元気出たかしら? 無理矢理引き込んだのは悪かったと思ってるけど、変な迷いは捨てる捨てる!」
 ニーランドを戦場に呼び戻してから、彼女は彼女なりに罪悪感を感じていたのだろうか。
「もし死なれたりしたら、夢見が悪いものね……」
 そこだけは苦笑し、リヴェリスは頬をかいた。
 ニーランドには分かる。その表情に浮かぶ苦笑が、彼女がそんな事を露ほども考えていない事の証拠だった。夢見が悪いどころではなく、本気で自分の責任だと思い込むに違いない。
「……有難うございます」
 覇気は戻らなかったが、それでもニーランドは素直に礼を言った。リヴェリスの言葉一つで迷いが消えるはずも無いが、その心遣いには痛み入る思いだった。
「今は無理ですが……頑張ってみます……」
「そうこなくっちゃね」
 リヴェリスは、今度こそこぼれんばかりの笑顔を浮かべ、こちらの背中を景気よく叩いてきた。
「さぁ、持っていく物もそんなに無いんでしょ? さっさと出発しましょう」
「えぇ……すぐ行きますから、先に行って待ってて下さい」
 リヴェリスは頷き、軽く手を振ってから部屋を出ていく。
 後に残されたニーランドは、その後ろ姿を見送ってから、持ち物を鞄に詰め込んでいく。
(少ない荷物だ……)
 苦笑している内に、早々に旅支度は終了した。
「よし、行くか」
 勢い込んで立ち上がった所で――
「!?」
 机に置かれた写真立てが目に入った。
「…………」
 ニーランドは無言でその机に歩み寄り、さも大事そうにその写真立てを取り上げる。
 写真の中では、数人の男がこちらに笑いかけていた。ほんの数ヶ月前の写真なのに、今ではもう遥か昔の事のように感じる。もう二度と、この写真のメンツが揃わないというだけで……
「何で忘れるかな……」
 再び苦笑しながらも、ニーランドはもう一度鞄を開け、その写真立てを中に放り込む。たいした音もたてずに、写真立ては詰め込まれた衣服の上に落下した。
「他には無い……よな……」
 わざわざ指差し確認まで行ってから、ようやくニーランドは部屋を後にした。もう、ここに戻ってくる事も無いだろうと感じながら。


「アナタも久しぶりよね」
 ニーランドより一足先に外へと出たリヴェリスは、アパートの先で地面に寝そべる黒いゾイドの“肌”を撫でていた。ニーランドの相棒、サーベルタイガーだ。サーベルタイガーといってもその正体は、ウィングなどの装備を取り外したグレートサーベルなのだが。
 修理屋に預けてあったというだけあって、黒い光沢を放つその装甲には傷一つついていない。数多の血を吸ってきた牙も、爪も、降り注ぐ陽光を浴びて、無粋な兵器とは到底思えぬ美しい輝きを発していた。
 えもいわれぬ魅力が、ゾイドにはある。
「“それは、ゾイドが生きているから”……」
 以前、そんな事が書かれた本を読んだ。人間がゾイドに惹かれるのは、ゾイドが生きているからこそなのだと。そう思って見ればこのグレートサーベルも、ゴテゴテした装備を取り外し、その滑らかな曲線の輪郭を露にしている今の方が、美しく感じられる気がしないでもない。
 斬新で面白い意見だが、リヴェリスの考えは少し違う。彼女がゾイドに感じる魅力は、そんな生易しいものではないからだ。
 砂族と火族。中央大陸の部族の中でも好戦的と呼ばれるこの二つの部族。その血を引くリヴェリス、フィーアの姉妹には、並の人間には及びもつかない好戦的な一面がある。それはもう闘争本能などという半端なものではなく、破壊衝動と呼んでも差し支えないものだ。
 短気なフィーアは適度にそれが発散されているようだが、一見温和とも取れるリヴェリスは、フラストレーションを溜め込んでしまう傾向にあり、その分一度火が点くと手がつけられなくなってしまう。
 自分でもよく分かっているし、別段その性格を嫌っているわけでもない。
(だから、こんなしがない稼業に身をやつしてるのよね……)
 傭兵という今の状況は、そんな自分とうまく付き合うために、リヴェリス自身が導き出した一つの結論だった。これならば、多少の無茶はきく。
 それに何より、ゾイドの持つ闘争本能が自分のそれと共感した時の快感といったら、ヘタなドラッグよりもよっぽど強力なのだ。
 あの最高の気分を味わう事こそが、リヴェリスがゾイドに接し続ける本当の目的と言えた。ただこうしてゾイドに触れているだけでも、期待で自分の内に眠る恍惚とした何かが溢れ出しそうになる。
(私も、よくよくイカれた女ね……)
 これから始まるのは戦争だ。そこでゾイドに乗るという事は、取りも直さず自分の命を危険に晒すという事に他ならない。自分の命と快感を天秤にかけるなど、正気の沙汰ではないだろう。
 だが、だからこそ快感なのだ。
「お待たせしました」
 少々危険な笑みを浮かべ始めていたリヴェリスの背後から、ようやくアパートから出てきたニーランドが声をかける。
「オッケ。それじゃ、行くとしましょうか」
 振り返ったリヴェリスの表情は、既に“普通”の笑顔に取って代わっていた。
「はい」
 ニーランドがグレートサーベルに荷物を積み込み始めるのを見届けると、リヴェリスも自前のコマンドウルフに乗り込み、それを起動させる。それからニーランドの準備が整うのを待ち、二人は一路、ロブ基地へ向けて出発した。



 時計はそろそろ、夜から深夜と呼ばれる時刻に変わりつつある。
 ここ――ロブ基地の輸送船発着場では、明朝出発するネオタートルシップへの物資積み込みが急ピッチで行われていた。
「よし! この三体で最後だな!」
「あぁ! ゴドス三機、頼むぞ!」
 タートルシップつきの整備兵に、キャノピーを開け放ったコクピットから身を乗り出して怒鳴る小柄なパイロットが、そのまま器用に愛機を歩ませている。アルファン=ビダル軍曹である。
 彼と他二人――スタンレー、ライナスは、目下自分達の手でゾイドの搬入作業を行っていた。ちょうど二日前、このロブ基地に降り立った時のように。
 赤道直下の西方大陸。季節の変化は殆ど無く、一年中暖かい……と言うか暑い。夜となればいくらか涼しくなるものの、気温が下がる事でかえって湿度が上がり、蒸し暑くなる。海に程近いロブ基地ともなれば尚更だ。
「あっついな……」
 風族は古来、高地に暮らす部族だった。現在でもその慣習を残す風族の街で生まれ育ったアルファンには、このエウロペの暑さはいささか応える。
「おい! またこれくらいの暑さでへばってるのか!」
 ゾイドの駆動音に紛れ、後方から声が響く。あの声はライナスだ。
(何も怒鳴り声で会話しなくたって……)
 たかが搬入作業程度でヘルメットを着けるのも億劫なため、今の彼らには通信手段が無い。正確に言えば、アルファンがヘッドセットを装着しているだけで、他の二人は何も着けていない。
 しかしだからといって、わざわざ怒鳴らなければ会話できない状況で、無理矢理話す必要も無いとアルファンは思うのである。疲れるだけだ。
 とは言っても、疑問形な以上答えない訳にもいかず……
「ああ! 地面の下に住んでたオマエには、オレの気分は分からんだろうさ!」
 仕方なく、後ろを振り返って怒鳴り返してやった。
「テ、テメェ! そういう事を言うか! そりゃオレだけじゃなく、地底族全てに対する侮辱と取るが、いいんだな!?」
「バカ言え! 今時、本当に地面の底で過ごした経験がある地底族なんざ、デルポイ中探したってオマエくらいなもんだ!」
 こちらは、同じくゴドスを操っている鳥族のスタンレーである。彼ら鳥族も元は森林地帯に住んでいた部族だけあり、この湿気には強いようだ。飛行ゾイドには乗れなくても、こういう部分はしっかり鳥族な所が少々皮肉ではある。
「ああ!? まぁたそんな古い話を!」
 自分の忘れたい思い出ワースト・ワンを持ち出され、ライナスが悲鳴を上げた。彼は今まで生きてきて、散々この事柄についてからかわれてきているはずなのだが、一向にそれに慣れる気配がない。
「オマエら、後で覚悟しとけよぉ!」
 悲愴感すら漂う声音で叫ぶライナスの声を残し、三機のゴドスはタートルシップの中へと消えていった。


 ネオタートルシップには、ゾイド一個大隊分くらいを搭載できるだけの格納庫がある。
 だがこのタートルシップの格納庫にはゾイド十二機が駐機されているだけで、ほとんどがら空きの状態だった。
 いや、がら空きという表現は正しくない。空いたスペースは、補給物資のコンテナで埋め尽くされているからだ。
「こりゃまぁ……また目一杯積み込んだもんだな」
 コンテナの間を縫うように歩きながら、アルファンは辟易した声を漏らす。比喩ではなく、本当に格納庫が埋め尽くされているのだ。
「前線基地は、何かと入り用なのさ……」
 独り言のつもりだったのだが、後ろをついてくるスタンレーが頭の後ろで手を組みながら呟いた。その言葉に、改めて自分がこれから向かう場所の危険を実感する。
(前線基地か……)
 明朝、自分達が向かう基地が空軍の基地である事は、アルファンを始め部隊の全員が承知している。空軍基地ならば、前線といえどもそう危険な物ではないのかもしれないが、航空戦力への打撃を目的とした敵の攻撃も十分考えられる。矢張り、前線は所詮前線。デルポイ本土でのうのうと過ごしていた今までのように、気楽な気持ちでいる訳にもいかないという事だ。
「ま、待ってくれって……オマエら早いぞ……」
 アルファンがそう気を引き締めた直後だった。後ろに続くスタンレーよりもさらに後ろから、随分と弱々しい声が聞こえてきた。
「……プッ」
 背後を振り返ったアルファンは、その光景に思わず吹き出してしまう。
 そこには、大柄な体を二つのコンテナの間に押し込み、身動きが取れなくなっているライナスの姿があった。
「アハハハッ! ダッセー!」
 それを見たスタンレーも、無様なライナスを指差し、彼御自慢のバカ笑いを上げる。
「わ、笑うんじゃねぇ!」
 顔を真っ赤にして怒鳴るライナスだが、その行為はスタンレーのさらなる爆笑を誘っただけだった。本人は拳を振りかざして怒鳴りたいのだろうが、どうやら微動だにできないらしく、単に体が揺れるだけという間抜けさである。
 恐らくは、開いてしまったこちらとの差を縮めようと、歩くコースを短縮したかったのだろうが、自分の体格を計算に入れるのを忘れてコンテナ同士の隙間に入り込んでしまったらしい。
「こりゃいいや。今なら何でも言いたい放題だぜ」
 意地の悪い笑みを浮かべながら、スタンレーがライナスに近づいていく。これまたいやらしい足取りで。
「……ハァ」
 そんな光景――ライナスの耳元で何やら囁いているスタンレーの姿――を眺めながら、アルファンは苦笑を浮かべてため息をついた。
 これから先どんな戦地に赴こうとも、あの二人と一緒にいれば、慣れ親しんだ平和を感じられるのかもしれない。
 そんな事を考えていた。
「いやー、軍人さんてのは堅苦しい人ばかりかと思ってたんですが、なかなかに楽しそうな部隊ですなぁ」
 一分ほど、スタンレーとライナスのやり取りを見ていただろうか。不意に背後から声をかけられ、思索に耽っていたアルファンはビクリと体を震わせる。恐る恐る振り返ると、ここ――軍用輸送機の格納庫にはおよそ似つかわしくない、ジーンズにティーシャツ、袖をカットしたデニムジャケットという恐ろしくラフな格好の男が、古めかしいカメラを手にこちらを――正確には未だに遊んでいる二人の男の方を眺めていた。ボサボサの髪の毛と無精ヒゲが、随分ずぼらな印象を与える。
「アンタは?」
 どう見ても軍の関係者には見えないその男に、我に返ったアルファンは訝しげな眼差しを向けた。忍び込んだというのなら、叩き出すか警備の者に知らせなければならない。
「オレはアルトロス=シュタットフィール。フリーの記者……いや、トップ屋さ」
 男はニヤリと笑い、口元を歪めて見せた。
「トップ屋……って」
 また妙な表現を使うものだ。今時滅多に聞く事はない。わざわざそんな言葉を使うという事は、本人に特別な拘りでもあるのだろうか。
「ま、要するに記者って事か。取材許可証は?」
「疑り深いんだな、アンタ。えっと……どっかこの辺に……あ! あったあった」
 男――アルトロスとやらは、暫しジーンズやジャケットのポケットを漁っていたが、やがてどこからともなく、一枚のカードを取り出した。アルファンも数度目にした事はあるが、遠目には確かに、軍広報部が発行するパスカードに見える。
(本物か?)
 アルファンは差し出されたそれを受け取り、まじまじと観察する。この手の問題に関して専門的な教育を受けていないアルファンには、それが贋物であると証明するような何かを発見はできなかった。
 その隙にも、アルトロスはスタンレーとライナスの掛け合いを撮影するべく、手にしたカメラのシャッターを立て続けに切っている。もっとも被写体である当の二人は、その事にすら気付いていない様子だったが。
(本物……なんだろうな……)
 深く追求してもそう意味は無い。アルファンはそう判断し、手にしたパスカードを差し出した。
「いや、悪かったな。確かに本物みたいだ」
「そうだろう? これ手に入れるのに、いったい幾ら積んだと思ってるんだ」
 アルトロスはカードを受け取りながら、とんでもない事をさらりと口にしてみせた。ちなみに、カメラのファインダーから目は離していない。片手でカメラを保持し、なおも二人の兵士を狙っている。
(まぁ、いいさ。本物には変わりないんだろうからな)
 しかし、そんなコストを費やしてまでやって来たこの男が、輸送機の格納庫でいったい何をしているのだろうか。
「ところで……」
「アンタ、2087とかいう部隊の所属だろう?」
 だが、追及の矛先を変えようと口を開いた瞬間、逆にアルトロスの質問を受けてしまった。
「え?」
 突然彼の口上に上った数字に、アルファンは確かに覚えがある。まだ馴染みは無いが、間違いなく自分が所属する事となった、新設部隊の部隊ナンバーに相違なかった。
「おっと……部外者には話せないとか、そんなイケズな話はナシだぜ?」
「あ、あぁ……別にかまわんさ。アンタの言うとおり、オレの所属は2087中隊だ」
 相手の持つ雰囲気に気圧されながらも答えると、アルトロスは突然、カメラのレンズをこちらへと向けた。
「BINGO!」
「はぁ?」
 呆気にとられ、固まるアルファン。そんな彼をレンズに捉え、シャッターが落ちる。
「いい顔だ。さしずめ、“新設中隊員の苦悩”ってとこか」
 よく分からないタイトルに、肩をすくめるアルファン。
「……あまりいいネーミングセンスではないな」
「いいのさ。オレの仕事は写真を撮って記事を書く事で、そこにタイトルをつける事じゃないからな」
 身も蓋も無く言い放ち、ようやくアルトロスはファインダーから目を離す。かと思うと、前触れも無く、その手を差し出してきた。
「よろしくな、軍曹」
「ん? 何のマネだ?」
 アルファンには、別に記者などと仲良くする理由は無い。メディア関連の人間に、アルファン自身があまりいいイメージを持っていないというのも理由の一つではあるが。
 だが気にした風もなく、アルトロスは無理矢理アルファンの右手をその両手で掴むと、ブンブン縦に振ってくる。
「そう連れない事言うなよ。今日から……って言っても、もうすぐ明日だけどな。とにかく、これからしばらく、アンタ達の部隊に世話になる。だから……よろしくな」
 イメージのわりにはにこやかな、明るく朗らかな笑みを浮かべ、アルトロスはそう言った。
「世話になる……って言われてもなぁ……」
 戸惑いながらも、アルファンは彼を拒絶する事ができなかった。アルトロスの笑顔は、アルファンからそんな気さえ取り払ってしまったのだ。毒気を抜かれてしまった、とも言う。
(憎めない奴……)
 握手を交わす二人の後ろでは、スタンレーが未だ、コンテナに挟まったままジタバタしているライナスをからかい続けていた。

[199] Rookie & Marcenary 第八話 「人死にとメシ」 踏み出す右足 - 2008/04/15(火) 21:35 - MAIL

 へぇ……いいカメラね? けっこう年季が入ってるみたいだけど……

 あぁ、親父から譲り受けたんだ。親父はこいつだけをポケットに捻じ込んで、大陸間戦争の激戦区を渡り歩いたのさ

 ふぅん……ま、仲良くやってくれればなんでもいいわ。くれぐれも、面倒は起こさないでちょうだいね?


第八話「人死にとメシ」


 一機のネオ・タートルシップが護衛のプテラスを二機引き連れ、北エウロペの上空一万五千メートルの上空を飛行していた。大型船ならではの、ゆっくりとした飛行。最高速度マッハ2という能力を持つプテラスには退屈そうではあったが。
 そして、そんなタートルシップの艦内でも、時間は平穏無事に過ぎていた――少なくとも、今の所は。


「……ってわけで、これからウチの隊で写真屋を開いてくれるそうよ。せいぜい、男前に写してもらいなさい」
 フィーアの説明で、室内の視線がその男――薄汚れたシャツやジーンズに身を包んだ、ボサボサ髪の青年へと集中する。だが当の男は、そんな注目を知ってか知らずか。手にしたカメラのファインダーを通して、キョロキョロと部屋の中を見回している。
「……隊長」
「ん?」
 そんな男を、胡乱な眼差しで見やりながら声を上げた男がいる。真っ赤なバンダナ越しに額に手をやっているのは、“白髪鬼”こと、ガイサック使いのカルロスだった。
「どうしてこの部隊に? 人死にをメシのタネにしているようなヤツなら、他にもっと相応しい所があるのでは?」
 彼のその問い掛けは、大なり小なり、誰もが胸に抱いていた。そして、例外なく現実の厳しさを知る彼らは、こうも思っていた。
「戦いのなんたるかも知らない、青二才達を鍛えるんだろう? それも実戦で。人死にの見物に、これ以上お誂え向きな場所は無いじゃないか」
 その気持ちを代弁したのは誰あろう、カメラを手にする青年だった。一転、室内が一挙に色めき立つ。
「おい……」
 スタンレー、ライナス、アークエットといった血の気の多い面々が、表情も厳しく腰を上げた。
 ここは、タートルシップに設けられたブリーフィングルームの一室。艦内で思い思いの時間を過ごしていた第2087中隊の面々は、突然の艦内放送でフィーアに呼び出されたのである。当惑気味な顔を突き合わせ、ブリーフィングルームのドアを潜った彼らが目にしたものは、美人隊長と居並ぶカメラマンだったというわけだ。
 彼は名をアルトロスと名乗り、しばらくこの中隊で世話になると挨拶したきり、ずっとカメラのファインダーを覗き込んでいる。仕方なく、フィーアが戦場カメラマン、及び従軍記者であるという彼の身分を説明したのだった。
「ん? 何か用かい?」
 ようやっとカメラから目を離すと、アルトロスはさも不思議という表情で一同――特に厳しい表情で立ち上がっている三人へと顔を向ける。自分が失言を発したなどとは微塵も感じていないらしく、悪びれる様子は無い。
「オマエ何様のつもりだ? 思ってても、言っていい事と悪い事があるぞ?」
 真っ先にアルトロスへ詰め寄ったのはスタンレー。足こそ踏み出さなかったものの、ライナスやアークエット、そして立つ事をしなかった他の者達も気持ちは同じらしく、一様に険しい視線を送っている。フィーアだけが、事の成り行きを見守る(楽しむ?)かのように部屋の隅に陣取り、暢気にタバコを吹かしていた。
「あれ、何も変な事言ったつもりはないんだけどな。オレの言った事、何か間違ってるかい?」
 しかしアルトロスはカメラを弄りながら、臆面もなく言い放った。周囲の剣呑な雰囲気を気に留めた様子もない。
「ふざけんな!」
 その節度の無さに、遂にスタンレーの堪忍袋が限界に達した。アルトロスの胸倉を左手で掴み上げると、空いた右手を握り込み、振りかぶる。
「スタンレー!」
 咄嗟にアルファンが上げた静止の声も、彼の耳にはとどかなかった。
「グッ――!」
 左の頬に拳を叩き込まれ、吹っ飛ぶアルトロス。彼も貧弱な体格をしているわけではないが、兵士として訓練を積んできたスタンレーの拳を不意打ちで受けては無理もない。床に叩きつけられてもカメラを手放さなかったのは、彼のジャーナリスト魂の賜物だろう。
「オレはな、人の命を食い物にするテメェらマスコミってのが、大っ嫌いなんだよ!」
 倒れたアルトロスに向け、思いのたけを吐き散らすスタンレー。厳しい語調が、彼の怒りを物語っている。
 周囲からはアルトロスへの同情の視線も向けられているが、誰も彼に駆け寄ったりしないのは、スタンレーと同じような気持ちを誰もが少なからず抱いているからだ。
「さすが軍人。パイロットでも、腕っ節は鈍ってないってわけだ……」
 殴られた頬をさすりながら、アルトロスは身を起こした。床に胡坐をかいて、カメラにダメージが無かったか早速点検を始める。
「コイツ……」
 相手の人を食った態度に、スタンレーの怒りのボルテージが再び上がり始めた時、
「なぁ?」
 視線を手の中のカメラに向けたままで、再びアルトロスが声を上げた。
「なんだ?」
 忌々しげに吐き捨てるスタンレー。これ以上会話もしたくなさそうな様子だったが、疑問形の言葉につい反射的に応じてしまったようだ。ほとんど一触即発の状況を、周囲も固唾を飲んで見守っている。
 そんな中でアルトロスは、自分の置かれた立場を分かっているとはとても思えないセリフを、その言葉に乗せた。
「確かにオレ達にとって、人死には一番割りのいいネタだ。でも、それはアンタ達も同じだろう?」
「なっ……」
 スタンレーの顔色が目に見えて変わる。
「軍人ってのは、人を殺してナンボの仕事じゃないのか?」
 見物者の何人かが慌てて席を立ったのはその時だった。
「オイ、よせ!」
「落ち着けスタンレー!」
 完全にブチ切れた表情でアルトロスに近寄ろうとしたスタンレーに、間一髪の所で飛びつくアルファンとヴァージル。そうでなければスタンレーは、アルトロスが動かなくなるまで拳を振り下ろしたかもしれない。
「おいコラ! もっぺん言ってみろテメェ!」
 スタンレーの激情は本物だった。自分と同じくらいの体格の二人に羽交い絞めにされながら、なおもスタンレーはアルトロスへとにじり寄っていく。
「人死にでメシ食ってるのはアンタ達も同じだろって言ったのさ」
 だが、鬼の形相で迫りくるスタンレーに対して、アルトロスは正確に回答してみせた。
「いい度胸じゃねぇかテメェ……放せよ! こんだけ好き放題言われて黙ってられるか!」
 完全に激昂したスタンレー。二人を振りほどこうと、その身を激しくよじる。しかし、それをさせてはアルトロスの最期だ。アルファンとヴァージルは必死でスタンレーに喰らいついた。
「ゴメンゴメン、遅れちゃったわね」
 そんな時だった。部屋の入り口から、間延びした女の声が響いた。誰もが――当事者であるスタンレーやアルトロスですら――あまりに場違いな和やかな声に、視線をそちらへと向ける。そこには――
「姐さん……」
 アークエットの呟きが、時間の止まったブリーフィングルームの空気を震わせる。
「……何かしら?」
 自分に集まる視線に居心地悪そうに身じろぎしながら声を上げたのは、フィーアの姉――リヴェリスだった。ひどい遅刻だが、特にそれを気にした様子も無い。なにぶん隊長の姉という事もあり、誰も彼女を諌める事ができないのだ。
「……何してるの?」
 更に彼女は、二人に組み付かれたスタンレーと床に座り込んだアルトロスを交互に見比べて、不思議そうな声を上げる。
「いや、その……」
 スタンレーに組み付いたヴァージルが、何かいい言い訳は無いかと思案する内に……
「よく似てるなぁ。少佐の親類か何かで?」
 軽快なシャッター音と共に、アルトロスがリヴェリスへと質問をぶつけていた。
「まぁ、そうだけど……あなたは?」
 紹介の場に居合わせなかった彼女は、アルトロスの素性を知らない。疑問の言葉も当然だ。
「トップ屋のアルトロス=シュタットフィールだ。一つ、よろしくな」
 まるでスタンレーとの確執など無かったかのように、アルトロスは自己紹介を行う。一瞬、トップ屋という微妙な表現に首を傾げたリヴェリスだったが、
「えぇ、よろしく」
 やがて笑顔と共に、その美しい声で言葉を返した。しかし、彼女の疑問は全てが氷解した訳ではない。
「それで? あなた達は何をしてるの?」
「いや、それが……」
 ようやく言い訳を思いつき、口を開くヴァージル。だがそれを遮るように――
「チッ……」
 舌打ちと共にスタンレーが腕を振るい、彼の手から自分の身体を解放する。
「あっ!」
 言いかけた言葉も飲み込み、慌ててアルファンと共に彼を取り押さえようとしたヴァージルだったが、スタンレーはそれっきりアルトロスに手を上げようとはせず、
「隊長。話は終わりですか?」
「えぇ。時間とって悪かったね」
 たったそれだけの会話を残し、リヴェリスの横をすり抜けて部屋を出ていった。リヴェリスの登場に、毒気を抜かれてしまったようだ。
「何だったの?」
 後に残ったのは、リヴェリスの疑問と、
「はぁ……」
 気を揉んだアルファン、ヴァージルのため息と、
「……こりゃ、しばらく退屈しないで済みそうだ」
 去り行くスタンレーの後ろ姿をファインダー越しに見つめながら小声で呟いた、アルトロスの言葉だけだった。



「悪いわね、姉さん。気を遣ってもらって」
 ほとんどの面々がブリーフィングルームを辞した後、そこには二つの人影――窓辺で紫煙をくゆらせるフィーアと、手もたれに物書き用のスペースが設けられたパイプ椅子に腰を下ろし、頬杖などついて思案に耽っているリヴェリス。二人の姿が残された。
「何の事かしら?」
 リヴェリスは瞳を閉じたままで、思わせぶりな微笑を浮かべて見せる。
「……まぁいいけどさ」
 あの時、もしリヴェリスが部屋に入ってこなければ、怒りに駆られたスタンレーは制止を振り切り、アルトロスをさらに痛めつけていただろう。そんな事態を回避できたのは、リヴェリスがあの絶妙のタイミングで部屋へ入ってきたからだ。
 それが偶然ではなく、姉の故意によるものだと、フィーアは半ば確信していた。
「そんな事より、アナタ何を考えてるの?」
 今度口を開いたのはリヴェリス。頬杖をついたまま、視線だけを妹へと向けて言葉を続ける。反面フィーアの方は、窓の遥か下を流れていく赤い砂漠を見つめている。微々たる違いしかない顔の持ち主(その微かな違いが決定的なのだが)が、お互いの視線も交えずに会話を繰り広げている様は、一種異様でもあった。
「何って何さ?」
「あんな人間を招き入れればトラブルが起こる事くらい、アナタも分かっていたはずでしょう?」
 ただでさえ、新兵というトラブルメーカーの面倒を看なくてはならないのだ。余計な手間は、戦場での間違いにも繋がりかねない。
 しかしその問い掛けに、フィーアは一瞬の沈黙を挟んでこう答えた。
「……何の事かしら?」
 言いながら、短くなったタバコを、手近に引き寄せてあったスタンド灰皿に放り込む。同時に、ズボンのポケットからは再びタバコの箱を取り出す事も忘れない。
「…………」
 リヴェリスの方は、「まぁいいけどさ」等と言う事はせず、そのまま口を閉ざしてしまった。特に気を悪くした様子はないので、わざわざ突っ込んで訊くのが面倒だったか、さして興味がある話題でなかったかのどちらかだろう。
 結局、二人の間にはそのまま沈黙が垂れ込める。フィーアが手持ちのタバコを吸い尽くして部屋を後にするまで、二人の間には会話らしい会話も無かったのだった。
「理想を語るだけの人間には、見届けられない物もあるさ。アイツは、知ってる……」
「そう、彼も――」

[200] Rookie & Marcenary 第九話 「積み上げた歴史の価値・前編」 踏み出す右足 - 2008/05/29(木) 01:20 - MAIL

 何ですか、ヴィクセンがオレに用なんて……

 ミューズ一帯の事なら、アナタが一番って聞いたのよ
 一つ、頼まれてくれないかしら?


第九話「積み上げた歴史の価値・前編」


 寂れた町があった。オレンジ色の夕日が似合いそうな田舎町。太古の地球に存在した、“西部劇”というのを思い浮かべてもらえれば、この町のイメージにピッタリかもしれない。もっとも、今は高い位置からの陽光がさんさんと降り注いでいるが。
 町には数えるほどの家屋と、飲食店兼酒場が一軒。そしてこれまた、数えるほどの商品しか扱っていない商店。名ばかりの保安官事務所(保安官は言い過ぎかもしれないが)。
 南にはエウロペで最大の面積を誇る湖――ヘスペリデス湖があり、その湖畔にもわりと大きな街がある。最近では近くに、進出してきた共和国軍の空軍基地もできたとか。この小さな町が人の住める場所として成り立っているのは、ひとえにその街があるおかげである。
 情報屋スティグマと名乗る男は、砂漠の乾いた風が吹き抜ける町並を感慨深げに見渡した。
 短い銀色の髪はかなり明るく、埃っぽい風に吹かれてわずかに揺れている。幼さの抜け切らぬ顔に据えられた美しいサファイアブルーの瞳が、陽光を浴びて輝いていた。
(ここに来るのも、何ヶ月ぶりか……)
 彼が前回ここに足を運んだ時は、なかなかに賑わっていたものだった。どこか殺気立った雰囲気ではあったが。
(静かなもんだ。それも、今の内なんだろうけどな……)
 あの頃を知る者の一人としては、一抹の寂しさを禁じえない。
 二ヶ月ほど前。エウロペ大陸に、北のニクス大陸からガイロス帝国軍が侵攻。武力をもって、北エウロペ大陸の西部を制圧した。統一国家を持たぬエウロペ大陸の制圧は、ガイロス帝国にとって容易であったと言われている。
 しかし、侵攻する帝国軍に立ち向かった者達がいた。傭兵を主力に徒党を組んだ彼らはエウロペ抵抗軍と名乗り、各地でゲリラ戦を展開。帝国軍に挑んだのである。
 その際、エウロペ東部の傭兵達が集ったのがこの町――タリナだった。レッドラストの東端に位置するこの町は、帝国の侵攻した大陸西部から距離があり、安全な拠点として利用できたのである。
 スティグマ本人は情報屋としてのコネを活かし、各地の拠点を繋ぐ連絡係兼、傭兵の勧誘役として活動していた。自然、この町にも立ち寄る機会は多くなった。
 結局抵抗軍は、帝国軍との戦闘で組織力を失い、解散という形で敗北している。生き残った者達も、残党狩りを避けて散り散りとなり、今では連絡もまともに取れない。別の大陸へと渡ったのか、それとも帝国軍、共和国軍、どちらかの軍に雇われているのか。はたまた、どこかでひっそりと隠棲でもしているのか。
(そもそも、生きているのかさえ疑問だ……)
 そんな疑念を抱かずにはおれない世界なのだが、無事に生き延びた人間も存在する。今回、スティグマがこのタリナを訪れたのも、抵抗軍時代の知り合い、“ヴィクセン”と呼ばれる女傭兵から依頼を受けたからである。曰く、「腕が立って、面倒見のいいゾイド乗りを集めてきてほしい」と。
 そんな理由でスティグマは、腰を据えていたロブ基地近くの街――ナーエ市を離れる破目となり、この寂れた町にいるのだ。
 もっとも、ヴィクセンが町まで指定したわけではない。スティグマの情報網に、タリナに未だ居座っている抵抗軍残党の話が引っかかったのである。
 その情報の裏を取ったスティグマは、その信憑性を認め、行動に移った。どうやら面識のある傭兵ではなさそうだが、噂のほどはいくらか耳にしている。なんでも“鉄人”と呼ばれる傭兵らしい。
(鉄人、か……)
 果たしてどんな人間か。話によれば、一軒しかない酒場を根城にしているとの事なのだが。


 “荒野の風亭”という看板の下がった酒場。その入り口も、町の雰囲気を裏切らぬ代物だった。
 胸から腰くらいまでの高さに据えられたスイングドアを、ゆっくりと押し開くスティグマ。ドアの立てた軋み音は、閑散とした店内の隅々にまで響き渡った。
 板張りの床は所々に汚れも目立ち、この店の歴史が窺える。だがその汚れというのは、決して手入れが行き届いていないというのではない。避けようのない、経年の劣化といった所だ。
 小さな店内には、これまた小さなカウンターと、テーブルが三つほど。それで一杯である。窓は大きく、店内は陽光で満たされている。夜ともなれば、星見酒と洒落込む事もできるだろう。
 店内には、三つの人影があった。
「いらっしゃい」
 一人目はカウンターの中で、椅子に腰掛けながらグラスを磨いている女性。使われた形跡も見られないグラスは、曇り一つ無いその身を陽光で輝かせている。
 雰囲気から推して、この店の女主人と言ったところだろう。歳は五十代、地球人の年齢にすれば三十半ば辺りか。化粧っ気の無い顔と地味なエプロン姿のせいで今一つパッとしないが、下地は十分整っている。それなりにメイクアップして着飾れば、男好きのする色っぽいマダムとなるだろう。
(鉄人……ってイメージじゃないな)
「…………」
「…………」
 残る二人はカウンターとテーブルに腰を落ち着け、無言のまま酒や食事を口に運んでいる。
 カウンター席には老齢の男。齢は百にとどこうかと思える風貌の持ち主である。顔には彼の歩んできた歴史が皺という形で刻み込まれており、その髪からも色が失せて久しいようだ(それとも、髪が失せていないだけマシなのだろうか)。まだまだ童顔の気が抜け切らぬスティグマとは正反対だ。握ったグラスを見つめる瞳も、淀んだ光を湛えているに過ぎない。
 周囲には空になったビンが散乱し、身につけた衣服も砂や汗、脂でひどく汚れている。恐らく数日もの間、風呂にも入らずにここで飲んだくれていたのだろう。
 なんにしろ、腕利きの傭兵にはとても見えない。
(この男……じゃないか……)
 スティグマはサファイアブルーの視線を、カウンター席からテーブルへと転じた。今度は一転して、少年が食事をがっついている。
 身なりは先程の老人同様、あまり綺麗ではなかった。ただそれも、ほこりっぽい土地柄という理由もあるだろう。この辺りでは特に珍しい訳でもない。大雑把に切られた茶色の髪の毛も、砂漠の風に吹かれてボサボサである。
 少年は、スティグマが店のドアをくぐった一瞬、齢に似合わぬ鋭い視線で一瞥をくれたが、その後はテーブルの上に注意を戻し、皿の上の料理をせっせと口に運んでいた。こちらを射るような瞳が、スティグマの目に焼きついていた。
 しかし言っては悪いが、所詮は子供。鉄人などと呼ばれる腕利きの傭兵とは無関係に思える。
(関係は、無さそうだな……)
 ファーストインプレッションで目的の人物を見つけられなかったスティグマは、仕方なくカウンターの一席へと腰を下ろす。老人との間には三つほどの椅子があったが、それでも彼の酒臭い息は、スティグマの鼻腔を刺激した。
「どうしたのかしら。今日は大繁盛ね」
 スティグマの前に水の入ったグラスを置きながら、女主人――女将(こう呼んだ所で差し支えないだろう)が嬉しそうな笑みで声をかけてきた。店がこの有様なら、話し相手の一人も欲しいのは道理だろう。
「何か、腹にたまる料理を一つ」
 実は朝から何も食べていなかったスティグマは、出された水で口を潤しながら、ひとまず料理を注文する。水は生ぬるく、ここが砂漠の町と再認識させる代物だった。半童顔を少々歪めるスティグマ。これでも貴重な品なのだろうが。
「分かったわ」
 女将は一つ頷くと、カウンターの奥へと消えていく。恐らくそちらに厨房があるのだろう。間もなく、食欲を誘う香りが、主人の消えた先から漂ってきた。
「こりゃあいい……」
 タダで話を聞くというのも躊躇われ、特に何を期待するでもなく注文したのだが、これはいい誤算になりそうだった。途端に腹の虫が騒ぎ始める。
 スティグマが鼻をひくつかせながら、甘い期待に耽っていたその時――
 背後で上がった物音に、スティグマは首だけをそちらに向けた。
「――ん?」
 そこでは、いったい何がそんなにつまらないのか。随分な早食いで食事を終えた少年が、仏頂面のまま椅子を蹴立て、席を立った所だった。スティグマが入ってきた時にまだ埋まっていた皿達は、まるで舐め取られたかのようにピカピカになり、整然と積み重ねられている。
「…………」
 少年は沈黙を保ったまま、注目するこちらを気にも留めず、淀み無い足取りで出口へと向かっていく。
「――って、オイ!」
 その姿をボーっと眺めていたスティグマは、その不自然さに気付いて慌てて声を上げた。このまま店を出て行けば、それは無銭飲食――早い話が食い逃げである。
「待て!」
 店の出口まであと数歩という段になっても、スティグマの声を全く聞こうともしない少年に、遂にスティグマは席を立った。そのまま彼に歩み寄り、その肩に手を置く。
「オレが口出すのは筋違いだろうけどな。メシ食わせてもらっといて礼もせんってのは、ちょっとムシが良すぎるんじゃないのか?」
「…………」
 少年は答えなかった。ただ、忌々しげな眼差しで、自分の肩に置かれた手を見つめている。スティグマの物より、もっと明るい青に染まった瞳。
「持ち合わせが無いって言うんなら、今はオレが貸しといてや――」
 更に言葉を重ねたスティグマはしかし、皆まで言い終わる事ができなかった。
「――え?」
 気付いた時には背中に鈍痛。視界がぐるっと回転し、気付いた時には、スティグマは店の床に仰向けに叩きつけられていた。
(コ、コイツ……!)
 床に手をつき、慌てて身を起こすスティグマ。しかし彼が目にしたものは、こちらを見下ろす少年の姿ではなく、金具を軋ませながら虚しく揺れる、出入り口のスイングドアだった。
「逃がすか!」
 勢いよく立ち上がり、スティグマもスイングドアをくぐる。
「クッ……!」
 すぐさま視界を左右に振り、少年の姿を捜し求めたが――時、既に遅し。彼の姿を発見する事はできなかった。あの少年の行き先に心当たりがある訳でもないスティグマは結局、半童顔をしょげさせつつ、飲んだくれ老人一人が待つ店内へと戻らざるを得なかった。
「どうかしたの?」
 彼を待っていたのは、不思議そうな女将の表情と、カウンターの上で湯気を上げる料理。酔いどれは我関せずといった様子でグラスに口付けている。
「面目ない。目の前でまんまと食い逃げされちまいました……」
 ガックリと肩を落としながら、力無くカウンター席に腰を下ろすスティグマ。
「食い……逃げ?」
 しかし、空の食器が積まれたテーブルを眺める女将の声には、何故か悔やむような響きは無かった。
「あの席で食ってた子供ですよ。止めようとしたんですが、軽くあしらわれましてね」
 言い訳がましいと分かっていながらも、口から紡ぎだされる言葉は止まらない。
 情報屋といえど、スティグマも自分が、社会の裏側に身を置いているという自覚はある。いくらかの護身術――平たく言えば、喧嘩のやり方というのも心得ているつもりだ。しかしそれが、年端も行かぬ少年にいいようにあしらわれたのである。ショックを受けるのは、スティグマでなくても無理からぬ所であった。
「なんか……オレが払いますよ。食い逃げされた分……」
「いいわよ別に」
「でも……」
「もともとお金取るような相手じゃないから」
「……え?」
 出された食事に口を付けた瞬間の女将の言葉が、スティグマには一瞬理解できなかった。
「そりゃ……どういう意味で?」
 理解できなかっただけに、問い質す。
「あの子はウチに住んでるのよ。よって、あれは毎日の食事」
「あ、そう……なんですか……」
 思わぬ展開に、スティグマは肩を落とした。安っぽい正義感から意気込んでみれば、結局は自分の空回り。一人相撲だった。その上、薄っぺらではあったが男としてのプライドも無残に打ち砕かれ、まさに踏んだり蹴ったりである。
「まだここが賑わってた頃よ。二ヶ月……いや、もうちょっと後かな……」
「うん?」
 傷心のままに食事を平らげ始めたスティグマに、女将はちょっとした昔話を始めた。スティグマも手を動かすペースを落とし、彼女の言葉へと注意を傾ける。
「珍しく雨が降ってたのよ、この乾いた町に。二〜三日降り続いてて、辺りの地面も川みたいになってたわ」
 過ぎし日に思いを馳せる女将は、遠い目でここではないどこかを見ながら話を続けた。
「雨で客の入りも悪いし、店仕舞いの準備しようと思って表に出たのよ。そしたらね、あの子が濡れネズミになって、店の前に突っ伏してたの。もう驚いたのなんのって。慌てて客も呼び集めて、店の中に引きずり込んだわよ」
 そう言ってカラカラと笑う女将に、スティグマも笑みを返す。
「聞いたら、ここ数日飲まず食わずだって言うじゃない? もうメニューを片っ端から食べさせてあげてね。お風呂にも入れてあげたら、行く場所も無いから手伝いで置いてくれって」
 女将が言うのは、抵抗軍の壊滅も時間の問題となっていた頃だろう。まだ幾分かの賑わいを見せていた事もあり、町はこの店の他にも、数軒の飲食店兼酒場が営業する事態となっていた。抵抗軍解散と共に町からは活気が失われ、結局は最初から営業を行っていたこの店だけが残ったわけだが、スティグマがここを訪れた際に利用していたのは専らそれら急造店の方で、この店に入ったのは今日が初めてである。
(もしあの頃にこの店に入っていたら、アイツとも顔を合わせていたって訳か……)
 それならば、いたずらに恥を晒す事は無かったかもしれない。今さら言った所で詮無い事だが。
「人手が増えるのは大助かりだったんだけどね。今の状態じゃ、アレの食費の方が大変なくらいよ」
 半ば冗談のようなセリフを吐きながら、女将はカウンターを出て、少年が空にした食器を片付け始める。かなりの数のそれらをうまい具合に重ねると、それを手だけでなく手首などにも乗せて、危なげない足取りで一旦厨房へと引っ込んでいった。
 あれだけの量を毎食平らげるというのならば、確かに店の収支が赤字になってもおかしくない。何しろ、昼時にも拘らず客入りがこの有様である。
「チョット無口だけどね。いい子だよ」
 恐らく、スティグマが使っている食器も一緒に洗ってしまうつもりなのだろう。あれだけの数を洗ったにしては、いくらなんでも早すぎる再登場だ。
「腕っ節も、悪くないようですしね……」
 急かされるように食べるペースを若干上げながら、未だに鈍痛が走る背中を気にして、スティグマは自嘲的に笑って見せる。大人一人軽々と投げ飛ばすというのだから、まったくたいしたものだ。
「え、何だって?」
「いえ、何でも――さて、ご馳走様。美味かったですよ」
 食事を終え、手にした食器を空になった皿の上に置いた所で、スティグマはいよいよ、話の本題を切り出した。
「ところで、人を捜しているんですが……」
「人? こんな辺鄙な町に立ち寄る人間も、そうそういないからね。会った事があれば、流れ者でも覚えてるつもりだけど?」
 頼りになりそうな言葉を受け、スティグマは“鉄人”と呼ばれる傭兵の情報で、自分が知る事の全てを女将に伝えた。
「鉄人……かぁ……」
 女将は、与えられた情報を吟味するように、アゴに指を当てて思案を始める。視線が、さして広くも無い店内を妙な具合に漂っていた。どうも、何かを知っているようだが。
 と、その時――
「……兄ちゃん。鉄人、探してんのか?」
「え……?」
 横合いから不意にかかった声に、スティグマは視線を振り向ける。同時に鼻腔をくすぐった酒臭い息が、言葉の主があの酔いどれの老人である事を物語っていた。
「探してんのか?」
「あ、あぁ……」
 その、酔いも高齢も感じさせぬ迫力の声に、スティグマは思わず息を飲んだ。先程まではただの酔っ払い爺だと思っていたのだが、今その身に纏っている雰囲気は只者ではない。いったい何者だろうか。
「ラオシーツさん……」
「いいって事さ」
 心配そうな女将を、ラオシーツというらしき老人は言葉と共に片手を上げて制する。
 確かに女将は、鉄人の事を知っていたのだ。そして、鉄人がこの店を根城にしている情報も、恐らくは事実だろう。
「アンタが、鉄人か?」
「オレが鉄人? こんな酔っ払い捕まえて言う事じゃねぇな、そいつは。オレはそう……言うなら仲介って所だ」
 そんな事を言いつつ、再びグラスに口をつけるラオシーツ。
「それじゃ、アンタが引き合わせてくれるってのか? 鉄人に」
「まぁな。だがその前に、一つ訊いとく事がある。鉄人を雇いたいってのは、兄ちゃんか?」
「いや。オレは話をつけてきてくれって言われただけだ。雇い主は、共和国軍の少佐だ」
「あん? なんだそりゃ」
 聞きなれぬ響きに、ラオシーツが眉根を寄せる。
「軍絡みのくせに、個人の依頼だってのか?」
「なにやら変わった御人らしいな。とにかく、そういう事だ」
 スティグマも、その少佐とやらに直接会っ会ってはいない。ヴィクセンの妹だという話くらいは聞いているが、それを言っても意味は無いだろう。
「で、オレが依頼人じゃなかったらどうなんだ?」
「だったら、その依頼人本人を連れて来る事だな。鉄人は、人づての話は受けん。自分の目で、その依頼人を見極めるんだ」
「……そうか」
 道理で、今もフリーな訳である。そんな面倒な男、二国の軍部が雇うはずが無い。そもそも、自分で売り込みもしないのだろう。
「もう一度訊くが、依頼人を連れて来れば、取り次いでもらえるんだな?」
「あぁ、安心しろ」
 ラオシーツは話が済んだ事を感じ取ったか、空になったグラスに酒を注ぎ始める。
 スティグマは立ち上がり、カウンター席に食事の代金を置くと、「ごっそさん」と残して店の出入り口であるスイングドアへと向かった。
「ん……?」
 道中ふと、カウンターの棚が目に入る。不思議な事にグラスや食器類が並ぶのみで、酒瓶は一本も無い。
「この町も半分砂漠みたいなものだから、昼と夜で気温の差も激しいの。お酒の温度管理はしっかりしないと、すぐに味が落ちるのよ」
 疑問を口にするスティグマに女将は答え、カウンターの下に設けられた定温庫――店の雰囲気に似合わぬ最新の高機能型と見受けられた――から、一本のボトルを取り出した。
「そんな高い酒も?」
 銘柄に、スティグマは目を丸くする。一本の値段で、この店の売上が数ヶ月単位で吹き飛びそうな高級品だ。逆に言えば、この店が現在の売上でやっていけるのであれば、一人の客がこのボトル一本を注文しただけで、店は向こう数ヶ月のバカンスが約束される事になる。
「……まぁ、酒の格は店の格ですから。扱ってる酒も一流なら、店も一流――」
 言ってしまってから、自分の言葉が皮肉以外に取りようが無い事に気付くスティグマ。しかし、吐いた唾を飲み込むような芸当などできはしない。
「無理しなくてもいいわよ。確かに、こんなボトル入れてくれるお客なんて、それこそ何ヶ月も縁が無いから」
 だが、女将は苦笑しながらも、さして気を悪くした風も無く言う。未だにグラスを傾け続けるラオシーツは、何やら気まずげな苦笑をこぼしていた。
「これは、以前この町が賑わってた頃の名残。手放しても良かったんだけど、お客さんの注文にはできるだけ答えられるようにしておこうと思って」
 苦しい経営の穴埋めよりも、彼女は店を訪れてくれる客の満足を願ったようだった。損得を抜きにした商売とは、なかなかできる事ではない。
 スティグマは情報屋として、自分の頭の中の名店リストに“荒野の風亭”と書き込んでおく事にした。これも何かの縁、仲間内の飲兵衛共に軽く宣伝しておくのもいいだろう。
「それじゃ、もし何かあった時には、それで祝杯をあげに来ますよ」
 店を出る間際、そんな事を言い残すのも、スティグマは忘れなかった。



 時間は数日後へと移る。
 この日、第2083独立特殊教練中隊隊長のフィーア=ファーガスト少佐は、馴染みの銘柄のタバコを咥え、愛機のコクピットにその長身を収めていた。と言っても、演習や作戦行動のためではない。今の彼女は単なる足として、巨大な機械の獣を駆っていたのだ。
(“鉄人”ね……アタシの御眼鏡に適えばいいけど……)
 そこまで考え、それが逆である事も思い出す。フィーア自身が鉄人に認められなければ、彼(或いは彼女)の協力を取り付ける事はできないのだ。
 フィーアの中隊一行が、所属の基地――ヘスペリデス湖畔の第二空軍基地に到着したのが今日の朝。それから間を置かず、フィーアは愛機であるゴジュラスの持ち出し許可を取り付け、北のタリナへと急いでいるのである。姉を通して情報屋から伝えられた、鉄人とあだ名される傭兵と接触するために。
「ん〜、こういう時、アンタは頼りにならないねぇ……」
 タバコを揺らしながらフィーアがこぼすと、それに応えたのか、はたまた単なる偶然か。コクピットの下から不機嫌そうな唸り声が上がった。
「そりゃあ、シールドやコマンドはアンタみたいにタフじゃないし、パワーも無いけどさ」
 フィーアのぼやきも、無理からぬ所だった。ゴジュラスの最高速度は、時速にしてわずか七十五キロ。足として使うならば、車の方が道具として遥かに効率がいいのは分かりきっている。
 それにも拘らず、フィーアがわざわざ許可を取り付けてまでゴジュラスで飛び出したのは、ひとえに、彼女自身がそれを必要と感じたからだった。
(相手を測るには、直に手を合わせるのが一番手っ取り早いからね……)
 つまり、そういう訳である。
「結局アンタは、全部アタシが悪いって言いたいわけね? 分かってるよ。全部アタシが悪いのさ!」
 ヤケクソ気味に言い放ったフィーアの言葉に、ゴジュラスが我が意を得たりとばかりに、軽い咆哮を上げた。


 タリナの入り口でフィーアを待ち受けていたのは、銀色の髪と青い瞳を持つ青年だった。顔にはまだまだ幼さが残っており、その雰囲気を和らげている。
「まさかゴジュラスでやって来るとは……」
 ゴジュラスを停め、大地に降り立ったフィーアを出迎えたその青年は、開いた口が塞がらないといった様子でそう呟いた。
「アンタが姉さん……ヴィクセンが言ってた情報屋? 確か……スティグマとか?」
 自分に向けられる奇異な視線をヒシヒシと感じながらも、フィーアは敢えてそれを無視して声をかける。
 短い銀髪、サファイアブルーの瞳、半童顔。目前の男の容姿は、姉の言葉と寸分違わず一致していた。
「あぁ、そうだ。そう言うアンタは、フィーア=ファーガスト少佐? ヴィクセンの妹っていう?」
「えぇ……」
 一応、胸元の名前なんぞを見せてみるが、それくらいで信用されるとは思っていない。こんな物は幾らでも誤魔化しが効く。もっといい方法があるかもしれなかったが、遠路はるばるやって来た目的は、目の前の情報屋――スティグマに信用される事ではない。
「それで? “鉄人”とかいうのは、ドコのどいつ?」
「こっちだ。ついてきてくれ」
 スティグマは、言うと同時に背を向けながら、片手で手招きして歩き出す。ただ言葉とは逆に、フィーアが本当についてくるかなどまったくお構いなしのようで、彼女が歩き出すのを待とうともしなかった。
(無愛想なヤツだね……)
 彼の中では、相手の応接まではペイの内に入っていないらしい。よく言えば、それもプロ意識なのだろうか。
 とにかく、フィーアもスティグマの後を追う。ゴジュラスはこの場に放置する事になるが、スティグマが徒歩である以上、そう距離が離れているという事もないだろう。キャノピーもロックしてあるので、恐らくは大丈夫なはずだ。
 僅かな小走りでスティグマに追いつくと、フィーアは新しいタバコを取り出しながら間をもたせるために話しかける。
「で、どんなヤツなんだい? その“鉄人”って」
「さぁな」
 咥えたタバコに、火が点る。
「……男? 女?」
「男じゃないのか? 女だてらに“鉄人”なんて、ちょっと渋すぎるだろう」
 紫煙が、空へと立ち昇る。
「…………歳は?」
「結構、イッてるんじゃないのか? オレくらいの若造には、“鉄人”なんて名前負けだ」
 乾いた風が吹き抜ける荒野に、掠れた一音が響いた。
「ん?」
 聞き咎めたらしきスティグマが、その出所を求めて背後を振り向いた。そこへ、狙いすましたフィーアの右手が伸びる。
「ぐっ……ぉ……」
 女性の細腕(それも片手)とは思えぬ怪力で、彼女の腕はスティグマの襟元を締め上げ、と同時に、自身の顔へと引き寄せていた。
 長身のフィーア。性別の違うスティグマと比べても、その身長は遜色ない。二つの顔は、ほとんど真っ正面から接近した。
 先程の掠れた音が、今度は連続して響く。その出所は、タバコを咥えたフィーアの口元。まだまだ長さのあるタバコのフィルターが、ヘビースモーカーらしからぬ真っ白な歯によって、歪な楕円形に噛み潰されていた。
「アンタ、ぶっ殺されたいのかい? 仮にも情報屋を名乗るんなら、キッチリ仕事こなしたらどうなんだい?」
 まるで自分をバカにしたような返答に、フィーアは逆上しかけていた。生来の短気を姉との生活でいくらか鍛えられていなかったら、目の前の男を殴り飛ばすか蹴り飛ばすかしていた所だ。
 とてつもなく冷めた半眼――それこそ冷酷なほどに冷たい視線で迫られたスティグマの顔からは、瞬時に血の気が引く。裏稼業を生業としている人間ならば、修羅場をくぐった経験もあってしかるべきだが、その引きつった顔はとても場数を踏んだ男の物とは思えなかった。
「ふん……」
 スティグマの反応でいくらか溜飲を下げたフィーアは、突き飛ばすようにして彼を解放すると、自由になった右手で口のタバコを放り捨てた。物事を仕切り直す時に、タバコを新しくするのは彼女の癖だ。
「で?」
 贅沢に捨てられた一本の跡継ぎを咥え直しながら、フィーアは再び問う。もはや質問の内容は省略である。
「ゲホッ、ゲホッ――さすがは、あのヴィクセンの妹って所か……」
「くだらない事ばかり言ってないで、さっさと説明しなよ」
 窒息の苦しみで咳き込むスティグマを、歯牙にもかけない。優雅とも取れる所作で紫煙をくゆらせているだけだ。
 そして、フィーアの最初の問い掛けからようやくとも言える時間が経過してから、スティグマはポツポツと語りだした。
「説明したいのは山々なんだが、オレもまだ実際には会っていないんだ。アンタの姉さんがオレに頼んだように、オレも仲介屋に取次ぎを頼んだだけなんだよ」
「何よ。それならそうと、最初っから言えばいいじゃない。タバコ一本無駄にしたわ」
「タバコはそっちが勝手に――」
「うるさいよ。いいからさっさと案内しな」
 ブツブツこぼすスティグマを一言で切り捨て、フィーアは先程まで彼が自分を案内しようとしていた方向へと歩き出す。乾いた地面が、靴底に擦れて同様に乾いた音を立てた時――
「おい、ちょっと――!」
 それを圧して、スティグマの声がフィーアを呼び止めた。
「ん、まだ何か?」
 振り返ったフィーアの目に、彼女のゴジュラスを指差すスティグマの姿が入る。フィーアが乗降しやすいように、巨体を地に伏せているゴジュラスなのだが――
「あれ! アンタのゴジュラス、盗られるぜ!?」
「ハァッ?」
 何をバカな事をと呆れながらも、一応フィーアも目を凝らしてみる。すると確かに、ゴジュラスの頭部によじ登って不穏な動きをする人影があるではないか。
「な……アタシのゴジュラスに何してんだい!」
 見咎めたフィーアは、再び咥えたばかりのタバコを吐き捨て、咄嗟に腰のホルスターから拳銃を引き抜いた。
「止めな! たかがゴジュラス一機と自分の命。天秤にかけるなんて、馬鹿げてると思うだろう!?」
 タバコが地面に落ちる前に、両手での正確な射撃姿勢をとると、その動きで肩から羽織った礼服が滑り落ちる。タンクトップ姿に、露になる肩や腕の素肌。
 フィーアの素早い反応に、スティグマも隣で目を丸くしていた。一挙動で射撃姿勢に移行したその動作の素早さもだが、それよりも、躊躇いなく拳銃を抜いた事に一番驚いているようだ。
 フィーアの勧告に、ゴジュラスに取り付いた人影は一瞬その動きを止めて視線を向けた。が、程なくして作業を再開する。フィーアとの距離を確認し、自分の命――この距離での拳銃の命中率とゴジュラスの価値を、天秤にかけても惜しくないと判断したのだろう。
(あまり欲の皮を突っ張ってると、痛い目に遭うよ……)
 フィーアの射撃は、自他共に認める腕前だ。これくらいの距離であれば、目と目の間は無理でも、的に当てるだけなら訳はない。
 堂に入った体勢から、フィーアは一弾を放った。水気の無い風に乗って、赤茶色の荒野を高らかな銃声が吹き抜ける。
 着弾は、影の足元。直径一センチほどの金属塊は、ゴジュラスの強固な装甲に跳ねて橙の火花を散らした。命中させなかったのはミスではなく、フィーアでも人並みに持ち合わせる良心が、一発目から人間に傷を負わせる事を是としなかったからだ。
 そしてどこかに、威嚇で十分だという考えがあった事もある。
 それが誤算だった。
 威嚇射撃は確かに効果を発し、人影は動かす手を止めた。しかし一瞬の停滞の後、威嚇の与えた恐怖は、影に行為の加速を促したのである。
「あ、あのバカ!」
 毒づくフィーアを尻目に、影はキャノピーのロックを解除しようと躍起になっている。こじ開けてしまうのも時間の問題か。
「どうすんだよ、アンタ? 軍の備品を盗まれて、それが裏のマーケットに出回って、ヤバい事に使われて……人生終わりじゃないか」
 軍属でもなく、仲間でもないスティグマの方は、既に傍観を決め込んで他人事の台詞を吐いていた。
「黙りな!」
 ワザと気分を逆撫でするような物言いをするスティグマを一喝すると、フィーアは腹をくくって影を狙う。決して動き回っている訳でない影は、照門から覗く照星と狂い無く重なった。
 引き金を、引く。
(悪く思わないで欲しいね。そいつのコクピットには、滅多な人間を入れる訳にいかないんだよ……)
 軽い衝撃に、手の中で拳銃が跳ね上がる。それでも寸前に発射された弾丸は、狙いを逸れることなく人影へと突き進んだ。
 フィーアの発砲がもう少し早ければ、銃弾は本来の目的を果たしたのであろうが。
「ああっ!?」
 間一髪という所で、人影はキャノピーのロックを外す事に成功していた。フィーアが引き金を引いた時には、キャノピーの基部を強引に操作して誤作動させ、コクピットの中に転がり込んでしまっていた。
 銃弾は虚しく、再び装甲に弾ける。散った火花の横で、それによく似た色のキャノピーがピッタリと閉じた。
「あのバカ……」
 フィーアは構えを解くと、銃を持っていない方の手で顔面を押さえる。揺れる深紅の長髪。
 その落胆振りに、無関係を体現していたスティグマもさすがに幼げな顔を不安で満たして覗き込んできた。
「スティグマ!」
 そんな彼に、フィーアは慌てて問い掛ける。
「な、なんだ?」
「アンタ、ゾイドには乗ってないのかい!?」
 一刻を争う事態。自然、迫力も増す。
 感情を表に出す事は、フィーアの場合そう珍しい事ではない。しかし、これほどまでに焦るというのは、自分でも珍しい事と自覚していた。
「オ、オレは情報屋だ。ゾイド乗りじゃない」
「くっそ……」
 期待に沿わぬ回答に、フィーアは秀麗な表情を歪めた。銃を手にした腕を、何かに当たり散らすかのように振るう。動きに合わせて長い髪は散らばり、鈍く、風が鳴った。
「なんだよ、一体全体。どうしたっていうんだ?」
 ただ単に、ゾイドを盗まれて焦っているにしては度を過ぎているフィーアのリアクションに、スティグマも依然として疑問顔だ。しかし、そんな彼が事態を把握するのにも、そう時間はかからなかった。
 フィーアの狼狽の原因が、二人の目の前でムクリとその身を起こしたのだ。
 ゾイド史上でも稀に見る暴龍の雄叫びは、雷鳴と同様に、この至近距離では物理的な衝撃をも伴って二人を襲う。ビリビリと音を立てて周囲の空気が震え、フィーアもスティグマも思わず両耳を押さえる。
「あのバカたれ……やっぱり……」
 主であるフィーアには、その咆哮に乗せられたゴジュラスの怒りが手に取るように分かった。ゾイド乗りでないスティグマにも、その咆哮に含まれるゴジュラスの感情が決して良いものでないという事は理解できたらしい。
「おいおい。あのゴジュラス、人が動かしてるにしちゃ様子が変じゃないか?」
 スティグマの言う通り、ゴジュラスはどこかに逃げる様子も無く、二人の目前で咆哮を上げ続けている。それはまるで、やり場の無い怒りに猛り狂った一頭の獣だった。
「アタシのゴジュラスは、他のに輪をかけて気難しいヤツでねぇ……」
 眉間にしわを寄せた鋭い表情で、フィーアはゴジュラスを睨みつける。この後に起こるであろう事を、彼女はよく知っていた。
 かつて“オーガ”とあだ名されていたフィーア搭乗のゴジュラスは、乗り手をひどく限定する。気に沿わない人間がコクピットに収まって起動させたが最後、共和国のヒーローはパイロットの制御から外れ、外部からの操作でその機能を停止させるまで、怒り狂う悪鬼へと変貌するのだ。
 持て余した軍が技術部の応援を得てパイロット選定を行った際には、これらへの対策を万全に行っていたわけだが、今この状況ではどうにもならない。
 ここから、ゴジュラスがレッドラスト方面に向かってくれるのならばまだ良い。事はフィーアの不始末だけで済む。
 しかし万が一、目前のタリナへと向かわれた場合は、B級パニックムービーさながらの惨状が町で展開される事になる。ゾイドによって町並みが破壊されていく光景など、戦場とスクリーンの中にだけあればいい。
 なんとか止めなければならないのだが、コクピットにいるのがゴジュラスの逆鱗に触れた張本人では、奇跡さえも期待できない。後は力づくでやるしかないとは言え、ゾイドも無く、拳銃一挺ぶら下げている程度で、ゴジュラス相手に何ができるというのか。
(よっぽど厄介事に好かれてるね、アタシは……)
 胸の内でこぼしてみても、今のフィーアには苦笑を浮かべるのが精一杯。
 そして、そうこうしている間にも、真紅の輝きを爛々と放つゴジュラスの双眸が、木製家屋の立ち並ぶ町へと向けられた。そしてそのまま、巨大な足で一歩を踏み出す。
「マズい!」
 スティグマも、ゴジュラスの視線を追って事の次第を理解したようだ。
 さしものフィーアでさえ、これから引き起こされる事態を想像して顔色を失う。
 だが、そこに響き渡ったもう一つの咆哮があった。
「えっ!?」
「なんだ!?」
 二人は全く同時に、そちらへと視線を振り向けた。
 今まさにゴジュラスが向かわんとしている、タリナ。その決して高くない町並みの向こうから、咆哮の主――一機のゾイドが姿を見せていた。
 たくましい体躯には、陽光を浴びて純白と漆黒に輝く装甲。地上から遥か高みの頭部にも、黒みがかっていながらも透明な風防ガラスが輝いている。そこから覗く鋭い双眸には、明るい緑の光。大きく裂けた口には、剣呑な牙の列が居並ぶ。
 もう一声、そのゾイドが吠え立てた。距離を経ても衰えを見せぬその雄叫びは、フィーア達の目の前にいるゴジュラスのそれと同種の響きを持っていた。
 さもありなん。その新たに現れたゾイドの姿は、どこから見てもゴジュラスに他ならなかった。
「こんな所に、別のゴジュラスが――!?」
 スティグマの驚きも当然だった。共和国軍に配備されているゴジュラスは、百機にも満たないのである。こんな辺境の町に、そんな貴重なゾイドが二機も同時に姿を見せるというのは、通常ありえない事態だ。
 しかし、仮にも職業軍人であるフィーアの目は、新たなゴジュラスの正体を一目で看破した。
「あれは、共和国軍のゴジュラスじゃない……」
 機体番号、隊章、国旗。何一つ、その機体には描かれていない。カラーリングも、シルバーを主体とした軍の機体とは明らかに異なっていた。
 突然現れた存在を、フィーアのゴジュラスは敵意剥き出しの激しい咆哮で威嚇しながら睨みつける。白いゴジュラスを、明確に自身の敵と判断しているようだ。
 もう一方の白いゴジュラスは、低い唸り声でそれに応える。黒い尾をユラユラと揺らすその姿は、相手の出方を窺っているようにも見えた。
 二体の機獣に挟まれた空気が、みるみる緊張の度合いを増していく。ゴジュラスが発する殺気は凄まじく、矮小な人間がその迫力に耐えるのは難しかった。
 スティグマは、雰囲気にあてられて二歩を後退する。しかし、隣のフィーアはその二本の脚で荒野の大地を捉え、そう遠くない将来に二機が激突するであろう空間を、その深紅の鋭い瞳で見据えていた。
 一陣の風が巻く。二機の間で乾いた砂が盛大に舞い上がり、その場の全ての者から視力を奪うカーテンとなる。
「うっ――!?」
 剥き出しの腕に風を感じた。
 軽い痛みに細めた視界に、フィーアは二機の動きを見た。
(始まった!)


 砂のカーテンを突き破り、フィーアのゴジュラスがまず飛び出した。咆哮を上げながら鋭い牙の並ぶアゴを大きく開き、敵を噛み砕かんと疾走する。
 そこへ応とばかりに、白いゴジュラスも足を踏み出した。強大な脚力で一気にトップスピードに達し、町並みを抜けて荒野へと躍り込んでくる。
 二機は共に、胴体を地面との平行線に近付け、浮かせた尾でバランスを取るというT字型にも似た前傾姿勢。二百トンを上回る超重量が脚部を通して地面に叩きつけられるたびに、地震を想起させる振動が大地を走り回った。
 ふらつくスティグマを尻目に、フィーアは仁王立ちのまま、雄大なスケールで繰り広げられつつあるゴジュラス同士の対決に目を奪われていた。自分が、当事者という責任の一端を担う立場にいる事も忘れ、ただただ見入る。これから始まる闘争への予感に、ゾイド乗りの端くれとして血も心も騒ぎ立てるのだ。
「ゴクッ……」
 固唾を飲んでというのは、こういう事を言うのかもしれない。
(ゾクゾクしてくるね……)
 フィーアの熱い視線を受け、まず彼女のゴジュラスが先に仕掛けた。最後に右足の一歩を力強く踏み込むと、そこを支点にして体を捻り、百八十度の左回転。強靭長躯の尾を、向かってくる白いゴジュラスに叩きつけんとする。
 先が重くなった尾はハンマーの要領で加速。最低点では先端で地面をかすめつつ、そこから斜め上方へと跳ね上がると、鈍い響きで風を切り裂いて敵ゴジュラスの首元辺りへと向かう。
 頭部付近を狙うのは、獣の本能が放った必殺の一撃であったが、白いゴジュラスは即座に反応し、それを逆手に取って反撃に転じた。既に前傾だった姿勢から頭を下げ、更に体勢を低くすると、フィーアのゴジュラスが繰り出した尾撃を空振らせたのだ。その動きは、尾がかすめた背ビレ一枚を代償としながら、自身の疾走を妨げぬ最低限の回避動作だった。
 攻撃が失敗に終わったフィーアのゴジュラスは、勢いを殺さぬままに体の回転を続け、一回りして元の状態へと戻る。その段階で、攻守は交代。
 行動直後で体勢の整わぬフィーアのゴジュラスに、低姿勢で突っ込んだ白いゴジュラスが右の肩口から突き上げるようにして激突した。下方からの衝撃でフィーアのゴジュラスに働いていた重力は相殺され、重量から来る安定性が極端に失われる。それを補うために、フィーアのゴジュラスが反射的に後方へと踏み出した右足。
 白いゴジュラスは見逃さなかった。
 攻め手だったために、受け手側よりも隙を小さく済ませた白いゴジュラスは、相手の出足に合わせて軽く尻尾を繰り出した。フィーアのゴジュラスがやったような、強烈な一撃ではない。しかし地面を這い、外側から回り込んでフィーア機の中心へ向かうベクトルに乗せられた尾は、右足に引っかかり、それを内側へと押し込んだ。自重を支えるべき脚を払われ、フィーアのゴジュラスは至極あっさりと体勢を崩して地面に倒れ込む。
 後ろに踏み出した右足を払われたのだから、倒れる方向も右斜め後方。右の肩が真っ先に地面を打って、たいした音を周囲に轟かせた。
 だが、頑健なゴジュラスはその程度で終わらない。味わった屈辱を怒りに転化させると、目を血の色に輝かせながら、巨体に似合わぬ敏捷さで身を起こそうとする。そこへ、ここぞとばかりに白いゴジュラスが片足を振り下ろした。機体の全重量をかけた踏み付けがカウンターで炸裂し、フィーアのゴジュラスが機体全体を地面に叩きつけられる。
 倍化された衝撃で、桁外れのタフネスを誇るゴジュラスも、その動きを一瞬止めた。
(強い……)
 一部始終を目撃し、フィーアは白いゴジュラスを操縦するパイロットの腕前を高く評価する。
 暴走状態で、闘争本能の趣くままに行動する敵の攻めは、人が操るのに比べて単調かもしれない。
 しかし、相手の動きを瞬時に見て取り、ヒットポイントその他を判断する目。
 それに反応し、思い通りに機体を動かして攻撃を回避する技術。
 間合いの読み、勝負度胸。そのどれもが自分に劣らぬ一級品であると、自身もエースパイロットの一人であるフィーアは判断した。
 “鉄人”の名が、頭をよぎる。目の前のゴジュラスのパイロットがそうなのだとしたら、技術も乗機も予想以上。是非とも欲しい。
 と、そんな思考を巡らせていたフィーアの方を、白いゴジュラスが一瞥した。そして何かを訴えるかのように、足で踏みつけるゴジュラスをアゴでしゃくる。
 人間臭い器用な動作は、搭乗者からフィーアに向けたメッセージである事を表していた。
(……分かったよ。ちょっと、頑張ってみようかしらね)
 相手の意思を汲んだフィーアは、手にした拳銃をホルスターに収めると、地面に落ちたままだった礼服を拾い上げ、自分の愛機目指して一目散に駆け出した。
「おい!?」
 急な展開の余り、半ば茫然自失のままで推移を見守っていたスティグマが、フィーアの行動に狼狽の声を上げたが、それは全力で無視。引っ掴んだ礼服をはためかせながら、地面を蹴って疾走。特等席で見物していただけに、目的地――愛機ゴジュラスのコクピットにはすぐに辿り着いた。
 フィーアは仰向けのゴジュラスの頭部に飛びつくと、様々な突起物を足がかりにしてそれをよじ登り、キャノピーの外部開閉スイッチを目指して手を伸ばす。
(とどく……!)
 だが、そこへ手がかかる寸前で、ゴジュラスが敵に踏みつけられた足の下でもがき出した。
「きゃっ――!?」
 似合わぬ悲鳴を上げつつも、フィーアは最後の一伸びでスイッチを押し込んでいた。オレンジ色のキャノピーが、作動音と共に開く。
「暴れるんじゃないよ! アタシは、ロデオガールなんてタマじゃないんだから……さっ!」
 ゴジュラス頭部の取っ掛かりを使って足場をなんとか確保すると、風防ガラスの可動部分に手をかけ、渾身の力で体を引き上げた。タンクトップ姿で剥き出しとなっていた細く逞しい腕に、いくつもの小山が盛り上がる。
「こんのぉ!」
 上半身がコクピットの縁の高さを越えると、コクピットシートにもたれて失神する青年の姿が確認できた。ゾイド泥棒として操縦はできても、ここまで激しい格闘戦の経験は無かったのだろう。
「騒ぎを起こして自分はオネンネかい? 暢気なもんだよ、まったく……」
 男の襟首を掴み、コクピットの外へ放り出す。
「スティグマ! そいつは任せたよ!」
 男の処置をスティグマに任せ、フィーアはようやくの思いでコクピットにその長身を放り込む。ゴジュラスが仰向けで踏みつけられているため、コクピット内ではシートの背もたれが下になっている。安定していない事この上ない。
 フィーアはシートに体を固定するよりも先に、コクピットから放り出されないようにキャノピーを閉じた。
「ふぅ……」
 暴れるゴジュラスの動きに合わせて、コクピットも揺れる。
 その中で、一つ息を落ち着けたフィーアは、ここまで手にしたままできた礼服を羽織り直し、シートの背もたれにあぐらをかいた。寂しくなった口元に、ポケットから取り出した細巻きのタバコをくわえ込む。
 ここまで来て、行程の半分といった所だ。まだ、ゴジュラスを止めるという、肝心要の作業が残っている。
 真の主がコクピットに戻ってきたからといって、怒り狂ったゴジュラスがフィーアの制御を受け入れるかどうか。保証は無い。
「さて、そろそろ始めようかしらね……」
 呟いたフィーアは思い切りタバコを吹かすと、コクピットを揺らす振動に合わせるようにして操縦桿に手を伸ばし、ぶら下がるような状態から勢いをつけて、ひどく乗り心地の悪い体勢のシートに体を滑り込ませる。ベルトを締めて体を固定してしまえば、体勢の悪さもさほど関係は無くなった。
「さぁ、いつまで暴れてんだい? アタシが戻ってきたんだから、そろそろ曲げたヘソなおしな!」
 鋭い一喝。しかし、ゴジュラスは動きを止めない。
 それどころか、遂に自分の上に乗せられた足を弾き飛ばすと、溜め込んだ鬱憤を晴らすようにして一気に立ち上がった。
「チッ!」
 操縦桿、フットペダル。どんなに操作しても、それに応える様子はまるで無い。
 フィーアの操作を無視して、ゴジュラスは再び白いゴジュラスへと挑みかかった。
 足を跳ね飛ばされたばかりで、白いゴジュラスは直立の体勢。フィーアのゴジュラスは、低い体勢から伸び上がるようにして牙で相手の首元を狙う。
 真っ正面から向き合う位置で、まず白いゴジュラスの方が右足を一歩踏み出し、フィーアのゴジュラスの後方へと回り込むような動きをとった。自分の左側へと回りこんでくる敵を顔の向きで追い続けつつ、フィーア機は右脚を踏ん張って渾身の制動をかける。抑え切れぬ勢いが足に地面を削らせ、盛大に土煙を舞い上げた。
 過負荷に軋むサスペンションの振動が、コクピットのフィーアにも届いた。急に体を襲ったGに、しかしフィーアは顔色一つ変えない。
「アンタは……」
 主の事などお構い無しのゴジュラスは、たわんだ右脚で地面を蹴り飛ばし、殺しきれなかった勢いの方向を無理矢理変換。回り込みつつあったゴジュラスへ飛びかかる動きに変えてしまう。
 一方の白いゴジュラスも、直立姿勢の高い位置から、限界まで開いた口をフィーアのゴジュラスの首へ向けて振り下ろしてきた。
 フィーア機は、敵の右下から喉を狙う直線の動き。噛み付くために、顔が右倒しになっている。
 白いゴジュラスは、その首元を正面上方から狙うために、若干回り込むような方向性を加えて横合いから噛み付く動き。
 しかし、両者の動きが帰結するより早く、コクピットでフィーアの絶叫が迸った。
「アンタは……いい加減にしな!」
 右腕を体にひきつけ、目の前のパネルに一発。数多のチンピラを血祭りに上げてきた必殺の拳を叩き込んだ。衝撃で、計器にはめ込まれたガラスのいくつかにひび割れが走り、打ちつけた拳の皮膚が破れて鮮血が飛び散るが、フィーアはまるで気にも留めない。
「アンタはアタシのゾイドだろうが! いつまでもゴネてんじゃないよ!」
 叫んだ後、最後に一撃。仕上げとして、渾身の力でもってフットペダルを蹴っ飛ばしてやった。
(どうだい!?)
 すると、今までこれっぽっちの反応も示さなかったゴジュラスが、最後の最後まで地面に触れていた左足でもって大地を蹴り、巨体を横っ飛びに右へとステップさせる。それは、フィーアが行った操作に応えての行動に他ならなかった。
 本能がとらせた行動から、操縦者が行う行動へ。生物から機械という全く別系統の指示伝達に一瞬にして切り換わった事で、ゴジュラスの動きは限界を超えた。
 瞬時にして行われた、前から右へという九十度の運動方向の変化によって生じた強烈なGは、コクピットのフィーアにも当然のように襲い掛かる。
「くぅ……!」
 奥歯を噛み締め、目をつむり、意識のブラックアウトに耐えるフィーア。加速Gでシートに押し付けられていた体が突然左前方に放り出され、そこから更にベルトの力で右へ引っ張り戻されるのだ。二度の衝撃でシェイクされた彼女の意識はしかし、暗転を経ての眠りという楽な選択ではなく、朦朧としながらも覚醒状態を保ち続けるという苦しい選択を行った。
 ほんの一瞬に過ぎない衝撃も、その尋常でないインパクトと、余韻として残る鈍い頭痛によって、実際の数倍に匹敵する時間感覚をフィーアに与えていた。


「ど、どうなったんだい……?」
 数秒を要し、愛機の動きが止まった事を感覚で理解する。頭は後からついてきた。
 衝撃に耐え兼ねて閉ざしていた瞳を、ゆっくりと開いていく。視界にはまず光が戻り、やがて曖昧にぼやけていた像が焦点を結び、風景が輪郭を取り戻し始める。
 フィーアの視界には、白い塊。彼女のゴジュラスと、短いながらも激しい戦闘を繰り広げた白いゴジュラスが、正面から彼女を見据えていた。薄く透ける相手のキャノピーから、向こうのパイロットもこちらを窺っている様子が見て取れる。その容貌までは、確認できなかったが。
「……止まったわけね」
 もう、ゴジュラスが勝手に動き出すことは無かった。大地をその足でしっかと踏み締め、微動だにせず直立している。
 フィーアは大きく息をつくと、いつの間にか短くなっていたタバコを、最後の一吸いをゆっくりと味わってから、コクピットに備え付けられた前所属部隊整備班謹製スライド式灰皿の底で揉み消した。立ち昇る一筋の煙が、主流煙よりも濃密な臭いでもってフィーアの鼻腔をくすぐる。
「さて……と」
 闘いの興奮も冷め、パネルを殴りつけた拳からも痛みは薄れていた。
 フィーアは、振り回されて乱れた髪を整えながら、もう一方の手でパネルを操作。キャノピーを開放する。背後で駆動する機械の振動は、シートに密着した腰や背中から体を震わせ、密閉されていたコクピットに流れ込んでくる乾いた空気は、優しい愛撫で彼女を祝福した。
 ほんの一頻りその感覚を楽しんでから、フィーアはコクピットに立ち上がった。右足をコクピットの縁にかけ、眼下に広がる大地を睥睨すれば、遥かな地平線までも視界に収める事ができた。
 そちらにあるのは、赤の砂漠“レッドラスト”。青い空と触れ合う彼方の大地も、赤い色に染まっている。明るい陽光の下であるにも拘らず、それは血を想起させる色調でもあり、少々不吉な光景としてフィーアの目に映った。あの地平線の更に向こうで、ガイロス帝国軍の大部隊が虎視眈々とこちらの様子を窺っているという事実を、知っていた所為もあるかもしれない。
「悪かったね、助かったよ!」
 妙な想像を振り払うためにも、フィーアはやたらと大声で、白いゴジュラスへと呼びかけた。たとえ今のこちらの声がコクピットの相手に聞こえていなくても、自分に対して何か言っているらしいと言う事くらいは察してくれるはずだ。
 案の定。間を置かずして、白いゴジュラスのキャノピーがゆっくりと持ち上がった。その動きが完全に止まるのを待たず、操縦者はフィーアのようにコクピットに立ち上がる。
 その体格から、まず操縦者が男性である事は分かった。それも、肉体は十二分に鍛え上げられた屈強な代物らしく、内側からパイロットスーツを押し上げて自己主張に余念が無い。
 しかし、彼が装着するゾイド搭乗用ヘルメットと下ろされたバイザーによって、未だに素顔は確認できなかった。キャノピーを挟んだ状態では、表情など分からぬはずだ。
(あれは……)
 フィーアには、そのヘルメットの形状にどこと無く見覚えがある。そこらに転がっている安物でもなければ、別段金のかかった特注品という訳でもない。普段、彼女の身の回りで使用されている共和国軍の正式採用品と、非常によく似たシルエットを持っていた。似たシルエットとは、つまり別物であるという事なのだが、それでも共和国軍に縁のあるものなのは間違い無さそうだった。
 そして、フィーアの思考がそんな仮説に行き着いた所で、その人物は彼女の視線の先でヘルメットを脱ぎ去る。真っ白な短髪と、四角い輪郭をもった顔があらわになった。しかし、細部のパーツまでは未だに判別がつかない。
「よく止められたものだな、あれだけ怒り狂ったゴジュラスを」
 彼の発した声は、風によってフィーアの耳へと届けられた。わずかにしわがれた声は老人の物だったが、不思議とよく通る響きを持っており、さして大声という訳でもないのに、距離のあるフィーアでも一言一句をはっきりと聞き取る事ができた。
「当然さ、アタシのゴジュラスなんだからね! 自分のゴジュラスも鎮められないヤツが共和国軍の英雄なんて呼ばれてちゃ、来年の今頃はこのエウロペも、デルポイも、帝国の摂政殿の物になってるだろうさ!」
 こちらは声を張り上げ、白いゴジュラスのパイロットに嘯くフィーア。普段はゴジュラス乗りである事を誇らしく振り回す事も無い彼女だが、彼女も彼女なりに自負を覚えているのである。
 フィーアの場合、搭乗するゴジュラスが特殊であるだけに、実はその思いも人一倍強い。簡単に言ってしまえば、フィーアのゴジュラスは彼女にしか扱う事ができないのだ。
「“ゴジュラス乗りの英雄”って肩書きは、それくらい重いんだよ! アンタにも分かるだろう! 共和国軍でゴジュラスに乗っていた事のある、アンタならさ!」
 フィーアの最後の一言で、男は口の端を笑みの形に吊り上げる。よく気付いたと言わんばかりに。フィーアの予測が的中した証拠だ。
「嬢ちゃんが、随分いっぱしの口を利くじゃないか。そのわりには、ゾイドの管理は甘いようだがな」
「うっ……」
 しかし息巻くフィーアも、今それを言われては押し黙るしかない。ゴジュラスほどに強力なゾイドを町に乗り付けておきながら、キャノピーロック程度で安心していては、自覚が足りないと言われても仕方ないかもしれない。
 あからさまに表情をしかめたフィーアに、男はそれ以上の苦言を呈する事はしなかった。
「なに、ジジイのお節介だ。そう気を落とすな」
 慰めに最後の一言を残し、男はヘルメットを抱えたままで再びゴジュラスのコクピットに姿を消した。キャノピーの閉まる機械音が、会話の終了と同時に風鳴りだけが支配する所となった空間を震わせる。そしてそれが途切れると、今度は巨獣のエンジンが奏でる喧騒に、関節が上げる機械的な唸り。そして、その重量を存分に体現する低く重い足音が、風の騒ぐ声さえも圧して響き始めた。
 町へと向かって進み始めた白いゴジュラスは、なおもコクピットで立ったまま、その身に風を受け続けるフィーアの目の前をゆっくりと通り過ぎていく。目を凝らせば、黒い風防ガラスの向こうで自分に付いてくるよう身振りで訴える男と、視線がぶつかった。フィーアは首肯で、それに応える。
 どちらからともなく外れる視線。男は町へ、フィーアは地上へ。
 フィーアの見下ろす赤茶けた荒野には、事態から取り残されたスティグマが、取り押さえたゾイド泥を尻に敷いて座り込んでいた。自分の腿に頬杖をついて恨めし気にゴジュラスの頭部を見上げる姿からは、蚊帳の外に追いやられた者の寂しさが滲み出ている。
「町に行くよ、スティグマ! そいつは頼んだからね!」
 しかしそれを見て取ったからといって、スティグマが放つ空気に取り合う事はしない。ただ一方的に声を張り上げると、フィーアはスティグマの了解の意思も確かめぬままにシートに腰を下ろし、キャノピーの開閉スイッチにその指を伸ばす。
 周囲から風が消え、密閉されたコクピットという空間の中で空気が淀み始めると、内部のあらゆる物に染み付いたタバコの臭いが、フィーアの体をいつも通りに包み込んだ。
 鼻を刺激する長年愛好の銘柄の臭いに、ここは紛れも無く自分の居場所なのだと、彼女は実感した。そしてそれは、彼女が共和国の英雄たるゴジュラス乗りだと証明する、十分な要素でもあった。


 白いゴジュラスについて町に入ったフィーアは、同じ場所にゴジュラスを駐機すると、今度はパイロットの男に案内されて“荒野の風亭”なる酒場のスイングドアを揺らした。店に足を踏み入れるまで、二人の間に言葉は無かった。
 空気に動きが生まれた事で、剥き出しの木材が放つ芳香が入り口まで押し寄せてくる。長期間、荒野の風に晒された木材の香りは、その風と同様にホコリっぽく乾いていた。
 店内に人影は二人。カウンターの中でグラスを磨く女将と、ゾイド泥棒を引き渡してきたらしきスティグマが、既にカウンターのスツールに腰を落ち着けてこちらが来るのを待っていた。
 顔に疑問符を浮かべるフィーアに、
「酒場なんて、ここだけだからな」
 幼さ漂う顔が吐くそんな台詞で、彼女も納得する。
 そんな感じで二言三言、言葉を交わす二人をおいて、フィーアを案内してきたパイロットの男は、無言のままにカウンター席に腰を下ろした。
 ここまでの道すがらで十分に目にしたが、フィーアはもう一度、彼の姿を観察する。
 男は、かなりの老齢と思われた。真っ白になった頭髪。その四角い顔には、彼の過ごしてきた時間の長さを表す線が幾本となく刻まれている。カウンターの上に置かれた手も、節くれ立ってゴツゴツとした輪郭の、使い込まれた老人の手だ。
 しかしその身が放つ雰囲気は、まだまだロートルなどという言葉とは程遠い。活力に溢れていながら単なる若僧とも違う、時を経た故の風格までも併せ持った、ベテランと呼ばれるに足る代物だ。
 只者とは思えない。“鉄人”なる傭兵に、間違い無さそうだった。
「アンタ……仲介屋じゃなかったのか?」
 彼の姿を一目見て、スティグマが声を上げる。その声色は、驚きと疑問の色で塗り潰されている。知り合いなのだろうか。
「スティグマ。アンタ鉄人と会った事、無いんじゃなかったのかい?」
「あぁ、さっきまではそう思っていたんだが……ラオシーツさん。こりゃ一体、どういう事なんだ?」
 スティグマに状況の説明を求めてみても、当の本人が目の前の現実を把握できていない。
 フィーアの問いは答えを得る事無く、スティグマの口でその形を変じ、老人へリレーされる事となった。
「言ったろ、兄ちゃん。酔っ払い捕まえて言う事じゃないって。鉄人があんな酔っ払いジジイだと思われたら、依頼の客も遠のいちまうだろう? それだけだ」
 ラオシーツはそう言って、カウンターの女将が差し出したグラスの中身を一息に飲み干した。透明な液体を嚥下する度に、彼が喉を鳴らす音が無言の支配する店内にわずかに響いた。
「……だ、そうです」
 スティグマの間抜けな言葉で、フィーアは肩をコケさせる。
「今度からは、自分の口で説明するようにしな。情報屋」
 彼の後頭部を軽くはたいてから、老人――ラオシーツの隣のスツールに腰を下ろす。
「同じ物、貰えるかい?」
 女将の差し出すグラスを受け取り、フィーアは左隣のラオシーツに向き直った。
「あの兄ちゃんが言ってたワシを雇いたいって女は、嬢ちゃんなんだな?」
 先んじて、ラオシーツの方が口を開いた。フィーアも口内にまで上っていた言葉を飲み込み、会話のための言葉と入れ換える。
「あぁ、そうさ」
 唇を湿らせるために、手にしたグラスを傾ける。
(……水だったのかい)
 グラスを半ばほどまで満たす液体は、単なる水だった。荒野の酒場らしくどこかぬるい口当たりに拍子抜けしながら、それでもフィーアは二度、三度とその形の良い唇をグラスの端に寄せる。
「依頼人と会ってからでないと、依頼を受けないんだってね? それで、アタシは依頼主として合格かい? それとも、不合格かい?」
「そうだな……」
 しばしの黙考を挟んで、ラオシーツは言う。
「ニ、三訊きたい事がある。その答えを聞いてから……だな」
「いいとも。なんでも訊いて頂戴」
 フィーアは無論承知し、水を更に一口。タバコを取り出すと、至極ゆっくりとした動作でそれを吸い始める。その一連の動きの中で、どんな問いにも動じぬよう、準備を整えながら。
 そんな中、ラオシーツを挟んだ反対側の席に、スティグマが腰を下ろした。
「待ちなスティグマ」
 女将がグラスを置く前に、フィーアは両者を制する。
「アンタは外さ。町の中でも一回りしてきな」
「そんな。ここにきてそりゃ――」
 そりゃないだろ、と出かかったらしき文句を、上から言葉を重ねて消し飛ばす。
「アンタ情報屋だろう? これからの話は、ペラペラ言い触らされちゃ困るんだよ。ただでさえ気苦労が多いんだ、これ以上増えたら、タバコ代で首括らなきゃならなくなるからね」
 当然の事だ。たとえ機密事項とはいえ、漏洩で被害を被るのが組織やその上層の一部というならば、フィーアも手間賃代わりにスティグマの同席を黙認していたかもしれない。しかし、経験の無い素人部隊と妙な所から嗅ぎ付けられ、帝国軍に付け狙われては目も当てられない。
「分かったら、さっさと行きな」
 皆まで言わなくとも、その辺りの事情はスティグマの方でも察したらしく、不満そうではあったが渋々と席を立った。半童顔は、寂しく沈んでいたが。
「私も、席を外した方が良いみたいね……」
 仲間から外され、まるで斜の掛かったかのような暗く寂しげな背中と共に去り行くスティグマに、その姿をカウンターの中から眺めていた女将も気を遣う。店は寂れていても、そこを切り盛りする経営者は、フィーアが名店と認めた盛り場の店のそれと比べても、全く遜色無いようだ。
「いいよ。いい店の主人は、信用する事にしてるから」
 フィーアは彼女の人間性を認め、そう請け負った。
「さて、そろそろ訊かせてもらうとするかな」
 場が落ち着いた所でまず、しわがれていながらも通りの良い声が、店内に響いた。
「まず一つ目だ。軍ではなく、嬢ちゃん個人がワシを雇いたいそうだな?」
「えぇ、そうよ。チョット込み入っててね」
「その“込み入って”る所を、分かるように説明してもらおうかな」
 初っ端からの単刀直入。
「そう……ねぇ……」
 フィーアは紫煙をくゆらせながら、頭の中を整理。今、自分が置かれている状況――率いる部隊の特徴と、そこに対する軍からの援助がほぼ期待できない点――を説明する。但し、何故そういう状況に陥る羽目になったのか、という部分は、微妙にぼかしを入れておいた。
「……そんな感じかしらね。どう?」
 話を終え、フィーアは話す間ずっと見つめていた目の前の空間からラオシーツへと視線を戻す。すると、彼は楽しそうな笑みを浮かべ、少しばかり破天荒な今の説明を聞いていた。場所が酒場で、その手にグラスまで握られていては、その姿はさながら、酔客の話を肴に酒を飲みながら、過ぎ去った自分の過去へと思いを馳せる老人であり、歴戦の傭兵などという物騒な言葉とは到底イメージの合致する所ではなかった。手にしたグラスの中身も、酔いなる現象を人体に引き起こす嗜好品に見えてくる。
「そんなに面白い話だったかい?」
 自分としては不愉快極まる状況であるだけに、フィーアは不快とまではいかなくとも、不思議には思った。
 すると、
「……嬢ちゃん、気付いてるか?」
 ラオシーツは、さも可笑しいと言わんばかりの表情で、フィーアに逆に問い返してくる。
「話してる間中、ずっと楽しそうな顔してたぞ」
「えっ……?」
 思わず、面食らってしまった。
 てっきりフィーアは、自分がまるで愚痴をこぼすような説明をしたと思っていた。一概に理不尽とは言えないまでも、胸に溜まったここ数ヶ月の不満をぶちまけたつもりでいたのだ。
 しかし、それがどうだ。他者から見れば、その姿は何やら楽しそうだったという。
「危機に際して心が躍る……か。嬢ちゃんのわりに、随分と豪胆な性格をしているな」
「……そうみたいだね、どうやら。ただのマゾかもしれないけどさ」
 驚きを誤魔化すために飛ばした冗談に、ラオシーツは派手な笑い声を上げたのだった。
「肝の据わった嬢ちゃんだ。ワシが命を預けるからには、それぐらいの気概は持ってもらわんとな。依頼人の及び腰でわりを食わされるのは、正直もう懲り懲りでな」
 どうやら、フィーアの人間性自体はいたく気に入ったらしく、ラオシーツはしばらくの間、満面の笑みを浮かべた相貌を崩そうとしなかった。
(ふぅ……)
 胸の内のため息で、フィーアは自分が、この大ベテランのペースにすっかり乗せられてしまっている事に気付く。ここへ来るまでは、フィーアの方が逆に相手を吟味してやるくらいのつもりでいたのだが、そんな考えはあっさりと霧散霧消していた。言葉遣いだけは、一応対等の状態で頑張っているが。
 これが矢張り、年の功という物なのだろうか。
「それで、ワシの仕事は新米パイロットの教育でいいんだな?」
「あ? あぁ、そうなるね」
 いつの間にか笑いも収め、再び声をかけてきたラオシーツに、フィーアは慌てた返事を返す。
「その長そうなキャリアで身につけた技術を、ウチの新入りにチョットご教授願いたいって訳よ。報酬は……」
 フィーアが立てた指の本数に、ラオシーツは一つ頷く。
「妥当な額……ではあるか……」
 とりあえずの大きな不満は無さそうだった。しかし、言葉の端々にはそれと似た雰囲気が微かに漂う。顔の笑みも、いつの間にか苦笑が取って代わっていた。
「……不満そうだねぇ」
 機先を制し、フィーアは問う。するとラオシーツは、その苦笑すらも引っ込めた。
「確かに、教授料と考えれば悪い値段じゃないが、新米の護衛料を上乗せするとなると、その数字で納得はできんな」
「……そうかい」
 そこで、一つ息をつくフィーア。
 守りながらの戦いが難しい事は、彼女とて身に染みて知っている。しかし彼女も、滾々と金の湧き出る泉を持っている訳ではない――持っているのは彼女自身ではなく、彼女の関係者だ――のだ。既に数人の傭兵を雇い入れている今、ラオシーツ一人に回せる金額にも限度がある。
 フィーアにすれば、是非とも提示の額で納得してもらいたい所だった。
「意地悪く言ってるつもりは無いんだが、しかしこればっかりは、ワシの命の値段でもあるからな。安売りはできん」
 フィーアの落胆は本人の自覚以上に酷かったらしく、ラオシーツも言い訳染みた慰めの言葉をかけてきたほどだ。
「分かってる。分かってるんだよ、アタシも。でも……」
 だからと言って、簡単に諦めて引き下がる訳にはいかない理由を、フィーアは持っているのである。命を預かる者としての責任だ。
「本当に、何ともならないのかい?」
「む……」
 一転、静かな気迫のこもった視線と言葉をぶつけるフィーアに、ラオシーツも一瞬言いよどんだらしかった。
(答えに詰まるって事は、考える余地くらいはあるって事だね?)
 ここぞとばかりに、フィーアは言葉を継いで畳み掛けていく。
「アタシには……いや、アタシ達には、アンタの力が必要なんだ。分かるだろう? 大陸間戦争の時代から培ってきた経験で裏打ちされた、アンタの力さ」
「……さっきも言ったが、随分と察しがいいな。どんな根拠か、訊いてもいいか?」
「アンタの歳と、あのメットの事を考えれば、そう難しい予想じゃないさ」
 ゴジュラスも、恐らくは軍時代の搭乗機体なのだろう。何があって傭兵となったか知らないが、大異変のドサクサに紛れれば、そのまま持ち出す事も可能だったかもしれない。曖昧な当時の記録では、今となって何やかやという事も無いという訳だ。
「共和国軍には気まずくて参加できない。帝国軍には協力したくない。この町で飲んだくれてたってのも、そんな所なんだろう?」
 年配者である事を歯牙にもかけぬ物言いに、ラオシーツもその白髪頭をかきながら、深い緑の輝きを放つ瞳を細めて苦笑する。
「言うじゃないか嬢ちゃん。孫みたいな歳の娘にそこまで言われちゃ、引き下がるに引き下がれんな……」
 フィーアの紅い瞳はその時、その言葉に確かに一筋の光明を見た。
「なら、どうしてくれるんだい?」
「せっかく嬢ちゃんもゴジュラスを連れてきたんだ。一戦、ワシのゴジュラスと交えてもらおうか。それだけだ」
「それ……だけ?」
 それだけ、と言えるのだろうか。
「そうだ、簡単だろう? 大サービスだ。ワシの要求額に、嬢ちゃんの提示額が幾ら足りないのか。嬢ちゃんは、ワシがその差額を忘れてしまうくらいの何かを披露してくれればいい」
「ふぅん……」
 簡単に言ってくれる。
 フィーアは、彼女のゴジュラスが暴走した際に、ラオシーツのゾイド乗りとしての実力を十分に見せ付けられている。確かに戦闘の時間自体は短かったが、贔屓目でも色眼鏡でも、自分に劣っている部分を見つけ出す事は、あの激しい攻防であっても不可能だった。どんなに頑張っても、フィーアの腕では互角が精一杯だ。
 そんな者と相対して、相手を満足させる戦いができるだろうか。
(……ん?)
 ラオシーツから視線を外し、両手で握り込んだグラスを覗き込みながらそんな風に自問していると、気付く事があった。グラスの中に映り込んだ自分の顔は――
(こんな時にも、笑ってるのかい……)
 水面で揺れる不敵な笑みが、一転して疲れた苦笑へと変わる。
 結構な事だ。厄介事には事欠かない今、この性格をもってすればさぞかし楽しい日々を送れる事だろう。
「……アタシを、そこらの小娘と一緒には、考えない方がいいよ」
 この短い時間で、新たに知った自分の内面と向き合ったフィーア。そして彼女は、その内面を受け入れた。
 苦境を楽しみ、それに立ち向かう事を楽しむ。そんな自分を知ったからには、動く事の何を恐れるというのか。
 グラスからラオシーツへと戻したその顔が、再び不敵な笑みを湛える。ラオシーツの表情はその時、彼女の迫力に確かに引きつっていた。



「もう終わったかい?」
 フィーアの言いつけ通り、律儀に町を一回りしてきたスティグマは、スイングドアの外から店内にフィーアとラオシーツの姿が無い事を確認した上で、あえて問い掛けながら店内へと舞い戻った。
「つい、今し方かしらね」
 中では女将がグラスを拭いているだけで、残りの二人の気配はその残滓すらも窺い知れなかった。
(はぶかれついでに、置いてきぼりか……)
 達観したように自分の扱いを受け止めると、スティグマは一人静かにスツールに腰掛けた。そして、音も無く置かれたグラス。その水溜りに歪む哀れな男を、ブルーの瞳で見下ろす。
「どうしたのよ? まさか、落ち込んでるの?」
 暫くそうやっていると、見かねた女将がグラスを拭く手はそのままに、堪らず声をかけてきた。
「まさか」
 スティグマは面を上げ、こちらを覗き込む女将と目を合わせる。
「どうやって情報を掴んでやろうかと、考えてた所ですよ」
 そして、強かな笑みで女将に笑いかけて見せた。
 半ば自称の感が強くなってはいるが、スティグマも情報屋稼業で食い扶持を稼いできた男(実質は何でも屋)だ。苦労と無縁でやってきた訳でもないし、今回のような扱いも初めてではない。そして、そういった苦心をモチベーションへと転換して、今までやってきたのである。
 簡単に事を諦めるほど、素直な性格ではなかった。
 半童顔が浮かべた表情に女将は、特に安心したという訳でもないのだろうが、一笑を返して再びグラス磨きに専念し始める。布とガラスの擦れあう小気味いい音が、いっそうの存在感で店内を席巻した。
「さて……」
 スティグマは、その響きに後押しされるような気分で、目の前のグラスを空にする。そして、町を巡っている間に、一人黙々と考え続けていた情報収集のプランを実行に移す。
「二人、どんな話してました?」
 まさに単刀直入。
 直球、搦め手。情報屋が情報を仕入れるのに手段を厭うはずも無いが、スティグマ自身はその性分というか、こうした真っ向勝負を好む傾向にあった。女将の風格が、一筋縄でいかぬように思えた所為もある。
 しかし直球の問い掛けにも、女将は慌てず驚かず、穏やかな表情のまま。そして、スティグマのプランは思わぬ形で破綻する。
「お生憎様。私もアナタと同じで、奥に引っ込んでて話は聞いてないのよ」
「…………」
 突如として垂れ込める気まずい沈黙。二人の間には言葉の一つも無いまま、いつの間にか無音を是とする旨の約定が結ばれ、どちらから動く事もできなくなってしまった。
 うるさいほどの沈黙が破られたのは、その始まりからきっかり一分後。女将が、手にしたグラスと布巾の存在を思い出し、グラス磨きを再開した事で、店内にも音が戻ってきた。
「……女将さん、あの酒出してよ」
 空になったグラスを差し出し、振った後のソーダ水のように気の抜けた声で、スティグマは注文する。
 あの酒とは、以前にここを訪れた彼が女将に紹介された、荒野の風亭数ヶ月分の売上に匹敵する高級銘柄だ。何かあった時、そのボトルを開けて祝杯をあげると、スティグマは豪語したのだが――
「祝杯にするんじゃなかったの?」
「景気づけ、これから頑張るための。気ぃ入れていかないと、あの少佐サンの牙城は堅そうだから」
 本心は、思惑が外れた事の憂さ晴らしなのだが、スティグマはそう嘯いた。安っぽいプライドは、男のロマンなのだ。
「そういう事ね。でも、悪いんだけど……」
「え?」
 しかし、そんなささやかな願望すらも認められぬほどに、今の彼は天から見放されていたらしかった。
「御免なさいね。売れちゃったのよ、あのお酒」
「……え?」
 疑問符を紡ぎ出したスティグマの口は、その形状のままに固定され、耳障りな沈黙の一時を、再び場末の酒場に呼び込んだのであった。

[203] 何と言えばいいか ヒカル - 2008/06/21(土) 00:07 -

 このサイトで一番古い訪問者である踏み出す右足さんにまず遅れてしまったことを謝らなければなりませんな、本当にすみません。更新してるのは知ってたのですが、なかなかすべてをきちんと読むことが出来ませんでした。お恥ずかしい限りですが……

 長い挨拶は嫌われると思いますので、早速感想&批評に入りたいと思います。気合入れて。
 まず達筆さはもはや言うまでもありません、目を見張るものがあります。もっと深く突っ込めば流れる水のよう軽やかでなおかつ読みやすいと感じました。言い回しも上手で頭でスイスイ消化出来るところがまた魅力だと私は思います。
 また肝心の内容もよくここまで戦場の臨場感ある空気やキャラの表情、心情、挙措、触れ合いなど書けるな〜と感心するばかりです。個人的に気に入っているのはやはりフィーア中佐でしょうかね。強さの中にある繊細さ、なんて奥深いことを言ってみますがまあ感じが気に入っています、他に理由なし、以上!(おいおい)

 また記者という現代戦争には欠かすことの出来ない要素も混じってきましたね。メディアがあるからこそ私達はこうしてテレビで各地の紛争やら戦争を見ることが出来るのでしょうが、そこから生じる軋轢などもこれから見物だと思います。(というか既にもうなってますね)

 これからよく読みこんでまた感想を書きたいと思います。遅れぬよう精進しますのでどうぞこれからもよろしくお願いします。ではどもヒカルでした〜

[214] Rookie & Marcenary 第十話 「積み上げた歴史の価値・後編」 踏み出す右足 - 2008/11/07(金) 15:32 - MAIL

 いいかい? 相手の本気はあんなもんじゃないよ?
 まぁ負けてるのは、アンタじゃなくってアタシなんだけどね……

 ……でもさ。アンタだって、負けっぱなしってのは腹の虫が収まらないだろう?


第十話「積み上げた歴史の価値・後編」


 愛機ゴジュラスのコクピットシートに腰を下ろし、ベルトを締めるフィーア。体を揺すり、しっかりと自分が固定されているかチェックする。
 彼女のゴジュラスの横手からは、ラオシーツが操縦する白いゾイドゴジュラスが早くも進み出ていた。年季の入ったパイロットは、準備も手馴れて素早いのだろうか。ゾイドゴジュラスのゆっくりとした歩調には、搭乗者の余裕すらも窺えるようだ。
(焦っても仕方ないからね。今さらどうしたって、今のアタシにできる事が変わる訳じゃないんだ)
 逸る自分にそう言い聞かせるとフィーアも、取り出した馴染みの銘柄のタバコを口に咥えながら、ゴジュラスに歩を踏み出させるのだった。
(全部終わった時に、“あの酒”で祝杯といければいいんだけどねぇ……)



 さして自信も無い足でスティグマがそこに駆けつけた時、二機のゴジュラスは互いの全高と同じくらいの距離を間に置き、今にも相手に飛び掛らんとその身をバネのようにたわませていた。
「少佐サン、酒」
 声が聞こえたかどうかはともかく、茶色の酒瓶を掲げて見せるスティグマに、こちらを見向きもしない銀色のゴジュラスからスピーカーを通した声が響く。
『持ってて頂戴。祝杯にするから』
 スティグマは言に従い、酒場の女将から託された酒瓶を地面に据えると、自分もその横にどっかりと腰を下ろし、コクピットのフィーアに向けて親指を立てた。
 酒瓶が、既に中天を過ぎて久しい太陽からの光を受けて輝いていた。


「勝手に飲むんじゃないよ、高い酒なんだから……」
 静かに、しかし押し殺した闘志を含ませてコクピットで呟いたフィーアの目を、スティグマの傍らに置かれた酒瓶から放たれる光が射抜いた。
「……いくよ!」
 それを契機として、フィーアは動いた。
 戦意を剥き出しにして、銀色のゴジュラスが猛然とダッシュをかける。乾いた大地を踏み締める度に真っ赤な砂塵が舞い上がり、それを身に巻いて更にゴジュラスは加速する。
 対するラオシーツの白いゾイドゴジュラスは、悠然と身構えたままでこれといった動きは見せていない。しかし、その双眸が緑色の輝きを爛々と発しているのを見るまでもなく、その身に溢れんばかりの闘志を湛えているのは明らかだった。
(しかし、ゴジュラスが相手ってのは……慣れないだけに、やりにくいねぇ……)
 フィーアもゴジュラスのパイロットとなってこちら、鍛錬は怠っていないつもりだ。だがそれは無論、帝国軍のアイアンコングやサーベルタイガーとの戦闘を想定したものである。訓練に使用するシミュレーターにも、そういった帝国軍の主力ゾイドのデータが組み込まれている。今回に限って言えば、その経験がたいした役に立つとも思えなかった。
 ただ模擬戦の際は例外として、ゴジュラス同士の組み合わせとなる事が多くある。様々な戦術を研究しようとすれば、共和国軍で最大クラスのゾイドであるゴジュラスの相手をできる機種は、同じゴジュラスしかいないからだ。しかしそれも絶対数の不足する機体だけに、回数はどうしても限られてしまう。
 何よりフィーアは一つ、経験という点でラオシーツに大きく後れを取っていた。
 稀代の名手と謳われる彼女であるが、それでもその実戦経験は多いとは言えない。戦争の無い時代に生まれた者の宿命だ。
 それに対してラオシーツは、齢こそ百を数えそうな老体ではあるが、前大戦と大異変後の混乱期を生き延びた、文字通りのベテラン(老兵)と見てほぼ間違い無い。傭兵業が現役である事を鑑みれば、どこかでブランクがあったとも思えない。
 また、前大戦時にはゴジュラスの配備数も現在と桁違いだっただけに、ゴジュラス相手の模擬戦闘もかなりの数をこなしてきているはずだ。
 結局どこを取っても、フィーアの不利は動きそうもなかった。
「仕方ないか……アタシゃ、腹を括ったよ」
 単なる確認作業でしかなかった思考にさっさと見切りをつけたフィーアは、咥えたタバコのフィルターを噛み潰し、視界の中で見る見る大きくなる敵影に意識の全てを集中した。
 一切の小細工無しの突撃。恐らくまともに命中などしないだろう。
 だが敵の対処法によって、その戦闘スタイルをある程度予測する事ができる。初顔合わせの相手との模擬戦における、フィーアの常套手段だった。かわされた後は敵に主導権を握られる事にもなるが、自分の能力ならばそこから十分に挽回できるという、彼女の自信をにおわせる戦法だ。
 もっとも今回の相手がそんな生易しい相手でない事は、フィーアも重々承知している。しかし目的は、戦いを通してラオシーツを説得する事だ。戦人が戦い方を偽るなど自分を偽るにも等しく、小細工など弄した所で相手の信頼は得られないだろう。
 それに何より、この戦いは殺し合いではないのだ。自分にできる最高の戦いをすればいい。
(まずは……大先輩の御手並み拝見さ!)
 しかし気合いを入れた所で、フィーアは自分の考えを裏切る相手の行動に背筋を凍らせる事となった。
 目の前の白いゾイドゴジュラスは右腕をこちらに差し出す。ゴジュラスがその動きをとる時、目的は一つだ。
「え、ちょっ……撃ってくるのかい!?」
 ゴジュラス同士の戦い、それも実戦という訳でもないのに、よもやのっけから飛び道具を持ち出してくるとは、フィーアは露ほども思っていなかった。事実、己に向けられたビームガンが火を吹くまで、何か別の意味があるのではないかと勘繰っていたくらいだ。
 しかし、撃ち出された光の筋がコクピットの脇を実際に掠めて飛び過ぎたとあっては、もう暢気に構えている訳にもいかない。
「聞いてないよ、まったく……!」
 予想しえぬ事態にフィーアは、思わずゴジュラスの速度を緩めてしまった。そしてその間にも、飛び来る光の槍は彼女のゴジュラスの装甲に突き立っていく。だが無論、二十ミリクラスのビーム砲では、ゴジュラスの重装甲はそう簡単に撃ち抜けない。
(チッ――!)
 そんな状況に、フィーアは内心で舌打ち一発。相手の狙いに思い当たったと同時に、既に自分がその策に首元までどっぷり嵌ってしまっていた事を悟ったからだ。
「ほら、来やがったじゃないか……」
 フィーアがゴジュラスの速度を回復させる前に、目の前の白いゾイドゴジュラスが射撃を中止し、猛然と地面を蹴飛ばして仕掛けてきた。その速度は、僅か数歩にして最高速度をマークする。
 二機の間の距離は瞬く間に姿を消し――
「がっ――くぅ……!」
 襲い来る衝撃に、咥えたタバコを噛み千切らんばかりに歯を食い縛り、耐えるフィーア。
 激突したその瞬間、同じ機体にも拘らず、力負けしたのは彼女のゴジュラスの方だった。速度に乗り切れなかった分、押し負けたのだ。
 強烈なぶちかましを受けたゴジュラスは、転倒こそ免れたものの、勢いを殺すための数歩の後退を余儀無くされた。体勢の整わぬ内に、相手の二発目が迫る。
 たった数発の牽制でここまで出遅れてしまうとは、まったくもって情けない話だ。
「ほらほら! シャキッとしな!」
 何やら力技といった印象ではあったが、どうあれ、相手の攻撃が達する寸前でゴジュラスは姿勢を回復した。
「そうさ、そう来なくっちゃね!」
 フィーアはゴジュラスの片足を咄嗟に引き、半身になって相手の突進をいなしにかかった。激突寸前だっただけに、白いゾイドゴジュラスは急に止まる事もできず、更にはフィーアのゴジュラスに背中を押されてつんのめる。しかしせっかく相手の背後を取ったフィーアは追撃を加える事をせず、飛びずさるように愛機を後方へステップさせた。
 その一瞬で生まれた空間を、白いゾイドゴジュラスが振り回した真っ黒な尾が風を切って行き過ぎる。
(ったく……油断も隙もありゃしないよ!)
 こちらへの挑発か、それとも威嚇なのか。目前でユラユラと揺れている尾に、フィーアは動けなくなった自分の体を自覚せずにはおれなかった。中てられているのだ。久しく忘れていた実戦の迫力、雰囲気に。
 コクピット目掛けて繰り出される一撃一撃。今にしてみれば、白いゾイドゴジュラスが放つ敵意は殺気その物である事がよく分かる。
 フィーアはその感覚に、覚えがあった。
「命の取り合いか……そう言えば、もうあれから何年になるだろうねぇ……アタシも老けるわけだよ」
 過ぎ去った年月の数字までは忘れていても、その出来事自体は昨日の事のように思い起こす事ができる。
 そのうち遠い記憶の彼方から、自分を包み込む殺気に塗れた空気の臭いまでも甦ってきた。忌々しくも、どこか懐かしくすら思える。
「そうだねぇ……たまには昔を思い出してみるのも、悪くないかもしれないねぇ……」
 フィーアは努めて、目の前の白いゾイドゴジュラス以外の事柄を、思考から追い出し始めた。頭の中で、既に錆び付きつつあったスイッチが切り換わっていく。
 その時ふと、フィーアの胸に小さな痛みが走った。
(……心配しなさんな。アンタ達の事は忘れやしないからさ。シルト、フルーフ……だからさ。少しだけ、アンタ達の力をアタシに貸してくれないかい?)
 目を閉じ、己の豊かな胸に手を当て、騒ぐ感情を言い聞かせるようにして宥める。すると胸の痛みはやがて薄れいき、手の平に感じる動悸も徐々に落ち着いてきた。
 フィーアは胸の手を操縦桿へと戻し、静かに、殊更静かに目を開く。その深紅の瞳には目前の白いゾイドゴジュラスが、説得すべき相手などではなく明確な敵として映っていた。
 既にその身の大半を灰と化していたタバコが、フィーアの唇を滑り落ちた。


 奇妙な立ち姿で動きを止めた二機のゴジュラスに、スティグマは訝しげな表情を顔に貼り付けたまま、思わず地面に座したその腰を浮かせた。つい直前まで、それこそ地震のような振動が絶え間なく自分を包んでいただけに、突然訪れた静寂に不安すら覚える。
(お次は何だ?)
 ラオシーツの白いゴジュラスが飛び道具を持ち出したのにも驚いた。また、その容赦の無い攻撃にも肝を冷やした。
 次は何かと思えば、今度は二機が共に動きを止めてしまったではないか。
 片や一方は、相手に背を向けたまま。片やもう一方は、相手の背後を取ったまま。
 どちらにとっても、動きを止める場面ではない。
 しかし、だからと言って何をする事もできぬスティグマは、仕方なく沈黙のままに、再び荒野にその腰を下ろそうとした。
 その時だ。フィーアの操縦するゴジュラスが、ぞんざいとも言える所作で片足を踏み出した。
 一歩。二歩。
 やがてその巨大な体躯が、相手の尾の間合いへと入る。当然白いゴジュラスは、その尾を横殴りに振るって迎撃にでた。
 しかし、振られた尾の先端が最高速度を記録する寸前、フィーアのゴジュラスが突如としてその足の運びを鋭くする。
 一歩。
 そのたった一歩でフィーアのゴジュラスは、相手の尾が描き出す帯状の有効攻撃範囲の内側へと、体を滑り込ませていた。先端部分ほどスピードに乗れず、威力も無い尾の中間部分が、フィーアのゴジュラスの右脇腹にヒットする。
(たった一歩で……間合いを外したのか)
 どうやら彼女は、間合いを完全に読み切っていたようだ。そして逃げるのではなく、それを利用して相手に仕掛けていった。
 相手の軽い一撃を脇腹で受け止めたフィーアのゴジュラスは、その尾に掴みかかると同時に爪を立て、自分の方へ引っ張るように腕に力を込めた。
 ラオシーツにしてみれば、フィーアのゴジュラスが無雑作にその歩を踏み出した時点で、何かしらの策を仕掛けてくるとは考えただろう。しかし攻撃を受け止め、組み付いてくるとまでは予想できなかったようだ。不安定な攻撃の姿勢からゴジュラス渾身の力で尾を引っ張られたラオシーツの機体は、数歩は踏み止まったものの、最後には地面に足を取られて、半分振り回されるようにして右の肩口から引きずり倒される事となった。
「……あん?」
 巨獣同士の戦いを見上げるように観戦していたスティグマに、倒れ込む白いゴジュラスの影が降りかかる。


「ぐぉぉっ!」
 ゾイドゴジュラス転倒の衝撃で軋む全身に、ラオシーツ自身も声を漏らす。鍛え上げられた屈強な肉体であっても、老体には矢張り応えるものだ。
「なかなかどうして、やるじゃないかあの嬢ちゃん。あの若さでワシから一本取るとは……まったく、驚かせてくれるな。長生きはしてみるもんだ」
 しかし、まだ足りない。
 ラオシーツの見立てでは、彼女の力はまだまだこんなものではないはずなのだ。全てを見届けるまで、協力に納得はしないつもりだ。
(ワシも、そう安くはないからな……)
 とは言え、見所は大いにある。その点ではあの女パイロットを試すという目的以上に、一人の先輩として何かの一助になりたいという気持ちも大きい。
(まぁ、簡単に言えば楽しみという事だ。ワシには孫はおろか、子供もおらんからな)
 恐らくこの戦いの結果、自分はフィーア=ファーガストなる少佐率いる部隊に加わり、行く行くは同じ戦場で轡を並べる事となるだろう。その時、自分はどんな感情を抱くのだろうか。
 百年を数えた人生の大半を戦いにかまけてきて、今さら親心も無いだろうが。
「んっ――!」
 思わず、妙な感慨に耽ってしまったラオシーツ。しかし身に迫る危険な気配に、意識を戦闘へと引き戻す。すると引き倒された彼を目掛け、銀色のゴジュラスがその巨大な足を振り上げているではないか。狙いはコクピット、そして――ラオシーツだ。
「おぉ!? そう来るか!」
 ラオシーツは慌ててゴジュラスを引き起こした。間一髪という所で、振り下ろされた右足はラオシーツの収まるコクピットをかすめ、乾いた大地を踏みつける。大質量が地面に叩きつけられた事を示す豪快な足音と、それと共に舞い上げられた荒野の砂が、対峙した二機の間で渦巻いた風に乗ってタリナという田舎町の郊外に散っていった。
 完全に必殺の攻撃だった。かわさなければ、ラオシーツの身体はゾイドゴジュラスのコクピットと共に押し潰されていたに違いない。
 相手の容赦ない一撃に、嫌な汗がラオシーツの顔の四角い輪郭を縁取っていく。
(こりゃワシとした事が、ちょっとばかし読み違えちまったみたいだな……)
 今の攻撃があったればこそ、はっきりと分かる事がある。
 目前で、赤い眼光を放ちながら仁王立ちするゴジュラス。そのスモークシルバーの巨体から陽炎のように立ち昇る殺気は本物だ。あの女少佐は、間違い無く自分を殺す気でいる。
(この尋常でない殺気……とっくの昔にスイッチは入っていたか。やはり、戦いとはこうでなくてはいかん)
 それがどんな形のものであり、“張り”というものは必要だ。負けてもケガ一つしない戦いなど、気ばかりが緩んで得るものは一つも無い。こんな野良試合であっても、命を賭して臨み、己の死力を尽くして戦う事で、初めてそこに生まれる意味もあるのである。
「期待を外してくれるなよ、頼むぞ嬢ちゃん。有意義な時間を過ごせるようにな」
 押し寄せる殺気を一身で受けながら、ラオシーツはそのシワに塗れた相好を楽しげに歪め、既に身体の一部となって久しい五十年以上愛用のパイロットメットをぐっと被り直した。
 自分も苦しい時は相手も苦しいと言うが、ましてやあの少佐は女性。老いたとはいえ、実戦の中で鍛えられた体を持つ男の自分がスタミナで負けるとは思えない。
(乗って吐いてを散々繰り返して初めて、コクピットでどんなにGに揉まれてもゲロしない、タフな内臓ができあがる……間違ってもあんな嬢ちゃんには敗けられん!)
 そう考えれば、自分の疲労の具合から推しても、彼女に限界が訪れるのもそう遠い話ではないだろう。ここからプッシュを続ければ、まず競り勝てるはずだ。
(丈夫さだけがワシの取り柄だ。意地でも先にギブアップはできんぞ!)
 ラオシーツの自信と意地を乗せて、ゾイドゴジュラスの腕は伸ばされる。ラオシーツも、愛機ゾイドゴジュラスも、気合い十分だ。


 鬼だ。鬼になるんだ。
 自分の奥底から響いてくる囁きに、フィーアは意識を委ねる。かつての自分が十数年前と数年前の二回、そうしたように。
 怒れる悪鬼“アングリー・オーガ”の称号。
 ゴジュラスの左面に描かれた鬼女――般若の面。
 その鬼を意味する数々のファクターは、彼女の荒っぽい性格が呼び込んだ物ではない。あるエピソードの後に与えられた“オーガ”なる異名が、彼女の性格や人間性と合致して独り歩きを始めた結果である。
 しかし彼女はそれとは別に、その身の内に確かに鬼を飼っていた。それは普段は表にこそ出ないが、一度表面化すれば情けや手心、恐怖や感傷といった戦闘において不要と判断される要素を己からことごとく廃し、鬼の冷酷さ、非情さを持った人外のケダモノと化す、言うなれば化生の意思である。
 過去に二回、そんな状態で戦闘に臨んだフィーアは、そのどちらに際しても悪鬼羅刹を体現するかのような戦いぶりで、襲い来る敵の全てを駆逐した。
 そんな魔物の封印を彼女は今、たった一人の老兵を相手に解き放とうというのである。それは裏返せば、フィーアがラオシーツという正体も定かでない老人に抱く、畏敬の念の大きさでもあった。
 自身を完全なる鬼へと変化させるべく、彼女の意識の奥底から彼女自身への呼び声は続く。
 鬼になるんだ。どんな敵をも屠り、喰らい尽くす、魔性の獣に――



「ん――?」
 ウォレスはその時、不意に背中を走った悪寒に足を止めた。
 そこは、彼の所属する第2087独立特殊教練中隊がつい先達て配属されたヘスペリデス湖畔の空軍基地。その格納庫だった。空軍所属でもないウォレス達の配属が前以て計画されていたはずもないので、恐らくは不測の事態に備えての事であろう、彼の搭乗機――ゴジュラスも問題無く整備可能な大型格納庫である。
 今日の未明、東エウロペ西端のロブ基地から上官、部下と共にこのヘスペリデス第二空軍基地へと到着したウォレス。当然のように自分のゴジュラスをこの大型格納庫へ運び込んだ彼は、作業を終えてもそのままコクピットに留まり、機体の調整を行っていた。前線基地に満ちる開戦間近の緊張感に、ウォレスの生真面目さが触発された結果である。
 その後ウォレスは実に数時間もの間ゴジュラスの狭いコクピットに籠もり、自分が満足いくまで存分にゴジュラスの調整を行った。そして今それを終えて、ようやく格納庫の床へと降り立ったのだ。屋内のウォレスは知る由も無いが、今や太陽は中天を遥かに過ぎ、地平線に姿を消す準備を始めるのも時間の問題だ。
(……なんだ?)
 背筋の悪寒から来る嫌な予感に、ウォレスは長い前髪を透かし、自分のゴジュラスを見上げた。しかし物言わぬ巨獣の影は、水銀灯の灯りに燻し銀の機体を輝かせるばかり。
 続いて、視線を左へと巡らすウォレス。ゴジュラスの右隣には、ちょうどもう一機ゴジュラスが駐機できるほどのスペースが空いている。主無き空間は、白々とした無機質な照明に照らされて実に空虚だ。
 そこは本来、ウォレスの上官である一人の女性の愛機が駐機されるべき場所だった。しかし当の彼女はと言えば、基地に到着したと同時に自分の機体の持ち出し許可を直ちに取り付け、留守を副官たるウォレスに任せて姿をくらませたきり。
「少佐は? まだ戻らないのか?」
「さぁ。あのデカいのが入ってくれば、嫌でも気付くと思うんですが……」
 手近の整備士を捕まえて問い質すも、回答は現状の確認以上の意味は持たない有様。ウォレスは腕を組んで考え込んだ。
(少佐の事だ。何もオレが心配するような事は無いと思うが、やはり気になる。しかし、留守を任されているオレが基地を離れては、任務放棄以外の何物でもない……どうする?)
 感情と理性の板挟みに頭を悩ませるウォレス。傍から見ても彼の苦悩は明らかだが、それを整備士にどうこうしろと言うのは酷な話だ。問題はウォレスが姿を消した後、部隊をどうするかという事なのだから。
 だが、しばらくウォレスがその長い前髪の下で深い縦ジワを寄せていると、その問題に解答を与える事ができる人物が格納庫に姿を現した。かつてのウォレスの教育係であり、現在は頼れる下士官として彼やフィーアが信頼を寄せるショーン=ウェリング軍曹である。
「どうしました中尉、格納庫の真ん中でそんな難しい顔をして……ゴジュラスの調子でも悪いですかな?」
 歳の差があるだけに、普段は砕けた口調で話すショーン(ただし、それを頼んだのはウォレス自身である)だが、今は周囲で忙しく動き回る整備士達の手前、ウォレスにも部下と上官という立場で接してくる。
「あまり考えすぎるのは、体に毒ですぞ」
 野戦服の帽子を外し、ギリギリまで短く刈り揃えられた軍人らしい頭を撫で回しながら、ショーンは軽い苦笑を浮かべて言った。困り顔とその台詞は、ウォレスに対する際の彼の標準装備である。彼に言わせれば、“中尉殿は物事を難しく考えすぎている”のだそうだ。
「ウェリング軍曹、少佐が戻らないんだ……」
「少佐が? そう言えば、あのデカいゴジュラスが影も形も見当たりませんな」
 格好の相談相手を得たウォレスの言葉を受け、格納庫をワザとらしく見回したショーンは、ウォレスのゴジュラスの隣にポッカリと空いたスペースに目を留めた。最後に頭をもう一撫でしてから手にした帽子を被り直すと、表情を幾分厳しくしてウォレスの隣へと並び立つ。
「少佐はどこへ行かれたんですか? ゴジュラスまで連れて……朝到着してすぐ、熱心に姉上殿と話し込んでいられるのを見た覚えがありますが」
「なんでも新しい傭兵のスカウトと言って、この基地から北に百キロほどのタリナという田舎町へ……」
「ゴジュラスに乗って、でありますか? いやはや……」
 フィーアの酔狂との付き合いも長いショーンであっても、やはり困惑は隠しきれない様子だ。ウォレスも彼女から話を聞かされた時は、ゴジュラスを持っていく事に意味を見出せなかった。
 ただしゴジュラスの持ち出しなどという無茶ともなれば、フィーアが何の考えも無くそれをやるとも思えない。逆を言えば、ゴジュラスを持ち出さなければならないほどの何か、という事になる。
 そんなフィーアが、連絡一つ寄越さぬまま戻ってこないのだ。
「少佐の事だから心配は要らないと思うんだが、何か嫌な予感がする……」
「そうですな。よろしければ、私が誰かを連れて――」
「いや……」
 “行ってきましょう”、と続けられるはずだった言葉を遮り、ウォレスは言った。
「オレが、ゴジュラスで出る。留守を頼みたい」
 当然の反応として、ショーンは目を丸くしてウォレスへと向き直る。
「中尉それは……副官まで部隊を空けては、もしもの場合に部隊が動けません」
 副官の務めとは本来そういうものである。ウォレスという副官がいてこそ、フィーアも基地を離れたのだ。
「私が行きます、中尉」
「部隊と言ったって、残っているのはオレも入れて五人だ。指揮官がいようといまいと、たいした違いは無いだろう」
 ウォレス、ショーン。そしてスタンレー、ライナス、アルファンらのゴドス組。部隊で残った正規の軍人はこの五人のみで、後は傭兵達だ。戦力としても、パイロットと同数の小型ゾイドがあるばかり――小隊とも呼べるかどうか。
「だからこそ的確な指揮で、戦力の不足を少しでも埋め合わせる必要があります!」
「オレがいなければ何もできないような烏合の衆じゃ無いはずだ。いざという時は、ウェリング軍曹が指揮を執ってくれないか? 軍曹に任せるなら心配は無い」
「アニストン中尉!」
 殊更言葉を強調するためか、名前つきで階級を呼ばれた。
 ショーンの主張は最もである。指揮官と副官が揃って部隊を留守にするなど、異例中の異例だ。指揮系統が崩れた部隊は、実に呆気なく崩壊する。
 だがウォレスも、自分の主張に根拠を持っていた。ゴジュラスが必要になるような状況に、ショーンのコマンドウルフやゴドスが向かった所で、何をできるとも思えない。それならばいっそ、フィーアと同様ゴジュラスに搭乗する自分が向かうべきだと考えたのだ。
 二人の主張は、どんなに言葉を重ねても交わる事の無い平行線だった。どちらかが折れない限り、この議論に終わりは来ない。しかしそれが分かっていても、ウォレスもショーンも己を曲げなかった。ある人物が現れるまでは。
「何かあったかね、二人とも?」
 その声は、議論を交わす二人からそう遠くない場所で発された。
「あっ――!」
「大佐……!」
 声の主に気付いたウォレスとショーンは、姿勢を正して敬礼する。いや、彼らだけではない。声に気付いた者や、その彼らの報せを受けた者。今や格納庫内の全員が全ての作業を中断し、姿を見せた一人の男に敬礼を送っていた。
「うむ。皆、作業を続けてくれ」
 簡単な敬礼を返しつつ、その男は周囲を制する。そしてそのまま、ウォレスとショーンのもとへと近寄ってきた。
 士官服を隙無く着こなす、前線の下士官に勝るとも劣らない逞しい身体。袖から覗く肌も黒く日に焼け、まさに兵(つわもの)を思わせる。スキンヘッド、蓄えた口ヒゲ、サングラスと三拍子揃った強面だが、男が持つ雰囲気のためか、それは恐ろしさというよりも厳しさ、厳格さといった印象を見る者に与えるだろう。
 ウォレスは彼を知っていた。ショーンの方も面識があるのか、すぐに人物を特定したようだ。
 アーネスト=エロワ。パイロット出身の共和国空軍大佐で、数時間前にウォレスが到着の挨拶で訪ねたばかりの、ヘスペリデス第二空軍基地司令官である。
「随分深刻そうに話していたが、私の基地の者に不手際でもあったかね?」
「いえ、とんでもありません」
 真面目な顔のままで本気とも冗談ともつかない言葉を口にするエロワ大佐に、ウォレスは首を振った。不手際はおろか、まったく逆である。
 フィーア率いる第2087独立特殊教練中隊はこれから、空軍指揮下の第二空軍基地に間借りするような形で世話になる。基地側からすれば、負担が増えるだけでメリットなどほとんど無いはずなのだ。
 にも拘らずエロワ大佐は、格納庫、兵舎の使用許可は言うに及ばず、畑違いのはずの陸戦ゾイドのサポートまで約束してくれるなど、中隊にこれ以上無い誠意ある対応を見せてくれた。そして基地整備班も、空戦ゾイドの整備に限った話ではあるが(無論、知識のある者はその限りではない)、全面的な協力を表明してくれている。代償として戦闘要員に対する哨戒任務や作戦行動への参加、中隊つき整備班に対する基地整備班への協力などが義務とされているが、その程度は安いものだ。
「君達の部隊が空軍でないからといって、遠慮する事はない。ヘリック共和国という同じ旗の下で共に戦う仲間なのだからな。私にできる事があれば、遠慮無く言いたまえ」
「ありがとうございます、大佐。実は……」
 ウォレスは、上官が戻らない事をエロワ大佐へと告げた。彼の放つ厳格な雰囲気から、あるいは一喝されるのではという一抹の不安も無いではなかったが、エロワ大佐はサングラスの下で瞑目しながら逞しい輪郭の腕を組み、身動ぎ一つせずにウォレスの話を聞いていた。その堂に入った姿勢はまるで一枚岩のごとき存在感があり、やがてウォレスの説明が終わっても、その逞しい肉体はしばらくの間、実物の岩のように微動だにしなかった。
 そんなエロワ大佐を前にウォレスが得体の知れぬ緊張感に苛まれ始めた頃、ようやく彼の目と口が開かれ、低い声音で言葉を紡ぎ始める。
「話には聞いていたが、本当に奔放な指揮官だな」
 憤りの響きは無い。侮蔑の響きも無い。しかしだからと言って、笑って誤魔化すような軽い口調でもない。事実を事実として受け止めた上で、率直な感想を口にしているだけのようだ。
「……恐れ入ります」
 いたずらに上官を卑下する気は無いウォレスは、言葉少なにそれだけを口にする。
 すると、そんなウォレスの言葉を受けてなのか、それとも初めからそのつもりだったのか。エロワ大佐はこう続けた。
「しかし、“君”には信頼に足る指揮官なのだろう? 好きににしたまえ。ケツは、私が拭ってやる」
 よもやそんな言葉をかけてもらえるとは思ってもみなかったウォレスは、一時目を瞬かせてから、ようやくその言葉の意味する所に思い至った。大佐はウォレスとショーンの議論の内容を読み取った上で、ウォレスの肩を持ってくれたのである。
「はい、やらせて頂きます!」
 はにかんだような笑みで髪に隠れぬ顔の下半分を彩り、ウォレスは嬉々とした声で言った。そして言うが早いか、瞬く間の敬礼の後に、自分のゴジュラス目指して走り出す。
(待っていてください、少佐!)
 コクピット周りに張り巡らされたキャットウォークまでのタラップを二段飛ばしで一気に駆け上がると、開け放たれたキャノピーに飛び込み、閉まるまでの間も惜しんで発進準備に入る。付き合いも長いコクピットは、前髪のおかげで悪い視界でも即座に手順が進んでいく。
 と、そこへ――
「おい、オレも連れてってくれ!」
 今し方自分が上ってきたタラップを、甲高い足音と共に再び誰かが駆け上がってきた。
「あ、アナタは……」
「な? いいだろ? 絶対に足は引っ張らねぇ」
 今にもコクピットに飛び込んできそうな雰囲気の言葉に、閉じてくるキャノピーを慌てて止めてから、ウォレスは言葉の主をマジマジと見つめる。
 使い込まれたカメラを片手にそこには、ティーシャツ、ジーンズ、袖をカットしたデニムジャケットといういつもの出で立ちのアルトロスがいた。息も切れ切れにズイッと顔を寄せてくるその姿は、迫力も十分だ。
「足を引っ張らないのはいいですけど、このコクピットは……」
 気迫に気圧されながらも、ウォレスは自分が収まったゴジュラスのコクピットを見回す。完全な戦闘ゾイドの一人乗りコクピットに、無駄なスペースなど存在しない。
 しかしその程度の要因で、アルトロスの熱意を消し去る事はできなかったようだ。
「足の遅いゴジュラスだろ、キャノピーの上に乗せてくんでもかまわねぇ! 頼む! 連れてってくれ!」
「参ったな……」
 どうやら、ちょっとやそっとでは諦めてくれそうにない。ここで時間を浪費するのはありがたくないウォレスは、仕方なく腹を括った。
「狭いですけど、それでもよければどうぞ……」
「ありがてぇ! 恩に着るぜ、中尉さん!」
 顔を輝かせ、狭いと言っているにも拘らずコクピットに飛び込んでくるアルトロス。
「痛っ! ちょ、狭いんですから。そこ! とりあえずそこ腰掛けてください!」
「ここか? ホントにきっついな……あっ!? お、オレのカメラが!」
 大の男二人を何とかかんとかコクピットに収め、ようやくキャノピーは閉じられた。


(あの口調も、だんだん板についてきたな。最初はいつまでも敬語が抜け切らなかったもんだが……)
 そんな事を考えつつ、ウォレスが走り去る嬉しそうな後ろ姿と、それを追うように走っていったアルトロスの姿を見届けてから、それまでずっと黙っていたショーンはエロワ大佐へと向き直った。大佐はウォレスと対峙していた時のまま、腕を組んで岩のように動かない。
「気を遣わせてしまったようですな、申し訳ありません」
「……私も若い頃はよく無茶をして、しょっちゅう上官に尻拭いしてもらっていたものだ。私もそんな歳、そんな立場になったというだけの話だ」
 ショーンの言葉に、大佐は静かに言った。その口調には、“そんな歳と立場”とやらになってしまった自分を、どこか残念に思っているような雰囲気があった。
「残念そうですな?」
 その感想を、ショーンは敢えて口にする。軍人としての立場に違いこそあれ、年齢では同年代であるエロワ大佐に、シンパシーのようなものを感じたせいだ。
 するとエロワ大佐は、
「あの頃の私には、自分と、ゾイドと、大空が全てだった。それが今となっては、立場や責任、体面、色々ある。面倒なものだ」
 打ち明けるように言うと、今にも動き出さんとしているゴジュラスを見上げる。サングラスの奥の目が眩しげに細められているのが、すぐ近くに立つショーンにだけ見て取れた。
「確か、アニストン中尉といったか……」
「ウォレスです、大佐。ウォレス=アニストン」
「ウォレスか。若いな、彼は……羨ましくなるほどに……」
 二人の中年が見つめる先で、ゴジュラスの発進シークエンスは続いていく。
『ゲートオープン、ゲートオープン。ゴジュラス発進準備よろし。付近の整備員は、速やかに安全区域に退避して下さい。繰り返します――』
 巨大な格納庫全体にアナウンスが響き渡る。そしてそれが終わるのを待って、駐機されていたゴジュラスがその巨大な足での第一歩を、照明に照らされて無機質な光を放つ格納庫の床へと踏み出した。
「思う存分……駆けるがいい」
 エロワ大佐が呟く。するとそれに応えるかのように、ゴジュラスは二人の前を行き過ぎる際に低く唸り、やがてゲートの向こうの光の中に消えていった。
「あの――」
 全てを見届け、おもむろに口を開くエロワ大佐。
「あのウォレスという男、デリクと同じくらいの歳だな……元気にしているか?」
 問われたショーンは、年下の上官であるウォレスに対しても使わなかった砕けた口調で答える。
「えぇ。今回出かける時も、ソレーヌと一緒になってよろしくと言っていましたよ、義兄さん」



「た、助かったのか……?」
 荒野にへたり込み、腰を抜かしていたスティグマは、自分の足先から数十センチほどの位置に出来上がった地面の窪みを見つめ、額を伝う汗を拭った。立ち位置を後一歩でも踏み出していたら、彼の足は引き倒された白いゴジュラスの下敷きとなり、見るも無惨に潰されていただろう。場合によってはスティグマという存在全てが、マンガさながらに、吹けば飛ぶ紙っぺらのようになっていたかもしれない。普段は彼の悩みの種である子供っ気の抜け切らぬ顔も、今ばかりは恐怖に引き攣り、貫禄とも迫力ともつかない雰囲気を漂わせている。
「二人とも、オレがここにいる事くらい分かってるだろうに。真っ当な人生してきたつもりは無いが、それでも二三〇トンの下で、紙より薄っぺらになって死ぬのはお断りだぜ……」
 思い浮かべた光景のおぞましさのあまり、スティグマは容赦無い陽光が照りつける荒野の暑さも忘れて身を震わせた。
 しかし、いつまでも腰を抜かしていても仕方ない。生き残った幸運に感謝しつつ、なんとかその身を起こす。彼の生命を脅かした二体の巨獣は再びスティグマから距離をおき、険悪な雰囲気の視殺戦を繰り広げていた。
(ん――?)
 ふと、スティグマの耳が異音を捉える。この水気の無い荒野でありながら、どこからともなくかすかな水音が聞こえてくるのだ。そう遠くではない。
「そうか、酒!」
 心当たりに思い至り、視線を隣の地面へと向けるスティグマ。するとそこでは、フィーア購入済みの高級銘柄酒の茶色い瓶が横倒しになり、その中身を乾いた大地へと垂れ流していた。液体が地面を叩く軽い水音が響く度に、茶色の水溜まりが波紋と共に広がり、その端から地面に吸われて濃色の染みへと変じていく。
 スティグマはゴジュラスに注意を払いながら酒瓶に歩み寄り、それを拾い上げた。見ると、既に地面の染みとなった水溜まりの跡には、砕け折れた瓶の首と、その半ばまでを地面に埋めた石が鋭角な先端を突き出している。ゴジュラス転倒の衝撃で瓶が倒れ、石の角でボトルの首を割ってしまったのだろう。
(もったいねぇ……)
 中身の三分の一ほどを失った酒瓶は実に軽かった。そのせいか、酒としての価値までもが減じてしまったかのような錯覚に陥る。巷に溢れる安酒程度の感覚で、一口くらい飲んでもかまわないような気がしてくるのだ。
 しかし、スティグマはその半童顔を苦笑に歪め、瓶を再び地面へと据えた。依頼への誠意ある対応は、客商売が信頼を得るための鉄則だ。
「逆に、割っちまった事を謝るべきかもな……」
 その時、彼の銀髪を吹き散らして風が行き過ぎる。大地を揺さ振る振動が、二機のゴジュラスが再び戦端を開いた事を物語っていた。
 顔を上げるスティグマ。先程まで一撃離脱の戦法をとっていた両者が、今度は正面から距離を詰め、互いの爪と牙を繰り出しあっていた。
 時には体を激しくぶつけて相手を押し返し、できた隙間に渾身の爪撃を突き込み、かと思えば万力のような爪で相手に掴み掛かり、カッと開いた大口で肩口ごと腕を噛み千切りにかかる。傍から見ればゴジュラス同士の派手な格闘戦でありながら、パイロットにとっては精緻なテクニックを総動員した緻密な技術の応酬だ。
 ゾイド乗りでないスティグマにも、それくらいの事は分かった。気性の荒いゴジュラスの闘争心を捻じ伏せて思うように動かす事は、言うほど簡単ではないはずだ。
(パイロットとしての技術がどちらも一流なら……勝負を決めるのは、何だ?)
 スティグマの問いの答えはいずれ示されるだろう。この戦いが、終わる時に。今はただ、それを待つ事しかできない。
 一撃一撃が必殺の威力を持つ攻撃を両者が紙一重でかわしていく中で、次第に二機のゴジュラスは傷だらけになっていく。高いレベルで伯仲する二人の実力が、コクピット周りやゾイドコアといった重要部へのダメージを避けるために、無傷での戦闘を許さないのだ。互いが互いに、隙の無い最小限の回避動作から攻撃を狙って、装甲を削られながらも相手の懐に飛び込んでいく。
 蹴立てられた地面から砂塵が舞い上げられる様は、超重量級同士の格闘戦という事実も忘れさせ、一種幻想的ですらある。血生臭い二機の戦いは、実に美しかった。
 見蕩れるスティグマの眼前で、フィーアのゴジュラスが鋭く突き出した右腕。ラオシーツの白いゴジュラスは素早く右にステップし、攻撃を空振らせる。と同時に、その腕を両手で鷲掴みにすると、上体を泳がせながら歩を重ね続けるゴジュラスの勢いをそのまま利用し、絶妙なタイミングと力の入れ具合で捕まえた腕を斜め下へと引っ張った。
 冗談のように、フィーアのゴジュラスが宙を舞った。
 腕一本へ加えた力と相手の勢いだけでその身を投げ飛ばす技術は、対人格闘術の高等技術だ。信じられない分野からの応用が、ラオシーツのパイロットとしての技量の程を窺わせる。
 ゾイド戦とは思えぬ光景に目を剥くスティグマの前で、投げられた腕を支点に空中で一回転したフィーアのゴジュラスが、背中から地面へと降ってくる。その巨体が、一番大きい背ビレ二枚を根元からへし折って大地と接触するや否や、スティグマが思わずたたらを踏むほどの振動が、轟く大音響と共に地面を走った。
「っ――!」
 咄嗟に耳を押さえて片膝をつき、降りかかる種々の衝撃に耐えるスティグマ。それでも、その身体を揺さ振る不可視の力は、いささかの衰えも感じさせずに彼を圧倒する。
 しかし、矮小な人間など及びもつかない存在であるゴジュラスが、その程度で怯むはずがない。ラオシーツの白いゴジュラスは間を空けず、仰向けに倒れたフィーアの機体目掛けて容赦無い止めの一撃――機重を目一杯乗せた頭部への踏みつけを狙い、足を持ち上げる。
 次の瞬間。降ってくる足を見据えて、フィーアのゴジュラスが赤々と目を血走らせた。振り下ろされてくる足に負けぬ素早さで両腕を差し上げると、コクピットへの衝撃まで間一髪という所で、踏みつけの足を受け止める。そして、相手の動きが一瞬止まったタイミングを狙い、その規格外の力の全てを動員してそれを跳ね飛ばした。
 途方も無い怪力で片足を跳ね上げられて、堪らず今度は白いゴジュラスの方が後ろにぶっ倒れる。その隙にフィーア機は、巨体からは想像もできぬ敏捷さで起き上がり、目の前の敵に飛びついた。
 低重心の短足故にマウントポジションとはいかないため、倒れたゴジュラスの脇に立って、その巨体を連続で蹴りつけていく。一蹴り毎に響き渡る金切り声のような不協和音は、金属同士が擦れ合う擦過音と軋む装甲の悲鳴に相違ない。ゴジュラスが誇る強固な装甲と言えど、同様にゴジュラスが誇る超パワーの衝撃をこう続け様に与えられては、悲鳴の一つや二つ上げようというものだ。
 さすがにこのままではマズイと思ったらしく、倒れたラオシーツの機体が器用に尻尾や足を振り、自分を蹴りつけ続けるフィーア機の軸足を払った。攻撃を中断し、数歩を後退して崩れた体勢を整える銀のゴジュラス。当然ラオシーツは、その一時の間を狙って愛機を引き起こした。
「驚いたな……ゴジュラスみたいなゾイドでも、突き詰めればあそこまで動くのか……」
 一連の動きを、瞬きすら忘れて目で追っていたスティグマ。力押しの印象が強いゴジュラスが機敏に動き回り、高度な技術の応酬を繰り広げる光景に、彼は自分が抱いていた認識を改める必要を感じていた。二人のパイロットの優れた技術を、今さらながらに実感する。
(二人の腕前は、互角か。当分決着はつきそうに無いな。長期戦になりそうだ……)
 ゾイド戦は専門では無いが、この戦いに限って言えば、待っているのが終わりの見えない消耗戦である事は、子供にも簡単に判断がつきそうに思えた。現に、先程まで取っ組み合ったり地面を転がったりしていた二機が、今は何事も無かったかのように再び睨み合っていた。
 どちらのゴジュラスもその装甲表面は傷だらけだが、四肢の欠損や重要回路への被弾といった重大なダメージが無いため、ゴジュラス丸々一機分の戦闘力が残っている。精々二機共が、通信アンテナの役割を持つ背ビレをへし折られている程度だ。ラオシーツの機体は、数時間前に暴走したフィーアのゴジュラスを止める際に一枚。フィーアの機体はつい今し方、地面に叩きつけられた衝撃でその全てを。
(ゾイドも技術も互角だったら、何が勝負を決めるんだ?)
 先刻と同じような問いが、スティグマの中でもう一度繰り返される。
 何故か居た堪れなくなり、彼はその童顔で、地上へ刻一刻と迫りつつある太陽を見上げた。



「なぁ中尉さん。ゴジュラスを足にするってのも、やってみると意外に乙なもんだねぇ。コクピットが高いから眺めも良いし」
 男は時折鋭いシャッター音なども織り交ぜながら、そんな暢気な言葉をこちらに漏らした。
 しかし、その暢気な口調に前触れ無く陰りが落ちる。
「ただ……」
 言いかけたかと思うと、再度シャッターの落ちる音が響く。雰囲気から、今度は景色でなく、その狭いコクピットの内部とそこで操縦桿を握る自分を撮影したのだろうと、ゴジュラスのパイロット――ウォレスは察した。
 そして、言葉は続けられる。
「やっぱゴジュラスのコクピットに、二人乗りはキツイな」
「そう言ったはずです。それでも良ければどうぞ、とも……」
 密度の高いコクピットに辟易しているのは自分も同じというウォレスは、右手後ろのパネルに腰掛けて再びファインダー越しの眺望を楽しんでいる男――アルトロスへ向けて、苦々しげな視線を投げかけた。だがそれを知ってか知らずか、ボサボサ頭の自称トップ屋は鼻歌でも奏でだしそうな雰囲気でカメラを覗き込んでいる。
「分かってるって。ただ乗りさせてもらって、文句言うつもりは無ぇよ」
 答える声も、片手間で身が入っていない。
 アルトロスの恐るべきマイペースさに、ウォレスは長ったらしい前髪の下で眉をしかめながらため息をつくしかなかった。
 ヘスペリデス第二空軍基地を発ち、砂漠の地平線に迫りつつある太陽を左手に見ながらゴジュラスを走らせて早一時間半。そろそろタリナの田舎町然とした町並みが見えてくる頃だ。このまま行けば、空が朱に染まり始める前には何とか町に到着できるだろう。
 しかし、そんな予想がもたらしたわずかな安堵感も、突如として前方警戒のレーダー画面に浮かび上がった輝点によってあえなく吹き散らされる。
「IFFに反応しない……敵機?」
 反応は二つ。一つは敵味方識別装置によって友軍機である事が確認された。確証は無いが、恐らくフィーアのゴジュラスだろう。しかし、それに重なるように表示される反応は、味方の物でないとレーダーが告げている。
「ん……どうかしたのかい、中尉さん?」
 ウォレスの緊張感を察したアルトロスも、後ろからその手元を覗き込んできた。
(少佐の敵か? それとも、雇った傭兵? 微妙な所だな……)
 この状況ではどちらも有り得る。だがウォレスの立場としては、より悪い状況を想定して動かねばならない。
「おっと、敵さん御登場かい? こりゃ付いてきて正解だったな」
「…………」
 アルトロスが興奮して期待するとおり、最悪の場合、戦闘になる事も考えられる。そう判断してまずウォレスは、この場で一番の不安要素を取り除きにかかった。
「ゴジュラスを止めますから、ここで降りて下さい」
「あぁ、分かって――なに!?」
 自分がこれから目にする光景への期待に胸を膨らませるあまり、上の空だったのだろう。返事のために口を開いてから、ようやくウォレスの言葉を理解して大慌てとなるアルトロス。
「中尉さんよ、そりゃくせぇだろ? こういう事もあるかと思って、オレはアンタに付いてきたんだぜ? それを……地面の上からの絵なんて、ガキでも撮れるだろ! オレが欲しいのは、ココ! このコクピットから見た戦闘の絵なんだよ!」
 ジャーナリスト魂か。それとも、少しでも写真を高く売りつけたいという金銭欲の賜物か。アルトロスの声は切実な響きでもって、ウォレスの良心へと訴えかけてくる。
 しかし彼の理性はそれを良しとせず、アルトロスの要求をバッサリと切り捨てた。
「……冗談は勘弁して下さい」
「冗談!? オレが冗談でこんな事言ってると思ってんのか!? 戦闘中のゴジュラスのコクピットから見た光景なんざ、アンタ等みたいなパイロットでもねぇ限り御目にかかれっこ無ぇんだ! 分っかんねぇかなぁ……」
「もし戦闘になったら私はともかく、シュタットフィールさん。アナタはコクピットの中を転げ回るどころか、飛び回る事になるんですよ?」
「アルトロスでいいぜ、中尉さん。分かってるって、そりゃオレの問題だ。アンタはオレに構わず、好きなだけゴジュラス振り回してくれよ。迫力のある絵が撮れるようにな」
 返事に口を開きかけて、ウォレスは一旦思い止まった。
 遠回しの説得では、アルトロスは絶対に折れない。そう思い直し、この状況で戦闘に突入した場合にどのような結果になるかを、単刀直入に告げる事にする。
「……いいですかアルトロスさん。この反応が敵である場合、相手はファーガスト少佐ですら手を焼くような強敵である可能性が高い。飛んで来るアナタを避けながら、そんな敵の相手が務まると思いますか?」
「だから、オレの事は物か何かだと思って――」
「無理です! ぶつかってくるアナタの体。アナタが上げる悲鳴。どれをとっても、私の注意を散じるには充分過ぎる要因です!」
 アルトロスの減らず口に強い語調で言葉を重ねると、ようやく彼も事の重大さを理解したらしい。
「オレは……邪魔って事か?」
「死にたいというなら話は別ですが、生憎私にはまだその気がありませんので……複座の機体なら、問題無かったんですが……」
 驚くほどしおらしい口調で言うアルトロスに、ウォレスはその良心から、直接的な言葉を避けて答えた。
「気にしなさんなって、中尉さんよ。でもその代わり、せめてコイツを使える場所までは乗せてってくれよな。こんな所で降ろされたら、町に向かってる間にシャッターチャンスを逃しちまう」
 愛用のカメラを示しながら言うアルトロス。それが、彼の最低限の譲歩なのだろう。ここまできても“決定的瞬間”を狙う彼の根性には、もう感心するしかない。
「……分かりました。それじゃ少し揺れますから、しっかり掴まっていて下さい」
 ウォレスはその前髪の下で苦笑を浮かべながら、スロットルレバーを押し上げてゴジュラスを加速させる。既にレーダーだけでなくキャノピー越しの視界にも、対峙する二つの巨体――二機のゴジュラスが姿を見せ始めていた。



 戦闘開始から、既にどれだけの時間が経過しただろうか。長年鍛え上げてきた肉体にも、それと分かるほどに疲労の色が濃い。先程、強敵との邂逅を嬉々として楽しんでいた事など遥か昔のようだ。
(今まで随分と、戦場を渡り歩いてきた。ゴジュラスとも、何度と無く刃を交えてきた。しかし、ワシがここまで苦しめられるのは初めてだな……)
 青褪めた顔のままで朦朧とする意識を叱咤しながら、ラオシーツは愛機ゾイドゴジュラスの操縦を続けていた。
 長い戦場暮らし、自分ではとても敵わぬ強敵と見えた事も一度や二度ではない。しかしそういう時は、何より生き残る事を最優先に考えてきた。そのような存在の影がチラつく場合、余程の事でない限りかかわる事を避けてきたのだ。事前に相手の実力を見抜く眼力というのも、生き残っていくには必要だ。
 ただ、楽をして勝てる相手だけを選んできた訳ではない。自身の研鑽は常に念頭に置いていたし、敗北を喫した経験も数え切れない。勝負を避けるのは、どこを取っても勝機を見出せなかった相手だけだ。
 しかしそんなラオシーツであったが、今回ばかりは相手の力を読み違えた事を、おとなしく認めねばならなかった。腕のいいパイロットとの印象はあったが、自分をこうまで苦しめる相手とは思えなかったのである。彼の見立てでは、遅くとも三十分前には自分の勝利で決着がついているはずだった。
(この長時間を戦ってきて、全く動きが衰えない。アレは本当に女か……?)
 今こうして考えている間にも、目前のゴジュラスは戦闘開始直後とまるで変わらぬ動きで襲い掛かってくる。胸のムカつきと同時に、既に操縦桿を重く感じ始めている自分には、その鋭い攻撃をかわすだけでも精一杯だ。
(どうやら、時間はあまり残っておらんな。体力もそうは続かん……)
 焦点のずれ始めた視界で懸命に相手を睨みつけながら、ラオシーツはほとんど体に刷り込まれた反射神経のみでゴジュラスを操縦する。意識に反応できるだけの体力は、もう体には残されていなかった。
(ジリ貧になる前に、一撃……耐えられればいいが……な――!)
 意を決したラオシーツはゴジュラスに、素早く身を屈ませ、そこからさらにステップを踏んで相手の横へ回り込むような機動をとらせるために、操縦を行った。


 戦いが目に見えて動いた。
 スティグマの前で攻められていたラオシーツの白いゴジュラスが、残像を残しそうな勢いで身を屈める。焦れて動いただけか、それともどこかに勝機を見出したのかは分からないが。
 ダッキングによって身を低くした白いゴジュラスの顔を、繰り出されたフィーアのゴジュラスの爪がかすめて行き過ぎる。
「かわした!?」
 紙一重の回避に成功したとなればやる事は一つ。スティグマは、この勝負の行方を察した。
(決まった、“鉄人”の勝ちだ!)
 しかし、身を低くした鉄人のゴジュラスは、フィーアの機体が崩れた体勢を立て直しても、そのまま動く気配を見せなかった。まるで彫像と化したかのように、脚部の関節をたわませた不自然な姿勢で固まっている。
「なんだ……何故止まる!?」
 直後には、様子を慎重に窺っていたフィーアのゴジュラスが、その動きの止まった巨体を蹴り倒してしまった。だが、轟く大音響と共に横倒しとなっても、白い機体は動かない。眠ったままだ。
 すると、その隙だらけの巨体に影が落ちた。フィーアのゴジュラスが、今度こそ止めの一撃を放たんと進み出てきたのである。巨大な足が、白いゴジュラス――ひいてはラオシーツの頭上へ正確に振り上げられた。
(殺られる……このままじゃ本当に殺られるぞ、爺さん!)
 戦慄するスティグマはその時突然、自身の体を断続的な振動が包み込んでいるような錯覚に陥った。人死にという凶行が目前に迫った事への恐怖感が、動悸を激しくしているのだろうか。
(いや、違う! コイツは……“足音”だ!)
 徐々に大きくなる振動はもはや、スティグマ一個人の体内から生じるような規模を遥かに超え、近隣一帯を揺るがしていた。
 大地をこれだけ震わせる事ができるゾイドは限られる。例えばゴジュラスだが、眼前の二機の内、一方は倒れたきり、もう一方も足を振り上げた所で身動きはしていない。また一機、新たなゾイドが接近しているのだ。
 スティグマは五感を頼りに、足音の主が接近してくる方向を推定して頭を巡らせる。すると次の瞬間、彼の動作よりも早く巨大な影が視界に飛び込んできた。
「また……ゴジュラスだって!?」
 闖入者は、フィーアの機体と同じスモークシルバーのメタリックに塗装されたゴジュラスだった。足を振り上げた状態のフィーア機の右手から突っ込んできたそのゴジュラスは、疾走の速度をそのままに肩からのタックルを浴びせかける。
 しかし流石と言うべきか、フィーアのゴジュラスはその不意打ちに対応して見せた。足をラオシーツではなく地面に振り下ろしたかと思うと、それを支点に新たなゴジュラスに向き直り、あまつさえ攻撃の手を繰り出したのである。一連の動作が唸らせた風の音がスティグマにも聞こえてくる、それほど素早い動作だった。
 だがその動きさえも、乱入してきたゴジュラスは上回った。読んでいたのか反応したのかは分からないが、突き出されたクラッシャークローを掻い潜り、フィーア機の懐にまんまとその体を侵入させたのだ。そこから機体を伸び上がらせ、肩でフィーアのゴジュラスのアゴを下からかち上げる。そのあまりの衝撃は、それだけでフィーア機のキャノピーを粉々に打ち砕き、まるでコクピットで爆発でも起こったかのように四散させたほどだ。
「うわっ!」
 暮れなずむ陽光に照らされて元々のオレンジ色を一層際立たせながら、煌きつつスティグマに降りかかる風防ガラスの破片。輝く雨を避けるため、スティグマは頭を抱えて走った。手の甲に走った小さな痛みは破片が当たったせいだろう。
 ようやく安全地帯まで避難したスティグマが金属同士の激しい接触音に視線を向けると、ショルダータックルで上体を泳がせたフィーアのゴジュラスに対し、乱入してきたゴジュラスが左脇に捻じ込んだその右腕と、右腕をガッチリと掴んだ左の爪を使い、相手の機体を捻るようにして力任せに投げ倒した所だった。地面に打ち付けられ、動きを止めるゴジュラス。田舎町に一堂に会した三機のゴジュラスの内、二機が倒れ伏して停止するという奇妙な光景が、スティグマの目の前に作り出されたのだった。


 目的を達したのか、乱入者も動きを止めた事で動く者がいなくなり、辺りが久しく忘れられていた静寂に包まれる。
 と、そこへ響いてきたのが、倒れたラオシーツのゴジュラスから発された機械の駆動音。見ると、キャノピーが開いていく。
「爺さん!」
 あれだけの激しい戦いで、果たして無事だろうか。不安に急かされるように、スティグマは近付いていく。
 するとコクピットから、シートベルトを外してラオシーツが転がり出てきた。
「ゴホッ……うぅ……」
 なにやら青白い顔で呻いているラオシーツは、一度身を起こしてメットを放り出したかと思うと、また地面にうずくまってしまった。そしてそのまま――
「ご、ぐぇ……げ……」
 胃の中身を地面にぶち撒け始めた。風に乗った異臭が、スティグマの元にも漂ってくる。
「爺さん……」
 “鉄人”のあまりに情けない姿に、思わず歩みを止めてしまうスティグマ。四つん這いになり、背を丸めて嘔吐を繰り返す様は、全く歳相応の弱々しい老人である。
「少佐!」
 どうしたものかと思案していたスティグマ。と、今度耳に届いたのは、若々しい男の張りのある声だった。
 視線を向ければ、乱入してきたゴジュラスがいつの間にか地面に伏せられており、そのコクピットが開放されつつあった。そしてそれが完全に開き切るまでの間も惜しいといった様子で、一人の青年が飛び出してくる。彼は地面に降り立つと同時にパイロットメットを脱ぎ捨てると、横倒しとなっているフィーアのゴジュラスへ向けて一目散に走り出した。
「大丈夫ですか、少佐! 少佐!」
 自分で叩き伏せたゾイドの搭乗者を心配するとは奇妙なものだと思ったが、スティグマのそんな思いを余所に、青年はキャノピーの失われたフィーア機のコクピットへ駆け寄ると、そこからパイロットを引きずり出した。フィーアは先程の攻撃のショックで失神しているらしく、まるで抱えられるようにして青年に運び出されている。
 彼はフィーアの体への負担を減らすため、羽織っていた礼服を脱がしてタンクトップ姿にすると、その長身を地面に横たえた。艶やかな紅いロングヘアを荒野の地面に広げ、青褪めた顔で眠るフィーアの姿は、まるで血溜まりの中に倒れた死人のようだ。
「少佐、起きてください。少佐!」
 青年が躊躇いがちに頬を叩きながら呼びかけると、程なくフィーアは気がついたらしく、ゆっくりと青年に支えられてその身を起こし――
「ゲ、ゲェェェ……」
 こちらも地面に蹲り、激しく吐き始めた。すぐ側にいた青年は躊躇う素振り一つ見せず、その背中をさすって介抱する。長ったらしい前髪に隠されたその表情も、きっと嫌な顔一つしていないのだろう。
 距離を置いて醜態を晒す、二人の腕利きパイロット。そのちょうど中間地点に立ち尽くしたスティグマには、双方の様子がよく見て取れる。
 その内、彼自身までもが妙な気分になってきたのは、あるいは仕方のない話だろう。
「うっ……」
 軽い吐き気を押し戻し、少し場所を変えていい空気でも吸おうかと思い始めた時だった。
「なぁアンタ。少佐サンは介抱されてるけど、あっちの爺さんはほったらかしといてもいいのか?」
 いつの間にやらまた一人の青年が、今度はスティグマの隣に現れたのだ。
「あーぁ、派手な戦闘の写真でも撮れるかと期待したんだが、パイロットが二人して吐いてるシーンなんか撮ってもなぁ……まぁ、これはこれで面白いか」
 何やら勝手な物言いと共に、年季の入ったカメラを捧げ持ってシャッターを切り始める。その行動といい、なんとなくだらしのない風体といい、胡乱な男だ。
(人の風体までどうこう言う資格は、オレには無いか……)
 とにかく男の登場に毒気を抜かれてしまったスティグマは、ようやく胃の中をカラッポにしたらしきラオシーツに歩み寄り、肩を貸して立ち上がらせた。
「大丈夫ですか?」
「す、すまんな……」
 足からも完全に力が抜けているらしく、ラオシーツの屈強な肉体は細身のスティグマにはひどく重かった。コクピットを襲う強烈なGに耐えるため、絶えず踏ん張り続けていた結果であろう。あの嘔吐も、激しい格闘戦で散々振り回された事により、内臓という内臓を嫌と言うほど混ぜっ返されたせいに違いない。長時間の戦闘で体力をすり減らされ、最後の最後に自分の機動で限界を超えてしまったという訳だ。
 フィーアも同様だろう。戦闘終了によって我慢の糸が切れ、あの結果だ。見れば彼女の方も、青年に肩を借りて起き上がっていた。トレードマークとも言える礼服は、依然として青年の手にある。
「申し訳ありません、あんな止め方しかできなくて……なにぶん、相手が相手だけに手も抜けず……」
「いや、あれでいいさ。よく止めてくれたね、礼を言うよ。ありがと」
 青年と親しげに会話するフィーア。しかしほんの少し話しただけで、すぐに口を噤んでしまう。どうもまだ気分が優れぬらしい。
「気持ち悪……スティグマ、あの酒は?」
 虚ろな表情で突然呼びかけられ、スティグマは自分が地面に置いた酒瓶をアゴでしゃくって見せた。首の割れてしまった、あの高級酒の瓶である。
 フィーアは青年に支えられてそこに歩み寄ると、瓶を手に取り、驚いた事にその高級酒で口をすすいで地面に吐き捨てた。続いてもう一口、今度は喉を鳴らして空になった胃に注ぎ込む。
「そんな……今そんな物を飲んだら――」
「気付け薬よ。そんなに心配しなくてもいい――痛っ!」
 心配する青年に弱々しい笑みで応えたフィーアの言葉は、しかし途中で遮られた。
「少佐!?」
 青年と同時に、スティグマも気付いた。彼女の額を細い血の筋が伝い落ちている。操縦中にパイロットメットを装着していなかったようなので、砕けたキャノピーの破片で頭を切ったのかもしれない。
「だ、大丈夫よウォレス。ちょっと離れててちょうだい」
 まるで悲鳴のような声を上げる青年――ウォレスをやんわりと退けたかと思うと、フィーアはなんと手にした瓶を頭上に掲げ、その中の琥珀色の液体をその美しいロングヘアの上から頭にぶっかけた。
「ん〜……! やっぱ沁みるわぁ……」
 なんとも豪快な行為に、周囲の人間全員が言葉を失った。
 見目麗しい女性が、傷口に酒を浴びせかけて応急処置とする豪胆さ。加えてスティグマに限っては、湯水のように使われたその酒が、一ミリリットル単位で値段が付けられそうなほどの高級酒である事も驚きに拍車を掛けている。
「フフ……」
 しかし呆気に取られた者達の中で、一人笑い声を漏らし始めた者がいた。
「ハッハッハ! どこまでも魅せてくれる嬢ちゃんだ」
 スティグマが肩を貸しているラオシーツだ。
「戦いぶりも見事だった。最後は殺されるかと思ったが、な……」
「……そんな所までいったのかい?」
 ラオシーツの言葉を聞いたフィーアは、当事者であるにも拘らず目を丸くした。
「戦ってたって事は憶えてるんだけど、細かい所は記憶があやふやでね。そうかい、そりゃ悪かったね……」
 声を沈ませるフィーア。罪の意識を感じているのは確かなようだ。
「多分アンタが死なずに済んだのは、ウォレスのおかげさ。よく礼を言っとくといいよ」
「そうだな。しかし礼は、素晴らしい戦いを見せてくれた嬢ちゃんにもせねばならんな」
 対するラオシーツは、自分の命が危機に瀕したというのに少しも気にした風が無い。己が命のやり取りを繰り返してきた者だからこそ、相手に落ち度が無い事を知っているのだろう。
 今の戦いは、互いが命を懸けていたのである。恐らくは殺されたとて、文句は言うまい。
 肩を貸しているスティグマにはよく見えるが、まだ血色の悪いその顔はしかし、心底楽しそうな笑みを浮かべていた。
「おかげで、忘れてしまった」
「……? 何をだい?」
「ワシの雇い賃に、嬢ちゃんの予算が幾ら足りないのか、さ」
 コクピットで揺さぶられていた頭が、まだうまく機能していないのだろうか。フィーアの反応は、一拍どころか二拍、三拍おいたものだった。
「それじゃあ……!」
「あぁ。こんな老いぼれで良ければ、好きなだけ扱き使うがいい」
 その瞬間、少し距離のあるスティグマにも、フィーアの顔が満面の笑みでほころんだのが分かった。感謝と達成感に彩られた、充実した笑顔だ。
 実際に剣を交えていた二人が笑顔を交わした事で、その場に張り詰めていた緊張感が解きほぐされ、空気が一気に和んでいく。それが本当の意味での、戦闘終了の合図だった。
「あぁ……ちょっといいかい? そろそろ冷えてくるし、いったん町にでも行かないか。少佐サンの傷も手当しなきゃならんし、このゴジュラスも修理が必要なんだろう? まさかコクピット吹き曝しのままで、夜の砂漠を基地まで走らせるのか?」
 先程からの一連の光景を、ずっとシャッターに収めていたのだろう。しばらく声が聞こえないと思っていたカメラマンの一声が夕暮れの荒野に響いた事で、ひとまずこの場は解散となった。



 結局フィーア、ウォレス、アルトロスの三人がヘスペリデス第二空軍基地へと帰り着いたのは、日もとっぷりと暮れて、あと一時間ほどで日付も変わろうかという時刻だった。しかし現れたのは基地を出た三人だけでなく、もう一人――フィーアの誘いを受けた老傭兵ラオシーツが、部隊へと合流するために同行していた。
 あの後、三機のゴジュラスをラオシーツが贔屓にしている町の整備工場へと運び込んですぐの事である。フィーアをラオシーツと引き合わせるという仕事を終えた情報屋スティグマは、すぐに次の飯の種を求めて姿を消してしまったのだが、一方のラオシーツが、ほとんど身一つの状態のままでフィーア一行への同行を申し出たのだ。
 かつて反抗軍が町を根城としていた頃に拡張された整備工場は、町の現況に似合わず、ゴジュラス三機を収めてもまだスペースに余裕があるほどの広さがあった。四人はそこで休息をとると共に、基地へ帰還する準備としてフィーアの傷を治療した。彼女のケガが家庭の救急箱レベルで対処できる程度であったのは、幸運だったと言えるだろう。
 生憎、工場にゴジュラスのキャノピーの在庫が無かったため、フィーアのゴジュラスに代用のキャノピーを取り付ける事はできなかったが、ラオシーツの口添えで工場のグスタフを借り受ける事ができたため、基地への帰還に際しての問題はそれで全て解決となった。
「そこまでは、良かったんだけどな……よっと」
 ウォレスはそうこぼし、背中の女性を背負い直した。言うまでもなく、ウォレスの背中を占有しているのは、彼の上官たるフィーア=ファーガストその人である。
 長く激しい戦闘の疲れが出たのだろう。彼女は帰りの道中でグスタフに揺られる内に、まるで泥のように眠り込んでしまったのだ。その眠りは基地に到着しても一向に覚める気配を見せず、仕方なくウォレスがグスタフのコクピットから背負って連れ出したという次第だ。
 ウォレスのゴジュラスは整備士が、フィーアのゴジュラスは専属でもあるスタンレーが、それぞれ格納庫へと運び込んでいる。無論ラオシーツは、自分の手でその作業を行った。
(参ったな。少佐の私室に入ろうにも、少佐に鍵を開けてもらわないと……)
 思い悩みつつもフィーアを背負い、基地の敷地内を一歩一歩兵舎へと向かうウォレス。その前に、長身の人影が立ち塞がった。
「……バカな妹が迷惑をかけているようで、悪いわね」
 その正体は、フィーアの姉――ヴィクセンの異名を持つ女傭兵のリヴェリスだった。基地施設の照明に仄かに浮かび上がるその表情は、ほとほと呆れ果てたとでも言わんばかりに、眉根を詰めた困り顔だ。
「いえ、私は少佐の副官ですから……」
 相手は肉親とはいえ、上官を貶める訳にはいかないと思い、慌てて釈明するウォレス。するとリヴェリスは――
「本当にそれだけ? そんなつまらない義務感だけとは、思えないけど?」
「……?」
 彼女の言う意味が分からないウォレスは首を傾げたが、リヴェリスは「まぁ、いいわ」と思わせ振りな言を吐いた切りで、背中のフィーアに――正確には、ウォレスの肩に顔を預けて眠る彼女の耳に、その細く繊細な指を絡めた。そしてそれを引っ張りながら、耳元で妖しく囁く。
「起きなさい、フィーア」
 身を寄せてきたリヴェリスの体から匂い立つ香りに軽くドギマギしてしまったウォレスだったが、背中でフィーアが跳ね起きた気配くらいは、いくらなんでも察する事ができた。
「ね、姉さん!?」
 熟睡から覚めた後にも拘らず、その声は驚きと畏怖で引き攣った悲鳴その物であった。
「お早うフィーア。いいベッドで寝てるわね、羨ましいくらいよ?」
「うぅ……ウォレス、ありがと……ここまででいいから、降ろして頂戴……」
 余裕の笑みで軽口を口にするリヴェリスに対し、背中のフィーアからはたじろぐ気配が伝わってくる。姉妹の間に構築されたパワーバランスがどのようなものか、第三者であるウォレスにも明らかだった。
 半ばウォレスを突き飛ばすようにしてその背中から降りたフィーアは、照れ隠しのためかそそくさとした動作でタバコを取り出す。しかしライターは取り落とすわ、火を点けようにもライターは火打石が虚しく火花を散らすだけだわで、動揺しているのは気の毒になるくらいに丸分かりだった。
「……それで?」
 やっとの事で、フィーアの咥えたタバコの先が赤く染まる。それが明滅を何度か繰り返してから、ようやく気を落ち着けたらしい彼女が、疑問符の付いた言葉を口にした。
「姉さんの首尾は?」
「えぇ、悪くなかったわよ。アナタの御希望通りちゃんと連れてきたわ、彼女をね」
 ウォレスはそのやり取りだけで察した。ウォレスの与り知らぬ所で、フィーアはさらにもう一人、傭兵の手配を姉に依頼していたのだと。
「なんでも、腕利きのバリゲーター乗りらしいわ」
 タバコを吹かしながら、フィーアがウォレスへ補足する。その口振りは、ウォレスが事情を察していると確信してのものだ。
 しかし、そこで――
「まぁ、連れてはきたんだけどね……」
 功労者であるはずのリヴェリスが、突然歯切れの悪い言葉を口にした。するとその言葉を裏付けるように、どこからともなく怒声が響いてくる。
「ハッ、ここは腑抜けの溜まり場みてぇだな! 女相手にその大人数かよ!」
 続くのは、ひっくり返されたテーブルと食器が床を打ったと思しき耳障りな騒音。
「食堂の方だ……」
 日常茶飯事とまでは言わないが、食事のために血の気の多い軍人が集まる食堂での喧嘩事は珍しい事ではない。だが、最初の啖呵が若い女性の声となると、若干の違和感を禁じ得ないのは確かだ。
「……聞いての通りよ。ちょっと喧嘩っ早いのが、玉に瑕なのよね」
 怒声を聞いて、リヴェリスは困ったように苦笑を浮かべる。
「なかなか気難しい相手よ?」
「面白そうじゃないか。それぐらいの気概が無いと、アタシの手伝いは務まらないからね」
 しかし姉の気遣いを余所に、当のフィーアが浮かべた表情は、実に不敵でどこまでも楽しげでな笑みであった。
「アタシの人生に苦労が絶えないっていうなら、この世の全部を持ってくればいいさ……トコトン楽しんでやるよ!」
 明後日には、新兵達がやって来る。



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