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「冨賀寺オンライン」掲示板

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[26] 題名:ありがとうございます 名前:中年男 MAIL URL 投稿日:2014年05月09日 (金) 17時49分

本日昼ごろ庭を見させていただきました。お釈迦様のお茶 ありがとうございました。


[25] 題名:拝観についてのお問い合わせ 名前:クマタ ユミコ MAIL URL 投稿日:2013年12月06日 (金) 22時03分

貴寺のホームページのご懇切なご案内により、ぜひ訪問いたしたく思っております。メールでの無躾なる問い合わせにて失礼いたしますが、仏像の拝観は11月3日のみでございましょうか。8名ほどで東三河へ、1月29日(水)にまいります予定にて、ご都合のほど、返信いただければ幸甚に存じます。


[24] 題名:熊谷氏に仕えた近藤氏のルーツとその後 名前:近藤信竹 MAIL URL 投稿日:2013年06月27日 (木) 11時44分

以前、2007.02.11に【宇利城との関係】と題して投稿したものです。
富賀寺と関係の深い熊谷氏に仕えた近藤氏のルーツを調べています。
設楽の戦いのとき近藤氏の武将であった近藤満用、平左衛門、力之丞、治右衛門は、熊谷氏の下でを城方として戦い、敗れたあと許され、本家筋は帰農し、分家筋の近藤満用以下は松平に仕えます。城主の熊谷直利は奥三河に逃れ、その子孫がいまも残っています。
本家筋は豊川市麻生田町の上野の現在の西光寺に移り帰農し、今のインターチェンジの周辺から新城市の杉山や一鍬田を含めた10ケ村の惣庄屋となります。
一方、近藤満用以下の分家筋は松平清康に仕えます。清康が守山城で暗殺された後は一時今川に服したりしますが、桶狭間の戦い以降は今川から独立した元康(後の徳川家康)の下で働き、遠州進出時には近藤満用は宇利城主となり、子孫は譜代大名や旗本、御家人として発展していきます。
 帰農して惣庄屋となった近藤家は、天正時代に水争いの責任をとり島流しに、西光寺の家屋敷と太田素藎神社の神主の地位だけ残され、貧乏百姓に転落します。
江戸初期に代官が西光寺に移ってきたため、そこを出て麻生田町大屋敷に居を移し、5反ほどの田を許されます。その後、代官所への訴訟で旧の地位を認められ惣庄屋として復帰。
先代の当主は、昭和の初めにファミリーのルーツを調べるのに金を使い夜逃げ。その子孫は豊川市内に住んでいます。現在の当主であるべき近藤太郎左衛門は戦時中、豊川海軍工廠に学徒動員されていて、終戦間際の空襲で爆弾の直撃を受けて死亡、男系の系譜は途切れました。私の家は分家で、今豊川市麻生田町大屋敷で農業をしています。私は三男坊で東京に住んでいます。
 近藤満用に繋がる系譜や、石岡近藤氏、金指近藤氏(5千石)、気賀近藤氏(3千石)、井伊谷近藤氏(5千石)などの系譜はあるようですが、帰農した近藤氏の系譜は世に出ていません。以下に先代が調べ上げた近藤氏のルーツにつながる記述を付記します。
なお、この書き物の内容に関する検証はしていません。
書き出し:
「蟇目  文治三年(1187年)四月十一日 
極意傅授之者 涓祖 人皇五十代 垣武天皇第十二代之孫 進三朗太夫
第四世 筑紫浮葉領主 平朝臣通貞 大橋太郎左衛門之尉
右 魔神退散我家鎭護之 宝弓也」
宇里ノ庄へ移った記述:
「大橋太郎左衛門之尉 筑紫浮葉領主 平朝臣通貞
足利の代 上野国より 三州宇理城に入
設楽の戦功にて宇里ノ庄を所領す」
「永正元年(1504年)天社日に 姓を近藤と改め、太郎左エ門良盛と言う
当家は三宇利之城主 熊谷肥中守實盛之一族にして 享禄三年(1529年) 城山崩の後 上ノ原に住居す
豊川村古屋鋪と云   其の戦記は八名郡誌に残る」
富賀寺が焼けたことで宝弓を焼失した記述:
真言宗 高野孤明王院の末の奥貴山富賀寺
永正十年(1514年) 葵酉 夏、搭松本坊より出火。
本堂、護摩堂、三重塔、経蔵穪、陀堂、鎮守大門、廻廊 七堂十宮十八坊 門前里全焼寺に在く我らの祖先の宝物 焼失。神佛を豊川に流し納めたりとの言伝。
富賀寺の末に蓮法寺あり。法要を営しが信長のため焼失。
長山村松源院に移り 禅宗と成。
祖先の碑 城山に創し 中祖を大塚に奉し 斉五代を祀る。 
繁山久昌居士を麻生田の御先祖と崇 大田社前の一本松を以て祭 其の社の背後に譜代の墓を存す。
ここの豊川村古屋鋪は豊川市上野町の西光寺、末寺の蓮法寺は麻生田町大屋敷前に古い地名がある。大塚は豊川市新富町に在り。大田社は太田素藎神社。その前の一本松は70年代に枯れ小松が植えられている。墓は住宅造成で麻生田町の玉林寺に移設、「天正」の文字み判読可能。


[19] 題名:canon LBP1110se 名前:四方田 MAIL URL 投稿日:2008年12月31日 (水) 01時28分

Jayさんの家のメールアドレス知らないのでこの掲示板使わしていただきます。XPはドライバすぐにインストールできて、プリントできたのですが、Vistaへはインストールは出来たのですが、プリンタが動いてくれません、Vistaのときはトナーがまったく無くなったからですか?こういうことありますか?cartridgehaは1月に購入予定ですが、Vistaで使えるように四苦八苦してます。
良いお年をお迎えください。


[18] 題名:Mさんの紹介で 名前:S・D・ムラタ MAIL URL 投稿日:2008年09月25日 (木) 14時22分

Mさんの紹介で閲覧させていただきました。
いつか機会がありましたら貴寺へ参拝させていただきたいです。


[17] 題名:イカダツ帝国 名前:齋藤 駿仁 MAIL URL 投稿日:2008年08月12日 (火) 11時06分

イカダツ帝国ってまだやってますか?


[16] 題名:三河國宇利村 名前:近藤 正 MAIL URL 投稿日:2008年02月04日 (月) 16時32分

両親が亡くなり、叔母さんより預かっていた系図を見たところ、先祖の近藤乘直が文禄元年正月死して「三河國宇利村富賀寺に葬られた」との記録がありました。調べたところ貴寺のホームページを見つけました。記録は「富賀寺」でしたが、貴寺ではないかと思いメールをしました。


[14] 題名:宇里城との関係 名前:近藤信竹 MAIL URL 投稿日:2007年02月11日 (日) 22時14分

東京に長く住み、ふるさとを懐かしむ者です。
先祖を近藤太郎左衛門といい、宇里城の熊谷氏に仕えていました。設楽の戦いで熊谷氏が松平清康に敗退すると、近藤氏は豊川市麻生田町で帰農し、概ね現在に至っています。
この設楽の戦いで冨賀寺は焼けたという次のような記録がありましたのでそれを信じていましたが、ホームページを見させていただき、それは事実ではないことが分りました。
一昨年秋に冨賀寺を初めて訪れました。少ししなびてはいるが、なんと品のあるお寺だろうと感銘を受けました。このたび立派なホームページを開設戴き、なるほどと得心しました。

真言宗高野孤明王院末奥貴山富賀寺
永正十年葵酉夏搭松本坊より出火し 本堂護摩堂三重塔経蔵穪(注:コザトへん)陀堂鎮守大門廻廊七堂十宮十八坊門前里全焼し我寺祖先の宝物(注:文治三年四月十一日 極意傅授之者・・・右魔神 退散我家鎭護之宝弓也)焼失し神佛を豊川に流し納めたりと伝言
富賀寺末に蓮法寺(豊川市麻生田町大屋敷)あり法要営しが信長のため焼れ長山松源院にうつり禅宗成祖先の碑を城山に創し中祖を大塚に奉斉五代を祀り 繁山久昌居士を麻生田之御先祖と崇 大田社前の一本松を以て祭り其社後に譜代の墓を存す


[12] 題名:冨賀寺の旧堂跡について 名前:岩原 剛 MAIL URL 投稿日:2006年09月30日 (土) 10時54分

冨賀寺 ご住職 様

拝啓

私は、豊橋市美術博物館の岩原剛と申します。
昨年度は、当館が主催する文化財めぐりにおいてお寺を拝観させていただき、ありがとうございました。

さて、私は文化財保護や考古学(遺跡発掘調査)を職務とするものです。豊橋市普門寺の裏山にある旧伽藍址について、普門寺様のご理解のもと、平成15年度から測量調査を行わせていただいております。

またその一環として、東三河地方の山寺跡についても、山中を歩きながら仲間たちと調査を進めております。

普門寺や財賀寺、今水寺跡、渥美の泉福寺などには山中に多くの堂跡や平場、池溝などを確認することができ、その土木作業量はかつての権力者としての山寺勢力を否応なく意識させられます。調査を進める中で、東三河地方(特に三遠境界地域)には山寺がとくに集中し、古代・中世の地域史を考える上では極めて重要な存在であることが、おぼろげながら分かって参りました。

そこでおうかがいしたいのですが、こうした堂跡が冨賀寺背後の山中にも存在する、あるいはかつて山中から当地に移転した、などのいわれはご存じありませんでしょうか。

また、よろしければ私と仲間とで、背後の山内を見学させていただきたいのですが、いかがでしょうか。

不躾なご質問にて失礼ですが、まずはメールでと思い、お送り差し上げる次第です。よろしくご教示・ご指示のほどお願い申し上げます。

              敬具

 豊橋市美術博物館
  岩原 剛
 TEL0532−51−2879
 FAX0532−56−2123



[11] 題名:住職様のお力で救済していただけませんか 名前:天田正則 MAIL URL 投稿日:2006年01月31日 (火) 14時23分

  冨賀寺 ご住職 様

住職様のお力で救済していただけませんか

納骨堂を所有しておられる寺院様で、まだ完売していない寺院様へのお願い。


お墓も納骨堂も高くて買えず、困っている人が大勢います。
寺院様が現在所有する納骨堂の空きスペースを利用して、
弊社開発の低価格の“愛墓”の納骨堂施設を全額弊社負担で整備させて下さい。

勿論、納骨堂の利用者は弊社で斡旋、寺院様は広告や営業の必要は一切ありません。
また、協力寺院様の“愛墓”の納骨堂の稼働率が70%するまで、同一地域内での
新規提携は致しません。

通常の納骨堂経営と異なり、社会貢献を図りながら寺院経営の安定化に寄与するも
のと確信します。
資料請求を含め、お問合せは、弊社へメールをお願いします。
E-mail amada@thesystem.co.jp 担当 天田


弊社自己紹介

弊社は建築CADなど建築用ソフトを開発し、トステム様・松下電工様をはじめ、
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(メモリアル”愛墓”:http://www.sumainonet.com/shinjigyo/  )
本年度に事業開始予定です。(詳細は弊社HPを参照下さい)
                       
                    
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メモリアル“愛墓”設立準備会社
(株)ザ・システム 
事業企画室長 天田正則
852-8065 長崎市横尾3-2-1
TEL 095-856-3115
FAX 095-857-9500
E-mail: amada@thesystem.co.jp
URL : http://www.thesystem.co.jp/
”愛墓”:http://www.sumainonet.com/shinjigyo/                    

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