WB.PNI - 2006年08月28日 (月) 06時50分
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さっそく、栞さんからメールで送られてきました、ありがとうございます。
昨年の様子が良くわかり行ってみたい気になりました、是非皆さんにも知ってもらいたくて、長文ですが掲載します(原文はWORDで、もっと見やすいのですが、ここではText表示なのが残念です) 家内からお礼を言って欲しいと言ってました。
>>>>>以下、その内容です<<<<<
三島神社
県道瀬谷柏尾線の戸塚方面ゆき「岡津」バス停。小高く岡津小学校が背負うような形に、こんもりと神社の森がある。かつて、校庭を参道が通っていたが、現在は右に校庭をまくような形に三島神社へとつづく。
岡津町には、多くの湧水があった。こんこんと湧き出る井戸が岡津のバス停付近にあった鍛治屋さん、道路を隔てた、豆腐やさんにもあり、野菜を売りに街へ行く人たちのよりどころであった。とまと、すいか、瓜など井戸に浮かせて置いて行ってくれるお百姓さんもいたそう。 岡津バス停前には、みなみ農協があり、床屋さん、日用品雑貨、酒、塩、たばこ、米、専売品を売る店があり、岡津の人たちの生活の中心でもあった。
戦災で消失した岡津小学校を再建するために、三島神社の樹木を切り出し材木にし校舎を立てた。
昭和40年代に再建された社、その横に組み立てられた舞台で地元の人たちによる演芸が繰り広げられている。 今年結成された「岡津囃子」子供を含め20人近くの男女が叩く締め太鼓。
17年秋の大祭は、由緒碑建立の除幕式が挙行され記念の大祭でもある。 神社は、奈良時代に建てられ、幾度か再建されて今がある。
青少年、体育指導員が作った小さな神輿、かつぎ慣れない子供たちが大人たちに支えられながら動かしている。
岡津町の氏神様。地域のみんなが集まり楽しく過ごす祭り。地域の人たちによる模擬店で賑わっている。
正月の初詣は、近くは西林寺、遠くは観音寺の鐘の音を聞きながら列を作ります。詣でる人の列は、除夜の鐘が鳴り終わって延々と続く。 社殿の横では、氏子の方たちによるお屠蘇、甘酒のもてなしがあり、お焚き上げの周りで多くの人たちは新年の挨拶を交わし、談笑し、人々の輪が広がります。東の空がうっすら明るくなるまで、焚き火の炎は赤々と夜空に高く舞い上がりま
時代の移り変わりを三島神社の神様は、どんな思いで見ていらっしゃるのでしょうか。
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地域の人々のこころをつなぐお祭り 岡津の「三島神社」の大祭
テン、テン、ツク、テン、ツク、ツ・・、テン、テン、ツク、ツ・・・。お囃子の音がだんだん近くなる・・・息せき切って坂を上りきると三島神社の森に来た。9月3日。三島神社の大祭の日。地域の人たちによる模擬店。 「いらっしゃいませ!」「いかがですか!」 「あらっ!久しぶり!」「あらっ!元気!」 模擬店の売り子さんとのやり取りも明るく、境内は賑わっている。 社の横に組み立てられた舞台では、今年結成の「岡津囃子」が、子供を含め十数人、必死に太鼓を叩いている。 小さな手作りの神輿を、慣れない小さな担ぎ手が「ワッショイ!ワッショイ!」とおぼつかない足取りで神輿を担ぐ。 テントの下では、一杯機嫌の地域の人たちが話に花を咲かせている。 平成17年9月2日は由緒碑建立の除幕式が行われた記念の日でもあった。 三島神社は奈良時代に創建され、幾たびか再建され、今、この地域の氏神様である。かつてここに岡津城があったとも伝えられ、鷹匠と呼ばれる橋もある。岡津小学校、岡津中学校、岡津高校は神社の山続きにある。20年前までは参道が小学校の校庭にあり、戦災で校舎を焼かれた時には、神社境内の樹木を切り出し地域の人たちで再建したともいう。 毎年初詣は、近くは西林寺、遠く新橋町の観音寺の除夜の鐘が響く中、境内は人々で賑わう。お屠蘇、甘酒が振舞われ、お焚き上げの炎が夜空を明るく照らし地域の人々にエネルギーを与えているかのようだ。 土地開発が進められ、年々膨らむ住民、心を一つにして手をつなぐ大切さを知って欲しいと、数年前から、祭りを盛り上げてきた連合町内会長の西ケ谷..さんは、賑わう境内の人々の間を気を配りつつ走り回る。 三島神社は、県道瀬谷柏尾線戸塚方面行きバス停「岡津」下車。岡津小学校の後ろ上にある。
平成17年9月21日 ム。。シ。。
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