この句は先々代広番会長定本広文先生の句です。「自由」というものは、何でもできるようで、自分で何かを見つけてやらない限り、時間を持て余すだけで、誰しもがその生活に何かしらの変化を求めるものです。そういう意味での「変化球」という見方もできます。
しかし、私の知っている作者は、ピッチャーで言うなら、どんな時でも、手抜きのできぬ全力投球の直球勝負の方でした。作者の生き方からすると、中七の「欲しい」という言葉に、この句を解釈するヒントがあるように思えます。
作者も、もしかすると、直球勝負の自分でも、本当は時々「変化球」も投げてみたいという願望の句かも知れないと私は、この句から感じます。しかし、作者は自分が変化球を投げた時の周りの意外と受け取られる反応を考えて、願望だけを秘めて終わらされた人生のように思えてなりません。