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光明掲示板・伝統・第一

 

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伝統様、ありがとうございます。 (198)
日時:2015年02月05日 (木) 08時27分
名前:道産子

伝統様、畏れ多くも、当版の一隅を使わせていただきたいのです。お赦しください。
今回は闖入にあらず、お邪魔、かもしれませんm(__)m。

昭和48年ころのやまと新聞に載った谷口雅春先生の「新 一日一話」が手に入りましたのでご紹介することに致します。


◇人間の心の思いは動力である

 人間の心の思いは動力であるということを知らねばならない。心に描いたことが形にあらわれるのである。このことは何度くりかえしてもくりかえし過ぎるということはない位に重大な真理なのである。

 キリストは「先ず神の国と神の義(ただしき)を求めよ。その余のものは汝らに加えらるべし」と教えられた。
具体的に現実世界に善きものが現れてくるに先だって先ず心の世界に、神の国を描くことが必要なのである。

 「もし芥子種ほどの信だにあらばこの山に動いて海に入れというといえども必ず成らん」とキリストが言われたのも、実現に対する信仰が心の世界に打ち建てられれば、神の国に在る一切のものがこの世に実現することになるのである。



 「学ぶ」誌3月号に「生命の實相」という名称を応募採用されたのが当時、北海道の留萌の小学校の先生であった青木應諭(まさひろ)教諭である、ということを知り少々びっくりしております!(^^)!。

”道産子 さま”へ (199)
日時:2015年02月05日 (木) 17時36分
名前:伝統

”道産子 さま”ありがとうございます。

>当版の一隅を使わせていただきたいのです。お赦しください。
>昭和48年ころのやまと新聞に載った谷口雅春先生の「新 一日一話」

大歓迎です。
是非、谷口雅春先生の「新 一日一話」を続けてくだきますようお願い申し上げます。

”道産子 さま”のこの記事で、小生の心は、ウキウキ、ワクワクです。
期待の風船が大きく膨らむ思いでいっぱいです。


今日の「新 一日一話」の中で、
谷口雅春先生が引用されている、キリストの言葉「芥子種ほどの信」が、
今の小生にとっては、永遠の課題になっております。


>「生命の實相」という名称を応募採用されたのが当時、
>北海道の留萌の小学校の先生であった青木應諭(まさひろ)教諭である、

そうですか、
やはり、”道産子 さま”をはじめとして北海道の方には、
「真理」の大道に、ご縁が深い方がたくさんいるようですね。

日野西恵美子さんもご活躍中ですよね。

昨年の11月16日には、長野県教化部で、ご講演をされたようです。
さらに、今年の1月には、飛田給道場の新春練成会にて、ご講演をされたようです。

*光明掲示板・第二「日野西恵美子さん (7944)」
  → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1588

              <感謝合掌 平成27年2月5日 頓首再拝>

日野西恵美子さんのこと。 (211)
日時:2015年02月06日 (金) 08時51分
名前:道産子

伝統様、お受け入れしていただきありがとうございますm(__)m。

日野西先生は札幌できりたんぽのお店もやられていたような記憶もあります。検索すれば、伝統様のご投稿も見られました(^.^)。

本当に立派な生長の家人なのですね。前にも言ったように思えますが、私の手元にも日野西先生の刺繍作品があります。

まだ札幌にいらして、ご活躍とは頭が下がります。
北海道もまだまだ捨てたもんじゃありませんね(^.^)

さて、それでは「金言」を続けさせていただきます。



谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写


◇心は全ての造り主

 全ての地上の建造物は、先ず建築家の心の内に描かれたものが実現したのである。原子爆弾といえども科学者の心に描かれたものが実現したのである。
心は全ての造り主である。

 物質は自ら自発的に動いて一定の形をとることはできません。
湯呑みが勝手に歩いたり、万年筆が勝手に動いて文章を書くということもあり得ない。プランシェット(心霊現象の自動書記で御筆先を書く道具)が自働して文字や絵を書くのは、その道具が勝手に動くからではなく、それを動かす霊があるからである。

 吾々の肉体細胞の成分が一定の姿に配列されて健康になるのも病気になるのも皆心の働きによるのである。

金言というより箴言ですか(^.^) (223)
日時:2015年02月07日 (土) 08時17分
名前:道産子

谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写


◇人間の心の荘厳さ

 物質が自動して一定の形に配列することができないのに、日月星辰という完全な天体系統が形成され、その天体の上に、組織の極めて複雑精緻なる構造を有する動植物が造られたということは、その構造に物質の分子を並べる知恵ある「心」がなければならないのである。

 宇宙全体をかく設計構造した「心」は「宇宙」に満つる心でなければならない。その「宇宙に満つる心」を神というのである。
その心は宇宙に満ちているから、人間のうちにも宿って人間の心となっている。
だから人間の心は神の心と同じように何でも造る力を有するのである。

日曜日も続けます(^.^) (237)
日時:2015年02月08日 (日) 08時20分
名前:道産子

谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写


◇心の力と言葉の力

 人間の生命は、宇宙全体の生命の一部分であり人間の心は宇宙全体の心の一部分であるのである。
星を造り太陽を造り一切万物を造ったと同じ心の力が、人間に宿っているのである。だから人間の心は一切のものを造ることができるのである。
「心の力」というものは単なる空想でも観念論でもないのである。

 現実に立証し得るところの力なのである。特に信念をもった心の力が、言葉によって発せられるとき、それは驚くべき大いなる創造力を発揮するのである。

 信念をもった宗教家や、占い者や医者が「おまえの運命はこうなる」といったとき、その言葉の通りになるのは、心の力が言葉を通して有力に働いた結果である。

伝統・第一、第6位(・・? (251)
日時:2015年02月09日 (月) 08時25分
名前:道産子

当版上方にサブリミナル?で「第6位」と見えました。いつも順位は変わりますけど・・・。


谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写


◇心の波長はこのように感応する

 われわれの思うことは、脳髄から発射されて四方にひろがり適当な受信的同波長のところへ行って感応する。
読心術というのもそれであり、虫の知らせとか人に会った第一印象とか、何となく虫が好くとかいうのも皆、心の波を五感を通さずして直接感ずるのである。

 われわれの心の波は、相手を定めて強力に発射すれば特にその人に強く感ずるのであるが、(例えば汽車の中で向かせようと思って、「こちらへ向けこちらに向け」と強く思念すれば必ず、その人はこちらを見ます)特に相手を定めない想念は、不定の方向に全体にひろがって行き、多少とも周囲の人々に影響を与えて更に同波長の心の人を動かして、その人を自分の方へ近づけるような働きをするのである。

 自分の好むと好まぬとに拘らず同波長の者が集まって来て、自分の運命を定めるのである。


第5位ですって(^ム^) (252)
日時:2015年02月09日 (月) 08時28分
名前:道産子

唯今、書き込んだ瞬間に「第5位」と見えました、なんなんでしょうか。

”道産子 さま”へ (253)
日時:2015年02月09日 (月) 17時44分
名前:伝統

”道産子 さま” いつも本当にありがとうございます。

2015年02月05日「人間の心の思いは動力である」
2015年02月06日「心は全ての造り主」
2015年02月07日「人間の心の荘厳さ」
2015年02月08日「心の力と言葉の力」
2015年02月09日「心の波長はこのように感応する」

と、連載していただき、まことにありがとうございます。


まだ、先へとは続くとは思いますが、ここまでのところで、
小生にとって、それぞれの箴言において、心にとどめたキーワードを記しますと、

2015年02月05日「人間の心の思いは動力である」 ⇒「芥子種ほどの信」

2015年02月06日「心は全ての造り主」      ⇒「健康も病気も皆心の働き」

2015年02月07日「人間の心の荘厳さ」      ⇒「人間の心は何でも造る力を有する」

2015年02月08日「心の力と言葉の力」      ⇒「信念をもった心の力」

2015年02月09日「心の波長はこのように感応する」⇒「思いは同波長の人を引き寄せる」

・・・

>第6位(・・?
>第5位ですって(^ム^)

投稿時点に一瞬表示される順位は、あまり重要な意味はないようです。
おそらく、推測するに、投稿時点での、この掲示板に当日投稿された記事数が
「せっかく掲示板」内における当日の投稿記事数の順位を表しているのではと捉えております。

”道産子 さま”の「昭和48年やまと新聞「新 一日一話」」は
小生にとって毎日の楽しみでありますが、
閲覧されている多くの方々にも注目されております。


今後とも、ワクワクしながら拝読していきたいと思います。
この先もよろしくお願い申し上げます。

              <感謝合掌 平成27年2月9日 頓首再拝>

お答えを誘って申し訳ありませんm(__)m。 (265)
日時:2015年02月10日 (火) 08時29分
名前:道産子

伝統様、ありがとうございます。
箴言にまとめまでいただきありがとうございます。本当にまとめたくなるような谷口雅春先生の「いつもながらの」ご立派なお言葉の連続です。「新」となっておりますから、その前の連載もあったのでしょう。「新」も1年以上続いたようです。

サブミナルも伝統様のご解釈でよろしいのでしょうね!(^^)!

北海道はすごい雪の朝となっています。除雪車が久し振りにうなって走り回っています。ありがたいことです。




谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写


◇現象を見るな 実相を見よ

 常によき想念、感情を続けてもっておれば、あなたの肉体は美しく、たくましく健康でありますが、常に他を害するような、また、常に取越苦労をしたり、常に人を憎んだり、恨んだり、他の悪を発見したりする心を持続していますと、あなたの肉体にはみぐるしいしわができ、或いは生理作用が不調になって、遂には病気としてあらわれてくるようになるのであります。

 キリストは「外見によって相手を判断してはならない」と教えました。
生長の家では現象はない、実相を見よ、どんな人間でもその実の相(すがた)は「神の子」であるから、神の子は必ず完全であるとして拝んでおれば、どんな外見のよくない者でも完全な者になるのであります。

「神武天皇知らない」10〜30歳台(たしか)(^ム^) (277)
日時:2015年02月11日 (水) 08時37分
名前:道産子

昨日か、ラジオかで言ってました。19〜29歳かも知れません。
本流の大復活が待たれます。

伝統様の「建国」ご投稿が光ります。



谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇横取りをせず 縦取りをせよ

 生長の家の教えでは、「縦取りはよろしいが横取りはいかぬ」と申します。
横取りというのは、有限の世界から物を取ってくることでありまして、それは必ず誰かと衝突するのであります。
これには必ず奪い合いを生じ、戦いや争いが起こってまいります。

縦取りというのは、神の世界から無限の世界から頂いてくることであります。
これは頂いても、相手は減らない頂きようです。
そんな頂きようが本当にできるのでしょうか。

 あなたが何をやっても儲ける方から考えていると「横取り」の力であります。
これを「お客を喜ばしたい」「人類に献げたい」という方から考えていると、それは神へと縦に連なっているのであります。


当該ニュースでしたか? (290)
日時:2015年02月12日 (木) 08時24分
名前:道産子

ラジオの記憶もたしかに覚束ないものです(~_~)
私が聴いたのはこのニュースだったようです。


http://www.sankei.com/life/news/150211/lif1502110026-n1.html



谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇神に祝福されるには


 もし、あなたが人のためにつくそう、人に献げたいという方向に、あなたの行動が、または職業が働いていますならば、必ずあなたは神に祝福されるのであります。

もしあなたが、愛されたいと思うならば、それは自分に「愛」を奪い取ろうとする考えでありますから、「愛」が得られないことになるかもしれないのです。

 しかし「愛してあげよう」という心になれば、あなたはきっとその人から、(でなければ他の人から)愛されることになるのであります。
「愛されたいから愛しよう」というのでは、まだ利己が先に立っていますから効果が少ないのであります。

 毛筋ほども利己の考えを取去り、純粋に愛したときに何が起こるかやってみましょう。


北海道滝川教化部長が・・・。 (303)
日時:2015年02月13日 (金) 08時33分
名前:道産子

谷口雅春先生を「一代目」ですって・・・。
さらに顔文字で建国の日おめでとう、ですって・・・(^ム^)
顔文字も考えなくちゃいけません。

あの楠本先生の息子さんでしょうか?
こんどは北海道にBadNewsですか・・・。

めげずに箴言を続けます。



谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写


◇神に祝福されるには

 もし、あなたが人のためにつくそう、人に献げたいという方向に、あなたの行動が、または職業が働いていますならば、必ずあなたは神に祝福されるのであります。
もしあなたが、愛されたいと思うならば、それは自分に「愛」を奪い取ろうとする考えでありますから、「愛」が得られないことになるかもしれないのです。

 しかし「愛してあげよう」という心になれば、あなたはきっとその人から、(でなければ他の人から)愛されることになるのであります。
「愛されたいから愛しよう」というのでは、まだ利己が先に立っていますから効果が少ないのであります。

 毛筋ほども利己の考えを取去り、純粋に愛したときに何が起こるかやってみましょう。


     
        合掌、ありがとうございます。


バレンタインディも続けます。 (315)
日時:2015年02月14日 (土) 08時30分
名前:道産子

谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇不幸をつぶやいてはならない

 片時といえどもつぶやいてはならないのです。
精神分析の大家は「つぶやく者の恋は成就しない」といっています。
つぶやく者の雰囲気は悪いのです。心の波長が悪くなるものですから、よいことは決して集まってこないのです。

他から同情を求める心をもっているから、つぶやいたり、訴えたりするのです。それは卑怯な心です。

 決然とお立ちなさい。自分が自分の主人公におなりなさい。
同情を求める心は自己を不幸に陥れる心です。
何故なら自分が本当に幸福だったら誰も同情してくれないからです。
 
多くの人々は「他から同情されたい」という悪趣味を満足させるために、病気になったり、不幸になったりしています。


      合掌、ありがとうございます。

経言という言葉。 (327)
日時:2015年02月15日 (日) 08時46分
名前:道産子

辞書に載っていませんが「道理、不変の言葉」とでも?


好天の北の地から、続けます。



谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写


◇つぶやけば病気となり 感謝すれば治る


 つぶやくかわりに感謝することです。万物に感謝することによって新生活を始めようではありませんか。
同じものでも不平を持って受取っては、自分自身の心も苦しいではありませんか。
同じものでも感謝して受取れば苦痛が苦痛でなくなり、困難が困難でなくなるのです。

 和歌山の講習会で川上喜一氏といわれる元海軍将校が終戦後内地に帰還してみると、国内の状態は見るに耐えない有様なのでそれに対して不平不満の心ばかりを起こしていたら全身が硬直して全然板のように棒のようなっていてちょっとも動かない病気にかかった体験談をなさいました。


         合掌、ありがとうございます。

”道産子 さま”へ (328)
日時:2015年02月15日 (日) 19時41分
名前:伝統

”道産子 さま” いつもいつもありがとうございます。

>経言という言葉。辞書に載っていませんが「道理、不変の言葉」とでも?

これは、『日々読誦三十章経』で使われている言葉のことの問い合わせだと思いますが、
経言(のりごと)とは、”道産子 さま”の述べられているように、他では、
あまりつかわれていないようです。

小生は、次のように勝手に解釈いたしております。

(1)『日々読誦三十章経』というお経の中の、日々の言葉であることを示すということで、
   「経言(のりごと)=お経の日々の言葉」と称した。

(2)仏教では、お経=釈尊が残した教え と言っております。

   『日々読誦三十章経』の日々の「経言(のりごと)」は
   谷口雅春先生が残された教えでありますから、
   日々朗誦(暗誦)するための真理のお経です。

   
           ・・・

今日の箴言の中の、川上喜一さんの体験談については、
谷口雅春先生のご講話テープでも拝聴した記憶があります。
その中で、3つのキーワードが記憶として残っております。

@戦後日本の世情への怒り。   ⇒ 硬直した身体
A子どもが持ってきた柿の実。  ⇒ 感謝への気づき
B「ありがとうございます」の1万回唱行。 ⇒ ひたすら感謝のみの生活


”道産子 さま”の紹介していただく言葉には、
いつも新鮮な気が醸し出されております。

これから先も、どうかよろしくお願いいたします。

              <感謝合掌 平成27年2月15日 頓首再拝>

恐縮です(~_~) (340)
日時:2015年02月16日 (月) 08時29分
名前:道産子

『日々読誦三十章経』の日々の「経言(のりごと)」なのですね。単純明快なのです。まだまだ修業が足りません(^.^)

川上喜一さんの体験談についてもご説明ありがとうございます。

これよりの私のつまらぬ独り言に惑わされぬようお願いいたします。あくまでも<独り言>ゆえに(^.^)


それでは続けます。ありがたきお言葉を。



谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写


◇富を現象世界に写し出すこと

 どんなに貧しくとも今段々固として「我れすでに富めり」と念ぜよ。現象を見るな。現象は過去の心の投影(かげ)だ。今、「自分の富める光景」を心に強く描いてそれを潜在意識に焼きつけよ。そして「富」の映画フィルムを造るのだ。

 現象界は想念のフィルムの投影であるから心にハッキリと「自分が富める光景」を描いたならば富の現象化の第一段階は完成したのである。
しかしそれだけではフィルムが完成しただけであるから、まだ現象面(うつしのせかい)に出て来ないのである。

 現象面に映し出すためにはそれから機械を運転しなければならない。即ち「富」の想念を強く描いたのち自然に催し来る行動をちゅうちょなく自信をもって実行することである。


      
      合掌、ありがとうございます。

萩生田光一総裁特別補佐官。 (353)
日時:2015年02月17日 (火) 08時37分
名前:道産子

http://www.sankei.com/politics/news/150215/plt1502150013-n1.html

小気味がいいです。



谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇時機を逃がさぬこと

 今、行って安全確実なことでも、一分後には危険きわまることがある。踏み切りの通過でもそうであるが、ある事業を行うのでも商品の売買でも同じことである。
こうしてある人は失敗して破産し、ある人は一分の相違で大儲けして成功する。

 今になすべきことを次に延ばすな。一つの仕事または返事をたった一日延ばした為にそれに関連した多くの事件が幾十日も延びることになり、ついにその計画が腐ってしまって台なしになることもあるのである。

 目の前にある仕事を忠実に履行せよ。然らば、それが次の大いなる成功の足場となるのである。

「学ぶ」誌、平成23年6月号。 (365)
日時:2015年02月18日 (水) 08時27分
名前:道産子

見ましたら、谷口先生の「一日一話」(29)が載っておりました。やはりあったのですね。昭和40年代、とありました。


谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇深く感情によいことが来ると信ぜよ


 想念は動力である。更に感情は、一層深いところの動力である。
感情の底から、常に「自分は神の子だからよいことが来る、よいことが来る」と信じ、念じているときに、その感情が根となって、ハッキリした想念があらわれて来るーー即ち茎が伸び葉がひらいて来るのである。

 その葉が日光を吸収し炭酸ガスを吸収して立派な花咲き果(み)を結ばせるように、想念は、自分の選択した波動を自己に吸引し吸収し形の世界にその欲するところのものを実現してくれるのである。

 何をハッキリ想念してよいかがわからないときには、ただ感情の底深く「自分は神の子であるから、よいことが来る、よいことが来る」と念ずるだけでよいのである。

 ハッキリした想念はその感情の根からやがて生まれてくるものである。



       合掌、ありがとうございます。


松井石根大将。 (377)
日時:2015年02月19日 (木) 08時18分
名前:道産子

真実と思います。&当地新聞の偏向には腹の立ち通し(^ム^)。

http://www.sankei.com/life/news/150218/lif1502180008-n1.html


谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写


◇困難を恐れてはならない


 山中で大きな熊に出会ったときには決してその熊から目を外らしてはならないといわれている。
熊を恐れることなく見詰め、そしてむしろ微笑して彼を見詰めるのである。
すると熊は決してあなたに跳びかかって傷つけることはできない。
やがて熊はあなたの目の前から姿を消す。

 それと同じように、どんな困難も微笑してそれを迎える者には、困難が困難でなくなるのである。
もし熊を恐れて、彼から目をそらせば、熊は直ちに跳びかかって来てあなたを一撃のもとに扼殺してしまうのである。

 困難はこちらが恐れずに立ち向かえば羊のようにおとなしくなるが、こちらが恐れれば熊のように跳びかかって来るのである。 



      合掌、ありがとうございます。





ほっと息抜きさせていただきましたm(__)m (390)
日時:2015年02月20日 (金) 08時37分
名前:道産子

アメリカのよき面をいかんなく見せています。

私もカントリーソング、R&B、R&R等、大好き人間なのです(*^_^*)。




谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写


◇自己の内に神を見出せ

 信仰は山をも動かす。自信力が個人的なものである限りはまだその信念の力は完全に発揮されないのである。

信念が神という絶大なものと結びついて信仰になるとき、それは山をも動かす力となるのである。

 「もし芥子種ほどの信だにあれば、この山の動いて海に入れといえども必ず成らん」とイエスがいったのは真実である。
絶対不敗の信念こそ、真の成功を得る最高の道である。

 人は自分の心の中に「成功」または「失敗」を携えて歩むのである。それが外部から来るものだと思って外部に依存している限りは、着眼点が間違っているから、失敗が相ついで起こるのである。

 外の世界は内なる心の反映だということがわかって、はじめて人間は自分自身の主人公となるのである。自己の内界に無限力なる神を見出し、その力によって進む者には失敗はあり得ないのである。



    合掌、ありがとうございます。

吉田國太郎講師。 (403)
日時:2015年02月21日 (土) 08時34分
名前:道産子

矢張り、すごい方のようです。まぎれもない高弟です。



谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇性格も運命も改善し得る 

 心があなたの行為、環境、運命をつくり出す原動力なのであります。
しかし「心」というものを現在意識ばかりだと考えていては間違います。
現在意識はわれわれの表面にあらわれている心であって、全体の心のほぼ五パーセントくらいしか占めていない。

あとの九十五パーセントという莫大な心の領域は表面にあらわれていないのだけれども、それが内部から、見えざる手もて、隠れたる力で、われわれの行動を左右しているのである。

 このことは「人間性の解剖」を読めば実にたやすくわかるのである。



    合掌、ありがとうございます。


http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E3%83%BB%E4%BA%BA%E9%96%93%E6%80%A7%E3%81%AE%E8%A7%A3%E5%89%96-%E8%B0%B7%E5%8F%A3-%E9%9B%85%E6%98%A5/dp/4531051416


まったくの暖冬です(^^♪。 (416)
日時:2015年02月22日 (日) 08時30分
名前:道産子

谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇性格も運命も改善し得る 

 この潜在意識にレコードされた感情や観念が、人間を無意識の世界から引きずって動かしているのである。
それを仏教では業の力といっている。

 業を浄める方法が発見されるまでは、人間は業力に支配されるところの奴隷に過ぎないのである。
どうにもならない性格だと思われていたもの、運命だと思われていたものも、潜在意識を浄めることによって変化することが判って来たのである。



      合掌、ありがとうございます。



大聖師よ、ありがとうございます。 (430)
日時:2015年02月23日 (月) 08時30分
名前:道産子

謹写を続けさせていただきます。



谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇一切の業から超出する道

 「性格」というものは、反復して心に描いていたものが、その方向に動きやすくなった「人間の心の型」をいうのである。
われわれは一度や二度練習してもピアノを上手にひくことはできないけれど、幾度も繰り返しているうちに、努力なしに自然に指が動くようになってくる。

更に反復していると、「月光の曲」と題を思うだけで、その曲譜の通りに指が動くようになる。

 それと同じく、性格を自分の思うように改めるのも、最初は自分の想念を自分で支配することができなくても、幾回も繰り返しているうちには何の苦もなく自分の想念を支配し得るようになって来る。

 まず神想観して、「われは神の子である、いと優れたものである。われは霊である。霊は自由自在であるから自分は何ものにも支配せられない。

自分は一切の業から超出せるものである」と思念する練習を毎日繰り返すのがよいのである。



      合掌、ありがとうございます。





潜在意識のオソロシサ。 (443)
日時:2015年02月24日 (火) 08時29分
名前:道産子

谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇業の形成と解消

 強烈に思念したこと、感情の底深く思いつめたこと、、最初はそんなに強烈に思ったことでなくても、それが反復して思ったり、心に描いたりしたこと、呆然として或る程の精神統一状態にあるときパッと投げかけられた暗示―これらは潜在意識に蓄音機のレコードのように刻みつけられて「因」となり、それが動き出す「縁」が来るのを待っているのである。

 そしてそれが動き出せば必ず、その潜在意識にきざまれた通りの動き方をする。
戦争も、多くの個人的殺人も、経済界の動きも、個人の性格的な行動も、それによって左右せられるのである。

 それを宗教家は「業の催し」だという。しかし業とは心の業(わざ)である。
心の方向を一転することによって業の方向が変わるのである。



       合掌、ありがとうございます。


代数、幾何、苦手でした・・・(~o~) (456)
日時:2015年02月25日 (水) 08時21分
名前:道産子

谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇人それぞれに修業がある

 誰でも自分の境遇は他の人のそれに比べて条件が悪いように考えたがるものであるが、それは卑怯な考えであり、或る意味では自分の苦難を誇張して自慢する心であるから、受難礼賛の心であるから、かえって苦難を呼び寄せることにもなるのである。

 すべての人々はそれぞれの鍛錬の場が与えられているのであるから、第三者が考えるように他の人もそれほど楽ではないのである。
しかしどんな困難もその人の受ける心境の上達するに従って楽になって来るのである。

 算術も最初は楽ではなかったが、楽になった頃には、その人は算術を卒業したのである。
しかし算術を卒業した人も代数や幾何はまた楽ではないが、やがてすべてが楽になる時が来る。それが、人生体験の卒業というものである。



    合掌、ありがとうございます。


利己から利他へ。 (468)
日時:2015年02月26日 (木) 08時20分
名前:道産子

谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇栄える運命を得るには


 人生問題を解決する鍵は「自分」の幸福というものに執着していた心を解放して、「全体」の幸福ということに心を向けかえるところにあるのである。

 利己から利他へ振向いたとき、われわれは狭い世界から、広々とした世界へ歩み出る。

 人類全体に、(少なくとも隣人に)奉仕するのが本当の生活であるとわかったとき、個人的利益に執着していた自分が馬鹿らしくなり、恥ずかしくなる。

 そして人のため人のためと、他のためにつくしていると、不思議に自分自身が、かえって生かされている事実を発見して驚くのである。

 わが事のためでなくてつくしている人はかえって栄えるのである。




      合掌、ありがとうございます。

楽観歓喜、まさに・・・。 (481)
日時:2015年02月27日 (金) 08時24分
名前:道産子

橘曙覧の和歌にも興味津々(^.^)すごいです。



谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇天地一切と和解せば恐怖が滅する


 恐怖の心配とは「不幸」を呼び寄せる接待係のようなものである。恐怖したものは現れ、心配したものは実現する。
こんな接待係は一日も早く追放しなければならない。

 恐怖心に満たされた蛙は、みずから恐れている蛇の口の方へ引きずられるように歩いて行くのである。
恐怖心に満たされた人は逃げる自由を失って自動車にひかれる。

 恐怖しなければ犬もかみつかないが、恐怖すれば犬も馬鹿にしてかみつくのである。
毅然として、「われ神とともにあるが故に恐るべきもの絶対なし」と信ぜよ。

 天地一切のものがことごとく、神より出でたるものであると知るならば、われらと等しくすべての者は自分と兄弟であるから恐るることがなくなるのである。
これが天地一切のものと和解することである。



     合掌、ありがとうございます。


珍しく鼻かぜひいてしましました(~_~) (493)
日時:2015年02月28日 (土) 08時29分
名前:道産子

谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇子供を健康にするには


 恐怖する心は、恐怖する事物を自己自身に引き寄せるばかりでなく、自己の愛する者(例えば自己の愛児)にその恐怖すべき者(もの?)を引き寄せることになるのである。

 自分の子供が常に「風邪を引きはしないか」と心配している場合には、子供は風邪を引きやすいのである。
自分の子供が「お腹をこわしはせぬか」と心配している間は、その子供の胃腸は虚弱であるのである。

 愛児を健康にする道は、「自分の愛児は神の子であるから、神が護ってい給うて常に健康である」と毎就寝時に、愛児の枕元で思念しながら眠らせると好いのである。

 「人間本来神の子・円満完全」の思想を説いた「甘露の法雨」を朗読して聴かせながら眠るのもよい方法である。



      合掌、ありがとうございます。


祝、立教86年。 (504)
日時:2015年03月01日 (日) 08時37分
名前:道産子

<今人類の悩みは多い。人類は阿鼻地獄のように苦しみもがきあせっている。
あらゆる苦難を癒す救いと薬を求めている。

しかし彼らは悩みに眼がくらんでいはしないか。
方向を過っていはしないか。
探しても見出されない方向に救いを求めていはしないか。・・・>・・・。

 
 立教当時から、今も、何も変わっていないのですね。
「本流」の役目は重大なものです。

 とにかく大聖師が悦ばれることを為さねば、ということです。



谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇明るい心象のみ描きましょう


 光明思念によって病気を癒しまたは逆境を順境になおす方法は、現象は病気であっても「汝は神の子であって病気はない。逆境はない」と強く想像して、心に「健康にして幸福」なる状態の心象を描くことによって成り立っているのである。

 即ちすでに病気であっても、「健康」の想念をある時間持続することによって健康になるのであるから、その逆もあり得るのである。
 すでに健康であっても「病気になりはしないか」「病気」を心に描くことによって病気があらわれてくるのである。

 諸賢に告ぐ、、今このときから、ただ、明るい心象のみ、「健康」の想念のみを描きましょう。



     合掌、ありがとうございます。


「学ぶ会」HPがいつの間にか明るくなっていました(^^♪ (516)
日時:2015年03月02日 (月) 08時37分
名前:道産子

いいですねえ〜、サンケイ新聞の広告も。

また、信徒連合様の「実相顕現の祈り」に<3>が加えられました。素晴らしいことのように思えるのは私だけでしょうか?



<<「生長の家」實相顕現の祈り<3>

=完成の祈り=

<< 谷口雅宣日子命さまは、完全円満まる神の子さまであります。謹んで、その谷口雅宣日子命さまの完全円満なる久遠生き通しの『生命の實相』を礼拝し奉ります。ありがとうございます。ありがとうございます。>>

本当の「生長の家」を伝え遺す信徒連合・作成>>




谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇想念は“力”である 

 私たちがまず気がつかなければならないことは想念は“力”であるということなのです。
単に“力”であるばかりでなく運動の方向づけをする知性ある“力”だということなのです。

 あなたはたびたびこのことをわたしの著書の中できかされたにちがいありません。しかも実際この原理を生活に応用しているかというと、必ずしもそうではありません。

 あなた達は実際、自分の欲せざることを心の中に想念することがあります。
事物の暗黒面を考えることがあります。



     合掌、ありがとうございます。

風邪が治ってきました(^.^) (529)
日時:2015年03月03日 (火) 08時26分
名前:道産子

谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇想念は“力”である 


 何か自分の希望しない方向に事物が進んで行きはしないかと考えて恐怖することがあります。
この考えることが想念でありまして、暗黒を考えるがゆえに、その想念の力で、事物の進行を暗黒の方へ方向づけることになるのであります。

 想念が力であるということは、催眠術の実験において「右手はあがる」と思うだけで「右手が上がる」事実からも証明できます。
「右手を上げよう」と欲しても「この手は上がらぬ」と想念すれば上がらぬのです。



     合掌、ありがとうございます。


「今起てよ、今起たん」重い御言葉。 (540)
日時:2015年03月04日 (水) 08時21分
名前:道産子

谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇事物の状態は心により決定される 


 私たちをとりまいている一切の現象界の事物は何一つとして、その本源を心に発しないものはないのです。
 
 先ず最初に漠然と何かしたい感情が起こります。つぎにそれがハッキリした想念となり、想念は意欲をおこし、想念と合した意欲は行動化して、想念した方向に素材を動かし配列します。

 それは飛行機その他、あらゆる種類の機械の製作にも、大建築物の建造にも同じであります。




     合掌、ありがとうございます。

 

PC不得手(^ム^) (554)
日時:2015年03月05日 (木) 08時42分
名前:道産子

謹写の「保存」で何度も失策、同じご文章を何度も写したりしております(^.^)

しかし、それがなんとも言えない、私の精進につながっているのでしょう。




谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇事物の状態は心により決定される 

 こんなことは誰にも分かりやすいことですが、事業の繁栄の問題や、人間の運命の問題や、食物の成分が肉体的にいかに並べられて健不健の肉体を構成するかという問題になると、自分の想念がその構成の状態を方向づけるものだということを忘れて、すぐ暗い方向にものを考えたり、もっと病気が悪くなりはしないかと考えたり、老衰したりしないかと考えたりし勝ちなのです。

 もっと明るい方向へ、元気溌剌たる方向へ、自分の心を向けましょう。



    
      合掌、ありがとうございます。


鼻かぜ完治に1週間(*^_^*) (566)
日時:2015年03月06日 (金) 08時34分
名前:道産子

谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇無限の力を引き出すには 


 すべて個々の生物の生命は、宇宙普遍の生命の一部分であり、個々の生命の形態は、宇宙普遍の生命の現われであることは、下等生物から高等生物に至るまで、その構造の上に一貫した進歩的序列があり、一貫した部分品の配列方法(幹があり、枝があり、中心があり肢体があるなどのこと)があることによって明らかです。

 だからすべての人間の生命は宇宙の生命の一部分であり、したがって、宇宙無限の知恵に私たちの知恵はつながっているのです。




     合掌、ありがとうございます。

切々と教え給う。 (580)
日時:2015年03月07日 (土) 08時30分
名前:道産子

谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇無限の力を引き出すには 


 天体の成分や運行の法則を知る知恵が人間にあるのも、天体をつくり出しそれを運行せしめている宇宙の知恵が人間に宿っているからなのです。
それを自覚すると否とによって宇宙の知恵を自分に引出し得る程度が異なってくるのです。

 銀行の預金が自分につながることを知らないようなことでは、預金を引出すことはできないのです。
まず自分が神の無限につながることを自覚して、神の力を引出すことができるのです。



     合掌、ありがとうございます。

松陰役があの方のそっくりさんとは(~_~) (596)
日時:2015年03月08日 (日) 08時25分
名前:道産子

谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇環境・運命は新陳代謝いたします 


 神はその想念をもって宇宙の大体をつくり“神の子”なる人間をつくって万物の霊長とし、人間自身の自由意志と自由想念とその行動化とによって、人間自身の環境と運命をつくるようにせられたのです。

 それが人間の宿命(さだめ)であり同時に自由なのです。
こうして人間は自分で造った環境と運命の中に生活するのです。




     合掌、ありがとうございます。


早朝版(^.^) (608)
日時:2015年03月09日 (月) 07時30分
名前:道産子

谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇環境・運命は新陳代謝いたします 


 そして私達は「類は朋を呼ぶ」という「類似の波長の牽引の法則」によって、次から次へと自分の環境と運命の状態を新陳代謝せしめつつあるのです。

 自分の想念感情と類似のものを新たに吸引しつつ、常に環境も運命も新陳代謝するものでありますから、現在いかなる環境、運命に置かれていようとも悲観することはないのです。

 自分の想念感情を交替せしめることによって、自分の環境・運命も交替させ得ます。

 常に明るいことを思うようにいたしましょう。

 常に深切な思いを起こすことにいたしましょう。
 


     合掌、ありがとうございます。

政治とカネ、ならぬ宗教とカネ(^.^) (616)
日時:2015年03月10日 (火) 08時41分
名前:道産子

谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇私達は人類の想念の中に住む 


 私たちは、ラジオの放送波の中に住んでいます。それと同じように人間精神の中に住んでいるのも事実です。

 人間が何か感情や想念の波を起こします。
それは電気的には脳波を起こします。その波は単に弱電流となって神経組織の中を交流し、内臓を動かしたり筋肉を収縮せしめたりするだけでなく、それは精神波動となって宇宙至るところに放送されており、私たちの周囲には無数の想念感情の放送が充満しているのです。



     合掌、ありがとうございます。


一面銀世界、冬に逆戻り(^.^) (625)
日時:2015年03月11日 (水) 08時35分
名前:道産子

例年ならばお彼岸あたりにドカ雪が来るのですが、今年は積雪ゼロの異常年ゆえ、いまか・・・。

東北大震災の日に・・・。




谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇私達は人類の想念の中に住む 


 その放送波を感受し得るからこそ、私たちは“虫の知らせ”が本当であったり、第一印象が的中したりするのです。

 時には遠方にいる近親者が遭難したような場合に、その光景をアリアリと夢に見ることもあるのです。

 私たちはこうして色々の精神波動を受信します。
突然脳裏にひらめいて来るよきインスピレーションなどは、高き霊界からの精神波動の感受であることもあります。



     合掌、ありがとうございます。


明治天皇の御製。 (633)
日時:2015年03月12日 (木) 08時20分
名前:道産子

とこしへに民安かれと祈るなるわがよをまもれ伊勢のおほかみ



この5月ふたたびお伊勢参りすることに相成りました。

前回乗れなかった「しまかぜ」に乗させて頂かこうかとも思っています(^.^)。



谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇神想観の時の注意



 漠然と無意識・無想念のようなボンヤリとした想念の状態においては、それは放送されたる精神波動に対して選波作用(どの波長を選ぶかのハタラキ)がありませんから、浮動するでたらめの精神波動を感受してそれによって動かされます。

 それではその人は目的の定まらぬ気の変り易い浮浪者になってしまいます。
従って、神想観をするときには無意識・無想念になって、何も考えなくなるのはよくありません。
必ず実相円満の完全なる世界像と人間像とを心に描いて、それに精神を集中するようにしなければなりません。

 すると実相界の完全なる波動が自分の「人間受信機」に受信され感応されて、そこに現象界にも幸福なる完全なる有様が現われて来るようになるのであります。

 ハッキリと自分の欲する状態を心で選び取らねばなりません。




     合掌、ありがとうございます。



痛風の痛みで一睡もできず(*^_^*) (645)
日時:2015年03月13日 (金) 08時34分
名前:道産子

なんでしょうねえ〜、この痛みは(^.^)

「病なし」の境地に辿り着いていないのでしょう。

そんなに贅沢はしていないはずなんですが(^.^)




谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇神からの無限の供給 



 神からの無限の供給というものは単なる富の無限の堆積ではないのである。もし世界の富の無限の堆積を私自身に背負わされたならば、私は完全に押しつぶされてしまうであろう。

 神からの富の無限供給というものは必要な供給が必要に従って過不足なく沸き出て来る泉のようなものであり、用のすんだ水は流れさるのである。

 だからもしその人が真に神の無限供給を悟るならば、過剰の富を蓄積しておこうというような愚かな貪欲はなくなってしまうのである。




     合掌、ありがとうございます。



「叡智の斷片」より。 (654)
日時:2015年03月14日 (土) 08時34分
名前:道産子

大聖師の真情の吐露と謙譲の精神、が 垣間見られましたお言葉紹介。


「叡智の斷片」170頁より


 「私を哲学者だと思っている人があるが、私は哲学者ではない。
私は神の啓示を、取りついだものである。

 そして神の啓示にしたがって生きんことを希い、また努力しつつある者である。
私は聖者ではなく、聖者たらんと修行しつつあるものである。

 これは『生命の實相』第一巻に、「生長の家と私」という項で書いた通りである。
今もその通りで私も時には躓くし、間違うこともある。

 よい體験ばかり発表したら、信用を博すること位は、よくよく私も知っているけれども、正直に失敗のことも発表するのは、私自身の失敗を隠して神に祭り上げられたくないからである。」




谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇神からの無限の供給 


 必要なものが必要に従って神から与えられるのに、必要でない時に、必要でないものを蓄積して、その管理に心や身体を煩わす必要はないのである。

 実際真理を悟るならば、「自分に内在する神」が、「普遍の神」と眼に見えない世界で交流しており、普遍的な富を必要に応じて「自分に内在する神」がその不可視の交流網を通じて引き寄せて下さるのである。



     合掌、ありがとうございます。



一粒万倍日(^.^) (664)
日時:2015年03月15日 (日) 08時36分
名前:道産子

当地新聞には「五行易占い」があり、2月生まれが金運◎、となっております。私の娘やその主人、孫など皆寅年です(^.^)



谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇まず神の国と神の義を求めよ 



 「まず神の国と神の義を求めよ。その余のものは汝らに加えらるべし」とキリストは教えたのである。

そして「神の国とは汝の内に在り」と注釈し給うているのである。

 まず自分の内にある「神」と「神の国」とを知らなければならないのである。

 多くの間違った人々の宗教的信仰というものは、外にある神に頼って、「内に在る神」を知らず、依頼心を起こして、神に泣きつくことをもって祈りであると誤解していたのである。




     合掌、ありがとうございます。


PCの調子が・・・(~_~) (672)
日時:2015年03月16日 (月) 08時42分
名前:道産子

一難去って、また一難(~_~)、人生なかなか順風満帆とはいかないものです。



谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇本当に人間が成功する要素は 



 すべての人間の内には、それを働かせば富となり、必需品の供給となるところの「愛」と「生命」と「知恵」とが宿っているのである。

 誰かがもし富んでいなかったならば、みずから顧みて、「自分は果して愛を充分はたらかしただろうか」と反省するがよい。

 また「自分は十分知恵をはたらかして行き届いて計画したか、単に人まかせにしておいたか」を反省してみるがよい。また自分は「生命(いのち)の限りをつくしてそれに従事したか」と反省するがよい。

 あらゆることに愛がたらず、行き届いた考慮をせず、計画を緻密にせず、根かぎり働くことをせず、人か神か誰かが多分よいようにやってくれているであろうと甘い考えをもつということは、「自己内在の神」をおろそかにすることである。

 自分自身を軽んじ、自分を拝まず、自分の尊厳を知らないことである。
そんな人が成功するはずがない。




     合掌、ありがとうございます。




四代目(~_~) (681)
日時:2015年03月17日 (火) 08時38分
名前:道産子

谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇まず神の国と神の義を求めよ 



 「自分の内に在る神」を忘れて、「外にある神」に泣きつくような卑怯なことを、神は決して悦び給わないのである。

 「内なる神」とは「内なる生命力」であり、「内なる知恵」であり、「内なる愛」である。

 自分の内にある生命力と知恵と愛とを十分認識して、それをはたらき出すことが、「まず神の国を求める」ことであり、それを「神の国の義(秩序)」において実践することが、「神の義」を求めることである。



         合掌、ありがとうございます。


じゅんこはじゅんこでも(^.^) (688)
日時:2015年03月18日 (水) 08時28分
名前:道産子

三原じゅん子参院議員の「八紘一宇」発言が注目の的です(^.^)。

麻生さんにも少々ひやかされて(・・?いるようです。

単なるアイドル?でもなかったんですね。頼もしいおひとです。

しっかり拡散されん事を。



谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇本当に人間が成功する要素は 



 富は単に蓄積するばかりに用いてはならないのである。
富は自分の能力を殖やし、知識を増進し、愛を実践するために、自分に使い切れない部分の富を、人類を光明化し救済するために使うべきである。

 イザというときにと思って蓄積したところの富は、実際にイザというときが来て、消費してしまうようになりがちである。

 なぜなら「イザというできごと」を予想する心は、「イザというできごと」を引き寄せる磁石的な力となるからである。

 真に自分の能力が以前よりも増大し、知識が増し、そしてそんな人物が以前にもまして深切に行届いた愛を実践する場合に、以前よりも物質的収入が減少するというはずは断じてあり得ないのであるから、将来の収入減少や、やがてきたる老衰や病気の治療費のために、富を蓄積しておくなどということは愚かなことである。



     合掌、ありがとうございます。





道産子のカーママを応援(^^♪ (697)
日時:2015年03月19日 (木) 08時31分
名前:道産子

そのカーママの不振で中国に完敗、しかし連日の2試合、並大抵の体力では追いつけぬ消耗戦でしょう。

今日最強カナダに勝てれば先が見えてくるのですが(^.^)

それにしても本日のお言葉は耳の痛い方がおられそうです(^.^)。



谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇古きものから新しきものへ移るとき



 多くの人たちは古きものにあまりにも郷愁を感じ過ぎて、それに固着しているがゆえに進歩はないのである。
新しき更にすぐれたる方法が発見されれば、、古きものへの郷愁はかなぐり捨てて、その更にすぐれたる方向へ転向する勇気を持たなければならない。
さらばといって、むやみに気が変り易いのでも困ったものである。

 過去のものを弊履の如くぬぎ捨てて、それが与えてくれた恩恵に少しも感謝しないようなものはまた栄えることができないのである。
 
 新しき物へ移るのは、単に気紛れや便利主義や移り気でやるのではいけないのである。
よく新しき物の組織や構造や能率や長所を検討してみた上で、”なるほど、この方があらゆる方向において優秀である“とハッキリ見定めてから、それを利用する場合の”経済的基礎“とにらみ合わせて、新しき物へ移るべきが順序である。




          合掌、ありがとうございます。







カーリング女子代表、1勝に泣く(^ム^) (709)
日時:2015年03月20日 (金) 08時37分
名前:道産子

4人夫々の個性よく出ていて、よきチームです。

さらに、また五輪にも向けて力を付けていって欲しいものです。

カーリング、結構おもしろい競技ですよ。


それはそれとして(^.^)生長の家のマークについての論議が。

まったく、困った状況には変わりはありません。

今日の御言葉、戦災もないのに今や美術建築たる本部建物はな

い、先生のご悲嘆はいかほどや。





谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇神の意志は古き残骸を越えて進む 



 人生にも春夏秋冬があるので、人間の生甲斐が感じられるのである。
春に美しく芽ぐんだ新緑が美しかったからといって、春の葉を冬になっても捨てないでいたならば新たに来る春の美しい装いは得られないのである。

 夏秋を通して古いものが使いちびてくれればこそ、次の春に芽ぐんでくる新緑の美しさが目立って感じられるのである。

 それと同じように古きものが滅びることを嘆いてはならないのである。
生長の家でも戦災で赤坂の道場が焼けたればこそ、今、原宿に美術建築としての宏壮な生長の家本部の建物が建っているのである。

 


     合掌、ありがとうございます。



 




お彼岸と日の丸掲揚の日。 (719)
日時:2015年03月21日 (土) 08時34分
名前:道産子

谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇神の意志は古き残骸を越えて進む 



 私は広島の市街が東京都以上に幅員の広い大通りにできているのを見ておどろいたことがある。

 新しきものは過去の残骸を踏み越えて進み行くのである。
それが神のご意志である。
しかし大きくのびるためには、時として縮小して、力を内に蓄えなければならない時もある。

 時として、樹木がそのすべての葉を落してしまうように自壊作用が起こるのを防ぐことができない時もある。
 



     合掌、ありがとうございます。


雅宣氏は観世音菩薩(^.^) (729)
日時:2015年03月22日 (日) 08時37分
名前:道産子

そう観るのもよいのでは?

信徒連合様のお考えになった、

 「生長の家」實相顕現の祈り<3>

 =完成の祈り=

<< 谷口雅宣日子命さまは、完全円満まる神の子さまであります。謹んで、その谷口雅宣日子命さまの完全円満なる久遠生き通しの『生命の實相』を礼拝し奉ります。ありがとうございます。ありがとうございます。>>


私も唱えさせていただいております。




谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇まず神の国を求めるとは?



 すべての生命力と知恵と愛とを退蔵することなく、それを百%今日使い尽くすのがよいのである。
翌日はもっと新しき生命力と知恵と愛とがこんこんと湧き出てくるであろう。

 すべてのものの豊かなる供給が神の意志であるから、パイプに水垢をためておくように、なんらかの停滞物で神からの供給を遮断しない限りは、また次の日には一層新しき生命力と知恵と愛とが前よりもゆたかに流れ入って来るのである。

 神を知ること、神の意志を知ること、神の意志を実践に移すこと、神とつながる方法を知って、それを実行すること、神は無限であるから、神と正しく結ばれるならば、無限が流れ入って来てわれらの力は決してつきないのである。

 神は完全であるから、神と正しく結ばれるとき、すべての自分の身辺の出来事が必ず完全に運行するようになる。
これを知るのが「まず神の国を求めること」になるのである。



     合掌、ありがとうございます。


稲田朋美先生、次は「百人斬り報道訂正を」。 (737)
日時:2015年03月23日 (月) 08時36分
名前:道産子

「首相の70年談話もなにも心配していない」そうです。

頼もしいお方です。




谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇神と一体になって仕事をするには



 神と正しく結ばれるならば、その結果はすばらしいということは理解できたが、、神と正しく結ばれるにはどうしたらよいかということを知らなければならない。 

 その方法は最も簡単であるし、たびたび各所で私は書いて来たのであるけれども、あまり簡単すぎて実行することをすぐ忘れている人が多いのである。

 それは「知恵の言葉」にある通り、「道を歩いている時にも、机に向かっている時にも、今如来が、神の子が、歩いている、今如来が、神の子が、机に向かっている」と念ずることである。

 仕事をする時にも、「肉体の私が仕事をするのではない、如来がするのである。神の子が仕事をするのである」と念じてから仕事をするのである。

 自分のはからい心を洗い去って、神の知恵と愛とがそこに出て仕事をするのである。
その時、疲れることもなく、あせることもなく、自然に流れる知恵が湧いて仕事が順調に進むのである。




     合掌、ありがとうございます。



拍手の仕方(^.^) (748)
日時:2015年03月24日 (火) 08時43分
名前:道産子

あ〜、なんという勘違いか、思い違いか、なんの躊躇もなしに右手を前に拍手していたのだった。

それは、「左手を前に」という大聖師のご指導に素直に従っていた、つもりだったのだが・・・。

思い込みとは困ったシロモノ、てっきり、これが(右が手前)正しいと今まで信じ切って実践してきた。

だが、今回よ〜く「神想観」を観ると、なんと、「左手を前に」とあるではないですか・・・。当たり前のことです(^ム^)

習慣とは恐ろしいもので、「右手前」がすんなり身についているではありませんか(^ム^)。

今朝より、正しく行いました(^.^)。




谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇実相の聖なる秩序に調和すること



 私達の生活に色々の摩擦や、問題や、病気や、苦痛や、悩みが出て来るのは私たちの心の持方が“実相の聖なる秩序”に調和した生活を送っていないからであります。

 私たちの心の持方が“実相の聖なる秩序”に調和しない限り、一つの問題を解決したら次の問題がまた出て来、一つの病気が去ったら次の病気があらわれて来るでしょう。

 それは急流を逆に遡って航するようなもので、少し上ったかと思うと押し流され、少し漕いだと思うと岩に激突して結局はその船が砕けてしまうのです。

 私たちは神の御心の流れに沿って船をやらねばなりませんし、実相の波のうねりにうまく乗って船をやらねばなりません。

 神の御心に沿い実相の聖なる秩序の波に乗るとき、人生は坦々たるアスファルト道路を高級車で走るよりも滑らかになり、一切の事物が調和した状態にあらわれて来るのです。

 

     合掌、ありがとうございます。






彼岸過ぎ雪の舞たる様を見て先祖もさぞや戸惑いけるや(^.^) (758)
日時:2015年03月25日 (水) 08時40分
名前:道産子

寒の戻り、ということですか。

昭和天皇のすばらしきエピソード、また「日本なかりせば」マレーシア、マハティール首相の演説、うれしくなります。
うれしがってるだけではいけませんけど・・・。





谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇まず神の声をきかねばならぬ 



 物質を先に求めてはならない。物質は心の影である。
心を先に求めてはならない。

 心は霊の道具であり、霊的事物が現象化して来るための媒介となるために「霊」がつくった道具に過ぎないからである。
  
 まず「霊」の声をきかなければならない。「霊」は神である。
私たちは神の声をきかなければならない。

 心がそれを欲するからとて、みだりに心の満足を求めてはならない。
 
 


       合掌、ありがとうございます。


道産子も至極酒に弱い(^。^) (770)
日時:2015年03月26日 (木) 08時31分
名前:道産子

顔が青ざめるよりはいいでしょうが、すぐ赤くなってしまいます。こまったものです。




谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇まず神の声をきかねばならぬ 



 心にはいろいろの段階がある。
肉体の要求を代表する心もあれば、霊が自己実現を要求する声としての心もある。
 
 無数の「ニセモノ」の心や「迷いの心」が波動して来たのが、自分の脳髄受信機に感応してあたかも自分自身の心がそれを求めているかの如き錯覚を起こすこともある。

 そんな迷いの心をイエスはサタンと呼んだのである。
そんなときには「サタンよ去れ!!」とイエスと同じように一喝して、迷妄から覚めなければならない。




     合掌、ありがとうございます。


ムスビのゲーム(^ム^) (780)
日時:2015年03月27日 (金) 08時37分
名前:道産子

だけど、野球選手もファールを安易には打てなくなりました。




谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇神をまず求めよ、然らば・・・



 神の声をを聴くには、“物質的要求”を神の前に差し出して、「これを得るにはどうしたら宜しいか」と念ずるのでは、神を先にせず、物質を先にしているから、物事必ず逆転するのである。

 一切の物質的な要求をも、心の要求をもことごとく放下してし去って、ただ空淡々たる心になり切り“神と私は一体である。私は私の全部を神になげだしたのである。神よ、み心の如くならしめ給え”と念じなければならない。

 これが「まず神の国と神の義を求める」ことであり、「その余のものは汝らに加えらる」(聖書)のである。

 物質はまず神の前にその優位を譲らなければならないのである。
その時、神の霊的供給がかえって物質化して、ゆたかにあらわれて来るのである。

 こうして物質は自然にゆたかに成るべきであり、物質はその優位を神に譲られなければならぬといっても決して禁欲主義になれということではない。




     合掌、ありがとうございます。




朝風呂に入りました(^.^) (790)
日時:2015年03月28日 (土) 08時16分
名前:道産子

谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇腹を立ててはならぬ 



 「人を呪わば穴二つ」という諺がある。
人の墓穴を掘ることは、また自分自身の墓穴を掘ることになっていることである。

 人に対して「腹を立て」たら、必ず自分自身を害するのである。
腹を立てたときには、自分の気持ちが悪いでしょう。

 それは血液の中に毒素ができたからです。
腹を立てることによって、自分の病気の因(もと)を作り、老衰の原因となる。
血液の中にできる毒素が度重なるからである。

 そんなに病気までして、老衰までして腹を立てねばならないでしょうか。
立腹は肉体に害があるばかりでなく、あなたのもっとも大切な魂がそれだけ傷つくのです。この方が一層大切です。

 しかし、心で腹が立ってこらえているのではだめです。
愛を注ぐことによって自然腹の立たぬのが最もよい。



     合掌、ありがとうございます。



コーヒーには、はちみつ&クレマトップが一番(^.^) (798)
日時:2015年03月29日 (日) 07時49分
名前:道産子

谷口雅春先生はコーヒーなどいただいたんでしょうか・・・。


今朝は「早朝版」です。




谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇腹を立ててはならぬ 



 憎むことによって、最も苦しむのは自分自身である。
正しくないものを憎むことは決して正義を回復することにはならないのである。

 相手の暗黒面を考え、自分の心を暗くすることによって、得るところのものは結局、相手を傷つけ、自分を傷つけるだけである。

 相手を傷つけ、自分を傷つけることによって、どこに正義があろうか。
憎しみ、怒り、嫉妬、悪口、私行暴露などは、結局、相手を「傷つける念」であるから、それを自分の心の中に起こすことによって、自分自身が傷つくのである。

 誰かが悪をなしたからといって、自分自身を傷つけ、苦しめ、病いや老衰の因を作る必要はないのである。

 むしろわれわれは人の悪に対してそれを消すだけの愛を注ぐべきである。




     合掌、ありがとうございます。




女子の武士道、すごい(^ム^) (808)
日時:2015年03月30日 (月) 08時28分
名前:道産子

谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇相手を善くするためにはこうせよ



 「あいつは悪い、あいつは悪い」と念ずることは、その思念の力によってその相手の人をしてますます悪くならせることになるのである。
念ずれば念ずる通りにあらわれるのが心の法則であるからである。

 正義によって憤るということは、「彼は間違っているから、善くしてやりたい」という希望からなされるのであるから、「彼は本来あんな悪いことををする人間ではない、善い人間である。だから今後は善いことばかりをする」と念じてやるべきである。

 彼をよくしてやるのは説教ではなく、愛である。
愛とは彼の弱点をあわれんで舐めるように可愛がることではない。

 どんなに不完全に見えようとも、その奥にある「善」なるものを見出して、それを尊び拝んでやることである。




     合掌、ありがとうございます。





東海大四校、がんばれ(^.^) (818)
日時:2015年03月31日 (火) 07時49分
名前:道産子

校名は東海も、殆どは道産子でしょうし・・・、ここまで来たら
 
決勝まで行って欲しいものです。エイプリルフールじゃなくて(^.^)

画龍点睛様の長文の説得文(^。^)にも感動しました。

今朝も早朝版?になりました。





谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写



◇相手の姿を神愛の表現として拝め
 


 自分の周囲にあらわれる状態は、すべて自分の想念(こころ)の影なのであるから、周囲の状態をよくしようと思うならば、自分自身の想念をよくするよりほかに道はないのである。

 もしあなたに誰かが不快なことをしたら、それはあなたの性格を強くし、どんな現象に接してもその奥にある善を見る力を養い、愛を深くするために神が与え給うた絶好の機会であるとして、相手の美点を見るように練習するのがよいのである。

 神の愛が、相手の姿とあらわれて私を訓練し、高め上げ、磨いて下さるのであると信じ、相手を「ひどい」とか「意地悪」であるとか考えないで、相手を慈悲の権化、神愛の化身として「ありがとうございます」と拝むとき、相手が真に神愛の表現としての優しき姿にあらわれて来るのである。


     
      合掌、ありがとうございます。

奇跡は起こる(^。^) (829)
日時:2015年04月01日 (水) 08時25分
名前:道産子

今日はしっかりと応援したいものです。

チームワークがいいです。全員野球です。控えたる人もしっかりと役目を果たして・・・。バッテリーの息もぴったりです(^.^)

四コウから二コウに、そして、一コウになりませんか?
神のみぞ、知る。





谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇人間の自由と神護について



 神は決して、人間の健康を幸福を単なる偶然の災害の手でこわされるような危険な状態に置いてはいられないのである。
 
 常に全能の御手をもって護っていられるのであるが、、人間は自由を欲して、神の御手を離れてひとり歩きしようとするのである。

 その場合、神は強いて人間をご自分の愛の手で強制して安全地帯のみを歩かせようとせられることはないのである。

 なぜなら安全地帯のみを歩かせているのでは、いろいろの場面でいかに処理してよいのか、内部の知恵も引出されて来ないからである。

 だから自由を欲する人間には自由にしておいて、自分の知恵と生命力とを鍛錬したまい、いざというときに、その引出された知恵や生命力だけではとても解決できないと、人間が自由意志で神に振向いたときに神の直接干渉が加わるのである。


     
      
        
      合掌、ありがとうございます。




速報版(^.^) (830)
日時:2015年04月01日 (水) 15時49分
名前:道産子

一コウならず(~_~)一息及ばず。

相手のバッテリーがひとつ頭が上に出てたか。

勝負は時の運、両チームに感謝。北陸新幹線が先でしたね(^.^)

明朝分をここに載させていただきます。




谷口雅春先生 昭和48年やまと新聞「新 一日一話」より謹写




◇睡眠中にも霊魂は眠らない


 
 私達の睡眠中は、眠っているのは肉体だけで、霊魂は眠っていないのである。
睡眠中の脳髄も最近の脳波の研究では自動的にある働きをしているのだが、それを操縦する「霊魂」そのものが霊界または幽界に出遊しているので、肉体の側の脳波は、支離滅裂な記憶の変形や複合で自動しているに過ぎないのである。

 睡眠というものは、霊魂が肉体脳髄をしばらく使わないで、肉体の自動的調整で消耗個所が回復するような仕組みになっているのである。

 だから、自動的にもどけて来る記憶などが、夢の現象とあらわれて来るのである。



     
         合掌、ありがとうございます。





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