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光明掲示板・伝統・第一

 

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神癒 (68)
日時:2015年01月23日 (金) 04時20分
名前:伝統

*光明掲示板・第三「神癒」からの継続です。
 → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=243

・・・


             *『人間無病の原理』(P7〜13)より抜粋

(1)すべての癒す力は自己に宿る「生命」から来るのであり、他から来るのではない。
   他に頼るものは自己を視ないものである。

(2)すべての病気は、「道具」であり「従僕」であるところの肉体や、それを操作する
   色々の従僕たる「心」が、神(生命)から離れて自治独立してしまった結果である。

   従ってすべての病気は神の前に無条件に降伏し、神の統治が完全に行なわれる
   ようになったとき自然に消滅するのである。

   それ以外に真に病気の根治する道はないのである。

(3)宗教の目的とするところは、やがて死ぬ肉体を一時的のみに癒すと云うことではない。
   「永遠不死の自己」を再発見せしめることであらねばならない。

   この「永遠不死の自己」の再発見に伴う附随現象として、肉体の病気も治るのである。

(4)「地上の生命(いのち)のことについて思い煩うな。」
   このイエスの教をそのまま受容れたとき、念が解放されるのである。
   念の解放によって「念の凝り固まり」によって起っていた病気が消える。

   治そうと思うものは却って治らず、治そうと云う心さえ放ち去って
   心が自由自在になったとき病気は《ない》のである。

(5)人間の霊性の絶対尊厳を自覚し、自己の全身を霊々妙々完全なる霊的存在だと
   観ずる「生命の実相」の真理を徹底すれば病気は随伴的に消えてしまう。

・・・

<関連Web:光明掲示板・第二「神癒への原理 (10739)」
       → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2065 >

         <感謝合掌 平成27年1月23日 頓首再拝>

《神癒をもたらす技法》 (209)
日時:2015年02月06日 (金) 04時57分
名前:伝統

               *『信仰の科学』
                   谷口雅春     原著
                   F.L.ホルムス 英訳
                   伊藤 正     反訳


神癒をもたらすため、あなたが”病める”者の病床の傍に坐るならば、
”生命”は病まざるものであることを知るがよい。

あなたの患者は癒されねばならぬ病人ではないのである。
目前の彼又は彼女は”生命”とは何ぞやの悟りを喪失した人に過ぎぬのである。

それだから今あなたが彼等の代理者となって”生命”の何たるかを悟ればよいのである。


あなたは”生命”が今ここに存在するのであると考え、宣言する。
その生命は患部を癒すには何を為すべきかを知っているのである。

あなたはただ”生命”は全てであるということを、全心をもって悟るだけでよいのである。


   生命は薔薇の花びらを織り成すのである、
   薔薇の魂は育つにつれてその花を開く、
   魂が開けば甘い芳香(かをり)が流れ出るのである。


   それにしても私たちは大気を吸って、
   そこに漂う薔薇の香りに気付かねばならぬ。

   私たちが気付かぬならば、
   薔薇の芳香(かをり)は
   私たちにとっては存在しないのである。


   羊や山羊、馬や驢馬、
   草を食むこれらの家畜は、
   薔薇のそばを通っても、
   その芳香(かをり)には気がつかない。

   舌先を寸時も休めず動かす家畜は、
   顎の動きだけで生命を知るが故に、
   芳しき薔薇の存在を見のがすのである。


   目覚めよ、わが魂よ、
   闘いの想念を棄て、
   鋭い刃物もて切り刻む恐怖を棄て、
   そして新しく生命を悟るがよい。

   生命は決して死によっては呑み込まれない
   そんな主張を否定せよ。
   そして一息毎に神の生命を呼吸せよ。

                      F・L・ホルムス


”一息毎に神の生命を呼吸せよ” これこそ全く大切な事柄なのである。
あなたの生命と神の生命とは一つ共通の生命なのである。 

”われは父なる神の中に在り、汝はわれの中に在り、われは汝の中にある”
とイエスは語り給うたのである。

(http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/19434164.html)

         <感謝合掌 平成27年2月6日 頓首再拝>

我みずからにては何事をも為し得ず (400)
日時:2015年02月21日 (土) 03時57分
名前:伝統

         *「神と偕に生きる真理365章」(P290)より

イエスは「我みずからにては何事をも為し得ず、
天の父われに在(いま)して御業(みわざ)をなさしめ給うなり」と訓(おし)えている。

諸君は、自分が生まれて来ようと努力して、母親の胎内でその栄養分を自分で整理し
排列して自分の人体を造ったのではないのである。

「われみずからにては何事をも為し得ず、天の父われにいまして、この人体を造り
給うたのである。」

それならば、私たちが母親の胎内から出て来てからも「われみずからにては何事をも
為し得ず」であって、自分の力では胃液を製造することも、各種のホルモンを製造する
ことも、そのホルモンの精妙なバランスを得させることもできないし、
自分の力では腎臓で不浄物を択(よ)り分けて排泄することもできないのである。

これらの働きは悉く神授(しんじゅ)のものであるのである。

この真理が理解できるならば、私たちが病いに罹ったとき、自己の内に宿っている
この無限の智慧の御(おん)はたらきに全托して「神よ、み心の如くならしめ給え」と、
人間的心配を棄て去ったとき、神癒の力がこんこんと内部より湧き出でて
速やかに癒される理由がわかると思うのである。

         <感謝合掌 平成27年2月21日 頓首再拝>

神の癒しを受けよ (553)
日時:2015年03月05日 (木) 06時15分
名前:伝統

            *「光明道中記」(P242)より

神の《いのち》なるわが《たましい》は、
神と偕(とも)に常に此処に立っていることを知らねばならぬ。
恐れることはひとつもあり得ないのである。

われは神と偕であるからである。

神はすべてのところにましますが故にその癒しもすべてのところにましますのである。
癒しと云うのは病気を認めての語(ことば)であるが、これはただ病気をみとめている
人々に対してのみ言うところの方便的語(ことば)に過ぎないのである。

癒しと云うのは神の創造の顕現であり、神の完徳(まったきとく)が現象世界面に
あらわれて来ることに過ぎないのである。

だから吾等が神の完き創造の《ちから》と《めぐみ》と智慧とをみとめるならば、
病気のみならず、あらゆる事件に神の癒しは与えられるのである。

不幸に傷つきたる人々よ、神の癒しを受けよ。
神は無限の智慧、無限の愛、無限の生命(いのち)であり、世の終わりまで
《常に》吾等と偕に在り、吾等を愛し、吾等を護りつづけていられるのである。

此の不思議なる神または仏の護りを受けようと思う者は
常に神または仏を憶(おも)うことである。

仏典に「衆生仏を憶念すれば、仏衆生を憶念す」とある。
神を、仏を、憶おうとするには常にそれを思い起こさしめる書物を携帯して
少時間を利用してそれを読むことである。

             <感謝合掌 平成27年3月5日 頓首再拝>

治病霊力の根源 (661)
日時:2015年03月15日 (日) 04時25分
名前:伝統

          *「真理」第九巻(P140〜141)より

他(ひと)を祝福しましょう。
あなたは他(ひと)より祝福せられます。

私あっちは時々他(た)の人が自分に冷淡であったり、利己主義であったり、
過ちを犯したりするのを見て、腹が立ったり、嫌気がさしたりして、
祝福することを忘れがちです。

そのために私たちは神から放送されている祝福の霊波を受け得ない心の波長になるのです。
紙はわが家(や)の「戸の外に立ちて」祝福の波動で扉を叩きたまえども、
自分自身が其の絶縁体で扉を閉(とざ)してしまうのです。

祝福するとは、讃美し、感謝し、相手の幸福を祈ることです。
キリストの治病伝道の歴史を見ますと、彼は先ず神を讃美し、次に感謝し、
そして其の人の幸福を祈っているのです。

この3つを忘れてはなりません。
「自分の霊力で病気を治す」などと考えてはなりません。

イエスの驚くべき治病力は
「われみずからにては為し得ず、天の父われに在(いま)して御業(みわざ)をなさしめ給う」
と紙を讃美している処に根源があるのです。

  
・・・

(まとめ)

  (1)神を讃美する。
  (2)感謝する事。
  (3)相手の幸福を祈ること。

   「自分の霊力で病気を治す」などと考えてはなりません。

    イエスの驚くべき治病力は
    「われ自らにては為し得ず、天の父われにいまして、御業を為さしめ給う。」
    と神を讃美している処に根源があるのです。


             <感謝合掌 平成27年3月15日 頓首再拝>

宇宙に満ちている無限の癒す力を信ぜよ (754)
日時:2015年03月25日 (水) 04時48分
名前:伝統


             *「眞理」第一巻入門篇(P355〜356)より

正しき信仰によって、宇宙に満ちている無限の癒す力と「自分」とを結び合わすには、
先ず宇宙には無限の癒す力が到る処に満ちていることを知らなければなりません。

吾々は信仰が先生のようにはないから、どうも先生の被仰(おっしゃ)るようには
なりませぬと言う人が往々あるのですが、信仰と云うものは「無い」ものを
勝手に想像してそしてそれを信ずるのではないのであります。

自分に恋してもいない女を、自分に惚れていると甘く見て
有頂天になって瞞(さま)されるのが信仰ではないのであります。

信仰と云うのは眼に見えない空気のようなものを眼に見えない心の中へ、
誰かから注ぎ込んで貰うようなものではないのです。

信仰は事実を見て《知る》ことなのです。

宇宙到る処に充ち満ちている大生命の癒す力は、
吾々が心の眼をひらいて見れば知ることが出来るのです。

野獣には病気はない、野鳥にも病気はない。
彼らは時々或る自然の脅威に曝(さら)されて負傷したり、ジャングルの中で怪我をしたり、
或いは猛鳥に襲われて羽(はね)をむしられたりします。

しかし彼等は水を飲むか、ただ穴の中にじっと横たわっているか、
傷口を舐めるかするだけで治ってしまうのであります。
何等、他動的な治療法と言うのを行なわないのであります。

吾々の皮膚の傷でも、若しそこへ黴菌でも侵入しさしなかったならば、
何ら外的治療法を講じないでも治ってしまうのであります。

             <感謝合掌 平成27年3月25日 頓首再拝>



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