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光明掲示板・伝統・第一

 

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すべてに感謝! (49)
日時:2015年01月21日 (水) 04時03分
名前:伝統

*光明掲示板・第三「すべてに感謝! (32)」からの継続です。
 → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=17

・・・

《”祈り”に於ける感謝の重要性》

           *「女は愛の太陽だ」(P76)より

”祈り”が有効な実を結ぶためには”与えたまえ”と懇請するだけではなく、
既に与えられている幸福に対して感謝することが必要である。

今まで色々与えられていながら、それに一度も感謝しないで、
また次のものを与え給えと請求することは、
人間に対してもあまりに”虫のいい”ことであるのである。

神は寛大であるから、そんなことには無頓着で気にお懸けにならないだろうけれども、
吾々自身の良心が”気兼ね”をして、”与えられた恵み”をも受け取りかねることが
あり得るのである。

良心が気兼ね遠慮しないように先ず既に受けている恵みに感謝するがよい。

・・・

<関連Web>

(1)「光明掲示板・第一」内スレッド「感謝の日々 (1211)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=278    

(2)「光明掲示板・第二」内スレッド「すべてに感謝! (10537)」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2021


           <感謝合掌 平成27年1月21日 頓首再拝>

【ああ、ありがたい】 (148)
日時:2015年02月01日 (日) 04時38分
名前:伝統

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年12月31日)」より


   (哲人、中村天風師の心に響く言葉より…)

   あなた方、なかなかありがたがらないね。
   当たりまえだと思っている。

   この間、淡路島に行っていた。

   朝、宿の女中が、

   「まァ、もったいない、先生。お客さまがそんな、お床(とこ)なんかたたんで」

   「冗談こけ。ゆうべ一晩、ゆっくり休ませてくれたこの布団に、
   お礼を言っているところだ」


   気が変になったと思っている。

   私が布団をたたんで、ありがとうございましたと言うものだからね。

   宿賃出したからには、この布団敷いたりたたんだりするのは
   当たりまえだけれども、私のように長い間、軍事探偵をしていて、
   森の中や林の中をもって、何も掛けずに、何も敷かずに寝ていた経験を
   もっている人間から見るってぇと、現在の生活は、ほんとうにありがたいですよ。

   それをあなた方は、ありがいとは思わないんだから。


   金やって使っている人間がするのは当たりまえだ。
   礼を言うどころか、働き方が悪ければ、すぐ叱りつける。

   まぁ、とにかくも、もう少し、気持ちの中をおおらかなものにしなさい。


   明けても、暮れても、ありがたい、嬉しい、でもって送れるはずだけれども、
   あなた方の煩悶(はんもん)は、たいてい、自分が望むものが得られないときに
   起こってくるんだ。

   自分の欲望がみたされないときに、必ず煩悶が起こる。

   何事に対しても、現在感謝。
   ああ、ありがたい。
   何に対しても現在感謝。

   それより事態が悪くなっても、喧嘩にならないじゃないか。

   病になっても、ああ、ありがとうござんす。

   病になってもありがたいというのはおかしいじゃないか?

   だって、死んじまわなかったんだろ。
   それで済んでいると思ったら、感謝したらいい。


   そいう気持ちを持っていると、どんなことがあっても、
   憂(う)いとか辛いとかいうことがなくなるんだ。

   朝からしょっちゅうニコニコ、何事に対してもニコニコ。

          <『ほんとうの心の力』PHP>

              ・・・

この冬の寒空に、住む家や、着る服や、寝る布団がなかったら、
どんなにか辛(つら)くて寒いことか。

だから、家や、洋服や、布団に感謝。


勤める会社がなかったら…
通勤や通学の車やバスや電車がなかったら…
お金や食べ物や飲み物がなかったら…

それから、友達や家族、そして自分を支えてくれる人たちがいなかったら…


身のまわりにあるありとあらゆるもの、そしてご縁のある人たちに感謝をする。
お世話になりました、と。


こんにち只今(ただいま)、日本に生まれたことに感謝し、
すべてのご縁ある物や人に、「ああ、ありがたい」と心の中でつぶやきたい。

           <感謝合掌 平成27年2月1日 頓首再拝>

万事に対して感謝する生活 (286)
日時:2015年02月12日 (木) 04時46分
名前:伝統

            *『青年の書』(P92〜93)より

吾々が真に神を表現しようと思うならば、
今の一瞬に久遠を表現するようなものでなければ、
最高完全なる表現ということはできないのである。

音楽にせよ、文学にせよ、あるいは肉体美にせよ、あるいは科学的の発明にせよ、
真に立派なものはそこに久遠の生命が生きていることを感ずることができるのである。

吾々が表現を完全に行なわんがためには、感謝の心を忘れてはならないのである。

吾々の自己表現とは神の生命の自己表現であるから、すべての表現は神からきたるのである。
したがって吾々は神に対して感謝の念を忘れてはならないのである。

朝起きた時から、夜眠りに入る時まで、すべての生活は悉く神より流れ出ずる
生命によって行なわれるのであるから、一挙手一投足万事万端について
吾々は神に感謝することを忘れてはならないのである。

「与えよ、さらば与えられん」ということが無限供給の黄金律であるのであって、
それは決して物質の富だけのことではないのである。

吾々が日常生活のすべてのことについて、常に神に感謝し、
一事一物のでき上がるごとに常に神に感謝の念を捧げるようにするならば、

必ず自分の能力はなおいっそう豊かになり、その次の計画はなおいっそう
偉大なる姿に完成することができるのである。


ある人はお蔭をうけたといって、単に病気が治るとか、経済的利益が得られたとかいう
問題について神に感謝するのであるが、それはまだ本当の完全なる感謝ではないのである。

吾々は神の愛に対して感謝しなければならない。

神の愛は物々に現われているのである。

空気に、日光に、水に、家族互いの愛情に、その他、
あらゆる吾々の周囲におこる出来事の上に現われているのである。
吾々はそれらに対して、常に間断なく感謝しなければならないのである。


常に感謝する生活習慣を作ることは極めて必要なことである。

吾々の思想、吾々の感情を、あらゆる事物を媒介として、
それを通して神への感謝にふり向けるということは事物の表面的な形を越えて
その実質であるところの「霊」なるものに心をふりむけ高めることになるのである。

物質を目的に吾々が働いている時には、すべての仕事は、憂鬱、退屈な仕事となるのであるが、
一度この仕事が神によって恵まれたる愛の表現であり、智慧の表現であり、生命の表現である
ということが自覚されるならば、それはたちまち喜びの仕事と変わってくるのである。

今すぐあなたの与えられている仕事を神から与えられたる仕事であるとして感謝の念をおこせ。

すべての仕事を観るに、神から与えられたるものであり、これを完成して神に喜んでもらうので
あると信じて感謝するならば、その仕事は不思議なる神の力に導かれて人間自身ではとうてい
できないようなすばらしい完成ぶりを見せることができるに相異ないのである。

吾々の住んでいる世界は、神の智慧の一大海原であり、神の愛の一大海原であり、
神の生命(いのち)の一大海原であるのである。

吾々のなすべきただ一つのことは心の肺臓をひろげて、心ゆくばかりその大海原から、
神の智慧を、愛を、生命を呼吸することである。

吾々が吸い込めば吸い込むほど神の智慧も、愛も、生命も、
いくらでも豊富に流れ入ってくるのである。

その心の肺臓をひろげて神の智慧を、愛を、生命を吸入する道が
すなわち「感謝すること」であるのである。

実際時々仕事の暇に目を閉じ心を静かにして

「神よ、あなたの無限の智慧、無限の愛、無限の生命(いのち)を吸わせていただきます。
それによって私の生活が常にいっそう完全に導かれ、神の愛によって守られ、
神の生命によって愈々力強くすこやかなるものとなることのできること感謝致します。」

こう静かに念じながら、神の智慧を、生命を、吸入するが如く、静かに息を吸うのである。

「ああ、神の無限の生命わが全身に流れ入り、吾が全身をすこやかならしめ給う。
ああ、神の叡智吾に流れ入り、吾が日常の仕事を、事ごとに導き給うて
決して失敗させ給うことはないのである」

というように吸い込む息と共に神の生命乃至叡智を全身にみたした気持ちになって
感謝の心を起すのである。

感謝は神より来たるところのあらゆる能力を無限に引き出すところのもっともよき方法なのである。

           <感謝合掌 平成27年2月12日 頓首再拝>

守護霊様に感謝が伝わる方法 (412)
日時:2015年02月22日 (日) 04時23分
名前:伝統

      *「あの世を味方につける生き方」美鈴・著(P149〜151)より

私たちを見守ってくださる守護霊様には、お姿を見せて下さるときの決まった配置があります。

主守護霊様は私たちの右側、指導霊様は右斜め45度、守護神様は頭の後ろ、
支配霊様は左斜め45度、補助霊様は左側に立ち、見せてくださいます。

なぜ、このような配置なのかハッキリわかりませんが、私たちのエネルギーは右回りなので、
一番高くていいエネルギーがくる右側ほど高級霊がいらっしゃるのではと思います。

誤解のないように申し上げますが、ずっといらっしゃるワケではありません。
私のような視える者が視るとき、その方のオーラの中に映って見せてくださるのです。
本体はあの世なのです。

私たちが苦難の真っただ中にいるときも、安易に手を出さず、口を出さす、大きな愛で見守って
くれている守護霊様の存在を感じながら、感謝して生きることができるようになると、
自然と守護霊様と私たちのプラグがつながります。


私は、寝る前と朝起きたときに、布団に横になった状態で、守護霊様や補助霊様たちが
自分のことを上から覗き込むように取り囲んでくれるようなイメージをしながら挨拶をする
ようにしています。

夜寝る前には手を合わせながら、「守護霊様、補助霊様、今日はこんなことがありました。
今日も一日本当にありがとうございました。未熟者の私ですが、見放さずに見守ってくださいね。
おやすみなさい」 と祈って眠りにつきます。

朝起きてすぐに「守護霊様、補助霊様、おはようございます。今日も一日よろしくお願いします」
と朝の挨拶をしています。

こうして手を合わせる守護霊様や補助霊様の気配を身近に感じますから、
ちゃんと聞いてくださっているのです。


守護霊様とともに生きていることが実感できるようになると、たとえ仕事で行き詰ったり、
人間関係でつらいことがあったりしても、自分を応援してくれている存在を感じることができて、
乗り越える力がついてきますよ。

           <感謝合掌 平成27年2月22日 頓首再拝>

苦痛にも感謝せよ (552)
日時:2015年03月05日 (木) 06時13分
名前:伝統

               *『眞理』第十巻實相篇(P96)より

苦痛は肉体の何処かに故障があるのを警告するために霊が送って来るところの信号である。
苦痛はまたその痛むところへ全生命力を集中して早く治癒に導くための信号である。

苦痛のあるところに生命力は集中し、その復旧に必要なる細胞と養分とが送られるのである。
だから肉体の何処かに苦痛が現れた場合には、その苦痛を憎んではならないのである。

むしろ其の苦痛の起こる毎に
「これで私の病気は癒されつつあるのだ」と念ずるがよいのである。
むしろその苦痛に感謝せよ。

苦痛にも調和するとき、その苦痛は消滅してしまうのである。

「天地一切のものに和解せよ」と云う教えは
「苦痛にも感謝せよ」と云うことを含んでいるのである。

           <感謝合掌 平成27年3月5日 頓首再拝>   

【ありがとう、幸せです】 (602)
日時:2015年03月09日 (月) 04時02分
名前:伝統

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年1月8日)」より

   (医師、鎌田實氏の心に響く言葉より… )

   2002年の春、突然、山口さんという夫婦から電話がかかってきた。
   面識はない。

   話を聞くと、どうもコンサートの“押し売り”らしい。
   ヴラダン・コチというチェコのチェリストのコンサートを開いてくれないか、という。

   突然の申し出に、ぼくの態度は煮えきらなかった。

   山口夫妻は食い下がってくる。
   すばらしい音楽家だ、と熱く訴える。

   何度か電話をもらううち、彼らは書籍のプロモーションが本業で、
   押し売りなどではないことがわかってきた。

   知人から紹介されたチェコ人チェリストの音楽と人柄に惹かれ、
   ボランティアで協力しているだけ。

   コチが病院や福祉施設でチャリティコンサートを開けるよう、
   交通費から何からすべて持ち出しで奔走し、通訳やアテンドも引き受けているらしい。

   山口夫妻をこんなにも魅了したチェロを、ぼくも聴いてみたいと思った。

   コンサートの日がやってきた。

   ヴラダン・コチは40代なのに少年のような顔をしていた。

   吹き抜けになっている病院のロビー。

   ふっと一瞬、天を仰ぐと、彼は弦に弓をあてた。

   初めの一音を聴いたとたん、ああ、すごいと思った。

   澄んでいる。
   音があたたかい。
   力強く、重く、それでいて、やわらかい。

   不思議なチェロだった。

   コンサートは大成功だった。

   これほどの技量をもった男が、なぜボランティアでコンサートをしているのだろう。
   不思議に思いながらも、豊かなチェロの音色に、ぼくの心はわしづかみにされていた。

   1年ほどして、また山口夫妻から電話をいただいた。
   今度は二つ返事で承諾した。

   そのころ、病院の緩和ケア病棟に、がんの末期を迎えた51歳の女性が入院していた。
   彼女は、蓼科の森のなかで小さなフランス料理店を営んでいた。
   お店ではいつもクラシック音楽を流していたという。

   ロビーでホスピタルコンサートの話をすると、彼女はその日を楽しみに待った。
   しかし、彼女のがんは体じゅうに広がった。
   日に日に衰弱していった。

   コチの二度目のコンサートの日、ロビーに下りていく体力は残されていなかった。

   どうしても彼女にコチのチェロを聴かせてあげたい、とぼくは思った。
   病院の二階にある緩和ケア病棟の、彼女がいる奥の部屋まで音が届くように、
   ドアをすべて開け放った。

   コンサートがはじまる1時間ほど前、
   ロビーでピアニストと音合わせをしていたコチに、彼女のことを話した。

   「二階の病室で、あなたの音楽を聴いている人がいる。
   そのつもりで弾いてあげてください」

   すると、コチの目の色が変わった。
   即座にチェロを手にすると、彼女の部屋へ案内してほしいと言う。

   「私は音楽を欲している人のために、音楽を届けにやって来ました。
   その患者さんのところで弾かせてください」

   病室に入ると、コチは柔和な笑みを浮かべて、彼女の手を握った。
   
   そして、チェロを奏ではじめた。

   言葉はいらなかった。


   バッハの『無伴奏チェロ組曲』に続いて、『浜辺の歌』が静かにはじまった。

   まさか日本の歌を弾いてくれるとは思わなかったのだろう。
   彼女の目に涙があふれてきた。

   心にしみいるチェロの調べに浸りながら、自分の人生を振り返っているように見えた。


   演奏が終わると、コチは彼女にハグをして病室を出た。
   二人とも、いい笑顔を浮かべていた。

   彼女は、かたわらにいたご主人に「ありがとう」と言った。
   すべてを受容したのだと思う。

   がんが末期であることも、自分の命がつきようとしていることも。

   そして、がんが見つかってからの半年、
   世話をしてくれたご主人に「さようなら」を伝えた。

   それから、横にいたぼくの手を握った。

   「ありがとう。幸せです」

   命がつきようとしていることを自覚してなお、この女性は幸せだと言う。

   遠い異国からやって来た男の音楽が、病室の空気をあたたかく包み、
   一人の人間を「受容」へと導いたのである。

   すごい音楽家だと思った。

        <『空気は読まない』集英社 >

             ・・・

マザーテレサは、「死を待つ人の家」を開設し、行き倒れの人や、
道端で倒れている瀕死の病人を見つけると、ここに連れてきた。

マザーは、「たとえ、人生の99%が不幸であったとしても、最後の1%が幸せならば、
その人の人生は幸せなものに変わる」と語り、
最後の瞬間を安らいだ気持ちで過ごしてもらうよう手厚く介護した。

そして、ほとんどの人が、息を引き取るとき、「ありがとう」と言って亡くなったそうだ。


最後に、「ありがとう」と言ってあの世に旅立てる人は幸せだ。

途中がどうであれ、この世を離れるとき、よい波動だけを残していけるからだ。


これは毎晩、寝る前も同じ。

日中どんなに嫌なことがあったとしても、
寝る前は「ありがとう、幸せです」と感謝の言葉で眠りにつく。


「ありがとう」の言葉は偉大だ。

           <感謝合掌 平成27年3月9日 頓首再拝> 

【意識のステージを上げるには】 (676)
日時:2015年03月17日 (火) 03時28分
名前:伝統

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年3月11日)」より

   (佐藤伝氏の心に響く言葉より…)

   私はカレーが大好きで、ランチにはよくスープカレーを食べます。
   その日は、仕事で訪れた慣れない街で、美味しそうなカレー屋を見つけて飛び込みました。


   さて、ランチタイムのカレーセットを頼んで待っていると…
   待てども待てどもカレーがきません。

   明らかに私よりも後から注文した人たちがすでに食べ始めているのに、
   私の席にはカレーが運ばれてきません。

   それどころか、食後に出てくるはずのコーヒーが運ばれてきてしまいました。


   腹ぺこで、一刻も早くカレーにありつきたい気持ちをちょっとなだめて、
   私はこう自問自答してみました。

   「なんでだ? どういうことだろう。
   しばらくこの店にとどまっていたほうがいいということだろうか?」

   考えているうちに、ランチタイムは終了した様子です。

   ここで、はじめて私はウエイトレスさんに聞いてみました。


   「あの、私のカレーは? 」

   「キャーッ! すみませ〜ん!!」

   私が黙ってずっと待っていたことに気づいたウエイトレスさんは、
   平身低頭で、すぐにオーナーを連れてきました。


   「誠に申し訳ありません。いまからすぐにつくらせていただいてもいいですか? 」

   「もちろんです。お願いします」

   こうして、私だけのために新たにカレーをつくってくれました。


   その間、オーナーといろいろおしゃべしていると、
   オーナーの親友という人も現れました。

   こうして3人で話しているうちに、そこからビジネスにつながる話が生まれたのです。

   「そうか、こういうチャンスをいただくために、カレーが出てこなかったんだな。
   ありがたいな。僕の分を忘れたウエイトレスさんに感謝だなあ…」


   昔の私なら、間違いなく途中で怒鳴っていたでしょう。

   「なにやってんだよ。俺のカレーはいつになったら出てくるんだよ!」

   「だいたいコーヒーは、食後っていったじゃないか!」

   こうした怒りの波動で接していたら、ウエイトレスさんは、
   たしかに急いでカレーを持ってきたかもしれませんが、それでおしまい。

   ビジネスの話など、いいことは起きません。


   なぜなら、完璧なる宇宙のシナリオを、
   怒りの波動(ノイズ)でもって自ら乱して書き換えてしまっているのですから。

   宇宙のシナリオを信じられれば、本来、起きることはすべて楽しいことだと
   わかるので、いちいち怒らないですみます。

   一見いやなことが起きているようでも、
   それは、じつは楽しい結果をもたらすためのことだとわかっているからです。


   嬉しいことに感謝するのは当たり前ですが、いやなこと、困ったことにも
   感謝できるようになると、意識のステージが格段に上がります。

   しかし、そうわかっていても、なかなかいやなことには感謝できません。


   しかし、そこで、いつまでも怒りの気持ちに引きずられずに、

   「なんでだ? なにか意味があるはずだぞ? 」

   「なぜなの? この出来事の意味はなにかしら? 」

   と思うことでワンクッション置くことができます。


   私たちが行きつきたいのは、どんなことにでも感謝できる自分です。

   起こった事象がなんであれ、結果的に大感謝・大満足の境地にいければいいわけです。

   そこに持っていくためのワンクッションとして、意味を考える時間が必要なのです。

   このタイムラグがないと、マイナス感情が即、マイナス行動に直結してしまい、
   後悔と苦労の多い人生を歩むことになってしまいます。

        <『「感謝の習慣」で人生はすべてうまくいく!』PHP文庫>

               ・・・

嫌なことや困ったことが起きたとき、
多くの人は、怒ったり、嘆いたり、落ち込んだりしてしまう。

しかし、時間がたってみるとわかるが、
案外それは自分にとっての学びだったり、そのことがあったから自分が成長できた、
など良い面もあることに気づく。


物事の「見方」はとても大事だ。

そこに、良いところや明るい面を見るか、悪いところや暗い面をみるか。


良い面を見るため必要な言葉が、「きっと、なにか意味があるはず? 」。

この世に起こるすべてのことに何か意味がある、と思うなら、
すべてのことは勉強となり、自分を高める「磨(みが)き砂」となる。

カーッとなって怒ってしまっては、人格はいつまでたっても向上しない。


「意識のステージを上げるには」

すべてのことに意味があると思い、感謝の気持ちで生きていきたい。


            <感謝合掌 平成27年3月17日 頓首再拝>

自分自身に感謝すること (776)
日時:2015年03月27日 (金) 04時40分
名前:伝統


          *「如意自在の生活365章」(P198)より

神に感謝し、周囲の一切の事物に、周囲のすべての人々に感謝するだけではなく、
自分自身に感謝することを忘れてはならないのである。

なぜならあなたの生命はあなたが造ったものではなく、
神から与えられた生命であり、神の生命の延長であるからである。

次のように念ずるがよい。

  ”われはわが生命(いのち)を讃えん
   汝は神より来たりて
   われに宿れる潔(きよ)き尊き神の生命(いのち)なり

   常にすこやかに
   常に強くたくましく

   いかなる困難にも挫折することなく
   いかなる試練にもよく耐え忍び

   神から与えられたる
   尊き使命を果たすなり
   われ汝を称め讃え、感謝し奉る”


            <感謝合掌 平成27年3月27日 頓首再拝>



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