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光明掲示板・伝統・第一

 

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利他 (48)
日時:2015年01月21日 (水) 03時55分
名前:伝統

*光明掲示板・第三「利他 (109)」からの継続です。
 → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=50

・・・


《”明るい表情”を与えている者は幸福の種を播いているのである》

           *「女は愛の太陽だ」(P106)より

「与えよ、さらば与えられん」といっても、
自分は何ひとつ、人に与えるような物をもっていません。
私は貧しいのですからという人があるかもしれない。

しかし誰にでも人に与え得る何かを持っているのである。

あなたは顔を持っているに違いない。

その顔に”明るい微笑”を浮かべて人々に好感を与えることは、無一文でもできるのである。

不快な暗黒な表情 ―― その人の顔を見ておれば暗くなるような表情 ―― を与える
ならば、人を不快にし、人に不幸を与えていることになるのである。

「与えたものを、与え返される」という法則によるならば、
人々に”明るい微笑”を与えて人々に「幸福感」を与えている者には、
自分に「幸福」が与え返されて来るし、

暗い表情をして常に人に「不快」感を与えている者には
「不快」が与え返されるようになるのである。
                             
自分が人に与えた同種のものが自分に与え返されてくる
―― これが運命開拓の秘密なのである。


<関連Web:光明掲示板第二「利他 (10598)」。
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2033

              <感謝合掌 平成27年1月21日 頓首再拝>

精神(心)の成長とは、「利他心」の成長 (147)
日時:2015年02月01日 (日) 04時33分
名前:伝統

    *「この世にダメな人間なんて一人もいない!!」野田将晴・著(P119〜121)より

人は皆、心の中に利己心と利他心を持っています。
どんな聖人君子でも同じです。

違うのは、心の中で「利己心」と「利他心」がぶつかった時に、
どちらを優先させることができるかという一点なのです。

「利己心」が常に優先する人は、結局、誰からも相手にされなくなって
惨めな人生を送ることになります。

反対に「利他心」を優先させることができる人は、
人々から尊敬される生き甲斐にあふれる人生を歩むことができます。

ですから、人生の修養というのは、「利他心」が「利己心」を打ち負かす練習なのです。
つまり、人間にとっての精神(心)の成長とは「利他心」の成長のことだというわけです。

「利己心」ばかり表に出る人は、何歳になっても心はまだ子供のままだということになります。

「利他心」は、権利意識からは育ちません。むしろ「利己心」を増大させるだけです。
「権利」ではなく、「義務」を果すという意識から「利他心」は育ちます。
権利の主張からは心の成長は無いということです。


人は、修養を積んで「利他心」が「利己心」に打ち勝つ回数が増えていったら
どうなるかというと、喜びと生き甲斐が得られるのです。

結局、人間は「利己心」だけでは本当の心の満足は得られないのです。
人間の役に立った、世の中の役に立ったという実感こそ、実は「本当の幸せ感」なのです。

日本人は、古くからそのことを知っていました。
だから「働く」という言葉の語源は「傍楽(はたらく)」であり、
「傍」つまり周りの人々を「楽」つまり幸せにすることが「働く」意味だったのです。

              <感謝合掌 平成27年2月1日 頓首再拝>

【誰かのために】 (283)
日時:2015年02月12日 (木) 04時01分
名前:伝統

          *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年2月9日)」より

   (木下晴弘氏の心に響く言葉より…)

   私がいつもお世話になっている野田塾という塾が名古屋にあります。
   その塾では学習の成果を測るため、定期的にテストをしています。

   その塾のある先生はテストが近づいてくると、いつも生徒たちに
   「みんな、テストでいい点を取りたいか?」と尋ねます。

   「取りたい」と答えると、「何で? 」と尋ねます。

   生徒は「うれしいから」と答えます。

   「誰がうれしいの? 」と聞くと、必ず「自分が」と言うそうです。

   さらに「自分だけ? 」と聞くと、「うーん、お母さんかな」と。

   これも必ず同じ答えになります。「お父さん」という声も上がりますが、
   だいたいここまでは、みなパターン通りに答えが決まっています。

   そして、さらに聞くのです。

   「それだけ? 」

   「学校の先生」

   この時、その先生は自分を指して「まだいるよ」と言うと、
   「あっ、○○先生」と言ってくれるのだそうです。

   すると先生は、ありがとうと言って握手を求めるのです。

   「ということは、君たちがよい点を取ると、周りの人を幸せにできるということだね。
   おうちの人、クラスの仲間、近所の人もそうかな。すごいとほめられるかな。
   お小遣いも上がるかな。みんながんばって周りの人を幸せにしていこう」


   これだけで彼らは素直にやる気を出してくれるそうです。

   自分ががんばって誰かが喜ぶなら、こんな良いことはないし、
   その喜ぶ姿を見れば二重にうれしくなります。

   欲が出るのだと思います。
   そんな欲ならいくらでも出してほしいと思います。


   仕事だって同じです。
   似たような質問を自分に投げかけてみてください。

   「あなたは仕事をしたいですか? したいですよね。なぜですか? 」

   「いい仕事ができたらうれしいからです」

   「誰がうれしいのですか? 」

   「自分がうれしいですよね」

   「ほかには? 」

   「お客さんかな」

   「ほかには? 」

   「上司も喜んでくれるし、家族も喜んでくれるでしょう」

   「そうやっていっぱいの人を幸せにできるあなたは、すごく幸せですね」

   そう思いませんか。

            <『涙の数だけ大きくなれる!』フォレスト出版>

              ・・・

自分のための頑張りは、たかが知れている。

しかし、ひとたび「誰かのために」と、思った瞬間から、その頑張りはとてつもないものになる。

「家族のため」、「好きな人のため」、「親のため」、「子どものため」、という
「誰か」を意識したとき、スイッチが入る。


あの東北大震災から4か月後の7月、ドイツで行われたサッカーの女子ワールドカップで、
日本代表「なでしこ」は優勝した。

被災地のビデオを見て涙し、東北で苦しんでいる「誰かのために」と頑張ろう誓い合った。


そして、澤選手はこう語った。

「私たちが勝つことにより、何かを失った人、誰かを失った人、怪我をした人、傷ついた人、
彼らの気持ちが一瞬でも楽になってくれたら、私達は真に特別な事を成し遂げた事になるのです。

こんな辛い時期だからこそ、みんなに少しでも元気や喜びを与える事が出来たら、
それこそが我々の成功となります。

日本は東北大震災の困難に立ち向かい、多くの人々の生活は困窮しております。

私たちは、その災害の事実を変えることは出来ないものの、日本は今復興を頑張っているのだから、
そんな日本の代表として、復興を決して諦めない気持ちをプレイで見せたかったのです」


「誰かのために」と思える人は強い。

誰かに喜んでもらうため、日々頑張れる人は幸せだ。

              <感謝合掌 平成27年2月12日 頓首再拝>

お役に立つことが嬉しいし、生き甲斐になる (410)
日時:2015年02月22日 (日) 04時13分
名前:伝統

  *「この世にダメな人間なんて一人もいない!!」野田将晴・著(P121〜123)より


人様のためにお役に立てれば、自分が一番嬉しいし生き甲斐を与えられるのですから、
決して「見返り」を求めたり、期待してはいけません。

見返りを求めたり、期待しての行為だったら、それは「利他心」からの行動ではなく、
「利己心」からの行為になってしまいます。

これだけしてやったのだから「これくらいの謝礼があってもいいだろう」とか、
御礼のひとつぐらい言ってもらってもいいだろう」とか思う心が、見返りを求める心です。

それは御礼が欲しい、お礼を言ってもらって良い気持ちになりたいという「利己心」の
表れなのです。ですから見返りがないと言って、恨んだり悪口を言っては何にもなりません。

中には「お礼の一つも言わない」と言って喧嘩する人もいますが、
折角その人のためにしたことが逆に悪い結果になるのですから、
こういうのを愚の骨頂と言うのです。

お礼など言われなくとも自分が一番嬉しい思いをさせていただいたのですから、
そのことに感謝できるように心掛けたいものですね。

(中略)

人は「幸せになるために生まれてきて、幸せになるために生きていく」のだと思うのですが、
幸せになるということは、結局「世のため人のためにお役立って、人格を高めること」
だったのです。

「利他心」に生きることが、人がこの世に生を受けた意味であり、人生の意義なのです。

              <感謝合掌 平成27年2月22日 頓首再拝>

【与える人】 (548)
日時:2015年03月05日 (木) 06時02分
名前:伝統


          *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年09月07日)」より

   (致知出版社、藤尾秀昭氏の心に響く言葉より )

   自己維新するために大事なことは「与える人になる」ということです。
   会社が何かしてくれないとかそんなことばっかりいっている人は子供と同じです。

   ケネディという大統領がいいました。

   「国家が自分に何をしてくれるかを問うな。 自分が国に何ができるかを問え」

   これはものすごく大事なことだと思います。

   会社が何かしてくれないという人ばかりいる組織は衰退していくんです。
   自分が所属している組織のために何ができるかと考える集団が発展していく。

   自分の周りの人に何が与えられるか。
   その視点を持つことがすでに維新です。


   ジェームズ・アレンという人の言葉に

   「成功を手に出来ない人たちは、自分の欲望をまったく犠牲にしていない人達です。
   もし成功を願うならばそれ相当の犠牲を払わなくてはいけません。
   大きな成功を願うならばこの上なく大きな犠牲を払わなければいけないのです」

   これは真理だと思います。

   自己犠牲を払うから事はなる。
   自己犠牲も払わないのに事はならない。

   その人の出しきったものがその人に残るものになります。
   手抜きをする人は残らない。

   己から出たものは己に帰る。

   自己犠牲した人はいい意味で自分に帰ってきます。
   
   楽しく自己犠牲して艱難(かんなん)にむかっていく。

   与える人になりたいものです。

           <「歴史創新」…心に残る致知の言葉…
             『月刊致知 2013年10月号』致知出版社>

               ・・・

昨今は、自己犠牲という言葉に反応する人は多い。

自己犠牲は、偽善と捉えているからだ。

しかし、ここでいう自己犠牲は、セルフコントロールの意味。

セルフコントロールとは、自分の欲や感情、あるいは行動を制御すること。


たとえば、ダイエットで考えるなら、「運動せずに、たくさん食べてダイエット!」、
というようなうまい話はないのと同じこと。

ダイエットしたければ、
「運動する」か、運動をしないなら「食べない」の二つに一つしかないからだ。

いずれにしても、強烈なセルフコントロールが必要となる。


何かを買って欲しいと、床の上に寝転んで泣きわめく小さな子供を見かける。

「まわりが何かをしてくれない」、と文句を言う大人もそれと同じ。

欲しい欲しいと欲しがるばかりの人は、セルフコントロールができない人。


その逆に、何かを与えることができるのが大人。

大人はセルフコントロールができる。


欲しがる人ではなく、与える人でありたい。

              <感謝合掌 平成27年3月5日 頓首再拝>

【誰かのために力を尽くすこと】 (648)
日時:2015年03月14日 (土) 04時36分
名前:伝統


          *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年2月27日)」より

   (キース・キャメロン・スミス氏の心に響く言葉より…)

   不満を抱える人は決まってネガティブなエネルギーに満ちている。
   やたらと批判がましく、己のエゴと他人の意見に振り回されてへとへとになり、
   何をする元気も残っていない。

   成功する人はこうしたこととは無縁に過ごし、さらに一歩進んで、
   成功条件のひとつ…自分以外の誰かのために力を尽くすこと…を進んで実践する。


   米国の著名な自己啓発家ジグ・ジグラーの言葉を引こう。

   「人の望みを叶えるために十分力を尽くせば、不思議と自分の望みも何でも叶うものだ」


   成功する人はもともと人の役に立ちたいという欲求がある。
   そして、心から望んで誰かのために力を発揮しているとき、
   自分は正しい行いをしていると感じるのである。

   頭で考えて打算的に、自分の望みを叶えることだけを目当てに頑張ってみたところで、
   何もしないよりはましかもしれないが、それでは人に尽くす喜びが失われてしまう。


   心から人のために働くことで生まれる喜びは、自分が抱くどんな望みよりも尊いものだ。

   心のなかから湧きだす、人の役に立ちたいという思いは、
   成功の代償というよりはむしろ喜びであり、特別な恩恵なのである。

   望みを叶えられずに不満を抱く人は、知識が足りず、自尊心が低く、
   人のために何かをしようという思いやりに欠けている。

   だから、知識を増やし、批判などどこ吹く風、心から人のために尽くそう。

   そうすれば、あなたの望みはきっと叶う。

          <『十の分かれ道』アルファポリス>

             ・・・

自己中心的な人ほど、自分のことは棚にあげて、人のことをよく批判する。
わがままで、自分勝手で、自分はいつも正しいと思っているからだ。
そして、自分だけ楽しめばいい、喜べばいい、と思っている。


西田文郎氏は、「世の中は、他人を喜ばした人が勝つ仕組みになっている」と語る。

それを「他喜力」という。

まさに、商売とは「他喜力」そのものだ。
誰かを喜ばせようとするからこそ、そこに様々なアイデアが生まれてくる。


「誰かのために力を尽くすこと」は、誰かを喜ばすこと。

どんなときも、人を喜ばすことを真剣に考える人でありたい。

              <感謝合掌 平成27年3月14日 頓首再拝>

利他の人は栄える (744)
日時:2015年03月24日 (火) 04時17分
名前:伝統

        *「幸福を招く365章」(P21)より

人生問題を解決する鍵は「自分」の幸福というものに執着していた心を解放して、
「全体」の幸福ということに心を向けかえるところにあるのである。

利己から利他へ振向いたとき、われわれは狭い世界から、広々とした世界へ歩み出る。

人類全体に、(少なくとも隣人に)奉仕するのが本当の生活であるとわかったとき、
個人的利益に執着していた自分が馬鹿らしくなり、恥ずかしくなる。

そして、人のため人のためと、他(た)のためにつくしていると、
不思議に自分自身が、かえって生かされている事実を発見して驚くのである。

わが事のためでなくて尽している人は却(かえ)って栄えるのである。

              <感謝合掌 平成27年3月24日 頓首再拝>



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