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光明掲示板・伝統・第一

 

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親への感謝・親孝行 (14)
日時:2015年01月17日 (土) 04時40分
名前:伝統

*光明掲示板・第三「親への感謝・親孝行」からの継続です。
 → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=51

・・・

《生命の根元に深く根をおろして》

           *「女は愛の太陽だ」(P183〜184)より

神は大地に譬えることが出来る。
そこにはどんな生命をも生み出す根元があり、要素があり、養分があるのである。
それにつながるものが”根”である。

根は吾々の祖先である。
祖先を大切にして、生命の根を充分発達せしめたら、
あなたの現象界の運命も栄えてくるのである。

(中略)

父母は幹である。祖先の根を通して幹がさかえる。
幹を大切にすることによって、枝葉が栄える。

人間の生命の幹は父母であるから
父母に感謝し、父母を大切にすることなくして
枝葉の子孫が栄えることはあり得ないのである。

・・・

<関連Web>

(1)「光明掲示板・第一」〜「親への感謝、親孝行」
    →  http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=77     

(2)「光明掲示板・第ニ」〜「親への感謝・親孝行 )」
    →  http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=15    


           <感謝合掌 平成27年1月17日 頓首再拝>

親の恩に感謝することが親孝行の始まり (118)
日時:2015年01月28日 (水) 04時05分
名前:伝統

    *「この世にダメな人間なんて一人もいない!!」野田将晴・著(P57〜60)より

海より深い親の恩に感謝することが親孝行の始まりです。

親の愛が無条件の愛ですから、
子の親への感謝もまた「無条件の感謝」でなければなりません。

こうあってくれればとか、こうしてくれれば感謝するのに、
などと条件をつけるのは親孝行ではありません。

もう一度、言います。

親の愛が無条件の愛ですから、
子の親への感謝も無条件でなければならないのです。


《健康で幸せな人生を送ることこそ親孝行》

「親に先立つ」こと、ケガや病気をなること、
人を傷つけたり悲しませたり、迷惑をかけたりしてはいけません。

そのことを最も悲しまれるのはご両親なのです。


《先祖が喜ばれる生き方をすることが親孝行》

それは先祖が安心し、さらには誇りに思ってくださるような生き方のことです。
世のため人のために役に立つ人間になることほど、
ご先祖が誇りに思ってくださることはありません。

先祖が望まれ喜ばれることは、両親が喜ばれることでもあるのは
言うまでもありません。


《子孫を残すこと》

結婚して子孫を残すことも大事な親孝行です。
永遠の過去から受け継いだ命を、今度はあなたが永遠の未来へと
命のバトン・リレーをつないでいくことです。

あなたが子孫を残すということは「今」を走る走者としての役割を果すということです。
奇跡的確率でつながってきた命をあなたの代で途絶えさせては、
ご先祖様に余りにも申し訳がないことです。

可愛い孫の顔をご両親に見せてあげることほど親孝行はありません。


《まとめ》

親孝行は、日本だけではなく、世界中どこの国でも道徳の基本です。
そして親孝行は、現代だけではなく、過去も未来も変わらない最高の道徳なのです。

それは「宇宙の真理」だと言っても過言ではありません。

           <感謝合掌 平成27年1月28日 頓首再拝>

親不孝論から親孝行へ (273)
日時:2015年02月11日 (水) 04時07分
名前:伝統

            *「第二青年の書」より

《人間の父母在(いま)さなかったら》

さて、父母の行為の決して醜悪なものでないということが理解できたならば、
父母の性行為が若し無かったならば、その子達は生まれなかったということであります。

悩んでいる青少年たちのうちには、「父母の性行為がなかったならば、私はこのように
生存競争や相互闘争の苦悩憂怖の充ち満ちている人生に生まれ出ないんで済んだであろうに。
そうしたら自分というものは本来無くて、綺麗さっぱりしていただろう」などと
考える人たちもあるかも知れませんが、決してそうではないのであります。

諸君の本質は単なる物質の塊ではなく神の生命の「自己顕現」でありますから、
しかも神の生命は「創造」即ち「自己顕現」を本質としますから、
諸君は何らかの生物に自己顕現しているより仕方がなかったのであります

。乃(すなわ)ち人間の父母がないとしたならば、もっと低い階級の生物の陰陽の結合を通して、
もっと低い階級の生物に、たとえば豚とか蚯蚓(みみず)とかに自己顕現していなければ
ならないのであります。

諸君は、若し人間の父母がいまさずして、自分が豚や蚯蚓に生まれていたときの惨めさを
考えてみましたならば、人間の父母ましまして夫婦のいとなみを爲(し)て下さった事に對して、
嫌悪の情を掻き立てたりするどころか、「よくぞ人間にお生み下さいました。」と
感謝しなければならないのであります。


《神の最高顕現としての自然感情》

考えてみますに、神の生命の「自己顕現」にもアミーバのように単細胞の動物から
人間に至るまで無数の段階があるのでありますが、人間に於いては神の最高の自己顕現として、
神の徳性と創造の完成者として、最高の倫理性を発揮すると共に、

芸術による美の創造から科学的発明による新原素や新遊星の創造に至るまで、
無限の能力を発揮することが出来るところの崇高なる存在として生まれ得た
其の滅多に遭いがたき好運にめぐまれたのも、

人間の父母あればこそであることを考えますならば、自然の父母に對する愛情を抑圧する
何のコンプレックスも消えてしまい、親に自然に感謝でき、親を自然に愛することができ、
自然に、親を悦ばしてあげたくなり、親に自然に親孝行ができるようになるのであります。

どこまでも親孝行は、義務とか強制とかいうものではなく、子が親を慕うところの
小鳥や獣にもある自然感情の発露でありまして、その自然感情を抑圧するコンプレックスを
排除さえすれば、その自然感情は復活して自然に親孝行ができて来るのでありまして、

私が長々と親孝行論をしたためたのも、
「親孝行はせざるべからず」という理論をのべるためではなく、
親孝行の自然発露を妨げていたコンプレックスを破壊せんがためだったのであります。

           <感謝合掌 平成27年2月11日 頓首再拝>

あなたが両親を選んだ (411)
日時:2015年02月22日 (日) 04時20分
名前:伝統

        *「生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える」
                   飯田史彦・著(P284〜288)より


人と人のあいだの問題は、両方の問題であり、
片方だけががまんして済ませるべきものではありません。

しかし、ほかの人間関係とは違って、親と子のあいだの問題については、
親の方があなたを選んだのではなく、あなたの方がその親を自分の意志で選んだのです。

今度あなたが死の瞬間を迎えたあと、その理由がすべて明らかになるでしょう。
自分がどうしてその両親を選んだのか、その両親を選ぶことにより、自分は自分に
どのような成長を求めたのか、ぜひとも考えてみてください。

そこには、かならず、大きな理由があるはずです。

そして、「しばらく両親と話をしていないなあ」という方、さっそく、ひさしぶりに電話を
かけてあげてください。あなたが今回の人生を終えた時、人生の転機となったその電話の
ことを、しみじみと思い出すことになるでしょう。

「しばらく両親に顔を見せてないわ」という方、今度の長期休暇では、
「交通費がもったいない」などといかにも物質界の悩みにとらわれていないで、
ふるさとに帰ってみてはいかがですか?

なにしろ、この世に命を与えてくれた両親たちと、
あとどのくらいこの世でともに過ごすことができるのか、わからないのです。

あの世でふたたび出会った時、たがいに懐かしく思い出を語り合えるよう、
今この世にいるうちに、両親を精一杯喜ばせてあげてください。

あなたが両親に対する姿を、あなたの子供たちが、じっと見て学んでいるのです。

           <感謝合掌 平成27年2月22日 頓首再拝>

千代大海の親孝行を考察する (549)
日時:2015年03月05日 (木) 06時05分
名前:伝統

         *「人の上に立つ人になれ―じぶんの『生き筋』が見える人は強い!」
           渡部昇一、三笠書房、(P150)より

テレビや新聞の報道によると、
千代大海は角界に入る前のまだ少年時代、相当なワルだったという。
頭に剃り込みを入れ、暴走族にも入っていたようだし、ケンカもしょっちゅうやっていたという。

そんな少年が角界という厳しい世界に身を投じ、あれよあれよという間に大関にまで上りつめた時、
かれは、マスコミの質問に答えて「とにかく、親孝行がしたかった」という言葉をもらしている。
その一心で頑張ってきたというのである。

親孝行などという言葉は、ほとんど死語に近くなっているのではないかとさえ思える昨今である。
そんな言葉がマスコミを通じて流れてくるなど、思いもしなかった。
だからこそ、千代大海の言葉はある意味では新鮮にさえ聞こえたのである。

(中略)

では、親孝行とはいったい何なのだろうか。

出世することなのか、あるいは大きな手柄を立てることなのか。
もちろん、それらは結果的には親孝行になるだろう。千代大海を見るまでもない。
いや、もっともっと親孝行な人は世の中にいっぱいいる。

だが、成功や手柄、出世という観念を最初から頭に描いていると、
親孝行というのがとてつもなく遠くて、しち面倒なことのように思えてしまう。

親孝行とはそういう大げさなものではない。
もっと単純で、簡単なものだ。

一言でいえば、「親を喜ばせたい」ということである。

これは、人間としてはいたく当然で、自然な感情である。
千代大海が考えていた親孝行も、この単純な「親を喜ばせたい」
という一心だけだったのではないだろうか。

このことは、ハマトン(イギリスの画家・著述家。著書に『知的生活』〔渡部訳・三笠書房刊〕
などがある)の観察からもいえることだ。ハマトンはフランスの非常に貧しい羊飼いの生活に
ついて観察し、彼らの間で見られる一つの傾向について指摘している。

ハマトンによれば、貧乏な家庭では、親の権威が高くなる傾向があるという。

どうしてそのようになるのか。
非常に貧乏な家は、当然、毎日の食事にも事欠く生活をしている。

食べるのにも困るような状況では、親が働いて得たものは、食べ物だろうが何だろうが、
すべてみんなで分け合わなければ生きていけない。そうすると当然のことながら、
親の存在が非常に大切になってくる。こうして自然に親の権威が高まるというのだ。

私もそう思う。貧しい状況の中で育った子供たちというのは、
親のありがたみを骨身にしみて知っているから、いつか親にも腹いっぱい食べさせてやりたい、
と考えるのだ。

「いつか親を楽にさせてやりたい」「楽にさせて喜ばせてやりたい」――こういった感情が
生じるのは、ある意味では当然の成り行きではないだろうか。

           <感謝合掌 平成27年3月5日 頓首再拝>

親孝行は自然の感情 (650)
日時:2015年03月14日 (土) 04時41分
名前:伝統

         *「女性の幸福365章」(P375)より

子が親の言うことをきくのは「屈従」を強いられて従うのではない。

子が親の言うことをききたくなるのは、子が親を愛しているからである。
愛している人の言うことなら、何でもそのようにしてあげたいのが
人間の素直な自然の感情である。

恋愛している場合でもそうである。

その「自然な感情」を「屈従」という言葉の力によって破壊してしまうのが
”赤い人”の物の考え方である。

素直な自然な親孝行の感情が、「屈従」という「言葉の手品」で一蹴される。
子供はその自然の愛情をとじさせられて、愛情のやり場がないので破壊的な感情を
爆発させたり、歪んだ方向に愛情を満足させて堕落の淵に沈むのである。

生長の家の練成道場に来て親孝行の感情を復活させた少年が、家に帰って
「お父さん、お母さん、有難うございます」と言い得たときに、
「人生が見ちがえるように明るくなりました」と悦ぶ姿を見ると、

親に孝行したい感情というものは、
本来自然に子供には備わっているものでありことが判るのである。


           <感謝合掌 平成27年3月14日 頓首再拝>

「贈ることば」(父の十箇条) (712)
日時:2015年03月21日 (土) 04時00分
名前:伝統

この時期、卒業式の話題が賑わっています。


卒業式、いろいろな思い出を胸に学び舎と、さよならして巣立っていきます。

贈ることばも様々だが、なつかしい思い出語りだけではなく、
今後の生き方に少しでもプラスになるようなメッセージを添えられております。


民俗学者宮本常一は瀬戸内海に浮かぶ大島に生まれ育ちました。

17歳で島を出て大阪へ旅立つ常一に、父はこんなことばを贈っている。

「自分には金が十分にないから思うように勉強させることができぬ。
 そこで三十まではお前の意志通りにさせる。私も勘当した気でいる。

 しかし三十になったら親のあることを思え。
 また困った時や病気の時はいつでも親の所へ戻って来い。
 いつも待っている。」

心打たれるやさしさに満ちた門出のことばです。

               ・・・

《父の十箇条》

      *メルマガ「ことだまプレミアム(2012年09月25日)」より


今日のことだまメッセージは宮本常一の言葉をご紹介します。
宮本常一は民俗学者ですがことだまを研究する時にとても
参考にさせていただいている方の一人です。

宮本常一の山口・周防大島の出身です。
全国を歩きながらから日本の文化、民俗を蒐集し紹介してきた方です。

その宮本常一が故郷を出て大阪に行くときに
父親の善十郎から言われた10個の言葉がありとても参考になります。


(1)汽車へ乗ったら窓から外をよく見よ、
   田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、
   村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、
   そういうこともよく見ることだ。

   駅へついたら人の乗りおりに注意せよ、
   そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。
   また、駅の荷置場にどういう荷がおかれているかをよく見よ。

   そういうことでその土地が富んでいるかま貧しいか、
   よく働いているところかそうでないところかよくわかる。


(2)村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上ってみよ、
   そして方向を知り、目立つものを見よ。

   峠の上で村を見おろすようなことがあったら、
   お宮の森やお寺や目につくものをまず見、
   家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、

   そして山の上で目をひいたものがあったら、
   そこへはかならずいって見ることだ。
   高いところでよく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない。


(3)金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。
   その土地の暮らしの高さがわかるものだ。


(4)時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。
   いろいろのことを教えられる。


(5)金というものはもうけることはそんなにむずかしくない。
   しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。


(6)私はおまえを思うように勉強させてやることができない。
   だからおまえには何も注文しない。
   すきなようにやってくれ。

   しかし身体は大切にせよ。
   30歳まではおまえを勘当したつもりでいる。
   しかし30すぎたら親のあることを思い出せ。


(7)ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、
   郷里へ戻ってこい。親はいつでも待っている。


(8)これからさきは子どもが親に孝行する時代ではない。
   親が子に孝行する時代だ。
   そうしないと世の中はよくならぬ。


(9)自分でよいと思ったことはやってみよ。
   それで失敗したからといって、親は責めはしない。


(10)人の見のこしたものを見るようにせよ。
   その中にいつも大事なことがあるはずだ。

   あせることはない。
   自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ。

    (以上、「民俗学の旅」(講談社学術文庫)から引用。 )

           <感謝合掌 平成27年3月21日 頓首再拝>



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