《当時何故日本は、こんなにアメリカに憎まれたのか?》 (175) |
- 日時:2015年02月03日 (火) 17時52分
名前:伝統
《日露戦争後》
*渡部昇一先生の講演「歴史に学ぶ日本の心」より
日本は日露戦争後一流国となったが、アメリカはそれを認めていなかった。
日露戦争後、日本はそれまでロシア権益であった満州の権益を得た1905年に、 アメリカのハルマンは南満州鉄道を一緒にやりたいと申し出てきた。 アメリカは大陸に投資したかったのだ。
当時、イギリス、フランスなどは大陸の良い場所を押さえていたが、アメリカにはなかった。 もし、この申し出を受けて、アメリカと一緒にやっていたなら、第2次世界大戦は違った形に なったかも知れませんが、虫のよい話なので、日本はこの申し出を断った。
そして、アメリカは「日本はアメリカの大陸進出をこばむ邪悪な国」と規定し、 オレンジ計画を1906年に作った。
第1次世界大戦の時に、超重大な事件があった。当時ドイツはどこにも負けなかった。 イギリス・フランスの連合軍はドイツにやられた。同時、日英同盟があったので、 イギリスに日本は兵の出兵を頼まれた。
しかし、日英同盟はアジアの範囲だけの同盟であったので、日本は海軍を貸したが、 ヨーロッパに出兵をしなかった。
しかし、アメリカはイギリスと同盟関係がないにも関わらず、兵を出したのである。 ドイツは負けなかったが世界中を敵に回したので、降参をした。
日本は、勝った側ではあったが、日本の言い分はことごとく退けられた。 イギリス・フランスはアメリカに恩を受けていたので、アメリカの意思に賛同した。
日本は、国際連盟に「皮膚の色で差別されない」という提案を出したが、アメリカに反対された。 そして、アメリカの圧力で日英同盟は解消させられた。 血を流したアメリカの主張にイギリスはなびいた。
そして、絶対的排日移民法という日本人差別の法律がアメリカにできた。 日系米国人でさえ、自分の子供に土地を譲れなくなった。
カリフォルニアの多くの農園は日本人が開拓したのだが、それを子孫に譲れなくなり、 現在も日系人はアメリカに少ない。
日本人は、「何故日本は、こんなにアメリカに憎まれるのか」と思った。 アメリカから見れば、理由はあった。
アメリカは当時人種差別で成り立っていた国であった。 インディアンを退け、黒人を奴隷にしていた。 その時に、白人に勝った有色人種の存在はアメリカの根底・国体(国の形)に合わなかった。
そして、日本はアメリカを満州に入れなかった。 アメリカ人は、人は西に進むとコロンブスのころより考えていたが、 日本はそれを阻んだと考えた。
結果的には、第2次世界大戦で昭和20年8月15日(アメリカでは8月14日)に 日本は敗戦し、アメリカはシナ大陸に進出できるようになった。
<感謝合掌 平成27年2月3日 頓首再拝>
|
|