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唯神實相哲学を学ぶ女性のための掲示板

「生長の家」創始者 谷口雅春先生の説かれた、唯神實相哲学を学ぶ女性のための掲示板です。女性の方のみ投稿可能です。男性の方(女性なりすましも含む)は、閲覧自由ですが投稿はご遠慮下さい。当掲示板管理人は「生長の家本流諸団体」の発展を心より願い応援する者ですが、当掲示板はどの団体とも一切関係ございません。掲示板開設にあたり、どの団体からも一切の援助や、掲示板開設依頼など受けていないことを予め明示させて頂きます。

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[8] 「生長の家」誌昭和52年5月号法語
すずかけ - 2016年02月24日 (水) 10時18分

「生長の家」誌昭和52年5月号法語を謹写します。

わたしも亦、釈尊と同じ信仰に入ろう
              谷口雅春先生


   一日の法語 太初にコトバありコトバは神と偕にあり

宇宙はひとつの霊的磁石的中心をもつ生命の波動の世界であると謂うことができるのである。

星雲は、まだハッキリした太陽系の如き中核体をもたない大生命の波動の幼児期のようなものである。

けれども、それはひとつの霊的磁石的中心をもってはげしく渦巻いているのである。

その渦巻の中心にアイディアをもつ霊的生命が、そのアイディアを放出しつつ、次第にその渦巻をアイディアの形相(かたち)にまで具体化する過程を徐々につくりつつあるのである。


[10] 二日〜四日の法語
すずかけ - 2016年02月25日 (木) 08時26分

   二日の法語 宇宙創造の二つの面

 ついにその霊的生命は単に、単純な渦巻きの形をしているだけではなく、アイディアの形相(かたち)にまで具体化する。所謂る太陽系統の如き具体的組織が生成されるのである。

  
 単なる星雲の如き生命の波動の渦巻きが、太陽系統、の如きものを生成するには二つの作用が行なわれるのである。

 それは“分化”と“統合”の二つである。宇宙創造はこのような二つの原理によって行なわれるのである。


   三日の法語 胎児は母体から分離する――分化が行なわれる

“分化”があるので“形”があらわれるのである。赤ちゃんが形をあらわすのは、“母”の生命から、嬰児の生命が分化するのである。

 もう“母”の中に“胎児”を孕んでいる如き“一体”の状態ではないのである。“胎児”は“母”から分離して別の肉体となり、別の人格を形成しつつあるのである。


   四日の法語 イザナミの神われに宿り給う

 星雲がいつまでもガス状の一個渦巻であって、分化が行なわれなければ、太陽も遊星も創造されることはない。

 分化があるので新しき形相がうまれ、新しき人格が生まれ、創造が行なわれる。それは“イザナミの原理”である。

“原理、”という語と、同様の意味を含む“神“という語で置き換えれば、それはイザナミの神の御はたらきである。それは“母”の原理である。

 イザナミの神“母””に在してわれを産み給うたのだということができるのである。

[11] 五日の法語
すずかけ - 2016年02月26日 (金) 13時45分

   五日の法語 創造とは“漂えるもの”に秩序あらしめること

 しかしイザナミの原理だけでは、ただ分化するだけで、分化されたものが、一定のアイディアによって組織されるということがないのである。   

 海の波を見てもわかるが、それは漂える姿であって、定着すべきアイディアの中枢的統制がないのである。ナミは波であって組織されることなく散ってしまうのである。

だから『古事記』には、
「是(ここ)に天神(あまつかみ)、諸(もろもろ)の命(みこと)以ちて、伊邪那岐命・伊邪那美命二柱の神に詔りたまいつらく、
“是のただよえる国を修理り固め成せ”と、天沼矛を賜いて、言依さし賜いき」
という風に書かれているのである。

「ただよえる」という語が、その次の、これを「つくり固め成せ」という命令に対して用いられていることを考慮に入れて解釈すると、ナミは波であってバラバラに散ってしまう。それらの波動を散り崩(くだ)けないように固めることが必要である。

 これが創造のハタラキである。そのバラバラに分散するナミを分散しないように理念の相(すがた)にまとめて秩序あらしめるのには、どのようにすればよいかとというと、『古事記』の本文は「修理固成」という文字を使っている。

 すなわち、「創造する」ということは、“理”即ちアイディアをもって“修める”ことであると示しているのである。そのとき定形なきナミが一定のアイディアの形に固成されるのである。

「修める」は「治める」に通ずるのであって、修身治国と熟語される語である。理に随って、あるべきものを、あるべきところにあらしめて、秩序あらしめることを「おさめる」というのである。

[12] 六日、七日の法語
すずかけ - 2016年02月26日 (金) 14時54分

   六日の法語 イザナキの大神の理念によって動き出した宇宙

「故(かれ)、二柱の神、天浮橋(あめのうきはし)に立たして、其の沼矛を指し下して画きたまえば、塩こおろこおろに画き鳴して、引き上げたまう時に、其の矛の末より垂(したた)り落つる塩、累(かさな)り積りて嶋と成りき。是(これ)オノコロ嶋なり」(『古事記』天地創造の巻)

 イザナギの大神・イザナミの大神二柱、天の浮橋に立ちたまう。まことに雄大な光景である。

“天”は“天球”すなわち“大宇宙”のことである。「塩こおろこおろに画き鳴して」とは、水(し)火(ほ)(陰陽)の電気を帯びた微粒子の回転旋回する有様を形容したものであるが「画き鳴して」というのはイザナギの大神の心に浮べられたアイディアが音を立てて旋回しつつ、そのアイディアの形をなすよう核融合が行なわれつつある光景である。


   七日の法語 創造神による天地創造はこのようにして行なわれる
 
 天地創造は、このようにして神の生命の波の上にアイディアの波動が音を立てて旋回して行なわれる。アイディアの波動の音をコトバと言うのである。

「はじめに言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき、よろずの物これに由りて成り、成りたるものにして一つとして之に由らで成りたるものなし」とはこの事を述べたのである。

[13] 八日の法語
すずかけ - 2016年03月02日 (水) 10時38分

   八日の法語 各人はそれぞれ自己の創作した“天地”に住む

 創造神による天地創造はこのようにしてコトバによって行なわれたが、“人間の住む天地”は神の創造し給える天地の中に、人間みずからが心に描いた想念(コトバ・アイディア・発想)が、それみずからを具体化してつくられる。
 それゆえに、四十億の人類はそれぞれ個性ある“自己の天地”に住むのである。

 それぞれ個性ある“自己の天地”のうちには極楽世界をあらわしているものもあるが、地獄相をあらわしているものもある。
 それらの差別不同は神が人間に課したものではなく、人間みずからが、自由意志によって創作顕現した世界である。  
 各人は各自の創作した天地に住んでいて、彼らは皆その天地の“主人公”である。


[14] 九日の法語
すずかけ - 2016年03月05日 (土) 13時06分

   九日の法語 自己の想念が錬成で一変すると
              今まで住んでいた世界が地獄から極楽世界に変った

各人はそれぞれの自己の想念が創作した天地に住む実例としてまことに適切な体験を書いて来られたお手紙を頂いたので、その手紙を次に掲げる。原文のままであるが、句読点は編集部でつけて貰った。
『合掌 ありがとうございます。

 総裁先生におかれましては、御健勝にて、日夜神国日本の実相顕現のため御尽力、誠に有難く感謝申し上げます。

 突然手紙など差上げ、先生の貴重なお時間を私などのため浪費申し上げては失礼とは存じ躊躇致しておりましたが、遂こらえ切れずに失礼致しますことおゆるし下さい。

 私は昭和二十七年六月頃でしたが、ノイローゼにかかり、松本市の或る書店で、服部二郎先生著“胃腸病は必ず治る”という本を買い、生長の家を知り、病本来無しの真理を知りました。

 それからすぐに誌友会の存在を知り、青年会にも入り、全国大会には数年続けて参加させて頂きました。当時の青年会の委員長は小路(眼鏡をかけ背の低い方)委員長でした。それから今九州別格本山にいられる良本峯夫さんに変わるまで、私としましては、熱心に青年会に活動したつもりでしたが、まだまだ時期が早や過ぎたのか、み教えから遠のいてしまいましたけれど、完全にみ教えから離れられなく悩み続けておりました。

 しかし、こんな私を神は見捨て給わず、又もノイローゼになり二年間苦しんだあげくの果て、遂に神は私を九州別格本山へ呼んでくれました。昨年11月二十日から12月二十日迄、私は命をかけて錬成させて頂きました。 

 病後の(ノイローゼ治療につかった薬で全身湿疹と二十一日間も熱病にかかった様に寝ていたので足腰がふらふらしていました)体を鍛えるため、進んで献労に参加、一日を真剣に生きました。

 夜寝る時は、もうくたくたで、明日はどうなることか不安でした。しかし一夜明けると、又新しい活力が全身にみなぎり、ほんとうに神の子無限力を理解することが出来ました。よごれた心を清めるため、今まで一度も掃除できなかった錬成員宿舎の中から外を、時間のゆるす限り、(錬成期間中ほんとうに息のつく間もない位いそがしかった)これ清掃につとめました。この事は部長さん並びに部長の奥様が良くご存知です。 

 そして三十日間を有効に過すため、朝の行事、夜の行事も一番前に陣どり、真剣に行じました。けれども神想観は、足がいたくてたまりませんでした。

 三十日間九州別格本山での特訓は、私の人生を三百六十度変えました。今までの性格がまる切り正反対になりました。消極から積極へ、暗黒から光明へと展開しました。人生がバラ色に輝いております。無口陰気が雄弁で快活になりました。

 職場では、今までほこりで汚れていた床を私一人で磨き、ピカピカになり、生まれ替った様になりました。仕事も順調に不可能はないという様な気持ちで、毎日が充実しております。又、私の職場の場合は全逓で、左翼の組合ですが、今までしりごみしていましたが、積極的に行動でみ教えを実行しています。同僚も私の積極性にカブトをとり始めています。

 色々まとまりのない事を書きおゆるし下さい。同封の“しらかば”に、私の体験の一部が載っております。御笑覧くださいませ。(下略)
昭和五十二年2月二十八日
                                           長野県 藤原載吉
生長の家総裁
   谷口雅春先生様』


[16] 十日の法語
すずかけ - 2016年03月06日 (日) 23時56分

   十日の法語 『真理の吟唱』をカセットで夜徹し聴聞して

 以上のお手紙は、長野県南安曇郡梓川村の藤原載吉氏からのものである。「三十日間の特訓」を九州別格本山で受けたというのは、この本山の練成会に参加して“長期錬成”の課程をふむ人のうち最も短い期間の長期錬成がこの三十日間の錬成なのである。

 本山に奉納する費用は僅か三万円だそうである。(普通の練成会は毎月初旬一日から十日までの十日間で終る)

 長野県教化部から出ている『しらかば』紙にはこの藤原載吉氏の体験を「住吉大神が呼んでいる」と題して次のように書いている。

『昨年十一月に、九州別格本山の練成会を一ヶ月間受けて帰られた梓川村の藤原載吉さんより次のような喜びの体験記が寄せられました。

     住吉大神が呼んでいる       梓川村 藤原載吉

        精神科へ入院したが

 藤原さんは昭和四十九年末からノイローゼにかかり、約二年間暗黒の闘病生活を送った。家庭内、職場内が不調和で遂に松本市の城西病院へ入院するはめになった。

 しかし御教えに二十五年前からふれている藤原さんは絶対に生長の家で治す、と決意し、病院を飛び出した。

        カセット『真理の吟唱』で奇蹟が

 夜、床について寝ながら、谷口先生の御朗読のかセットテープ『真理の吟唱』その他をイヤホーンを耳にして一晩中、全身これ耳にして熱心に聞いた。

 すると夜半突然、全身に落雷を受けた様な大きなショックを受け、全身がシビレた様になったと同時に、次の瞬間、心の底から何とも言えない有難いという素晴らしい気持ちが湧き素直に合掌できたのである。

 この時、神癒を受け何物かが私の体から抜けて行った様な感じを受け全身がすっきりした。入信後二十五年目にして初めて合掌でき、真の感謝が出来たのである』



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