「さて、そろそろ行こう……」 と思って七夜の方を向いてみれば、予想に反して、まだ手を合わせて祈りの真っ最中であった。 瞳を閉じ、微動だにすることなく一心不乱に祈り続ける七夜。 その姿は、俺の中にある七夜志貴という人間の人物像とは、遠くかけ離れたものだった。 「……よしっと。待たせたな、志貴」 「やけに真剣に祈ってたな。どんな願いごとをしたんだ?」 「色々とな」 「はっきりしないな。気になるじゃないか」 未だに大勢の人で溢れ返った賽銭箱の方へと目を向ける。 こいつがあそこまで祈る願い事って、一体何だろう? 「せいぜい模索してくれ。さて、次は……っ!?」 「ん?」 何か妙な違和感を感じて、俺は七夜へと目線を戻した。 その視線は、自身の体へと向けられている。 見つめる先を追って、俺も七夜の体を見つめる。 ……だが、別にこれといって異常は見当たらない。 「どうかしたのか?」 「……いや、何でもない」 俺の問いに、何事もなかった風を装って答える七夜。 返答までの不自然な間が、何でもなくないことの何よりの証明だ。 ……嘘の下手な奴。 「何でもないことはないだろう。どうしたんだよ? 何があったのか、話してくれなきゃわからないだろ」 「志貴……」 俺と七夜の眼差しが交差する。 何を言い淀んでいるのか知らないが、何かしらの異常が起きたことは明白だ。 「……七夜。一体何を……」 「志貴〜っ!!」 と、俺の言葉を遮るようにして呼ばれた名前に、俺たちは二人同時にその声のした方を振り返った。 視界に映るのは、こちらへと走り寄ってくる、和装をした一人の女性の姿。 青く短い髪を風になびかせながら、慣れない服装に四苦八苦しながら走るその姿には、健気さを覚えるものがあった。 年齢的には、俺たちと同じくらいに見える。 美人と可愛い子を足して二で割ったような女性と言えば、その雰囲気もある程度は掴めるだろうか。 「はぁ……はぁ……志貴! こんなところで何をしてるんですか!」 その女性は、俺たちのすぐ近くまでくるなり、いきなりそう声を荒げて、七夜の二の腕を掴んだ。 どうやら、彼女の言う志貴とは、七夜の方を指していたようだ。 当然か。 俺は、彼女のことを知らないのだから。 「こんなところでって……前に言った……」 「お正月は私と初詣する約束だったでしょう! なのに、何で私を置いてきぼりにしてこんなとこに来てるんです!?」 「えっ? 七夜、お前この女の人と初詣の約束してたのか?」 「え、い、いや……」 「いいえ! 確かに約束しました! この期に及んで、あの時の約束を白紙に戻すつもりですか!?」 戸惑う七夜に対し、凄まじい剣幕で詰め寄る女の人。 彼女が七夜の恋人であるのは、この状況を見れば一目瞭然だった。 一体いつの間に……いや、それよりも、彼女との約束を放り出して俺と初詣だなんて、こいつは何を考えてるんだ? ……まさか、あっちの趣味とかなんじゃあ……、 「思い出しましたか!? 思い出しましたよね!? それじゃあ、今から私と初詣です! 良いですね!?」 「あ、あぁ……」 ……ないよな、いくらなんでも。 「あ、そうそう、忘れるところでした。明けましておめでとうございます、遠野君」 「え? どうして俺の名前を?」 「……あ、あぁ、彼に聞いてましたから。名前は同じで名字が違う、変わった双子がいるって」 あいつ、そんなこと言ったのか……。 まぁ、この人はそう信じ込んでるみたいだし、別にいいか。 「自己紹介が遅れましたね。私はシエルっていいます」 「シエルさん……ですか」 その名を口にして、胸に覚えたのは、自分でもよく分からない不自然な感じ。 なんだろう……シエル……さん? 初対面なのだから、その名を呼ぶのも初めてのはず。 そのはずなのに……この引っ掛かる感じは一体……? 最近、こんなことは良くある。 既視感にも似た、奇妙な感覚。 ……気にするだけ無駄か。 そう考え直し、俺はとりあえず挨拶を返すことにした。 「初めまして。それから、明けましておめでとうございます。シエルさん」 「え、えぇ……おめでとうございます……」 なんだろう? 何か、声に元気がなかったような……。 「そ、それじゃあ遠野君、彼は私がいただいていきますね」 「あ、はい。七夜、お前もちゃんと相手がいるなら、俺より彼女の方を大事にしてやれよ」 「……あぁ、そうだな」 そう答える七夜の声も、さっきの彼女同様、今一つ張りに欠けていた。 二人揃ってどうしたんだ? 「では、失礼します」 「あ、ちょっと!」 七夜を連れて去ろうとした背中に、俺は反射的に声をかけた。 「……なんでしょう?」 背を向けたまま、立ち止まる彼女。 俺は先ほどから抱いていた奇妙な違和感を解消すべく、その背に疑問を投げ掛けた。 「俺、貴女とどこかで会ってませんか?」 「…………」 彼女は無言だった。 その場に立ち止まったまま、うつ向いて動かない彼女。 ……どうしたんだろう。 「……あの」 「いいえ」 心配になり、声を掛けようとしたのと時を同じくして、彼女は口を開いた。 「きっと人違いでしょう。私、貴方と会うのは、今日が初めてですよ」 微かにこちらを振り返りながら、彼女ははっきりとそう告げた。 ここからでは、髪に隠れてその表情を伺い知ることはできなかった。 なのに、どうしてだか、俺にはその奥にある彼女の心が見えたような気がした。 「……そうですか」 これ以上、俺は彼女と言葉を交わしてはいけない……そんな気がして、俺は自分から会話を切った。 「はい。それでは、私たちはこの辺りで失礼しますね」 「あ、はい。二人とも、良いお年を」 「……遠野君も、どうぞ良いお年を……」 その言葉を最後に、彼女は七夜を連れて人混みの中へと消えていった。 「……」 黙したまま、消え行く二人の背中を見つめる。 そんな俺の手の中では、いつの間にか、おみくじの紙がくしゃくしゃになってしまっていた。
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