闇に抱かれた夜の街。 辺りはシンとした静寂に包み込まれており、人の姿は全く見当たらない。 ……いや、人だけではない。 野良犬や猫、カラスといった本来いるはずのものは勿論のこと、至るところにいなければならないはずの、小さな虫たちの気配すら感じられなかった。 まるで、そこだけが現世から切り離されているかのような、気味の悪い錯覚を覚えてしまいそうだ。 常人ならば、いつ気が触れてもおかしくはない、限りなく無に近いこの世界。 在るのは、言葉に表しようがない不気味な雰囲気と、人を型どった人ならざる者の気配のみ。 「……」 その者は、周囲を吹きそよぐ冷涼な風に身を晒しながら、古ぼけた教会の屋根の上に立ち尽くしていた。 体格を見る限り、痩身で弱々しいイメージしか感じられないが、その周りを漂う荘厳な気配は、一見しただけのひ弱さとは余りにかけ離れていた。 とても穏やかで、とても静かな……殺気。 それは、今にも殺してやるという明確な殺気じゃない。 殺意を持ちながらも、直ぐには殺さずに、へと繋がる過程で苦しみもがくその姿を楽しんでやろうという、極めて残忍且つ歪んだ負の想念の渦だ。 月光に照らされるその横顔は、端正な冷ややかさを保っており、それが余計に見る者の恐怖を煽る。 淡い緑のスカートの上で、赤く輝くきらびやかな装飾。 緑という優しい自然色に対し、相反する赤という極彩色が、より一層異様な空気を醸し出していた。 彼の者を色で表すとしたら、黒以外の何物でもないだろう。 それも、ただの黒じゃない。 いかに周囲が深い闇で埋め尽くされていたとしても、その闇色に染められることなく……いや、むしろその闇でさえも、己の色で呑み込んでしまいそうなくらいに鮮烈な、深淵の如き濃厚な漆黒だ。 近づくだけで、そのまま吸い込まれてしまいそうな……そんな危険な香りが満ちている。 「……ふっ」 と、不意にその口元に浮かぶ、醜く歪んだ残忍な微笑。 その視線の先は、夜に抱かれた暗がりの更に向こう側を見つめていた。 「目障りな代行者は倒れ、最大の障害だった真祖の姫君も消え、残る唯一の脅威は、己の映し身と無益な殺し合いとは……な」 嘲るように嘲笑する。 彼の者にとって、この展開はまさに願ったり叶ったりというやつだった。
――ここにきて、身内同士で内輪揉めとはな……。
「くっくっ……まったくバカな奴らだ!」 その心情を隠すことなく、声を上げて大声で笑う。 静寂の中、唐突に上がったその笑い声は、穏やかだった空気を乱暴に切り裂いた。 ……それでも、街は目覚めない。 覚醒という行為そのものを拒むかのように、ただただ安息たる甘美な眠りをむさぼるのみ。 街中で何度となく反響した声は、幾重にも重なり合ってこだまし、やがて夜の静けさに呑まれて消えていった。。 「これで、私の邪魔となる者は粗方片付いた……そろそろ、計画を動かし始めるとしようか」 そう呟き、彼の者は緩やかにスカートを翻すと、屋根の上から飛び下り、闇の彼方へと消えていった。
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