喧騒の消えた夜の病院。 そこ独特の控え目な賑やかさはなくなり、辺りは既に水を打ったような静けさで溢れ返っている。 冷たい空気の漂う廊下は、電気的な光源を失い、どこか暗憺とした薄暗さで包まれていた。 やはり夜の病院というのは、背筋が薄ら寒くなるような、不気味な雰囲気を醸し出している。
――カッカッ。
そんな気味の悪い静寂を引き裂くかのように、乾いた靴音が廊下に響き渡る。 「……」 その足音の主は、淡いピンクを基調とした制服に身を包んだ、一人の看護婦だった。 一つの病室の前で立ち止まる。 少しだけ目線を上げ、壁に取り付けられたネームプレートを一瞥した。 そこに記された“楠”という名前。 「……」 そのことを確認してから、彼女は静かにドアノブを捻ると、物音を立てぬよう慎重に、ゆっくりとその扉を押し開く。 キィ、という軋んだ耳障りな音が、にわかに空気を揺らした。 部屋の中へ足を踏み入れ、内部を見渡す。 その部屋の中に光をもたらすものは無かったが、窓から差し込む月明かりのおかげで、視覚は対象を明瞭に捕えていた。 四隅それぞれに置かれたベッド。 綺麗に整えられた純白のシーツからは、その病室の衛生面の良さが見て取れた。 内、扉から一番離れた場所にあるものにだけ、その使用者がいることを、そこを取り囲む白いカーテンが証明している。 部屋の奥へと進み、唯一使用中のそのベッドへと歩み寄る。
――シャッ。
カーテンの開かれるかすれた音。 見下ろすその視界に映るのは、瞳を閉じ、深い眠りに落ちている一人の青髪の少女の姿だ。 その全身からは、彼女が本来もっているはずの壮烈な威圧感は、微塵も感じとれなかった。 どこにでもいるような、ごくごく普通の少女にしか見えない。 微かに聞こえる安らかな寝息は、定間隔置きに弱々しく口元から漏れており、そのことが、今の彼女が昏睡状態に陥っていることを表している。 「……」 そんな無防備な少女を前に、彼女はゆっくりと腕を振り上げた。 その手に握られた何かが、月光を身に浴びて鈍色に輝く。 外科手術用の一般的なメスだ。 先端は鋭く尖っており、その尖鋭さでもってすれば、人の肌を切り裂くのはいとも容易い。 何日も意識不明の相手だ。 外的な衝撃で目を覚ますことはまずない。 ならば、狙う部位は無論、確実に致命傷となる心臓だ。 勢いを付けて、掲げ上げた腕を一気に振り下ろす――
「……!?」
――瞬間、突如として背後に現れた何者かの気配。 慌てて反応するも、時既に遅し。 その人物は、彼女の口元を抑えつけ、素早く首を切り裂くことで声帯を傷付け、その声を奪う。 裂傷部から溢れる黒い霧が、彼女という存在が人外であることを証明していた。 その人物は、手の中で短刀を軽く半回転させると、それを逆手に持ち替え、躊躇うことなく心臓を一突きにした。 ドスッという、肉を穿つ鈍い音が、静かな病室内にて幾重にも反響する。 声一つ上げることすら叶わず、膝から崩れ落ちる彼女の体を、無造作に床へと投げ捨てた。 横たわったまま動かなくなったその身体からは、絶え間なく黒霧が舞い上がり、時を経るにつれて原形を失ってゆく。 「……ふん」 その姿を見下ろしながら、その人物―七夜志貴は、鬱陶しげに吐き棄てた。 短刀を懐にしまいながら、次いで、その視界をベッドの上の少女―シエルの方へと移す。 何事も無かったかのように、穏やかな寝息を立てている。 その傍らに設置された点滴用の器具。
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