まだ陽も昇らぬ、眠りに包まれた早朝の街。 月は既に地平線下へと沈み、東の彼方、微かに覗ける陽光だけが、終わりゆく夜と始まりゆく朝を告げている。 上空を埋め尽くす、今はまだ濃厚な暗い群青の中に、雲は一つとして存在せず、快晴の文字が示す通り、空は快いまでに晴れ渡っていた。 「……」 そんな肌寒い朝の空気の中、ただ一人、無言で通りを歩いてゆく何者かの姿。 時折吹き抜ける風に、淡い緑のロングスカートがヒラヒラと揺れる。 ところどころに散りばめられた粒状の装飾が、微かな光を浴びてきらびやかに輝いていた。 年の頃は、20代前半位だろうか。 短く切り揃えられた漆黒色の髪に、凛と引き締まった口元。 中々輪郭の整った、端正な顔つき。 背丈は高いが、手足はか細く、体格はやや痩せ気味で、どことなく弱々しい感を受けた。 だが、その鋭い眼差しに、油断の文字は一片たりとて見受けられない。 いや、それどころか、その警戒の中に感じられる、この他を圧倒せんばかりの凄まじい迫力――これは……殺気だろうか――が、伺い知れる。 それに、常人とはそこに漂う気配がまるで違う。 彼の者の周囲には、そこはかとない高貴な空気が満ちていた。 そこらへんにたむろすチンピラ風情では、おそらく近づくことすらあたわないだろう。 まだ冬の残り香の木枯らしが吹いているにもかかわらず、上に羽織っているものは薄いジャンパーのみ。 だが、身震いはおろか、強く服を着込んだり、手と手を擦り合わせたりといった、寒そうな仕草は一切見せていない。 進む足を止めることなく辺りを見回す。 立ち並ぶ家々には、ただの一つとして明かりは灯されていなかった。 こんな時間だ。 夜更かしをする人も、早くから起きている人も、そのどちらもが眠りに落ちている頃だろう。 定間隔おきに立てられた幾つもの街灯。 それは、さながら誘蛾灯のように、無数に飛び交う黒点を身に纏っていた。 そして、目の前に見える、尖った四角錐のようなピラーを二つ持った、独特な形状の建物。 敷地の入り口部分には、“立入禁止”の文字が記された黄色いテープが張り巡らされている。 「……久しいな」 不意に、ポツリと呟いた。 雰囲気に違わず、物腰柔らかで静かな声色だ。 眼前にそびえる建造物を見上げる。 昔からこの地にある、何の変哲もない古びた教会だ。 石造りの壁には幾本ものヒビが走り、窓にはめこまれたステンドグラスは、そのほとんどが割られてしまっていた。 その割れ跡のほとんどは、握り拳程度の球形を原点に、上下左右へとひびを走らせている。 テープを跨ぎ越し、敷地内に足を踏み入れる。 そこかしこに転がる野球のボール。 多分、近くにある空き地で、草野球をやっていた子ども達のものだろう。 誤って打ち込んだまま、放りっぱなしにでもしたのか。 まぁ、こんな不気味な教会に、好き好んで入ってくるような物好き、そうそういるはずもない。 歩みを進めると、錆びて赤みがかった仰々しい鉄の扉の前に立った。 そっと手を触れる。 鉄の冷えた温度と、表面の粗いザラザラ感が、触れた方の手を刺激した。 固く閉められたそれは、錆びの進行具合から察するに、もう何十年と開けられてすらいないようだった。 まるで立ち入る者の行く手を阻むかのように。
――キイィィ。
……だが、軽く押すだけで、その扉はいとも容易く押し開かれた。
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