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タイトル:存在し得ないはずの二人 コメディ

――本来、存在し得ないはずのもう一人の志貴。それは、死を視ることなく七夜として成長したIfの姿。最強の純然たる殺人鬼。だが、そんな殺人鬼とて、相手が真祖の姫と代行者となれば、ただの人間と何ら代わりなかった。志貴と思い込まれた七夜を好き放題振り回す二人。その間、遠野の屋敷では、志貴に恐るべき魔の手が! 七夜メインの長編作品序章は、W志貴によるシリアスなしの完全コメディ!?

月夜 2010年07月04日 (日) 15時57分(1)
 
題名:存在し得ないはずの二人(第一章)

朝。
いつもと何ら変わりはない、心地よい陽光に包まれた世界。
上空を彩る群青色の空と純白の雲が、壮麗なコントラストを描いている。
昨夜から今朝にかけて降った雨のせいだろうか。
昨日までは、冬も終わりを告げ、徐々に近づきつつある春を身近に感じられるような、穏やかな小春日和だったというのに、今朝はまるで時を逆巻いたかのように肌寒い。
身が引き締まるような寒さ、とでも表現すれば良いのだろうか?
こういった肌寒さは、どちらかと言えば好きな方なのだが、寝起きいきなりはいささか堪える。
今は朝ということもあり、部屋の明かりは点けられていない。
開かれたカーテンから、さんさんと差し込む朝の光だけで、十二分に部屋全体が照らされていた。
よくよく其の方を見てみれば、微かに結露した窓の表面に、いくつかの小さな水泡が確認出来る。
今、ここで体感しているよりも、外は更に幾分か寒いようだ。
「これでよし……と」
と、そんな自室にて、志貴は腕組みをしながら頷いていた。
その眼前に佇む人物。
カジュアルな服装で身を包んではいるものの、その全身から放たれる、戦慄を孕んだ無意識の殺気とでも言うべき雰囲気が、彼が常人とは明らかに違うことを物語っていた。
生来気むずかしい性質なのであろう。
釣り上がった眼差しが、そんな彼の近付きがたい雰囲気を一層助長している。
飾り気の無い眼鏡の奥に覗ける瞳は、暗く深い漆黒の闇色。
ある種の美しささえ覚えるほど濃厚な黒だったが、深すぎるが故にその深淵が見えない。
凄艶という表現が、これほどに似つかわしいものもそうそうないだろう。
「まったく……何故俺がそのようなことを……」
そんな彼だったが、今その瞳に浮かんでいるのは、殺意や憎悪などではなく、現状に対する大きな困惑の色だ。
声色からは、呆れ混じりの億劫さがありありと感じ取れる。
「そんなこと言わないでくれよ。頼む!この通りだからさ!」
「……ふぅ」
すぐ目の前で手を合わせ、せっぱ詰まった表情でこちらを拝む志貴の姿に、彼―七夜志貴は気だるそうに溜め息を溢した。
全ての事の発端は、4日前の夜にまで遡る。


「さて……と」
明日の準備を済まし、鞄をベッドの足に立て掛ける。
枕元に置かれた時計。
示される時は既に夜中の11時。

――明日も学校があることだし、そろそろ寝ておかないとな。

心の中で呟く。
明日も学校に行かねばならないと考えると、それだけで気分が沈んでゆきそうだ。
何故学校なんかに行かなければならないのか。
実際のところ、学校という場所で学ぶことの大半は、実生活において何の役にも立たない無駄知識だ。
そのくせ、そんな実質無価値な知識ばかりを詰め込み、良い大学に行った奴が偉いともてはやされる。
訳が分からない。
もっと現実的なスキルを身につけ、社会に貢献した方がよっぽど偉いのではないか?
もっと自分自身の血肉となるような、為になる知識を取り込むべきではないのか?
……もっともらしい意見だが、世間一般の解釈によれば、それは勉強出来ない奴の言い訳でしかないらしい。
そして、それを否定出来ないのが何とも悲しいところだ。

――あぁっ!止め止め!

志貴は左右に頭を振って、脳内にまとわりつくそんな考えを振り払った。
こういうときは、早く寝てしまうに限る。
両腕を高々と掲げ上げ、志貴は全身で大きく伸びをした。
しばらく使われていなかった関節が、ポキポキと乾いた音を立てる。

月夜 2010年07月04日 (日) 15時58分(2)
題名:存在し得ないはずの二人(第二章)

そして、ベッドに潜り込もうと、その上に片足を乗せた……ちょうどその時だった。

――ガサッ。

「ん?」
何か物音が聞こえた気がして、志貴はその体勢のまま動きを止めた。
うつ向き加減だった顔を持ち上げる。
その視界に映る、カーテンの閉めきられた窓。
物音の音源は、その向こう側だった。

――……。

息を殺し、その一点を凝視する。

――……?

……だが、それ以降、異変は起きるどころか、その前兆すら見せることはなかった。
ただただ流れ続ける無音の時。
聞こえてくるのは、自身の脈動と息遣いだけだ。
今になって考えてみると、先ほどの物音も、自分の勘違いなだけなのではと思えてくる。

――……気のせいかな。

そう考えると、志貴はベッドの上に乗せた足に軽く力を込め、その中へと身を潜り込ませようとした……刹那。

――ガシャァン!

「っ!?」
不意に響いた、窓ガラスの砕ける崩壊の音。
その破片に紛れ、急速に接近する何者かの気配。
それを確認していられるだけの余裕はない。
隙を見せたら、その瞬間に殺される。
つい最近まで、非日常の最中を生き抜いてきた彼の本能が、そう告げていた。
ベッドに乗り上げた足に力を込め、突進してくる何者かに対して、斜め後方へと一気に跳躍した。

――ガッ!

背中を壁に強く打ち付ける。
「くっ……!」
小さなうめき声と共に、志貴が微かに顔をしかめる。
しかし、最初から訪れることの分かっていた衝撃だ。
激痛というほどのことはない。
近場にある背の低い棚の上に手を伸ばす。
手に触れる感触を頼りに、そこに置かれた守り刀の柄を掴み取った。
素早く立ち上がり、侵入してきたその何者かの方へと視線を向ける。
「なっ……!?」
同時に、志貴の口から驚愕の声が漏れた。
大きく見開かれたその瞳孔は、まるでこの世ならざるモノを見ているかのよう。
それくらい、そこに立っている人物は意外だった。
「よう、兄弟……久しぶりだな」
自分の眼前に立つ己の移し身が笑みを浮かべる。
その手に握られている短刀。
部屋の明かりを反射して、それは鈍い輝きを放っていた。
「お、お前は……!」
思わず言葉を失う。
不意に蘇る過去の記憶。
暗がりに抱かれた部屋の中、鏡の奥に映し出される自分の姿。
己と同じ容姿の殺人鬼が、歪んだ微笑を浮かべて口を開く。

――今宵、影絵ノ街ニテ君ヲ待ツ。

……けれど、それは夢。
限りなく現実に近く、それでいて起こり得るはずのない儚い夢幻。
彼が、“遠野志貴”として存在する限り、決して存在し得ないはずのモノ。
それが、今彼の目の前に、毅然と佇んでいた。
「そんな目をするな。こいつは亡霊でも怨霊でもない……いや、この世ならざるモノという観点からすれば、その類より俺の方がよっぽど異常か」
そう言葉を繋げながら、彼―七夜志貴は、小さく嘲いを漏らした。
「……」
そんな彼を前に、志貴は短刀を握る右手により一層の力を込める。
軽く腰を落とし、臨戦体勢を解くことなく、空いた左手で魔眼殺しを取り外そうとして……。
「そう警戒するな。何も、俺はお前を殺しにきた訳じゃない」
その行為を七夜が軽い口調でいなした。
「第一、俺は暗殺者だ。本当に殺す気だったなら、お前は七つ夜を手にする以前に死んでいる」
手に持った短刀をしまい込みながら、何でも無い事のように言う。
確かに、七夜が本気だったなら、今頃ここには物言わぬ死体が転がっていたことだろう。
それに、彼の言う通り、どうやら本当に殺し合うつもりはないようだ。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時00分(3)
題名:存在し得ないはずの二人(第三章)

そのことは、ポケットにしまわれた短刀と、彼の全身から放たれる死の気配の喪失が、どんな言葉よりも雄弁な事象となって表している。
「……そうみたいだな」
そのことに確信を抱いてから、志貴は警戒を解いた。
棚の上に短刀を置き、魔眼殺しから手を離す。
「……にしても、どうしてお前が?」
聞きたいことは無数にあったが、とりあえず、志貴はそのことについて一番最初に尋ねた。
「俺にも分からん。気が付いた時には、何故か例の路地裏に横たわっていた」
「気が付いた時には?」
「あぁ。それまで、俺という存在はこの世界のどこにも無かった。どこぞのオカルトのように、魂だけで漂っていたなどと言うわけではない、完全の無だ」
ただ……と、言葉を繋げながら、七夜が考え込むかのように下顎に指を添える。
「ただ?」
「……いや、これはあくまでも俺の予想に過ぎないが、俺が今ここに存在しているのは、タタリの影響がまだ残っているからではないかと思ってな……」
「そんな、まさか……」
志貴が微かに口ごもる。
あり得ない。
タタリは……あの悪夢は終わったはずだ。
けれど……、
「……一概に無いとは言い切れないだろう?俺が今ここにいる以上はな」
七夜がからかうような口調で呟く。
まさにその通りだ。
何せ、そうでもないと説明のつかないような人物が、今目の前にいるのだから。
もし……もしも、七夜の言うことが真実だったなら?
彼の言う通り、あの悪夢が今尚終焉を迎えていないとしたら?
「くっ……」
考えるだけで怖気が走る。
自分達の、文字通り血まみれの努力。
その行為が無駄だったなど、考えたくもないことだった。
しかし、例え僅かであろうと可能性が残っている以上、その現実から目を背ける訳にもいかない。
後日、シオンなりシエルなりに相談する必要がありそうだ。
「まぁ、正直そんなことはどうでもいいんだよ」
「え?」
志貴が、伏し目がちだった眼差しを持ち上げる。
その瞳に映るもう一人の自分は、凄惨な笑みに口元を綻ばせていた。
「俺は愉しい殺しを行いたいだけだ。あぁ、死ぬことがあんなにも退屈だとは、死ぬまで露と知らなかった。せっかく戻ったんだ。今までの分も愉しませてもらわないと、割に合わない」
光惚ささえ漂わせる表情を浮かべて、七夜が酷く冷たい声音で呟く。
「……」
志貴は無言だった。
死に対してこうも超然的で、殺人嗜好な己自身の“If”の姿。
生き方が違っていたら、自分もこうなっていたのかと思うと、余り良い気分ではなかった。
「そういう訳だから、これからはここに宿を取らせてもらうぞ」
「……は?」
志貴が思わず問い返す。
「ちょっと待て。そういう訳ってどういう訳だ?」
「何かしら有事が起こる時、その渦中には常にお前がいる。ならば、その近くにいることが最も効率的と言えるだろう?」
「だからってお前……」
言葉に詰まりながら、志貴が周囲を見回す。
この広さの屋敷だ。
確かに、いくつか部屋は空いている。
……が、秋葉のことだ。
他人を泊まらせるようなことは決して許さないだろう。
第一、自分の兄と全く同じ容姿をした別人がいると知ったら、彼女はどういう反応をするだろうか?
……それはそれで、結構面白いかもしれない。
けれど、屋敷内を自分と同じ姿形をした人間に歩き回られては、ややこしいことこの上ない。
それに、七夜が自分のふりをして隠れ住むとしても、几帳面な翡翠や勘の鋭い琥珀さんの目を欺き続けることなど、到底出来はしないだろう。
なら、必然的にこの部屋しか隠れられる場所はないということになるのだが……。
「……どこに泊まる気だ?」
怪訝さを全面に尋ねる。
それなりに長い間住んでいる志貴の目にも、部屋の隅に置かれたベッド以外に、安眠出来そうなスペースなどどこにも見当たらない。
「なに、屋根裏で十分だ」
七夜は事も無げに呟きながら天を仰いだ。
「屋根裏ってお前……埃まみれで寝れたもんじゃないぞ?」
「俺にとって大事なのは寝る時の環境ではない。そこが死を感じることなく安眠できる、安全な場所かどうかということだ」
淡々と告げるその顔色に、躊躇いや戸惑いは一切見られない。
どうやら、遠慮しているとかそういう訳ではなく、本気でそう考えているようだ。
自分自身におけるもう一つの可能性とは言え、根っからの暗殺者の考えることはよく分からない。
「まぁ……お前がそれでいいなら、俺は別に構わないけど……」
「なら決まりだな」
困惑しながらなあなあに答えた志貴の言葉に、七夜は満足げに頷くと、ベッドの上に足を乗り上げた。
「あっ!」
その足下見て、志貴が反射的に声を上げる。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時01分(4)
題名:存在し得ないはずの二人(第四章)

「おい! 今まで気付かなかったけど、お前、靴履いたままベッドに乗るなよ!」
「ん? あぁ、細かいことは気にするな。砂利道を歩いてはいないから、大して汚れはしないだろう」
自らの足にちらっとだけ視線を落とした後、大したことでもないように言い放つ。
非常識の塊みたいな返しだ。
「……そういう問題じゃないって……」
志貴の溜め息混じりの呟きをよそに、七夜はベッドから下りる気ナッシングで背伸びをすると、天井にはめられた板の内の一枚を取り外した。
軽い足取りで跳躍し、屋根裏部屋へと跳び移る。
「どうだ? 大丈夫そうか?」
その隙間から降ってきた埃の山を払いのけ、シーツにくっきりと残された七夜の靴跡を叩き払いながら、志貴が尋ねる。
「あぁ、問題ない」
外した板をはめ直しながら、七夜がくぐもった声で言葉を返す。
……本当に問題ないのか?
あの一瞬で落ちてきた埃の量から考えても、尋常ではないくらい荒廃してそうだったのだが……。
「……まぁ、いいか」
とりあえず、さして気にしないことにすると、志貴はベッドの中に潜り込もうとして……、
「……っくしゅ!」
……唐突に聞こえてきた不可解な音に、その動きを停止させた。
音源は……言うまでもないだろう。
「……本当に大丈夫か?」
天井を見上げながら問いかける。
「あぁ、問題ない」
さっきと全く同じ答え。
「……っくしゅ!……えっきし!!」
だが、そんな言葉とは裏腹に、断続的に繰り返されるくしゃみ。
……重症だ。

――パカッ。

と、そんなことを考えていた矢先、天井の方から板の外される軽い音が聞こえてきた。
「……おい、志貴」
「うん?」
呼ばれるがままに顔を上に持ち上げる。
こちらを見下ろす、埃にまみれてすすけた顔色をした七夜の姿。

――くくっ……。

笑いたい気持ちを必死に堪える。
「……掃除機を持ってきてくれ」
七夜がどことなく弱々しい口調で呟く。
さすがに無理だったか。
「分かった。ちょっと待ってろ……ってちょっと待て!」
と、ここで、何を思い出したのか、志貴は勢い良く立ち上がりながら声を荒げた。
「なんだ? 待つのか待たないのかはっきりしろ」
そんな志貴とは対照的に、落ち着き払った様子の七夜。
「そんなことはいい! これ、どうすんだよ!」
そんな七夜に向かって、志貴が怒声を散らしながら床を指差す。
そこに散らばった無数のガラス片たち。
ご丁寧にもその一部は粉々だ。
「掃除機でまとめて吸い込めばいいだろう」
「そんなことしたら、中の袋が破けてそれこそ大惨事だよ!」
「そうなのか? なら箒とちり取りでやればいいじゃないか」
「それくらい言われなくたって分かってるし、元よりそうするつもりだ。問題はそこじゃない」
「回りくどい奴だな。物事は短刀直入に言え」
七夜が苛立ち混じりの不機嫌な声で言う。

――人ん家に窓から不法侵入かまして、器物破損まで犯しておきながら逆ギレかよ。

口には出さずに心の中で呟く。
そして本題へ。
「あの窓、どうやって誤魔化すんだよ」
床に向けていた指を窓へと向ける。
そこは、かつて窓という名の、風に対する遮断物がはめられていた場所。
今となっては、風通しの良すぎる完全な穴空き空間。
つい先刻までの状態と比べれば、まさに見る影もない。
このまま朝を迎えれば、まず最初に俺を起こしに来た翡翠が、この見るも無惨な惨状を目にするだろう。
そして、その情報は翡翠経由で秋葉へと伝わり、俺の運命は……。
「誤魔化す? 別に誤魔化さずとも、事実をありのまま伝えれば良いだろう」
そんな志貴の考えなど知る由もない七夜が、何とも楽観的な口ぶりで言う。
分かってない。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時03分(5)
題名:存在し得ないはずの二人(第五章)

こいつは、本っ当に何も分かってない。
もし、このまま無抵抗で朝を迎えれば、極論死ぬことはなくとも、半殺しの目に合う可能性は十二分にある。
その時の恐怖を知らないから、こいつはそんなことが言えるんだ。
「ありのまま? 自分と同じ姿をした人間が、こんな真夜中に部屋のガラス砕いて不法侵入してきて、あろうことか屋根裏部屋に居付いていると?」
何となく腹立たしさを覚え、志貴がらしくない早口でまくし立てる。
「いや、最後は言わない方が良いだろう。他人にバラしてしまっては、ここの唯一の利点である安全性が無くなるからな」
そんな志貴に対して、七夜が真面目な口調で答える。
「……はぁ」
志貴は深々と溜め息を溢した。
あぁ、こいつに責任追及をした俺が愚かだった。
暗殺技術ばっかり身につけて、世間の一般常識には無頓着。
そんな奴に責任能力などあろうはずがない。
「……おい、七夜」
「何だ?」
「お前もついてきてくれよ。俺一人で掃除機やら箒やら持ってくるのは辛い」
志貴が不服そうにぼやいた。
せめて、単純な肉体労働くらいは手伝ってもらおうと思ったのだが……。
「ついて行ってやってもいいが……」
そこで言葉を区切り、少し間を置いた後、
「……お前のベッドが埃にまみれることとなるが、構わないか?」
七夜はそう繋げた。

――……常識は無いくせに、こういう時だけは悪知恵の回る奴め……。

「……」
志貴は諦めたように肩を落とすと、無言のまま、うなだれながら扉へと向かった。


……と、まぁあの日以来、七夜は志貴の部屋の屋根裏部屋に住むことと相なったのだ。
ちなみに、砕けた窓ガラスのことは、無論誤魔化せるはずもなく、翡翠から秋葉へと、その情報は伝聞形式で伝えられ、翌日に厳しいお叱りを受けたのだった。
もちろん、七夜のことを話す訳にもいかず、故に全責任は志貴が一人で背負うことになったのは、もはや言わずもがなだろう。
今まで、幾度となく秋葉に叱りつけられてはきたが、あの時ほど理不尽さを感じたことはなかった。
後日、シオンやシエルとも話し合った。
結果、再度タタリに対する警戒を敷くことを決めたのだが、その日以来、別段変わったことが起きるという訳でもなく、いつもと何ら変わらぬ日常が過ぎ去るのみ。
そして、今日はそうなってから初めて迎える日曜だった。
「……つまり、俺はこの屋敷の周りをうろつき回って、例の真祖や代行者がやって来たら、お前のフリをして屋敷から遠ざければいいんだな?」
着込んだジャケットのボタンを止めながら、七夜が何やら不満げな口調で確認するように尋ねる。
普段は掛けない眼鏡のせいだろう。
耳の辺りに妙な違和感を感じるのか、やたらと側頭部に手を回している。
「そういうことだ」
そんな七夜の問いかけに、志貴は大きく首を縦に振った。
こんな変わった頼みをするのにも、もちろん理由がある。
今日一日は、屋敷のみんなとのんびり過ごすという約束になっているのだ。
そのため、出来れば今日という日には、アルクェイドやシエルにはあまりここを訪れて欲しくなかった。
それに、実を言うと、本来ならこれは先週行われるはずの予定だったのだ。
それをぶち壊し、あまつさえ秋葉の機嫌を損ねるような数々の諸行を敢行した不届き者。
それこそが、真祖の姫君+教会第七位の代行者の二人組だ。
もし……もしもだ。
万が一、今日も懲りずにこの屋敷へ乗り込んで来ようものなら、一体どうなるか。
あの二人は平気だろう。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時03分(6)
題名:存在し得ないはずの二人(第六章)

二人共、人とは思えないくらい人間離れして……いや、約一名は人間ですらなかったな。
まぁ、とりあえず、あちらには何ら問題となるところはないだろう。
だが、こちら側はそうはいかない。
軽く巻き添えを喰うだけでも、下手をすれば三途の川を拝むこととなりかねない。
休日、自分の家にて、怒り狂った妹に殺されるなんて最期は、いくらなんでもあんまりだろう。
だからこそ、そうなる前に、今度ばかりは何かしら先手を打つ必要があったのだ。
そういう意味では、志貴の代わりとして七夜ほどの適任は他にいないだろう。
なんといったって、目つきが少し悪い以外、背丈体重から輪郭まで、容姿は全く瓜二つなのだから。
「何とも退屈な仕事だが……まぁ、良いだろう。どうせ今は暇な身だ」
「おい、分かってるとは思うけど、絶対に殺しはするなよ」
気だるさを露わにぼやく七夜に向かって、志貴が真剣な口調で釘を刺す。
「無用な心配はするな。俺は暗殺者だと言っただろう。白昼堂々、しかもそこら辺にゴロゴロしている普通の人間共を殺しはしない。そんなことをしたところで、愉しくも何ともないしな」
口元に残酷な笑みを浮かべながら、底冷えのする声で呟く。
「…………」
志貴は、無言でそんな彼の笑みを見つめた。
そこからは、“殺す”という行為に対しての躊躇や嫌悪は、欠片たりとて感じられなかった。
それは、相手の命を何とも思わない……そして、それ以上に、自分の命を軽んじている……いや、己の命が存在しているという事実さえ認めていない、死願者の浮かべる凄惨な笑みだ。
おそらく、今誰かに殺されたとしても、彼は“あぁ、殺されたのか”程度にしか考えないのだろう。
……こいつのこういうところ、今でも心底怖い。
「……どうかしたか?」
「え?」
不意に掛けられた声に、志貴の瞳が焦点を取り戻す。
その視界に映る七夜の表情。
鋭く釣り上がった眼差しのその奥に、明確な不思議の色が浮かんでいた。
「あ、いや……何でもない。それより、ちゃんと俺のフリしてくれよ?目つきとか言葉遣いとか」
心の動揺を見透かされないよう、志貴は出来る限りの平静さでもって言葉を返した。
「分かっている。可能な限りの努力はしてやるつもりだ」
応えながら、七夜は志貴に背を向け、窓の方へと歩みを進める。
……任せろ的な発言をしない辺り、些か不安を膨らませる。
そこだけ新しい窓を横にスライドさせ、その縁に足を乗せてから、
「……あぁ、そうだ。言い忘れていたが……」
そのままの体勢で志貴の方を振り返った。
「……後ほど、この謝恩はしっかりとしてもらうからな」
「え? それってどういう……」

――タンッ。

志貴の問いかけを遮るかのように、七夜は軽い足音のみを残して、窓から屋外へと跳躍していった。
木から木へと伝わって、地に一度も足をつけることなく屋敷の塀を身軽に跳び越えてゆく。

――謝恩って……一体何だろう?

そんな彼の後ろ姿を見つめながら、志貴はそんなことに思いを馳せるのだった。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時04分(7)
題名:存在し得ないはずの二人(第七章)

「……眠い」
七夜はダルそうに呟いた。
もう、かなりの時間、屋敷の周りを歩き続けている気がする。
何気なく、左腕に装着された腕時計へと目線を向けた。
そこに表示されるデジタル文字。
それによると、既に約一時間は歩いているようだった。
東の空へと目を向けてみると、屋敷を出て直ぐに見た時と比べて、日は明らかに上空高くまで登っていた。
おそらく、今頃屋敷の中では、志貴達が和やかな時を過ごしているに違いな……。

――ガシャーン!!

唐突に、どこかから聞こえてきた甲高い崩壊の音。
「……」
無言のまま、その破壊音の源である屋敷を振り返った。

――ガラガラガッシャーン!

依然として響いてくる、盛大な破滅音の大合唱。
それは、鳴り止むどころかますますその勢いを増しているように思えた。

――……何をやってるんだ? あいつらは……。

七夜が呆れたような眼差しで屋敷の方を見つめる。

――……ん?

と、その視界の隅に、何者かの人影が映った。
屋敷の二階部分で、何やらゴソゴソやっている。
ちょうど、志貴の部屋のある辺りだ。
短く切り揃えられた金糸のような髪が、朝の陽光を浴びて一際輝いている。
……どうやら、そろそろ仕事を始めねばならないようだ。
「お〜い! アルク……」
出来るだけ志貴の口ぶりを意識し、窓に張り付くその人物の名を呼ぼうとしたが……、

――ガンッ!

その行為は、朝の穏やかな空気中を切り裂いた、痛々しく鈍い殴打の音によって、目的地へ届く前に断絶された。
「ふぎゃっ!?」
誤って踏みつけられた猫みたいな悲鳴を上げて、窓に張り付いていた人物が、無惨に地上へと落下してゆく。

――ドンッ!

という地響きを伴った痛烈な衝突音。
一般人なら、良くても捻挫か骨折、最悪死すらあり得る状況だが……。

――……まぁ、心配するだけ無駄だろう。

相手が相手なだけに、気にかける必要はなさそうだ。
「あら? 遠野君?」
不意に聞こえてきた呼び声に、その方へと首を向ける。
こちらへと歩み寄る一人の少女の姿。
澄んだ青空のように、鮮やかな青で彩られたショートヘアーが特徴的だ。
「こんなところで、どうしたんです?」
語りかけてくるその声音は、つい先刻、不法侵入未遂者を撃墜した人物と同一とは思えないほど、冷静で落ち着き払っていた。
それも、撃ち落とした対象が対象だからという理由に他ならない。
「あぁ、し……」
志貴に頼まれて……と言いかけて、七夜は口をつぐんだ。

――そういえば、今、俺は“七夜志貴”ではなく、“遠野志貴”なんだったな。

自分自身に言い聞かせる。

――志貴に頼まれて、お前らをこの屋敷から遠ざけるためだ――

一番最初に頭に浮かんだ文体。
だが、それをこのまま口にする訳にはいかない。
頭の中で字句を変換。
相手に対する呼称を、遠野志貴のそれに合わせ、この場の状況に適当な表現と言葉遣いになるよう、修正を加えつつ頭の中で文章を組み立てる。
顔面の筋肉に指令を送った。
釣り上がったままだった目尻を少し垂れさせ、志貴のもつ柔和な雰囲気に少しでも近付ける。
「いや、こうしてたら、先輩に会えるんじゃないかなと思ってさ」
そして、出来る限り声に違和感の無いよう注意を払いながら、七夜は遠野志貴としての第一声を放った。
「え……?」
その言葉に、シエルが微かな戸惑いの声を上げた。
その瞳の奥も、訝しげな光を湛えている。
……何かおかしかったか?
これ以上とないほどに、遠野志貴を演じきっていたはずなのだが……。
そんなことを考えていたが、それがただの杞憂であったことを、そのすぐ後に知ることとなる。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時05分(8)
題名:存在し得ないはずの二人(第八章)

「い、いやですよ、遠野君……そんな大胆なことを……き、今日はどうしたんですか?」
頬をほんのりと赤く染めながら、シエルはしどろもどろに言葉を返した。
声に色を付けるとするなら、恋する乙女の淡いピンク色といったところだろう。
どうやら、こちらもあまり注意を払う必要はなさそうだ。
「コラ――――っ!!」
遠野邸門前から、突如として聞こえてきた怒声。
色は激怒と嫉妬の赤紫色だ。
そちらへと目を向ける。
そこに佇むのは、予想通り、二階から垂直落下したにもかかわらず、無傷でピンピンしているアルクェイドの姿だった。
「あんたねぇ! 私の目を盗んで何志貴を洗脳しようとしてんのよっ!」
周囲に怒りを撒き散らしながら、アルクェイドがこちらに向かって歩みを進める。
……先ほどの撃墜事件は、もはやどうでもいいのだろうか?
「洗脳とは失礼な。そういう類のことを言うなら、せめて誘惑と言っていただけません?」
シエルの方も、そんなことはそ知らぬ素振りで反論する。
やはりこの二人組、一般人の常識からは、色々な意味でその範疇を逸脱している。
「はっ! 誘惑? あんたのどこにそんな魅力があるっていうのかしら?」
「あら? 分かりませんか? あ、そうですよね〜。世界の中心は自分だ的な可哀想な自己中女に、他人の魅力なんて分かる訳ありませんよね〜」
「何ふざけたこと言ってんのよ。世界の中心は私と志貴よ。それに可哀想なのは私じゃなくてあんたでしょ? 自分の好きな人だからって、他人の恋人に未練がましく想いを寄せるなんて、醜いにも程があるわよ」
「……何ですって?」
シエルの眉がわずかに釣り上がる。
その頭上で、静かに怒りのオーラが渦を巻き始めている。
「違うの? 哀れで惨めで可哀想なシエルちゃん?」
そんなシエルを更に罵倒するアルクェイド。
口元に嘲笑的な笑みを浮かべて、ある意味ご満悦な様子だ。
「違います!!」
眉間に皺を寄せたまま、シエルは大声で怒鳴った。
「私は……いえ!まず第一に! いつ、遠野君は貴女の恋人になったというのです!?」
「あんた、そんなことも知らなかったの? そうねぇ……でも、もう数えきれないくらい愛し合ったから、初めての日なんか忘れちゃったわ。ねぇ? 志・貴♪」
そう言って、アルクェイドが腕を絡めてくる。
その腕を無造作に振りほどきながら、七夜は屋敷の方へと目線を向けた。

――……そうなのか? 志貴……。

心の中で問いかける。
「な……な……」
シエルの方はと言うと、怒りのあまり言葉も出ないという感じだ。
「それに、志貴のことを“遠野君”なんて呼んでる時点で、もう完全に負け組よね〜。名字なんか、ただの知り合い同士で使うものよ」
「……」
アルクェイドが挑発するかのように言い放つ中、シエルは無言無表情だった。
いや、言外に勁烈な怒りを孕んでいる以上、無言とは言えても、無表情とは言えないかもしれない。
「好きなら好きって素直に告白すればいいのに。まぁ、報われないのは確実なだけに、その後虚しいのは否めないけど」
そんな表面上無抵抗なシエルに向かって、アルクェイドが更に追い討ちをかける。
しかし、あくまでも、無抵抗なのは表面上だけ。
相手を睨み据える、その刃のような眼差しを見ていれば、それだけで彼女の怒りの程が伺い知れる。
「……なるほど……この私に向かって、そこまで言うということは……覚悟は出来てますね?」
「言うじゃない。そっちこそ、この世に今生の別れを告げる準備は出来てるんでしょうね?」
凄惨な笑みに口元を歪め、お互いを睨み付け合うシエルとアルクェイド。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時05分(9)
題名:存在し得ないはずの二人(第九章)

穏やかな昼前の空気中にはあまりにも不釣り合いな、臨戦時特有の張り詰めた雰囲気。

――……まずいな。

七夜の頭を危機感がよぎった。
このまま、こんなところで乱闘騒ぎをされたのでは、今ここに彼がいる意義がなくなってしまう。
それだけは避けねばならない。

――ふぅ……仕方がないか。

――お前ら、殺し合うのは勝手だが、ここで殺られると色々と迷惑だ――

「二人とも、こんなところで喧嘩はしないでくれよ」
心の中で付いた溜め息はおくびにも出さずに、七夜が淡々と呟く。
言葉の選び方はなかなかだが、こういう状況における志貴特有の焦りが、その声色からはまったくもって感じ取れなかった。
まだまだ遠野志貴になりきれてはいない。
「志貴は黙ってて!」
「遠野君は下がっていて下さい!」
二人が、ほぼ同時に、凄まじい剣幕でもってこちらを振り返る。
志貴なら、例えどのような原因があろうと、この二人の迫力に気圧されて、きっともごもごと口ごもったであろう。
だが、今、彼らの眼前にて佇むのは、優柔不断が服を着て歩いている方の志貴ではない。
死を恐怖とも思わぬ、怖いもの知らずな暗殺者、七夜志貴の方だ。
この程度の状況に晒されたところで、それが退く理由になりはしない。
彼の目的はただ一つ。
どうすれば、この二人を屋敷から引き離すことが出来るかということだけだ。
思考力を働かせる。
戦闘時における瞬時の判断力ならともかく、こういった色恋沙汰は苦手ジャンルだ。

――……む?

と、闇雲に思考を巡らしていると、一つだけ脳裏に良さそうなアイデアが浮かんだ。
すぐ目の前では、今にも飛びかからんばかりな様子の二人。
いちいち迷っていられるだけの時間はなかった。

――殺し合いが愉しいのは良く分かるが……今はそれ以外で優劣をつけてみたらどうだ?――

「とにかく、ここで喧嘩されると困るんだよ。だから、闘い以外の内容で勝負すれば良いんじゃないか?」
とりあえず提案してみた。
『!!?』
戦闘体勢を保ったままの二人の視線が、同時にこちらへと向けられる。
その後、直ぐ様再度互いに睨み合う。
「……なるほどね。つまり、単純な決闘を除いた他の手段で、志貴を奪い合うってことか」
「確かに、私と貴女が本気で闘り合えば、私達はもちろんのこと、この辺り一帯もタダでは済みませんしね」
シエルが周囲を見渡す。
和やかな雰囲気に包まれた、平和で穏やかな街並み。
今まで不変の如く見えていた景色が、この時ばかりはとても儚く虚実なものに見えた。
「それに、たまには闘い以外で競い合うのも、悪くはないかもしれないし」
「奇遇ですね。私も同じようなことを思っていましたよ」
お互いを見つめ合いながら、アルクェイドとシエルが口の端に挑戦的な笑みを浮かべる。
「そういうことなら、早速♪」
アルクェイドが七夜の側面に回り込み、さも嬉しげに腕を組んでくる。
「あっ! 抜けがけは許しませんよ!」
声を荒げながら、シエルが素早くアルクェイドとは反対側へ回り込み、負けじと七夜の腕に自らの腕を絡める。
「ちょっと! 何よ、あんた! 随分と慣れ慣れしいじゃない! 離れなさいよっ!」
「それはこちらのセリフです! 遠野君が迷惑してるでしょう! とっととその腕を離しなさい!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人に囲まれ、半ば拉致られるように連れ去られながら、

――……お前も、色々と大変なんだな……。

七夜は、しみじみとそんなことを考えるのだった。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時06分(10)
題名:存在し得ないはずの二人(第十章)

時刻は昼前。
七夜が屋敷を飛び出してから、かれこれ約二時間は経っただろうか。
そろそろ小腹も減ってくる頃合いだ。
場所は遠野邸居間。
椅子に座す俺の目の前、横長のテーブルの上に置かれているのは、幾つもの皿と、その上に盛り付けられた数々の料理。
程良く立ち込める湯気が、それらの品々がまだ出来立てであることを証明している。
にもかかわらず、全く食欲が湧かないというのは、一体如何なることか。
理由は明らか。
鼻を刺激する一種独特な香り。
余り長時間かぎ続けていると、身体に変調をきたしそうなその匂いが、全ての原因に違いなかった。
その凄まじさたるや、マイナスとプラスを掛けると、本当にマイナスになるんだなと、数学の原点を思わず再認識してしまう。
……まぁ、だからといって、マイナスとマイナスを掛けても、決してプラスにはなりそうにないが。
……しかし、本当におかしいのはそこではない。
「……あのさ」
俺は、意を決して口を開いた。
「ん? どうかしましたか? 志貴さん」
テーブルを挟んで向かい側の席から返ってくる声。
それは、本来そこに座ってなければならない人物のものではなかった。
にこにこと、いつも通りの満面の笑みを浮かべて、マイナスとプラスが混在する机上から、プラスの品だけを選別しては自分の手元へと持って来ている。
「……これは、一体どういうことですか?」
俺は、可能な限り動揺を押し殺し、美味しそうに料理を頬張る琥珀さんに向かって問いかけた。
改めて周囲を見渡す。
その目に映し出される、豪奢な造型の中にも質素さを漂わせた、いつもと何ら変わらぬ屋内の景観。
しかし、そこはかとない違和感を感じずにはいられない。
理由は……これまたやっぱり明らか。
隣の席に目を向ける。
そこに座っているのは、普段給仕を担当しているはずの翡翠だった。
その服飾も、いつものようにメイド服を着込んではおらず、白い毛糸のセーターに身を包んでいる。
どこか戸惑い気味に、テーブルの上を見つめたまま、伏し目がちにうつ向く翡翠。
時折、ちらちらと俺の方を見てくるその瞳は、一体何を訴えているのか。
「新鮮で楽しいでしょう?」
その問いに対し、琥珀さんは軽い調子で答えた。
それこそ、何でも無いかのような口ぶりで。
まぁ、何となく予想は出来たことだが。
「いや、そういう問題じゃ……」
俺は口ごもりながら、傍らに立ち尽くす人物へと目線を泳がせた。
白を基調としたレース生地の服。
裾の部分には、しっかりと薄いヒラヒラが装着されている。
ゆっくりと、その視線を上部へと動かしてゆく。
胸の辺りで結わえられた赤いリボンが、その白と相まって何とも印象的だ。
……ちょっと、その部位の膨らみに歳不相応な感は受けるが、そこは敢えて突っ込まない方針で。
更に上へと視線を持ち上げる。
そこに見える、やたらと頬の強張った表情。
日常、その艶やかな黒髪を飾っているヘアバンドはそこになく、代わりに横幅の長い白の髪飾りが乗せられている。
いわゆる、伝統的なメイド服で着飾ったその人物に、俺は声を掛けてみることにした。
「……なぁ、秋葉?」
「……」
……返事はない。
心ここにあらずといった様子で、その虚ろな視線は明後日、明明後日では収まらず、弥明後日の更に向こう側を見つめているかのようだ。
「……あ、秋葉?」
再度呼びかける。
……返事がない。ただの屍のようだ……。
「……志貴。そんなこと言ったら、秋葉に怒られますよ」
「うわっ!?」
唐突に掛けられたその声に、俺は大きく肩を震わせた。

――プツッ。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時07分(11)
題名:存在し得ないはずの二人(第十一章)

何か刺さっていたものが抜ける短い音と、次いで腰の一部を刺激する鋭く小さな痛み。
「痛っ! ……って、何やってるんだよ、シオン」
「いえ、何だか、志貴がずっとだんまりしていたものですから……」
「だからって、何も言わずにエーテライトを差し込むことないだろ……」
俺の体から抜いたエーテライトを、腕で巻き取るシオンに向かって、腰の辺りを摩りながらぼやく。
「……で、これはどういうことなんだ?」
まったく反応の無い秋葉から目を外し、シオンの方へと向き直る。
「どういうことかと問われましても……」
シオンが歯切れ悪く応える。
彼女の服装は――ここまでくれば、もうもちろんと言っても良いだろう――平常時とは違っていた。
すぐ傍らにて、古びたパソコンの如くフリーズする我が妹同様、白く輝かしいメイド服を身に纏っている。
「秋葉様の“一日体験メイドのお仕事”ですよ♪」
琥珀さんのさも楽しそうな声に、俺はそちらへと顔を向けた。
「……はい?」
「だから、秋葉様の“一日体験メイドのお仕事”ですって」
思わず問い返した俺に向かって、琥珀さんが先の発言をリピートする。
いや、そういう意味で聞き返したんじゃないんだけど……。
……まぁ、その妙なネーミングセンスをしたタイトルのおかげで、粗方の状況は理解出来たから良しとしよう。
「……つまり、今日一日は、琥珀さんや翡翠の代わりに、秋葉とシオンが雑務を担当すると?」
「そういうことです♪」
「わ、私は……ね、姉さんが……」
その問いに対して返ってくる声色は、姉妹であまりに正反対。
翡翠の様子を見ている限り、琥珀さんが秋葉をそそのかしたのであろうことは間違いなさそうだ。
しかし、どうやって?
「翡翠ちゃん、私が何? 私はただ、志貴さんは、実はネコミミメイド萌えなんですよって言っただけよ」
そんな俺の内心の問いに答えるかのように、琥珀さんが翡翠に向かって口を尖らせる。
……なるほど、そういうことか。
確かに、メイドさんは嫌いじゃない。
寧ろ、主人の為に尽くすあの献身的な態度には、心惹かれるものが少なからずある。
うん。
俺はメイドさんは好きだ。
それは認めよう。
……だが、しかし。
「何故にネコミミ?」
気付いた時には口に出していた。
「あれ? 違うんですか?」
琥珀さんが問い返してくる。
その言葉を右から左へと聞き流しながら、志貴は自分がネコミミ萌えと言われる所以を探した。
……そうか。
良く考えてみれば、そうかもしれない。
アルクェイドは、性格も雰囲気も猫っぽいし、琥珀さんは何故か時々ネコミミを付けている。
翡翠だって、以前に付けていることがあった気がする。
況してや、レンなんかまさに猫そのものだ。
あぁ……そうか。
俺は、ネコミミに萌えていたのか……。
遠い目で彼方を見つめる。
何か、人として越えてはならない一線を踏み越えてしまった気がしなくもないが、この際細かいことはどうでもいいだろう。
「秋葉様は、後日大量にお取り寄せする予定ですよ♪何でも、志貴さんが気に入るものを探すためという理由で、十数パターンを一気に」
琥珀さんが笑顔で答える。
ね、ネコミミばかりを一気に十数個も……。
俺は言葉を失った。
この屋敷が、ネコミミ邸と呼ばれるのは遠い未来ではないかもしれない。
「私は、こんなことをするつもりは無かったのですが……」
と、そんな不吉極まりない考えをする俺に向かって、困惑気味に呟きながら、シオンがメイド服の裾を飾るヒラヒラを持ち上げた。
「秋葉に“どうせなら貴女もやりなさい”と言われて……」
そう告げるシオンの表情は、些か残った羞恥心がそうさせているのか、少々顔色が赤く見えた。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時08分(12)
題名:存在し得ないはずの二人(第十二章)

いつもの気丈で落ち着き払った彼女と異なり、それはそれでなかなかに魅力的ではある。
こういう芯の強そうなメイドさんに、仄かに頬を染めながら“ご主人様”なんて呼ばれたら、それだけで軽く昇天出来てしまいそうだ。
……って、そうじゃないだろ!
一瞬、妄想の世界へ旅立ちかけた意識を、激しく首を振ることによって自我の枠内に押さえ込む。
とりあえず、この現状の詳細をいち早く把握するためにも、まずは中心人物に話を聞く必要がある。
傍らに立つ秋葉へと視線を戻した。
もう、いつからこの状態なのか定かですらないが、未だに微動だにすることなくフリーズしたままだ。
「……秋葉?」
呼び掛ける……が、やっぱり反応は無し。
「お〜い、秋葉〜?」
今度は、その目の前で手をひらひらと振ってみた。
「っ!!?」
途端、息を呑む無言の驚きと共に、秋葉が現実へと帰ってきた。
「なっ、ななな、何ですか!? 兄さん!?」
見事なまでの慌てっぷりを見せる秋葉。
普段の彼女が持つ、気の強い棘のある令嬢風味な雰囲気などどこ吹く風やら。
「何って……それはこっちのセリフだよ。どうしてこんなことやってるんだ?」
「そ、それは……べ、別にどうでもいいでしょう!」
秋葉が大声で怒鳴る。
意識を取り戻すなり、直ぐ様ツンデレモード大爆発。
先ほどの琥珀さんの発言から察するに、どのような理由で彼女がメイド服を着用しているのかは、もはや本人の口から聞かずとも明らかだろう。
怒りで恥ずかしさを押し殺そうとしているのだろうが、それでは逆にその事実を露呈するだけだ。
秋葉のこういうアマノジャクなところを見る度、

――可愛い。

なんて、思ったりする。
「そ、そんなことより、早く召し上がってください! せっかくの料理が冷めてしまいます!」
そんな折り、秋葉が恥ずかしさを紛らわすために放ったその言葉に、
「え゛っ……」
俺は言葉にならない濁ったうめき声を上げて、テーブルの上に目線を落とした。
その見つめる先には、先述した通り、マイナスとプラスとが入り混じった光景が。
少し違っていることと言えば、琥珀さんが遠慮なくプラスの料理ばかりを平らげたことによって、その負の度合いが更に増していることくらいだろう。
比率に表すなら、5:1くらいだろうか。
無論、情勢はマイナスの方が圧倒的優勢だ。
「じ、じゃあ、とりあえずこれを……」
そんな中から、もう今となっては数少ない、プラスの皿を手元へとたぐり寄せた。
焼き鮭の香ばしさを、バターがより一層助長しており、アクセントとして添えられたバジルが、食欲を誘う芳しい香りを放ち、その料理の魅力を更に引き立てている。
料理の本のイメージ画像に使われてもおかしくないくらい、まさにお手本通りな鮭のムニエルだ。
箸で軽くその身をほぐし、口の中へと放り込む。
途端、口の中に広がる鮭の旨味と、それを柔らかく包み込むバターの甘味。
鼻から抜けるバジルの香りが、後味に癖を無くしている。
「ど、どうですか? 志貴……」
おずおずと尋ねるシオン。
いつも確信に満ちている彼女にしては珍しく、どこか弱々しい節が感じられた。
「すごく美味しいよ」
俺は、何も文章を考えることなく即答した。
素直に美味しいと思った以上、言葉に妙な飾り付けをする必要はないだろう。
「そうですか。良かった……」
胸の上に手を当て、シオンが安堵の溜め息を溢す。
嬉しそうに口元を綻ばせる、そんな彼女の姿を見ていると、何だかこっちまで良い気分になれた。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時09分(13)
題名:存在し得ないはずの二人(第十三章)

流石、たまに琥珀さんの料理を手伝っているだけあって、文句の付けどころの無い、素晴らしい一品だった。
……それに引き換え……。
別の皿たちへと目線を移す。
そこに乗せられた、得体の知れない物体の数々。
何やら、黒ずんでドロドロした液体や、著しく焼き過ぎたのか、ところどころが真っ黒な灰と化している肉塊や、毒々しい輝きを放つ暗紫色の物体など、どれも、到底料理とは思えない品々が並んでいた。
そんな中から、一つの料理と思しき物体を手に取った。
赤黒いソースの下で、鮭が悲鳴を上げている。
皿の上の地獄という表現が、これほどまでに適切なものは他にないだろう。
……愛○プで出されたら、スタジオからどれだけ離れた所にネームプレートを貼られることか、分かったものではない。
「……」
無言のまま、その料理と、それを作った人物とを見比べる。
「な、何です?」
その意図するところを理解しているのか、秋葉が少したじろいだ。
「これは……何だ?」
これ以上無い程に、短刀直入且つ素朴な疑問。
「う……そ、それは……」
返す言葉に詰まる秋葉。
「……えっと、ただ単に鮭のムニエルを作るのでは、何だかちょっと物足りないと思いまして……」
「……で?」
「その……イクラを擦り潰した中にキャビアとハニーシロップを混ぜて、赤ワインで一煮立ちさせた特性ソースを……」
『……』
周囲を埋め尽くす沈黙の一時。
「あ、秋葉……貴女、私の隣でそんなものを……」
と、眉をひくつかせながらシオン。
「秋葉様……もしかして、私より料理が下手なんじゃ……」
と、小声で翡翠。
「す、素晴らしいセンスです! その実力なら、翡翠ちゃんと双壁を成せます!!」
と、興奮気味に琥珀さん。
「……あ、秋葉……お前……」
俺は何も言葉にすることができなかった。
再び、ある意味奇蹟の逸品とさえ言えるその品に、目線を戻してみた。
そこで奏でられている超絶なまでの不協和音。
まるで、食材達の叫びが、声となって耳に届いてくるような錯覚を覚えた。

“俺は、こんな惨めな姿になるために、世界三大珍味に選ばれた訳じゃねぇっ!”

というキャビアの叫び。

“私も、こんな化学兵器の材料を作るために、雨の日も風の日も飛び回っていた訳じゃないわよっ!”

というミツバチの悲鳴。

“あたしこそ、こんな毒物の基盤となるために、数十年も寝てた訳じゃないのよっ!”

という赤ワインの主張。

各々が、声を大にして訴えている。
しかし、それらの中に置いても、一際強いのはやはり彼の叫び声だった。

“僕だって、こんな形で親子の再会は果たしたくなかったよ……!!”

イクラの静かな怒号。

確かにそれはもっともだ。
こんな最悪な形での再会は、君の望むところではなかったろう。
あぁ、どうか、我が妹の愚行を許してやってくれ。
わざとじゃないんだ。
みんな、君たちの為を思ってのことなんだよ。
心の中で陳謝する。
別に、たかが食材じゃないかと思うかもしれないが、それはこの場にいないからこそ言えることだ。
実際にこの料理を見たら、そんな呑気なことは言ってられないだろう。
様々な意味で、万人をひれ伏させるだけの迫力が、ひしひしと伝わってくるのだ。
「……と、とにかく! せっかく作ったんですから、一口くらい食べてみてはいかがですか!?」
『!!?』
秋葉のそんな言葉に、その場にいた全員が、一人の例外もなく凍り付いた。
背筋を駆け抜けるおぞましいまでの戦慄。
「……あ、ほ、ほら、秋葉様? 志貴さんがとっても食べたそうにしてますよ〜」
「いっ!?」
琥珀さんのその言葉に、俺は反射的に声を上げた。
「こ、琥珀さん!? い、一体何を……」
「まぁまぁ。秋葉様が、必死の思いでお作りになった料理なんですよ? 四の五の言わず、食べてみてあげたらいかがです?」
満面の笑顔で、責任をなすりつけてくる琥珀さん。
冗談じゃない。
こんな毒物としか思えない物体を口にして生きていられるほど、俺の身体は頑丈な造りをしちゃいないぞ。
「そ、そんな無責任な……」
半分泣き声になりながら、翡翠の方に助けを求める。
「……」
……が、翡翠は無言を保ち、申し訳なさそうにうつ向いたまま、一言も口を開こうとはしなかった。
「……シ、シオン……」
すがるような眼差しで、俺は背後を振り返った。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時09分(14)
題名:存在し得ないはずの二人(第十四章)

「……そ、そうですね。確かに、この料理には秋葉の想いが詰まっている以上、志貴には食べる義務があります」
頭上からずっしりとのしかかる、冷たく突き放すかのようなシオンの言葉。
その顔には、ごめんなさいとしっかり書かれている。
けれど、助けてくれる気はないようだ。
「み、みんなして……そんな……」
あぁ、この世には情けも容赦も無いものか。
「あの……兄さん……その……」
秋葉が指先をもじもじとさせながら、伏し目がちにこちらを見つめる。
心なしか潤んだその瞳を見ていると、何だかこちらが悪者なような気になってくる。
「う……」
返す言葉に詰まった。
そんな表情、いつもは絶対にしないくせに、こんな時だけ卑怯じゃないか。
……もう、既に勝敗は決していた。
いや、良く考えなくても、始めから俺は負け戦を挑んでいたのだ。
そう、さながら、たった三国の同盟だけで世界に反旗を翻した挙げ句、果てには国土を焼き尽くされた日本のように。
違うところと言えば、ここにはドイツもイタリアも居ないということだ。
居るのはアメリカやイギリスばかり。
四面楚歌とは、まさにこのことを言うのだろう。
「……ふぅ、分かったよ、秋葉」
俺は心配そうな秋葉に向かって、優しく微笑みかけてやった。
それは、朗らかな笑みではなく、どちらかというと諦観の微笑だ。
その料理を手近に引き寄せる。
グロテスクに変色した鮭の身を、箸で一切れつまみ上げた。
鼻孔を刺激する未だかつてない香り。
それは、もはや匂いの暴力と言っても過言ではない。
良く、見栄えの悪い料理を前にして、
“料理において本当に大事なのは、見た目じゃなく味なんだよ”
と言っている場面を見かける。
だが、それは、美味しいかもしれないという可能性が、例え僅かにしろまだ残っているからこそ言える言葉だ。
もし、目の前に、その可能性を根本から断ち切ってしまうような、全てにおいて嫌な方向に想像を絶するものが置かれた場合、果たしてどうすれば良いのか?
いくら考えてみても、浮かび上がる結論はただ一つ。

“諦めろ”

……それだけだった。
「……よし、いくぞ……」
敢えて決意を言葉にすることで、自らの背中を押してやる。
覚悟は出来た。
それに、もう後戻りは出来ない。
居間に居る全員の視線を一身に受け、俺は……

――パクッ。

……恐る恐る、それを舌の上に乗せた。

――もぐもぐ……。

味わいたくない思いを必死に堪え、しっかりと噛みしめる。
この世にお別れを告げる準備は万全だ。
さらば、我が短き人生。
心の中で、己に敬礼を手向ける。
……しかし、
「……あれ?」
当初、想像していたような恐ろしい味は襲ってこなかった。
何だか口の中が妙な感覚だ。
「……ど、どうですか?」
祈るように胸の前で手を組み合わせながら、秋葉が尋ねかけてきた。
「う〜ん……」
俺は返事に困った。
不味くはない。
不味くはないのだが……美味くもない……。
……と言うか、味がしない?
首を捻る。
一体どういうことだ?
秋葉の言っていた使用食材達から察するに、無味ということはまずあり得ない。
けれど、現に味を感じないのは何故だろう?
とりあえず、感想だけは伝えてやらないと。
そう思い、口を開いた……まさにその瞬間だった。
「いや……案外、不味、く、……はない、んだ、けど……!?」
突如として異変は牙を剥いてきた。
口の中いっぱいに広がる、未体験の味。
文章での例え様がない。
もう、赤ワインをベースに、擦り潰したイクラとキャビアとハニーシロップを混ぜた味としか言えない。
何故なら、似たような味を産み出せそうな組み合わせが、他に一つも想像出来ないのだから。
その時、何故最初は味を感じなかったのか、その理由が分かった。
こんな殺人的風味、いきなりはっきりと味わってしまったのでは、その瞬間にショック死しかねない。
つまり、生命の危機に面した時の、脳の本能的な防御機能が働いたということだろう。
だが、今やそのバリケードは、既に無効化されてしまっていた。
もう、口内を侵略する味覚に対して、抵抗する術はない。

――カラン。

指先から力が抜け、落下した箸が床にぶつかる。
ぐらりと体が傾いていくのが、自分でも分かった。
だけど、全身を襲う激しい虚脱感のせいで、微塵も力が入らない。
「あ……あ……き、は……」
もはや、体勢を維持するどころか、言葉を紡ぐことすら苦痛。
急速に意識が遠退き、自我と世界を隔てる境界線が薄れてゆく。
視界から色が失われ、気付いた時には眼前全て漆黒の暗闇。
そんな中、みんなの俺を呼ぶ声が、微かに耳に届いた気がした。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時10分(15)
題名:存在し得ないはずの二人(第十五章)

いつの間にやら、時刻はもう夕暮れ時。
天高く昇っていた白黄色の太陽は、いつしか赤色の輝きとなって大地へと降下を始め、今となっては、地平線から僅かに顔を覗かせるのみだ。
先までの青雲は鮮やかな赤に彩られ、そこを漂うかつては白かった旅人たちも、今はその色を全身に纏っている。
眩い赤の陽光が、一つの例外も許すことなく世界を染め尽くしていた。
日中暖められた気温も、徐々に低下し始めているのだろう。
だんだんとだが、辺りを吹きそよぐ風の中にも、朝の肌寒さが舞い戻ってきているかのようだ。
この場所を象徴するかのように、周囲から聞こえてくる賑やかな声。
子供のわめき声や、それをなだめる親の優しい声、それに、恋人達の朗らかな笑い声などが、穏やかで平和な雰囲気をより一層飾り付けている。
そんな中、俺の周りでは……、
「よ〜し! いいわ! 次で決着をつけようじゃないの!」
「望むところです!」
……などといった、平和な穏やかさなどとは遥か無縁の怒声で溢れていた。
誰の声なのかは言うまでもないだろう。
この二人、朝から今まで、延々と遠野志貴を巡ってのサバイバルを繰り広げているのだ。
その中心に居るのは、俺、七夜志貴だというのに。
逃げ出したいという気持ちは、ここ―俗に言う遊園地に来て以来、絶えずあった
……が、両サイドを真祖の姫と代行者に固められては、さすがにどうすることも出来ない。
いくら俺でも、この二人を相手にして逃げ切れる自信はさすがに無かった。
況してや、殺すなどもっての他だ。
暗闇に紛れていない暗殺者など、普通の人間と何ら違いはない。
殺人鬼の真似事をしてみたいという気持ちはあったが……どうにも、やる前から結果が見えてしまっているのが辛いところだ。
今更、死に対して躊躇も恐怖もありはしないが、こんなところで無益な無駄死にはご免だな。
「着いたわ。最後はここで勝負よ!」
そんなことを考えていた矢先、左手側から聞こえてきたアルクェイドの声に、俺は知らず知らずの内に伏せていた顔を持ち上げた。
その視界に映るのは、白い長方形の大きな建物。
上方に掛けられた看板には、銀色の文字で“鏡の館”と記されていた。
その内部へと目を向ければ、囚われた視線が無数に反射し、出口へとたどり着くことなく閉じ込められる。
「題して、“ミラーハウス早抜け対決”!」
シエルを指差しながら、アルクェイドが声高らかに宣言する。
周囲から向けられる奇異の視線など完全に無視だ。
「良いでしょう。今度こそ、貴女と私の実力の違いを教えて差し上げます!」
「あら、何を言ってるの? 教わるのは貴女の方よ? シエル」
「ふっ、その根拠の無い自信はどこからくるのでしょうね?」
「言ってなさい。今の内に、負けた時の言い訳を考えておくことね」
互いに睨み合うアルクェイドとシエル。
中空にて交差する視線が、二人の間でバチバチと火花を散らす。
前言撤回……と言うより訂正。
周りはおろか、限りなく近場の俺でさえも、まったくもってアウト・オブ・眼中だ。
ここに着いて以来、二人はずっとこんな調子で勝負の繰り返しだった。
いちいちこれまでの詳細を説明してはいられないので、ここは結果だけで済ませていただく。



アルクェイドVSシエル。


第一ラウンド。

フリーフォール連続垂直落下耐G対決。

結果:十数回連続の垂直落下に耐えられず、七夜志貴撃沈。
これにより、アルクェイドが「志貴と一緒に乗れないならイヤー」と駄々をこねたため、敢えなく引き分け。


第二ラウンド。

ゴーカートによるトラック3周タイムトライアル。

結果:アルクェイドの爆走による無差別衝突の餌食となり、シエルの操縦機体が大破。
マジ切れしたシエルの黒鍵により、アルクェイドのカートまで串刺し。
タイムトライアルのはずが、いつの間にかバトルロワイアルとなってしまったため、こちらも引き分け。


第三ラウンド。

遊園地付属のボウリング場にてボウリング対決。

結果:ボウリングの球を、文字通りぶん投げるアルクェイドの投球フォームに対するクレームによって追い出しをくらい、これまた引き分け。
倒せなかったピンに対して、常人の目には到底映らないであろう速度で投擲された黒鍵のせいで、幾度もレーン詰まりの警告音が鳴り響いたことも、追い出された理由の一つかもしれないが。



……とりあえず、今のところは全て勝敗がつく前に試合中止となっているということだ。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時11分(16)
題名:存在し得ないはずの二人(第十六章)

ちなみに、ここまで施設を派手に損壊させておきながら、未だに俺達がここから強制退去させられていないのは、それらに関係ある係員のことごとくに対して、シエルが片っ端から暗示をかけて洗脳しているからだったりする。
何とも性質の悪い客だ。
そして、ここが第四ラウンド目の戦場。
勝者には、俺と二人っきりで観覧車に乗れる権利が与えられるらしい。
そして、俺にそれを拒否する権利は無いと言う。
これまたはた迷惑な話だ。
「それじゃあ……行くわよ!」
「かかってきなさい!」
その権利目指して、二人は同時にミラーハウスの中へと駆け込んでいった。
……金も払わずに、だ。
「……すまない。ここのチケットを二枚くれ」
「……え? あ、はい」
光の乱反射が織りなす視覚の牢獄の中へと消えてゆく二人の後ろ姿を見つめつつ、俺は近場にあるチケット売り場へと歩み寄ると、千円札を一枚取り出し、呆気に取られる女性の係員にそれを手渡した。
二人分のチケットと、釣りの硬貨数枚を受け取る。
「……貴方も大変ですね」
「……理解してくれるか」
哀れむような慰めるような係員の言葉に、七夜は憔悴しきった声で呟いた。
最初のフリーフォールによる、連続垂直落下が原因だろう。
胃の中がぐるぐると渦を巻いているようで、まだ気分はすこぶる悪い。
「大丈夫ですか? 何だか、余り顔色が優れませんけど……」
「平気だ。問題ない」
いつもなら、間違いなく無視をする他人との無意味且つ無価値な会話。
だが、今は何故か言葉を返したい気分だった。
人間、激しく衰弱すると他人の存在が恋しくなるというのは、あながち間違いでもなさそうだ。

――ガシャーン!

と、何の前ぶれも無しに聞こえてきた、甲高い崩壊の音。
音源は……言うまでもないだろう。
「あぁ〜っ! 何やってるんですか!? そんなの反則ですよ!?」
「うっさいわね〜! 勝負の世界に反則もへったくれもないわよ! 勝者こそ全て! 勝者が一番偉いのよっ!!」
「言いましたね!? そちらがその気なら、こちらだって容赦はしませんよ!!」

――ガラガシャーン!! バリバリバシャーン!!

建物内部より届くのは、二人分の聞き慣れた怒声と、一層度合いを増し、依然として響き続ける硝子の砕ける砕屑音。
『……』
無言のまま、ミラーハウスを見つめる俺と係員。
「やった〜っ! 私の勝ちぃ♪」
「くっ……私も、最初からこの手を使っていれば……直線的な動きが遅かった分、タイムロスが大きかった……」
出口の方から聞こえてくるのは、アルクェイドの歓喜の雄叫びとシエルの悲壮感漂う落胆の声。
「……ホント、大変ですね……」
「……あぁ」
係員のそんな言葉に、俺はこめかみを押さえながら頷くのみだった。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時12分(17)
題名:存在し得ないはずの二人(第十七章)

目の前を埋め尽くす暗闇。
それは、瞼の裏にのみ広がる果ての無い暗黒だ。
虚ろでぼやけた意識の輪郭が、徐々にその形を取り戻してゆく。
「う……うぅ、ん……」
全身を襲う気だるい倦怠感の中、俺はうめきながらゆっくりと瞼を開いた。
その視界に映し出される見慣れた天井。
そこに取り付けられた人工的な光源が、部屋全体を隅々まで照らし出していた。
窓の方へと目を向けてみる。
その奥に覗ける外界は、既に薄暗い宵闇に抱かれていた。
仄暗い灰黒色の空に浮かぶ、明るい三日月が、夜に包まれた街並みを照らしている。
「……あ、志貴。気が付きましたか?」
「ん……?」
そんな折り、不意に傍らから聞こえてきた声に、俺はその方へと寝返りを打った。
「……あぁ、シオンか」
視界に映る、椅子に座ったまま少しだけ上体を乗り出し、こちらを見下ろすシオンの姿。
そのどこか心配そうな眼差しを受けながら、体の上にのしかかる布団を押し退け、俺は緩慢な動きで上体を持ち上げた。
改めて周囲を見渡す。
枕元に置かれた背の低い小さな棚。
その机上には、今まで数えるほどしか働いていない目覚まし時計が置かれている。
他、本棚やクローゼット等の家具を含め、その配置は全て見覚えのあるものばかりだった。
間違いない。
ここは俺の部屋だ。
この現状から察するに、どうやら俺は、今までベッドの中で眠っていたらしい。
……でも何故だ?
その理由が思い出せない。
何か……具体的には分からないが、何かしらのとてつもなく恐ろしい事件が、この身にふりかかっていた……気がする。
……あれ?
そういえば、何でシオンがメイド服なんか着てるんだ?
何だか記憶が曖昧だ。
自己防衛のため、脳が思い出すという行為を拒絶しているのかもしれない。
「あの……大丈夫ですか?」
頭を抱えて脳内の記憶バンクをあさる俺に、シオンの不安げな声が投げ掛けられた。
「え?」
その言葉の意味するところを理解出来ず、俺は返す言葉で問い返した。
大丈夫?
一体どういうことだ?
「……覚えていないのですか? 昼頃に、秋葉の料理を食べて、そのまま気を失って……」
「……あぁ」
その言葉を最後まで聞き終わる前に、俺は全てを思い出した。
そうだ。
確か、琥珀さんの悪巧みのせいで、今日一日は秋葉とシオンがメイドになってたんだったな。
題名は……確か、秋葉の“一日体験メイドのお仕事”だったかな。
まぁ、そんなことはどうだっていい。
記憶の水面に掛かっていた靄が晴れるに従って、喪失していた感覚が口内にて蘇る。
それは、長時間放置されていたことによって、大分薄まってはいたものの、到底この世のものとは思えぬすさまじい味覚は、まだまだ健在そのものだった。
甘いのか辛いのか、それとも苦いのか、それすらも判断出来ない。
分かることはただ一つ。
それが、とてつもなく不味いということだけだ。
一口で意識を失うほどなのだ。
わざわざ説明せずとも、その殺傷力は容易に想像出来るだろう。
未だに胃の中に残る一種のお手軽化学兵器。
それに対する拒絶反応のせいか、胃から食物が逆流しかける。
「……うっ……」
片方の手で口を覆い、重力という名の自然の摂理に反する流動を、必死の思いで押さえ込む。
「し、志貴!? だ、大丈夫ですか!?」
「大丈夫。心配いらないよ」
慌てて椅子から立ち上がり、背中へ手を伸ばそうとするシオンの動きを、俺は軽く制した。
正直、今背中をさすられでもしたら、間違いなく戻してしまうだろう。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時12分(18)
題名:存在し得ないはずの二人(第十八章)

そうなれば、今着ている服はもちろんのこと、シーツまで汚してしまうことになる。
何より、シオンに自分のそんなみっともない姿を見られたくはない。
胸の上に手を置き、深々と深呼吸しながら、その衝動が治まるのを静かに待つ。
すぅ〜……はぁ〜……。
すぅ〜……はぁ〜……。
……よし。
これで大丈夫。
強烈な吐き気が陰を潜めると、俺は安堵の内に胸から手を離した。
「……ところで、志貴」
そんな俺の様子を見越してか、シオンがタイミングを見計らって声を掛けてきた。
「ん? 何?」
「……例の話です」
シオンが声をひそめる。
それだけで、彼女がこれから話そうとしていることの内容は、容易に想像がついた。
「……何か分かったのか?」
彼女に合わせて、俺も問いかける声のトーンを下げる。
「いえ、正確なことは……ただ……」
「……ただ?」
問い返す俺に、シオンが少し戸惑い気味の表情を浮かべる。
言うべきか言わざるべきか、迷っているかのようだ。
彼女はしばらく間を取った後で、躊躇いがちに口を開いた。
「……アトラス院からの情報によると、新たに死徒二十七祖の座に着いた者がいるそうです」
「新しい死徒が……」
低い声で小さく呟く。
俺の脳裏に浮かび上がる、つい最近まで確かに在った、今となっては過去の血生臭い非日常。
永遠に終わることの無い、輪廻転生の輪から外れた存在。
死を怖れ、生に執着するそのあまり、安らぎを忘れた存在。
それに終焉をもたらしたのは、絶対的な“死”を直視する、この瞳の力だ。
……代償は大きかった。
何も失うことなく、全てを終わらせることを望んでいた分だけ、それは深い傷痕をこの心に残していた。

――遠野君。

今も思い出せる、彼女の優しく暖かい声。
もう、二度と聞くことは叶わない。
もう、二度と話すことも叶わない。
……もう、二度と……あの朗らかな笑顔で、笑い掛けてくれることもない。
彼女は、既に記憶の中だけの存在。
……あんな思い、もう、二度とごめんだ……!
「……き……し、き……志貴?」
すぐ近くから呼ばれる自分の名。
「……え?」
過ぎ去った刻に囚われつつあった俺の意識が、現の世界へと一気に引き戻された。
知らず知らずの内に、伏し目がちになっていた顔を持ち上げる。
その眼前に見えるのは、少し陰ったシオンの表情。
「……本当に大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫。ちょっとぼーっとしてただけだから、心配いらないよ」
不要な心配は掛けまいと、俺は口元を綻ばせ、控え目な笑顔で彼女に微笑みかけた。
無意識の内に、痛いくらいに握り締めていた拳を、ゆっくりとほどく。
「……ならば良いのですが……」
「だから、心配ないって。それより、その死徒についての情報は?」
依然として不安の色を隠しきれないシオンに向かって、俺はより明るい笑顔を取り繕うと、催促するように尋ね掛けた。
「……その死徒についての情報は、残念ながらほとんど入手出来ていません」
そんな俺の様子に、今一つわだかまりの消えない表情を浮かべながらも、シオンは仕方なしにといった様子で口を開いた。
「分かっていることは、最近二十七祖の座に着いたということだけです」
「容姿とか能力も分からないのか?」
「えぇ……それ以上のことは分かりませんでした。その存在が確認されてから、ほとんど間が無いため、まだ情報が不足しているのでしょう」
申し訳なさそうにうつ向く。
唇を真一文字に引き締め、どこか悔しそうにも見える。
毎夜毎夜、深夜まで吸血鬼に関しての研究をしており、それに増して新しい死徒についての調査とくれば、いくら彼女と言えど明らかにオーバーワークだ。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時13分(19)
題名:存在し得ないはずの二人(第十九章)

にもかかわらず、愚痴や弱音の一つを漏らすこともなく、淡々と課せられた仕事をこなしていく。
その努力は、彼女のことを最も近くで見ている、俺や秋葉が一番良く知っている。
自分なら、同じことを出来るかと考えてみる。
迷うまでもなく、確実に無理だ。
「別にシオンのせいじゃないんだから、そんなに肩を落とさなくてもいいよ。それより……」
そんなシオンの苦労を労いながら、俺は真剣な口調で言葉を繋げた。
「……その死徒が、この町に現れる可能性はあると思う?」
「……これは、あくまでも私の予想で、推測の域を出るものではありませんが……その可能性は、十分あると思います」
「やっぱり、まだタタリが消えて間もないから?」
「えぇ。確かにそれもあるでしょう。一旦平穏を取り戻したとは言え、その爪痕は第二世代の吸血鬼という形で、今も町に残り続けていますから」
それもありますが……と言葉を紡ぎながら、シオンが下顎に軽く指を添える。
「それよりもむしろ、この町に真祖の姫君が居ることの方が、大きな要因となっているのではないでしょうか。新入りのタタリが、吸血鬼の処刑人である彼女を狙ってくる可能性は大いにあります」
「アルクェイドを……」
シオンのその言葉に、一抹の不安が心をよぎった。
アルクェイドの強さは異常だ。
そのことは、先の事件の時に判明している。
しかも、俺はまだ、本気になった彼女を見たことがない。
その理由は、あまり力を出し過ぎると、この世界の秩序そのものを壊しかねないからということらしい。
まさに、最強という語句が示すその通り、他の追随を許さない比類無き強さだ。
そんな彼女のことだ。
負けるなんてことは考えられない。
……だが、何だ?
この心を覆う、分厚い雨雲のような靄は?
「……まぁ、アルクェイドのことだ。間違っても負けるなんてことはあり得ないさ」
そんな嫌な思いを断ち切るように、俺は敢えて軽い口調で呟いた。
「……とにかく、例の死徒については私に任せておいて下さい。何かしらの情報が手に入り次第、直ぐに知らせます。……ところで……」
そこで一旦言葉を区切ると、シオンは俺から視線を外し、部屋全体を見回し始めた。
「……今、彼はここにいるのですか?」
一通り辺りを見渡した後、俺へと向き直りながらシオンが尋ねる。
彼とは、間違いなく七夜のことだろう。
「あぁ、あいつなら……今はちょっと外に出てるよ」
天井裏の屋根裏部屋を見上げながら、俺はそうとだけ答えた。
まさか、俺のフリをさせて、先輩とアルクェイドの相手をしているとは、さすがの彼女も思ってもいないだろう。
「そうですか……なら、仕方ありませんね」
「何か話したいことでもあったのか?」
小さく肩を落とすシオンに、俺は上方へと向けていた目線を戻しつつ問いかけた。
「えぇ、少し気になることが……」

――コンコン。

シオンの発言を遮るかのように、扉をノックする乾いた音が響き渡った。
「志貴さん。よろしいですか?」
「あ、はい。どうぞ」
その向こう側から聞こえてくる声に、俺は簡潔な返事を返した。
「失礼します」
軋んだ音を伴って開かれた扉の奥から、琥珀さんが姿を現す。
「もうじきお夕飯が出来ますので……って、あら?シオンさんもここに居らっしゃったんですね〜」
部屋の中に足を踏み入れながら琥珀さんが言う。
いつも通りの明るい笑顔。
それはつまり、何を企んでいるのか分からないということだ。
「えぇ。少し、志貴と話を……」
「シオンさん、シオンさん。そんな喋り方をしちゃダメです」
そう言おうとしたシオンの前で、琥珀さんは指をチッチッと口元で左右に揺らした。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時13分(20)
題名:存在し得ないはずの二人(第二十章)

「貴女は今、この屋敷のお客様ではなく、ここに仕えるメイドなんですよ? なら、主人である志貴さんのことを、“志貴”なんて呼び捨てにしちゃいけませんよ〜♪」
「う……」
シオンが返しに詰まる。
「ほらほら、何て言うんですか♪」
そんな彼女とは対照的に、琥珀さんが饒舌な口ぶりで囃立てる。
生来、彼女は人をからかうのがとっても好きな人だ。
こういう時の琥珀さんの笑みは、いつもより一層輝いて見える。
「…………」
シオンが、無言のままこちらを向いた。
頬を仄かに彩る淡い赤みが、その心理状況を良く表している。
「あ……えと……し、志貴……様……」
膝の上で指をもじもじとさせながら、シオンはしどろもどろな口調で呟いた。
うつ向き加減に、少し上目遣いでこちらを見上げてくる純な瞳。
……何だか、こっちが恥ずかしくなってくるじゃないか。
「あ……うん……な、何?」
そんな気恥ずかしさを隠すように、俺はその瞳を見返した。
「えっ……あ……そ、その……な、何でもありません!」
戸惑いを全面に思いっきり口ごもった後、シオンは声を荒げて椅子から立ち上がった。
そのままこちらに背を向けると、早足で琥珀さんの傍をすり抜け、逃げるようにして部屋を後にした。
普段、何事にも動じない素振りを見せてはいても、このようなシチュエーションはさすがに恥ずかしいのだろう。
いつもの気丈さの中に、時折見せる女性らしさを感じる度、シオンもやっぱり年頃の女の子なんだなと思う。
そんなこと、本人の目の前で言ったら、何と言われるか分かったものではないが。
「ふふっ。それじゃあ、私もこれで失礼しますね〜♪」
そう言って、琥珀さんも部屋から立ち去る。
「あ、そうそう。言い忘れてましたが……」
と、何を思い出したのか、扉をくぐるそのすぐ手前で、琥珀さんが割烹着の裾を翻しながらこちらを振り返る。
「今夜の夕飯は、秋葉様と翡翠ちゃんの共同作業による、志貴さんへの愛情たっぷりお手製料理ですから、冷めない内にお召し上がり下さいね〜♪」
楽しそうな微笑みを崩すことなく、軽い口調でそう告げる琥珀さん。
「……え゛」
……その言葉を俺の脳が解するまでには、かなりの時間を要した。
「それでは、失礼しました♪」
「あ! ち、ちょっと、琥珀さん!?」

――バタン。

俺の悲痛な引き止めの声も虚しく、扉の閉まる無慈悲な音で、部屋全体が満たされる。
反射的に伸ばされた腕が、訴えるべき目標を失い、中空にて宛てもなくさ迷う。
秋葉と翡翠の共同戦線。
その文章だけで、食卓を彩る情景が目に浮かぶようだった。
背筋を走り抜ける悪寒と、額に浮かび上がる薄ら寒い冷や汗。
そして、走馬灯のように蘇っては通り過ぎる数々の思い出たち。
死を目前にした時、人は瞬時の内に過去を回想するというのは、どうやら本当のことらしい。
「……はぁ」
出るのは深い溜め息のみ。
伸ばした腕を、力無くベッドの上に下ろし、倒れ込むようにしてその身を横たえる。
シーツの反動によって一度だけ小さくバウンドした後、その柔らかさの中に体が沈み込む。
思い起こされるのは、昼の食卓風景と、朝に交した七夜との会話。
「……代わりに、俺が行けばよかったかなぁ」
今になってかなり後悔。
だが、それは済んだ過去の事。
今更悔やんだところで、現状を回避することが出来るわけでもない。
逃げることなんか出来やしない。
今の俺に出来ることはただ一つ。
甘んじてこの状況を受け入れ、それに耐えることだけだ。
「兄さ〜ん。何をなさっているんですか〜?」
階下から聞こえてくる、無邪気な悪意で満ち満ちた声。
今、この手にあるのは、地獄行きの片道切符。
途中下車無しの待った無しだ。
「……今、行くよ……」
俺は生気の抜けた声でそう答えると、渋々とベッドから立ち上がった。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時14分(21)
題名:存在し得ないはずの二人(第二十一章)

依然として消えない賑やかな喧騒。
「何やってんのよ! シエル! あんたは負けたのよ!?」
「敗者は列に並んではいけないなんて法律はありません! 第一、あんなのルール違反じゃないですか!」
その最中、俺の周りで沸き立つ、一際目立った怒声混じりの言い合い。
「はぁ?何言ってんの?あんた、闘いにルールなんかあると思ってんの?バカも休み休み言いなさいよね」
「バカはそちらでしょう! ミラーハウスの早抜けというのは、“鏡を壊すことなく”という暗黙の了解があるものです!」
「そんなものにこだわるなんて、頭の硬い唐変木のやることよ。勝利こそ全て。勝者こそが偉いのよ」
「そんな理屈は子供の世界でしか通用しません! 考えてもみなさい! 鏡の無いミラーハウスで早抜けなんかして、勝負になるわけがないでしょう!?」
長蛇の列に並ぶ、全ての人々から向けられる奇異の眼差し。
「……はぁ」
やはり、出るのは相変わらずの溜め息のみ。
列に並んで待つ間、常に変わらずこの状況。
一般人からしてみれば、もはや一種の拷問とさえ言えるだろう。
何か凝った罰ゲームを考えてくれと言われれば、迷わずこの現状の再現を提案しよう。
目線を上へと持ち上げる。
そびえる山の如き巨大な建造物が目に映った。
数多の電灯でデコレートされた眩いそれは、この辺りでは最大級の規模を誇る観覧車だ。
一周当たりに掛かる時間約20分というから、かなりの大きさである。

――20分か……。

ちらっと横へ視線を傾ける。
「ちょっとあんた! 今のは聞き捨てならないわ!」
「なにがです?」
「目玉焼きよ、目玉焼き! マヨネーズなんて邪道よ! 目玉焼きには醤油って決まってるでしょ!」
「はぁ!? 何を言ってるんですか! 目玉焼きとマヨネーズの相性の良さを、貴女は知らないんですか!?」
「目玉焼きみたいなあっさり物に、マヨネーズなんて合うわけないじゃない!醤油は日本人の心よ!?」
「あっさりしてるからこそ、あのちょっと油っぽい味がマッチするんです! 第一、貴女は日本人どころか人ですら無いでしょう!?」
終わる気配すら見せない壮絶な論争。
その焦点は、いつしか決闘の内容から、目玉焼きには何をかけるべきかに変わっていた。

――……勝負の話はどうなったんだ?

内心密かにツッコミを入れる。
まったく、騒がしいにも程がある。
相手がこの二人でなければ、とっくに実力行使で黙らせているところだ。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時15分(22)
題名:存在し得ないはずの二人(第二十二章)

――こんな奴らと、密室の中で20分か……。

……考えただけでも身が震える。

――頼む!この通りだからさ!

回想される朝の会話。
あの時は、ここまで肉体と神経を衰弱させられるような重労働だとは、思ってさえいなかった。
志貴め。
帰ったら、それ相応の見返りをいただくからな。
そんなことを考えながら、俺は更に上へと視線を持ち上げた。
空は漆黒。
だが、周囲を埋め尽くす人工の明かりのせいで、本来あるべき自然の暗さは微塵も感じ取れない。
上空に浮かぶ三日月は、果たして満ちゆく月か欠けゆく月か。
「次の方どうぞ〜」
と、そんなことを考えている内に、どうやら順番が回ってきてしまったようだ。
目線を地上へと戻してみれば、つい今しがたまで前にいた人々は、皆ゴンドラに乗り込んだ後だった。
上方より下降してくる楕円形のゴンドラが、ある種の牢獄に見えてしまうのは、ここに並ぶ人間の中でもおそらく俺だけだろう。
係員に呼ばれるまま、俺は重い足取りで牢へと続く階段を上り始めた。
断頭台へと続く階段を、一歩一歩踏みしめるように歩く死刑囚になったような気分だ。
そして、最後の一段に足を掛けた……その瞬間。
「わぁっ!?」
「きゃぁっ!?」
背後から聞こえてきた、二人分の騒音混じりの悲鳴。
「いった〜っ! あんた、なんてことしてくれんのよっ!」
「それはこっちのセリフです!」
次いで鼓膜を刺激する怒りの声。
何が起きたのかくらい、見なくても大方の想像はつく。

――……しめた。

俺は心の中でそう呟くと、後ろで転倒しているであろう二人には目もくれず、早足で歩みを進めた。
「あ、えと……お、お一人ですか?」
「あぁ」
手短かに返事し、素早くゴンドラへと乗り込む。
「そ、それでは、どうぞ快適な空の旅を……」
いまいちキレの悪い口調で告げられるマニュアル通りのセリフと共に、内部と外界を繋ぐ扉が閉められる。
『って、あぁ〜っ!!』
くぐもって聞こえる、重ねられた二人分の声。
何気なくそちらへと目線をやってみれば、すさまじい形相でこちらへと駆け寄る二人の姿が見えた。
何やら激しい口調で係員をまくしたてた後、その乗降口にて再度激しい口論を始める。
他の客の迷惑など、頭の片隅にも残っていない。
そんな二人に、係員もいい加減うんざりしてきたのだろう。
その背中を押し、半ば無理矢理な感じでゴンドラ内部へと二人まとめて押し込む光景が、次第に上昇しゆく視界の端微かに見えた。
設置された席に座り、背もたれに身を預ける。
「……ふぅ」
ホッと一息。
屋敷を出て、あの二人に出会してからというもの、こんなにも静かに寛げるのは、これが初めてではないだろうか?
……まぁ、誰かさん達のせいで、些かゴンドラの揺れは激しいものの、今までの苦労に比べれば、この程度のことは何ともない。

――……。

何となく、首を横へ捻り、近い側の窓から外を見てみた。
徐々に上昇しつつある景観。
見下ろせる街並みは、それら一つ一つが明かりを灯しており、さながら地上にさんざめく幾多の星々のようだった。
初めて乗ったが……なるほど。
確かに、これほどの景観を生み出し、且つ密室になれる場所など、ここ以外にはそうそうないだろう。
並んでいた列の大半がカップルであったことも、今となっては容易にその理由が想像出来る。
そんな中、今この五体を抱くのは、心地のよい揺れと無音の静寂のみ。
……徐々にだが、眠たくなってきた。
何だか……瞼が……重く、なっ……て……。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時16分(23)
題名:存在し得ないはずの二人(第二十三章)

――――
――――、――――――


気が付いた時、辺り一面は闇で覆い尽くされていた。
視界からは、黒以外の一切の色彩が排除されている。
ここは……どこだ……?
まどろみの中で行う、ほんの僅かな思考。
……あぁ。
すぐに答えは出た。
そうか。
ここは、俺の夢か。
周囲を見回す。
果てのない永遠の如き暗闇。
何気なく歩みを進めてみる。
だが、景色は一向に変わることをしない。
いや、それどころか、今自分が本当に歩いているのかすら定かでない。
立っているのか、座っているのか、それとも寝転んでいるのか。
自分の体が在ると認識するための要素が、ここにはただの一つも無かった。
ありとあらゆる自然の摂理より解き放たれた、光さえも喰らう深い深い闇。
故に何物にも照らされることはなく、続くのはひたすらに暗黒のみ。
なるほど。
これが俺か。
確かに、俺に思い返せるような過去は存在しない。
思い出はある。
記憶もある。
だが、それらは全て、七夜志貴の過去ではなく、遠野志貴の過去でしかない。

其故我が身に過去は無く、

其故我が身に生は無く、

其故我が身に意味は無く、

其故我が身は空虚也。

……だが、不思議と虚しさは感じない。
自らの存在を見つけられないのに。
身心共に空っぽでしかないのに。
存在することに意義を感じないのに。
にもかかわらず、そのことについて何も感じることはなかった。
探そうとも思わない。
それは、おそらく俺自身が、自分について無関心だからに他ならないだろう。
意味が無いという意味も、また一つの意味の形だ。
そう、納得しているのだ。
……だが。

――……つまらない。

そんな言葉が口を突いて出た。

――つまらない……あぁ、まったくもってその通りだ。この場所は、暗いだけでナニモナイじゃないか。これでは愉しいことなんてありはしない。誰かをコロスことも出来ない。

暗く淀んだ呟きは、闇に喰われて消えてゆく。
だが、俺の唇は声を発し続ける。

――つまらない、ツマラない、ツマラナイ。こんなナニモナイ世界はもううんざりだ。痺れるような快楽が欲しい。脳髄がとろけるような、死と隣り合わせのコロシアイがしたい。

俺の内側から溢れ出る衝動。
近くに人間が居れば、間違いなくコロシている。

――この世界を真紅で染めてみたい。目に見える全てを。そして、この俺自身までもを。

欲求が膨らむ。
際限無く、どこまでも膨張してゆく。

――あぁ、もう限界だ。次に見えた人間をコロそう。誰でも構わない。手足を切り、胴を穿ち、耳を千切り、鼻を削ぎ、頬骨を砕き、眼球をえぐり、首をはね、その五体を微塵に切り裂いて…………。

――絶対に殺しはするなよ。

そんな折り、不意に脳裏にて蘇ったもう一人の俺の言葉。

――……。

その声に、激しい渇きを訴えていた欲求が縮小してゆくのを感じた。
眠りの最中を漂っていた意識が、急速に現実へと引き戻される。
「……」
無言のまま瞼を持ち上げる。
窓の向こうに覗ける景色は、いつの間にか上昇から下降へと移行しており、その高度は既に人の視線と大差ない。
ほんの数分、うとうとしていただけだと思っていたが、どうやら約20分丸々眠り込んでいたようだ。
よほど疲れていたということだろう。
内外を隔てていた扉が開かれ、係員に促されるがままにゴンドラから降りると、俺はふとその一つ手前のものへ視線を送った。
相も変わらず、そこだけが派手に横揺れしている。
窓越しにも良く見える、何やら激化の一途をたどっているらしき二人の口論の模様。
正直、これ以上の面倒事はもうごめんだ。
それに、これだけ時間を稼げば、もう十分に課せられた義務は果たしたと言えるだろう。
俺は、緩慢な動きで回転し続ける観覧車に背を向けると、その中に二人を残したまま、足早にその場から立ち去った。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時17分(24)
題名:存在し得ないはずの二人(第二十四章)

草木も眠る丑三つ時……とはよく言ったものだ。
風が少しも吹いていないせいか、本当に草木たちまでもが眠りに落ちているかのようだ。
ほぼ全ての家屋から明かりは消え、月の柔らかい光と街頭の無機質な灯り、それに夜の静寂のみが、今この時の街を包み込んでいる。
そんな中、唯一と言っていいであろう明かりの灯された一つの部屋。
「よっと」
そこ、遠野邸二階の窓から、その内部へと侵入を試みる一つの影。
予め開けておいた窓の縁に一旦腰を下ろし、履いていた靴を脱ぐ。
その片方の手には、コンビニの袋がぶら下げられていた。

――まったく……何で俺がこんなことを……。

心の中で一人ごちる。
無理もない。
この部屋の主は彼なのだから。
そんな彼が、何故わざわざ二階の窓から、こんな不法侵入まがいのことをしなければならなかったのか。
「よう、早かったな」
その理由は、窓際のベッドにて堂々と寝転がる、この人物のせいに他ならない。
「お前が早く買ってこいって言ったんだろ」
脱いだ靴を逆さにして壁に立てかけ、部屋の中へと足を踏み入れながら、志貴は不満げに呟いた。
後ろ手に窓を閉め、手早く鍵を掛ける。
「時間を無駄に浪費することは、合理的に事を進めるためには極力避けるべきだろう。早ければ早いにこしたことはない」
そんな志貴に向かって、さも当然のことのように言いながら、七夜はベッドの上で身を起こした。
「……で、頼んだ品は買ってきてくれたか?」
「あぁ」
催促するかのように伸ばされる七夜の手のひらに、志貴はコンビニの袋を乗せてやった。
ごそごそと中をまさぐり、そこからケース入れの何かを取り出す。
それは、どこにでもあるような、何の変哲もない普通のおはぎだった。
きな粉のものとあんこのものが2つずつ入っている。
蓋を取り外すと、付属の爪楊枝できな粉の方を突き刺し、一気に口の中に頬張る。
「……」
……余程大好きなのであろうか。
無言ではあったが、至福の一時に、自然と顔の筋肉も弛んでいる。
一つ目を食べ終えるとほぼ同時に、爪楊枝は新たな標的へとその切っ先を変更する。
突き刺されては、次々と吸い込まれるように彼の口元へと運ばれてゆくおはぎたち。
「……お前、そんなにおはぎ好きだったっけ?」
ベッドの上に座り込み、夢中でおはぎにがっつく七夜を見つめながら、志貴は呆れ混じりに尋ねた。
「あぁ……なんだ? お前も欲しいのか?」
七夜が尋ね返す。
その手に握られた爪楊枝には、早くも最後となったおはぎが突き刺さっている。
一応聞いてはいるものの、あまり譲る気は無いようだ。
「いや、別にいいよ。存分に食べてくれ」
自然と浮かび上がってくる笑みを堪えながら、志貴は言葉を返した。
なんだ。
少しは普通の人間らしいとこもあるんじゃないか。
胸に覚える、ちょっとした安心感と微笑ましさ。
その間に、残っていた最後のおはぎも一口の内に食され、その後には空となったケースが残るのみとなった。
「そういえば、志貴よ。秋葉の料理は如何なものだったのだ?」
「え?」
部屋の隅にあるゴミ箱目がけて、空箱を投げながらの七夜の唐突な問いに、志貴は思わず声を上げた。

――カッ。

縁に当たったそれは、乾いた音を立てて狙い通りのところへ落ちた。
「何でそのことを知ってるんだ?」
「お前が帰ってくる少し前、手洗いに立った時に廊下で琥珀とすれ違ってな……む?」
不意に言葉が途切れる。
その目線は先のコンビニ袋の中へ落とされていた。
「……おい、志貴。俺が頼んだのはニンジンジュースだったはずだぞ?」
そこから一本の缶入りドリンクを取り出し、非難の眼差しで志貴を見つめながら、その眼前に突き出す。
そこに記されている、“新鮮!野菜の園!”という緑色の商品名と、原材料の野菜たちの擬人化された可愛らしいイラスト。
「仕方ないだろ。ニンジンジュースなんていうマイナードリンク、コンビニなんかに置いてないって。一応ニンジンも入っているんだから、それで我慢してくれよ」
「……仕方ない」
七夜が渋々といった様子で呟く。
まぁ、買ってきたのも志貴なら、金を出したのも志貴だ。
残念ながら、彼に文句を言う権利はない。
「そんなことより、琥珀さんにバレてないだろうな?」
「安心しろ。ちゃんと眼鏡も掛けていたし、口調にも気をつけたつもりだ」
「ならいいけど……」
そんな言葉とは裏腹に、志貴は不安を感じずにはいられなかった。
こいつは、まだ琥珀さんの鋭さを知らない。
ちょっとでも怪しいと思われたら、もはやそれまでだ。
……まぁ、こんな夜遅くに、一体彼女が何をやっていたのかは気になるところだが、あまり詮索はしないようにしよう。
まだこの歳で死にたくはない。
「で、どうだったんだ?」
「……その話は止めてくれ。思い出しただけでも気分が悪くなる」
ちびちびと野菜ジュースに口を付ける七夜に向かって、志貴は覇気の無い声音で呟いた。
まだ口の中に、あの時の壮絶な味の残り香が漂っているような感じだ。
まさに味覚の暴力。
食した者を卒倒させるあの破壊力は、もはや一種の兵器と言っても過言ではない。
「本当、お前の替わりに、俺がそっちへ行けば良かったよ」
「甘いな」
肩を落としながらのそんな呟きに、七夜が不満げに言い返す。
「こちらの方が楽だったと思うのなら、それは大きな間違いだぞ。志貴。味なんてものは一瞬、長くても数分程度のものだ。それに引き替え、俺の方は数時間も同じ状況。どちらが辛いかくらい、言わずとも分かるだろう?」
「って言ってもなぁ……お前はあの殺人的風味を味わってないから、そんなことが言えるんだよ」
「あぁ、それなら、俺だって同じことが言えるぞ。お前はあの場にいることの精神的苦痛を知らないから、そんなことが言えるんだ」
苦々しく吐き捨てるように言い放つと、七夜は缶の中身を一気に飲み干した。
言われてみれば、心なしか彼の表情にも、朝には無かったはずの明らかな憔悴が浮かんでいるように見える。
どうやら、彼は彼でかなりの苦労を強いられていたようだ。
まぁ、相手が相手なだけに、仕方ないだろう。
先ほどおはぎの入っていたケースを投げた時と同様に、中身の無くなった空き缶を部屋の隅へと放り投げる。
重力の法則に従い、滑らかな放物線を描いたそれは、幾分のズレもなくゴミ箱の中へと沈む。
「……まぁいい。俺は疲れたからもう寝るぞ」
その軌跡を確認した後、七夜はダルそうに呟いた。
その場に立ち上がり、天井に張り付けられた板の一部を取り外すと、軽く跳躍して屋根裏部屋に跳び乗る。
「あ、おい、七夜」
「ん?」
その背中を呼び止める志貴の声に、七夜が下に視線を落とす。
「今日は……ありがとうな。おかげで色々と助かったよ」
志貴が小さく微笑みかける。
「別に礼を言う必要はない。暇だったから付き合ってやっただけだ」
そんな志貴に向かって、七夜は無愛想な口調で言葉を返した。
だが、彼のその声の端々から感じられる、そこはかとない充実感のようなものは、おそらくただの錯覚ではないだろう。
「また、いつか似たようなことになったら、頼まれてくれるか?」
「……」
暫しの沈黙。
けれど、気まずい雰囲気ではない。
むしろ、穏やかで清謐とした空気さえ感じられた。
互いの瞳を見つめ合ったまま、目を逸らすことなく佇む。
「……暇だったらな」
無音の時を破り、ぶっきらぼうにそうとだけ言うと、これで話は終わりだと言わんばかりに、七夜は外していた板をはめた。
天井を境に部屋が二分され、同時に七夜と志貴の間に物質的な隔壁が生じる。
「……素直じゃないな」
志貴は軽い笑みを浮かべてそう呟くと、電気を消して、ベッドの中へと潜り込んだ。
眼鏡を外し、手近な背の低い棚の上にそれを置く。
「……」
それから眠るまでの間、志貴の口元は、ずっと綻んだままだった。

月夜 2010年07月04日 (日) 16時18分(25)
題名:存在し得ないはずの二人(あとがき)















うわあああぁぁっ!!?











ちょ、ちょっと!?

い、一体何を……!?

……ダ、ダメです……そ、そんなとこ……。

あ……そ、そこは……い、いけま……せ……。

あぁっ……だ、だから、そんなこと…………うぅっ……。

ふぁっ!?……や、止め……そ、そこは違…………っ……!

ひゃうぅっ!!?…………あ……も、もう………………!!














……はっ!?( ̄□ ̄;)!!?









何だ……ただの夢(妄想)か(´・ω・`)



えっ?

どんな妄想してたのかって?

そ、そんなこと……は、恥ずかしくって、とてもじゃないけど言えませんよ……。

気が付いたら琥珀さんの部屋で、

気が付いたら、何故か私がそこのベッドの上に寝転がっていて、

気が付いたら、目の前にはちょっと衣服のはだけた琥珀さんが居て、

気が付いたら、手取り足取りリードしてもらってて、

気が付いたら……














メカ月夜になってますた










……てへっ♪(ノ∀゜)ノ












とゆーことで、皆さんお久しぶりです。
メカになっても、この熱き心と萌えの魂だけは忘れない、どこかで進むべき道を大きく踏み誤ってしまった管理人。

好きな言葉は

塵も積もれば山となる

嫌いな言葉は

棚からぼたもち

最近言われた言葉は

もう手遅れです

妄想爆走無差別突撃人間列車こと月夜とは、ズバリ私のことです。








はい。

あり得ない自己紹介でしたね。

相変わらず脳内サーキットスパークで、本日も快調な滑り出しです。








きゃはっ♪(ノ∀`)ノ









さて。
いつまでもバカやってないで、そろそろ本題に入りましょうか(笑)


貴重なお時間を裂いてまで、わざわざ読んで下さった皆様方。
今作の出来はいかがでしたでしょうか?
正直、作者本人でさえ、七夜に違和感を感じずにはいられません(´・ω・`)
しかも、七夜メインとかぬかしておきながら、実際は両志貴がメインになっちゃいました。
更には、お得意の勝手な妄想で、秋葉&シオンにメイド服まで着せてしまいました。



……やり過ぎかな?


と、一瞬踏み止まりはしたものの、


……やっぱ書いちゃえ♪


自分の欲望を抑えきれませんでした(爆)

今回の作品は、ちょっと長編になりそうな予感です。
これからは、恐らくシリアスな話の展開の中に、いくつか今回のようなコメディを混ぜていくといった感じになりそうですね。


ではでは、今回もこの辺りで幕引きと致しましょうか。
……まぁ、今回の作品に、かなりのダメ出しが来るであろうことは、既に想定済みであります。
下の「小説感想アンケート板」または「小説感想掲示板」、「月夜に吠えろ」の方で、情け容赦なく私を叩き潰してやって下さい(爆)

それでは、また会うその日まで。

管理人兼素人小説家の月夜でした♪

月夜 2010年07月04日 (日) 16時20分(26)


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