カウンター 物質・生命・人類の本流は日本ーヘーゲルの哲学から説く目から鱗の真実 - 談論サロン天珠道
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[2354] 物質・生命・人類の本流は日本ーヘーゲルの哲学から説く目から鱗の真実
愚按亭主 - 2016年11月19日 (土) 21時20分

 本の執筆のためにながらく雌伏しておりましたがようやく書き終わりひと段落し、あとはどう世に出したらよいのかです。これがなかなか大変でまだまだ時間がかかりそうです。このようにとりあえず手が空きましたので、さて何か書こうと見渡してみますと、世界も大きな転換点にさしかかっているようですね。イギリスのEU離脱やトランプ大統領の誕生という事実が象徴的に示しているものは、一部を肥やすのみで社会・国家を破壊する形で行われる、馬脚の露呈した偽物のグローバリズムに対する、社会・国家の側からの反撃にほかなりません。

 しかしながら、この動きは、このままですと単なる揺り戻しにしかならず混乱を助長するだけで、決して根本的な解決には結びつかないと思います。ではどうしたらよいのでしょうか?人類が現在突き当たっている壁を乗り越えるには、弁証法が必須です。この弁証法は、明治維新の意義を否定し、それを成し遂げた者たちをテロリストた断じて否定するような弁証法ではありません。本当の弁証法とは、物質・生命・人類の本流の発展の道筋を明らかにするものであり、学問の冠石となるものを言います。具体的に言いますと、ヘーゲルの、物自体たる絶対精神が自らの運動によって絶対理念へと発展していくその過程的構造をあきらかにするものが弁証法です。

 その弁証法の説くところの人類の本流とは、自然成長的発展の頂点において生まれた人類の認識が、対自的に己(物質・生命・人類)自身の本質を自覚し始めることによって、絶対精神たる己自身に回帰した精神となって、概念化から絶対理念への道を歩むもののことです。したがって、学問の曙たるギリシャ哲学の誕生をもって本流の誕生ということになります。

 その誕生したばかりの本流は、早速にその本流の本流たる真価を発揮することになります。それは、ギリシャ哲学の完成車であるアリストテレスが育てたアレキサンダー大宝が、その死の学問をもって当時の世界を統一し、皆殺し・奴隷化が当たり前であった時代に、それをせずに学問をもって強化し、文化の融合を果たして、文化的発展の礎を築いたことです。その証拠に征服者のアレキサンダー大王は、征服地ではイスカンダルと呼ばれて伝説の優れた王として今でも尊敬の対象となっています。

 これに対して、その本流の本家筋にあたる後世の欧米列強が、その学問の成果である個別科学の応用である技術力の優位性をもって世界中をまわって、皆殺し・強**(確認後掲載)・略奪等々の蹂躙を繰り返し、現在のグローバル化の先駆けとなる東インド会社による人種差別的な植民地経営という世界支配を行いました。

 この違いは、いったい何によるものでしょうか?前者は、学問の冠石すなわち絶対的真理である哲学に導かれた世界統一であるのに対して、後者は、学問ではなく宗教それもキリスト教という極めて残酷な宗教に導かれての学問(科学)の悪用による世界支配でしかなかった、ということです。宗教とは相対的心理の絶対化ですから、キリスト教価値観の絶対化をもって、世界支配をするとこういう結果になるということです。

 そもそも、人間を神に従属させる宗教は、人間の主体性の基礎となる学問が発達し人間が自立すると消えていく運命にあるものです。それで、人類の歴史のある時期、宗教と科学とは激烈な闘争を繰り広げました。ところが、あろうことか科学は、宗教と同じ観念論だとして自分の陣営の指揮官である学問の冠石(ヘーゲル哲学)を葬り去ってしまいました。結果として、宗教を克服できなくなってしまいました。

 なぜ克服できなくなったのかといいますと、真理は、唯物論的な真理と観念論的な真理との統一こそが本物の真理だからです。したがって、観念論を排除した弁証法は本物の弁証法ではなく、その心理の追究は中途半端で完璧なものとはなりえません。ですから、唯物論の立場からいくら観念論の宗教の誤謬をまくしててても宗教は消えてなくならないのです。同じ観念論の立場の学問の冠石が宗教をお克服してはじめて宗教は歴史の表舞台から消えていくのです。じつはヘーゲルはそれをしているのです。ところが、科学は、それがわからず学問にはそれは不要だとごみ箱に捨ててしまったのです。現在の混乱の大本はここにあります。だから、私はヘーゲルの哲学を復活させよと叫んでいるのです。


 その結果としての本流の直系のドラ息子たち(欧米列強)の人種差別的植民地支配を、打ち破ったのが辺縁の地で傍流でありながら本物の本流としての実力を創り上げていた日本だったのです。そのことを見事に明らかにしてくれた高山正之氏の「アジアの解放、本当は日本軍のお陰だった!」と宮崎正弘氏との共著の「日本に外交はなかった」に書かれてあった事実に依拠して、それを詳しく説いていきたいと思います。


1、日本が、欧米列強の植民地支配を打ち壊し人類平等への道を切り拓いた 
〔欧米の植民地支配の本質―残酷なキリスト教が科学技術を悪用〕 
 現在では、人種差別は良くない、とか、人類は平等であるべきだということは、理念としては当たり前になっております。人類の認識が、この境地に達するのに大きく貢献し、実質的にけん引したのは、じつは日本なのです。逆からいえば、もしも日本がいなかったら、世界は未だに白人のみが人間で、アジアの黄色人種やアフリカの黒人は、人間でない奴隷的境遇のままである可能性が大きいと思います。それほど白人優位の体制は強固だったのです。 
 

 いち早く学問の発展を踏まえて科学技術や産業を発展させて、人類の本流に躍り出た西欧諸国は、その技術力にものを言わせて世界中を席巻していくことになります。ところが、この人類の本流には、その本流としての資質において大きな欠点を持っておりました。それは、人類を導くに学問ではなく、宗教それもキリスト教をもってしたことです。宗教の本質は、相対的真理の絶対かです。つまりどういうことかと言いますと、自分たちの価値観の絶対化でしかありません。それもキリスト教は、他の宗教を否定し排撃する残酷な側面を持つ宗教です。 
 
 したがって、このキリスト教に導かれておこなわれた欧米列強の世界支配は、たとえば、中南米におけるスペイン・ポルトガルの文明破壊・民族大量虐殺・略奪・強**(確認後掲載)であり、北米アメリカの新住民族に対しても同様の仕打ちや、アフリカの奴隷狩りがあります。そして、アジア各地では、各国による植民地経営が行われました。この植民地経営は、現地の生活作物をしていたところを、強引にゴムなどの商品作物を作らせて売って儲けるというのですが、現地人が反抗しないようにするための刑務所やアヘンの持ち込みはあっても、その社会が発展するのに必要な教育やインフラ整備などは一切行われませんでした。つまり、自分たち白人のみが人間で、アジア・アフリカの人間は人間とは認めていなかったのです。だから、1980年代のベルリン会議で、「ある地域を最初に占領した国がその地域の領有権をもつという先占権をもつ。(沿岸部を占領した国が内陸部の併合も認められる)」と自分たちの好き放題・取り放題での分捕り合戦の協定を結んだのです。 
 
〔白人優位の世界に風穴を空けた日本を目の敵にする米国の悪だくみ〕 
 ところが、そういう白人たちの身勝手な植民地支配に待ったをかけたのが、日本だったのです。日清戦争がはじまる少し前に、米国ハワイを併合しようと強引に傀儡政権を創ろうとしたときに、日本の東郷平八郎率いる軍艦二隻がアメリカの軍艦の両脇に泊めて抗議の意を示し、祝砲を撃って祝ってくれという要請を「その要を認めず」ときっぱりと断ったために、他の国もそれに倣ってうまくいかなかったのです。だから、米国は日本が強力になる前にとハワイの併合を急いだのです。また、日本は、国際連盟に民族差別・人種差別撤廃の動議を提出し過半数の賛成票を獲得していたのに、議長だった米国のウッドローウィルソンの職権乱用で阻止されたこともありました。 
 
 米国は、ハワイの件で日本を恨み、早くから日本を脅威と見て敵視し、日本を追い落とす戦略を練って着々と実行に移していくことになります。 
 
 日清戦争で八千トン級の戦艦を四千トン級の小さくできのあまり良くない小さな船で撃沈して日本が勝利し、日露戦争でもロシアのバルチック艦隊を撃破して日本が続けて勝利すると、それまでの白人支配の波に飲み込まれていたアジアの人々も、白人も神ではないのだとの覚醒を促し、中国においても日本に学べと日本熱が沸騰して大勢の留学生が日本で学ぶようになります。 
 
 日本と中国が手を結ぶことになると厄介だと、米国は、日本への留学熱に対抗して、米西戦争で得た賠償金で北京に精華大学を造って米国に留学生を送り込んで、親米反日教育を施して、日本と中国の離間をはかります。この動きは「黄禍論」として欧米で盛んに叫ばれ、アジア人同士を戦わせようとさまざまな動きが起こります。5・4運動などの反日運動は中国の自発的なものではなくこうした動きの結果なのです。また、ドイツも青島で日本に敗れた恨みの報復として将介石軍をドイツ式に訓練し近代装備させて上海の日本租界を襲わせて日本を戦争に引きずり込んでいきます。この背後で糸を引いていたのは米国で、重慶まで退却した蒋介石軍に飛行機を供与しパイロットを教育するも使い物にならないので、やむなく米軍の飛行部隊フライングタイガーをひそかに参戦させたのです。 
 
 こうした米国の日本たたきの計画は、まず、日清戦争の勝利で得た賠償金で英国に発注した二隻の戦艦ができ上がる前に、ハワイを併合し、日露戦争の終結の仲介を買って出て日本へ賠償金が渡らないようにしたことです。次に、スペインから奪ったフィリピンを日本たたきの拠点とした上で、憲法上も国民感情からも自分の方から戦争を仕掛けられないために、わざとハワイの真珠湾に太平洋艦隊をおとりとして一年半も無用に停泊させながら、日本を挑発しハル・ノートで追い詰め、日本の方から手を出さざるを得ないように仕向けて、それを口実に戦争をはじめるという計画でした。そして、その戦争の終結へのシナリオは、ヨーロッパ戦線において、ドイツの誇るメッサーシュミットなどの戦闘機の攻撃にも一機も撃ち落されることがなかった無敵の17爆撃機で、脅してやれば日本など三か月も持たないだろう、というものでした。 
 
〔米国の目論見を破った三年半の間に育んだ芽が植民地体制を崩壊させた〕 
 真珠湾を奇襲させたところまでは計画通りでしたが、あれほど無敵であったB17爆撃機が日本のゼロ戦にあっけなく全滅させられ、三か月で終結させるはずが3年半もかかってしまったことが、白人の植民地支配体制を崩壊させるという結果に結びつくことになりました。何となれば、白人の植民地経営は、現地社会を壊すものでしかありませんでしたが、日本の侵略者を追い出した後の施政は、現地社会が民族として目覚め国家をつくるための基礎創りとなったからです。 
 
 具体的に言いますと、日本はその間に、西洋諸国の植民地であったアジア各地から白人を追い払い、その間に学校を創り鉄道などのインフラを整備し軍隊まで作っておいたので、日本が負けて彼ら元の侵略者がまた戻ってきても、最早以前のような形での植民地経営はもう不可能でした。たとえば、インドネシアを支配していたオランダは、戻ってもインドネシア人の軍隊があるので、これに対して、降伏した日本軍兵士に武器を与えてインドネシア人と戦わせようとしました。これは明らかに国際法違反でしたが、これを察知したインドネシア軍に、その日本人1500名が襲われて殺されるという事件が起こりました。しかし、にもかかわらず、二千人もの多くの旧日本軍兵士がインドネシア軍の独立戦争に加勢して、とうとう独立を勝ち取ることになります。 
 
 このようにして、白人の植民地体制は崩壊していったのです。これはまさに、日本がアジアを解放した、と言えると思います。それゆえに、このことは、人類の本流の歩みを大きく進めた、歴史的な意義を持つ快挙と言ってよいと思います。 
 
〔英雄的な日本を悪者にして悪事を誤魔化す白人と、追随する中国。朝鮮〕 
 ところが、戦争に負けた日本は、欧米列強から徹底して悪者に仕立て上げられてしまいました。侵略者を追い払った解放者が侵略者にされ、中国人が当たり前にやっていた数々の残虐行為を日本兵がやったというウソの話がでっち上げられて、多くの日本の将兵が無実の罪で処刑されました。これによって、白人の人種差別的な植民地支配の罪は、巧妙に隠されることになりました。日本は、あくまでも米国の奸計によって戦争に引きずり込まれたのであり、東南アジアの各地でも、その土地の人々と戦ったのではなく、侵略者と戦って追い出しただけでなく、戦いながら、その地が国として独立していけるような布石をうっていったのです。 
 
 この国家として発展していけるような布石の一例として、ブルネイ県知事として赴任した木村強氏が、その社会が国家としてやっていけるように産業を提案して根付かせ、対立する少数民族との融和のきっかけを作るなどをして、当時秘書だった国王の弟を感化し、戦後その弟が国王になって、ブルネイの国が発展できたのは木村氏のおかげだとして、招待するというエピソードがあります、これが日本のアジア諸国に対する基本的なスタンスでした。つまり、その地・社会が国家としてまともに発展するために、本来必要とされるものを、その地の人々が気づかず望んでいなくとも、提案し実行できるようにお膳立てをするということを日本はしていたのです。それが、朝鮮で南総督が、ひらがなの方が易しいから止めてほしい、という朝鮮人の要望をはねのけて続けさせたハングル語教育であり、台湾の少数民族が望んでもいなかったのに、埋もれた文化の発掘・復活をはかって、戦後になってその人たちから感謝されたことです、 
 
 また、米国の報復・妨害でついえてしまったものの、当時の混乱し殺伐とした中国から安心安寧を求めて続々と人々が流入した、秩序と法治と繁栄の五族協和・王道楽土の夢の国:満州国の建設でした。これは、現在の世界がいまだに抱え、しかもまだその答えを見いだせずにいる問題の解答でもあります。すなわち、白人の植民地支配から続く社会を疲弊させるばかりの経済主導のグローバル化の欺瞞性・限界が露呈した結果として生じた、現在の世界の流れ・混乱への解答でもあります。すなわち、人類の発展の道筋は、社会・国家が、社会・国家としてまともに成長発展すること、を通じてのグローバル化でなければならないということです。  
 
 現在の国際情勢は、英国のEU離脱や米国のトランプ大統領の誕生など、国家を立て直す基調になりつつあります。これは大きなチャンスです。日本が主体性のある国家へと自立する絶好のチャンスを迎えつつあります。 
 
2、日本の人類史の本流に足る精神はいかにして創られたのか 
〔日本以外の他の国と日本の戦争のあり方の違い〕 
 戦国時代の日本の戦は、農民が弁当をもって見物にいくほどのどかなものでした。今では国際ルールとなり常識となっている非戦闘員を戦争に巻き込んではならないということは、日本では昔から当たり前のことでしかありませんでした。ですから、戦争の時に、民衆の家に押し入って略奪・強**(確認後掲載)・虐殺することなどありませんでした。 
 
 ところが、日本以外の世界ではそれが当たり前でした。だから、戦争のルールを創ろうということになったのだと思います。しかし、実際はそれすらも守られていないのが現実です。日本が初めてそういう世界の常識の洗礼を受けたのは、元寇の尖兵としてやってきた朝鮮の高麗軍に対馬や屋久島が蹂躙された時でした。特に屋久島の方は皆殺しだったそうです。また、日清戦争時の清の兵士の残虐さはすさまじいものがあったそうです。だから、山形有朋はこの残虐さを見て、兵に、想像を絶する苦痛を味合わされることになるので生きて虜囚になるな、捕まりそうになったら自決せよ、と訓示したそうです。これが、のちの戦陣訓の「生きて辱めを受くるなかれ!」になったそうです。 
 
 もう一つ日本の大きな特徴は、奴隷制がないことです。そもそも奴隷制と言うのは皆殺しの延長線上に生まれたものです。つまり、奴隷を養う余裕ができて、殺すよりも奴隷として所有して使った方が利益が大きいということになって生まれたものです。しかし、日本には皆殺しがなかったので、奴隷制は生まれなかったのです。 
 
〔秀吉のバテレン追放令の意義〕 
 ところが、戦国時代に日本から多くの女性が奴隷として海外に売られるという事態が生まれました。これはどういうことかと言いますと、キリスト教という海外の文化は入ってきて、それにかぶれたキリシタン大名が領内の寺社を破壊し、戦争で破った敵方の全員を奴隷として扱い、特に女性は海外に売り飛ばしたのです。当時イタリアやスペインを訪れた天正少年使節の少年は、奴隷市場で日本人女性が陰部も露わな姿で取引されているのを見て、胸を痛めたそうです。 
 
 この事実を知った秀吉が、バテレン禁止令を発し、奴隷として売られようとした女性たちを買い戻したのです。以後の徳川家康以降の江戸幕府も鎖国政策をとって、キリスト教の流入を防いだことが、日本にとって、人類の本流としての実力を見事に創り上げるうえで、必須の過程となったという歴史的意義のあることだったと思います。 
 
〔優れた日本語が人類の本流としての日本の精神を創った〕 
 このような日本と他の国との精神風土の違いは、言葉にも表れています。言語の構造には、その言語を創った民族の心の在り方が大きく投影されます。日本語と他の国の言語との特徴的な大きな違いは、外国の言語のほとんどがはじめに有るか無いか・yesかnoかの結論・意志表明があるのに対して、日本語の方はそれが最後になっているという違いです。この違いは何を意味するかと言いますと、外国の言語は、己の身を護るために相手が敵か味方を判別することが第一義的に大事なことだ、ということを示しているのです。ということは、日本語は、そうなっていないということです。つまり、それよりも中身がどうなっているかを、まず第一に知りたい・伝えたい、自分の判断は最後にする、という構造になっているということです。 
 
 では何故日本以外の外国(主に大陸の)では、略奪・強**(確認後掲載)・皆殺しや奴隷制は当たり前になってしまったのか、日本は、どうしてそうならなかったのでしょうか?大陸では土地がやせているので戦争に勝っても負けた相手を養っていくことはできないので、皆殺しにします。少し余裕ができてくると、皆殺しにしないで奴隷としてこき使って富を増やそうとするようになります。ところが、日本は緑も多く土地が適度に豊かであったうえに、海を渡ってきたいろいろな人々が住み着いたので、相手をせん滅するというよりは共存の方向へと言ったのだと思います。それが17条憲法の「和を以て貴しとなす」につながっていったのだと思います。 
 
 余談ですが、この17条憲法を制定したとされていた聖徳太子(今ではこの名がなくなり厩戸の皇子とされているそうですが)は、じつは厩戸の皇子などではなく当時の大王だった蘇我馬子なのです。ですから、あの有名な「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」という、大国隋に対する気概溢れる親書を送ったのも、蘇我馬子なのです。このことに関しては在野の研究家である(それ故に学界から無視されている)大羽弘道氏が、銅鐸の絵文字の謎を解き明かして明らかにしております。クーデターを起こして政権を取った天智天皇の勢力が、前の曽我氏の政権を否定する歴史書を創る段になって、ちょうどそれを指揮していた天武天皇が、じつは曽我氏の血も引いていたので、偉大な先祖の業績を残そうとして聖徳太子像を創り上げたのです。ですから、聖徳太子の実像は蘇我馬子なのです。そして、この曽我馬子こそが、大和日本の基礎を築いたと言っても過言ではないのです。 
 
 話を、日本人の心を創った日本語の話に戻しまして、日本語は、学問的な人類の本流を担うにふさわしい実力を養うのに適した優れた言語です。それは一つには、前にも触れました通り、外国の言語は、自分を守るための自分中心の構造から容易に離れがたい硬直した言語です。だから、だから相手の立場に立つとか思いやりが育ちにくい言語なのです。そして、この硬直性が言語全体にも及んで、静止的・形式論理的なパッケージ言語となっていったのです。つまり、名札付きの硬い容器に入ってその中身の仔細が見えない言語だということです。だから、多くの外国語は、身振り手振りでそれを補う必要が生じてくるのです。 
 
 これに対して、日本語には、他の言語には見られない独特の表意文字(漢字)と表音文字(ひらがな・カタカナ)との二重構造があって、しかもその表音文字にも、一音に意味が凝縮している大和言葉の性質が受け継がれている「てにをは」のおかげで、即自の自分の立場と対自の自分(相手に二重化した自分をも含む)の立場との、立場の移行が変幻自在にできる柔軟性をもって、細やかな認識を見事に表現できるふろしき言語“といわれています。これは、入れ物の上からでも中身が丸見えと言うことです。このじつに弁証法的な日本語によって、日本人の人類の本流を行く精神が創られていったのです。 

3、世界の果ての地に何もないところからひょっこり現れた弁証法の金字塔 
〔日本に突然出現した安藤昌益の弁証法とはどういうものか〕 
 18世紀の江戸時代の日本において、あのヘーゲルに先んじて絶対精神の自己運動を彷彿させるような弁証法の論理が、百巻にも及ぶ大著「自然真営道」の中で展開されました。その著者は、安藤昌益です。この題名の意味するものは、 
「自然」:我々が用いているいわゆる“自然”ではなく、ひとりする=自己運動ということ。 
「真営道」:活真(ヘーゲルの絶対精神に相当する世界全体の本質的存在)の営みの道、すなわち運動の構造を説いたもの、ということです。 
 
 安藤昌益は、この世界は始まりも終わりもない永遠・無限の世界だとみているので、無限的唯物論の立場をとっていると言えます。にもかかわらず、安藤昌益は「活真」という本質レベルの絶対的真理の概念に到達しています。このことが如何に凄いかは、唯物論の立場で絶対的真理の概念を創り上げたものは、今に至るも安藤昌益意外には見当たらない、という事実から分かって頂くしかありません。 
 安藤昌益のもう一つの凄いところは、天文学からはじまる大系の中で、医学という個別科学の体系を、「活真」の自己運動の論理に基づいて、完成レベルと言っても良いほどに創り上げていることです。その体系は、生命の誕生すなわち、婦人科・産科・小児科からはじまります。つまり、絶対的真理レベルの陰陽五行論と相対的真理レベルの医学とが見事に統一されているということです。その意味で、安藤昌益の弁証法は、統体思弁であり、即自対自肯定的弁証法的理性の域に到達している、ということが言えるのではないかと思います。 

 
4、絶対的真理の弁証法と相対的真理の弁証法との真の統一への道 
〔学問における絶対的真理の系譜と相対的真理の系譜とのらせん的発展の構造〕 
 学問の発展過程を振り返ってみますと、古代ギリシャにおいて、アリストテレスが、多様性が様々に変化していく現象的世界の中に、変化しない真なるものがある、という不変の形而上学(変化する形を超越したところに存在する変化しない真理の学問)的弁証法として、時代の絶対的真理の弁証法を完成させました。すると、やがて、それが、相対的真理へと浸透していって、具体的な変化する現象世界の中の不変の真なるものの追究が盛んとなり、それが法則性の発見へと次々と結びついていって、物理学・科学・生物学などの個別科学が生まれ育っていった、という形で、絶対的真理の弁証法が相対的真理の系譜の著しい発展の基盤となった、という歴史があります。 
 
 また、反対にその相対的真理の系譜における個別科学の発展が進展していくと、これまでのような動かざる真なるものの適用範囲の境界線の現象を問題とするようになっていき、その変化そのものを追究していこうという動きが出はじめてくるようになっていきました。こうした相対的真理の系譜における問題が、絶対的真理の系譜へと浸透していって、絶対的真理の弁証法も、動きの中の不変の真なるものの静止体の弁証法から、動きそのものが真なるものである、という運動体の弁証法へと進化・発展していきました。これが19世紀のドイツ哲学のカントからヘーゲルへの流れです。 
 
 そしてさらに、この絶対的真理における運動体の弁証法が、やがて否定的に媒介されて相対的真理の系譜へと浸透していって、膨大な事実的究明の非学問的集積場と化していた現代科学界が、徐々に体系的に整備されはじめてくるという動きの中で、ヘーゲルの絶対的真理の弁証法の欠片を参照にしつつ、事実から相対的真理の弁証法が創られていったのです。これが、マルクス・エンゲルスから三浦さんを通じて南郷学派による看護学・武道学・認識学・医学等々の個別科学の学問的な体系化と、それを通じての相対的真理の弁証法の完成の現実です。 
 
 このように人類の学問的な認識の発展のあり方を見てみると、絶対的真理の系譜の発展と、相対的真理の系譜の発展とが相互に浸透し合い、絡み合いながら、らせん状に発展してきていることが見てとれると思います。 
 
〔真の学問の完成へ、絶対的真理の弁証法と相対的真理の弁証法の統一への道〕 
 ところが、ここにきてその学問的な認識の発展が一つの壁にぶち当たって、ピタッと学問的な歩みが鈍りほとんど前に進めていない現実が露呈しはじめたのです。それが、「武道哲学 著作・講義全集」の肝腎要と言える第三巻が、何時まで経っても刊行されないという現実です。第三巻がなぜ肝腎要なのかといえば、第三巻は、学問の冠石である弁証法を学問的に説かなければならない巻だからです。しかしながら、学問の冠石とは、すなわち、絶対的真理の弁証法であるのに、それを否定してしまっているので、説きたくても説けないというジレンマに陥っているからです。それを無理に説こうとすると、不自然に平板なものとなってしまって、他の巻と比べると、圧倒的に見劣りするものにならざるを得ないからです。つまり、釣り合いの取れないものになってしまう、ということです。他の巻では、二重構造で説くことの重要性を強調しているのに、その二重構造の旗手であるべき肝心の弁証法の第三巻では、二重構造にはなれず、したがって二重構造で説けない、という絶対矛盾的自家撞着に陥ってしまって、二進も三進もいかなくなっているというのが、現在突き当たっている壁の真相です。 
 
 私は、幸いなことに「弁証法はどういう科学か」(三浦つとむ著)の中の相対的真理と絶対的真理との関係に関する説明に疑問を抱いて、絶対的真理の重要性に気づいたおかげで、こういう事が見えてきました。それで、そのことを提言しているのです。真の学問の完成のためには、ヘーゲル(絶対的真理の弁証法の完成者)と南郷継正(相対的真理の弁証法の完成者)との共同作業が必須であり、人類の夢である真の人間になるための新たなる本能となるべき弁証法・学問の完成は、このヘーゲルと南郷継正との学的コラボレーションによって、はじめて達成されるものであると信じております。 
 
 したがって、現代の偉大なる学聖・南郷継正が、19世紀の偉大なる学聖であるヘーゲルがし残したものを仕上げる、という自らの歴史的使命の自覚の下に、ヘーゲルの絶対的真理の弁証法の復活と直接に、第二の否定を成し遂げて、真の学問の完成という大業をはたし、人類を別次元の発展へと誘ってくれるであろうことを信じています。 
 
〔絶対理念化した日本が物質・生命・人類の本流となって世界創造こそ本質的必然性〕 
 これまで見てきたように、現在の学問界は、その直系である欧米が宗教に乗っ取られ、経済勢力に乗っ取られ、実利に走って概念化の道を踏み外して、今や絶対理念への道は遠のくばかりです。その限界性が露呈したのが、EUの分裂であり米国の世界の指導者を止める宣言です。ではこの後世界はどうなるのでしょうか? 
 
 そんな中、次は俺だ!とばかりに飛び出したのがロシアと中国です。しかし、両国ともに社会主義という理想的社会・国家つくりに失敗し、軍事技術ばかり発達して人間の生活に必須な技術を発達させることのできない歪な国家に世界を指導し発展させることなどできようはずもありません。 
 
 直系のドラ息子たちがどうしようもなくとも、本流を受け継ぐべき資質を兼ね備えている社会・国家は歴史の中にしっかりと準備されているのです。それが、日本です。たしかにその日本も二つの大きな壁にぶつかって、困難な状況にあることは事実です。しかし、必ずやこの困難を乗り終えて、日本が世界を導いていく時代が来ると思います。 
 
 その二つの壁とは、一つは絶対的真理の弁証法と相対的真理の弁証法とを統体止揚した本物の弁証法を確立するための最後の壁のことです。もう一つは、直系のドラ息子たちに妨害されていまだ国家として自立して主体性を持てていないという壁です。 
 
 現在の世界が抱えている矛盾は、直系のドラ息子たちが招いたものです。どういうことかと言いますと、彼らが植民地に対して行った、民族対立をわざわざこしらえたり、国境線をでたらめにひいたりしたことによって、社会・国家としてまともに発展できないようにした結果なのです。そして、まともな学問がないために彼らが振りまいた、国家と国民を分断する誤った人権主義が横行して、国の状況が悪くても何とか国を良くしようと頑張るん簿ではなく、自分だけ良い生活を求めて他国に移民するという安易な風潮を生み出していることです。 
 
 イギリスのEU離脱やトランプの大統領就任の意味を正しく読み解いて、まともな社会・国家つくりの原点に立ち返って、政治と経済、国家と個人との対立の統体止揚的統一の道こそが、真のグローバル化への道であることを分かる必要があるのです。これはじつはかつての日本が大東亜共栄圏構想の下に満州国建設で実現しつつあった道なのです。そしてそれを真に実現するためには、人類は宗教を卒業して学問化が必須なのです。 

Pass

[2355] この大作に期待しています。しかし文字の転換ミスが目立ちます。
清野 眞一 - 2016年11月20日 (日) 09時38分

大場弘道氏は、

大羽弘道氏

が正しいと思います。

また御本は、オンデマンド本にするのもありだと考えます。

Pass

[2356] ありがとうございます
愚按亭主 - 2016年11月21日 (月) 10時20分

>清野眞一様
 ご指摘ありがとうございます。訂正しました。オンデマンド本についてもとても興味があります。調べて検討したいと思います。
ありがとうございました。
             









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[2357]
タマゴ - 2016年11月21日 (月) 18時38分

>これはまさに、日本がアジアを解放した、と言えると思います。それゆえに、このことは、人類の本流の歩みを大きく進めた、歴史的な意義を持つ快挙と言ってよいと思います。

言えません。
まず大東亜戦争の総論として、開戦前の1941年11月20日に大本営政府連絡会議が作成した「南方占領地行政実施要領」には、
「占領地ニ対シテハ差シ当リ軍政ヲ実施シ治安ノ恢復、重要国防資源ノ急速獲得及作戦軍ノ自活確保ニ資ス」
「其ノ独立運動ノ如キハ過早ニ誘発セシムルコトヲ避クルモノトス」
とあります。
開戦の第一の目的が資源の確保にあり亜細亜各国の解放でなかった、という歴史的評価は“大本営側の公的資料”により確定しています。
日本会議系の偏向したジャーナリストが何を言おうが、覆ることはありません。

個別に見ても、インドシナ半島は、宗主国であるフランスがドイツに負けて空白地帯のようになっていたところに日本軍が進出したのであり、解放はしていません。
フィリピンに関しては、アメリカとの間で独立が決定していたのに日本軍が進出してきたため、かえって独立が遅れた、と考えられています。
これらの国々で現地人に「あなたの国は日本軍が解放したのです」などと言ったら、間違いなく狂人扱いされるでしょう。

日本軍が欧米から解放したと辛うじて主張できなくもなさそうなのは、インドネシアくらいなものです。
しかし、そのインドネシアに関しても、1943年5月31日に御前会議で決定した「大東亜政略指導大綱」に、
(イ)「マライ」、「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」
ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発並ニ民心ノ把握ニ努ム」
即ち、もともとは独立どころか、資源供給地として日本に併合する方針を決定していたのです。
日本がインドネシアの独立を認める決定をしたのは、日本軍の劣勢が明らかとなってからです。

戦争の実態は、天寿堂さんが考えているより遥かに生々しいものです。
もちろん亜細亜解放という大義名分を本気で信じて闘った日本兵は大勢いらしたでしょうし、それらの方々に対する賛辞は惜しみませんが、資料から明らかなように、戦争を主導した連中はそのような綺麗事で開戦を決めたのではありません。
戦後生まれの右派は、そういうファンタジーばかり描いているから平和ボケと言われるのですよ。

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[2358] 日本こそが正真正銘の本流です。その真実を知ることこそが日本再生の第一歩です。.
愚按亭主 - 2016年11月22日 (火) 00時53分

 本流の歩みを説く弁証法こそが本物の弁証法です。その観点からみると、人類の歩みを一歩進めたのは、まぎれもなく日本です。なぜ日本にそれができたかを歴史的に検討してみると、しっかりと本流となるべき必然的な歩みをしていたのです。植民地支配という社会・国家を破壊する経済的グローバリストの野望を打ち砕いたのは、まぎれもなく日本です。彼らと日本とを同列に論じることは、間違いです。やっている中身を見れば歴然と違います。その日本がやったことは、経済的グローバリストたちの手法を根本的に覆すものであり、それゆえに脅威であったのであり、彼らは日本を天敵とみなしたのです。だから、日本自身がその己自身の素晴らしい歴史性・自らのなした歴史的偉業に目覚めないように、日本を徹底的に悪者に仕立て上げ、真実の姿を見えないようにしているのです。このことがどれほど人類の歴史的歩みを歪めてしまうことになってしまうのか、日本の再生は、まず日本人がそのことに気づくことが第一歩となります。

 ところが、そうならないように向こうが用意した9条というカゴに自分から進んで入り、これは自分で進んで作ったのだと、相手が喜びそうなことを言って、そのカゴの中に閉じこもって、プーちゃん、習ちゃん頑張って!早く解放してとお願いしているのです。これが、神(経済的グローバリスト)を主体とみて、日本をあくまでも従属的にしか見ることのできない宗教的弁証法の限界なのです。だって、これが現実なのだからしょうがないじゃないのと、日本が人類史においてなすべき歴史的使命に全く鈍感なのです。その自覚がないから、そのためにはどうすべきかが見えてこないのです。そんな夢物語を言っても仕方がないというのは、ナンセンスです。人間は目的意識的存在ですから、その理想像があってはじめて、その理想像に向かってどうすべきかがでてくるのです。


>フィリピンに関しては、アメリカとの間で独立が決定していたのに日本軍が進出してきたため、かえって独立が遅れた、と考えられています。

 タマゴさんのほうこそ、日本の歴史的偉業を隠そうとする欧米の偏向ジャーナリズムに毒されていませんか?日本人なら高山正之さんの「アジアの解放、本当は日本軍のおかげだった」を真面目に読むべきです。そこに真実が詳しく書いてあります。その一端を紹介しましょう。

「フィリピンとグアムの領有はすでに乗っ取ったハワイ、ミッドウェーをつなげれば太平洋を横断する戦略ラインになるし、その位置を見れば『脅威の日本』をぐるりと包囲する形にもなる。米西戦争の目的は、表向きはキューバだが、この流れを見れば(日本対策のためのー愚按)フィリピン・グアム領有こそが本能寺だったことがわかる。実際その領有に費やした米国のエネルギーは凄まじかった。
〔殺害・拷問・お構いなし〕
 それを示すのが、四ヵ月で終わった米西戦争のあとに続く実質四年間のフィリピン平定戦争だ。米国はフィリピン攻略の折にスペインに抵抗するフィリピン人独立運動勢力に接近した。指導者のエミリオ・アギナルド将軍に勝利の暁に独立させると約束し、背後からスペイン軍を襲わせた。
 しかし、スペインが降伏したあと米国はフィリピン独立の約束を反故にして米国の植民地にし、アギナルドと配下の独立軍一万八千人の掃討を始めた。有色人種との約束など糞喰らえというわけだ。アギナルドは抵抗し、凄惨な殺戮が1902年まで続くが、この掃討戦の指揮を執ったのがアーサー・マッカーサーあのダグラス・マッカーサーの親爺だ。
 近代装備の米軍に追われたアギナルド軍が山に逃げ込むとマッカーサーは『彼らはもはや非正規軍だ』と宣言した。非正規軍、つまりゲリラなら捕まえたあとに殺害しようと拷問しようとお構いなし、その協力者、つまり家族も逮捕拷問できるという意味だ。」

 かくして殺された数は、米上院に報告された数字でも、1902年までの四年間で二十万人にも及ぶそうです。とくに、サマール島やレイテ島では数万人が皆殺しの目にあったそうです。さらに続けます。

「サマール・レイテで見せた残忍な大量虐殺でフィリピン人は米国人の怖さを骨身にしみこませられた。
 恐怖で抑え込んだフィリピンに米国は現地人による傀儡政権をつくり、日本の脅威に対処するために、極東では最大の空軍基地クラークフィールドを置いた。さらにフィリピン人12万人に軍事教練を施し、日本軍に対する前衛部隊に仕立てた。開戦時、現地人兵力は十個師団、それに米陸軍が二万人の計14万人。日本側の上陸部隊本間雅晴中将以下の四万三千人だから、ほぼ三倍の兵力といってよかった。」

 ところが、その指揮官が無能で無責任なダグラス・マッカーサーであったために、無敵と思っていたB-17がゼロ戦に全滅させられると、戦意をなくした彼は、セウォル号の船長のように自分だけ真っ先にオーストラリアに敵前逃亡したのです。そして、本当は米空軍の飛行部隊のほうが圧倒的多数であったのに日本軍の方が圧倒的多数だったと嘘の報告をしているのです。がくして彼に見捨てられて、残った米比の兵士7万人はパターン半島の山中で食料も尽き消耗しきった状態で日本軍に捕らえられ捕虜になったのが、いわゆる「パターン死の行進」の実態なのです。行進自体は何ら過酷なものでなかったのに犠牲者が出た背景はこのためなのです。それに加えて日本を悪者に仕立てるための嘘の報告が加味されて日本が攻撃されているのですが、本当の責任を負わせるべきなのはマッカーサーです。

 しかも、そのマッカーサーは、逃げ出す前に傀儡政権のケソン大統領にフィリピン軍を養成してやったのだから謝礼として50万ドルよこせと脅して、自分の個人口座に振り込ませているのです。

 そして、そのケソン大統領は、日本軍がマニラを制圧した後、米国に裏切られたアギナルド将軍がラジオで「米国への恐怖心を克服して本当の独立を勝ち取れ」と呼びかける演説をラジオで聞いた後、次のように言って米国に掛け合ったそうです。
「この戦争は、日本と米国の戦いだ。フィリピン兵士に武器を置いて降伏するように表明する。日米はフィリピンの中立を承認してほしい。」と。その後彼は米国に拉致されそこで病死したそうです。

 以上の事実から当時の様子がうかがいしれようというものです。米国は初めから日本を叩くためにフィリピンを攻略したのですから、日本が戦争をしかけたからフィリピンの独立が遅れたなどという話は、米国の意図を隠し日本を悪者にするための作り話にすぎません。そういう洗脳にまんまと嵌められているのはタマゴさんのほうです。

>開戦の第一の目的が資源の確保にあり亜細亜各国の解放でなかった、という歴史的評価は“大本営側の公的資料”により確定しています。

 それは、侵略者と戦うためにまず第一に必要なことは資源の確保ですから当然のことです。実際、その戦いが侵略者たちの体制を崩壊させたことは、厳然たる事実であり、それが人類の歴史の歩みを大きく前進させたのです。

>インドシナ半島は、宗主国であるフランスがドイツに負けて空白地帯のようになっていたところに日本軍が進出したのであり、解放はしていません。

 空白といっても仏軍がいたことは事実です。日本軍が彼らを追い出さなければ、植民地体制は変わらなかったことでしょう。相手の事情がどうあろうと、日本のその地における施政があったからこそ、のちにフランスが再び触手を伸ばした時に、前のようにはいかず、そのあとに米軍が出てきても跳ね返す力の源泉は、日本軍の教育のおかげで会ったことも厳然たる事実です。また、同盟軍であるはずのドイツがじつは蒋介石軍を鍛え武器を与えて日本軍をつぶそうとしたことは、日本が欧米全体と戦っていたこと示すものです。日本人なら、この先人の血のにじむような戦いをどうして正当に評価しようとしないのか、過大評価するならまだしも、欧米の洗脳にのって矮小化しようとするタマゴさんの姿は、日本人として理解に苦しむところです。

>、もともとは独立どころか、資源供給地として日本に併合する方針を決定していたのです。日本がインドネシアの独立を認める決定をしたのは、日本軍の劣勢が明らかとなってからです。

 タマゴさんは、肝心なことを忘れています。日本は強力な欧米軍と孤軍奮闘していたのですよ。そんなときに現地の自主性に任せていたらどうなりますか?必要なことはまず第一に資源確保です。これは大前提です。平時ではないのです。ボロボロになりながらも三年半も持ちこたえたのですよ。そういう姿を見せるだけでも、どれほど大きな影響をアジアの国に与えたか。それだけでなく教育に努め、自立できるための軍隊を鍛えたのです。そういうことが大事なのです。

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[2359]
タマゴ - 2016年11月22日 (火) 10時20分

初めにおことわりしておきますが、私は神戸だいすきさんとは異なり、習近平を支持してはおりません。
憲法に関しては、アメリカの半占領下にある現状でアメリカの思い通りに改憲させることに反対しているだけで、
日本人が日本人のために完全に日本人の意思により改憲することに反対などしておりません。
そういう改憲なら積極的にやれば宜しい。
そのためには安保法を撤廃して米軍を排除し、真の独立を勝ち取る必要があります。
しかし「日本がカネを出さないなら米軍を撤退させる」と吠えるトランプの大統領当選により、漸くそのチャンスが巡ってきたのに、安倍晋三が出ていかないでと就任前に泣きついた。
完全に予想通りの展開ですけれどね。
安倍の本性さえ知っていれば、この程度の“読み”に弁証法など不用なのです。

大東亜戦争が亜細亜各国でどのように評価されているかは、高山・宮崎のような日本会議のスポークスマンの本をなんか読んだってわかりません。
大東亜戦争を主導した連中の系を引く団体なんですから。
アメリカでは今でも広島長崎の人の声を無視し、退役軍人の声を優先して「原爆の投下は正しかった」と教育していますが、やっていることはそれと同じです。

日本軍に対する現地のナマの評価について知りたければ、
「アジアの教科書に書かれた日本の戦争 東南アジア編」(梨の木社)でも読んだ方がいいと思います。
台湾とインドネシアの教科書には多少は評価する記述も見受けられますが、他の国々の国定教科書では日本軍は散々な書かれようです。
亜細亜各国の日本に対する評価が変わったのは、戦後に惜しみ無い経済援助を行ったからに他なりません。

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[2360] 問題は
愚按亭主 - 2016年11月22日 (火) 18時48分

>大東亜戦争が亜細亜各国でどのように評価されているかは、高山・宮崎のような日本会議のスポークスマンの本をなんか読んだってわかりません。

 私は「大東亜戦争が亜細亜各国でどのように評価されているか」など問題にしてはおりません。大事なことは、どういう事実があったのかの真実であり、その意味を問うて、人類の歴史の流れの論理構造から体系的に真理を導き出すことです。それで明らかになったことは、現在の人類史の本流は日本であり、それを脅威と見た米国が日本を徹底的に叩き潰そうとして、それに敢然と立ち向かった日本が、欧米の植民地体制全体を打ち砕くという歴史的偉業を果たし、人類の認識の発展に大きく貢献したという、現在では巧妙に隠されてしまっている、日本人にとってとても貴重な真理です。

 だから、それを日本人は自覚すべきだと言っているのです。そして、これから日本が本流として世界を引っ張っていくためには、本物の学問が必須であり、その本物の学問が、現実に世界の中で唯一日本の中で育ちつつあり、それをもって世界をけん引していくことこそが、ヘーゲルの描いた絶対理念への道である、ということです。

そのためには、まず日本は天皇制から卒業すべきです。人類はすべからく宗教から解放され卒業して、人間自身が主体性をもって主人公にならなければなりません。その見本をまず日本が示さなければなりません。現在の宗教は、もはや人類のとって害毒でしかありません。

>憲法に関しては、アメリカの半占領下にある現状でアメリカの思い通りに改憲させることに反対しているだけで、日本人が日本人のために完全に日本人の意思により改憲することに反対などしておりません。そういう改憲なら積極的にやれば宜しい。

 なるほど、確かに筋は通っておりますが、残念ながらこれは形式論理学的な筋の通り方で、運動性がなく絶対矛盾的自家撞着におちいる筋の通し方です。これでは、日本が完全に独立しなければ憲法は作れなくなってしまい、神戸だいすきさんのプーさん習ちゃんに解放してもらってから自主憲法を作ろうと通じ合うことになってしまいます。

 運動体の弁証法は、その内部に真矛盾をはらんでいるから半独立から独立への運動が生じてくる、と見ます。つまり、本物の憲法を創るかどうかは、日本人の志・主体性によるものです。むしろ半独立状態だからこそ、そういうものを創らねばならないのです。

>高山・宮崎のような日本会議のスポークスマンの本をなんか読んだってわかりません。

 そういう色眼鏡で見るほうが、見誤る危険が大きいと思います。内容を見てから言ってください。フィリピンの例でも分かった通り、非常によく必要な事実を論理を見事に浮き彫りにする形で説いています。だから、タマゴさんの事実のとらえ方の誤りを正すことができたのです。

>安倍の本性さえ知っていれば、この程度の“読み”に弁証法など不用なのです。

 やはり、タマゴさんはまだ弁証法を使えないから浅いですね。民主主義における総理という立場は、国民の意思を無視して自分の信念を強引に貫くことはできないのです。国民の大多数が独立への覚悟を決めておれば、強く出ることができますが、半数近くがカゴの中のほうがいいと言っているような状況では、日本を守るためには、お願いするしかないのです。つまり、責任の一端は野党にあり、国民にあるのです。せっかくのチャンスを逃してしまったのは、昨年来の安保法制問題で、反対するばかりで、日本の真の独立への道を追求しようとしないところに最大の問題があるのです。

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[2361]
タマゴ - 2016年11月23日 (水) 05時43分

>私は「大東亜戦争が亜細亜各国でどのように評価されているか」など問題にしてはおりません。

あのですね・・・。
「天寿堂さんが、大東亜戦争が亜細亜各国でどのように評価されているか、気にすべきである」ということを私は言っているんじゃないんですよ。
私が述べているのは、歴史の評価には個人の主観よりも客観的事実が優先される、という歴史学の原則です。
どこかの利害関係の絡んだ人物が書いた本など学問的には無価値で、客観的資料や多数の当事者からの聞き取りなどが最優先されるということを述べているのですよ。
歴史学の論文を書こうというのではないんでしょうが、それでも高山や宮崎の対談本などを参考文献の中に入れたら、その時点でネトウヨみたいな連中を除いた世間一般からの信用は無くなりますけど、それでいいんですかね?

>大事なことは、どういう事実があったのかの真実であり、その意味を問うて、人類の歴史の流れの論理構造から体系的に真理を導き出すことです。

だから、天寿堂さんの思考回路が根本的に変革されない限り、そんなことは無理だと言っているんですよ。
天寿堂さんはこれまでにも、
「手足には交感神経のツボしかない」
「交感神経は副腎から増設された」
などなど、数々の自家製の“一般論モドキ”を造り出し、それをさも世の真理であるかのように振り回してきましたが、
しかし、それらは後になって単なる誤謬に過ぎなかったと判明し、天寿堂さんは世間に赤っ恥を晒すことになってしまったではありませんか。
そして、単なる妄想を一般論だと決め付け、そこから様々な推論を行っていたため、結局、膨大な妄想の体系を作ったに過ぎませんでした。
天寿堂さんは懲りもせずに、歴史の分野でも全く同じ轍を踏もうとしている。
そんなことは無意味どころか有害無益だと述べているいるのですよ。

>現在の人類史の本流は日本であり、それを脅威と見た米国が日本を徹底的に叩き潰そうとして、それに敢然と立ち向かった日本が、欧米の植民地体制全体を打ち砕くという歴史的偉業を果たし、人類の認識の発展に大きく貢献したという、現在では巧妙に隠されてしまっている、日本人にとってとても貴重な真理です。

過去に神戸だいすきブログのコメ欄に何度も書いたことですが、大東亜戦争と日本人との関係性は複雑な構造となっており、そんなアバウトな捉え方で全体像を正しく描出することは絶対にできません。

まず、戦争の主導者層と国民一般とでは、大東亜戦争に対する認識が異なっていた、即ち二重構造になっていたという事実を押さえる必要があります。
つまり、「日本は」「日本人は」というアバウトな捉え方ではなく、主導者たちと国民の認識レベルの区別と連関を正しく認識し描出しなければならないということです。

戦争の主導者(軍部や財閥など)は、決して亜細亜解放という綺麗事のためではなく、資源とその供給地確保という生々しい目的のために開戦を決めたのです。
解放どころか、資源供給地の民族運動などは寧ろ抑圧するつもりでいた。
それは数々の客観的資料から明らかなことです。
また、資源確保が必要になったのは、日本の軍部や財閥が満州や朝鮮半島に築いてきた利権構造にアメリカが手を突っ込んできたことから対立が生じ、アメリカからの石油輸出を止められてしまったという、これまた生々しい理由によります。
しかし、そんな理由で国民を鼓舞し戦争に巻き込むことはできませんし、開戦にも相応の大義名分が必要ですから、亜細亜解放などと綺麗事を掲げたのです。
開戦の黒幕の一人である岸信介も、後のインタビューで「大東亜戦争は侵略か進出か」という質問を受け、「侵略でしょう」と隠してきた本音を吐露しています。
YouTubeでインタビュー動画が視聴できますから、見てみたらよいでしょう。
戦争主導者どもはそういう意識で開戦を決定したという事実は絶対に押さえておかなければならない。

一方、国民の側にも様々な認識のレベルが存在したでしょうが、末端の日本兵の中に亜細亜解放という大義名分を本気で信じて戦った方々がいらしたのも事実でしょう。
私もそういう方々に対する敬意は強く持っています。
しかし、それをもって大東亜戦争の総てを
「現在の人類史の本流は日本であり、それを脅威と見た米国が日本を徹底的に叩き潰そうとして、それに敢然と立ち向かった日本が、欧米の植民地体制全体を打ち砕いた」
などと一義的に格好良く結論付けるのは絶対に無理だってことですよ。
戦争というのは天寿堂さんが考えているような甘っちょろいものではありません。
なぜ日本会議系の論者たちがそのような綺麗事ばかり述べるのかといえば、日本会議が戦争主導者たちの系を引く団体だからであり、そうすることにより戦争主導者たちの責任を覆い隠そうという意図があるのでしょう。
そういう裏の意図を知ろうともしないで綺麗事を真に受け酔いしれるのは、酔っぱらっている当人は気持ち良くても、端からみたら馬鹿丸出しなだけです。

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[2362]
タマゴ - 2016年11月23日 (水) 07時25分

>タマゴさんの事実のとらえ方の誤りを正すことができたのです。

まず
「複雑化では日本軍の進出により正式な独立が遅れたと考えられている」
のは紛れもない事実であり、間違っているのは日本会議のプロパガンダだけを鵜呑みにしている天寿堂さんです。
学生時代に真面目に世界史を勉強しなかったから、こういう恥さらしなことを臆面もなく言えるのです。

まず、日本政府は、大東亜戦争開戦前まで、アメリカによるフィリピン支配の支持を公的に表明していたのです。
解放どころの話ではありません。
そのさなか、フィリピン人は主体的にアメリカに対して激しい独立闘争を展開しており、その結果、アメリカに対し独立を約束させていたのです。
具体的には、1935年にはフィリピン人による独立準備政府を発足させており、数年後に正式にフィリピン共和国として独立するはずでした。
この間、日本の助けは借りておりません。
アメリカのフィリピン支配の支持を反故にして日本軍が進出してきたのはその後のことです。
意図的になのか無知だったのかは分かりませんが、高山らの本ではそういった重要な事実をすっ飛ばしているようですね。
Wikipediaなどでも確認できる話なので、おそらく、大東亜戦争が聖戦であるという虚構を維持したいがために意図的に触れることを避けたのでしょう。
馬鹿げた話です。

歴史学では客観性が重要であり、特定の利害関係や個人の主観は極力排除しなければならないと述べましたが、
客観性を保障するには、さらに複数の資料を相互にクロスチェックする必要もあります。
天寿堂さんのように、1冊2冊の歴史学とは無縁な著者による読み物を鵜呑みにして得意顔になっている場合じゃないんです。
だから私も敢えて大本営側の資料を提示したのであり、天寿堂さんにも偏向した読み物レベルの本ではなく亜細亜各国の教科書も読めと述べたのですよ。
天寿堂さんが私に抗弁することが最終目的ならどれ程インチキな本を論拠にしてインチキな話を吹聴したって構いませんが、そうではなく、本を出して世間に認めさせたいのでしょう?
それなら今の独り善がりな姿勢から脱皮しなければ不可能です。

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[2363]
タマゴ - 2016年11月23日 (水) 08時54分

>やはり、タマゴさんはまだ弁証法を使えないから浅いですね。

念のため申しておきますが、私は弁証法を馬鹿にしているのではなく、弁証法使いを自任している人物が先を読みあやまっていることを指摘したのみです。

>民主主義における総理という立場は、国民の意思を無視して自分の信念を強引に貫くことはできないのです。

馬鹿言っちゃいけませんよ。
国民の多くが安保法に反対していたのに国会での数の力で強引に押しきったのは安倍ではありませんか。

>国民の大多数が独立への覚悟を決めておれば、強く出ることができますが、半数近くがカゴの中のほうがいいと言っているような状況では、日本を守るためには、お願いするしかないのです。つまり、責任の一端は野党にあり、国民にあるのです。せっかくのチャンスを逃してしまったのは、昨年来の安保法制問題で、反対するばかりで、日本の真の独立への道を追求しようとしないところに最大の問題があるのです。

あまりにも責任転嫁が稚拙・露骨すぎて、呆れるより他ありません。
県民の凡そ総意として米軍の排除を強く訴えている沖縄に新たに米軍基地を作ろうとしているのは安倍晋三ですよ?
安倍の本心が従米だから従米政策を推進しているのに決まっているではありませんか。
頼んでもいないのに、信者が勝手に教祖様の都合の良いように考えてくれるのだから、さぞかし笑いが止まらないことでしょう。

天寿堂さんは、岸信介や安倍晋太郎のWikipediaを見たことは無いんですかね?
彼らがCIAや統一教会と深い繋がりを持っていたことが公然と記載されています。
陰謀論でもなんでもありません。

ニートで遊び呆けていた安倍晋三が突如としてろくに努力もせず国会議員になれたのは、岸や晋太郎の支持基盤を世襲したからです。
つまり、CIAや統一教会とのドス黒い関係も世襲したということですよ。
安倍晋三がアメリカや韓国に頭が上がらないのは、そのためです。
天寿堂さんが考えるような理由からではありません。

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[2364] タマゴさんのかんちがい
愚按亭主 - 2016年11月23日 (水) 17時57分

>歴史の評価には個人の主観よりも客観的事実が優先される、という歴史学の原則です。

 現代の歴史学が永遠に学問になれないのは、事実を集めることが学問だと勘違いしているせいです。だから、一生懸命事実を集めようとゴミ拾いに熱中するのです。それが学問だと勘違いしているからです。まともな神経を持っているならば耐えられないことです。私のゼミの生徒さんの大学院を中退した息子さんが、私の書いたテキストを読んで、膝を打って「そうだったのか!これまで自分が怠け者だと思っていたのだけれど、そうではなかったのか。大学の研究がそもそも学問ではなかったのだとわかった」と言っていたそうです。よく聞いてみると、大学では十部この炭をつつくような事実をあさる研究をさせられるのだけれど、それを始めるにあたってその事実がすでに見つかっていないことを調べることから始めるのだそうです。それがつまらなくて嫌になっていかなくなってしまって、自分は怠け者だと自分を責めてきたけれど、学問は事実を探し回ることではなく、事実から論理を導き出してそれを体系として作り上げることがメインなのだと分かった、と喜んでいたそうです。

 タマゴさんも、現代の事実あさりの非学問的な歴史学と同様に、事実を探し出して提示して、それだけで私に反論したつもりになっています。あげくに、現実はそんな単純なものではなく複雑で生々しいものだということをわかることが大切だと、若のわからないことを言っている。つまり、答えを導き出せない言い訳をしているだけなのです。

 高山氏が卵さんが出した事実を書いていないことを、意図的に無視している偏向した主張を相手にする者はいないとまで、のたまっています。そして、アメリカは条約まで作って独立を認めた紳士的な国で、それをぶち壊したのは日本だといわんばかりです。ずいぶんアメリカに肩を持ちますね。タマゴさんがこんなにアメリカびいきだとは知りませんでした。いや事実を言ったまでだと言うでしょうが・・・。

 はたしてそうでしょうか?私は、そうは思いません。論理を展開するうえで取り上げる事実は、何でもかでも全部書かなければならないということはありません。必要最低限の十実を上げればじゅうぶんなのです。むしろ、事実を全部挙げていたら、何が何だか読者は混乱するばかりで冗長なものになってしまいます。

 田村氏の本の中での展開では、10年後に独立の約束をした条約などは傀儡政権を作ったの中に全部含まれてわざわざ書く必要もないことです。なぜなら、アメリカの意図は明白だからです。独立など認める気はさらさらなかったからです。よしんば認めたとしても傀儡政権として認めるという腹積もりでしかありません。

 それは、タマゴさんが無視した高山氏が指摘した事実を見れば一目瞭然だからです。アメリカは早くから日本を敵とみなしてしっかりと準備していたのです。パナマ運河もそのために急いで作らせたのです。大西洋艦隊をパナマ運河を通って太平洋に振り向けるためというわけです。

>具体的には、1935年にはフィリピン人による独立準備政府を発足させており、数年後に正式にフィリピン共和国として独立するはずでした。この間、日本の助けは借りておりません。

 アメリカがなぜそうしたか?それは日本の目があったからです。ハワイに傀儡政権を作ろうとしたときに、日本から抗議を受けて懲りていたし、これから日本を攻めようとするのに、日本からフィリピン領有を反対されないように学習したのです。だから、日本も支持したのです。日本は筋を通さないものには断固として反対しますが、筋を通しているように見えるものには反対しないのです。それが日本というものです。

 ですからアメリカははなから条約を守ろうという気はなかったのです。すべては日本を攻めるためにしたことです。そのために大きなクラーク空軍基地を作り、フィリピン兵12万人を軍事教練したのです。もちろんフィリピンの独立のためなんかではありません。自分たちの盾として、アジア人同士でたたかわせるためです。

 事実の意味を解くとはこういうことを言うのです。これが真実です。タマゴさんはアメリカの正体を知っているはずなのに、ずいぶん甘いですね。読みも浅いです。とりあえずこれが第一稿です。

Pass

[2365]
タマゴ - 2016年11月23日 (水) 20時38分

>アメリカは条約まで作って独立を認めた紳士的な国で、それをぶち壊したのは日本だといわんばかりです。ずいぶんアメリカに肩を持ちますね。タマゴさんがこんなにアメリカびいきだとは知りませんでした。

などと、相手が述べていないことをでっち上げて、それを根拠として相手を貶める。
さらには、それを前提として、

>はたしてそうでしょうか?私は、そうは思いません。

と勝手に話を進めようとする。
これはダミー法や藁人形法などと呼ばれる初歩的な詭弁の方法です。
程度の低い詭弁家がよく用いる手ではありますが、ここまで露骨なのは初めて見ましたよ(苦笑)。
もし相手に詭弁を見抜かれず煙に撒くことに成功したとして、それにより自らの誤った論理が弁証法的に修正される機会を失うことになります。
これは即ち、弁証法を標榜する立場の人が、実は弁証法の力を信じていないということを意味します。
私が天寿堂さんの立場なら、こんなバレバレの姑息な方法は取らずに、相手の主張の認めるべきところは潔く認めますけれどね。

さて、フィリピンの独立についてですが、1946年に戦前から約束されていたフィリピン第三共和国が成立しています。
別に、天寿堂さんが言うような「アメリカが紳士的な国」だからではありません。
米国議会で一旦は条約として承認していたので、独立を認めざるを得なかった。
ただそれだけのことです。

事実から正しい論理を抽出するためには、正しい事実認識が必要であり、更にはそこにバイアスを含めないことも求められます。
天寿堂さんはそれができていない。
おそらく学生時代に世界史の勉強をろくすっぽしていなかったのでしょう。
だから日本会議の広報マンのような論者にコロッと持っていかれてしまうんです。
まずは世界史の基礎知識を身に付けることから始めるべきです。
正しい論理の抽出は正しい知識の習得が前提なのですから。
今の方向性だと、交感神経の一般論モドキを作って振り回していた時の二の舞になるだけですよ。
また赤っ恥を晒してもよいのなら構いませんけれどね。

Pass

[2366]
タマゴ - 2016年11月23日 (水) 20時56分

それから、ついでに1つ述べておくと、
天寿堂さんは米国とその下僕である安倍晋三を信用し過ぎているのてはありませんか。
安保法というのは、大雑把に言えば、自衛隊を米軍の補完部隊として差し出すための法律ですよ。
即ち、イラクやベトナムなど、亜細亜各国に於いて米国が行った虐殺行為に自衛隊を加担させる悪法に他なりません。
こんな馬鹿げた法律に反対するのは当たり前のことです。

大東亜の平和という大義名分は、戦争主導者にとっては建前に過ぎませんでしたが、それを本気で信じて戦った日本兵の方々がいらしたのは事実です。
自衛隊を米国に差し出すことは、その方々の志を踏みにじる愚行です。
神戸だいすきさんや私たちは、それが我慢ならないのですよ。

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[2367] 本当にに妄想か?
愚按亭主 - 2016年11月23日 (水) 21時19分

>単なる妄想を一般論だと決め付け、そこから様々な推論を行っていたため、結局、膨大な妄想の体系を作ったに過ぎませんでした。
天寿堂さんは懲りもせずに、歴史の分野でも全く同じ轍を踏もうとしている。そんなことは無意味どころか有害無益だと述べているいるのですよ。
>大東亜戦争と日本人との関係性は複雑な構造となっており、そんなアバウトな捉え方で全体像を正しく描出することは絶対にできません。
>資源確保が必要になったのは、日本の軍部や財閥が満州や朝鮮半島に築いてきた利権構造にアメリカが手を突っ込んできたことから対立が生じ、アメリカからの石油輸出を止められてしまったという、これまた生々しい理由によります。
>などと一義的に格好良く結論付けるのは絶対に無理だってことですよ。戦争というのは天寿堂さんが考えているような甘っちょろいものではありません。なぜ日本会議系の論者たちがそのような綺麗事ばかり述べるのかといえば、日本会議が戦争主導者たちの系を引く団体だからであり、そうすることにより戦争主導者たちの責任を覆い隠そうという意図があるのでしょう。そういう裏の意図を知ろうともしないで綺麗事を真に受け酔いしれるのは、酔っぱらっている当人は気持ち良くても、端からみたら馬鹿丸出しなだけです。



 私の本流の弁証法は、ヘーゲルの弁証法の具体化にすぎません。それを妄想とタマゴさんが断ずるには、ヘーゲルの弁証法が妄想であること、あるいは私の具体化が間違いであることを立証しない限り、それはタマゴさんの単なる妄想にすぎません。タマゴさんが挙げている交感神経と副腎の例は、適用の際の事実の不備・不足にすぎませんし、それを修正して理論的発展を成しています。この事実はむしろ、私の一般論がもうそうでないことの証明になるものでしかありません。

 物事の本質は、全体を俯瞰しそのレベルでのアバウトな事実からでなければ導き出せないものなのです。森の中に入り込んで木を一本一本調べて些末な事実をあさればあさるほど、今のタマゴさんのように本質は見えなくなってしまうのです。しかし、本質は単純なのです。日本が欧米列強の植民地体制をぶっ壊したというのは、歴然たる事実なのです。なんでそんな簡単なことに見えないのか?欧米列強がそれを隠そうとしていろいろ画策したからです。そちらのほうこそが、本質を指し示す重大なな問題であるのになぜそちらは問題にしないのですか。岸伸介が何言おうと関係ありません。客観的事実の全体像が指し示すものこそが、重要だからです。

 日本は他のアジアの諸国と違って、欧米列強の重圧から身を守り、それと敢然と戦ったのです。日本よりも先にアメリカのほうが日本をたたく計画を立てて着々と実行していたのです。これがとても重要なことです。日清戦争・日露戦争に日本が勝って、アジア中に自分たちもとたとえばベトナムの光復会のように独立を希求する組織が生まれ抵抗軍動はじまりますが、ことごとくつぶされます。ビルマのサラサン率いる組織もお尻に白地に赤い丸を描いて向かっていったそうです。そうすると弾が当たらないと思われていたようです。しかし、一年頑張ったそうですが、やはりつぶされてしまったそうです。

 中国にも日本に学べと日本への留学熱が沸き起こったそうです。これを見たアメリカは、日本と中国手を組むと厄介だと、米西戦争の賠償金で北京に精華大学を作り、アメリカのほうに留学させて、日本への留学熱に水をかけて、親米反日教育を施して、5・4反日運動をおこさせたのです。

 上海事変で、蒋介石がなぜいきなり無謀な攻撃を仕掛けてきたか、これは蒋介石の意思というより欧米とりわけドイツ・ソ連そして一番の黒幕はアメリカです。アジア人同士で戦わせようということです。ですから、実質的にアメリカとの戦いはすでに始まっていたのです。その証拠が、フライングタイガーです。これは、はじめアジア人同士でやらせようとしましたが、中国人をいくらパイロットとして訓練しても使い物にならなかったからやむなく本性を現したということです。

 ですから、大東亜戦争も、アメリカによって無理やり引きずり込まれたのです。蒋介石が休戦の話し合いに応じなかったのは、そのせいなのです。

 そして、日本は敗れはしたものの、アメリカの目論見を破って、三年半も頑張ったおかげで、欧米列強の植民地支配体制は、壊れて歴史が大きく変わったのです。この歴史の大転換をなした原動力は何だったのか。簡単なことではありませんか。日本がそれを成し遂げたのです。

 日本人ならばこの事実こそ目を向けるべきなのに、そうさせないように日本人を徹底的に悪者に仕立てようと欧米列強がどれほどデタラメな作り話をでっちあげ、自虐史観を日本人に押し付けたのです。その意味で、現地人の話も当てになりません。皆うそを言わされたか、自主的に日本が悪いようにいうのです。それが長い植民地下にあった人たちの処世術なのです。負けた日本のいいことをいうと大変だと思っているのです。ですから、勝った欧米列強の悪いことは言わずに、日本の悪いことをいったほうが安全だからです。そうやって、植民地体制を壊した英雄は悪者にされ、日本人も、その英雄たちの悪い話を一生懸命探しだして、日本人はこんなに悪かったと懺悔することが、アジアの人たちと連帯することのように錯覚しているのです。アホかとお言いたくなります。じつは、私も左翼運動をしていたころは、本気でそう思っておりました。

 

 

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[2368] 事実から論理を導き出すとは
愚按亭主 - 2016年11月23日 (水) 22時25分

>フィリピンの独立についてですが、1946年に戦前から約束されていたフィリピン第三共和国が成立しています。別に、天寿堂さんが言うような「アメリカが紳士的な国」だからではありません。
米国議会で一旦は条約として承認していたので、独立を認めざるを得なかった。ただそれだけのことです。

 それは何ら反証にはなりません。アメリカは日本に勝って目的を達成したので、もはやそういう意味でフィリピンは必要でなくなったからです。おまけに条約という形で約束しているので、実行しなければ、アメリカの威信に傷がつくからです。このように現象の裏を読み解くのが歴史学の任務であるはずです。これは決して「相手が述べていないことをでっち上げて」いるのではないのです。事実を総合するとそういうことになるということです。

 事実と事実はみな何らかの形でつながっております。アメリカが、ハワイを併合しようとしたとき、そのやり方の強引さに日本が抗議の意を表したという事実があります。これによって、アメリカは大恥をかきました。これに怒り危機感を募らせた人物がいます。のちに大統領になるセオドア・ルーズベルトです。彼は友人への書簡の中で「日本を脅威と思う」述べております。そして、大統領になると、パナマ運河を作り、日露戦争の仲介を買って出て日本に賠償金が渡らないようにし、日英同盟を解消させて白人クラブから追い出し、孤立させて何かといちゃもんをつけ、経済封鎖して追い詰め、戦争へと持っていこうとしていたのです。こういう流れの中で、フィリピンの問題があるのです。アメリカとフィリピンだけを見ていたのでは分からないのです。

 なぜ独立を認める条約を結んだのか?そんなことは他の植民地宗主国はやっていません。ならばアメリカは他の宗主国に比べて英明で先進的な国なのか?そんなことはありません。抵抗するアギナルド将軍に対して徹底した掃討作戦をして、皆殺しの大量虐殺を含めて二十万人もの殺戮をしてやっと一応の平定したのです。そこで傀儡政権を作るのですが、そこで10年後の独立を約束した条約をかわします。なんでそんなことをするのか、それならば、独立の約束を反故にして殺戮をする必要はなかったではありませんか?10年延ばすために殺したのか?ということになります。

 そうするにはそうするだけの理由があるはずです。アメリカの日本に対する姿勢や、その後の行動がそれを物語っています。空軍基地の建設や、フィリピン軍12万の創設とアメリカによる軍事訓練です。これは明らかに日本に対するものです。それをするために言いなりになる傀儡政権を作ったことが明白です。しかし、ハワイでの一件があるので、日本に怪しまれないように日本に反対されないように作る必要があった。だから、独立を認める条約を結んだと考えるのが一番まともな解釈です。それがまやかしであることを見抜いたアギナルド将軍は、日本軍がマニラを制圧した後、ラジオで「米国への恐怖心を克服して真の独立を勝ち取ろう」と呼びかけています。傀儡政権のケソン大統領は、このアギナルド将軍も演説を聞いた後、「この戦争は、日本と米国の戦いだ。フィリピン兵士に武器を置いて降伏するように表明する。日米はフィリピンの中立を承認してほしい。」と言って掛け合ったそうですが、彼は米国に拉致されそこで病死したそうです。つまり、フィリピン兵が盾にされていると自覚したのです。

 これが詭弁だというのなら、詭弁でない説明をしてください。私のより説得力のある説明ができるのなら、認めましょう。

 

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[2369]
タマゴ - 2016年11月24日 (木) 06時08分

>物事の本質は、全体を俯瞰しそのレベルでのアバウトな事実からでなければ導き出せないものなのです。

それは論点の取り違えです。
私が述べているのは、木を見るか森を見るかという話ではなく、対象の概念とその範囲を正確に把握しなければマトモな議論にならない場合がある、ということです。
例えば「空気を変える」と言った場合に、その「空気」が「雰囲気」という観念を意味するのか「大気」という物質を意味するのか、確定してからでないと厳密な議論にはなりません。
何故なら、両者は同じ「空気」という語をあてがわれていても、本質的に区別すべき概念だからです。
同様に、戦時中の「日本」「日本人」というアバウトな概念の中には、例えば「朝鮮半島」「朝鮮人」なども含まれています。
それをアバウトなまま議論を進めようとしても、日本人の精神性などというものを正しく捉えることなどできはしません。
日本人の大東亜戦時の対する認識についても、戦争主導者と一般国民とでは異なるのですから、区別しつつ連関を考えるという方向性でなければ厳密な議論にはならないんですよ。

>日本は敗れはしたものの、アメリカの目論見を破って、三年半も頑張ったおかげで、欧米列強の植民地支配体制は、壊れて歴史が大きく変わったのです。

大本営の公文書を再掲します。

まず1941年11月20日に大本営政府連絡会議が作成した「南方占領地行政実施要領」。
「占領地ニ対シテハ差シ当リ軍政ヲ実施シ治安ノ恢復、重要国防資源ノ急速獲得及作戦軍ノ自活確保ニ資ス」
「其ノ独立運動ノ如キハ過早ニ誘発セシムルコトヲ避クルモノトス」

次に1943年5月31日に御前会議で決定した「大東亜政略指導大綱」。
(イ)「マライ」、「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」
ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発並ニ民心ノ把握ニ努ム」

これらから、戦争主導者たちの本音は亜細亜各国を「解放」することではなく、資源の供給地として確保することだったと分かります。
また、民族の独立は抑圧するつもりでいました。
インドネシアに至っては、日本の領土にするつもりでいたのです。

これらは大本営側の公文書なのですから、当然、自虐でもなければ外圧も関係ありません。
このような事実を知ってもなお戦争主導者を礼賛したいというのであれば、好きにしたらいいと思います。
私は脱洗脳の専門家でも何でもありませんのでね。

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[2370] 日本とは
愚按亭主 - 2016年11月24日 (木) 08時51分

>安保法というのは、大雑把に言えば、自衛隊を米軍の補完部隊として差し出すための法律ですよ。即ち、イラクやベトナムなど、亜細亜各国に於いて米国が行った虐殺行為に自衛隊を加担させる悪法に他なりません。こんな馬鹿げた法律に反対するのは当たり前のことです。

 そんな目先のことより、まずは国家の形を作ることのほうを優先すべきです。人間の体の免疫細胞を大事にするあまり、人間の体全体を仮死状態のままにしておこうというのは本末転倒も甚だしいです。政治は道徳論ではできないのです。

 ですから、直ちに占領憲法を廃棄して、応急的に自衛隊を国軍とするなど最低限の国家の形を規定した暫定憲法を作り、その後じっくりと国家理念の吟味などしながら本格的な憲法を作っていくべきです。そういう方向に議論すべきなのに、主体性を持てない憲法を守れ、戦争は嫌だなどと言っているから、絶好のチャンスが来ても逃してしまうことになるのです。

>それは何ら反証にはなりません。アメリカは日本に勝って目的を達成したので、もはやそういう意味でフィリピンは必要でなくなったからです。おまけに条約という形で約束しているので、実行しなければ、アメリカの威信に傷がつくからです。

 これについてもう少し補足しますと、はじめは日本対策で独立を認める約束をしたのですが、条件が変化して、戦争に勝って世界の覇者として解放者面をするために、そして自らが犯した残虐な行為を誤魔化すために約束通り独立を認めたのです。その方が圧倒的に利益が大きいからです。怪我の功名だったということです。

>戦時中の「日本」「日本人」というアバウトな概念の中には、例えば「朝鮮半島」「朝鮮人」なども含まれています。それをアバウトなまま議論を進めようとしても、日本人の精神性などというものを正しく捉えることなどできはしません。日本人の大東亜戦時の対する認識についても、戦争主導者と一般国民とでは異なるのですから、区別しつつ連関を考えるという方向性でなければ厳密な議論にはならないんですよ。

 日本の概念規定如何?ということですが、当然、実体性も精神性をも含めた日本のことです。それも人類の本流としての実力を磨く過程性・歴史性をも含めた日本であることは言うまでもないことです。そして、それは、タマゴさんが挙げたことすべてを含めたアバウトさでよいのです。それが森全体を俯瞰するということです。当時の戦争は、朝鮮半島人も日本の精神性に従って戦っていたのですし、戦争主義者が主導したとはいえ、見事に国家を挙げての総動員で戦っていたのですから、これが当時の日本の国家の実力であり、それを、経済グローバリストが最も恐れたものなのです。だからそれお解体しようと躍起となったわけです。それを分断して考えようなどと、ナンセンスです。

>>日本は敗れはしたものの、アメリカの目論見を破って、三年半も頑張ったおかげで、欧米列強の植民地支配体制は、壊れて歴史が大きく変わったのです。

大本営の公文書を再掲します。

 この大本営の公文書は、何らも反論になっていませんね。何のために挙げられたのか理解不能です。日露戦争後、アジア各地に独立運動が発生しますが、みなつぶされます。しかし、日本が三か月で日本を降参させるというアメリカの目論見を官舟木までに叩き潰して、アジア全体に日本が進出して白人を追い出して、日本が現地の独立勢力を鍛えた後は、白人が戻っても前のように簡単につぶせなくなってしまった、ということです。世界の覇者となったアメリカですらベトナムで負けたのですから。そのベトナムを鍛えたのは日本です。日本兵のその戦いに参加しています。こちらの事実の方がそんな大本営の文書よりも重要な事実ですし、その大本営の文書は、アメリカと戦って勝つためには、当然のことです。しかし、にもかかわらず、日本はその国が自力で独立する実力を育ててやったのです。

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[2371]
タマゴ - 2016年11月24日 (木) 11時48分

左翼から右派に急転向するようなところから察するに、天寿堂さんは学生時代に真面目に世界史の勉強をしていなかったようですので、フィリピンの独立に至る歴史について簡単に記載しておきます。

フィリピンの宗主国(スペイン→アメリカ)からの独立闘争は1800年代半ばから行われていましたが、それが本格化したのは英雄ホセ・リサールから後でしょう。
1892年には、もう一人の英雄ボニファシオが中心となり秘密結社カティプナンが結成されました。
さらに独立の闘士アギナルドがボニファシオと出会いカティプナンに入会。
リサールがスペインにより処刑されたのを契機に独立闘争は激しさを増しますが、アギナルドがボニファシオを処刑してしまうなどの内部対立もありました。
1898年に米西戦争が勃発すると、アギナルドは米軍とともにマニラにあったスペイン総督府を打倒、そしてパリ講和条約が締結され、アメリカはフィリピンの領有権を獲得しました。
アメリカにはフィリピンをアジア進出の足場としたい思惑があったのです。
しかし、フィリピン国民はこれに激しく抗議。米比戦争が勃発しました。
1899年にアギナルドはフィリピン共和国(第一次共和国)を樹立し、初代大統領に就任しましたが、米軍に捕らえられてしまい、アメリカの主権を認めざるを得なくなってしまったのです。

1905年、日米間で桂タフト協定が締結されました。
これは、アメリカは日本の韓国における支配権を、日本はアメリカのフィリピンにおける支配権を相互承認するというもの。
ここが非常に重要です。
つまり、この時点で日本政府に亜細亜解放などという目標は無かったわけです。

その間にも、フィリピン人は宗主国アメリカに対して主体的に独立闘争を展開していました。
そして、1916年には米国議会でフィリピン自治法、1934年にはフィリピン独立法が可決し、10年後のフィリピンの独立を承認させたのです。
さらに翌年には独立準備政府が成立、大頭領選には独立法制定に尽力したマニュエル・ケソンが当選し、アギナルドは4倍近い得票差で敗れ政界から引退しました。

1941年に大東亜戦争が勃発すると、日本軍はアメリカとの協定を反故にしてフィリピンに進出。
そして、フィリピンのアメリカ軍は全軍が降伏し、日本よる軍政が開始されました。
当初は日本軍を植民地支配からの解放者とみて歓迎した国もある中で、既に主体的にアメリカに独立の約束をさせていたフィリピン人は初めから日本軍の進出を歓迎してはいませんでした。
そういった日本軍に反発するフィリピン人の心情を利用してアメリカは抗日ゲリラを組織、それとは別に、フィリピン人によりフクバラハップが農村に支持を広げつつ抗日運動を展開しました。

日本はフィリピン人の民心を回復するために、1943年にホセ・ラウレルを大統領とするフィリピン第二共和国を成立させました。
しかし、ラウレル政権は日本への全面的協力を拒否し一定の距離を置く姿勢をとったのです。
ラウレルは、反米主義者であると同時に、日本の傀儡でありながらも日本軍に毅然と対峙したことにより、現在でもフィリピンではそこそこ人気があります。
(逆に日本会議系の論者にはあまり人気が無いのですが)
日本軍はラウレル政権に対し「米英に宣戦布告せよ」と再三にわたって要求しましたが、ラウレルはそれを拒み続けたのです。

大東亜戦争終結後、1946年にフィリピンはアメリカから独立し第三共和国を成立させました。

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[2372] 基本的には同じだと思います
愚按亭主 - 2016年11月24日 (木) 12時55分

 なるほど。フィリピンの人たちは独立心旺盛で、スペインと戦ってきた歴史を持っていたので、日本対策ばかりでなくその点も加味しないといけないということですね。これで。傀儡政権のケソン大統領が「この戦争は、日本と米国の戦いだ。フィリピン兵士に武器を置いて降伏するように表明する。日米はフィリピンの中立を承認してほしい。」と掛け合ったことについて、傀儡政権なのによく言ったなあと不思議に思っていたのですがその謎が解けました。また、フィリピンで日本が嫌われた理由として日本兵が略奪・強姦をしたせいだと説明するけんきゅうしゃがおりますが、このように独立心旺盛なら、日本がいることだけでも面白くないのは当たり前の話で、どうも臭いですね。

 しかし、確かにそれでより詳しくわかりましたが、基本的には変わらないと思います。タマゴさんの説明ではアメリカの糸の部分が抜けているので、これでは日本だけが悪い印象になっています。日本が協定を保護にして攻めてきたというようにです。真珠湾の場合もそうですが、それは織り込み済みで、アメリカはその準備をしていたのです。縦とするフィリピン兵12万人を鍛え、日本本土を爆撃するための空軍基地を作って備えていたということです。そして、フィリピンの独立の動きに対してアメリカが譲歩したのは、やはり、日本を責めるためという目的があったためと考えられます。つまり、フィリピンの独立への動きとアメリカの日本をたたくという目的とが独立を承認して協力させるということになったのです。10年後に独立とした理由もそこにあると思います。このように考えなければアメリカがさも物分かりが良いというようなタマゴさんの解釈では事態の本質を見誤ってしまいます。

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[2373]
タマゴ - 2016年11月24日 (木) 13時04分

>そんな目先のことより、まずは国家の形を作ることのほうを優先すべきです。

何を倒錯したことを。
天寿堂さんのように、アメリカの影響下であれなんであれサッサと改憲しろという趣旨の主張それこそが目先のことしか考えていない浅知恵なんですよ。
国家の形を成文化したものが憲法なのですから、改憲すること自体よりも、どのような憲法に改めるかの中身が大事なのです。
それを私たち日本人が主体的に行うには、米軍の半占領下にある現状でアメリカの傀儡まがいの安倍政権に任せていたのでは不可能だと述べているのですよ。

>直ちに占領憲法を廃棄して、応急的に自衛隊を国軍とするなど最低限の国家の形を規定した暫定憲法を作り、その後じっくりと国家理念の吟味などしながら本格的な憲法を作っていくべきです。

安倍政権に、そんな、現行憲法を即刻廃止して暫定憲法を云々〜などという考えはありません。
天寿堂さんが、これは俺の理想論だから安倍政権がどうかは関係ないというのであれば、ご勝手に妄想していればいいと思いますけれどね。

>そういう方向に議論すべきなのに、主体性を持てない憲法を守れ、戦争は嫌だなどと言っているから、絶好のチャンスが来ても逃してしまうことになるのです。

そんなのは詭弁もいいところですよ。
トランプは、日本が米軍の駐留費用を負担しないなら撤退させると公言しているのですから、絶好のチャンスがあるとすれば今を置いて他にありません。
普通のアメリカ大統領ならそんなことは言わないのですから。
安倍晋三が本気で米軍を排除して日本の主体性を回復するつもりがあるなら、日本は費用を負担しませんよと伝えたはずです。
仮にそう伝えたとして、米軍の撤退を短期間に完了することなんてできる訳が無いのですから、尚更です。
だから安倍は真面目な保守から売国だと言われるのですよ。

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[2374]
タマゴ - 2016年11月24日 (木) 14時31分

>当時の戦争は、朝鮮半島人も日本の精神性に従って戦っていたのです

この辺りは天寿堂さん独特ですね。
私は、日本人と半島人ではそもそも民族性が遺伝子レベルから異なるのだから、同じではあり得ないと考えています。

>戦争主義者が主導したとはいえ、見事に国家を挙げての総動員で戦っていたのですから、これが当時の日本の国家の実力であり、それを、経済グローバリストが最も恐れたものなのです。だからそれお解体しようと躍起となったわけです。それを分断して考えようなどと、ナンセンスです。

分断ではありません。
戦争主導者と一般国民とでは、明確に異なる意識レベルで大東亜戦争を生きたのだから、その区別と連関を厳密に考える必要があると述べているのですよ。
それを明らかにするために大本営の公文書を掲載したのです。

戦争主導者は文書中に書かれた生々しい目的で開戦したのであり、一般国民に提示した亜細亜解放という大義名分は建前だったのです。
勿論それがために、亜細亜解放を本気で信じて戦った末端の日本兵の志が貶められることがあってはならないと思います。
だから区別が必要だと述べているのですよ。
難しい話かもしれないので、分からないなら分からないで結構です。

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[2375] では
愚按亭主 - 2016年11月24日 (木) 17時31分

>戦争主導者は文書中に書かれた生々しい目的で開戦したのであり

 ではタマゴさんのその分析をお聞かせいただきましょう。

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[2376]
タマゴ - 2016年11月24日 (木) 20時00分

分析も何も、書かれている通りですよ。

「占領地ニ対シテハ差シ当リ軍政ヲ実施シ治安ノ恢復、重要国防資源ノ急速獲得及作戦軍ノ自活確保ニ資ス」
「「マライ」、「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」
ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発並ニ民心ノ把握ニ努ム」

かくの如く、資源確保を目的として日本の戦争主導者は南進を決定したのです。

「其ノ独立運動ノ如キハ過早ニ誘発セシムルコトヲ避クルモノトス」

とある通り、亜細亜解放という大義名分のためではありません。

なぜ資源の確保が必要になったかは、大雑把にいえば、日米間の満州に於ける利権争奪がエスカレートし、アメリカが日本に対する石油などの資源の輸出を止めてしまったからです。
即ち戦争の真の原因は「亜細亜解放」のためとか「自由と民主主義」のためなどといった綺麗事ではなく、国家同士の利害関係のぶつかり合いに他なりません。

滝村先生は大東亜戦争については言及しておられないんですか?

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[2377] 区別する必要性は認められず
愚按亭主 - 2016年11月24日 (木) 20時12分

このような説明では、区別する必然性が認められませんね。もっとしっかりした根拠があるかと思いきやその程度ですか!がっかりしました。この内容についてはすでに反論済みです。

Pass

[2378]
タマゴ - 2016年11月24日 (金) 23時21分

天寿堂さんの返事こそ反論したつもりになっているだけで中身空っぽではありませんか。
左翼か何かの論文からではなく、大本営の公文書からの引用なのですから、これ以上しっかりした根拠はありません。

近現代の戦争の大半は、国家同士のリアルな利害対立、更に突き詰めるならば、国家の支配者層同士の利害対立により惹き起こされるのです。
大東亜戦争でいえば、満州を実効支配していた満鉄や関東軍など日本の利権集団と、その米びつに強引に手を突っ込もうとしてきたアメリカの財閥や軍との対立が大本の原因です。
言い換えるならばカネの問題ですよ。
詳しくは桂ハリマン協定等の周辺をネットで調べてみればわかるでしょう。
ただ、そんな生々しい理由だけで一般国民を戦争に駆り出すことなどできませんから、知恵を絞って大義名分を考えたにすぎません。
それが戦争な現実です。

天寿堂さんがそのような建前論に酔っていたいのなら仕方ありませんけれど、正しい一般論を導きたいのなら、綺麗事を排して現実を直視しなければなりません。

Pass

[2379] 歴史をどう正しく見るか
愚按亭主 - 2016年11月25日 (金) 10時26分

>大東亜戦争でいえば、満州を実効支配していた満鉄や関東軍など日本の利権集団と、その米びつに強引に手を突っ込もうとしてきたアメリカの財閥や軍との対立が大本の原因です。
言い換えるならばカネの問題ですよ。

 それは、一面的で全体像ではありません。ある一面から見ればそういう見方もできるというにすぎません。それでは人類の歴史はなぜ発展してきているかということを説明できません。つまり歴史の全体像の見方ではないということです。青雲さんの支配形態が変わっただけという見方も、神戸大好きさんの一部の支配者によって世界は動かされているという見方も、みな一面的です。暗い一面しか見なければ、暗い気持ちになるばかりで、未来へ向けての道筋は見えてきません。だから皆さんの話には未来への希望が見えないのです。皆さんがなぜそういう見方しかできないかといえば、それは、ヘーゲルの世界の本流の歩みを解く弁証法がないからです。

 ある一面に着目すれば必然的に、別の一面がずり落ちてしまうことになります。これは相対的真理の宿命・限界なのです。だから、全体を俯瞰する絶対的真理が必要となるのです。

 植民地争奪戦の激しかった帝国主義の時代に、植民地にされるばかりであったアジアで、独立を保つばかりでなく必死に国力をつけて人種差別の激しかった欧米列強の植民地主義に対して、人種差別撤廃を掲げて戦いを挑んだのが、日本です。これは「知恵を絞って大義名分を考えたにすぎないような、薄っぺらなものではなく、しっかりと、国際連盟に提訴して、実現寸前にまでこぎつけたり、五族協和を掲げて技術の粋を結集して創りあげた満州国という理想国家をしっかりと実現した事実から、単なる利益追求だけではなかったことが立証できます。また、併合した朝鮮半島に対しても、他の欧米列強の植民地のように人頭税や塩全などはかけずに、税も本土よりは少なくインフラ整備や学校教育において民族独自の言語すらも、支配側の日本のほうが現地人の反対を押し切って整備して教育しているのです。

 このように、日本は欧米列強の真似をしようとしたのではなく、日本のそれまでの歴史性をもって、それぞれの民族独自の文化を大切にしつつそれぞれ発展できるような形での姿勢を心がけたのです。つまり、日本は欧米の人種差別的な植民地支配をぶち壊しただけでなく、未来を先取りしたような、真のグローバリズムのひな型をも作っていたのです。この現在でもまだ十分にできているとは言えないほどの日本の先進性を評価せずして、人類の歴史を語ることはできません。

 これが日本が人類史の本流であった所以なのです。

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[2380]
タマゴ - 2016年11月25日 (金) 12時36分

戦前戦中の日本の海外進出について、大東亜戦争の黒幕の一人である岸信介(安倍晋三の祖父で安倍が最も尊敬している人物)は、
「(進出か侵略かと言われれば)侵略でしょう。しかし、そんなのは他の国々もやっていたことで、日本だけが悪い訳じゃない。」
という趣旨のことを明言しています。
当事者の証言だけに、注目に値するでしょう。

しかし私は、岸とは見解を異にしております。
大義名分を信じて戦った末端の日本兵の方々の志に心をいたすならば、大東亜戦争の総論として「侵略」という語は用いたくないからです。
では天寿堂さんの主張と同じなのかというと、これまた全く異なります。
それは、事実関係に対する認識が異なるという以前に、認識の形態が異なるということです。
私は木も森も見て更にその連関を考慮するべきであるという立場ですが、天寿堂さんは森だけを見て木は見てはいけないという立場だからです。

天寿堂さんの思考形態・思考過程から産み落とされた数々の一般論モドキ、例えば、
「手足には交感神経のツボしかない」
「交感神経は副腎から増設された」
「フィリピンは日本軍が解放した」
が誤っていたことは論証済みですが、
ではこれらの大本である天寿堂さんの思考形態・思考過程のどこがおかしいのか?です。

実は、私が最も指摘したいのはその点なのですよ。

それを次に書いていきたいと思いますが、忙しいので後で書きます。

Pass

[2381]
タマゴ - 2016年11月26日 (土) 06時36分

例えば「日本軍がアジア各国を解放した」という命題の正否は、国の数そのものが限られているだけに、先刻のフィリピンの事例のように、個別に見てしまえば簡単に判断できることです。
フィリピンは日本軍が解放したのではありませんでしたが、他の国々の歴史も詳しくみていくと、日本軍が解放したと辛うじて主張できそうな国はインドネシアくらいであると分かります。
そのインドネシアも、もし日本軍が勝ち続けていたら、資源確保のため日本領に併合する予定であったことが判明している。
即ち、「日本軍がアジア各国を解放した」という命題は偽であると分かるのです。
もし「日本軍の進出がアジア各国の独立に影響を与えた」という命題であれば、一概に否定されるものではないと思いますけれどね。
日本会議系の論者も、普通は、そのような表現を用いているかと思います。
「日本軍がアジア各国を解放した」という命題は世界史を知っている者には簡単に論破されてしまいますから、まず彼らも用いることはない。

では、ナゼ天寿堂さんが「日本軍がアジア各国を解放した」などと本気で考えたかというと、単純に、学生時代に世界史を真面目に勉強しなかったからだと思います。
真面目にアジアの歴史を学んだことが無かった。
つまり、複数の個別事例を見て共通する法則性を抽出するという過程を経たのではなく、
なんとなく命題を考え、それを一般論であると極めて強烈に思い込んだだけだったのです。

このように、個別事例を無視して強烈な思い込みだけで“一般論モドキ”を措定し、それをオラオラ!と振り回して大暴れするのが、天寿堂さん特有の悪癖だと思います。
キリスト教福音派の信者が創造論という擬似科学を盲信し進化論を頭ごなしに否定するのとよく似ています。
同じ南郷派の青雲さんですら呆れ返ってしまったわけですから、これはもう相当なもんですよ。
「手足には交感神経のツボしかない」
「交感神経は副腎から増設された」
という一般論モドキも、天寿堂さんは弁証法的に誤っていると分かったといいますが、それは大ウソです。
天寿堂さんは「一般論があれば個別事例を見なくとも論理的に真偽を判断できる。」という趣旨のことを述べ、頑として自らが作った一般論モドキを修正しようとしなかったんです。
それを、私が粘り強く論証を重ね、漸く誤謬が訂正された。
私は天寿堂さんのライバル兼盟友という特殊な関係であり、かなり粘りのある部類なのでそうしましたが、tadaさんのように普通の友人関係の方なら天寿堂さんのガチガチの頑固さに匙を投げてしまうのも無理はないと思います。
tadaさんは頭の良さもさることながら弁証法にも精通し、これまでに掲示板に登場した人の中でも、ダントツで抜きん出た方だったのに、本当に勿体無いことをしたもんだと思いますよ。
あれほどの人はそうそう居るもんじゃありません。
また戻ってきてくれたらいいんですが、仮に運良く戻ってきてくれたとしても、天寿堂さんが頑固者のままならまた呆れて去ってしまうのは目に見えています。

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[2382]
タマゴ - 2016年11月26日 (土) 10時15分

横道に逸れない程度に五族協和についても触れておきましょう、

建国理念として、この語を最初に考案したのは、日本政府でも日本軍でもなく、歯科医の小沢開作であるとされています。
これを板垣征四郎や石原完爾が日本人による満州支配の大義名分として採用したという流れです。
(余談ですが、開作の息子で指揮者の小沢征爾は、名前を板垣と石原から一字ずつ拝借したのだそうです。)
満州に於ける圧倒的多数派を占める漢民族の中に排日感情が強まる中で、建国当時は人口の1%に満たなかった日本人が満州を経営するにあたり「協和」を大義名分に掲げたのです。

「五族協和」の理念自体はなかなかのものですし、建国大学等ではその理念を追求しようと燃える学生が大勢存在したのも事実です。
では、日本軍による「国家」の経営実態はどうであったか。

政治は、溥儀を実権の無い元首とし、実際は関東軍と日本の在満大使によって行われており、また、議会は存在しましたが選挙は一度も行われず、政党の結成は禁じられておりました。
さらに、関東軍は日本などからの移民のために現地の中国人や満州人から強制的に土地を接収したため、暴動が絶えませんでした。
食糧配給は日本人には白米、朝鮮人は白米とコーリャン、中国人はコーリャンだけ。
給料にも民族によって差がつけられていました。
これが実態です。

「それでも欧米の植民地支配とは異なるではないか」といえばマァそうなんですが、王道楽土などという理想とはは程遠かった実態は知っておくべきでしょう。

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[2383] 反論します
愚按亭主 - 2016年11月26日 (土) 12時22分

 タマゴさんは私の書いたものをまじめに読んでいませんね。タマゴさんの批判に対する反論はすべてこれまでの私の主張の中に含まれています。しかし、このタマゴさんの私への批判は、相対的真理のみで考える場合と、私の絶対的真理を基調にして考える場合との良いたい肥になりますので、しっかりと反論していきたいと思います。

>では天寿堂さんの主張と同じなのかというと、これまた全く異なります。それは、事実関係に対する認識が異なるという以前に、認識の形態が異なるということです。私は木も森も見て更にその連関を考慮するべきであるという立場ですが、天寿堂さんは森だけを見て木は見てはいけないという立場だからです。

 このタマゴさんの分析は、正確ではありません。正確に言い直しますと「私は木も森も見て更にその連関を考慮するべきであるという立場ですが、タマゴさんは木だけを見て森は見てはいけないという立場だ」と訂正すべきです。

 この場合の森というのは、本質的必然性から見た本流の流れということですが、タマゴさんにはそれがありません。相対的真理のみで学問を作るべきと考える人たちは、共通してこれがありません。彼らの一般論は「複数の個別事例を見て共通する法則性を抽出するという過程を経た」もののみが学問的に正しいとしているために、個別的事例の現象に惑わされて、本質的必然性が見えないのです。だから、tadaさんは人類は本流ではないという認識に至り、タマゴさんはアジアを解放したのは日本ではない、と宣うのです。

 大東亜戦争と太平洋戦争を含んだ第二次大戦は、白人優位主義の欧米諸国間の植民地争奪戦であるとともに、その人種差別的な白人優位主義を否定し真っ当なる国家・社会を建設戦とする亜細亜の雄である日本との戦いでした。残念ながら日本は敗北しましたが、その日本の戦いによって、白人優位の植民地体制は崩壊しました。これは本流の直系のドラ息子たちと、新たな本流へと躍り出んとする日本との戦いでした。そしてどちらが本流たるにふさわしい内容を持っていたのかといえば、圧倒的に日本のほうでした。

 そういう日本をアメリカは脅威として、日本をたたく計画を練って着実に実行に移していった結果として、日米が戦うことになったのです。フィリピンの開放もこの関係を抜きにして語ることはできません。現象だけ見たら日本がフィリピンを解放したとは到底思えないことでしょう。しかし、絶対的真理の本流の流れをみる見方を核として、つまり宇賀金井学問の冠石を頂点とした体系の下に事実の関係性を見ていくと、より真相が明らかになっていくのです。その流れを実際にあった議論を追ってみていくと次のようになります。

 まず、私がアメリカは日本を攻撃するためにフィリピンをスペインから奪い取り、その際スペインと戦っていたアギナルド将軍を利用するために独立を約束し、勝利するとその約束を反故にしてアギナルド軍の掃討をはじめ20万人も殺してフィリピンを平定して暫定政権を作って、日本軍とたたかわせるために12万のフィリピン軍を創設して軍事訓練を施し、日本を攻撃するために巨大なクラーク空ぐう基地を作りました。しかし、日本は無敵を誇っていた米飛行部隊をゼロ戦が打ち破って、三か月で日本を降伏させるというアメリカの目論見をやぶって三年半も頑張ったことがアジア開放につながった、と述べたことに対してタマゴさんは次のように反論しました。

タマゴさん
「日本政府は、大東亜戦争開戦前まで、アメリカによるフィリピン支配の支持を公的に表明していたのです。解放どころの話ではありません。そのさなか、フィリピン人は主体的にアメリカに対して激しい独立闘争を展開しており、その結果、アメリカに対し独立を約束させていたのです。具体的には、1935年にはフィリピン人による独立準備政府を発足させており、数年後に正式にフィリピン共和国として独立するはずでした。この間、日本の助けは借りておりません。アメリカのフィリピン支配の支持を反故にして日本軍が進出してきたのはその後のことです。」


「高山氏の本の中での展開では、10年後に独立の約束をした条約などは傀儡政権を作ったの中に全部含まれてわざわざ書く必要もないことです。なぜなら、アメリカの意図は明白だからです。独立など認める気はさらさらなかったからです。よしんば認めたとしても傀儡政権として認めるという腹積もりでしかありません。それは、タマゴさんが無視した高山氏が指摘した事実を見れば一目瞭然だからです。アメリカは早くから日本を敵とみなしてしっかりと準備していたのです。パナマ運河もそのために急いで作らせたのです。大西洋艦隊をパナマ運河を通って太平洋に振り向けるためというわけです。」

タマゴさん
「フィリピンの独立についてですが、1946年に戦前から約束されていたフィリピン第三共和国が成立しています。別に、天寿堂さんが言うような「アメリカが紳士的な国」だからではありません。米国議会で一旦は条約として承認していたので、独立を認めざるを得なかった。ただそれだけのことです。」


「それは何ら反証にはなりません。アメリカは日本に勝って目的を達成したので、もはやそういう意味でフィリピンは必要でなくなったからです。おまけに条約という形で約束しているので、実行しなければ、アメリカの威信に傷がつくからです。このように現象の裏を読み解くのが歴史学の任務であるはずです。これは決して「相手が述べていないことをでっち上げて」いるのではないのです。事実を総合するとそういうことになるということです。

 事実と事実はみな何らかの形でつながっております。アメリカが、ハワイを併合しようとしたとき、そのやり方の強引さに日本が抗議の意を表したという事実があります。これによって、アメリカは大恥をかきました。これに怒り危機感を募らせた人物がいます。のちに大統領になるセオドア・ルーズベルトです。彼は友人への書簡の中で「日本を脅威と思う」述べております。そして、大統領になると、パナマ運河を作り、日露戦争の仲介を買って出て日本に賠償金が渡らないようにし、日英同盟を解消させて白人クラブから追い出し、孤立させて何かといちゃもんをつけ、経済封鎖して追い詰め、戦争へと持っていこうとしていたのです。こういう流れの中で、フィリピンの問題があるのです。アメリカとフィリピンだけを見ていたのでは分からないのです。

 なぜ独立を認める条約を結んだのか?そんなことは他の植民地宗主国はやっていません。ならばアメリカは他の宗主国に比べて英明で先進的な国なのか?そんなことはありません。抵抗するアギナルド将軍に対して徹底した掃討作戦をして、皆殺しの大量虐殺を含めて二十万人もの殺戮をしてやっと一応の平定したのです。そこで傀儡政権を作るのですが、そこで10年後の独立を約束した条約をかわします。なんでそんなことをするのか、それならば、独立の約束を反故にして殺戮をする必要はなかったではありませんか?10年延ばすために殺したのか?ということになります。

 そうするにはそうするだけの理由があるはずです。アメリカの日本に対する姿勢や、その後の行動がそれを物語っています。空軍基地の建設や、フィリピン軍12万の創設とアメリカによる軍事訓練です。これは明らかに日本に対するものです。それをするために言いなりになる傀儡政権を作ったことが明白です。しかし、ハワイでの一件があるので、日本に怪しまれないように日本に反対されないように作る必要があった。だから、独立を認める条約を結んだと考えるのが一番まともな解釈です。それがまやかしであることを見抜いたアギナルド将軍は、日本軍がマニラを制圧した後、ラジオで「米国への恐怖心を克服して真の独立を勝ち取ろう」と呼びかけています。傀儡政権のケソン大統領は、このアギナルド将軍も演説を聞いた後、「この戦争は、日本と米国の戦いだ。フィリピン兵士に武器を置いて降伏するように表明する。日米はフィリピンの中立を承認してほしい。」と言って掛け合ったそうですが、彼は米国に拉致されそこで病死したそうです。つまり、フィリピン兵が盾にされていると自覚したのです。」
「これについてもう少し補足しますと、はじめは日本対策で独立を認める約束をしたのですが、条件が変化して、戦争に勝って世界の覇者として解放者面をするために、そして自らが犯した残虐な行為を誤魔化すために約束通り独立を認めたのです。その方が圧倒的に利益が大きいからです。怪我の功名だったということです。」


タマゴさん
「フィリピンの宗主国(スペイン→アメリカ)からの独立闘争は1800年代半ばから行われていましたが、それが本格化したのは英雄ホセ・リサールから後でしょう。
1892年には、もう一人の英雄ボニファシオが中心となり秘密結社カティプナンが結成されました。
さらに独立の闘士アギナルドがボニファシオと出会いカティプナンに入会。
リサールがスペインにより処刑されたのを契機に独立闘争は激しさを増しますが、アギナルドがボニファシオを処刑してしまうなどの内部対立もありました。
1898年に米西戦争が勃発すると、アギナルドは米軍とともにマニラにあったスペイン総督府を打倒、そしてパリ講和条約が締結され、アメリカはフィリピンの領有権を獲得しました。
アメリカにはフィリピンをアジア進出の足場としたい思惑があったのです。
しかし、フィリピン国民はこれに激しく抗議。米比戦争が勃発しました。
1899年にアギナルドはフィリピン共和国(第一次共和国)を樹立し、初代大統領に就任しましたが、米軍に捕らえられてしまい、アメリカの主権を認めざるを得なくなってしまったのです。

1905年、日米間で桂タフト協定が締結されました。
これは、アメリカは日本の韓国における支配権を、日本はアメリカのフィリピンにおける支配権を相互承認するというもの。
ここが非常に重要です。
つまり、この時点で日本政府に亜細亜解放などという目標は無かったわけです。

その間にも、フィリピン人は宗主国アメリカに対して主体的に独立闘争を展開していました。
そして、1916年には米国議会でフィリピン自治法、1934年にはフィリピン独立法が可決し、10年後のフィリピンの独立を承認させたのです。
さらに翌年には独立準備政府が成立、大頭領選には独立法制定に尽力したマニュエル・ケソンが当選し、アギナルドは4倍近い得票差で敗れ政界から引退しました。

1941年に大東亜戦争が勃発すると、日本軍はアメリカとの協定を反故にしてフィリピンに進出。
そして、フィリピンのアメリカ軍は全軍が降伏し、日本よる軍政が開始されました。
当初は日本軍を植民地支配からの解放者とみて歓迎した国もある中で、既に主体的にアメリカに独立の約束をさせていたフィリピン人は初めから日本軍の進出を歓迎してはいませんでした。
そういった日本軍に反発するフィリピン人の心情を利用してアメリカは抗日ゲリラを組織、それとは別に、フィリピン人によりフクバラハップが農村に支持を広げつつ抗日運動を展開しました。

日本はフィリピン人の民心を回復するために、1943年にホセ・ラウレルを大統領とするフィリピン第二共和国を成立させました。
しかし、ラウレル政権は日本への全面的協力を拒否し一定の距離を置く姿勢をとったのです。
ラウレルは、反米主義者であると同時に、日本の傀儡でありながらも日本軍に毅然と対峙したことにより、現在でもフィリピンではそこそこ人気があります。
(逆に日本会議系の論者にはあまり人気が無いのですが)
日本軍はラウレル政権に対し「米英に宣戦布告せよ」と再三にわたって要求しましたが、ラウレルはそれを拒み続けたのです。

大東亜戦争終結後、1946年にフィリピンはアメリカから独立し第三共和国を成立させました。」


「なるほど。フィリピンの人たちは独立心旺盛で、スペインと戦ってきた歴史を持っていたので、日本対策ばかりでなくその点も加味しないといけないということですね。これで。傀儡政権のケソン大統領が「この戦争は、日本と米国の戦いだ。フィリピン兵士に武器を置いて降伏するように表明する。日米はフィリピンの中立を承認してほしい。」と掛け合ったことについて、傀儡政権なのによく言ったなあと不思議に思っていたのですがその謎が解けました。また、フィリピンで日本が嫌われた理由として日本兵が略奪・強**(確認後掲載)をしたせいだと説明するけんきゅうしゃがおりますが、このように独立心旺盛なら、日本がいることだけでも面白くないのは当たり前の話で、どうも臭いですね。

 しかし、確かにそれでより詳しくわかりましたが、基本的には変わらないと思います。タマゴさんの説明ではアメリカの糸の部分が抜けているので、これでは日本だけが悪い印象になっています。日本が協定を保護にして攻めてきたというようにです。真珠湾の場合もそうですが、それは織り込み済みで、アメリカはその準備をしていたのです。縦とするフィリピン兵12万人を鍛え、日本本土を爆撃するための空軍基地を作って備えていたということです。そして、フィリピンの独立の動きに対してアメリカが譲歩したのは、やはり、日本を責めるためという目的があったためと考えられます。つまり、フィリピンの独立への動きとアメリカの日本をたたくという目的とが独立を承認して協力させるということになったのです。10年後に独立とした理由もそこにあると思います。このように考えなければアメリカがさも物分かりが良いというようなタマゴさんの解釈では事態の本質を見誤ってしまいます。」

 以上でこの件に関する論争は終了しておりますが、この一連の流れを見ていただくと明白なように、私の主張は一貫しています。卵さんから新たな事実を突きつけられると、その事実が私の主張と矛盾するものではなく、むしろ私の見方・体系の中にその事実を取り込むことによって、その真相・実相がクリアな形に浮き彫りになっていきました。つまり、歴史の把握がどんどん発展していったということです。

 これに対して、タマゴさんのほうは私の主張を取り入れようとしないので、豊富な事実を次々に出してくるだけで、発展はほとんど見られませんでした。つまり、私が明らかにしたフィリピン独立の実相を認めようとせず、タマゴさんによって私の誤りが論証されたと思っている書き込みがあります。

 しかし、アメリカがなぜ独立を約束したのかは、スペインを倒すために独立を約束したように、日本を倒すために独立を約束したのであることは明白です。それがアメリカの行動パターンだからです。しかし、今度は口約束ではありませんでした。国と国の正式な約束として交わしました。それは、傀儡政権を樹立する必要があったからです。そして、その兵士を合法的に使用するためなのです。それを鋭く見抜いたアギナルド将軍は、日本軍がマニラを制圧した後、ラジオで「米国への恐怖心を克服して真の独立を勝ち取ろう」と呼びかけたのです。そしてそれを聞いた傀儡政権の際に選挙戦で戦ったケソン大統領は、このアギナルド将軍の演説を聞いた後、「この戦争は、日本と米国の戦いだ。フィリピン兵士に武器を置いて降伏するように表明する。日米はフィリピンの中立を承認してほしい。」と言って米国に掛け合ったのです。米国は図星を疲れそれを行動に移されてはまずいので、彼を米国に連れ去り、以後彼は、フィリピンに戻ることなくそこで没することになります。

 つまり、アメリカは日本と戦うために独立を約束し、日本に勝ったからその約束を実行したのです。おそらく、日本がいなかったらこの時点での独立はなかったと思います。このように全く日本の関与がなかったかに思われるフィリピンの独立でさえ、日本のおかげで独立できたのです。

 他のアジアの国にしても、日露戦争で日本が白人を打ち負かしたことで、各地に独立運動が起こります。このときはみな潰されましたが、日本が侵略者を追い払って三年余軍事訓練をし日本精神を注入したあと、日本兵も加わって独立戦争に勝利して独立を勝ち取っているのです。余計な事実・現象にとらわれることなく本質を見る目で見ると、日本がアジアを解放したことは明白です。

 そして、日本が戦時ではなく平時に統治した国とそうでなかった国との戦後を比較してみると、その社会力・国力の違いに歴然とした違いがありました。これの意味するものは重大です。インドネシアも平時に日本の帝国領土になっていたならば、その社会力は見事に発展することになっていたと思います。たとえ独立することになってもです。

>満州に於ける圧倒的多数派を占める漢民族の中に排日感情が強まる中で、建国当時は人口の1%に満たなかった日本人が満州を経営するにあたり「協和」を大義名分に掲げたのです。

 欧米諸国は1%に満たなかった場合も「協和」は掲げませんでした。そこに白人と日本人の違いがあると思います。それが日本人の性質であり本質だからです。日本人であるタマゴさんが、なぜ大義名分に過ぎないと矮小化しようとするのか理解できません。大義名分ではなかった事実はたくさんあるのにです。それから、事実の間違いを一つ指摘しておきます。当時の清の王族の故郷である満州には漢民族はほとんどいなかった、入れなかったと聞いております。いいとこだと聞いて大挙して乱入したとは聞いておりますが。今の日本で禁止されている酒を密漁する中国人のように、後から乱入した無法な漢民族が騒ぎを起こして平和な満州を乱したのではないですか?それを左翼学者がさも日本が悪いように脚色したのではないかと思います。



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[2384]
タマゴ - 2016年11月26日 (土) 13時18分

殆どがこれまでのコピペなので返答の価値があまり無いような気もしますがね。

>「私は木も森も見て更にその連関を考慮するべきであるという立場ですが、タマゴさんは木だけを見て森は見てはいけないという立場だ」と訂正すべきです。

歴史はアバウトな見方をしなければいけないという趣旨のことを述べたのは天寿堂さん自身であって私ではありません。
私は天寿堂さんの述べたことを木と森という喩えで言い換えただけのことです。

>この場合の森というのは、本質的必然性から見た本流の流れということです

天寿堂さんの言う「本質的必然性」云々というのは、世界史を真面目に学んでこなかったことの言い訳としか聞こえません。
俺は絶対真理を知っておるから各論は無知でもよいのだ・・・ということなのでしょうか。
最低限必要な知識が不足していたり、誤った知識に囚われていて、歴史の本質など分かるはずもありません。

天寿堂さんは、交感神経と生態機能の関係性について議論していた時にも、同様の論拠で
「手足には交感神経のツボしかない」
「交感神経は副腎から増設された」
というインチキ一般論モドキを振り回していたのです。
もし私の訂正が入らなければ、今も得意顔でこれらの一般論モドキを振り回していたはずです。
そんな天寿堂さんが同じレトリックを用いて何を主張しても虚しく響くだけですよ。

相手がコピペを多様する流れになると壁と話しているようなもので無意味な気もしますが、気が向いたら返答しますよ。

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[2385]
タマゴ - 2016年11月26日 (土) 18時52分

>欧米諸国は1%に満たなかった場合も「協和」は掲げませんでした。そこに白人と日本人の違いがあると思います。それが日本人の性質であり本質だからです。日本人であるタマゴさんが、なぜ大義名分に過ぎないと矮小化しようとするのか理解できません。大義名分ではなかった事実はたくさんあるのにです。

ここの箇所だけコピペではないようなので、返答しておきます。
天寿堂さんは普通の歴史観を自虐史観と呼んでいますが、私から見ると天寿堂さんの妄想は他虐自賛、要するにバイアスにまみれているということです。
歴史学の原則は実証主義なのですよ。
天寿堂さんの妄想は世間では通用しません。

欧米列強の亜細亜侵略と植民地化については、真面目に世界史を学んだ者にとっては当たり前のことです。
一般論だなんだと得意顔で述べるようなことではありません。
アメリカは、日本ではなく、中国大陸の侵略を目指していたのであり、その足掛かりとしてフィリピンを侵略したのです。
そして満州に先に進出していた日本の利権集団と利害がぶつかった。
それが大東亜戦争の遠因となったのです。
天寿堂さんにとっては、南方作戦を率いて「亜細亜を解放」しようとした寺内寿一、牟田口廉也、富永恭次あたりはスーパーヒーローなんでしょうね。
私はこの連中は大嫌いなんですけれど。

>それから、事実の間違いを一つ指摘しておきます。当時の清の王族の故郷である満州には漢民族はほとんどいなかった、入れなかった

それは大嘘です。
当時の満州の人口は約3000万人、満州族は全て合わせてもその一割程度しかおらず、大半は漢民族でした。
満州の人口の大半を満州族が占めていたたのは、満州国ではなく清朝樹立当時の話です。

なぜ事実レベルの話に囚われるなという主張をしていた天寿堂さんが、突然「俺だって!こんなこと知っているのだぞ、」とばかりに、議論の本筋と関係ないガセネタを捩じ込んできたのか。
「天寿堂さんは学生時代に真面目に世界史の勉強をしなかった」と述べたからなのかもしれませんが、それなら今から虚心になって勉強すればよいのですよ。

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[2386] もうつかれてきましたね
愚按亭主 - 2016年11月26日 (土) 22時54分

>殆どがこれまでのコピペなので返答の価値があまり無いような気もしますがね。

 コピペの部分とそうでないところを明確にしていなかったのは、私のミスです。すいません。以下の部分は、そうでない部分です。

 「以上でこの件に関する論争は終了しておりますが、この一連の流れを見ていただくと明白なように、私の主張は一貫しています。タマゴさんから新たな事実を突きつけられると、その事実が私の主張と矛盾するものではなく、むしろ私の見方・体系の中にその事実を取り込むことによって、その真相・実相がクリアな形に浮き彫りになっていきました。つまり、歴史の把握がどんどん発展していったということです。

 これに対して、タマゴさんのほうは私の主張を取り入れようとしないので、豊富な事実を次々に出してくるだけで、発展はほとんど見られませんでした。つまり、私が明らかにしたフィリピン独立の実相を認めようとせず、タマゴさんによって私の誤りが論証されたと思っている書き込みがあります。

 しかし、アメリカがなぜ独立を約束したのかは、スペインを倒すために独立を約束したように、日本を倒すために独立を約束したのであることは明白です。それがアメリカの行動パターンだからです。しかし、今度は口約束ではありませんでした。国と国の正式な約束として交わしました。それは、傀儡政権を樹立する必要があったからです。そして、その兵士を合法的に使用するためなのです。それを鋭く見抜いたアギナルド将軍は、日本軍がマニラを制圧した後、ラジオで「米国への恐怖心を克服して真の独立を勝ち取ろう」と呼びかけたのです。そしてそれを聞いた傀儡政権の際に選挙戦で戦ったケソン大統領は、このアギナルド将軍の演説を聞いた後、「この戦争は、日本と米国の戦いだ。フィリピン兵士に武器を置いて降伏するように表明する。日米はフィリピンの中立を承認してほしい。」と言って米国に掛け合ったのです。米国は図星を疲れそれを行動に移されてはまずいので、彼を米国に連れ去り、以後彼は、フィリピンに戻ることなくそこで没することになります。

 つまり、アメリカは日本と戦うために独立を約束し、日本に勝ったからその約束を実行したのです。おそらく、日本がいなかったらこの時点での独立はなかったと思います。このように全く日本の関与がなかったかに思われるフィリピンの独立でさえ、日本のおかげで独立できたのです。

 他のアジアの国にしても、日露戦争で日本が白人を打ち負かしたことで、各地に独立運動が起こります。このときはみな潰されましたが、日本が侵略者を追い払って三年余軍事訓練をし日本精神を注入したあと、日本兵も加わって独立戦争に勝利して独立を勝ち取っているのです。余計な事実・現象にとらわれることなく本質を見る目で見ると、日本がアジアを解放したことは明白です。

 そして、日本が戦時ではなく平時に統治した国とそうでなかった国との戦後を比較してみると、その社会力・国力の違いに歴然とした違いがありました。これの意味するものは重大です。インドネシアも平時に日本の帝国領土になっていたならば、その社会力は見事に発展することになっていたと思います。たとえ独立することになってもです。」

>天寿堂さんの言う「本質的必然性」云々というのは、世界史を真面目に学んでこなかったことの言い訳としか聞こえません。俺は絶対真理を知っておるから各論は無知でもよいのだ・・・ということなのでしょうか。

 本質的必然性というのは、つまるところ本流の流れということです。これが事実と対立するところの究極の一般論で、それとの統体止揚が実相ということになります。ですから事実を否定しているわけではないのです。通常は事実のほうばかりが大事にされているので、そのアンチテーゼとして論理・理論のほうを提出しているわけです。実際ここで取り上げた問題も、アメリカはまず日本を倒そうとして計画を立てて実行したという一般論を媒介にしてみると、なぜアメリカがフィリピンの独立を10年後に承認することを約束する条約を結んだのか、ということがよく分かります。しかし、タマゴさんは、その一般論は日本会議派の偏向した見方だから、と認めようとしないのです。しかし、実際はタマゴさんは、日本の戦争主導者たちは悪者だから日本がフィリピンの独立を邪魔したのどという変更した一般論を持っているせいだと思います。

>歴史学の原則は実証主義なのですよ。

 そもそも学問とは、体系的論理の構築をもって本分とするものです。この原則は、歴史学とて例外ではありません。しかし、現今の歴史学はすっかりその原則を喪失してしまっていますが、むしろ歴史学ほど論理の目が必要な学問はないと思います。つまり、実証が難しいということです。だから、逆に実証実証というのかもしれません。

>アメリカは、日本ではなく、中国大陸の侵略を目指していたのであり、その足掛かりとしてフィリピンを侵略したのです。そして満州に先に進出していた日本の利権集団と利害がぶつかった。

 もちろんそうですが、彼らはもっと戦略的で、早くからまず日本を片付けなければと思っていたのです。フィリピンもそのために侵略したことは,その後の行動が物語っています。

>当時の満州の人口は約3000万人、満州族は全て合わせてもその一割程度しかおらず、大半は漢民族でした。満州の人口の大半を満州族が占めていたたのは、満州国ではなく清朝樹立当時の話です。

 それもどうもはっきりしないようです。1400万という人もいますし。統計がとってあるわけでもないし。日本が1920年ごろの関東州の調査も以下の通りだそうです。
68万8130人 関東州
7万8634人 内地人
576人 朝鮮人
22人 台湾人
60万8589人 支那人
309人 外国人

 このうちの支那人には漢人・満州族・モンゴル族もふくまれているそうです。しかし、やはり清が崩壊過程に入ってから漢民族が入り込んできたようです。


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[2387]
タマゴ - 2016年11月27日 (日) 00時19分

>本質的必然性というのは、つまるところ本流の流れということです。これが事実と対立するところの究極の一般論で、それとの統体止揚が実相ということになります。ですから事実を否定しているわけではないのです。通常は事実のほうばかりが大事にされているので、そのアンチテーゼとして論理・理論のほうを提出しているわけです。

そもそも、事実を正確に知らずして一般論を正確に導くことなどできようはずがありません。
だから、天寿堂さんは、サボってきた世界史の学習から始めるべきだと言っているのですよ。
それとも天寿堂さんは、事実なんて知らないけれど、それとは無関係に奇術師のように異次元空間から一般論を取り出せるとでもいうのでしょうか?

>実際ここで取り上げた問題も、アメリカはまず日本を倒そうとして計画を立てて実行したという一般論を媒介にしてみると、なぜアメリカがフィリピンの独立を10年後に承認することを約束する条約を結んだのか、ということがよく分かります。

嘘を言っちゃいけません。
その「計画」というのは1924年に米軍で採用したオレンジプランのことなのでしょうが、米西戦争が勃発したのは1898年です。
しかも、このオレンジプランというのは、カナダやらイギリスやらオーストラリアやら、あらゆる交戦可能性のある全ての国を網羅してそれぞれ色分けしたカラーコード計画のごく一部に過ぎず、日本だけを特別敵視していたわけではありません。
それに、このカラーコード計画自体、軍が立案した戦術レベルのプランにすぎず、議会で討議された戦略レベルのものではありませんし。
どこのインチキ本で仕入れた話なのか知りませんが、そんなの読んで真に受けているから赤っ恥晒すことになるんですよ。
学生時代に真面目に世界史を学んだ者なら、そんなペテンには絶対に騙されません。

>そもそも学問とは、体系的論理の構築をもって本分とするものです。この原則は、歴史学とて例外ではありません。

だから!
正確な知識という前提なくして体系も論理も無いって言っているのですよ。
分からない人だな。
天寿堂さんの話の進め方は、そういうインチキ本のネタを元に、
「だから〜なはずで、〜だろうから、〜なのだ!」
と、自分勝手に妄想に妄想を重ねた挙げ句に、最後は断定口調になってしまう。
自分でおかしいと思わないんですか?
万一思わないのなら、冗談抜きで病院行った方がいいですよ。

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[2388]
愚按亭主 - 2016年11月27日 (日) 08時17分

>、事実を正確に知らずして一般論を正確に導くことなどできようはずがありません。

 森レベルのアバウトな事実を正確に把握することは、むしろ簡単なのです。だから、学問は世界を丸ごととらえてその本質を追及する哲学から始まったのです。それがギリシャ哲学です。それに比べて、木レベルの個別的事象の事実の確定は複雑で難しく、タマゴさんのように簡単に事実レベルの現象に惑わされて、事実レベルの本当の意味すら見抜くことができないということが起きるのです。だから、森レベルの論理との統一を図ることが重要なのです。

>その「計画」というのは1924年に米軍で採用したオレンジプランのことなのでしょうが、米西戦争が勃発したのは1898年です。
しかも、このオレンジプランというのは、カナダやらイギリスやらオーストラリアやら、あらゆる交戦可能性のある全ての国を網羅してそれぞれ色分けしたカラーコード計画のごく一部に過ぎず、日本だけを特別敵視していたわけではありません。

 そのオレンジプラントやらも、タマゴさんいうところの高山氏の偏向した見方と同じ見方を一般にはされているようです。たとえばウィキの説明にはこうあります。
「カラーコード戦争計画は連合国対枢軸国を仮定したレインボー・プランに先行した計画であり、オレンジ計画はアメリカ合衆国が日本のみと戦う場合に基づいて研究され続けていた。
米西戦争によりフィリピン、グアムを獲得したアメリカが西太平洋をそのまま西進して行き着く方向には、日本が日清戦争により朝鮮半島含め大陸へと進出し始めていた。わずか半世紀前にマシュー・ペリー率いる自国の東インド艦隊が訪問して開国させた日本が、富国強兵策を取って中国へ進出してきたことは、米西戦争を終えたアメリカにとって潜在的な警戒すべき問題となっていた。この頃からアメリカは対日本戦争計画の研究作業を開始する。」

米西戦争の5年前ごろ起きた例のハワイの王室つぶしの強引なやり方に、東郷平八郎が抗議の意を示したことによってアメリカが大恥をかいたという事件が起き、日清戦争で日本が勝利します。これをみたのちに大統領となる、セオドア・ルーズベルトは日本を脅威と見て、計画を練り始めるのです。一国の大統領となった人物がですよ。そして彼は着々とそのための行動を積み重ねていくのです。

参考にそのハワイのいきさつは以下のサイトに詳しく出ております。ただし、東郷平八郎率いる日本の艦隊がした行動については触れられておりませんが・・・・。
https://matome.naver.jp/odai/2141341391352546701

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[2389]
タマゴ - 2016年11月27日 (日) 12時16分

>米西戦争によりフィリピン、グアムを獲得したアメリカが西太平洋をそのまま西進して行き着く方向には、日本が日清戦争により朝鮮半島含め大陸へと進出し始めていた。わずか半世紀前にマシュー・ペリー率いる自国の東インド艦隊が訪問して開国させた日本が、富国強兵策を取って中国へ進出してきたことは、米西戦争を終えたアメリカにとって潜在的な警戒すべき問題となっていた。この頃からアメリカは対日本戦争計画の研究作業を開始する。

まず、天寿堂さんの言う
「アメリカは日本を侵略するためにフィリピンを侵略した」
という一般論モドキは、天寿堂さん自身がWikipediaから引用した「(米西戦争が終結した)この頃からアメリカは対日本戦争計画の研究作業を開始した」
という記述により否定されているではありませんか。
またWikipediaには、この直前に、
「オレンジ計画(オレンジけいかく、オレンジプラン、War Plan Orange)とは、戦間期(1920年代から1930年代)において立案された、起こり得る大日本帝国(日本)との戦争へ対処するためのアメリカ海軍の戦争計画である。カラーコード戦争計画のひとつであり、これ自体は交戦可能性のある全ての国を網羅してそれぞれ色分けされ計画されたもので、日本だけを特別敵視していたわけではない。計画は1919年に非公式に立案され、1924年初頭に陸海軍合同会議(Joint Army and Navy Board)で採用されている。」
とあります。
直前に記載されたここの箇所を天寿堂さんが読んでいないはずはなく、意図的に外してコピペしたのでしょう。
こういう姑息でインチキなやり方をしていて、正しい一般論を導くことなどできようはずがない。

つまり天寿堂さんのやっていることは、
ろくすっぽ世界史を勉強していない自らの“思い込み”を“一般論”などと自らの脳内で絶対化し、それを守りたいがために事実の方を歪めているだけなのです。
こういうインチキ行為が天寿堂さんの考える“学問”なのだとしたら、無益を通り越して有害なだけですよ。

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[2390] 悪しき実証主義・文書主義
愚按亭主 - 2016年11月27日 (日) 14時44分

 タマゴさんのは、文書の文言のみを見てその裏の意図や現実を見ない、悪しき実証主義・文書主義です。これでは歴史は解けません。だから、ウィキでもそれを補っているのです。だから全体像が大事なのです。その時どういうことが起きていたのかを、です。それを見れば明らかに、アメリカは日本をターゲットにしていたことがわかります。そして現実にそうなった。文書だけでそれを否定するタマゴさんの神経が理解不能です。

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[2391]
tada - 2016年11月27日 (日) 14時58分

 天寿道さん、タマゴさん 久しぶりです。こちらの近況ですが、しばらく学問とも離れ 柔道の木村政彦のことを考えていました。というのも 現在 週間大衆に連載中の木村政彦を描いた劇画がいよいよ 力道山との試合に至り 物語の最大の見せ場にきているからです。試合の結果はご承知のように 力道山のKO勝ちになった訳ですが 当時無敵の柔道家木村政彦のあまりにもひどい負け方のため プロレス、格闘技、武道関連の方々から いまだに様々な解釈が絶えないわけです。ここ二十年は グレイシー柔術の登場からの総合格闘技隆盛が本流となり 現在 プロレスは日陰の身となり それとともにグレイシー柔術を初期に破った 木村政彦の名誉回復 力道山との試合の実証的研究も進み それをもとにした新しい木村像が提出されています。週間大衆連載の劇画にも そのことを期待しているわけなのです。思想的に木村をどう位置付けるか? 面白い問題です。
 今回の日本本流論の論争も 思想の問題ですね。政治学ではありません。滝村隆一を再発見した天寿道さんなら 書いてくれると思ったんですけど。残念です。古代から近代に流れる世界を戦国時代の群雄割拠になぞらえ あらゆる国家も政治指導の成功により 隆盛し 失政によって 崩壊する。本流というよりも 政治の過酷なる法則があると。滝村先生は国家論大綱第一巻上 457ページ戦争責任において 政府・保守派も、左翼・進歩派もアジア諸国から突きつけられる戦争責任にのみ眼を奪われ、もっとも本質的な日本国民にたいする政治責任の問題を 無視し、回避していると述べております。 支那事変と太平洋戦争での日本軍の戦没者数213万人このうち餓死者、栄養失調の結果による病気併発の死者は 約100万人以上に達すると推測されています。太平洋における島嶼戦は 現地の日本兵を見殺しにしたのです。他国の植民地解放どころではないのです。その馬鹿げた戦略によって自国兵を置き去りにし 玉砕させたのですから。この戦争責任はどうなんですか。靖国をお参りすればゆるされるのですか?天寿道さんは 日本の植民地解放思想を評価しております。それを言うなら 愚かな軍国主義日本は アメリカによって解放されたともいえるのです。日本もアメリカも帝国主義の土俵では同格です。いいところもあれば 悪いところもある。天寿道さんには 絶対真理の弁証法の高所から保守派イデオローグの意見に流されず 個別国家の本流ではなく 政治の法則 一般国家の本質を語っていただきたかったのです。 

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[2392]
タマゴ - 2016年11月27日 (日) 15時51分

>米西戦争の5年前ごろ起きた例のハワイの王室つぶしの強引なやり方に、東郷平八郎が抗議の意を示したことによってアメリカが大恥をかいたという事件が起き、日清戦争で日本が勝利します。これをみたのちに大統領となる、セオドア・ルーズベルトは日本を脅威と見て、計画を練り始めるのです。一国の大統領となった人物がですよ。そして彼は着々とそのための行動を積み重ねていくのです。

熱心に柔道の稽古をするなど大変な親日家であったセオドアルーズベルトが、ハワイの一件で日本に猜疑心を抱き始めた可能性はあるでしょう。
しかし、その時点で日本潰しの計画を立案し実行に移していたというのは、単なる天寿堂さんの妄想です。
そんな計画があったというなら示したらよいと思います。
先にも述べたように、天寿堂さんは不確かなネタを根拠として、
「だから〜なはずで、〜だろうから、〜なのだ!」
と妄想に妄想を重ねて、その挙げ句に断定してしまう。
こんなのは、単なる天寿堂さん個人の“妄想の体系”にすぎません。
「手足には交感神経のツボしかない」
「交感神経は副腎から増設された」
と真顔で主張していた時と全く同じパターンです。
同じパターンで何度も赤っ恥を晒してきたのに、なぜ改めてようとしないのでしょうか?
いい加減、進歩して下さいよ。

>全体像が大事なのです。

だから、天寿堂さんは全体像も間違っていると言ってるんですよ。

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[2393]
タマゴ - 2016年11月27日 (日) 20時37分

tadaさん、お久しぶりです。
私も同感です。

天寿堂さんには、南方軍の総てを指揮していた(天寿堂さんっぽく言うと“日本軍のアジア解放戦争”の総てを指揮していた)寺内寿一のWikipediaの項目を読んで頂きたい。
親(寺内正毅)の七光りで陸軍のトップクラスの地位に上り詰めた世界でも稀に見る愚将の項目を。
「南方軍総司令官在任時、無謀なインパール作戦を黙認したり、現地司令官の反対を押し切ってルソン島からレイテ島への作戦転換を指示した結果、多大の犠牲者を出すに至ったとされる。同時期に寺内はサイゴンの旧フランス総督官邸から一歩も移動しなかったばかりか、愛人の赤坂芸者を軍属にして軍用機で日本からサイゴンに乗せて、現地で豪遊した。」
ついでなので、牟田口廉也や富永恭次や木村兵太郎などの項目も読んで見るとよいでしょう。
当時の日本軍には、こういう救いようのない愚将がウジャウジャいたんですよ。

私が大東亜戦争の二重構造を見抜くことができたのは、
これら愚将どもと戦後もインドネシアに残って独立闘争に協力した末端の日本兵では、明らかに意識の次元が異なると気付いたからです。
一方、天寿堂さんはミソもクソもいっしょくたにして評価しなければならないと主張する。
おかしいと思わないんですか?
天寿堂さんの主張は、アジア解放の大義名分を本気で信じて戦った末端の日本兵の功績でもって、豪遊三昧の挙げ句に部下を置き去りにして逃走したような愚将どもを擁護していることになるんですよ?

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[2394] ヘーゲルの弁証法を妄想としたエンゲルスの呪い
愚按亭主 - 2016年11月28日 (月) 07時15分

 タマゴさんやtadaさんの言わんとすることは重々承知しております。その上で私が立場を変えようとしないのは、この視点が欠けていることが人類に不幸をもたらしている根源であり、未来を塞いでいるものだと思うからです。逆から言えば、これが人類の未来を切り開く唯一の道だと思うからです。

 ヘーゲルの弁証法は、絶対理念へと至る人類の本流の歩むべき道を説くものです。ヘーゲルの弁証法を知らないタマゴさんが理解できないのはやむを得ないところですが、滝村先生に私淑しているtadaさんが理解できないのは、その大本である滝村先生が自分の学びたいところだけ学んでヘーゲルの一番言わんとするところの精髄を受け継がなかった結果だと思います。滝村先生は「絶対理念ももって世界創造する」というヘーゲルの言葉を、そのまま素直に受け止めればよいのに、唯物論的に解釈しようと四苦八苦されています。これは、滝村先生もエンゲルスを否定しながらヘーゲルの弁証法を観念論者の妄想としたエンゲルスの呪いから自由ではなかったということだと思います。

 ヘーゲルの弁証法は、事実の論理性を全体性レベルのアバウトな観点からつかみとって世界全体の一般性の論理であるパルメニデスの「世界は一にして不動」を起点としてその論理性に従って発展した結果として結実・完成したものです。これが人類の学問史における絶対的真理の系譜の流れです。そして、人類の学問史には、これに対立する系譜として、事実を起点とする相対的真理の系譜の流れが存在します。この両方の統一が真の学問です。ところが、現在の学問界には学問の冠石である絶対的真理の系譜がないのです。ヘーゲルの直系の人たちですら、それを否定しているのですから、学問界は完全な片肺飛行それも司令塔不在ですから、宗教がはびこるのです。

 人類の本流の流れは、言い換えるならば人類の精神の発展史です。ですから、tadaさんがいうように個別科学レベルの単なる政治学ではありません。もちろんそれよりレベルの低い思想でもありません。学問の冠石レベルの論理です。今回問題となっている問題でいえば、人類の本流の直系として躍り出た欧米諸国は、学問ではなくキリスト教という宗教に導かれて個別科学を悪用して白人至上主義の人種差別的な植民地争奪戦をはじめます。この被害を受けたアジアの国の中に、キリスト教を排して独自に本流的実力を磨いていた日本が、その本流の直系のもつ学問を瞬く間に吸収して実力をつけて、その白人至上主義的な人種差別的横暴に異を唱えて対抗し、自らはそれまでに培った精神性をもって朝鮮半島や台湾に対してその社会自体が発展していけるような施政を施し、また満州国を作りあげていきました。そしてアメリカと衝突することになるのですが、これは直接には満州の権益をめぐる争いと見えますが、本質的には、白人至上主義の植民地推進派と、人種差別を排して国家・社会をまっとうに発展させようとする日本との戦いでした。結果として日本は負けてしまいましたが、彼らの植民地体制は崩壊し、あからさまに白人至上主義の人種差別を公言することはできなくなりました。これは、明らかに日本の功績なのですが、彼らはその日本を悪者に仕立てて、さも自分たちの力で人種差別を克服して自分たちが、自由と民主主義の人類の最先端にいて一番進んでいるのだと吹聴しています。

 しかし、かれらに人類を導いていく力はもはやありません。その矛盾が噴出しているのが現在の世界の状況なのです。この状況を打破するためには、宗教ではなく学問の冠石である絶対的真理の弁証法主導で、全体主義と民主主義との弁証法的統一の道、政治と経済との弁証法的統一の道を歩んでいきながら、世界の国々が社会として国家として成熟していく中で、最終的に統体止揚される形で新たな世界創造がなされるのが、絶対理念への道なのです。

 

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[2395]
タマゴ - 2016年11月28日 (月) 13時32分

談論サロンでも人気実力の点で随一のtadaさんが復帰されたので、私は少々書き込みを自重気味にしようかなと思いますが、
1つだけ天寿堂さんの歴史の捉え方にダメ出ししておきましょう。

>学問の冠石レベルの論理です。今回問題となっている問題でいえば、人類の本流の直系として躍り出た欧米諸国は、学問ではなくキリスト教という宗教に導かれて個別科学を悪用して白人至上主義の人種差別的な植民地争奪戦をはじめます。この被害を受けたアジアの国の中に、キリスト教を排して独自に本流的実力を磨いていた日本が、その本流の直系のもつ学問を瞬く間に吸収して実力をつけて、その白人至上主義的な人種差別的横暴に異を唱えて対抗し、自らはそれまでに培った精神性をもって朝鮮半島や台湾に対してその社会自体が発展していけるような施政を施し、また満州国を作りあげていきました。

日本会議系の論者は、明治維新から大東亜戦争終結までの僅か数十年間を、それまでの日本の精神性を受け継いだ時代であったという前提で勝手に話を進めようとする。
ここに大いなる欺瞞が隠されているのですよ。
そうではなく、この僅か数十年間というのは、日本の長き歴史の観点からすると、非常に特殊な時代なのです。

天寿堂さんは、“文明開化”という言葉を聞いて違和感を覚えたことは無いのでしょうか?
これは、要するに、明治維新を期に怒涛の如く流入した欧米文化こそが“文化”であって、それまでの野蛮な島国である日本には文化と呼べるものは存在しなかった、ということを意味した言葉ですよ。
“文明開化”すなわち闇雲な欧米化。
これが、それまでの日本の悠久の歴史で醸成された“和を以て尊しと為す”などの高度な精神性は徹底的に破壊されてしまったのです。

この僅か数十年間の日本を精神的に支配したのは、国家神道という一神教モドキでした。
なぜ日本的自然宗教とも言える神道が一神教的なものに変質してしまったのかといえば、江戸時代の国学者・平田篤胤がキリスト教の教義を神道にコッソリと取り入れてしまったからです。
この篤胤の大チョンボによって、神道がキリスト教のように独善主義・排他主義的なものに一変してしまった。
いわば、神道のキリスト教化です。
(それがために起こったのが廃仏毀釈というヤツです。
戦国時代に切支丹大名が治める地域ででは神社仏閣が焼き討ちに遭うなど神道・仏教に対する大弾圧が行われましたが、明治時代にも長年の時を経てそれが再現されたわけです。
この時弾圧を受けたのは主に仏教ですが、実は、神社も膨大な数が潰されて伊勢神宮を頂点とするヒエラルキーに再編されている。)

明治憲法にも日本を変質させる罠が隠されていました。
明治憲法は伊藤博文らが作成したとされていますが、実は、伊藤らはユダヤ系ドイツ人のグナイストやモッセらの指導を仰いでいたのです。
国家の在り方を定める憲法が、一神教的思想に染まってしまった。
また、明治憲法の第11条には陸軍と海軍への統帥の権能は(内閣や議会ではなく)天皇が有することになっていましたが、一方、天皇は政治への関与を実質的に制限されていました。
その事が満州やアジア各国に於ける軍の暴走を許す事態を招いてしまったのです。
今上天皇陛下も「帝国憲法よりも現行憲法の規定の方が、日本の長き歴史に於ける天皇の在り方に近いと思います」という趣旨のことを仰っています。

明治維新〜終戦までの日本は、欧米列強と似た社会構造に改変され、日本人の精神性も変質させられてしまったのですよ。
この僅か数十年の特殊な時代の日本を、悠久の日本の在り方と同一視して解こうとしても、誤謬しか生まれてこないのです。

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[2396] 日本の精神性の内実とは
愚按亭主 - 2016年11月28日 (月) 20時26分

 タマゴさんから事実的な問題を投げかけられたので、本流の弁証法の一般論を媒介にして事実的に反論していくことにします。まず感じるのは、タマゴさんは日本の本流としての精神性の凄さをどうしても認めたくないようですね。簡単に外国に振り回されるようなやわなものだと思っているようですね。たしかに主体性を喪失した今の日本を見るとそう思いたくなるのはわかりますが、昔の日本はそうではありませんでした。明治維新後もしっかりと本流としての実力を持っていたのです。だから、欧米諸国は血眼になって日本精神の解体をしようとしているのです。

 まず確認しておきたいのは、神道とか仏教とかは日本の本流としての精神構造にはあまりかかわりがありません。むしろ、宗教が日本人の精神にあまりい大きな規定力とならなかったことが、日本の精神が本流へと発展できた大きな理由でもあります。日本の精神が本流へと発展できたのは江戸時代です。当時の支配階級であった武士の自らを厳しく律する生活態度や、公と私を分けて必要に応じて公に私を従わせる精神が、社会全体に浸透して、独立性のあった各藩ごとの社会の成熟を切磋琢磨的に高めていきました。これがあったからこそ、明治維新後に日本国として一つの国に統一される国作りが、「日本人に謝りたい」の作者のユダヤ人をして我々が作りたかった国と言わしめるほどに、見事にできたのです。これこそ、現在の人類が抱えているグローバル化の良い見本なのです。つまり、江戸期から明治にかけての社会の発展、国家の発展は非常にまともな過程を踏んで完成されていったといえるのです。ですから、国家神道であれ国家を統一する理念があることが重要です。もちろんは私はそれを宗教に求めることは反対ですが、国家神道が果たした役割は、当時としてはやむを得なかったと思います。

 問題は、明治維新が英国など外国の資金のバックアップではたされたし、海外留学で洗脳されてきたから、だめだという議論です。たしかに、英国などはアジアのほうに手が回らなくなったから、日本にアジア統治の肩代わり、いわゆる番犬をさせようという目論見があったようです。そのために明治維新が成就する前に伊藤博文などを留学させて仕込んでいます。ところが、彼らは日本人の本流としての主体性・誇りという精神性の実力を見誤っていたのです。西洋の文化をどんどん吸収して、新発見などそれ以上のものを創り出していくその実力、品格なども西洋人を凌駕するほどのレベルの高さで、信頼を勝ち取っていく。西洋人にも悪いことは悪いと堂々と指摘する。それがアメリカのハワイの強奪に対してハワイの女王を幽閉した戦艦ボストンの両脇にピタリと軍艦を横づけして抗議の意を表したりということを、堂々とやっていたのです。

 つまり、彼らの言いなりにはならず、自らの精神性をもって主体性を発揮していたのです。ですから、日本を敵視し孤立化しようとしていたアメリカが英国に白人をとるか黄色人種をとるかと迫った時に英国が日英同盟を破棄したのは、英国自身が日本は意のままにならないと悟ったからです。そして、その日本人が白人至上主義の植民地体制を破壊したのです。だから、彼らはそういう日本人が脅威なのであり血眼になって日本精神の復活を阻止しようとしているのです。

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[2397]
タマゴ - 2016年11月28日 (火) 22時25分

>神道とか仏教とかは日本の本流としての精神構造にはあまりかかわりがありません

と述べておきながら、同一記事の中で舌の根も乾かぬうちに、

>国家神道であれ国家を統一する理念があることが重要です。もちろんは私はそれを宗教に求めることは反対ですが、国家神道が果たした役割は、当時としてはやむを得なかったと思います。

と、日本・日本人への国家神道の影響力を認めている。
こういうインチキな展開の仕方ができる天寿堂さんの精神構造は一体どうなっているのかと。

本来の神道には教義らしきものが希薄でしたから、それが日本人の精神性にどのようは影響を及ぼしたか分析することは容易ではなさそうですが、
仏教が明治維新前の日本人に及ぼした影響は絶大なるものがあります。
武士道というものを例にとっても、その背後には禅の教えが存在している。
天寿堂さんが仏教と葬式や法事くらいしか接点が無く、学生時代に歴史の勉強をサボっていたから分からないだけのことです。

>西洋人にも悪いことは悪いと堂々と指摘する。それがアメリカのハワイの強奪に対してハワイの女王を幽閉した戦艦ボストンの両脇にピタリと軍艦を横づけして抗議の意を表したりということを、堂々とやっていたのです

これは東郷平八郎という傑物のなせる業ですよ。
特別な例を一般論の如く語るのも詭弁の一種です。
全ての日本人がこのような胆力を備えていたのかと言えば、先にも挙げたように、天寿堂さんが言うところの“アジア解放戦争”を率いた将軍どものように、性根の腐った連中もゴマンと存在していたのですから。
東郷が傑物だからといって、それでもって“アジア解放戦争”を主導した無数の愚将どもを擁護しようというのなら、東郷にとってはエラい迷惑な話でしょう。

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[2398]
愚按亭主 - 2016年11月29日 (火) 10時48分

>仏教が明治維新前の日本人に及ぼした影響は絶大なるものがあります。武士道というものを例にとっても、その背後には禅の教えが存在している。

 では具体的に仏教が日本精神の発展にどうかかわったのか展開していただきましょう。

>これは東郷平八郎という傑物のなせる業ですよ。特別な例を一般論の如く語るのも詭弁の一種です。全ての日本人がこのような胆力を備えていたのかと言えば、先にも挙げたように、天寿堂さんが言うところの“アジア解放戦争”を率いた将軍どものように、性根の腐った連中もゴマンと存在していたのですから。東郷が傑物だからといって、それでもって“アジア解放戦争”を主導した無数の愚将どもを擁護しようというのなら、東郷にとってはエラい迷惑な話でしょう。

 タマゴさんのほうこそ、愚将という個別性をもって、日本精神のもつ偉大な一般性やそのなしたる歴史的偉業を矮小化することは、偉大なる先人に対して無礼というものですよ。アメリカの奴隷解放運動を指導していたある黒人が、日本の帝国ホテルで手続きをしていた時に、白人女性が白人を優先するのが当然というそぶりで割り込んできたそうですが、日本人の一般庶民のフロントが毅然とそれを無視してその黒人の手続きを続け、終わった後その白人女性の相手をしたそうです。その黒人は他のアジアの国では考えられないことだと感激し、日本の代表団が国際連盟に人種差別撤廃法案を提訴するためにアメリカに行ったときにホテルに訪ねて、黒人への人種差別撤廃の請願書を託したそうです。このように、日本精神は一般庶民の間にも深く浸透していたのですよ。


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[2399]
タマゴ - 2016年11月29日 (火) 12時28分

仏教が日本人の精神構造にどのように影響を与えたかを述べたら本数十冊くらいになってしまいますよ。
仮に武士道と禅というテーマに絞っても、本一冊で全てを論じ切るのは難しいのではないかと思います。
それを掲示板でやれと簡単に言うのが、天寿堂さんの造詣の浅さを示しているのではないですか。
どうしても詳しく知りたいなら、目の前に便利な機械があるのですから、「武士道 禅」で検索すれば宜しい。
幾らでも引っ掛かりますよ。
1つだけ例を挙げるならば、
「剣禅一如」という有名な言葉は、沢庵和尚の「不動智神妙録」にある語ですが、これは「五輪書」の宮本武蔵や「兵法家伝書」の柳生宗矩にも大きな影響を与えたとされています。
(小説のように武蔵が沢庵に直接師事したかどうかは判然としないようですが。)
沢庵の教えとは、要約するならば、剣の究極の境地は,禅の無念無想の境地と同じであるということ。
剣は生死の間に於て修行し、大死一番の境地に大活するものであり、
禅は静思黙考の裡に大悟するものである。
いずれも生死を超越する窮極において剣禅全く相共通ずる一脈がある・・・。

>タマゴさんのほうこそ、愚将という個別性をもって、日本精神のもつ偉大な一般性やそのなしたる歴史的偉業を矮小化することは、偉大なる先人に対して無礼というものですよ。

と述べた直後に個別の事例を挙げて反したつもりになる天寿堂さんの精神構造は一体どうなっているんですか。
私は、明治維新〜終戦の期間は日本史上でも特殊な時代であったと述べました。
また、クソもミソもいっしょくたにしろ的な天寿堂さんのような主張はしておりませんし、寧ろそのような姿勢を批判し、構造に分け入って考えろと述べてきたではありませんか。
これだけ長々と議論してきたのに、此方の話がちっとも伝わっていなかったようで、残念ですよ。

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[2400]
tada - 2016年11月29日 (火) 22時21分

天寿堂さんの思想を抽象化すると、反米愛国のナショナリズムと反グローバリズム・格差の解消のポピュリズムになります。本来なら タマゴさんのように 日本国家、社会の成功と失敗の本質を分析し そこから政治論を論じなければならないのです。しかし それが出てこない。政治学ではないとの見解もありました。これは やはり 単なるアジテーションとして評価するしかありません。天寿堂さんのヘーゲルの学問の冠石を天皇と入れ替えてみれば、それは 大東亜共栄圏を賛美する凡庸な右翼の言辞と同質です。政治をきちんと押さえることが肝心要です。
可能な限り、思想的または主観的な思い込みを廃し 政治的世界の仕組みと運動法則を合理的かつ透明的な形で解体する政治のアナリストに徹すること。それを私は心に刻んできた。滝村隆一の言葉です。

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[2401] 悲しくなります
愚按亭主 - 2016年11月30日 (水) 06時48分

>天寿堂さんの思想を抽象化すると、反米愛国のナショナリズムと反グローバリズム・格差の解消のポピュリズムになります。

 まるで日本版トランプとでも言いたげですね。tadaさんともあろうお方が、そのような皮相な見方しかできないとは、悲しくなります。現在の世界にそういう波が起きていることは事実ですが、これにはそれなりの必然性があります。そして、その必然性を人類はどのように克服すべきとお考えでしょうか?

 おっしゃる滝村先生のお言葉はまさに国家論学者としてのお言葉で、哲学者としてのそれではないと思います。私は哲学を論じているのです。たとえば、私の主張を反米愛国の思想だと断じていますが、人類史における本流の流れの冷厳たる客観的真実を言ったまでです。そういう観点を踏まえたうえでの日本の国家としての、日本軍としての個別的事象の反省ならば良いのですが、それなしの反省は、個別的事象に振り回されて真実を見誤ることになってしまうからです。現にタマゴさんは私の主張に一生懸命アメリカを弁護して真実を見つめようとしませんでした。もちろん討論上自分の非を認められなかったこともあるのでしょうが、それはそういう視点がもともとなかったことの表れなのです。

 物質・生命・人類の本流の流れは、南郷学派の生命史観によって人類の誕生までは解明されましたが、それ以後の人類の歴史における本流の流れをこれから解明すると宣言しておきながら、南郷学派はいまだにそれを出しておりません。それは人類の歴史における本流の発展史は、それまでの生命史観を解明した方法論では不可能だということを意味していると思います。ヘーゲルの弁証法を復活させなければ不可能だということです。そして、私が今やっていることは、私なりにそれをやっているということです。それによって明らかになったことは、南郷学派が全く評価できていないアレキサンダー大王による世界征服の人類の歴史における本流の発展という観点からの歴史的意義です。そして、注目すべきは、そこから生まれた本流の発展の流れにおいて、日本が白人優先の植民地体制を打破したことの歴史的意義です。そして、このような歴然たる事実を、まだ誰もまともに説いていないという現実があることです。

 これがヘーゲルが説いている
基礎的契機としての即自的悟性 : 日米戦争の事実的検証
否定的契機としての対自的否定的弁証法的理性 : 私の主張
統体敵契機としての即自対自的肯定的弁証法的理性 : 本物の真相
の実践なのです。実際、部分的ではありますが、私はタマゴさんが出してくる事実を統体止揚してその真相を明らかにしてきたことは、振り返ってもらえれば明らかです。

 さて、宗教の問題ですが、宗教はあくまでも人類の発展途上において主体性を確立するまでの未熟な段階での乳母的な存在にすぎません、ですからその乳母がしゃしゃり出て人類が大きくなってもあれこれ口をさしはさんで人類を規制することは有害以外のないものでもありません。なぜなら、宗教の本質は相対的真理の絶対化であり、発展性がないからです。つまり、発展していく人類を導いていくことはできないということです。

 その人類に対する規定性が最も強いのがイスラム教であり次にキリスト教です。仏教は比較的緩いので、それが幸いしたといえます。しかし、日本の精神が成熟した江戸期は仏教よりは儒教のほうが強かったと思います。儒教は、道徳論であり宗教性の薄いものです。では同じく仏教や儒教のある中国や韓国では精神の発展は見られなかったのにどうして日本だけが見事な発展を実現したのか。それは何事も生きる道として極めようとする日本人の本性が、儒教を武士道として主体的な人間の生きる道として見事に昇華させたのです。それが象徴的に表れているのが切腹です。この精神が日本の精神を見事に作り上げたのです。これは窮境ではありません。

 また、禅は仏教の中でも他力本願でなく自力で自らの精神を鍛えて不動心を創り上げるという点で、刀道と一致する面があることから山岡鉄舟などの名人が一如ととなえたわけであって、あくまでも自らの主体的な修行が前提にあるのです。

>と述べた直後に個別の事例を挙げて反したつもりになる天寿堂さんの精神構造は一体どうなっているんですか。

 タナゴさんは本当に人の文章を真面目に読んでいないのですね。私の挙げた具体的な事例は「全ての日本人がこのような胆力を備えていたのか」というタマゴさん疑義に対して、ホテルのフロントのような一般庶民でも日本人としての精神性を持っていたのですよ、ということを示したのです。愚将の例は、それをもって日本の歴史的偉業を否定しようとするタマゴさんに対して、むしろそういう愚将がいたのにもかかわらず、人類に認識を大きく発展させたような歴史的偉業を成し遂げた日本の精神のすごさを見る必要があるということを言ったわけです。つまり、どの事例が一般性を示し、どの事例がその一般性に反する特殊性・個別性を示すものかをしっかりと区別する必要があるということです。

Pass

[2402]
タマゴ - 2016年11月30日 (水) 10時38分

>現にタマゴさんは私の主張に一生懸命アメリカを弁護して真実を見つめようとしませんでした。

私は、他虐自賛史観の天寿堂さんに、バイアスを排して真面目に歴史を直視せよ、と繰り返し述べてきましたが、アメリカを弁護したことはただの一度もありません。
それどころか、アメリカに満州進出の意図があったことを実証的に論じてきたではありませんか。
この天寿堂さんの手口はfalse dilemmaという典型的な詭弁の一種です。
有名どころでは、911の際に子ブッシュが「フセインに付くか正義に付くか?」とアジって米国民を戦争に駆り出すことに成功しました。
なぜ米国民がこのような低レベルの詭弁にコロッと騙されてしまったのかといえば、ただアホだからというだけでなく、アメリカがキリスト教が支配的な国であり国民も善悪二元論に取り付かれているからです。
「フセインも嫌いだけれど、お前にも従わない」
と第三の選択肢を突き付けることができなかった。
国家神道という一神教モドキが支配的であった明治維新〜終戦までの日本も、似たような状況下にあったのです。

さて、私は以前から、日本会議系の論者のアメリカに対する一貫性の無さ・御都合主義を指摘してきました。
GHQによる統治期間くらいまでの歴史観ではアメリカを非難していたのに、その後はアメリカにベッタリの従米主義になってしまう。
アメリカの本質は何も変わっていない、イヤ寧ろ亜細亜への軍事的・経済的影響力をますます強めているというのに。
これは一体どういう了見なのか?
先刻の安保法も、本質は自衛隊を米軍の亜細亜攻撃に従わせるための悪法に過ぎません。
大東亜戦争の“亜細亜解放”という大義名分とは真逆ではありませんか。
だからインチキだというのです。
露骨なインチキに騙されるのはバカだからですよ。

これまで論証してきたように、大東亜戦争の主導者(軍や財閥など)は、自らの生々しい動機で戦争に突き進み、それを正当化するために亜細亜解放という大義名分を掲げたのです。
勿論、それを本気で信じて戦った日本兵がいらしたのは事実ですし、我々はそれを永く銘記しなければならない。
しかし、戦争主導者の系を引く連中が、今度は“鬼畜米国”への従属化を強める方向に日本を誘導している。
何故か?
それは占領を期に戦争主導者どもが米国の軍門に下ったからです。
要するに、連中は自らの利益にかなうからそうしているだけ、単なる御都合主義なのですよ。

ネトウヨというのは大抵、学生時代に歴史の勉強をサボっていたがためにマトモな知識が無いところに他虐自賛史観を浴びせられ、気持ちよく酔っ払っているだけなのです。
彼らは右派ではあっても、真の意味での“保守”派ではない。
日本会議系の論者の妄説を真に受ける天寿堂さんも、彼らの掌の上で踊りを踊らされているに過ぎないってことですよ。

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[2403]
タマゴ - 2016年11月30日 (水) 11時37分

>私はタマゴさんが出してくる事実を統体止揚してその真相を明らかにしてきたことは、振り返ってもらえれば明らかです。

どこが明らかなんですか?
教えて下さい。

>タナゴさんは本当に人の文章を真面目に読んでいないのですね。私の挙げた具体的な事例は「全ての日本人がこのような胆力を備えていたのか」というタマゴさん疑義に対して、ホテルのフロントのような一般庶民でも日本人としての精神性を持っていたのですよ、ということを示したのです。

個別的事例を挙げたとして相手を非難しながら個別的事例で反論したつもりでいたことの弁明になっていません。

>愚将の例は、それをもって日本の歴史的偉業を否定しようとするタマゴさんに対して、むしろそういう愚将がいたのにもかかわらず、人類に認識を大きく発展させたような歴史的偉業を成し遂げた日本の精神のすごさを見る必要があるということを言ったわけです。

“歴史的偉業”というのは、此までの流れから、おそらく“亜細亜解放”のことを言いたいのでしょうが、日本軍が欧米から亜細亜を解放したのではないことは客観的資料も挙げて既に論証済みです。

>どの事例が一般性を示し、どの事例がその一般性に反する特殊性・個別性を示すものかをしっかりと区別する必要があるということです。

もし、大東亜戦争を主導した連中の中に性根の腐った愚将が多数含まれており、その誤った構想により膨大な数の戦死者・被害者を出したことが個別的事例で、帝国ホテルで云々という話が一般論だというのなら、その天寿堂さんの感覚は正常な人間では理解不能です。

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[2404] あのタマゴさんはどこへ行ってしまったのか?
愚按亭主 - 2016年11月30日 (水) 14時03分

 一生懸命弁証法を理解しようとし、議論における統体止揚を追求していたころのタマゴさんはどこへ行ってしまったのでしょうね。

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[2405] 人類未到達の真の植民地解放
北のM - 2016年11月30日 (水) 14時31分

天寿堂様、タマゴ様のご議論を拝読しながら、以下のようにまとめてみました。

基礎的契機としての即自的悟性 : 天寿堂様の反欧米的植民地解放史観
否定的契機としての対自的否定的弁証法的理性 : タマゴ様の似非植民地解放史観批判
統体敵契機としての即自対自的肯定的弁証法的理性 : 絶対的真理としての真の植民地解放(脱植民地化)

現在の沖縄のアメリカによる、そしてパレスチナのイスラエルによる軍事植民地化状態を見るにつけ、残念ながら未だ人類は真の植民地解放には至っていない段階であると思います。

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[2406]
タマゴ - 2016年11月30日 (水) 14時55分

明治維新(文明開化)を期に、それまでの日本文化が破壊されて欧米文化が怒濤の如く流入し、日本人の精神構造も大きな影響を受けたと指摘しました。
これは日本軍の軍人の気質にも大きな影響を与えたことは想像に難くありません。
日清・日露戦争までは、江戸時代に出世し武士道精神をある程度わきまえた軍人も少なくなく、東郷平八郎もその1人といえるでしょう。
ところが、大東亜戦争期の将校というのは(一部の例外を除いて)近代的な軍人養成学校の出身であり、いわゆる受験秀才でした。
当時の陸大など、東大より遥かに狭き門だったと言われています。

要するに、当時の高級軍人の本質は、今でいえば東大卒の高級官僚と大差が無かったのです。
事務処理能力にのみ長けた受験秀才が国家の存亡を掛け重大局面に対して、巨視的な対応を行えるでしょうか。
結果、彼らは日本を破滅に追い込みました。
私は明治維新〜終戦までの短い期間は日本史上でも特殊な時代であったと述べましたが、彼らに天寿堂さんの想像する日本精神なるものを求めるのは無理なんですよ。
そして、そのような連中が主導したという現実を踏まえ、虚飾を引き剥がしてから、大東亜戦争は評価するべきなのです。

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[2407]
タマゴ - 2016年11月30日 (水) 17時54分

三浦つとむ先生の本だったかと思いますが、「一般」と「普遍」とは似て非なる概念である、という説明があったように記憶しています。

「一般」とは「特殊」を前提としている概念である。
つまり、例外という存在を暗に認めている、ということです。
一方、「普遍」に例外はありません。
天寿堂さんの誤謬は、「一般」を「普遍」と取り違えていることから来ているのではないんでしょうかね?

例えば、数学には普遍的な概念はいくらでも存在しますが、現実世界の人間の活動に普遍など無いですよ。
人間は必ず死ぬ、ということくらいは言えますが、それくらいでしょう。
一般的には〜といえる、というのはあるかもしれませんけれど。

だから、大東亜戦争期の戦争主導者にも武士道精神があったはずで、だから大東亜戦争はアジア解放の戦いなのだ!・・・なんて頭ごなしに決めてかかるのは、おかしいんですよ。
「一般」にたいする「特殊」が存在する可能性を初めから排除してしまっていますから。
「特殊」の存在する可能性を認めるならば、一般論がこうだから絶対にこうなのだ!ではなく、史実を正確に知ろうとする努力を怠るべきではないのですよ。

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[2408] 悟性とは
愚按亭主 - 2016年11月30日 (水) 18時31分

>北のMさん
 残念ながらその三項の規定は正しくないと思います。即自的悟性というのは現実的な立場の自分が悟った性質ということですから、事実的論理のことです。私のは絶対的真理の立場から本流の流れを説いているのですから対自的否定的弁証法的理性なのです。ですから以下のようにならなければなりません。
*基礎的契機:即自的悟性(日本は愚将によって犬死させられたのであってアジアの解放などしていない)
*否定的契機:対自的否定的弁証法的理性(人類の本流の歴史から言えば、白人至上主義の人種差別的な植民地体制を打破してアジアを解放して、人種差別に対する人類の認識を一段高めたー※これは決して反欧米ということではなく人類史における歴史的事実を述べているだけなのです。)
*統体的契機:即自対自的肯定的弁証法的理性(人類の本流の流れをいう一般像を媒介にしてみると、愚将による犬死もアジアの解放という歴史的意義を持つことによって犬死ではなくなって価値あるものとなり、後世にその志が受け継がれることになるーしかし、犬死とだけ規定してしまうと本当に犬死になってしまう)

 となるかと思います。

>そのような連中が主導したという現実を踏まえ、虚飾を引き剥がしてから、大東亜戦争は評価するべきなのです。

 では、それを具体的に納得できるように展開してもらいましょう。

Pass

[2409]
タマゴ - 2016年11月30日 (水) 19時42分

それは既に述べてきたではありませんか。
第一、本を書こうというのは天寿堂さんであって私ではありません。
天寿堂さんが世間に赤っ恥晒したくないのであれば、自分で研究する以外ありませんよ。

もし、より纏まった形で学びたいのであれば、
「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」シリーズ(NHK出版)
「昭和の名将と愚将 」(文春新書)
あたりを読めばよいかと思います。
また、天寿堂さんは
「日本会議の研究」(扶桑社新書)
も読んでおくといいと思います。
右寄りの出版社から出ている本なので、左翼的なバイアス抜きで日本会議の実像に迫ることができるでしょう。

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[2410]
tada - 2016年11月30日 (木) 23時48分

 もしも 私が天寿堂さんと同じように 日本の精神を説くとすれば まずは乃木希典・東郷平八郎を代表する明治の精神。明治にかんしては大多数の人は問題ないでしょう。問題は昭和ですね。私なら山口多聞・田中頼三・栗林忠道たちから昭和の精神を抽出してみるでしょう。米国に対する敢闘精神・帝国陸軍海軍上層部の作戦から主体性を確立している様。その知性と勇気を讃えますね。タマゴさんが書いてくれたように 昭和の政府・軍部は完全にだめなワケです。明治から昭和へ その成功と失敗の歴史を余すところなく 受け入れて 日本の精神を描く。それは恥部のようなことにも触れなければならないのです。きれい事を並べても 後世に対して 別に役にたつことも あるわけでなし。だから政治論。政策論が必要なのです。どこで間違えたのか。何がおかしいのか。現在の政治にどう生かすのか。そういうことをキッチリ伝えなければならないのです。自己満足の天寿堂さんの思想には こちらも残念な気持ちがいっぱいです。付け加えますと アメリカ合衆国を本流と見るほうが 理にかなっていますよ。大戦中は 日独伊のファシズム国家を打ち破り、戦後はソ連の共産主義国家と戦い 世界の自由を守ったのですから。簡単な話です。

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[2411]
タマゴ - 2016年12月01日 (木) 06時43分

>*基礎的契機:即自的悟性(日本は愚将によって犬死させられたのであってアジアの解放などしていない)

これは詭弁ではなく、単純にウソです。
私は一度も「犬死に」などという下品は言葉は使っていないし、それに類する言葉・概念も用いていません。
というか、そもそも「日本が犬死にした」という日本語は成立するのでしょうか?

*統体的契機:即自対自的肯定的弁証法的理性(人類の本流の流れをいう一般像を媒介にしてみると、愚将による犬死もアジアの解放という歴史的意義を持つことによって犬死ではなくなって価値あるものとなり、後世にその志が受け継がれることになるーしかし、犬死とだけ規定してしまうと本当に犬死になってしまう)

誰が「犬死に」したのかハッキリさせたら如何ですか?
それから、日本会議の御用学者(?)だった名越二荒之助でさえ
「日本軍がアジアを解放したなどとおこがましいことを言ってはいけない」
という趣旨のことを述べています。
私は名越のことを“学者”とは認めていませんけれどね。
あまりにも資料の引用の仕方や翻訳が杜撰でしたから。
しかし、それでも詭弁に次ぐ詭弁の天寿堂さんよりは、まだマシだと思います。

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[2412] 絶対的真理の重要性をますます痛感
愚按亭主 - 2016年12月01日 (木) 14時42分

 あなた方と議論していると、絶対的真理の重要性をますます痛感させられます。というのは、あなた方のように、即自の自分つまり現実的立場(唯物論)を離れられず、事実がちらついて、対自的な全体的真理を見通す立場に立てない人間には、絶対的真理や本流は見えない・理解でないのだ、ということをつくづく痛感させられます。そういう意味で唯物論の立場のみで生命の本流の歴史である生命史観をつくり上げた南郷学派は本当にすごいと思います。しかしそれにも限界があったということを現在の南郷学派の現状が示していると思います。だからこそ、真の学問の確立のためには、相対的真理だけでは全体の一般性には到達できず、したがって絶対的真理は欠かせない重要なものであることを、あらためて再認識させられました。

 ディーツゲンやヘーゲルは、事実にこだわる現実的立場・唯物論から離れて自由にならなければ、学問の体系化はできない、と言っていましたが、まさにこのことかと実感を持って納得できました。

 私の説く精神あるいは日本精神は、tadaさんの説いたものとは根本的に異なるものです。私の説く精神とは、ヘーゲルが説いた精神のことであり、絶対精神が人間になってその認識が自らに回帰したところの精神であり、絶対理念へと向かうところの精神のことです。ですから、ある特定の個人の精神ではないのです。歴史性を持つ物自体の発露としての精神なのです。具体的には、学問の曙であるギリシャ哲学の誕生をもって、人類の認識に、はじめて物自体について自覚し始めた精神が誕生したのであり、そこから流れ出るところの発展の流れを本流と称しているのです。だから、アレキサンダー大王の世界統一はまさしく本流の発露であり、ギリシャ哲学の伝搬であり精神の放浪なのです。それがイスラム圏からキリスト圏に流れて行って、ついに個別科学の誕生という学問的成果を上げていく、という流れです。

 ではその流れにない日本がどうして第二の本流になれたのか?それは、日本はその本流から遠い僻地にあって、様々な条件に恵まれて、世界の中でも特異な立場の変換が縦横無尽に運動可能な弁証法的言語である日本語によって培われた思いやりの精神・ものごとを道として究める精神が、江戸期に開花し、安藤昌益の「自然真営道」というヘーゲルの絶対精神の自己運動に匹敵する哲学を、ヘーゲルよりも100年も前に創りあげているのです。つまり、日本の精神は江戸期にそういうものを生み出すほどに本流としての実力をもっていたのです。その精神が見事な社会を創り上げ、西欧の本流本家の哲学や個別科学に遭遇した時に、瞬く間にそのエッセンスを吸収して自分のものとして、世界的な新発見を次々に成し遂げ、その時に入ってきたヘーゲル哲学や、マルクスエンゲルスの唯物弁証法などが日本の精神の一部として連綿として受け継がれ、南郷継正の相対的真理の弁証法の完成と個別科学の体系化の成功へとつながっていったのです。ですから、明治期の西欧の文化の流入はン本精神の本流としての発展につながるものだったのです。

 そしてそういう日本精神が創り上げたゼロ戦がアメリカの誇る無敵のB17を全滅させて、三か月で終わるはずの戦いを三年半にも長引かせたことが、日露戦争後アジア各地で沸き起こった独立運動がみなつぶされてしまっていたところに、あらたに日本精神が注入されてそれが日本の敗戦後ふたたび欧米が植民地体制を取り戻そうとしたときに、それを打破する独立運動につながったのです。
 これらの現象の本質は、本家本元の本流のドラ息子たちの本流らしからぬ白人至上主義の人種差別的な植民地体制を、アジアの僻地にて独自の本流としての実力を磨いていた日本がものの見事に打ち壊して、彼らに人種差別を反省させることになったのです。しかしながら、日本精神はまだ本流としての実力を完成させていなかったがために、本流のドラ息子たちに敗れてしまいました。その後、日本が本流であることを自覚させないように、欧米によって悪者に仕立てられ徹底的に日本精神が復活できないようにされてきました。

 それでも、そんな状態に置かれた日本精神の中でも、脈々と学問の本流の伏流がひそかに流れて、ついに世界のどこにもないヘーゲルの絶対精神の自己運動の具体化としての生命史観が打ち立てられました。そして今まさにこの日本において、本流としての精神の要となる学問の冠石が復活しようとしているのです。これこそが、日本こそが人類の真の本流になることができる世界で唯一の国たる所以なのです。そして日本の復活は、この学問をもってなされなければならないのです。

 たしかにアメリカは、人類の本流たるべき日本を破って、世界の覇者になりましたが、本流ではありえません。本流となるべき資質、実力は残念ながら持っておりません。アメリカは実用主義をもって学問を堕落させ、世界を無用な混乱に陥れるばかりで、人類を正しい発展に導いていけなかったからです。そんなアメリカを自由を守ったなどと、その自由とは一体何なのでしょうか?

>大東亜戦争の主導者(軍や財閥など)は、自らの生々しい動機で戦争に突き進み、それを正当化するために亜細亜解放という大義名分を掲げたのです。勿論、それを本気で信じて戦った日本兵がいらしたのは事実ですし、我々はそれを永く銘記しなければならない。
しかし、戦争主導者の系を引く連中が、今度は“鬼畜米国”への従属化を強める方向に日本を誘導している。何故か?それは占領を期に戦争主導者どもが米国の軍門に下ったからです。要するに、連中は自らの利益にかなうからそうしているだけ、単なる御都合主義なのですよ。

 すでに述べたということですから、おそらくこれが、タマゴさんが一番言いたいことなのでしょう。これは、特殊なのだから日本精神から除外すべきだとの主張のようです。ここで少し論理のイロハを復習したいと思います。特殊というのはおっしゃる通り、一般に対しての特殊ということです。この意味するものは、特殊の中に一般はないということではありません。一般性を持ちながら特有の性質をも持っているということです。つまり、その愚将も日本精神の一般性を持っているということです。

 問題は、タマゴさんが言うように「大東亜戦争の主導者(軍や財閥など)は、自らの生々しい動機で戦争に突き進」んだのであり、自らの利益のためにはアメリカの走狗ともなるご都合主義で、アジア解放や五族協和などはそれを正当化するための大義名分に過ぎない、と言えるでしょうか?もしそうならば、どうして当時の技術の粋を結集して理想国家ともいえるほどの満州国をわざわざ作り上げたのでしょうか?単なる大義名分に過ぎないものにそこまでするものなのでしょうか?タマゴさんのいうように「明治維新(文明開化)を期に、それまでの日本文化が破壊されて欧米文化が怒濤の如く流入し、日本人の精神構造も大きな影響を受けた」のなら、欧米のやりかたの真似をしないで、どうして日本的なやり方で満州経営をしたのでしょうか。

 日本精神が大きく変容させられたのは、やはり敗戦という大きなショックを利用したアメリカの飴と鞭を巧みに利用した洗脳工作によってではないでしょうか。

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[2413]
タマゴ - 2016年12月01日 (木) 17時06分

>愚将も日本精神の一般性を持っているということです

牟田口や冨永のような史上稀に見る愚将どもも持っていたという“日本精神”とやらは、どうも私やtadaさんがイメージしている武士道精神のようなものとは全く異なるようですな。

>どうして当時の技術の粋を結集して理想国家ともいえるほどの満州国をわざわざ作り上げたのでしょうか?単なる大義名分に過ぎないものにそこまでするものなのでしょうか?

それは、大義名分を掲げただけの大東亜戦争の主導者どもとその大義名分を本気で信じた一般国民の“認識の二重構造”が見えていない天寿堂さんには、百年経っても理解できないことです。
これについては既に触れましたので、これ以上天寿堂さんに何を述べても壁に話し掛けているようなもので無駄だと思いますが、掲示板の閲覧者の方々の参考までに若干補足しておきます。

「五族協和」のスローガンの発案者は、歯科医をしていた小澤征爾の親父さんだと述べましたが、彼は孫文の掲げた革命理念「五族共和」から着想したのではないかと思います。
それに大東亜戦争の主導者の一人・石原莞爾が喰い付いた。
ではナゼ石原が「五族協和」という大義名分を採用したのかと言えば、彼の特異な宗教観が背景にあります。

大正時代、「八紘一宇」という理念を考案した田中智学の率いる国柱会なる日蓮主義団体が台頭します。
この団体の主張は、皇祖皇宗の日本国体を法華仏教のもとに体系化するというもの。
大雑把に言えば、今の世は狂ってるから、天皇に法華経仏教に帰依してもらってそれを中心に法華経世界を建立するぞ!というものです。
そして石原は国柱会の熱心な会員だったのです。
石原は、有名な「世界最終戦争論」を発表し注目を集めました。
この理論(?)によると、満州の地に五族協和の王道楽土が成立すれば、東洋の諸民族は本物の友好親善関係となる。
そして白人帝国主義に対抗でき、将来到来するであろうアメリカとの世界最終戦争に勝利できる・・・そんな突拍子もないことを夢想したわけですよ。
天寿堂さんが聖書の如く有難がっている日本会議の歴史観も、石原のヘンテコリンな宗教観がベースの1つになっていると思われます。

一方軍部としては、国境に日本人入植者を配置し、ソ連の侵攻を食い止める屯田兵のような役割を想定していました。
これは満州に築いた膨大な利権を衛ることが目的だった。
そして、人口の2%にすぎない日本人が圧倒的多数の現地人を統治するために利用したのが“五族協和”の大義名分なのですよ。

では“五族協和”の実態はどうであったか?
板垣征四郎の後任で満州国軍政部最高顧問に就任した佐々木到一は次のように書き残しています。

『満州統治ノ深憂(続々篇)』
「民族協和が満州国の原理であるとすれば、建国に参加する各民族が国家の構成分子であることを自覚しなければならないのに、大多数の日本人はこの自覚が足りない。日本人は日満間の条約によって保障された恵まれた立場と、先進国・指導国としての優越感をもって臨んでいる。要するに、満州国を植民地視する誤った観念から脱却していないのである。それは日系官吏だけに限らない。日本人全部がそうである。満州国人に対する優越感、干渉癖、横車、理由のない凌辱、根拠のない嫌疑などに、それが現れている。」

『対満州国政治指導に関する所感』
「(満州国は)建国以来5年を経て、国内の利権の大部分が日本人に掌握され、表面上は独立国家でありながら、満州国は急速に植民地化しつつある。この現状に目を向けずに独立国家という建て前を言っても、それは自己欺瞞にほかならない。民族協和も所詮、民族闘争をたくみに緩和する以外の何ものでもない。こんな重大問題を軽々しく放言すべきではないが、満州国は独立国になり得ないし、日本人も満州国人にはなり切れないのが現実である。」

中国人への聞き取りでもなければ左翼の主張でもない、関東軍側の最高幹部の1人がこのように述べているのですよ。
これが実態です。

Pass

[2414] それは単なる建前でなかったことの例証ではありませんか
愚按亭主 - 2016年12月01日 (木) 21時48分

 タマゴさんが示してくれた資料は、五族協和やアジア解放のスローガンがたんなる建前でなく、真剣に目指されていたことを物語るものではありませんか。そうでなければ、このような率直な報告は出てこないと思います。

 実際のところ、当時の民度の低い朝鮮人や支那人相手に(現在もそのままですが)五族協和を実現することは、実際のところ、言うは易しで容易なことではありません。上手くいかないのは、むしろ当然のことなのです。しかし、当時のような状況において、日本の生きる道として、それが真剣に追求されたことが重要なのです。充分に歴史的意義のあることだと思います。そして、そういう問題を抱えながらも、満州国は、平和で秩序の保たれた良いところだと多くの人々が入ってきたのは事実なのです。白人至上主義の人種差別的な植民地主義が当たり前であった時代に、そういうことを追求した国はまだありませんでした。そここそが、とても重要なことなのです。

 このように、タマゴさんのように戦争指導者たちは己の利益ばかり追求して「五族協和」などの大義名分はそれを正当化するもので、真剣に目指されたものではない。という目で見ると、それを示す事実に思われる資料も、私のように日本の精神を正当に評価する目から見ると、むしろ真剣に目指されていたことを示すものとして映るのです。このように同じ事実が全く正反対に見えるというのは面白いですね。

Pass

[2415]
タマゴ - 2016年12月01日 (金) 23時02分

>タマゴさんが示してくれた資料は、五族協和やアジア解放のスローガンがたんなる建前でなく、真剣に目指されていたことを物語るものではありませんか。

どこにそんなことが書いてありますか?
天寿堂さん、最近眼が急激に悪くなったそうですがそのせいですかね?

Pass

[2416]
tada - 2016年12月02日 (金) 00時16分

タマゴさんへ 2407の意見は重要です。ここがわかれば 弁証法から卒業です。さすが物事を素直にとらえることができる人はちがいますね。事実の特殊性に注目して その内的特質を抽出することを科学と呼びます。例えば 実証史的研究的事実を素材に 日本国家の特質・アメリカ国家の特質とその特徴的な構造を浮かびあがらせる。この第一段階で すでに科学として位置付けられます。その次の段階として近代国家の特質 近代以前の国家の特質 アジア的・中世的・古典古代的と言ったように科学的に抽出していきます。これは第一段階よりも一般性に近づいた状態です。滝村先生はこの段階を世界史の方法と呼びました。この世界史的国家群から また大きく<国家>へ抽出を行います。この三段階目により 特殊性はほぼこそぎ落とされ 概念に 近い一般性が出現します。滝村先生で言うと 第三権力論あたりかと思います。そこをなおも抽出続けると概念としての<国家>が残ります。国家とは何か?の国家です。実際はこんなにきれいにはいかないものです。概念―普遍―特殊とこんな流れをあるときは右から左へまたあるときは左から右へ 真ん中の段階から右左に行きながら思考と試行を積み重ねて 概念性・普遍性・特殊性のそれぞれの部分とそれぞれの全体の整合性・体系化をめざしていきます。こんな感じが一般性(普遍性)と特殊性の位置付けです。一方が大きくなるともう一方が小さくなると考えるとわかりやすいです。
やはり対象の特殊性が一番大事で、おいしい部分でもあります。一般論・概念論で語る時は あくまでもその特殊性を絶えず念頭に置かなくてはいけないと自戒しています。逆に弁証法家はその辺が 甘いのではないかとの印象を受けます。弁証法のへの過信がアプリオリに事実からの抽出を自分の感性の型に当てはめる。万人向けとは言えない世界史の方法をメートル原器にして 一つ一つ対象の特殊性を洗い出し普遍化する作業などかったるくて普通の人はまずやらないですから。それより自分の感性を信じて 一般論を読んで一般論を語るのは 簡単で気持ちがいいですものね。そのとき弁証法なんて気の利いたものがあれば 利用したくなります。ヘーゲルの概念的弁証法を道具のように 形だけの実質をともなわない正反合をし 表現をする。ただそれだけ。滝村先生は 概念論は干物あつかいでした。あまり抽象化するとほとんど意味がなくなるからです。特殊性に根ざした一般性 つまり世界史の方法論を中心にしていました。ヘーゲルも科学をしていたことを忘れてはいけません。その実力を弁証法化・概念化しただけなのです。ただの弁証法だけではだめなのです。概念論レベルを中心に弁証法は存在しているということです。

Pass

[2417] 参考までに
愚按亭主 - 2016年12月02日 (金) 09時39分

>どこにそんなことが書いてありますか?

 タマゴさんの方こそ自分で書いておきながらどこに目をつけているのですか。「満州の地に五族協和の王道楽土が成立すれば、東洋の諸民族は本物の友好親善関係となる。そして白人帝国主義に対抗でき、将来到来するであろうアメリカとの世界最終戦争に勝利できる」これはさすが人類の本流たるにふさわしい素晴らしい炯眼ではないですか!白人至上主義の人種差別的な植民地主義との対決を打ち出し、明確な未来像を打ち出しています。つまり、しっかりとした目的意識をもって戦ったということであり、タマゴさんの解釈が誤りだったという証明でもあります。

 タマゴさんあてのtadaさんのエールに横から口を挟むようで申し訳ないのですが、内容は個別科学としての政治学の方法論としては全く正しいのですが、ここで議論しているテーマに即していえば、全く見当違いです。

>ヘーゲルの概念的弁証法を道具のように 形だけの実質をともなわない正反合をし 表現をする。ただそれだけ。滝村先生は 概念論は干物あつかいでした。あまり抽象化するとほとんど意味がなくなるからです。特殊性に根ざした一般性 つまり世界史の方法論を中心にしていました。ヘーゲルも科学をしていたことを忘れてはいけません。その実力を弁証法化・概念化しただけなのです。ただの弁証法だけではだめなのです。概念論レベルを中心に弁証法は存在しているということです。

 滝村先生は、概念論レベルが何を意味するかがとうとう最後まで分からなかったようですね。概念論は事実から個別科学から導き出されたものではなく「世界は一にして不動」という観念・理性から生まれ発展したものなのです。つまり、概念論レベルというのは絶対的真理のレベルということなのです。相対的真理のレベルの国家論の体系も絶対的真理レベルの概念論との統合・統体止揚を果たして初めて真の学問的体系となるのです。ここに挙げられたような滝村先生の概念論の理解では、逆立ちしても真の学問の体系化は不可能です。

 加えて現在はそれがなくなってしまっていることが大問題なのです。戦争の反省についても同様で、概念論レベルの見方からする日本こそが本流であり、白人至上主義の植民地体制を壊してアジアを解放して人類の歴史の1頁を開いたという見方をすることができないがために、その具体的な反省が何のための反省なのか、戦争しないためにはどうしたらよかったのか等々といった日本の再生につながらない、生かせないものになってしまうことが問題なのです。というよりも、日本人の再生のためにも、日本こそが人類の本流なのだという自覚、その歴史的使命の自覚が生まれることが日本の再生の要となるはずです。それを否定して何のための反省なのですか。その肝心なものがないことを私は主張しているのです。

 参考のために、滝村先生が如何にヘーゲルの概念レベルの論理を理解できなかったのかを、以前に書いた記事を、参考までにここに再掲しておきましょう。

        *         *

 次に概念論レベルの概念化とはどういうものか?という問題です。ここでは個別科学レベルの事実から積み上げてきた本質論を、いったん否定してかからなければなりません。そのことについては、すでに述べておりますので、あえて再掲します。



「ヘーゲルがここでも、余りにも徹底的に、その概念弁証法による思弁的構成に、こだわり過ぎた点にある。それは、学的国家論を、〈法ー道徳ー人倫)という法的理念の弁証法的展開による、〈法哲学〉の構成に、端的に示されている。これを裏からいうと、国家論の学的解明において、〈国家〉それ自体を学的対象として、直接正面に据える学的方法が明確に斥けられたことである。」(「国家論大綱第二巻」452P)

 そして、滝村先生は、その例証として、ヘーゲル自身が述べている文書(準備草稿)を紹介しています。
「国家をそれだけで考察し、国家組織や政府がどうあるべきかを明らかにしようとする傾向があります。人びとは上の階を建てるのに忙しく、上層を組織立てようとはするが、土台たる結婚や速脳集団はおざなりになり、ときに、粉々にされたりもする。が、一組織、一建造物は空中に浮かんでいるわけにはいかない。共同体は国家の共同性という形をとって存在するだけでなく、その本質からして特殊な共同性をとっても存在しなければなりません。」(長谷川訳、「法哲学講義」作品社、496P)

 滝村先生は、おそらく前半部分の国家をそれだけで考察する傾向をヘーゲルが批判している部分を示すためにこれを引用したのだと思います。ところが、滝村先生は気づかなかったようですが、ここで、ヘーゲルはとても重要なことを述べています。
 キーワードは「空中に浮かんでいる」のではない、という部分です。土台というのは、生命の歴史とのつながりで、国家をとらえよということです。だから、「共同体は国家の共同性という形をとって存在するだけでなく、その本質からして特殊な共同性をとっても存在しなければなりません。」となるのです。生命の本流の流れとして、動物の本能的な共同性から、人間の段階に至っての絶対理念へと向かうところの本能の外化としての法的規範の共同性という特殊性としてとらえよ、ということです。これが、ヘーゲルの概念論レベルの国家論となるのです。


 これについてはtadaさんとの前の議論でも少し触れていましたね。もう一度見ておきましょう。まず、私が

「これを物質の運動発展の大きな流れにおいて把え返すならば、ヘーゲルが学問を生命から説いていったように、生命における元素の有機的集団的実存形態そしてその最高形態としての動物の本能的集団から説き起こす必要があり、その否定的媒介として人類の目的意識的な社会・国家の形成がはじまり、その統体止揚としての目的意識的な第二の集団的本能としての憲法の下での国家的法秩序の確立があるというような観点が必要になると思います。このような視点は、国家の事実的究明をいくら極めても出てこない発想だと思います。だから、必要なのです。」

Pass

[2418]
タマゴ - 2016年12月02日 (金) 13時47分

まぁ確かに、石原の世界最終戦論は天寿堂さんの考えと似たところがありますけれどね。

では、なぜ似てしまったか分かりますか?
それは、天寿堂さんが日本会議系の論者の本ばかり選り好みして読んでいるからです。
実は、石原が信奉していた国柱会は現存し、日本会議の構成団体の1つとなっているのですよ。
当然、日本会議の論調にも強い影響を与えています。
高山だとか宮崎のような日本会議の代弁者に客観性のある学問的な歴史観を望むことはできないのですよ。

石原の世界最終論を構想するに至った経緯というのが、非常に興味深いものがあります。
日蓮主義の師である田中智学は、キリスト教国を仏外の外道国として悪国指定していたのです。
また石原は、国柱会から「大闘争が発生して世界が統一されるという予言」を得たとされ、入会直後の夫人への手紙で突然、白人を「悪鬼」呼ばわりし、「この地球上から撲滅しなければなりません」と憎悪を顕にしています。
そして石原は、その宗教的信条に基づいて柳条湖事件を起こしてしまったのです。

つまり、天寿堂さんや青雲さんは、知らず知らずの内に国柱会独特の日蓮主義思想にドハマりしていた、というわけですよ。

Pass

[2419] 人の文章をまじめに読んでください
愚按亭主 - 2016年12月02日 (金) 14時21分

 私は、ヘーゲルの概念論からそれに該当する事実を掬い上げているのです。それはこれまで散々展開してきたところです。それは誰の真似でも誰からもまねできないものです。

 相対的真理の弁証法は事実から浮かび上がらせていくものですが、絶対的真理の弁証法の方は論理のほうが主体なのであって、事実のほうがそれに従っていくものです。その論理に見合う事実のほうが寄ってくるものなのです。そこが大きく違うものなのです。だから、絶対的真理の弁証法の本流の発展の論理こそが基本なのであり、それを技として創り、本能化したならば、事実を見なくとも本を読まなくともわかるようになり、事実のほうが追いかけてくるのようなるのです。これまでタマゴさんが反証として挙げた事実が、みな反対に私の説を裏付けるものになってしまうのは、そのためなのです。私は目が悪くなって以来必要最小限の本以外は、ほとんど読んでいません。全部絶対的真理の弁証法を技化したこの自分のアタマで創り出したものです。

Pass

[2420]
タマゴ - 2016年12月02日 (金) 15時15分

それは成り立ちません。
天寿堂さんは、バイアス抜きで幅広い学者の論調に接しているのではなく、非常に限られた範囲の“紐付き”の偏った論者の本しか読んでいないからです。
ジグソーパズルを組み立てようにも、箱の中に紙屑しか入っていなければ、たとえヘーゲルであっても組み立てようがありません。
それと同じことです。
絶対真理が云々という以前の問題なのですよ。

Pass

[2421] 宗教の本質は感情論
愚按亭主 - 2016年12月03日 (土) 11時29分

 タマゴさんのおかげで宗教の本質・構造の理解がより深化しました。これまでは宗教は相対的真理の絶対化とだけでしたが、それはつまるところ、真理も誤謬も関係ないということであり、自分の見たいところだけ見て見たくないところは見ない、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式の論理性のない感情論にすぎないということです。こういうことは、すでにヘーゲルが、その宗教批判の中で、宗教は感情論・具象論だから学問を理解できないが、学問は体系的論理だから、宗教をもそれが何かをしっかりと論理的に位置づけて把握できている、ということを述べております。

 タマゴさんの私への批判はまさにそれです。自分がそうやっているから、私もそうやっているだろうと思っているようです。日本会議なる団体の出自がおかしいからそれに属すると見られている人物の言うことは偏向していて全部間違いだと決めつけて、それを正当の評価した私の主張までも、それが故に誤りだと決めつけてゆずろうとしません。しかも、さらにヘーゲルの弁証法の私独自の適応であることを何度も展開しているのに、それを無視して、私が日本会議に洗脳されていると勝手に決めつけ、私が何度も私の文章を真面目に読んでいないと抗議しても、一向に改めようとしない態度にはほとほとあきれるばかりです。

 また、タマゴさん自らが反証として出した事実のほとんどが、私によって、逆に私の説を立証する事実に変換されたという事実があるのに、それを見ようともせず、認めたくないという態度は、まさしく、宗教と同じ構造そのままです。だから、神戸だいすきさんと息が合うのだと思います。

 しかし、このような態度では、いくらいろいろな事実をあさってみても、到底真実を見つけ出すことは不可能です。真実が目の前にあっても見えないのですから。現に、タマゴさん自身が紹介してくれた大東亜戦争の主導者の一人・石原莞爾の「最終戦争論」は、正当に評価すれば、その世界把握にしても、どう世界を導いていくべきかの未来像にしても、当時の白人至上主義の植民地争奪が当たり前の時代において、時代を大きく先取りした珠玉の理論といえるものですが、タマゴさんは「そんな突拍子もないことを夢想したわけですよ」と全くそれが分かっていなかったようです。

 だから、タマゴさんは当時の戦争指導者は自分たちの利益のために戦争を起こしたのであって、大義名分はそれを正当化し誤魔化すために掲げていたにすぎないことを証明する一例として提出したわけです。つまり、タマゴさんはこの石原の言葉を、そう言う意味での大衆を操作し動員するためのもの、としてしか思っていなかったということです。本当にそうなのでしょうか。私はそうは思いません。そんなはずはありません。それこそ戦争を起こした日本精神を愚弄するものです。それを私から指摘されて、慌ててタマゴさんは
「つまり、天寿堂さんや青雲さんは、知らず知らずの内に国柱会独特の日蓮主義思想にドハマりしていた、というわけですよ。」などと言って、話をそらして自分の間違いをうやむやにしようとする行動に出たわけです。

>ジグソーパズルを組み立てようにも、箱の中に紙屑しか入っていなければ、たとえヘーゲルであっても組み立てようがありません。
それと同じことです。絶対真理が云々という以前の問題なのですよ。

 残念ながらすでにその骨格は出来上がっているのですだから、日本がアジアを解放したと断言できるのです。後は細かい肉付けをしていくだけなのです。断っておきますが、これは、決して宗教やタマゴさんが持っているバイアスのような相対的真理の絶対化などではなく、正真正銘の絶対的真理です。だから、事実を正当に評価できるのです。


Pass

[2422]
タマゴ - 2016年12月03日 (土) 13時27分

>自分の見たいところだけ見て見たくないところは見ない、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式の論理性のない感情論にすぎないということです。

私は天寿堂さんの文を全て見ています。
見た上で誤っているところを指摘しているのですよ。

>こういうことは、すでにヘーゲルが、その宗教批判の中で、宗教は感情論・具象論だから学問を理解できないが、学問は体系的論理だから、宗教をもそれが何かをしっかりと論理的に位置づけて把握できている、ということを述べております。

だとすれば、ヘーゲルが、天寿堂さんのように特定の新興宗教の教義などに共鳴するはずがないでしょう。
ヘーゲルは白人で、しかも真面目なキリスト教徒であったのですから、尚更です。

>タマゴさん自らが反証として出した事実のほとんどが、私によって、逆に私の説を立証する事実に変換されたという事実がある

そんな事実はありません。
あるなら教えて下さい。

>タマゴさんはこの石原の言葉を、そう言う意味での大衆を操作し動員するためのもの、としてしか思っていなかったということです。本当にそうなのでしょうか。私はそうは思いません。そんなはずはありません。それこそ戦争を起こした日本精神を愚弄するものです。

だから、思い込みで言いたいことを言うのではなく、真面目に歴史を勉強してくださいよ。
それからでないと話になりません。
駒の動かし方も知らない将棋の素人がいきなり対局を挑むのはおかしいでしょう。

まず、関東軍の2トップであり共に柳条湖事件を起こした石原莞爾と板垣征四郎では、その目的が異なります。
これ迄に詳述したように、石原は国柱会独特の日蓮主義に基づいて行動したのです。
即ち、宗教的信条が常に行動原理として根底にあった。
石原よりも階級の高かった板垣は、別に石原の宗教的信条に共鳴していたわけではありません。
彼は、ソ連との間に緩衝地帯を建設し朝鮮と中国に於ける日本の利権を衛るという現実的動機により行動したのです。
天寿堂さんは、そこのところを混同している。
なぜこんな基礎的なところで間違うのかといえば、単純に勉強不足だからですよ。

天寿堂さんはヘーゲルの名前を出して自説を権威付けたいようだけれども、それも詭弁の一種なんですよ。
ヘーゲルが生きていたとして、日本会議史観の亜流なんかに同意するわけがありません。

Pass

[2423] 権威を借りようとしているのはどちらか?
愚按亭主 - 2016年12月03日 (土) 18時03分

>天寿堂さんはヘーゲルの名前を出して自説を権威付けたいようだけれども、それも詭弁の一種なんですよ。ヘーゲルが生きていたとして、日本会議史観の亜流なんかに同意するわけがありません。

 私はヘーゲルの権威を借りようとしているのではありません。ヘーゲルが見捨てられ博物館入りさせられてしまっている現実に、ヘーゲルの復活がなければ人類に未来がないと、むしろヘーゲルの権威を高めようとしているのです。
 
 タマゴさんのいつものやり方なのですが、ヘーゲルの権威を借りて相手の主張を貶しているのはタマゴさんの方です。

>ヘーゲルが、天寿堂さんのように特定の新興宗教の教義などに共鳴するはずがないでしょう。ヘーゲルは白人で、しかも真面目なキリスト教徒であったのですから、尚更です。

 ヘーゲルは、絶対的真理を完成させた哲学者です。ですから、白人という特殊性を超越した人類一般となった方です。だから、同じく絶対的真理の最初の確立者であったアリストテレスの弟子のアレキサンダー大王は、部族・民族・人種を超えてヘレニズム文化の元を創り、自らも征服部族の王の娘を妻として娶ったのです。また、ヘーゲルは宗教をも超越して学問を完成させました。ですから、キリスト教に縛られることはあり得ません。そこのところを滝村先生は分からずに、キリスト教がヘーゲルの学問の土台となっていると解釈してしまったのです。つまり、キリスト教とヘーゲルの哲学を同一視するというフォイエルバッハやマルクス・エンゲルスの犯した誤りと同じ誤りをしてしまったのです。これが、滝村先生がヘーゲルを正しく受け継げなかった最大の理由です。

>そんな事実はありません。あるなら教えて下さい。

 これまで何度も具体的な事例を挙げて指摘しています。コピペばかりの文章など読み気がしないということを口実にして逃げたあの文章が、それを具体的に上げて反論した文章です。こういう都合の悪い文章は読みたくない気は分からないでもありませんが、これが、まさしく「私の説を立証する事実に変換されたという事実があるのに、それを見ようともせず、認めたくないという態度」そのものです。

>石原よりも階級の高かった板垣は、別に石原の宗教的信条に共鳴していたわけではありません。彼は、ソ連との間に緩衝地帯を建設し朝鮮と中国に於ける日本の利権を衛るという現実的動機により行動したのです。天寿堂さんは、そこのところを混同している。
なぜこんな基礎的なところで間違うのかといえば、単純に勉強不足だからですよ。

 なにも間違っていません。緩衝地帯論は、あくまでの副次的な効用に過ぎません。なぜなら、それが主目的であるならばあそこまで心血を注いて、大量の資金をかけて素晴らしい社会・国家をわざわざ作る必要はないはずです。加えて、ソ連はドイツと戦うのに精いっぱいで日本の方に力を割く余裕などありませんでした。それよりはアメリカの方が直接の脅威だったのであり、アメリカとの衝突は必然でした。その意味で、石原の認識の方がまともであり、評価されていたはずです。勉強しているはずのタマゴさんがそんなことも分からないとは・・・・。そういうタマゴさんに勉強不足などと言われたくないですね。

 しかも、そもそものこの議論のテーマは、戦争指導者に大義名分を真剣に考えていたものなどいない、というタマゴさんの主張に対する、私からのタマゴさんの提出した事実を用いての反論だったはずです。石原の主張はタマゴさんの思い込みが誤りだったことを示すものだということの方が重要な論点だったはずです。


Pass

[2424]
タマゴ - 2016年12月03日 (土) 20時17分

>タマゴさんのいつものやり方なのですが、ヘーゲルの権威を借りて相手の主張を貶しているのはタマゴさんの方です。

私自身は過去にヘーゲルが云々〜ということを述べた記憶が殆ど無いのですが、「いつも」というからには幾つか具体例を挙げてみて下さい。

>ヘーゲルは、絶対的真理を完成させた哲学者です。ですから、白人という特殊性を超越した人類一般となった方です。

と述べる天寿堂さんですが、一方で石原莞爾の構想を「珠玉の理論」と大絶賛しています。
しかるに、石原は日蓮主義の宗教的信条から白人絶滅を唱えていたのであり、絶対真理の完成者であるからヘーゲルは白人ではない、などという考えはありません。
天寿堂さん1人が勝手に言っているだけです。


Pass

[2425]
tada - 2016年12月03日 (土) 20時33分

 天寿堂さん 2417と2419の小論の再録文ありがとうございます。その認識は間違いないです。天寿堂さんの思想は科学ではない。これではっきりしました。私が提案しきた一般論的思考の俗名である「大局観」でもないということもわかりました。
 天寿堂さんの思想は 私のなかで 定義している科学的思考と並立して存在する文学的思考だということがわかりました。天寿堂さんはヘーゲルを語りますが それはもはや ヘーゲルではありません。カントですね。もっと先を言いますと ヘーゲル以後の思想です。個体原理重視の発想つまり学問的理論法則の否定です。学的普遍性を捨てた、個別的私見レベルでの個別的思想への転落です。
 天寿堂さんが大東亜戦争を植民地解放戦争とみる思想を出されたとき 直観的に思い出したのは なつかしい三ピン一スケ七ヘイです。竹村健一学派とでもいいますか。渡部昇一・堺屋太一・深田祐介・山本七平です。それに石原慎太郎らもいれての 親米&反米愛国(アメリカにコンプレックスがあるという意味で)。それは アメリカもすごいけど、それに対抗できた日本もすごいぞと言うような意見でした。そして それは、学問を離れ木村政彦を考えていた私に 2391文で 木村政彦を救おうとした文学的思考と同じではないかと直観的にプロローグとしていれたものです。絶対的真理の弁証法は天寿堂さんのオリジナルではないです。文学では普通に見られる考え方です。Amazonの書評を多数読みました。大東亜戦争は植民地解放戦争であることを肯定する読者の方は多数いるんですね。ある意味感動しました。これではタマゴさんも私も お手あげです。ポピュリズム・ナショナリズム(愛国心)強しです。彼らたちを納得させるのは大変なようです。もちろん科学的思考の方も当然いらっしゃいますので 心強いですが。

Pass

[2426]
タマゴ - 2016年12月03日 (土) 20時46分

>これまで何度も具体的な事例を挙げて指摘しています。

そうではなく、“何度も”というのであれば、具体的に複数例挙げて下さい。
挙げらないのであれば、天寿堂さんがデタラメを言ったということです。

>なにも間違っていません。緩衝地帯論は、あくまでの副次的な効用に過ぎません。なぜなら、それが主目的であるならばあそこまで心血を注いて、大量の資金をかけて素晴らしい社会・国家をわざわざ作る必要はないはずです。

その“なぜなら”が事実でないことについては、関東軍の最高幹部であった佐々木到一中将の記録を示しておいたではありませんか。

>ソ連はドイツと戦うのに精いっぱいで日本の方に力を割く余裕などありませんでした。

満州国の建国が1942年、独ソ戦の開戦は1945年です。
こんなデタラメを真顔で書き込む天寿堂さんが、他人に

>勉強しているはずのタマゴさんがそんなことも分からないとは・・・・。そういうタマゴさんに勉強不足などと言われたくないですね。

などと偉ぶる資格はありません。、

>戦争指導者に大義名分を真剣に考えていたものなどいない、というタマゴさん

私はこのようなことは述べておりません。

Pass

[2427]
タマゴ - 2016年12月03日 (土) 21時41分

>石原の主張はタマゴさんの思い込みが誤りだったことを示すものだということの方が重要な論点だったはずです。

これも詭弁、論理のすり替えです。
私は「大東亜戦争はアジア解放戦争だった」という天寿堂さんの主張を否定したのです。
そして、その事は、複数の“日本軍側”の資料を示して客観的に証明しました。
しかも、石原の目的はあくまでも世界最終戦の後に天皇を頂点とする法華経世界を建設することです。
アジア解放ではありません。
また、石原は柳条湖事件を起こしてアメリカを刺激しましたが、対米開戦前に東條との対立によって予備役に入れられてしまっています。
石原が東京裁判で戦犯として訴追されることを免れたのは、対米戦(天寿堂さんの言うところの“アジア解放戦争”)に直接は関与していなかったからです。

Pass

[2428]
タマゴ - 2016年12月03日 (土) 22時58分

タイプミスがあったかも知れません。
満州国建国1932年、独ソ戦1941年です。

Pass

[2429]
タマゴ - 2016年12月04日 (日) 02時08分

tadaさん。
天寿堂さんと議論していると、議題が違っていても、結局は毎回同じパターンになってしまうんですよ。
相手からすると「またかよ」って感じなんです。

これまでに天寿堂さんは、
「手足には交感神経のツボしかない」
「交感神経だけが体を統括している」
「交感神経は副腎から増設された」
などなど、数多くの一般論モドキを創っては真顔で主張し、更にそれを根拠として
「一般論がこうだからこうなのだ!」
と強硬に話を展開してきたわけです。
で、こちらが、
「その“一般論”って天寿堂さんが自分で創ったんでしょ?」
と指摘しても、
「ヘーゲルが!絶対真理が!」
と抗弁して聞く耳持たず。
毎回毎回このパターン。
天寿堂さんの論理パターンだと、一般論が間違っていると各論も全て間違いってことになってしまうんですけどね。
しかし全く懲りない。絶対に省みない。
何度も何度も、後から“一般論”自体の間違いが分かって赤っ恥晒してきたのに、よくもマァ自信を持てるもんだなと。
どうやら、量質転化というか、同じ論理的ミスを犯す堅牢な思考回路が脳内に確立してしまっているようです。
天寿堂さんは玄和時代から「一般論の稲村」と小バカにされていたそうなので、もう治しようがないのでしょう。

今までは議題が医学だったので天寿堂さんも最後は渋々間違いを認めてたんですが、歴史の話となると解釈の余地もありますんで・・・。
手の施しようがありませんね。

Pass

[2430]
愚按亭主 - 2016年12月04日 (日) 09時19分

>tadaさんへ

 tadaさんの立場からするならそう思われるのも無理はないと思います。だから、一旦立場を離れて自由になることをお勧めしたのです。そうすれば見える景色が変わってくるからです。また、それは概念論の弁証法の三項の論理学の実践ともなるのですが・・・・。有論・本質論の相対的真理レベルの学的方法と、絶対的真理の概念論レベルの学的方法とは、前者が事実を起点とし、後者が概念を起点とするというように正反対のものとなります。そこのところが分からない南郷先生は、へーゲルには体系がない、最初に概念レベルの大論理学をてがけたのが間違いの元だと批判しましたが、それは南郷先生の方がヘーゲルの学的方法を誤解したのです。その結果として、未だに学的体系を完成させられないでいるのです。

 しかたがないので、ではtadaさんの「学問的理論法則」にもとづく大東亜戦争の「学的普遍性」とはいかなるものでしょうか?お聞かせ願えれば幸いです。

>私自身は過去にヘーゲルが云々〜ということを述べた記憶が殆ど無いのですが、「いつも」というからには幾つか具体例を挙げてみて下さい。

 たしかにおっしゃる通りです。しかし、頭の良いタマゴさんのことですから、事実レベルではなく論理レベルでこれは、いつも自分がやっている手法のことだなと気づいているはずです。それを分かったうえで、事実レベルで違うからそこをついていこうということになったのです。言葉足らずでしたが、私の言わんとしてことは、過去に吉田先生や南郷先生、キャノンなどの権威を持ち出してその権威に私の主張を否定させるというやり方のことをいったのです。しかし、その実態はタマゴさんの意見にすぎないものでしかありません。そういうやり方をいったのです。

>と述べる天寿堂さんですが、一方で石原莞爾の構想を「珠玉の理論」と大絶賛しています。しかるに、石原は日蓮主義の宗教的信条から白人絶滅を唱えていたのであり、絶対真理の完成者であるからヘーゲルは白人ではない、などという考えはありません。天寿堂さん1人が勝手に言っているだけです。

 私は、石原をヘーゲルとレベルだなどと言った覚えはありませんし、ヘーゲルが白人でないなどと言ってはおりません。人種的特殊性を超越して人類一般レベルに昇華して学問を完成させたと述べたのです。石原の思想についても宗教としての限界は当然のことあったでしょう。しかし、当時の白人のしていたことを考えると、白人を打倒すべき敵と捉え、とりわけアメリカを最大の敵と捕らえたことは、相対的真理レベルで正当だと言えるという意味で評価したのです。

>そうではなく、“何度も”というのであれば、具体的に複数例挙げて下さい。挙げらないのであれば、天寿堂さんがデタラメを言ったということです。

 何度も挙げていると言ったのは事実です。それはこれまでの議論を丹念に見返してもらえば一目瞭然です。タマゴさんの挙げた反証的事実をことごとく反証にならないことを論証し、最後はタマゴさんからの反論が出なくなったものばかりです。それを、分かりやすいようにピックアップしてまとめてみたところ、コピペばかりの文章など見る気がしないと見なかったのは、タマゴさんの責任です。にもかかわらず、あるなら挙げてみろとは・・・・。

>その“なぜなら”が事実でないことについては、関東軍の最高幹部であった佐々木到一中将の記録を示しておいたではありませんか。

 それについても、その反証的事実に提示に対しても、むしろ反照にはならす、当時の最高幹部が大義名分について真剣に考えていたことを示す事実にしかならないと反論したはずです。その部分は以下の通りです。

「タマゴさんが示してくれた資料は、五族協和やアジア解放のスローガンがたんなる建前でなく、真剣に目指されていたことを物語るものではありませんか。そうでなければ、このような率直な報告は出てこないと思います。

 実際のところ、当時の民度の低い朝鮮人や支那人相手に(現在もそのままですが)五族協和を実現することは、実際のところ、言うは易しで容易なことではありません。上手くいかないのは、むしろ当然のことなのです。しかし、当時のような状況において、日本の生きる道として、それが真剣に追求されたことが重要なのです。充分に歴史的意義のあることだと思います。そして、そういう問題を抱えながらも、満州国は、平和で秩序の保たれた良いところだと多くの人々が入ってきたのは事実なのです。白人至上主義の人種差別的な植民地主義が当たり前であった時代に、そういうことを追求した国はまだありませんでした。そここそが、とても重要なことなのです。」

Pass

[2431] つづきです
愚按亭主 - 2016年12月04日 (日) 09時46分

>ソ連はドイツと戦うのに精いっぱいで日本の方に力を割く余裕などありませんでした。

 これについては、事実的にはともかくも、ソ連が東方に力を注ぐ余裕などなかったことはたしかで、だから西安事件を起こして国民党に日本と戦うようにけしかけました。しかし、日本の側はたしかに石原以外はタマゴさんのいうようにソ連の方を警戒する人が多かったようですね。それだけに石原の慧眼が光ります。

>私はこのようなことは述べておりません。

 事実レベルにこだわるタマゴさんには納得できないでしょうが、「大東亜戦争の主導者(軍や財閥など)は、自らの生々しい動機で戦争に突き進み、それを正当化するために亜細亜解放という大義名分を掲げたのです。」ということはそういうことではありませんか?

>私は「大東亜戦争はアジア解放戦争だった」という天寿堂さんの主張を否定したのです。

 これもタマゴさんの誤解です。私が言ったタマゴさんの思い込みというのは、戦争の指導者たちは大義名分は正当化のためでしかないという思い込みのことを言ったので、石原という指導者は、その大義名分を真剣に考えていた事例になるということを申し上げたのです。

Pass

[2432]
タマゴ - 2016年12月04日 (日) 10時20分

忙しいので二回に分けて返答します。

>過去に吉田先生や南郷先生、キャノンなどの権威を持ち出してその権威に私の主張を否定させるというやり方のことをいったのです。しかし、その実態はタマゴさんの意見にすぎないものでしかありません。そういうやり方をいったのです。

吉田先生や師範と直接の接点も無くどのような主張をされていたか知らない私が、どうやって御二人の権威を利用できるのですか。
もし仮に私がそうしたとして、直接の弟子である天寿堂さんが否定したら御仕舞いですから、そんな間の抜けたことはしません。
私は師範の本も通して読んだことは無いですしね。
キャノンに関しては、天寿堂さんが「交感神経だけが生体を統括している」
という自身の一般論モドキの論拠にしていたので、実際にキャノンの著書で確認したところ、交感神経を除去した猫が健康に生存したという全く逆の実験結果とキャノンの見解が掲載されていた。
だから天寿堂さんのキャノンの引用の仕方が間違っていると指摘したのです。
これの何処が“権威の利用”なんですか?

> 何度も挙げていると言ったのは事実です。それはこれまでの議論を丹念に見返してもらえば一目瞭然です。タマゴさんの挙げた反証的事実をことごとく反証にならないことを論証し、最後はタマゴさんからの反論が出なくなったものばかりです。

丹念に見返してみたけれども何処にも無いから訊いているのですよ。
天寿堂さんは無いものをあると言い張っているだけなのです。
天寿堂さんの書き込みに全て返答しているわけではありませんが、それはワザワザ時間を割いて答えるのがバカみたいな些末な内容だと判断したからスルーしたまでのことです。

Pass

[2433]
タマゴ - 2016年12月04日 (日) 11時34分

>その反証的事実に提示に対しても、むしろ反照にはならす、当時の最高幹部が大義名分について真剣に考えていたことを示す事実にしかならないと反論したはずです。

佐々木は知名度がそれほど高くないので、石原や板垣についてすらろくすっぽ知識のない天寿堂さんが知らなくてもマァ無理はないでしょうがね。
佐々木は大変な中国通で、帝国陸軍でも異端の存在だったのです。
孫文に請われて革命軍の軍事顧問を引き受け、その縁で蒋介石ほか国民党領袖のほとんどと親しくなり、国民党の革命にも理解をよく理解を示していました。
このような人物は他にいません。
一般と特殊の関係で言えば、明らかに特殊の方に属する人物です。
佐々木1人が真剣に五族協和を祈念していてからといって、それを一般であるかのように語るのは、天寿堂さんの無知が成せる業です。
だから真面目に歴史を勉強してくれと言っているんですよ。

佐々木の手記を再掲しておきます。

『満州統治ノ深憂(続々篇)』
「民族協和が満州国の原理であるとすれば、建国に参加する各民族が国家の構成分子であることを自覚しなければならないのに、大多数の日本人はこの自覚が足りない。日本人は日満間の条約によって保障された恵まれた立場と、先進国・指導国としての優越感をもって臨んでいる。要するに、満州国を植民地視する誤った観念から脱却していないのである。それは日系官吏だけに限らない。日本人全部がそうである。満州国人に対する優越感、干渉癖、横車、理由のない凌辱、根拠のない嫌疑などに、それが現れている。」

『対満州国政治指導に関する所感』
「(満州国は)建国以来5年を経て、国内の利権の大部分が日本人に掌握され、表面上は独立国家でありながら、満州国は急速に植民地化しつつある。この現状に目を向けずに独立国家という建て前を言っても、それは自己欺瞞にほかならない。民族協和も所詮、民族闘争をたくみに緩和する以外の何ものでもない。こんな重大問題を軽々しく放言すべきではないが、満州国は独立国になり得ないし、日本人も満州国人にはなり切れないのが現実である。」

これが“一般”ですよ。
ですから、

>タマゴさんが示してくれた資料は、五族協和やアジア解放のスローガンがたんなる建前でなく、真剣に目指されていたことを物語るものではありませんか。そうでなければ、このような率直な報告は出てこないと思います。

というのは、恐ろしく斜に構えた歪んだ見方だということです。
なぜ資料を歪めて見てしまうのかといえば、天寿堂さんにはインチキな一般論モドキを創りその色眼鏡を通して物を見ようとする悪癖があるからです。
その悪癖のために、今まで散々赤っ恥を晒してきたというのに、未だ懲りない。

Pass

[2434]
タマゴ - 2016年12月04日 (日) 12時03分

>これもタマゴさんの誤解です。私が言ったタマゴさんの思い込みというのは、戦争の指導者たちは大義名分は正当化のためでしかないという思い込みのことを言ったので、石原という指導者は、その大義名分を真剣に考えていた事例になるということを申し上げたのです。

誤解ではなく天寿堂さんお得意の詭弁です。
元々は大東亜戦争がアジア解放戦争か否かの議論であったのに、天寿堂さんが話をすり替えたのです。
しかし、ここは天寿堂さんの話に乗ってあげましょう。

確かに、石原は国柱会に心酔し本気で世界最終戦と法華経世界の建設を夢想していました。
「日蓮聖人の予言によれば本化上行は
二編出てくるのです。一回は僧となって正法を広める。一回は賢王としてお現れになって世界を統一される……」(世界最終戦論)
本化上行とは、この世が乱れた時に釈尊が使わすとされている救世主のことです。
賢王というのは天皇のことです。

このように、石原の構想は全て日蓮上人の思想・予言に基づいているのです。
石原の構想が天寿堂さんが大絶賛するように「珠玉の論理」であったとするならば、それは石原の宗教観(国柱会の教義)、更にはそのルーツである日蓮上人の思想・予言が優れていたから、ということになります。
宗教を否定的に捉える天寿堂さんが石原の宗教的信条を大絶賛するというのは、なんとも興味深い(滑稽な)話です。

Pass

[2435]
tada - 2016年12月04日 (月) 23時42分

 大東亜戦争を学的普遍性・政治学でどう見るか?ということですが 2391文で述べたように 戦国時代の群雄割拠状態こそが国際政治の本質なのです。国家は自国民の為に 最善を尽くす。自国民を守るために まずあるわけです。だから 本質的には アメリカも日本も中国もどちらか一方を正義・不正義と断罪はできないわけです。陸軍は永田鉄山 中国北支の植民地化 海軍は山本五十六ハワイ作戦 この二人の思想・計画が大東亜戦争の本質です。
 大東亜戦争は後発帝国主義国家である日本が極東においての軍事的優位・安全を得るため 後発帝国主義国家ソ連を意識しながら 朝鮮・台湾・満州と緩衝地帯を築き 先発帝国主義国家アメリカと経済的に同等となるために 中国の資源を利用する目的で侵略を断行したものです。その際 陸軍の中心化を恐れた海軍は陸軍の長期的展望を断念させるため ハワイ作戦を採用し アメリカとの短期的決戦へと進んだわけです。陸軍は資源確保を目的に東南アジアへの本格的な侵略を断行。そのときの大義名分がアジア植民地解放だったわけですね。
 アジア植民地解放で注目してみる点は 戦後の共産主義運動の需要です。中国をみても 日本軍の武力解除後、日本のアジア解放思想は雲散霧消しているわけです。権力あっての大義名分なのです。日本の解放思想には 当時の共産主義が持っていたような科学的普遍性が欠落しているので 軍政が長期化した場合 その天皇制イデオロギーを押しつけることで 逆にナショナリズムを刺激し、日本軍に対して 反乱を起こす可能性が考えられます。時代の流れも加味すれば 英国ではコスト的に植民地経営は成り立たないことも判明していましたので 日本軍がなくとも 独立できた可能性は大です。思想的にみてどうか?大義名分とは他国に対するよりは自国民に対しての宣伝が主なので 自国民にとっては錦の御旗に十分なります。ただし 自国民に対して政治的責任は発生しますので 負けた場合は 相当の処罰を受けることになります。他国民 ビルマ・インドネシア・インドにおいて 日本に好意的なアジア植民地解放思想の需要があったことは認めます。しかし戦後大きく広がったとは言えず 先のソ連中共による影響のほうが大きいのです。戦争の記憶(フィリピンや沖縄のように激戦地になったところはやはり反米感情が強いです)と資本主義に反感をもつために 反米感情のほうが大きくなったこと。それと同じく 日本は戦後経済復活していくなか 大戦の記憶と他国経済政治の不安定さが 反日感情へ結びつけられたほうが大であったのです。その後 資本主義の豊かさに気付いた国々が日本とアメリカを再評価していくのです。ケ小平に代表される中国もそのことに気づき路線を変更した国のひとつです。(ケ小平は明治維新を研究していたと言われています)
 天寿堂さんもアメリカ国家の研究をなされてはどうですか? 

Pass

[2436]
愚按亭主 - 2016年12月05日 (月) 10時39分

>tadaさん

 なるほど、これが政治学・国家学的にみた大東亜戦争とは何か、というわけですね。これは滝村先生の見解ですか?それともそれをベースにしたtadaさんの独創のものですか?これを読ませてもらっての率直な感想ですが、これはやはり即自的悟性レベルで、学的な本質に到達するためには、対自的否定的弁証法的理性による否定的媒介が必須だなと感じました。つまり、何度も言うように、人類史の本流の流れという観点が、必要だということです。

 たとえば、ドイツは日独防共協定を結びながら、或いは結ぼうとしながら、蒋介石に日本を攻撃して日本を中国との戦争に引っ張り込むように進言するというような、矛盾した行動に出ています。それはどうしてかを、この「学的普遍性では解けないからです。

>吉田先生や師範と直接の接点も無くどのような主張をされていたか知らない私が、どうやって御二人の権威を利用できるのですか。

 そういっていることは事実ですの。ですから、知らないのに先生たちは迷惑しているだろうとか、言うこと自体が私が権威と感じている人を利用しることではありませんか?

 キャノンに関しては、キャノンはもう一つの実験をして私の主張していることを明確に浮き彫りにしているのに、その実験には触れようとせずに、その一部だけ取り出して批判するというのは、キャノンの意にも反しますし、悪意のある権威の利用に他なりません。このことについては、何度も指摘しているところです。

>丹念に見返してみたけれども何処にも無いから訊いているのですよ。

 見れども見えずでは仕方ないですね。些末な問題どころか反証のつもりで出した事実が反証になっていないということですから、核心的な問題です。しかし、タマゴさんに分からずとも客観的に見ることのできる読者の方には分かってもらえるでしょうから、結構です。

>恐ろしく斜に構えた歪んだ見方だということです。なぜ資料を歪めて見てしまうのかといえば、天寿堂さんにはインチキな一般論モドキを創りその色眼鏡を通して物を見ようとする悪癖があるからです。

 そうでしょうか。問題はこの報告された事実をどうみるか?ということだと思います。きれいごとを言っても実態はこんなもんだと、タマゴさんは言いたいようですが、「建国以来5年を経て、国内の利権の大部分が日本人に掌握され、表面上は独立国家でありながら、満州国は急速に植民地化しつつある。」という報告があるということは、初めはそうではなかったということです。結果としてそうなっていったのは何故か?なぜ日本人が優越感を持って行ったのか等々が検討されなければなりませんが、そういう検討はありません。この事実の示していることは、日本の抱えた大義名分がそう簡単なものではないということです。

 しかし、今と違って当時は人種差別が当たり前の時代でした。しかも外国との付き合い方もまだ経験の浅い日本人が、民度の低い外国の者たちとの付き合いで、どう変化していったのかも考慮しなければなりません。そういう検討もなしに、日本も他の帝国主義ことと同じだと断定できるでしょうか。それでも大きく違う点があったはずです。どうしてそれを見ようとしないのか?と思います。

>元々は大東亜戦争がアジア解放戦争か否かの議論であったのに、天寿堂さんが話をすり替えたのです。

 それは違います。私はタマゴさんの記述に対して反論しただけです。それに、戦争指導者は侵略を正当化するために大義名分を掲げたに過ぎない例として挙げた石原の主張は、それ自体が、大義名分を真剣に考えていた指導者がいたという事例になると反論すると、石原や佐々木は異端の特殊な事例で一般的ではないと逃げる始末です。いたのは事実ですし、いないとするタマゴさんの主張が覆されたことはいなまないのに、それを潔く認めようとしないのは、見苦しくありませんか?

>石原の構想が天寿堂さんが大絶賛するように「珠玉の論理」であったとするならば、それは石原の宗教観(国柱会の教義)、更にはそのルーツである日蓮上人の思想・予言が優れていたから、ということになります。宗教を否定的に捉える天寿堂さんが石原の宗教的信条を大絶賛するというのは、なんとも興味深い(滑稽な)話です。

 私は人類史における宗教の一定の役割は認めています。学問も初めは宗教と一体・未分化の形で発展しています。明治維新後に西洋の文化が怒涛の如く流入して日本人も西洋の学問を吸収し自分の者にしていくのですが、その西洋の学問自体が学問の冠石を排除してキリスト教に牛耳られている状態でしたので、やむを得ない面がありました。何しろ本物がなかったのですから、あっても本物と認められ、本物としての権威・権力を持っていなかったのですから。しかし、ともかくも日本にその本物が流入していたことは、たいへん良かったことだと思います。



Pass

[2437]
タマゴ - 2016年12月05日 (月) 12時26分

>そういっていることは事実ですの。

「そういっている」の「そう」が何を指すのかわかりません。
これまでに、話の流れの中で吉田先生や師範の御名前を出したことはありますが、それで自説を権威付けたことはないですよ。
あるというなら、具体例を幾つか挙げて下さいと言っているのです。

>キャノンに関しては、キャノンはもう一つの実験をして私の主張していることを明確に浮き彫りにしているのに、その実験には触れようとせずに、その一部だけ取り出して批判するというのは、キャノンの意にも反しますし、悪意のある権威の利用に他なりません。

「もう一つの実験」というのが具体的に何を指すのか、それ以前にそもそもそんな実験が存在するのか、不明です。
「私の主張していること」
というのは、
「交感神経だけが生体の機能を一元的に統括している」
ということなのでしょうが、キャノンは交感神経を除去した猫を数年間健康な状態で飼育し、
「交感神経は生命に不可欠のものではないと結論するに至ったのである。」(「からだの知恵」W・B・キャノン)
と明確に述べていますので、反証としてはこれで十分です。
キャノンの結論とは真逆の内容をキャノンの権威を利用して主張しようというのですから、天寿堂さんのしていることこそが“悪意のある権威の利用”に他なりません。

>些末な問題どころか反証のつもりで出した事実が反証になっていないということですから、核心的な問題です。

天寿堂さんにとって些末でない核心的な問題を私がスルーしたというのであれば、返答しますから、具体的に何を指すのか示して下さい。
示すことができないのは、実際には核心的ではないか、そもそもそんな問題自体が存在しないということです。

忙しいので続きは後で書き込みます。

Pass

[2438]
タマゴ - 2016年12月05日 (月) 14時33分

>日本も他の帝国主義ことと同じだと断定できるでしょうか。それでも大きく違う点があったはずです。どうしてそれを見ようとしないのか?と思います。

私は「日本も他の帝国主義国と同じ」などとは述べておりません。
それに、今ここで問題としているのは「日本も他の帝国主義国と同じ」かどうかではなく、当時の満州の実態が「五族協和・王道楽土」の大義名分に値するかどうかです。

>戦争指導者は侵略を正当化するために大義名分を掲げたに過ぎない例として挙げた石原の主張は、それ自体が、大義名分を真剣に考えていた指導者がいたという事例になると反論すると、石原や佐々木は異端の特殊な事例で一般的ではないと逃げる始末です。

また天寿堂さんお得意の藁人形法。
私は「戦争指導者は侵略を正当化するために大義名分を掲げたに過ぎない例として」石原の主張を挙げてはおりません。
繰り返しますが、私は
「大東亜戦争はアジア解放戦争だ」
という天寿堂さんの思い込みを
「それは戦争主導者からすれば資源確保のために掲げた建前であるというのが本質である」
と大本営の客観的資料を否定したのです。
石原は大東亜戦争を主導してはおりませんし、当然、満州の五族協和がどうこうという話も一切そこには含まれません。
こう詭弁ばかり使われては、マトモな議論になりません。
本当に、いい加減にしてくださいよ。

こう詭弁ばかり使われては、マトモな議論をする気が無いとしか思えませんよ。

>私は人類史における宗教の一定の役割は認めています。

「一定」というのがどの程度なのか明確化したらどうですか。
石原の世界最終戦論を「珠玉の論理」と大絶賛するからには、彼の日蓮主義を非常に高く評価していることになるのですがね。

Pass

[2439]
tada - 2016年12月06日 (水) 19時56分

天寿堂さんへ この分野は 若手・中堅・大御所と研究者が充実していますので 滝村先生の手を借りずとも 十分に知っている対象でした。でも学的普遍性という言葉は恥ずかしいのでやめてください。そんな大袈裟なものではないです。ちょっとしたデッサンのつもりでしたから。
日独防共協定の件ですが、支那事変を含めて 私の大好物です。政治のことがよくわかる事件ですね。かえって 天寿堂さんのほうが 説明できないのではないですか?それに 2435文のような話をするとみんな永田鉄山の思想やハワイ作戦の真の意味に興味津々に盛り上がるものなんですが。天寿堂さんは得意な話題に誘導して 交差法を決めようとするのかな。

Pass

[2440] 大東亜戦争の本質とは
愚按亭主 - 2016年12月07日 (水) 07時24分

>tsdaさん
 やはりそのスケッチでは解けないようですね。「学的普遍性」という言葉は、私の本流論が「学的普遍性」ではないと批判されたので、ではその「学的普遍性」を見せてもらいましょうという流れになったのです。いいでしょう。それは撤回しましょう。

 私は交差法なる高等テクニックなど知りません。ただ、tadaさんの描いてくれたデッサンが、単なる国家論一般の適用・当てはめに過ぎず、個別科学の方法論である事実の全体像を描いてそこから事実の構造を導き出してその構造から「学的普遍性」を浮かび上がらせていったものとは程遠いと感じたからであり、これでは投げかけた問題を解くことができないだろうと感じたからに過ぎません。その意味で相対的悟性としてもとても評価できるものではありませんでした。これがもし、滝村先生の見解だとするならば、大いなる失望・幻滅を禁じ得ないな、と思ったから聞いたのです。

 さて、私の質問の意図は、自分の得意の話題に誘導するためのものではなく、それが大東亜戦争の本質を見事に現している事実だと思っているからです。ところが、tadaさんの説明ではそれを説明しようがないので聞いてみたのです。巷では日本が敗戦した戦いを、太平洋戦争ではなく満州の権益をめぐる大東亜戦争が本質であるという見方が有力ですが、私はそうは思いません。むしろ、大東亜戦争の本質は太平洋戦争にあるとさえ思っています。どういうことかと言いますと、大東亜戦争の本質は、白人植民地主義帝国による、台頭する植民地化されようとするアジアの側からの反撃を開始した日本に対して、白人植民地主義帝国の側がアジア人同士を闘わせようとした結果として起こされた戦争だったということです。そのことを象徴的に示す事実が、アメリカが日本を叩くために、英国に、白人とイエローモンキーとどっちを取るのかと迫って日英同盟を破棄させたことです。そのとき、英連邦の一員であったオーストラリアやカナダも一緒になって迫ったそうです。だから、それを見抜いていた石原の洞察力を称賛したのです。

 こういう流れやドイツ自体も個別的に青島で日本に敗れた恨みを抱いていたから、ドイツは蒋介石をけしかけて上海事変を起こさせたのです。当時欧米では日本の台頭による黄禍論が盛んに叫ばれ、日本と中国が協力し合うと厄介だという認識を共有していたようです。だから、アメリカは米西戦争の賠償金で北京に精華大学を作って米国への留学を誘導して、日本への留学熱に水をかけ、それによって親米反日的に洗脳された北京の学生たちによって5・4運動などの反日運動がおこされていったのです。蒋介石も初めは日本に留学して親日的でしたが次第にこうした働きかけによって反日になっていったのです(彼の妻の宋美齢は米国留学組です)。また、国家論的に言っても、蒋介石軍は、国の利益を第一にした国軍といえるものではありませんでした。外国の意のままに動かされ、日本軍の追走を遅らせるために堤防をわざと決壊させて自国民を何十万と殺しているからです。

 このようにアジア人同士を反目させ対立させて統治するというのが、白人植民地主義帝国において一般的に行われていたことですが、このやり方は、その地が社会として国家として発展していく道を壊すやり方であって、国家論的に見ても人類の発展という観点から見ても、これは重大問題であり、そのことが触れられていない総括はナンセンスです。何故なら、現在の世界の混乱の多くはそのために引き起こされているものが多いからです。そしてもっと注目すべきは、これに対して日本の統治は、その地が社会として国家として発展できるような統治をしていたという事実です。だから、韓国と台湾は戦後国家として他のアジア諸国に比して大きく発展できたのです。これは白人植民地主義に対する、強烈なアンチテーゼとなるものですが、そのことを正当に評価しようとするものが少ないのは嘆かわしい限りです。タマゴさんですら、日本の指導者の粗さがしばかりして、そのことの人類史における重大な意義について触れようともしません。

>自説を権威付けたことはないですよ

 先生たちの権威を利用して、私のやろうとしていることが間違っているという自説の正当性を印象づけるというテクニックを使ったではありませんか。このテクニックは、相当に技化されているようですから、おそらく自覚がないのでしょう。

>「もう一つの実験」というのが具体的に何を指すのか、それ以前にそもそもそんな実験が存在するのか、不明です。

 キャノンが行った実験は二種類あります。一つはタマゴさんが指摘した環境を一定の範囲内にコントロールしてある実験室での飼育実験で、ここでは交感神経を除去しても生き続けられたという結果を示しています。
 もう一つは、そうしたコントロールをしないで野生の状態と同様の環境の中で交感神経を除去して飼育したところ、皆死んでしまったという実験です。この二つの実験によって交感神経の役割が明確になったということです。それは、生命活動を脅かす体内外の環境の変化からいのちを守るのが交感神経の役割だということです。

>天寿堂さんにとって些末でない核心的な問題を私がスルーしたというのであれば、返答しますから、具体的に何を指すのか示して下さい。

 フィリピンの独立問題に関して、タマゴさんから様々な反証的事実が示されました。これに関して私は全て反論を行っています。問題はフィリピンの独立問題は日本とはかかわりなくアメリカとフィリピンとの間で交わされた条約であり、それを日本が戦争を仕掛けることによって遅らせることになった、と言うのがタマゴさんの主張でした。私は日本が関係ないどころかおおありで、アメリカは日本を叩くために、独立心旺盛なフィリピン人を利用するために10年後の独立を認めるという条約を交わしたのであって、それが約束通り実行されたのはアメリカに日本に勝利して目的を達成したからだ、という説明をしました。この後、タマゴさんからのコメントがなかった、ということです。タマゴさんからすれば些細なことかもしれませんが、それに対してタマゴさんがどう思ったのか知りたかったのです。

>今ここで問題としているのは「日本も他の帝国主義国と同じ」かどうかではなく、当時の満州の実態が「五族協和・王道楽土」の大義名分に値するかどうかです。

 これが、私とタマゴさんとの姿勢の根本的な違いを見事に現している問題ですね。人類の本流の流れが見えないタマゴさんは、欧米の日本悪説の流れに乗って、謙虚に日本が侵略したという事実を言葉的に探し出して反省するのが真摯な態度だと思っているようです。しかし、それでは真相は見えてきません。他の帝国主義諸国と日本の帝国主義との質の違いという対比でみなければ、正しく評価できないのです。タマゴさんは日本人なのにどうしてそこを見ようとしないのか?日本の帝国主義は、欧米の白人植民地主義の帝国主義に対抗するための帝国主義なのです。資源確保もそのための資源確保なのです。他の帝国主義国のそれと一緒にしてはいけないのです。そのことを何よりしめしているのが「五族協和・王道楽土」です。こんなこと他の帝国主義国は掲げておりません。ですから、掲げること自体がすでに違うことを示しているのです。それが実際には思うようにいかなかったとしてもです。ところが、タマゴさんもtadaさんも他の帝国主義国と同じだと思っているから、それを評価することができないのです。石原の洞察力も評価できず宗教だから駄目だと否定していしまうのです。

>「一定」というのがどの程度なのか明確化したらどうですか。

 それはすでに述べてあります。人類が本物の主体性を確立して自立するまでの乳母的存在だということです。ですから、日本に本物の学問の冠石が定着してそれが導いていくようになるまでは、宗教にも一定の存在の余地があるということですが、本当はすでにその役割を終えて自ら歴史の舞台から退くべきですが、それが大きな顔をして人間を縛り付けている事態はとても有害だと思っております。

Pass

[2441]
タマゴ - 2016年12月07日 (水) 14時23分

>先生たちの権威を利用して、私のやろうとしていることが間違っているという自説の正当性を印象づけるというテクニックを使ったではありませんか。

そうではなく、もし本当に私が吉田先生や師範の権威の利用をしているのであれば、具体例を幾つか挙げて下さいと言っているのですよ。
私は吉田先生の治療法を知りませんし、師範に関しては評価すらしていません。

>コントロールをしないで野生の状態と同様の環境の中で交感神経を除去して飼育したところ、皆死んでしまったという実験です。この二つの実験によって交感神経の役割が明確になったということです。それは、生命活動を脅かす体内外の環境の変化からいのちを守るのが交感神経の役割だということです。

天寿堂さんが
「交感神経だけが一括して生体機能を統括している」
という見解から、そのような見解に変わったというのであれば、特に異論はありません。

>フィリピンの独立問題に関して、タマゴさんから様々な反証的事実が示されました。これに関して私は全て反論を行っています。

私は、その反論とやらが記憶に残っていないのですが、おそらく取るに足らない詭弁か何かで、天寿堂さんだけが反論した“つもり”になっているだけなのではないかと思いますね。
それはともかく、

>問題はフィリピンの独立問題は日本とはかかわりなくアメリカとフィリピンとの間で交わされた条約であり、それを日本が戦争を仕掛けることによって遅らせることになった、と言うのがタマゴさんの主張でした。私は日本が関係ないどころかおおありで、アメリカは日本を叩くために、独立心旺盛なフィリピン人を利用するために10年後の独立を認めるという条約を交わしたのであって、それが約束通り実行されたのはアメリカに日本に勝利して目的を達成したからだ、という説明をしました。この後、タマゴさんからのコメントがなかった、ということです。タマゴさんからすれば些細なことかもしれませんが、それに対してタマゴさんがどう思ったのか知りたかったのです。

これに関しては明確に答えているではありませんか。
対米戦開戦よりも遥か以前、1800年代中頃からフィリピン人自身によってスペイン・アメリカに対する激しい独立闘争が行われていたことを詳述し、その事実を最重視すべきであり、自ら勇敢にアメリカと戦ったフィリピン人の尊厳を汚すべきでない、と述べたはずです。

>タマゴさんは、欧米の日本悪説の流れに乗って、謙虚に日本が侵略したという事実を言葉的に探し出して反省するのが真摯な態度だと思っているようです。

私はこのようなことは思っていません。
天寿堂さんは詭弁だろうとなんだろうと、相手をやり込めさえすればいいと考えているのですかね?
残念ながら、そのようなことをすればするほど、いかに天寿堂さんが尤もらしくインチキな弁舌を弄しているかがますます露になるだけです。

>タマゴさんは日本人なのにどうしてそこを見ようとしないのか?

これはどういう意味ですか?
日本人なら日本をもっと擁護すべきということですかね?

>日本の帝国主義は、欧米の白人植民地主義の帝国主義に対抗するための帝国主義なのです。資源確保もそのための資源確保なのです。他の帝国主義国のそれと一緒にしてはいけないのです。

これについてはtadaさんが述べているのでいいとして、

>そのことを何よりしめしているのが「五族協和・王道楽土」です。こんなこと他の帝国主義国は掲げておりません。ですから、掲げること自体がすでに違うことを示しているのです。それが実際には思うようにいかなかったとしてもです。ところが、タマゴさんもtadaさんも他の帝国主義国と同じだと思っているから、それを評価することができないのです。石原の洞察力も評価できず宗教だから駄目だと否定していしまうのです。

>人類が本物の主体性を確立して自立するまでの乳母的存在だということです。ですから、日本に本物の学問の冠石が定着してそれが導いていくようになるまでは、宗教にも一定の存在の余地があるということですが、本当はすでにその役割を終えて自ら歴史の舞台から退くべきですが、それが大きな顔をして人間を縛り付けている事態はとても有害だと思っております。

どうやら天寿堂さんは石原莞爾に恋をしてしまったようです。
ただ、熱狂的なアイドルおたくのように、恋い焦がれる相手のことを大して分かっていない。
石原の目標とは、天皇中心(日本中心ではない)の法華経世界を構築することであり、アメリカを打倒し白人を絶滅させるとかいうのは手段或いは過程にすぎません。
また、石原の思想の背景には全て日蓮上人の予言が存在しています。
ですから、石原の思想を高く評価することは、日蓮上人の神通力を高く評価していることになるんですよ。

天寿堂さんの思い込みは、人類の本流でもなんでもなく、ヘーゲルの名を借りた独り善がりな詭弁の体系に過ぎません。
ヘーゲルが白人を絶滅させろなどと狂ったことを言うかどうか考えてみたら宜しい。

Pass

[2442]
tada - 2016年12月07日 (木) 23時51分

 天寿堂さん そんな問題簡単ですと ここに書いてもおそらく2440文が来るだろうと予測していましたので 無駄なことかと思い、時間もないので書かなかっただけです。そのあたりの研究は本当に大好きなんですよ。好きだから ここに書いて けがしたくない気もあります。すいません。
 第二次世界大戦の研究は膨大にありますので 名だたる専門家を差し置いて 彼らの研究を紹介しているだけのことを 学的普遍性などと大言壮語はとてもとても天寿堂さんのようには 恥ずかしくて言えませんということです。専門家たちに敬意を持っているからです。
 どんな研究にも長所・短所があります。長所があれば 継承し 短所があれば それを叩き台にすればいいだけと思っています。天寿堂さんの文は叩き台にすらならない代物です。どうしたんですか?本当に学的本流などとその内容を信じているのですか?滝村先生がいれば 完全無視されるだけですよ。歯牙にもかけないはずです。文学ですら 何か光るものはあるのに この内容には魅力的のこともないのです。天寿堂さんのお弟子さんの方々もこんなホラ話を信じているのですか?ちょっと信じられないですね。
 私たちは事実の特殊性から出発しているので 一般性になるほど説明不足感がでてくるのは当然なのです。一般性から演繹しようとする天寿堂方式では理解不能なのは当たり前です。その一般性の背景には整理せれた研究成果があるんですよ。一般論で語るときは いつも念頭に事実の特殊性があるのです。それでなくては科学とは言えない。だから 私のデッサンでもわかる人にはわかるのです。 天寿堂さんは「人種差別」をキーワードにして それだけで第二次世界大戦を語ろうとしているだけです。 

Pass

[2443] お答えします
愚按亭主 - 2016年12月08日 (木) 09時49分

>私は吉田先生の治療法を知りませんし、師範に関しては評価すらしていません。

 だとしたらなおさらのこと、生命史観について私の理解及び発展させた面について南郷先生や瀬江先生があきれるとか否定的な表現をもちいるべきではなかったのではありませんか。吉田先生や野中先生についても、私がそれを受け継いで独自に発展させようとしていることについて、先生たちが知ったらどう思うか、草葉の陰で悲しんでいらっしゃる(正確ではないと思いますがそのような類の表現)という話を持ち出すのですか?こういう話を持ち出せる人は先生方をよく知っているからこそ出s切ると思うのですが・・・。

>これに関しては明確に答えているではありませんか。対米戦開戦よりも遥か以前、1800年代中頃からフィリピン人自身によってスペイン・アメリカに対する激しい独立闘争が行われていたことを詳述し、その事実を最重視すべきであり、自ら勇敢にアメリカと戦ったフィリピン人の尊厳を汚すべきでない、と述べたはずです。

 確かにおっしゃる通りです。これに関しては、そういう視点が抜けていたことを素直に認め、それを取り入れた結果、フィリピン人自身の独立心の強さと、日本をどうしても叩かなければならないそのためにはどうしてもフィリピン人を協力させなければならないというアメリカの必要性が、10年後に独立させるという条約を生み出した。という真相に迫ることができたのです。これは討論の成果です。そんなの当たり前だというのでしたら、最初からそう説明すべきでした。

>私はこのようなことは思っていません。天寿堂さんは詭弁だろうとなんだろうと、相手をやり込めさえすればいいと考えているのですかね?残念ながら、そのようなことをすればするほど、いかに天寿堂さんが尤もらしくインチキな弁舌を弄しているかがますます露になるだけです。

 私がそのように思っていないことは、直上のコメントで明らかであると思います。討論によって自分の説がますます肉付けされて厚みを増していることがうれしいのです。これに対して、タマゴさんこそ自分の出した反証があまり聞かないとみると無視してスルーしていることから明らかなように、討論によって認識が発展していくことにはあまり興味がないようですね。相手さえやり込めればそれでよいという感じです。ですから詭弁詭弁を連発するのでしょう。

>これはどういう意味ですか?日本人なら日本をもっと擁護すべきということですかね?

 白人の図体のでかい傲慢な連中が最新の武器を持ってアジア人をいじめている中で、日本が敢然と立ちあがって戦いを挑み孤軍奮闘の結果、やられっぱなしだったアジア人が覚醒し、白人の傲慢の鼻をへし折ったものの、残念ながら多くの犠牲を出して敗れてしまった。しかし、このことは人類の歴史を大きく前進させることになりました。このことを正当に評価しないで、日本人がアジアを解放したなどおこがましいと、日本も増長して白人の真似をして侵略し植民地化して資源を強奪するという悪いことをしたことばかりを反省しようとするのはおかしいと言っているのです。

 当時の厳しい状況の中で、必死に日本を守ろうとして戦った先人たちのなしたことを正当に評価するのが日本人の務めだと言いたいのです。それをそういう状況とはかかわりなしに、悪かった点ばかりをあら捜しするのは、日本悪説を盛んに流布した欧米の意図に乗るのと同じで、日本人がなすべきことではない、と言っているのです。これは擁護するということではなく、正当に評価すべしと言っているのです。どこがまずかったのかなどは二の次でよいのです。日本なく説が蔓延して、日本人の多くが日本が悪かったと思っている状況の中で、必要なことは先人のなしたことの偉大さ、日本が本流であることの自覚を皆が持つことこそが重要なことです。とりわけ今のような別の意味で厳しい状況に置かれている日本にとって、それが最も重要なことだと言っているのです。

>天寿堂さんの思い込みは、人類の本流でもなんでもなく、ヘーゲルの名を借りた独り善がりな詭弁の体系に過ぎません。

 宗教は、相対的真理の絶対化です。相対的真理とはある条件下では正しいということで、その範囲を逸脱すると誤謬に転嫁するのですが、それを絶対化するというのは、神の権威を持ってその条件を無視して誤謬を正しいと強引にこじつけてしまう点にあります。このような宗教の特性は十分に承知しております。したがって、石原が述べたとしてタマゴさんが引用した部分につて、相対的真理として正しいと評価したまでです。それを強引に宗教を認めてしまうことになるというのは、宗教的なタマゴさんの発想のたまもので、私とは関係がありません。

 「独り善がりな詭弁の体系に過ぎません」というのは誰でもできます。しかし、そう断定するにはそう断定する根拠をしまさなければ、それこそ一人ヨガ入りの思い込みに過ぎません。

>tadaさん

 タマゴさんが「これについてはtadaさんが述べているのでいいとして]と議論を期待しているのに「天寿堂さんの文は叩き台にすらならない代物」なら簡単に叩き潰せばよいではありませんか?タマゴさんもそれを期待しているはずです。「そのあたりの研究は本当に大好きなんですよ。好きだから ここに書いて けがしたくない気もあります。すいません。」というのは逃げ口上にしか聞こえません。汚さないように格調高く論陣を張って叩き潰してください。


 


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[2444]
タマゴ - 2016年12月08日 (木) 10時18分

天寿堂さんが全面的に依拠している高山正之がどのように評価されているかについて、簡単に調べてみましたが・・・
右派の中ですら評価がマチマチという感じですね。
評価する意見としては、単純に読み物として面白いというのが多い。
一方で、歴史を語る際に出典を殆ど記さないのでどこまでが事実なのか分からない、先入観(バイアス)が強すぎる、という意見もかなり多い。
いずれにしても、高山の本は娯楽として読むべき本で、学問的に信頼するに足らない、というのが世間一般の評価のようです。
私も同意見ですね。

“学問”だの“学的〜”だの掲げながら「ゴルゴ13にこう書いてあった」などと得意顔で言ったら、いくらゴルゴが綿密な取材に基づいて描かれているとしても、狂人扱いされるのはさすがに天寿堂さんでも分かるかと思います。

おそらく、天寿堂さんがアメリカ白人のヘーゲル研究家であったとしたら、“人類の本流は日本精神で云々〜”なんてことは言わない。
しかし、本当に“人類の本流”“歴史の本流”の本質を突いた研究であるなら、研究家がナニ人であるかは関係なく、同じ結論を出すはず。
そういう複眼的な視点から、自身の主張を省みるべきだと思います。

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[2445]
タマゴ - 2016年12月08日 (木) 11時15分

>南郷先生や瀬江先生があきれるとか否定的な表現をもちいるべきではなかったのではありませんか。吉田先生や野中先生についても、私がそれを受け継いで独自に発展させようとしていることについて、先生たちが知ったらどう思うか、草葉の陰で悲しんでいらっしゃる(正確ではないと思いますがそのような類の表現)という話を持ち出すのですか?

繰り返しますが、話の流れの中で諸先生方の名前に触れた記憶はありますが、それでもって、天寿堂さんがヘーゲルを持ち出すような要領で自説を不当に権威付けたことは一度もありません。

>という真相に迫ることができたのです。

真相ではなく、天寿堂さんの推測にすぎません。

>討論によって自分の説がますます肉付けされて厚みを増している

されていません。
天寿堂さんが詭弁ばかりを用いてまともな議論を避け続けているからです。

>詭弁詭弁を連発するのでしょう。

こちらは真面目に議論したいのに、天寿堂さんが詭弁を連発するから、何度も何度も指摘せざるを得ないのです。
どうも天寿堂さんは、無自覚的に詭弁を弄する悪癖があるようなので、それが修正されるように、天寿堂さんが用いている詭弁のタイプまでわざわざ指摘しているのですよ。

続きは後で書きます。

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[2446]
tada - 2016年12月09日 (金) 00時33分

 天寿堂さんの書かれた文章は 科学ではない。文学ではあるが かなり政治的偏見が強い・ナショナリズムを鼓舞する内容つまりアジテーションであると思っています。だから 議論の叩き台にもならないと言うのです。実証的な歴史事実をことごとく否定する。すべて人種差別で説明しようとする。ヘーゲルの「教養」つまり共通認識がありませんね。タマゴさんとの対論と同じです。私が仮に 満州国から北支切り取りへの移行論を述べたとしても従来の帝国主義論ですね。本流ではありません。それで終わりですから。ハワイ作戦は対米戦を海軍の国内政治目的に使用する意味があった。米国はギリギリまで和平を望んでいたと書いても 本流には関係ない相対的真理です。期待はずれです。でしまいなのですから。結局平行線になるしかない。天寿学ではなく天寿教なのです。宗教的信念なのです。そんなに日本人のした痛恨の失敗を美談にしていいのですか?天寿堂さんには期待していたんですよ。困難だけれど平成のヘーゲルになれるようにがんばってと。これじゃ平成の石原莞爾でしょう。予言者の仲間入りですよ。 

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[2447] adaさんの誤解
愚按亭主 - 2016年12月09日 (金) 09時18分

>tadaさん
 私の本流論は、ヘーゲルの論理性を展開したもので、たたき台にすべきものではなく、事実から導き出した論理が全体像として完成させた即自的悟性を対自的に否定的媒介するものなのです。つまり、部分的真理をいくら総合し一般化してみ見えてこないものが見えるように、その即自的立場を否定して、対自的に全体を俯瞰してその本流の流れを見ることによって、はじめて見えてくるものと即自的悟性との相互浸透的統一をなして、本物の真理に到達するためのものです。ですから、tadaさんが即自の立場を離れない限り見えてこないものですから、tadaさんが誤解してそういう感想を持つのは無理もないことなのです。

 だからこそ、百聞は一見に如かず、実際にtadaさんが得意の即自的悟性を展開して、それを私の本流論から否定的に媒介する、ということを実際に行えば納得してもらえると考えたのですが、いかがですか?ものは試しです。やってみる価値はあると思います。それをやって駄目なようでしたらお好きに思っていただいて結構です。

 できれば新規に別のところで展開していただけるとありがたいのですが・・・。ここは長くなりすぎましたから。

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[2448]
タマゴ - 2016年12月09日 (金) 09時22分

投稿したつもりが反映されていないので、もう一度投稿し直します。

>擁護するということではなく、正当に評価すべしと言っているのです。

「擁護」ではなく「正当に評価」したらどうなるかを示してきました。

>「独り善がりな詭弁の体系に過ぎません」というのは誰でもできます。しかし、そう断定するにはそう断定する根拠をしまさなければ、それこそ一人ヨガ入りの思い込みに過ぎません。

天寿堂さんが如何なる詭弁を用いてきたかを、その都度、こと細かく指摘してきたではありませんか。
それをマトモに読んでいなかったというのなら非常に残念です。
口喧嘩ではなく議論をしようというのなら、相応のルールというものがあるんです。
例えば、天寿堂さんが頻繁に使う、相手が書いてもいないことを「タマゴは〜と思っている」などと勝手に書く行為は、レッドカード一発退場ものの反則技なんですよ。
私は、議論に勝ち負けは無いという考えですが、もし勝負だとしたら、天寿堂さんは何度も何度も“反則負け”をしているということです。

>石原が述べたとしてタマゴさんが引用した部分につて、相対的真理として正しいと評価したまでです。それを強引に宗教を認めてしまうことになるというのは、宗教的なタマゴさんの発想のたまもので、私とは関係がありません。

違いますね。
私の大雑把な要約のようなものだけ読んで、石原の世界最終戦論を「珠玉の理論」だなどと大絶賛する天寿堂さんが悪いんです。
普通そこまで大絶賛するのは最低でも原典を一度は読んでからでしょう。
そんな安直さだから、出典をろくに記さない高山らの読み物を真に受けてしまうのだろうと思います。

>タマゴさんもそれを期待しているはずです。

天寿堂さん側がマトモな議論をしていない(できない)のに、tadaさんにだけアレコレ求めるのは無茶な話だと思います。

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[2449] ゼノンの詭弁の詭弁とは
愚按亭主 - 2016年12月09日 (金) 15時46分

 詭弁と言えばゼノンの詭弁が有名ですが、このゼノンの詭弁について私が書いた弁証法の教科書の一説を引用してみましょう。

         *         *

 パルメニデスは「世界は一にして不動」という名言を残しております。これは、この世界には千差万別の多種多様なものが存在し、かつそれらがめまぐるしく変化しているように見えるが、その大本は一つであり、かつ不動つまり変化しない、と述べているのです。これは何を言っているのかと言いますと、絶対的真理が存在する、と言うことを述べているのです。この発言は人類史上初のものです。ですから、パルメニデスを絶対的真理の系譜の始祖と言うことができます。

 しかし、このエレア派の主張は、当時の人々には全く理解されませんでした。しかし、理解はされませんでしたが、実際に論争すると、ソクラテスがパルメニデスに論破されたように、見事に論破されてしまうので、一目はおかれ畏怖されてはいました。とりわけ、パルメニデスの弟子のゼノンは、運動の構造に一歩踏み込んでの具体的な論法で論破するので。グウの音も出ずに“詭弁だ!”と難くせをつけるしかなかったようです。

 その詭弁というレッテルを貼られたゼノンの論理とは具体的にどういうものかを列挙しますと次の通りです。

1、飛んでいる矢は一点に実在する論(運動における静止性)
2、アキレスは亀を永久に追い越せない論(時間における無限性をもって不変性を証明)
3、半分ずつ近づいて永久に目標に到達できない論(空間における無限性をもって不変性を証明)等々です。

 これらのゼノンの論法は、現実の目に見える現象を、師の主張する絶対的真理の論理の観点から、その負の一面を応用して、その常識を覆してみせる形で見事に論破するというものでした。だから人々は、見事に論破されてはいても、実際には矢は飛んでいるし、アキレスは亀を追い越すし、目標に到達できるという事実をたくさん見ているので、これは何かがおかしい!騙されたのではないかと納得できずに、負けても負けを認めたくないという思いが、これは詭弁だ!という負け犬の遠吠え的言辞をさせたのだろうと思います。

        *        *

 タマゴさんの詭弁もこれと同じ構造だと思います。私の主張する絶対的真理レベルの論理が理解できないために、論破されてもそれが分からずに、筋の通らない理屈をこねて詭弁だと騒いでいるだけだということです。

 たとえば、
>また天寿堂さんお得意の藁人形法。
私は「戦争指導者は侵略を正当化するために大義名分を掲げたに過ぎない例として」石原の主張を挙げてはおりません。
繰り返しますが、私は「大東亜戦争はアジア解放戦争だ」という天寿堂さんの思い込みを「それは戦争主導者からすれば資源確保のために掲げた建前であるというのが本質である」と大本営の客観的資料を否定したのです。
 石原は大東亜戦争を主導してはおりませんし、当然、満州の五族協和がどうこうという話も一切そこには含まれません。こう詭弁ばかり使われては、マトモな議論になりません。本当に、いい加減にしてくださいよ。

 と、ここで使われている詭弁というタマゴさんの私への非難は、全くスジの通らないものです。具体的に言いますと、タマゴさんが挙げた石原の主張はむしろ戦争指導者が大義名分として掲げたものを明確な戦略としてを持っていたことを示したもので、それは逆にタマゴさんの説を覆すものだ、という私の指摘に対して、タマゴさんは、石原は戦争を主導していないし、満州の五族共和にも彼の主張は含まれていない、だから、私の論法は詭弁だと、全くわけのわからないことを述べています。

 この事実は、詭弁というのに値しているのは、むしろタマゴさんの方であることを示しています。石原の言葉を、自ら戦争指導者の言葉として挙げておきながら、都合が悪くなると、石原は戦争指導者でないと逃げ、それをごまかすために私を詭弁だと非難しているのです。まさにゼノンを詭弁だと非難した古代ギリシャの人たちと同じではありませんか。

 しかし、もっと重大なことは、タマゴさんが「石原は大東亜戦争を主導してはおりませんし、当然、満州の五族協和がどうこうという話も一切そこには含まれません。」というのは、全くの出鱈目だということが分かりました。昨日、たまたま偶然見たテレビで、その石原のことがやっていました。それによると、石原は自らの信念に基づいて、本部の不拡大の方針に逆らって強引に柳粂溝事件を起こして満州を日本のものにした張本人ではないですか。そして、日本はその彼の路線の上に載って満州国を建設していったのです。ですから、満州国は指導者の個人的な利益のためではなく、石原の描く日本国の歩むべき理想の道のために、そして当時の日本の苦境を乗り切るために建設されたのであって、タマゴさんの言うような低次元なものではなかったことをこの一事は示しています。そしてその後、石原は日本の中枢である作戦参謀のトップに転身して、日本軍の支那への派兵を渋々決めているのです。ここでしぶしぶというのは、彼自身は五年間は戦争しないで国力の増強に努めなければならないという戦略を持っていたからです。このように大東亜戦争は、石原によって起こされ、その大義名分の「大東亜共栄圏」や「五族協和」の旗印は、日本こそ本流であることを直感的に自覚していた石原の思想が大きく反映したものであると言っても、過言ではないと思います。つまり、大東亜戦争は日本が本流としての自覚をもって目的意識的に行われた戦争だったということです。

 このように石原は、最後までかかわれなかったとはいえ、日本の大東亜戦争の中心人物であったことは間違いのない事実です。このようなことは、その時期の日本に精通しているタマゴさんが知らないはずがないのに、石原は関係がなかったと強弁して、私を試したのか、それとも本当に見れども見えずなのか、理解に苦しむところです。

>歴史を語る際に出典を殆ど記さないのでどこまでが事実なのか分からない、先入観(バイアス)が強すぎる、という意見もかなり多い。いずれにしても、高山の本は娯楽として読むべき本で、学問的に信頼するに足らない、というのが世間一般の評価のようです。
私も同意見ですね。

 世間の評価とか、出典が記されていないというのは学問の内容に関係ない形式的なものに過ぎません。問題はその中身です。私など、ほどんど自分の独創ですからほとんど出典は記しません。内容を見ずにそういうことで評価するのはナンセンスです。高山氏の著作の内容は、本流の流れと事実の論理との調和のとれた論理的もも体系的にスジが通っていて充分に学問的評価に耐えうるもので、何よりも日本人が避けて通っている問題に、ズバリと解答を与えた画期的な内容です。その内容も見ずに、日本会議というバイアスで評価するタマゴさんの方がよほど問題です。現にタマゴさんが反証しようとして出した事実をすべて跳ね返して、却ってそれを反証の材料にできてしまうのも、その論理が本物の真理であることを見事に証明していると思います。何故なら事実は、論理が現象したものであるので、本物の論理であるならば必ずそれに見合った事実が存在するからであり、反対に論理が分かっていれば、その事実が本物か偽物か見抜くことができるようになって、事実に誤魔化されることもなくなってくるからです。

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[2450]
タマゴ - 2016年12月09日 (金) 20時33分

>まさにゼノンを詭弁だと非難した古代ギリシャの人たちと同じではありませんか。

ゼノンの論法を当時のギリシャ人が論破できなかったのは、数学的に言えば、まだ微積分学という学問が存在しなかったからです。
積分学はアルキメデスが端緒を付けたと言われていますが、それですらゼノンよりもかなり後のことですし、微積分学の概念が確立するのは18世紀のライプニッツとニュートンの登場を待たなければなりません。
(まあ、ゼノンのパラドクスには、数学的に解けるか否か以上の意味があるのでしょうが、ここでは置いておきます)
私は天寿堂さんの述べた事の中にどのような詭弁が使われているかを明確に説いておきましたので、ギリシャ人とは全く異なります。
とにかく、まともな議論にならないので、四の五の言わず読んでおいて下さい。

>ここで使われている詭弁というタマゴさんの私への非難は、全くスジの通らないものです。具体的に言いますと、タマゴさんが挙げた石原の主張はむしろ戦争指導者が大義名分として掲げたものを明確な戦略としてを持っていたことを示したもので、それは逆にタマゴさんの説を覆すものだ、という私の指摘に対して、タマゴさんは、石原は戦争を主導していないし、満州の五族共和にも彼の主張は含まれていない、だから、私の論法は詭弁だと、全くわけのわからないことを述べています。

・・・仕方ありませんね。
まず、「大東亜戦争」とはなんぞや、という最も初歩からはじめましょうか。

これは1937年から始まった対中戦(日中戦争)と1941年から始まった対米戦(太平洋戦争)を合わせた概念です。
この二つの戦いは関連性がありますから、二つを同時に考える際に「大東亜戦争」という概念の存在意義があるわけです。
青雲さんは、太平洋戦争ではなく大東亜戦争という語を使え!などと言ってましたが、大東亜戦争と太平洋戦争では指し示す範囲が異なるのですからナンセンスなんですよ。
天寿堂さんも青雲さんと同様、大東亜戦争と対中戦(日中戦争)と対米英戦(太平洋戦争)の概念がゴッチャになっているようです。

天寿堂さんが指摘した箇所に先立ち、私は次のように書きました。
「石原は柳条湖事件を起こしてアメリカを刺激しましたが、対米開戦前に東條との対立によって予備役に入れられてしまっています。
石原が東京裁判で戦犯として訴追されることを免れたのは、対米戦(天寿堂さんの言うところの“アジア解放戦争”)に直接は関与していなかったからです。」
その後に、寝ぼけてウッカリ
「石原は大東亜戦争に関与していない」
とタイプミスをしてしまったわけですが、直前に書いたばかりだから天寿堂さんにも分かるだろうと考えて放置していました。
しかし、それは私の買い被りでした。
天寿堂さんは、見事、この凡ミスに怒濤の如く喰いついてきた(苦笑)。
まあ、これは、天寿堂さんの底意地が悪いからというより、大東亜戦争と日中戦争と太平洋戦争の区別が分かっていないことが原因なのだろうと思いますけれど。

先に述べたように、石原莞爾は対中戦(日中戦争)には関与していますが、対米英戦(太平洋戦争)には関与していません。
また、石原はアメリカと白人を絶滅させる世界最終戦に向けて五族協和(アジア民族を対米戦争に協力させる)を掲げたのであり、別にアジア各国を独立させる(アジアを解放する)構想など持ってはいませんでした。
また、開戦の詔勅に明らかなように、対米英戦(太平洋戦争)開戦時点では、まだ日本軍は「アジア解放」という大義名分は公式に掲げてはいませんでした。
(この時点での大義名分は「自衛戦争」)

私が天寿堂さんにサボってきた歴史の勉強を真面目にしてくださいとしつこく言うのは、知っていて当然のことまで説明していたら埒が明かないからです。
将棋の駒の動かし方も知らない人が「俺は絶対真理をしっているのだ!」と対局を迫ったら、相手はどう思うでしょうか。

続きは後で書きます。

Pass

[2451]
タマゴ - 2016年12月09日 (金) 21時42分

>世間の評価とか、出典が記されていないというのは学問の内容に関係ない形式的なものに過ぎません。問題はその中身です。私など、ほどんど自分の独創ですからほとんど出典は記しません。

「中身」もダメだといっているんですよ。
それに天寿堂さん自体がグダグダなのに「私など〜」なんて書いても何の弁護にもなりません。

>内容を見ずにそういうことで評価するのはナンセンスです。高山氏の著作の内容は、本流の流れと事実の論理との調和のとれた論理的もも体系的にスジが通っていて充分に学問的評価に耐えうるもので、何よりも日本人が避けて通っている問題に、ズバリと解答を与えた画期的な内容です。

以前、高山が倉山満と対談しているのを何かで見たことがありますが、
「石油をはじめとしてあれだけ経済封鎖と誹膀中傷を受けていたら、日本という国はもはや立ち行かなかった」
「誰が総理を務めていたとしても対米開戦は防げなかったと思う」
と、いつものアジア解放戦争という大義名分は何処かに放っぽりだして、ひたすら現実論に終始していました。
おそらく、倉山が紛いなりにも歴史学者なので、不勉強な素人を掌の上で転がす目的の妄論は通用しないと考えたのでしょう。
高山の本が学問的だなどとは露ほども思いませんが、操っている高山の方が操られている天寿堂さんや青雲さんよりも一枚も二枚も上手なのは間違いないんじゃないですか。

>現にタマゴさんが反証しようとして出した事実をすべて跳ね返して、却ってそれを反証の材料にできてしまう

1度もできていないではありませんか。
そう思い込むのは自由ですけれど、端から見たら滑稽なだけです。

Pass

[2452] なるほど誤解は訂正します
愚按亭主 - 2016年12月10日 (土) 09時35分

 たしかに大東亜戦争と日中戦争と太平洋戦争との区別と連関に誤解があったようです。以後は、タマゴさんの言われるように訂正しましょう。しかし、そうであればなおのこと「石原は大東亜戦争に関与していない」というタマゴさんの表現はタイプミスでもなんでもなく、それまでのやり取りの中でのお互いの認識を正しく表現をしたものです。つまり、私も大東亜戦争の中に太平洋戦争を含む形で考えておりましたし、タマゴさんも正しくそう考えていたはずです。それが、石原が確固とした理念・理想を持って満州を占領したことが明らかにされると、「大東亜戦争の指導者は個人的利益(タマゴさんは生々しいとそれを表現しておりますが)のために戦争を起こしたのであって大義名分はそれを正当化するものにすぎない」という自らの見解が否定されると感じて、一体のものであるはずの日中戦争と太平洋戦争とを、概念が分かれていることをいいことに、それを切り離して言い逃れようとする、という詭弁を弄したことが明らかになりました。このタマゴさんの詭弁は、すべてを分かったうえで自分を守るために詭弁を弄し、それをごまかすために私の主張を詭弁だとしているので、たしかに古代のギリシャ人が使った詭弁とは違いますが、むしろより一層たちが悪いとも言えます。

>石原はアメリカと白人を絶滅させる世界最終戦に向けて五族協和(アジア民族を対米戦争に協力させる)を掲げたのであり、別にアジア各国を独立させる(アジアを解放する)構想など持ってはいませんでした。

 石原莞爾は誰よりも早く対米戦を意識し、それに備えて満州に目を付けたのです。そして、いち早く飛行機を使った戦い方を研究し推進したのです。それが、ゼロ戦の開発に結び付き米国との戦いに大きな成果を上げることになりました。しかし、日中戦争には結果として引きずり込まれることになってしまいましたが、本当は本意ではなかったのです。アメリカとの戦いに勝利して日本が世界の絶対平和を確立して、人類を解放するということを、目指していたからです。こういう石原の精神が日本精神を体現していたのであり、そういう石原を生み出した日本精神は、まちがいなく本流としての精神性を具備していたと評価できます。

 ですから
>この時点での大義名分は「自衛戦争」

 対外的にはそうかもしれませんが、石原の目的意識は明確にもっと先を読んでいました。

 そういう観点からすると、タマゴさんが、王道楽土の構造である「五族協和」を、その一面にすぎないものを強調する形で(アジア民族を対米戦争に協力させる)という注釈をわざわざつける意図の中に、日本精神を、人種差別にまみれた白人植民地帝国主義者と同列のものに貶めようという悪意の香りがプンプンしてきます。これは自分の主張をまもるためというより、自分のプライドを守ろうとすればするほど、そういう方向に行ってしまうのだろうと思います。結果として日本精神を著しく汚していることに気づいていないようなのは、とても残念なことです。

 もっと言えば、タマゴさんがそういうことができてしまう根底には、人類の本流の流れ・日本こそがその本流であるという学問的かつ本質的認識がないことが大きく影響していると思います。

 このことは多くの研究者たちにも言えると思います。彼らの研究が、人類の発展・日本の発展に真に役立つものにならないで、自己満足なものに終わってしまう原因は、そこにあると思います。そういうことをテレビに出ていた専門家の先生方の評論家的な言動から感じました。

>将棋の駒の動かし方も知らない人が「俺は絶対真理をしっているのだ!」と対局を迫ったら、相手はどう思うでしょうか。

 その素人同然の相手に攻め込まれて防戦に汲々としているのは、どなたでしたっけ?本来、絶対的真理は、事実の究明には直接には役立たないものです。だから、マルクスはヘーゲルの弁証法を否定し捨てたのですが、南郷先生もそれを踏襲して、無事相対的真理の弁証法と直接に個別科学を体系化されました。そこから、再び絶対的真理との統一に向かうべきところ、それができずにいるのが現在の状況です。

 私は幸運にもそのことに気づいて、絶対的真理の系譜と相対的真理の系譜との絡み合いで発展してきた学問の歴史を再措定すると直接に、絶対的真理の発展の歴史をもしっかりと再措定したうえで、ヘーゲルの絶対精神の自己運動という絶対観念論の弁証法の具体化を、南郷学派が解明した生命史観の再措定および、まだ誰も解明していない人類の本流の歴史を措定することによって実現しつつあり、その過程で学問の冠石としての、ヘーゲルの弁証法を自分のものとしていわゆる「精神の王国」の骨格を築き上げることに成功しました。これが本当に技化すると、マルクスや南郷先生のようにそれをわざわざ一旦否定しなくとも、それをもって事実に向き合うと、即座にその事実が本流の論理と統体止揚されてその体系に組み込まれて厚みを増していくことになります。これから、即自的悟性(相対的真理)の事実と論理とをもってそれを肉付けしていく過程にあります。ですから、多少は事実的な誤りは犯すことはありますが、タマゴさんのように自分のプライドを守るためにそれを認めようとしないなどという態度はとらずに、素直に認めてそれをも修正しつつ、対象の構造に見合った精神の王国をどんどん豊かにしていきます。

 タマゴさんがいくら「されていません。」と否定してみても、客観的事実としてここに記述されているわけですから、それを読めば一目瞭然です。タマゴさんが「そう思い込むのは自由ですけれど、端から見たら滑稽なだけです。」と返しておきます。

>以前、高山が倉山満と対談しているのを何かで見たことがありますが、「石油をはじめとしてあれだけ経済封鎖と誹膀中傷を受けていたら、日本という国はもはや立ち行かなかった」「誰が総理を務めていたとしても対米開戦は防げなかったと思う」と、いつものアジア解放戦争という大義名分は何処かに放っぽりだして、ひたすら現実論に終始していました。
 おそらく、倉山が紛いなりにも歴史学者なので、不勉強な素人を掌の上で転がす目的の妄論は通用しないと考えたのでしょう。高山の本が学問的だなどとは露ほども思いませんが、操っている高山の方が操られている天寿堂さんや青雲さんよりも一枚も二枚も上手なのは間違いないんじゃないですか。

 やはり、タマゴさんは高山氏の本を読んでいませんね。もし読んでいたとしたら、読解力がよほどないか、ですね。高山氏はアメリカが日本を脅威と見て日本を叩く戦略を練って着々と手を打ってきたという真実を論理的・事実的に明らかにしてきただけです。それに対して日本が必死に戦って頑張った結果としてアジアが解放されたと言っているのです。この対談の内容は、単なるその一部でしかありません。タマゴさんの妄想のようなものではないということです。

 その高山氏の説を基にして、本流論から私が日本精神が本流として目的意識的にアジアの解放・人類に解放に向けて戦ったと踏み込んで主張したのは、私です。そしたら、タマゴさんのおかげでそれが本当だったと実証できたわけです。

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[2453]
タマゴ - 2016年12月10日 (土) 12時41分

天寿堂さんが、ナゼ私が言っていることを理解しないのか、最も根元のとこほが漸く見えてきました。
それがために、これまで
「手足には交感神経のツボしかない」
「交感神経だけが生体を統轄している」
「交感神経は副腎から増設された」
・・・等々の誤った一般論と数々の誤謬を大量生産して世間に赤っ恥をさらしたにも関わらず、全く懲りもせずに同じ過ちを歴史分野でもやらかしている。
それについては後で詳しく書きますが、かなり根深い問題ですので最後に回すとして、取りあえず今回の書き込みから正していきます。

>石原が確固とした理念・理想を持って満州を占領したことが明らかにされると、「大東亜戦争の指導者は個人的利益(タマゴさんは生々しいとそれを表現しておりますが)のために戦争を起こしたのであって大義名分はそれを正当化するものにすぎない」という自らの見解が否定されると感じて、一体のものであるはずの日中戦争と太平洋戦争とを、概念が分かれていることをいいことに、それを切り離して言い逃れようとする、という詭弁を弄したことが明らかになりました。

相手の言葉を恣意的に弄るのはルール違反の典型的詭弁だから止めるように述べたはずですがね・・・。
異常な分からず屋なのか、真性のバカなのか。
アジア解放などという綺麗事ではない、現実的で複雑多岐に渡る原因が存在したことを「生々しい理由」と表現したのです。
「個人利益」で表現しきれるものではありません。
いい加減にして下さいよ。
そんなインチキな手口ばから弄しているから、tadaさんにも議論を拒否されてしまうんです。
また、私が感じていないことを「と感じて」と勝手に書き、こちらは真面目に議論に応じているのに「詭弁を弄し」「言い逃れようとする」と不当に貶める。
本当に、性根が腐っているとしか言い様がないですよ。
天寿堂さんは、私が述べていないことをでっち上げてそれを攻撃しているのですから、本来、私にはそれに返答する義務はありません。
普通に考えれば分かるでしょうが、私の言葉ではないものに私が責任を負う必要など無いからです。

しかし、敢えてそのような表現は無視し、なぜ対中戦と対米英戦を分けて述べたのか、という点にだけ焦点を当てて返答しましょうか。

これまでの議論の中心テーマは「日本軍はアジア各国を解放した(独立させた)のか否か」ということでした。
私がそれを対米英戦争に絞って展開したのは、繰り返しになるが、対中戦の主導者、石原莞爾も関東軍周辺も、事実アジア各国を解放しておらず、もとよりそのような意図も無かったのが明白だからです。

1928年、木曜会(石原が所属していた陸軍の派閥)の会合において、石原莞爾は「我が国防方針」と題して自らの世界最終戦論の原案を披瀝しています。
ここで石原は、
「日米が両横綱となり、末輩之に従ひ、航空機を以て勝敗を一挙に決するときが世界最後の戦争」
と述べ、
日本からは「一厘も金を出させない」という方針の下に「全支那を根拠として遺憾なく之を利用せば、20年でも30年でも」戦争を続けられるという構想を語ったとされています。
要するに(アメリカと最終戦争を起こすために)中国を植民地化することが彼の元々の構想の中心にあったのですよ。
“アジア各国の独立”とは真逆の発想です。

しかし、そのような構想が世界に受け入れられるはずも無いので、後に大義名分として掲げたのが五族協和なのです。
その五族協和も、元々は孫文が発案した五族共和のほぼ丸パクリですし、あくまでもアメリカ・白人を絶滅させるため天皇中心に五族を纏め上げる(つまり植民地化して戦争に協力させる)という発想であり、アジア解放など何処にも謳われていません。
しかも、アジア解放の大義名分が公に掲げられたのは対米英戦(太平洋戦争)の開戦後であり、その前に石原は事実上引退しています。

忙しいので続きは後で。

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[2454]
愚按亭主 - 2016年12月10日 (土) 13時41分

>「手足には交感神経のツボしかない」
「交感神経だけが生体を統轄している」(これはタマゴさんのねつ造か勘違いですー愚按)
「交感神経は副腎から増設された」
・・・等々の誤った一般論と数々の誤謬を大量生産して世間に赤っ恥をさらしたにも関わらず

 タマゴさんは、私が自らの誤りを潔く認めたことがよほどうれしかったのか、ことあるごとに飽きもせずにこれを持ち出しますが、その後どれほど素晴らしい理論の発展を見せたかについては一切見ようとせず、このことだけをしつこく持ち出して相手を貶めようとする姿勢が、自分もそうされたくないという思いを強くして、自分の誤りを潔く認められなくしているのだろうと思います。それがどれほど自分の進歩を阻んでいるか分かっていないようです。第一私はタマゴさんのような意地悪は決してしませんので、安心して、タイプミスなどと誤魔化さずに誤りは素直に認めてください。

 さて、そうやって事実をどんどん出してくれると、私の説がますます強固になっていきます。今回も、「アジアの解放」を公式に明確に謳っていたのだ、ということを知って、ますます意を強くいたしました。ありがとうございます。たとえ、石原が退いた後だとしても、彼の日本精神は、国家意志としてしっかりと受け継がれていったのだということを、この事実は物語っていると思います。ですから、日本兵が独立戦争に参加したのは、個人の意思ばかりでなく国家意志も背負っていたのだということが分かります。そう考えると、インドネシアでオランダが不当にも降伏した日本兵に武器を持たせて独立軍を鎮圧させようとしたときに独立軍に察知されて先んじてその日本兵1500名全員が殺されてしまうという不幸な事件が起こったにもかかわらず、二千人もの日本兵が独立軍の方に加勢したという事実も、そういう国家意志があったればこそだと思います。

>アジア解放などという綺麗事ではない、現実的で複雑多岐に渡る原因が存在したことを「生々しい理由」と表現したのです。「個人利益」で表現しきれるものではありません。

 その中で何が本質的理由なのかを明らかにするのが学問の役割です。それを石原は明確に示したのです。それを分かろうとしないで、必死に否定してかかろうとばかりするからおかしくなるのです。タマゴさんが示してくれた木曜会での石原の発言は、タマゴさんの言うように「“アジア各国の独立”とは真逆の発想です。」では決してなく、白人の人種差別植民地主義帝国の横綱であるアメリカを倒すことが、絶対平和をもたらす道であり、アジア各国が王道楽土化していく道だと考えていたのです。だから、資源の豊富な満州に目を付けたのです。すべてアメリカに勝つためなのです。彼にとってはアメリカが白人の人種差別的植民地帝国の横綱で、日本が植民地化されている或いはされようとしているアジア諸国の横綱だと明言しているように、アジアを植民地化しようとしたのではなくアジア諸国の横綱としてアメリカと戦って勝つための最善の策を考えたのです。ですから、これは正しかったのです。欧米も支那と日本が手を組むことを恐れたいたことが何よりもそれを物語っています。だから、一生懸命日本と反目させようと画策したのです。石原は何らおかしなことは言っておりません、それがアメリカに勝てる可能性のある唯一の道であったのであろうし、当然の正しいことを述べていたと思います。

 実際はじめは空中戦で日本がアメリカを圧倒しました。それが戦争を長引かせる原因となりました。しかし、彼の戦力通り5年間戦争をせずに国力を増強する暇もなく戦争に引きずり込まれてしまったために、資源がつき、力尽きて敗れることになってしまいました。

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[2455]
タマゴ - 2016年12月10日 (土) 17時19分

>(これはタマゴさんのねつ造か勘違いですー愚按)

これは1つの例として挙げたまでで、このスレッドのテーマとは直接は関係無いので軽く触れるに留めますが、天寿堂さんはFacebookで、
「私たちがこうして生きているのは副腎-交感神経系が頑張ってくれているおかげだ、と言って過言ではありません。副交感神経ははっきり言って関係ありません。」
と明言しており、他に談論サロンや天珠医学の間にも似たような記述も散見されます。
まぁ、好意的に考えれば、Facebookの記述は、医学知識に接する機会の少ない普通の閲覧者向けにざっくばらんに書き厳密性を犠牲にした面はあるのでしょうけれど、少なくとも私の捏造でも勘違いでもないのは確実なことです。

>タマゴさんは、私が自らの誤りを潔く認めたことがよほどうれしかったのか、ことあるごとに飽きもせずにこれを持ち出します

渋々ながらであっても、最終的に誤りを認めたことは評価しています。
しかし私は、タイプミスレベルの単純ミスをしつこく追及しているのではありません。
例えば以前、天寿堂さんは、同じくFacebookで、コルヒチンが副腎ホルモンだなどという誤りを書きましたが、天寿堂さんが指摘を受け誤りを訂正した後には、私は特にそれ以上の追及はしませんでした。
ではなぜ、
「手足には交感神経のツボしかない」
「交感神経が身体機能を一括して統轄している」
「交感神経は副腎から増設された」
といった誤謬については頻繁に取り上げるのか。
それは、天寿堂さんは、これら一般論モドキをヘーゲルの絶対真理レベルから導いたものであるとして金科玉条の如く振りかざし、更にそこから数々の誤謬を大量生産した過去があり、
今もまだその手法を全く懲りもせずに振り回している現状があるからです。
もし仮に現在、そのような天寿堂さんの思考過程が修正されていたならば、私は過去の天寿堂さんの一般論モドキについて絶対に言及していないと断言しますよ。
例えば
「交感神経は副腎から増設された」
という一般論モドキは、副腎というものが交感神経節後繊維の1つが進化して形成されたという事実から簡単に誤謬であることが分かったにも関わらず、天寿堂さんは一般論が事実よりも優先されるという理屈で事実を直視することを拒み、長い間その一般論モドキを金属バットのように振り回し続けた。
その結果、その一般論モドキから作り上げた体系というのは、壮大な誤謬の体系にすぎなかった、というオチでした。
根っこが腐っていると幹も枝もすべてダメになるということです。
それと同じことを、天寿堂さんは今もやっている。

>タイプミスなどと誤魔化さずに誤りは素直に認めてください。

私が、直前に「石原は対米戦に関与していなかったから訴追されなかった」と書いている証拠が存在するにも関わらず、その文脈を無視して、タイプミスではなく詭弁だ何だと大騒ぎするのは、
天寿堂さんの場合でいえば、コルヒチンは副腎ホルモンだなどと事実レベルの誤りを書いたことについて、
「コイツは医学が根本的に分かっていないからこんな初歩的な間違いを堂々とするのだ!」
と、他人から大騒ぎされることに相当するでしょう。
(もちろん私は、そんなバカらしくい大騒ぎなどしませんでしたが。)
私は書き込んだ直後に例のタイプミスに気づいたが、
「いくら天寿堂さんでも明らかなタイプミスに喰いつきはしないだろう」
と、軽く考えていたのです。
管理人である天寿堂さんとは異なり、自分で自分のタイプミスを修正することはできませんしね。
しかし私は、天寿堂さんを買い被っていました。
よくよく考えたら、自説を守りたいがために次々と詭弁を繰り出してくるような志の低い人ならば、相手の単純なミスを突いてでも優位に立ちたいと思ったとしても特に不思議ではありません。
天寿堂さんの本質を良い方に見誤っていたというわけです。

私にとって、議論とは、真実を明らかにするために正論をぶつけ合うことであり、勝負事ではありません。
しかし、天寿堂さんの側はそうではないようです。
その議論に対する意識レベルの差が、単純ミスに対する対応の差として反映されたのでしょう。

続きは後で書きます。

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[2456]
タマゴ - 2016年12月10日 (土) 18時02分

>木曜会での石原の発言は、タマゴさんの言うように「“アジア各国の独立”とは真逆の発想です。」では決してなく、白人の人種差別植民地主義帝国の横綱であるアメリカを倒すことが、絶対平和をもたらす道であり、アジア各国が王道楽土化していく道だと考えていたのです。

違いますよ。
石原の最終目的は「アジア各国を王道楽土化」することではありません。
世界を(日本中心ではなく)天皇中心の法華経世界に統一することです。
ですから当然、この議論のテーマであるアジア各国の独立など眼中にありませんでした。

ポイントになる点については一通り返答しましたので、次に天寿堂さんがナゼ誤謬を次々と大量生産してしまうのかについて書いてみたいと思います。

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[2457]
タマゴ - 2016年12月11日 (日) 00時05分

天寿堂さんの論理展開の仕方に対して、
tadaさんの評価は「科学というより文学であり宗教である」
青雲さんですら「ひたすら一般論で押してくるところが好きではない」
という趣旨のことを述べていたかと思います。

私も似たような印象を持っているのですが、もう少し突っ込んだ分析をすると、大きく分けて二つの問題点があるのではないか、と。
1つは、一般論の措定の仕方の問題。
1つは、一般論の適用の仕方の問題。
後者に関しては後で詳しく触れることにして、取り敢えず前者について簡単に見ておきます。

交感神経に関する議論の際に天寿堂さんが措定した一般論モドキのことについて、ナゼ私が頻繁に遡上に挙げるのか?
それは、他のテーマについて議論している際にも、全く同様の論理的ミスを犯していると思われるからです。
天寿堂さんは、ヘーゲルの絶対真理の弁証法の観点から一般論を措定しているなどと言うのですが、そこの過程が今一つ釈然としない。
交感神経を議論のテーマとしていた際には、天寿堂さんは、絶対真理の弁証法と天寿堂さんの治療経験などから一般論を措定したと説明していました。
しかし、天寿堂さんが絶対の自信を持っていたそれらの一般論は誤りであったことが後に判明してしまった。
であるならば、一般論を措定する過程に何らかの論理的ミスが必ず存在したはずなんです。

私の推測では、“一般論”と呼べる次元の論理を措定するには、天寿堂さんの知識量があまりにも少な過ぎ、また、その知識にも偏りがあったのではないかと思われる。
言うならば“基になる知識の群”に一般性が無かったのであろう、ということです。
さらに、物の考え方に独特のアクがある天寿堂さん一人で“一般論”を措定してしまっているいるのも問題でしょう。
どんな人でも、その人なりの色眼鏡(パラダイム)を通して世界を見ているのですから、たった一人で簡単に短期間で一般性のある論理を措定することは困難です。
ましてや癖の強い天寿堂さんなら尚更ムリでしょう。

それに対して、天寿堂さんは、ヘーゲルの絶対真理から一般論を措定しているのであるから間違っていないとオウムのように繰り返す。
しかし、間違っていたのは事実なのです。
そもそも天寿堂さんはヘーゲルの著作を通読した経験すら無く、ヘーゲルの理解が正しいのかも釈然としません。
天寿堂さんなりの恣意的な理解に過ぎない可能性も考えられる。

自分一人で一般性の無い一般論を定め、それを絶対のものとして金属バットのように振り回してよいものでしょうか?
よいはずがありません。
絶対唯一の神か何かではないのですから。
しかし、そのタブーを何かと理由を付けて犯してしまうのが、天寿堂さんの思考過程の大きな問題点だと思います。
それがtadaさんが天寿堂さんの論理展開に宗教臭さを感じてしまう原因なのではないでしょうか。

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[2458]
タマゴ - 2016年12月11日 (日) 07時41分

次に、天寿堂さんによる一般論の適用の仕方の不味さについて語ってみましょう。

今回の議論に於いて、天寿堂さんが「
タマゴが反論のために出した事実をすべて取り込んで、逆に私の論理の体系が益々豊かになっている」という趣旨のことを何度か述べていますが、正直、私はその意味が分かりませんでした。
なぜなら、天寿堂さんは自身の一般論モドキに固執し、私の書き込みを素直に読んでいないのは明らかだったからです。
しかし、やり取りを重ねるうちに、漸く天寿堂さんの言わんとするところが分かってきました。

天寿堂さんは、私の返答から、自身の一般論モドキを守り押し通す目的のために都合の良い部分だけを摘まみ喰いし、逆に都合の悪い部分をバッサリ捨象していた。
それを、さも何か良いことをしているように表現していただけだったのです。

続きは、また後で書きます。

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[2459]
タマゴ - 2016年12月11日 (日) 10時18分

相手の意見の一部を、相手の主旨を損なわない形で切り取って引用することは構わないと思います。
しかし、天寿堂さんの場合は、そうではない。

例えば、そもそも「日本軍はアジア各国を解放した(独立させた)か否か」をテーマとして議論していたのであるから、
石原莞爾にその意図が無く、五族協和も天皇中心の法華経世界を構築するための手段に過ぎない、
と、私が、資料を示しながら、対中戦(日中戦争)に日本軍によるアジア解放の要素が無いとした論証は、正当なものなのです。
ところご、天寿堂さんは、初めに「日本軍はアジア各国を解放した」という結論(一般論モドキ)ありきで、こちらが示した資料を、その結論(一般論モドキ)に合うように歪めて解釈してしまう。
五族協和とアジア解放とでは内容も目的も異なるのに、無理矢理同一視し、自分の主張が正しいことにしてしまう。
このような手法を「タマゴが反論のために出した事実をすべて取り込んで、逆に私の論理の体系が益々豊かになっている」と表現していたわけです。
ナゼこのような手法がマズいのかといえば、現実を全て恣意的に歪めて眺めることになってしまうからです。
客観性の無い見方は科学とは呼べません。
ましてや、天寿堂さんは一般論の措定の仕方からしてマズいのですから、その色眼鏡を通してしかモノを見ることができないのは尚更マズいのですよ。
そもそも自分一人で決めた仮説を「一般論」と堂々と呼べてしまう天寿堂さんの神経が理解できません。
そこは謙虚さが必要なところですよ。

先に天寿堂さんによる一般論の措定の仕方のマズさを語りましたが、実は天寿堂さんが一人で勝手に措定した一般論モドキが真の一般論に修正される機会が無いわけでもないのです。
それは他者との議論に於いてです。
自らの偏った見方と知識とを、別の見方と知識を持つ人の意見と擦り合わせることによって、より偏りの少ない一般性のある論理へと近づけていくことも不可能なことではないからです。
古代ギリシャで行われていた本来の議論の方法論としての弁証法がそれですよ。
しかし、天寿堂さんは、相手の主張を自身の一般論モドキに合うように歪めてしまったり、詭弁を弄して相手の主張をまともに受け取らなかったりして、自身の一般論モドキを真の一般論へと近づけていく道を放棄してしまっているのです。
弁証法を標榜しながら弁証法的議論をとことん避け続けている。
羊頭狗肉とは正にこのことです。

天寿堂さんは自身の手法をヘーゲルの絶対真理を持ち出して正当化しようとしますが、果たしてヘーゲルが生きていたとして、日本軍がアジアを解放したなどという客観性の無い主張に同意するでしょうか?
しないはずです。
天寿堂さんは天寿堂さん自身の思い込みをヘーゲルの名を借りて披露しているだけなのですよ。

祭壇から聞こえる“絶対神の声”を笠に着て威張っている新興宗教の宣教師がいたが、信者が祭壇のベールを捲ってみたら、件の宣教師が呟いていた。
“絶対神の声”は神の声ではなく、宣教師の声だった。

天寿堂さんが一般論モドキを措定し適用すら過程は、それと大差がないのです。
天寿堂さんが交感神経の一般論の誤謬もそれが原因であり、現在の議論の仕方も全くそこから進歩していない。

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[2460] 昭和の時代も日本精神は健在だった
愚按亭主 - 2016年12月11日 (日) 23時28分

 タマゴさんの、私の頭の使い方についての分析の試みは、それはそれで大変結構なことです。自分の頭で考えることは正しい理解につながります。タマゴさんの分析について、どこが違っていてどこがあっているかを、私が解説した場合に、あらかじめ自分がはっきり分かっていると、私の話と直接比較することができるので、自分のどこがどう間違っていたか、どう直したらよいかが、分かりやすくなるからです。これは充分にに期待できます。

 まず、タマゴさんが私の論を理解できずに誤解してしまうのは、絶対的真理と相対的真理との区別と連関が理解できておらず、一緒くたにしているためです。たとえば、交感神経の一般性の問題は、これは事実の論理である相対的真理の問題ですから、事実的に違いが出てきますとそれに合わせて修正します。だから、タマゴさんから事実的間違いを指摘された時、私は素直にそれを認めて修正したのです。これに関して私は絶対的真理は持ち出してはおりません。そこのところは、私の中できっちり区別ができております。このようにして相対的真理は発展していくものなのです。ですから、そういう事実に合わせた修正によって、副腎と交感神経が生命の歴史において、どのように造られたかの過程的構造の究明の進展は、人類史上未だ誰も説いたことがないレベルにまで到達しております。

 だから、それを見ようとしないで(それについてはタマゴさんに何度も説いておりますが全く興味を示しませんでしたので理解できなかったのかもしれませんが)、その歴史的進展の出発点となった私の犯した事実的誤りのみを何度も持ち出し、しかも誤ったという事実を指摘するだけで充分であるはずなのに、わざわざ「世間に赤恥をかいた」をことさら毎回付け加えて強調し、印象づけようとしているので、これはもう意地悪・いじめとしか受け取れないのです。

 次の誤解は、私はタマゴさんの出してくる事実を絶対的真理の本質論・本流論から、その本流にふさわしい事実のみをピックアップして本流の流れを措定していきます。そうすると、相対的真理だけでは見えてこなかった光景が浮かび上がってくることになります。私はそういうことをしているのです。ですから、タマゴさんが勝手に捻じ曲げられたと思うのは無理もありませんが、謙虚にそういう見方もできるのか、という柔軟な姿勢になれたなら、これまで自分の立場に固執していたが、なるほど立場を離れてみたらそういう見方もできるな、目から鱗が落ちた、とタマゴさんは大きく飛躍することになるでしょう。では、その具体例を示しましょう。


>>タイプミスなどと誤魔化さずに誤りは素直に認めてください。<
私が、直前に「石原は対米戦に関与していなかったから訴追されなかった」と書いている証拠が存在するにも関わらず、その文脈を無視して、タイプミスではなく詭弁だ何だと大騒ぎするのは、天寿堂さんの場合でいえば、コルヒチンは副腎ホルモンだなどと事実レベルの誤りを書いたことについて、「コイツは医学が根本的に分かっていないからこんな初歩的な間違いを堂々とするのだ!」と、他人から大騒ぎされることに相当するでしょう。(もちろん私は、そんなバカらしくい大騒ぎなどしませんでしたが。)

 たしかにタマゴさんは、それについて大騒ぎはされませんでしたが、その時私も、タイプミスだとごまかさずに素直に自分の間違いを認めました。しかし、今回私がタマゴさんに誤りを認めるべきだと書いた意味は、タマゴさんが、昭和になって日本精神も堕落して指導者たちは自分たちの生々しい様々な要因?欲望のために戦争を起こし、それを正当化するために大義名分を掲げていたにすぎない、という認識を持っていること自体が、誤りで、改めるべきだ、という意味だったのです。

 実際、タマゴさんとのやり取りの中で、昭和の日本精神はいささかも堕落せず変質もしないで、むしろ発展さえ示していたことが明らかにされたからです。どういうことかと言いますと、明治の日露戦争は、自国の防衛のために、ロシアという敵側の幕下相手に、英国の支援を受けながら英国製の軍艦で戦って勝ったものでした。ところが、大東亜戦争は、確かに負けはしましたが、敵側の横綱のアメリカと、つまりは白人植民地帝国全体を相手にして、植民地化される側のアジアの雄として戦いを挑んだもので、自前のゼロ戦で、ドイツの名機メッサーシュミットでもかなわなかった当時無敵だった米国の無敵の爆撃機B17を、全機撃ち落とすという快挙を達成しているのです。つまり、敵側の最先端の技術の粋を、技術の面でも凌駕したという事実は、昭和の日本精神が本物の本流であったことを如実に示す事実です。そしてその日本精神が人類の歴史を大きく動かしたのです。このように昭和になっても日本精神は着実に発展していたのです。

 これは国家の発展についてもいえることです。諸藩の連合国家であった江戸期から明治期になって西欧諸国を範として天皇中心の近代的な中央集権国家を瞬く間に作り上げ、その一体性の見事さは他の先進諸国にも見られないほどの見事さでした。それが戦争の強さとして現出したことは言うまでもないことです。よく軍国主義だから駄目だとの議論がありますが、戦国時代に軍国主義になるのは当然のことです。全然問題がないとは言いませんが、国家論として何ら問題があるものではありませんでした。

>世界を(日本中心ではなく)天皇中心の法華経世界に統一することです。

 そのどこがまずいのですか?アレキサンダーもアリストテレスの学問をもって世界を統一しようとしました。それと論理的には同一のことです。さすが本流だけあります。独立するかしないかは、世界の統一へといたる過程の問題でしかありません。それを独立ありきで考えるから、おかしくなるのです。実際、朝鮮や台湾を統治するようになっても、天皇を敬う教育をしつつも、一方ではその民族が欲していなくても本来欲するべき文化や言語を日本の方が発掘して教育して残しているのが、日本のやり方でした。

>、私が、資料を示しながら、対中戦(日中戦争)に日本軍によるアジア解放の要素が無いとした論証は、正当なものなのです。
ところが、天寿堂さんは、初めに「日本軍はアジア各国を解放した」という結論(一般論モドキ)ありきで、こちらが示した資料を、その結論(一般論モドキ)に合うように歪めて解釈してしまう。

 私がしたことは、このタマゴさんの論証に対して、タマゴさんが出してきた資料を用いて、客観的な事実の全体像を真相に即して明らかにしたことです。私はそもそも日本軍がアジアを解放したということから出発しておりません。日本こそが正真正銘の本流だった、というところから出発して、白人の先進植民地帝国全体に対して果敢に戦いを挑んで、侵略者を植民地から追い出し、そういう日本に触発されて沸き上がったものの潰されていた現地の独立運動に日本精神を注入し、日本が敗れてもアジアの各国は独立を勝ち取るということになって、白人の植民地体制は崩壊したと説いていたのであり、これを短く言えば、日本軍がアジアを解放したと言えると述べたのです。

 さて問題は、日中戦争はどうかという問題ですが、タマゴさんが示してくれた資料の中に、石原の最終戦争論の要約がありました。これによれば、石原は早くからアメリカのとの戦いを意識してそれに対する戦略として満州を獲得することが必須だとして実行しました。そしてその文章の中にアメリカと日本を横綱としています。この意味するものは、アメリカが白人植民地帝国の雄で、日本が植民地化されている、されようとしているアジアの雄だということです。つまり、日本がアメリカに勝つことはアジアが解放されることを意味するのです。

 しかし、現実の日中戦争は、石原が五年間は国力増強のために戦争をしないという戦略を立てていたにもかかわらず、白人植民地帝国の側の画策によって否応なく戦争に引きずり込まれてしまった、というのが真相です。ですから、日中戦争はアジアの解放をうんぬんする段階ものではなくそれ以前の問題です。それは、タマゴさんが教えてくれたように、アジア解放が大義名分としてはじめて掲げられたのは、太平洋戦争が始まって以後だからです。つまり、アメリカの初期の攻撃を跳ね返してから、現実的な課題として浮上したということです。ただ、石原の構想には明確にそれも含まれていたことは確かに言えるのです。
 
>天寿堂さんは、相手の主張を自身の一般論モドキに合うように歪めてしまったり、詭弁を弄して相手の主張をまともに受け取らなかったりして、自身の一般論モドキを真の一般論へと近づけていく道を放棄してしまっているのです。
弁証法を標榜しながら弁証法的議論をとことん避け続けている。
羊頭狗肉とは正にこのことです。

 私が今実践していることが弁証法の三項の論理の現実化です。そのことは何度も懇切丁寧に説明してきたはずです。にもかかわらず、それが分からずにタマゴさんの方から弁証法の実践をせよとは滑稽極まりません。私の方からそれを何度も呼び掛けているのに一向に実践しようとしていないのはタマゴさんの方なのです。

>天寿堂さんは自身の手法をヘーゲルの絶対真理を持ち出して正当化しようとしますが、果たしてヘーゲルが生きていたとして、日本軍がアジアを解放したなどという客観性の無い主張に同意するでしょうか?

 またお得意のがでましたね!何をもって客観性がないというのか理解しかねます。私は何度も客観的事実をもってそれを論証しており、それについては一切タマゴさんは反論も、反証もしていません。また、違うとしてタマゴさんが出した資料・事実には、私の方は、全部反論あるいは反証を出しているはずです。にもかかわらず私の主張を客観性がないと一方的に決めつけるタマゴさんの独りよがり・独善は相当なものです。

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[2461]
タマゴ - 2016年12月12日 (月) 09時43分

>だから、タマゴさんから事実的間違いを指摘された時、私は素直にそれを認めて修正したのです。

「素直に」というのは嘘も嘘、佐村河内も真っ青の大嘘です。
よくもマァ、いけしゃあしゃあと(苦笑)。
良くて「渋々ながら」ですよ。

交感神経に関する一般論モドキを、ガチガチの頑固頭の天寿堂さんに修正してもらうのに、こちらがどれほど苦労したことか。
だからスレッドが異様に長くなってしまうんです。
おそらく、当時の天寿堂さんに、自身が作った一般論モドキを修正するつもりなど皆無だったのでしょう。
「絶対真理から捉えた生命の本流に照らして云々〜」
のような理屈を捏ねて、頑として譲ろうとはしなかった。
普通の人なら説得は無理だと匙を投げてしまい、天寿堂さんは今も一般論モドキの数々を金属バットのように振り回して大暴れしている筈ですよ。
天寿堂さん自身だって、そう思うでしょう。

>副腎と交感神経が生命の歴史において、どのように造られたかの過程的構造の究明の進展は、人類史上未だ誰も説いたことがないレベルにまで到達しております。

これも天寿堂さんの勘違いだろうと思います。
つい先日も、天寿堂さんのFacebookに
「交感神経はホルモンの働きが実体化したものなので〜」
という趣旨の記述を見掛けました。
唖然としましたよ。
基になっていた
「交感神経は副腎から増設された」
という幹の部分(一般論)が間違いと判明しているのですから、そこから出たこの枝の部分(各論)も破棄してゼロから考え直さなければならないのに。

>誤ったという事実を指摘するだけで充分であるはずなのに、わざわざ「世間に赤恥をかいた」をことさら毎回付け加えて強調し、印象づけようとしている

天寿堂さんの誤りを、世間に対して印象付けようとはしていませんが、天寿堂さんに対して印象付けようとしているのは認めましょう。
何故そうするかと言えば、天寿堂さんがジャンルが変わると同じ論理展開の誤謬を平気で犯すからですよ。
交感神経の議論の際には、
「絶対真理から捉えた生命の本流に照らして云々〜」
とかいう理屈で大暴れしていたわけですが、現在の議論では、それが
「絶対真理から捉えた人類の本流に照らして云々〜」
と、ほんのチョッピリ変わっただけで、誤謬を大量生産した論理展開は全く改まっていない。
ほぼ同じと言ってよいでしょう。
一般論モドキだけでなく、その大元の思考方法自体がダメだって言ってるんです。
だから「赤っ恥晒してもまだ懲りない」と激しい表現で批判しているのですよ。
普通の人相手に、ここまで激しい表現は絶対に使いません。

忙しいので続きは後で書きます。

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[2462]
タマゴ - 2016年12月12日 (月) 15時50分

>大東亜戦争は、確かに負けはしましたが、敵側の横綱のアメリカと、つまりは白人植民地帝国全体を相手にして、植民地化される側のアジアの雄として戦いを挑んだ

大東亜戦争は、同じアジアの同胞である中国に対して仕掛けた日中戦争と欧米列強に対して仕掛けた太平洋戦争の総称である、という点はもう宜しいでしょう。
日中戦争に関しては、天寿堂さんの上記の認識で説明することはできません。
太平洋戦争に関しては、天寿堂さんの認識に該当する要素が皆無とまでは言いませんが、
これは、大東亜戦争当時に於ける日本人の認識の二重構造の視点から説明するならば、
戦争主導者たちはあくまでも資源獲得を目的として(良く表現すれば経済的安全保障上の観点から)戦争を起こしたが、
一般国民の中にはアジア解放の大義名分を本気で信じて戦った方も少なくない、ということです。
ここまでは既に詳しく説明しており、天寿堂さんからも有効な反論が無いので、宜しいでしょう。

>自前のゼロ戦で、ドイツの名機メッサーシュミットでもかなわなかった当時無敵だった米国の無敵の爆撃機B17を、全機撃ち落とすという快挙を達成しているのです。

これは日本の技術者と兵士の優秀性を示していると思いますが、大東亜戦争の是非とは別問題です。

>そしてその日本精神が人類の歴史を大きく動かしたのです。このように昭和になっても日本精神は着実に発展していたのです。

当時に於ける日本人の認識の二重構造の視点から考えると、上記の事実は一般国民の中に優れた人材が存在したことを示しているに過ぎません。
戦争主導者については、これ迄に述べてきたように、江戸時代の武士道精神を有した人材が去り、国家の一大事に適切に対応できる能力に欠けた受験秀才ばかりが主要な地位を占めていくようになっていったのです。

>諸藩の連合国家であった江戸期から明治期になって西欧諸国を範として天皇中心の近代的な中央集権国家を瞬く間に作り上げ、その一体性の見事さは他の先進諸国にも見られないほどの見事さでした。

日本の急激な西洋化については、既に詳述したので繰り返しませんが、デメリットも少なからず存在したのです。
当時の時代背景を鑑みれば、ある程度は止むを得ない流れだったとも思いますが、文明開化などという美辞麗句に踊らされるだけでなく、光と陰の両側面から検討すべきであると思います。

続きはまた後で。

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[2463]
タマゴ - 2016年12月12日 (火) 20時30分

>(世界を天皇中心の法華経世界に統一すること)そのどこがまずいのですか?

まずい・まずくない以前に、これは、アジア各国の解放ではないと述べているのですよ。

>独立するかしないかは、世界の統一へといたる過程の問題でしかありません。それを独立ありきで考えるから、おかしくなるのです。

大東亜戦争はアジア各国を解放した戦争であるとした天寿堂さんに対して異議を唱えたのです。
世界の統一云々は議論の主題ではありません。

>私がしたことは、このタマゴさんの論証に対して、タマゴさんが出してきた資料を用いて、客観的な事実の全体像を真相に即して明らかにしたことです。

客観的だなどと言っているのは天寿堂さん自身だけです。
そういうのを主観的というのですよ。

>日本こそが正真正銘の本流だった、というところから出発して、

つまりヘーゲルが出発点ではないわけですね?
ヘーゲルが天寿堂さんのような主観的過ぎる歴史観を唱えるわけありませんから当然ですが。

>白人の先進植民地帝国全体に対して果敢に戦いを挑んで、侵略者を植民地から追い出し、そういう日本に触発されて沸き上がったものの潰されていた現地の独立運動に日本精神を注入し、日本が敗れてもアジアの各国は独立を勝ち取るということになって、白人の植民地体制は崩壊したと説いていたのであり、

大義名分を信じた兵士の活躍により、そのような一側面があったことは私も否定しませんが、

>これを短く言えば、日本軍がアジアを解放したと言えると述べたのです。

現地の人が日本軍に「解放」されたなどとは言っていないのに、こちらがそれを言うのは恩着せがましいことです。
それこそ武士道精神に反します。

>アメリカが白人植民地帝国の雄で、日本が植民地化されている、されようとしているアジアの雄だということです。つまり、日本がアメリカに勝つことはアジアが解放されることを意味するのです。

この時点で、日本は植民地化されておらず、植民地化されようともしていません。

>石原の構想には明確にそれも含まれていたことは確かに言えるのです。

繰り返しますが、石原の世界最終戦論にアジア解放などという思想は含まれておりません。

忙しいので、続きはまた後で。

Pass

[2464]
タマゴ - 2016年12月13日 (火) 08時18分

>私が今実践していることが弁証法の三項の論理の現実化です。

何処がですか?
天寿堂さんは、交感神経について議論し一般論モドキを金属バットのように振り回していた時から、何一つ進歩していないではありませんか。
あの時も、もし天寿堂さんは、相手の 意見を媒介して自説の誤りを認め修正する、という弁証法的過程を正しく踏んでいなかった。
数々の誤った一般論モドキに異常な拘りを持ち、表面的な修正には応じても、根本的な誤りはなかなか修正しようとしませんでした。
あのように誤謬へ異常に拘ることは、無意味どころか、有害極まりない行為です。
誤謬を守りたいがために、曲げてはいけない事実関係を誤謬に合うように曲解し、全体をグチャグチャに歪めて自分好みの妄想的体系を構築してしまう。
自分の嗜好に合わぬ事実関係や論理性であっても、それが正当なものであったならば受け止めなければならない。
それが化学的態度でしょう。
天寿堂さんのしていることは全く逆。
だからtadaさんも「文学・宗教」と断じざるを得なかったわけで、
しかも天寿堂さんの「文学」は思ったことを思うままに綴っただけの日記レベル、「宗教」は神の名を騙って自身の思い込みを宣託するのみの新興宗教レベルなんですよ。

>私は何度も客観的事実をもってそれを論証しており、それについては一切タマゴさんは反論も、反証もしていません。また、違うとしてタマゴさんが出した資料・事実には、私の方は、全部反論あるいは反証を出しているはずです。にもかかわらず私の主張を客観性がないと一方的に決めつけるタマゴさんの独りよがり・独善は相当なものです。

天寿堂さんの言う“客観的事実”というのが何を指すのか不明です。
日本会議の歴史観は、彼らの主観的な宗教的信条に基づいているので、客観的事実ではありません。
バイアスの塊のようなものです。
また、天寿堂さんの主張が主観的であるとみているのは、私だけではありませんよ。
tadaさんや(天寿堂さんの元生徒の)自由びとさんもそうですし、天寿堂さんと親密な青雲さんですら似たような感想を洩らしています。
一字一句正確には覚えていませんが、たしか、
「天寿堂さんには返しきれないほどの恩義があるし感謝もしている。だが、彼のアノ文体だけはどうも好きになれない。」
というような趣旨だったかと思います。

天寿堂さんは自分だけが格好いいと思い込んでいる裸の王様になってしまっているのです。

Pass

[2465]
愚按亭主 - 2016年12月13日 (火) 11時08分

 やはり、タマゴさんは自分の立場から離れて自由になることができないようですね。一体何が怖いのか?タマゴさんの反論は、すべて等に反論済みのことですので、あえて繰り返す愚はとりません。自由になれなければいかに懇切丁寧に説明しようとも、分かってもらえないからです。

ただ、
>副腎と交感神経が生命の歴史において、どのように造られたかの過程的構造の究明の進展は、人類史上未だ誰も説いたことがないレベルにまで到達しております。

これも天寿堂さんの勘違いだろうと思います。
つい先日も、天寿堂さんのFacebookに
「交感神経はホルモンの働きが実体化したものなので〜」
という趣旨の記述を見掛けました。
唖然としましたよ。
基になっていた
「交感神経は副腎から増設された」
という幹の部分(一般論)が間違いと判明しているのですから、そこから出たこの枝の部分(各論)も破棄してゼロから考え直さなければならないのに。


 の部分だけはだいぶ誤解がひどいので、説明しておきたいと思います。ただここは長くなってしまったので、新しく立ち上げてそちらで展開していきます。

Pass

[2467]
タマゴ - 2016年12月13日 (火) 13時45分

分かりました。
ただ、分かったといっても、

>タマゴさんの反論は、すべて等に反論済みのことですので、あえて繰り返す愚はとりません。自由になれなければいかに懇切丁寧に説明しようとも、分かってもらえないからです。

の箇所に同意したのではなく、

>新しく立ち上げてそちらで展開していきます。

の箇所に同意したのですが。
最後に是非、tadaさんの感想も伺えればと思います。

Pass

[2468]
tada - 2016年12月15日 (木) 00時25分

 大東亜戦争はアジア植民地解放を主目的とする聖戦ではなかった。そのアジア植民地解放は 侵略を正当化する大義名分であったとの立場に変化はありません。たしかに現象的にはアジア解放戦争に見えることがあります。それは敗戦後の責任を軽減することを目的に実地されたことを指し 大日本帝国の統治が4年と短期間だったということが大きく作用しています。ヘーゲルの言った「理性の狡知」です。つまりあのまま日本の統治が続けば 強力な天皇制イデオロギーによる他文化抑圧ために逆に解放どころか反日・民族運動が起こることは容易に予想できるのです。戦争末期と日本軍の敗戦・権力の減退と空白に民族運動が乗じたことが 日本が主体的におこなったと見えた解放戦争の真相です。朝鮮半島にしても征服していたのには変わりなく アジア解放ではありません。征服国家と被征服国家との間に経済的事象においてはその浸透が抵抗もなくなされることは歴史的にみれば普通にありますが 文化的事象においては過去に歴史をもつ民族であれば その文化的抵抗は大きいのです。
 日本国民を中心にみれば それはこの戦争の端でおきた 傍流のことでしかありません。国民にとっては国家宗教である天皇制イデオロギー・国体論による思想文化の統制、経済的にはナチスドイツ・ソ連をモデルにした統制経済の推進による経済失策、政治的には陸軍海軍の2大官僚組織の非協力体制による戦略および外交判断の失策。とてもとても本流といえるような輝かしい日本国家ではありません。政治をみただけでも もし 陸軍海軍が党派的対立を乗り越え 協力し 外交判断も常識的にあればシナ事変で和平し 米国の仲介において 満州の承認も得られたのです(N工作)。つまり太平洋戦争は起こらなかったのです。もし 米国と戦争を望むのであれば それこそ満州国の放棄 蒋介石との早期和平・協力体制をもち アジア解放戦争を前面に押し出し チャンドラボーズとインドの独立・協力と世界への正当性のアピール、その他アジア植民地解放と即時撤退・経済協力を背景に米国と対峙すればよかったのです。そして そこまでやってこそ 国民も胸をはれる 本流の思想だと思うのです。天寿堂さんは国民の犠牲と軍部の愚かさに目をつぶりすぎです。
 もちろん 私はアジア解放運動を完全に否定するものではありません。アジア解放に尽力された方々はいます。それは軍・行政内外において杉原千畝の活動のように 国家の主流として運動したのではなく 傍流として 国家に逆らいながら民族独立運動を支援したのが実像でしょう。傍流だったからこそ 彼らの運動が理想的で地道なものだったのです。天寿堂さんの思想もこの系譜に連なる思想になることを望みます。司馬遼太郎が言っていたように 日本の歴史は世界で5本の指にはいる。すばらしいものには間違いないのですから。

Pass

[2469] 統体止揚するとどうなるか?
愚按亭主 - 2016年12月16日 (金) 08時59分

 tadaさん、返事を頂けるとはあまり期待していなかったので、うれしいかぎりです。ではさっそく約束通り統体止揚を試みてみましょう。

 まず、tadaさんの事実から抽出した意見はこうでした。結論として、大東亜戦争はアジアの解放のための聖戦ではなかった。その構造は、アジアの解放は、日本の敗戦によってできた権力の空白を機にアジア植民自身が主体的に勝ち取ったものであり、日本が解放したものではない。日本の帝国主義は挑戦をはじめアジア諸国を征服したことは間違いのない事実であり、その指導者の失策によっていらぬ戦争を始めることになり、日本国民にも多くの犠牲者を出すことになった。その日本の兵士の中にもアジアの解放戦争に主体的に参加しそれに貢献したものもいるが、それはあくまでも個人レベルの話であり、日本のアジアの解放とは無縁の話である、ということになるかと思います。

 ではこれに対して、対自的立場から私が否定的にこれを媒介すると次のようになります。まず、結論としては日本がアジアを解放したとなります。その構造は、人類の歴史の流れを本流の発展という観点から俯瞰してみますと、学問の発展・科学技術の発展を媒介として西洋諸国がいち早く近代化を達成し、その優位性をもって世界征服・植民地争奪戦を展開します。そんな中アジアのはずれ位置する日本が、そういう危機的状況の中で国の体制を中央集権化し、国民一丸となって西洋の学問・科学技術を自分のものとして、数々の学問的な新発見も実現するまでになって、欧米諸国に次いで近代化を達成しました。

 その後、さまざま紆余曲折を経て、日本と白人欧米諸国とが戦うことになって、日本は負けたものの、一時はアジアの植民地化された諸国から白人を追い出して白人欧米諸国による植民地体制の屋台骨は大きく壊したのは日本であり、だからこそ白人欧米諸国はその張本人である日本を制裁するために「他国を侵略してはならない」という事後的国際法を作り、結果として自分たちもそれに縛られることになって、その後の植民地体制の維持が難しくなり、アジア諸国民の独立闘争もあって、アジアの国々が次々に独立していくことになったのです。このように、植民地体制の崩壊の流れを作ったのは明らかに日本であり、日本が人種差別はいけない、他国を侵略してはならないという認識を一般化するのに大きく貢献したのです。

 では、この対立する両者の意見を統体止揚するとどうなるでしょうか?まず、人類の本流の流れが本質的必然性ですので、現象としてはtadaさんのおっしゃるように日本がアジアを解放したという事実はありませんが、その奥に潜む本質的な流れとしては、日本がアジアを解放したということが言える、ということです。

 さて、この作業をする中で、じつは正直なところtadaさんの意見に大いに不満があります。それは事実から本当に抽出したのか、という点に疑問が湧くからです。たとえば、侵略とか植民地化とか征服という使われている概念の中に、細かい事実が含まれている雰囲気が感じられないからです。特殊性が大事だと強調されている割には、日本と欧米諸国のそれらとの間の違い、特殊性が感じ取れないからです。皆同じものとされている感じがするのです。それは国家論一般や政治論一般を事実に安易に適用してしまって、それらの個別的事実の側面がすっぽりとざるの穴から滑り落ちてしまっているのではないか、という気がどうしてもしてしまうのです。

 たとえば、日本が迫りくるロシアの脅威からの自衛のために国家として自立できない朝鮮を併合し、日清戦争に勝って台湾を獲得し、満州に居座っていたロシアを日露戦争に勝って追い出して、満州鉄道の権益は得たものの、満州自体は清国に返したのです。その清国が崩壊して漢民族の中華民国が立った時、清国の版図は全部自分たちのものだと満州をわがものとするために、満州族の溥儀を北京に留め置き幽閉しましたが、溥儀はそこから脱出して日本に助けを求めます。

 しかし、その当時の満州はどうだったのかと言いますと、
●そもそも満州は、法治はおろか人治すらないという、軍閥・匪賊が支配・跋扈する無法地帯だった。

●G・B・レーは著書で、「蓋し満州こそもっとも掠奪物に富み、現に張作霖一家が3千万民衆から搾取した収入は、南京政府の収入より多くなくとも、之に匹敵するものであった」と書いている。

《黄文雄 「日中戦争真実の歴史」他の著書「中国人が死んでも認めない捏造だらけの中国史」》


●馬賊は、昔から豊村が豊になる時を狙って、部落を襲い掠奪をほしいままにしてきた。農村では自衛隊を作り小銃で防いだり、少ない警察や正規軍に頼ったが、ますます大きくなっていく馬賊を防ぎきれなくなっていく。そこで民衆は、馬賊に税金を払い、その頭目を正規軍の隊長にして、他の馬賊の襲撃を防ぐようになった。
これが満州の軍閥・中国軍隊の成り立ちである。(張作霖・馬占山など)
       《榛葉英治 「満州国崩壊の日」》
 


馬賊の活動(馬賊に身を投じた日本人・根本市郎の供述書より)…

●移動時は人家を徴発して宿泊し、被害を恐れた住民が差し出す食糧を食べた。

●根城の山塞は人里離れた奥地にあり、人質は拉致すればここに監禁した。山塞には120人前後の人質が監禁されており、山中の倉庫には人質と交換に得た現金が約80万ドルあった。(拉致が主な収入源。日本人の中にも人質になった人がいた)

●人質は金を払えばすぐに釈放したが、払わない時には耳や指を切り取り、その家族に送った。

●アヘンを不法栽培する農民から、保護を名目に上納金を受け取った。不法栽培を取り締まる官憲側に対抗するため、アヘン栽培農家は馬賊と話をつけ、自分たちを守っていた。(もっとも官憲側も賄賂を送れば黙認してくれることが多く、アヘン栽培農家は馬賊と官憲を天秤にかけ、自分にとって有利だと判断した側に上納金を払っていた)

●満鉄では、線路のボルトや枕木などが抜き取られる事件や、列車が急カーブや上り坂にさしかかり減速した時を狙って貨車に飛び乗り、積み荷を盗む事件などが頻繁に起きていた。

●1923年4月、関東州北端で、約40名の馬賊が日本人派出所を襲い、日本人巡査1名が死亡するという事件も起きていた。
        《塚瀬進 「満洲の日本人」》


●当時の満州では、鉄道をめぐる事件が頻発していた。数年間の間に百件以上も鉄道爆破事件があったといわれている。「満州国史」によれば、匪賊と呼ばれるテロリストたちは推定100〜300万人いたといわれる。
      《渡部昇一 「渡部昇一の昭和史」》


●1920年代、満州の民は張作霖親子二代にわたる暴政によって、失意のどん底だった。彼ら奉天軍閥は兵を養い戦争を起こすために、不換紙幣を乱発し、税金は数年先まで前払いさせるなどのことをしていた。満州事変当時、張学良の軍事費たるや実に国家予算の85%にまで上っていたことは、リットン報告書も承認するところだった。

●彼らが満州人の怨磋の的になったのも当然だった。(満州文治派の知識人たちが運動していた)満州を独立国とすることは、満州人の念願だった。(柳条湖事件の混乱をむしろ利用した運動だった)
       《中村粲 「大東亜戦争への道」》


●辛亥革命が起き中国全土がますます混乱すると、この混乱に乗じて満州に張作霖が現れ、中国政府に逆らい満州を支配した。張は中国兵を放逐するため、中国人とは思えないほどの強力な兵力を整い始めた。1923年には何と5億ドルもかけ、大兵器工場(2万人が働いていた)を奉天に完成させた。加えて20万とも30万とも言われる私兵を蓄えていたのである。
         《ラルフ・タウンゼント
           「暗黒大陸中国の真実」》


●本来、馬賊は村の自警団である。治安のすこぶる悪い満州では、壮丁が武装をして村を守り、あるいは有力者の雇った壮士がその任務につくという風習があった。
しかし武器を持った彼らは、自分の村を守るが、時に他の村を襲って略奪をこととした。そして長い歴史の間に、馬賊は自警団の本義から離れて、略奪と復讐と縄張り争いばかりをくり返す無頼の集団と化した。
         《浅田次郎 「中原の虹」》

●事変直前の様子について、満鉄社員で「満州青年連盟」の理事をしていた山口重次氏はこう書いている…「奉天では日本人がうっかり城内にいくと、巡警、野次馬でふくろだたきに会う。小学児童の通学には、領事館警察隊が護衛していったが、それでも投石された」(「消えた帝国 満州7」毎日新聞社)
《渡部昇一 「中国・韓国人に教えてあげたい本当の近現代史」》


●もともと満州を中国は誰が来ようと大して気にもしていなかった。ところがここが経済発展しだしたのを見て、いきなり「満州は中国の一部だ。返せ!」と言い出した。ちゃんと合法的に条約を結んでいるのに「条約なんて即刻廃棄だ。いやなら武力に訴えるぞ」と言って、それを「革命外交」と呼んだ。そのために、莫大な投資をし、こつこつ発展させてきた土地が強奪されそうになり、そこにいる日本人の身も危険にさらされた。それで、その地域を切り離して満州国を独立させるしかなくなった。

●確かに満州は、条約上は一応「中華民国」の一部ということにはなっていたけど、満州の権益は条約では日本のものだった。中国の方が先に条約破棄を宣言したのだ。日本は世界一条約を律儀に守る国で、もっぱら条約破られっぱなしだった。(ソ連にも) 
     《小林よしのり 「『個と公』論」
            他の著書「戦争論」》


●張学良の日本への圧迫・弾圧は、筆舌に尽くし難かった。
@暴行・器物・施設の破壊など、1年間で30万件を超えた。
A日本人経営の店舗・企業に対して、税関で支払った税金とは別に、営業税などを課した。
B満鉄は、アメリカが資本の援助のもと、学良が日清条約に違反して建設した並行鉄道によって貨客を奪われ、収入が1/3になり経営危機に陥った。
     《福田和也 「地ひらく(上)」》
 


●張作霖の息子の張学良は、父の政策を受け継いだ。

◇胡芦島と営口に大連港に対抗する港を作り、全満の貨物を吸収した。

◇日本の経済活動を満鉄付属地だけに限定させるため、沿線の付属地には境界線と監視所を置いて、出入りする商品には重税を課したので、この中では日本人は商売ができなくなった。

◇日本人の土地貸借権を認めず、日本人と契約した者は死刑にするとの「懲弁国賊令」を作った。

●学良時代、日本人の小学生は日本兵の護衛付きで通学し、軍隊のない地方では休校・廃校になった。こうして満州にいる日本人・朝鮮人の130万人は百万人に減った。関東軍の演習も禁止された。

●包囲された満鉄は自滅の道を辿った。社員1,500人を解雇し、社員の俸給を半分に削ったりして、やっと存在を保てるという状態だった。
      《榛葉英治 「満州国崩壊の日」》 
 


●【日中間協定の侵害リスト】
@商業及び農業の目的のために土地を借りる権利を日本人に与えた、南満州と東内モンゴルに関する1915年条約の拒否

A日本人の経営する鉱山産出の石炭に対してかかる輸出税を、10%→40%へ勝手につり上げた。

B満鉄平行線の建設(北京条約違反)

C満州の中国の鉄道で輸送される日本製品への差別(九ヵ国条約違反)

D大連港返還要求(条約無視)

E日本の警備兵が鉄道沿線から撤退することを要求(協定無視)

F鉄道建設に必要な土地を満鉄に売却するのを拒否(協定違反)

G関税局によるタバコへの差別的な高輸入税の割り当て( 〃 )

H満鉄沿線区域内での不法な税金の取り立て( 〃 )
I朝鮮人への迫害/日系資本の鉄道の売上金の着服

  等…これらによって満州事変は起こった。

●中国の反日運動は満州事変後に生じたのではなく、それ以前の日本の政策が全く融和的だった10年以上の間に、すでに進行していた。
    《K・カール・カワカミ
      「シナ大陸の真相 1931‐1938」》
 


●1929年と30年の鉄道付属施設の損失…
  鉄道運行妨害:171件
  鉄道運行中の強盗:189件
  鉄道施設の略奪:92件
  電線の略奪:26件

●1927年〜31年、国民党政府は相変わらず反日運動を推進していた…
◎日本からの借金を返す義務はないと公言。

◎学校の教科書に反日プロパガンダを刷り込み、「大嫌いな日本人」という歌まで作り授業で毎日歌わせた。

◎31年と32年の国際会議で、「中国人は昔も今も全ての国と誠心誠意お付き合いをしてきたのであります。しかるに敵は、言われなき罪をかぶせ弱みに付け込んでいるのでございます」と訴えた。

●日本には反日プロパガンダの証拠がある。これは英米人の手で翻訳され、中国各地の領事館に保存されている。

 【張学良の満州の反日運動歌】

 お前を叩きのめしてやる
  残忍な支配権を踏み倒してやる
   銀行はぶっ潰す
    鉄砲を投げ捨ててやる
 一致団結(以下同趣旨)
  打倒だ、打倒だ
   大砲は破壊してやる
    借金は踏み倒す
     お前の経済力はすでに地に落ちた

●張作霖は慎重だった。日本に好意を持っていたわけではないが、かといって公然と敵対行為に出ることはなかった。日本人を脅かすこともあったが、政情定まらぬ国では普通にありえる程度のことで、日本が行動するほどのことではなかった。

●ところが無能な学良が跡を継いでからは事態は一変した。蒋と同盟を結び中国の地に乗り出し政治に手を出した。北京を乗っ取り取れるだけの税を取った。反日プロパガンダ組織を造り盛んに活動を開始した。満州全土で日本人襲撃事件が多発。新政策の一環として日本に次々と要求(旅順・大連返還、条約無視等)し税金を取り立てようとした。(中国と関わりを持ったことで排外政策に同調した)
       《ラルフ・タウンゼント
          「暗黒大陸中国の真実」》


●言うまでもなく満州における日本の諸権利は、当時の国際法原則に依拠した正当かつ合法的な権利であり、その地位は中南部における英米その他の立場と全く同様のものであった。

●1920年代を通じて進出日本企業や在留日本人が受けた「排日の受難」は、現在の比ではなかった。その中を日本政府、とくに幣原外交の「日中友好」のスローガンの下でひたすら耐え忍び続けた国民世論と軍部の自制心にこそ今日、驚嘆すべきもの、との評価がなされるべきであろう。
従って、それがいずれ「暴発」することは必然であった。国益や国民感情からいって余りに不自然な政策が、結局いかに大きな犠牲を払うことになるか、という観点こそが最も重要な「歴史の教訓」とされなければならない。
      《中西輝政 「諸君!2006/2月号》 


●普通ならば政府は…
@公使を引き揚げ、抗議の意思を世界に向けて示す。
Aそして日本の正当な権利がこれほど侵されていて、こんなことが続いたら自衛の権利を発動しなければならないと、盛んに広報活動をすべきだった。
…ところが当時は「幣原外交」だった。「日支友好が第一」と唱え、何をされてもじっとしていた。
      《中西輝政 歴史街道2006/4月号》


●1931年5月に南京で開催された国民会議でも、「打倒日本帝国主義」のスローガンの下、旅順大連の回収・満鉄回収が叫ばれた。ここに至って中国側は、何が何でも短期間中に日本の合法的権益を回収するとの強硬姿勢をとったのである。
…中国に「善意」を示し続けてきた幣原外交を見て、中国側が日本を侮った結果でもある。

《黄文雄 「日中戦争真実の歴史」他の著書「中国人が死んでも認めない捏造だらけの中国史」》
                     

 以上の資料からいえることは、満州は中国のものではなかったということであり、正当な所有者たるべき溥儀が国を作ったということであり、その大臣もすべて満州族であった、ということです。この満州国の実態は、日本の傀儡政権にすぎないという評価もあります。たしかに、満州を簒奪していた国民党政権や馬賊から満州を取り戻し、満州国建設を全面的にサポートし主導権を発揮していたのは日本です。しかし、


●東洋最大級の豊満ダムを視察に訪れたフィリピン外相は、「フィリピンはスペイン植民地として350年、アメリカの支配下で40年を経過している。だが住民の生活向上に役立つものは1つも作っていない。満州は建国わずか10年にしてこのような建設をしたのか」と語ったと、案内役の満州電業理事長だった松井仁夫は述べている。

●満鉄は、最高時速130キロという世界最高水準の「あじあ号」を作った。また地方道路も網の目のように建設され、さらにはアジア初のアウトバーンも建設されている。

●満州は当時の中国人にとって戦乱も飢饉もなく、私有財産も安全も保障され、しかも進んだ教育・医療を受けられた桃源郷だった。「王道楽土」は決して政治的宣伝ではなかった。
            《黄文雄 産経新聞》

 という事実を見るとき、欧米の侵略・植民地化と日本の侵略・植民地化とを同列に論じてよいものか疑問が湧きます。また、余談ですが、日本に異常な敵意をもって嫌がらせをしてきた張学良の背後に、鉄道の件といいアメリカがいたのではないかという気がします。だから、強気に日本を攻撃できたのだと思います。

Pass

[2470]
タマゴ - 2016年12月16日 (金) 14時35分

まだ続けるのであれば、私もお付き合いしますよ。
青雲さんの圧力で、神戸だいすきブログは出入禁止にされてしまいましたんで(苦笑)。

>さて、この作業をする中で、じつは正直なところtadaさんの意見に大いに不満があります。それは事実から本当に抽出したのか、という点に疑問が湧くからです。たとえば、侵略とか植民地化とか征服という使われている概念の中に、細かい事実が含まれている雰囲気が感じられないからです。特殊性が大事だと強調されている割には、日本と欧米諸国のそれらとの間の違い、特殊性が感じ取れないからです。皆同じものとされている感じがするのです。それは国家論一般や政治論一般を事実に安易に適用してしまって、それらの個別的事実の側面がすっぽりとざるの穴から滑り落ちてしまっているのではないか、という気がどうしてもしてしまうのです。

天寿堂さんの口から此のような言葉が発せられるとは、なんとも皮肉な話です。
天寿堂さんは常々、
「人類の本流からアバウトに捉えた論理の観点こそが大事で、タマゴのように個別事実に拘ってはならない。」
という趣旨のことを述べてきたからです。
tadaさんの方は個別事実にも精通した上での一般論ですから、学生レベルの歴史知識にも欠けていることをゴマかすために一般論モドキを押し通そうというのとは訳が違います。

なお、老婆心ながら申し添えておきます。
天寿堂さんは「賢者の説得力」なる右派サイトから上記の文章をコピペしたようですが、ここまでの長文ですから、URLはともかく出典くらい記した方がいいと思います。
右派サイトからの引用だと分かると“主観的で客観性に乏しい”というツッコミが入ると思ったのかもしれませんが。

Pass

[2471] 余計でしたが
愚按亭主 - 2016年12月16日 (金) 15時27分

>まだ続けるのであれば、私もお付き合いしますよ。

 年末で忙しいのに無理しなくていいですよ。tadaさんに約束していたものですから、返事するのは義務ですからかいたまでです。つい、少し余計なことまでも書いてしまったようですが、それは無視してください。

>天寿堂さんは常々、
「人類の本流からアバウトに捉えた論理の観点こそが大事で、タマゴのように個別事実に拘ってはならない。」
という趣旨のことを述べてきたからです。
tadaさんの方は個別事実にも精通した上での一般論ですから、学生レベルの歴史知識にも欠けていることをゴマかすために一般論モドキを押し通そうというのとは訳が違います。

 tadaさんのは個別科学の一般論だから問題にしているのです。概念論レベルの一般論と個別科学レベルの一般論とはその方法論が反対になるのです。そこは区別して使用しています。

>右派サイトからの引用だと分かると“主観的で客観性に乏しい”というツッコミが入ると思ったのかもしれませんが。

 元ネタの資料名が書いてあるのですから、それで充分ではないですか!大事なことはそこに書かれている事実が、真実かどうかです。ですから、真実でないと思うのであるならば、右派サイトだからということでなく、その事実が真実でないことを立証すべきです。

Pass

[2472]
タマゴ - 2016年12月16日 (金) 17時20分

まず内容云々以前に、天寿堂さんは歴史資料(史料)というものを完全に誤解している。

歴史資料(史料)には、大本の資料や原典を指す一次資料と、一次資料を基に作成した二次資料とがあります。
例えば、私が示した「南方占領地行政実施要領」等々が一次資料です。
一次資料こそが、当時の客観的な事実関係を示していますから、歴史学に於いては最も重要視されるのです。

天寿堂さんの右派サイトからのコピペは、二次資料である(客観的な一次資料に基づいている)かどうかすら判然としません。
確かにそれぞれの文章の作者は記されていますが、その作者自体が歴史学者ではない右派の職業作家が大半です。
小林よしのりに至っては漫画家ですよ?
歴史学者と呼べそうなのは、塚瀬と中西くらい。
右派の作家が、一次資料を原典とせずに言いたい事を言っている文章は、史料でもなんでもありません。
それがアリなら、ゴルゴ13でもはだしのゲンでも何でも史料ということになってしまう。

まず、その点を押さえる必要があります。

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[2473]
タマゴ - 2016年12月16日 (金) 19時21分

1911年に勃発した辛亥革命により、
1912年には孫文が臨時大統領となり中華民国が成立しています。
さらにその後継である袁世凱の治世に於いて、日本も中華民国を清の正式な後継国家として承認しています。
つまり、日本は、清の領土であった満州地方を中華民国が引き継いだことを正式に承認したのです。

台湾と満州の違いは、正式な条約によって日本の支配が認められたかどうかによります。
台湾は、日清戦争後の下関条約により正式に日本領となったのですから、その認識で何ら間違ってはいませんが、
満州は、日本も、中華民国の領土であると認めたのですよ。
ここのところに軽くでも触れているのは、上記の作家の中では、小林よしのりだけという体たらく。

天寿堂さんがコピペした右派論者達の言いたいことは、おそらく、
「当時の満州地方は無法地帯であって
中華民国の実質的支配が及んでいなかった」
ということなのでしょう。
しかし、そこから天寿堂さんのように、
「以上の資料からいえることは、満州は中国のものではなかった」
などと飛躍するのは無茶です。
上記の論者達は、読者がそのように誤解してくれることを期待していそうに感じられますが、彼ら自身はそのようなことは述べていない。
そのように明言してしまうと、デマゴーグのインチキ作家、或いは、歴史をマトモに学んでいない勉強不足の馬鹿、といった烙印を押されかねませんから。
俺達が悪いんじゃなくて勝手に誤解するる奴が悪いんだよ!というスタンスなのでしょう。

要するに、天寿堂さんは彼らの掌の上でまんまと踊らされているピエロだということです。

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[2474] 歴史学に一番大切なものは何か?
愚按亭主 - 2016年12月16日 (金) 21時58分

>歴史資料(史料)には、大本の資料や原典を指す一次資料と、一次資料を基に作成した二次資料とがあります。例えば、私が示した「南方占領地行政実施要領」等々が一次資料です。一次資料こそが、当時の客観的な事実関係を示していますから、歴史学に於いては最も重要視されるのです

 私はそうは思いません。歴史学において一番重要なのは、論理能力です。何故なら、歴史の資料は事実をそのまま示しているとはkぎらないからです。そこから真実を見抜くのに論理能力が必須だからです。その意味で一次資料二次資料も同等です。そして、あらゆる事実を総合して過去の真相を解き明かすためにも、豊かな想像力と論理能力が最も大事だと思います。



>「以上の資料からいえることは、満州は中国のものではなかった」などと飛躍するのは無茶です。

 では、層でもない証拠を示しましょう。それは以下のサイトから引用します。これによると、はじめ中華民国側は、満州は外国として扱っていたのです。しかも、その協定も一方的に保護にして、清朝の後継としての正当性を自ら破り捨てていたのです。しかもそれをしないで後継としての資格を持っていたとしても、満州は除外されていたのです。おそらく、袁世凱は後になって満州もほしくなってそういう無茶をしたのだと思います。いずれにしても、満州は中国のものではなかったことは確かで、ちゅごくによって強引に侵略されたも同然なのです。

http://teikoku-denmo.jp/history/honbun/chuuka_minkoku1.html
1911(清の宣統2・明治45)年の武昌蜂起に始まった辛亥革命は支那全土に波及し、翌1912(清の宣統3・明治45)年1月1日、孫文が臨時大総統(大統領)に就任、ここに曲がりなりにも「中華民国」が成立したのです。しかし、成立したとは言え、清朝が崩壊した訳では無く、かといって、民国政府も発足したとは言え全土を掌握する実力がある訳でも無く、情勢は混沌としたままだったのです。この様な中、時の実力者・袁世凱が清朝・民国政府両者を仲介、「ある条件」を以て宣統帝・溥儀 ── ラストエンペラーの「退位」を引き出し、同年2月20日、宣統帝が「退位」、約300年続いた清朝が「滅亡」したのです。と、ここ迄は、皆さんもご存じの歴史だと思います。そして、皆さんは、清朝の滅亡により、「後継国家」としての中華民国が成立したと認識されている事と思います。しかし、実際にはそうでは無かったのです。ズバリ言えば、中華民国は清朝の「後継国家」等では無かったのです。と言う訳で、今回は、宣統帝退位に伴った「ある条件」を軸にこの問題について書いてみたいと思います。
宣統帝・溥儀の退位に伴った「ある条件」とは一体何だったのか? それは、一般に『退位協定』と呼ばれるもので、その中に清朝にとっての各種優待条件があったからこそ、清朝 ── 宣統帝が「退位」を受諾した訳です。そして、その『退位協定』とはこの様なものだったのです。
中華民国政府が清朝と締結した『退位協定』(抜粋)

大清皇帝(宣統帝・溥儀)は辞位(退位)後も皇帝の尊号を廃止せず、中華民国(支那共和国)は外国君主に対する礼を以てこれを待遇する。
大清皇帝は年金として毎年400万両(テール)を中華民国より受領する。
大清皇帝は暫時、紫禁城内に居住し、後日、頤和園に移住する。
大清皇帝の宗廟・陵(墓所)は永遠に奉祀し、中華民国はこれを慎重に保護する。
先帝・徳宗景皇帝(光緒帝)陵の工事は予定通り続行する。その奉安の儀式も旧制のままとする。
紫禁城内の各職員は従来通り使用出来る。但し太監(宦官)は今後採用出来ない。
大清皇帝の私有財産は中華民国が特別に保護する。
禁衛軍(皇帝守備軍)は中華民国陸軍部の編成下に置かれる。
『退位協定』には、この他、清朝皇族・満州・モンゴル・ウイグル・チベット各民族に対する優待条件等も規定されていましたが、やはり核心は、宣統帝・溥儀に対する処遇であった事は確かです。
支那王朝史上、幾多の皇帝・王がその地位を失い、玉座から引きずり下ろされてきました。所謂(いわゆる)「廃位」です。そして、「廃位」された皇帝は「廃帝」(但し、王朝最後の皇帝は「献帝」・「哀帝」・「末帝」等、諡号(おくりな)は様々)と呼ばれ、自殺した者、殺害された者も多く、縦(よ)しんば生き長らえたとしても、「庶人」(平民)の地位に落とされ、惨(みじ)めな生活を送る事となった者も数多くいました。しかし、溥儀は確かに「ラストエンペラー」ではありましたが、決して「廃帝」では無かったのです。溥儀は形式上、中華民国政府によって「放伐」(支那人の易姓革命観に基づくもので、徳を失った皇帝を討伐して放逐する事)されたのでは無く、「禅譲」(皇帝が帝位を世襲せずに徳の有る者に譲る事)した事になっていました。溥儀が無理矢理、帝位から引きずり下ろされたのならば、「廃帝」と言う事になる訳ですが、彼は禅譲した事になっているので「遜帝」(そんてい:帝位を譲った元皇帝)と呼ばれていました。そして、「遜帝」であった証拠が、『退位協定』における
大清皇帝(宣統帝・溥儀)は辞位(退位)後も皇帝の尊号を廃止せず、中華民国(支那共和国)は外国君主に対する礼を以てこれを待遇する。
だった訳で、退位後も皇帝の尊号を名乗る事が許され、「皇居」(紫禁城)に住み続け、高額の年金を支給され、側近等の使用人もそのまま使い続ける生活をも保障されたのです。つまり、中華民国政府にとって溥儀は、新政府に「禅譲」した「先帝陛下」だったと言う事になり、その視点に立てば、中華民国は正に清朝の「後継国家」と言う事が出来る訳です。しかし、敢えて言います。それでも中華民国は清朝の「後継国家」では無かったと。では何故、中華民国が清朝の「後継国家」では無いのか? その答えはその後の歴史が図らずも証明しているのです。
『退位協定』締結から僅か2年後の1914(大正3)年2月、清朝と中華民国政府を仲介し、『退位協定』の締結に深く関与した袁世凱 ── この時、中華民国大総統の地位にあったのですが ── 彼の公布した大総統令
大清皇帝(溥儀)は本日を以て永久に皇帝の尊号を廃除し、中華民国の一国民として法律上一切の権利を同等に享有する。
によって、いとも簡単に反古にされてしまったのです。つまり、大総統令は「遜帝」或(ある)いは「先帝」である溥儀を、「中華民国の一国民」=「庶人」に落とすと宣言しているのです。(満蒙皇族についても同様) しかも、溥儀等に何らの相談も無く一方的にです。『退位協定』はれっきとした契約であり、契約と言うものが当事者間の交渉で改定・廃棄される事を考えると、これは、明らかな「契約違反」と言える行為です。溥儀等からすれば到底受け入れる事等出来よう筈が無く、彼等は民国政府による一方的な協定変更を認めず、『退位協定』を盾に従前同様の生活を続けたのです。しかし、溥儀等の抵抗も長くは続きませんでした。
民国政府側は、『退位協定』の一方的な改定後、更に輪をかける様な行為を繰り返しました。1924(大正13)年10月23日、時の権力者・呉佩孚の部下だった馮玉祥がクーデター(北京政変)を起こし首都・北京を占領、呉佩孚の追放に成功すると、同年11月5日、馮玉祥は軍兵を紫禁城に差し向け、溥儀等を紫禁城から追放したのです。(溥儀等は、天津租界の日本公使館に保護された) しかし、事はそれだけでは済みませんでした。民国政府は、主人(溥儀)を失った紫禁城から清皇室の財産を悉(ことごと)く没収し、財宝の掠奪を欲しいままにしたのです。そして、更には、あろう事か、西太后を始めとする清朝歴代諸帝の御陵に迄、軍兵を差し向けて盗掘し、副葬品として埋葬されていた財宝迄をも掠奪、それらを売却して内戦の軍費に充当したのです。
さて、話を、中華民国が清朝の「後継国家」であったか否かに戻しましょう。ここ迄見てきた様に、中華民国が清朝との間に「退位協定」を締結し、宣統帝・溥儀から「禅譲」と言う形で政権を移譲された事は確かです。しかし、その後、一方的に『退位協定』を改定、協定に明記されていた各種条項を悉く破棄し、財産没収・財宝掠奪等の暴挙を働いたのも事実です。つまり、見方を変えれば、中華民国は清朝から「禅譲」された政権の「正統性」を自ら放棄した ── 「後継国家」としての地位を擲(なげう)ったと言え、それは図らずも、清朝歴代諸帝御陵に対する盗掘が、何よりも証明しているのです。

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[2475]
タマゴ - 2016年12月17日 (土) 00時15分

>歴史学において一番重要なのは、論理能力です。何故なら、歴史の資料は事実をそのまま示しているとはkぎらないからです。そこから真実を見抜くのに論理能力が必須だからです。その意味で一次資料二次資料も同等です。そして、あらゆる事実を総合して過去の真相を解き明かすためにも、豊かな想像力と論理能力が最も大事だと思います。

また論点のすり替え。
私は、一次資料と論理能力の重要性を比較しているのではありません。
一次資料というのは、論理的に真実性が確定している資料のことを指すのです。
一次資料に基づいていない、ある方向に偏った主観を持つ職業作家の文章が資料と呼ぶに値しないというのは、当たり前のことですよ。
このように、天寿堂さんが下らない詭弁ばかり弄するから議論がなかなか先に進まず、スレッドが異様に長くなってしまうのです。
いい加減にして下さいよ。

>はじめ中華民国側は、満州は外国として扱っていたのです。

退位協定には、中華民国が満州を外国として扱うなどとは書かれていません。
溥儀を先代王朝の皇位継承者として丁重に遇することを約束したのです。

>その協定も一方的に保護にして、清朝の後継としての正当性を自ら破り捨てていたのです。

袁世凱が“溥儀の待遇”に関する協定を“反故”にしたのは問題だと思います。
しかし日本は、その際に、袁世凱の行為に公式に抗議もしておらず、事実上黙認しています。
つまり、この時点で、日本は満州が中華民国の領土であるという姿勢を変えてはいないのです。
そもそも退位協定自体が満州地方を溥儀の土地であると認めるものでもなく、日本も経緯を黙認していたのに、突然20年後に五族協和だ王道楽土だと、溥儀が思ってもいなかってことを日本軍が勝手に大騒ぎしても、世界が認めるはずもありません。

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[2476] 歴史学に一番必要なものは何か
愚按亭主 - 2016年12月17日 (土) 10時22分

>退位協定には、中華民国が満州を外国として扱うなどとは書かれていません。溥儀を先代王朝の皇位継承者として丁重に遇することを約束したのです。

 だから論理能力が大事だといったのです。タマゴさんは協定に文字として書かれていなければ認めないという、事実オンリーでしか考えられないから、せっかくの一次資料が生かせないのです。協定の書かれていることの意味するものは、大清国皇帝として廃位しても、外国すなわち満州国の皇帝として遇するということです。この時の漢民族の袁世凱は、漢民族と無縁で極寒の人の大して住んでいない僻地の満州などいらないと思っていたのです。しかし、あとで資源があるということが分かって、態度を急変させて強引な協定破りを行ったのです。すなわち、溥儀を外国の皇帝として遇するということは満州を外国と認めることになるので、満州を自分のものにするために溥儀を一国民にするという無法な暴挙に出たのです。書かれていなければ満州が外国でないのなら、袁世凱が慌てて協定破りをする必要もなかったはずです。

 タマゴさんのような態度では、一次資料がいくらあっても歴史の真相に迫ることはできないでしょう。だから、論理能力が一番重要だといったのです。論理能力があれば、一次資料も二次資料も、孫想を明らかにするたまに有効に活用できる、ということです。

>そもそも退位協定自体が満州地方を溥儀の土地であると認めるものでもなく、日本も経緯を黙認していたのに、突然20年後に五族協和だ王道楽土だと、溥儀が思ってもいなかってことを日本軍が勝手に大騒ぎしても、世界が認めるはずもありません。

 当人たちの意識はどうあれ、客観的には、支那共和国が満州を領有する正当性・正統性はなかったということであり、日本が助けて溥儀が満州国を立国した、こちらの方が正当性・正統性があった、ということは明らかです。

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[2477]
タマゴ - 2016年12月17日 (土) 13時21分

>この時の漢民族の袁世凱は、漢民族と無縁で極寒の人の大して住んでいない僻地の満州などいらないと思っていたのです。

こんなのは大嘘もいいところですよ。
よくもマァ次から次へと、バカげた妄想を恥ずかしげもなく繰り出せるものです。
まず天寿堂さんは、袁世凱がどのような経歴の人物か知らない。
袁は清朝時代、単に北洋軍閥の総帥だっただけでなく、大清帝国第2代内閣総理大臣をも務めています。
つまり、元々は清朝内部で最重要クラスの職務を担っていたのです。
そして袁は、清朝皇帝の代理人として、日本やロシアなどを相手どり、満州利権の帰属に関する交渉を請け負っています。
当然、満州地方の地政学的重要性は清朝の誰よりも熟知していました。
その認識は、袁が孫文らと清朝を打倒して中華民国の総統に就任してからも変わることはなかったのです。

>明らかです。

そんなことを言ったら、そもそも清朝に中国を支配する正当性があったのかどうかが怪しい、という話になってしまいます。
もし溥儀を助けて云々〜などと本気で考えていたのならば、中華民国成立の時点か袁世凱が溥儀を廃位させた時点で抗議すればよかったのです。
その時は黙認しておいて、20年も経ってから後付けでグダグタ言ったって筋は通りません。

歴史学とは、客観的資料に基づいて正確な論証を行うことが求められる学問です。
では、天寿堂さんの何がダメなのかと言えば、客観的資料にも基づいておらず、論証能力(論理能力)もダメなところです。
それ以前に、高校世界史の教科書レベルの知識すら覚束ないのに、歴史を真摯に学ぼうという気持ちが皆無。

よくエラソーな態度を取れるものです。

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[2478] 真実・真相の追究こそが大事
愚按亭主 - 2016年12月18日 (日) 09時51分

 たしかに協定に関する事実からのみ解釈していたため、実態と離れてしまっていましたね。おっしゃるとおり、袁世凱のことをもっとよく調べて展開すべきでした。反省します。それを認めたうえで、一方のタマゴさんの方も私の欠点を指摘したところまではよかったのですが、ではあの協定および協定破りの真相は何だったのかの究明にまでは進んでいかれませんでしたね。そこを明らかにすることの方が一番大事ではないですか?

 そこで少し袁世凱について調べてみました。彼はなかなか優れた人物のようでしたね。日本から学び、日本方式を取り入れて軍隊を強くして頭角を現していったとのことでした。漢人でありながら清の丞相にまで上り詰めるとは大したものです。清の故郷である満州がロシアに侵されたときに何もできず、日本がそういうロシアに戦いを挑んだときも中立を宣言して逃げを打った清(自分の故地は自分で守れよ!)の中で、唯一袁世凱は日本にいろいろと協力していたようですね。

 清に対する漢族の反撃である辛亥革命が起きたとき、袁世凱は下野しておりましたが、ほかに鎮圧できる者がいないということで、鎮圧の命が下りますが、本来漢人である袁世凱は清の命運は尽きたと喝破して、密かに革命軍と通じて革命を成功させます。しかし、その革命の成就といっても、その革命軍は一枚岩ではなく力も弱かったので、袁世凱が宣統帝を退位させたら革命政府の大統領にするという約束で、廃位が行われて清朝がほろんだという形でしたので、一種の妥協の産物だったわけです。

 だから、袁世凱は宣統帝の同意を得るために、清朝の皇帝は廃位しても満州の皇帝としては存続できるとして、廃位を認めさせたわけです。また、ではなぜ袁世凱はその協定を自ら破ったのかといえば、私が言ったような満州に資源があると分かったからというものとは程遠く、袁世凱が、革命政府内の対立で議会を停止して、独裁を強め清国の皇帝に代わる中華帝国の皇帝になるという野望を抱いたためだったようです。しかし、その野望は大反対にあい80日でついえてしまいます。

 では、その時の日本はどうであったのでしょうか?日本も中国の混乱に合わせたように中国とどう向き合うか、意見が分かれ混乱していたようですね。ですから、日本として協定破りについて袁世凱に抗議するどころではなかったようです。ですから

>もし溥儀を助けて云々〜などと本気で考えていたのならば、中華民国成立の時点か袁世凱が溥儀を廃位させた時点で抗議すればよかったのです。その時は黙認しておいて、20年も経ってから後付けでグダグタ言ったって筋は通りません。

 廃位自体は、時代の流れとして致し方ないことですが、協定を一方的に破ったこと、そしてそれによって実質的に満州も中華民国(帝国)のものとする暴挙に対して抗議すべきだったとは思いますが、それは支那の大きな混乱の中でのごく些細な一部としてで起きたことなので、なかなか難しいことだったと思います。

 溥儀が日本に亡命してから、そういうことが問題となったとは思いますが、すでに後の祭りだったのでしょう。そういうわけで、次のようなきっかけによって、万種国の建設という実力行使という形になったのだと思います。つまり、張学良による満州における強烈な日本いじめや、日本の経済的な苦境、そして溥儀の満州での国作りの願望、そして、それらを解決する道として満州国の建設があったということです。つまりウィンウィンの関係です。溥儀は、清帝国の再興を望んでいたようですが、それ以上に想像もできなかったであろう最先端の技術の粋を集めた、本土の日本以上の近代的な国家として創り上げられたのですから、そういう国の皇帝として故郷に錦を飾れたのですから、これ以上の行幸はなかったと思います。ただ、残念なのは、それが長続きできなかったことです。この満州国は、いろいろな評価がありますが、実際に平和な法治国家として王道楽土・五族協和を実現した試みとして評価すべきだと思います。

 そして、このゼロから創り上げた経験が、日本の敗戦によって焦土と化したところからの国づくりにも生かされて、瞬く間に一等国にのし上がったことは、まさに日本が本流であることの証明であると思います。その日本が早急にすべきことは、国家の主体性の回復であり、学問の体系化の完成であり、そしてその応用による日本国の再興です。

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[2479]
タマゴ - 2016年12月18日 (日) 16時29分

>実態と離れてしまっていましたね。おっしゃるとおり、袁世凱のことをもっとよく調べて展開すべきでした。反省します。

今回のケースだけ反省してもらっても仕方ありません。
天寿堂さんと大東亜戦争に関して議論していて強く感じたのは、tadaさんも述べていたかと思いますが、天寿堂さんに議論の共通認識となる歴史の基礎知識が決定的に不足しているということです。
例えば、袁世凱が清朝の総理大臣を務めていたというのは、右派・左派といった歴史認識の立場に関係なく、近現代世界史を語るならば、常識として知っていなければならない基礎知識なのですよ。
資料や論理がどうこう以前の問題なのです。
こうした基礎知識は右派論者のライトノベル並みの読み物ばかりを選り好みしていても身に付きません。
天寿堂さんのしていることは、野菜炒めから肉だけ拾って食べて野菜炒めについて得意顔で語っているようなものなんですよ。
まずは真面目に世界史の勉強を始めることです。

もう一つ。
ここと同時進行で、天寿堂さんの元生徒の自由びとさんとも議論していたのですが、天寿堂さんとの議論よりも遥かに重要な発見がありました。
それは、天寿堂さんや南郷派が弁証法の祖の一人として重要視しているアリストテレスについての知見です。
アリストテレスは、孔子と同じように「中庸」という概念を最重要なものとして提唱していたのです。
以下Wikipediaより引用。

「『ニコマコス倫理学』のなかで、アリストテレスは人間の行為や感情における超過と不足を調整する徳としてメソテース(中間にあること)を挙げた。メソテースとはギリシャ語(ギリシア語: μεσοτης, Mesotes)であるが、英語ではGolden Mean(又はHappy Mean)と言う。日本語訳ではこれに中庸という儒教用語をあてた。例えば、勇気は蛮勇や臆病の中間的な状態である時はじめて徳として現れる。アリストテレスによれば、この両極端の中間を知る徳性が思慮(フロネシス、実践知)である。」

つまり、アリストテレスは、偏りの無い知性の獲得を目標とすべきと考えていたわけで、我々はその為に弁証法的議論を行うべきなのです。
アリストテレスの主張は凡庸でツマラナいと言う人がいますが、アリストテレスの主張は凡庸なのではなく「中庸」なのですよ。
だから素晴らしいのです。
天寿堂さんのように、特定の宗教的信条を背景とした歴史認識に拘っていては、どれほど他者と議論を重ねても、アリストテレスの述べた「中庸」には近づきません。
このアリストテレスの「中庸」の概念は、ヘーゲルの絶対精神の前提条件であると思います。

つまり、天寿堂さんは、長年染み付いた議論の仕方を根本から変革しない限り、アリストテレスにもヘーゲルにも近づくことはできない。
本気で弁証法を追究するなら、相手の主張の中から都合のいい所だけ摘まみ喰い的に取り入れて「統体止揚」したなどと努々思わないことです。

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[2480] 中庸を実践できていないのはどちらの方か?
愚按亭主 - 2016年12月19日 (月) 10時20分

 ありがたいお説教ありがとうございます。ただ、不思議に思うのは、そのように中庸を説かれるタマゴさん自身が、自分の説を絶対的に正しいとして私の説を決して受け入れようとせず、自分自身の誤りを認めようともせず、保守派の論客の主張を偏向していると頭ごなしに排除し、石原莞爾の王道楽土の理想論を宗教的欺瞞だとして否定するのをみると、どうみても中庸には見えません。

 そもそもアリストテレスの説く中庸論の構造は、対立物の統体止揚論であり、理性と感情との統一としての統体止揚論なのです。人間の生きる道に関する理性的認識が感情化して、感情レベルでそれが実践できるようになることが、すなわち中庸であり徳ということなのです。その過程で重要なのは、対自的な絶対的真理を基準にしていることです。これは、学問においても同様の構造なのです。だから、アリストテレスは、絶対的真理のイデアのみを認めて現象的世界を否定したプラトンに対して、現象的世界を認めることを主張して、即自対自的肯定的弁証法的理性(統体思弁)の学問を確立したのです。これも中庸の実践なのです。私も、tadaさんの説を肯定したうえで対自的な本流論を否定的媒介として、本流論を本質的必然性・基準としてその統体止揚論を展開して見せました。これすなわち中庸の実践なのです。

 これができるためには、即自の自分・現実的な自分の立場から離れて自由になることが必須的条件なのです。そうでなければ中庸は実践できないからです。tadaさんもタマゴさんもそれができないから、中庸になれないのです。私は、自分の誤りを認めてより真実に近寄ろうとします。これができるのは、即自の自分(自分のプライドを守ろうと即自の自分を必死に守ろうとしない)から自由だからです。ところが、タマゴさんは、ろくに歴史の知識もないと私を馬鹿にして、「『以上の資料からいえることは、満州は中国のものではなかった』などと飛躍するのは無茶です。」と断じておきながら、中華民国側が満州が外国であると位置づけていたことを示す一次資料が出てきて、その論議の中でその成立過程からともかくもそのことが文章化されたことは間違いのないことを論証すると、それについて一言もなく、歴史をもっと勉強しろと説教を垂れることによって、自分の発言に責任をとることを誤魔化していると思います。これが中庸な態度でしょうか?

 以上のように、私は中庸を実践しようとしておりますが、タマゴさんの方は全く実践しようとしていないことは、過去の記事を振り返ってみていただいても歴然としていると思います。

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[2481]
タマゴ - 2016年12月19日 (月) 12時11分

>その過程で重要なのは、対自的な絶対的真理を基準にしていることです。

天寿堂さんが唱える“一般論”の数々が、実は“一般論モドキ”に過ぎなかった、ということは既に繰返し述べてきたし、天寿堂さん自身も馬鹿を晒して恥ずかしい思いをしてきたので宜しいでしょうが、
同じ論理的誤謬が“天寿堂流絶対真理”“天寿堂流本流論”にも内包されているではないかと思います。
即ち、
まず、“絶対真理”“本流論”の措定の問題点
次に、“絶対真理”“本流論”の適用の問題点
この二点です。まず、
“天寿堂流の絶対真理”は本当に“絶対真理”なのでしょうか?
“天寿堂流の本流論”は本当に“本流”なのか?
そこから検討が必要だと思います。
言うなれば、今の天寿堂さんは、
「一般論の稲村」
というだけでなく、
「絶対真理の稲村」
「本流論の稲村」
になってしまっているということです。

>私も、tadaさんの説を肯定したうえで対自的な本流論を否定的媒介として、本流論を本質的必然性・基準としてその統体止揚論を展開して見せました。

問題なのは、ここで言う“本流論”とは、あくまでも“天寿堂流本流論”だということです。
つまり、天寿堂さんの個人的嗜好に合うようにtadaさんの主張を加工して取り入れたにすぎないということ。
一方、tadaさんは天寿堂流本流論を認めてはいません。
これは中庸でも統体止揚でもない。
水を汚れた布で濾しても汚れた水ができるだけです。

>タマゴさんは、ろくに歴史の知識もないと私を馬鹿にして

天寿堂さんが
「袁世凱は満州に興味がなかった」
などと、真顔で大嘘を断定口調で唱え、更にはそういった大嘘の数々を土台にして妄論を展開していることに異議を唱えたのです。
基礎知識が無いなら謙虚たれ、威張るならそれ相応の勉強をせよ。
人として当たり前のことができていないから忠告したのみです。
誤った知識から正しい結論を導くことは不可能なんですよ。

>中華民国側が満州が外国であると位置づけていたことを示す一次資料が出てきて

そんな資料は出て来ていません。

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[2482] 私の本流論を説明しましょう
愚按亭主 - 2016年12月20日 (火) 11時14分

 私は、中庸を言い出したタマゴさん自身が中庸でないことを、事実を挙げて指摘しましたが、それについては一言も触れずに、つまり無視するように私を批判するという姿勢は、ずいぶん偏っているように思えるのですが、これがタマゴさんのいう中庸ということなのでしょうか?

 では、私の方からの反論をしていくことにします。まず挙げるべきは、タマゴさんの基本的な誤解を正しておきたいと思います。細かいようですが、タマゴさんがよく一般論の誤りだとして挙げている「手足のツボはすべて交感神経のツボである」等々は一般論ではありません。枝葉の事実の共通性の認識つまりは特殊性レベルの論理だということです。これに対して、一般論という場合は、枝葉ではなく木そのものを対象として、それに関わる様々な特殊性レベルの論理を糾合してそのもの自体の持つ体系性を表す一般性として抽出したものを一般論といいます。ですから、まずは実践的事実を積み重ねながら試行錯誤的に事実から論理を導き出して論理として確定していく作業が繰り返されることになります。その過程では誤謬はある意味必然性なのです。大事なことは、そうした誤謬を犯しながら真実を明らかにしていくことであり、そこから審理を導き出していくことです。

 次に、タマゴさんの誤解というより、これは何度も説明してきているので、全く人の言うことを聞く気がないために、犯している誤りなのですが、それは相対的真理の一般論・全体像の形成過程と、絶対的真理の一般論・全体像の形成過程という全く異なるものを一緒くたにしてしまっている誤りです。これまで何度も説明してきましたが、相対的真理は事実を起点としてそこから論理を積み上げていって一般論を形成するのですが、絶対的真理は「世界は一にして不動」という核の論理を起点として、一定の事実を媒介としつつも、そのその論理自体のもつ論理性にしたがって発展していって一般論を形成していくものです。ですから、全く違うものですから一緒くたにはできないのです。つまり、相対的真理の方は事実に合わせて論理の形を形成していくものですが、絶対的真理の方は論理に事実を従わせるものなのです。実際、論理が先行して事実が後からついてくるのです。これはどういうことかといいますと、事実の方がその枠の中に納まっていくということです。だから、学問の冠石なのであり、精神の王国の骨格なのです。


>同じ論理的誤謬が“天寿堂流絶対真理”“天寿堂流本流論”にも内包されているではないかと思います。
即ち、
まず、“絶対真理”“本流論”の措定の問題点
次に、“絶対真理”“本流論”の適用の問題点
この二点です。まず、
“天寿堂流の絶対真理”は本当に“絶対真理”なのでしょうか?
“天寿堂流の本流論”は本当に“本流”なのか?

 冒頭の一文についてはすでに反論してありますので、その下の部分からについてですが、これはとても良い疑問です。しかし、せっかくとてもよい問題提起をしているのに、それに対するタマゴさんの見解がありません。その解答はタマゴさんには難しいでしょうから、参考に供するように、私の本流論について、説明しましょう。

 まず、絶対的真理の本流論を創り上げるためには、人類の学問の歴史における最高の頭脳の営みの再措定が必須です。具体的には学問の曙であるギリシャ哲学からドイツ哲学の絶対的真理の完成形であるヘーゲルの弁証法に至る流れを再措定することです。この作業の過程で、私はこれを未だかつて誰も行ったことがない絶対的真理の系譜と相対的真理の系譜との絡み合いの弁証法的過程として措定したのです。そしてさらに、私はその弁証法の発展の歴史を製紙隊の弁証法から運動体の弁証法へと至る過程的構造として措定しました。これに関しては、後で知ったことでしたが、すでに消極的弁証法と積極的弁証法という形でまとめている日本の研究者がいることを知って、人類初ではなかったかと残念に思いました。

 これについてはすでに簡単ながらこの一連の記事の中で述べてはおります。以下にその部分を引用します。

〔2452〕
「私は幸運にもそのことに気づいて、絶対的真理の系譜と相対的真理の系譜との絡み合いで発展してきた学問の歴史を再措定すると直接に、絶対的真理の発展の歴史をもしっかりと再措定したうえで、ヘーゲルの絶対精神の自己運動という絶対観念論の弁証法の具体化を、南郷学派が解明した生命史観の再措定および、まだ誰も解明していない人類の本流の歴史を措定することによって実現しつつあり、その過程で学問の冠石としての、ヘーゲルの弁証法を自分のものとしていわゆる「精神の王国」の骨格を築き上げることに成功しました。」

 そして、この中身については、私が書いた弁証法のテキストの中で詳しく説明しています。それを全部展開するわけにはいきませんが、その目次の関係のある部分だけをおみせしますので、そこから想像してみてください。

        *         *

5、弁証法の全体像とはどういうものか 
〔ヘーゲルの絶対精神の自己運動がすなわち弁証法の本体〕 
@現宇宙と前宇宙の二重構造 
A現宇宙における本流となった太陽系の二重構造 
B本流中の本流に起きた地球と生命の二重構造化 
C地球との関係を劇的に変えた生命の二重構造化 
D人類の歴史における精神的生活の生産と物質的生活の生産の二重構造化 
E政治と経済とへの社会の二重構造化 
〔世界の発展の流れの論理的総括〕 
〔弁証法を獲得するための認識の二重構造化〕 
〔弁証法の本能化の構造〕 
 
第二章弁証法の歴史の弁証法性 
1、弁証法の歴史は古代ギリシャの哲学者パルメニデスから始まる 
〔学問の曙ギリシャ哲学の人類の発展史における意義〕 
〔ギリシャ哲学における相対的真理の系譜の誕生〕 
〔ギリシャ哲学における絶対的真理の系譜の誕生〕 
〔真の弁証法の始祖は誰か〕 
2、弁証法は絶対的真理の系譜によって主に創られ発展させられた 
〔ギリシャ哲学における絶対的真理の弁証法の発展の三側面〕 
〔静止体の弁証法から運動体の弁証法への二重構造的発展〕 
〔弁証法の発展の論理と学問の完成の論理との区別と連関〕 
〔ドイツ哲学における絶対的真理の弁証法の発展の三側面〕 
3、絶対的真理の系譜と相対的真理の系譜の対立と統一 
〔学問は、絶対的真理の系譜と相対的真理の系譜との絡み合いで完成する〕 
  〔ギリシャ哲学からドイツ哲学へー時代の学問の否定の否定的発展〕 
4、ドイツ哲学のヘーゲルによる弁証法の完成の一瞬の輝き 
〔カントの物自体からヘーゲルの絶対精神へ〕 
〔ヘーゲルはしっかりと学問の冠石を完成させた!〕 
 
第三章 物質の、生命の人類の本流としての日本の絶対理念への道 
1、日本が、欧米列強の植民地支配を打ち壊し人類平等への道を拓く 
 〔欧米の植民地支配の本質―残酷なキリスト教が学問を悪用〕 
 〔白人優位の世界に風穴を空けた日本を目の敵にする米国の悪だくみ〕 
 〔米国の目論見を破った三年半の間に育んだ芽が植民地体制を崩壊させた〕 
〔英雄的な日本を悪者にして自分たちの犯罪を隠す欧米列強とそれに乗る中国。朝鮮〕 
2、日本の人類史の本流に足る精神はいかにして創られたのか 
〔日本以外の他の国と日本の戦争のあり方の違い〕 
〔秀吉のバテレン追放令の意義〕 
〔優れた日本語が人類の本流になっていく日本の精神を創った〕 
3、世界の果ての地に何もないところからひょっこり現れた弁証法の金字塔 
〔日本に突然出現した安藤昌益の弁証法とはどういうものか〕 
〔安藤昌益の奇跡的な弁証法を生みだした日本の社会力・社会的認識力の実力〕 
4、絶対的真理の弁証法を否定した相対的真理の弁証法の限界 
 〔絶対的真理の弁証法の否定は相対的真理の弁証法の完成に不可欠な過程だった〕 
 〔学問の完成のための相対的真理から絶対的真理への第二の否定の難しさ〕 
5、絶対的真理の弁証法と相対的真理の弁証法との真の統一への道 
〔学問における絶対的真理の系譜と相対的真理の系譜とのらせん的発展の構造〕 
 〔真の学問の完成へ、絶対的真理の弁証法と相対的真理の弁証法の統一への道〕 
 〔絶対理念化した日本が物質・生命・人類の本流となって世界創造こそ本質的必然性〕

           *         *

 以上の私の本流論がヘーゲルの絶対精神の自己運動論をそのまま継承し、その論理性にしたがって発展させたものであることを、もう少し詳しく説明しましょう。

 ヘーゲルは、この世界の本質である絶対精神が、その本性にしたがって物質と化し、物質として発展していく中で、生命という非常に特殊な運動性を帯びた物質が誕生し、その生命の内在的な概念性と形相性との二重構造的な発展運動によって進化し続け、ついに人間に至って、その内在的な、形相性の一部であった形相の認識(動物的認識)が人間の感性的認識へと発展し、内在的な概念性すなわちDNAが、概念(理性的認識)として外化して学問へと発展していくことになります。そして、ヘーゲルは人間になって、もともとあった概念性が外化して概念となって絶対理念へと発展して、学問が体系化されて、それまでと違う形での発展、すなわち新たな世界創造がはじまるという設計図を描いたのです。ですから、人類の本流とはすなわち、学問の担い手ということです。

 そして、目下の世界で清の学問の担い手になりうるのは日本しかいないという現実があるのです。だから、日本が本流なのです。

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[2483] 大東亜戦争は聖戦だったか
愚按亭主 - 2016年12月20日 (火) 13時53分

>そんな資料は出て来ていません

 では、タマゴさんは「中華民国政府が清朝と締結した『退位協定』(抜粋)」はなかったというのでしょうか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E5%AE%A4%E5%84%AA%E5%BE%85%E6%9D%A1%E4%BB%B6
 ここに、それが確かにあったことを示す資料の出所が明記されています。ここに氣されている皇室優待条件の内容と協定の内容がほぼ同じですので、、協定は確かにあったと思われます。この第一条には
第一条 大清皇帝辞位の後尊号猶を存して廃せす中華民国は各国君主を待つの礼を以て待遇す。
 とあって満蒙回蔵(満州・蒙古・ウィグル・チベット)は中華民国ではないと明記されております。その後、協定を一方的に破ってそれらの地域を簒奪したわけです。ですから、日本がしたことは、侵略者であった中国を追い出して満州人が満州国を建設するのを手助けしたということです。これを単純に侵略と決めつけて良いものでしょうか?実際、日本はアジア諸国の首脳を集めて大東亜会議を主催しています。その中で、欧米の白人植民地主義の波動に対置して、アジアの独立・解放を目指す王道を主張し、そのための聖戦とまではっきりと明言しております。その後の線らy区戦術のまずあから配線職が濃厚になりますと、その中からイギリス側に寝返ったビルマなどが出てきましたが、しかし、そのことをもって聖戦でなかったとどうして言い切れるのでしょうか?

 参考にその大東亜会議での東条英機や各国首脳の演説を見てみてください。

東條首相の会議の趣旨を総括的に述べた演説。
  http://hassin.org/01/wp-content/uploads/tojo.pdf
・汪兆銘(中華民国行政院長)の演説
    http://hassin.org/01/wp-content/uploads/WangChing.pdf
・張景恵(満洲国総理)の演説
   http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Chang.pdf
・ワン・ワイタヤコーン殿下(タイ国内閣総理大臣代理)の演説
http://hassin.org/01/wp-content/uploads/WAITHAYAKON.pdf
・ホセ・ラウレル(フィリピン大統領)の演説
    http://hassin.org/01/wp-content/uploads/JOSE1.pdf
 バー・モー(ビルマ首相)の演説
    http://hassin.org/01/wp-content/uploads/BAMAW.pdf
 チャンドラ・ボース(インド仮政府首班)演説
    http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Boss.pdf


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[2484]
タマゴ - 2016年12月20日 (火) 14時08分

余りにもツッコミ所が多い書き込みなので、数回に分けて返答することとします。
一度では書ききれないし、私も忙しいので。

>タマゴさん自身が中庸でないことを、事実を挙げて指摘しましたが、それについては一言も触れずに、つまり無視するように私を批判するという姿勢は、ずいぶん偏っているように思えるのですが、これがタマゴさんのいう中庸ということなのでしょうか?

言っている意味が分かりません。
「事実を揚げて」の「事実」とは一体ナニを指すのでしょうか?
天寿堂さんの書き込みの中に、それに該当するものが何一つ見当たりません。
もしや、
『以上の資料からいえることは、満州は中国のものではなかった』
という一文のことでしょうかね?
これは「事実」ではなく、天寿堂さんの「妄想」に過ぎないと、既にかなり詳しく論証したではありませんか。
解決済みの話に何度も何度も触れたくはないのですがね。
・・・マァ、天寿堂さんが忘れっぽくなってきていることは私もやり取りをしていて感じるし、そこをあまり責めても可哀想ではあるので、ごく簡単におさらいしておきますか。
ただ、これで最後にして下さいよ。

まず、 事実関係として、東三省地域(後の満州国の辺り)は、清朝から中華民国が引き継ぎ、日本政府もそれを“公式に”認めている。
それに対して天寿堂さんは、ろくに考えもせず安易に「当時の満州地域は無法地帯であった」という右派論者の記述をマトメたサイトから、長文コピペをしてきた。
彼らの主張は、要するに、中華民国の満州地域に於ける実質的支配力は希薄であった、ということです。
しかし、満州は中華民国のものでない、などとは一言も述べてはいない。
彼らも内心は認めている。
それを天寿堂さんが「満州は中国のものではなかった」などと勘違いしただけのことです。
勿論、歴史に無知な読者の誤解を誘引するような書き方をする右派論者にも責任はあると思いますが、そんなインチキにまんまと引っ掛かる方も勉強不足なのです。

これに関して一つ大きな問題なのは、天寿堂さんが自説を引っ込めたくないがために
「漢民族の袁世凱は、漢民族と無縁で極寒の人の大して住んでいない僻地の満州などいらないと思っていた」
などとドヤ顔で大嘘をついたことです。
インチキの上に大嘘を塗り重ねて何とかゴマかそうとした。
そんな低次元のセコい手口は、真摯に歴史を学んできた者には通用しません。

真面目に議論に応じている相手に、嘘や詭弁を駆使してやっつけてやろうという天寿堂さんの不誠実極まりない態度。
しかも、ろくに反省もしていない。
平気でこんなインチキをする人との間に弁証法は成立しないですよ。
当たり前のことですが、「中庸」というのは、嘘や詭弁に歩み寄ることではありません。
水と泥水を混ぜて薄い泥水を作ることではないのですよ。

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[2485]
タマゴ - 2016年12月20日 (火) 15時18分

あのですねぇ・・・。
退位協定に「満蒙回蔵(満州・蒙古・ウィグル・チベット)は中華民国ではない」なんて何処にも書いてないですよ。
全文を貼っておきましょうか?

皇室優待条件
第一条 大清皇帝辞位の後尊号猶を存して廃せす中華民国は各国君主を待つの礼を以て待遇す。
第二条 大清皇帝辞位の後歳費を四百万両とし清貨幣改鋳の後改めて四百万元とし中華民国より支弁す。
第三条 大清皇帝辞任の後暫く宮禁に居り後頤和園に移る侍衛人等は条規の如く留用す。
第四条 大清皇帝辞任の後其の宗廟寝陵永遠に祭を奉じ中華民国より適宜衛兵を置き慎重に保護す。
第五条 徳宗皇帝の陵未だ工事終らざるは制の如く修築し其の典礼を奉ずる尚ほ旧制の如くし所要経費均しく中華民国より支出す。
第六条 宮中前に用ふる所の人員常に照して留用す唯だ以後更に宦官を加ふるを得ず。
第七条 大清皇帝辞位の後其の現有資産は中華民国より特別保護す。
第八条 現有の禁衛軍は中華民国陸軍部の節制に帰し其数及び俸与尚ほ旧の如くす。
皇族待遇条件
第一条 清国王公世爵概して旧に由る。
第二条 清国皇族の中華民国国家の公権及び私権は国民と同等とす。
第三条 清国皇族資産は一体に保護す。
第四条 清国皇族は兵役の義務を免ず。
満蒙回蔵各族待遇条件
第一条 満蒙回蔵各族共和に賛同するに因り中華民国は左の待遇をなす。
第二条 満蒙王公爵秩禄を旧に依らしめ王公中生計困難の者は法を設けて生計を助く。
第三条 八旗生計を調査し未だ調査せざる者は俸与旧に依りて支給す。
第四条 従前の営業居住等の制限は一律に除去し各州県其の自由出入りを許す満漢満蔵現有の宗教は其の自由信仰を許す。

要するに、満蒙回蔵の王候貴族については中華民国成立後も丁重に待遇する、と約束したのです。
東三省地域(後の満州国の辺り)が中華民国領土でないなんて何処にも書いてはいないし、どれほど偏向した右派論者でも、そこまでトチ狂った解釈をしている人はいません。
それでも
「他が何と言おうが俺にはそう読める」
と言い張るのなら、もう、どうぞご勝手にとしか言いようがありません。
誰からも相手にされないだけです。

「狼が来た!」
と真顔で嘘を吐き続けていた少年は、本当に狼に襲われた時に助けてもらえませんでした。
天寿堂さんが「統体止揚しようよ!」と呼び掛けても相手にされないのは、それと同じことなんですよ。

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[2486]
タマゴ - 2016年12月20日 (火) 16時16分

>まずは実践的事実を積み重ねながら試行錯誤的に事実から論理を導き出して論理として確定していく作業が繰り返されることになります。その過程では誤謬はある意味必然性なのです。大事なことは、そうした誤謬を犯しながら真実を明らかにしていくことであり、そこから審理を導き出していくことです。

などと述べる天寿堂さんですが、実態はそうではない。
誤謬を、さも確定的事実であるかのように、真顔・ドヤ顔で強引に押し込んでくる。
もし議論する相手が存在しなかったならば、天寿堂さんはいまでも、
「手足には交感神経のツボしかない」
「交感神経は副腎から増設された」
「袁世凱は満州などいらなかった」
などの大嘘を、狂人が金属バットを振り回すように、さも確定的事実であるかのようにドヤ顔で主張していたはずです。
私が、虚偽を虚偽と認めたがらない岩窟王の天寿堂さんに、これらの大嘘を撤回させるのに、どれほど苦労したと思ってるんですか?
普通の人なら「このバカに何を言ってもムダだ」と匙を投げてしまうはずです。
それを天寿堂さんは「論破した!」と小躍りして喜ぶのでしょうが、ただ呆れて見捨てられているだけなんですよ。

事実にも多面性がありますから、どれほど真面目に観察しても、見る人見る角度によって違う物であるかのように見える可能性はあるでしょう。
その複数の見方を弁証法的に止揚して、多面体の実態を明らかにするというのなら分かります。
しかし、天寿堂さんは事実を事実として見ずに、極端に偏った先入観から妄想を巡らせているだけなのです。
その結果得た上記のような嘘八百と、tadaさんや私が提示した見解をごちゃ混ぜにしても、何が得られるでしょうか?
せいぜい三流以下の空想小説でしょう。
天寿堂さんのしていることは、ただそれだけのことなんですよ。
tadaさんも私も、そんなゴミ以下の空想小説には何の興味も無いのです。

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[2487]
タマゴ - 2016年12月20日 (水) 19時58分

>具体的には学問の曙であるギリシャ哲学からドイツ哲学の絶対的真理の完成形であるヘーゲルの弁証法に至る流れを再措定することです。この作業の過程で、私はこれを未だかつて誰も行ったことがない絶対的真理の系譜と相対的真理の系譜との絡み合いの弁証法的過程として措定したのです。そしてさらに、私はその弁証法の発展の歴史を製紙隊の弁証法から運動体の弁証法へと至る過程的構造として措定しました。これに関しては、後で知ったことでしたが、すでに消極的弁証法と積極的弁証法という形でまとめている日本の研究者がいることを知って、人類初ではなかったかと残念に思いました。

この辺りの展開については、ああそうですかという程度で、特に異論はありません。
生命史観に関する部分も、南郷派から借用したものに過ぎませんから、取り敢えず置いておきます。

問題は、
第二章弁証法の歴史の弁証法性から、
第三章日本の絶対理念への道へが、
一気に次元の低い標題の羅列となっていることでしょう。
第三章は、標題とこれ迄の議論の内容から想像するに、何処かの右派論者の安っぽい妄論を弁証法っぽく正当化したものに過ぎないのだろう、という印象しか受けません。

アリストテレスやヘーゲルが大東亜戦争を賛美するでしょうか。
第三章は完全に蛇足でしょう。
こじつけ感が半端ありません。

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[2488]
タマゴ - 2016年12月21日 (水) 10時55分

失礼、私が蛇足だと思ったのは、第三章の1〜2です。
ここだけ明らかに他から浮いています。

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[2489] 人類の本流史と生命の本流史・物質の本流史における本流の誕生・継承・交代ぎの共通性
愚按亭主 - 2016年12月21日 (水) 18時30分

>私が蛇足だと思ったのは、第三章の1〜2です。ここだけ明らかに他から浮いています。

 たしかにそう思われるのは無理のないところですが、ここは外すことのできない必須な要素なのです。第二章は、本流の誕生と本流の本家としての発展の核心部分を展開したものです。そして、第三章は、本流が本家から分家へと移っていく過程をその必然性を説いたもので、さらにその本流となった分家の日本が、絶対理念として完成していく道を歩んでいく必然性を説いたものなのです。

 この本流の誕生・継承・交代の過程的構造は、物質・生命・人類の本流史に共通の構造を持っております。たとえば、前宇宙のバランスが大きく崩れて、全宇宙規模での大激動が起きたときの中心がその本流にあたるのですが、その本流から遠く離れた銀河系のはずれにあった太陽系が、全体の運動から遅れて造星(渦巻)運動が起きることになってしまったため、その核となる太陽が充分に固まりきる前に全宇宙規模でのビッグバンが発生して、その衝撃で太陽から降り飛ばされたいくつかの惑星と自ら星を造りながら惑星との特殊な二重構造となって新たな本流となったのです。というのは、その中に月という巨大な衛星ともつ地球が生まれ、この特異な構造のゆえに生命という非常に高度な物質を生み出すという他にはない発展が起きたからです。

 つまり、ここに中心の本流から、遠く外れた太陽系へと物質の本流が移ったということです。

 次に生命でいえば、魚類の本流はマグロなどの海の中心で大きく発展したものですが、後から生まれて海の端っこで生きるしかなかった生命体は、地殻変動の影響をもろに受けてk市中から地上に投げ出されたりして、そういう環境に自ら適応せざるを得なくなって両生類へと進化してくことになって、これが哺乳類へとつながる新たな本流へとなっていきました。つまり、本流の端っこにいた落ちこぼれが、新たな本流に育っていったということです。

 同じように人類史においても、学問を生み出したギリシャ哲学・ドイツ哲学の直系にあたる欧米が本流の本家筋にあたり世界を席巻することになりますが、その直系の息子たちは、学問を学問性のない実用主義へと堕落させてしまいました。

 ところがその本家筋から遠く離れた東洋の東の果てにある日本は、新たな本流となりうる実力を、奇跡的・偶然的に磨いていて、本家の学問と出会うや、本家筋のドラ息子たちとは好対照に、大いなる憧れと自ら磨いてきた日本精神の気概とをもって、瞬く間にそれを吸収して自分のものとして、新たな本流としての実力を蓄えていったのです。大東亜戦争は、もはや本流とはなりえない本家筋のドラ息子たちと、新たな本流となるべき気概あふれる分家との戦いだったのです。残念ながら、時間がなさ過ぎて本流としての実力を十分に蓄えることができずに敗れてしまいましたが、それでも、学問は着実に日本に根付いて、今では学問の真の体系化すなわち人類が絶対理念へと到達する原動力となりうるのは日本のみとなりました。それを描いたのが第三章なのです。

 前のテキストでは、第三章の1と2がなかったので、断片的でバラバラ感があってつながりが見えなかったのですが、今回はじめて第二章と第三章とを、本流論の有機的な連関関係として展開することができたのです。

 たとえば、日本人の社会的認識が本流の精神となることができた要因について、簡単に説明するならば、狭いが比較的豊かな島国にいろいろなことろから少人数でわたってきて住み着いたことによって、日本では皆殺しということが起きず共生という知恵が育まれた。。それが聖徳太子の「和をもって貴しとなす」です。皆殺しの文化は奴隷制の文化へと発展していきますが、日本では皆殺しがなかったので、奴隷制は発達しませんでした。

 このような日本人の精神構造は日本語の文法構造にも反映されています。皆殺しが当たり前だった外国の言語はほとんどが、自分中心でまず敵か味方かを判別することが大事になりますので、最初にイエスかノーかを明らかにする構造になっています。日本語はそれが最後に来ます。日本語は、いつどこで何が起きたかといった内容の説明から入ります。日本人はこのような自分中心でない、立場の変換の自在な日本語を使うことによって、即自対自の統体止揚の中庸の心・思いやりの精神が育まれたのです。

 そうした日本において、あるはずのない女性を奴隷として海外に売り飛ばす、ということが行われたことがあります。それを行ったのは、キリシタン大名たちでした。西洋の奴隷文化に染まった者たちによって、そういうことが行われたのです。そのことを知った秀吉は、売られようとしていた女性たちを身銭を切って買い戻し、その大本であるキリスト教を禁じたのです。テレビなどではこうしたキリスト教にかぶれた者たちを弾圧することがひどい人権侵害であるかのように描かれているものが多いのですが、それが如何に日本の文化を壊すものだったかを描くべきです。

 この秀吉のバテレン追放令の意義についてですが、これがあったからこそ、江戸期に日本精神は本流の精神として完成することができたといっても過言でないほどに重要な意義を持つものでした。

>その複数の見方を弁証法的に止揚して、多面体の実態を明らかにするというのなら分かります。しかし、天寿堂さんは事実を事実として見ずに、極端に偏った先入観から妄想を巡らせているだけなのです。その結果得た上記のような嘘八百と、tadaさんや私が提示した見解をごちゃ混ぜにしても、何が得られるでしょうか?
せいぜい三流以下の空想小説でしょう。

 弁証法の真の意義は、多様性・多面性の中で、何が本質的必然性・本流なのかを明らかにすることです。

 タマゴさんは、多面性の中の中庸を言いながら、保守派を偏向だと偏向的に排除してその主張を見ようともせず、大東亜戦争は侵略戦争であってアジア解放のための聖戦ではないと、当事者たちがそう言っているのにもかかわらず、それを否定しています。どうもタマゴさんは、日本を悪く見る見方が事実に忠実な見方だと思い込んでいるような気がします。たとえば、フィリピン独立の問題といい、石原莞爾の問題といい、タマゴさんが日本が悪い例として出した事実は、みな私によって日本は悪くなかった、フィリピンの独立も日本のおかげだった、石原莞爾の最終戦争論は正当なものだったとされてしまったのですから・・・・。

 タマゴさんは肯定しないでしょうが、それが可能だということは、タマゴさんの見方も欧米に都合の良いように偏向している、ということを意味すると思います。

>満蒙回蔵の王候貴族については中華民国成立後も丁重に待遇する、と約束したのです。東三省地域(後の満州国の辺り)が中華民国領土でないなんて何処にも書いてはいないし、どれほど偏向した右派論者でも、そこまでトチ狂った解釈をしている人はいません。

 問題は、この協定をどう読むかです。まず言えることは、「中華民国は各国君主を待つの礼を以て待遇す。」とありますように、それらの国を各国と認識していたということが、前提としてあります。大清帝国はそれらを統一していたが、中華民国は漢人の国だから、それらは外国にあたるので、外国君主として扱うといっています。

 次に「満蒙回蔵各族共和に賛同するに因り中華民国は左の待遇をなす。」は、外国だけれどもそれらの君主が中華民国と協和するならばそれなりの待遇を保証しますよ、ということです。ここには協和しないならばどうなるとは書いてありませんが、協和しないならば、それらの国が独立してもやむなしということにも論理的には解釈することも可能です。

 ですから、満州皇帝が協和せずに自分の国を作っても文句は言えないということです。実際は追い出され、日本を頼って満州に国を創るという流れになるのですが、これは当然の正当な流れだったといえます。したがって、日本が中華民国の兵力を追い出して、溥儀がっ満州国を立国するのを助けたことは、正当性があったといえると思います。つまり、これは侵略ではなかったということです。

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[2490]
タマゴ - 2016年12月21日 (水) 21時00分

>日本人の社会的認識が本流の精神となることができた要因について、簡単に説明するならば、狭いが比較的豊かな島国にいろいろなことろから少人数でわたってきて住み着いたことによって、日本では皆殺しということが起きず共生という知恵が育まれた。それが聖徳太子の「和をもって貴しとなす」です。皆殺しの文化は奴隷制の文化へと発展していきますが、日本では皆殺しがなかったので、奴隷制は発達しませんでした。

日本人が平和を好む性質を持つことは特に説明を要しないでしょう。
実は、これには遺伝的要素も少なからず影響しているのですが、ここでは置いておきます。
文化的要素としては、聖徳太子が仏教を背景として唱えた「和を以て尊しとなす」という寛容の精神が、江戸時代末期までの長きに渡り、大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。
また、秀吉・家康が欧州による亜細亜植民地化の尖兵たるキリスト教勢力を国内から排除したことの意義は、少なからずあるかと思います。
ですから、この辺りの見解については、天寿堂さんも私も、さほど大きな相違はないのだろうと思います。

違うのは、明治維新〜終戦までの数十年間をどう観ているかでしょう。
既に詳しく述べているので簡単に流しますが、
この短い期間というのは、国家神道というキリスト教の影響をモロに受けた新興の一神教が、国家の支配的イデオロギーとなった特殊な期間でした。
また、文明開化という和製・文化大革命により、それまで連綿と受け継がれてきた日本的精神性が、徹底的に破壊された時代でもあったのです。

>タマゴさんは、多面性の中の中庸を言いながら、保守派を偏向だと偏向的に排除してその主張を見ようともせず

私は右派論者の主張も其れなりに知っています。
知った上で、虚偽や詭弁を指摘しているのです。
それと、私は「右派」と「保守」を明確に区別して用いています。
日本的精神性が徹底的に破壊された明治維新〜終戦までの短い期間を賛美している連中は「右派」であっても「保守」ではありません。

>大東亜戦争は侵略戦争であってアジア解放のための聖戦ではないと、当事者たちがそう言っているのにもかかわらず、それを否定しています。どうもタマゴさんは、日本を悪く見る見方が事実に忠実な見方だと思い込んでいるような気がします。

「当事者」とは誰のことですか?
日本人も亜細亜各国の国民も、大半は大東亜戦争にそのような評価を下してはいません。

>たとえば、フィリピン独立の問題といい、石原莞爾の問題といい、タマゴさんが日本が悪い例として出した事実は、みな私によって日本は悪くなかった、フィリピンの独立も日本のおかげだった、石原莞爾の最終戦争論は正当なものだったとされてしまったのですから・・・・。

わけの分からないことをブツブツ言いながら変わった人が歩いてきたら、普通の人は道を譲るでしょう?
心配してダメ元で忠告するのは、親しい人くらいなものです。
しかし、いくら友人でも、その人の口を塞ぐことまではできないんですよ。
「勝ちだ!論破だ!正当だ!」
というなら、最早その人にはそう思わせておくしかないということです。

Pass

[2491]
タマゴ - 2016年12月21日 (木) 22時13分

>「中華民国は各国君主を待つの礼を以て待遇す。」とありますように、それらの国を各国と認識していたということが、前提としてあります。

違います。
その直前に「大清皇帝辞位の後尊号猶を存して廃せす」とあるのですから、これは溥儀の待遇について明記したのみです。

>大清帝国はそれらを統一していたが、中華民国は漢人の国だから、それらは外国にあたるので、外国君主として扱うといっています。

そんなことは何処にも書かれていない。 

>次に「満蒙回蔵各族共和に賛同するに因り中華民国は左の待遇をなす。」は、外国だけれどもそれらの君主が中華民国と協和するならばそれなりの待遇を保証しますよ、ということです。

これも違う。
“左の待遇”とは、次の第二条の内容を指しています。
「第二条 満蒙王公爵秩禄を旧に依らしめ王公中生計困難の者は法を設けて生計を助く。」
即ち、満蒙の王候貴族の収入が中華民国成立以前と同等になるようにする、ということです。
中華民国の五族共和の理念に賛同するなら、という条件付きで。
ですから、退位協定を根拠として、

>これは侵略ではなかったということです。

などと結論付けるのは無理なんですよ。

Pass

[2492]
タマゴ - 2016年12月21日 (木) 23時02分

「中庸」についてですが、これは物質で喩えるなら、
酸とアルカリを混ぜて中性の液体を作るようなもので、
水と泥水を混ぜて薄い泥水を作ることではありません。
私は、右派論者・左派論者の主張であっても正当性があれば耳を傾けますが、虚偽や詭弁に耳を傾けるつもりは無いのですよ。

Pass

[2493] 国家の発展過程からとらえると
愚按亭主 - 2016年12月24日 (土) 09時21分

>違うのは、明治維新〜終戦までの数十年間をどう観ているかでしょう。既に詳しく述べているので簡単に流しますが、この短い期間というのは、国家神道というキリスト教の影響をモロに受けた新興の一神教が、国家の支配的イデオロギーとなった特殊な期間でした。また、文明開化という和製・文化大革命により、それまで連綿と受け継がれてきた日本的精神性が、徹底的に破壊された時代でもあったのです。

 たしかに、ここのところが大きく違いますね。しかし、その前に日本的精神性とは一体どういうものか、が明らかにされねばなりません。そして、その時期に、それが国家神道によって破壊されたのかどうか?検討を要すると思います。

 その問題を考える際に、とても参考になるのは、最近の心に青雲殿の優れた論考です。それは、織田信長によって、中世的な仏教勢力による世俗支配が打ち壊されて、ルネッサンスのような人間自身の自立的発展が開始されたことです。また、秀吉によるバテレン追放令によってキリスト教を排除し、徳川家康がそれを受け継いで鎖国政策をとったことが、宗教から相対的に独立した自立的な日本精神の熟成とその発露である日本文化の隆盛をもたらしたと思います。

 これを国家の発展という観点からとらえ返してみますと、支配階級となった武士が自らの生き方を誇りをもって厳しく律する伝統を築きあげながら藩政を行った結果として、封建的な地方的国家・社会として国家権力と国家との二重構造が見事に調和した国家・社会が創り上げられていったのです。

 この基礎の上に、先進的な欧米帝国主義諸国の圧力と、それらの国家形態を媒介ととして、明治期の立憲君主的絶対王政の中央集権的な統一国家を瞬く間に創り上げて一丸となって強大な欧米諸国と戦ってはじめは勝ってアジアから侵略者たちを追い払ったからアジア解放につながったといっても過言ではないところに、日本精神のすごさがあるのです。子の発展は国家論敵に行っても待った王な発展であり、学問的に理にかなっているものです。これこそが日本精神が本流である所以なのです。

>「当事者」とは誰のことですか?日本人も亜細亜各国の国民も、大半は大東亜戦争にそのような評価を下してはいません。

 それは日本が負けて勝者の欧米による日本悪者宣伝の結果であって、正当な評価とは言えません。現にタマゴさんたちも日本を悪く悪く解釈しようと一生懸命努力しているではありませんか。まさに自虐宣伝の恐ろしさを痛感させられます。アジア諸国の人たちにしても、負けてしまった日本を誰が解放者を言いますかか。自分たちで勝ち取ったと思うのは当然ですし、負けた日本を悪く言うのはたやすいことですが、勝者となった元宗主国の欧米諸国を悪く言うことはできないのです。そういう条件を見ずに現象的事実だけが事実だとみるタマゴさんは簡単に事実にごまかされてしまうのです。

 大事なことは当時の当事者たちが、どう思っていてどう言っていたかです。だから参考に大東亜会議での出席者の発言の資料を提示しておいたのです。この中で東条英機ははっきりとこの大東亜戦争は破邪顕正の聖戦だと規定しております。せっかく提示しておいたのにタマゴさんは、東条英機やアジア各国の代表の演説を読まなかったのですか?仕方がないのでその抜粋を示しましょう。

「米英ノ平素唱道致シマスル国際正義ノ確立卜世界平和ノ保障トハ、畢責軟洲二於キマスル諸国家ノ分裂抗争ノ助長ト、亜細亜ニ於ケル植民地的搾取ノ永続化卜二依ル、利己的秩序ノ維持二外ナラナイノデアリマス。而シテ亜細亜ニ於ケル米英ノ遣り方ヲ見マスル二、彼等ハ政治的二侵略シ、経済的こ搾取シ,更二致育文化ノ美名二匿レテ民族性ヲ喪失セシメ、相互二相衝突セシメテ、其ノ非望ノ達成ヲ図ツタノデアリマス。

 斯クテ亜細亜ノ諸国家諸民族ハ、常ニ其ノ存立ヲ脅威セラレ、其ノ安定ヲ攪乱セラレ、民生ハ其ノ本然ノ発展ヲ抑圧セラレテ今日二至ツタノデアリマス。彼等ノ呼号スル門戸開放、機会均等主義モ、東亜ヲ植民地視スル根本観念二発ンタルモノデアリマシテ、賓ハ彼等ガ東亜侵略ノ非望ヲ蓬ゲンガ為ノ便宜手段二過ギナイノデアリマス、彼等ハ自国ノ領土内二於テハ'東亜ノ諸民族二封シテ常こ門戸ヲ閉鎖ン、機会ヲ不均等ナラシメ、交易ヲ阻碍シツ、、只管彼等ノミノ利己的繁柴ヲ追及シタノデアリマス。洵ニ英両国ノ懐ク世界制覇ノ野望コソハ、人類ノ災厄、世界ノ禍根ト謂フベキデアリマス。」

 と正しく分析しさらに続けて
「顧ミレバ東亜ノ諸国家諸民族ノ間こ於テ解放ノ義挙ノ起ツタコトハ、一再二止マラナカッタノデアリマスルガ、或ハ米英ノ暴戻飽クナキ武力的弾圧ニ依り、或ハ彼等ノ異民族統御ノ常套手段デアル所ノ悪辣極マル離間策ニ依り、多クハ失敗二帰ンタノデアリマス。

 此ノ間こ在リテ日本ノ興隆ハ米英こ取リマシテハ最モ好マシカラザルモノトナツタノデアリマス、茲二於キマシテカ、彼等ハ、 一方こ於テ事毎二日本抑壁ノ態度こ出ヅルト共こ、他方二於キマシテハ日本卜東亜二於ケル爾他ノ諸国家諸民族トノ離間ヲ策スルコトヲ以テ彼等ノ東亜政略ノ要諦トスル二至ツタノデアリマス。

 蓋シ東亜ノ隷属化ヲ維持スル為こハ東亜二於テ何レカノ国ガ強固トシテ勃興致シシマスルコトモ又、東亜ノ諸国家諸民族ノ団結スルコトモ 彼等二取り、其ノ最モ不利トスル所デアルカラデアリマス。而シテ斯クノ如キ米英ノ東亜隷属化ノ野望ハ、特こ最近数年間二於テ愈々悪質露骨トナツテ参ツタノデアリマス。即チ將政権ヲ使嗽シテ、日華両国ノ国交ヲ阻碍シ其ノ極、遂こ不幸ナル支那事変ノ勃発ニ至ラシメ、之ガ解決こ封シテモ、有ラユル手段ヲ弄シテ其ノ妨碍ヲ策シタノデアリマス。

 而シテ今次欧洲戦争勃萄後二於キマシテハ、戦苧ノ必要二籍口シテ平和的通商ヲ肪碍シ、更二進ンデ其ノ本質二於テ戦争卜異ナラザル所ノ経済断交ノ手段ニ愬へ、他面東亜ノ周辺こ於テ武備ヲ増強シ、以テ我二屈従ヲ強ヒント試ミ、東亜ノ安定ハ根祇ヨリ重大ナル脅威ヲ受クル二至ツタノデアリマス'斯クノ如キ米英ノ態度二拘ラズ、帝国ハ、只管渦乱ノ東亜ノ天地二波及スルコトヲ避ケント欲シマシテ、陰忍自重'最後迄平和的交渉こ依ツテ時局ノ収拾ヲ図ツテ参ツタノデアリマス、然ルニ米英ハ'何等反省互議ノ態度二出デズ、却テ愈々脅喝卜圧迫トヲ強化シテ、帝国ノ存立ヲ危殆二瀕セシメタ ノデアリマス。

 帝国ハ逐ニ自存自衛ノ為、蕨然起ツテ東亜こ封スル挑戦こ応ズルノ巳ムナキ二至り、茲ニ一切ノ障碍ヲ破砕シテ、東亜永遠ノ平和確立ノ為、国運ヲ賭シテ征戦二遡進スルコトトナツタノデアリマス」と戦いに至った経緯を説明しています。

そして終りの方で、以下のように聖戦であることを宣言しています・
「大東亜戦争ハ実ニ破邪頴正ノ聖戦デアリマシテ、大義名分炳乎トシテ我ニ在り、正義ノ向フ所敵撫ク、究極ノ勝利ノ我こ帰スベキコトハ我等ノ信ジテ疑ハザル所デアリマス。

 茲ニ 大東亜諸国ガ、衷心ヨリ大東亜戦争二協力セラレツ、アルコト二封シマシテ、深甚ナル謝意ヲ蓑シマスルト共二、今後益々可列ブ度ヲ加へントスル戦局こ封虞シ、帝国ハ大東亜諸国卜共二欧洲盟邦トノ提携ヲ愈々固メ、必勝ノ確信ノ下、不抜ノ闘志ヲ以テ、如何ナル困難モ之ヲ克服シ、我等ノ共同使命トスル此ノ大東亜戦争ヲ完遂シ、大東亜建設ヲ完成致シマシテ、真ノ世界平和ノ確立二貢献センコトヲ固ク期ス ル衣第デアリマス。」

 当時の日本の首相が、このようにその理由を含めて聖戦であると明確に述べているのに、聖戦でないという根拠は一体何でしょう?聖戦だったからこそ、負けてもアジアを解放することができたのだと思いますが、いかがでしょうか?

>これは溥儀の待遇について明記したのみです。

 その待遇について「各国君主を待つの礼を以て待遇す」とありますので、中華民国以外の各国ということになりますから、外国君主すなわち満州国皇帝としての例をもって遇するということになります。

>“左の待遇”とは、次の第二条の内容を指しています。

 そんなことどこにも書いておりませんではないですか。普通に考えれば、満州国皇帝に準ずると解釈するのが妥当です。

>私は、右派論者・左派論者の主張であっても正当性があれば耳を傾けますが、虚偽や詭弁に耳を傾けるつもりは無いのですよ。

 それは楽しみです。これは証拠として残りますからね。

Pass

[2494]
タマゴ - 2016年12月24日 (土) 19時50分

>それは楽しみです。これは証拠として残りますからね。

楽しみもなにも、議論の初めから一貫して、天寿堂さんが連発する大嘘や詭弁には同調しないという姿勢で臨んでいます。
これ迄の付き合いから、天寿堂さんがそういう人であると知っているからです。
例えば、天寿堂さんが、
「袁世凱は満州などいらなかった」
などという、目を疑うような大嘘を“断定的に”述べたことは記憶に新しいところです。
自分で吐いた大嘘を、よもや忘れたわけではないでしょう。
このように、天寿堂さんが次々と嘘や詭弁を平気で繰り出してくるので、私やtadaさんだけでなく、自由びとさんらの閲覧者も、
「この人の述べることはマトモに信じてはならない」
と痛切に感じている。
つまり天寿堂さんは、狼少年が危機の際に本当のことを述べても信じてもらえなかったのと同じ状況に立たされているのです。
四方八方からそういう厳しい目線に晒されることを「楽しみ」だというのなら、それは結構なことなのですが。

>その時期に、それが国家神道によって破壊されたのかどうか?検討を要すると思います。

念のため訂正しておきますが、私は、
「日本の精神性が国家神道によって破壊された」
とは述べておりません。
それも重要な要素の一つですが、
文明開化、即ち、其れまでの日本には“文明”と呼ぶに値するものは存在しなかったと無批判的に欧米文化に喰い付き日本文化を破壊したこと等も含めて述べたのです。
当時、西洋文化に熱狂し自国文化を蔑ろにする日本人を冷ややかな目で視ていたのが、日本の伝統文化に魅了されていた外国人教師達でした。
例えば、大のキリスト教嫌いであった小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、日本が急速に欧米化している現実を酷く嘆き、それを少しでも遺したいという思いから「怪談」を執筆したのです。

>その問題を考える際に、とても参考になるのは、最近の心に青雲殿の優れた論考です。それは、織田信長によって、中世的な仏教勢力による世俗支配が打ち壊されて、ルネッサンスのような人間自身の自立的発展が開始されたことです。また、秀吉によるバテレン追放令によってキリスト教を排除し、徳川家康がそれを受け継いで鎖国政策をとったことが、宗教から相対的に独立した自立的な日本精神の熟成とその発露である日本文化の隆盛をもたらしたと思います。

無茶苦茶ですね。
信長は比叡山や一向宗を弾圧しましたがキリスト教の布教を認めています。
一方、家康は秀吉の政策を引き継ぎキリスト教を排除しましたが、仏教は保護しています。
例えば、江戸時代に於ける武士道の開花には、既に述べたように、禅仏教の影響抜きに語ることは絶対にできません。

>先進的な欧米帝国主義諸国の圧力と、それらの国家形態を媒介ととして、明治期の立憲君主的絶対王政の中央集権的な統一国家を瞬く間に創り上げて一丸となって強大な欧米諸国と戦って

日本が外圧によって変革を迫られ、それに対応せざるを得なかった面は確実にあると思います。
しかし、これ迄に論じてきたように、急速に欧米的価値観と一神教(キリスト教)的イデオロギーが支配的になっていったことにより、寛容と協調を旨とする伝統的な日本人の精神性も次第に崩れ去っていったのです。

>アジアから侵略者たちを追い払ったからアジア解放につながったといっても過言ではないところに、日本精神のすごさがあるのです。

天寿堂さんは、tadaさんの主張との「統体止揚」やソクラテスの「中庸」を掲げておきながら、私やtadaさんの主張を部分的に切り取って摘まみ喰いするのみで、結局は大東亜戦争がアジア解放戦争であるという持論に持っていこうとする。
こういう態度を羊頭狗肉というのです。
天寿堂さんは、一度ストーリーを描いてしまうと、それを絶対視し、
そのストーリーにそぐわない事実関係があると、そちらを方を曲解してしまう悪癖がある。
しかし、天寿堂さんが歴史をろくに勉強せず恣意的に描いたストーリーに過ぎませんから、本当は絶対視するに値しないのです。
天寿堂さんは欧米の植民地支配を攻撃していますが、あちらにも、
「我々の統治により植民地に先進的な欧米文化とキリスト教がもたらされ発展に寄与した」
「我々が勝利したことにより植民地からファシズム勢力が排除され自由と平等がもたらされた」
と考えている天寿堂さんと似た人々が存在するのです。
天寿堂さんのストーリーは、主観に囚われ過ぎているという点で、“欧米の天寿堂さん”が描くストーリーと大差が無いのですよ。
アリストテレスやヘーゲルなら、“世界各国の天寿堂さん”達の主観に偏った見方になど、一瞥も与えないはずです。

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[2495]
タマゴ - 2016年12月24日 (土) 21時52分

>それは日本が負けて勝者の欧米による日本悪者宣伝の結果であって、正当な評価とは言えません。現にタマゴさんたちも日本を悪く悪く解釈しようと一生懸命努力しているではありませんか。まさに自虐宣伝の恐ろしさを痛感させられます。

なぜ私が敢えて日本軍側の客観的資料に依拠して展開しているのかと言えば、天寿堂さんがそのような難癖を付けてくることを予測していたからでもあります。
天寿堂さんのように右派論者の偏った意見を“資料”だなどと得意げにコピペするのとは訳が違うということです。

>アジア諸国の人たちにしても、負けてしまった日本を誰が解放者を言いますかか。自分たちで勝ち取ったと思うのは当然ですし、負けた日本を悪く言うのはたやすいことですが、勝者となった元宗主国の欧米諸国を悪く言うことはできないのです。

亜細亜諸国の歴史教科書を読んだこともないのに勝手なことを言う。
だから天寿堂さんは狼少年ならぬ狼中年なんですよ。
読めば分かりますが、大抵は、
「当初は宗主国の支配から解放してくれると期待したが、日本がそれに取って代わっただけであった」
と書かれています。
日本のことも良くは書いていませんが、かといって旧宗主国のことを弁護するようなことも書かれていません。

>この中で東条英機ははっきりとこの大東亜戦争は破邪顕正の聖戦だと規定しております。せっかく提示しておいたのにタマゴさんは、東条英機やアジア各国の代表の演説を読まなかったのですか?

余りにもバカげているから無視したのですよ。
どれほど世界史に無知な右派論者でも、大東亜戦争を正当化する根拠として大東亜会議や大東亜共同宣言を持ってくるアホはいません。
大東亜会議が開催されたのは1943年、即ち、大東亜戦争開戦から6年後のことであり、太平洋戦争開戦から数えても2年も経過しています。
その頃には、戦局は完全にアメリカが主導権を握っており、日本は厳しい状況に追い込まれていました。
日本は、南方資源地帯に侵出するにあたり、南方占領地行政実施要領において軍政を敷くことを決定してはいましたが、その後の独立等に至る方針は全く検討していませんでした。
そのため、東條は、戦局が日本に不利になる状況下に於いて、占領地域における民心掌握のため本会議開催に同意したのです。
(実質的発案者である重光葵は中々の人物だと思いますが。)

会議出席国についてですが、タイはそもそも植民地化していませんし、インドは大東亜共栄圏の構想に入ってもいません。
それ以外で、当時まったく日本の傀儡政権でないと断定できそうな国が幾つあるでしょうか。
マレーシア、インドネシア、インドシナにいたっては日本軍の占領下から独立させる予定もなかったので参加させてもいません。
また、大東亜共同宣言の一部は、連合国側の大西洋憲章を大いに参考にして(平たく言えばパクって)作成されています。

>その待遇について「各国君主を待つの礼を以て待遇す」とありますので、中華民国以外の各国ということになりますから、外国君主すなわち満州国皇帝としての例をもって遇するということになります。

その当時、満州国という国は存在しません。

>そんなことどこにも書いておりませんではないですか。

こういうのを恥の上塗りという。
元の資料の画像は確認していないのですかね?
文章が右から左へという体裁で書かれているのですから、「左」とは当然、次の第二条を指しているのです。
天寿堂さんじゃないんですから、単なる憶測を断定的に書くようなことはしません。

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[2496] 聖戦たる証
愚按亭主 - 2016年12月25日 (日) 06時47分

>「袁世凱は満州などいらなかった」などという、目を疑うような大嘘を“断定的に”述べたことは記憶に新しいところです。自分で吐いた大嘘を、よもや忘れたわけではないでしょう

 タマゴさんは、人をこき下ろすのがお上手ですね。本当に感心します。相手が誤りを認めて訂正したものをいつまでもねちねちと、傷に塩をすり込むのが趣味のようですね。本来まともな議論は、相手が自信をもって論じたものを、果敢に覆してこそ本当の議論のだいご味だと思います。低次元すぎます。おまけに

>天寿堂さんは、狼少年が危機の際に本当のことを述べても信じてもらえなかったのと同じ状況に立たされているのです。

 と、真実を指摘されても信じないのはお前のせいだ!とばかりに、用意周到に逃げ道まで作っているのですから、本当に天才です。そうしておいて

>余りにもバカげているから無視したのですよ。

 これこそが真実から目を背ける恐ろしい偏向ではありませんか。東条英機が述べたことは、まさしく大東亜戦争の全体像です。これがでたらめでバカげているというのであれば、どこがでたらめなのか立証しなければなりません。私はこの東条の全体像は正しいと思います。

 タマゴさんのいう軍部の資料はその一部分にすぎず、しかも資源の獲得も独立運動の抑制も、アメリカとの厳しい戦闘状態下にあるのですから、当然のことであり矛盾するどころか正当ですらあるのです。現にアメリカは日本の統治をかく乱しようとフィリピンの独立運動を支援していたのですから。アメリカに勝ち、聖戦に勝利しなければアジアの真の解放・独立などあり得ないと考えるのが順当だったのです。しかし、負けてもアジアは解放される結果になりました。これこそが、聖戦たる証といえると思います。歴史的な必然性に則っていたということです。

>「当初は宗主国の支配から解放してくれると期待したが、日本がそれに取って代わっただけであった」と書かれています。
 
 それは事実でしょうが、アメリカとの厳しい戦闘という条件下では仕方がなかったといえます。これをもって聖戦ではなかったおいうのは、正しい評価ではありません。

>大東亜会議が開催されたのは1943年、即ち、大東亜戦争開戦から6年後のことであり、太平洋戦争開戦から数えても2年も経過しています。その頃には、戦局は完全にアメリカが主導権を握っており、日本は厳しい状況に追い込まれていました。日本は、南方資源地帯に侵出するにあたり、南方占領地行政実施要領において軍政を敷くことを決定してはいましたが、その後の独立等に至る方針は全く検討していませんでした。そのため、東條は、戦局が日本に不利になる状況下に於いて、占領地域における民心掌握のため本会議開催に同意したのです。

 戦争が始まる前に、石原莞爾はすでに白人帝国主義者たちとの戦いの必然性を予感しておりました。つまりこの戦いは、白人帝国主義国と、その餌食とされる側のアジアとの戦いでした。はじめは日本単独でも優勢に戦えたので、会えアジアの国にて協力を要請しないでも済んだのでしょう。だから、時期が遅かったことをもって、聖戦ではなかったという理屈は通りません。それに「占領地域における民心掌握のため」だけであるならば、インドやタイは必要ないはずです。インドやタイが参加していること自体が、アジア全体の問題であったことを物語るものです。ですから、「マレーシア、インドネシア、インドシナにいたっては日本軍の占領下から独立させる予定もなかったので参加させてもいません。」ということではないと思います。おそらく、それを担う勢力としてまだ育っていなかったのではないかと想像します。

>、大東亜共同宣言の一部は、連合国側の大西洋憲章を大いに参考にして(平たく言えばパクって)作成されています。

 それがないか問題でもありますか?東条英機はこれを次のように批判しております。
「米英ノ平素唱道致シマスル国際正義ノ確立卜世界平和ノ保障トハ、畢責軟洲二於キマスル諸国家ノ分裂抗争ノ助長ト、亜細亜ニ於ケル植民地的搾取ノ永続化卜二依ル、利己的秩序ノ維持二外ナラナイノデアリマス。」そして、日本こそが本物の王道を実現すると宣言して、それを証明しようとしているのです。つまり、お宅らは口先だけだけど、こちらは本当に実行するよと言っているのです。これをパクリとしかとらえられないのは、欧米的視点ですね。タマゴさんの視点はまさに日本を悪く見よう悪く見ようと意識的に努力しているように見えます。

>無茶苦茶ですね。信長は比叡山や一向宗を弾圧しましたがキリスト教の布教を認めています。一方、家康は秀吉の政策を引き継ぎキリスト教を排除しましたが、仏教は保護しています。例えば、江戸時代に於ける武士道の開花には、既に述べたように、禅仏教の影響抜きに語ることは絶対にできません。

 私は、人間の宗教からの相対的独立の過程は、信長ー秀吉ー家康の過程を通して実現したと述べたはずです。しかも、相対的独立と断ったように、完全に独立したとは言っておりません。その相対的独立という意味は、人間の主体性を損なわない範囲という意味です。だから、江戸期は仏教のうちでも他力本願ではなく自力本願の禅宗が栄えることになったのです。

>天寿堂さんは、tadaさんの主張との「統体止揚」やソクラテスの「中庸」を掲げておきながら、私やtadaさんの主張を部分的に切り取って摘まみ喰いするのみで、結局は大東亜戦争がアジア解放戦争であるという持論に持っていこうとする。
こういう態度を羊頭狗肉というのです。

 私は、tadaさんの意見を即自的悟性レベルとしても問題があると述べたはずです。それでもtadaさんの意見を受け入れて、自分の本流論との統一を図ったはずです。このタマゴさんの意見は、それを全く理解できていないことを物語っています。

>文明開化、即ち、其れまでの日本には“文明”と呼ぶに値するものは存在しなかったと無批判的に欧米文化に喰い付き日本文化を破壊したこと等も含めて述べたのです。

 これは、立場の変換を容易にできる日本だからこそできたことであり、他の国ではできないないことなのです。できた国はありますか?だから、本物の学問が日本に密かに息づいているのです。これは、弁証法でいうところの否定的媒介といいます。しかし、これは決して日本の精神を破壊するものとはなりません。日本精神はそんなにやわなものではありません。前向きに主体的に否定的媒介を行う場合には、統体止揚されて発展につながります。

 深刻な問題となるのは、敗戦後の方です。タマゴさんですら無自覚に自虐史観にまみれてしまっているのですから・・・・

>その当時、満州国という国は存在しません。

 廃位協定の問題は何かといいますと、他国を乗っ取って建国された大清帝国が、解体され受け継ぐかどうかという時に、大清帝国が本来的に持つ侵略性をも受け継ぐかということになります。協定を見ると、中華民国はあきらかに満州・蒙古・ウィグル・チベットを外国とみなした上で自分の領土としようとしています。つまり、その侵略性を受け継ごうとしています。これはたしかに、当時としては当たり前のことではあります。しかし、それを認めるということは、日本が満州を奪い取りそこに満州国を建設することは、当時の常識から言えば何ら不当なことではなく、むしろ本来の所有者にキスこの行為は正当性を持つものですらあります。

 それよりも奪い取った領土を守れなかった情けなさを顧みずに、訴え出た中華民国の側の方に分がないといえます。しかし、欧米諸国は、日本を叩こうとしていましたから、渡りに船とばかりに日本を叩こうとしましたが、事実を調べれば調べるほど、中国側の悪さが出てきて、十全な形で日本を叩くことができませんでした。この事実が、そのことを何より物語っていると思います。

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[2497]
タマゴ - 2016年12月25日 (日) 09時59分

>タマゴさんは、人をこき下ろすのがお上手ですね。本当に感心します。相手が誤りを認めて訂正したものをいつまでもねちねちと、傷に塩をすり込むのが趣味のようですね。

単にこき下ろされているだけと軽く受け取っているから、何時まで経っても誤謬を生み出す根源的悪癖が治らないのです。
その結果、懲りもせずに何度も何度も繰り返し同じ論理的誤りを犯してしまう。
例えば、天寿堂さんは、
「手足には交感神経のツボしかない」
「交感神経は副腎から増設された」
「袁世凱は満州などいらなかった」
等々の誤謬は、見た目こそ違えど、全く同じ論理的誤謬から生み出されている。
その誤謬を大量生産する“根源的な論理的誤謬”とは何かを自省してもらいたいから、しつこく追及しているのですよ。
それだけ天寿堂さんが重症だということです。

>本来まともな議論は、相手が自信をもって論じたものを、果敢に覆してこそ本当の議論のだいご味だと思います。

天寿堂さんの場合、ろくな根拠もない杜撰な推論を“自信をもって”述べるからダメなのですよ。
自分で自分の発したペテンを本気で信じ込んでしまう。

>真実を指摘されても信じないのはお前のせいだ!とばかりに、用意周到に逃げ道まで作っているのですから、本当に天才です。

何度も述べているように、私は、本来の議論というものは真実にに近づくために正論をぶつけ合うことであり、勝ち負けなどというものは無いと考えています。
当然、逃げる必要などありません。
天寿堂さんは、常に正論のみで臨んでいる私を逃げているなどと侮辱することから察するに、議論をある種の勝負ごとであると捉えているのでしょう。
そして勝つという目的のためには、大嘘であろうが詭弁であろうが、手段は関係ない。
私には、天寿堂さんがそのように、低次元を通り越してガキの口喧嘩レベルで臨んでくることを批判することはできても、止めさせる手段は持ち合わせていません。

>東条英機が述べたことは、まさしく大東亜戦争の全体像です。これがでたらめでバカげているというのであれば、どこがでたらめなのか立証しなければなりません。

大東亜共同宣言の内容がどうこう以前に、大東亜戦争の開戦から6年後に発せられた宣言を、開戦を正当化する根拠としてもってくる行為はアホだと言ってるのですよ。

>タマゴさんのいう軍部の資料はその一部分にすぎず、しかも資源の獲得も独立運動の抑制も、アメリカとの厳しい戦闘状態下にあるのですから、当然のことであり矛盾するどころか正当ですらあるのです。

私が提示してきた「南方占領地行政実施要領」等々は、無数の資料の一部という扱いのものではなく、すべて当時の最重要資料ばかりです。
アメリカとの帝国主義的対立を亜細亜諸国に背負い込ませることが正当なはずはありません。
相当に勝手な言いぐさです。

>現にアメリカは日本の統治をかく乱しようとフィリピンの独立運動を支援していたのですから。アメリカに勝ち、聖戦に勝利しなければアジアの真の解放・独立などあり得ないと考えるのが順当だったのです。

だから!フィリピンは大東亜戦争とは無関係にアメリカから独立を勝ち取っていたと何度言えば。

>負けてもアジアは解放される結果になりました。これこそが、聖戦たる証といえると思います。歴史的な必然性に則っていたということです。

インドネシアのように、終戦後も旧日本兵の有志が現地に残って独立闘争を支援した例はありますが、独立を勝ち取ったのはあくまでもインドネシア人自身です。
私は旧日本兵の有志を誇りに思っていますし次の世代に語り継いでいくつもりですが、
独立を支援した彼らとて、日本がインドネシアを解放したなどという恩着せがましいことを、独立闘争に何も関与していない後世の日本人が天狗になって吹聴することは望まないでしょう。
それが武士道精神というものだからです。

Pass

[2498]
タマゴ - 2016年12月25日 (日) 11時57分

>戦争が始まる前に、石原莞爾はすでに白人帝国主義者たちとの戦いの必然性を予感しておりました。つまりこの戦いは、白人帝国主義国と、その餌食とされる側のアジアとの戦いでした。

繰り返しますが、石原は特殊な日蓮主義の宗教的信条により白人絶滅を唱えたのです。
そのことから、大東亜戦争が、白人帝国主義とアジア植民地との戦いであると結論付けるのは無茶苦茶すぎます。

>「占領地域における民心掌握のため」だけであるならば、インドやタイは必要ないはずです。インドやタイが参加していること自体が、アジア全体の問題であったことを物語るものです。

ここも私が一から説明しなければならないのですかね?

インドは、国家の首班ではなく、独立運動家のチャンドラ・ボースが会議に出席したのです。
日本は、捕虜にしていたイギリス軍のインド兵で「インド国民軍」なるものを組織していましたが、そのインド人司令官とインド独立の方針を巡って対立していた。
そのため、日本は、ボースのようなインド人指導者を必要としていたのです。

タイは東南亜細亜唯一の独立国でしたが、実態としては、太平洋戦争の初期に日本軍による進駐を受け同盟国化されていました。
ピブン首相は、当初、国内の反日的空気を考慮し、大東亜会議には「職を賭しても」出席しないと回答していたのです。
それに対して、大本営では必要があればタイを「実力を以て処理」することが話し合われていました。
そういった事実があったことを踏まえて考えなければなりません。

天寿堂さんは世界史に関して余りにも無知だから今からでも真面目に勉強せよと再三助言しているのに、実行しようとしない。
そのため、こうやって私が一から個人指導するハメになっている。
それなのに、私が教えた知識を持論に合うように曲解し、それを狂人の金属バットのように振り回し始めるというのは、どういう了見なのかと思います。

>ですから、「マレーシア、インドネシア、インドシナにいたっては日本軍の占領下から独立させる予定もなかったので参加させてもいません。」ということではないと思います。

「南方占領地行政実施要領」には資源供給地としてインドネシアを日本領に組み込む方針が明記されており、そのために出席させなかったのです。
インドシナやマレーシアは、インドネシアから日本までの資源運搬経路を確保するために重要でしたから占領下に置いておくつもりだったのでしょう。

こうした実態を考えれば、大東亜共同宣言が如何に虚しいものであったか分かろうというものです。

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[2499]
タマゴ - 2016年12月25日 (日) 12時54分

>日本こそが本物の王道を実現すると宣言して、それを証明しようとしているのです。つまり、お宅らは口先だけだけど、こちらは本当に実行するよと言っているのです。

「王道楽土」というのは、石原莞爾が日蓮主義に基づいて夢想した天皇を中心とした法華経世界のことです。
「王」とは天皇のことを指します。
石原と対立していた東條がこれを唱えていたというのは変でしょう。

>これをパクリとしかとらえられないのは、欧米的視点ですね。タマゴさんの視点はまさに日本を悪く見よう悪く見ようと意識的に努力しているように見えます。

パクりの何がいけないのかと開き直った直後に、パクりとしか見れないのはダメだと非難するとは、分裂症的としか思えませんね。

自国が素晴らしい歴史を歩んできたと思い込みたい欲望は大抵の人にあるでしょう。
私にもあるのだろうと思います。
天寿堂さんが日本軍の海外侵出を聖戦と思い込みたいように、アメリカの天寿堂さん的人々はアメリカを、イギリスの天寿堂さん的人々はイギリスを擁護し、他者に責任を転嫁したいのです。
しかし、そういった欲望に囚われることは科学的態度ではありません。
それらを全て俯瞰する視点が必要なのです。

>私は、tadaさんの意見を即自的悟性レベルとしても問題があると述べたはずです。それでもtadaさんの意見を受け入れて、自分の本流論との統一を図ったはずです。

私には、日本本流論という恣意的な自論に拘泥している天寿堂さんこそが即自的であると見えます。
そのような色眼鏡を通して世界を眺めていたいという欲望に囚われている。
tadaさんや滝村先生は、それよりも遥かに高い地点から客観的に世界を俯瞰しているのです。
そうすると、日本も本質的には欧米と同様の帝国主義政策を推し進めていたに過ぎないと分かる。
天寿堂さんが高い視点から世界を俯瞰できないのは、世界史の知識が救いようもないほど欠落しているからです。
それに尽きます。

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[2500]
タマゴ - 2016年12月25日 (日) 14時17分

>これは決して日本の精神を破壊するものとはなりません。日本精神はそんなにやわなものではありません。前向きに主体的に否定的媒介を行う場合には、統体止揚されて発展につながります。
深刻な問題となるのは、敗戦後の方です。タマゴさんですら無自覚に自虐史観にまみれてしまっているのですから・・・・

日本精神は破壊されるほどやわなものではないと述べた直後に、敗戦後には破壊された、ですか?
こういう態度を分裂症的だといっているのですよ。
私の歴史の観方は「〜史観」と呼ぶほどのものではなく、ごく常識的な範囲内の観方に過ぎません。
その私から見ると天寿堂さんは他虐自賛史観に汚染されている。
もし天寿堂さんがアメリカ人なら原爆投下の正当性を叫び、半島や大陸の人なら反日運動に熱を上げているのではありませんか。

>廃位協定の問題は何かといいますと、他国を乗っ取って建国された大清帝国が、解体され受け継ぐかどうかという時に、大清帝国が本来的に持つ侵略性をも受け継ぐかということになります。協定を見ると、中華民国はあきらかに満州・蒙古・ウィグル・チベットを外国とみなした上で自分の領土としようとしています。つまり、その侵略性を受け継ごうとしています。これはたしかに、当時としては当たり前のことではあります。しかし、それを認めるということは、日本が満州を奪い取りそこに満州国を建設することは、当時の常識から言えば何ら不当なことではなく、むしろ本来の所有者にキスこの行為は正当性を持つものですらあります。
それよりも奪い取った領土を守れなかった情けなさを顧みずに、訴え出た中華民国の側の方に分がないといえます。しかし、欧米諸国は、日本を叩こうとしていましたから、渡りに船とばかりに日本を叩こうとしましたが、事実を調べれば調べるほど、中国側の悪さが出てきて、十全な形で日本を叩くことができませんでした。この事実が、そのことを何より物語っていると思います。

支離滅裂すぎて何が言いたいのか分かりません。
そとそも、歴史について無知な天寿堂さんが思い付きで何をグダグタ言おうが、無意味なことです。

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[2501]
tada - 2016年12月25日 (日) 17時49分

「重光葵は中々の人物」(2495文)というタマゴさんの評 さすが慧眼の士ですね。私も重光葵には以前から注目していました。この論争?には正直 書く気力が萎えてしまっていたのですが 重光葵が出てきたので 彼についての論文を紹介したいと思います。それは「重光葵と大東亜共同宣言  戦時外交と戦後構想 終戦外交と戦後構想」(公開中) 波多野澄雄の論文のことです。Wikiの大東亜宣言の参考文献にもなっていますから 読んでいる方は多数いるかと思いますが すばらしい論文ですので あらためて強調して おすすめしておきます。外交がテーマですが 大東亜戦争における日本の本質的なものを示している論文でもあります。海軍は植民地解放に反対、陸軍は支配を前提とする独立なら賛成 外務省重光が弱体化と終戦に向かう陸海軍部の動きと連合軍の動きをも見越しながら それをテコに植民地解放と和平工作へのリンク そして国内改革という日本国家自身の解放まで視野にいれ行動していたという内容です。
 タマゴさんなら もう常識ですねと うなずいてくれるのはわかります。さて 天寿堂本流思想がどう解釈するのか それが問題です。

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[2504] やはり聖戦だった
愚按亭主 - 2016年12月29日 (木) 08時51分

>tadaさん
 ご推薦の「重光葵と大東亜共同宣言  戦時外交と戦後構想 終戦外交と戦後構想」 波多野澄雄の論文を読みました。当時の様子がとても良く分かりました。ありがとうございます。これを読んで、やはり大東亜戦争は聖戦だったと確信いたしました。重光は、日本軍の敗色濃厚とみて戦後を見据えてこの戦いの意義を鮮明にすべしとして大東亜宣言や大東亜会議を推進し、アジア諸国の独立化を進めようとしたようですね。これに対して、軍部は戦争に勝つためにそれを認めようとしませんでした。この両者の立場は、それぞれに正しいと思います。

 ところが波多野氏は、、軍部=植民地主義者=悪と決めつけて、重光ばかりを賛美していますが、これは正しくないと思います。両者ともに正しいが正解です。聖戦に勝つためには軍部の主張が正しく、日本の戦後を見据えた策としては重光も正しいと思います。そしてこの時点で、欧米の植民地主義の実態を暴露し、大東亜戦争の正当性を明らかにすることはとても意義のあることだったと思います。

 というのは、大西洋憲章やハルノートにもある通り、それまで自分たちがさんざんやってきた悪を、日本によって壊されるや、あたかも自分たちが侵略に反対であるということをもって、日本に対抗してきて、戦後も日本を一方的に悪に仕立て上げようとしているからです。それだけに、大東亜会議でその実態を暴露していることはとても意義のあることだと思います。

 ところが、この意義を理解しようとしないタマゴさんは「大東亜戦争の開戦から6年後に発せられた宣言を、開戦を正当化する根拠としてもってくる行為はアホだと言ってるのですよ。」などと言って頭から否定して顧みようとしないから、真実が見えてこないのです。

 波多野氏もtadaさんもタマゴさんも、欧米の植民地と日本の植民地とはその中身が違うということが分かっていないと思います。だから植民地=悪として聖戦を否定してしまうのです。欧米の植民地はまさに自国の利益のみですが、日本の植民地はそれだけでなく、聖戦を闘うためのものであり、巡り巡ってはアジアの解放のためでもあったのです。これは非常に大きな違いです。






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[2505]
タマゴ - 2016年12月29日 (木) 13時43分

天寿堂さんが、

>ご推薦の「重光葵と大東亜共同宣言  戦時外交と戦後構想 終戦外交と戦後構想」 波多野澄雄の論文を読みました。当時の様子がとても良く分かりました。ありがとうございます。

と述べた後に、

>これを読んで、やはり大東亜戦争は聖戦だったと確信いたしました。

とヘンテコリンな感想を述べているのを見て、tadaさんはズッコケそうになったかもしれません。
天寿堂さんと付き合いの長い私にとっては、完全に予想通りの反応でしたが。

国会議事堂を皆で一斉に写生したとすると、天寿堂さん一人だけ瓦屋根の木造建築物を描いていた。
理由を尋ねると、
「日本を代表する建築物である以上、日本建築の本流論や一般論から捉えて云々〜」
と、目の前の対象物を対象そのものとして観ることを拒み、ムリヤリ自身の先入観により歪めた像を描き上げようとしていた。
これが天寿堂さんなのです。
自身の望む像を描きそれを正当化することこそが第一の目的で、客観性は二の次。
佐藤優は知の怪物などど呼ばれていますが、天寿堂さんは妄想と固執の怪物と呼んでよいのかもしれない。

波多野教授は多数の客観的資料を引用しつつ、大東亜会議に纏わる諸状況を主観を極力排除して展開している。
これまでに私が述べてきたのと同内容を、より詳細かつ厳密に論じていると言ってよいでしょう。
一方の天寿堂さんは、
「(波多野教授の論文を読んで)当時の様子がよくわかりました」
つまり、天寿堂さんは当時の状況をろくに考慮せずに展開していたことを認めつつ、波多野教授に難癖を付けるという酷い有り様。

もともと重光は、欧米によるアジア植民地政策に対して強い憤りを持ってはいましたが、三国同盟や国連脱退、大東亜戦争の開戦等には強硬に反対していたのですよ。
まず、その点を押さえる必要があります。
しかし、開戦を防ぐことができなかった以上、戦後の日本とアジア各国の在り方をより良き方向に導きたいという思いから、戦争目的の再定義に取り組んだのです。
何故なら、開戦の詔勅に明らかなように、日中戦争はもとより太平洋戦争にも、アジア解放などという目的は謳われていなかったからですよ。
当初の大義名分は「自衛戦争」。
「アジアの秩序と安定の確保」とは謳われていたものの、元々は、自衛という文脈の延長上にあった観念に過ぎません。
重光は其れを拡大解釈することにより、なんとか大東亜戦争の意義を転換しようと試みたのです。
軍上層部が重光の再定義に猛反発したことは、そもそも彼らにはアジア解放などという意図が無かったことを物語っています。
軍上層部が構想していた大東亜共栄圏は、イギリスの植民地体制である英連邦をモデルにしていたのです。
「自衛」とは自国の領土を侵された時に反撃することですから、少なくとも軍上層部はアジア各国を日本領に準ずる地域であると見なしていたということです。

私が、
「大東亜共同宣言の内容がどうこう以前に、大東亜戦争の開戦から6年後に発せられた宣言を、開戦を正当化する根拠としてもってくる行為はアホだと言ってるのですよ。」
と述べたのは、そういう経緯をも全て踏まえてのことです。
天寿堂さんは、軍上層部の意図も重光の意図も両方とも、恣意的な自説に合うように曲解している。

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[2506]
tada - 2016年12月29日 (木) 19時30分

 天寿堂さん 波多野論文読んでいただき ありがとうございました。しかし 予想していたとおりの反論 日本と欧米の植民地政策の違いがわかっていないとのことでした。こちらの論理が通じず残念です。ただこれまでの議論を通してわかったことのひとつは 天寿堂さんには 政治的な意図は別になく ただ愛国心が強いということではないでしょうか。気持ちがやさしいのですね。善意のひとです。問題なのはその善意の道が地獄へと通じているからです。天寿堂さんと同じ意見の方は世間では少なからずいる。もしかしたら 多数を占めているかもしれません。そんな方々に対して 私が警告を含めて 伝えたいことは 日本人の善意の植民地支配者がいつなんどきにも 英国人の支配者のように振る舞わないとは言い切れないということです。それどころか天皇制イデオロギー・国家神道の強制は植民地国の宗教風俗の否定と破壊を進め 言語文化水準の低さから軍事動員に対する能率化を高めるための 日本語の強制教育は民族文化の独自性を消滅させるのです。支配民族の文化の高みを伝えるという美名のなかに弱小他民族の文化を破壊し 民族の文化的同化=日本化を断行する行為は断じてしてはならない、させてはならないのです。(北一輝 滝村隆一336ページから参考と引用)自分を被害者の立場にして 考えてください。米国に負けたあと もし 日本語を禁止され 神道・仏教文化を禁止されキリスト教に改宗されたらどうでしょうか。我々の日本人の文化が蹂躙されれば 大反米運動が起こるのは必然です。アジアの解放とは(日本も含めて)大日本帝国が停止し 日本軍が解散したことが大きな要因なのです。これが ヘーゲルが言う理性の狡知なのです。
 以前天寿堂さんの指摘がありましたが 特殊性の一般化を主張するわりには 実証史学的な参考文献の引用がなく 一般論の抽出を優先したのは単に書き写すための時間がないためのものでした。そんな少ない文章だったのですが タマゴさん・実証史学の代表として波多野澄雄先生・政治理論の代表として滝村隆一先生と 同じ意見であることを明らかにできたことで 今は大変満足しています。 

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[2507] 大東亜戦争の人類史的意義
愚按亭主 - 2016年12月29日 (木) 22時07分

>「大東亜共同宣言の内容がどうこう以前に、大東亜戦争の開戦から6年後に発せられた宣言を、開戦を正当化する根拠としてもってくる行為はアホだと言ってるのですよ。」と述べたのは、そういう経緯をも全て踏まえてのことです。

 そういう経緯をすべて踏まえてのことであるならば、なおさらのこと「アホ」などと愚弄する言葉は、日本人ならば発せられないはずです。少なくとも重光の心が分かっていたのならば、それを「アホ」と断ずるタマゴさんの心は一体どうなっているのかと思います。私はタマゴさんをそんな人だとは思いません。ただ、日本会議系に対する偏向した歪な感情がそうさせてしまっているのだと思います。しまった!と思って、慌てて言いつくろっても、バレバレです。

 欧米の連中は、悪知恵にたけていて非常にずるく巧妙で抜け目がないのです。自分たちがさんざん悪いことをしておきながら、日本から民族自決や人種差別撤廃の動議を出された時には、それをつぶしておきながら、自分たちの旗色が悪くなって前のようにできなくなると分かると、さっとあたかも自分たちが文明の最先端であるような顔をして、これまで自分たちがしてきたことをまるでしてこなかったような顔をしてきれいごとを言って、それを武器に日本を抑え込もうとするのです。

 しかし、このことが逆に自分たちを縛る側面を持っているので、人類の認識は全体として一歩前進したのです。この人類の認識の発展は、日本によってもたらされたといっても過言ではないのです。つまり、日本がなしえたことはアジア解放というレベルにとどまらないのです。全人類の認識を大きく前進させたという普遍的な意義があるのです。これは、日本が戦いを挑まなければ決して達成できることではなかったのです。ですから、日本が戦いを回避できた方が良かった、とは限らないのです。これは、言ってみれば歴史の必然性だったのです。そうやって、人類の歴史は発展してきたのです。

>、天寿堂さんは当時の状況をろくに考慮せずに展開していたことを認めつつ、波多野教授に難癖を付けるという酷い有り様。

 いつも言うように、論理が正しければ事実が後からついてくるのです。今回も、タマゴさんが軍部は独立を認めず冷酷領土にしようとしていた、として大東亜戦争のアジア解放という側面を否定していましたが、これに対して私は、戦時の聖戦を追行するという大目的のためには、それはやむをえないことであり、むしろ正当だったと反論しておりましたが、波多野先生の論文に軍部が本当にそう言っていたことを確認できて、やはりそうだったか、軍部はちゃんとわかっていたのだ、と意を強くしました。ですから、この軍部の判断は、当時の状況の中では正当な判断です。まず戦争に勝たなければアジア解放もへったくれもないからです。

>もともと重光は、欧米によるアジア植民地政策に対して強い憤りを持ってはいましたが、三国同盟や国連脱退、大東亜戦争の開戦等には強硬に反対していたのですよ。まず、その点を押さえる必要があります。しかし、開戦を防ぐことができなかった以上、戦後の日本とアジア各国の在り方をより良き方向に導きたいという思いから、戦争目的の再定義に取り組んだのです。何故なら、開戦の詔勅に明らかなように、日中戦争はもとより太平洋戦争にも、アジア解放などという目的は謳われていなかったからですよ。当初の大義名分は「自衛戦争」。「アジアの秩序と安定の確保」とは謳われていたものの、元々は、自衛という文脈の延長上にあった観念に過ぎません。

 私は、重光のような意見も当然あってよいと思っています。しかし、日本が戦争を起こさなかったら、現在もまだアジアは職員地同然の状態であったとも思いますし、現在の欧州の没落も、植民地からの上りで、なかったかもしれません。日本が戦ったのは、良いとか悪いとかではなく歴史的な必然性です。

 当時の日本人の共通認識は、欧米によってアジアが植民地化されるという強烈な圧力を必死に跳ね返そうとするものでした。それが原点です。ですから、自衛の戦争は必然的にアジアの解放に結び付く必然性を持っていたのです。それは個人と国家・社会を一体のものとして捉える、即自対自の認識が日本人には当たり前のこととして形成されていたからです。だから自然にアジアの苦境を自分自身の問題と考えることが当たり前にできていたのです。

 そういう日本人の精神の本流たる実力をどうしてもタマゴさんは矮小化したいようですね。本当に日本人なのですか?このことは、重光が再定義するまでもなく日本人は持っていました。アメリカの鉄道王のハリマンが日本政府をだまして満州鉄道を自分のものにしようと日本に滞在していた時に、日露戦争のポーツマス条約に怒った日本の民衆のエネルギーのすさまじさに恐怖し、日本が尺側を撤回したときに何も言えなかったそうです。それくらい、当時の日本の民衆は主体的で軍国主義はむしsろ強烈な民主主義のたまものだったそうです。その反映として軍部も下克上がすごかったそうです。
 
 その典型が、石原莞爾でした。重光はそれをはっきりとした形で明文化したにすぎません。後からとってつけたのとはわけが違います。そこのところをタマゴさんは勘違いしているようです。

>「自衛」とは自国の領土を侵された時に反撃することですから、少なくとも軍上層部はアジア各国を日本領に準ずる地域であると見なしていたということです。

 これは、日本とアジアとを一体と見ていたということです。だから、負けた後も日本兵はアジアの人たちと一緒になって戦ったのです。これは決して個人の資質の問題ではなく、日本人の魂であり、日本精神そのものだったのです。

>私が警告を含めて 伝えたいことは 日本人の善意の植民地支配者がいつなんどきにも 英国人の支配者のように振る舞わないとは言い切れないということです。

 この例はとても悪い例です。英国人は、アジア人を人間とは思っていませんでした。そういう連中と日本人とを同一視するところに、まず大きな問題があります。あまりにも日本人の精神に対する理解がなさすぎで話になりません。つまり、日本的でなく欧米的な認識だから、日本精神もそのレベルで考えてしまうのです。

>それどころか天皇制イデオロギー・国家神道の強制は植民地国の宗教風俗の否定と破壊を進め 言語文化水準の低さから軍事動員に対する能率化を高めるための 日本語の強制教育は民族文化の独自性を消滅させるのです。支配民族の文化の高みを伝えるという美名のなかに弱小他民族の文化を破壊し 民族の文化的同化=日本化を断行する行為は断じてしてはならない、させてはならないのです。

 これは、戦時下という条件を考慮に入れていない硬直した考え方です。まだそれほど緊急性が表面化していなかった時代の日本の統治は、天皇制の国家としての統一的イデオロギー教育をしながらも、現地の文化をその現地の人たちが本来欲すべきなのに欲していない固有の文化までも発掘して、教育しておりました。日本はそういう弁証法性があったのです。これが日本精神が本流たるゆえんです。ヘーゲルの「理性の狡知」というのは訳が悪すぎます。理性の弁証法性とすべきです。

 それは、本流である日本精神が行ったように、本流である日本精神を植え付けながらも、その一方で現地の人たちの精神それ自体が発展できるように指導するということです。だから、その「理性の狡知」が充分に発揮された韓国と台湾は、戦後、国として社会としてそれなりに発展できたのです。一方で、日本が敗れた結果としてその「理性の狡知」が充分に発揮されずに終わってしまった東南アジア諸国は、独立を果たしたものの、その後の国家・社会としての発展はなかなかできなかった時代が長く続いた、という現実があるのです。さらに言えば、欧米によって蹂躙的な植民地支配を受けて日本精神との関りを全く持てなかったアフリカ諸国は、現在にいたるも悲惨に状況におかれたままで、ヨーロッパへの移民が後を絶たない状態です。

 波多野先生もtadaさんもタマゴさんも、本流の発展という本質的必然性の視点がないために、軍国主義=悪という欧米の自虐宣伝の空気を吸って生きてきたその毒素を払しょくできないままに、事実を詳しく見れば見るほど、その事実が軍国主義=悪という色眼鏡で染まって見えてしまうために、日本精神を悪く悪く解釈しようとしているように、私の立場からは見えてしまいます。だから、ついつい本当に日本人なのか、と思ってしまうのです。

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[2508]
タマゴ - 2016年12月29日 (金) 23時36分

>そういう経緯をすべて踏まえてのことであるならば、なおさらのこと「アホ」などと愚弄する言葉は、日本人ならば発せられないはずです。少なくとも重光の心が分かっていたのならば、それを「アホ」と断ずるタマゴさんの心は一体どうなっているのかと思います。

あのですねぇ・・・。
既に述べたように重光葵は傑物なんであって、天寿堂のしたことが「アホ」なんですよ。
大東亜戦争の開戦から六年後に発せられた大東亜共同宣言を、天寿堂さんのように開戦を正当化する根拠としてもってくる行為が「アホ」なのは、時系列を考えれば当たり前のことです。
仕方ないので繰り返しますが、重光は大東亜戦争の開戦には猛反対していたのであり、止む無く“開戦後に”大東亜戦争の意義の再定義を試みたのです。
よもや重光も、自身の再定義によって、自身が猛反対していた大東亜戦争の開戦を正当化しようとする不届きな連中が湧いてくるとは、思わなかったことでしょう。

それから、これは後でミッチリ論じたいと考えている事ですが、天寿堂さんが連発する「日本人なら云々〜」というのは、天寿堂さんが世界を客観的に俯瞰する視点を持ち合わせていないことの顕れなんですよ。

>ただ、日本会議系に対する偏向した歪な感情がそうさせてしまっているのだと思います。しまった!と思って、慌てて言いつくろっても、バレバレです。

日本会議系でも創価学会でもキリスト教系でも関係ありません。
バイアスを排し客観的資料に基づいて論証することができていない論者は、何系であろうが、歴史学的には全て駄目だって言ってるんです。
喩えを交えてこれだけしつこく言ってもまだ分かりませんかね?
たまたま天寿堂さんが日本会議という宗教団体の連合組織の論者にかぶれているから、そういう特殊な背景のある論者の本ばかり読んでいても真実は分からないと批判したのです。
一見アリストテレスを信奉しているようで、「中庸」をまるで実践できていないというのは、なんとも皮肉なものです。

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[2509]
タマゴ - 2016年12月30日 (金) 01時51分

>この人類の認識の発展は、日本によってもたらされたといっても過言ではないのです。つまり、日本がなしえたことはアジア解放というレベルにとどまらないのです。全人類の認識を大きく前進させたという普遍的な意義があるのです。

既に述べていますが、“日本が”というアバウトな言い方では、主体が何を指すのか判然としないからダメなんですよ。
例えば「日本人は地下鉄で猛毒を撒き散らした」という言い方は事実関係を正確に表現しているのでしょうか?
確かにサリンを撒いたオウム信者は日本人ですが、このアバウトな言い方では“日本人というもの”が罪を犯したような印象を与えてしまいます。
要するに一種の詭弁なのですよ。
日本嫌いの外国人でもあれば喜ぶかもしれませんが、日本人なら「オウム信者が撒いたと言え!」と抗議するでしょう。
天寿堂さんは、同様の次元の低い詭弁を弄しているだけなのです。

私は、大東亜戦争開戦を正当化する根拠として開戦よりも後に公布された大東亜共同宣言をもってくる行為はバカだと述べましたが、
宣言の内容自体は、大西洋憲章を意識して作成されただけあり、概ね良い事を述べていると思っています。
但し、宣言の内容を取り纏めたのは重光を中心とした外務省官僚たちであり、波多野教授が論じたように軍上層部にはアジア解放という目的意識は希薄だったのです。
そこが極めて重要な点なのですよ。

>これは、日本が戦いを挑まなければ決して達成できることではなかったのです。ですから、日本が戦いを回避できた方が良かった、とは限らないのです。

大東亜戦争を開戦しなくても、大東亜会議を開催し共同宣言を採択することは、理論上は不可能ではなかったはずです。
しかし、そもそも軍上層部にそのような目的意識が無く、東條も戦局が悪化の一途を辿る状況に陥って始めて民心掌握のため開催に同意したという有り様でしたからね。
重光のウルトラCと言ってよいと思います。

>これは、言ってみれば歴史の必然性だったのです。そうやって、人類の歴史は発展してきたのです。

ちっとも必然的じゃありませんよ。
日本に重光という一人の傑物が存在しなければ、おそらく大東亜戦争の再定義は行われなかったんですから。

Pass

[2510]
タマゴ - 2016年12月30日 (金) 10時46分

>タマゴさんが軍部は独立を認めず冷酷領土にしようとしていた、として大東亜戦争のアジア解放という側面を否定していましたが、これに対して私は、戦時の聖戦を追行するという大目的のためには、それはやむをえないことであり、むしろ正当だったと反論しておりましたが、波多野先生の論文に軍部が本当にそう言っていたことを確認できて、やはりそうだったか、軍部はちゃんとわかっていたのだ、と意を強くしました。

波多野教授の論文が間違っていると思うなら自説を正当化するために用いるべきではないし、正しいと思うなら正しいと認めるべきでしょう。
私なら高山や宮崎の本から引用するような恥ずかしい真似などしませんけれどね。

さて、波多野教授の論文に、軍上層部が、
「聖戦を追行するという大目的のためには、それはやむをえないことであり、むしろ正当だった」
と考えていたなどと書かれているでしょうか?
該当しそうな箇所を引用してみます。


四三年四月、東條首相は電撃的な内閣改造によって駐華大使・重
光を外相として入閣させ、谷正之外相を駐華大使に任命する。
重光
の入閣にあたって、東條は
「実は今度の新政策実行及外交一般に関
しては、御上に於て非常に御心配あり。自分もぜひ充分遺り度く、
為めに御苦労を願ふ訳にて改造は貴下の入閣を主とするものなり」
と説いている。
「新政策」の推進について東條の全面支援、さらに
「飽く迄新政策を徹底遂行すべし」
とする天皇の支援を取り付けた
重光は、まずは日華基本条約の全面改定に精力を注ぐ。
その第一の
関門は、東條首相の発案で進行していた「大東亜政略指導大綱」に
日華同盟条約の締結を明記させることであった。
「政略指導大綱」のねらいは四三年一一月頃と予測されたアジア
太平洋における米英の本格的な反攻開始と欧州戦局独ソ戦争の変
転とに備えるため、アジア占領地住民の政治的結束を固めることに
あった。
立案過程における争点は、大東亜地域の戦争協力を調達す
るために、占領地の「独立」や「政治参与」を容認する施策を早ることが妥当か否かにあった。
結局、自治容認や独立許容は資源確
保を妨げ、作戦を阻害する要因となるとして時期尚早論に固執して
いた海軍を外務省や陸軍が押し切り、すでに「独立」容認の路線で
動いていたビルマ、ブイリピンについてはその推進を確認し、中国
南京政府については日華基本条約の改定日華同盟条約の締結を
決定し、重光は第一関門を突破することになった。
しかし「新政
策」の趣旨からすれば、いずれも既定路線の促進を確認したに過ぎ
ず、その意味では大東亜会議開催が唯一の新たな決定であった。


即ち、海軍はアジア各国の独立に反対、陸軍は既に独立させることになっていたフィリピンとビルマに限って容認、とだけ書かれています。
天寿堂さんの言う「聖戦」がアジア解放戦争の要素を指すのであれば、
「聖戦を追行するという大目的のためには、それはやむをえないことであり、むしろ正当」
などとは書かれていません。
重光が昭和天皇の意向を受けて動いていることを知ってそのように申し開きをした可能性はなきにしもあらずですが、少なくとも論文中にそのようなことは書かれていない。
つまり、もともと軍上層部には大東亜戦争をアジア解放戦争であると捉える発想自体が希薄だったのであり、昭和天皇や重光らが戦争目的をアジア解放に転換しようと試みたことを快く思ってはいなかった、と考えられるのです。

Pass

[2511]
タマゴ - 2016年12月30日 (金) 12時30分

>当時の日本人の共通認識は、欧米によってアジアが植民地化されるという強烈な圧力を必死に跳ね返そうとするものでした。それが原点です。ですから、自衛の戦争は必然的にアジアの解放に結び付く必然性を持っていたのです。それは個人と国家・社会を一体のものとして捉える、即自対自の認識が日本人には当たり前のこととして形成されていたからです。だから自然にアジアの苦境を自分自身の問題と考えることが当たり前にできていたのです。

共通認識ではなかったでしょう。
私の聞いた範囲内の印象では、そのようなことは考えてもいなかったという人も多かったろうと思います。
天寿堂さんは、平素そうやって単なる思い込みを断定的に述べる悪癖があるので、イザという時に説得力がまるで無いのです。
まあ、何か客観的な根拠でもあるなら別ですが。

>アメリカの鉄道王のハリマンが日本政府をだまして満州鉄道を自分のものにしようと日本に滞在していた時に、日露戦争のポーツマス条約に怒った日本の民衆のエネルギーのすさまじさに恐怖し、日本が尺側を撤回したときに何も言えなかったそうです。

どこのマンガ本で仕入れた嘘話なのか知りませんが、そのような事実はありません。
ハリマンが日露戦争の戦時外債に協力した最も有力な人物だったことや、アメリカを満州に引き入れた方が今後のロシア対策にも有利と判断し、首相桂太郎は桂・ハリマン協定に調印したのです。
しかし、ハリマンと入れ違いに帰国した小村寿太郎外相は激怒し、これを破棄してしまった。
必死の交渉で満鉄の利権確保を勝ち取った小村にしてみれば怒るのも無理もありませんが、
ニューヨークで電報を受け取ったハリマンは、日本側の違約に怒りを露にしたとされています。
ただ、
「日米は10年もしないうちに戦争をするだろう」
などとブチ切れたとかいう話は、ソースが判然としない与太話のようなものだと思いますが。
 
>その典型が、石原莞爾でした。重光はそれをはっきりとした形で明文化したにすぎません。後からとってつけたのとはわけが違います。そこのところをタマゴさんは勘違いしているようです。

だから!石原はアジア解放など考えてはいなかったんですよ。
一度でいいから「世界最終戦論」を読んだらどうですか?
御託並べるのはそれからにして下さい。

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[2512]
タマゴ - 2016年12月30日 (金) 14時32分

>これは、日本とアジアとを一体と見ていたということです。だから、負けた後も日本兵はアジアの人たちと一緒になって戦ったのです。これは決して個人の資質の問題ではなく、日本人の魂であり、日本精神そのものだったのです。

敗戦後に旧日本兵がアジアの他国に残って独立を支援したと主張できそうな例はインドネシアでしょうか。
それでも日本兵のごく一部ですよ。
天寿堂さんの理屈では、残留しなかった大半の日本兵は“日本精神”なるものを持ち合わせていなかった、ということになりはしませんか。

>英国人は、アジア人を人間とは思っていませんでした。そういう連中と日本人とを同一視するところに、まず大きな問題があります。あまりにも日本人の精神に対する理解がなさすぎで話になりません。つまり、日本的でなく欧米的な認識だから、日本精神もそのレベルで考えてしまうのです。

これはtadaさんに対する返答ですが、tadaさんが天寿堂さんの頑迷さに呆れて半ば匙を投げてしまったような感がありますので、私がお答えしましょうか。
まず、天寿堂さんが考える“日本精神”とは何なのかを明確にしないと議論にならないでしょう。
tadaさんや私は武士道精神のようなものを想定していたのですが、
天寿堂さんによると、寺内寿一や牟田口廉也や冨永恭次のような救いようの無いヘタレも“日本精神”を持っているという。
明らかに、武士道精神とは別物のようです。
日本人に日本精神なるものがあるというなら、イギリスの天寿堂さん的人々は紳士の国・イギリス精神が本流と主張するでしょうし、アメリカの天寿堂さん的人々は自由平等のアメリカ精神が本流と主張するでしょう。
各々の国の天寿堂さん的人々は、自国を擁護し他国を貶したいという欲望に囚われているだけなのです。
アリストテレスやヘーゲルが、そのように、アテナイ人やドイツ人という主観的立場で、国家と国民の精神性一般を論じる姿が想像できるでしょうか?
あり得ないでしょう。
今の天寿堂さんの視点は、世界を俯瞰していたアリストテレスやヘーゲルの高みではなく、偏狭なネトウヨ思考を弁証法用語で味付けしたレベルに過ぎないということです。

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[2513]
tada - 2016年12月30日 (金) 17時14分

 天寿堂さんへ 「治安維持法下の朝鮮語学会事件」公開中 熊谷明泰先生の論文がありますので またお読みください。アジア解放とか民族自決ならぬ 民族運動の弾圧についての顛末です。
 李光洙や朴正煕のように 皇民化運動や日本軍の政策に積極的に協力する者は多数いました。それは独立運動や自決に関わらずに 日本人になれば 道が開けるという同化政策・直接支配の肯定でした。彼らにしても 日本による近代化を踏み台にしてからの 朝鮮の独立自立が念頭にあったはずです。明治初期 西欧に広く知見を求め お雇い外国人の指導を受け 資本の流入と制度作りをした日本人と同じ方向性をそこに見ます。しかし 本質的にみれば 英国の間接支配 つまり 支配民族と弱小民族の関係において 弱小民族の形式上・最低限の民族国家構成の承認することをも 放棄させた蛮行でしかないのです。英米の帝国主義の勝るとも劣らない帝国主義ぶりであるということです。独立を認めない立場による近代化なのです。近代化すれば 民族運動を弾圧してもいいのですね。アジア解放などしなくても良いのですね。天寿堂さんの意見に巧妙な帝国主義を感じました。

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[2514] 日本精神とは
愚按亭主 - 2016年12月31日 (土) 07時24分

>英米の帝国主義の勝るとも劣らない帝国主義ぶりであるということです。独立を認めない立場による近代化なのです。近代化すれば 民族運動を弾圧してもいいのですね。アジア解放などしなくても良いのですね。天寿堂さんの意見に巧妙な帝国主義を感じました。

 では逆に聞きますが、民族は必ず独立しなければならないのですか?それが民族の解放・発展なのですか?弁証法とは縁遠いあまりにも硬直した考えではありませんか?その結末はユースラビアのようになるということではありませんか?アフリカの際限のない民族対立ではありませんか?

 人類の発展は、経済圏の拡大とともに、民族の枠を超えて共同体がより大きくなり、それに伴って国家もより大きく創っていく必然性があります。そのためには、民族は即自のままではあってはならず、民族と国家の即自対自の弁証法的な統体止揚が必須となります。つまり部族・民族も、主体的に国民として発展していかなければならないということです。これが、動物の群れと人間の社会・国家との大きな違いとなります。そこを見事に(と言っても完全無欠ではありませんが)乗り越えて統一国家を創り上げたのが日本です。

 朝鮮はそれができず、国家として・社会として自立できず、当時の国際社会の荒波に飲み込まれようとしていました。日本は自衛のためやむを得ず、朝鮮を吸収しました。日本は誠心誠意朝鮮が日本に同化できるように配慮しました。しかし、十分な時間もなく、戦争しなければならない状況になれば、当然社会を乱そうとするものは取り締まらなければならなくなります。これは本土といえども同様でした。熊谷先生の論文は公開とありましたが見つからず、まだ読んではおりません。(アドレスをつけていただいたならありがたかったのですが・・・)ですから、詳しい事実は知りませんが、一般的に言えばそうなります。

 欧米は植民地の民を積極的に先兵として盾として使いましたが、日本はそうしませんでした。はじめのうちは、志願兵のみで、徴兵制を実施して強制的に兵として動員したのは、戦争の終盤の44年の4月からだそうです。あの大東亜会議よりも後です。台湾は、それよりも遅い9月だったそうです。これは、基本的に志願兵で事足りていたということだと思います。それだけ、現地の人たちも自分の問題として戦争に積極的に参加していたのだと思います。これと欧米とを同列に見ようとする、tadaさんの神経が分かりません。朝鮮も、台湾も日本が戦争に勝っていれば、日本に同化して完全な日本人なっていたことでありましょうし、人間としても、より発展できたことと思います。少なくとも、現在のように独立しても元の民度の低い偏狭な民族主義にまみれて嘘の慰安婦像を日本に対する嫌がらせのためにあちこちに創るというようなことにはならなかったと思います。しかし、日本が負けても、韓国が他の植民地各国よりも国家として発展できたことは、正当に評価すべきです。今、世界から日本に住み着いて日本人になりたいと日本人よりも日本人らしい外国人のなんと多いことか。

>天寿堂さんが考える“日本精神”とは何なのかを明確にしないと議論にならないでしょう。

 そのように多くの外国人を魅了する日本精神とは、何かということですが、それは、一言でいえば、普遍的な絶対精神が歩むべき道を日本が歩んでいたからにほかなりません。だから、異文化のもとで育った外国人たちをも魅了するのです。つまり、日本が人類の本流だということです。ですから、タマゴさんの「今の天寿堂さんの視点は、世界を俯瞰していたアリストテレスやヘーゲルの高みではなく、偏狭なネトウヨ思考を弁証法用語で味付けしたレベルに過ぎないということです。」という批判は、まったく当たらないのです。私は何度も詳しくそのことを説明しているので、私の主張を素直に受け止めたならば、とうに分かっていてしかるべきなのに、それが分からないのは「偏狭なネトウヨ思考を弁証法用語で味付けしたレベルに過ぎない」という偏向レンズを外そうとしないためなのです。

 また、アジア解放や独立の問題に関して、タマゴさんが引用してくれた波多野先生の論文の一節は、私もその部分を読んで自説を展開しました。曰く
>大東亜地域の戦争協力を調達するために、占領地の「独立」や「政治参与」を容認する施策を早ることが妥当か否かにあった。
結局、自治容認や独立許容は資源確保を妨げ、作戦を阻害する要因となるとして時期尚早論に固執していた海軍を外務省や陸軍が押し切り、すでに「独立」容認の路線で動いていたビルマ、ブイリピンについてはその推進を確認し、・・・

 タマゴさんは、一言一句その通りに書いていなければ認めないというとても融通のいかないほど論理能力の欠如したアタマの持ち主なのか、それとも反論のためにあえて無視して強引に言いくるめようとしているのか、定かではありませんが、海軍の主張していることは明らかに戦争遂行のために独立はそれを妨げると認識していたことを示しているのですから、私と言っていることが同じではないですか?どうぢタラ違うという結論にあるのか、私の方こそ説明していただきたいと思います。

>波多野教授の論文が間違っていると思うなら自説を正当化するために用いるべきではないし、正しいと思うなら正しいと認めるべきでしょう。私なら高山や宮崎の本から引用するような恥ずかしい真似などしませんけれどね。

 なるほど、それで無視しているのですね。やっとわかりました。しかし、タマゴさんは面白い考え方をする人ですね。一か所間違いがあると全否定するという独特の思考する人のようですね。これでは話がかみ合わないわけです。
 私なら、反対の立場の人の出した事実をもって、その反対の論を崩すほど、確実なことはないと思っています。ですから、積極的に活用します。以前にタマゴさんが同じ考えの本から引用しても説得力がないというような批判をしていましたが、これなら、タマゴさんでも、そういう文句はつけられなくなるわけですから・・・・

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[2515]
タマゴ - 2016年12月31日 (土) 11時49分

>そのように多くの外国人を魅了する日本精神とは、何かということですが、それは、一言でいえば、普遍的な絶対精神が歩むべき道を日本が歩んでいたからにほかなりません。

浅草などにいる訪日外国人に「大東亜戦争期(或いは帝国主義時代)の日本に魅力を感じますか?」と尋ねてみたらどうですか?
ほぼ全員が「NO」と答えるでしょう。
彼らの祖国が大東亜戦争期に敵国だったからではなく、ドイツやイタリア、アジア各国からの外国人に尋ねても同じように答えるはずです。
大東亜戦争をアジア解放の聖戦だなどと考えているのは、宗教的信条や世界史の勉強不足で右派思考にかぶれた一部の日本人くらいなものです。
訪日外国人は、文明開化以前の日本の伝統的文化・精神性には魅力を感じているでしょうが、天寿堂さんの考える“日本精神”には魅力を感じてなどいません。
既に書きましたが、明治期に日本に来た小泉八雲などの外国人教師たちは、日本の良さが急速に破壊され欧米化・一神教化していくことを肌で感じ嘆いていたのです。

>戦争遂行のために独立はそれを妨げると認識していたことを示しているのですから、私と言っていることが同じではないですか?

どうも天寿堂さんは、意識的にも無意識的にも、詭弁を多用する悪癖が染み付いているようです。
天寿堂さんは「戦争」ではなく「聖戦」という語を用いていたではありませんか。
これはアジア解放戦争という意味でしょう。
波多野先生の論文には、軍部にはアジアを解放させる意図が無かった、即ち、天寿堂さんの述べてきたことと真逆の事実が明らかにされているのです。
どう読めば波多野教授と天寿堂さんの見解が同じだなどというトチ狂った結論になるのか。

>私なら、反対の立場の人の出した事実をもって、その反対の論を崩すほど、確実なことはないと思っています。

私は、そういう筋の話をしたのではありません。
私が高山や宮崎の本から引用などしないと述べたのは、彼らの本には恣意的曲解に満ちていて歴史学的な価値が全く無いからです。
繰り返し述べていますが、私は、本来の議論というものは正論をぶつけ合い真実に近づく努力をすることであると考えています。
つまり、彼らのような恣意的見解を削ぎ落として客観的事実を明らかにするために議論しているのです。
宝玉を磨くのに汚れた雑巾を使うアホはいません。

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[2516]
tada - 2016年12月31日 (土) 14時18分

治安維持法下の朝鮮語学会事件. kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstream/10112/2729/1/KU-1400SKS-20060400-.pdf こちらでどうぞ
 天寿堂さんへ かならずしも民族独立はしなければならないということは ありません。それはその民族の過去の歴史性にもとづくものですから。 過去に弱小国家といえども 独立した国家として存在していた そして その記憶を持った人々が 生存している場合なら 民族独立の可能性があるということです。日本文化がすぐれているから 弱小民族の文化はだめだ 日本が手を貸してやらねば 良くならないなどという思想自体が すでに弱小民族の文化をはなから抹殺しようとする思想と地続きなのです。だから アジア解放がアジア抑圧に変わるのです。しかし 同化現象自体の全部が悪いわけじゃないです。弱肉強食の戦国時代と同じように アイヌ・琉球その他の敗者たち そして江戸日本国ですら 明治維新で 近代に改造されたのですから。故郷の国家をすてEUを目指す人々 移民国アメリカでの2世3世の同化 いや アメリカ自身が故郷の国家を捨てた人々の集まりでしたね。話が大きくなりましたが 各自の主体性に任せれば いいのです。弱小民族の主体性にまかせればいいのです。それが何年かかろうと 衰亡しようと 彼らの内発的な努力に賭けるしかないのです。このことを政策的に1920年代に考えていたのが 石橋湛山です。「石橋湛山の満蒙放棄論」「石橋湛山の思想 小日本主義」PDF公開中です。(特に増田弘先生の紹介文がわかりやすいのでグーグルでタイトル検索をしてください。)なお軍備は警察力のみと抑止力としての軍事力をみていないのが石橋の欠点です。そして wiki小日本主義では英国のインド支配は経済的利益がでているので 肯定しています。別の文献ではインド経営が民族運動のためにたちゆかなくなることも予想しています。それらの欠点は止揚しなければなりませんが 彼の思想は重要です。ちなみに彼の思想を継ぐのはエコノミスト長谷川慶太郎です。結局日本はその思想の方向性で戦後復活したのです。アジアの解放を武力ではなく 経済活動を通じた道徳で範を欧米に示すという思想の在り方は 天寿堂さんの本流思想に通じるものがあると思いました。いかがですか?

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[2517] よいお年を
愚按亭主 - 2016年12月31日 (土) 16時40分

 これから田舎に帰りますので、続きは来年ということで、皆さんよいお年を!

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