[2386] もうつかれてきましたね |
- 愚按亭主 - 2016年11月26日 (土) 22時54分
>殆どがこれまでのコピペなので返答の価値があまり無いような気もしますがね。
コピペの部分とそうでないところを明確にしていなかったのは、私のミスです。すいません。以下の部分は、そうでない部分です。
「以上でこの件に関する論争は終了しておりますが、この一連の流れを見ていただくと明白なように、私の主張は一貫しています。タマゴさんから新たな事実を突きつけられると、その事実が私の主張と矛盾するものではなく、むしろ私の見方・体系の中にその事実を取り込むことによって、その真相・実相がクリアな形に浮き彫りになっていきました。つまり、歴史の把握がどんどん発展していったということです。
これに対して、タマゴさんのほうは私の主張を取り入れようとしないので、豊富な事実を次々に出してくるだけで、発展はほとんど見られませんでした。つまり、私が明らかにしたフィリピン独立の実相を認めようとせず、タマゴさんによって私の誤りが論証されたと思っている書き込みがあります。
しかし、アメリカがなぜ独立を約束したのかは、スペインを倒すために独立を約束したように、日本を倒すために独立を約束したのであることは明白です。それがアメリカの行動パターンだからです。しかし、今度は口約束ではありませんでした。国と国の正式な約束として交わしました。それは、傀儡政権を樹立する必要があったからです。そして、その兵士を合法的に使用するためなのです。それを鋭く見抜いたアギナルド将軍は、日本軍がマニラを制圧した後、ラジオで「米国への恐怖心を克服して真の独立を勝ち取ろう」と呼びかけたのです。そしてそれを聞いた傀儡政権の際に選挙戦で戦ったケソン大統領は、このアギナルド将軍の演説を聞いた後、「この戦争は、日本と米国の戦いだ。フィリピン兵士に武器を置いて降伏するように表明する。日米はフィリピンの中立を承認してほしい。」と言って米国に掛け合ったのです。米国は図星を疲れそれを行動に移されてはまずいので、彼を米国に連れ去り、以後彼は、フィリピンに戻ることなくそこで没することになります。
つまり、アメリカは日本と戦うために独立を約束し、日本に勝ったからその約束を実行したのです。おそらく、日本がいなかったらこの時点での独立はなかったと思います。このように全く日本の関与がなかったかに思われるフィリピンの独立でさえ、日本のおかげで独立できたのです。
他のアジアの国にしても、日露戦争で日本が白人を打ち負かしたことで、各地に独立運動が起こります。このときはみな潰されましたが、日本が侵略者を追い払って三年余軍事訓練をし日本精神を注入したあと、日本兵も加わって独立戦争に勝利して独立を勝ち取っているのです。余計な事実・現象にとらわれることなく本質を見る目で見ると、日本がアジアを解放したことは明白です。
そして、日本が戦時ではなく平時に統治した国とそうでなかった国との戦後を比較してみると、その社会力・国力の違いに歴然とした違いがありました。これの意味するものは重大です。インドネシアも平時に日本の帝国領土になっていたならば、その社会力は見事に発展することになっていたと思います。たとえ独立することになってもです。」
>天寿堂さんの言う「本質的必然性」云々というのは、世界史を真面目に学んでこなかったことの言い訳としか聞こえません。俺は絶対真理を知っておるから各論は無知でもよいのだ・・・ということなのでしょうか。
本質的必然性というのは、つまるところ本流の流れということです。これが事実と対立するところの究極の一般論で、それとの統体止揚が実相ということになります。ですから事実を否定しているわけではないのです。通常は事実のほうばかりが大事にされているので、そのアンチテーゼとして論理・理論のほうを提出しているわけです。実際ここで取り上げた問題も、アメリカはまず日本を倒そうとして計画を立てて実行したという一般論を媒介にしてみると、なぜアメリカがフィリピンの独立を10年後に承認することを約束する条約を結んだのか、ということがよく分かります。しかし、タマゴさんは、その一般論は日本会議派の偏向した見方だから、と認めようとしないのです。しかし、実際はタマゴさんは、日本の戦争主導者たちは悪者だから日本がフィリピンの独立を邪魔したのどという変更した一般論を持っているせいだと思います。
>歴史学の原則は実証主義なのですよ。
そもそも学問とは、体系的論理の構築をもって本分とするものです。この原則は、歴史学とて例外ではありません。しかし、現今の歴史学はすっかりその原則を喪失してしまっていますが、むしろ歴史学ほど論理の目が必要な学問はないと思います。つまり、実証が難しいということです。だから、逆に実証実証というのかもしれません。
>アメリカは、日本ではなく、中国大陸の侵略を目指していたのであり、その足掛かりとしてフィリピンを侵略したのです。そして満州に先に進出していた日本の利権集団と利害がぶつかった。
もちろんそうですが、彼らはもっと戦略的で、早くからまず日本を片付けなければと思っていたのです。フィリピンもそのために侵略したことは,その後の行動が物語っています。
>当時の満州の人口は約3000万人、満州族は全て合わせてもその一割程度しかおらず、大半は漢民族でした。満州の人口の大半を満州族が占めていたたのは、満州国ではなく清朝樹立当時の話です。
それもどうもはっきりしないようです。1400万という人もいますし。統計がとってあるわけでもないし。日本が1920年ごろの関東州の調査も以下の通りだそうです。 68万8130人 関東州 7万8634人 内地人 576人 朝鮮人 22人 台湾人 60万8589人 支那人 309人 外国人
このうちの支那人には漢人・満州族・モンゴル族もふくまれているそうです。しかし、やはり清が崩壊過程に入ってから漢民族が入り込んできたようです。
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