カウンター 癌治療と<交感神経ー副腎系>の関係について - 談論サロン天珠道
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談論サロン天寿道

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[2256] 癌治療と<交感神経ー副腎系>の関係について
北のM - 2016年08月13日 (土) 18時09分

「青雲氏の東洋医学への口撃について」というタマゴ様と天寿堂様とのやりとりにおける「[2254] 心に青雲氏の滝村先生に対する批判について」という天寿堂様の書き込みの最後に、標題についての言及がありましたので、お二人のご議論の本筋から離れるテーマであると考え、別スレッドを立ち上げさせていただきました。

以前の「[2107] Facebookの記述の訂正」という長いご議論の中で、天寿堂様はNHKの番組を取り上げながら、癌とストレスの関係について、副腎の統括による免疫細胞の役割の変化という観点から解説されていると思いますが、その時もたいへん興味深く読ませていただきました。そして今回の[2254]においてはさらに、
>癌治療のカギは交感神経ー副腎系にあるという理論的確信を得ることができ、それをさっそく実践して目覚ましい成果を得たのですが、私の成功を望まない人によって、それ以上の治療をさえぎられてしまいました。大変残念なことです。
と述べておられ、ますます癌治療と<交感神経ー副腎系>の関係について、さらに天寿堂様の実践の成果とそれにたいする妨害について知りたくなりました。癌治療にたいしては、西洋医学では手術・放射線・抗がん剤の3大療法が主流ですし、東洋医学では、確か天寿堂様のご師匠であった吉田先生も、癌だけは治療できないと仰っておられたと聞いておりますが、もし天寿堂様の交感神経理論の応用で、新たな癌治療の方法が確立されたなら、まさにそれは人類の医学の歴史を塗り替える大事業であると思います。そこで、今差支えのない範囲で、天寿堂様の癌治療論をここにご披歴していただきたくお願いするしだいです。

Pass

[2257] おっしゃる通りがん治療の革命を起こす可能性はあると思います
愚按亭主 - 2016年08月14日 (日) 14時08分

 巷では、交感神経が亢進するとガンを抑える免疫細胞の働きが悪くなってガンを誘発・悪化させる、という論調が優勢です。つまり、交感神経が不当に悪者にされて、副交感神経ががん治療の要だという説まである始末です。

 この背景には、交感神経と副交感神経が一対の拮抗支配をしているという現代医学のドグマ(誤った解釈)が権威ある定説としてまかり通ってしまっているという現実があります。そしてこれが、免疫の統括機構の見方にも大きく影を及ぼしております。すなわち、免疫の統括機構も交感神経と副交感神経との二元支配だとする考え方です。さらには、この考え方にもとづいて、ガンを抑えるのにはリンパ球が重要で、そのリンパ球を統括しているのは副交感神経の方だから、ガン治療は交感神経よりも副交感神経の方が大事だとする考え方が生まれています。

 しかし、一般論を媒介にしてみますと、この考え方が如何におかしいかが、一目瞭然となります。まず、交感神経とは何か、と言えば、副腎と一体・一対となって、命を脅かす様々な変化から恒常性を保って命を守る働きをする神経です。
 これに対して、副交感神経は、原初的には魚類の時代に運動神経と一対となって代謝器官(内臓)の運動を統括するために生まれた神経で、消化・吸収・排泄という一連の代謝過程の運動を統括する神経です。

 以上の一般論から照らしてみると、免疫機構が交感神経と副交感神経との二元支配になる必然性は見えてきません。そればかりか、実体の構造としても、副交感神経が統括しているはずの腸の粘膜には、腸固有の神経と交感神経しか分布しておらず、副交感神経は直接分布していないという事実があります。現代医学は、この事実を教科書に図示していながら、どういう訳か無視しています。

 ところが、この事実の意味するものは重大です。それは何かと言いますと、副交感神経は腸固有の神経の統括を通じて消化・吸収・排泄の運動を統括しているだけで、腸の免疫を直接には統括していないということを意味するものである、ということです。また一方で、交感神経は皮膚だけでなく腸の粘膜という外界と直接に接している部分をすべて単独で直接に統括して命を守っている、ということです。つまり、免疫機構は、交感神経によって一元的に統括されているということです。

 また、交感神経はスジのネットワークも統括しています。そのスジのネットワークは、リンパの通り道でもあり、リンパ節はスジのネットワークの一部を構成するものです。そのリンパ節というのはどういうものかといえば、リンパ球やガンを監視除去するNK(ナチュラルキラー)細胞などの免疫細胞の基地で、たとえて言えば交番のようなところです。ガンが進行してリンパ節に転移した、ということがよく言われますが、これはどういうことかと言いますと、交番がテロリストに占拠されたようなものです。つまり、免疫機構の敗北を意味します。通常はこういうことが生じると、免疫機構の本部は非常戒厳令を発動して、威信にかけて何が何でもテロリストを排除しにかかるものですが、もし、そういう働きも起きないとすれば、それはもはや免疫機構が崩壊して絶望的だということです。

 今回、私が「癌治療のカギは交感神経ー副腎系にあるという理論的確信を得ることができ、それをさっそく実践して目覚ましい成果を得た」事例というのは、私のミスで舌癌を進行させてしまって、リンパ節転移まで起させてしまった方に、マジキューや鍼を援用しながら、スジのネットワークの基地である骨と、交感神経の中枢である交感神経管および副腎の治療を施したところ、のどやリンパ節の腫れが出てきて医者から悪くなったと言われたそうですが、その腫れが引いた後は、舌の動きがよくなり、首回りがすっきりしました。この反応があらわれるまでに要した期間は、二度の治療で約一週間です。

 なぜこのように反応が早かったのかと言いますと、先ほども説明したように、免疫機構を統括する交感神経にとって、それは沽券にかかわる重大な事態だったからこそ、治療によって交感神経が目覚めると、即座に交番に立てこもるテロリストたちを排除しようとする働きが出てきたのだと思います。舌癌の方はこんなに簡単にいかないとは思いますが、交感神経の直轄のリンパ節へのガンの転移の場合は、交感神経に活を入れることができれば、劇的な効果が期待できると思います。これは、現代医学のガン治療の盲点といってよいと思います。

Pass

[2258]
タマゴ - 2016年08月14日 (月) 22時05分

>副交感神経は腸固有の神経の統括を通じて消化・吸収・排泄の運動を統括しているだけで、腸の免疫を直接には統括していないということを意味するものである、ということです。また一方で、交感神経は皮膚だけでなく腸の粘膜という外界と直接に接している部分をすべて単独で直接に統括して命を守っている、ということです。つまり、免疫機構は、交感神経によって一元的に統括されているということです。

腸粘膜には腸神経と交感神経が分布していると言いながら、腸神経を無視して、腸粘膜や免疫系は交感神経が一元的に統括しているというのでは、誰も腑に落ちないでしょう。
また、腸神経は副交感神経繊維で構成されていること、交感神経が発達する以前から免疫系は存在したこともすっかりアタマから抜け落ちてしまっています。
残念ながら、私と激論を展開した時点から、また元の低次の主張に後戻りしてしまったようです。

天寿堂さんが尊敬するキャノンは、交感神経を除去した猫を全く健康な状態で3年以上も飼育することに成功し、そのことから、交感神経は生命の維持に必須ではないと結論付けています。
実験室という環境下とはいえ、消化・吸収・排泄の統括だけで健康な状態を維持することなどできませんから、
副交感神経の統括はもっと広範囲に及んでいると考えなければキャノンの実験結果を合理的に説明できません。

>私のミスで舌癌を進行させてしまって、リンパ節転移まで起させてしまった
>交感神経の中枢である交感神経管および副腎の治療を施したところ、のどやリンパ節の腫れが出てきて医者から悪くなった

なぜこのような事態を招いたのか、原因は判明しているのでしょうか?
交感神経を刺激したことと無関係なのでしょうか。

Pass

[2259] 癌のリンパ節への転移とストレスと交感神経による統括
北のM - 2016年08月15日 (月) 02時21分

交感神経による免疫機構の一元的統括について、その構造に分け入ったご解説ありがとうございます。そこで再度の質問です。天寿堂様は、よく云われる<癌のリンパ節への転移>というのは、<免疫機構の敗北(崩壊)>を意味するものであると云われておられると思いますが、ではそのような<敗北・崩壊>が何故起こるのかということです。

そこで私が考えますに、私のこの前の書き込みにありますように、「天寿堂様はNHKの番組を取り上げながら、癌とストレスの関係について、副腎の統括による免疫細胞の役割の変化という観点から解説されていると思いますが」、このストレスへの緊急対応のため、免疫細胞本来の役割のひとつである癌細胞の駆逐という仕事が一時休止されることが、<癌のリンパ節への転移>を促すひとつの大きな要因ではないのかということであります。したがって、ストレスが持続する限りは、免疫細胞本来の役割に復帰するのが困難になるのではないかと思いますが、ここからの対応の具体例が、天寿堂様が実践された舌癌のリンパ節への転移に対処した交感神経活性化の試みだったということであり、この<活性化>とは具体的に、「マジキューや鍼を援用しながら、スジのネットワークの基地である骨と、交感神経の中枢である交感神経管および副腎の治療を施し」て免疫細胞本来の役割を発揮できるようにしたということではないでしょうか。

今日のようなストレス過多の社会にあっては、このようにいつでも体の一部に発生した癌が、リンパ節への転移を通して全身に広がる可能性をもっているなかで、交感神経の真の役割をあらためて見直し、その強化を図ることの医学的意義を追究していくことが、これからの大きな人類的課題ではないかと愚考する次第です。



Pass

[2262]
愚按亭主 - 2016年08月16日 (火) 09時43分

>残念ながら、私と激論を展開した時点から、また元の低次の主張に後戻りしてしまったようです。

 残念ながら、私と激論を展開して統体止揚して天珠医学の交感神経論をものにされたのかと思っておりましたが、また元の低次の現代医学の交感神経・副交感神経二元支配論に戻ってしまわれたのですね。残念です。

>天寿堂さんが尊敬するキャノンは、交感神経を除去した猫を全く健康な状態で3年以上も飼育することに成功し、そのことから、交感神経は生命の維持に必須ではないと結論付けています。実験室という環境下とはいえ、消化・吸収・排泄の統括だけで健康な状態を維持することなどできませんから、副交感神経の統括はもっと広範囲に及んでいると考えなければキャノンの実験結果を合理的に説明できません。

 キャノンは、交感神経ー副腎系ではなく、交感神経の果たしている役割を明確化したかったのです。だから、交感神経だけ取り除いて副腎を残したのです。どういうことかと言いますと、海の中という水に守られた安定的な環境の中で生活していた魚類の時代は、副腎だけで交感神経は必要なかった。しかし、陸上という環境の変化の激しい環境になって交感神経が必要になって交感神経が誕生しのたのです。したがって、キャノンが証明したことは、実験室のような管理された安定的な環境では、交感神経がなくとも副腎だけで十分に生きていける反面、何も管理しない陸上の普通の環境では、交感神経がなければ生きていけない、ということです。これによって、交感神経が果たしている役割が非常に明確になったわけです。

 また、腸固有の神経が魚類以前に、腸に必要なすべてのことをやっていたことと、それが魚類になって組織化され、専門分化されていく過程で、腸固有の神経は副交感神経の下に消化・吸収・排泄を専門的に担当するものとして組織化されたのです。前の段階で免疫も担っていたからと言って、大きな組織の一員となるときは、その免疫は免疫でその大きな組織にふさわしい形で組織化されるはずであり、何より庁の主な役割は、消化・吸収・排泄なのですからそちらに特化するのは当然の成り行きです。

 免疫という個体全体の命を守る重要な働きは、消化・吸収・排泄の傍らで片手間にできるようなものではなく、個体的・体系的に一元的な統括された初めて効力を発揮できるものです。その意味で、副交感神経は、組織的・実体的にも、それぞれがバラバラであって、免疫の統括には適してはおりません。その点、交感神経ー福神系は、交感神経幹という現場の統合中枢司令本部があり、ホルモン分泌器官も備わって充実しているので、そこに副交感神経が入り込む余地はなく、あればかえって現場を混乱させ邪魔になるだけです。
 
>なぜこのような事態を招いたのか、原因は判明しているのでしょうか?交感神経を刺激したことと無関係なのでしょうか。

 この時期はまだ、交感神経の免疫機構の全的統括、癌に対する交感神経の及ぼす影響についての認識が甘く、しかも、その前兆とみられる症状についても、軽く考えて他のほうに重点を置いて何らの対策も施そうとしていなかった、ことが大きな原因です。とりわけ、胸腺の存在する胸骨に対する働きかけが皆無であったことが、免疫系の賦活という面で大きな落とし穴であったと反省しています。一方で、ここへの働きかけを強化した後は、大汗が出てリンパ節が腫れてそれがひいた後、劇的に良くなったことからも言えると思います。

>このストレスへの緊急対応のため、免疫細胞本来の役割のひとつである癌細胞の駆逐という仕事が一時休止されることが、<癌のリンパ節への転移>を促すひとつの大きな要因ではないのかということであります。したがって、ストレスが持続する限りは、免疫細胞本来の役割に復帰するのが困難になるのではないかと思います

 確かにおっしゃる通りですが、それだけでなくストレス自体が交感神経の働きを狂わせるという面からも見なければならないと思います。現代医学は、亢進としか見ませんが、交感神経という名称にもある通り、感情に敏感の反応するだけに、その感情によって交感神経の働きが異常化するケースが非常に大きいと思います。今回のケースもそういう要素が非常に大きかったと思います。

Pass

[2263]
タマゴ - 2016年08月16日 (火) 11時21分

>残念ながら、私と激論を展開して統体止揚して天珠医学の交感神経論をものにされたのかと思っておりましたが、また元の低次の現代医学の交感神経・副交感神経二元支配論に戻ってしまわれたのですね。

以前ああ言ったこう言った、という筋の話は正直好きではないのですが、やむを得ませんね・・・。

天寿堂さんは元々、
「交感神経が生体維持を一括して統括している。副交感神経は消化吸収排泄だけ。」
と主張していたのに対して、私がキャノンの実験や自律神経の発達の歴史や現代医学の論文を鑑み、
「腸神経と副交感神経が、生体の最も基礎的な活動を主導的に統括し、
交感神経が、外部環境の変化に対応するために生体の基礎的活動を制御(抑制)している」という推論を主張したところ、
天寿堂さんは「それは私の説と同じだ」と言ってきたのです。
そこで私が「いや、天寿堂さんは交感神経一元論でしょう?」というと、
天寿堂さんは「そんなことは言っていない。」と、私の勝手な勘違いだったことにしてしまったのです。

>胸腺の存在する胸骨に対する働きかけが皆無であったことが、免疫系の賦活という面で大きな落とし穴であったと反省しています。一方で、ここへの働きかけを強化した後は、大汗が出てリンパ節が腫れてそれがひいた後、劇的に良くなったことからも言えると思います。

天寿堂さんが自論を根拠として必死に交感神経を刺激しても癌に効果が無く、むしろ進行してしまったことは、患者さんの身体を預かる医療従事者として大きな反省材料としなければなりません。
副交感神経の亢進により胸腺が活性すること、即ち両者に密接な関係のあることは、Wiesel以来多くの学者が確認しています。
天寿堂さんが一生懸命に交感神経系を刺激しても胸腺が活性化しなかったのは当然のことで、むしろ胸腺を抑制する方向に作用していたのではないかと思います。
胸腺が交感神経支配であるという天寿堂さんの仮説は誤りだったことが実証されたのです。
本当なら、こうなる前に、もっと早く気付くべきだったと思います。

Pass

[2264] ストレス、熱中症と交感神経の強化
北のM - 2016年08月16日 (火) 13時30分

交感神経は、英語ではsympathetic nerve、すなわち認識に共鳴(共振)する神経ということで、仰られるように、ストレスに共鳴して「交感神経の働きを狂わせる」という作用があるということでしょうか。ところで、「[1794] 熱中症の構造ーなぜ交感神経が退化してきているのか?」という天寿堂様の以前のスレッドで、そこでもキャノンの交感神経切除実験が紹介され、「地上のごくありふれた環境で交感神経がある場合は生きていけるが、交感神経がなければ生きていけないということをこの実験は示しているということである。つまり、我々は交感神経のおかげでこの地上の生活が出来るのだと言うことである。」と述べておられます。

そして、これらストレスによるリンパ節への癌転移と熱中症という一見何の関わりもないように見える症例においても、それに対処するためには、いずれも交感神経の「護命神経」としての役割が重要であるという点では共通しているということであると思います。

そして、熱中症への対処については、上の以前のスレッドで述べておられるように、「小さい時から手足を目一杯使って活発に働かせる一方で、毎朝乾布摩擦で皮膚と交感神経の働きを鍛えておくことがとても大事であると」思います。他方癌治療の場合は、これらに加えて、ストレスがあってもそれに負けない、すなわちそれでも本来の「護命神経」としての働きを全うできるように交感神経を強化するという癌治療の基本方針が、天寿堂様によって初めて提示されたことは、癌治療史において画期的なことではないかと思った次第です。






Pass

[2265]
愚按亭主 - 2016年08月16日 (火) 16時12分

>と主張していたのに対して、私がキャノンの実験や自律神経の発達の歴史や現代医学の論文を鑑み、「腸神経と副交感神経が、生体の最も基礎的な活動を主導的に統括し、交感神経が、外部環境の変化に対応するために生体の基礎的活動を制御(抑制)している」という推論を主張したところ、天寿堂さんは「それは私の説と同じだ」と言ってきたのです。そこで私が「いや、天寿堂さんは交感神経一元論でしょう?」というと、天寿堂さんは「そんなことは言っていない。」と、私の勝手な勘違いだったことにしてしまったのです。

 タマゴさんが正しく理解できるように、解説しましょう。まず、タマゴさんの言う「腸神経と副交感神経が、生体の最も基礎的な活動を主導的に統括」とは、生きていくために必須な代謝過程すなわち消化・吸収・排泄の一連の過程を統括しているのが副交感神経だということです。
 次に、「交感神経が、外部環境の変化に対応するために生体の基礎的活動を制御(抑制)している」を、より正確にいうならば、外部環境によって内部環境が乱された場合、および内部環境自身が何らかの原因によって弥陀沙汰たときにそれを整えておのちを守る働き全般を統括しているのが交感神経だ、ということです。したがって、これはまさに私が行っていたことと同じことをタマゴさんは言っていたわけです。だから、私は「同じだ」と言ったわけです。

 ところが、タマゴさんは「交感神経が生体維持を一括して統括している。」と言ったのだから「消化・吸収・排泄」などの生きていくことの基礎的な活動も全部交感神経が統括しているのだろう?というので、「そんなことは言っていない」として、交感神経は裏方の縁の下の力持ちのような仕事を取り仕切っているという説明をしている文章を例に挙げて、「それはタマゴさんの早とちり、勘違いだ」と反論したわけです。

 しかし、よく考えてみると、タマゴさんは「交感神経が生体維持を一括して統括している。副交感神経は消化吸収排泄だけ。」と私が言ったと認識していたようですから、その「一元支配」の中に「消化吸収排泄」は入っていないはずです。だとしたら何の一元支配なのでしょう?おそらく、免疫なども含めた一元支配という意味かも知れません。だとしたら、訂正する必要はありませんでした。その通り交感神経が免疫機構を一元支配していると思っています。

>副交感神経の亢進により胸腺が活性すること、即ち両者に密接な関係のあることは、Wiesel以来多くの学者が確認しています。天寿堂さんが一生懸命に交感神経系を刺激しても胸腺が活性化しなかったのは当然のことで、むしろ胸腺を抑制する方向に作用していたのではないかと思います。胸腺が交感神経支配であるという天寿堂さんの仮説は誤りだったことが実証されたのです。

 私は違う反省をしています。それまでの私の治療と、舌癌が発覚した後の私の治療でどこが変わったのかといいますと、胸骨・鎖骨下顎骨および喉全般へのマジキューの施術と背中の交感神経幹と副腎へ向けての鍼を加えたのです。それによってどのような反応が出てきたのかと言いますと、大汗をかき、顎から喉にかけて腫れがでてきました。そして、その腫れがひくと、喉がすっきりし、健康戦の異常な粘着性が取れました。これらは、明らかに交感神経の反応です。

 つまり、反省すべきは、交感神経を如何にして賦活したらよいかの方法的反省こそが肝心であって、副交感神経は直接には関係ありません。さらに言えば、胸腺は交感神経の統括課にあるというのが私の主張であり、その線の沿った働きかけで、成果を上げることができたので、私の主張は間違っていなかったと総括しております。


>北のМさんへ
 今回の反省にあるように、交感神経は、非常に複雑多岐な働き方をしておりますので、そんな単純ではありません。これからいろいろなケースが出てくると思いますので、これからそれを解明していきたいと思います。

Pass

[2266]
タマゴ - 2016年08月16日 (火) 17時49分

>キャノンが証明したことは、実験室のような管理された安定的な環境では、交感神経がなくとも副腎だけで十分に生きていける

副腎は交感神経支配ですから、実験室の中とはいえ、交感神経を除去してしまった状態で生体維持に必要な機能を果たすことができるのかどうか、疑問です。
また、消化吸収排泄以外の器官(例えば循環器系や呼吸器系など)が自律神経の関与も無しにホルモンの分泌のみで正常に機能するとは思えません。

>舌癌が発覚した後の私の治療でどこが変わったのかといいますと、胸骨・鎖骨下顎骨および喉全般へのマジキューの施術と背中の交感神経幹と副腎へ向けての鍼を加えたのです。

それ以前も交感神経への刺激は手技などで入念に行っていたはずで、それでも胸腺が活性化されなかったから、直接的に胸骨部を刺激せざるを得なくなったのだろうと思います。
それで辛うじて快方に向かったと。
胸腺を活性化させることが分かっている副交感神経を刺激していたら、結果は違っていたと思います。
交感神経の過剰な亢進状態では胸腺の活性が妨げられると考えられますから、それを沈静化する目的の治療を施すことは必要でしょう。
そのためには手技による刺激よりも鍼による瀉法が有効でしょうから、それが効を奏したのではないかと推測します。

Pass

[2267] 交感神経理論の癌治療論への発展
北のM - 2016年08月16日 (火) 18時11分

ここで「[2248] 青雲氏の東洋医学への口撃について」の中の「[2260] タマゴさんは恐ろしい人」という標題で天寿堂様が最後に書いておられる<三項の論理>を拝借させていただくと、たとえば、

基礎的契機:常態論(普遍性)交感神経による免疫機構の一元支配
否定的契機:病態論(特殊性)ストレスによる交感神経の免疫機能不全による癌の転移
統体的契機:治療論(個別性)交感神経の賦活化による免疫機能回復による癌の縮小・消滅

ということになるでしょうか。もちろん天寿堂様の仰るように、「交感神経は、非常に複雑多岐な働き方をしておりますので、そんな単純では」ないということで、このような図式化はあまり意味のないことかもしれませんが、いずれにしても、タイトルにありますように、天寿堂様による交感神経理論の癌治療論への発展を期待しております。

Pass

[2268] それはちがいます
愚按亭主 - 2016年08月18日 (木) 14時51分

>副腎は交感神経支配ですから

 副腎はもともと脳によって統括されていました。それがそのままの形残っているのが、副腎皮質で一時これが問題となって議論したはずです。現代医学は、だから副腎髄質と副腎皮質は違う系統なのだと解釈していしまったのです。ところがその出自から考えて、本来両者は一つの器官であり、同じ系統に属するもので、生命が陸上に上陸して緊急に対応する必要が生じて、緊急性の高い髄質系統が交感神経を増築して、その緊急性ゆえに、またその新たな神経に本来のホルモン性を具備するために一体性をはかる現場レベルでの統合中枢司令本部としての交感神経幹が造られて、脳から緊急性の高いものはおまえに任せるから勝手にやってよいと委託されて、交感神経主導となっただけで、交感神経がなくなれば、副腎髄質の方は本来の機能を発揮するだけです。というよりも、交感神経の統括下にいながらも、髄質はある程度の独自性を発揮していたのですから、交感神経がなくなっても、何ら問題はありません。そのことを証明して見せたのがキャノンの実験だったわけです。
 副腎皮質のほうは、脳の統括下のまま交感神経に協力していただけですから、交感神経がなくなっても何ら機能に変化はありません。むしろ、交感神経がなくなることによる不備を自分ができる範囲で補おうとするはずです。

>交感神経の過剰な亢進状態では胸腺の活性が妨げられると考えられますから、それを沈静化する目的の治療を施すことは必要でしょう。そのためには手技による刺激よりも鍼による瀉法が有効でしょうから、それが効を奏したのではないかと推測します。

 過剰な亢進とか沈静というとらえ方に問題があると思います。というのは、交感神経の働きは、亢進とか沈静などという単純な規定ではとらえきれない複雑さがあるからです。たとえば、精神的ストレスに対する交感神経の反応として、怒ったときと、歓喜のときの交感神経の反応は、どちらかというと亢進に分類されるものになろうかと思いますが、その内容はかなり違ったものになると思います。また、悲しみの場合と、苦しみの場合の交感神経の反応は、どちらかと言うと、沈静というより沈滞という方がふさわしいと思いますが、やはり、その内容はかなり違ってきます。

 また、交感神経ー副腎系は恒常性を乱す多種多様な変化に合わせて適切に調整するものですから、亢進とか沈静だけでその働きの中身を表しきれるものではありません。

 さらにまた、交感神経は本来命を守ることを本姓としているのにもかかわらず、認識の優秀な秘書として、認識の生命の道理に反する気まぐれにも合わせて体を整えさせられているのですから、それが交感神経の働き方を次第にゆがめていくことになります。したがって、あちこちに働き方のおかしな部分が出てくることになります。その一つが、いわゆる凝りです。

 現代医学は交感神経のこういう点を見ようとせず、亢進とか沈静だけで解釈しようとすることが、そもそもおかしいのです。さらにいえば、動物実験の結果が動かしがたい事実としてまかり通っている現実がありますが、上に見てきた通り、動物の交感神経と人間の交感神経とは、まったく別次元のものとなっているだけでなく、実験用の動物と野生の動物とでは、交感神経の造られ方がまったくちがうので、それをそのまま真実として考えてしまうことは危険です。論理の目を通して正しく修正しながら取り入れる必要があるということです。

 そして、交感神経の亢進といった場合、それが正常な亢進なのか、異常な亢進なのかの見極めが大事になります。というのは、先にも述べました通り、交感神経は大変異常化しやすい状況に置かれているのが現実だからです。そして、その交感神経の亢進が正常なものであるならば、何もする必要はありません。問題は、それが異常な亢進だった場合、どうやってその異常を治したらよいかということだと思います。

 現代医学の常識では、その異常な交感神経の亢進を治すには、拮抗関係にある副交感神経を刺激して、交感神経の異常な亢進を沈静化するという方法が主流となっています。タマゴさんもこの派に属するようです。副交感神経を刺激して働かせるもっともよい方法は、腹いっぱい食べることです。そうすると否応なしに副交感神経が働かされます。たしかに、交感神経の亢進が正常なものである場合には、これで交感神経の亢進は治まることでしょう。しかし、そのメカニズムは、副交感神経が活発になったから交感神経が抑制されたのではなく、運動神経が相対的に抑制される方向に向かう結果として、交感神経も抑制される方向に向かうのです。しかし、認識が食べてすぐ走れという命令を運動神経に下した場合には、たとえ副交感神経が活発に運動していても、抑制に向かうどころか交感神経もその運動神経を支えようと亢進する方向に向かいます。結果として、両方の神経がぶつかり合って腹痛が起こることになります。つまり、副交感神経を亢進させても、交感神経が亢進するとは限らないのです。

 おまけに、交感神経の亢進が異常化しているときには、いくら副交感神経を刺激しても、その交感神経の異常は決して治ることはありません。その交感神経の異常化した亢進が治るのは、その交感神経の異常を直接治す以外にはないのです。それが鍼であり、脳天に響く活圧なのです。その結果は、沈静化というより、正常化の方が正しい表現です。なぜなら、沈静化するとは限らないからです。かえって活発化することもあるからです。

 TBSの「名医が見つかる診療所」という番組で、免疫学の権威とされるOという先生(頭文字だけ覚えていて名前は失念)が、がんを監視・除去するNK細胞の活性が落ちる代表的な場合として三つ挙げていました。(最近はNK細胞の活性を簡単に測ることができてそれを数値化して18〜40が正常範囲なのだそうです。)

 それによると、
@不摂生な生活
A激しい運動の直後
B精神的なストレス
が、NK細胞の活性が低下する要因なのだそうです。これをどうみるかが問題だと思います。つまり、これを交感神経が亢進してNK細胞の活性が落ちるとみるか、交感神経が消耗して免疫の統括が悪くなってNK細胞の活性が落ちるとみるかによって、百八十度対処法が変わってきます。交感神経の亢進が原因とみる現代医学の立場からするならば、やはり交感神経を亢進させることはよくないので、交感神経をできるだけ亢進させないようにしよう、となります。だから、交感神経を刺激するのはよくないとなって、触らぬ神に祟りなしと、交感神経を敬遠するようになります。癌になったのも交感神経を刺激したからよくなかったのだ、という具合にエスカレートしていくことになります。これが、現在に現代医学的医療の現実です。そして、私に対して交感神経を刺激するのをやめて副交感神経を刺激する方向に転換してほしい、という要望になるのです。

 一方、不摂生な生活によって交感神経が消耗し、NK細胞の活性が落ちた、激しい運動によって交感神経がこき使われて消耗した結果、免疫力の党活力が一時的に低下した結果NK細胞の活性も低下した、精神的なストレスによって交感神経が乱され免疫の統括も低下してNK細胞の活性も低下した、とみる見方の対処法はどうなるでしょうか?交感神経の消耗・異常を整えて、交感神経そのものを元気にして免疫力を向上させて、NK細胞も元気にして癌に対処することになります。これは結果的に北のМさんのものと一致しますね。問題は交感神経をどのように元気にしたらよいのか、ということです。これはこれからの課題だと思っております。

Pass

[2269]
タマゴ - 2016年08月18日 (金) 21時38分

>現代医学は、だから副腎髄質と副腎皮質は違う系統なのだと解釈していしまったのです。ところがその出自から考えて、本来両者は一つの器官であり、同じ系統に属する

出自を考えたら、副腎皮質は中胚葉由来で副腎髄質は外胚葉由来ですから、同一の由来ではないということになります。
それから、天寿堂さんは、副腎皮質はともかく、消化吸収排泄以外の器官(例えば肺など)が自律神経の関与も無しにホルモンの分泌のみで正常に機能すると考えているのでしょうか?

>精神的ストレスに対する交感神経の反応として、怒ったときと、歓喜のときの交感神経の反応は、どちらかというと亢進に分類されるものになろうかと思いますが、その内容はかなり違ったものになると思います。また、悲しみの場合と、苦しみの場合の交感神経の反応は、どちらかと言うと、沈静というより沈滞という方がふさわしいと思いますが、やはり、その内容はかなり違ってきます。

幾つか論文を閲覧した印象ですが、心理学的な細かい感情の分類はともかくとして、中長期的な身体反応という観点に絞ると、概ね、
喜びや笑いといった快に属する感情は交感神経の緊張を緩め心身をリラックスさせ、
怒りや悲しみといった不快(ストレス)に属する感情は交感神経を過敏な状態にし心身を緊張状態にさせる傾向があるようです。

>交感神経の亢進といった場合、それが正常な亢進なのか、異常な亢進なのかの見極めが大事になります。

それはその通りだろうと思います。
私の述べた交感神経の“過剰な”亢進というのは、正常な範囲を超えた(異常な)亢進のことです。

>現代医学の常識では、その異常な交感神経の亢進を治すには、拮抗関係にある副交感神経を刺激して、交感神経の異常な亢進を沈静化するという方法が主流となっています。タマゴさんもこの派に属するようです。

違いますよ。
交感神経と副交感神経は、ある程度まで排他的に抑制し合うことが判明しておりますが、
心身が断続的なストレスに晒され交感神経の不自然な亢進状態が続いた場合はそれが常態化してしまい、そうなると副交感神経を刺激するのみでは不十分で、交感神経の過敏化そのものを治療を行う必要があると考えています。
以前、神戸だいすきブログにコメントした通りです。

>私に対して交感神経を刺激するのをやめて副交感神経を刺激する方向に転換してほしい、という要望になるのです

これは患者さんに言われたのですか?
もしそうなら、天寿堂さんの交感神経刺激の治療を受け始めてから癌が発覚しリンパ節へ転移までしてしまったのですから、当然、天寿堂さん側も即座に治療方針の転換を検討すべきだったと思います。
天寿堂さんの治療のせいで癌になったなどとは言いませんが、少なくとも、それまでの入念な交感神経の刺激が癌発生の予防にならなかったことは厳然たる事実でしょう。
命にも関わる症状を患ってしまった方の懇願を受けてもまだ我を徹そうというなら、不信感を持たれても仕方ありませんよ。

>一方、不摂生な生活によって交感神経が消耗し、NK細胞の活性が落ちた、激しい運動によって交感神経がこき使われて消耗した結果、免疫力の党活力が一時的に低下した結果NK細胞の活性も低下した、精神的なストレスによって交感神経が乱され免疫の統括も低下してNK細胞の活性も低下した、とみる見方の対処法はどうなるでしょうか?

これは機序の考え方が誤っています。
交感神経は運動にエネルギーを振り向けるために、免疫系を抑制する方向に働くのです。
ですから、激しい運動を行った後に交感神経の過剰な亢進が常態化し、その結果、免疫力が抑制され続けることになる、つまりNK細胞の活性が低下することになるのです。
不摂生な生活というのも交感神経の過剰な亢進の原因となります。

Pass

[2273]
愚按亭主 - 2016年08月22日 (月) 15時55分

>出自を考えたら、副腎皮質は中胚葉由来で副腎髄質は外胚葉由来ですから、同一の由来ではないということになります。

 中胚葉や外胚葉は、あくまでも素材レベルの由来でしかありません。それらの素材が集まって一つの器官として完成した時が、出自の原点になると思います。ですから魚類の時代に副腎として完成した時が、その原点で、それが進化の過程で脳・・・交感神経ー副腎髄質系と、脳ー副腎皮質系へと二重構造化しましたが、それらは現実的機能としては、交感神経ー副腎系として統体止揚されて一体的に個別性として完成されているとみるべきだと思います。

>天寿堂さんは、副腎皮質はともかく、消化吸収排泄以外の器官(例えば肺など)が自律神経の関与も無しにホルモンの分泌のみで正常に機能すると考えているのでしょうか?

 このことについてはすでに歴史的に魚類の時代にりっぱに存在できていたことをもって証明されていることであり、キャノンの実験が、それを実験的にもホルモン統括だけで生きていけることを確認・証明していると思います。
 また、魚類の時代は、運動モードが常態として造られており、副交感神経が働く代謝モードはその中の一時的な特殊性でしかなく、運動モードを常態としている心臓の働きを、一時的に代謝モードへ引き下げるときに副交感神経が働いたと考えられます。そして肺の運動はそれと連動する形で規制されていたと思います。ですから、この時代は交感神経の必要性はほとんどありませんでした。ホルモン統括だけで充分だったということです。

>喜びや笑いといった快に属する感情は交感神経の緊張を緩め心身をリラックスさせ、怒りや悲しみといった不快(ストレス)に属する感情は交感神経を過敏な状態にし心身を緊張状態にさせる傾向があるようです。

 ここは、もう少し感情の内容によって、具体的に交感神経がどのような統括をするのかを細かく見る必要があると思います。たとえば、怒りと悲しみとでは、交感神経の体の統括のしかたが、正反対といえるほどに違います。それを過敏な状態・緊張状態という言葉で一括りにしてしまうと大きな過ちを犯すことになります。認識と交感神経との関係性を、もっと詳しく具体的に見る必要があると思います。

>交感神経と副交感神経は、ある程度まで排他的に抑制し合うことが判明しておりますが

 現象的にそう見えるのは、何度も言っているように、交感神経と副交感神経が排他的な関係にあるのではなく、運動神経と副交感神経が相反する関係になる結果として、そのように現象することがあるというだけなのです。ですから、副交感神経が活発になった結果として運動神経が抑えられ、それと連動する形で、その運動神経をサポートしていた交感神経の活動も抑制されることになるということです。
 ということは、交感神経と副交感神経とが互いに協力し合い補完しあう場合も存在するということです。それが変なものを食べたときの吐き下す運動です。また、胃腸の調子が悪い時に、足の胃のツボに当たる部分の交感神経の異常を治すと連動して副交感神経の働きもよくなるという現象です。

>これは患者さんに言われたのですか?もしそうなら、天寿堂さんの交感神経刺激の治療を受け始めてから癌が発覚しリンパ節へ転移までしてしまったのですから、当然、天寿堂さん側も即座に治療方針の転換を検討すべきだったと思います。

 これは患者さん自身から言われたのではなく、それを心配する友人から言われたことです。詳しいことは支障があるので言えませんが、言われている事実を私の立場から見てみますと、結局のところ交感神経が元気になってよくなったと考えられるものです。これは私の立場と同じです。私の治療にそれが加わったと考えることもできますが、ですから、やはり、核心は交感神経をしっかりと働かせることにあると思います。だから、そのことを説明して断りました。


>交感神経は運動にエネルギーを振り向けるために、免疫系を抑制する方向に働くのです。

 もちろんそれはあります。しかし、それは一時的なものであるはずです。激しい運動が終わった後は、元の平時の状態に戻らなければなりません。そのためには、激しい運動で消耗した交感神経が元気を取り戻す必要があるということです。この条件はとても明確なのですが、ほかの二つの場合に、なぜNK細胞が低下するのかについては、なかなかわかりにくいと思います。

 ただ、一番目の例は、不摂生な生活そのものによって、交感神経の働きが悪くなって出てきた可能性が非常に高いと思います。また、三番目の例も、ストレスが交感神経そのものをおかしくして免疫の統括もおかしくなった結果として、NK細胞の劣化が生じたと考えるのが自然です。自己免疫疾患のリウマチなども同じような機序から発生するものと考えられます。

 つまり、交感神経が正常な統括をしていれば、癌にもリウマチにもならないということです。

Pass

[2276]
タマゴ - 2016年08月23日 (火) 12時04分

>魚類の時代は、運動モードが常態として造られており、副交感神経が働く代謝モードはその中の一時的な特殊性でしかなく、運動モードを常態としている心臓の働きを、一時的に代謝モードへ引き下げるときに副交感神経が働いたと考えられます。そして肺の運動はそれと連動する形で規制されていたと思います。ですから、この時代は交感神経の必要性はほとんどありませんでした。ホルモン統括だけで充分だったということです。

まず、魚類はエラ呼吸ですから、一般論として肺呼吸していたとするのはどうかと思います。
肺でも呼吸を行っていた特殊な魚類の話に限定するにしても、その特殊な魚類について詳しく調べてみる必要があるかと思いますし。
なぜなら、その特殊な魚類の生体の仕組みが人間にも当てはまるのかどうか比較検討する必要があるからです。
今は人間の癌の話をしていますのでね。

>交感神経ー副腎系として統体止揚されて一体的に個別性として完成されているとみるべきだと思います

天寿堂さんの仮説で問題なのは、自身の仮説を守りたいがために、
副腎髄質は交感神経の支配だから副腎皮質も交感神経の支配を受けると言ったり、
副腎皮質は脳の指令を受けるから副腎全体としても脳の指令を受けると言ったり、
その時々の都合に合わせた無茶な解釈してしまうことだと思います。
自身の仮説が誤っている可能性もあるはずなのに、そうとは考えない。
なぜ誤りを修正しないのかというと、一つには、単なる個人的な仮説に過ぎないものを“一般論”などと勿体つけて呼び、それを絶対視してしまう奇妙な思考法の弊害だと思います。

>現象的にそう見えるのは、何度も言っているように、交感神経と副交感神経が排他的な関係にあるのではなく、運動神経と副交感神経が相反する関係になる結果として、そのように現象することがあるというだけなのです。

「だけ」ということはありません。
まず、交感神経のシナプス“前膜”には、アセチルコリンレセプターであるM2受容体が存在することが分かっています。
このM2受容体は、副交感神経の緊張により放出されるアセチルコリンと結合し、交感神経を抑制する方向に働くのです。
一方、副交感神経のシナプス“前膜”にはアドレナリンレセプターであるα2受容体が存在し、交感神経の緊張により放出されるノルアドレナリンと結合し、副交感神経を抑制させます。
ですから、ある程度までは、この両者がお互いを抑制し合うことは事実なのです。

>これは患者さん自身から言われたのではなく、それを心配する友人から言われたことです。

では、私も差し障りの無い範囲で見解を述べます。
まず、その友人の方は、ご自身の体験や他者への治療経験により、副交感神経を活性化し交感神経の過剰な亢進を鎮めるような方法で癌の発生や転移を防止し、更には治癒させる経験があったのではないかと思います。
一方、天寿堂さんは入念な交感神経刺激を行ったものの癌の発生やリンパ節への転移を防止することに失敗してしまい、その後、胸腺を直接刺激することにより快方に向かったものの、それにより図らずも胸腺やリンパ節が交感神経刺激では活性化されないことが証明されることとなったのです。
どちらの方針が適切であったかは、これで結論が出たと言ってよいのではないかと思います。
私は、自律神経のテーマに関してだけは、しつこく天寿堂さんに自説の再考を求めましたが、それは、天寿堂さんが自説に固執するかとにより、患者さんに何らかのネガティブな影響が出ることを危惧していたからです。
そして残念ながら、恐れていたことが現実となってしまいました。
天寿堂さんが自説に固執することにより、天寿堂さん自身の目が著しく悪くなってしまったことは自己責任だとしても、患者さんに癌が発生し転移までしてしまった後にも「交感神経の亢進で癌が治る」などと無責任に嘯くことは医療従事者として認められないことですよ。

>激しい運動で消耗した交感神経が元気を取り戻す必要があるということです。

ここでのテーマである癌治療に絞って言えば、交感神経は免疫系を抑制する働きをするのですから、もし何らかの切っ掛けで交感神経の活性が低下したと仮定するならば、それは自然回復に任せるだけでよいと思います。
もし激しい運動で交感神経の過剰な続いてしまっているのであれば、免疫力を回復させるために、人為的にでも沈静化しなければなりませんが。

>ここは、もう少し感情の内容によって、具体的に交感神経がどのような統括をするのかを細かく見る必要があると思います。

私は“中長期的には”と述べました。
幾つか医学論文を閲覧しましたが、確かに短期的には、例えば怒りと悲しみとでは交感神経と副交感神経の関係性は異なるのですが、それらは短期的に解消される部分が大きい。
大事なのはそこではなく、それらの感情が中長期的に自律神経、ひいては身体の状態にどのような影響を及ぼすのかでしょう。
その観点からいえば、上記のような傾向が見られるようだ、ということです。

Pass

[2277] さすがタマゴさん
愚按亭主 - 2016年08月23日 (火) 18時54分

>魚類はエラ呼吸ですから、一般論として肺呼吸していたとするのはどうかと思います。

 これはうかつでした。事実レベルのうっかりミスです。酸素を取り入れる器官という同一性から、大目に見ていただければ、と思います。

>天寿堂さんの仮説で問題なのは、自身の仮説を守りたいがために、副腎髄質は交感神経の支配だから副腎皮質も交感神経の支配を受けると言ったり、副腎皮質は脳の指令を受けるから副腎全体としても脳の指令を受けると言ったり、その時々の都合に合わせた無茶な解釈してしまうことだと思います。自身の仮説が誤っている可能性もあるはずなのに、そうとは考えない

 これは三項の論理の問題ですので、きちんと説明しましょう。まずは、その前のところから見ていただきたいと思います。

「魚類の時代に副腎として完成した時が、その原点で、それが進化の過程で脳・・・交感神経ー副腎髄質系と、脳ー副腎皮質系へと二重構造化しましたが、それらは現実的機能としては、交感神経ー副腎系として統体止揚されて一体的に個別性として完成されているとみるべきだと思います。」

 ここに挙げた諸契機は、三項の論理のところでも説明しておいた通り、それぞれの契機が他の契機を内に含んで複雑に絡まりあい、相互規定・相互移行・相互転化を繰り返す中で、次第に統体止揚されて個別性としての交感神経ー副腎系として完成していきます。したがって、言葉としては交感神経ー副腎系と単純ですが、その構造はとても複雑です。たとえば、脳から交感神経幹へ、そこから副腎髄質へというルートもあれば、脳から直接に副腎髄質へというルートもあり、また、脳から副腎皮質というルートもあれば、脳から交感神経幹を介して副腎皮質へというルートもある。さらにまた、脳を介さないで、交感神経幹が反射的に諸器官や副腎髄質および副腎皮質に指令を出すという場合もありうるのです。それらはケースバイケース臨機応変に対応しているというのが、統体止揚して個別性として完成した交感神経ー副腎系の中身です。

>「だけ」ということはありません。まず、交感神経のシナプス“前膜”には、アセチルコリンレセプターであるM2受容体が存在することが分かっています。このM2受容体は、副交感神経の緊張により放出されるアセチルコリンと結合し、交感神経を抑制する方向に働くのです。一方、副交感神経のシナプス“前膜”にはアドレナリンレセプターであるα2受容体が存在し、交感神経の緊張により放出されるノルアドレナリンと結合し、副交感神経を抑制させます。ですから、ある程度までは、この両者がお互いを抑制し合うことは事実なのです。

 なるほど、さすが交感神経は優秀な秘書ですね。根回ししてそういうシステムを構築していたのですね。そのほうが合理的ですね。いちいち運動神経をうかがっていたのでは、遅すぎますものね。脳が運動する像を描いた瞬間には、もう副交感神経に働きかけているわけですね。なるほどなるほど。しかし、そういう構造ができたとしても、私は自説を曲げる必要はないと思います。もちろん若干の修正はしますが・・・。基本的関係は変わらないと思います。つまり、心臓や腸管の腸固有の神経に交感神経と副交感神経が分布しているところでは、運動神経と副交感神経とが相反する形で統括されなければならないので、運動神経の代理人としての交感神経が直接に副交感神経とやり取りをするシステムが出来上がっている、ということだと思います。しかし、これとは別に副交感神経と交感神経との補完しあうシステムも必ず存在すると思います。これは使い方の属するものですので、神経の作動システムだけでは分かりにくい問題だと思います。

>天寿堂さんは入念な交感神経刺激を行ったものの癌の発生やリンパ節への転移を防止することに失敗してしまい、

 失敗したことは認めますが、交感神経への働きかけ方の私自身の目的意識が違っておりましたので、穴があったことは事実ですので、入念なという形容詞は使えないと思います。また、当時はまだ私自身の交感神経の免疫系への一元支配体制についての認識もなかったし、健康腺療法は癌は治せないとおもっておりましたから・・・。

 新しい交感神経論で癌が治せるのではないか、そうなると医療界に革命を起こすことになるかも知れないと思い始めたのは、タマゴさんとの討論を通じてで、つい最近のことです。そう思って治療したところ、患者さんから「気迫を感じた」と言われました。それは、その治療がそれまでの治療と全く違ったものだったことを物語るものだと思います。

>交感神経は免疫系を抑制する働きをするのですから、もし何らかの切っ掛けで交感神経の活性が低下したと仮定するならば、それは自然回復に任せるだけでよいと思います。

 自然回復できない例が多いから、癌が増えているのだと思います。最近は本当に交感神経の劣化を示す現象がとても多いので、本当に深刻だと思います。そこに交感神経を元気にする方法が、威力を発揮するようになれば、熱中症や癌は減っていくと思います。

>大事なのはそこではなく、それらの感情が中長期的に自律神経、ひいては身体の状態にどのような影響を及ぼすのかでしょう。
その観点からいえば、上記のような傾向が見られるようだ、ということです。

 大事なことは、感情と自律神経ではなく、感情と交感神経です。悲しいことがあると食欲がなくなるのは、交感神経がそうさせているのです。しかし、これを交感神経が亢進しているとは言わないでしょう。しかし、交感神経はそういう統括をするのです。だから、単純に交感神経の複雑多岐な統括を、亢進・沈静だけで規定すべきではないと思います。交感神経の働きをよく観察してもっと対象の構造に即した表現・概念規定をすべきです。

Pass

[2278]
タマゴ - 2016年08月24日 (水) 10時56分

>事実レベルのうっかりミスです。酸素を取り入れる器官という同一性から、大目に見ていただければ、と思います。
>「魚類の時代に副腎として完成した時が、その原点で、それが進化の過程で脳・・・交感神経ー副腎髄質系と、脳ー副腎皮質系へと二重構造化しましたが、それらは現実的機能としては、交感神経ー副腎系として統体止揚されて一体的に個別性として完成されているとみるべきだと思います。」

いま、人間の肺がホルモンだけで動くのかどうかを問題としているわけです。
魚類のエラが人間の肺へと進化したわけではないのですから、うっかりミスという次元の話ではなく、完全に見当違いだと思います。
また、天寿堂さんは魚類の時代に副腎から交感神経が増設されたと繰り返していますが、私が調べた範囲では、それを示唆するような科学論文は見当たりませんでした。
天寿堂さん一人が勝手にそう思っているだけなのではありませんか?
むしろ、副腎髄質は交感神経の節前繊維に直接シナプスしていることから、交感神経節後繊維の一つが肥大化して副腎髄質へと進化したのではないか、という気がします。

>そう思って治療したところ、患者さんから「気迫を感じた」と言われました。
>自然回復できない例が多いから、癌が増えているのだと思います。

繰り返しますが、交感神経は免疫系を活性化させるのではなく、抑制する方向で制御しているのです。
交感神経の亢進でアレルギーの発作が減弱する傾向があるのは、一つには、免疫系の過剰反応を抑制するからです。
癌の治療とアレルギーの治療では、方向性が異なるのです。
天寿堂さんが癌の発生や転移の阻止に失敗したのは、そこを勘違いして、せっせと交感神経の刺激することに精を出したからでしょう。
方針が間違っていたからであり、気迫の問題ではありません。
その誤りが不幸な形で実証されてしまったのです。
眼前の現実を直視しないと、同じ悲劇が繰り返されることになりますよ。
間違った自説に拘ることよりも患者さんの生命・身体のほうが大事だと思えないのなら、医療従事者として失格だと思います。

>大事なことは、感情と自律神経ではなく、感情と交感神経です。悲しいことがあると食欲がなくなるのは、交感神経がそうさせているのです。しかし、これを交感神経が亢進しているとは言わないでしょう。

これは、相対的に副交感神経よりも交感神経が亢進している状態だと思います。
交感神経と副交感神経にある程度の拮抗作用が備わっていることは天寿堂さんも納得したようですが、その作用ですよ。

Pass

[2279]
愚按亭主 - 2016年08月24日 (水) 21時31分

>人間の肺がホルモンだけで動くのかどうかを問題としているわけです。

 もちろん呼吸にはホルモンは関与しておりません。必要がないからです。エラの場合は海水の対流を利用して80パーセントという高効率で酸素を取り入れているのですが、もともと海中の酸素濃度が低いのでそうでないと生きていけません。
 では人間の肺はどうかといいますと、安静時は横隔神経(運動神経・感覚神経・交感神経)が横隔膜を動かして半ば無意識的に呼吸しております。これをもっと意識的に運動させようと思ったら胸郭の周りの内外肋間筋などの呼吸にかかわる筋肉を、意志の統括の下に、運動神経が動かして呼吸するので、ホルモンは必要ありません。つまり、運動神経が全部やってくれているということです。

>副腎髄質は交感神経の節前繊維に直接シナプスしていることから、交感神経節後繊維の一つが肥大化して副腎髄質へと進化したのではないか、という気がします。

 そういう意見も確かにあるようですが、これは何度も言うように、順序が逆です。魚類の時代には交感神経はまだなく、副腎髄質はありました。ですから緊急性に対応するためにホルモンの神経化が行われた結果として、交感神経が生まれたのです。だから、ホルモン的な全身統括ができるように交感神経幹という現場の中枢司令本部ができたのです。したがって、そこから副腎髄質にシナプスが出るという逆転現象も起きることになったのです。しかし、同時に脳から直接に副腎髄質にシナプスがつながってもいます。これはもともと脳が直接に副腎髄質を統括していたことの名残です。ただし、ホルモンの神経化が行われたので、もともとはホルモンで指令を出していたのが神経的に指令を出すように変化・進化してはいますが。そのことを表す文章が、以下です。

「副腎髄質を支配する交感神経は、中枢神経から出たのち、神経節でニューロンを乗り換えることなく直接へ支配器である副腎髄質に到達し、シナプス前膜からアセチルコリンを放出します。かたちとしては、副腎髄質が交感神経の節後線維であり、副腎髄質に到達している交感神経が、節前線維という状態になっているとも見れます。実際、副腎髄質は、節後線維がそうするように、ニコチン受容体(ニコチン性アセチルコリンレセプター)(NN受容体)でアセチルコリンを受け取り、アドレナリン(人ではノルアドレナリンよりアドレナリンが支配的)を放出します」
http://hclab.sakura.ne.jp/nerve_phis_nervous_system.html

>繰り返しますが、交感神経は免疫系を活性化させるのではなく、抑制する方向で制御しているのです。

 これは交感神経の運動の補助という一面、断片的な実験結果という一面しか見ていない歪んだ意見です。交感神経とは何かという一般論から見れば、それが如何に不備・一面的なものであるかがわかります。交感神経は、命を守る神経です。国境を守り、体に害をなす異物から体を守る神経です。その免疫の統括過程の一面で免疫細胞を抑制することがあるとしても、それが交感神経の免疫の統括のすべてではありません。風邪の時に熱を出し、免疫細胞を働かせて細菌やウィルスを退治する先頭に立っているのは交感神経です。
 ガンを監視・除去するNK細胞の通常業務を統括しているのも交感神経です。通常業務を統括しているからこそ、体全体として取り組まなければならない事態が生じたときに、通常業務を一時停止するように指示もできるのです。

>天寿堂さんが癌の発生や転移の阻止に失敗したのは、そこを勘違いして、せっせと交感神経の刺激することに精を出したからでしょう。方針が間違っていたからであり、気迫の問題ではありません。
その誤りが不幸な形で実証されてしまったのです。

 タマゴさんは、自説に確信を持つと、自説に都合の悪い事実を意識的にか無意識的にか無視するようになりますね。そんなことでは統体止揚に向けての議論は成功しません。どんなに自説に自信を持っても、まずはその立場を捨てる覚悟がなければならないからです。

 患者さんがそれまでの治療と比べて「気迫」を感じたその治療とはどういうものかと言えば、舌癌および、のど元のリンパ節のガンを交感神経、およびスジのネットワークの基地である骨(胸骨・鎖骨・下顎骨等々)を重点目標とした治療でした。その結果として、顎からのどにかけて腫れ、医者に診てもらったところ悪くなっていると言われたものの、その腫れが引くと、舌の動きもよくなり、リンパ節の腫れもとれて首がすっきりし、健康腺の状態がとてもよくなりました。これは現代医学やタマゴさんの説をくつがえすほどの強烈なインパクトのある事実であるのに、タマゴさんはどういうわけか、この事実を過小評価してあくまでも自説に固執して、反省しようとしません。その自説とは、がん退治の主役である交感神経をガンの元凶であるかのように悪者に仕立てあげて、ガンを蔓延させてしまっている現代医学に手を貸すものであることがどうして分からないのかと思います。

 この私の方針は、たしかに現代医学の常識の反対を行くものですので、これまで誰も試したことのない方法です。しかし、理論的には正当なものです。それだけにやる価値は充分にあると思います。私がガンを防げなかったというのは、交感神経のせいではなく、交感神経を正しく整えられなかった私自身の未熟のせいです。それはよく反省しなければなりません。だからこそ、これから交感神経を正常化する方法を極めていかなければなりません。せっかくガンの治療に革命をもたらすかもしれない可能性のあるこの流れをここで断ち切ってしまったら、人類の大きな損失になると思います。

>これは、相対的に副交感神経よりも交感神経が亢進している状態だと思います。交感神経と副交感神経にある程度の拮抗作用が備わっていることは天寿堂さんも納得したようですが、その作用ですよ。

 感情との関係においては、交感神経こそが感情と主に交わり、副交感神経は感情の中身にそれほど左右されません。もちろん副交感神経も脳から出ていますので、脳が躍動すればつられて副交感神経の働きもよくなります。ですからその脳の感情が楽しければ皮膚の血流がよくなって肌がみずみずしくなり、食欲がもりもりわいてきます。このとき、交感神経は躍動し、副交感神経も躍動します。ここに拮抗作用はありません。しかし、悲しいときは、交感神経が沈降し、元気がなくなって食欲もなくなります。このとき、交感神経の亢進などありません。沈降した交感神経が腸の粘膜の元気をなくし、それを感じ取った脳が食欲をなくすのですが、空手の合宿などで、激しい練習の後食欲をなくしていても、無理やり食べさせられると、副交感神経はちゃんと働いて腸管は正常に働くので、腸管の粘膜をつかさどっている交感神経も、消耗して元気がなかったのがつられて元気が出るのです。こういう経験を空手の合宿でよく体験しました。つまり、交感神経と副交感神経は補完的に働くことがよくあるのです。

 生きた現実から遠ざかっている断片的な実験よりも、こういう生きた経験の論理的総括のほうが、現実により近いことは間違いのないことです。なぜなら、交感神経も副交感神経も現実の生きた体内で活動しているものだからです。

 ですから、そういう多様な活動している交感神経の内容に即して交感神経の働きを、実験室レベルの興奮・沈静というような単純な規定ではなく、多様性を含む生きた規定に変更すべきだと思います。というのは、交感神経の統括は、交感神経幹という現場の中枢司令本部において、全身の統括システムが綿密に練り上げられ、各部分の様々な働き方を有機的・一体的に統合した実に多様で複雑な形で統括をしているからです。それは、そうでなければ命を守るという難しい仕事を成し遂げることができないからです。これを亢進・鎮静だけで表現しようとするのは無理があり、ナンセンスです。こういう複雑な統括をしている交感神経だからこそ、感情によってそれが乱されることが、体全体に大きな影響を及ぼすことになるからこそ、交感神経と感情との関係こそが、もっと深く追究されるべき重要な問題だと主張するのです。


Pass

[2280]
タマゴ - 2016年08月25日 (木) 02時22分

長くなりそうなので、二回に分けて書き込みます。

魚類の交感神経と副腎について簡単に調べてみましたが、魚類には副腎という独立した器官は存在せず、一方、交感神経は魚類の段階で既に存在しています。
つまり、魚類が陸上に上がる過程で副腎から交感神経が増設されたとする天寿堂さんの仮説は誤りであり、
ひいては、交感神経の無い魚類が肺呼吸をしているから人の呼吸も副腎の統括で問題ない、とする説明も、誤りであるということになります。
魚類はエラ呼吸だと修正しても、根本的なところが誤っているのですから意味がありません。

それから、意識的な肺呼吸の運動性自体は運動神経が司っていますが、一方で無意識的な呼吸や肺の内実(肺胞や肺粘膜など)の活動はどうなのかと。
交感神経を除去した猫が長期間健康な状態で生存したということは、それに足るだけの肺の活動があったということになりますが、
天寿堂さんのいうように、ホルモンは無関係(副腎の統括ではない)となると、副交感神経が何らかの働きを担っていた、ということになろうかと思います。

そもそも、私が交感神経を除去した猫の例を挙げた直後は副腎が肺の活動をを統括すると述べていたのに、舌の根も乾かぬ内にホルモンは関係ないと言ったり、
天寿堂さんは自説を守りたいがために無茶を言い過ぎですよ。
要するに、天寿堂さんの仮説は、一般性が無いのだから“一般論”ではないのです。
小手先の修正ではなく、そんな仮説自体を捨て去って、精度の高い本物の一般論を作らなければ、癌になってしまった患者さんだけでなく、他の方々も不利益を被ることになりかねませんよ。

Pass

[2281]
タマゴ - 2016年08月25日 (木) 10時05分

ちょっと忙しいので、後でもう一度残りを書き込みます。

>風邪の時に熱を出し、免疫細胞を働かせて細菌やウィルスを退治する先頭に立っているのは交感神経です。

免疫細胞といっても種類がありますから、そのように一概には言えません。
また、ウイルスに対する、免疫系の対応と身体が高熱を出す対応は、一旦分けて考えなければなりません。

さて、「免疫」とは何ぞや?です。
おそらく「疫を免れる」即ち「病をまぬがれる」の意味なのでしょう。

ウイルスや癌細胞に対処している免疫細胞に絞るならば、その働きはリンパ球が担っています。
本格的な病の状態に至る前に外敵の侵入を食い止める、喩えるなら、ウイルスが身体の奥深くに侵入する前に防衛ラインで食い止める部隊がリンパ球ということになろうかと思います。
この段階で完全に対処できれば、身体が高熱を出すなどの本格的な病としての対処をする必要はありません。
しかし、外邪が防衛ラインを突破して侵入してしまう場合もあるわけです。
風邪で言えば、高熱を出してウイルスを死滅させようという反応は、ウイルスが防衛ラインを突破し、体内の侵入に成功してしまった状態であると言えます。
そうなると対処は大変です。

リンパ球を活性化させるのは副交感神経であることが、既に膨大な実験により証明されています。
つまり、風邪ウイルスの侵入や癌細胞発生の初期段階に主導的に対処しているのは、自律神経の働きに絞って見るならば、それは副交感神経であるということです。
副交感神経の働きが弱りリンパ球の活性が低下してしまっている場合に、やむを得ず身体に高熱を出すなどしてウイルスや癌細胞に対処するのが交感神経ということになります。

そう見ると、天寿堂さんの交感神経への刺激が全く癌の発生や転移の予防にならなかった理由も明らかでしょう。
人間の身体には、健康状態であっても、毎日3000〜5000個の微小な癌細胞が発生しているとされています。
しかし、リンパ球による癌細胞の除去処理が適切に行われているため、大事には至らないのです。
その段階で除去出来なかった癌細胞が、やがては広がって発癌につながることになる。
交感神経刺激でリンパ球の働きを抑えれば発癌に繋がりやすくなるというわけです。

それが不幸にも患者さんの身体で証明されてしまった。
動物実験ならともかく、患者さんの身体生命はかけがえの無いものなのですから、そんな形で証明されるべきではなかったと私は思います。
理論段階で修正されているべきでした。
しかし、事がここに至ってしまった以上は、同じ過ちを繰り返さないように、根本的に理論を作り替えなければなりません。

Pass

[2282]
タマゴ - 2016年08月25日 (木) 11時43分

>交感神経と副交感神経は補完的に働くことがよくあるのです。

両者にはある程度まで排他的に作動する機構が備わっていますので補完的に働くケースは頻繁にはありませんが、稀にはあると思います。
例えば、副腎髄質は交感神経節前繊維に直接シナプスしている、つまりコリン作動性の内分泌器官です。
同時に、副腎髄質にはアセチルコリンを分泌する副交感神経節後繊維もシナプスしていることが分かっています。
ということは、生理学の教科書には、副腎髄質は交感神経支配と記されていますが、
おそらく、交感神経が切断されたような状態では、副交感神経がそれに代わって副腎を統括する可能性が考えられるかと思います。

>多様な活動している交感神経の内容に即して交感神経の働きを、実験室レベルの興奮・沈静というような単純な規定ではなく、多様性を含む生きた規定に変更すべきだと思います。

交感神経が多様な活動をしているのではありません。
交感神経と副交感神経の関係性に多様性があるのです。

東洋医学の陰陽論と交感神経・副交感神経の関係性には、ある程度の類似性が認められます。
陰陽虚実の病証について、黄帝内経素問調經論篇第六十二第四章之一には、
「陽実すれば外熱し、
陽虚すれば外寒す。
陰実すれば内寒し、
陰虚すれば内熱す。」
などとあり、素問第五陰陽應象大論篇には、
「陽は独立し得ず、陰を得てなる。
陰を主とし、陽はこれを随う。」
などとあります。
これらから、
陽実証・陽虚証・陰実証・陰虚証
という4つの病症が類型化されたわけですが、実際には、これらは組み合わせにより陽実陰虚だとか複雑化していくわけです。

交感神経が陽、副交感神経が陰、などと単純に当てはめるつもりはありませんが、交感神経・副交感神経の関係性で複雑な身体の状態が表出する可能性があることは推察されるかと思います。
交感神経が著しく亢進(実)していなくとも、副交感神経が著しく鎮静化(虚)していれば、交感神経が相対的に亢進した状態になっているわけです。
これは副交感神経も亢進しているが交感神経がそれよりも激しく亢進しているという状態とは異なる身体の状態になる可能性が考えられるかと思います。

Pass

[2283]
タマゴ - 2016年08月25日 (金) 21時21分

一点コメントし忘れたようなので補足しておきます。

>患者さんがそれまでの治療と比べて「気迫」を感じたその治療とはどういうものかと言えば、舌癌および、のど元のリンパ節のガンを交感神経、およびスジのネットワークの基地である骨(胸骨・鎖骨・下顎骨等々)を重点目標とした治療でした。その結果として、顎からのどにかけて腫れ、医者に診てもらったところ悪くなっていると言われたものの、その腫れが引くと、舌の動きもよくなり、リンパ節の腫れもとれて首がすっきりし、健康腺の状態がとてもよくなりました。

繰り返しますが、これは、交感神経への刺激では胸腺やリンパ節や骨髄などの免疫器官が活性化されなかったことを示しています。
だから直接的にそれらの器官を刺激せざるを得なくなったのです。
つまり、免疫器官は交感神経が支配しているという天寿堂さんの自説が誤りであると実証されたということですよ。

>その自説とは、がん退治の主役である交感神経をガンの元凶であるかのように悪者に仕立てあげて、ガンを蔓延させてしまっている現代医学に手を貸すものである

それは嘘ですね。
現代医学の臨床現場では、自律神経と癌の発生の関係性なんてほとんど考慮されていませんよ。
(差し障りの無い範囲で言わせてもらいますが)だから天寿堂さんの患者さんのご友人も現代医学の現場から離れられたのでしょう?
現場医学の主流の考えは、癌は早期発見早期治療、そしてその治療の内容は手術による切除か放射線治療か抗がん剤治療が主流です。
以前、灸治療が癌に効果があったことを報告している医院のサイトを一つだけ見掛けましたが、現場医学の医療機関としては異端中の異端でしょう。

Pass

[2284] ここで原点に立ち戻って考えていきましょう
愚按亭主 - 2016年08月26日 (金) 15時33分

1、自律神経の交感神経と副交感神経との二元支配説は果たして正しいのか?

 これが、すべての大本ですから、ここをまずは検証していきましょう。正しい答えを得るためには、一般論を媒介にしながら過程的に見ていく必要があります。そこで生命体が自らを一体的統括する方法として造り出したものに、ホルモンによる統括と神経による統括の二重構造があります。歴史的にみると、単細胞時代のホルモン様物質による統括の萌芽が多細胞化によって本格的なホルモンによる多細胞の一体的な統括がはじまります。これが単細胞段階の次の時代のカイメン段階です。この段階では、生命体はまだ自力運動を始めていませんでした。それが、次のクラゲ段階になると自力運動がはjまります。その自力運動は、それまでのホルモンによる統括では運動の統括がうまくできないので、それに適したようにホルモン統括の変化形として神経が造られました。なぜホルモンではダメかといいますと、ホルモンは普遍性であり全体をまんべんなく統括するものですから、特殊な部分を特殊に動かす、つまり、ある部分を時間的空間的に一斉こ動かすことは苦手なのです。その欠点を補うものとして神経が造られました。ですから、神経はホルモンが特殊に変形したものといえます。だから、神経の末端から標的器官に分泌されるのはホルモンの一種なわけです。

 魚類の時代に、生命体の運動が飛躍的に発展し、それぞれの実体と機能が専門分化され組織化されていく中で、統括系もホルモン統括と神経統括との二重構造として組織化されます。そのときに運動器官の運動を統括する運動神経と、内臓の運動を統括する内臓神経(副交感神経)という二大神経による統括体制が完成します。ですから、この二つの抹消神経は脳から直接に伸びて神経線維も同レベルで完成し、分泌するホルモン様物質も、同じアセチルコリンです。

 ではこの時、ホルモンによる統括はどうであったかといいますと、脳のホルモンの統括によって成長ホルモンなどによる代謝の統括もしっかりとおこなわれておりました。もちろん、副腎も存在して機能していました。タマゴさんは副腎は独立した器官とはなっていなかったとおっしゃっていますが、その根拠となる出典は如何なるものでしょうか?

 以前私は「魚類の時代は、運動モードが常態として造られており、副交感神経が働く代謝モードはその中の一時的な特殊性でしかなく、運動モードを常態としている心臓の働きを、一時的に代謝モードへ引き下げるときに副交感神経が働いたと考えられます。」

 と述べておきましたが、これは、南ク学派の生物学を専門とする浅野昌光博士次のような実験に基づくものです。その実験は、魚の心臓に分布する神経をすべて取り除いて運動している心臓にアセチルコリンを滴下した場合は運動が低下し、ノルアドレナリンを滴下した場合は変化しなかった、という結果になったそうです。そしてその何もしていないときの心臓の運動は運動をしているときと同じレベルの運動だったそうです。このことの意味するものは何かといいますと、魚の心臓には副交感神経のみが存在し、交感神経は分布していないこと、しかし、自動運動する心臓にしても独立しているように見えてそうではなくも、じつは副腎髄質から分泌されるノルアドレナリンによって常に運動モードが常態となるように統括されているということなのです。つまり、ホルモンによる統括は行われていたということです。

 では魚類にも交感神経があるという報告がるというタマゴさんの指摘にどう応えたらよいのでしょうか?これについては以前にも議論したことがあるので、認識しておりましたが、この魚類の交感神経は完成レベルのものではなくあくまでも萌芽レベルのものだということです。激しい地殻変動によって急に地上に放り出された魚類が地上からの体表に加わる刺激に適応するためにホルモンが神経化したと考えられます。そして、これが両生類になっていく過程でその威力を発揮することになります。

 つまり、魚のヒレが足に変化・進化していく過程を統括したのがこの交感神経だったということです。だから、動物や人間の手足には、それを動かすのに必要な体制神経すなわち運動神経・感覚神経のほかには交感神経しか存在せず、副交感神経は分布していないのです。このヒレを足に造り替える過程を総合的に統括する経験がのちの交感神経の土台となったのです。だから、交感神経の働きが悪い人は運動しても筋肉ができず、足が太く発達できないのです。

 こうして足が立派に出来上がった生命体は、厳しい環境である陸上の世界に進出して、その疾風怒濤の地殻変動の時代をたくましく生き抜く中で、命を守る神経として交感神経を完成させていったのです。ところが、運動神経と内臓神経(副交感神経)とによる神経の二元・二重統括体制はすでに完成していたために、そして、この神経化は、運動を行うためのものではなく、運動の多様な発展・環境の多様な変化に機敏に対応して命を守り、恒常性を維持するために本来ホルモンが行うべきホルモン的統括を神経が行うための神経化でしたから、どうしてもあらゆる情報を統合して体系的に統括しなければならない必然性から、現場での総合的な中枢機能が必要とされました。ところが、すでに完成された体制下においてはそのためのスペースを改めてそれにふさわしい形で確保することができず、結果として背骨の両脇に急場しのぎに中枢司令本部という重要な交感神経幹が露出したまま増設されることになったのです。まさにテントに囲われた野戦司令本部のようなものです。

 以上の過程を三項の論理でまとめてみますと、以下のようになります。
基礎的契機 : ホルモン統括(普遍性)
否定的契機 : 神経統括(特殊性)
統体敵契機 : 交感神経(個別性)
 副交感神経は、このうちの神経統括に属することになります。このことから、交感神経と副交感神経とは全く別物であり、同じレベルで一対のものととらえることは、誤りであることが分かります。したがって、それを土台とした論理はすべて見直す必要があると思います。現象的に拮抗関係にあるかのように見える、実体的な構造も、機能的な関係も、その中身を吟味してみると、拮抗関係とは言えないことが分かります。たとえば、心臓の場合、交感神経の亢進作用は運動のための第一義的なものですが、副交感神経のほうは第一義の内臓の活動の活発化にともなっての心臓の運動の抑制という第二義的なものにすぎません。また、腸管の場合も、副交感神経の腸管の運動の亢進は第一義的な統括ですが、交感神経の腸管の運動の抑制は、運動器官の運動に伴う心臓の第一義的な亢進させる統括とは違って、第二義的なものにすぎません。拮抗関係というならば、その両者が同じ器官に対して同レベルの第一義的な統括をする場合にそういう関係にあると規定できますが、そうではありません。こういう時方が、“一般論”を媒介にして説くということです。

 現代医学の“一般論”を媒介にしない誤った規定が、あたかも“一般論”であるかのように幅を利かせても、他の場合にもそれがどんどん拡大されていって、誤りの増大・増幅現象がみられます。たとえば、白血球は交感神経支配で、リンパ球は副交感神経支配だとする説がありますが、その根拠はリンパ球にアセチルコリン受容体があるからだとしております。しかし、アセチルコリンは一般的な神経伝達物質であって、副交感神経の固有のものではありません。ですから「副腎髄質にはアセチルコリンを分泌する副交感神経節後繊維もシナプスしていることが分かっています。」というタマゴさんの説もはたして正しいかどうか?おそらく迷走神経が副腎髄質に行っているということでしょうが、私は迷走神経にも交感神経が混ざっているのではないかとみております。つまり、これが交感神経性の食物アレルギー反応にも関係するのではないかということです。

 また、運動神経も交感神経もアセチルコリンを使っております。たしかに交感神経は、最終指令部室としてノルアドレナリンを主に使っておりますが、アセチルコリンを中間伝達物質としてではなく最終指令の伝達物質として使っていることもあります。そこが、統体止揚された交感神経の特徴です。ですから、免疫機構をノルアドレナリンとアセチルコリンの両方を利用して統括していることも充分に考えられることです。免疫機構のような重要な機構を二元支配のような非効率的な統括をしていたのでは命を守れません。白血球とリンパ球が協力し合って免疫の任務を果たしていることからも、二元支配は合理的ではないからです。

 精神的にリラックスすることを副交感神経優位などと解釈する向きがありますが、これはナンセンスです。認識は全体の統括者です。認識が副交感神経を支配しているのであって、その逆ではありません。同じく交感神経も認識に大きく左右されます。それは副交感神経とは比べ物にならないくらい大きく影響されるのです。副交感神経はせいぜいのところ、梅干を見てアタマに梅干しの像が描かれると唾液が出てくるという程度です。よく余命宣告されて開き直って人生を謳歌した人がガンを克服できた話をよく聞きますが、これは副交感神経優位になってリンパ球が元気になったからではなく、認識が整ったために、交感神経の働きがよくなって自分の力でガンを克服できたのです。

 タマゴさんは、私の治療で交感神経が異常亢進状態になったからガンが発生したと批判しておりますが、これは間違いです。私は交感神経を異常亢進させるような治療はしておりません。前々から言っているように、私の治療は交感神経を電気にするもので、正常化するものです。たとえば、手足の水かきが硬くなっているときにそれをつまむと非常な痛さが生じますが、それによって交感神経の異常な亢進によって手足に汗が出放題だったのが、ピタリと止まり冷えていた手足が暖かくなります。これを称して交感神経の働きが正常化し元気が戻ったといいます。

 不幸にガンになってしまった患者さんは、私の治療の未熟さもありますが、そのほかの要因もあって、交感神経を良い状態に保つことが困難であったこともあるのです。

 それでは、タマゴさんの批判にひとつづつ答えていきましょう。
>私が交感神経を除去した猫の例を挙げた直後は副腎が肺の活動をを統括すると述べていたのに、舌の根も乾かぬ内にホルモンは関係ないと言ったり、天寿堂さんは自説を守りたいがために無茶を言い過ぎですよ。

 副腎がホルモン統括をしているとは言いましたが、個別的な肺の問題は述べてはいないはずです。肺の問題が問題となったのは、タマゴさんが疑問を述べられて以降です。そして、そのタマゴさんの問いかけを受けて心臓の運動に連動するのではないかとは申しました。なぜなら、肺自体は自律的に運動するものではなく心臓や周りの筋肉の運動によって運動させられるものですので、直接にホルモンによって左右されるものではないと考えたからです。何も間違ったことは言っていないではありませんか?タマゴさんは呼吸運動は意識的呼吸と無意識的呼吸があり、無意識的呼吸は自律神経が統括しているはずだから副交感神経が関与しているはずだとおっしゃっていますが、主に無意識的呼吸を行う横隔膜には運動神経と感覚神経と交感神経しか分布しておりませんので、関係はなさそうです。ただあるとすれば、心臓の活動が副交感神経によって低下させられることがありますので、間接的に影響を及ぼす場合はあると思いますが・・・・

>交感神経が陽、副交感神経が陰、などと単純に当てはめるつもりはありませんが、交感神経・副交感神経の関係性で複雑な身体の状態が表出する可能性があることは推察されるかと思います。

 タマゴさんがここで挙げられた東洋医学の陰陽論の具体的な中身はすべて、交感神経と副交感神経との関係性、つまち、機能と機能との関係性の問題ではなく、もっと一般的な実体(陰)と機能(陽)の問題であると思います。だから、「陽(機能)は独立し得ず、陰(実体)を得てなる。 陰(実体)を主とし、陽(機能)はこれを随う。」つまり、機能はあくまでも実体の機能であって、実体なしには存在しえず。したがって、実体が主で、機能は従の関係になるということです。

>交感神経への刺激では胸腺やリンパ節や骨髄などの免疫器官が活性化されなかったことを示しています。だから直接的にそれらの器官を刺激せざるを得なくなったのです。

 ここは見解の相違で、私は「胸腺やリンパ節や骨髄などの免疫器官」はすべて交感神経の統括下にあると見ています。たとえ神経が命令をしても実行器官のほうが働かない場合もあります。その場合は、実行器官のほうに直接働きかkねばならないことが多くあります。今回はそういう例だったと思います。

>現代医学の臨床現場では、自律神経と癌の発生の関係性なんてほとんど考慮されていませんよ。

 それはその通りです。しかし、その周辺の東洋医学的なものを取り入れてがんの治療をしようとする人たちのほとんどは、現代医学のドグマをもとにして対策を練ろうとしています。そういう人たちに対する悪影響を問題にしています。

Pass

[2285]
タマゴ - 2016年08月26日 (金) 21時07分

忙しいので、また二回に分けて返答します。

前々から思っていたのですが、天寿堂さんの大本のモノの考え方とその表現の仕方には致命的な欠点があり、それが
「手足には交感神経のツボしかない」
「自律神経に拮抗作用は存在しない」
・・・といった誤った仮説を次々に産み出している元凶となっているようです。
上記の誤謬は私の指摘により修正されたものの、大本のモノの考え方を修正しない限りは、天寿さんの“誤謬製造機”ぶりは直らないと改めて感じました。
それによる不利益の大きさは計り知れないと思いますので、まず、そこを指摘することから始めたいと思います。
まあ、指摘しても本人に直す気が無ければどうしようもありませんけれどね・・・。

>ホルモンは普遍性であり全体をまんべんなく統括するものですから、特殊な部分を特殊に動かす、つまり、ある部分を時間的空間的に一斉こ動かすことは苦手なのです。その欠点を補うものとして神経が造られました。ですから、神経はホルモンが特殊に変形したものといえます。だから、神経の末端から標的器官に分泌されるのはホルモンの一種なわけです。

ここは、大筋の論理展開としては間違っていないと思います。
しかし、普通に考えて、ホルモンという物質が神経という器官に変形するわけはありません。
私は付き合いが長いので、ホルモン分泌器官という実体とその機能をより個別的に展開させるために生成発達した器官が神経系である、という意味なのであろうなと適宜補って読みましたが、普通の部外者が読んだら、
「コイツは狂人なのか?」
と感じるかも知れない。
要するに、論理展開が独り善がりで雑すぎるということです。

>タマゴさんは副腎は独立した器官とはなっていなかったとおっしゃっていますが、その根拠となる出典は如何なるものでしょうか?

そんなものは、目の前の高価な機械で「魚類 副腎」で検索すれば幾らでも出てくるはずです。
その程度の労苦を惜しんでいるから、天寿堂さんの自説には
「魚類は肺呼吸をしている」
「迷走神経には交感神経もある」
といった事実レベルのとんでもない間違いが多いのではないかという気がします。
天寿堂さんは事実レベルの誤りはそこだけ修正すれば良いと軽く考えているように感じるのですが、それは大間違いですよ。
事実から論理を抽出して一般論というものを作るのであるならば、誤った事実認識からは誤った一般論しか作られないはずだからです。
例えば、
「手足には交感神経のツボしか無い」
という一般論モドキは、私の粘り強い指摘により修正されましたが、そこを直せばお仕舞いという態度では駄目です。
そのようなトンデモに至った思考過程こそが大問題なのですから。
誤って作られた“一般論モドキ”を常に媒介して答を出そうとするから、そういう誤った結論ばかり次々と産み落とされる現実があるんです。
南郷派時代に天寿堂さんは「一般論の稲村」と小バカにされていたそうですが、それは、そういう面も踏まえてのことだったのかもしれません。
もしそうなら、単なる揶揄ではなく、あるいは本質を突いていた面もあったのかもしれない。

>現代医学の“一般論”を媒介にしない誤った規定が、あたかも“一般論”であるかのように幅を利かせても、他の場合にもそれがどんどん拡大されていって、誤りの増大・増幅現象がみられます。

というのは、寧ろ、天寿堂さん自身が肝に銘ずるべきことです。
一般論などと呼ぶと、さも世の真理であるかのように読む人を誤解させる虞がありますが、実態は単なる天寿堂さんが勝手に唱えている独り善がりな仮説に過ぎません。

以前、病人を絶食させて「いや、どんどん治っている」などと言い、挙げ句にミイラにしてしまったカルト教団がありました。
ここが多用していた言葉が「定説」。
何が定説だよ!お前らだけが勝手に言っているだけだろ!目の前の現実を見ろ!
・・・と怒りに震えた方は少なくないでしょう。
定説だのなんだのというからには、当然、目の前の現実にも通用するだけの一般性を備えていなければ嘘だってことです。

Pass

[2286]
タマゴ - 2016年08月27日 (土) 02時59分

>これについては以前にも議論したことがあるので、認識しておりましたが、この魚類の交感神経は完成レベルのものではなくあくまでも萌芽レベルのものだということです。

天寿堂さんの「陸上に上がる際に副腎から交感神経が増設された」という一般論が間違いである事実に変わりはありませんよ。

>私は迷走神経にも交感神経が混ざっているのではないかとみております。

だから、以前から何度も述べているように、交感神経と副交感神経の分類は、胸腰髄系か脳仙髄系かの解剖学的な分類であって、神経伝達物質による分類ではないのですよ。
迷走神経は脳から出ているのだから、未来永劫、交感神経には絶対に分類されません。
そのように定義されている以上はその分類方法に従う以外に無いし、従いたくないなら交感・副交感とは別の分類や名称を与える以外に無いのですよ。
例えば、全身性の尋常性白班などにより平均的な白人以上に皮膚が白いネグロイドやモンゴロイドの方も存在しますが、彼らが白人を自称しても、生物学の観点からは白人に分類されません。
定義がそうなっているのだから仕方ないのです。
駄々っ子じゃあるまいし。

>タマゴさんは、私の治療で交感神経が異常亢進状態になったからガンが発生したと批判しております

天寿堂さんが交感神経を異常亢進させたとも癌を発生させたとも、一言も述べてはおりません。
しかし、ここは敢えて友人として率直に言わせてもらいますが、天寿堂さんが交感神経を亢進させる治療を行っていたのであれば、そのことによって免疫系の活性が低下してしまった可能性は否定できないと思います。

>主に無意識的呼吸を行う横隔膜には運動神経と感覚神経と交感神経しか分布しておりませんので、関係はなさそうです。

意図的に話を逸らそうとしているのか何だか知りませんが、私が問題としているのは肺そのものの活動についてであり、横隔膜や肋間筋の運動のことではありません。
(それを「無意識的呼吸」などと記してしまった私の落ち度はありますが)
私が言いたいのは、肺胞や粘膜など内実の基礎的活動には副交感神経が主導的に関わっているはずであり、消化吸収排泄しか担っていないという天寿堂さんの思い込みは誤りである、ということですよ。
具体例としては、別に肺でなくとも、肝臓の話でも膵臓の話でもよいのです。

>タマゴさんがここで挙げられた東洋医学の陰陽論の具体的な中身はすべて、交感神経と副交感神経との関係性、つまち、機能と機能との関係性の問題ではなく、もっと一般的な実体(陰)と機能(陽)の問題であると思います。だから、「陽(機能)は独立し得ず、陰(実体)を得てなる。 陰(実体)を主とし、陽(機能)はこれを随う。」つまり、機能はあくまでも実体の機能であって、実体なしには存在しえず。したがって、実体が主で、機能は従の関係になるということです。

救いようの無い検討違いの解釈です。
もう一度書きますが、まず、陰陽虚実の病証について、黄帝内経素問調經論篇第六十二第四章之一には、
陽実すれば外熱し、
陽虚すれば外寒す。
陰実すれば内寒し、
陰虚すれば内熱す。
とあります。
これをどう読めば、陽は機能で陰は実体などという解釈になるのかと。
きっと吉田先生も粟島先生も、自説を死守したいがために古典を歪めて解釈しようとする弟子の迷走っぷりを嘆いておられると思いますよ。

>ここは見解の相違で、私は「胸腺やリンパ節や骨髄などの免疫器官」はすべて交感神経の統括下にあると見ています。

違いますね。
胸腺は昔から副交感神経との関連性が強い器官であることが知られていましたし、
また、副交感神経を刺激することによりリンパ球が増加し癌が縮小した症例を紹介する論文もどこかで見たことがあります。
一方、天寿堂さんは必死に交感神経を刺激しても癌の発生や転移を阻止できなかったのに、ただ治る治る言っているだけです。
何の説得力もありません。

>その周辺の東洋医学的なものを取り入れてがんの治療をしようとする人たちのほとんどは、現代医学のドグマをもとにして対策を練ろうとしています。そういう人たちに対する悪影響を問題にしています。

癌を治すどころか予防することもできなかった一般論モドキを宣伝しているのは天寿堂さんでしょう。
不幸中の幸いは、天寿堂さんが医学界に対して悪影響を与えるほどの影響力を持っていないということです。
ただ、癌の患者さんは重ね重ね気の毒だったと思います。

Pass

[2287]
愚按亭主 - 2016年08月27日 (土) 18時54分

>そんなものは、目の前の高価な機械で「魚類 副腎」で検索すれば幾らでも出てくるはずです。

 自分で検索しても見つからなかったので、聞いたのです。それで教えてもらったキーワードで探しましたが、見つかりませんでした。ですから、そのアドレスを示していただけると助かります。ただ、一つだけ手掛かりになりそうなものがありましたが、残念ながらその本文は国会図書館に行かなければ見られそうもありません。しかし、その東大の 小栗幹郎という先生が書い論文の
「魚類の副腎に関する研究 : 特にその比較解剖学的並びに組織生理学的研究について」
というタイトルから察するに、やはり副腎は立派な独立した器官としてあったようですね。そのアドレスは以下です。
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010497042-00

>天寿堂さん自身が肝に銘ずるべきことです。一般論などと呼ぶと、さも世の真理であるかのように読む人を誤解させる虞がありますが、実態は単なる天寿堂さんが勝手に唱えている独り善がりな仮説に過ぎません。

 私は、生命の歴史の過程的・歴史的構造を踏まえた交感神経と副交感神経の関係性の一般論をきちんと提出したうえで、現代医学の自律神経論がいかに一般論として誤りであるかを、論理的に証明してみせました。それを独り善がりであると断ずるのであればその根拠となる論理を提出したうえでなければ、タマゴさんの方こそただの中身のない一般論の決めつけにすぎないのではないですか?

>天寿堂さんの「陸上に上がる際に副腎から交感神経が増設された」という一般論が間違いである事実に変わりはありませんよ。

 タマゴさんは、三項の論理に大変興味があるようですが、その真骨頂である統体止揚の過程についての理解がまだまだ不充分のようですね。理解が深まるように、もう一度前に書いたものを引用して復習の一助となるようにしておきましょう。

「ここに挙げた諸契機は、三項の論理のところでも説明しておいた通り、それぞれの契機が他の契機を内に含んで複雑に絡まりあい、相互規定・相互移行・相互転化を繰り返す中で、次第に統体止揚されて個別性としての交感神経ー副腎系として完成していきます。したがって、言葉としては交感神経ー副腎系と単純ですが、その構造はとても複雑です。たとえば、脳から交感神経幹へ、そこから副腎髄質へというルートもあれば、脳から直接に副腎髄質へというルートもあり、また、脳から副腎皮質というルートもあれば、脳から交感神経幹を介して副腎皮質へというルートもある。さらにまた、脳を介さないで、交感神経幹が反射的に諸器官や副腎髄質および副腎皮質に指令を出すという場合もありうるのです。それらはケースバイケース臨機応変に対応しているというのが、統体止揚して個別性として完成した交感神経ー副腎系の中身です。」
「激しい地殻変動によって急に地上に放り出された魚類が地上からの体表に加わる刺激に適応するためにホルモンが神経化したと考えられます。そして、これが両生類になっていく過程でその威力を発揮することになります。つまり、魚のヒレが足に変化・進化していく過程を統括したのがこの交感神経だったということです。だから、動物や人間の手足には、それを動かすのに必要な体制神経すなわち運動神経・感覚神経のほかには交感神経しか存在せず、副交感神経は分布していないのです。このヒレを足に造り替える過程を総合的に統括する経験がのちの交感神経の土台となったのです。だから、交感神経の働きが悪い人は運動しても筋肉ができず、足が太く発達できないのです。こうして足が立派に出来上がった生命体は、厳しい環境である陸上の世界に進出して、その疾風怒濤の地殻変動の時代をたくましく生き抜く中で、命を守る神経として交感神経を完成させていったのです。」

 このように「副腎から交感神経が増設される」にいたる統体止揚の過程は、単純なものではなく非常に複雑に入り組んだものです。そのことが分からないと、魚類の時代にすでに交感神経があったから、陸上に上がるときに交感神経が増設されたという私の説は、間違いだ、などとなってしまうのです。これは、運動性のない初歩の静止体の弁証法の時代の形式論理学的な判断です。しかし、この過程は必須なものです。ここから運動体の弁証法の三項の論理へと進むのが正統な道です。南ク学派はこの過程を意識的に踏もうとしないからダメなのです。つまり、判断破壊の過程を経ないからダメなのです。それが自分が知らず知らずのうちに唯物論は良い・観念論はダメという形式論理学に陥っても気がつかないのです。

 さて、ものごとを理解してもらうためには、「陸上に上がる際に副腎から交感神経が増設された」と細かい過程を捨象して単純化することも必要ですし、これは、本質をついた単純化なので、決して誤りではありません。ついでながら、同じように「神経はホルモンが特殊に変形したもの」という表現も高いレベルの論理なので、これはこれで正しい表現なのです。

 これをもっと構造に立ち入って詳しく説明しろということになった場合、その現実のダイナミックで複雑な運動性を正しく表現するためには、運動体の弁証法の三項の論理を用いて表現する必要が生じてきます。それが、
基礎的契機 : ホルモン統括(普遍性)
否定的契機 : 神経統括(特殊性)
統体敵契機 : 交感神経(個別性)

なのです。すなわち、ホルモン統括が神経統括の否定的媒介を通じて統体止揚され、交感神経がホルモン的神経として完成していったのです。そして、副交感神経は特殊性としての神経統括ですから、副交感神経と交感神経とは同じレベルのものではないのです。それを同じレベルの拮抗関係とする現代医学の自律神経論は誤りなのです。それを、タマゴさんが同じレベルだとして現代生理学を擁護するのであれば、それなりの論拠を示さなければなりません。

>交感神経と副交感神経の分類は、胸腰髄系か脳仙髄系かの解剖学的な分類であって、神経伝達物質による分類ではないのですよ。
迷走神経は脳から出ているのだから、未来永劫、交感神経には絶対に分類されません。

 ウィキペディアを見てみましたけど、現代医学もだんだん私の説に近づいてきたなと実感しました。

 迷走神経と同じ脳神経に属する顔面神経も胸髄から伸びた交感神経と混ざり合った部分が存在するように、迷走神経にも交感神経が入り込んでいると思います。そして、そこから伸びたシナプスが胸腺や脾臓においてアドレナリン系の物質を分泌していることは、その証拠となる事実だと思います。なぜなら、アセチルコリンと違ってアドレナリンは交感神経固有のものだからです。ともあれ、そういう私の説があながち妄説でない可能性を示す説明が、以下の文章です。

「迷走神経の交感性求心線維の細胞の源は頚静脈神経節または節上神経節にあり、おそらく延髄の背側神経で、または多くの著者によれば、弧束核で終わる。末梢性でその線維は、遠心性線維のある様々な器官に分布している模様である。」
「それらは脊髄の胸神経の上から4つか5つの前枝から現れ、 第一胸神経節への白枝(white rami)で通り抜け、いくらかはそこで終了し、他は鎖骨下係蹄への下頚神経節を通る模様である。その節後神経は一部鎖骨下係蹄を通り心臓へ向かう。その途中で迷走神経からの交感性線維と混合して心臓神経叢を形成する。」

 また、常々私は交感神経が筋のネットワークの基地として骨を統括している、という説を唱えていましたが、現代医学もようやくそこに気がついてきたことを示す文章が以下です。

「近年のトピックスのひとつに交感神経系の標的器官としての骨が挙げられる。」

>肺胞や粘膜など内実の基礎的活動には副交感神経が主導的に関わっているはずであり、消化吸収排泄しか担っていないという天寿堂さんの思い込みは誤りである、ということですよ。

 なるほどそういう意図だったのですか。まず、肺の基礎的な活動には副交感神経が主導的に関わっているはずだという話ですが、それはどうでしょうか?心臓と同じく肺もどちらかと言うと、たとえばへーリング・ブロイエル反射のように抑制的にかかわっているようですから、副次的ではないですか?酸素の供給をたくさん必要とするのはやはり運動のほうですから。それから、私は、消化・吸収・排泄しか担っていないとは言っておりません。それが主であり第一義だと言っているのです。

>陰陽虚実の病証について、黄帝内経素問調經論篇第六十二第四章之一には、陽実すれば外熱し、陽虚すれば外寒す。陰実すれば内寒し、陰虚すれば内熱す。とあります。これをどう読めば、陽は機能で陰は実体などという解釈になるのかと。

 では、タマゴさんの説で、これらを解説してみてください。私は一応解説しておきました。素問第五陰陽應象大論篇の「陽は独立し得ず、陰を得てなる。 陰を主とし、陽はこれを随う。」の方もお忘れなく。私の方も、全部解説しておきます。
「陽実すれば外熱し」⇒外邪に侵されると機能が対抗して熱が生じ
「陽虚すれば外寒す」⇒機能が衰えると皮膚や手足が冷え
「陰実すれば内寒し」⇒邪が実体に入り込むと厥陰病となって冷え
「陰虚すれば内熱す」⇒実体そのものが弱ると熱で戻そうとする

>天寿堂さんは必死に交感神経を刺激しても癌の発生や転移を阻止できなかったのに、ただ治る治る言っているだけです。
何の説得力もありません。

 タマゴさんは、自身の体験でなく他人の確かでない論文の記憶しかありませんが、私は自らの失敗の反省に基づいて、自らの交感神経論に基づいて、交感神経が統括する骨とその骨を中心とするスジのネットワークの一部としてリンパ節を標的として、交感神経本部の働きをよくする形で治療すれば、必ず良い結果が得られるはずだとの目的意識の下に治療した結果、患部に腫れが生じてそれが引いた後、明らかに良い状態に変化した、という治療体験を持っています。この成果は、正直そこまでの成果が直ちに現れるとは思っておりませんでしたので、非常に驚きました。とともに、自分の理論に確信を持つに至ったのです。

 この点は何度も強調しているにもかかわらず、タマゴさんは、自分の説に都合のよい事実のみに固執して、都合の悪い事実は意識的に無視しているように見えます。


Pass

[2288]
タマゴ - 2016年08月27日 (日) 21時27分

忙しいので、また数回に分けて返答します。
まず魚類に“副腎”という独立した器官が存在するか否かについて。

本当に真面目に探したのかどうか非常に疑問なんですが、天寿堂さんは最近著しく目が悪くなっているとのことでしたし、まぁいいでしょう。
そこは大目に見ることにします。

「魚類 副腎」で検索すると、トップに次の研究サイトが表示されたはずです。
https://www.env.go.jp/chemi/end/endocrine/1guide/detail_a1-2.html
ここに、魚類の副腎に相当する組織として、
「間腎腺(哺乳類では副腎皮質)、クロム親和細胞群(哺乳類では副腎髄質)」
という説明があります。
さらに「間腎腺」「クロム親和細胞群」を調べてみれば、これらが独立した器官にまで進化してはいないことが分かるかと思います。
他にも類似した説明を掲載した研究機関のサイトは複数見つかるはずです。
あとは自力でどうぞ。

次に小栗幹郎先生の
「魚類の副腎に関する研究 : 特にその比較解剖学的並びに組織生理学的研究について」
という1959年の博士論文について。
天寿堂さんは、この古い論文のタイトルだけを、魚類に副腎があるという自説の文献的根拠として挙げています。
他には一切見つからなかったと。
では、この論文の内容はどうなのかという話になるわけですが、小栗先生は翌年に、
「硬骨魚類の副腎系に関する研究-IV
魚類の間腎細胞の組織化学的特長について」
という論文を日本水産学会誌Vol.26(1960)に発表しています。
この論文のタイトルには、魚類の副腎系=間腎細胞という用語が明確に用いられています。
現代生物学の研究と同じです。
即ち、魚類の副腎に相当する内分泌腺は間腎の中の一組織であり、副腎という独立した器官ではないことが示唆されているわけです。
それから察するに、1959年の論文には、おそらく、
魚類に於ける副腎の存在に関する研究報告がなされており、その中で、独立した器官としては存在していないという説明が示されているものと推察されます。

もちろん、実際に読んで見なければ分からない面もありますが、それは魚類に副腎は独立した器官として存在したと頑なに主張する天寿堂さんの仕事です。
国会図書館は東京都内なのですから、暇を見つけて、行けないこともないでしょう。
これ以外に論拠が無いのでしょうから、ここは一つ頑張ってみて下さい。

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[2289]
タマゴ - 2016年08月28日 (日) 01時09分

天寿堂さんが引用したWikipediaの記述については、以前にも議論になったと思いますが、忘れてしまったんですか?
失礼ながら、天寿堂さん、ここ数年で急激に忘れっぽくなってしまいましたね。
同じことを何べんも議論したくはないのですが、まあ、いいでしょう。

「迷走神経の交感性求心線維の細胞の源は頚静脈神経節または節上神経節にあり、おそらく延髄の背側神経で、または多くの著者によれば、弧束核で終わる。末梢性でその線維は、遠心性線維のある様々な器官に分布している模様である。」
「それらは脊髄の胸神経の上から4つか5つの前枝から現れ、 第一胸神経節への白枝(white rami)で通り抜け、いくらかはそこで終了し、他は鎖骨下係蹄への下頚神経節を通る模様である。その節後神経は一部鎖骨下係蹄を通り心臓へ向かう。その途中で迷走神経からの交感性線維と混合して心臓神経叢を形成する。」

ここで述べられている「交感性求心線維」というのは、交感神経のことではありません。
自律神経系というのは遠心性の神経系なのです。
内臓求心性神経繊維と呼ばれるものはありますが、これも自律神経には分類されません。
Wikipediaにも
「ここでは動眼、顔面、舌咽神経、および迷走神経を扱う。これらの神経のうち自律神経の線維はすべて副交感神経である。」
と明確に書かれているではありませんか。
天寿堂さんも調べるさなかにこの箇所を目にしたはずなのに、意図的に無視したってのは、なんなんですか?

「近年のトピックスのひとつに交感神経系の標的器官としての骨が挙げられる。」

この話題についても既に議論しました。
交感神経の亢進により骨髄の細胞の活性が低下することを示唆する論文を紹介したはずです。
つまり、交感神経は骨髄に対して抑制的に制御しているのですよ。
リンパ節もそう。天寿堂さんの交感神経刺激でリンパ節への癌の転移が防げなかった事実は、その刺激によりリンパ節の活動が低下したことを示すものだと思います。
これを教訓にせずに同じ過ちを繰り返すのなら単なる愚か者ですよ。

Pass

[2290]
タマゴ - 2016年08月28日 (日) 08時49分

まず、陰陽論とは何ぞや?です。
これは大雑把に言えば、世の様々な事象を正反対の二グループに分類し論じようとするものですが、
黄帝内経の中の陰陽論については、万物を陰陽に分類する思想と、人体や生理や病症を陰陽に分類する思想が“具体的”に記されています。
そして勿論、この二つは関連性を持っているわけです。
内経自体が膨大な陰陽五行の解説書のような面があるので、万物についての記述に関しては、ここでは略しますが、陰が実体で陽が機能などという無茶なことは一切記載されていませんし、それに類する記述も皆無です。

さて、身体の陰陽の配当については、素問金匱真言論篇に大原則が記載されています。
「夫れ人の陰陽を言う時は、則ち外を陽となし内を陰となす、人身の陰陽を言う時は、則ち背を陽となし腹を陰となす、人身の臓腑を言う時は、則ち臓を陰となし腑を陽となす」
即ち、内側腹側(内臓)が陰、外側背側が陽、と具体的かつ明確に定義されています。
ここにも天寿堂さんのような恣意的な解釈が入り込む余地は全く存在しません。
これが東洋医学的身体観の大原則であり、これを踏まえて、黄帝内経素問調經論篇の
陽実すれば外熱し、
陽虚すれば外寒す。
陰実すれば内寒し、
陰虚すれば内熱す。
の記述や素問陰陽應象大論篇の
「陽は独立し得ず、陰を得てなる。
陰を主とし、陽はこれを随う。」
という記述があるのです。

ここは、西洋医学の生理学と照らし合わせても符合する面が大きいと言えます。
私が「副交感神経が生体の基礎的活動を主導し、交感神経がそれを抑制的に制御している」という考えを提示することができたのは、おそらく東洋医学家の端くれとして、上記の内経の記載が頭の片隅にあったからだろうと思います。

Pass

[2291]
タマゴ - 2016年08月28日 (日) 11時39分

事実レベルの主な話題には一通り返答しましたので、天寿堂さんの思考過程の問題点について、もう少し突っ込んで論じたいと思います。

>正しい答えを得るためには、一般論を媒介にしながら過程的に見ていく必要があります。そこで生命体が自らを一体的統括する方法として造り出したものに、ホルモンによる統括と神経による統括の二重構造があります。歴史的にみると、単細胞時代のホルモン様物質による統括の萌芽が多細胞化によって本格的なホルモンによる多細胞の一体的な統括がはじまります。これが単細胞段階の次の時代のカイメン段階です。この段階では、生命体はまだ自力運動を始めていませんでした。それが、次のクラゲ段階になると自力運動がはjまります。その自力運動は、それまでのホルモンによる統括では運動の統括がうまくできないので、それに適したようにホルモン統括の変化形として神経が造られました。なぜホルモンではダメかといいますと、ホルモンは普遍性であり全体をまんべんなく統括するものですから、特殊な部分を特殊に動かす、つまり、ある部分を時間的空間的に一斉こ動かすことは苦手なのです。その欠点を補うものとして神経が造られました。ですから、神経はホルモンが特殊に変形したものといえます。だから、神経の末端から標的器官に分泌されるのはホルモンの一種なわけです。

ここの箇所は南郷派の生命史観がベースになっているのでしょうが、先にも述べたように、大筋の論理としては間違っていないと思います。
しかし、ホルモンが神経に変型した、というのは明らかに説明をはしょり過ぎです。
私は天寿堂さんと付き合いが長いのでこの箇所の意味を理解しましたが、なぜ敢えて「独り善がり」と批判したのかといえば、この説明では絶対に世間に通用しないからです。
もし世間からほぼ認知されていない天珠医学をメジャーにしたいと思うなら、殿様商売みたいなふんぞり返った態度では無理だって言っているのです。
勿論、天寿堂さんが「世間になんか通用しなくても構わない」というのなら、こちらも知ったことではないのですがね。
ご勝手にどうぞという感じです。

さて、天寿堂さんが依拠している南郷派の生命史観とは何ぞや?です。
平たく言えば、既存の生物学・進化学をエンゲルス系の論理学で説明し直したもの、言い換えるならば、両者を相互浸透させたものといえるでしょう。
南郷派の生物学系の研究者が、生物学会から排除されることなく普通に活動できているのは、そのためだと思います。
相互浸透だの量質転化だの表現レベルで独特の癖があるだけで、別に現代生物学に反旗を翻しているわけではない。
要するに、天寿堂さんがやたら現代医学に噛みつきたがるのは、天寿堂さん一人の個人的な心象に過ぎないということです。
南郷派の研究者の方々が天寿堂さんの書き込みを読んだら「“一般論の稲村”が南郷派を騙って勝手なことを喚いている」くらいなものでしょう。
南郷派系の現代社に原稿を突き返されたのも、その証左の一つといえるかと思います。

天寿堂さんが南郷派から“一般論の稲村”などと小バカにされていたのは、天寿堂さんの思考過程には問題があると認識されていたからです。
実際のところどのように問題があると認識されていたのかは彼らに訊いてみなければわかりませんが、私なりに推察するところを次に書いてみたいと思います。

Pass

[2292]
魚類の副腎の独立性 - 2016年08月28日 (日) 13時35分

下記のような魚類の副腎に関する論文を見つけました。
http://en.bdfish.org/2012/04/introduction-of-endocrine-glands-of-fishes/
タイトルは、Introduction to endocrine glands of fishes(魚類の内分泌腺入門)となっていて、その中で、魚の内分泌腺を次のように分類しています。
Endocrine glands of fishes: Different types of endocrine glands are found in fishes; such as‐
The pituitary gland or Hypophysis
Thyroid Gland
Adrenal gland(副腎)
Corpuscles of Stannius
Ultimobranchial Glands
Urohypophysis
Pancreatic islets
Pineal gland
さらに、副腎に関しては、次のような解説があります。
3. Adrenal gland: Adrenal gland in fishes is quite different from that of mammals. The two components of adrenal gland i.e. cortex and medulla are separately found.(魚類の副腎は哺乳類のものとはかなり違っている。副腎の2つの構成要素、皮質と髄質が別々に存在する。)

Location: One of three layers of cells lying along cardinal veins in the region of the hemapoietic head kidney .(存在場所:造血前腎の主静脈に沿って並んでいる3層の細胞のひとつ。)

Origin: Mesodermal layer of embryo

Secretion: Adrenaline, Cortisol

Function:
Promote utilization of steroid fat
Carbohydrate metabolism
Water metabolism
Protein catabolism
Sodium retention
Electrolyte metabolism

必要と思われる箇所だけ拙訳をつけましたが、副腎は英語ではgland、すなわち内分泌腺のひとつで、その意味では独立性をもったものと、ここでは考えられているのではないでしょうか。お二人のご議論の参考になれば幸いです。

Pass

[2293]
タマゴ - 2016年08月28日 (月) 22時16分

バングラデシュの産関係組織のHPのようですね。
その文章は、専門的な科学論文というより、魚関係に詳しくない方々への易しい解説文と考えるべきではないかと思います。
科学論文にしては専門的な内容ではありませんし、科学論文は第三者の科学者の査読を経て初めて価値のあるものと見なされますがそのような形跡もありませんしね。
初心者向けの解説文だとしたら、厳密性を犠牲にしている可能性も考えられますので、Adrenal glandを副腎と直訳してそのまま受け取ってよいのかどうか、微妙なところだと思います。
魚類の副腎に相当するような組織や細胞群を副腎と呼んでしまっている可能性も考えられるかと思います。

Pass

[2294]
タマゴ - 2016年08月28日 (月) 23時37分

南郷派による「一般論の稲村」という天寿堂さんを小バカにした呼び名は、常に“一般論”なるパラダイムを媒介として事物の考察を行い結論を出す癖を揶揄したものだと思います。
大雑把に言えば、
一般論を媒介すれば正しい結論を導くことができる、一般論は揺るがせてはならない、一般論に反する現象はウソである、
・・・といったところでしょうか。
他にもあるかも知れませんけれど。

事実から一般論を抽出しそれを媒介して思考する、という方法論は、或いは南郷派の本に記載されているのかも知れません。
しかし、それをガチガチに実践していた天寿堂さんが「一般論の稲村」などと小バカにされていたというのも現実です。
これは、一体なにを意味するのでしょうか。

おそらく、師範も南郷派も、そのような思考過程の限界や欠点を薄々認識していた、ということではないかと思います。
例外なく使える“魔法の杖”ではなさそうだなと。
南郷派の生命史観の概説書「いのちの歴史」という本にも、一般論という用語は用いられておりませんでした。

では、そのような思考過程のどこが問題なのか?
まず、“一般論”は本当に正しく事象の論理関係を表しているのか、という問題があるかと思います。
事物から一般的論理性を抽出するためには、必要十分な数の事象を考察対象にする必要があるかと思います。
例えば、AとBという事象の共通項は、Cという事象には当てはまらないかもしれない。
例外が幾つもあるならば“一般論”としては使えません。
そう考えると、それなりに多数の事象から共通項を抽出するという過程が必要になるはずです。
また、考察対象とする事象に偏りがあったとしたら、適用範囲の広い一般論を抽出することはできないでしょう。
ですから、色眼鏡を外して満遍なく対象を集める必要があるでしょうし、また、如何にそのような努力をしても個人ではどうしても何らかの先入観があり偏りが出る可能性を排除できませんから、
複数の人が協力して一般論を措定する必要も出てくるかと思います。
つまり、一般論を措定する際には、考察する対象にも考察する側にも偏りがあってはならないということです。

しかし、そのように念を入れて慎重に措定した一般論にも、全く誤りがないという保証はありません。
一般論を事象に当てはめようとしても上手くいかない、或いは、強引な解釈をしなければならないようなケースが多い場合は、一般論の方を修正すべきかもしれないし、場合によっては修正ではなく一旦破棄してゼロから作り直さなければならないかもしれない。

このような膨大な労苦を経て、初めて精度の高い一般性のある論理を措定することができるのだと思います。
しかも、そうして作り上げた一般論も絶対的なものではなく、絶対視してよいものではありません。
常に修正を重ねて精度を高める努力を怠ってはならない。

天寿堂さんの一般論の作り方の問題点は、自分一人だけの治療経験と乏しい医学知識だけを基にしているところです。
これではどうしたって偏りが出てしまいますから、一般性のあるまともな論理を抽出することはできません。
天寿堂さんは「現代医学は間違っている」というような強烈な思い込みがあり、それが考察対象に偏りを生んでいる元凶となっているように感じます。
キツいことを言うようですが、天寿堂さん(や青雲さん)のようなアクの強い思考回路の持ち主に一般性のある論理を作ることは無理なんですよ。
一般性の無い一般性モドキしか作ることはできない。
しかも、どれほど例外だらけでも、その一般論モドキを修正しようとはしない。

偏った一般論モドキを一般論と称し、常にそれを媒介して思考すると、どのような結果を産むか?
出す結果が悉く誤りという“誤謬製造工場”と化してしまうでしょう。
しかも、一般論と目の前の現実に整合性が取れない場合、無茶な解釈をして辻褄をあわせようとしたり、挙げ句のはての果てには「事実はウソをつく」などと言って、現実のほうが間違っているというオカルト紛いの主張をする。

治療を開始してから癌が発生し、さらに転移までしてしまったのに、「癌を治す方法ができた」などと言うなら、そんなのどう考えても正気の沙汰ではありませんよ。

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[2295] 魚類の副腎の独立性
北のM - 2016年08月29日 (月) 00時34分

名前の欄にタイトルを入れてしまいました。失礼しました。

Pass

[2296]
タマゴ - 2016年08月29日 (月) 01時23分

つまり、偏りが無く一般性の高い論理を作るには、それを一人で措定して終わりにするのではなく、先日話題に上がった弁証法的議論を活発に行うことが必要になるであろうということです。
その意味では、天寿堂さんは先日、議論により論理を統体止揚させ、より高次の論理を導く過程を明らかにしましたが、それに則った議論を実際に天珠塾で早急に行うようにするべきだと思います。
それが天寿堂さんと天珠塾に計り知れない恩恵をもたらすことになるはずです。

師範は自分自身の論理性を高めるための議論の必要性を説かれましたが、三項の論理学を応用した真の弁証法的議論の効用はそれに留まらないと思います。
統体止揚され産み出された論理は偏りの無い高い一般性を帯び、その一般論自体が高い価値のあるものとなるはずで、そちらの効用も負けず劣らず大きな意味を持つことになるのではないかと予想します。

Pass

[2297]
北のM - 2016年08月29日 (月) 09時51分

英語のadrenal grandは、ウィキペディアも含めて、日本語では常に「副腎」と訳されていると思います。すなわち、器官(organ)というより、腺(gland)という捉え方です。ですから、ここでのご議論で話題となっている副腎の独立性を考える場合は、腺としての独立性を考えるべきではないかということで、先の文献を挙げましたが、確かに査読論文ではないようなので、タマゴ様ご指摘のように、用語の厳密性にここでは注意しなければならないということで、さらに調べましたところ、次のような論文を見つけました。

https://www.jstor.org/stable/3881957?seq=1#page_scan_tab_contents

タイトルは、Structure and Function of the Adrenal Gland of Fishes(魚類の副腎の構造と機能)で、その最初のページの無料で公開されている、Histology of the adrenal gland of fish(魚類の副腎の組織構造)という節見出しのその右段の最後の段落に、次のような記述があります。

In elasomobranch fishes the adrenocortical tissue becomes organized into a single compact gland which is located on and between kidneys and is therefore referred to as the interrenal.
(軟骨魚類にあっては、副腎皮質組織が腎臓の上及びそれらの間に位置する単一のコンパクトな腺へと組織化されるようになり、それゆえに腎間組織と云われる。)

この記述から、魚類の進化の過程で、副腎がホルモンの分泌組織から分泌腺へと発展したという意味で、それは腺としての独立性をもったものと考えられるのではないでしょうか。



Pass

[2298] 弁証法でなければ生きた生命のダイナミックな過程を解ききれない
愚按亭主 - 2016年08月29日 (月) 15時56分

 議論がとても良い方向に進んできましたね。発展的な議論の発展を期待できそうです。さて、タマゴさんの展開してくれた真理論および一般論論は、南郷学派のものと同一です。それをこれまで私は批判し続けてきました。

 どのように批判してきたかといいますと、人類の学問は、まず世界全体の唯一無二の絶対的な本質を明らかにすることを追究してきました。それが哲学の歴史にほかなりません。それが一応の完成を見たのが、19世紀のドイツ哲学であり、ヘーゲルの絶対精神が絶対理念へと向かう過程を説いた絶対的真理の弁証法です。この中でヘーゲルは、本物の真理へと至る過程を次のように論理化しております。
基礎的契機 : 即自的悟性(これがタマゴさんの説いた事実に基づく相対的真理に他なりません)
否定的契機 : 対自的否定的弁証法的理性(これがタマゴさんが私を批判したもので、理念から解く絶対的真理です)
統体的契機 : 即自対自的肯定的弁証法的理性(これが本物の真理です)

 これが、事実に基づく感性的認識と、概念的な理性的認識へと、人類の認識が二重構造化したことによって必然化した真理へと至る真の本質的・弁証法的方法です。これがすなわち、タマゴさんがリクエストしてくれた、統体止揚して真の真理へと至る議論の方法の論理化なのです。つまりそれを、ヘーゲルがきちんと用意してくれていたということです。

 タマゴさんが言うように、事実からだけでは正しい一般論を定立することは、大変難しいことです。しかしながら、人間の認識は、人類の歴史性を内に含んだ社会的認識にほかなりませんので、すでに人類の学問の先達たちが世界全体の一般論を正しく定立してくれておりますので、それを自分のものとして一般論を定立すればそのレベルでは正しい一般論を定立できるのです。しかし、これだけでは本物の真理へと到達することはできません。事実に立脚した即自的悟性との弁証法的統一を図ってはじめて本物の真理をつかむことができるのです。その意味でタマゴさんとの議論はとても良い形で行われていると思います。

 たとえば、いま議論している交感神経ー副腎系は、どのように生まれどのような働きをしているのかについて、タマゴさんのおかげで魚類の時代にはまだ副腎という独立した器官は存在せず、萌芽的な副腎髄質の可能態、および萌芽的な副腎皮質の可能態として別々に存在していたことが分かりました。その意味で、私の従来の説は事実的に修正しなければならないと思います。

 その一方で、この事実の修正は、従来の私の交感神経ー副腎系生成説の論理を著しく真理に近いものに大きく発展させてくれるものとなりました。これは現代医学の方法論ではまずは不可能だと思えるほどの、弁証法でなければ説くことができない生命の発展の構造であると思います。

 それはどういうことかと言いますと、魚類の段階では副腎という器官は存在していなかった。しかし、哺乳類の段階になると副腎髄質と副腎皮質とが一体化して副腎という器官が形成されている。この違いはいったい何によるものか?それは簡単なことです。その必然性が有るか無いかによるものと思われます。つまり、安定的な魚類の時代では、さほどの必然性がありませんでしたので、機能もまだ未熟であった両者のそれぞれが、別々に自らを完成させていく過程を歩んでいましたが、哺乳類の時代になると環境が激変し、運動も魚類時代とは比べ物にならないほどに複雑かつ高度になりましたので、それに合わせて生命体内でも大改革が行われたものと思います。それが副腎髄質と副腎皮質の一体化、すなわち副腎という器官の形成であり、ホルモンと神経の一体化、すなわち交感神経ー副腎系の完成です。これによって生命体は様々な命を脅かすものから命を守る体制が整った、と意義づけることができると思います。

 これはむしろ副腎の各要素および交感神経の萌芽が、それぞれにまだ完成していなかったからこそできたことであろうと思います。いろいろな萌芽的な要素が絡まりあって、新たな環境に最も見事に適応できる体制が完成したのだと思います。その結果、哺乳動物の交感神経幹はとてもしっかりして大きいのだそうです。それが人間になると、むしろ乳幼児の交感神経幹の方が大きくて成人のほうが貧弱になっているのだそうです。これは何を意味するかといいますと、人間の生活は、せっかくの交感神経を本来の形でない形で酷使し、いろいろな形で乱してダメにする要素が多いということです。それこそが医療の一番の大問題であるはずなのに、そういう事情も分かろうとせず、一方的に交感神経を悪者に仕立てて冤罪で交感神経をないがしろにすることが、医療の発展を大きく阻害しているといえます。

>ここで述べられている「交感性求心線維」というのは、交感神経のことではありません。自律神経系というのは遠心性の神経系なのです。内臓求心性神経繊維と呼ばれるものはありますが、これも自律神経には分類されません。

 この現代医学の分類は、まったく医療の役に立たないものです。求心性と遠心性とを機械的に分離してしまっていますが、両者を統一しなければ、現実とかけ離れたものとなってしまいます。たとえば、熱中症の中に、お年寄りが室内でエアコンもかけずにお亡くなりになるケースがあります。熱中症は交感神経がまともに働かないで暑さから身を守れなくなる病気ですが、この交感神経の働きは、温度を感知する求心性と一体でなければ機能しません。

 私の事例でも、膝を悪くしていた方を交感神経の働きをくするように治療した結果、膝がよくなっただけでなく、それまで家族が厚いからエアコンをつけるように言っても頑として聞いてくれなかったのが、治療後は言わなくてもエアコンをつけるようになった、という事例がありました。

 これは内臓の迷走神経の事例ではありませんが、迷走神経の場合も、感情に大きく影響を受ける交感神経が、嫌な感情を共に食べた食べ物に対する不快な感覚が交感神経に刻まれ、その感覚が鋭敏化した結果として、その食べ物が食物に入っていると鋭敏に感じ取った交感性の求心性情報が直ちに遠心性の交感神経の反応を呼び起こす、というように、迷走神経に交感性の求心性の繊維があるということは、交感神経性の遠心性の繊維も必ずあるということだと思います。

>交感神経の亢進により骨髄の細胞の活性が低下することを示唆する論文を紹介したはずです。つまり、交感神経は骨髄に対して抑制的に制御しているのですよ。

 現代医学は弁証法を知らないから、ものごとを一面的断片的にしか見ることができないから、そういう実験結果しか出せないのです。はたして、弁証法的に反対の結果がでてくるような設定をいろいろ模索しての実験がどれだけ行われたのか?おそらくやられていないと思います。

 交感神経は両生類の足を造るという統括をしています。当然骨が足的作られていく過程も統括しているはずです。そういうことを考えれば、骨に対して交感神経がどのように統括しているのかを調べる実験はそれを踏まえて行われなければならないはずです。

 前に何度も挙げている舌癌の治療の例は、胸骨・鎖骨の骨を中心にマジキューで念入りに骨の交感神経を刺激した後で背中の交感神経管と副腎を標的にして鍼で治療した結果、リンパ節の腫れが病院の医者が悪くなっているとはっきり断定するほど大きくなり、それが引くと舌の動きがよくなり、首の腫れも取れてスッキリしました。これは意図的に骨を統括する交感神経を刺激した結果であることは明白です。つまり、交感神経が刺激された結果、骨を中心とするスジのネットワークの働きが良くなり、その中のリンパ節が癌に侵されている状態を改善しようという働きが強くなって、リンパ節が腫れたと思われます。こういう生きた人間の事実のほうが真実を雄弁に物語っていると思います。

>即ち、内側腹側(内臓)が陰、外側背側が陽、と具体的かつ明確に定義されています。ここにも天寿堂さんのような恣意的な解釈が入り込む余地は全く存在しません。これが東洋医学的身体観の大原則

 陰陽は、易経の論理学に基づくものであり、その使い方はいろいろあります。素問で扱う概念にも、いろいろあるということです。素問に精通した粟島先生も、素問では、私の説と同様の陰陽の使い方がされていることを仰っておりました。しかし、これだけではタマゴさんは納得しないでしょうから、重い腰を上げてたまたま書棚にあった東洋医学の権威である矢数道明先生が日本語版の序を書いていらっしゃる「中国漢方医語辞典」をパラパラとめくってみました。そしたらちゃんと書いてありましたのでそれを紹介しましょう。

 「≪素問・生気通天論≫に陰は精を蔵して起ちて応じ、陽は外を衛って固となす”とある。これは陰は物質の貯蔵を代表し、陽気のエネルギーの来源であること、陽は活動を代表し、外を衛って陰精を固守する作用のあることを説明している。」

 これは先の私の説明と全く同じではありませんか?

 

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[2299]
タマゴ - 2016年08月29日 (月) 17時53分

>(軟骨魚類にあっては、副腎皮質組織が腎臓の上及びそれらの間に位置する単一のコンパクトな腺へと組織化されるようになり、それゆえに腎間組織と云われる。)
>この記述から、魚類の進化の過程で、副腎がホルモンの分泌組織から分泌腺へと発展したという意味で、それは腺としての独立性をもったものと考えられるのではないでしょうか。

まず言えることは、文中で、ここで議論している意味での“副腎”の存在は示唆されていない、ということです。
魚類に副腎の前身となる組織の存在したことは、既に私も記したんですよ。
しかし、ここで問題としているのは、天寿堂さんの言うような副腎皮質と副腎髄質が統体止揚され独立した器官としての副腎という存在の有無なのです。
次に、1973年というかなり古めの論文なので、それが現在の生物学に於いて妥当性を持つのかどうか、だと思います。
もし仮にそうでそれが世界標準となっているのであれば、現在の最新の日本語の論文もそれに準ずる内容のものが幾らで掃いて捨てるほど見つかるはずです。
しかし、天寿堂さんが調べたように、そのような論文は見当たらない。
翻訳の精度云々から議論しなければならない昔の英語の論文を引用せざるを得ない状況が、答を物語っているのではないか・・・という気がするんですけれどね。

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[2300]
北のM - 2016年08月29日 (月) 21時02分

天寿堂様、タマゴ様、ご指摘の点納得いたしました。ありがとうございます。これからもお二人のご議論のなかで、天寿堂様の革命的な交感神経免疫機構統括論の癌治療論としての妥当性が、より深く厳しく吟味・検討されていくことを期待しております。

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[2301]
タマゴ - 2016年08月30日 (火) 08時01分

>迷走神経に交感性の求心性の繊維があるということは、交感神経性の遠心性の繊維も必ずあるということだと思います。

まず、Wikipediaに記載されている「交感性求心線維」なるものが一体何なのかがよく分からない状況下では、なんとも言えません。
天寿堂さんは勝手に、交感神経的な求心繊維という意味だと決め付けているようですが、そういう決め付けが良くないと繰返し述べているのですよ。
この語でネット検索をしてみたところ、Wikipediaくらいしか引っ掛からない。
ネット上に無いような最新の解剖生理の用語なのかもしれないし、或いは、このようなものは存在しない(Wikipediaが誤っている)のかもしれない。
そういう定義的なところを明確にするのが先だし、それを専門書や論文を調べて明らかにするのは天寿堂さんの仕事です。

>胸骨・鎖骨の骨を中心にマジキューで念入りに骨の交感神経を刺激した後で背中の交感神経管と副腎を標的にして鍼で治療した結果、リンパ節の腫れが病院の医者が悪くなっているとはっきり断定するほど大きくなり、それが引くと舌の動きがよくなり、首の腫れも取れてスッキリしました。これは意図的に骨を統括する交感神経を刺激した結果であることは明白です。

私は違うと思います。
交感神経と副腎は元々入念に刺激していたのにも関わらず、その最中に癌が発生し転移までしてしまったのですから、これが快方に作用した可能性は低いですよ。
従って、快方に作用したのは、胸線や骨髄への直接的刺激であろうと考えられる。
また、この症例により、交感神経の刺激では胸線や骨髄は活性化しないことが実証されたのです。

>東洋医学の権威である矢数道明先生が日本語版の序を書いていらっしゃる「中国漢方医語辞典」をパラパラとめくってみました。そしたらちゃんと書いてありましたのでそれを紹介しましょう。
「≪素問・生気通天論≫に陰は精を蔵して起ちて応じ、陽は外を衛って固となす”とある。これは陰は物質の貯蔵を代表し、陽気のエネルギーの来源であること、陽は活動を代表し、外を衛って陰精を固守する作用のあることを説明している。」
これは先の私の説明と全く同じではありませんか?

矢数先生の解釈は全くもって正しいと思います。
また、この解釈は、
「副交感神経が生体の基礎的活動を主導し、交感神経が環境に応じてそれを(抑制的に)制御している」
という私の考えとも符合しています。
(というより、私の自律神経に対する考え方は、無意識レベルで黄帝内経の記述が反映されたものだと思いますが・・・。)
また、上記の箇所も、素問金匱真言論篇に記載されている
「夫れ人の陰陽を言う時は、則ち外を陽となし内を陰となす、人身の陰陽を言う時は、則ち背を陽となし腹を陰となす、人身の臓腑を言う時は、則ち臓を陰となし腑を陽となす」
即ち、内側腹側(内臓)が陰、外側背側が陽、という東洋医学的身体観の大原則に則っています。
天寿堂さんの「陰が実体で陽が機能」などという恣意的解釈とは何の関係性も見出だせません。
そもそも「実体と機能」は陰と陽のような正反対の概念ではありませんから、無茶な解釈にもほどがあるってもんです。

>素問に精通した粟島先生も、素問では、私の説と同様の陰陽の使い方がされていることを仰っておりました。

天下の粟島先生が「陰が実体で陽が機能」などというトンデモ解釈をするわけがありません。
自説の正当化のために、粟島先生の権威を傷付けるような事を言っちゃいけませんよ。

思い出したのでついでに述べておきますが、
天寿堂さんは、粟島先生が「動物は横気だから経絡は無い」と仰ったのを自説の正当化のために引用することがありますが、粟島先生が仰っりたかったのは、
「動物は横方向に気が走行しているから経絡(“経”は縦線という意味)は存在しないともいえるでしょう。」
ということだろうと思います。

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[2302] 論理とは
愚按亭主 - 2016年08月31日 (水) 10時35分

 せっかく議論が良い方向に進んでいると思っていたのですが・・・。タマゴさんの、統体止揚に向かう議論の方法論の確定を、という要望に応える形での議論になっていたと思うのですが、何の反応もなかったことは、じつに寂しいかぎりです。そればかりでなく、返ってきたタマゴさんの反論はこれまでと打って変わってタマゴさんらしからぬ論理性のなさに唖然といたしました。たとえば、

>矢数先生の解釈は全くもって正しいと思います。
また、この解釈は、
「副交感神経が生体の基礎的活動を主導し、交感神経が環境に応じてそれを(抑制的に)制御している」
という私の考えとも符合しています。
(というより、私の自律神経に対する考え方は、無意識レベルで黄帝内経の記述が反映されたものだと思いますが・・・。)
また、上記の箇所も、素問金匱真言論篇に記載されている
「夫れ人の陰陽を言う時は、則ち外を陽となし内を陰となす、人身の陰陽を言う時は、則ち背を陽となし腹を陰となす、人身の臓腑を言う時は、則ち臓を陰となし腑を陽となす」
即ち、内側腹側(内臓)が陰、外側背側が陽、という東洋医学的身体観の大原則に則っています。
天寿堂さんの「陰が実体で陽が機能」などという恣意的解釈とは何の関係性も見出だせません。
そもそも「実体と機能」は陰と陽のような正反対の概念ではありませんから、無茶な解釈にもほどがあるってもんです。

 論理とは、言葉すなわち表現された文字や音声の共通性ではなく、対象の構造の共通性のことを言います。しかも、論理は体系性を持っていて、それぞれレベルが存在いたします。そのことを分かることが論理を駆使する場合とても重要です。矢数先生は日本語版の序文を書いただけで辞典の本文を書いたのは中国人なのですが、そこに書かれていた陰とは要するに「物質」ということでした。そして楊は「活動」ということでした。これは淡島先生もおっしゃっていたことです。この「物質」そのものの構造的な共通性を表現すると実体となります。論理的に考えるとそうなるのです。これが論理学です。同じように「活動」そのものの構造的な共通性を論理的に表現しますと機能ということになります。

 これを論理のレベルを下げて具体性を付加していきますと、タマゴさんのようなとらえ方も可能となるのです。しかし、引用された
「陽は独立し得ず、陰を得てなる。
陰を主とし、陽はこれを随う。」
は明らかに実体・機能レベルの論理です。また、弁証法における対立物というのは、正反対という意味ではなく、媒介と直接の関係にある対立物のことを言います。さらに加えて言えば、引用された陽と陰はその文章は正反対のものではなく、陰すなわち実体が主で、陽すなわち機能は実体あっての機能なのだということを述べています。

>そういう定義的なところを明確にするのが先だし、それを専門書や論文を調べて明らかにするのは天寿堂さんの仕事です。

 私の仕事は、一般論を武器にして人類がまだ明らかにできていない構造を明らかにすることです。人類が新たな構造を発見するのには二通りの方法があります。一つは、新たな事実を直接に発見することです。もう一つは論理的・理論的に新たな構造を発見し、あとからそれを証明する事実が発見されるという道です。私は後者の道を目指しております。だから、交感神経の一般論からして迷走神経にも交感神経が含まれているはずだと、理論的に断言したのです。それに対して、タマゴさんは、「迷走神経は脳から出ているのだから、未来永劫、交感神経には絶対に分類されません。」と断言したので、必ずしも「絶対に」とは言えないことをうかがわせる一例としてちょうど良かったので引用したまでです。しかし、必ずあとから事実が私の理論的予測を追いかけてくると信じております。

>交感神経と副腎は元々入念に刺激していたのにも関わらず、その最中に癌が発生し転移までしてしまったのですから、これが快方に作用した可能性は低いですよ。

 これは日ごろ事実を確定するのに慎重なタマゴさんにしては、その事実もよく知らないのにずいぶん大胆な断定ですね。その事実を肌身で知っている私が、充分でなかった未熟であったと反省しているにもかかわらず、です。これは、なにがなんでも自分の感情・自分の説を守りたいという感情が強すぎて、論理をゆがめてしまっているためであろうと思います。

 統体止揚のための議論で大事なことは、相手を否定するだけでなく自分自身をも否定できなければ、統体止揚へと向かう議論にはならないという良い教訓をタマゴさん自身が身をもって示してくださっているのだと思います。

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[2303]
タマゴ - 2016年08月31日 (水) 12時38分

>矢数先生は日本語版の序文を書いただけで辞典の本文を書いたのは中国人なのですが、そこに書かれていた陰とは要するに「物質」ということでした。そして楊は「活動」ということでした。これは淡島先生もおっしゃっていたことです。

それは、中国人が書いたということで、現代的中医学的な解釈ということになるのでしょう。
伝統的な東洋医学と現在中国で普及している中医学では決定的に違う点があります。
それは、前者は陰陽五行説という観念論が基礎となっているのに対し、後者はそれを毛沢東の唯物弁証法に基づいて解釈している、ということです。

中医学というのは、清朝末期から中華民国時代にかけて廃れ散逸してしまった伝統的医学を、毛沢東が号令を発して、自身の唯物弁証法をベースに纏め上げさせたものです。
古典的東洋医学と全く同じではない。
まぁ、中医学は中医学で、医学体系としてはなかなか上手く出来ているのですが、
上記の理由ゆえに、古えの医学者が観念論的に考察していた部分まで無理矢理に唯物論的に解釈してしまったきらいがあるのです。

先に、黄帝内経に於ける陰陽論は万物に対するものと身体に対するものがあり両者は関連性を持つ、と述べました。
これは、前者は易経を基に観念論的に考察され、それを身体に当てはめたところ上手く後者として体系化することができた、という順序だと考えられます。
その逆ではありません。

なぜ現代的中医学と天寿堂さんの陰陽の解釈が似ているのかと言えば、両者ともマルクスエンゲルス系の唯物弁証法を理論的基礎としているからです。
中国人は、古典の直接的解釈として陰陽を論じているのではなく、唯物弁証法というフィルターを通して論じているのです。
それと天寿堂さんの陰陽の解釈が同じということは、天寿堂さんも色眼鏡で東洋医学を見ているということなんですよ。
両者が正しいから同じ解釈になったのではなく、同じ色眼鏡を通して見ているから同じ解釈になった、というだけのことです。

古典を素直に読んだら、陰が実体で陽が機能などという唯物弁証法的な解釈は出て来ないんです。
男が実体で女が機能、月が実体で太陽が機能、水が実体で火が機能、
そんな馬鹿げた解釈はありません。
陰陽五行というのはある種の“象徴”なんです。

粟島先生は、中医学にも通暁されていたのかも知れませんが、その解釈を自説の中心に据えておられたとは思えません。
単なる天寿堂さんの誤解だろうと思いますね。

>だから、交感神経の一般論からして迷走神経にも交感神経が含まれているはずだと、理論的に断言したのです。

だから、その「交感神経の一般論」というのが間違っている可能性を考えるべきだと言っているのです。
そんなのは天寿堂さん一人だけの何の客観性も無い仮説に過ぎないんですから。
天寿堂さんのように一般性の無い思考回路の持ち主が独りで作った仮説を自分自身で一般論などと呼ぶのは、単なる思い上がりに過ぎないのですよ。
(自分で書いた)教典にこう書いてあるから間違いないのだ!・・・などと叫んでいる人がいたら変でしょうに。

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[2304]
北のM - 2016年09月01日 (金) 23時40分

(タマゴ様)交感神経と副腎は元々入念に刺激していたのにも関わらず、その最中に癌が発生し転移までしてしまったのですから、これが快方に作用した可能性は低いですよ。

(天寿堂様)これは日ごろ事実を確定するのに慎重なタマゴさんにしては、その事実もよく知らないのにずいぶん大胆な断定ですね。その事実を肌身で知っている私が、充分でなかった未熟であったと反省しているにもかかわらず、です。これは、なにがなんでも自分の感情・自分の説を守りたいという感情が強すぎて、論理をゆがめてしまっているためであろうと思います。

 統体止揚のための議論で大事なことは、相手を否定するだけでなく自分自身をも否定できなければ、統体止揚へと向かう議論にはならないという良い教訓をタマゴさん自身が身をもって示してくださっているのだと思います。

(タマゴ様)...

この線に沿ったご議論の展開を希望します。

Pass

[2305] しばしお休みします
愚按亭主 - 2016年09月03日 (土) 09時41分

 今回のタマゴさんとの議論でとても良い成果を上げることができましたので、それを本にしたいと思います。ということで、いばらく、休戦したいと思います。悪しからずご容赦ください。

 最後に回答し忘れた点について二三述べておきます。

>天寿堂さんは、粟島先生が「動物は横気だから経絡は無い」と仰ったのを自説の正当化のために引用することがありますが、粟島先生が仰っりたかったのは、「動物は横方向に気が走行しているから経絡(“経”は縦線という意味)は存在しないともいえるでしょう。」ということだろうと思います。

 このエピソードは、自説の正当化のために紹介したのではなくそういう面白い事実があったということを言いたかっただけです。ですから、なるほど粟島先生は、安藤昌益を持ち出して否定したのだなと感心したのです。安藤昌益は、人間を縦気、動物を横気、植物を逆気としていました。なぜ植物が逆気なのかといいますと、植物の花は生殖器だとして逆立ちしていると見たのです。

>黄帝内経に於ける陰陽論は万物に対するものと身体に対するものがあり両者は関連性を持つ、と述べました。これは、前者は易経を基に観念論的に考察され、それを身体に当てはめたところ上手く後者として体系化することができた、という順序だと考えられます。
その逆ではありません。

 中国古代の哲学は、表象(論理と事実とが中途半端に未分化の状態)レベルであり、体系としても完全に整備されているわけでもなく、だから陰陽にもいろいろな使い方があると言ったのです。したがって、哲学として完成できませんでした。ですから東洋には個別科学が発展できなかったのです。

 しかし、物質の本体とその働きという区別は当然ありました。だから、そういうことが古典に述べられているのです。それを具体的に取り上げているのに、それに直接に(ここはこういう意味だという形で)反論しないで、つまり、肝心なところは逃げて自分の説に都合の良い形ができたところだけ取り上げるというのは、それこそが南郷学派の唯物弁証法のやり方ですよ。

Pass

[2306] ご著書楽しみにしております
北のM - 2016年09月03日 (土) 11時51分

この「癌治療と<交感神経ー副腎系>の関係について」というスレッドを立ち上げたものとして、お二人のご議論に注目し、たいへん勉強になりました。ありがとうございます。天寿堂様の交感神経理論が、近い将来医学全般の発展に大きく貢献できる日がく来ることを楽しみにしております。

Pass

[2307]
タマゴ - 2016年09月03日 (土) 11時55分

>物質の本体とその働きという区別は当然ありました。

陰陽論の“陰”と“陽”に、“実体”と“機能”や“物質”と“働き”などという非対称の配当はありえませんよ。
例えば、“静止”と“活動”とかだったらあり得ますけれどね。
正反対の意味を持ちつつも互いに補い合い1つの統一された働きを為すのが陰と陽なんですから。

さて、“一般論”について補足しておきたいと思います。
一般論というのは、一般性を持つ論理のことであろうかと思いますが、そうであるなら客観的正確性が必要条件となるはずです。
つまり、自分一人の判断では主観の混じり込む余地を完全に排除することはできませんから、その段階で、自分で自説を「一般論」などと呼ぶのは、単なる驕りに過ぎないのです。
例えば、小保方さん一人が「STAP細胞はあります」と言い張ったって一般論とは認められない。
仮にSTAP細胞が存在したとしても、それが第三者の検証に晒されなければ認められないわけです。
天寿堂さんのやっていることは、現状、小保方さんと大差ありません。

南郷派は、天寿堂さんを「一般論の稲村」とバカにしても、それ以上どこに
論理的な瑕疵があるのかは指摘しませんでした。
しなかったというより、天寿堂さんの一般論の定め方が、南郷派、ひいては師範のそれに則っていたので、指摘できなかったのでしょう。
「アイツの論法はどこかおかしい」と薄々気付いてはいたのでしょうが・・・。
即ち、南郷派には、広く弁証法的議論を行い一般論を措定するという土壌が醸成されていなかった、ということなのだろうと思います。
師範は全集で弟子との激論の必要性を説きながらも、現実には激論どころが、弟子という弟子が悉く師範のイエスマンと化してしまっていた。
これは以前に考察しましたが、おそらく、南郷派(というかそのルーツであるエンゲルスの弁証法)に、三項の論理学が欠如していたためなのでしょう。
つまり、三項の論理学の欠如は、学問の体系だけでなく、組織の在り方にもネガティブな影響を及ぼしてしまっていた可能性が窺えるわけです。

私としては、天寿堂さんには本を書く書かないよりも先ず、天珠塾内に弁証法的議論の場を設けることをしてもらいたい。
例えば、この談論サロンを、天寿堂さんと私だけでなく、御弟子さんにも積極的に参加してもらって、激論を展開する場としてはどうかと思います。
その結果、統体止揚されて産まれてきた論理は「一般論」と呼んで差し支えない次元に達しているはずです。

Pass

[2308] 最後なので正すべきところは正しておきます
愚按亭主 - 2016年09月03日 (土) 16時55分

 最後なので正すべきところは正しておきます。「一般論の稲村」といわれたのは40年近く前の大昔のことです。その意味は、「事実がない」「具体性がない」ということです。しかし、これまでの議論を注意深く読んできていただいた方には、明らかであると思いますが、これまで私は必ず一般論を説くときは、その根拠と具体的な事実を挙げてきました。とくに、自分の治療実践の具体的な事実を挙げてきました。つまり、「一般論の稲村」はとうに卒業しているということです。

 このような事実を目の当たりにしながら、タマゴさんは、昔そう呼ばれていたから、今もその一般性は変わらないはずだという、一般論をもって私を解釈し、私の事実を見ようとしません。これは、まさしく「一般論の稲村」そのものだということです。つまり、「一般論の稲村」はタマゴさんの方だということです。そのとおりに、陰陽の問題も具体的な古典の文章の意味を戦わせることが肝心だと指摘しても、それをしようとしないで「陰陽論の“陰”と“陽”に、“実体”と“機能”や“物質”と“働き”などという非対称の配当はありえませんよ。」という自分勝手な解釈の一般論を振りかざすのみなのです。しかも、この文章は、私が
「陽は独立し得ず、陰を得てなる。
陰を主とし、陽はこれを随う。」
という非対称の古典の具体的な文面を示したあとの話なのです。つまり、私の具体的な指摘を無視して自分勝手な解釈の一般論にしがみついているということです。こういうことを「一般論の某」というのでしょう。ただし、大昔の私はこんなに頑固ではありませんでしたよ。

 また、タマゴさんは、私がかつて「手足のツボはみな交感神経のツボである」という一般論を主張したことについて、討論の過程でタマゴさんからの否定的媒介を経て統体止揚的に修正した事実を、ことあるごとに取り上げています。それ自体は結構なことですが、問題はその取り上げ方です。私が、タマゴさんの否定的媒介と直接に自らを否定的に媒介して自らの理論を発展させた事実を取り上げようとしないで、修正を必要とした一般論を提出したことのみを取り上げて「一般論の稲村」だからこうなのだと批判して、その後の私の発展的な過程的事実を無視していることです。

 そればかりか、タマゴさんは、私から「自らを否定的に媒介して発展的な統体止揚の議論をしましょう」と水を向けられても、自らを否定することができず(自らの誤りを認めることができずーいったい何を怖がっていいるのか?)に、相変わらずの、というより自分を必死に守るために「一般論の稲村」を持ち出しての私のへの攻撃によって躱そうとしているように見えることです。これは、まさに統体止揚の議論とは正反対の議論のしかたです。

 そうであるにもかかわらず、自らは実践できなかった統体止揚の議論をすべきと主張するに及んでは、さすがの私も正直開いた口がふさがりませんでした。かような仕儀でしたから、もはや討論の意味なしと判断せざるを得なくなったのです。しかし、これまでの討論はたしかに意義深いものであったことを、認めるにやぶさかではありませんし、感謝しております。

Pass

[2309]
タマゴ - 2016年09月03日 (土) 19時40分

>これまでの議論を注意深く読んできていただいた方には、明らかであると思いますが、これまで私は必ず一般論を説くときは、その根拠と具体的な事実を挙げてきました。とくに、自分の治療実践の具体的な事実を挙げてきました。つまり、「一般論の稲村」はとうに卒業しているということです。

そうなのでしょうか?
天寿堂さんは具体例を踏まえずに抽象的議論に終始していたことをバカにされたと思っているようですが、
私には、それ以上に、自分一人で定めた一般論モドキをゴリ押しする論法上の瑕疵を非難されていたのではないか・・・という気がするんですけれどね。
まぁ確かにその辺りは推察にすぎませんから、細かい事実関係は南郷派の人に訊いてみなければ分かりませんが、いずれにせよ、天寿堂さんの現在の一般論の定め方と論法では絶対に世間一般から認められないということだけは申しておきます。

>「陽は独立し得ず、陰を得てなる。
陰を主とし、陽はこれを随う。」

この箇所を引用したのは天寿堂さんではなく私ですよ(苦笑)。
まず、身体に於ける陰陽の配当について、素問金匱真言論篇に記載されている大原則として、
「夫れ人の陰陽を言う時は、則ち外を陽となし内を陰となす、人身の陰陽を言う時は、則ち背を陽となし腹を陰となす、人身の臓腑を言う時は、則ち臓を陰となし腑を陽となす」
即ち、内側腹側(内臓)が陰、外側背側が陽という意味の箇所を引用しました。
この原則と関連して、素問調經論篇の
「陽実すれば外熱し、
陽虚すれば外寒す。
陰実すれば内寒し、
陰虚すれば内熱す。」
の記述や、素問陰陽應象大論篇の
「陽は独立し得ず、陰を得てなる。
陰を主とし、陽はこれを随う。」
という身体原理の記述があることを紹介しました。
これは自律神経と身体反応についての西洋医学的考察とも符号するといえるし、それを西洋医学よりも遥か昔に知悉していたからこそ偉大なのです。
中医学や天寿堂さんは口を揃えて実体と機能のことだなどと主張しているようですが、古えの医学者は彼らの観点から陰陽を論じたのであり、そのような唯物論者のフィルターを通した見方ではないのです。
文脈というものを無視して恣意的解釈をすべきではありません。

それから「統体止揚」についてですが、これは所謂「妥協」「予定調和」とは明らかに異なるものです。
ある対象について議論する場合、異なる立場からは異なる姿に見えますから、自然に異なる主張が為され、激しい議論に発展する可能性が生じるでしょう。
しかし、双方が対象の論理性を正しく解き明かそうという意識があるなら、対象は1つなのですから、特に弁証法を知らずとも、自ずと主張も1つへと収束されていくはずです。
(弁証法の原理を知っていれば、よりスムーズに行くと思いますが。)
そうならないのは、一方(或いは双方)が対象の論理性を正しく解き明かすことよりも、自説をゴリ押しすることを優先した場合が考えられます。

私には、天寿堂さんがなんら客観性の無い自説を“一般論”などと呼び絶対視していることが、対象の論理性を正しく解き明かす妨げになっているように強く感じるのです。
対象を対象として見ようとはせず、常に自説を媒介して見ようとする。
その結果、
「手足には交感神経のツボしか無い」
「魚類陸上に上がる際に副腎から交感神経が増設された」
・・・といった誤った一般論モドキが次々と再生産されていったのです。
これはつまり、そこの箇所だけ修正すれば良いという問題ではなく、もっと根本的な思考過程その物の問題だということを意味しています。
そういう悪い癖が直されない限りは、私に限らず誰と議論しても、真の統体止揚など夢のまた夢ですよ。

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[2310] <統体止揚>に必須の<対自的自己否定>
北のM - 2016年09月04日 (火) 11時09分

お二人のご議論を傍から観察させていただいて、以下のような理解に至りました。すなわち、天寿堂様は、相手の<即時的他者否定>をそれが妥当なものであれば、躊躇なく受け入れ、それが<対自的自己否定>となり、それを契機として<統体止揚>した結果、<即且対自的自己肯定>へと認識を発展させてきたということです。別の云い方をすれば、<即時的他者否定>=<対自的自己肯定>のみでは、<対自的自己否定>の契機を得られず、結果として<統体止揚>としての<即且対自的自己肯定>へと認識を発展させていくことができないということだと思います。

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[2311] 絶体精神も間違えることがある
tada - 2016年09月04日 (火) 12時25分

天寿道さん、タマゴさん お疲れ様でした。長い論争も今回 天寿道さんの終結宣言があったようなので 終わりですね。医学・生物学には門外漢ですので コメントは弁証法等の方法論でしか お役にたてませんでしたが、毎日 お二人の論争を拝見することで 刺激を受けていました。大変勉強になりました。
やはり 専門たる分野において 先行諸学説を初めとする事実をしっかりと把握できるものこそが 科学的に仮説をたて 実証・実験し 理論をうちたてることができるという当たり前のことを再認識しました。そして、そのときに必要なる方法論として 弁証法は有効なのか?という疑問が お二人の論争を通じて考えさせられたことです。
常々 弁証法は2種類あると持論していました。全体を大きく把握していく一般性の弁証法。もう一つは 正反合と部分から全体に止揚していく思弁的な弁証法です。結局この二つの弁証法も対象世界の現象をそれぞれトップダウンか ボトムアップかで みる見方にすぎないのです。後者の思弁的弁証法は おわかりのように 科学の思考法が そのまま それに対応できますので ことさら弁証法ということではないと思っています。前者の一般性の弁証法こそが科学に足りない部分なのです。果たして それは既存の科学もしくは思弁的な弁証法にどう影響できるのか?
三浦つとむさんは 「弁証法はどういう科学か」 において弁証法の定義をしています。弁証法は全世界をつながりにおいてとらえることを主張するだけではなく、そのつながりが法則的な構造をもっていることを主張します。その法則性のありかたを追求して、そこから法則をとりだし、これを具体的な物ごとの構造を研究する場合の指針にするのです。(P89)
弁証法は指針であるということです。弁証法があるのではなく 弁証法的な現象があるということです。そういうことから 滝村隆一先生は大きく世界を見たとき 社会とは何かと考えたとき 社会現象がたまたま弁証法的性格をもっていたために 社会を事実から大きく把握すると 社会構成理論として たまたま弁証法的になったということです。そのことが 滝村先生が弁証法を方法論として 歓迎しないことの意味なのです。社会が弁証法的な現象だとわかったからといって すべてがそこでわかるわけではない。そこからはじまるということです。「弁証法はどういう現象か」というとらえ方のほうが良いでしょう。世界は弁証法的存在である。世界は課程の複合体である。このようなとらえ方を研究する科学として存在意義があります。既存科学群を大きく規定するような未踏分野の研究の土台になるということです。
存在意義はあることはわかったとして 有効に機能しているかとの問題です。社会科学に関しては ヘーゲル・マルクス・滝村隆一とそれぞれが社会構成理論を前提にして 宗教学・経済学・政治学において 水準以上の業績をあげたことが実証されていますので 間違いはないでしょう。
生命史観についてです。いのちの歴史の物語においては サルは草食であると規定しています。しかし 動物学の河合雅雄の見解によるとサルの肉食性は普遍的に見られることだそうです。名著「森林がサルを生んだ」が生命史観のタネ本のひとつだと思っていたのでこのことは 長い間心に引っかかることでした。もし肉食性と規定していれば ヒトの暴力性・残酷性がサルゆずりと 国家論に自然科学からの大きな規定を与える可能性をみていたのです。生物は素人の私としてはその辺をどうしたのかといまだに 惜しいと思っています。宇宙論にしてもプラズマ宇宙論・サイクリック宇宙論・定常宇宙論・ビックバン宇宙論のいいとこ取りのような内容です。整合性はあるが どうやって実証できるかが問題です。プレート・テクトニクス論に対しては角田忠雄の熱移送説を採用しています。この説の採用は案外当たっているようです。近年の地学の教科書もスーパープリューム現象を大きく取り上げています。進化論はあきらかに三木成夫がタネ本ですね。「胎児の世界」は名著です。今から思うと三木先生の本こそは 南郷学派が現れる前の 私の生命史観論でした。(その当時は思ってもみませんでしたが)アーサー・ケストラーのホロン革命とかラブロックのガイヤ仮説なんていうのもありましたが やはり三木先生の本が一番面白い。今読み返すと南郷学派の考えそのものではないですか。母乳の味なんかを読むと 南郷学派の食事理論が書いてあります。ヘッケル学説の実証研究もあります。いのちの波にいたってはこの世界の弁証法的現象を文学的に表現しています。ダラダラと書いてしましましたがせっかくの生命史観も 新明解国語辞典ではないですが 親亀こけたらみなこけたにならないように 前提になる先行諸学説の追加の補説 変更に注意しなければなりません。
心に青雲さんに 「ここがロードス島だ ここで跳べ」と言いたかったのですが 個別科学に対しての生命史観の応用とその発表よりも 「親亀こけたら みなこけた」 前提諸学説を 今一度 疑えと忠告しておきます。宗教の教義ではないのですから 個別だろうが一般だろうが 把握した事実を間違えていれば 科学として当然間違っているという話です。(注意 南郷学派が間違っていると言っているのではない。仮に間違えがあればそれを認めて それを叩き台にすればいいだけです。意固地に滝村先生を攻撃する点が不自然なのです。)

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[2312]
タマゴ - 2016年09月06日 (火) 10時46分

>天寿堂様は、相手の<即時的他者否定>をそれが妥当なものであれば、躊躇なく受け入れ、それが<対自的自己否定>となり、それを契機として<統体止揚>した結果、<即且対自的自己肯定>へと認識を発展させてきたということです。

即自的他者否定というのは、私への非難の意味を含んでいそうですね(笑)。
私自身としては、天寿堂さんの提唱する「天珠医学」が南郷派の生命史観を超えるものになって欲しいので、そのお手伝いをしたいという意識で議論に挑んできました。
より高次の精度の高い論理を導き出すためには、天寿堂さんの言う「否定的契機」が必要なはずですから、その役割を買って出ていたというわけです。
そういう役回りは、御弟子さんには難しいでしょうし、現状、天寿堂さんの道友でありライバルでもある私以外には無理だろうと思ったからです。
天寿堂さんも私との議論で成果を感じていたようですから、ま、ある程度は目論見通りに行ったのではないかなと思っています。
それから、天珠塾での弁証法的議論の開始を提唱し、多数意見をぶつけ合って、客観性のある“真の一般論”を措定する機会の端緒をつけることができたことは、かなり意義が大きかったと思います。
これが実際に稼働し始めて上手いこと機能したら、天珠医学が生命史観をアッサリと凌駕していくことになると思いますので。

しかし、天寿堂さんもさすがです。
私が「誤謬製造工場」などと、暴言に近い語を発した時も、自制心を失わずに対応してきたことは天晴れだと思いました。
おそらくですが、議論の大筋としては上手く機能していたので、そういう些末なことはどうでもよいと考えていたのでしょう。
つまり、対峙する相手が、私や震災被災者の方々ような弁証法の素人であっても、その関係の中から必要な論理性だけを抽出する実力が養成されてくると、それ以外の些末なことはあまり気にならなくなってくるのではないかと思います。
(これが青雲さんなら確実にブチギレていたのではないかと思いますが・・・。)

三項の論理を意識して激論を展開することは、実際にやってみて、両者が飛躍的に進歩する契機になるなと実感しました。
ですから、天寿堂さんには早急に弁証法的議論の方法論を纏め上げて、それを天珠塾で実行に移してもらいたいと思っています。
もう弁証法講座も第8回を数え、過去の御弟子さんの中には弁証法の基本技が出来上がり、組手を行えるレベルに達している方もいらっしゃるのではないかと思いますので。

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[2314]
タマゴ - 2016年09月06日 (火) 11時19分

tadaさん、さすがですね。
初登場されてから、アタマの切れる方だなと思っていましたが・・・。

>常々 弁証法は2種類あると持論していました。全体を大きく把握していく一般性の弁証法。もう一つは 正反合と部分から全体に止揚していく思弁的な弁証法です。結局この二つの弁証法も対象世界の現象をそれぞれトップダウンか ボトムアップかで みる見方にすぎないのです。後者の思弁的弁証法は おわかりのように 科学の思考法が そのまま それに対応できますので ことさら弁証法ということではないと思っています。前者の一般性の弁証法こそが科学に足りない部分なのです。

仰る通りだと思います。
ただ、天寿堂さんと弁証法を意識した激論を展開していく中で、後者の弁証法にも何か積極的な意味があるのではないか、という気がしてきました。
いわゆる“定説”と呼ばれるものに対して、敢えて「それは違うと思う」と否定的契機となる意見をぶつけてみることの意義は、どうもあるのではなかろうか・・・ということです。
もちろん、それが統体的契機へと結び付かないようでは、単なる跳ねっ返りに終わってしまい無意味なんですが。

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[2315] 皆さんありがとうございます
愚按亭主 - 2016年09月06日 (火) 11時32分

>北のМさん

 とても素晴らしい総括ですね!感心しました。ありがとうございます。

>tadaさん

 温かく見守っていただきありがとうございます。少しだけ異論を述べさせてください。

 まず第一点は、次の文章についてです。
>常々 弁証法は2種類あると持論していました。全体を大きく把握していく一般性の弁証法。もう一つは 正反合と部分から全体に止揚していく思弁的な弁証法です。

 弁証法に二種類あるというところは同じですが、違うと思いますのは、一般性の弁証法がすなわち思弁的弁証法だというのが、私の見方です。つまり、全体を俯瞰する観念論的な対自的理性の、概念の思弁的運動の弁証法ということです。

 そしてもう一つが、唯物論的な事実の部分的・相対的真理の弁証法です。そしてその両方の統一つまり統体止揚によって形成されるのが本物の弁証法である即自対自の肯定的理性の弁証法です。つまり、絶対的観念論の思弁的弁証法の完成形態ということです。そして、その存在意義は、学問の体系化、学問の真の完成に絶対的に必要不可欠ということです。

 次に南ク学派の生命史観についてですが、親亀こけたら皆こけるようなことはないと思います。というのは、先行学説と生命史観とは相対的独立、つまり別物だということです。もちろん、先行学説はその土台とは言えても、それを批判・検討する中から、独自に生命の本流の発展の論理構造を導き題してきたものですから、次元の違う全くの別物であり、私が常々言っているように、生命史観はヘーゲルの絶対精神の自己運動の一過程の具体化としての意義をもつものだからです。
 

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[2316]
タマゴ - 2016年09月06日 (木) 11時52分

マルクスエンゲルスやその系譜を引く論者の唯物弁証法に三項の論理学が存在しないことは、天寿堂さんとtadaさんが指摘されていた通りなのだろうと思います。
そして、どういうわけか、マルクスエンゲルスの唯物弁証法の系譜を引く国家や組織というのは、一様に、
当初は急速に発展するが在る段階でピタリと発展が止まってしまう。
何故かそういう経過を辿る。
これは、三項の論理学が無いことと無関係ではないような気がしています。
天寿堂さんの論理学を使わせてもらうと、
基礎的契機→否定的契機→統体的契機
という事物の生成発展の道筋が見えていないことにより、極度に否定的意見が出ることを恐れ、それを抑え込むような有形無形の力が働くのではないか、と私は推測しています。
例えば・・・組織の構成員の全員がトップの者のイエスマンと化してしまい、トップの意見を金科玉条として無批判になぞるだけとなってしまったら、どうなるか。
その組織はトップのレベルに合わせて停滞してしまうでしょう。
これは別に南郷派だけを批判しているのてわはなく、世の中の停滞している組織には当てはまるのではないかと思います。

そこで、敢えて否定的契機として、異論を激しくぶつけてみる。
天寿堂さんが師範の弁証法に異を唱えたように。
そして激論の末に両者の主張が統体止揚されたなら、その時には、その組織は一段高いステージに上がっているかも知れない。
しかし、三項の論理学に則った事物の生成発展の過程を知らないと、敢えて否定的契機を起こしてやろうなどという気持ちには、なかやかなりにくいのではないかと思います。

ですから、私は、弁証法(三項の論理学)を積極的に用いることにも、それなりに意味があるのではないか・・・という気がしています。

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[2317] 癌治療と<交感神経ー副腎系>の関係について
神戸だいすき - 2016年09月08日 (木) 07時02分

http://www.smc-immunotherapy.jp/?utm_source=yahoo&utm_medium=cpc&wapr=57d08a77にありますように

>今までの免疫療法は、いかに免疫を活性化させるかというアクセル作用だけを強化していましたが、最後にがん細胞に活性化を抑制され、実際にがんを死滅させることは難しいという結果でした。<

一時期、一世風靡するかに見えた癌の免疫療法=患者の血液中の免疫細胞、NK細胞を増殖させて体内に戻す=この方法なら副作用もないということでもてはやされそうになったのですが、結局、立ち消えになっていきました。
それは、つまり、NK細胞を活性化するだけでは、癌に勝てないという臨症例からだと思います。

私の母は肝臓がんがリンパに転移し、病院に見放された時点で、この自己免疫細胞を賦活させる療法を選択しました。平成18年でした。その時の話では素晴らしい新療法だと思いましたが、実際にうけてみると・・・風邪が治り、食欲が出て、元気にはなったものの、癌細胞はどんどん増殖し、癌には全く効果が見られませんでした。

抗がん剤で弱った免疫力を失った体には、NK細胞は役にはたちましたが、癌はだめでした。

母だけの症例かと思っていましたが、この免疫療法のPRを見て、結局、NK細胞だけでは、癌を殺しきれない、むしろ、最後にはNK細胞が、やられてしまうのだと認識しました。

母の症状を見ていたので、非常に理解しやすいのです。

さて、NK細胞を元気づけるのは「交感神経」だと、聞いています。
交感神経だけを優位にさせるとNK細胞ばかり元気づける、この初期の免疫療法と同じ道をたどることになると私は思います。

弁証法を標榜されるなら、バランスの大事さをお分かりにならないはずはありませんよね。なにごとも、きわどいバランスの上に進んでいくものです。

副交感神経だけでなるものではありませんが、偏った方法は、結局、最後にがん細胞を勝利に導くと私は、考えます。

そして、患者が死んでから気付いてもおそいです。
亭主殿の腕前は、常軌を逸するほどのすごさなのだから、くれぐれも方針を誤らないことが、大事です。

私は、亭主殿の治療がなければ今ここにいない人間ですから。

NK細胞のことは、もう一度、よく見てほしいです。
癌を悪化させることはあってもNKだけでは治りません。
免疫療法業界では周知されたようですよ。

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[2318] なぜ親亀こけても子亀がこけないかは論理と事実との関係の理解が必要
愚按亭主 - 2016年09月08日 (木) 10時10分

 前の親亀こけても大丈夫かの説明は、少し不親切で舌足らずでしたので、若干捕捉させていただきます。これは具体的な事例で見ていただくと分かりやすいと思います。

 タマゴさんとのやりとりで、南ク学派の事実認定に不備があることが分かりました。それは魚類の時代にはまだ副腎は独立した器官として完成していなかったということです。しかしながら、南ク学派の措定した生命史観の副腎が交感神経になったという論理は、いささかも揺らぐことはなく、むしろ、その事実の修正によって、その論理はより正確・精密なものへと発展したという事実を創り出すことができました。

 これは何故かといいますと、その論理は、生命とは何か・ホルモンとは何か・神経とは何かという一般論と様々な事実との統体止揚の結果として生み出された、体系性を本質的構造として持つと同時に、事実を無限に収容可能なパッケージのようなものとして創り出されたものだからです。つまり、大筋は間違うことはなく、次第に事実の詳細がわかるにつれてよりパッケージが厳密なものへと発展していくものだからです。

 これは、絶対的真理が「世界は一にして不動」から次第に内容が豊富化していき、ついには静止体の弁証法から運動体の弁証法へと収斂していったようにです。

>タマゴさん
 素晴らしいですね!おっしゃる通りです。

>神戸だいすきさん
 お珍しい!!さてまずは神戸だいすきさんの誤解を正すところからはじめましょう。

 現代医学では、交感神経のストレスによる亢進は癌を監視・除去するNK細胞の通常業務を抑えることになるという事実を確認しているようです。このこと自体は私も間違ってはいないと思います。問題はここから、短絡的に交感神経は癌を誘発するのを手助けしてしまうと見ていることです。

 現代医学では、交感神経は大食細胞のマクロファージなどの白血球系の免疫細胞の方を統括していて、リンパ球などは副交感神経が統括していると解釈しています。その根拠は、前者には交換神経性のアドレナリン系の受容体があり、後者には副交感神経性のアセチルコリン性の受容体がある、ということのようです。そして、NK細胞は、リンパ球系の免疫細胞に属します。

 ところが、副交感神経に統括されているはずのNK細胞が交感神経の統括も受けて抑制されると現代医学は主張しているのです。論理・理論がなく事実の後追いばかりしているからこういうことになるのです。いや免疫系も交感神経と副交感神経との拮抗的二元支配によってコントロールされているのだ、と強弁してくるのでしょうが、心臓や腸管などのような固定的な器官であれば、神経のみの支配は容易ですが、免疫細胞のように動き回っているものの統括は、副交感神経のような神経のみの統括は不可能です。交感神経ー副腎系のように神経とホルモンの二元支配を縦横に駆使して初めて可能となるものです。したがって、免疫系は交感神経―副腎系による一元的統括が正しいのです。

 問題は、神戸だいすきさんも私の本の原稿を読んで分かっていると思いますが、現代社会は、様々な形でその交感神経ー副腎系をゆがめてしまう要素が非常に大きいので、その中で如何に交感神経ー副腎系を正しく働いてくれるように調整することの難しさが、医療の最大にテーマとなるべきなのです。そこに癌の克服の道も見えてくるはずです。

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[2319]
神戸だいすき - 2016年09月08日 (木) 16時33分

リンパ球が癌を鎮めるという考え方は、小腸の大切さに帰納すると、私は、思います。

そして、リンパ球は小腸で作られる。
だから、リンパ球を元気にするには小腸をあたためるのがいいという考え方がる用です。
なんか、テレビの聞きかじりですけどね。

小腸でリンパ球が作られるのは、小腸が血液をつくる造血の中心であるという思慮なしでは、ありえませんよね。

ということは、天寿堂さんが「造血は骨髄」と決め付けておられる時点で、すべての人体認識が根本的に間違いだと私は思います。

私は、千島学説に組しています。柴さんも同じです。普通に考えたら、もともと腔腸動物だった生き物が、もっとも大切にすべきは腸管であるのは、理の当然。

そこから、すべてが始まればこそ「食は命」なんでしょ?

早く、南郷生命史観かあら、目を覚まされるのがいいと思います。

この全体の構造を抜きにして交感神経や副交感神経の問題はありえません。


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[2320]
タマゴ - 2016年09月08日 (木) 18時40分

天寿堂さん、昨日の青雲ブログの記事は見ましたか?
読んだ人の大半は、ほぼ確実に、
「青雲さん、他人のこと言えるの?」
と思ったでしょう。
かく言う私もその一人です。
しかし、あの記事の内容に一理あるのも事実だと思いますよ。
たぶん、私による天寿堂さんの思考回路に対する指摘を読んで(パクったとまでは言いませんが)共感するところがあったのでしょう。

神戸だいすきさん、おそらく南郷派は交感神経一元支配なんてことは言っていないと思います。
天寿堂さんが一人で言っているだけのようです。
このように、自分一人で勝手に決めた“一般論モドキ”の呪縛に囚われてしまうのが、天寿堂さんの思考過程の恐ろしいところなんです。
なぜ恐ろしいのかと言うと、天寿堂さんは患者さんの身体を預かる立場だからです。
誤った一般論モドキに基づいた治療を施されたら、患者さんの側はたまったもんじゃありません。

但し、私は千島学説に全面的に同意するつもりもありませんけれどね。

Pass

[2321]
tada - 2016年09月08日 (木) 22時05分

天寿道さん に質問です。絶対精神をどう定義しますか?私は宇宙の発生そしてその運動形態には 秩序はかならずあるという確信と考えています。ニュートンもケプラーも宗教的信念が彼らの科学の前提にはありました。神は秩序をもった世界を創造したはずだ。だから 我々はその構造を明らかにできる。アインシュタインも近代人ですが ユダヤ教徒として 神は合理的な世界を作ったと信じていました。光速以上に速いものはないという相対性理論のもとになった考えも 光は神とともにありきという聖書の言葉がその信念の支えになっていたようです。絶対精神も同タイプだと思います。
直観的に仮説はだれでも立てられるのです。一般論でも同じだと思います。物理学(宇宙論)の一般論とは 相対性理論ですね。アインシュタインの場合 科学史家マイケルポラニーが確認したところ 16歳の時にその考えにとりつかれたとのことです。そして それを理論化・実証できたことによって世間でみとめられたということです。一般論を大きな論理性で確立できた。しかし それが本物なのかは すぐにはわからないものです。
例えば いのちの歴史のP196 天変地異によるほ乳類の逃亡進化説はどうでしょうか。ここは今西錦司先生の棲み分け理論を素直に採用するべきでしょう。先行諸学を無視した 参考文献の提示もない本に信頼はありますか?
医学に役立てたいのなら すでにある西成克成先生(三木成夫先生の弟子筋)の学説はどうですか?ここにも生命史観があると思うんです。南郷史観よりも論理的で信頼性もあると思います。

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[2323] 人類の学問の歩み
愚按亭主 - 2016年09月09日 (金) 11時38分

>相対性理論のもとになった考えも 光は神とともにありきという聖書の言葉がその信念の支えになっていたようです。絶対精神も同タイプだと思います。

 滝村先生もそこのところが引っかかって、結局ヘーゲルを信じ切ることができなかった結果、滝村先生の学問も中途半端に終わってしまいました。つまり、これまで何度も指摘してきたように、エンゲルスを批判しながら、ご自身も同じ土俵から抜けきることができなかったのです。

 ところが、「純粋理性批判」の序文にもある通り、カントは宗教的な専制的形而上学を克服して真の形而上学を樹立せんと志して出立し、ヘーゲルがその志を引き継いでついに宗教の手の届かないレベルに学問を引き上げ宗教との完全なる決別を果たしたのです。それは彼の宗教論を見れば一目瞭然です。ですから、彼の絶対精神は宗教的な神ではありません。そこのところをマルクスもエンゲルスも三浦さんも南ク先生も、そして滝村先生すらもが見誤ってしまったのです。そしてずっこけてしまったのです。

 逆説的に言えば、宗教の神は、絶対性を装いながら相対的真理の絶対化に過ぎないもので詐欺的欺瞞ですが、ヘーゲルの絶対精神は、本物の絶対的真理であり宇宙の本質であり、絶対理念は、その宇宙の本質が、論理として体系化され、物質から相対的独立に顕在化して自由に運動できるようになって世界創造を始めることのできる存在なのです。つまり、こちらこそ本物の神なのです。そのことを滝村先生は、ヘーゲルを丸ごと信じることができないで自分のほしいものだけをヘーゲルから学んだために、分からなかったのです。

 つまり、ヘーゲルの説く絶対的真理の弁証法は、世界の本質・本流の発展運動を明らかにするものなのです。ですから、生命史観の論理もそのレベルのものだということが、なかなか分かってもらえないのです。つまり、事実の論理ではないということです。すみわけとかは事実レベルの論理にすぎません。人間へと至る道筋を明らかにする本質・本流の発展構造を論理化する場合には、それらはすべて捨象されてしまうレベルのものなのです。だから、現象的に逃走などとい言葉にごまかされてそこに説かれている論理のレベルがわからないと、こういう事実が説かれていないから駄目だというトンチンカンな批判になってしまうのです。当時の哺乳類の直面した問題は地球自体の疾風怒濤の大変化に加えて氷河期が交互に来襲する気象変化に加えて、内部的にも一大変革が起きていたのです。その結果生まれたのが交感神経ー副腎系なのです。余談ですが、これが人間になって、なぜ次第に退化することになってしまうのか、こそが問題なのに現代医学によって交感神経と副交感神経とのバランスの問題にすり替えられて、正しい対処の道を誤らせられているのが、今の人類の抱えている最大の医療的な問題なのです。



Pass

[2324]
タマゴ - 2016年09月09日 (金) 13時13分

ここはtadaさんが投稿する番なのでしょうが・・・

>ヘーゲルの説く絶対的真理の弁証法は、世界の本質・本流の発展運動を明らかにするものなのです。ですから、生命史観の論理もそのレベルのものだということが、なかなか分かってもらえないのです。

いわゆる“生命史観”というものは、大雑把に言えば、南郷派がマルクスエンゲルスの系譜を引く弁証法と生物学・進化学を総合浸透させて作ったものでしょう。
私は南郷派の「いのちの歴史」を読んでみて、マルクスエンゲルス系の唯物弁証法の用語で説明されているだけで、言っていることは普通だなと思いました。
傍流の学説を採用している箇所はありますが、精々その程度のことで、別に現代生物学を真っ向から否定しているわけではない。
例えば、天寿堂さんは、両生類から哺乳類への進化は南郷学派が現代生物学を覆した偉大な発見だ!・・・などと盛んに述べていましたが、
実は、それはとうの昔に生物学の定説だった、という目も当てられない酷いオチでした。
というか、「いのちの歴史」にも南郷派独自の発見だなどとは全く書かれていない。
そもそも、南郷派の学者の方々も一般的な生物学会に所属しているわけで、そこから排除されずに普通に活動できているのは何故なのか、少し考えてみたら分かると思います。

南郷派の生命史観に何か独自性があるとしたら、生物学・進化学をマルクスエンゲルス系の唯物弁証法で一貫して説明したことと言ってよい。
要するに、南郷派は、生命の歴史を題材としてマルクスエンゲルス系の唯物弁証法の正しさを証明したかったのでしょう。
ほら、史上最高の南郷先生の唯物弁証法であらゆる事象を完璧に説明できるんだよ・・・ということなのだろうと思います。

天寿堂さんの主張がおかしいのは、
このマルクスエンゲルス系の唯物弁証法と現代生物学がズドンと貫かれている南郷派の生命史観をそのまま受け入れながら、
一方で唯物弁証法と現代生物学を躍起になって叩いていることです。
南郷派もいずれ自律神経について何か発表するでしょうが、これまでに交感神経一元支配など主張していないし、これからも主張しないと思います。

その時、生命史観にベッタリ依拠している天寿堂さんはどうするのでしょうか?

Pass

[2325]
神戸だいすき - 2016年09月09日 (土) 19時08分

そうなんよ。
私は、タマゴさんのおっしゃることに賛成です。

南郷学派の生命史観の説明も、そのとおりです。
単に、なんでもかんでもにマルクス史観を投げ込んだだけです。

どうして、このことが、天寿堂さんにわからないかな?

タマゴさん、造血は「小腸です」

Pass

[2333]
tada - 2016年09月11日 (日) 16時54分

タマゴさん 精力的に書いていますね。2324投稿 ありがとうございます。私のほうはあまり 文章書きが速くないので ゆっくりと書かせてもらっています。内容としても 未だに考えは成就せず 天寿堂さんの絶対真理の弁証法の前では 科学の無力性を感じているばかりです(笑)。
生命史観の論理性はよくわかっているつもりでした。南郷学派の狼に育てられた子供の話と同じです。この話は今ではフィクション 作り話と言われています。ここを論理的にとらえて 狼のような親に育てられた子供の寓話として とらえれば 問題はないのです。それがなぜか南郷学派は実録のような書きっぷりで 人間は人間として教育されてはじめて人間になるという この論理性が伝えれば 事実関係は問題なしということですませているのが 気になるのです。
事実レベルは気にしなくても 論理性が伝えれば良い。おかしいと思いませんか?サルは草食だから カッーとしない だから 認識を育てることができた。人間は家と衣服を持ったので 毛皮がなくなってきている。事実から論理への飛躍が大きいのではないでしょうか?私なら 実証されていないことを論理化し断定するのは 怖くてとてもできないことです。
天寿堂さん 棲み分け理論を事実レベルと切り捨てるのは 無理です。歴とした論理です。進化の本流を歩まずに 現在も生き延びてきた各「種社会」を捉えるためには必要な概念です。地球系からの規定 種社会としての規定 生態系としての規定 この三項の論理を生命史観は持つべきです。 
絶対精神の説明ありがとうございます。やはり考えていたとおりでした。神を信じることと宇宙の秩序を信じることは 論理的には結果 同じことです。天寿堂さんの思考方法は 一般人が大局観と言っているものと同じです。天寿堂さんの思考方法を考えるといつもエコノミストの長谷川慶太郎を想起していました。現在の長谷川氏の大局観はデフレという大きな流れで世界を読むこと。個別の事実では間違いはありますが 全体でみるとウソは言っていない あきらかに納得いく世界が描けています。だから 読者も多いのでしょう。 

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