カウンター 「武道哲学講義第三巻」を論ず - 談論サロン天珠道
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[2228] 「武道哲学講義第三巻」を論ず
愚按亭主 - 2016年07月25日 (月) 16時49分

 南ク先生の近著「武道哲学講義第三巻」を読みました。隙だらけであった第一巻・第二巻に比べて、隙のない完璧な論理展開で、しかも論理の深化がいたるところで見られ、久しぶりに先生の気魄のこもった文章に接することがっできました。さながら昔の南ク先生が数段レベルアップして復活したかのようです。おそらくは唯物論の立場からする最高傑作であると思います。

 それは謙虚に認めつつも、それでも私には不満が残り、疑問が渦巻き、反論したくなります。そして、これが唯物論の限界なのだとはっきりとあらためて感じました。ヘーゲルやディーツゲンは、学問を体系化するためには、現実的立場(唯物論ー愚按)から離れて自由にならなければならないと、言っています。私が、二人がそう言っていることを知ったのは、皮肉なことに南ク先生が引用された文中にそれがあったからです。ですから、私は、南ク先生がここをどう読んだのかとても不思議に思いました。このことは以前にも指摘しておいたのですが、相変わらず唯物論から離れられないでいらっしゃるということは、お耳に届かなかったのか・・・・・・。

 じつはこの自由になるということが、絶対的観念論の立場に立つということなのです。これは矛盾しているように見えますが、絶対的観念論の立場に立つとは、唯物論と観念論という対立を超越して観念が自由に運動できるようになるということなのです。南ク先生は、唯物論から自由になれなかったために、唯物論の著作としては完ぺきな形で大成功を収めたのですが、学問的著作としては大失敗に終わってしまったのです。

 私が、この「第三巻」に不満を感じた点は、私がこれまで批判してきた中の最も肝心な点に、応えてくださっていない点です。それは一体何かと言いますと、真理の体系の根本的転換をなすべきことをこれまで主張してきました。それがどういう転換かといいますと、エンゲルスの唯物弁証法では、相対的真理こそが根本的・学問的であって絶対的真理は観念論者の妄想に過ぎないと否定し、その弟子の三浦さんが、ぞの否定された絶対的真理を、相対的真理の体系の中の真理の性質が変化しない部分に絶対的真理という用語を使おうという形で巧妙に復活させ、それが南ク学派にそのまま何の検証もされずに受け継がれていることに対して、根本的な変革を要求していたのです。すなわち、絶対的真理こそが根本的で、相対的真理の方は、その構造に過ぎない、と主張していたのです。私はこの学の土台となる真理の体系の根本的な転換をなしたところ、見える風景が一変し、ヘーゲルの言わんとすることがよく見えるようになりました。と同時に南ク先生の足りないところも見えるようになってしまったのです。それほど、この真理の体系はとても重要なことなのです。

 「第三巻」では、たしかにこのエンゲルスの絶対的真理否定論を取り上げて批判されていますが、妄想として簡単に切り捨てるのではなくその中身を吟味して取り入れなければならない、とするだけで、エンゲルスおよび自らの相対的真理の体系そのものに対する検証は一切なされていないのです。

 その結果はどういう形で現れたかと言いますと、相変わらずというべきか、この「第三巻」にも、学問の歴史・弁証法の歴史に不可欠な絶対的真理の系譜と相対的真理の系譜との二重構造が説かれないままなのです。この区別ができていないために、南ク先生が説く「学一般」がじつは、悟性レベルの個別科学一般に過ぎないことに気づかないということになってしまうのです。たとえば、森全体とその中の個々の木というたとえで言えば、南ク先生は、個々の木から導き出した論理全体を一般化すれば「学一般」が導き出せるとされていますが、それはあくまでも「木一般」であって、「森一般」にはならない、ということです。「森一般」は、はじめから「森一般」として論理化されなければならない、ということです。そして、人類の学問の歴史には、それが歴然と存在しているのに、どうしてそれを素直に見ることができないのか?と思います。それを邪魔しているのが唯物論なのです。だから、自由になれとヘーゲルもディーツゲンも言っているのです。

 次に、私が驚き・あきれ・不満に思ったことは、「即自」と「対自」の育児的説明です。南ク先生は、「精神現象学」の「序論」批判のところで、シェリングに対するヘーゲルの批判を学問的でないとけなしています。そういう批判をされた同じ方とは到底思えない学問的でない説明で終わってしまっています。まるで、できるだけ触れたくないかのようです。というのは、生命の歴史を学問的に解き明かし、認識学も学問的に構築しているのにも関わらず、つまり学問的に説く実力は充分にあるにもかかわらず。育児的説明で済ませてしまっている理由があるのではないか、と勘繰りたくなる内容だからです。

 私がなぜここに拘るのかと言いますと、南ク学派がなぜか無視している、ヘーゲルの学問形成の重要な三項の論理である≪即自的悟性≫ー≪対自的否定的弁証法的理性≫ー≪即自対自的肯定的弁証法的理性≫を構成する重要な概念であるからです。そういう重要な概念であるものを、育児的説明ですませてしまって、学問的に説こうとしていないことが、とても不自然に感じるからです。それも、前のところで学問的に説いていないと痛烈に批判しているだけに、余計にそう感じてしまうのです。

 では「即自」と「対自」を学問的に説明するとしたならば、どうなるのでしょうか?
「即自」とは、動物時代の本能の一部としてその統括下にあった認識を受け継ぐもので、現実の自分の位置で回りの環境的事象を感性的に受け止める認識を基礎とするものです。つまり、事実と直接に接してそこから認識の発展を図るものですから必然的に唯物論の立場に立つ認識といえます。他方。
「対自」とは、人類の誕生とともに新たに生まれた認識で、現実的な立場から離れて自由に運動できる認識を言います。したがって、この認識は、現実の自分を離れて自分を客観的に見ることのできるもう一人の自分という意味で「対自」あるいは「向自」と表現されようになったのだと思います。この認識の良いところは、自由にその形を変えることができることです。つまり、神になったり、論理になったり、それが体系化して理論になったりできるのです。ここから、この認識が理性的認識と呼ばれるようになったと思われます。また、未来の自分の像を創り出してそこに向かう感情を喚起して意志を形成できるのも、この認識のおかげといっても過言ではなりません。そういう意味で、とても人間的な認識なのです。この認識は、人間がそうして創り出した観念を基礎とするものですから、必然的に観念論となります。

 したがって、弁証法はまず、観念論として、対自的否定的弁証法的理性として生まれます。その端緒を切り開いたのが、現象的なあり方を否定したパルメニデスの「世界は一にして不動」であり、ゼノンの「飛んでいる矢は止まっている」です。

 ところが、南ク先生の説く弁証法の歴史にあっては、アリストテレスやヘーゲルもその始祖として認めているパルメニデスやゼノンが、弁証法の発展の歴史に位置付けられずに、単なる欠片として脇に追いやられたばかりでなく、あろうことか弁証法の歴史に残すべき何の業績も残していないソクラテスが始祖の位置を占めるという、びっくり仰天の人事異動がなされているのです。そして、これが観念論を排して事実に直接あたって導き出した結論なのだそうです。これは、まさに唯物論では観念論的な弁証法の歴史を解くことができない、という事実を物語るものに他なりません。

 次に大きな疑問を感じたのが、「絶対精神」と「概念」および「絶対理念」の区別と連関に対する、南ク先生の説明です。南ク先生は、「絶対精神」については非常に詳しく、かつ見事な説明をしていますが、「概念」や「絶対理念」についての説明はほとんどありません。「概念」についてわずかに、「絶対精神」が主体性をもつと「概念」になると述べているだけです。「絶対精神」をあれだけ詳しく説明していながら、どうして「概念」になるとこんなそっけない説明なのか?しかも、「絶対理念」に至っては全く触れようともしていません。このコントラストは、いったい何を意味するのでしょうか?「絶対精神」が主体性を持つとどうして「概念」になるのか?この説明だけで分かる者は、ほとんどいないと思います。ですから、それについて説明しなければならないはずであるのに、どうしたわけかそれがありません。こういう事実を見ると、私は、どうしても南ク先生ご自身が分かっていらっしゃらないのではないかと勘繰りたくなります。と、言うよりむしろ、感情的に分かりたくないのかも知れません。なぜなら、これを説明するためには、非常に観念論的な説明をしなければなりません。それが唯物論を徹底させようとしている南ク先生には耐えがたいのではないか、という気がします。

 南ク先生は、唯物論でも観念的に二重化すれば、観念論が分かるとおっしゃっていますが、わたしにはどうしてもそのようにはお見受けできません。というのはその結果としての観念論の説明が、唯物論の側から見た観念論でしかなく、本気の観念論にはどうしても感じられないからです。つまり、完全に唯物論を否定できていない、つまり、自由になれていない、だから「概念」や「絶対理念」には観念的に二重化できない、感情が許さない、だから分からないのだと思います。ということは、つまり、南ク先生は、ヘーゲルの絶対精神の自己運動を見事に説いて見せていながら、じつは本当の意味では分かっていらっしゃらないのではないか、という疑念が生じます。

 南ク先生が、絶対精神の自己運動を見事に説くことができたのは、生命の本流の歴史を措定したからだと思います。しかし、絶対精神の自己運動は、そこまでで人類が誕生してからは、絶対精神が次第に「概念」へと転生していって、「絶対理念」を目指すことになります。ここからの過程は、唯物論では対応できないので、南ク先生は「概念」と「絶対理念」について説くことができないのです。ということは何を意味するかと言いますと、唯物論では国家・社会の弁証法・精神の弁証法は解けない、ということです。

 その通りに、生命の歴史を解いたわれわれのみが人類の歴史・国家・社会の歴史・精神の歴史を弁証法的に解けると豪語してから、十年になりますが、一向にその成果が出てきていないのが、現実です。十年前にその方法として主に挙げられていたのが、場所の変更が脳の発展をもたらす”という生命の歴史を解く中で導き出した論理です。しかしながら、これで人類の本流の歴史の論理が出てくるわけがありません。

 生命の歴史は、生命が単細胞の段階からその最高形態である人類へと至る本流の歩みの論理でした。では、その後の人類の歴史の場合は、その本流とは一体いかなるものでしょうか?人類が動物的な本能的生存をやめたのは、学問を新たな本能とするためでした。したがって、人類の本流とは、人類が学問の最高形態である絶対理念となって世界を創造する段階へ向けての歩みを進めている人類が、すなわち人類の本流となります。

 人類の歴史において、その精神の本流が最初にほとばしり出て、人類の歴史に燦然と輝く一番星となったのが、アレキサンダー大王による東欧・中近東・西アジアの学問による世界の統一です。どういうことかと言いますと、そのアレキサンダー大王を教育し育てたのが、『形而上学』という静止体の弁証法の完成者にして、ギリシャ哲学の完成者であるアリストテレスですが、アレキサンダーは、師匠のアリストテレスが学問の世界を統一したように、その師の精神・学問をもって現実世界を統一したのです。ですから彼は、それまでの征服者とはうって違って、征服した地を奴隷化しようとはせずに師の学問でもって教化し、その地を学問の王国としようとしたのです。だから、奴隷として戦わされるのではなく、われらが理想の王国のために戦ったからこそ、故国から遠く離れた地でも、多くの現地人で構成された彼の軍隊は強かったのです。そして、彼は自らもその地の姫を嫁にして積極的融和を図った結果として、東西の文化が融合した新たなヘレニズム文化が生れることになったのです。これは人類史上稀有な事例であり、精神の本流の最初のほとばしりにふさわしい偉業です。

 さらに、それが本流である証は、その後の歩みを見ると一目瞭然となります。まず、その地にギリシャ哲学が根付いて、イスラム教という強大な宗教を生み出すことになります。そして、そのイスラム教とキリスト教とが対立・抗争をする過程で、イスラム圏に温存されていたギリシャ哲学が、キリスト教世界へと逆輸入されるという事も起きたのです。そして、それが、キリスト教神学を大きく発展させたばかりでなく、このキリスト教神学を土壌として、西欧の地に個別科学が誕生することになったのです。このように、精神の本流が、みごとに近代へとつながっていったのです。

 かくして西欧社会は、その勃興した個別科学という学問に導かれて産業革命がおこり、大量生産によって商品経済も活発化して物質的生活の生産も著しく豊かに発展していって、他の世界を圧倒していくことになるのです。そして、その飛躍した生産力もった西欧諸国は、原料の生産地となる植民地を求めて世界各地で、植民地獲得競争を繰り広げる帝国主義全盛の時代になっていき、第一次・第二次と続けて世界中を巻き込む大戦争を引き起こすことになったのです。

 しかしながら、この精神の本流には大きな問題が生じておりました。それは、この過程で、西欧社会の中で遅れていたドイツにおいてカントとヘーゲルという偉大な哲学が学問の冠石となる弁証法を完成させて、絶対理念へと至る道を学問的に解明したのですが、宗教と同じ観念論だとして、学問の冠石としての地位を追われてしまったことです。以後の人類の精神生活は羅針盤を失って迷走的発展を遂げていくことになります。、以上が、近代から現代へと向かう精神の本流の大雑把な流れです。

 そして現在、人類の本流はどこにあるか?それは日本です。日本に本物の学問が息づいて、絶対理念への道が切り開かれようとしているからです。このような本流の歩みを見てみると、確かに場所の変更が精神の大きな発展をもたらしてきた現実を見ることが可能となるのです。しかしながら、唯物論では逆立ちしてもこういう解き方はできないのです。だから、学問は、自由な立場でないと出来上がらないのです。

Pass

[2229] なぜ唯物論だけでは思想性・精神性が堕落してしまうのか?
愚按亭主 - 2016年07月27日 (水) 10時26分

 前回は、唯物論では生命の歴史は解けても、人類の歴史は解けないと主張している私が、その証拠として、生命の歴史の論理で人類の歴史も解けると豪語したにもかかわらず十年たっても解けていない南ク学派の現実を指摘し、それに対比する形で、絶対的観念論ではいとも簡単にその糸口が見えてくることを示しておきました。今回は、もう一つの気になること・問題である、南ク学派は、その唯物弁証法のゆえに、ギリシャ哲学やヘーゲルを、その精神性を見誤って馬鹿にしてしまっている現実、そして、そのことが巡り巡って己自身をも堕落させてしまっている現実が存在すること、について検討していきたいと思います。

 まず、なぜ唯物論だけでは思想性・精神性が堕落してしまうのか?について結論から述べるならば、唯物論は動物性であるのに対し、観念論は人間性・精神性であるから、観念論を否定することは、人間性・精神性を否定することになるからです。このことは歴史が証明しています。学問の世界でヘーゲル哲学が否定され、唯物論的な個別科学全盛の時代を迎えると、次第に精神性のレベルが落ちて行って、老いも若きも最新のゲーム・ポケモンGoに夢中になることが社会現象になるまでに落ちてしまっている現実が、その一例となるでしょう。

 唯物弁証法では、物質的生活の生産が歴史の原動力として位置づけられ、精神的生活の生産も、この物質的生活の生産に規定されることになります。したがって、すべてはこの物質的生活の生産の事実をよく見てその実態を正確に把握することが重要である、としてギリシャ哲学の実態をあぶりだして、使われている言葉の現代に比しての幼稚性、形式の不備などを明らかにして、その形式の幼稚性から内容までも大したことはないと決めつけて、馬鹿にするようになります。

 一方ヘーゲルは、絶対理念へと向かう精神の歩みと位置付けて、その内容から精神性を汲みとります。だから人類の学問の歩みがしっかりと二重構造として見えてくるのです。

 ところが、観念論を認めない唯物論では、そもそも絶対的真理を認めないのですから、観念論によって絶対的真理として誕生させられ、発展させられた弁証法の生い立ちを、素直に認めることができないのです。だから、パルメニデスやゼノンという本物の立役者を隅に追いやって、絶対的真理の弁証法の形成にはほとんど関係のないソクラテスを始祖として遇するというとんでもない愚をやってのけることになるのです。

 同じようにヘーゲルの「精神現象学」がなぜあのように分かりにくい文体になったのかを唯物論的に解明して見せたのはよかったのですが、そこからヘーゲルもこのように世俗的なのだと馬鹿にする方向に行ってしまって、その内容も大したことないと決めつけて、まともに吟味しようとしていないのです。

 どういうことかと言いますと、その当時のヘーゲルは、新しい弁証法の感触をつかんで大きく世界が広がり始めたところだったのです。だから、南ク先生がおっしゃるように、まだそれを端的に表現できないもどかしさが存在していた、と思われます。自分はこのようにその凄さを感じているのにどうして分からないのか!というもどかしさです。ところが、南ク先生は、そのヘーゲルの言う「新しい弁証法」の方には目もくれず、シェリングに袖にされたことへの怒りレベルに、つまり世俗レベルに矮小化してしまったのです。

 これには、「精神現象学」の本文が南ク先生にはさっぱり分からなかったことも影響しているのだろうと思います。だから、「序文」の方しか価値がないと切り捨てられ、大した内容でないからヘーゲルも世俗レベルなのだと決めつけてしまったのだと思います。

 ではそのヘーゲルの言う「新しい弁証法」とは何かと言いますと、アリストテレス以来の古い静止体の弁証法を、否定的媒介を通じて、新しい運動体の弁証法を創り上げたということです。そして、その過程は、古い静止体の弁証法の形式を〈判断破壊〉という強力なハンマーで破壊することを通じて成し遂げられたのです。そして何よりも肝心なことは、「精神現象学」はその一環なのだということです。だから分かりにくいのです。そもそもの題名である「精神現象学」のその意味は何でしょうか?しかし、南ク先生はその解題をしていないので、あえて私がするとすれば以下のようになります。すなわち、即自的悟性レベルの判断を否定・破壊することによって、概念レベルの運動体の絶対精神を現象させるという意味なのです。だから、本文の内容は否定・否定のオンパレードなのです。これがすなわち概念化の労苦の本当の意味なのです。

 かくしてヘーゲルは、絶対的真理レベルの運動体の弁証法の論理・概念を浮上させることができたから、その絶対的真理レベルの「大論理学」書いたのです。だから、この順序は体系として正当です。これに対して、南ク先生は、この順番は間違いで、だからヘーゲルは体系化に失敗したのだ、とまで断じています。そして、その「大論理学」に関しても「有論」のおそまつさを挙げています。「大論理学」は絶対的真理の概念論レベルの論理を論じるものですから、それを批判する場合、そのような些末の問題を取り上げるべきではなく、真正面から概念論レベルの論理を俎上に上げなければ、正当な批判とはなりません。ところが、とにかく何かまずい点を指摘しなければとて、何とか見つけた「有論」を取り上げたとしか思えません。これでは、「大論理学」とは何かが全く分かっていないことを自ら吐露したようなものです。つまり、ヘーゲルは体系化に失敗したのではなく、南ク先生の方がヘーゲルの体系を理解できなかっただけなのです。そして、その大本の原因が唯物論であり、唯物弁証法なのです。

 最後に、プラトンの「学問の冠石」について、感情レベルで中身がなにもない、と批判しながら、それを説いた者は、まだ誰もいないとした上で、それを説かれるのかと期待して読み進めると、案に相違して、まったく要領が得ないままに終わっています。しかし、誰も説いていないのは、あまりにも自明すぎて説いていないだけで、絶対的真理を追究する哲学がすなわち学問の冠石なのであって、当たり前のことだったからです。しかし、絶対的真理を否定してしまった唯物弁証法ではそれを説きようがないので、南ク先生はそれをどう説いたらよいのかと四苦八苦っしているだけなのです。

 以上のように絶対的真理を否定し、観念論を否定して、真理の体系を歪めてしまった唯物弁証法の弊害は、もはや覆うべくもなく何よりも問題は、唯物論は人間の精神・思想性を堕落させてしまうという深刻な弊害があることが明白になったことです。
 
 

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[2230]
タマゴ - 2016年07月27日 (木) 10時52分

このスレッドの天寿堂さんの論考に異論は無いのですが、まだtadaさんも指摘されていた
「南郷派に三項の論理学が無いことの弊害」
については言及されていません。
(これから言及するところでしたらスミマセン)
これを是非お願いします。

Pass

[2231] 巨星になり損ねた論を弁ず
愚按亭主 - 2016年07月28日 (木) 13時15分

 唯物論がなぜ動物性で、観念論がなぜ人間性なのか、についての説明が足りなかったので、その補足説明から入りたいと思います。唯物論は、環境的事実に立脚した動物の認識の立場であり、人間の認識の即自的な部分がそれを受け継いでいることは前回指摘したとおりです。この認識はまず対象があってそれを感性的な形で反映するものであり、その意味で受動的であるのは、動物が受動的なのと同一の構造です。

 では、観念論はどうかといいますと、事実を起点とする唯物論と違って、観念論は、現実とは相対的独立に運動する観念を起点とするので、その観念に現実が近づくように要求する主体性・能動性が生まれる基盤となります。つまり、人間の目的意識は観念論だということです。また、本質から論理と事実の連環を解き起こしていくことも観念論です。人間は論理を駆使して言葉をあやつりコミュニケーションをとりますから、これも論理すなわち観念主体の観念論です。だから、観念論は人間的なのです。人間は、事実にもとづかない物語を作り、嘘をつきます。ですから、学問をする場合注意しなければならないことは言うまでもありませんが、そういうことを含めて、観念論は人間的なのです。

 ここからが本題です。「武道哲学講義第三巻」では滝村先生を「弁証法を捨てたのに、一般的論理を使って解こうとしている、これは矛盾している。」と批判しています。つまり、弁証法とはそもそも一般論の行使である。ところが、弁証法を捨てたといいながら一般論(弁証法)を行使している。おかしいではないか!というわけです。

 しかし、これは正確ではありません。なぜなら、滝村先生が捨てたのは学問の体系化に役立たないエンゲルスの弁証法を捨てたのであって、弁証法を捨てたのではありません。ところが、南ク先生はエンゲルスの弁証法を本物だと思っているから、滝村先生のいうことが分からず、弁証法を捨てたとなってしまうのです。だから、滝村先生は本物の弁証法を求めて十年かけて、ヘーゲルの弁証法を学びなおしたのです。そして、とうとう学問の体系化に必須な概念の弁証法をものにしただけでなく、静止体の弁証法の論理学である形式論理学の三段論法から、運動体の弁証法の論理学の核となる三項の論理がいかなる形で形成されていったのかの、論理学の発展の過程的構造を人類史上初めて解明し、その新たに修得した概念の弁証法によって自らの国家論をリニューアルして、それを「国家論大綱第二巻」に収めたのです。

 この歴史的快挙を「国家論大綱第二巻」を読みもしないで、「巨星になりそこねた」と不当に貶めようとする人物が現れました。どう批判しているのか興味がありましたので、仔細にその批判の中身を眺めてみますと、滝村先生がなした精神的な営みそのものが人類の学問の歴史にどのような意味・意義があるのかということを真正面から検討したものではなく、その物質的な生活の生産のあり方を、人の噂などから勝手に想像してそのような態度で生み出された弁証法など大したことはない、と批判しているだけなのです。まさに唯物論者の面目躍如たるものがあります。

 とりわけ、滝村先生が南郷先生の成功を妬み嫉妬した、というくだりには開いた口がしばらくふさがりませんでした。これは、まさに自分の他人化ならぬ自分の自分化といえるもので、自分自身を相手に投影して創った(自分が滝村氏だったらおそらく嫉妬するという)虚像を本物と信じて、巨星などといってもそんなものだと馬鹿にして、世間的に巨星とみられている存在を、こうしてバカにできる自分自身の存在をより大きく感じて満足しているようにも見えます。

 私にはよくわかります。滝村先生は本物の弁証法を求めてヘーゲルの弁証法と真剣に取り組んでいたのであり、そんな暇はなかったはずです。それよりも何よりも、滝村先生が南郷先生に対して、エンゲルスの弁証法のダメさかげんが分からないかわいそうな人とは思う可能性があっても、嫉妬する可能性などまたくあり得ない話だからです。しかし、エンゲルスの弁証法が本物だと思っている人たちにとっては、滝村先生の批判は妬みから言いがかりをつけているとしか解釈のしようがないのかもしれません。

 その滝村先生への批判、すなわち自分が組織をもって統括する経験を持たなかったから駄目だという批判は、これから国家論を創ろうとする者に対する初心者レベルに対してのみ効力を発揮するものであって、すでに国家論を構築した大学者にして弁証法の達人に対しては、何の批判にもなるものではありません。

>人類は〈生命の歴史〉の過程で誕生し、発展してきている。その人類は誕生したときから国家を形成せずには存在できなかったのだから、言うなれば統括のありようの大きな論理は、〈生命の歴史〉から続いているというか、同じなのである。
 国家がわかるためには組織を創って統括してみなければわからないし、同様に〈生命の歴史〉もまた、組織を創って統括してみなければ解けないのである。
 南ク学派の〈生命の歴史〉を「テーゼ」とするなら、滝村国家論は「アンチテーゼ」であって、次は誰が「ジンテーゼ」を確立するか…とか言っている向きがあるようだが、それは大外れである。


 弁証法の達人は、現実の政治的事象から論理を導き出し、かつまた、他人げ感じ取った論理から逆に自由に事実を引き出すことができるので、いちいち自分で組織を持たずとも本を精査することで十分に国家論を構築することが可能です。むしろ、国家とは比べ物にならない小さな組織を率いる体験よりも、国家にかかわる詳細な研究を丹念に精査することの方が国家論構築には直接役立つものであるはずです。その生きた見本が滝村先生です。滝村先生はそうやって誰も解くことができなかった国家論を見事に打ち立てたのです。滝村先生は、国家を自然成長的に生まれた社会の目的意識的な組織化である、と喝破しています。したがって、生命の歴史とは同じであって同じでない画然とした区別があります。ここが分かっていないから、生命の歴史で国家論が解けるなどとうそぶけるのです。

 また、上に引用した文章には、私の三項の論理に対する批判のようなものがありますが、その批判は全く私の言わんとしていることが分かっていないので、ここで正しておきたいと思います。まずお断りしておきますが、私は、ここでは南ク学派の「生命の歴史」をとりあげておりません。取り上げているのは相対的真理レベルの弁証法であり、それによって体系化された個別科学をあげています。なぜ、「生命の歴史」俎上にを上げないのかといいますと、「生命の歴史」は微妙な位置づけのものだからです。どういうことかと言いますと、「生命の歴史」は絶対精神の自己運動の一環と位置付けられうるもので、絶対的真理レベルのものだからです。だから、南ク学派がこの「生命の歴史」を機に相対的真理レベルの弁証法を克服できるかと期待したのですが、残念ながら期待外れに終わっただけでなく、それを活かしきれていないので現実です。では、本当のところはどうか?実際に私がどう述べておいたのか、をもう一度見てみましょう。

> 私は、南郷学派の弁証法を即時的弁証法的悟性と規定しております。それをヘーゲルの規定に基づいて私なりに弁証法の歴史の中に位置づけてみますと、次のようになります。
〈ギリシャ哲学の時代ー静止体の弁証法の成立期)物質的には無機物の段階
基礎的契機:抽象的悟性(イオニア自然学)
否定的契機:否定的理性・弁証法のはじまり(パルメニデス・ゼノン)
統体的契機:肯定的理性・統体思弁(プラトン・アリストテレス)
〈ドイツ哲学の時代ー運動体の弁証法の成立期)物質的には有機物・生命の段階
基礎的契機:即自的悟性(個別科学の勃興)
否定的契機:対自的否定的弁証法的理性(カント)
統体的契機:即自対自的肯定的弁証法的理性(ヘーゲル)
〈日本における学問の完成期〉絶対理念の完成段階
基礎的契機:即自的弁証法的悟性(南郷継正・個別科学の体系化の開始)
否定的契機:対自的否定的弁証法的理性(滝村隆一)
統体的契機:即自対自的肯定的弁証法的理性( ? )

 ここで、私がなぜ滝村先生を対自的否定的弁証法的理性としたかは、滝村先生が概念の弁証法の論理学を再措定して、ヘーゲルの概念レベル(絶対的真理レベル)の弁証法を復活させたからです。一方の南ク先生は絶対的真理を否定しているので、必然的に相対的真理レベルの即自的悟性となります。これがどうして大外れなのか、残念ながら納得できる説明はありません。

 次に、滝村先生が政治学を論じるようになったことをもって堕落と断じてこれが巨星になりそこねた理由であるかの如く論じられていますが、どうして創り上げた国家論をもって、政治や経済を論じることが堕落なのかさっぱり分かりません。それは使い方にすぎません。どう使おうと自由です。そしてそれらは全て国家論に生きてくるものです。それが精神の王国を創るということです。そのとおりに、滝村先生は「国家論大綱第二巻」という歴史的大著を残されて逝かれました。これは人類の学問史に燦然と輝く偉業です。これがなければヘーゲルの復活もなく、したがって、弁証法の完成も、学問の真の体系化も完成しない可能性が高いと思います。南ク先生もこの「国家論大綱第二巻」をまじめの勉強しなければ自らの学の体系化はできないと知るべきです。
 

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[2232] タマゴさんのリクエストへの回答
愚按亭主 - 2016年07月30日 (土) 09時42分

 「南郷派に三項の論理学が無いことの弊害」について展開せよとのタマゴさんの要望について、一般的には以下のように述べておきました。

>エンゲルスも三浦さんも、アリストテレスの形而上学を弁証法と対立する反対物としてしか見ていないので、南ク学派もその伝統を受け継いで、アリストテレスの形而上学を弁証法とは本気で思っていないので、その論理学である形式論理学を一顧だにしないからです。結果として、皮肉なことに運動性のない二重構造の展開になってしまっているのです。

 しかし、三項の論理は概念論レベルの論理ですので、そもそも南ク学派は概念論レベルそのものを認めておりませんので、そこがそもそもの最大の問題なのです。ですから、三項の論理以前の問題が問題なわけです。つまり、個別科学レベルの体系化にはまだ何とかなったのですが、それを学問の冠石の下に体系化しようとするときに、三項の論理が本当の意味で必要になるわけです。

 したがって、これまで何度も説いてきたように、目下の南ク学派の課題は、唯物論の束縛から離れて自由になること、相対的真理主体の真理の体系を、絶対的真理を学問の冠石として相対的真理をその構造とする真理の体系へと、切り替えることが何よりも必要なことです。そうでないと、学問の体系化が完成しないという弊害をまぬがれないことになります。

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[2233]
タマゴ - 2016年07月30日 (土) 11時55分

それに関しては異論はありません。
しかし、果たして、南郷派に三項の論理学が無いことの弊害はそれだけなのでしょうか?
私には、南郷派は本当に個別科学を正しく体系化できているのであろうか?という疑問があるのです。

南郷派も含め、エンゲルスの弟子筋の論者が常用しいている3法則
「相互浸透」「否定の否定」「量質転化」
だけでは、ヘーゲルの言う事物の螺旋的発展の運動を、それほど見事には表し切れないように感じるからです。
例えば、滝村先生を口撃した青雲さんは「相互浸透」を単独で「朱に交われば赤くなる」という諺レベルで用いることが多々ありますけれど、こんなのは弁証法でもなんでもありません。
南郷師範の先達にあたる三浦つとむ先生も、3法則を切り離して別々に用いても弁証法にはならないと明確に述べています。
確か、天寿堂さんも別のスレッドで指摘していたと思いますけれども。
まあ、これは青雲さん一人だけが誤用しているだけなのかもしれません。

では、三浦先生が述べるように、3法則を一体的に運用すればよいのかというと、これでもまだ何かが足りていないような気がするのですよ。
天寿堂さんも、物質が生命へと飛躍する過程を南郷派が上手く論理化できていないのは三項の論理学が無いからであると指摘しています。
これは、本質を突いた実にお見事な指摘だったと思います。

私はエンゲルスの著作に直接あたったことが無いので、彼の真意までは分かりません。
ただ、あくまでも勝手な推測ですが、おそらく、弁証法には三項の論理学は当然あるものとして、その補助として3法則を措定したのではないか?という気がしています。
もしこの推測が正解だとすると、仮に3法則を一体的に運用しても、三項の論理学の代替にならないのは当然のことでしょう。

個別科学レベルであろうと何であろうと、弁証法とは「論理」の体系のはずですから、その最も核心となる論理学が欠落していることは、片手落ちなどという言葉では表し切れない致命的な欠陥なのではないかと思うわけです。

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[2234] 社会構成理論の原型はヘーゲルにあり
tada - 2016年07月30日 (土) 16時11分

 三項の論理学とはヘーゲルの概念弁証法の根本的な考えです。だから 南郷学派が知らないわけがないのです。簡単に言えば正反合の論理です。難しく語れば 対立的・矛盾的把握の二項性把握が、否定の否定により三項性として止揚して把握される。三重の推論と呼ばれています。三者の区別と統一把握は、一者が他二者をその内に含む、相互規定的転換統一とも言える思弁弁証的発想につながり、その発想が社会構成理論の元になりました。

 以下に国家論大綱二巻320ページより 滝村先生が自らの社会構成理論を、ヘーゲル思弁・弁証法的再把握し直した文章を抜き書きします。

 直接には個別歴史的社会としての社会構成において、政治的・法的諸関係は、より直接な意味で、思想的・文化的諸関係からの、思想的、観念的影響と制約を受けている。また、大きくより根本的な意味では、経済的諸関係から、幾十にも媒介された規定と制約を受けている。しかし、政治的諸関係は、より直接には思想・文化的諸関係、より根本的には経済的諸関係による、規制・影響・制約を受けながらも、同時に、この思想・文化と経済の両者に対して、国家としての強力な政治的・法的規制と制約を、加えている。同じく、思想・文化的諸関係は、より直接には政治的・法制的諸関係、より根本的には経済的諸関係からの規制と制約を受けながら、他方において、この両者に対する直接に観念的な思想的影響という形をとった、規制と制約を加えている。また、経済的諸関係は、政治的・法制的諸関係と思想・文化的諸関係の両者に対する、根本的な、つまり大きく媒介的な規定と制約を加えながらも、他方において、この両者から、より直接的に法的・政治的と思想・文化的の形をとった、観念的な規制・制約と影響を受けている。このように、政治的・法制的諸関係、経済的諸関係、思想・文化的諸関係の三者は、相互規定的な、社会構成としての統一的連関を、構成している。したがってこれを、ヘーゲル的に一者が他者二者をその内に含む相互規定的な統一的連関として、把握し直すことも可能であろう。もちろんこれは、この三者が、統一的社会構成における区別された三重の側面として把握され、構成されたことにもとづいている。

 南郷学派は この滝村社会構成理論を無視し続けているのです。だからその南郷世界史が発展しないどころか 一般レベルで逡巡しているのです。学城No.1 218ページ アレキサンダーは、最初はただ侵略したいから侵略したのであるが、今のアメリカのネオコンは、しっかりと設計図を描いて侵略している。などとだれでも思いつくようなことを平然と言っているわけです。その設計図の中身が問題なのです。政治・経済・思想の諸関係から制約規制を受け続けながらも 政治的判断をし 周りを説得し 政治的実行に移す。一般性的把握では とても無理なことです。国家論大綱2巻587ページ マケドニアの特異性という小論において アレキサンダー大王が部族王から世界帝国の王として転成するさまを 実証史学の知見を前提とし 社会構成理論と世界史の方法により把握、構成し アレキサンダーの政治的人間像を 生き生きとした筆致で 活写しています。当然のことながら これは あくまでもオリエント国家における帝権確立の歴史的解明が主目的でした。このような滝村先生では当然のことが いまだに南郷学派ではできていない。できたとしたら 滝村先生を肯定するしかない。社会構成理論の原型はヘーゲルにあるものであり、当然にしてヘーゲルが宗教 芸術 宗教神学を専門的に追究する場合の大前提にあるのは社会構成理論であった。そのことは ヘーゲルに依拠する南郷学派としては無視するしかないものなのです。学城No.6には 世界歴史とは何か 加藤幸信氏による論文があります。ここにも社会構成理論はでてきませんが そのあとに続く いのちの歴史の物語から社会の歴史に向かって 村田洋一氏の論文には ありました。しかしです。それはマルクスの社会構成理論でした。「経済学批判」序言からの引用と その批判でした。いわゆるマルクス主義の批判の対象になる引用です。経済決定論に誤解される土台が上部構造を規定する あの公式の紹介でした。マルクスを読めば わかりますが、マルクスはそんな一面的な使用はしておらず そういう実践をしていたのが エンゲルスでした。次に「ドイツイデオロギー」の社会構成理論の紹介があり なぜか「弁証法はどういう科学」からの孫引きで 原典からの引用ではありません。まっ それはいいとして ここにやっとマルクスの初期の社会構成理論について論じられたのです。しかし 内容としては社会構成理論のどこが悪いとか指摘はなく エンゲルスの三法則レベルで 形而上学的な後退であるとのことでした。一方 南郷学派の世界史については 認識を持つすなわち労働を行う存在としての人間が、地球との一体性を保つべく地球を変革しながら、認識を精神として発展させてそれを社会と相互に浸透させつつ、大きく社会認識を、文化を発展させてきた流れが、あくまで国家という実存形態のもとで現代へと至った流れとして描かれていくものになるはずであると今も未完成であることを述べ 付け加えて 現象レベルで国家の変遷をたどることでも 時代的世界に君臨した世界史的国家の内実としての論理を並べていくことではないと事実レベルの歴史学と世界史の方法についての排除がなされています。こうも言っています。人間の誕生すなわち認識と労働の誕生の唯物論的解明とその本質の把握からはじまって原始共同体の成立を説明し、その原始共同体が、自然および他共同体と対峙し、相互浸透を繰り返しながら、現代的社会=現代的国家(社会は国家としてしか実存できない)へと発展してきた課程を「いのちの歴史の物語」のレベルで唯物論として筋を通して展開すること以外にないとのことです。この南郷学派の世界史には統一的社会構成における三項の論理がうまく回避されています。彼らには今さら正面から正々堂々と使えないのです。そして、社会構成理論と世界史の方法はセットなので 世界史の方法を捨てるということは 実証史学が提出した事実を前提にした構造的解明をしないということです。この南郷学派的社会構成理論?を直接個別国家に適用するしか方法はないということは アジア的 古典古代的 中世的 近代的 それぞれの内的特質に目をつぶり 科学的分析を離れ 実証史学の事実 百科事典的知識を弁証法で、いのちの歴史の物語的 一般性的レベルに圧縮し構成叙述したものにしかならないということなのです。
 滝村理論と別な方法論があるのかもしれません。そして その可能性は否定しませんが、すでに滝村先生が1980年代にやっていたことをいまだに 成し遂げられないのですから 南郷学派のいう弁証法とは 打ち出の小槌では ないのです。

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[2235]
タマゴ - 2016年07月30日 (土) 18時45分

先ほど私自身が述べたことをちょっとだけ補足します。

個別科学の体系にも三項の論理学が貫かれていなければならないのでは?
という疑問は、天寿堂さんが、南郷派の悠希先生という方がヘーゲルのエンチクロペディーの構造を理解できていないことを見事に喝破したことに由来します。
天寿堂さんが述べた通り、エンチクロペディーは(内容の妥当性については私にはよくわかりませんが)個別科学に関しても見事に三項の論理学が貫かれ重層構造を成していると思いました。
それを鑑み、三項の論理学の無い南郷派の個別科学を、そのまま単純に、絶対理念の下に体系化するのって・・・無理でしょ?と感じたわけです。

生命史観に関しても、南郷派のそのままの形ではなく、三項の論理学で説き直す必要があるはずだと思います。
天珠医学はかくあるべきでしょう。

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[2236] 三項の論理の意義とは
愚按亭主 - 2016年08月02日 (火) 09時49分

>三項の論理学とはヘーゲルの概念弁証法の根本的な考えです。だから 南郷学派が知らないわけがないのです。

 知らないわけがないというより、はじめから概念論レベルを否定しているために、射程に入っていないのでそこに書かれていることは問題にしない、つまり、消極的無視です。私もはじめそれが不思議でしようがありませんでしたが、最近ではそういうことかと納得できています。

>個別科学の体系にも三項の論理学が貫かれていなければならないのでは?

 個別科学の体系化には二重構造があります。したがって、三項の論理が貫かれていなくても個別科学の体系化は可能ですし、むしろはじめはそのほうが良いのです。つまり、個別科学の体系化は、はじめ対象的事実・構造に即して体系化されなければならない、ということです。つまり、はじめから三項の論理を用いて体系化しようとすると失敗するということです。

 たとえば「武道学綱要」では第一編が武道の本質という本質論、第二編が武道と勝負という勝負論、第三篇が武技形成の形式と論理という技論、という構成になっています。これはこれで対象の構造に即した形での体系化になっています。このように体系化されたところではじめて、これを三項の論理で、以下のように整理しなおすのです。
基礎的契機 : 勝負論(普遍性)
否定的契機 : 技創出論(特殊性ー何を持って戦うかの特定)
統体的契機 : 技駆使論(個別性ー一つの現実的な勝負として完結・現象)

 当然のことながら、それぞれの契機は他の二つの契機を内に含んだものとなります。したがって、この論理化は非常にダイナミックな運動性をこれ自体で表現するものとなります。

 次に医学ではどうかと言えば、
「医学とは何かと言えば、『人間の正常な生理構造が病む過程と、病んだ生理構造の回復過程を統一して究明する学問』である。
 したがって、医学体系の柱となる理論は、前者を究明した『病態論』と後者を究明した『治療論』となるが、その二つの理論は、人間の正常な生理構造を究明した『常態論』を基礎に据えて、はじめて構築できるものであるから、その三つの理論が医学体系の構造論となるのであ』る。(「『医学の復権』講義 十一」瀬江千文著、「学情13号」)

 これを三項の論理で整理しますと、
基礎的契機 : 常態論(普遍性)
否定的契機 : 病態論(特殊性)
統体的契機 : 治療論(個別性)

 となるかと思います。これも同様に、それぞれの契機は他の二つの契機を内に含んでダイナミックに展開されます。このように、三項の論理の意義は、個別科学レベルで静止的・固定的に体系化された体系を、ダイナミックな運動体の体系に変換させるところにあります。

 それはなぜかといいますと、大本の学問の体系の要である学問の冠石すなわち絶対精神・理念の自己運動自体が運動体であるからです。つまり、運動体の体系の一部にふさわしく、個別科学の体系を運動体の体系に創りかえる必要があるということです。そもそも個別科学の体系をつくる場合、わざわざ運動している対象を止めて(止めなければ特定できないから)その構造の究明をしていかねばならなかったので、それを元に戻すには運動体に戻してやる必要があるということです。

 ですから「滝村先生が自らの社会構成理論を、ヘーゲル思弁・弁証法的再把握し直した文章」は非常にダイナミックで運動性に満ち溢れているのです。また、その滝村先生の

>国家論大綱2巻587ページ マケドニアの特異性という小論において アレキサンダー大王が部族王から世界帝国の王として転成するさまを 実証史学の知見を前提とし 社会構成理論と世界史の方法により把握、構成し アレキサンダーの政治的人間像を 生き生きとした筆致で 活写しています。

 を大変興味深く読みました。とても素晴らしかったのですが、一点不満というか不足を感じました。それはどういうことかと言いますと、やはり、滝村先生はヘーゲルの絶対理念へと至る弁証法の道を信じ切れていなかった。絶対的観念論の立場でなく、唯物論の立場から離れられなかった、と感じました。

 どうしてそう感じたのかといいますと、なぜ征服された文化的に洗練された圧倒的多数のペルシャの兵士が、少数の未開の野蛮なマケドニアの兵士に従い一緒になって戦えたか?の構造の解明が充分でないと感じられたからです。結論は同じです。アレキサンダーが頂点に立って彼らを平伏させたからなのですが、それができた理由を、滝村先生はアレキサンダーの無謀な賭博的冒険主義に帰していましたが、私は違うと思います。それは、アリストテレスの当時の世界最高の学問に帰せられるべきだと思います。野蛮だと思っていたら、その文化性・学問性・思想性の高さはペルシャ王をはるかに凌駕するものがあったから、それが洗練されたペルシャ兵士には伝わった・分かったから平伏して、その志に共鳴して一心となって戦ったのだと思います。

 つまり、アレキサンダーの偉業は、絶対理念へと向かう精神の本流をいくものだった、と評価すべきです。ただ残念なことに、当のヘーゲルも滝村先生も、アレキサンダーをそういう視点で評価できていないのは、事実です。しかし、私は生命の歴史を踏まえて、そう評価すべきであることに確信を持っております。

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[2237]
タマゴ - 2016年08月02日 (火) 11時16分

としますと、天寿堂さんは、

>(南郷派は)個別科学レベルの体系化にはまだ何とかなったのですが、それを学問の冠石の下に体系化しようとするときに、三項の論理が本当の意味で必要になるわけです。

とも述べていますが、つまり、
南郷派は唯物弁証法の観点からは紛いなりにも生命史観を成すことができたが、絶対理念の弁証法の観点からは真に完成させてはおらず、三項の論理の重層構造で再体系化する必要がある、という考えでしょうか?
もしそうなら、これ迄の天寿堂さんの主張は全て整合してくるように思えるし、腑に落ちてくるのです。

私は、絶対理念の弁証法の体系の下に、エンゲルスの系譜にある南郷派の生命史観をそのまま持ち込んでも整合しないと思うのです。
そうすると、ヘーゲルのエンチクロペディーのような三項の論理の重層構造による見事な体系にはならないからです。
天珠医学は、生命史観を凌駕する体系を目指して欲しいと思っています。

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[2238] 生命史観はヘーゲルの絶対精神の自己運動の具体化
愚按亭主 - 2016年08月02日 (火) 18時48分

>私は、絶対理念の弁証法の体系の下に、エンゲルスの系譜にある南郷派の生命史観をそのまま持ち込んでも整合しないと思うのです。そうすると、ヘーゲルのエンチクロペディーのような三項の論理の重層構造による見事な体系にはならないからです。

 生命史観について少し誤解があるようです。生命史観というは、生物の歴史ではなく、生命の本流の歴史、すなわち人間に至るまでの発展過程を論理化したものです。この本流というのは、つまるところ、絶対精神の発展的自己運動のことです。したがって、生命史観は、個別科学ではなく絶対理念の弁証法の体系に属するものなのです。南ク学派は、エンゲルスの弁証法の系譜にありながら、実質的にその限界を乗り越えていたのです。なぜこういうことができたのかと言いますと、南ク先生が自らの手で、学問とは何か、哲学とは何かを措定していたからです。つまり、エンゲルスの弁証法を実質的に乗り越えていたからなのです。

 では、どうして現在もエンゲルスの弁証法に囚われたままなのかと言いますと、南ク先生はご自身のなさった偉業の論理性を貫くべきであったところを、エンゲルス・三浦さんの弁証法を否定せずに擁護・弁護する側に回るという妥協に走ってしまわれたのです。ここから、地獄への敷石は善意で敷き詰められているの譬えのごとくに、真っ逆さまに落ちてしまわれたのです。

 その「擁護・弁護する側に回るという妥協」とは、具体的には、「哲学一般はヘーゲルをもって終焉する」というエンゲルスの言葉を、南ク先生は、ヘーゲル以後の哲学者がダメだという意味である、と解釈してしまったのです。これがどうして「擁護・弁護する側に回るという妥協」なのかと言いますと、エンゲルスは、「絶対的真理を追究する哲学はヘーゲルで終わり、あとは相対的真理の科学がそれにとって代わる」という意味でこの言葉を述べているからです。哲学とは何かを措定できた南ク先生ならば、当然のごとくにその論理性から、このエンゲルスの言葉を根底から批判して、哲学の復権を図らなければならなかったはずでした。ところが、現代哲学批判にすり替えて逃げてしまわれたのです。それからです。南ク先生のつるべ落としがはじまったのは・・・・・。

 ではなぜ南ク学派が生命史観を措定することができたのかといいますと、二つ理由があります。一つは、生命の歴史は精神の生まれる前の物質の発展過程でしたから、唯物論でも対応できたからです。ではもう一つは何かと言いますと、生命の歴史は、最高の発展段階である人間へと至る発展過程を論理化するものですので、すでにその最終地点である人間が存在しているので、事実が存在していたので唯物論でも対応することができたからです。

 しかし、本当の弁証法の凄いところは、まだ存在していない先も見通せることです。ヘーゲルの弁証法の本当の凄さは、じつにそこにあるのです。人類が絶対理念に到達して神となって世界創造をはじめる、という未来図です。しかし、唯物論者エンゲルスはこれを観念論者の妄想として排斥してしまいました。それに南ク先生も、何と滝村先生までも追随してしまっているという、驚くべき現実があります。しかし、このヘーゲルの絶対精神・絶対理念の自己運動という弁証法があって初めて、人類の歴史の本流、精神の本流の姿が見えてくるのです。つまり、生命の歴史のつづきはヘーゲルの弁証法なしには解けないということです。

 つまり、「絶対理念の弁証法の体系」すなわち学問の冠石の祖型は、生命の歴史のつづきの人類の歴史の筋道を通すことをもって一応の完成となるので、まずはそれを推進しなければなりません。つぎに、ヘーゲルのエンチュクロペディアですが、あれはまだ約束組手レベルですから、本物の学問の体系化のためには、一旦絶対的真理の弁証法を否定して、相対的真理の弁証法をもって個別科学を体系化しなければなりません。それを成し遂げたのが、南ク学派なのです。それが人類の学問の流れなのです。

 そして、今ようやく人類は本当に学問を体系化できる条件がそろったのです。つまり、第二の否定をすべき時なのです。そこでもたついているのが、南ク学派の今の現実なのです。とは言え今の南ク学派の医学には、交感神経論が不備でスジのネットワーク論もありません。そこに天珠医学の存在意義があると思います。

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[2239]
タマゴ - 2016年08月02日 (火) 21時00分

うーむ・・・天寿堂さんが何を目指しているのか、よく分からないですね。

「今ようやく人類は本当に学問を体系化できる条件がそろったのです。つまり、第二の否定をすべき時なのです。そこでもたついているのが、南ク学派の今の現実なのです。」
というのであれば、それを南郷派がやれよと言うのではなく、
天寿堂さんがリーダーシップを発揮して、天珠塾でやればいいのだと思いますよ。
南郷派がハイそうですかと動くわけないのですから、私が天寿堂さんの立場なら、間違いなくそうします。
天寿堂さんが、南郷派の弁証法は否定してそこから創った生命史観は肯定するという中途半端な批判にばかり終始しているのを見ると、もどかしさを感じてしまうのですよ。

まあ、もしかしたら、天寿堂さんの御弟子さんの中で優秀な方がやってくれるかもしれませんけどね。

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[2240]
愚按亭主 - 2016年08月03日 (水) 18時10分

 真理の体系は一つであり、その真理の体系である学問は人類の共有財産です。ですから人類全体で追い求めるものです。したがって、それぞれがそれぞれの立場で、それに少しでも参加し貢献できることが重要です。そういう観点から今人類が進むべき道を指し示すのが私の使命だと思っております。

 また、第一の否定を成し遂げた南ク学派が、第二の否定も行うべきだと思っており、それゆえに、批判を続けているのです。そのおかげで、ヘーゲル哲学がより深く理解できるようになりました。これもその批判を継続してきたおかげだと思っております。もし、南ク学派が、それをしないのであれば、私がやるしかないと思っております。そのための準備も着々と進行しております。ご心配は、杞憂に終わることでしょう。

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[2241]
タマゴ - 2016年08月04日 (木) 00時02分

それならよいのですが。
天寿堂さんの御弟子さんたちも、天寿堂さんが南郷派を超える弁証法と医学の体系を構築するものと期待していると思いますので、是非その期待に応えてあげて欲しいと思います。

ところで、私は天寿堂さんに一つ研究してもらいたいことがあります。
三項の論理学を応用した議論の方法論を措定してもらいたいのです。

私との激論の結果、天寿堂さんの自律神経論が格段に進歩したことは、天寿堂さん自身も認めている通りです。
ただ、天寿堂さんは持論を変えてはいないと言い、私はニュアンスが変わったとみました。
いま振り返ってみると、ヘーゲルの言うところの「螺旋的発展」を、上から見たのか横から見たのかで見解が違っていただけなのだろうと思います。
天寿堂さんは、螺旋を上から見て、ぐるっと回って元の位置に戻ってきたのだから、主張は変わっていないと考えたのでしょう。
私は、螺旋を横から見て、元の位置から上へ何段も上がったではないかと見たのでしょう。

私のような弁証法の素人との議論でもあれだけの成果があったのですから、弁証法の素養のある天珠塾の御弟子さん同士で同じような議論を行ったら、どれほど大きな成果が得られるか、計り知れません。
そのためには、弁証法を議論に応用する方法論を、ある程度まで定式化しておくとよいのではないかと考えます。
確か、弁証法はもともと、矛盾対立する主張を統体止揚することにより、両者より遥かに優れた第三案を導く方法論だったかと思います。
ですから、天寿堂さんがそれを現代に復活させることもきっと可能なはずです。

エンゲルスの弁証法の系譜を引く国家や組織は、どういう訳かひたすら分裂と対立を繰り返してきました。
これは、三項の論理学が無かったために、せっかくの否定的契機(意見の対立)を統体的契機へと転化することができなかったからなのではないかな?と私は推測しています。
天珠塾も、将来的に、天寿堂さんの教えをそのまま墨守しようとする原理主義派と、弁証法的な発展を目指すことこそが師の教えに叶うと考える革新派とに分裂する可能性が全く無いとは言えません。
しかし、議論によって意見の対立を統体止揚へと転化することが慣習となっていれば、組織の分裂の危機を、組織の発展の好機に転化することもできるはずです。

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[2242] 驚きました
愚按亭主 - 2016年08月06日 (土) 18時46分

 タマゴさん、別人のようですね。これまで何度か驚かされてきましたが、今回が最も大きな驚きです。統体止揚を自ら実践されたということでしょうか?だとしたらもうそれは会得されたということで、もう必要はないのでは・・・。というのは冗談で、とても素晴らしいご提案です。

>三項の論理学を応用した議論の方法論を措定してもらいたいのです。
>弁証法を議論に応用する方法論を、ある程度まで定式化しておくとよいのではないかと考えます。確か、弁証法はもともと、矛盾対立する主張を統体止揚することにより、両者より遥かに優れた第三案を導く方法論だったかと思います。ですから、天寿堂さんがそれを現代に復活させることもきっと可能なはずです。

 三項の論理は、内的矛盾の本物の運動性に富んだ論理です。形式は、三つの契機が並列しているだけの静止型ですが、内実はそれぞれの契機が他の二つの契機を内に含んで目まぐるしく相互規定・相互移行・相互転化を繰り返しながら発展していった結果としての、統体止揚しての一者化・一体化なのです。

 この過程は、すでに言語として定式化されています。それがかの有名な次のマルクスのことばです。
「両者のおのおのが直接に他のものである、というだけでもなく、他のものを媒介するというだけもない。むしろ両者のおのおのは、みずからを完成することにより他のものを創造し、みずからを他のものとして創造する。」

 ここにある直接というのは、それぞれの契機がほかの契機を内に含んでいることを指します。媒介するというのは他の契機を否定的に媒介するということです。議論でいえば相手の不備なところ・不足をついて否定的に批判することを言います。こうした弱点を突かれたところを補修しながら、みずからの説・理論を完成させていきます。このようにみずからの説がより完ぺきに近くなればなるほど、その反論も相手の弱点を鋭くついていくことになりますので、相手の説も完成に近くなっていくことになります。これが「他のものを創造する」ということです。そして、最終的にはその完成した自らの説と、相手の説とが統体止揚されて融合一体化して一つの完璧な理論が完成することになります。これが「みずからを他のものとして創造する」ということです。

 そして、この過程をより構造的に整理してみると、相手と議論するということは、自らの立場を否定して(第一の否定)相手の立場に立って相手の言わんとすることを理解して、ふたたび相手の立場を否定して(第二の否定)みずからの立場に戻って理解したその相手の説を自分の理論からの反論を構築していく、という否定の否定の運動を何べんも何べんも繰り返すことになります。その繰り返しの中で、相手の説が自分の説の中に深く浸透していくことになり、やがてその量的な積み重ねが次第に質的変化を起こして自分の血肉と化していくことになります。これが、「みずからを他のものとして創造する」の構造です。この質的変化のことを、量質転化と言います。また、議論を通じてみずからの説が次第に体系化されて完成していくことも、一つの量質転化です。ですからみずからを完成するという量質転化が、媒介的に他のものを完成させるという量質転化を引き起こすという形で量質転化の連鎖が形成されて行って統体止揚が完成していくのです。

 これは議論ではありませんが、NHKの朝の連続テレビ小説「トト姉ちゃん」にその好例がありましたので、見てみましょう。「あなたの暮らし」(「暮らしの手帖」をモデルとしたもの)という雑誌の社長の小橋常子と編集長の花山伊佐治は、広告をめぐって意見が対立します。もともと「あなたの暮らし」は、終戦直後の混乱のさなかで日本人の生活の再建の糧となる雑誌を作ろうとの志のもとに刊行されたものです。ですから自分たちが本当に作りたいものを作ってその志を全うするためには、広告はとらないという方針で始めたのですが、創刊号の爆発的な売れ行き以降は思ったように売れ行きが伸びず、このままでは雑誌の刊行そのものができなくなってしまうという状況に立たされたとき、背に腹は代えられないと社長として雑誌を守るために広告を取ると主張する常子と、一旦広告をとってしまうと広告主の意思を無視できなくなって、自分たちの作りたい雑誌が作れなくなるから断固反対だと主張する花山とが対立します。そこで、常子が花山に黙って広告を取って雑誌を刊行してしまったことを知った花山が、だましたな!と腹を立て、編集長をやめると言って出て行ってしまいます。

 常子は、その後広告主からの無理強いにあって、花山の言うとおりになってしまったことを悟り、意を決してその無理強いを断り、広告の話もなくなってしまいます。こうして常子たちは、ふたたび経営の危機に見舞われることになります。しかし、花山に泣きつくことは常子のプライドが許さず。自分たちだけで雑誌を出そうとします。ここまでは対立する者同士、互いに自分の立場を離れられないでいる状況です。

 しかし、常子の末の妹の美子が二人の知り合いのある人物にこっそり相談し、一緒に花山の自宅にいって戻ってきてくれるように頼みこみますが、断られて一人帰ることになります。しかし、残ったある人物が、常子が相談に来て涙ながらに後悔していたことを話すと、花山の心も動いて、一緒にみんなの暮らし出版社に行くことになります。しかし、そこで、常子が涙ながらに後悔していたという話がある人物の作り話であったことが判明すると、花山は踵を返して帰ろうとします。しかし、常子がそれを引き止め、心から謝罪すると、そこまで言うのならと花山は復帰することを了承することになります。それでも常子は、謝罪はしたものの、あそこで広告を出さなかったら今度の出版もできなかったはずだから間違ったとは思っていない、という自分の立場の主張は忘れませんでした。

 ドラマの方は、まだ進行形ですが、実話の「暮らしの手帖」の方は、その後広告を一切取らずに100万部もの購読者をもつ一大雑誌となっていったのでした。

 さて、この話のどこが議論における三項の論理の統体止揚へ向けての方法論のヒントがあるのかといえば、一つは、互いに自らの立場の論理を徹底して貫き通す覚悟が必要であること。次に、対立するだけでは運動が生じないので、両者を交じらわせ、互いに立場を移行させて運動を生じさせる媒介者が必要であること。しかし、適当な媒介者がいない場合は、自分自身がその媒介者になるということです。これは言うは易しでなかなか難しいのですが、その難しい理由は、即自の感情は非常に強いから、その感情から離れることが難しいためです。だから、歴史上優れた指導者には、必ず客観的に諫言をしてくれる参謀が存在していたのです。しかし、こうした優れた参謀がいつもいるとは限りません。自分一人でやるしかないこともあります。

 ですからそれを一人で行う訓練も必要です。この訓練は弁証法にはとても大切です。頭がカッカしたときに、あえて冷静に自分を突き放して見れる自分になれる訓練を積むことです。これが一人で統体止揚できるようになるために必要な技術です。





 


 

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[2243]
タマゴ - 2016年08月07日 (日) 01時00分

としますと、まずは座学で弁証法の理論(型)を理解し、次に弁証法を応用して論文を書くなどの訓練(一人稽古)を行い主体性を確立、最終的には弁証法的な議論(組手)で統体止揚の実践力を身につける、といった、武道の稽古ような弁証法上達のカリキュラムが組めそうですね。
こういうカリキュラムは人類史上まったく前例が無いと思いますし、もしそれが出来上がったら、天珠塾から弁証法の達人を大勢輩出することができそうな気がします。

また、天寿堂さんの本の原稿は陽の目を見ませんでしたが、原稿を書いたことにより、三項の論理学による天珠医学の骨格を創り上げることができたのではないかと思います。
これは、考えようによっては、本を出すことよりも大きな成果だったと言えるかも知れません。
なぜなら、後は、その骨格に肉付けをしていく作業だけだからです。
その際に、講座や掲示板において、塾生同士で様々なテーマで議論を行うことが有用になるのではないかと思います。
そこまで御弟子さんが育てば、もう天寿堂さんが天珠医学の何から何まで一人で全部創り上げようとする必要はなくなっているはずです。

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[2244]
タマゴ - 2016年08月07日 (日) 17時26分

天寿堂さんの弁証法的議論の説明は、非常に分かりやすかったと思います。
また、その説明により、あくまでも弁証法の基本理論は三項の論理学であり、エンゲルスがヘーゲルの著作を見て措定した3法則はその運動性を説明するための補助的理論であることも明確になったと言えるでしょう。

エンゲルスの弁証法の系譜を引く国家や組織が、皆どういうわけか一定水準まで発展すると後は停滞してしまう理由も、なんとなく分かったような気がします。
本来なら弁証法の骨格であるところの三項の論理学が無く統体止揚という発想が乏しいため、否定的契機(意見の対立)を極度に恐れ、それを抑える方向(個人崇拝や恐怖政治)に向かいがちなのでしょう。
議論を避け周りをイエスマンばかりで固めてしまう。
しかし、そうなると弁証法的な発展性も阻害されることになるはずです。
弁証法を標榜しながら弁証法的発展に背を向ける自己矛盾に陥ってしまう・・・ということなのかもしれません。

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[2245]
タマゴ - 2016年08月09日 (火) 09時22分

天寿堂さんの連ドラの説明は分かりやすかったのですが、一つ説明し忘れたと思われる点があるので、勝手に補則します(笑)。

なぜ弁証法の素養の無い主人公と花山の意見が統体止揚されたのかというと、世の中を良くする雑誌を創りたいという共通した志があったからではないかと思います。
それから、お互いに相手に対してリスペクトというか一目置く意識があった。
天寿堂さんと弁証法の素人私の激論が成果に繋がったのも、野中先生と吉田先生を尊敬している共通意識があり、お互いの腕を認める間柄だからでしょう。
弁証法の素養も無く、そのような意識も全く存在しない場合には、いくら議論をしても、朝まで生テレビのような揚げ足とりの潰し合いに終わってしまう恐れがあると思います。
これでは議論をしても時間の無駄、百害あって一理無しです。

ですから、議論を単なる罵り合いに終わらせないためには、
弁証法的議論(組手)を行う前に必ず統体止揚に至る弁証法の基本理論(基本技)をシッカリと身に付けておく必要があるかと思います。
そして常にそれを意識して議論を行う、ということです。
まぁ、このようなカリキュラムの組み方は、私が言うまでもなく、武道に習熟した天寿堂さんならお手のものかもしれませんが。

Pass

[2246] 弁証法の上達の構造
愚按亭主 - 2016年08月09日 (火) 20時50分

>弁証法の素養も無く、そのような意識も全く存在しない場合には、いくら議論をしても、朝まで生テレビのような揚げ足とりの潰し合いに終わってしまう恐れがあると思います。これでは議論をしても時間の無駄、百害あって一理無しです。

 おっしゃる通り、その説明が必須でした。素晴らしいですね。「心に青雲」筆者殿も、再三にわたって私とタマゴさんとを攻撃してきた、その内容を修正・訂正し、自らの過ちを認める必要がありそうですね。


>こういうカリキュラムは人類史上まったく前例が無いと思いますし、もしそれが出来上がったら、天珠塾から弁証法の達人を大勢輩出することができそうな気がします。

 じつは、前にも紹介したことがありますが、弁証法の上達の過程については、すでにヘーゲルが見事に述べております。私はそれを南ク先生の引用された文中で初めて知りました。はじめは正直、そんなことまでも述べているのかと驚きました。しかし、すぐにそれが自分の考えていたことと一致していたので、意を強くしました。そしてさらに、何より驚いたのが、その内容が空手の上達と同一の構造を持っていたことです。瀬江先生も自分のたどってきた道と同じだ!と驚いていました。

 ところが、不思議なことに南ク先生は、その中で使われていた「教養」とは何か、や「概念化」について解説を試みるだけで、肝心の弁証法の上達の構造について触れようとはされておりません。つまり、あまり評価されていないようなのです。

 その理由について、私は次のように想像しています。南ク先生の弁証法の上達の過程のイメージが違う、ということだろうと思います。それは何故かといいますと、南ク先生ご自身の弁証法を自分のものにした過程が違っていたからだ、ということです。具体的に説明しますと、南ク先生は、エンゲルス系の三浦さんの「弁証法はどういう科学か」にある三法則を事実との格闘の中から自分のものにしていったという過程を歩んでこられたからです。したがって、自らの体験から、南ク先生の弁証法の上達論は、「相互浸透の法則」「量質転化の法則」「否定の否定の法則」の三法則を実質的な基本技として、事実によって基本の三法則の論理を生きた論理にすることを、何よりも重視されています。

 どうしてそうなったのかは、簡単なことです。南ク学派の弁証法の基本とされる三法則は、大仰に技として創る過程を持たねばならないとするほど、大変な代物ではなく事実の中にいくらでも転がっている・見つけられるものですから、特別に基本技の形をしっかりと創り上げる過程をきっちりと持たねばできないというほどのものではないからです。だから、南ク先生は、事実と真剣勝負・格闘しながらでも創ることができたのです。そしてそれがある程度ものになって、個別科学の体系化を志した時に、南ク先生が取り組まれたのが、学問とは何か・哲学とは何かの概念化の作業でした。

 じつはこれは、実質的に絶対的真理の論理の領域に足を踏み入れることになったのです。そして、その概念化の延長線上において生命の歴史の措定の作業がはじまりました。だから、生命史観を作り上げることができたのです。そしてこの生命史観こそ、弁証法の基本技としてしっかりと技化しておくべき中身だったのです。つまり、それまで存在しなかった本物の基本技の一部を創り上げたという意義をもつものだったのです。

 ここで南ク先生は、そのことに気づかなかったばかりか、大きな勘違いをしてしまいました。南ク先生は、この生命の歴史が、ヘーゲルの弁証法すなわち絶対精神の自己運動の過程であることは分かっていましたが、事実的・唯物論的に措定できたことから、その唯物論的な改作としての意義をもつもので、唯物論でよいのだ、唯物論で学問ができるのだ、という自信を持たれてしまったのだと思います。だから、生命の歴史で、人類の歴史・社会の歴史・精神の歴史もすべて解けるという方向にすすんでしまったのだと思います。ところが、現実はどうでしょうか?未だに説けておらず、弁証法の歴史も、弁証法性が微塵も感じられないお粗末な解釈のみで、とうてい全集第三巻に収められるものは未だにできていません。結果として、その全集第三巻は現在にいたるも、日の目を見ないままなのです。

 そしてこのことが、技の一般的な上達の構造を人類史上初めて措定した南ク先生が、こと弁証法の技の上達の構造に関してだけは、自らが措定した技の一般的な上達の構造に反する内容になってしまっている、という摩訶不思議な現象の原因なのです。

 まず、具体的にどう反しているのかといいますと、弁証法の基本技とは何かの明確な規定がなく、それらしきものとしてある相互浸透の法則・量質転化の法則・否定の否定の法則という三法則を、事実との格闘の中で見つけ出すのが、弁証法を生きた論理として自分のものとする早道だ、としていることです。これは、真剣勝負の戦いの中で、技を創りなさいというようなものです。

 では、その肝心の弁証法の基本・基本技とは何か、という問題ですが、それは、歴史的に哲学者たちが追究してきた学問の冠石としての絶対的真理のことであり、その完成型は端的には絶対精神が絶対理念へと発展していく運動過程の体系的な論理像のことです。そして大事なことは、この論理像を、自らのアタマの中に創り上げる「精神の王国」の基本骨格として定着させることです。ヘーゲルは、このことを称して「教養」と言ったのです。

 つまり、ヘーゲルの言う「教養」とは、弁証法の基本技をアタマの中にしっかりと創り上げることをいうのです。それには相応の期間、すなわち基本技をしっかりと技化するための期間が必要となります。その間は、事実との格闘は、控えなければなりません。技が出来上がるまで事実と格闘をしてはならないということです。しかも、ヘーゲルはその前に約束組手の期間までも設定しております。そして、その間はまだ事実と格闘してはならないとまで明確に述べています。

 かくして基本技がしっかりと出来上がってから、はじめて真剣勝負の事実との格闘をはじめよ、と述べています。ヘーゲルは直接述べてはおりませんが、ここには暗に、基本技をいったん捨てて事実との真剣勝負をすべし、という構造が隠れています。つまり、技の使い方です。これは事実に弁証法を描かせよ、ということです。つまり、相対的真理の弁証法の創造です。

 しかるのちに、概念化の労苦が待っているとヘーゲルは述べています。この「概念化の労苦」を南ク先生は、単なる「概念化」と受け止めてしまって、ヘーゲルの真意を汲み取ることができていらっしゃらないようです。ヘーゲルの言う「概念化の労苦」とは、事実との格闘の中で創り上げた相対的真理の体系を、絶対的真理の体系の中に組み込むという難しい作業のことなのです。すなわち、概念論レベルの概念として仕上げることだから「概念化の労苦」なのです。このように、ヘーゲルは弁証法の基本技の技化の過程から、その使用そしてその結果としての体系化の最終段階にいたるまで、つまり、全過程をしっかりと述べているのです。(じつはこれは、人類が弁証法を創り上げた過程とそっくりそのままなのです)

 最後に、南ク先生は、この「精神の王国」を意識的に「影の王国」に言い換えていらっしゃいます。この言い換えは、唯物論からするならばこうなる、ということなのだろうと思いますが、この言い換えは大いに問題があります。これはまさしく唯物論の問題なのです。その問題とは、ズバリ主体性の欠如です。ヘーゲルの「精神の王国」にはしっかりと主体性があります。つまり、この「精神の王国」が世界創造をしていくという意志が込められているのです。これに対して「影の王国」は、あくまでも影にすぎませんから、それがありません。これは決定的な違いです。



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[2247]
タマゴ - 2016年08月10日 (水) 06時45分

ヘーゲルは弁証法の達人中の達人ですから、当然、無意識レベルで、弁証法を他者との議論にも応用していたのではないか・・・と想像しますけれど、そのような議論の仕方を、正式に弁証法の指導カリキュラムの中に取り入れた指導者は未だ存在していないのではないか・・・という意味で述べました。
弁証法の基本技を作り上げた後に、自分一人で弁証法を用いて事実や現象と格闘することも大変レベルの高い作業だと思いますが、自分とは認識の異なる他者との議論を弁証法的なものにするには、さらにそれよりも高い弁証法の実力が求められるはずです。
もし、そういうカリキュラムが完成して、天珠塾内で弁証法を応用した議論が盛んに行われるようになったら、天珠塾という組織そのものの運動性が飛躍的に高まり、今までとは比べ物にならないくらい発展性を持った存在になると思います。
天珠医学も、天寿堂さんが放っておいても劇的に発展していくことになるはずです。

他にも、天寿堂さんも連ドラの例を挙げましたが、高度な第三案を導く弁証法的な思考法は、ビジネスの世界(社内の会議や他社との協業など)などにも応用可能なはずだと思います。
よくビジネス界でWin-Win(ウィンウィン)、つまり、己も勝ち相手も勝つ、という概念が用いられていますけれど、実態は単なる妥協に過ぎない場合がほとんどではないかと思います。
どちらにも不満が残る結果しか残せていない。
ところが、弁証法的な合意形成(両者の案よりも遥かに次元の高い第三案を導くこと)が可能となれば、真のWin-Winを実現できるようになるはずなんです。
こういう弁証法的思考法を身に付けるためのビジネスマン向けの講座なんかもあっていいと思いますし、将来、御弟子さんに任せてみたらいいのではないかと思いますよ。

そのためには、まず天寿堂さんが、基本となる講座のカリキュラムを早急に創り上げないと、って話です。

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