カウンター 巨星墜つー滝村隆一氏を偲んで・・・・・ - 談論サロン天珠道
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談論サロン天寿道

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[2105] 巨星墜つー滝村隆一氏を偲んで・・・・・
愚按亭主 - 2016年06月13日 (月) 13時25分

 滝村先生の奥様から先生のご逝去の知らせを頂きました。まさに巨星墜つ!の電撃的なショックでした。なぜ奥様から私にこのような知らせが届いたかといいますと、タマゴさんからの提案もあって、具合の悪いといわれる滝村先生の治療の申し出をしていたからです。その私信の中で、私は、昔南郷先生のお供をして滝村先生のお宅の引っ越しの手伝いに伺ったことがあるエピソードなどをそえて、腕に覚えがあるので是非治療させていただきたい、とお願いしておいたのです。いつまで経っても返事が来ないので、半ばあきらめていたところに、この手紙を頂戴した次第です。

 その手紙の中で奥様は
「この難病に侵されていると分かって間もなく、かねてから執筆中の『国家論大綱』第二巻・完結篇を幸いにも上梓することが出来ました。新刊を手にして滝村は、到底出来るとは思っていなかったことを成し遂げたのだからもう思い残すことはない、と自らを納得させておりました。」
と、滝村先生のご様子を書いていらっしゃいました。この滝村先生がかかっていた難病は、私の得意とするスジのネットワークの難病でしたからもっと早く申し入れて何とか治療させていただいておればあるいは、と返す返すも残念でなりません。

「先に私は
〈日本における学問の完成期〉絶対理念の完成段階)として
基礎的契機:即自的弁証法的悟性(南郷継正・個別科学の体系化の開始)
否定的契機:否定的弁証法的理性(滝村隆一)
統体的契機:即自対自的肯定的弁証法的理性( ? )

と書きましたが、?は、はたして誰になるでしょうね。もしかしたらtadaさんかも知れませんね!頑張ってください。」

「やっと天寿道さんの絶対的真理の弁証法が理解できたみたいです。非常に有意義な時間を過ごさせていただき 感謝しています。
 今回を通じて 世界史の方法に自然史を取り込むことは正当であると、確認できたのが一番の収穫でした。今後は滝村隆一氏の研究をさらに発展させ 精度をあげることを目指していきたいと思います。そして生命史観のさらなる発展は天寿道さんにお願いします。私には到底そのようなスケールの大きな問題は手に負えないからです。」

 これは本気でtadaさんに頑張ってもらわないといけない状況となってきましたね。そこで、tadaさんに次のエールを送りたいと思います。これは私の弁証法のテキストの一部です。

* *


5、弁証法の全体像とはどういうものか
〔ヘーゲルの絶対精神の自己運動がすなわち弁証法の本体〕
 学問が宗教の手の届かない次元へと飛躍したのは、カントの「二律背反論」がキッカケでした。この「二律背反論」というのは、この世界全体の構造に関して、空間および時間
における連続性上の有限と無限との矛盾、運動と静止の矛盾、全体性と部分性との矛盾、必然性と偶然性との矛盾を、命題間矛盾の二律背反として定立したものです。そしてカントは、この命題間矛盾の二律背反を何とか矛盾なく筋を通して説明できるようにするために、「物自体」という概念を創り上げました。

 ヘーゲルは、このカントの命題間矛盾の「二律背反論」を、その形を壊して矛盾の中身を統体・止揚して命題内矛盾としての「真矛盾論」を創り上げました。これは、静止体の矛盾論から運動体の矛盾論への大転換・大革命を意味するものでした。そしてさらにヘーゲルは、カントの中身が何もなくただじっとしているだけの物自体を、主体性をもってダイナミックに運動する絶対精神として刷新し、絶対精神の自己運動として、この世界の本質の運動・発展の全体像を明らかにしました。じつは、この世界の本質の発展運動こそが、学問の冠石であり、絶対的真理の弁証法の本体に他ならないのです。

 では、さっそく絶対的真理の弁証法の具体像・全体像、すなわちこの物質的世界の本流は一般的にどのように変化・発展してきて、これからどのように変化発展していくのか、いくべきなのか、それをものにするとどうなるのかについて、これから展開してみようと思います。

@現宇宙と前宇宙の二重構造
 現宇宙は、全宇宙規模で発生した造星運動が連鎖反応的大爆発によって一定の運動形態に落ち着く形で誕生しました。ここで現宇宙と言うからには、宇宙にもその前の時代があったことを示しています。この世界は真無限の世界ですから、当然、前宇宙が存在したはずです。では、その前宇宙とは、どのような宇宙でしたのでしょうか?それは現宇宙にもその痕跡が残っております。それが、電子・中性子・陽子よりも小さい素粒子の存在です。つまり、前宇宙は素粒子の世界だったということです。その前宇宙の素粒子の世界の安定的運動が大きく崩壊して全宇宙規模での大激動・渦巻運動が巻き起こる中で、現宇宙の主要な物質が造られたのです。

その結果が、原子の運動を最小単位として、恒星・惑星の運動を最大単位とする現宇宙全体に一般的に見られる光景です。これが、前宇宙的物質である素粒子にとっては、途方もない巨大物質で構成される現宇宙の姿であり、現宇宙的物質の極小物質である原子核―電子の運動と、極大物質である恒星―惑星の運動とが同様の運動をしている理由です。そして、現宇宙的存在になりそこねた素粒子は、前時代の遺物として、現宇宙を陰で支える黒子的な存在として今も存続し続けているのです。

この現宇宙には、前宇宙的物質と現宇宙的物質との二重構造が存在することが、すなわち、ニュートン力学と量子力学という物理学における二重構造の現実的な根拠なのです。つまり、量子力学が、素粒子などの前宇宙的物質の力学であり、ニュートン力学が、原子や恒星―惑星などの現宇宙的物質の力学である、ということです。量子力学が何故不確定なのかは、これらの二世代の物質が同居しているために、巨大物質の引力に翻弄されて前宇宙的物質本来の運動が現象できないでいるという事情があるためなのです。

A現宇宙における本流となった太陽系の二重構造
話を現宇宙の運動に戻しましょう。私たちの地球のある太陽系は、現宇宙の中でもきわめて特異な存在のようです。というのは、少なくとも現在の人類の観測できる範囲内において、他に類を見ない二重構造をもっているからです。このような特別な二重構造が太陽系に生まれた経緯は次のようなものであったと考えられます。

太陽系は、銀河系の端っこに位置していますが、そのせいか大勢から大きく遅れて星を造る運動が開始されたようです。そのために、中心となる太陽がまだ充分に固まりきる前に、宇宙全体の連鎖的大爆発が起きてしまい、結果として太陽が割れてしまって、その欠片が飛び出して惑星になったものと、自ら星を造る運動をしながら太陽に引き寄せられながらその大爆発によってその位置で周回軌道をとるようになった惑星と、の二重構造になってしまったということです。前者が、太陽の爆発とともに太陽から飛び出した惑星群すなわち水・金・地・火の各惑星で、後者が、その外側を周回する木星・土星・天王星・海王星の太陽と同じ水素とヘリウム主体の軽い惑星群です。

そして、前者の太陽の爆発とともに太陽から飛び出した惑星群には、鉄が非常に多いという特徴があります。これは、太陽レベルの恒星では元素の生成はせいぜい酸素までしか形成されないはずが、全宇宙規模の爆発の連鎖的影響によって太陽が部分的に壊されるほどのエネルギーが加わったときに、元素の核融合反応が促進されたためと考えられます。ですから、鉄のような重い物質が形成されたことは、全宇宙規模でみると、きわめて特殊な出来事と言ってよいと思います。つまり、そこまでの物質的な発展を示した星は極めてまれなケースであり、それゆえ、この太陽系の二重構造こそが物質の発展の本流を内に含むものであったということが言えると思います。

B本流中の本流に起きた地球と生命の二重構造化
そしてさらに、その二重構造の中で、地球において生命と地球との新たな二重構造が生まれたのは、地球と月の双子兄弟が高温の火の玉となって太陽から飛び出した、という偶然的必然性・必然的偶然性によるものです。このことが、如何に物質の本流を本流たらしめるものすごい結果を生み出すことになったのかについては、これから順々に見ていくことになりますが、簡単に言えば、これによって地球が惑星として見事に完成することができただけでなく、その完成が生命の誕生とその発展を支え人間へ・絶対理念へと至る道をお膳立てしたという一事から、その凄さを感じ取ってほしいものです。

まず、地球が惑星として完成するとは、具体的には次の通りです。月とともに太陽から鉄の惑星として飛び出して、一定の高温状態の化学反応に最適な温度が長く保たれる中で生命現象が芽生える一方で、この高温状態が保たれたことによって、表面に多く存在していた鉄が地球の中心にまで深く沈降できる条件をも造り出すこととなりました。その結果、地球だけが鉄の内核を造り上げることができたのです。他の惑星では、そこに至る前に冷えて固まってしまったために鉄がきちんとした内核を形成できず、軸がぶれて楕円軌道を描くことになりました。しかし、地球だけはその鉄の内核のおかげで、太陽の周りをほぼ円軌道で回れるようになったのです。そればかりでなく、地球だけがその鉄の内核のおかげで地磁気が発生して地球全体を覆うようになって、地球が磁性体として完成し、有害な宇宙線などから生命を守ってくれるようになったので、生命は大発展を遂げることができたのです。それは、同時に地球に、元素の周期律表に見られるような他の星には見られない多様な元素をもたらすことになりました。そして、これがまた生命の複雑な発展に寄与することになったのです。以上が、地球が惑星として完成したとする中身です。つまり、物質の発展の本流となった太陽系の二重構造のうちで、とりわけ地球が惑星として完成して本流中の本流になったのです。

そして、さらにその本流中の本流である地球自身が、無機物から有機物へ、物理的変化から化学的変化へという異次元の発展のルツボと化して、地球全体が生命現象を呈していました。しかし、それでも地球自身は物質としての一般性を持っておりますから、冷えにくいながらも、徐々に冷えていくことになります。これが一つの否定的契機の必然性となって、その統体止揚として生命現象の場としての水が誕生し、続いてその発展型としての膜が形成されて生命現象の実体化としての生命が誕生することになったのです。

これは、生命が地球から相対的に独立化したということを意味します。それは、前の時代の活発に生命現象を行っていた地球(=生命)と、冷えて生命現象をやめて生命を支える側になった地球とに、地球自体が二重構造化したということでもあります。そしてこの地球の二重構造的発展運動において、水は、自ら生命の一部になり、またある時は生命から出て地球の一部となって、直接的かつ媒介的に生命の運動を支えていくことになったわけです。したがって、この〈地球ー水ー生命〉の三項運動によって、水は次第に増えていって、今日のような地球の半分を覆うほどの大量の水となって、今でも生きて本流の発展の場となっているこの生命的惑星=地球の欠かせない大事な要素となっているのです。

そして、その水とともに生命と地球にとって欠かせない大事な存在が、生命の誕生当時の地球に、大量に存在していた鉄です。この鉄原子のもつ安定的な核構造と二つ余った自由電子の運動力による磁性力・結合力によって生命現象が著しく促進されたことは間違いのないことで、最初に生まれた生命の源のアミノ酸の複合体のタンパク質は鉄タンパクであったという事実がそのことを物語っていると思います。

そして、単細胞段階において最初に大発生したシアノバクテリアの光合成には鉄が不可欠でした。この光合成の結果、老廃物として酸素が排出されることになりますが、これによって地球全体は酸素で溢れかえるようになりました。じつはこの状況は、当時の生命にとって大ピンチでした。今では酸素は生命にとってなくてはならないものですが、当時は酸素は生命体を壊す非常に危険な存在だったからです。ところが、その危機を救ってくれたのが大量に存在してい鉄でした。鉄がこの危険な酸素と結びついて酸化鉄となって沈殿・堆積して地層となり、当時はまだ浅い海だった生命の生きている環境を浄化してくれたのです。余談ですが、こうして幾層にも縞状に堆積された大量の鉄の鉱床がのちに人類に大変な恩恵をもたらしてくれることになるのです。

かくして鉄が危険な酸素を浄化してくれている間に、生命の側もその危険な酸素を利用する実力を少しずつつけて行って、ついにミトコンドリアという酸素を使って大きなエネルギーを生み出す専門器官を造り出すことに成功するのです。そこに至るまでの過程には次のような過程的構造が存在したと考えられます。
「ランブル鞭毛虫に二重膜を持つミトコンドリア残存小器官ミトソームを発見した。通常の真核生物のミトコンドリアとは違ってランブル鞭毛虫のミトソームはATPを合成しない。むしろランブル鞭毛虫ではミトソームは鉄−硫黄クラスターの組み立て工場として働く。そこで作られた鉄−硫黄クラスターを使って細胞質でATPを合成するのである。」
(宮田隆)

この過程を論理化しますと、生命の排出した酸素によって地球が汚染され地球が生命にとって危険な環境に変化します。これが否定的契機であり第一の否定です。これを鉄という媒介物によって統体止揚されて、生命はミトコンドリアを造り出して真核生物という異次元の生命体に進化すると直接に、地球も生命にとって危険な環境から、なくてはならない極楽的環境へと発展していく(第二の否定)という形で、地球と生命は二重構造的・否定の否定的発展を遂げていくことになったのです。これは生命の発展史上におけるか画期的な一大革命となりました。これがなければ、生命体の多細胞化はかなわなかったといえるほどの重大事だったのです。以後の生命の発展は、水とのかかわりの中で生命の本流の構造的な発展が人類へとつながっていくことになるのですが、これについては「看護のための『いのちの歴史』の物語」(本田克也、他共著、現代社白鳳選書)を参照してください。

 この地球と生命との相互浸透的進化・発展の二重構造は、サルの段階にいたって一つの限界に逢着することになりました。それは、地球と生命との双方の成長力・発展力が新たな生命体を生みだすことが出来なくなるほどに衰えたという限界と、生命体自体が最早改良する余地がなくなるほどに形態的に完成してしまったことによる限界との二重の意味での限界でした。

C地球との関係を劇的に変えた生命の二重構造化
 しかし、有限即無限・無限即有限を絶対的真理とするこの世界においては、限界は限界であるとともに新たな発展の跳躍台でもあります。つまり、限界が極まる中にしっかりと新たな発展の原動力が芽生えていて、それがやがてその限界を乗り越えて発展していくことになるのです。それがサルまでの動物の時代には本能の一部に過ぎなかった認識が、その限界を極めるサルの時代に、それまでの本能的な認識とは別に、自由に運動できる新たな認識が芽生えて認識が二重構造化し、その新たな認識が着々とその実力をつけていって、とうとう主人であった本能という限界を突破して、新たに人間的な認識となった己自身が主人となって、かつての主人であった本能を従わせるようになったのです。これはまさにクーデターであり、脳内革命でした。これがすなわち、新たな生命の本流となる人類における本能的統括と認識的統括との二重構造化です。

 これによって何が変わったのかと言いますと、それまでは生命の側が地球の変化に合わせて自らを変化・進化させて生きていたのを、これまでとは反対に、人間(生命)が主体となって、地球を自らに合わせて、自らがより快適に生きていけるように創り変えていく、というように変化が求められるベクトルが生命から地球へと180度方向転換したのです。これを生命の歴史における逆噴射と呼びます。

 しかし、これは事実に即した相対的真理の弁証法の見方です。では、全体を見通した絶対的真理の弁証法の見方ならばどうなるでしょうか?すでに見てきたように人間以前の段階で地球と生命そのものの内在的な発展力が衰え限界に逢着していました。そこでその生命に内在化されていた概念―定在(事実)の外化として登場した人間の認識が、それまで地球の物質の発展を牽引してきた地球と生命そのものに備わる内在的な発展力に代わって、以後の地球の物質の新たなる発展と、その物質の機能であるところの己自身すなわち精神の発展(これも物質の発展の一部と考えることも出来ます)とを牽引していくという形で、以後の新たなる物質の発展をもたらす時代の旗手となっていきます。これのどこが違うのかといいますと、相対的真理の見方は、あくまでも自分の立場が中心ですから、自分に合わせて地球を創り変えていくとなりますが、絶対的真理の見方では、物質一般の発展という観点から、人間の登場は自然成長的変化の時代から、己自身を自覚できた物質が物質を目的意識的に創り変え、変化・発展させていく時代になった、という見方になります。

 これによって動物的な本能的集団は、人間的な社会・国家として目的意識的に創られていくことになりました。この人間的な社会は国家としてしか実存できないという厳しい現実がありますので、必然的にこの人間社会の歴史は、国家の興亡の歴史として現れることとなります。そしてその興亡のほとんどは戦争によって決着されたので、武器の質の差が大きな要因となりました。その武器の質を左右したのは鉄・鋼でした。その良質の鉄・鋼を造り出すためには木炭が必須でしたので、鉄鉱石とともに森林を有する国が世界を制したといっても過言ではありませんでした。ところが、鉄の生産には木炭が大量に必要となりますので、やがては森林が消えて行って、それがその帝国の終焉をも意味することになりました。かくして様々な帝国が勃興しては消えていきましたが、それが活発に行われた地域は、森林がなくなって砂漠化していきました。現在の中近東や中国がまさにその典型です。砂漠地帯の中近東に大量の石油が存在するということは、そこは昔から砂漠ではなかったことを示しています。人類が砂漠にしてしまったのです。

 この鉄の精錬における木炭の限界を、石炭のコークスによっても可能となるように改良して良質の鋼を造ることを可能としたのが、大英帝国を築き上げたイギリスでした。そのイギリスは産業革命によって資本主義経済を著しく発展させて一躍世界の覇者に躍り出たのです。以後の人類は、その産業技術の発達によって、目的意識的に人類の利便性に沿うように自然にない独創的な形へと、地球を劇的に創り変えていったのです。

D政治と経済とへの社会の二重構造化
 資本主義経済が生まれるまでは、政治と経済は未分化であり一体でした。つまり、政治的な実権を握るものが、経済的な実権を持っておりました。政治的な実権とは社会全体を統括する権力を握っているということであり、経済的な実権とは生活物資を生産するしくみを統括しているということです。ですから、政治と経済が未分化であった段階までは、世界の趨勢は、単純に政治と経済が一体化した国家同士の戦いによって決せられるものでした。ところが、経済の分野で資本主義経済が発達し、政治の分野においても法による社会全体の統括が進んでくると、政治と経済が専門分化・相対的独立化・二重構造化して、政治権力と経済権力との対立という側面も加味して、より複雑な様相を呈するようになりました。

 どういうことかと言いますと、本来経済は社会全体(政治)の一部分に過ぎないものでしたが、資本主義経済・金融経済が発展するにしたがって、経済権力が国家の枠組みを超えて大きく発展して、経済権力による世界支配を画策するような勢力までも生み出すようになってしまったのが今の世界の現実です。その勢力、つまり市場をグローバルに自由化させたい経済権力にとって、国家による市場の管理は邪魔となる、という矛盾・対立が鮮明化してきたことです。しかし、その経済権力が表立って直接にその権力を行使できるのは、市場を支配することしかありません。その他の大半は国家の政治および国家同士の政治によって世界が動いているのです。だから、その経済権力は、国家を形骸化して国家を思い通りに動かせるようにしようといろいろな工作を仕掛けてきているのです。

 現在の人類が直面している問題は、テロとか宗教対立とかありますが、本質的な問題は、この政治と経済との矛盾・闘いこそが最も重要です。これは社会全体の利益をはかるべき政治と、社会の一部の勢力の利益を追求する経済権力との戦いです。これが現在EUや米国で吹き荒れているナショナリズムとグローバリズムとの対立の正体です。


 この経済権力による世界支配をもくろむ勢力が、国家を形骸化しようとして行っているさまざまな思想工作には次のようなものがあります。たとえば、「民主主義」ですか、学問的な国家論から見れば、問題があります。つまり、この民主主義は国家と国民を別々のもととして対立させ、憲法は権力を縛って国民を守るためのものだという学説と相まって国家を形骸化させるものだということです。他に、何かというと叫ばれている人権主義や、同性愛に市民権を認めさせようとする運動・難民移民問題なども、国家を形骸化させようとするものに他なりません。

 このように国家という形式を実質的に形骸化・空洞化してしまおうという目的意識的な画策を世界全体に繰り広げている勢力が、とりわけ日本を第一の標的として様々な特別の破壊工作が繰り広げられているという事実が存在します。それは何故かと言いますと、人類がこれまで目的意識的に創り上げてきた社会・国家のうちで、日本だけがまともな社会まともな国家の形態を見事に創り上げることができた唯一の圀だからです。

 このことに関してはいくつかの証拠が存在します。まず挙げられるのべきは、「逝きし世の面影」(渡辺京二著、平凡社)の中に描かれている来日した外国人たちの「これは自分たちの文明とは違う一つの文明である」という客観的な評価です。しかもその中身が、「下層の人たちまでもがこのように幸福そうに微笑んでいる国は自国でも歴訪した諸国にも見られなかった光景である」というものだったからです。しかも、これが社会の形が相当に崩れていたはずの江戸末期から明治初期のころの話であるからなおのこと、その凄さがわかろうというものです。

 そして、実際江戸時代の日本は文化的にも、経済的にもその当時の世界の最先端をいっていたといっても過言でないほどの実力がありました。たとえば、学問の分野では安藤昌益が、ヘーゲルよりも百年先に、「自然真営道」(活真≪絶対精神≫の自己運動≪自然営道≫)という百巻にもおよぶ大著の中で絶対的真理の弁証法の祖型を創り上げていたこと、個別科学の分野でも、医学・医療において治未病医学の漢方(古方)は、本場を凌いで世界トップレベルであったこと、また、芸術の分野においても伊藤若冲などはフランスの印象派よりもさきに陰影の描写を取り入れていたり、浮世絵がゴッホなどに大きな影響を与えるほどであったことは周知の事実でしょう。また経済・産業の分野においても、種子島の鉄砲の分業的製作システムは、当時の世界最高のレベルであったし、金融の先物取引を始めたのも日本が世界初だったのです。

 つまり、当時の日本は、まさに絶対精神の本流の歩みを積み重ねていたのです。だから、自分たちよりも進んだ西洋の哲学や個別科学の存在を知ると、それを盗むのではなく、そこから学んで基本から自分の力で本物の実力を創り上げていったのです。だから、瞬く間に追いつき追い越していったのです。そして、現在はその学問の要といえる、弁証法は日本にしか存在しないといっても過言でないほどになっているのです。これが、日本が本流である所以なのです。

 そして、このような完成レベルの社会性・国家性を受け継いだ戦前の日本人が、現在の日本人と具体的にどう違うのかを、「心に青雲」のブログ筆者殿が、「軍人片岡覚太郎の至醇遥」という記事の中で次のように描写しています

「 片岡の述懐は、個人が社会なり国家なりの従者になっているように見えて、実はそうではなく主体性ある個になっている。それがあとで書くが現代っ子ほど個性的であるように見えて、実際は社会の従者にならされている皮肉な現象がある。」

 そしてそれを、より具体的に次のように説明している。曰く
「片岡の文章の前半を今一度読み返してほしい。彼は自分は認められようというさもしい気持ちで任務を遂行したのではない、と言い切っている。
 似たような記述は、藤原岩市の『F機関』(原書房)にもあったと思う。藤原は大東亜戦争のとき陸軍特務機関としてマレーやインド、インドネシアの独立に関わった男の中の男である。命を賭けで、インド等の植民地を独立させようと心胆を砕いた。私心を棄てている。
 また、多くの特攻隊志願兵の気持ちとも通じているだろう。
 こうした個人の認識は、国や社会にあまねく存在していた。別言すれば受け入れられる素地が社会にあった。
 現代の人間は、平和ボケし、個性大事で育ってきているから、片岡の思いはまったく理解できまい。
 例えば、まず教師が悪い、親が悪い、友達が悪かった、とすべて人のせいにする。俺を認めなかった教師や親が悪いのであって、俺は悪くない。という弁解で頭がいっぱいになっている。片岡のような人間は世の中から払底した。
 組織の理想実現のためなら、自分はどうなってもいい、そんな考えは今では嘲笑の的だろう。」

 この戦前の日本人の典型と現在の日本人の典型との違いは、一体何なのでしょうか?まず、民主主義国家にして自由なと謳われている日本国民である現在の日本人の典型は、個の立場での即自の感情そのままです。これに対して、戦前の日本人の典型は、即自の自分の感情を対自の国家・社会全体の立場から自分をとらえ返す自分との区別がしっかりとできたうえで、主体的に対自の自分に即自の自分を一体化させることができていました。それが、国家・社会の隅々までいきわたっていたのが、「日本だけがまともな社会まともな国家の形態を創り上げることができた唯一の圀」の証しなのです。

 では、そうした現実を踏まえて、人類は今後のような道を歩むべきなのでしょうか?まずなすべきは、人類を正しく導いていけない宗教を卒業し、学問を新たな本能たるにふさわしく完成させて、それを新たな本能とすべきです。
 次にその学問をもって、現在国家を形骸化すべく流布されている誤った思想・概念を学問的に正しく創り変える必要があります。

* *

 これから先は、残念ながら現在執筆中でありますので、のちほど詳しく展開したいと思います。




Pass

[2106] プラトン 「パイドン」より
tada - 2016年06月14日 (水) 21時37分

クリトンが涙を抑えきれなくなって、立っていきました。アポロドーロスは、さっきからずっと涙を流し続けていましたが、あまりの悲嘆さゆえに、わっと大声をあげて泣き出し、そこに 居合わせた人々の心を引き裂きました。
「何ということをするのだ、あきれた人たちだね」とソクラテスは言われました。「私が女たちを家に帰したのも、こんな間違いをしでかさないようにとの心使いからだったのだ。人は静かに死すべきだと聞いている。さあ落ち着いて、くじけないでいてくれたまえ」
 我々はそれを聞いて恥ずかしさをおぼえ、涙を抑えました。ソクラテスは周りを歩きまわったあと仰向けに休まれました。
 それからしばらくして、ソクラテスの身体は徐々に冷たく硬くなっていき クリトンと最後の言葉を交わした後 息を引き取りました。
 これが 我々が知る同時代の人々の中で、最もすぐれた、しかも最も賢い、最も正しいというべき人の最期でした。
 tadaです。天寿道さん 滝村先生のご逝去の報 言葉がでてこないほどの ショックを受けました。以前から 体調の不良が原因で執筆が思うようにはかどらないことは知ってはいましたが まさかです。そんな重い病気に侵されているとは。いつか国家論大綱の補巻が出版されることを願いながら 待っていようと思っていたのにです。天寿道さんに教えていただけなければ 知らないままでした。天寿道さん ありがとうございました。(天寿道さん お手数ですが 国家論大綱第一巻上271ページを再読してください。滝村先生はかならず復活します。先生の先の見通しが書かれておりますので。)最期にこの場をかりて 先生に対して 現世でのお別れの言葉を述べさせてください。
 滝村先生 あなたの世界的な業績は私たちがかならず伝えていきます。一読者として36年 勉強させていただきました。これからも 勉強させていただきます。私たちの心に 学的世界に ずっと先生は生き続けられるでしょう。本当にありがとうございました。

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[2120] 滝村先生の偉大な業績が正当に評価されるよう運動を巻き起こそう!
愚按亭主 - 2016年06月18日 (土) 23時11分

 恥ずかしながら滝村先生の「国家論大綱第一巻」を持っておりませんでしたので、急いで取り寄せて読みました。本物は必ず正当に評価される時代が来ます。滝村先生の場合、まさに今でしょ!です。時代が要求していると思います。だから、私もtadaさんも頑張らないといけませんね!頑張りましょう!滝村先生の復活の日は我々の頑張りにかかっているといっても過言ではないと思います。

    滝村先生
 私はずっと、南郷先生の目を通して滝村先生のことを理解したつもりでいて、直接自分で滝村先生から学ぼうとしてきませんでした。そんな時、三浦さんの「弁証法はどういう科学か」の中の、絶対的真理と相対的真理に関する記述に疑問を抱いたことをきっかけにして、自分なりの真理論を構築して三浦さんやエンゲルスの真理論を批判してまいりましたが、学問論・哲学論を見事に構築された南郷先生が、三浦さんやエンゲルスを批判的に克服されないのかが不思議で、その旨認めて具申しましたが、受け入れられませんでした。それでも私は諦めることなく批判を通じて自分なりの絶対的真理の弁証法を作り上げようとしましたが、どうしても肝心な部分がわからないままでした。

 そんな時に、ある人の紹介で先生の「国家論大綱第二巻」の中に私の求めていた概念の弁証法の論理学が見事に展開されておりました。このおかげで、理論の核が出来上がり、その後の発展は目を見張るものがあります。これもみな先生のおかげです。先生の偉業を踏まえて必ずや弁証法を発展させ、人類の共有財産として新たなる世界創造に寄与できるものにすることをお誓い申し上げます。(合掌)



Pass

[2121] 国家論大綱は会津磐梯山 その心は宝の山
tada - 2016年06月19日 (月) 20時00分

 天寿道さん 国家論大綱第一巻上下は面白いですし、ためになりますよ。これから読まれるだなんて うらやましいです。私も上巻が出たとき 大型書店で偶然 遭遇しまして その知的水準の高さと値段の高さに涙を流して購入しました。(笑) でもその内容は文句ないですよ。面白すぎて 読みが止まらないかも 目次を見るだけで どこから読もうか 悩んでしまいます。わたしもあのときにもどって 滝村先生の語りに酔いたいです。
 下巻の658ページは議会制民主主義の意義です。単なる民主主義は民主集中制の独裁になるだけ 代理人の論争、法の構築の場である議会があってこそ 専制君主制に対応する民主主義であるということ。この辺に国民主権と言われるだけの根拠があると思います。同じく下巻237ページは戦争放棄する日本国憲法は国家本質からみれば 当然憲法ではなく憲法を否定した憲法であり、ばかげた存在であると喝破しています。250ページでは 宗教は 諸個人の精神を神的観念において拘束してるからといって 日々の現実的な意志や観念までも 絶対的に支配してはならないと国家と宗教の立ち位置 つまり政教の分離の本質を説明しています。最期に523ページの明治昭和の天皇制の構造分析はすごいです1976年の論文です。いまでは片山杜秀の未完のファシズム 手嶋泰伸の日本海軍と政治においても指摘される分立的権力構造と元老の側近政治のことです。彼らには滝村論文の引用を記述するものはなく 自力回答だと思っていますが、やはりアジア的専制国家の近代バージョンだとの指摘はなく 我らの滝村論文の世界史の方法における視野の広さと時代比較への応用までには届きません。そして、司馬遼太郎も当然この論文には巡り会えず 明治国家はえらいが昭和国家はだめ 統帥権が問題と感性的にしか語れなかったのが 今でも七不思議の思い出です。
 私も滝村先生の追悼をこめて 読みなおしたいと思います。

Pass

[2167] まだ途中ですが
愚按亭主 - 2016年07月04日 (月) 19時01分

 「国家論大綱第一巻・第二巻」の読解は、遅々として進んではありませんが、これまでの中で特に感じたことを述べたいと思います。「第一巻」の方を初めて読んで、その見事な論理展開に唸りました。tadaさんがおっしゃるようにまさに「宝の山」だと思いました。その点を充分に認め評価した上で、あえて気になった点についてのみ触れておきたいと思います。

 これは「第二巻」の前半部分を読んだ時にも感じたことですが、滝村先生の論述には、三項の論理として「普遍性・特殊性・個別性」は頻繁に出てくるのですが「即自的悟性・対自的否定的理性・即自対自的肯定的理性」が出てこないことです。どうしてこれが気になるのかと言いますと、この三項は概念の弁証法にとってものすごく重要な役割を果たすものだと思うからです。

 前者の「普遍性・特殊性・個別性」の三項は、体系化一般に必須なものだと思いますが、後者の「即自的悟性・対自的否定的理性・即自対自的肯定的理性」の三項は、有論・本質論レベルの論理を概念論レベルの論理に仕上げるのに必須な三項だと思われるからです。これの重要性を理解するためには、私が概念化した学問史における相対的真理の系譜と絶対的真理の系譜の区別と連関に対する理解が必須なのです。しかし残念なことに、滝村先生の論述には、そういう用語は使われていないのは当たり前なのですが、その区別を意識した記述が見当たりませんでした。その結果として、ヘーゲルについての誤解が生まれているように感じました。その点について以下に順々に説いていきたいと思います。

 滝村先生は、観念的事象を多く含む政治学の方法として、事実に基づく科学的な方法論の重要性を強調した上で、政治学の主要な対象である観念的な事象に対する科学的な方法について次のように書いています。
「政治的・宗教的・思想的など観念的な事象の有り様を、その〈現実的土台〉から直接解釈せよということではない。そんなことはできようはずもないし、もし可能だとすればおおよそ観念論的な事象にかんするかぎり、〈科学〉といえるものは、存在しなくなろう。そうではなくて、観念的な事象それぞれの独自の運動に即して、〈現実的土台〉からの〈大きく媒介的な規定性〉を、実地に発見することである。この〈大きく媒介的な規定性〉が、いったい、どのようにして、また、どのような形で、内的に貫徹されているかを解明することによってこの〈媒介のメカニズム〉をトータルに把握することである。」

 これは、観念的な事象を唯物論的に解釈することが科学的であるかのように思い込んでいる向きに対する強烈な一撃であり、これこそが本物の唯物論的な姿勢であると思います。ただ、私がとりわけ気になったのは、次の文章に関わってです。

「観念的事象といっても、それは、哲学的な思弁や妄想によって捻り出された、いわばこの世に存在しないような類の、〈純粋観念〉のことではない。それはあくまで、ときどきの歴史社会を構成している諸個人が、その社会的な諸関係の中で、のっぴきならない現実的な必要にもとづいて創り出したところの〈観念的事象〉である。」

 これも至極もっともな話ですが、このような形で「哲学的な思弁」や〈純粋観念〉を否定的に持ち出されたところをみると、滝村先生は、政治学を概念論レベルで概念化するときに何をもってそれを成し遂げるおつもりなのであろうか、という疑問が生じました。そういう疑念を持ってその先を見ていきましたが、これまでのところそういうものは見当たりませんでした。そればかりか、その意識がないためにヘーゲルを誤解されているように私には思えるのです。

 では滝村先生は、どうヘーゲルを誤解されているのか?それを端的に示す事実は、滝村先生がヘーゲルの「法の哲学」を国家論の失敗作と断じている点です。その理由として滝村先生は、ヘーゲルの国家論には国家の外政的な面がすっぽりと抜け落ちていることを挙げています。

 こう言いますと、滝村先生はしっかりと根拠を挙げて失敗作だと判断したものを、お前は何の資格があって偉そうに誤解だというのか!と叱られそうですが、こればかりは私の方も引き下がるわけにはまいりません。私にはこの滝村先生の判断が、先に指摘しておいた私の疑念・危惧が正しかったことを証明する事実に思えるからです。ではその疑念についてもう一度見てみましょう。

疑念その@
「滝村先生の論述には、三項の論理として「普遍性・特殊性・個別性」は頻繁に出てくるのですが「即自的悟性・対自的否定的理性・即自対自的肯定的理性」が出てこないことです。」

疑念そのA
「『即自的悟性・対自的否定的理性・即自対自的肯定的理性』の三項は、有論・本質論レベルの論理を概念論レベルの論理に仕上げるのに必須な三項だと思われるからです。」

 まず、滝村先生が「法の哲学」を国家論の失敗作と断じたことが、どうしてこれらの疑念の証明となるのか、ということについて解説していくことにしましょう。

 滝村先生は、国家論を、徹頭徹尾、事実に基づいた科学的な理論として創り上げる学的方法を述べて、その通りに展開されています。これはまさに部分的事実から論理を積み上げていく相対的真理の、つまりは有論・本質論レベルの方法論です。

 これに対する私の疑念は、滝村先生はヘーゲルの概念の弁証法をもって学問を完成されようとされているのに、その学問化の最終段階において必須となる理論を概念レベルに仕上げる工程について触れられていないということでした。つまり、その工程が滝村先生の学問化のシナリオには存在しないのではないか、ということです。

 そして、滝村先生も認めているようにヘーゲルの国家論は、徹頭徹尾、絶対精神・概念の自己運動、すなわち物質の本流の運動として展開されています。これはどういうことかといいますと、全体的真理としての絶対的真理すなわち概念レベルで展開されています。そのことについて滝村先生は次のように述べています。

「ヘーゲルがここでも、余りにも徹底的に、その概念弁証法による思弁的構成に、こだわり過ぎた点にある。それは、学的国家論を、〈法ー道徳ー人倫)という法的理念の弁証法的展開による、〈法哲学〉の構成に、端的に示されている。これを裏からいうと、国家論の学的解明において、〈国家〉それ自体を学的対象として、直接正面に据える学的方法が明確に斥けられたことである。」(「国家論大綱第二巻」452P)

 そして、滝村先生は、その例証として、ヘーゲル自身が述べている文書(準備草稿)を紹介しています。
「国家をそれだけで考察し、国家組織や政府がどうあるべきかを明らかにしようとする傾向があります。人びとは上の階を建てるのに忙しく、上層を組織立てようとはするが、土台たる結婚や速脳集団はおざなりになり、ときに、粉々にされたりもする。が、一組織、一建造物は空中に浮かんでいるわけにはいかない。共同体は国家の共同性という形をとって存在するだけでなく、その本質からして特殊な共同性をとっても存在しなければなりません。」(長谷川訳、「法哲学講義」作品社、496P)

 滝村先生は、おそらく前半部分の国家をそれだけで考察する傾向をヘーゲルが批判している部分を示すためにこれを引用したのだと思います。ところが、滝村先生は気づかなかったようですが、ここで、ヘーゲルはとても重要なことを述べています。
 キーワードは「空中に浮かんでいる」のではない、という部分です。土台というのは、生命の歴史とのつながりで、国家をとらえよということです。だから、「共同体は国家の共同性という形をとって存在するだけでなく、その本質からして特殊な共同性をとっても存在しなければなりません。」となるのです。生命の本流の流れとして、動物の本能的な共同性から、人間の段階に至っての絶対理念へと向かうところの本能の外化としての法的規範の共同性という特殊性としてとらえよ、ということです。これが、ヘーゲルの概念論レベルの国家論となるのです。

 ところが、滝村先生はこれを次のように評価し、また批判しています。
「このように国家論を、法的規範論として把握し展開したところに、〈法哲学〉という形をとった、ヘーゲル国家論の意義と特質がある。しかし、重要なことは、学的国家論を法的規範論のなかに溶解し還元できない点にある。学的国家論において、〈法的規範論〉が評価されるとすれば、それが〈組織的権力)論のなかで位置づけられ、把握し直されることによってである。しかし、ヘーゲルは、〈国家〉に対する〈組織的権力〉としての本質的把握にまで、到達しなかった。」(「国家論大綱第二巻」453P)

 南郷先生はヘーゲルの弁証法を初歩的な単層構造だと見当違いの批判をしましたが、滝村先生もまた、ヘーゲルの国家論を個別科学レベルに矮小化して誤解してしまっていると思います。これでは南郷先生と同様に、学問の体系化は完成しないと思います。その原因は、相対的真理の弁証法と絶対的真理の弁証法との区別と連関の理解がないこと、結果として、学問の体系化の完成に必須な「即自的悟性・対自的否定的理性・即自対自的肯定的理性」の三項の論理が見落とされてしまっていることです。

即自的悟性 : 滝村先生の科学的国家論
対自的否定的理性:ヘーゲルの概念論レベルの国家論
即自対自的肯定的理性:統体止揚されて国家論が学問の体系の中に融合一体化される

 これが学問の体系化の完成に是非とも必要なのです。




 

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[2170] 追伸:舌足らずの補足
愚按亭主 - 2016年07月05日 (火) 10時36分

 まだ言いたいことが山ほどあるのに、途中でやめてしまったので、続けます。

 滝村先生は、ヘーゲルの学問の立場を絶対的観念論と評価しておきながら、何故かそれを受け継ごうとはされていないようです。それは、自らの学的方法論を事実に基づく唯物論の立場のみで貫徹しようとしていて、絶対的観念論的な方法論を排除しているからです。前回にも引用しておきましたが、それは次の論述にも表れています。

「それは、哲学的な思弁や妄想によって捻り出された、いわばこの世に存在しないような類の、〈純粋観念〉のことではない。」

 これに対して私は、「このような形で『哲学的な思弁』や〈純粋観念〉を否定的に持ち出されたところをみると、滝村先生は、政治学を概念論レベルで概念化するときに何をもってそれを成し遂げるおつもりなのであろうか、という疑問が生じました。」と述べておきましたが、絶対的観念論の立場をとるならば、このような言説はありえないからです。これでは滝村先生が役に立たないと捨てたエンゲルスの「絶対的真理など観念論者の熱病病みの妄想」と同じではないか、という気がします。ヘーゲルの絶対的観念論(絶対的真理)は、科学的唯物論(相対的真理)をその構造として内に含んだものです。それを滝村先生は理解しているはずなのに、どうして滝村先生の学的方法論が、唯物論一辺倒なのか不思議でなりません。

 私が創った弁証法のテキストには、次の一説があります。
「人間は精神であるとは、絶対精神のことです。この絶対精神とは物質の本質です。その絶対精神が、自らの運動によって物質の最高の発展形態である人間となり、その精神となって、その本質は自らに回帰することになります。そして、そこからその精神が、さらに概念化を通して世界の体系的理性である絶対理念にまで昇りつめた時、人間は神になるのです。絶対的真理とはこの物質の本質である絶対精神の運動の論理学に他なりません。宗教の神は、本物の神になりそこねた相対的真理の絶対化としての神に過ぎないものですが、この神は、絶対的真理の体現としての神であり、本物の神なのです。人類は、そうでなくとも、すでに生命の誕生や天変地異といった神の領域に土足で踏み込んできています。それも絶対的真理なしに、です。したがって、これも相対的真理の絶対化ということになり、多くの有害極まりない事態を引きおこしている現実があります。それだけに、本物の神である絶対的真理の弁証法がいまほど必要となっている時代はないといえます。」

 滝村先生によると、ヘーゲルも「人間が神になる」としているそうです。これを読んで、それをまだ知らない時に、このテキストの文章を書いていたので、「やはりヘーゲルもそう言っていたのか!」と膝を打ちました。うれしかったものです。しかし、滝村先生は、冷静にこのヘーゲルの言葉を、時代性、キリスト教の影響と解釈していました。しかし、キリスト教の立場からすると、こんな不遜なことはありません。実際、私自身もキリスト教を学んだ弟子志望の者から、上にあげたテキストの文章に対してクレームがついたことからも、分かろうというものです。しかし、ヘーゲルも私も本気で「世界の原理を自分のものにして神となった人間が世界を創造する」という人類の未来図を描いているのです。

 滝村先生も認めているように、ヘーゲルの国家論は、プラトン・アリストテレス・カントの絶対的真理の系譜の流れを受け継いだもので、概念論レベルの国家論です。これに対して滝村さんは人類史における社会的国家的事象の事実から丹念に説き起こした、事実に基づく国家論です。その事実の国家論から見れば、たしかに概念論レベルのヘーゲルの国家論は大雑把すぎて穴だらけに見えることでしょう。しかし、細かい事実にとらわれないからこそ物事の本質が見えてくるのです。そうやって得られた国家論の本質を、マルクスも滝村先生もヘーゲルから学ぶことができたのです。

 しかし、残念なことに滝村先生は、論理のレベルの違いによって対象となる論理が異なってくることが分からなかったようです。概念論レベルでは、国家の外政と内政の区別は消え失せてしまうということが分からずに、「ヘーゲルの「法の哲学」は国家の外政が欠落しているから失敗作だ、としてしまったのです。

 


 

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[2183] 滝村先生は私からの手紙を喜んでくださっていたそうです!!
愚按亭主 - 2016年07月08日 (金) 18時18分

 はからずも滝村先生を批判することになってしまいましたが、あくまでも私の本意は、学問の真の発展であり、滝村先生もそれを望んでいらっしゃったと思います。その意味で、ここでの滝村先生への疑念は、そういう疑念であって、滝村先生への尊敬の念は、みじんも揺らぐものではありません。

 じつは、この談論サロンで披露されたtadaさんの滝村先生への追悼の言葉も含めて、滝村先生の奥様に、お知らせのお礼とともに滝村先生への哀悼の意を手紙にしたためておくっておきました。(tadaさん黙っていて申し訳ありませんでした)

 その奥様からの返事がつい先ほど届きました。文面は以下の通りです。
「稲村様
 ごていねいなお便り、ありがとうございました。滝村は、稲村様にお便りをしたいとずっと言ってましたが、とうとう果たせず、申し訳ない思いです。※過日頂いたお便りをとても喜んでいたのです。
 同封しましたのは、青山さんの書いて下さった追悼文です。ご一読いただけるようでしたら、幸いです。」

 滝村先生があの手紙を喜んでくださっていたのだと知って、大感激です。これは是非とも弔問に伺わなければと思います。tadaさん一緒にいかがですか?
 ついでその同封された青山文久氏の追悼文を紹介します。中に我が意を得たりの箇所があります。

        *         *

   滝村隆一の死去を悼む
                       青山文久
 先月(5月)の25日、私の師であり友人でもある滝村隆一が死去した。享年71歳。肺線維症の病状重く、それほど遠くはない死を予期せぬわけではなかったが、3月に電話で会話した時にはまだ十数分もしゃべりまくるだけの気力・体力をみせていただけに、やはり突然としか言いようがなかった。その死を私が知ったのは、夫人からの書状によってで、死後、十日ほどたっていた。故人の遺志により、葬儀はごく少数の親族によってのみ営まれ、その葬儀に参列することは私にはかなわなかった。死去の通知を受け取り、私は弔問のため滝村宅を訪問した。二十数年ぶりであった。

 滝村は死ぬまでの20年間ほど、門を杜じ客を謝す研究・執筆生活をおくっていた。歴史研究会のメンバーとして親しくしていた三谷孝(中国史)、佐藤正哲(インド史)やそれに私とも一切会うことはなかった。まさに面会謝絶であった。電話・ファックス、手紙のみが滝村との連絡を取る手段で、それも以前ほど頻繁というわけにはいかなかった。夫人の話によると、もう時間がないという切迫感のもと面会謝絶という己が格率を立てたということである。そしてそれを守り抜いた。そのことによってどんな摩擦が生じようが、いったん決めたらてこでも動かないのが滝村であったというのが夫人の言である。

 居間にしつらえらえた焼香台に置かれた遺影を見、線香をあげる。遺影は死の半年前ほどのスナップなのだが、病にやつれた感は全く受けない。今にも、あの自由闊達な早口でまくしたててきそうな気にとらわれる。
 夫人にうながされて、滝村がいつもそこに座り読書・執筆を行っていた椅子に腰を掛ける。右脇には肩ぐらいまでの高さまで本が積み上げられている。石原慎太郎が田中角栄を描いた『天才』(今年の1月刊)や太田尚樹の『満州と岸信介』(昨年9月刊)などが目に留まる。滝村は自民党の歴代所派閥の動向とその派閥間抗争についておそろしく詳しかった。田中角栄についても深い関心を持っていた。その関心は最後まで衰えなかったのである。太田尚樹の書を見て私は思い出した。日本の近現代史を扱った歴史小説の中で、文学的な優秀とは全く別に歴史学・政治学の参考になるという点では五味川純平の『戦争と人間』はいい。これを読めば満州国と軍部との関係についてよくわかると滝村が語っていたことを。あれほど深く日本の近代史について研究していたにもかかわらず、滝村がその成果の一端を披歴したのは『国家論大綱第一巻下』中の「補選 特殊的国家論第一偏〈近代〉専制国家登場の意味 1 ファシズム国家とは何か」においてで、そこでは戦時国家体制の常態化としての「日本ファシズム」について論じられていた。大田の書を手に取って、参考文献に目をとおしてみる。いくつかの書に鉛筆で印がつけられている。おそらく、購入しようと思っていたのであろう。

 肺線維症の病状の重篤さについては、本人や夫人から切れ切れにうかがってはいたのだが、あらためて夫人から話をうかがうとその深刻さに驚くほかなかった。『国家論大綱第二巻』の完成稿を出稿後の2014年の9月、特発性肺線維症と診断され、しかもすでにかなり進行していることを医師から告げられている。昨年、今年と病状は重篤化し、本当は酸素吸入が必要な状態であった。しかし、滝村はそれを拒否し、最後まで自力呼吸を続けた。息が苦しい中、それでも読書・研究をやめようとはしなかった。

 電話で滝村は言っていた。『国家論大綱第二巻』を書き上げることができ、もうこれで思い残すことはないと思ったが、読書や考えることはできるので、「アメリカ国家論」のためのカルヴィニズムを中心にキリスト教について追究した。キリスト教信仰にもとづく「個人」というものが契約国家論の前提をなすということがよくわかった。そのことについて書きたいが、書く体力がさすがにもうなくて大変もどかしいと。

 滝村隆一に普通の意味での弟子は一人もいなかった。私も含めて周囲に集まってきた人間に対しては誰とも友人として接した。立正大学の一般教養課程で10年間ほど政治学を講じていたから、受講した学生にとっては「先生」であっただろうが、われわれに対しては「師」「先生」としてふるまったことはなかった。だから、だれもが滝村を呼ぶときは「滝村さん」だった。滝村は常日頃こう言っていた。学問にとって一番大事なことは疑うことだ。どんな権威とみなされている学説も師説も疑わなければならない。人間はむしろ信じたがってしまうものなのだ。だから疑うことが大切だ。(やはり滝村先生なら私の批判を受け止めていただけると思った!−筆者)

 とはいっても、「歴史研究会」や「政治理論研究会」の場での滝村の存在感は圧倒的であった。「歴史研究会」は滝村の理論に関心をもつ歴史家(大学の教員や大学院生)たちが滝村と図って、「政治理論研究会」は滝村が中心となって立ち上げた(ともに1,980年代初頭に)ものだが、どちらでも、研究会の場を支配しまうのは滝村であった。滝村が口を開くとその一言一句を聞き漏らすまいとメンバーのだれもが耳を澄ます。滝村が研究会の主題になった問題や報告者が書評対象として取り上げた本についてしゃべりだすとき、あたかも巨大な思考機械がうなりをあげて動き出すような錯覚にとらわれる。そして、わたしたちには思いもつかないようなやりかたで問題への解法や論断が示されるが、それらは驚くほど説得的なのである。

 1986年ごろ、研究会で「ファシズム」が論題とされ、参考文献としては山口定の『ファシズム』が取り上げられた。山口の書についての研究報告に対する滝村のコメントは圧巻といってよいものであった。まず、山口のファシズム論が全く本質論を欠く現象論にすぎないことが指摘された。ファシズムにみられる諸現象をそのまま諸要素としてつまみ出し、その組み合わせによってファシズムの本質が明らかになるかのように考える錯誤がそこに存在するということである。全世界規模の帝国主義戦争を勝ち抜き、世界における覇権を確立するための戦時体制の常態化というところにファシズムの本質はある。その本質論を踏まえることによってのみファシズムの諸現象は解明できる。そして、滝村はそこからファシズムイデオロギー、一党専制体制の問題を究明してみせたのである。

 最後に『国家論大綱』に収斂された学的・理論的作業における〈原理と方法〉について一言すべきであろう。その〈原理と方法)とは、「事物の本質の認識は、現象それ自体ではなく、その背後に内在する一般性、つまりは内在的な論理的関連を把握することによって、可能になる」というものである。かかる方法に立脚せずに、事象の〈直接的連関〉のみをもっぱら追究しようとすると、対象の実態的・機能的諸要素・諸側面が相互に何の論理的連関をもたないまま投げ出されることになる。先ほどの山口の書はその典型である。しかし、今日、滝村と同様な〈原理・方法〉を採用するものは日本でも、世界でもいないであろう。滝村流の<原理・方法>を採用して学的作業することの難易度があまりにも高すぎるからである。それに対して、経験論的実証主義の立場にもとづいて対象の実体的・機能的諸要素・諸側面を追究することははるかに容易であり、学問「実績」もあげやすい。かくて、滝村の学的・理論的作業はあまりにも反時代的かつ「孤独な(奥田晴樹氏の言)」ものとなってしまった。たしかに、滝村の学的・理論的作業とは、常人なら数日間も耐えられないような思索を数年間、いや十年間以上にわたって持続させるものであり、並外れた精神力を必要とするものである。滝村の精神力はかかる思索に耐えることができた。しかし、肉体はそれに耐えることができなかったのかもしれない。滝村の病を前にしてそんな気持ちにおそわれる。

 滝村さん、あなたはよく闘われました。世界史上の多くの学的権威と、あなたが好きだった言葉でいえば「さしで勝負」しました。しかし、何よりも自分とよく闘われました。闘い終って永眠されたあなたに最後の別れの挨拶を送ります。さようなら。
                  (2016年6月15日)

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[2184] 対象の内的特質の重要性
tada - 2016年07月08日 (金) 22時35分

ヘーゲルは日本史でいえば 明和生まれで文化文政期に大きな仕事をして 天保の時代に逝去した。滝沢馬琴や四世鶴屋南北と同じ時期ですね。政治的にはェ政の改革から天保の改革へ 幕府の衰退とヨーロッパ近代の始まりによるアジア 日本への接近の時期に重なります。世界史で言えば アメリカの独立宣言 フランス革命時には13歳から19歳の頃 多感な時期に市民革命の影響を受けたのです。その後もフランス革命の迷走ぶりを認識し ナポレオンの登場による国家の統一に歓喜したに違いありません。そのナポレオンの革命輸出が皮肉なことに 征服した国に対して自由の精神を育ませ 反ナポレオン勢力となって ナポレオンを破り ヨーロッパ列強が近代国家へと転生していく時期をもみているのです。その頃のヘーゲルのいるドイツも征服された国として かつ市民社会にはほど遠い後進国として 様々な改革を断行され 近代の息吹とその反感である母国への愛情 ナショナリズムが熟成されていくのです。ナポレオンのイエナ占領に世界精神をみたのが ヘーゲル36歳 精神現象学を脱稿した日でした。

 こんにちは天寿道さん tadaです。私にとってのヘーゲルはフランス革命の寵児です。市民精神の登場 そして市民精神の迷走 無政府状態 それを止揚するナポレオンの国家統一 ナポレオンの革命精神の輸出と その革命精神のによるナショナリズムの台頭 それが止揚される形での ヨーロッパ近代国家群の登場といった具合に弁証法的世界がヘーゲルの目の前で繰り広げられたのですから。
 法の哲学はヘーゲルが市民社会の自由が暴走せず 国家に統括され その国家がまた専制圧政をせず 社会の自由を認める姿を法の支配に託して叙述したものです。
 
 滝村先生は1992年の世紀末時代を読むの時から ヘーゲルの国家論は行政論がない 国家の活動がない国家論は意味がないと言っていました。国家論大綱第一巻 下422ページにおいても学説批判として解体しています。しかしです。ヘーゲルの歴史哲学の最後のほうの革命の分析には統治と行政の把握が国家の目的として把握されているんです。そして 国家論大綱第一巻上の553ページには なんとそのことが書かれています。私 滝村の統治 行政概念にもっとも近いのはヘーゲルであると。さらにですが ここでも政治的支配を形式的な法律 法制的解釈することを戒めています。法を中心にすえてはいけない あくまでも政治事象をそれ自体から論理構成するのだということです。そうしなければ、歴史的 現実的な政治の実像からかけ離れるだけだと。法の哲学は失敗作であったが 歴史哲学は歴史社会の構成体としての統一的的把握という学的方法をを一貫として把持していると評価しています。ヘーゲルの三権分立の否定は 三権の内的特質を把握できなかったため 三大機関相互が対峙し抗争することで国家を崩壊に至らしめると想像し また論理学に対応しないと言うことから まったく異質の論理レベルの諸概念を同一レベルで扱い 学的に意味のないものになったのです。ただヘーゲルは法の哲学で思弁的になる以前に 哲学入門において 三権分立にかかわる諸権力と統治行政に関わる諸権力を二つに区別して把握しています。この点に関しては ヘーゲルらしい鋭い発想だと滝村先生は部分的評価をしています。

 この小文を書きはじめたときは ヘーゲルについて 頭にちょんまげをゆって 国家論を論じているんだもの 滝村先生 いくらなんでも ヘーゲルに対して 酷だよなぁとつぶやいていたのです。法の哲学は国家と社会の関連 特に国家は法的に統括された社会ということを論じているし これはこれでいいのではないのかと
 それが 国家論大綱3冊にこれでもか これでもかと 法の哲学のだめ出しを読み返すと これは何かあるのかと思い始めまして だんだんと考えが変わってきたのです。気になったのは 弁証法的思弁的思考の深まる以前と対象に正面から向かった時は素朴だけれど鋭い見解をしているということです。やはり対象の内的特質を掘り下げることが一番大事なことなのです。ヘーゲルの弁証法が有効な時は内的特質に適合する弁証法の使用 彼の場合 歴史哲学に一貫してみる社会構成理論の適用だったのです。社会構成理論は簡単に言えば 歴史の中に 国家 文化 社会の連関を把握し 互いに影響し反発し突出するようなその運動性の特徴を 対象の特質つまりその運動の法則性として 明らかにしていくことだと 誤解を承知で書いておきます。そして 機械的な弁証法の適用は控えなければなりません。一般的論理での弁証法の適用では解明になりません。あくまでも内的特質に対する弁証法の適用です。そういったことを滝村先生は自分自身に自戒の意味を含めて 何度も繰り返したのだと私は勝手に思ったしだいです。

 

Pass

[2186] 本物の国家論を完成させるためには
愚按亭主 - 2016年07月09日 (土) 11時45分

 情熱的な名文ですね!感銘しました。思いがヒシヒシと伝わってきます。しかし、それはそれとして、私は私の思いを理解してもらうために、あらためて自分の言わんとしていることを説明したいと思います。

 まず、問題は時代性の問題ではないということです。ヘーゲルの論理はそれだけ普遍性があるということです。

>一般的論理での弁証法の適用では解明になりません。あくまでも内的特質に対する弁証法の適用です。そういったことを滝村先生は自分自身に自戒の意味を含めて 何度も繰り返したのだと私は勝手に思ったしだいです。

 人間になって即自と対(向)自とに認識が二重構造化した意義は何か?という問題です。森の中に入って木を一本一本じっくりと観察する風景と、森全体を俯瞰的に眺めた時の風景とでは、見えるものが違ってくるということであり、だからこそ、その両者の統一・統体止揚によってはじめて真の学問的な認識が得られるということです。実際不完全な形、断片的ではあっても、ヘーゲルのほうの哲学の一般論が、事実的な国家論の本質的な構造の解明に役立てられているという事実があることです。

 また、哲学の体系は世界を丸ごととらえて体系化したものですが、個別科学はその一部分を切り追って、それを一つの全体として事実から論理を導き出して体系化するものです。こうして創られた体系は、本来全体の一部分であったものを、その部分を完結した全体として扱うものですから、その結果出来上がった体系をもとの全体に移そうと思ってもうまくはまらなくなっているのです。それをしっかりと全体の一部として位置づけられるようにするためには、それなりの手続きが必要になるのですr。それが概念論レベルでの概念化の作業です。そのときに全体系の一般論が必要になるのです。これを滝村先生は否定してしまったのです。私が不思議に思い理解できないのは、滝村先生が、真の学問を創り上げるにはヘーゲルの概念の弁証法が必須だとしてしていたはずだからです。南郷先生のようにはじめからヘーゲルの弁証法など初歩の単層構造だと切り捨ててしまっていたのなら、それなりに納得がいくのですが・・・・。

 おそらく、病が災いしたのではないかと推測しています。時間がなかったためにできる範囲のところに的を絞り集中したのではないかという気がします。お元気だったらそういうことはなかったのではと思います。だから結果としてちぐはぐとなってしまった。たおえば、ヘーゲルの絶対的観念論を高く評価しながら、自らの学的方法は唯物論を徹底して貫く、というようにです。

 次に概念論レベルの概念化とはどういうものか?という問題です。ここでは個別科学レベルの事実から積み上げてきた本質論を、いったん否定してかからなければなりません。そのことについては、すでに述べておりますので、あえて再掲します。



「ヘーゲルがここでも、余りにも徹底的に、その概念弁証法による思弁的構成に、こだわり過ぎた点にある。それは、学的国家論を、〈法ー道徳ー人倫)という法的理念の弁証法的展開による、〈法哲学〉の構成に、端的に示されている。これを裏からいうと、国家論の学的解明において、〈国家〉それ自体を学的対象として、直接正面に据える学的方法が明確に斥けられたことである。」(「国家論大綱第二巻」452P)

 そして、滝村先生は、その例証として、ヘーゲル自身が述べている文書(準備草稿)を紹介しています。
「国家をそれだけで考察し、国家組織や政府がどうあるべきかを明らかにしようとする傾向があります。人びとは上の階を建てるのに忙しく、上層を組織立てようとはするが、土台たる結婚や速脳集団はおざなりになり、ときに、粉々にされたりもする。が、一組織、一建造物は空中に浮かんでいるわけにはいかない。共同体は国家の共同性という形をとって存在するだけでなく、その本質からして特殊な共同性をとっても存在しなければなりません。」(長谷川訳、「法哲学講義」作品社、496P)

 滝村先生は、おそらく前半部分の国家をそれだけで考察する傾向をヘーゲルが批判している部分を示すためにこれを引用したのだと思います。ところが、滝村先生は気づかなかったようですが、ここで、ヘーゲルはとても重要なことを述べています。
 キーワードは「空中に浮かんでいる」のではない、という部分です。土台というのは、生命の歴史とのつながりで、国家をとらえよということです。だから、「共同体は国家の共同性という形をとって存在するだけでなく、その本質からして特殊な共同性をとっても存在しなければなりません。」となるのです。生命の本流の流れとして、動物の本能的な共同性から、人間の段階に至っての絶対理念へと向かうところの本能の外化としての法的規範の共同性という特殊性としてとらえよ、ということです。これが、ヘーゲルの概念論レベルの国家論となるのです。


 これについてはtadaさんとの前の議論でも少し触れていましたね。もう一度見ておきましょう。まず、私が

「これを物質の運動発展の大きな流れにおいて把え返すならば、ヘーゲルが学問を生命から説いていったように、生命における元素の有機的集団的実存形態そしてその最高形態としての動物の本能的集団から説き起こす必要があり、その否定的媒介として人類の目的意識的な社会・国家の形成がはじまり、その統体止揚としての目的意識的な第二の集団的本能としての憲法の下での国家的法秩序の確立があるというような観点が必要になると思います。このような視点は、国家の事実的究明をいくら極めても出てこない発想だと思います。だから、必要なのです。」

 これに対してtadaさんから次のような返事をいただきました。

「やっと天寿道さんの絶対的真理の弁証法が理解できたみたいです。非常に有意義な時間を過ごさせていただき 感謝しています。
 今回を通じて 世界史の方法に自然史を取り込むことは正当であると、確認できたのが一番の収穫でした。 」

 ここで問題とされている視点とは、森を俯瞰的に眺める概念論レベルの視点で、ヘーゲルが「共同体は国家の共同性という形をとって存在するだけでなく、その本質からして特殊な共同性をとっても存在しなければなりません。」(長谷川訳、「法哲学講義」作品社、496P)と述べたものを、私が「生命の本流の流れとして、動物の本能的な共同性から、人間の段階に至っての絶対理念へと向かうところの本能の外化としての法的規範の共同性という特殊性としてとらえよ」と解説した視点です。ここから、動物の場合は、ボスを争う戦いにもきちんとした本能的なルールが存在し、命のやり取りには発展しないのが通例であるのに、人間の場合は、反逆罪として処刑されるという特殊性があり、その違いは何によるものか、ということも学問的に解明されなければならないと思います。





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[2192] 風姿花伝 この頃の花こそ初心と申す頃なるを
tada - 2016年07月10日 (月) 21時35分

 tadaです。天寿道さん 名文だなんて 褒めすぎです。でもありがとうごさいます。励みになります。青山文久氏の追悼文の掲載感謝です。病魔との戦いのなかでの学の研鑽 歴研での殺気を放つ存在感 さすが滝村隆一です。本物とは一流とは まさにこの人をみよです。
 今回は弁証法について 少し簡潔にまとめる作業をしてみます。
 ご承知のように弁証法には事物に対するバラバラの知識を統合する一般性的論理と事物の具体性の本質に分け入る構造把握のための構造的論理の二つがあります。ここは南郷学派も私も共通しているところです。
 しかし 滝村隆一氏においては 弁証法は 最終的に体系として構成するときと論文化するときの形式にだけ必要であるものと断定されています。それ以外は害毒になるほど危険であるとの警告は国家論大綱にいたるところに言及されています。このことが南郷学派との決裂の最大原因でもあります。
 私は滝村隆一氏の社会構成論と世界史の方法を 事物の内的特質に対応した弁証法と位置づけました。事物の具体性の本質に分け入る構造把握としの弁証法です。滝村氏はこれには同意しないと思われますが、私の考えではこれほど弁証法の特徴である変化運動を定式化し 実際の歴史事象に適合している例はないと見ています。
 さて 問題となるのは一般性の弁証法です。そのなかでも最終的に体系化構成化する場合の弁証法の適合は マルクスの資本論がへーゲルの大論理学を参照して書き進められたと言われているくらいですので問題はありません。滝村氏も国家論大綱内で同意しています。
 いよいよここからが本丸です。それは一般性の弁証法の中でも常識の弁証法とでも言えばいいのでしょうか。エンゲルス 三浦つとむの弁証法にはじまり そこを踏み台に大きく学的に再構成した生命史観 いのちの歴史の弁証法です。初学者が学の世界に入門するとき いやもっと早く 例えば子供たちが一冊の大項目式の百科事典を読み出すころ 小学生が日本史の時代区分 平安 鎌倉 室町 戦国 江戸を認識するころ 中学生が世界史を四大文明 ギリシャローマ 中世ヨーロッパ イスラム中国インドの王朝 絶対主義国家 市民革命 近代国家と学ぶころ わたしたちは すでに 一般性の弁証法の片鱗を学びはじめているということです。素朴ながらも その頃の教師の指導法 部分と全体を流れでつかみなさいと。滝村氏はこの常識の弁証法を学の形成には一般性しすぎて役に立たない。せいぜい頭の体操にしかならない それを無理矢理 本質解明に適合させようとして失敗しているインチキ弁証法と呼びました。
 しかしです。この文化遺産の習得 教養の習得に弁証法を応用するのは実り多きものです。我々はこれを無意識に 学校教育外で習得していきます。生活の知恵とか人生哲学とか もっと面白いことに効率的な受験勉強の方法として。無自覚な部分で大いに役立ち浸透しているのです。これを意識的に学の入門として 専門性を身につける前の教養課程として啓蒙しづけてくれたのは もうおわかりですね。南郷継正氏とその学派の人々です。常識の弁証法によって世界を 宇宙を把握できる認識を育めるのです。モザイクの知識 機能主義的考え方から全体像と構造的に連関している有機体的考え方ができるようになる。専門的世界に入る前の訓練としては何も問題がないことです。滝村氏もたぶん無自覚にここを通過なされたと思われます。あの該博な知識を縦横無尽に駆使できる実力は単なる暗記能力では無理です。それは弁証法的実力なのです。このことが私が問いたい 常識 一般性の弁証法なのです。
 反論されるかもしれませんが 天寿道さんの絶対の弁証法 へーゲルの弁証法も 私の位置付けでは この一般性の弁証法のことです。だから 問題を解明するときに 天寿道さんもヘーゲルも 大きな方向性に間違いはでてこないのです。正解に近づけるのです。 しかし、山口定著ファシズムを読んでも具体的事象的なファシズム像は描けますが 本質像は描けません。百科全書的な内容なので 観と勘を働かせるとかなり良いところまで議論はできますが、一般性の議論で終わるでしょう。やはり国家の構造を解明して 本質をとらえることでしかファシズムや第二次世界大戦の構造を理解することはできないのです。仮に一般性の弁証法でどこまでも行けるのでしょうか?本質論に追いつけるのでしょうか?この問題はおもしろいです。実はいい線までいけるんではないかと思っています。政治分野なら80年代だと鮎川信夫90年代は長谷川慶太郎 2000年代は別宮暖朗と兵藤二十八の著書に依拠することで近現代史は行けると思います。それに同じ一般書で90年代に滝村氏も世紀末時代を読む ニッポン政治の解体学をだしておりますので この二冊を読めば 裏口入学ですけれども 本質論解明をスルーして頂上の風景を見ることができます。ただその実力は時分の花 まことの花ではないことを痛感する日がいつかはくるでしょう。
 天寿道さんと私の考えはたぶん同じだと思います。表現や位置付けが違うのだけなのです。過去の天寿道さんの小論をざっと読んみたのですが ひとつひとつ納得がいくものばかりでした。今も私の考えが絶対に正しいとは言いません。あくまでも現時点の見解です。すべてを疑えです。 

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[2194] 疑うということの意義とは
愚按亭主 - 2016年07月12日 (火) 10時48分

 宗教を信奉する人が教義を疑うことなく信奉するのは、それが宗教の本姓ですから致し方がないのですが、科学の研究者が宇宙は一転から始まったとする迷妄を疑うことなく信奉して、その上に虚構の論理をねつ造して、それをまた疑うことなく、その上に屋上屋を積み重ねている現代科学の現状をみますと、疑うことの重要性を痛感いたします。

 疑うということは、論理を主体的に自分のものとするための大事な過程だと思います。何故そうなのかを一から問い直し、自分の力で論理を再創造していく過程で論理の齟齬がないかを入念にチェックして、そこに疑問が生じたら、相手にぶつけたり、自分の中で何らかの解決を図っていくという形で、その論理が自分のものとなっていくことが、疑うことの意義だと思います。ただし、この疑うことは、あくまでもある程度弁証法の技の形が出来上がってその技の形に魂を注ぎ込む段階以上の人について言えることで、基本技の技の形を創り上げる段階にあって、まだ論理とはなにかもよく分かっていない人に、疑うことをさせたら技がまともに出来上がらなくなってしまいます。

 では、tadaさんの展開された論理についての感想を、述べていきたいと思いますが、その前に少々お田恒したいことがありますので、それを確認したうえで、述べたいと思いますので、今回は質問だけに留めたいと思います。

>滝村隆一氏においては 弁証法は 最終的に体系として構成するときと論文化するときの形式にだけ必要であるものと断定されています。それ以外は害毒になるほど危険であるとの警告は国家論大綱にいたるところに言及されています。このことが南郷学派との決裂の最大原因でもあります。

 恥ずかしながら、私は滝村先生と南郷先生が決裂されるに至った過程について何一つ事実を知りませんでしたので、正直、そういうことだったのか!初めて知りました。そしてそれに関連して、滝村先生は「それ以外は害毒になるほど危険であるとの警告は国家論大綱にいたるところに言及されています。」とありますが、現在まで読んだ限りでは、それらしい文言に遭遇していないように思いますが、どのような害毒があるかについて、一例でも結構ですので具体的にお教えいただけますが?本来なら、自分で本をしっかりと読みこなして、自分でそれを探すべきでありますが、少々目を悪くして、本を長時間読み通すことができませんので、少し甘えさせてください。

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[2201] 滝村隆一の弁証法観
tada - 2016年07月13日 (水) 00時31分

 ことの起こりは試行72号(1993年12月発行)です。マルクス主義の方法的解体という題名で二段組み30ページの論文が掲載されました。国家論大綱でいいますと 第2巻の第一部の方法論の要約に近いと思います。
 国家論大綱では第一巻上316と317ページの補注が決定的です。三浦つとむとエンゲルスの弁証法を知的ゲームと言い切っています。三浦つとむ批判はこのとき初めて知り 正直悩みました。そのころは南郷武道講義の信者でもあったからです。試行72号ではエンゲルスの弁証法の批判だけで三浦つとむの批判はないですが弁証法を仕事の合間にでもやる、遊びに近い論理的思考の体操 スポーツでいえば 準備体操や軽いランニングのようなものと表現しています。
 国家論大綱第一巻下では425ページの三権の権力について ヘーゲルが論理学概念を機械的適用しているとの指摘。464ページ補足国家の概念の多義性について 弁証法とは言っていないのですが、方法と理論の関係という論考で 先見的な方法論はない 一定の理論的認識が方法的構成を可能にすると やはり打ち出の小槌的な弁証法のあり方を否定しております。406ページにはあのマルクスまでが唯物史観を経済還元主義で位置付けてしまうというサンプル。これは現代でも弁証法が批判される一因のひとつですね。経済が政治を決定するという土台と上部構造の関係のことです。
 国家論大綱第二巻266ページ単なる常識的表象にもとづいて。弁証法的に把握すれば 有毒有害にしか作用すまい。と述べています。そのあと273ページまでが弁証法の使用注意事項が書かれています。
 このように滝村先生は エンゲルス マルクス ヘーゲルたち学匠やマルクス学者群の失敗の根拠を弁証法に求めていることが少なからずあるのです。
 

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[2204] 滝村先生のご指摘はその通りだと思います
愚按亭主 - 2016年07月13日 (水) 16時29分

 詳しく教えていただき、ありがとうございます。滝村先生のご指摘はその通りだと思います。。(ただし「下巻」のヘーゲルの機械的あてはめのところは見ていませんので除いて)しかし、そうだからといって「弁証法は 最終的に体系として構成するときと論文化するときの形式にだけ必要であるものと断定」してしまうのも、せっかくの弁証法がもったいないような気がします。そして、滝村先生に対して、私が漠然と感じていたモヤモヤ感の正体がこれだったのか、と気づきました。なるほどだから滝村先生はあのようにおっしゃっていたのか、と納得できました。

 そして、それに対して、私の弁証法像はどういうものか、滝村先生とどう違うのか、についてこれから説明していきたいと思います。私は、ヘーゲルの弁証法を、もっとスケールの大きなものと理解しております。滝村先生は、弁証法を学の体系を創り上げるのに必須な論理学に限局してしまっていますが、私は弁証法と論理学は密接な関係にありますが、別物だと思っています。論理学はいわば形式ですが、弁証法は、その形式を内に含んだ本質の運動そのものだと思います。だから、弁証法においては主観と客観(客体)の区別はなくなるのです。したがって、本物の弁証法は、絶対的観念論になるのです。何故なら人間は精神だからです。弁証法は、その精神の主体性の最たるものだからです。そして、絶対理念となり神となった人類が新たな世界創造を始める、これがヘーゲルの描いた理想的な未来像だと思います。ところが、滝村先生は弁証法を論理学に閉じ込めてしまったために、絶対的観念論になれずに、唯物論にとどまってしまって、概念論レベルにまで到達できなくなってしまったのだと思います。

 次に、ヘーゲルの創った世界全体の一般論ベルの概念の弁証法は、個々の事実の解明には役に立たないという問題ですが、これについての解答は、すでに学問の歴史の中にあります。その答えだけを先にいいますと、たしかに、滝村先生の言うように機械的に当てはめても役には立ちませんが、否定の否定的に弁証法的にそれを役立てるとものすごい威力を発揮するようになる、ということです。

 では学問の歴史をみてみましょう。まず、弁証法は世界全体を丸ごと対象にして、その本質を見極めようとする流れの中から生まれました。その端緒を切り開いたのが、パルメニデスの世界は一にして不動です。そして、ゼノンの運動している矢を止めて見せた論理展開や、ヘラクレイトスの有即無・動即静から運動が生まれるという運動体の弁証法の萌芽などの、先駆的な論理の突出を内に含みながら、プラトン・アリストテレスの動中の不動を本質とする静止体の弁証法(形而上学)がギリシャ哲学の時代に完成します。

 次に19世紀のドイツ哲学の時代にカントの二律背反論において、そのギリシャ哲学の静止体の弁証法が復活して、カントなりにその命題間矛盾を、何とか解決しようと「物自体論」を創り出しましたが、アリストテレス以来の静止体の弁証法の形式論理学のままではその壁を突破することができませんでした。それをそれを見事に成し遂げて運動体の弁証法を創り上げたのがヘーゲルです。ではヘーゲルは如何にしてその偉業を成し遂げたのかといえば、それは、〈判断破壊〉という強烈なハンマーによって形式論理学的秩序をうち壊して、それまでの常識から自由になることによって、新たな運動体の弁証法の論理学の基礎である命題内矛盾の形式を創り上げたのです。

 以上の弁証法の生い立ちを見ればわかる通り、弁証法は、世界を丸ごととらえる哲学の系譜によって作られました。この哲学の系譜とは、その出発点でもある「世界は一にして不動」が象徴的に示す通り絶対的真理の系譜に他なりません。この絶対的真理の系譜は「世界は一にして不動」という本質的観念を基点として展開するものですから、必然的に観念論となります。

 こうして創られた絶対的真理の弁証法は、それをもって現実の個々の事案を解こうと思っても、役に立ちません。実際ヘーゲルの弟子のマルクスは、それでヘーゲルの観念論的な弁証法を捨てて唯物論の立場に立って事実と格闘しながら唯物論の立場に立った弁証法を作り上げました。これは部分的事実から創り上げた真理であり弁証法ですから、相対的真理の弁証法と呼びます。

 つまり、観念論的な一般論の弁証法は否定されて、唯物論的な事実の弁証法として創り上げられなければならないということです。そして、大事なことは、その両者を再び弁証法的に統体止揚して一つの全世界を射程に置いた体系的な弁証法として仕上げなければなりません。こうなったとき、その弁証法はものすごい威力を発揮します。

 そして、その最後の段階にまで来ているのに、現実の学問の歴史は足踏みをしているのです。これまでは南郷先生がその罠にからめとられて立ち往生している様子が見て取れましたが、じつは滝村先生もその同じ罠にはまってしまっていたのだということが分かって、正直驚いております。これが学問の歴史の現実であると思います。

 私は私なりに個人的には、その壁を私なりに克服しようと努力しております。まだそれほど凄くはありませんが、その一端として見ていただくとうれしいのですが、別のスレッドでタマゴさんという人との論争の中で、交感神経と副交感神経との関係についての新しい発見が次々に行われ、新たな関係が着々と再構成されてきております。

 それががどのように行われてきたのか、について私のアタマの中を描写してみましょう。まず、私のアタマの中には、ヘーゲルの絶対精神の自己運動(生命史観を含む)という基本骨格をもつこの世界の全体像がそれなりにできております。これを背景にして、テーマとなる南郷学派が解明した現代生理学の自律神経論の誤りの指摘をきっかけとして、それを自らの治療実践の中で具体的にどのような問題をなって現出しているかを確かめながら、様々な試みを通して得た豊富な事実の中から、大事だと思われる論理を取り出して、それを確かめるという繰り返しの中で、次第に交感神経の実像が明らかとなっていき、さらに加えてタマゴさんとのやり取りの中で、タマゴさんが私が困るような事実を現代医学の中から一所懸命に探し出してきて論争を挑んできてくれる、というもろもろのことがシャッフルされ、かき回される中で、すでに私の頭の中に出来上がっている体系が、それらの中から掬い上げられたものが、不思議に見事にその体系に見合ったものに整えられた、それまでになかった新たな構造として見えてくるという、体験の繰り返しで、議論の中で、次々と新しい発見がなされているのです。これが弁証法の効用であろうと思います。

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[2205]
タマゴ - 2016年07月13日 (木) 18時36分

天寿堂さんが、私との議論を通じて自律神経に関する洞察を一気に深めている一面があることは認めましょう。
私が天寿堂さんの論理学を用いて呈示した

基礎的契機:天寿堂さんの主張
否定的契機:タマゴによる批判
統体的契機:天珠医学の理論

という形成過程がうまく機能している一面もある、ということだと思います。
以前の天寿堂さんなら、誤った理論と相互浸透してたまるかとばかりに論敵の否定に躍起になることが多かったと思いますが、
現在は、天寿堂自身の主張と私の批判を統体止揚する“コツ”のようなものを掴みつつあるように思えるのです。
例えば、議論を通じて、腸神経や副交感神経が生体の基礎的な活動を受け持ち、交感神経がそれを情況に合わせ制御している、という仮説が徐々に形成されつつあると思います。
この自律神経の仮説は、まだ南郷派も説いていないのではないでしょうか。

しかし、天寿堂さん自身が「まださほど凄くありませんが」と述べているように、以前の悪い癖が抜け切れていないと思うこともしばしばです。
そういう時は、私も発展性の無さにイラついてしまうわけです。

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[2206] 南郷継正の弁証法観
tada - 2016年07月14日 (木) 00時00分

 天寿道さん 学城シリーズはお持ちですか?一号から4号は加納哲邦氏による学的国家論への序章が書かれています。
 4号において 加納氏は試行72号マルクス主義の方法的解体に対して反論を行っています。へーゲルの絶対精神つまり南郷学派の生命史観を対置することで 滝村世界史の方法が弁証法を否定しているため 世界史の変化連関を扱えない欠陥を有すると論じています。世界史の方法に弁証法性がないのというのは いままでの私の考えどおりありえません。変化連関よりも特質の強調に主眼があるので欠陥とも言えません。ちょっと見当違いの内容でした。しかしこのアプローチの仕方は面白いです。絶対精神の考え方がなぜ論理の解明に役立つのか?という問いに答えられれば 滝村隆一に対抗できるからです。
 古くは武道講義において 弁証法と専門分野への応用の仕方はブラックボックスのようで 修練の結果でるものと はっきりしませんでした。
 ご存じのように近年の南郷弁証法では弁証法はふたつの弁証法を段階的採用しています。一般性的論理能力と構造性的論理能力です。一般性の論理能力とは エンゲルス・三浦つとむの弁証法が自然科学以外の応用の困難さから 否定されたためになされた ヘーゲル絶対精神の採用です。いわゆる生命の歴史の一般論の構築です。これができたあとは、怒涛のように対象の構造に分け入り構造論を確立していくと言われています。
 この構造性的論理能力は 国家論大綱第2巻79ページで述べられている直観的な本質把握と同じです。前提となる一般性が生命史観か 先行諸学説の諸概念かの違いです。
 したがって 弁証法という言葉を取っ払らえば 滝村先生と南郷先生の違いとは結局 世界史の方法と生命の歴史の対立ということで落ち着くのではないでしょうか。
 天寿道さんにおいては この一般性の弁証法に 生命史観と専門における先行諸学説の両方が合わさり 良い結果が生まれているのでしょう。
 追伸 天寿道さんに質問です。武道の方法ということを南郷先生は構想されたことはないのですか?社会構成論のようなものです。社会 文化 国家の関連形態に対応するような 人間体(遺伝) 文化体(環境) 武道体(武道に関わらない主体性)の関連形態での把握です。 生命史観だとスケールが大きいのであつかいが困難なのです。私は個人的に主体性の方法と呼んでいます。 宇宙の誕生から人類の誕生までを生命の歴史で 人類の歴史を世界史の方法で 個人の生活を主体性の方法でそれぞれ把握するということです。いかがでしょうか? 
 
 

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[2207] 滝村先生と南ク学派との論争の意味を紐解くと
愚按亭主 - 2016年07月14日 (木) 17時34分

>タマゴさん
 何だかんだ言っても、こちらの言うことをそれなりに理解してくれているのですね。全く理解しようとしていない・できないのかと思っていました。

>tadaさん
 南ク学派はその後、国家論を全く発展させることができないでいます。それはどうしてかといいますと、せっかく生命史観を創り上げたのに、それを絶対精神の自己運動からとらえ返す作業を怠って、生命史観で成功した唯物論的な手法をそのまま、人類の歴史の論理化にも・国家論構築にも応用できると思い込んでしまったからです。結果として、滝村先生が以下のように批判しているような唯物論的な手法をとることになって、生命史観で成功したようなダイナミックな論理展開が、弁証法の歴史においても、国家論構築でも、できなくなってしまっている皮肉な現実があるのです。その滝村先生の批判とは

「政治的・宗教的・思想的など観念的な事象の有り様を、その〈現実的土台〉から直接解釈せよということではない。そんなことはできようはずもないし、もし可能だとすればおおよそ観念論的な事象にかんするかぎり、〈科学〉といえるものは、存在しなくなろう。そうではなくて、観念的な事象それぞれの独自の運動に即して、〈現実的土台〉からの〈大きく媒介的な規定性〉を、実地に発見することである。」

 この滝村先生の唯物論者が陥りやすい誤謬に対する批判は、今の南ク学派がつとにその傾向を強めていることに対する強烈な一撃になっています。現在の南ク学派は、国家論構築については鳴りを潜めていますので、表に出ている弁証法の歴史に対する見方ついて見てみましょう。南ク学派は、弁証法が如何にして生まれたのかという「観念的な事象」を「その独自の運動に即して」解くのではなく、事実に直接あたるのが唯物論的な手法だとして当時の討論の内容の未熟な実態から、当時の学的認識は大したことはなかったと結論づけて、ギリシャ哲学の弁証法の歴史における意義を矮小化してとらえてしまております。これは、せっかく生命史観で人間の認識の二重構造を措定しておきながら、それを全く活かそうとしていないための誤謬といえるものです。

 つまりどういうことかと言いますと、対象全体を対自的・俯瞰的にとらえる認識の論理的発展の早さと、様々な必然性が複雑に絡まりあって多種多様な形で現象している事実を即自的・個別的にとらえる認識の論理的発展の遅さ、との違いを考慮せずに一緒くたにしてしまったための誤謬です。なぜこのような誤謬が生じてしまったのかといえば、「観念的事象」である弁証法の発展史を、その観念そのものをありのままに先入見なしにとらえるのではなく、絶対的真理の否定・観念論の否定というバイアスをかけていることに無自覚なまま、生命史観が明らかにした認識の二重構造を無視する形で、まず事実から唯物論的に解き明かすことのみを金科玉条のように守った結果なのです。

 では、南ク学派の滝村批判の方はどうなのかといいますと
>滝村世界史の方法が弁証法を否定しているため 世界史の変化連関を扱えない欠陥を有すると論じています。

 これは、滝村先生が弁証法の論理学の方向へ収斂して形式重視の方向に行かれる様子をみて、運動性がなくなっていると解釈したものと思われます。これは弁証法と論理学との区別と連関が分かっていないための誤解です。一見形式化しているために運動性がなくなっているように見えますが、本当は運動性をより見事に論理的に表現できるようになっているのです。

 たとえば、南郷学派の生命史観では、生命現象的運動から生命の誕生に至る過程を、生命が現れたかと思えば消えという繰り返しを延々と繰り返す中で生命現象そのものが次第に実力を蓄えていき、ある時一気に生命現象が量質転化して生命として実体化する、と説明しております。

 これに対して、私はこの同じ現象を、三項の論理を用いて次のように説明しました。〈無機物(普遍性)ー有機物(特殊性)ー生命(個別性)〉の三項の諸契機が、入り交じり、絡み合い、相互移行・相互転化を繰り返す中で、次第に諸契機がまとまりだし、統体止揚されて一個の安定的な実体としての生命体が誕生した、と。

 前の南ク学派の説明は、いかにも運動性があるように見えますが、現象をなぞっただけでしかありません。これに対しての私の説明は、その構造をしっかりと解いて目まぐるしく変転していく様子が手に取るように分かり、しかも、現在に至るも、生命は基本的に同じ運動をしているのだな、ということがよく分かるはずです。すなわち、われわれが水を飲み食べ物を食べているのは、この三項の運動をしているということだということです。ところが、南ク学派には、弁証法をうたい文句にしながらこの三項の論理がありませんから、このように説けないのです。

>弁証法と専門分野への応用の仕方はブラックボックスのようで 修練の結果でるものと はっきりしませんでした。

 これについては、今でもはっきりしていないと思います。しかし、私はすでに何度も明確にそれを述べています。

「感性的世界と隔絶したところで、まず絶対的真理の弁証法の形を基本技として自分のアタマの中に創り上げます。次に、その基本技の形を意識しつつ現実的な問題をその基本技に則して解いていく、空手でいえば約束組手の訓練を積んでその基本技を使用に耐えうるように鍛えていきます。これによって基本技としての絶対的真理の弁証法がある程度自分のものになったならば、次の過程に入ります。

 それは、それまで苦労して創り上げてきた基本技をいったん捨てて、無の境地にて現実的な対象と向き合って、対象そのものの倫理性を浮かび上がらせそれを総括していく過程において、対象自身の持つ弁証法性が自己主張を始めるようにして、感性的な事実の弁証法・相対的真理の弁証法を創り上げていきます。人類史的にこれを成し遂げたのが南郷先生です。この相対的真理の弁証法は感性的事実から直接導き出してきたものですから、その意味では感情化しやすいといえます。しかし、本物の弁証法の完成は、この相対的真理の弁証法と、感情化しにくい絶対的真理の弁証法との統一・統体止揚が、即自的感性的悟性と対自的弁証法的理性との統一・統体止揚の結果として、一体化されて認識そのものが感情化されてはじめて、本物の弁証法の完成となります。」

 これは空手の基本技とその基本技の使い方との関係に似ています。相手と実際に戦うときは、基本技への意識は否定され、無の境地で相手と対峙します。しかし、それは本当の意味で基本技を否定しているわけではありません。むしろ、それまで修錬してきた基本技を活かすために、あえて否定しているわけです。相手に集中して相手に合わせて使って相手を倒すことができたとき、はじめて基本技が活きたといえるからです。これと同じことが、学問にも言えるのです。それはすでに見てきたように学問の歴史が証明しております。

>武道の方法ということを南郷先生は構想されたことはないのですか?社会構成論のようなものです。社会 文化 国家の関連形態に対応するような 人間体(遺伝) 文化体(環境) 武道体(武道に関わらない主体性)の関連形態での把握です。 生命史観だとスケールが大きいのであつかいが困難なのです。私は個人的に主体性の方法と呼んでいます。 宇宙の誕生から人類の誕生までを生命の歴史で 人類の歴史を世界史の方法で 個人の生活を主体性の方法でそれぞれ把握するということです。いかがでしょうか? 

 南ク先生は、人間体ー武道体(空手体)という二重構造的なとらえ方、あるいはその重層構造というとらえ方をされていますが、三項の論理は意識されておりませんので、〈普遍性ー特殊性ー個別性〉という意識はないと思います。ところで、逆に質問ですが、個人の生活を個別性といわずに主体性とするのには、何か特別な意味・思いがあるのでしょうか?
 

 

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[2208]
タマゴ - 2016年07月14日 (木) 18時31分

>何だかんだ言っても、こちらの言うことをそれなりに理解してくれているのですね。

そりゃそうです。
私の側も天寿堂さんの主張を正攻法で真っ向から批判するようにしないと、天寿堂さんの言う「否定的契機」になり得ませんから、その点は意識しています。
天寿堂さんが討論に自身の弁証法を応用するコツを掴みかけたのは、おそらく、
議論のさなか、苦し紛れに「私とタマゴさんの言っていることは同じです」などと述べて、天寿堂さん自身の主張と私の批判を無意識的に統体止揚させたことが切っ掛けではないかと思います。
それが偶然うまく行ったと。

せっかく弁証法を議論に応用するコツを掴みかけたのですから、ここでだけ使うのは勿体ないと思います。
この手法を用いた議論を天珠塾の内部で活発に行えば、おそらく、天珠医学を一気に生命史観を追い抜く次元に昇華させることもできるのではないでしょうか。

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[2209] 南郷継正の弁証法観 補足
tada - 2016年07月15日 (金) 00時38分

 tadaです。武道体(武道以外の主体性を持つ生き方を含む)と変更しておきます。説明不足でした。
 主体性というのは 武道とは何か 序章で 南郷先生が武道を習得する意義には 主体性の確立があるとの文言よりきています。後付けですが、滝村先生の 社会を絶えざる内外危機から総体として遵守するために、法的規範にもとづいて統一的に構成された社会が国家であるという国家の定義から その発想をいただきました。絶えず変化し 思うようにならない社会のなかで ポリシーをもって意志的に生き 様々な状況から自らと家族を守り その中で自己実現していく それぞれの多様な個の生き方を示しています。へーゲルの三項は意識しませんでした。滝村先生の社会構成理論をまねただけです。
 南郷先生が武道の理論を構築なさっていた頃 三浦つとむ先生の自然・社会・精神を貫く法則性の弁証法から 現在の生命史観につながるような武道の構成理論をすでに構築されていたのではないかと推理しております。ですがやはり人間体と武道体の二重構造だけのようですね。人間体を遺伝的人間体(自然)と環境的人間体(社会文化)に分け 武道的人間体(精神 主体性)との三重構造で語るという発想はすぐにでてきそうなものなのですが。身体論において 自然遺伝という部分の比重を軽くみているのは 武道論として欠陥があると思っています。その後の生命史観では三重構造は当然論じられているのですが 武道論には反映されていないのです。倫理からではなくドーピングやウエイトトレーニングの理論をその体系から説いていただきたかったです。

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[2210] 三項の論理の意義
愚按亭主 - 2016年07月15日 (金) 12時27分

>弁証法を議論に応用するコツを掴みかけたのですから、ここでだけ使うのは勿体ないと思います。

 過去の談論サロンを見ていただければわかると思いますが、私はこえまでずっとそうやってここまで発展してきたのです。たとえば、神戸だいすきさんのところで、タマゴさんたちと論争をしかけたのも、この否定的媒介を意識してのものでした。そして、今まさに私が主張した国家の真の主体性が問われている状況になっていると思います。その当時書いたものを紹介しますと

「二つの論争は、私にとってはとてもためになるものでした。それは一つには相手の言っていることが感情レベルで納得でき、理解することができたことです。そして、その上で相手の足りないところ不足点を指摘したつもりでした。しかし、残念ながら論敵の皆さんは、私の言わんとすることを私のレベルでとらえようとせず、自分たちのレベルで矮小化して決めつけ、あろうことかそこから勝手な妄想を広げて相手を貶め、自己満足し合っている様を見て、何と情けないと悲しくなりました。せめて私の言わんとすることを私のレベルで理解したうえで、反論しつつも私の言わんとすることを取り入れて自分たちの論をより豊かに発展させてくれていたら、論争した甲斐があったというものですが、それが全く見受けられなかった偏狭さに、とてもがっかりしたのです。」(「今の世界で日本が果たすべき役割について」)

 ですから、これからもそれを貫いていくつもりです。


>tadaさん
 南ク学派には、二重構造の多層化はあっても、三項・三重構造はないと思いますが、tadaさんが南ク学派の生命史観においてとらえた三重構造とはどういうものでしょうか?

 たとえば南郷学派の説く二重構造の多層構造とは、人間体を、本能統括の生物体(動物体・哺乳類体)と、認識統括の生活体の二重構造体としてとらえますが、この生活体にも、普通の日常生活で創られれる平均的生活体と、特殊な訓練・鍛錬によって創られる特殊的技能体(空手体・庭球体・蹴球体・ピアノ体・F1レーサー体等々)の二重構造が存在する、というように、すべて対立物の二項で展開していきます。ですから三項はありません。それはどうしてかと言いますと、エンゲルスも三浦さんも、アリストテレスの形而上学を弁証法と対立する反対物としてしか見ていないので、南ク学派もその伝統を受け継いで、アリストテレスの形而上学を弁証法とは本気で思っていないので、その論理学である形式論理学を一顧だにしないからです。結果として、皮肉なことに運動性のない二重構造の展開になってしまっているのです。

 しかし、三項の論理の源基形態は、形式論理学の三段論法であり、そこからヘーゲルが完成型の弁証法の三項の論理へと転成させていく過程を見事に論理化したのは、滝村先生であり、滝村先生の偉大な功績です。

 この三項の論理がどうして生まれたのかの過程を見ますと、たとえば、AとBという対立物があった場合、AとBだけでは何の変化も起こりにくい、運動性が生じにくいところから、三段論法の媒語が変形して媒介的契機としてその両者と結合して運動性を引き出していくようになっていったのです。その原型はプラトンの三段論法にあり、それをヒントにヘーゲルが三項の論理として完成させたのです。

 たとえば、生物体と生活体とが並んであるだけでは、生物体がどうして生活体になったのかが見えてきません。そこで、そこに認識という媒介的契機を加えますと、とたんに運動が起こることになります。生物体の認識がそれまでの本能統括下の定型的な認識の他に自由に運動できる認識が芽生えそれが力をもって本能の上に立って独自の統括をするようになると、その自由な認識の下での生活が、それまでの生物体を生活体へと変えていく、というように運動が生まれます。これが三項の論理における媒介的契機の意義です。

>へーゲルの三項は意識しませんでした。滝村先生の社会構成理論をまねただけです。

 そもそもの滝村先生の社会構成論そのものが、三項の論理の具体化でしょうから、それを真似るということは、意識せずとも三項の論理を駆使することになるのだと思います。ところが、南ク学派の二重構造論には、三項の論理がないために統体止揚としての個別性がないのです。つまり、運動が完結しないということです。

>南郷先生が武道の理論を構築なさっていた頃 三浦つとむ先生の自然・社会・精神を貫く法則性の弁証法から 現在の生命史観につながるような武道の構成理論をすでに構築されていたのではないかと推理しております。ですがやはり人間体と武道体の二重構造だけのようですね。人間体を遺伝的人間体(自然)と環境的人間体(社会文化)に分け 武道的人間体(精神 主体性)との三重構造で語るという発想はすぐにでてきそうなものなのですが。

 私は、それは別ルートであったと思います。つまり、武道の理論構築(個別科学の追究)とは相対的独立に学者の卵の指導と直接にこの世界の一般論の措定として生命史観が創られていったと思います。というのは、当時の「武道とは何か」(のちの「武道学綱要」)の目次を見ると、第一章武道とは何か(本質論)第二章勝負論(機能構造論)第三章技論・実体論(実体構造論)とありますが、その実体構造論には、人間体ー武道体(空手体)論がなく、それは生命史観が創られた後に加えられたからです。つまり、確とした方法論があってのものでなく、漠然足した直観力と実地に磨いた論理的感性の結果として見事に世界の本流の流れを探り当てたというのが、実態だと思います。と言いますが、これは実際もの凄いことです。まさに天才というしかありません。しかし、その喧嘩拳法の限界と言うべきか、自らが行った生命史観の措定という偉業をしっかりと論理化して、絶対的真理と相対的真理の正しい理解に到達していたならば、大きく変わっていたことだろうと思います。

 しかし、残念ながらそれは行われることはなく、南ク先生の弁証法は正規の弁証法の基本技を習得したものではなく対象的現実との格闘の中で創り上げた喧嘩拳法的な弁証法のままですので、そこには三項の論理はに存在しないと思います。もっと言えば、ヘーゲルに対する誤解が、その受け継ぎを意図的に拒否していることからもその可能性はゼロのようです。

>身体論において 自然遺伝という部分の比重を軽くみているのは 武道論として欠陥があると思っています。その後の生命史観では三重構造は当然論じられているのですが 武道論には反映されていないのです。倫理からではなくドーピングやウエイトトレーニングの理論をその体系から説いていただきたかったです。

 私はもう空手の組織から離れているので、詳しいことはわかりませんが、生命史観の措定以降、そういう意味を含めての人間体を見事に創る練習が積極的に取り入れられているようですよ。ですから、その成果が何らかの形で日の目を見る日は近いと思います。ところで、なぜ「ドーピングやウエイトトレーニングの理論」なのですか?そこのところをお聞かせ願えればありがたいです?国家論と関係ありますか?
 

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[2211]
タマゴ - 2016年07月15日 (金) 14時36分

>過去の談論サロンを見ていただければわかると思いますが、私はこえまでずっとそうやってここまで発展してきたのです。

違いますね。
直接議論の相手をつとめてきた者の視点をナメてもらっちゃ困ります。
今回の自律神経の議論を切っ掛けに、天寿堂さんのモノの考え方が質的に変化する兆しを見せたようにも感じたのですが、やはり単なる“苦し紛れの偶然”だったようです。
この天寿堂さんの返答をみて確信しました。
残念ながら、天寿堂さんは、これから先もずっと南郷派(生命史観)の尻を追い掛け続けることになると思います。

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[2212]
タマゴ - 2016年07月16日 (土) 09時18分

これだけでは解らないかもしれないので少々補足します。

天寿堂さんは元々、キャノンの著作などを論拠として、
「生体維持の統括は交感神経だけが一括して担っている」
と強硬に主張しており、
それに対する私の批判に対しては、色々と無茶な理屈をつけて必死に否定・拒絶するという意固地な態度を取り続けていました。
しかし、私が同書を確認してみたところ、キャノンは、
「交感神経は生体維持のために必須ではない」
という主旨のことも明確に述べていたのです。
もし、これが私個人の仮説であれば、天寿堂さんは例によって、相互浸透してなるものかとばかりに必死に否定・拒絶したことでしょう。
このような態度は、本来なら弁証法の三項の一要素に過ぎない“相互浸透”の概念を「朱に交われば赤くなる」という格言レベルで振り回す、(青雲さんをはじめとした)南郷派系論者の致命的な悪癖だと思います。
(南郷派というより、エンゲルスの系譜を引く弁証法論者とでも呼ぶべきなのかもしれませんが。)

しかし、この実験結果と結論は(天寿堂さんが依拠していた)キャノンが実際に実験をくりかえして辿りついたものだったので、偏屈な天寿堂さんもさすがに無下に否定も拒絶もできない状況に追い込まれたのです。
困った天寿堂さんは、咄嗟に自説と私が持ってきたキャノンの実験結果を統体止揚し、
「生体維持活動の基礎は腸神経や副交感神経が担当し、交感神経がそれを状況に合わせてコントロールしている」
という斬新な仮説を捻り出しました。
これは正直言って凄かったと思います。
この仮説は、生命史観と現代医学の双方の交感神経に関する概念を、より高所から説明できるからです。
私は、これこそ天寿堂さん自身が説いていた三項の論理学の見事な応用例だ、と感心しました。
この時の天寿堂さんの議論の仕方は、ヘーゲル的といいますか、これまでとは全く次元の異なるものだと感じたのです。

しかしこれは、やはり、たった一度きりの偶発的な出来事でした。
その後の天寿堂さんは、また以前の南郷派的な天寿堂さんに逆戻りしてしまったのです。
ものの見事に。
やはり、長年に渡り染み付けてきた思考の癖は、簡単には拭い落とすことはできなかったわけです。

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[2213] 特殊性の不当な一般化
北のM - 2016年07月16日 (土) 11時25分

天寿堂様とタマゴ様の間の議論に外野のものがあまり割り込みたくはないのですが、タマゴ様が、
>キャノンは、「交感神経は生体維持のために必須ではない」
>という主旨のことも明確に述べていたのです。
と述べられていたことは、もう少し厳密に考えなければならないのではないでしょうか。と云いますのは、タマゴ様もすでに読んでおれれると思いますが、『からだの知恵』(講談社学術文庫)299頁でキャノンは以下のように書いております。
「たしかに、交感神経を切除した動物は生きつづける。しかし、それは、一年を通じて激しい温度変化もなく、食物のために争う心配もなく、敵からのがれる必要も出血の危険のない、安全な実験室の限られれた条件のなかでの話である。これはひじょうに特殊な、限定された生活である。このような観察から判断すれば、交感神経系は、からだが正しく機能を果たすうえにあまり重要なものではないという推論が容易に導かれることだろう。しかし、そのような推論は誤りであるというべきだろう。」
以上要するに、「交感神経は生体維持のために必須ではない」というのは特殊な条件の下においてであり、これを一般化できるものではない、というのがキャノンの主旨ではないでしょうか。

天寿堂様の交感神経論は、確かにオリジナルで西洋医学のこれまでの知見を超えたものであるように思いますが、それをタマゴ様との議論のなかで、本当に正しいものなのかどうか、自分なりに考えながら学ばせていただいているものとして、これからも厳密かつ建設的な議論を期待しております。

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[2214]
タマゴ - 2016年07月16日 (土) 14時47分

あのですね、北のMさん。
それは、私も天寿堂さんも分かっていて議論していたのですよ。
いわゆる暗黙の了解というやつです。
私がキャノンの「交感神経が生体維持ために必須ではない」という主旨の記述を天寿堂さんにぶつけたのは、
天寿堂さんがこのキャノンの主張を全く無視して自説を展開していたからなのですよ。
つまり天寿堂さんの論理学でいうところの「否定的契機」として天寿堂さんが依拠していたところとは別のキャノンの記述を引っ張ってきたのです。

それが見事にハマって、統体的契機として天寿堂さんの自律神経に関する新しい仮説が産まれたのです。
だからいいんですよ。
別に横から色々と口を挟んでもらっても構わないのですが、どうも北のMさんの仰ることは議論の流れや行間を無視しているというか、こう言っては申し訳ないのですが、的外れなものが多いように思います。

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[2215] タマゴさんの勝手な勘違い
愚按亭主 - 2016年07月16日 (土) 17時04分

 タマゴさんの議論の仕方がずいぶんよくなりましたね、これで議論がかみ合いそうです。しかし、タマゴさんの主張は、私の言わんとするところは素通りして、自分の見たいところだけ見ていることがよくわかりました。だから、タマゴさんは、あたかも私がタマゴさんの批判を否定的媒介として偶然悟った、かのように解釈していますが、実はそうではないのです。

 私の主張は、はじめから一貫していました。細部の深化・構造上の発展はありますが、それは当初の路線上の深化・発展にすぎません。その大本は、生命の歴史におけるそれぞれの神経の誕生のあり方に由来するもので、それが土台にありました。ですから、キャノンの説は、あくまでもその私の説を補強し裏付けるもの、という位置づけでしかありません。

 ですから、私は、交感神経の歴史的経緯や、キャノンが明らかにしてくれた交感神経ー副腎系の機能の実態、および自らに治療体験からの論理的抽出を総合的に総括して、私独自の交感神経とは何かの一般論と基本的構造論を措定しました。そこにはっきりと主役となる生命活動の裏方として命を守る働きをしていると述べています。

 それをタマゴさんが勝手に生命活動の統括を一手にしていると私が言っていると勘違いしてしまったのです。だから、私がキャノンの文章を勝手に捻じ曲げていると思い込んで批判を展開したわけですが、私はキャノンの文章を捻じ曲げてなどいません。

 だから、タマゴさんがキャノンの実験の話を持ち出した時に、北のMと同じ趣旨の反論をしました。

 ところがタマゴさんは、おそらく相手が何を反論しているのか真面目にかんがえようとせずに次のように再反論しました。
>それを受けて、天寿堂さんも、交感神経が基本的な生命活動そのものを統括しているのではないと、認めたではありませんか。

 ここでタマゴさんは、私がタマゴさんからキャノンの実験の例を持ち出されてはじめて、私が交感神経が基本的な生命活動を統括しているのではないということを認めたかのように勘違いしていますが、先にも述べてある通り、はじめから交感神経は裏方の仕事をしていると述べていました。それをタマゴさんは読んでいるはずですが見れども見えずなのでしょう。その考えは一度も変えたことはありません。ですから、これに対して次のように反論しました。曰く

>やっと分かってもらえたか、と思っていましたが、やはり分かってもらえてはいませんでしたね。もう一度よく読んでもらえれば、と思いますが無理でしょうね。そこで再度ここに披露します。
「ですから、キャノンの実験も、命を脅かす条件を排除した環境では交感神経がなくても生命は生命活動を維持できるということを、キャノンは証明して見せたのです。しかし、その一方で、キャノンは生命活動を脅かす条件を排除しない普通の環境では、交感神経を取り除くと生きてはいけなかったという実験もしていて、『命を脅かすものから命を守る』という交感神経の働きの本質を浮かび上がらせているのです。」
 ここでキャノンが証明して見せたのは、我々が生きているような普通の環境では、交感神経がなければ生きていけないということです。

 この私の反論は無視されて、超粘膜の問題に話が移っていきました。ですから、タマゴさんが北のMさんに投げかけた「私も天寿堂さんも分かっていて議論していたのですよ。いわゆる暗黙の了解というやつです。」ということは、このように議論が行き違っていたのですからありえません。このようにお前だけが分かっていないという形にして心理的に孤立させて追い込むというのが、タマゴさんがよく使うテクニックです。

 ですから次のタマゴさんの目論見は、上記の私の反論にもある通り、その意図に反して全く「否定的契機」にも何にもなっていなかったのです。
>私がキャノンの「交感神経が生体維持ために必須ではない」という主旨の記述を天寿堂さんにぶつけたのは、天寿堂さんがこのキャノンの主張を全く無視して自説を展開していたからなのですよ。つまり天寿堂さんの論理学でいうところの「否定的契機」として天寿堂さんが依拠していたところとは別のキャノンの記述を引っ張ってきたのです。

 私は、前々から、交感神経の一般論から、運動神経に対しても、内臓神経である副交感神経に対しても、それらの裏方としてサポと役として協力しているはずだという仮説を持っておりました。運動神経に関しては、すでに公認され常識となっていましたが、副交感神経に関しては、一対の拮抗神経という位置づけが邪魔をして、それを証明する事実はほとんど見落とされたままになっていました。

 そんな時に最初に私が目を付けたのが、小腸の腸間膜の付着部のちょうど粘膜側にパウエル板という腸の免疫組織がある、という事実でした。というのは私は交感神経の構造論としてスジのネットワークの統括を挙げておりますので、腸間膜などの膜組織は交感神経が統括しているはずだ、だとするとパウエル板も交感神経が統括している可能性が充分に考えられると思いました。しかし、これでは根拠がまだ薄弱であることは、自覚しておりました。そんな時に、交感神経が腸の粘膜に直接分布して、そこを統括している事実を知りました。しかも、もう一方の副交感神経の方は何と直接には分布していないという事実も伴ってしったので、「やはりそうだったか!」と私の仮説は、確信に変わりました。

 その後、免疫の問題でのタマゴさんのとのやり取りの中で、迷走神経が胸腺にも脾臓にも分布していて、しかもそれが交感神経と同じアドレナリン作動性神経という性質を持っていることを知り、現代医学・生理学は、これを迷走神経だから副交感神経だと決めつけて解釈しているが、じつはそうでなくそれはそもそも交感神経ではないのか、ということに思い至りました。

 というのは、先に述べた「交感神経の一般論から、運動神経に対しても、内臓神経である副交感神経に対しても、それらの裏方としてサポと役として協力しているはずだという仮説」から、運動を脊髄神経が運動神経とともにそれをサポートする交感神経が混在しているように、内臓を統括する迷走神経が副交感神経とともにそれをサポートする交感神経が一緒になって走向しているのは極めて自然な話ではないか、そうなると、腸の免疫を統括する交感神経が迷走神経を通って主に腸の免疫に深く関与する胸腺や脾臓に分布していると考えれば、その神経がアドレナリン作動性神経であることの説明がついてすべてにすじが通ることになるからです。

 という具合に発展してきたので、実はタマゴさんのもたらす情報は、私の説を発展させる大きなヒントとなったという意味では、とても貢献してくれたのですが、その土台を揺るがすというほどのものではなく、「否定的媒介・契機」といえるほどの意義は薄かったのではないかと思います。




 これはタマゴさんがキャノンの実験の例をもちだす前の話です。

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[2216]
タマゴ - 2016年07月16日 (土) 20時29分

最初におことわりしておきます。
私にも何かしら無意識レベルの議論の癖のようなものはあるかもしれませんが、
意図的に、ディベートのテクニックを用いて相手を追い込んだり天寿堂さんのように無茶な理屈を弄したことは、ありませんよ。
私は、本当の議論というのは勝負事ではなく真実に到達するために意見をぶつけ合うことである、と考えています。
ですから、いつも正攻法で臨んでいるつもりですし、相手の方が正しいと思ったら即座に認めるようにしているつもりです。
相手が正しいと認めることが自身の負けだとはまったく思っていませんのでね。

天寿堂さんが私との暗黙の了解など無いというなら、残念ながら私の買いかぶりだったのでしょう。
これからは、異常に話のわからない人を相手にしているつもりで議論しますよ。

私が思うに、南郷派系の論者は、エンゲルスの言う“否定の否定”を、批判してくる者を徹底的に否定し返す、否定的媒介を潰すことで自説が高められる、といったニュアンスで捉えているような側面があるのではありませんかね?
南郷派系の論者が議論の場で異常に負けず嫌いなのって、それが原因なのではないかなと思っています。
青雲さんや天寿堂さんなど、ここや神戸だいすきブログで接した数人の南郷派系の論者に対する印象なので、他の多くの南郷派の方々は違うのかもしれませんが・・・。
(違っていたら、多くの南郷派の皆さん、すみません。)
天寿堂さんは「俺は南郷派系ではない」と言うかもしれませんが、私から見たら青雲さんと天寿堂さんは大差ありません。
エンゲルスがどういうつもりで否定の否定を措定したのかは調べてみないとわかりませんが、
少なくともヘーゲルは、批判者と相互浸透しないために徹底的に否定・拒絶する、といった低次元のことは述べていないと思います。
なぜなら、それは統体や止揚とは真逆の発想だからです。

>タマゴさんが勝手に生命活動の統括を一手にしていると私が言っていると勘違いしてしまったのです。

Facebook(例えば4月5日)には、交感神経だけが生体の統括を主導しているというニュアンスのことがたくさん書かれていますが?
確か、副交感神経は内臓の統括(あるいは消化吸収排泄の統括)だけしか行っていないというニュアンスのことも書かれていたかと思います。
ここ最近の私の天寿堂さんに対する批判は、殆どは、Facebookに間違ったことを掲載していることへの批判です。

>私は、前々から、交感神経の一般論から、運動神経に対しても、内臓神経である副交感神経に対しても、それらの裏方としてサポと役として協力しているはずだという仮説を持っておりました。

天寿堂さんと私との議論で明らかになってきたのは、そういうことではなく、交感神経は、腸神経や副交感神経が担っている基礎的な生体維持活動にブレーキを掛ける形で制御しているということです。

それから、未だに脾神経が交感神経だなどと変なことを言っていますが、いい加減、“交感/副交感”と“アドレナリン作動性/コリン作動性”との違いはつけてくださいよ。
天寿堂さんがバカだと思われるのは自己責任ですが、野中先生と吉田先生が命懸けで守ってきた健康腺療法の権威を貶めるようなことは慎むべきだと思います。

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[2217]
タマゴ - 2016年07月16日 (日) 22時06分

少し補足します。

確か、Facebookでの天寿堂さんの元々の主張は、副交感神経は内臓の統括(あるいは消化吸収排泄の統括)だけしか行っていないというニュアンスだったかと思います。
それが、副交感神経は基礎的な生体維持の役割を担っているというニュアンスに変わったのは、キャノンが交感神経を除去した猫を健康な状態で3年以上も飼育した例を私が引用した後だったと記憶しています。
消化吸収排泄だけが正常に機能していれば健康を維持できるなんてわけがありませんから、ここで天寿堂さんの主張のニュアンスが変わったと考えらるわけです。

天寿堂さんは、私とタマゴさんの言っていることは同じですけど何か?といった感じで、素知らぬような顔をしていましたが、
私は、これは、天寿堂さんがヘーゲル的な弁証法の論理を無意識レベルで駆使して自説と他者の批判を統体止揚したのだ、と感じました。
私は、優れた弁証法の応用例だなと思いましたし、あるいはこれを切っ掛けに天寿堂さんのモノの考え方が一気にヘーゲル的方向へと質的変化を遂げるかとも期待したのですが、
天寿堂さんの側からすると私の勘違いで、こんなものは弁証法でもなんでもないと。
つまり、再現性は無いという宣言なのだろうと思います。
一回こっきりの偶然というわけです。

やはり天寿堂さんは、本人がどう否定しようが骨の髄まで南郷派なのだなと再確認した次第です。

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[2218]
音川有之 - 2016年07月17日 (日) 12時18分

天寿堂様

私の勉強不足、論理能力の圧倒的未熟が原因だとは思いますが、天寿堂様のおっしゃることで、理解できないところがありまして、恥ずかしながら申し述べます。

まずは、絶対的観念論についてです。私は、絶対的観念論の立場に立つ必要性といいますか、どうして絶対的観念論でなければならないのかが、実は理解できていないのです。

天寿堂様は、南ク学派の「唯物論」的方法批判と対置させる形で、絶対的観念論の立場に立つ必要性を説かれることが幾度かあったように思います。しかし、南ク学派への批判については、唯物論そのものというより、唯物論者のタタモノ論的な踏み外しに対する批判であるように思います。もちろん、天寿堂様が南ク学派批判から一足飛びに絶対的観念論者になられたなどとは思っておりません。それは、滝村氏の観念的な事象に対する科学的な方法についての主張に対して、「これこそが本物の唯物論的な姿勢」と述べられているからです。

これまで、天寿堂様が絶対的観念論の立場に立つ必要性として挙げられているのは、絶対的真理、全体的真理、絶対精神の自己運動であるかと思います。

天寿堂様は、その説明の中で、絶対的観念論としての哲学=絶対的真理(全体的真理)、唯物論としての科学=相対的真理(部分的真理)ということを述べられているかと思いますが、「科学(者)は、本当に全体的な真理とは無縁なものなのかな?」という疑問が、私の中にあるのです。いかにも、科学は、特定のスポットから特定の対象に対して、事実的な研究を通じて本質を明らかにするもので、それは限定的な真理を扱うものでありましょう。しかし、科学は、その研究成果を踏まえ、個々の研究対象の枠を超えた全体的な世界観をも作るものでもあると思います。そして、その世界観が作られる過程においては、当然のこととして、哲学の諸成果も踏まえられることになる、別の言い方をすると、哲学の諸成果が(タダモノ論ではなく)唯物論的にすくい上げられる、もっと違う言い方をすると、哲学の諸成果は一般教養として位置づけられる、このように思うのですが、こういう考え方は間違っているのでしょうか?

科学的な世界観は、科学の進展に応じて修正や補足がされるもので、仮説的な意味合いもあり、さすがに絶対的真理と呼ぶことはできないものでありましょう。でも、それはそれで仕方がないことであり、無限に真理に近づいていけばいいものであるというように思っております。

なお、絶対精神の自己運動については、唯物論(者)であろうが、絶対的観念論(者)であろうが、事物が持っている潜在的な指向性を正しく把握することができるかどうかという問題なのではないかと思うものであります。

天寿堂様からすれば、未だ唯物論にとどまっている哀れな奴と映るかもしれませんが、自分の現状の考えを正直に申し上げました。

さて、次は、概念論レベルの国家論についてです。端的には、天寿堂様が、滝村氏が「法の哲学」を国家論の失敗作と断じたことに対して、「滝村先生は、論理のレベルの違いによって対象となる論理が異なってくることが分からなかった」、「ヘーゲルの国家論を個別科学レベルに矮小化して誤解してしてしまっている」と述べられていることに関してです。

滝村氏は、「ヘーゲルの国家論には国家の外政的な面がすっぽりと抜け落ちている」ことだけを指摘しているわけではありません。滝村氏は、ヘーゲル国家論に対して、根本的には、「<国家>と<国家権力>を、<組織>正確には、特殊な<組織的権力>として把握できなかった」こと、そして、そのことに伴う<歴史的始原・形成論>の不在、<国家的統治>の脱落、<三権分立>への無理解などを批判しているのだと思います。

>たしかに概念論レベルのヘーゲルの国家論は大雑把すぎて穴だらけに見えることでしょう。しかし、細かい事実にとらわれないからこそ物事の本質が見えてくるのです。そうやって得られた国家論の本質を、マルクスも滝村先生もヘーゲルから学ぶことができたのです。

滝村氏は、例えば、<国家的統治>の脱落に関しては、「ヘーゲル国家論は、本質的には<法学>であって、学的国家論ではない」、「いわば<国家的内実>無き、<法的理念と形式>だけの国家権力論など、どうして学的国家論として承認できようか?」と述べられているのは、ヘーゲル国家論が、学的国家論としては、体系的に甚だ不完全であるということを指摘しているのだと思います。

さて、ここからが分からないことなのですが、このような滝村氏の批判は、天寿堂様の言われる概念論レベルの国家論においては、「細かい事実にとらわれ」た個別科学レベルのものとして、「統体止揚」、捨象されるようなものなのでしょうか?

>生命の本流の流れとして、動物の本能的な共同性から、人間の段階に至っての絶対理念へと向かうところの本能の外化としての法的規範の共同性という特殊性としてとらえよ、ということです。これが、ヘーゲルの概念論レベルの国家論となるのです。

概念論レベルの国家論では、<歴史的始原・形成論>、<国家的統治>、<三権分立>などの問題は扱わないのでしょうか?

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[2220] うれしい反論
愚按亭主 - 2016年07月18日 (月) 11時04分

タマゴさん
>天寿堂さんの元々の主張は、副交感神経は内臓の統括(あるいは消化吸収排泄の統括)だけしか行っていないというニュアンスだったかと思います。それが、副交感神経は基礎的な生体維持の役割を担っているというニュアンスに変わったのは、キャノンが交感神経を除去した猫を健康な状態で3年以上も飼育した例を私が引用した後だったと記憶しています。

 これは主張を変えたのではなく、内臓の統括を運動の統括と合わせてもう一段論理のレベルを上げてくくると基本的な生命活動になるということを申し述べたのです。おっしゃる通りタマゴさんがキャノンの実験を引用して交感神経は生命が維持に必須ではない、と批判してきたので、生命を維持する基本的な生命活動は、運動と代謝であり、それを統括しているのは運動神経と副交感神経で、交感神経はそれらを裏方として支えている、ということは初めから主張していることです。

 だから、私の主張を勝手に取り違えて、それに対する強烈な反証になると思い込んで引用したそのキャノンの実験の例に対して、それは見当違いだよという意味を込めて、キャノンのもう一つの実験は、交感神経の裏方としての支えがなければ生きていけないという実験になっていて、その両方を取り上げないと、私の主張と一致するキャノンの意図を、不自然に・意図的に捻じ曲げることになると忠告したはずです。

音川有之さん
 こういう質問をしてくれることは、とてもありがたく感じます。それはただ単に質問してくれただけでなく、内容がとても良いからです。まさに真っ向から核心的な疑問をぶつけてもらった、という気がします。

>まずは、絶対的観念論についてです。私は、絶対的観念論の立場に立つ必要性といいますか、どうして絶対的観念論でなければならないのかが、実は理解できていないのです。

 私は、決して唯物論を否定してはおりません。私が否定しているのは、唯物論だけで学問を体系化・完成させられるという考えは間違いだとしているだけです。しかも、私の言う唯物論と観念論は通常の世界観としての唯物論・観念論ではありません。世界観としての唯物論・観念論は、ヘーゲルによってとっくの昔に、学問的に論理的に破たんさせられた代物でしかありませんので、それにしがみついて学問を確立しようとすることがそもそもナンセンスなのです。これについて詳しくは「唯物論至上主義者の観念論そく誤謬論を振り回す言葉狩りの愚 」で詳しく説いておりますのでそちらを参照していただくとして、その中で私なりの新しい学問的に有効な唯物論像・観念論像を説いていますので、以下に紹介しておきましょう。

「そういう現代に住む私たちは、この唯物論と観念論をどう把えたら良いのでしょうか?まず、意味のない起源の問題は問わずに、単に事実を基点・主体とするものを唯物論、理念・論理を基点・主体とするものを観念論として用いていけば良いと思います。そうすると、両者を統一して用いることの意義が明確になると思います。またこのことは、即自的認識と対自的認識との認識の二重構造に対応した見方となりますので、学問的であり、哲学とも整合性を持ったものとなります。」

 そして、私は学問は世界の本質・本流の運動である絶対的真理の弁証法が、事実を基点とする唯物論的な個別科学を統括・統合して学問全体の体系を創り上げるのが、学問の正しい在り方だと思います。だから、絶対的真理主導の絶対的観念論なのです。

>科学は、その研究成果を踏まえ、個々の研究対象の枠を超えた全体的な世界観をも作るものでもあると思います。

 じつは、これに対しては、すでに南ク学派が正しい答えを出しておるのです。それは、人間体を個々の細胞(部分)の集合体とみるウィルヒョウの細胞学を、人間は一個の細胞が分裂してできたものであるから、部分である個々の独立した細胞をいくらかき集めても絶対に人間体にはならない、と批判しています。これと同じことが学問についても言えます。つまり、部分的真理である個別科学をいくら集めてそこから一般性を抽出したとしても、それは相対的真理にしかならず、絶対に全体的真理である絶対的真理にはならないのです。絶対的真理は、はじめから全体的真理・絶対的真理として追及されなければならないということです。それは学問の歴史をみれば、一目瞭然の事実なのです。

 学問の歴史・哲学の歴史は、はじめから絶対的真理は絶対的真理として追究され、「世界は一にして不動」という絶対的真理として生まれ、絶対的真理として発展して、ヘーゲルの絶対精神の自己運動として完成したのです。

 そもそも哲学とは、世界を丸ごと把えて唯一無二の真理を追究する絶対的真理の学問なのです。そして、学問はまずこの哲学として生まれ哲学として一応の完成を見たから、その分科という形で部分学である個別科学が誕生したのです。これは否定の否定の第一の否定だということです。したがって、それは全体化される運命すなわち第二の否定を前提としてもので、部分学同士が寄り集まって全体学を創ることができると夢見ることは、その第二の否定を否定することになります。これなど弁証法の基本であるはずですのに、弁証法の達人がどうしてそんな簡単なことが分からないのか、不思議でなりません。

>滝村氏は、「ヘーゲルの国家論には国家の外政的な面がすっぽりと抜け落ちている」ことだけを指摘しているわけではありません。滝村氏は、ヘーゲル国家論に対して、根本的には、「<国家>と<国家権力>を、<組織>正確には、特殊な<組織的権力>として把握できなかった」こと、そして、そのことに伴う<歴史的始原・形成論>の不在、<国家的統治>の脱落、<三権分立>への無理解などを批判しているのだと思います。

 それらは全て個別科学レベルの問題で、概念論レベルではそれらの区別はすべて消え(捨象され)てしまうのです。どういうことかと言いますと、ヘーゲルの言うように、共同体という一般性は、生命は集団的に実在するということであり、その特殊性として動物の集団は内在的な本能的ルールに従って実在し、人間の社会・国家は外在的な観念的自己疎外として形成された法的ルールに従って実在するという体系的認識の中に、滝村先生の解明した国家論が統合されるということです。そういうことをヘーゲルが述べている個所を滝村先生自身が引用までしているのに、ヘーゲルは国家自体を対象としようとしていないと否定的に解釈するばかりで、ヘーゲルの真意をつかみ損ねているのです。





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[2221]
タマゴ - 2016年07月18日 (月) 13時45分

>タマゴさんがキャノンの実験を引用して交感神経は生命が維持に必須ではない、と批判してきたので、生命を維持する基本的な生命活動は、運動と代謝であり、それを統括しているのは運動神経と副交感神経で、交感神経はそれらを裏方として支えている、ということは初めから主張していることです。

本当は、誰かが以前ああ言ったこう言ったとかいう辛気臭い話は好きではないのですが、ここは若干こだわっておきたいと思います。
確かに天寿堂さんは、8年前にそれに近いことを述べていたのですが、私がそのことを指摘し、
「交感神経が生体維持を一括して担っているという説よりも、この昔の説の方が正しいと思いますよ」
と助言したところ、
「それは交感神経の一般論が出来上がる前の説なので採用しない」
という趣旨のことを、天寿堂さんは明言したのです。
ですから、私の勘違いではなく、天寿堂さんがこっそり自説のニュアンスを変えたのですよ。

天寿堂さんが何故それを認めたくないのかというと、先程も述べたように、天寿堂さんが骨の髄まで南郷派だからだと思います。
これは南郷派の一般的傾向なのかどうかわかりませんが、
私が意見を交わした南郷派系の論者の方々は、批判者によって自説が変わったのを認めることを極度に嫌がる傾向があったのです。
これは、あくまでも推測ですが、南郷派の先達であるエンゲルスの措定した「相互浸透」「否定の否定」を曲解し、批判してくる者は徹底的に否定して相互浸透してはならない、というような雰囲気があるのではないではないかと思うんですよね。

おそらくエンゲルスの真意はそういうことではないのでしょうが、字面だけ見るとそう曲解する不届きな者が出て来るのは無理もなかったような気もします。
なんというか、ネーミングが悪かった。
そしてこの曲解を曲解と気付かずに押し進めていくと、独善的・排他的・口撃的という性格を持つに至ると思います。
エンゲルスの系譜を引く(?)国家や組織、例えば、ソ連や中国や北朝鮮などが、悉く、個人崇拝や軍事崇拝に陥っていったのは、おそらく、偶然ではないのでしょう。
青雲さんも言わずもがな。

エンゲルスの「否定の否定」を、その先達であるヘーゲルの文脈に戻して解釈すると、批判してくる者を徹底的に否定し返すというニュアンスには絶対にならないと思います。
なぜなら、それは統体とも止揚止揚とも相容れない真逆の考え方だからです。
おそらくですが、ヘーゲル的文脈に於ける第二の否定とは、第一の否定で生じた矛盾や対立の関係性を否定し止揚する、ということではないかと思います。
批判者を否定すりゃいいんだというのではガキの喧嘩と大差ありません。

天寿堂さんがヘーゲル的な弁証法の思考過程を身につけているのであれば、自説と私が引用したキャノンの説が統体止揚されたことを喜ぶはずなのです。
しかし、天寿堂さんは必死になってそれを否定しようとする。
つまり、天寿堂さんはヘーゲルを信奉しその理論を研究しつつも、それは論理学の中だけで完結してしまっていて、他に応用できていない。しようともしない。
アタマの構造はガチガチの南郷派のまんまだということです。

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[2222]
音川有之 - 2016年07月18日 (月) 17時12分

天寿堂様

丁寧なご返信をいただきまして、誠にありがとうございます。私の方こそ、嬉しくなってしまいます。

恥ずかしながら、私は人一倍物分りが悪い性質のようでして、まだ、天珠堂様の説明が理解できておりません。再度、質問させていただきたく思います。因みに、私の口癖は「まだ分からない!」と「本当にそうか?」です。

唯物論、観念論、絶対的観念論に関してです。

>単に事実を基点・主体とするものを唯物論、理念・論理を基点・主体とするものを観念論として用いていけば良いと思います。

そのとおりだと思います。ただ、「理念・論理」(哲学)は、「事実」(科学)に〈大きく媒介的な規定性〉を受けているものと認識しております。もちろん、哲学は個々の事実の直接的・表層的連関をなぞっただけの論理などにはビクともしない自己完結性、自己運動性を有しているものと思いますが、それでも、やはり、この〈大きく媒介的な規定性〉を意識することは必要で、そのためには唯物論の立場に立つ必要があるのではないかと思うものであります。

>部分的真理である個別科学をいくら集めてそこから一般性を抽出したとしても、それは相対的真理にしかならず、絶対に全体的真理である絶対的真理にはならないのです。絶対的真理は、はじめから全体的真理・絶対的真理として追及されなければならないということです。それは学問の歴史をみれば、一目瞭然の事実なのです。

これも、そのとおりだと思います。われわれ人間は、個別的な真理に対しても、全体的な真理に対しても、それを究明しないではいられない存在だと思います。科学は個別的な真理の究明の必要性から生まれましたが、それだけでは全体的な真理の究明には直通役には立ちません。であるからこそ科学は、「個々の研究対象の枠を超えた全体的な世界観をも作る」のであって、そのためには、それこそ、〈大きく媒介的な規定性〉を踏まえたうえで、今や人類の知的遺産、一般教養となった(という位置づけであるべき)哲学の諸成果をも総動員するものであると思っているものです。

>そして、私は学問は世界の本質・本流の運動である絶対的真理の弁証法が、事実を基点とする唯物論的な個別科学を統括・統合して学問全体の体系を創り上げるのが、学問の正しい在り方だと思います。だから、絶対的真理主導の絶対的観念論なのです。

古い唯物論、古い観念論を止揚したものが絶対的観念論ということになりましょうか? 私の理屈では、古い唯物論、古い観念論を止揚して、本家本流の唯物論を措定すべきだとなりますね。

ここまで来て、私と天寿堂様の言い分は、登山に例えて比喩的に申し上げるならば、東と西という正反対の立場にいるものが、同じ山頂を見上げてそれぞれの主張をしているようにも見えてきました。しかし、私は一介の暇潰し者、天寿堂様はすでに天珠医学の研鑚において結果を出している実践的学的探求者。蓄積が違うと思います。「古い唯物論、古い観念論を止揚した本件本流の唯物論などと言っても、〇〇が〇〇だから、それは通用しない。決して山頂までには届かないんだよ」ということがあれば、ご教示いただきたいと思います。

次に、概念論の国家論についてです。

>それら(<歴史的始原・形成論>の不在、<国家的統治>の脱落、<三権分立>への無理解・・・音川)は全て個別科学レベルの問題で、概念論レベルではそれらの区別はすべて消え(捨象され)てしまうのです。どういうことかと言いますと、ヘーゲルの言うように、共同体という一般性は、生命は集団的に実在するということであり、その特殊性として動物の集団は内在的な本能的ルールに従って実在し、人間の社会・国家は外在的な観念的自己疎外として形成された法的ルールに従って実在するという体系的認識の中に、滝村先生の解明した国家論が統合されるということです。

これは、とびきり難しい論理ですね。もちろん、難しいと思う原因は、私の勉強不足、論理能力の圧倒的未熟から来るものです。私は、天寿堂様の言われる「概念論の国家論」というものが全く理解できていないので、思いつきレベルのトンチンカンなことを申し上げることと思いますが、平にご容赦願います。

素朴な疑問として、「国家論が共同体論に解消させられてしまっているのではないか?」ということを感じます。ここでいう共同体は、国家としてしか存在できなかったという歴史的事実がありますから、少なくとも、国家はなぜ、どのようにして生まれたのかという<歴史的始原・形成論>の問題は、例えそれが概念論レベルの国家論であっても、捨象されてしまってはならないと思うのですが、違うのでしょうか?

もう少し勉強して、また、質問したいと思います。

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[2224]
愚按亭主 - 2016年07月19日 (火) 09時17分

タマゴさん
>私が意見を交わした南郷派系の論者の方々は、批判者によって自説が変わったのを認めることを極度に嫌がる傾向があったのです。

 これこそタマゴさんにぴたりとあてはまる言葉です。私は何度か自分の誤りを素直に認め、訂正し反省もしました。しかし、タマゴさんは口では誤りを潔く認めるといいながら、自らの勘違い・早とちりを絶対に認めようとせずに、ごまかそうとしています。このように、タマゴさんのほうこそ、必死に自説を守り、誤りを認めることを極度に嫌がっているように見えます。


音川有之さん

>この〈大きく媒介的な規定性〉を意識することは必要で、そのためには唯物論の立場に立つ必要があるのではないかと思うものであります。

 大方の科学を志向する人たちは、皆そう思っているようですね。しかし、物事の正しい解答を得るためには、人間とは何か、学問とは何かという観念的・理念的な一般論を媒介とすることがとても大切です。このことの意味するものを考える必要があるのではないかと思います。
 この問題についても、学問は、概念と定在との統一である真理の体系です。つまり、概念(観念)も定在(対象的事物)も、ともに重要なファクターであり、何よりも真理というのは論理であり、観念の体系がすなわち学問なのです。つまり、観念的存在だということです。
 また、人間の認識は、現実と密着した即自的な自己の認識と、その現実的・即自的な自己から相対的に独立して自由に運動できる対自的・観念的な自己の認識とに二重構造化しました。そして、この現実的・即自的な自己から相対的に独立して自由に運動できる対自的・観念的な自己の認識の形成があったからこそ、世界を俯瞰して丸ごととらえる哲学が可能となり、概念的な認識の形成が可能となり、したがって学問がつくられることが可能となったのであり、人間の認識が精神へと発展することができたと言っても過言ではないと思います。

 ですから、その唯物論と観念論との統一の上に立って、絶対的かつ本質的な観念が全体を統括する主体性ある絶対的観念論こそが、人間的であり人間の学問の立場としてふさわしいと言えるのです。唯物論の偏った重視は、そういう人間的な側面を薄めてしまうものなのです。

 南ク先生が、アレキサンダーの世界征服を「侵略したいから侵略した」と評しておりましたが、これは大きな誤りです。アレキサンダーは師匠のアリストテレスが学問の世界で世界統一をなしたその高い思想性・偉大な精神をもって世界の統一を成し遂げたのです。その証拠に、アレキサンダーは征服した地を奴隷化しようとはせず、アリストテレスの学問による教育を施して、その地を文化的に発展させようとしているからです。そしてその結果として、ギリシャとその地の文化が融合したヘレニズム文化が生まれ、その地からその後の世界に大きな影響力を及ぼすイスラム教が生まれ、ギリシャ哲学が温存され、後に西洋に輸出されるまでになったという事実があります。これこそ絶対精神の体現したまさに精神の本流に他なりません。ところが、これを「侵略したいから侵略した」としか見ることができないのは、生命史観を絶対精神の自己運動の一環としてみることができないからであり、国家論を人類の精神の本流との絡み合いでを見極めようという視点がないからです。これも唯物論の弊害といってよいと思います。

 人類の誕生の意義は、生命(物質)がはじめて己を自覚し、己と世界の構造とを自覚して、それを用いて目的意識的に世界をそれまでない形に発展的につくりかえるところにあります。だから、それまでの物質の歴史や生命の歴史とは、同じ一般性を有しながらも、まるで違うのです。このことは生命の歴史における逆噴射とまで仰天動地の大革命であったことを強調しておきながら、なぜ過小評価するのか本当に不思議です。そこのところの自覚がなく、生命の歴史を唯物論でうまく解けたから、人類の歴史も唯物論で解けるだろうと軽く考えてしまったことが一番の問題です。人類の歴史こそ、絶対理念の自己回帰の過程なのですから、唯物論だけでは不可能であり、唯物論と観念論との統一体である絶対観念論でなければならないのです。


>素朴な疑問として、「国家論が共同体論に解消させられてしまっているのではないか?」ということを感じます。ここでいう共同体は、国家としてしか存在できなかったという歴史的事実がありますから、少なくとも、国家はなぜ、どのようにして生まれたのかという<歴史的始原・形成論>の問題は、例えそれが概念論レベルの国家論であっても、捨象されてしまってはならないと思うのですが

 概念論レベルの国家論という言い方は、誤解をまねくので訂正します。正確には国家論を概念論レベルの全世界の体系のなかに組み込むということです。ですからあまり、国家ということにこだわりすぎると分からなくなります。滝村先生も、それでヘーゲルの言うことが分からなかったのだと思います。共同体というのはヘーゲルが使っていたので、あえてそのまま使わせてもらったのですが、本当は、この現宇宙には、一つの核を中心とした集団を一つの運動単位として実在するという一般性が存在し、その特殊性として有機物の集団性、生命の集団性、その生命の中の特殊性としての動物のボスを中心とした内在的な本能的ルールにしたがう集団性、あるいはまた、その発展型である人類の、認識の自己疎外である法といった外在的なルールにしたがう君主・大統領を中心とした社会・国家という集団性、というような体系性でとらえてみると、「国家はなぜ、どのようにして生まれたのかという<歴史的始原・形成論>の問題」は、もはや問題とならなくなってしまうのです。

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[2225]
タマゴ - 2016年07月19日 (火) 10時29分

>タマゴさんは口では誤りを潔く認めるといいながら、自らの勘違い・早とちりを絶対に認めようとせずに、ごまかそうとしています。このように、タマゴさんのほうこそ、必死に自説を守り、誤りを認めることを極度に嫌がっているように見えます。

間違いを認めるかどうかという低次元の話ではなく、自説と批判者の説が統体止揚されることをどう考えているか問うているのですよ。
もともと弁証法のルーツは議論の方法論であったそうですから、天寿堂さんの弁証法の論理学が正統なものであれば、当然のことながら、議論にも応用可能なはずですし、
応用しない・できないのであれば、それは理論と現実が解離した机上の説との批判を免れないと思います。

私にも独自説のようなものは無くもありませんが、天寿堂さんとの議論においては極力、現代医学の論文などを引用するよう努めてきたつもりです。
その理由は幾つかありますが、なにより、

基礎的契機:現代医学
否定的契機:生命史観
統体的契機:天珠医学

という形成過程を考慮すれば、統体止揚すべき対象は、私個人の主観の入り交じった自説ではなく現代医学のはずだからです。
生命史観の本をみると、何も参考文献に拠っていないという趣旨のことが書かれていますが、これは普通に考えれば嘘だと思います。
現代医学へのアンチテーゼとして創始された面は確実にあると思いますし、そもそも責任者である本田先生らが現代医学の教育を受けているのですから、無関係ということはあり得ません。
南郷派(生命史観)から拒絶された天寿堂さんが唱える交感神経の仮説を“生命史観”と呼ぶべきかどうかは非常に微妙な問題ですが、
それとキャノンの実験結果が統体止揚されたことは、天珠医学の完成に向けては喜ばしいことなのは間違ない、と私は考えます。
その私の視点からは、天寿堂さんが理屈では三項の論理だの統体止揚だの言う一方で現代医学をボロクソに口撃し統体止揚を拒んでいる様は、理論と現実が完全に解離しているように見えるのです。

口先はヘーゲルで実際の行動は南郷派、というのが天寿堂さんという人の実像だと思います。

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[2226]
音川有之 - 2016年07月23日 (土) 18時03分

天寿堂様

大して勉強も進んでいないのに、また、質問してしまうことをお許しください。

>物事の正しい解答を得るためには、人間とは何か、学問とは何かという観念的・理念的な一般論を媒介とすることがとても大切です。

>学問は、概念と定在との統一である真理の体系です。つまり、概念(観念)も定在(対象的事物)も、ともに重要なファクターであり、何よりも真理というのは論理であり、観念の体系がすなわち学問なのです。つまり、観念的存在だということです。

>人間の認識は、現実と密着した即自的な自己の認識と、その現実的・即自的な自己から相対的に独立して自由に運動できる対自的・観念的な自己の認識とに二重構造化しました。

>そして、この現実的・即自的な自己から相対的に独立して自由に運動できる対自的・観念的な自己の認識の形成があったからこそ、世界を俯瞰して丸ごととらえる哲学が可能となり、概念的な認識の形成が可能となり、したがって学問がつくられることが可能となった

そのとおりだと思います。全く異論はありません。「現実的・即自的な自己から相対的に独立して自由に運動できる対自的・観念的な自己の認識の形成があったからこそ」の中には科学も入れてほしいと思いますが、それはそれとして、天寿堂様の論理の正当性が、情熱と共に伝わってまいります。

しかしながら、なぜ、

>ですから、その唯物論と観念論との統一の上に立って、絶対的かつ本質的な観念が全体を統括する主体性ある絶対的観念論こそが、人間的であり人間の学問の立場としてふさわしいと言えるのです。

となるのかは、未だに理解できておりません。もちろん「唯物論の偏った重視は、そういう人間的な側面を薄めてしまうもの」であるということは分かりますし、そのとおりだと思います。

ですが、南ク氏がアレキサンダーの世界征服を「侵略したいから侵略した」と評したことに対して、

>生命史観を絶対精神の自己運動の一環としてみることができないからであり、国家論を人類の精神の本流との絡み合いでを見極めようという視点がないからです。これも唯物論の弊害といってよいと思います。

と批判されているその中身は、「唯物論の弊害」というよりは、唯物論者のタダモノ論的思考、天寿堂様の言葉で言えば「唯物論の偏った重視」への転落に対する批判であって、唯物論自体への批判にはなっていないと思うものです。

私が概念論の国家論を持ちだしましたのは、このことに関わります。

>滝村先生は弁証法を論理学に閉じ込めてしまったために、絶対的観念論になれずに、唯物論にとどまってしまって、概念論レベルにまで到達できなくなってしまったのだと思います。

私は、天寿堂様がおっしゃるように、滝村氏の国家論が唯物論にとどまっているがために概念論レベルに到達していないとするならば、絶対的観念論で展開する概念論レベルの国家論がどういうものなのかが理解できれば、唯物論的な考え方の限界についても理解でき、「第2の否定」の必要性、必然性についても理解でき、絶対的観念論でなければならない理由も理解できるかもしれないと考えたのです。

しかし、私の目論見は見事に失敗してしまったようです。

>概念論レベルの国家論という言い方は、誤解をまねくので訂正します。正確には国家論を概念論レベルの全世界の体系のなかに組み込むということです。

>この現宇宙には、一つの核を中心とした集団を一つの運動単位として実在するという一般性が存在し、その特殊性として有機物の集団性、生命の集団性、その生命の中の特殊性としての動物のボスを中心とした内在的な本能的ルールにしたがう集団性、あるいはまた、その発展型である人類の、認識の自己疎外である法といった外在的なルールにしたがう君主・大統領を中心とした社会・国家という集団性、というような体系性でとらえてみると、「国家はなぜ、どのようにして生まれたのかという<歴史的始原・形成論>の問題」は、もはや問題とならなくなってしまうのです。

<歴史的始原・形成論>の問題が、なぜ、「もはや問題とならな」いのかが依然として理解できないこともありますが、それについてはひとまず置きます。それよりも気になりますのは、これでは、滝村国家論の批判になっていないのではないかと思われることです。要するに、「滝村氏は、ヘーゲルの概念論レベルの世界観が分かっていない」ということしか言っておらず、「だから、滝村氏は国家の〇〇という主張において、〇〇という誤りを犯している」という展開がないので、批判としては不充分であると思うのです。

私は、天寿堂様とは逆に、滝村氏の<歴史的始原・形成論>の不在、<国家的統治>の脱落、<三権分立>への無理解というヘーゲル国家論への批判は、観念論者による先験的に定立した「真理」の現実的世界への踏み外し的適用に対する批判としても読めると思っているものであります。

う〜ん。これでは、平行線の議論を提出しただけですね。お恥ずかしい限りです。

また、出直します。

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[2227]
愚按亭主 - 2016年07月23日 (土) 18時59分

タマゴさん、かっこいいですが、私にはごまかしとしか映りません。


音川有之さん
>唯物論者のタダモノ論的思考、天寿堂様の言葉で言えば「唯物論の偏った重視」への転落に対する批判であって、唯物論自体への批判にはなっていないと思うものです。

 これは南ク先生がタダモノ論的思考に陥っているということですか?私はそうは思いません。これは唯物論自体の欠陥なのです。唯物論では精神の本流の流れはとらえられないということです。これについては、南ク先生にご注進申し上げたことがありますが、聞き入れられず、今回これを見て案の定と思った次第です。捉えられるというのであれば、展開して見せてください。

><歴史的始原・形成論>の問題が、なぜ、「もはや問題とならな」いのかが依然として理解できないこともありますが、それについてはひとまず置きます。それよりも気になりますのは、これでは、滝村国家論の批判になっていないのではないかと思われることです。要するに、「滝村氏は、ヘーゲルの概念論レベルの世界観が分かっていない」ということしか言っておらず、「だから、滝村氏は国家の〇〇という主張において、〇〇という誤りを犯している」という展開がないので、批判としては不充分であると思うのです。
 私は、天寿堂様とは逆に、滝村氏の<歴史的始原・形成論>の不在、<国家的統治>の脱落、<三権分立>への無理解というヘーゲル国家論への批判は、観念論者による先験的に定立した「真理」の現実的世界への踏み外し的適用に対する批判としても読めると思っているものであります。

 私は、滝村先生の国家論の批判をしているのではありません。学問の冠石と個別科学との違いを説いているだけです。ヘーゲルが学問の冠石レベルで国家を問題にしたときに、滝村先生は、ヘーゲルは国家そのものを捉えようとしていないと批判したことを問題としたのです。つまり、ヘーゲルは全体の一部として捉えよ、と言っているのに対し、滝村先生は全体としてとらえよ、と批判したのです。この違いを言っているのです。

 <歴史的始原・形成論>の不在、<国家的統治>の脱落、<三権分立>は個別科学としての国家論で問題にすればよい話です。国家を特殊性としてとらえるときは、内在的な本能的な規定性に対する、外在的な法的規定性としてとらえるという対比こそが問題になるということです。


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