カウンター 学問でこの世界をどこまで解き明かせるのか? - 談論サロン天珠道

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[1891] 学問でこの世界をどこまで解き明かせるのか?
愚按亭主 - 2015年08月14日 (金) 09時27分

 神戸だいすきさんのブログの「波動と量子力学」のところで、私のことが取り上げられていて、私の言う弁証法が学問なんかではなく、そんなもので世界を正しく説くことはできない、と否定しています。加えて、タマゴさんも、本物の医療を生命史観で解くことはできない。それと全く違う方向性の私の発見した「未知の身体原理」でなければ解けない、と豪語しています。

 それに対する私の返答ないし反論の結論を、まず端的に述べるならば、神戸だいすきさんやタマゴさんの方こそ、正しく解くことはできない!となります。理由は、人間が目的意識的歴史的社会的存在であることを無視して、己の頭の良さに任せて自己流に解いてわかったつもりになって自己満足しているからです。

 何故そう言えるのかと言いますと、二人とも人類の学問の歴史を否定して宗教に依拠し、生命史観と言う生命の歴史・人類の歴史という過程性を無視して、現在の自分の感性で世界の本質をとらえたと錯覚しているからです。

 宗教も弁証法と同じく人類を導いていく存在として生まれたものですが、その歴史的使命は、人類が独り立ちするまでの間の、捨ててしまった本能のいわば代理の乳母のような役割を担うものに過ぎません。何故かと言いますと、宗教は絶対性を標榜していますが、その中身は本能と同じく相対的真理に過ぎず、発展性がないから目的意識的歴史的社会的存在である人間を正しく導いていくことはできないからです。そして何よりの問題は、その相対的真理に過ぎない中身を絶対化して人類に強いて、人類の自立を阻んでいることです。人類は現在その弊害に苦しんでいます。

 このような宗教に依拠しながら、どうして神戸だいすきさんが輝きを放つかと言えば、いろいろな情報を弁証法的にまとめ上げる能力が優れているからです。しかし、残念なことにそれが自己流で、人類の学問の歴史から学ぼうとしないために、弁証法の基礎ができていないことが最大の欠点となっています。もし神戸だいすきさんが真面目に弁証法の基本を学んでいたならば、宗教と決別しなければならなかったはずです。

 宗教と学問(弁証法)は、はじめは未分化のまま発展していきました。たとえば、弁証法の祖と言える絶対的真理の系譜の原点であるパルメニデスの「世界一にして不動」というテーゼは、クセノフォンの「神的な一者」が発想の元となっていたという事実や、アリストテレスの形而上学(静止体の弁証法の完成形)がキリスト教のトーマスアクィナスの「神学大全」として体系化されたという事実や、余談ながらアリストテレスの形而上学がイスラム教の土台をなしているということからも言えることです。
 ところが、19世紀のドイツにおいてカントが神学的な専制的形而上学を、本物の学問的な形而上学へと創り変えることを志して「二律背反」「物自体」論を創り上げ、それを受けてヘーゲルが「静止体の弁証法から運動体の弁証法へと弁証法を発展的に完成」させることによって、学問と宗教は完全に分離・分化したわけです。つまり、宗教はその学問の発展についていけなかったのです。もし宗教が、そこまで取り入れたら最早宗教は宗教ではいられなくなってしまうからです。だから、ヘーゲルは宗教と学問の区別と連関について、学問は、己自身についてのみならず宗教についても客観的に把え返して正しく位置づけて論じることができるが、宗教にはそれができない、ということを述べています。

 このことは、神戸だいすきさんが弁証法を徹底化できない原因であるとも言えることだと思います。つまり宗教人としての自己防衛本能が働いて、避けるのだと思います。だから学問を毛嫌いするのだろうと想像しています。それより自分が好きなように創像(想像)できる今の気楽な自分中心のスタンスが気に入っているのだと思います。だから、相手を勝手に自分が決めつけたレベルに矮小化して分かったつもりになり、自分の方が正しい、自分の方が上だ、と安心するのだと思います。

 学問は、対象の構造に合致していなければならない厳しさがあります。波動と量子力学の問題についても、量子力学という対象を正しく理解できていなくても気にしない、自分の中でつながっていればそれで良いのだ、という調子です。勿論、専門家ではないので、間違うこともあるでしょう。しかし、その場合でも指摘されたら素直に訂正するのが、お前の欠点は治せても説明できないことだと指摘している以上は、自らも間違っていたと思ったら正すというのがスジだと思います。また、もし自分の方が正しいと思ったら、反論するのがスジを通す態度だと思います。

 現世界には量子力学の構造とニュートン力学の構造との二重構造があるというのが弁証法の把え方です。この二重構造が存在すること自体は現代科学も認めていることですが、その意味を正しく把えられないのは、現代科学に弁証法がないためです。これはどういうことかと言いますと、この二重構造があるということは、現宇宙が誕生する前にも別の宇宙が存在していたということです。そして、その前宇宙が現宇宙に発展する過程において、現宇宙的物質へと発展を遂げた物質と、落ちこぼれて元のまま残って現宇宙に存在することになった物質とに分かれたのです。そのおちこぼれの方が、素粒子で、見えない形で現宇宙の主要物質の運動を陰ながら支えているという構造が現宇宙には存在するということなのです。この前宇宙的素粒子と、星や原子などの現宇宙的物質の大きさを比較してみるとあまりにもの大きさの違いがあります。その結果として、素粒子はその巨大な引力に振り回されて本来の運動として現象出来ないために、その運動は不確定となり不確定性原理と規定せざるをえない状況となっているということです。つまり、その運動は現宇宙的物質の運動に影響を与えるものではないほど小さい、ということです。

 ですから、結論的に言うならば、いわゆる波動は量子力学の問題ではなく、現宇宙的物質の運動の磁性的現象だということです。だから、治療効果が出てくるのです。

 人類が誕生したということは、自然成長的発展の時代から目的意識的発展の時代へと世界が変わったことを意味します。目的意識が発展をけん引するということは、この現実的世界のほかに人間が創りだす観念的世界が生まれ大きな力を持つことになって、この世界が二重構造化することを意味します。問題は、その観念的世界の中身です。

 何故なら、人間は自らが創りだした観念的世界によって自らの心と身体だけでなく、この世界までもが大きく乱されてしまうことがあるからです。だからこそ、この現実の世界の対象の構造を見事にくみ取って、弁証法を学問の冠石とした論理体系を創り上げて、その下に人類の観念的世界が創られていく必要があるのです。人類が何でも目的意識的に創ることが可能となった時代だからこそ、そうならなければならない必然性があるのです。

 この現実的な世界は、見事なまでに論理的に統一されて体系化されて存在しています。一見して偶然性の連続のようにみえても、そこには必然性が見事に絡み合って存在しているのです。だから、偶然性のように見えるのですが、その絡み合った必然性を見事に整理できるのが論理能力です。この論理能力がなければ、この世界の本質、物事の実相を正しく把えることはできません。そして、この世界は運動の渦中にある過程の複合体として存在しているので、ある現象にはかならずその生成の過程的構造が存在することになります。今の世界で起きている現象は、そこにいたるまでの過程を見なければ正しい答えは得られません。その過程を見ずに、正しい答えが得られると豪語しているのが、神戸だいすきさんとタマゴさんです。生命史観などで正しい答えは得られないと豪語しているのですから。彼らは人類の最高の頭脳である英雄たちの血と汗の結晶である学問の歴史を否定し、その結果生み出された生命史観を否定して、それらとは独立に発見した「未知の身体原理」ですべての身体現象が解けると豪語しているのです。お手並み拝見というところですが、その前に批判すべきところは批判しておきましょう。

 まず、経絡とは何か?健康腺とは何か?を正しく解くためにはサルから人間への進化の特殊性を見事に解き明かした生命史観は必須のはずですが、「新しい身体原理」とやらでどう解くのか大変興味あるところです。
 また、コメント欄でストレスによる胃痛とみられたものが、私の見立てで夏バテの交感神経の弱まりからくるものだと喝破して見事に治したケースを述べて、タマゴさんなら分かってくれるはずだと振っておきましたが、反応がありませんでした。この交感神経の問題も、生命史観的観点がなければ把えきれない問題だと思います。残念ながら、タマゴさんにはそういう視点がなかったようです。

>「かつては、スピリチュアルも真剣に取りざたされていたんです。」花村先生は言葉を継いだ。「この150年の科学万能がむしろ異常なんですよ!」

 ここに提起された問題の本質は、宗教から学問へという流れは、人類の認識の発展の過程としては大筋正しいのですが、大きな誤算は、学問を統括する学問の冠石(弁証法)が学問の世界から排斥されてしまったことから派生した問題だということです。これによって「この150年の科学万能がむしろ異常なんですよ!」思われてしまうような現実になってしまいましたが、今後の正しい発展は、スピリッチュアルの復権ではなく、弁証法の復権以外にはありえません。何故なら、宗教は本来歴史の舞台から消えていなければならないのに、未だにはびこっている現実があり、それが人間社会を不幸に落としている現実があるからです。このことは神戸だし好きさんも指摘しているところです。人類の真の人間としての自立への道は、弁証法の復権以外にはありえないのです。


Pass

[1892] 反論
タマゴ - 2015年08月15日 (土) 04時14分

>タマゴさんも、本物の医療を生命史観で解くことはできない。それと全く違う方向性の私の発見した「未知の身体原理」でなければ解けない、と豪語しています。

豪語もなにも、このようなことは一切申しておりません。
健康腺で難症が軽快する理由は、生命史観にこだわっていたのでは解けないだろう、
私は、ある程度は理論的に説明できますけど、という趣旨のことは述べましたが。

>お手並み拝見というところです

様々な疾患に応用可能な身体原理を発見したとは述べましたが、
今のところ、他人に教えるつもりはありませんので、お手並み拝見もなにもありません。

>この交感神経の問題も、生命史観的観点がなければ把えきれない問題だと思います。残念ながら、タマゴさんにはそういう視点がなかったようです。

交感神経と副交感神経は必ずしも拮抗関係にないという説は正しいと思いますが、そこまでです。
交感神経を刺激して胃腸の調子が良くなることはあり得るでしょうが、
それで、胃腸障害全般に対処できるとは思いません。

あまり手の内を公表したくないので、この辺で。

Pass

[1895] 訂正ありがとうございます
愚按亭主 - 2015年08月15日 (土) 10時45分

 タマゴさんの真意は了解しました。行き過ぎたところは訂正いたします。それぞれの道を、私は私なりのやり方で進めていく所存です。いつか、発表される日を楽しみにしております。

Pass

[1896] 素朴な意見
川崎 - 2015年08月15日 (火) 14時37分

私は医師ではありませんが、疾患の治療をする場合に大事なのは、それが「初期、中期、後期、末期」のいづれなのか?ということではないでしょうか?

痔に孔最への刺鍼とナマコを食するなんて記事がありますから、さほど一般的な方法でないにしても鍼灸師の知見として存在するのだと思います。

ですが、鍼灸の根幹は「自然治癒力、自己治癒力」ということだと思います。元々、人体が治るような、元に戻るような機能を備えているというところです。
痔にも自己治癒する初期段階から、オペをしなければならない中期以降の段階がありますから、闇雲に「痔には孔最」などと判断するのではないのでしょう。

その自己治癒・自然治癒のメカニズムは(動物実験を通したとしても)「人間の生理学」で明らかにされているもので、進化の歴史を遡って太古の魚類や爬虫類まで振り返る必要はないでしょう。

だから、自己治癒する機能のないところには、例えば腎臓病化した腎臓が自己治癒することはありませんから、神秘的な話で患者を惹きつけても、鍼灸治療で治癒することはありません。


Pass

[1898] 学問として対象の構造を解くとはどういうことか
愚按亭主 - 2015年08月18日 (火) 17時45分

 医療として説く(解く)場合と、学問としての医学として説く(解く)場合とで異なってくると思います。

 まず、医学として説く場合は、大本からの過程的構造を体系的論理として説いていかなければならないので、生命の誕生から生命の発展の論理構造は、必須となると思います。たとえば、交感神経と副交感神経とは、実験的解剖的に見てみますと、同じ器官に拮抗的な形に分布していますので、これだけを見ますと、交感神経と副交感神経とは同格の拮抗神経と解釈したくなりますし、実際現代医学は、そういうように解釈しています。

 ところが、生命史観的にみてみると、現代医学のいうところの副交感神経が生まれ完成したのは魚類の時代でそれとワンセットで生まれたのは運動神経あるいは体制神経です。つまり、副交感神経は代謝の統括を担当し、体制神経は運動の統括を担当するというようにです。これはそのまま受け継がれていくのですが、この関係に大異変が生じたのは、サルから人間に進化したときです。どういうことかと言いますと、運動神経が意志の統括を受ける部署に配置転換してしまったのです。つまり、片方は随意神経、もう片方は自律神経という具合に分かれてしまったのです。

 では交感神経はどうかと言いますと、それが完成したのは哺乳類の時代です。ですから発展性がまるで違います。副交感神経は荷馬車、交感神経はジェット機位の違いがあるのです。しかも、人間になって交感神経は人間の心との関係を緊密に取るようになります。この関係が現代医学が分かっていません。交感神経の緊張を取るために副交感神経を優位になんていうのは皆嘘です。交感神経は心の在り方で変わります。副交感神経は関係ありません。心がリラックスすれば交感神経の緊張が変化するというだけのことです。

 こういうことが分かっていると治療に非常に役に立ちます。だから、分かっていることにこしたことはありません。必要ないとは言えないということです。

 また、癌と違って痔の場合は機能低下の延長線上の実体の変化に過ぎませんので、全過程も鍼や健康腺療法の痔一切奇妙の治療対象となります。

 また、現在透析患者を二人診ておりますが、まだ残念ながら透析の卒業までこぎつけることはできておりませんが、治療するとしないとでは身体の状態が全然違います。そういう意味では、治未病というのは病気になるまでの中間段階しか治療できないということではなく死ぬ間際までその効果を発揮できる治療なのです。

Pass

[1901]
川崎 - 2015年08月19日 (水) 14時32分

鍼灸治療を施すことで透析を卒業できるなどと思いませんが、透析を受けている患者さんに鍼灸その他の手技療法を施すことは意義あることだと思います。

また、中期や末期の痔に対しても鍼灸治療は有効だとして治療を施すことも、患者さんの自己判断でしょうから、私は有効でないと考えますが、一般的に規制するなどということは不可能です。

鍼灸師というのは代々そのように仕事をしてきたのでしょうし、そもそもが東洋医学思想を初めとした非科学的思考を許容しての国家資格化であったでしょうから。人間の命や生活というのは何にも代え難いところがあると思います。

ただ、学術的なことを申せば、交感神経と副交感神経は自律神経として「現代の実験生理学の体系」に説(解)かれているそのままで、そもそもが生体の恒常性に関する観察事実に基づいています。解剖学的な神経分布のみに基づく推測ではありません。

生きるためには体温調節を代表とした生体内の拮抗作用が必須ですが、交感神経と副交感神経との拮抗支配を否定する南郷学派の考えでは、生きるための拮抗作用を担っているのは交感神経と副交感神経ではない、との考えになるのでしょう。

本来ならば、交感神経と副交感神経とが両立したのは魚類の時代だとの知見が正しいならば(条件つきです)、現代生理学の知見から省みて、太古のその時代は拮抗支配しなくてもよい条件があったのだろうか?と思うべきでしょうが、逆に現代の拮抗支配が嘘だという結論になるのが一切奇妙です。

私が考えるに、このような理論的混迷は、南郷学派の学説?が元々どのような学説に由来しているかに分け入ることが必要です。

それは、医学博士の布施道子と農学(水産学)博士の浅野昌充の専門領域がモザイク的にミックスされているからです。治療のために実験生理学を明らかにすることと、進化の系統樹を完成させるためにヘッケルを介して生物を遡ることとは、大学の別々の学部で別の研究として現存していることです。

時代の徒花であっても、咲いた花には意味があるということでしょう。

Pass

[1902] 一回だけ相手しましょう
愚按亭主 - 2015年08月19日 (水) 17時21分

 相手の言わんとすることを全く理解できず、言葉だけ踊って中身の何もない文体から察して、この人物の正体は、どうやら昔さんざん議論を戦わせて不毛であることを思い知らされて、出入り禁止にしていたあのご仁のようですが、読者の勉強になるように一回だけ相手してまともな学問的回答を返します。

 まず、科学がこれだけ発達して医療技術の進化が目覚ましいものがあるにもかかわらず、その医学において未だに西洋医学と東洋医学が両立しているのには、それなりの理由があります。端的には、現代医学(西洋医学)が医学として致命的な欠陥を持っているせいです。医学は本来、正常(健康)から異常(病気)へと変化していく過程的構造、およびその異常化した状態がいろいろな働きかけとの媒介関係においてどのような変化・発展を辿って正常(健康)に戻るのか、あるいは元に戻れなくなった結果として、どのようにそれを補って生命を維持していくのか、あるいはその甲斐もなく死への転帰となってしまうのかの全過程の構造を体系的に論理化するものです。ところが、現代医学(西洋医学)は、正常(健康)から出発するのではなく、異常な状態が量質転化して病気化した状態から出発しているために、肝心の正常(健康)から異常(病気)に至るまでの過程がすっぽりと抜け落ちてしまっています。これが現代医学(西洋医学)の致命的欠陥です。

 つまり、現代医学(西洋医学)は治已病だけで治未病がないということです。その、西洋医学の致命的欠陥を埋めるのが東洋医学の治未病なのです。だから、東洋医学はなくならないのです。

 南郷学派が創ろうとしている医学は、その現代医学の致命的欠陥を克服して、治已病と治未病との統一の医学を建設しようとしているわけです。ですから、その医学が完成した折には、必然的に東洋医学はその歴史的使命を終えて静かにその歴史の舞台から消えていくことになると思います。というよりもその中身が新たな医学の中に止揚されることになります。

 次に、交感神経と副交感神経との関係についてですが、魚類の時代に代謝神経(副交感神経)と運動神経が並立的に生まれたのですが、この並立はほとんど拮抗的ではなく分担的で、運動状態が常態で、代謝モードのするときにのみその代謝神経(副交感神経)が心臓のペースを落とすように働くのですが、これとても心臓は運動モードで働くのが常態ですから、それを抑制する代謝神経しか分布していないで拮抗的な運動神経の分布の必要はないのです。

 ところが、哺乳類になって、より複雑な統括ができる交感神経が発達して運動モードのギアチェンジが可能となるようになると心臓にも交感神経が分布して心臓の運動モードの統括ができるようになりました。その一方で、腸の方にも交感神経が分布するようになって運動時に腸の運動を抑制できるようになります。このように心臓や腸にもともと分布していた副交感神経と後から入り込んできた交感神経との二つが分布するようになると、それだけを見ると、これは拮抗支配しているのだと錯覚する人が出てくることになります。そのうちに一つが現代医学です。しかし、この関係は、一方が働くともう一方が引っ込むという機械的な拮抗関係ではなく、働きそのものは拮抗的ですが互いに相対的独立に機能しあう関係です。

 だから、食事をした後すぐに走ると脇腹が痛くなりますが、これは腸の働きを促進しようとする副交感神経と腸の働きを抑えようとする交感神経とが同時に働くための痛みなのです。そして、しばらくそのまま走り続けているとやがて痛みは治まります。これは両者の働き方のバランスの折り合いがついた結果として、痛みが治まったということです。

 こういう見方は、弁証法を知らない現代医学ではできない相談なのです。しかし、どちらが現実に即しているか一目瞭然ではありませんか?

 交感神経も副交感神経も末梢神経です。自律神経と言っても末梢神経が全部自律しているわけではありません。脳によって統括されているということです。そこのところが現代医学の人たちはまじめに考えていないのです。自律だから交感神経と副交感神経とが自律的に拮抗支配しているのだろうと勘違いしてしまっているのです。そういうお医者さんたちの本やインターネットの文章が実に多いのです。

 

Pass

[1903] 健康腺の役割
タマゴ - 2015年08月20日 (金) 23時56分

健康腺の意味について、稲村先生は、

「アタマとココロで生きる昼間はお腹と手足は、しっかりとつながりあって活動し、夜になって本能で生きる場面になると、内臓と手足は、別々に活動しなければならないのですが、しばしば、夜になっても、別々になっていないことがあるのです。その焦点となるところが、手足と内臓の境目の健康腺なのです。つまり、健康腺は、昼間は、つながり、夜は、はなれるという、スイッチのオン・オフの、いわば切り替えポイントなのです。」

と述べていますが、そうすると側腹や鎖骨の健康腺は不要ということになってしまいます。
鎖骨はともかく、側腹は絶対に欠かせないでしょう。
健康腺には別の役割があると発想を変えないと、説明がつきません。

Pass

[1904] 健康腺の役割(続き)
タマゴ - 2015年08月21日 (金) 00時28分

また、もし稲村先生の述べているような理由で健康腺が重要なのであれば、
大腿側面・後面と体幹の境目も健康腺ということになるはずですが、そうではありません。
こんなところを活圧しても仕方ないわけで。

要するに、理屈と実技が整合していない。
これまでの思い込みを一旦棄てないと、健康腺を解くことはできないのではありませんかね。

Pass

[1907] お答えします
愚按亭主 - 2015年08月22日 (土) 10時17分

 これは、東洋医学に造詣の深いタマゴさんのお言葉とも思えない疑問・批判ですね!これを吉田先生が聞かれたら嘆かれるのではないでしょうか?

 そもそも何故健康腺が前あるいは側面にしかないのか?といいますと、健康腺療法が、重症の内臓病を治すための工夫として生まれたからです。東洋医学では、内臓は陰・裏に属し、運動系は陽・表に属します。またその中間は半表半裏といって表(陽)でもあり裏(陰)でもあり、表でもなく裏でもないとなります。その陰は身体の前すなわちお腹にあり陽は後ろすなわち背中になります。半表半裏は脇腹(第二健康腺)になります。この第二健康腺をとりますと鎖骨・肩甲骨が見事にゆるむのも半表半裏たる面目躍如たるものがあります。

 生命史観的にいっても健康腺は内臓と運動器系の手足との境目といっているので、以上の東洋医学的解釈との整合性はあると思います。

 したがって、残念ながらタマゴさんの批判は当たらないと思います。

Pass

[1908] そうではなく
タマゴ - 2015年08月22日 (土) 12時22分

いえ、東洋医学的に合理的な位置にあるかどうかを述べているではなく、
手足と体幹の境目にあって生命史観的に見て重要な位置にあるという仮説は実技と整合しない、
と述べているのです。
また、

>健康腺が前あるいは側面にしかない

とすると肩甲骨の健康腺がが説明できなくなります。

Pass

[1909] 創造と破壊
タマゴ - 2015年08月22日 (土) 12時37分

どうも、稲村先生は、批判を受けると
「そう言われて、ますます自分の理論が正しいと確信した」
「そう言われて、ますます自分の道を追求しようと確信した」
と意固地になるのが癖のようですね。

的外れな口撃を受けたならそれでいいと思いますが、
正当な批判を受けたなら、一旦それまでの思い込みを全て叩き壊して、
批判を参考に、より高度な新理論を構築するという方向に行かないと、創造というものは無いと思いますが。

まあ、人間の思考は過去のパラダイムに束縛されがちな傾向がありますから、
止むを得ない面があるかとも思います。
私ならそうするということで、押し付けるつもりはありません。

Pass

[1910] 正当な批判?!
愚按亭主 - 2015年08月23日 (日) 14時08分

 タマゴさんは自身の批判を正当な批判と思っておられるようですが、残念ながら私には生命史観的解釈を見直さなければならないと思わせるほどの批判にはなっていないように思われます。これは決して意固地とか癖などではありません。それはこのあとの説明で分かってもらえると思います。タマゴさんが、もし本当に議論したいのであれば、もったいぶらずにご自身の自慢の新たに発見された身体原理から生命史観的解釈を揺るがすような批判・理論展開をすべきではないでしょうか?

 私が何故タマゴさんの批判を正当な批判と言えないと思うのかと言いますと、タマゴさんは、私のスイッチのオンオフ論を言葉面だけで解釈してしまって、その土台となる生命史観的な本能と意識との二重統括の重層構造から把えていないと思えるからです。というのは、

>もし稲村先生の述べているような理由で健康腺が重要なのであれば、大腿側面・後面と体幹の境目も健康腺ということになるはずですが、そうではありません。こんなところを活圧しても仕方ないわけで。

 昼間の意識的な労働の結果内臓と手足が一体的につながったまま固まってしまった状態であるのを治療する場合、当然にも内臓を手足から引きはがすのですから、健康腺は内臓の外縁ということになります。ですから健康腺は骨盤の内側の骨に沿って存在するわけです。胸部の場合は肋骨が内臓と一体となって内臓の運動ともに運動すると同時に保護しているわけですから、手の運動の直接の土台となっている鎖骨と肩甲骨を肋骨から引きはがす形で健康腺療法の操作が行われます。
 したがって、大腿後面や側面の骨盤に付着している部分は足の方に属するわけですから、健康腺にはなりません。しかし、そこが凝りすぎて内臓と一体的に固まりますと当然にも骨盤の内側の健康腺にも影響が及んで健康腺がほぐれなくなってしまいます。こういう時には足の一部にあたるその部位への活圧も健康腺をほぐすのに有効となります。吉田先生が骨盤の外側の大腿骨頭の周囲に鍼を打って健康腺をほぐすのを得意とされていました。

 これは昼間の労働の結果としての経絡の異常が健康腺の異常と直結することを示すもので、吉田先生は健康腺を直接に鍼で治療せず、手足の経絡の異常を鍼で治すことによって健康腺の異常を治していたというのが、吉田先生の発明した鍼の健康腺療法の特徴です。


Pass

[1911] どうぞ
タマゴ - 2015年08月23日 (日) 16時28分

>それはこのあとの説明で分かってもらえると思います。

では、生命史観的な本能と意識との二重統括の重層構造から把えたスイッチのオンオフ論の説明をお願いします。

Pass

[1912] 補足
タマゴ - 2015年08月23日 (日) 20時48分

当たり前のことですが、
天寿堂のHPに掲載されていることを、ここでわざわざ繰り返してもらっても仕方ありません。
先ほどの批判(生命史観と健康腺の実技の不整合)に答える形でお願いします。

Pass

[1913] 説明します
愚按亭主 - 2015年08月24日 (月) 05時29分

 私が何故、タマゴさんは天寿堂のHPの健康腺療法で説明されている生命史観的な本能と意識との二重統括の重層構造が分かっていない、と思ったのかと言いますと、一つは、私が「胸腹部」あるいは「内臓」と言っているのをわざわざ「体幹」と言い換えている点です。その結果として、第二に、批判の部分で大体後面と側面という形で骨盤の外側部分と筋肉の付着部を健康腺としなければならなくなる、としているところです。

 このことは「内臓を手足から引きはがすのですから、健康腺は内臓の外縁ということになります。ですから健康腺は骨盤の内側の骨に沿って存在するわけです。胸部の場合は肋骨が内臓と一体となって内臓の運動ともに運動すると同時に保護しているわけですから、手の運動の直接の土台となっている鎖骨と肩甲骨を肋骨から引きはがす形で健康腺療法の操作が行われます。したがって、大腿後面や側面の骨盤に付着している部分は足の方に属するわけですから、健康腺にはなりません。」という説明(反論)で分かっていただきたかったのですが、もう少し説明しましょう。

 人類は、サルまでの本能による一元的統括の構造を、受け継ぎながらその上に意識による統括を君臨させる二重構造的統括構造を完成させるという形に発展させることによって人間になりました。これによって人間体は生物体(本能的動物体・四足構造体)と、生活体(認識的労働体・直立二本足的経絡体)との二重構造体という複雑な仕組みを持つことになりました。
 
 そして、昼間は意識が全体を統括して生活体が生物体を従わせる形で機能し、意識が眠りについて全体の統括を止める夜は本能が前面に出て生物体が生活体のもたらした歪み等々を修復して人間体を元に戻すというサイクルでその二重構造体を維持・機能させることになります。ここにスイッチのオンオフの切り替えがあるということです。

 そのスイッチのオンオフの切り替えにおいて最も重要なポイントは、内臓の位置付けが大きく変わることです。つまり、動物体・四足体においては内臓は背骨からぶら下がって運動には直接かかわらない構造になっているのに対し、労働体・直立二本足体では、内臓も、たとえば重いものを持つときにお腹に力を込めるように、否応なくその労働体の一部に組み込まれます。その結果として、内臓と手足がつながることになり、臓腑経絡が形成されることになります。ここではじめて臓腑経絡が形成されるのですから、動物には経絡はなく、したがって、動物の足には人間のような内臓のツボはありません。

 昔、私が「医道の日本」誌に経絡論を発表していて「動物には経絡はない」と言い切っていましたので、中国の獣医学書を翻訳してそこに経絡図がないので新たに創ってそれを加えようと企図したH先生が、私が否定しているものですから、私の恩師(H先生はそんなこと知らずに)粟島先生に相談したところ、「動物は横気だから経絡はない」と否定され泣く泣く断念されたという話を、あとで粟島先生から聞いたことがあります。

 話が横道にそれてしまいましたので、元に戻して、このように内蔵の位置づけが大きく変わることが、とても大事です。何故なら、その内臓こそが珠の本体と言えるほど重要なものだからです。だから、その珠の外縁にあたる健康腺を整え磨く健康腺療法の重大な意義がると言えるのです。何故なら、昼間の労働の歪みが経絡の異常となって固定化すると、内臓と手足の境界線の健康腺がオフにならなければならないのにオンになったまま切り替わらずに異常化してしまうことになるからです。そして、それが夜の修復作業をする本能体の働きを邪魔して、病気への道を歩んでいくことになるからです。そんなときに、健康腺療法を施して健康腺をニュートラルな状態に戻してやると、それまで眠りが悪かったのが必ずぐっすり眠れるようになって、自ら自然に健康に戻っていくわけです。これが、健康腺療法が治未病療法である由縁なのです。

Pass

[1914] とすると
タマゴ - 2015年08月24日 (月) 09時15分

なるほどと思った部分とそうでない部分があります。

人間が直立二足歩行に進化した際に内臓が癒着しやすい構造体に変化したから、
その癒着を引き剥がして、動物のように内臓本来の働きができる状態に戻す、
ということだけであれば腑に落ちるのですが、
認識のスイッチの切り替えというのは関係無いのではありませんか。

Pass

[1915] これは
タマゴ - 2015年08月24日 (月) 14時00分

実技レベルの話ですが、今まで健康腺を経絡と同じように活圧していましたが、
骨盤と内臓の癒着を引き剥がすイメージで活圧してみたら、なんか効果が全然違いますね・・・。
ちょっとしたイメージの違いで、こんなに変わるとは思いませんでした。
ありがとうございます。

Pass

[1916] なるほど
タマゴ - 2015年08月24日 (月) 15時59分

“引き剥がす”には、親指では無理ですし、骨盤と内臓の隙間に深く指を入れるには中指が最も都合が良い。
また、“引き剥がす”には、当然、引きの動作(抜き圧)が重要になると。

なるほどなるほど。
流石は野中先生、完璧ですね。

Pass

[1917] さすがタマゴさん
愚按亭主 - 2015年08月25日 (火) 11時19分

 鍼専門のタマゴさんが、手技で確かめてみる。これはなかなかできないことです。さすがです。しかも、それをすぐに感じ取れるというのも、並ではありません。少しでも分かっていただけてうれしいです。

 さて、質問についてですが、
>認識のスイッチの切り替えというのは関係無いのではありませんか。

 結論から言いますと、大いにあるのですが、これには少し行き違いがあって、それを説明するのがちょっと複雑になります。できるだけ話を整理しながら説明していくつもりですが、分かりにくくなることをお許しください。

 まず、「認識のスイッチの切り替え」ということは、じつは私は言っていないのです。しかし、構造的にはたしかに認識のスイッチは関係します。私が言っているスイッチのオン・オフは、経絡と健康腺のスイッチのオン・オフなのです。つまり、必要な時につながり、必要でなくなったらオフになって切り離される、というオン・オフなのです。ですから、ありていにいえば経絡や健康腺の実体であるスジのネットワークのオン・オフのことを言っているのです。

 ここに認識はどう関わるかと言いますと、認識は直接にこのスジのネットワークのオン・オフをコントロールしているのではありません。皆さんも自分の体験を振り返ってもらえば分かると思いますが、そんなことを意識したことはないはずです。せいぜいのところ「これは重いからしっかりお腹に力を入れなければ腰を痛めるぞ!」程度の意識ではありませんか?あとは身体の方が勝手にやってくれているはずです。そのスジのネットワークをコントロールしているのが交感神経です。

 そこで、問題となるのが、交感神経がオフを指令してもスジの方が固まったまま離れなくなってしまうことがあることです。これは、タマゴさんが言うように二本足で直立したために構造的に癒着しやすくなった、という面も確かにありますが、それだけでなく、内臓の異常などによってスジ自体の変質・歪みが少尉自他場合や、経絡的な使い方の歪みなどによって経絡のスジと健康腺のスジとの癒着的結合が起きたり、という形でオフができなくなってしまうことがあることです。

 そうなると、認識の方はオンからオフに切り替えて意識が眠りについても、身体の方がオフに切り替わらないために本能による修復の進行がスムーズに進行しないために、苦しくなって目が覚めるというかたちで、勝手に認識のスイッチが押されてオンになってしまったりするわけです。

 健康腺療法は、この認識のスイッチのオン・オフと身体のスイッチのオン・オフのズレを直して熟睡させてくれる治療法だということが言えると思います。

Pass

[1918] タマゴ
脳 - 2015年08月25日 (火) 12時53分

認識の切り替えについて解くためには、本来、
その実体的主体であろうところの脳について踏み込まざるを得ないのではありませんか。
これまで、脳については全く触れていないですよね。

認識云々は関係ないのではないかと思うのは、そのためです。

Pass

[1919] 認識が脳を統括している
愚按亭主 - 2015年08月26日 (水) 14時06分

 認識は関係ないどころかおおありです。何故なら、認識が脳を統括しているからです。その典型的な例が、現在中国で行われている世界陸上でボルトやサニーブラウンがゴールに向かって疾走する時活という目的のために脳がフル動員されて全力疾走している状態です。これは分かりやすい例として挙げたのですが、これは決して認識による脳の統括の特殊な例ということではなく、これが人間の正常な生理構造なのだということを理解していただきたいと思います。

 たとえば、楽しいとき脳が躍動してウキウキしますが、悲しみに打ちのめされると途端に脳の働きが落ち込んで生気がなくなります。

 このように認識が脳を統括しているわけですが、認識が眠りについても、脳は時々休憩はとっても働き続けます。脳はもともと本能による一元的な統括する形で発達してきたのですから、認識による統括が休んでいる間は、昔取った杵柄で、勝手に本能的に働いて悪くなっているところ歪んでしまったところを修復していくのです。

 ですから、脳に関するスイッチのオン・オフは、認識が統括をするかしないかということのオン・オフなのです。ですから必ずしも意識が眠りにつかなくとも、意識がボゥ〜として統括を怠けているときは、ここぞとばかりに脳の本能的な部分が働いて疲れを取ってくれるわけです。

Pass

[1920]
タマゴ - 2015年08月31日 (月) 08時41分

認識とは、脳という実体の機能のはずですから、
何らかの形で脳を整える作用が内包されているのでなければ、スイッチ云々は言えないような気がします。

それから、以前も述べましたが、
もし、南郷弁証法の根幹が歪んでいるとすれば、当然、生命史観も歪んでしまっているはずですから、
生命史観は絶対であるという前提で論じるのは、どうなのかなと。

稲村弁証法を基礎に一から論理を組み立てていくことは、骨の折れる作業でしょうが、
やるしかないんじゃありませんか。

Pass

[1921] さすがタマゴさん!
愚按亭主 - 2015年08月31日 (月) 17時07分

 タマゴさんが、認識は関係ないのではないか?との疑問を呈された訳がようやく分かりました。仰る通りです。本能的に形成されてきた脳の実力として、活動モードから修復モードへの切り替えスイッチは、脳自体の生理構造の中に自律的に内包されています。ですから、その意味では認識と関係ないということができます。

 もちろん認識が意識として目覚めている間、脳は全体として、その意識に統括されているのですから、脳は意識の意向の下に統括されますが、それでもその統括に支障が出ない範囲で活動モードから修復モードの切り替えを行っています。ですから、全体として活動モードの中に部分的に修復モード入れるという統括を自律的に行っているという複雑な統括の実態もありうるわけです。

 この脳の本能的な生理的統括は身体の生理構造と一体性が強いので、凝りすぎると本来働きはじめなければならないはずの修復モードへの切り替えができなくなってしまうことが起こりえます。そんな時に、その身体の凝りをほぐしてやりますと、体全体が修復モードとなることができてぐっすり眠れるようになります。だから、経絡の異常・健康腺の異常を取り除いてやると、体全体が修復モードに切り替わるという現象が見られるのです。

 また、こういう例もあります。左の膝・股関節・腰椎が悪くなって医者から手術を勧められている方が、私の鍼で劇的に良くなったものの、今度は右ひざに激痛が走るようになったということがありました。この場合。左が良くなったので、それまで無理して支えて続けてきた右足を修復モードにした結果、そのスジの状態がとても悪かったためスジが大きな硬い塊ができてそれがなかなかとれなくなってしまっために神経が圧迫されて激痛が出るようになったと考えられます。

 このように体全体としては活動モードになりながら、部分的には修復モードにして動きを止めるという複雑な統括がされているのが実際です。

 次に南郷学派の学的成果は土台が歪んでいるから一から作り直すべきだとのご指摘ですが、そこは少し違います。南郷学派の誤りは、学を全体的に体系化する場合に、それまでのような相対的真理一辺倒ではまともな学の体系化はできない、という問題ですので、即自的・唯物論的に事実から積み上げてきた論理そのものは、そのまま受け継ぐ必要はあります。

 問題は生命史観という全体的な論理の場合はどうかということですが、その基本的な論理そのものも事実から積み上げてきたものですから、充分に役に立つものです。欠けているのは、対自的な視点から捉え返しがない点が弱点ですが、それはすでに私なりに補いながら使用しています。たとえば、人類の誕生の意義は、自然成長的発展の時代から目的意識的発展の時代へと発展の在り方が変わったことであると規定していますが、これは南郷学派が言っていることではなく私が対自的観点から捉え返して規定したものです。

Pass

[1922] 手の健康腺療法と剣術
タマゴ - 2015年09月04日 (土) 22時34分

少し話を戻しますが、手の健康腺療法の手の使い方と剣術の剣捌きは、どうも共通点がありそうですね。

押し圧は、押すというより結合組織の癒着を断ち切る感覚でしょうから、剣術の突きに相当すると思います。
抜き圧は、引き剥がす感覚でしょうから、剣術の引き斬る動作に相当するのでしょう。
つまり、指を剣化する感覚なのではないかなと。
現代人は真剣を扱う機会はありませんから、この感覚はなかなか身に付かないと思います。

剣術の達人でいらした野中豪策先生でなければ難しかったのは、そのためではないでしょうかね。
現代剣道家にも引き斬る感覚は無いから、たぶん難しいと思います。

剣術の経験者ではない野口晴哉先生は、第一健康腺を輸気や押圧で処置しようとして、効果がえられなかったので、整体操法に入れなかったのでしょう。
第二健康腺は直下に臓腑がありますから、押圧や輸気でも、ある程度は効果があったのでしょうが...。
こういう発想の療術は他にありませんから、無理もありません。

吉田先生が澤田健先生の太極療法を研究して鍼の健康腺療法を確立されたのは、お二方とも古流柔術の達人で、感覚が近かったからなのかもしれませんね。



Pass

[1923] 仰る通り!
愚按亭主 - 2015年09月06日 (日) 05時35分

 その通りだと思います。これから関西出張に出かけます。

Pass

[1924] 指の日本刀化
タマゴ - 2015年09月06日 (月) 17時26分

かといって、お弟子さんに、日本刀を買って感覚を磨け!
というわけにも中々行かないでしょう。
古流柔術の当て身(ツボ・急所への打撃)の稽古も一筋縄にはいきません。
空手にも、引きの動作や指頭を身体に透徹させる技(貫手)がありますから、これらを上手くカスタマイズして取り入れられたら良いのかもしれませんね。

ところで、元気療法、健康腺療法に加えて、新たに天珠療法という治療法を創始されるそうですが、もう完成しているのですか?
元々あった脳病一切、眼病一切、迷走神経あたりは入るのでしょうが。

部外者の私でもよければ、知恵を出しましょうか?

Pass

[1925] ありがとうございます
愚按亭主 - 2015年09月09日 (水) 14時53分

 しかし、後が怖いので、遠慮しておきます(笑)ところで、タマゴさんが発見された身体原理と、生命史観とで議論を戦わせるはずではなかったですか?とても興味がありますので楽しみにしています。

Pass

[1926] (笑)
タマゴ - 2015年09月09日 (木) 18時53分

何が怖いのか、さっぱりわかりませんが (笑)、
取り敢えず、脳病一切、眼病一切、辛苦一切あたりは入れる予定なのかなと思います。
ただ、これだけだと、天珠と人珠を繋ぐルートが調整されていないので、効果半減になってしまうかと。
迷走神経だけでは足りないでしょう。
脊髄神経を整備しないと。

そのためには、陽池は欠かせないと思います。
これは私のアイデアではなく、吉田先生も研究した太極療法の技ですから、何も問題は無いかと思います。

あと、私は生命史観と議論するなんて言ってませんよ。
生命史観には、致命的な欠陥があると考えておりま すが。

Pass

[1927] まず
愚按亭主 - 2015年09月10日 (木) 09時46分

 タマゴさんの言わんとすることを正確に理解するための確認ですが、タマゴさんのいうところの天珠と人珠とはどういうものですか?

Pass

[1928] 真の珠
タマゴ - 2015年09月10日 (木) 11時54分

人の珠ではなく真の珠ですか。
これは失礼しました。
私は、天の珠を脳、真の珠を内臓と考えました。
見当違いでしたらすみません。

Pass

[1929] そういうことです
愚按亭主 - 2015年09月11日 (金) 11時16分

 健康腺に囲われ守られている真珠は、原点である生命誕生の源基形態としての細胞(珠)を直接に受け継ぐもので、手足や頭はその真珠から伸びたもので、手足は運動系、頭(天珠)は統括系を担うものという把え方です。

 心配されている問題につきましては、ご心配には及びません。その方向に生命史観を土台として発展的に進んでおります。

Pass

[1930] なるほど
タマゴ - 2015年09月11日 (金) 14時10分

鍼の健康腺療法をベースとし手足をする元気療法、真珠を治療する健康腺療法、脳を治療する天珠療法。
このように体系化することが、学問的に最も適当であろうと。
野中先生と吉田先生の治療法を崩さずに伝えていくこともできますし。

なるほど、さすが稲村先。

ただ、吉田先生は「鍼灸真髄」を研究しておられたわけですが、
もう一冊の伝書「灸点治療法」の方には、太極療法の奥秘は陽池・中完と書かれている。
要するに、中枢神経と腹膜の調整が、太極療法の驚異的な治療成績の秘密だったわけです。

吉田先生が、この本をご存知だったら、陽池は採用なさったのではないかなと思ったわけです。
健康腺療法で腹膜の歪みは取れるので、中完はいらないかもしれませんが。

Pass

[1931] 中枢神経というよりも交感神経だと思います
愚按亭主 - 2015年09月12日 (土) 12時47分

 大極療法とは交感神経を整えるものではなかったかという気がします。陽池は背中の交感神経幹を整えるツボであると思います。交感神経は腹膜・内臓を抑制的に統括します。したがって、それらが異常化したときに整える作用もあるということです。

 そして何よりも命を守る実質的な仕事は、交感神経が一手に引き受けているということです。ですから、この交感神経の働きを整えることができたら、自分の力で病気が治っていくようになるということです。

Pass

[1932] そうですか。
タマゴ - 2015年09月12日 (月) 21時48分

結局、生命史観ですか(笑)。

まあ、作用機序はともかくとして、未病一切奇妙と呼ぶに相応しい治療点は、これしかないだろうと思います。
現代の治療家が澤田健先生の驚異的な治療成績を再現できないのは、「灸点治療法」がマイナーで、陽池が太極療法の極意であることを知らないからでしょう。
ただ、陽池は灸穴なので、指での活圧で整えるのは、かなり難しいと思いますけど。
そこは稲村先生の工夫でなんとかしてもらうということで。


いずれにせよ、天珠療法は稲村先生のオリジナルですから、何をどうするか、決定権は稲村先生にあります。
では、天珠療法の完成を楽しみにしています。

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