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千日堂の思い出 |
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From:アンクル・サム
懐かしい記事に引かれてやってきました。 30年ぐらい前の話ですが,千日前の千日堂ではなく,その支店だったか地下街・虹の街にあった串の店・千日堂に良く通ってました。仕事場が日本橋の電気街でしたので,帰りに良く寄って(酔って?)いたものです。 当時は週休1日でしたので,26日/月ぐらいの勤務でしたが,3回/週(13〜4回以上/月)ぐらいは余裕で行っていましたね。 長身のオヤジさん,優しいお母さん,愛想のいいお兄さんと奇麗な妹さんの親子四人と焼きと揚げのおじさん二人がカウンターの中で甲斐甲斐しく働いておられました。 十四〜五人座れば一杯の「コの字」カウンターだけのお店でした。 僕はアツアゲの焼いたのが好物でお母さんから「揚げ焼きの兄ちゃん」と呼ばれていましたっけ(一緒に行っていた鶏の砂ズリ焼きの好きな友人は「ズリの兄ちゃん」と呼ばれてました)。 懐かしい記事をありがとうございます。 また,のぞきに来ますね。
2016年02月29日 (月) 23時59分
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虹のまちの千日堂 |
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From:管理人 蛸公方
アンクル・サムさん、書き込み有難うございます。
虹のまちに支店があったのですね。 今のなんばの地下街と違って、昭和の頃の 虹のまちは雑多でごっちゃごちゃしてた印象があります。 なんなんタウンサイドにはまだその雑多感が残ってますけど。
千日堂は食堂百貨とも歌われていたこともあって 名物のスッポン鍋以外に軽食洋食喫茶なども 営んでいてバラエティにとんだメニューを 用意してましたが、私が食べた記憶があるのはカツレツでした。 道頓堀のくいだおれ同様、値段的にやや高めで 敷居が高いなぁと感じたのは覚えています。 当時なんば花月に演芸を観に連れて行って貰ってた頃ですから 1981年ごろ。もう35年も前です。
大学生になって、大阪によく出るようになった際に 当時毎日放送ラジオの「のぶりんの気分は青春」で 千日堂のCMが毎週流されていて、 その時に一回だけ行きました。貧乏学生だったので コーヒーとアイスだけ注文。それから 程なくして千日堂が閉店。大学卒業の頃には跡地はもう別の店舗に。かつて幼少の頃より CMなどで慣れ親しんだ大阪の名店の数々は 平成に入ると尽く閉店したり業務形態を変えたりしてしまい 今となっては行くに行けない状況になってしまったのが 残念です。
2016年03月11日 (金) 02時23分
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コメントありがとうございます。 |
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From:アンクル・サム
蛸公方さんコメントありがとうございます。 約束通りまたのぞききにきましたよ。
ラジオと云えば,OBC(ラジオ大阪)でも千日堂の提供番組がありましたね。 露の五郎師匠がMCされてたと記憶しています。
で,虹のまちの串の店・千日堂ですが,串カツはもちろん「おでん」もおいしかったですし,「小エビの天ぷら」も絶品でした。 千日前の本店の方の立ち飲みコーナーにも行った事がありましたが,私のホームグラウンドはもっぱら虹のまちの串の店でした。
81年頃といえば既に連日飲み屋通いが絶好調なころですから千日前周辺を夜ごと徘徊していた頃ですので,どこかですれ違っていたかもしれませんね。
千日前と云えば信号を北へ渡った所のOSビルの上の方にあった「ニューミュンヘン南大使館」というビアホールにもよく行っていました(他にも数件,良く通った店がありましたがそれはまた次の機会にでも…)。
さて,これから貴殿のサイト内にある懐かしい記事を探しにいってきますね。 ありがとうございました。 またのぞきに来ますね。
2016年04月09日 (土) 23時25分
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どうもです。 |
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From:管理人蛸公方
アンクル・サムさん 返信遅れました。
千日堂の頁、歌詞に若干誤りがありましたので 修正しておきました。当時の録音テープを聴くことが出来、 ようやく正しい歌詞を確認できた次第。
ニューミュンヘンといえばビアレストランとして有名ですが からあげの美味い店として認知されてるとこもあるようで、 TVでよく紹介されています。
虹のまちも名称がなんばウォークになって 久しいですが、あの虹のロゴマークは見るたびに ああ、なんばに来てる、と実感したもので。
また気軽に書き込みに来てください。
2016年05月04日 (水) 21時08分
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