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ゼロ年代のアニメ史

80年代末期から90年代前期までのアニメ史的意義をまとめた「 エヴァ前夜はアニメ史的空白だったのか?」に触発されて、歴史認識としての「ゼロ年代アニメ史」を総括できないか? という目的で立ち上げた掲示板です。

なお、ゼロ年代は製作された作品数も激増し、かつネットや他ジャンルの影響も考慮する必要があるため、管理人だけでは全体を包括するなどとても出来ません。

なので、各分野の知識がある方の意見を持ちよって、議論の形式をとりながら「ゼロ年代アニメ史観」のようなものをつくっていけたらと考えています。



このレスは下記の投稿への返信になります。内容が異なる場合はブラウザのバックにて戻ってください

[16] 空気系アニメについて 管理人 - 2008/12/29(月) 02:33 -

どうもです。
本格的な開始は年明けからと思ったんですが、リンクも張られ、テーマも秋水さんが担当してくれるってんで、記念すべき最初の項目を立ち上げてみたいと思います。
私としても、かき集めた資料を整理して、自分なりの見解くっつけた程度なんですが(^^;


まず、空気系アニメとはそもそも何なのでしょう?

実は現在、Wikipediaなどで調べても“空気系アニメ”という項目は編纂されていません。
けれど、深夜にやってて、女の子がわんさか出てきて、作中にいわく言いがたいまったりとした空気が漂ってて……というタイプの作品群が、ゼロ年代を境にしたあたりから目立ち始めたような気がします。

『空気系』とでも呼ぶべき作品群について
http://m-s-r.sakura.ne.jp/2006/09/post_24.html
『空気系』作品の特徴は何だろうか
http://m-s-r.sakura.ne.jp/2006/09/post_26.html
まったり空気系アニメが何故に女の子主体か分かった・・・・・ような気がする。
http://twodimension.blog59.fc2.com/blog-entry-761.html

などなど。
さらに、ここに自分なりの定義をあげるなら

1.主要登場人物のほとんどが女の子
2.物語らしい物語(出来事に起承転結の流れ)がない
  もしくは、展開がきわめてぬるい
3.視聴者が作中人物の“なにげない日常を眺める”ことを主な目的としている

といったところでしょうか。

明確な定義はつけがたいですが、おおよその見解では、2002年4月からアニメ版の放映が開始された「あずまんが大王」が、これら作品群のさきがけということになりそうです。

他の作品としては、

苺ましまろ、びんちょうタン、ARIA、ひだまりスケッチ、ぽてまよ、まなびストレート、らき☆すた、スケッチブック、みなみけ、今日の5の2

などがあげられるでしょうか。

[17] ルーツは「ぼのぼの」か? 管理人 - 2008/12/29(月) 02:37 -

さて、この空気系アニメに分類されるような作品群をながめると、それらにマンガ(とりわけ4コママンガ)原作が多いことがわかります。
では、それはどうしてなのか?

その答えを示唆してくれそうなのが、伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』に書かれている『いがらしみきお作品に見る「マンガの変質」』に見つけることが出来ます。

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/post_788b.html

ここに書かれている論旨を要約すると、80年代半ばから90年代初頭あたりにマンガをとりまく物語メディア全体で「物語は終わった」という認識が生まれた。
どういうことかと言えば、手塚治虫以降のストーリーマンガの歴史において、描ける物語の構造、パターンというものがすでに出尽くしてしまったというのです。

そこで、当時のいがらしみきおは、「物語(起承転結)の破壊」の最終答案のような作品として、ぼのぼのという作品を描いたと。


>『ぼのぼの』は当初、いがらしみきおの「転向宣言」であるかのように受け取られていた。起承転結(つまり物語構造)をはっきりと持たぬことは以前のいがらしマンガと同様なのだが、かつての「過激な描写」は嘘のようになりを潜め、ただひたすら「世界」の中で「かわいいキャラ」が戯れるさまを描いていたからだ。


この『「世界」の中で「かわいいキャラ」が戯れるさまを描いていた』という作品傾向に、90年代以降の萌えの観念がプラスされることで生まれた想像力が、ゼロ年代における空気系アニメのルーツになったのではないでしょうか。

『空気系』総論
http://m-s-r.sakura.ne.jp/2007/06/4.html
「萌え4コマ」歴史・現状・展望
http://blog.livedoor.jp/sweetpotato/archives/26580127.html

[18] アニメ史的な考察 管理人 - 2008/12/29(月) 02:43 -

マンガに関しては一応の仮説を立ててみましたが、ではアニメ史的なアプローチではどうでしょう。

私の記憶では、空気系アニメが目立ちはじめる以前にも、物語らしい物語がなかったり、なにげない日常を丁寧に描いたタイプの作品群が思い当たります。
まず真っ先に思い当たるのが、1999年4月から放送されたToHeart、後のフィギュア17といった高橋ナオヒト監督作品。
(個人的にToHeartの後続作品のような印象を持ったセンチメンタルジャーニー、セラフィムコールといったサンライズ製作の美少女アニメもついでに併記)
そして、舛成孝二&黒田洋介コンビによって作られたMAICO2010、リスキー☆セフティ、ココロ図書館も、合わせてあげておきます。

順を追って説明すると、エヴァショック直後のアニメ界では、どう見てもエヴァの後追いのような数多のアニメの他に、さまざまな実験的な試みをしたアニメが製作されました。
そうしたなかで、ToHeartやフィギュア17は“作中人物のなにげない日常を描く”部分に比重をおき、極めて丁寧な演出がなされた作品でした。
特にToHeartは、“物語らしい物語がないアニメ”としては、オタク層へむけて作られた最初のアニメだったように思います。
つぎに、一連の舛成孝二&黒田洋介コンビ製作のアニメは、シチュエーションコメディ的なニュアンスが強いなかで、後のかみちゅに連なるような舛成監督による丁寧な芝居演出が目立つ作品です。

どちらも、美少女を軸にしながら日常的な部分を丁寧な演出で描いたという点で、空気系アニメとの共通性を感じます。
(ただし、この両監督やサンライズ作品には、非常に実写映画的なニュアンスを感じるので、後の空気系アニメとは、また違った印象を持つのですが)
さらに興味深いのが、空気系アニメのさきがけと言われるあずまんが大王と、ココロ図書館、リスキー☆セフティは同じ電撃系のマンガ原作のアニメであり、製作に舛成孝二が携わっているのです。
(セラフィムも元は電撃系の企画モノらしい)

空気系アニメの特徴として、そのゆるくまったりとした内容とは裏腹に、佐藤順一、古橋一浩、神戸守(任意)など、演出に関してはべら棒に高度なレベルのスタッフが関わっていることがあげられると思います。
そういった作品づくりへ至る流れとして、前述の高橋&舛成監督作品などを“プレ空気系”とでも言うべき位置におけると個人的に考えます。
つまり、マンガ界におけて萌え4コマなどに連なる“物語なきゆるい想像力”の潮流と、アニメ界においてToHeartあたりから始まった“美少女の過ごす日常を高度な演出力で描く”という方法論とが相まって、ゼロ年代の空気系アニメともいうべき作品群が生まれてきたのではないかと。


……などと、一応それっぽい分析はしてみましたが。
じつは私、空気系アニメの原作マンガを含め、アニメ作品自体も途中で追いかけるのを降りてしまっているので、原作との比較やらアニメ化の際の方法論。電撃系マンガなんかの系譜、スタッフ含めた作品の変遷など、つっこんだ内容への言及はほとんど出来ません。

なので、そこらの事情ひっくるめて詳しい方、てか秋水さま、続きをよろしくお願いします(^^;

[19] いきなり異論から 秋水 - 2008/12/29(月) 13:33 -

最初から異論で飛ばしていきますww

ちょっと空気系の定義があいまいかつ広すぎる気がします。

>2.物語らしい物語(出来事に起承転結の流れ)がない
  もしくは、展開がきわめてぬるい


この定義からすると
フィギュア17は当てはまりません。後半ものすごくドラマティックな展開が用意されています。

またToHeartは、いわゆる恋愛もので、マルチなど泣かせる話が用意されているので物語がないとはいえない。
まなびストレートも同様。
一見物語性が希薄なARIAもトータルで見れば登場キャラの成長がゆっくり描かれているので、物語性がないとはいえない。

これらは分類としては、むしろ「日常系ドラマ」であって「空気系」としてひとくくりにするにはいささか乱暴ではないかと思います。
いってしまえば、「ハイジ」や「赤毛のアン」を「空気系」に分類してしまうようなものです。

で、この「日常系ドラマ」の増加、はゼロ年代のひとつの流れとして抑えておく項目であると私は考えます。


でもって、一方で「あずまんが大王」「みなみけ」「苺ましまろ」といった確実に「物語性がない」作品群も多々存在していて、これもひとつの大きな流れになっている。

この「日常系ドラマ」と「空気系」は基本的に分けて考えるべきではあるのですが、似たベクトルを持っているのも事実で、史観を作るのには、ひとまとめにしても構わないかとは思います。

[21] ToHeartと美少女と日常系 秋水 - 2008/12/29(月) 14:03 -

では、持論展開行きます。
ではこういった作品がアニメで隆盛した流れを軽く考えてみたいと思います。

すがりさんがあげたようにToHeartとあずまんが大王の成功がおおきかったと思います。

ToHeart(1999)は美少女ゲーム原作のアニメ化のさきがけであり、以降の美少女ゲームのアニメ化はゼロ年代に隆盛を極めるというひとつの大きな流れを作るきっかけとなった。

この美少女ゲームを原作とした作品というのは、一方で学園や恋愛を題材にしており、現代の日本の「日常」を舞台にしたものがほとんどだった。

それまでのアニメ特にオタク向け作品では、SFやロボット、ファンタジーといった題材で、未来や宇宙、異世界を舞台にしたものが多く、また物語もバトル中心で、「日常」をメインにおいた作品は傍流であり、わずかに名作劇場系の作品か、魔法少女系や少女漫画系作品に見られる程度だった。

それが美少女ゲームのアニメ化の台頭は、一方でおこっていたいわゆる萌え系のブームの後押しもあり、2000年にはその流れを決定付ける「ラブひな」が放映され、ハーレム系ラブコメとの相乗効果で、学園、ラブコメ、美少女は増殖の一途をたどるが、それは同時に、萌えと美少女をメインとした、日常を舞台にした作品の増殖でもあった。

そしてこの流れをもうひとつ変えたのがあずまんが大王だった。

[22] あずまんが大王 秋水 - 2008/12/29(月) 14:17 -

あずまんが大王はこういった美少女ゲームやラブコメ漫画原作の流行の後、それらに飽きた視聴者が、女の子がいれば、恋愛要素がなくても「萌え」は成立するということの発見だった。

あずまんが大王は、キャラの日常を4コマ漫画として切り取るという、4コマ漫画としてはごく普通の作品であったが、オタク系文脈の上にある絵柄とキャラ性を加え、後に萌え系4コマというジャンルまで生み出すきっかけとなる大人気作となった。
その影響下で、次々にあずまんが系、萌え4コマ系作品もアニメ化されるようになっていった。
これらの作品もやはり舞台は、日常であり、日常におけるたわいのないやり取りを描くだけで、物語性は、完全に抜け落ちた作品が生まれていった。

[23] 日常系ドラマ 秋水 - 2008/12/29(月) 14:57 -

こういった美少女ゲーム・ラブコメ系作品と萌え4コマ原作のいわゆる空気系が隆盛していく裏で、ひそかに作られていたのが、どちらにも属さない「日常ドラマ系」と呼ぶべき作品だろう。

前述のToHeartの高橋ナオヒト氏が手がけた「フィギュア17」はそのひとつの例といっていいでしょう。
ToHeartは後に量産される美少女ゲームと一線を画するのは、他の作品に比べて、その日常描写や自然なキャラの描写にかなり力点が置かれていて、「萌え」「美少女」という通俗的なイメージからすれば、かなり上品な作品だった。
そしてその後に作られた「フィギュア17」(2002)はこの日常描写とキャラ描写をさらに推し進めた作品となり、当初派手さのない地味な作品としてしか見られなかったが、多分にドラマ性を含んだ作品となった。
1999年には、「カードキャプターさくら」「おジャ魔女どれみ」が放映開始され「コメットさん☆」(2001)を含め、一部のファンから絶賛され、その中で日常描写の丁寧さを評価する声も多々存在した。

同様に非ラブコメで日常描写を重視した作品は、多数ではないものファンの支持を集め、特に舛成監督は、「リスキーセフティ」(1999)「ココロ図書館」(2001)などで、その分野での才覚を発揮し、次いで作られた「R.O.D-THE TV-」(2003)はアクションシーンもさることながら、それ以外のパートでのだらけたキャラの日常描写が注目を集め、高く評価された。その流れは、キャラの日常をメインとしたファンタジー作品である「かみちゅ!」(2005)によってほぼ完成する。
またかみちゅと同じ年には「まほらば」「ARIA」も放映され、恋愛要素よりもキャラの日常を追うゆったり、まったりとした作品が人気を博した。

[24] 分類の仕方について 秋水 - 2008/12/29(月) 15:15 -

「あずまんが大王」をはじめとする萌え系4コマ作品と「かみちゅ」や「ARIA」といった作品は、日常をベースにしたキャラのたわいのないやり取りが中心となるので、一見すると物語性が抜け落ちていて同じタイプの作品に見えるが、前者が、キャラの置かれた状況や内面に変化をほとんど踏み込まないのに対して、後者は、その日常を積み重ねていくことで、キャラの内面の変化や成長をゆっくり丁寧に描いていく。
後者は、どちらかといえば、いわゆる名作劇場系に近いタイプの作品といえなくもない。

空気系としてくくると前者のみを指すことになるので、恋愛要素が希薄で、女の子の日常メインに描かれた作品群は、出来れば後者を含めて「萌え日常系」とでも呼称したほうがしっくり来るのではないかと思います。
その分派として「空気系」「ドラマ系」とわけて考えるのが妥当ではないかと思います。

[25] 以上でーす 秋水 - 2008/12/29(月) 15:23 -

おおざっぱですが、美少女ゲームのアニメ化、萌え系の隆盛からぞの分派としての空気系、日常系作品の成立について持論を展開させていただきました。

後、補足、突っ込みなどよろしくですw

後、ここから日常描写の増加から演出クオリティの洗練というところに話を広げられるんですが、それはまた別の機会で。

[27] 広義と狭義 管理人 - 2008/12/29(月) 16:08 -

>ちょっと空気系の定義があいまいかつ広すぎる気がします。

仰るとおりだと思います。
私自身もそう感じたんですが、たたき台としてとりあえず立ち上げた項目だったもんで、水を向ける意味で大雑把な書き方をしました。

まず、私のあげた「プレ空気系」に分類した作品群は、空気系に通じるニュアンスは含んでるけど、空気系とは言えないだろうってアニメです。
ToHeartにしてもフィギュア17にしても、淡々とした日常を描きながら、ちゃんとしたドラマ的な盛り上がりがあるってのはわかってますんで。センチ、セラフィム、舛成監督作品も言わずもがな、です。
(ただ、ここらへんは私がどうこう言うより秋水さんのほうが絶対詳しいだろうと思ったもんでw)
これらは、あずまんが以降の作品に比べると多分に実写寄り。しかし、ここらへんの作品の流れは汲んでるだろうって意味での“プレ”なんですよ。

>「日常系ドラマ」の増加はゼロ年代のひとつの流れとして抑えておく項目
>「日常系ドラマ」と「空気系」は基本的に分けて考えるべき

>ToHeartとあずまんが大王の成功

ここらへんは全くその通りだと思います。
で、最初の話をすると、空気系のなかにARIAとか、まなびが入っちゃってるのはどうしてなんだろうってことなんです。
これ、実は私も疑問だった。けど、けっこう同類みたいな感じで受け取られてひとくくりにされちゃってるんですよね。
だから、空気系アニメって言い方するなら、もっと厳密な定義が必要なんじゃないかと。そもそも、空気系アニメが厳密に定義できてるなら、わざわざここで話し合う必要もないわけですし。

で、自分が定義づけの手本にしてみたらと思うのがセカイ系です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AB%E3%82%A4%E7%B3%BB

これをみてもらうとわかると思うんですが、一般にセカイ系として認識されてるのって狭義のセカイ系ですよね。
で、これと同じように、空気系にも狭義と広義を設けて、あずまんが的なものを狭義、ARIA的なものを広義とするべきなんじゃないかと。

って、「分類の仕方について」で書かれていることが完璧すぎるw

と、いちおう私からの返信はこんなところです。

[28] 空気系使いたくないなあ 秋水 - 2008/12/29(月) 20:14 -

現状の定義だと、なんでもかんでもただ女の子が出てきてゆるい感じの作品を「空気系」として強引にひとまとめにしようとしているようにしか見えません。

というわけで、実の所あんまり「空気系」という言葉は使いたくない。

あえて空気系を定義するなら、

1、物語性が低く、キャラクターの成長や内面の変化、またおかれた状況、もしくは人間関係にも変化があまりみられない。
2、キャラクターのなにげない日常を眺め、その「空気」を味わうことを目的として楽しむ作品
3、主要登場人物のほとんどが女の子

て感じでしょうか。

これならあずまんが大王、みなみけ、びんちょうタン、あたりは空気系として分類、ARIAやかみちゅは1の定義で外れる。
こんな感じで狭い範囲内で限定的に使うのがいいのではないかと思います。

[29] 呼びかた 管理人 - 2008/12/29(月) 22:54 -

まあ、言葉の響きってありますからね。

ライトノベルってみんな軽い小説かっていったらそんなこともないわけですし。
空気系ってのは便宜上一緒くたにされがちな作品群を一応のカテゴリーで括ろうってだけの話なんで、呼び方はこだわらないです。
仰るように、秋水さんのわけ方のほうが実情とニュアンスを掴んでると思いますし。

ただ、だからといってここでそれぞれを分けたからって認識が広がるってこともないと思ったんで、暫定的にでもひとまとめにした呼び方として使い、狭義と広義って注釈いれるくらいがいいかなとか。

1、物語性が低く、キャラクターの成長や内面の変化、またおかれた状況、もしくは人間関係にも変化があまりみられない。
2、キャラクターのなにげない日常を眺め、その「空気」味わうことを目的として楽しむ作品
3、主要登場人物のほとんどが女の子

まあ、ここらへんはお任せします。
けど、そうすると、ぽてまよはどうだとか、今日の5の2はどうなるんだとか厄介な問題もありますが、ここはあくまで史観を築くのが目的なんで、これ以上深く定義問題に突っ込むのはやめときましょう。

[129] 空気系と日常ドラマ系 管理人 - 2008/12/30(火) 12:40 -

さて、項目が長くなったので、論旨をまとめて仕切りなおしを。


ギャルゲー原作のToHeart(1999)の放送を前後して、萌えと美少女をメインとした、日常を舞台にした作品が増殖した。

あずまんが大王(2002)によって、ギャルゲーやラブコメ漫画原作の流行の後、それらに飽きた視聴者が、女の子がいれば恋愛要素がなくても「萌え」が成立する「空気系」を発見した。

上記ふたつの流れが隆盛していく裏で、「リスキーセフティ」(1999)「ココロ図書館」(2001)「フィギュア17」(2001)などの流れを経て、どちらにも属さない「かみちゅ」「まほらば」「ARIA」(2005)といった、「日常ドラマ系」とでも呼ぶべき作品群がつくられた。

「空気系」と「日常ドラマ系」は、ともに日常をベースにしたキャラのたわいのないやり取りが中心となるので、一見すると物語性が抜け落ちていて同じタイプの作品に見える。
が、前者が、キャラの置かれた状況や内面の変化にほとんど踏み込まないのに対して、後者は、その日常を積み重ねていくことで、キャラの内面の変化や成長をゆっくり丁寧に描いていく。

恋愛要素が希薄で、女の子の日常メインに描かれた作品群は「萌え日常系」として括り、それぞれの分派として「空気系」「日常ドラマ系」とを分けて考える。


と、こんなところでしょうか。
では、ここでちょっといじわるな質問を。それぞれを分けて論ずる場合、ゼロ年代後期につくられた「空気系」の流れを汲むであろう、ぽてまよや今日の5の2などは、一方で「日常ドラマ系」的なニュアンスも多分に含んでいるような気がします。
できれば、ここらグレーゾーンの作品に至る系譜、変遷なんかを原作マンガの位置を踏まえつつフォローお願いできたらと思います。

あと、「空気系」と「日常ドラマ系」が混同されがちなのは、受け手側の視聴姿勢が、ともに「女の子の過ごす日常をゆるく眺める」という同じスタンスで受容しているのが原因だと思うんですが如何なもんでしょう。
で、分派まえの「萌え日常系」の元祖にあたるのって、ココロ図書館、ちっちゃな雪使いシュガー(2001)あたりだと考えます。

[130] 萌え日常系 秋水 - 2009/01/02(金) 01:02 -

>できれば、ここらグレーゾーンの作品に至る系譜、変遷なんかを原作マンガの位置を踏まえつつフォローお願いできたらと思います

ぽてまよも今日の5の2も空気系と日常ドラマ系の要素を含んだ派生作品っていうだけじゃ、不足でしょうか。
両者の要素を含んだグレーゾーンの作品が増えるのは、「萌え日常系」がジャンルとして定着した結果であって、さほど拘ることではないような気がします。


>あと、「空気系」と「日常ドラマ系」が混同されがちなのは、受け手側の視聴姿勢が、ともに「女の子の過ごす日常をゆるく眺める」という同じスタンスで受容しているのが原因だと思うんですが如何なもんでしょう。

そうだと思います。
だからジャンルとしては、ひとくくりで、「萌え日常系」でいいんじゃないでしょうか。

むしろ検討すべきは、分派の大本である萌え系全体のなかでの「萌え日常系」の位置づけ、萌え系の主流であるハーレム系ラブコメとの相違ではないかと、私は思います。
「ハーレム系ラブコメ」と「萌え日常系」では視聴者の求めるものも視聴スタンスもかなり変ると思います。

[131] 語り口について 管理人 - 2009/01/02(金) 02:01 -

>むしろ検討すべきは、分派の大本である萌え系全体のなかでの「萌え日常系」の位置づけ、萌え系の主流であるハーレム系ラブコメとの相違ではないかと、私は思います。

そこも押さえる必要はあると思うんですが、出来ればジャンル全体の話ではなく、作品に話を集約させたいんですよ。
「エヴァ前夜」のときも、全体の話の流れは「なぜ95年のあのタイミングでエヴァが出現したのか?」って括りで方向性がまとまっていたじゃないですか。

ゼロ年代はただでさえ作品数が多いんで、派生したジャンルをそれぞれ全部押さえた語り方だと項目が多くなりすぎる。
なので、ゼロ年代で目立ったヒット作を中心にして、ヒット作が生まれた経緯を逆算するような形にしたいんです。
言ってしまえば、萌え日常系をひとくくりで語るんだったら、ジャンルでもっともヒットしたと思われる「らき☆すた」あたりを中心にして、前後の作品を相対的な位置に置きたい。

空気系に話をかぎれば、「あずまんが」からはじまって「らき☆すた」に至ったって、おおまかな流れはわかるんですけど、あいだをどういう変遷を辿ったのかってのが、自分には大局的につかめないんです。
それは、原作にあたる萌え4コマの歴史ってもんをぜんぜん知らないからで、ぽてまよや今日の5の2のフォローをお願いしたいのも、空気系ってジャンルが巡った「想像力の流れ」みたいなもの(進化や構成要素の取捨選択)を知りたいからでして。

ぽてまよは、あずまんが以降の萌え4コマ雑誌乱立の流れのなかで生まれてきたこと。今日の5の2は、みなみけと作者が同じで、みなみけよりも前に描かれたってことくらいは知っているんですが、あずまんが→ぽてまよや、今日の5の2→みなみけが、どのような方向で作品に変化が生じているのかつかめない。

個人的に、あずまんが→らき☆すただと、オタクへの親和性とか、日常の非物語性(モラトリアム)の強化みたいな流れはなんとなく感じるんですけど。

できれば、そこいらへんの流れを追うように、たとえば日常ドラマ系なら、ARIA、かみちゅに至る道、みたいな感じで方向性を集約していくようお願いしたいんですが、いかがでしょう。


あと、ハーレム系ラブコメと萌え日常系を比較するなら、作品のヒット規模を考えると、ハーレム系は下火、萌え日常系は隆盛って印象を持ちます。
その原因として、ハーレム系の進化が「美少女のバリエーションの拡充」って方向で進んで、ねぎまあたりですでに打ち止めになってしまったからだと。

近親ジャンルを比較するなら、ただ違いを検討するより「盛衰」みたいな視点を入れたほうが、史観を築くって主旨には合ってるように思うんですが。

[132] 空気系の「史観」としては十分では? 秋水 - 2009/01/02(金) 13:04 -

>それは、原作にあたる萌え4コマの歴史ってもんをぜんぜん知らないからで、ぽてまよや今日の5の2のフォローをお願いしたいのも、空気系ってジャンルが巡った「想像力の流れ」みたいなもの(進化や構成要素の取捨選択)を知りたいからでして。

>あずまんが→ぽてまよや、今日の5の2→みなみけが、どのような方向で作品に変化が生じているのかつかめない。

これは自分にもわかりません。というか大きな差を認識できないので自分では語りようがありません。

自分としてはこの変化・差異は現段階で、そんなに拘らなければならないことなのか疑問です。
だいたい、ぽてまよも今日の5の2もそんなにヒットした作品でもないし重要視するべき作品でもないのでは。
そういう狭いジャンルの個々の作品に拘っていると、それこそきりがない気がします。

今は、萌え四コマ乱立、ジャンルの定着、アニメ化作品増加という流れが抑えられれば十分ではないかと思います。

自分からすると、管理人さまは少し細かいところに拘りすぎている気がします。
自分としては空気系に関しては、あずまんがの登場こそが最重要で、あとはジャンルとしての定着でしかないので、あずまんがの成立と近親ジャンルとしての日常ドラマ系の成立まで抑えられればひとつのジャンルの変遷、「史観」としては、今まで書いたことで十分ではないかと思います。

らきスタの登場に関しては空気系の定着の流れの上で生まれたということが、わかれば十分で
ヒットの要因には関しては、また別個に検討していかなければならない課題が多いと思います。
漫画史的な流れを考えるなら、げんしけんを代表とするオタク自身を登場人物とした漫画の登場と定着の流れを抑える必要があるし、ハルヒを経ての京アニ人気の盛り上がり、Youtube、ニコ動との関係まで考慮しないと説明しきれない。
そうすると既に空気系というジャンルの切り口だけでは語りきれるものではなく話が脱線せざるを得なくなってしまいます。

現段階では、もっと大まかにどういう流れが、あったかを、代表的な作品をあげつつ整理していくことが先決ではないかと思います。

そういう意味で「史観」を築く上で、萌え系の派生ジャンルやその盛衰については、まだ抑えておかなければならない流れや作品は多いのではないかと思います。

[133] むずかしい 管理人 - 2009/01/02(金) 23:03 -

>今は、萌え四コマ乱立、ジャンルの定着、アニメ化作品増加という流れが抑えられれば十分ではないかと思います。

たぶん、秋水さんと私の見解の違いって、アニメ史観を築こうっていう方向性が、ヒット作やムーブメントを中心にするか、個別のジャンルの枝分かれ、系譜を追っていくかってスタンスの違いだと思います。

自分としては、派生ジャンル全部を網羅した上での史観だと膨大になりすぎるので、代表的なムーブメント(種ガン、ギアス、ハルヒ、らきすたなど)の成立を軸に前後の史観作りを進めたいと思ったのですが。

>だいたい、ぽてまよも今日の5の2もそんなにヒットした作品でもないし重要視するべき作品でもないのでは。

で、ぽてまよや今日の5の2の話なんかは、Toheart→あずまんがみたいなヒットの変遷を追うように、あずまんが→らきすたへの流れの補助になるんじゃないかってことでした。
あと、ヒットが最重要であるなら、セールスの上ではあずまんがより大ヒットしたらきすたを、あずまんが以降の派生作品ってだけで流す方がマズイと思います。
それに、ヒットしてない作品の話が完全にご法度なら、フィギュア17、リスキー☆セフティも除外しなきゃならないわけですし。

そもそも、ヒット作には「派生型」と「帰結型」があると思っていて、あずまんがなんかは明確に後にジャンルとして広がる作品群の元祖として重要ですが、ゼロ年代の大ヒット作のほとんどは、あるジャンルの洗練、進化したあとの帰結として出てきた作品ばかりです。
(ガンダム、エヴァは双方の意味を持っているからこそのメガヒットだと思います)

私としては、そういった帰結型ヒット作が大半を占めるゼロ年代では、個別のジャンルの派生過程より、帰結したヒット作を逆算する形で、派生作品からの流れを振り返るよう的を絞ったらと思うんですが如何でしょう。

ただ、ここは自分としてもわからない部分が多いので、無理強いして語ってもらうわけにもいきませんし…

とりあえず、項目の依頼用スレは立てましたので、そこで語りたい方向性ってもんを示していただけないもんでしょうか。

現状だと、根本的な部分での方向性も違っているので、摺り寄せも議論も成り立たないと思いますので。

[134] 歴史を計るモノサシではない kanaejun - 2009/01/05(月) 01:33 -

スパっとうまく言えないのですが。
ぶっちゃけ「高橋ナオヒトや舛成孝二あたりがフィルム撮る=全部日常・空気系になる」と思います。
つまり
「日常」「空気」なんてのは単なるギミックで、作品論作家論演出論を語る場合にはとても有効なのですが、歴史を横断するような俯瞰視点には使えないのではないでしょうか。

個人的には「物語の終着点(目的)が無い作品」で切り分けた方がいいと思います。セカイ系はバッサリ除外できるし「あずまんが−苺ましまろ−らきすた」あたりのラインが見えてくる様な気がします。

というわけで私の定義では「フィギュア17」「R.O.D.」全部除外です。「ハルヒ」も除外かも。
皮膚感覚とはかけ離れるかもしれませんが、今までサンプリングされた作品群を全てを包含するようなモノサシを作るのはどだい無理、もしくは「評論遊び」どまりになるのではないでしょうか。

[135] とりあえず別口から補強してみる。 torov - 2009/01/26(月) 22:02 -

秋水さんはお久し振り、そして管理人さんは初めてになります
でしょうか。「至好回路」方面から飛んで来ました。torovです。
まずはこのあたりの別口から補強してみる。

 まあ「空気系」と「日常ドラマ系」のイメージを有名な
冒頭句のフレーズでたとえるなら、「空気系」が祇園精舎の
鐘の声〜(平家物語)で、「日常ドラマ系」の方はというと、
行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず(方丈記)って
感じもするあたりではありますが。

 それと「ハーレム系ラブコメ」に関してはその定義にある
絶対条件と「バニシングハーレムの出現」について語る必要が
あるような。
「ハーレム系ラブコメ」は基本的にヒーロー側に絶対条件と
付帯条件があって、「護ってあげたい男の子」属性を持っている
こと、が絶対条件としてあり、ままその中から多くの事態を
収拾する為に付帯条件としてヒーローが「空気化」するベクトルに
よって「日常ドラマ系」の淡々とした展開を取る作品が現れる
ようになった(「天地無用!」の柾木天地や「To Heart」アニメ版の
藤田浩之なんかがその典型例)。
 そのあたりとAVGで良く観られる主人公の無個性化された
部分がやがて軽視され「ハーレム」からヒーローの消えた
「バニシングハーレム」(=ただそこに群れている女の子達が
いるだけ)が出現するといった流れがあって、それが初めて
具体的に出てきたのが「大運動会」だったあたりがおそらくこの
テーマの一番の鍵なのではないかと。

 パイオニアLDC、そしてコミックは電撃系だった「大運動会」を
軸にすると「天地無用!」「エルハサード」から遥か昔は「ガル
フォース」まで辿れる過去の部分から「あずまんが」「よつばと!」
と抜けていく最近の部分まであずまきよひこつながりで一気に
語れる部分もありますし、他の部分もいろいろ語れるものなのかと。
(「今日の5の2」はともかく「みなみけ」「とらドラ!」といった
あたりはスターチャイルドひいては大日本講談社的な味付けを
「日常ドラマ系」で音楽的・作風的にちゃんとこなしている作品かな、
とも思うところだし)

 あとは「空気系」と「日常ドラマ系」が作られる原動力について。
これはスッパリと二つあって、それは「手す(さび)」と「待ち(わび)」
の両面から来ているように思う。
 まあ次回はこのあたりから、ってところでしょうか。
高橋ナオヒト、舛成孝二両氏の作品もどちらかといえば「手荒び」な
ところに端を発しているかとは思いますが・・・。

[136] 「バニシングハーレム」は出現した? 菊地研一郎 - 2009/01/28(水) 16:03 -

おや、とぼふさん。いや、単に私が大昔から一方的に知ってるだけですけども。

>torovさん
TVアニメ『大運動会』は、『くりぃむレモン』→『プロジェクトA子』→『トップをねらえ!』→『セーラームーン』という、「ヒロインはかわいい女の子。ヒーローもかわいい女の子。潜在的に百合を含む」系の流れの方が重要ではないか。

「ハーレム系ラブコメ」マイナス「男主人公」イコール「バニシングハーレム」という公式だと、「女の子同士の友情もの」との接続が悪いですね。

『大運動会』は育成SLGゲームが先行していて、たしかそっちはプレイヤーがコーチでした。OVAとTVアニメと小説版と漫画が女スポコンものにしたのは倉田英之でしょうね。「いっちゃん」を見る限り。黒田&倉田の脚本スタイルはあまりゲームの影響をうけていません。彼らが過去にやったのはギャルゲーのノベライズでした。ベクトルが逆です。

しかし、90年代前半までは、ハーレムといったらば、あかほりさとるだったハズ。これが「美少女わんさかコメディbyラブひな」でハーレムの意味が変化した…と記憶している。『ToHeart』など全年齢化エロゲーの影響もあった。ヒロインと割と容易に性交可能であるからこそ、ハーレムという呼称が意味をもった。『同級生』『ときメモ』を解くのが難しかったので、ハーレムのイメージはまるでなかった。

Leafのビジュアルノベル路線によって、ラノベのエロゲー化が進んでいき、TYPE-MOONやひぐらしに繋がった。いまやエロゲーの最新モードが流入するのはマンガよりもラノベの方だし、いや、むしろ今はラノベが美少女の最新モードを開発している。

ただ、ツンデレに関しては釘宮理恵がいるので、ラノベ原作アニメが最前線となっている。今はTVアニメ『とらドラ!』か。著者も脚本も女性だという点が非常に変わっている。おまけに竹宮ゆゆこに関してはPCのエロゲーライター出身だ。それがややオールドスタイルなエロゲー的ギャルゲーふうラノベを書いて、それが女性脚本家のシナリオでアニメ化。結果的に、YOUNGYOUあたりの女性誌のマンガっぽくなっている。おかしな逆転現象だ。…アニメ版『紅』もそうだったな。あの女の描き方は少年向けではなかった。ノイタミナ枠で放映すべきだったな、と感じた。

オタク向けアニメの世界では、男向け文化の女性化が進んでいるのではないか。

[137] とりあえずフレーメン反応 torov - 2009/01/28(水) 20:08 -

菊地研一郎さん、まずはどうも。
ちなみにtorovの詠みは一応「トロフ」、なのですが。

>菊地研一郎さん
>「潜在的に百合を含む」系の流れの方が重要ではないか
(確かに百合要素が潜在的にあることもあって、会社が
変わってからここが「マリみて」を引き受ける素地が
あったのは事実ですが)
私に言わせれば、それはかなりお門違いではないかと。

まず『セーラームーン』までの流れを入れると煩雑に
なりすぎる上に「オサレ」とか「夢」とかの部分で
いろいろと支障をきたしやすいので、なるべく言及は
避けたいところ。
 また『くりぃむレモン』→『プロジェクトA子』のラインは
ポニーキャニオンと創映新社(OVA・エロゲでは
Fairy Dust)ですが、ここもその次の流れが拡散方向に
あって、今はむしろ人材を提供する側(柿原徹也や
加藤英美里、鹿野優以らが卒業したアミューズメントメディア
総合学院はここの系列)ですし、この流れでもない。
 唯一かかるのは『トップをねらえ!』でこの源流は
ETVの歌のおねえさんあたりですから、まあ妥当な
ところ。『大運動会』のOVA版(近未来スポーツ競技物)
には影響がままあるくらいかな、と。

 『大運動会』はむしろそのアニメ化された時期(TV版が
1997年の秋から1998年の春まで。『スレイヤーズTRY』と
「ヤシガニ」の間)と、黒田&倉田の脚本ばかりに目が向いてて
軽視されがちな秋山勝仁監督の軸で観れば、重要であることが
確認できるものなのかと。
 女の子ばかりのバトルである程度行き倒れるまで行き着いた
『ガルフォース』の監督はパイオニアLDCの諸作品以降も
ぶれずにあって最近の『モンキーターン』『イナズマイレブン』に
至るまで堅実な作品を提供出来る職人監督ではありますのでね。

>「女の子同士の友情もの」との接続が悪いですね
もむしろ、考え方の出自の目の付けどころが悪いだけのような。
「ハーレム系ラブコメ」の源流にはむろんエロゲ等の概念で
よく言われる「圧倒的な楽園」論といふものがあり、とりわけ
強引に人を囲ってモノにするタイプのハーレムを形成するには
非現実的(ファンタジー系か893系でもなければありえなく、
かつ好まれない)な状況下ではむしろ調整タイプが中心にいる
ハーレムが好まれやすく、調整弁としての主人公が活躍する
余地がそこにはあった、と。で、いつしかその役割すらも
希薄にするような状況や環境が発生することで「バニシング
ハーレム」という「圧倒的な群れ」と化したものの中で、
新たに軸になるものは、と言ったときに出てくるのが、
「女の子同士で芽生える努力なり友情」って軸なのでは。

>『大運動会』は育成SLGゲームが先行
インクリメントPは現在本業(「MapFan」などのカーナビ及び
地図制作事業)に戻ってしまいましたが、このゲーム版がスタート
でしたね。「いっちゃん」の悲劇のエピソードも初めからありました。
 まあこの頃から久川綾やリーフの作品を含めて「関西弁を
語れる声優をいかにスムースに定着させていくか」といった
命題がいろいろなされた末に、生駒治美、氷上恭子、植田佳奈、
といった中から当初は毎週大阪から東京まで通ってた松岡由貴の
「あずまんが大王」の大阪をめぐる話・・・といった流れが
確かにあったような。
>>90年代前半までは、ハーレムといったらば、あかほりさとるだった
といふ考え方は古い以前に「ノレなかった」ってのが正直なところ。
むしろあかほりズムなSM感覚はPILの田所広成と同じで
1990年代までの概念で21世紀にたどり着けない感覚を有して
いたような(まあその中身は概ね触媒と調教師の鞭の双方が
必要で、鞭を普通に持つタイプの水谷優子はともかく、触媒として
いた横山智佐や丹下桜が劣化・変容していく中でコントロール
出来なくなった点がいかにも、といふ感じを受ける)。

>オタク向けアニメの世界では、男向け文化の女性化が進んでいるの
むしろ「アラフォー」とかいう欲望の化け物に成り果てた
ヤンキーの滓が食い散らかしてきた世の中で、生き残る術を
会得した「腐女子」の提供する「擬態」とその文化を
本来の男のヲタも「居心地がいい」といった環境面から
受け入れている、そんな時代の最中に今はあるような。

[150] 『大運動会』に見るパイオニア・AICのスタイル 菊地研一郎 - 2009/01/31(土) 16:16 - MAIL

 torovさんに、お詫びから。すンません、人違いしました(たぶん)。もっとも、それとは別にtorovさんのカキコ文を過去に読んでたことも思いだしたので…(何て表現すればよいのやら?)

 さて、torovさんから否定的な感想をいただきました。「お門違い」「目の付けどころが悪い」と。私は百合系作家の友人(男性)の影響を受けています。非正統派の理屈なので、そういう判定は認めます。ただこちらにも理はあると私は感じています。

 97年には『サミー』『ウテナ』『大運動会』がが放映され、百合系で話題になりました(あとは01年の『Noir』かな)。

 当時のパイオニア&AICのやり方は特徴的ですね。天地(&サミー)・エルハ・運動会を、地上波の夕方でやるという試み。設定を修正して一般向けっぽくしようとするのがパ&AICの特徴でした。あかほり系のメディアミックス展開は極力変わらないようにで、ソレとは好対照でした。

 torovさんはTV版『大運動会』を取り上げてますが、TV版『サミー』の方が後へのインパクト大だったと思います。ある種定番である魔法少女パロディではなくて、そういう企画を立てたフリーダムさが。

『大運動会』はけっこうフリーダムでカオスな内容ではあるけれど、TV版『サミー』が開墾したルートを通った。アトランタ五輪見込みのスポーツ系ギャル系育成SLGをTV化したら、「熱血スポコンのギャルゲー炒め百合風味」になった。のちの『ToHeart』以降のギャルゲー原作TVアニメにも異色作は存在するものの、全く傾向が違う。

 私は『大運動会』に百合系を見て、torovさんは「消えハーレム」を見た。『天地(&エルハ)』はハーレム性であったが、『サミー』は魔法少女のパロのパロ、『大運動会』はスポ根中心のごった煮だった。ゲームのギャルゲー要素はOVAでもTVでも削られている。否、ゲームはゲームで、OVAはOVAで、TVアニメはTVアニメで、という方針だったのかもしれない。あっさりキャラを改変するのがパイオニア・AICの特徴だった。エルハはTV化でヒロイン自体を変更&キャラ属性改変をしていた。…そういえばファトラのレズ趣味が百合系で以下同文だったことを思い出した。

 このあたりはパイオニアLDCがGENEON化(電通の子会社化)して減退したかな。90'sと00'sの違いの一つだろう

[151] フレーメン反応その2・主にパイオニアLDC篇 torov - 2009/02/02(月) 22:06 -

まあ今回も多分にフレーメン反応した部分から。

>菊地研一郎さん
>否定的な感想をいただきました。「お門違い」「目の付けどころが
>悪い」と。
と言われているようですが、まあ「百合」に対する妄想力の
弱さとそれに比例する「ついていけなさ」からなるべく避けて
通りたいテーマではあるんですが(ただ「プリサミ」の百合系
導入は青臭いところからもわかる通り黒田側からだろうしなあ。
特にそれは「プリサミ」「フォトン」の黒田ノベライズに顕著だけど、
「妹背」的な部分が多分にあって、それが「リヴァイアス」の
イクミの設定あたりにまでつながっているものだしなあ。ぶっちゃけ
あんまし関わりたくない)。

 むしろこのあたりの件で私が居丈高な方向で喋っているのは
ある程度の素地があるわけで。
 私は1990年代を中心にアニメの各種イベントに客として参加していた
いわゆる「イベント廻り」を多くしていた関係で、当時のパイオニア
LDCのイベントにも多数行っていたほかにも、とみに『大運動会』
あたりに参加していたメインスタッフと面識があり、いろんな話を
聞き込んでいた事情があるからこそ、「そうじゃない」といえる
部分があるわけで。
 だから特殊な上田仕事のプログラムコンテンツとして作られた
『プリサミ』から論を展開するのはどうしても筋違いにしか見えない。
(だって放映開始以前に全話脚本が出来上がっていて、アフレコも
本番一発録りだけで終わったことのある特殊な作品だよ?極北な
視点をスタンダードとして論じるには無理がありすぎる。むしろ
語る余地の先としては参加しているスタッフとの共通点から
『逆・ちびまる子ちゃん』的な視点で語る方が面白いかと)

>当時のパイオニア&AICのやり方は特徴的
>設定を修正して一般向けっぽくしようとするのがパ&AICの特徴
を並列的に語るのも違和感が。
前者に関しては「パイオニアLDC」としての戦略としては
いささかも間違っていない。もともとLDの促進を目的として
作られたのが「パイオニアLDC」でしたから、そのための
安定したコンテンツ作りのためにテレビシリーズ、といふ
フォーマットをベースに置いたことは間違っていない。

 でも後者の特徴として書かれているものはむしろ当時不動産に
手を伸ばしてグダグダにクサされていた「タツノコプロ」の残党が
とみに得意にしていた手法。ある意味「ラムネ&40」「エヴァ」の
双方が影響してこの形を、特にねぎしひろし率いるゼロジールーム
(現・RADIX)が多用していたにすぎない。
(この影響をモロに受けたのが「天地」と更に上田仕事で
劣化した「新天地」。秋山監督の路線修正は『大運動会』において
シャフトを引き入れたことがその主な違いになっている)

 私見ではあるが「パイオニアLDC」の特徴は作画偏重である
よりもむしろ作劇(ストーリー)の面白さと、それをサポートする
音楽の重要性をちゃんと提示できていたことにあったのであって、
実際多くのCDドラマを含めたサントラ・音楽集、及びラジオの
スポンサー及び関連番組に対する貢献度はかなりのものがあった
と観ている。長岡成貢、藤原いくろう、枯堂夏子といったクリエイター
を世に押し出したのも「パイオニアLDC」の功績だと思うし。
ワーナーパイオニアから引き継いだ山本正之の流れも笠原弘子や
小桜エツ子を通じて上手く拾っていた印象が強い。

>ゲームはゲームで、OVAはOVAで、TVアニメはTVアニメで
に関しては異論を。特に両輪で行こうとしていた時代、特に
『エルハザード』と『大運動会』はTVシリーズとOVAが
ほぼ同時の並行発売をしていたことがありまして(この際
TVシリーズは秋山監督だけど、OVAシリーズ版は別の
監督が立っていたりする)。それぞれメディアに合った体制を
ちゃんと組んでやっていきましょう、が基本スタンスだったとは
思うのだけど、「パイオニアLDC」自体が「ノエル」あたりに
絡んだ上田仕事の時代、そのあたりをあやふやにしたことが、
結局末期まで響いた印象を受ける。
 だからそれぞれの監督が個性を出すために多少の差異を
受け入れるのが「パイオニアLDC」の作法ではあったけど、
それもそのうちあやふやになったまま終わったのでは。
(少なくとも里見さんのスタジオが版権管理まで整えていた
「あずまんが」の時代まではそれが曲がりなりにも上手く
廻っていたような印象)

一応「パイオニアLDC」は広報誌「アニメPRESS」を
観る限り1992年頃から2003年頃までが活動時期で、
(ジェネオン エンタテインメントになったのは2003年10月)
『バスタード』『天地』『モルダイバー』『鉄人兵団』の初期、
黒田・倉田の脚本参入、あずまきよひこの広報時代が花開いた
『天地』『エルハザード』『大運動会』の「あずまんが」時代、
北海道に飛ばされていた上田耕行が戻ってきてまじめに趣味で
作れば作るほど売れずの上田仕事時代
『ノエル』『新天地』『Lain』『三石琴乃/あきれかえるほど』
『ナスカ』『ビーストウォーズ』『センチメンタルグラフィティ』
 今は亡き「AX」やノンスクWOWOWと組んだ「AX−ノンスク時代」
『菜々子』『デュアル!』『課長王子』『今僕』『ソルビアンカ』
(水野愛日プッシュ時代はこのあたり)
後期から末期にかけての
「オサレ」と「萌え」と「売れない上田路線」時代
『BOYS BE・・・』『ソウルテイカー』『L/R』『藍より青し』
『HAND MAIDメイ』『あぃまぃみぃ』『まほろ』『ユーシィ』
『ヘルシング』『ニアアンダーセブン』『灰羽連盟』
そして10周年で出来た「ロンドローブ」、まで。と区分出来そうな。



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