《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

本流宣言掲示板」「光明掲示板・第一」「光明掲示板・第二」「光明掲示板・第三

谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
この掲示板の目的
この掲示板のルール
本掲示板への書込法
必ずお読みください
管理人への連絡
重要リンク
TOP PAGE

Página de Português/ポル語ページ
 

 

“総裁先生が可愛そう”こういう心理で教団を支えようとしている信徒がいるのですね… (3069)
日時:2016年07月28日 (木) 18時06分
名前:破邪顕正


教団に残っている信徒の心理にはいろいろなものがあるということを痛感しています。

表題もまたその一つだということをある方を通して教えていただきました。

小さい頃から「3代目」と言われ、不自由な思いをされたに違いない。

本当は継ぎたくなかったのに、教団のために無理して継がれて、ご苦労されて…。

また、別派、分派から、誹謗中傷等を受けて、本当に可愛そうでたまらない。

私たちが、総裁先生をお守りしなくて誰がお守りしますか?!

総裁先生が3代目を継がれたからこそ、今の教団は成り立っているのです。

そのことへの限りない感謝の思いを込めて、総裁先生をお守りしていこうではありませんか?!

どうも、そういうことのようです。

当然、そういうことですから、私などは総裁先生を攻撃するヒドイ人。

反逆者!

恩知らず!

そうなるわけです。

「谷口雅春先生を学ぶ会」もまた、そういうイメージを受けるから、たとえ「退会」しても「谷口雅春先生を学ぶ会」にはいかない!

そういうことで「谷口雅春先生を学ぶ会」は退会者の“受け皿”になっていない!

そんな声も聞かれるのだろうと思っております。

これが如何に厄介かは、論理的に説明してもなかなか受け付けてもらえないことです。

だって、心情・感情の世界なのですから!

だから、私は、そういう感情をもった方は、「谷口雅春先生を学ぶ会」においでになることはないと諦めてもいます。

そういう信徒の“受け皿”にはなり得ない、ということです。

そういう信徒まで抱える“受け皿”になろうとすれば、却って「谷口雅春先生を学ぶ会」の存在している意味、意義、方向性がおかしくなってしまう…。

「谷口雅春先生を学ぶ会」はあくまでも、谷口雅春先生の「教え」が消え去っていくことへの思いから出発している。

谷口雅春先生の「教え」を守りたい!

過たず後世に伝え遺したい!

谷口雅春先生のお志にお応えしたい!

そういう志をもった信徒の“受け皿”に徹したい、そう思うのです。

「谷口雅春先生を学ぶ会」は何のために存立しているのか?!

その旗幟を常に明らかにして、そのための“受け皿”でいきたいと思っています。

「谷口雅春先生を学ぶ会」は憲法改正を目指しているから、今の教団もイヤだけど「谷口雅春先生を学ぶ会」もイヤだ。

そういう信徒さんもいます。

私は、それはそれで致し方ないと思っているのです。

で、そういう方と話していると、谷口雅春先生が憲法改正を目指しておられたということを全然、ご存じないのです。

「天皇国・日本」という言葉にすら、違和感を覚えるとすら言われるのです。

谷口雅春先生が神界に神去られての年月というのは、それほどの思想的空白をつくってしまったということでありましょう。

「谷口雅春先生を学ぶ会」の使命は、まさに、その思想的空白を埋めることにあると私は思っております。

そのための“受け皿”として生長・発展していきたいというのが私の願いであります。



これは誰が書いたのだろうか (3070)
日時:2016年07月28日 (木) 22時06分
名前:レポーター

http://genuinita.blog.fc2.com/blog-entry-513.html

このブログは誰が書いたのか知りませんか


自民党の改憲草案に満足して安倍政権や自民党を支持してゐるとしたら、とりあへず明治憲法復元改正論は破棄してゐることにはなるとはいへ、復元にしろ、改憲にしろ、それは一種の「手段」でしかないと思ふのだが。しかもいづれにしろ、戦後何十年間も憲法に関はる言論活動や運動をしてゐた筈なのに、改憲反対派の憲法学者を説得できるほど洗練された理論を構築してゐなかつたことに驚く私ではある。)

その上、生長の家の「分派の信徒」に於ける「日本国の実相」といふのは、もしかして基本的には大日本帝国時代の日本なのでは・・・とちよつと心配になつてきた(先入観で書き過ぎたかもしれないが、そのやうな固定概念にとらはれたまま「日本の実相顕現」を希望したり、祈つてゐたりするのだとしたら、色々と歪んでしまふと思ふので)。

とにかく、特に政治に於いて、昭和の、しかも現在とはかなり状況の異なるガチガチの冷戦時代に示された方針原理主義に陥つてゐることを自覚するところからやり直すべきだと思ふ。
(しかし、失礼ながら霊感あふるる谷口雅春氏にしても、統一協会と手を組んでしまふといふ致命的な大失策を犯してゐるのは一体どうしたことなのか。その他にも疑問に思ふこと多し。)
とにかく、信仰者にとつて最も肝心なのは、小賢しくも不完全な人間智を捨て、無我になリ、神に全託することではないだらうか。
偉さうだが、傍からみると、五感と人智の世界に浸りきつて生きてゐるやうにしか見えない。
しかも、三代目の逸脱ぶりも凄いとはいへ、やはり傍からみると分派は分派で、自分達の「政治思想」に基づいて初代の都合のいいとこどりをしてゐる面がなきにしも非ずと感じる。

以上、僭越ながら、皆様方の「円満完全なる実相顕現」を祈りつつ。
(因みに、この記事を書くにあたつて、といふか昨夜寝る前に谷口雅春氏にお祈りしてみたのですが、やはりかうなつてしまひました。合掌。)

解らない事はないのですが・・・。 (3072)
日時:2016年07月29日 (金) 01時17分
名前:そーれ!!

憐憫愛は、愛にあらず!!

だと思います。

IS問題も、過去、キリスト教がして来た事を思えば、

確かに彼等は可哀想かもしれません。

中々複雑ですね・・・

でも、雅宣総裁を、可哀想だと思う事は、

あいる意味、彼を侮辱する事に繋がるのでは?

それは、雅宣総裁を、神の子として観ていないから。

神の子で、可哀想な人は何処にもいないのです。

本当の被害者は、教団信徒なのです。

愛深い?教団信徒が、雅宣総裁を崇拝する事は、

個人の自由です。

  ですが、

それが、反日本國・反天皇・反雅春先生の運動の

遂行者であれば、私は正面から糾弾して行きます。

次へのステップ (3073)
日時:2016年07月29日 (金) 08時33分
名前:第三者

政治と宗教を分離することは、できませんか
信者拡大のエネルギーを政治組織や他の組織設立の立ち上げに使う
宗教を純粋にしたい人は、学ぶ会
政治をしたい人は、政治の会
教育をしたい人は、教育の会
福祉をしたい人は、福祉の会
経済をしたい人は、経済の会
どこに所属するかは、信者の自由、強制はしない
政治と宗教を分離しない弊害が目立つような気がします
それが批判に繋がっているような気が
組織改革と組織再編の次にステップにそろそろ移行するべきでは
政治と宗教を一緒にしてもダメ
政治と宗教を分離して宗教だけでもダメ、
また政治と宗教を一緒にしていいのか
政治と宗教を分離してそれぞれの組織で活動する
次のステップへ移行する時期では
今の組織体系でいくのか、組織再編、組織改革をしていくのか



名前
メールアドレス
スレッド名
本文
文字色
ファイル
URL
削除キー 項目の保存


Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板